魏書

卷87 節義:于什門 段進 石文德 汲固 王玄威 婁提 劉渴侯

卷87 節義:于什門 段進 石文德 汲固 王玄威 婁提 劉渴侯

【序】

原文【序】

大義は至聞より重く、自ら日人より慕う者は蓋し希にして、之を行ふ者は實に寡し。輕生して節を蹈み、難に臨んで歸するが如く、身を殺して仁を成し、死して悔ひ無きに至りては、自ら耿介苦心の人、鬱怏激氣の士に非ざれば、亦何ぞ能く斯の若くならんや。僉に列傳に列ね、名節義と云ふ。

原文大義重於至聞自日人。慕之者蓋希,行之者實寡。至於輕生蹈節,臨難如歸,殺身成仁,死而無悔,自非耿介苦心之人,鬱怏激氣之士,亦何能若斯。僉列之傳,名節義云。

于簡

原文于簡

于簡、字は什門、代人なり。太宗の時に謁者と爲り、馮跋を諭さしむる爲に使す。和龍に至る及び、外舍に住みて入らず、人をして跋に謂はしめて曰く、「大魏皇帝詔有り、須らく馮主出でて受くべし、然る後に敢へて入らん」と。跋人をして牽逼して令め入らしむ。跋を見て拜せず、跋人をして其の項を按ぜしむ。什門曰く、「馮主拜して詔を受くれば、吾自ら賓主として致敬す、何ぞ苦しみて見逼せらるるを須ひんや」と。跋と往復し、聲氣厲然として、初より撓屈せず。既にして跋什門を止む。什門羣衆の中に於て、身を回らして跋に背き、袴の後襠を被りて以て之を辱しむ。拘留せらるるを見てより、随身の衣裳敗壞略盡し、蟣虱體に被る。跋衣服を遺るも、什門拒みて受けず。和龍の人皆歎じて曰く、「古の烈士と雖も、以て過ぐる無からん」と。二十四年を歷て、後馮文通表を上りて臣と稱し、乃ち什門を送りて歸す。治書侍御史を拜す。世祖詔を下して曰く、「什門和龍に奉使し、狂豎肆虐するに值ひ、勇志壯厲にして、屈節せず、昔の蘇武と雖も何を以て之に加へん」と。羊千口・帛千匹を賜ひ、進めて上大夫と爲し、策を以て宗廟に告げ、天下に頒示し、咸しからしむるに聞かしむ。

原文于簡,字什門,代人也。太宗時為謁者,使喻馮跋。及至和龍,住外舍不入,使人謂跋曰:「大魏皇帝有詔,須馮主出受,然後敢入。」跋使人牽逼令入,見跋不拜,跋令人按其項。什門曰:「馮主拜受詔,吾自以賓主致敬,何須苦見逼也!」與跋往復,聲氣厲然,初不撓屈。既而跋止什門。什門於羣眾之中,回身背跋,被袴後襠以辱之。既見拘留,隨身衣裳敗壞略盡,蟣虱被體。跋遺以衣服,什門拒而不受。和龍人皆歎曰:「雖古烈士,無以過也!」歷二十四年,後馮文通上表稱臣,乃送什門歸。拜治書侍御史。世祖下詔曰:「什門奉使和龍,值狂豎肆虐,勇志壯厲,不為屈節,雖昔蘇武何以加之。」賜羊千口、帛千匹,進為上大夫,策告宗廟,頒示天下,咸使聞也。

段進

原文段進

段進、何許の人なるかを知らず。世祖の初め、白道の守將と爲る。蠕蠕の大檀塞に入り、之を圍み、力屈して執へらる。進聲を抗して大罵し、遂に賊の爲に殺さる。世祖之を愍み、追贈して安北將軍と爲し、爵を賜ひて顯美侯とし、諡して莊と曰ふ。

原文段進,不知何許人也。世祖初,為白道守將。蠕蠕大檀入塞,圍之,力屈被執。進抗聲大罵,遂為賊殺。世祖愍之,追贈安北將軍,賜爵顯美侯,諡曰莊。

石文德

原文石文德

石文德、河中蒲坂の人なり、行義有り。真君の初め、縣令黃宣任に在りて喪亡す。宣單貧にして期親無く、文德の祖父苗家財を以て殯葬し、服を持すること三年、宣の妻を奉養すること二十餘載。亡するに及び、又衰絰を以て斂祔し、禮に率ひて闕無し。苗より文德に逮ぶまで、刺史守令官に卒する者、制服して之を送る。五世同居し、閨門雍睦なり。

原文石文德,河中蒲坂人也,有行義。真君初,縣令黃宣在任喪亡,宣單貧無期親,文德祖父苗以家財殯葬,持服三年,奉養宣妻二十餘載。及亡,又衰絰斂祔,率禮無闕。自苗逮文德,刺史守令卒官者,制服送之。五世同居,閨門雍睦。

又梁州上言す、天水白石縣人趙令安・孟蘭彊等、四世同居し、行州里に著る。詔して並びに門閭を標牓せしむ。

原文又梁州上言天水白石縣人趙令安、孟蘭彊等,四世同居,行著州里。詔並標牓門閭。

汲固

原文汲固

汲固、東郡梁城の人なり。兗州の從事と爲る。刺史李式事に坐して收めらる。吏民皆河上に送る。時に式子憲生まるること始めて滿月、式大いに眾に言ひて曰く、「程嬰・杵臼何如なる人ぞ」と。固曰く、「今古豈に殊ならんや」と。遂に便ち潜かに還り、復た回顧せず、徑ち來りて城に入り、式の婦の閨に於て憲を抱き歸り藏す。捕者憲の屬を收むるに及び、一婢男を産む有り、母婢兒を以て之に授く。事尋いで泄る。固乃ち憲を攜へ逃遁し、赦に遇ひて始めて歸る。憲即ち固の爲に長育せられて十餘歲に至り、恒に固夫婦を呼んで郎婆と爲す。後高祐兗州刺史と爲り、固の節義を嘉し、以て主簿と爲す。

原文汲固,東郡梁城人也。為兗州從事。刺史李式坐事被收,吏民皆送至河上。時式子憲生始滿月,式大言於眾曰:「程嬰、杵臼何如人也!」固曰:「今古豈殊。」遂便潛還,不復回顧,徑來入城,於式婦閨抱憲歸藏之。及捕者收憲屬,有一婢產男,母以婢兒授之。事尋泄,固乃攜憲逃遁,遇赦始歸。憲即為固長育至十餘歲,恒呼固夫婦為郎婆。後高祐為兗州刺史,嘉固節義,以為主簿。

王玄威

原文王玄威

王玄威、恒農北陝の人なり。顯祖崩ず。玄威州城門外に草廬を立て、衰裳蔬粥し、哭踴時無し。刺史苟頹事を以て表聞す。詔して狀を問はしむ。玄威稱して曰く、「先帝萬國を統御し、慈澤蒼生に被る。含氣の類仰賴せざる莫し。玄威悲慕に勝へず、中心此れを知るも、禮式を知らず」と。詔して玄威の訴へむと欲する所を問ふ。表列するを聽す。玄威云く、「諱を聞きて悲號す。竊に臣子同例と謂ひ、求謁する所無し」と。百日に及びて、乃ち自ら家財を竭し、四百人の齋會を設く。忌日、又百僧の供を設く。大除日に至り、詔して白紬袴褶一具を送り、玄威と釋服せしめ、州に下して異を表はさしむ。婁提、代人なり。顯祖の時に内三郎と爲る。顯祖暴崩す。提人に謂ひて曰く、「聖主升遐す、安んぞ活くを用ゐん」と。遂に佩刀を引いて自ら刺し、幾くんか死に至らんとす。文明太后詔して帛二百匹を賜ふ。

原文王玄威,恒農北陝人也。顯祖崩,玄威立草廬於州城門外,衰裳蔬粥,哭踴無時。刺史苟頹以事表聞。詔令問狀,玄威稱:「先帝統御萬國,慈澤被於蒼生,含氣之類莫不仰賴,玄威不勝悲慕,中心知此,不知禮式。」詔問玄威欲有所訴,聽為表列。玄威云:「聞諱悲號,竊謂臣子同例,無所求謁。」及至百日,乃自竭家財,設四百人齋會。忌日,又設百僧供。至大除日,詔送白紬袴褶一具,與玄威釋服,下州令表異焉。婁提,代人也。顯祖時為內三郎。顯祖暴崩,提謂人曰:「聖主升遐,安用活為!」遂引佩刀自刺,幾至於死。文明太后詔賜帛二百匹。

時に敕勒部の人蛭拔寅の兄地于有り、官馬を盜み食ふに坐し、制に依りて死を命ず。拔寅自ら誣ひて己れ殺せりとし、兄又云く實に弟の殺すに非ずと。兄弟死を爭ひ、辭定むること能はず。高祖詔して之を原す。

原文時有敕勒部人蛭拔寅兄地于,坐盜食官馬,依制命死。拔寅自誣己殺,兄又云實非弟殺,兄弟爭死,辭不能定。高祖詔原之。

劉渴侯

原文劉渴侯

劉渴侯は、何処の者とも知れぬ。性質は剛烈であった。太和年間(北魏)、徐州後軍となり、力戦して死闘を繰り広げたが、衆寡敵せず、遂に捕らえられた。目を瞋らして大いに罵り、終に降伏屈従せず、賊に殺された。高祖(孝文帝)は立忠将軍・平州刺史・上庸侯を追贈し、絹千匹・穀千斛を賜った。

原文劉渴侯,不知何許人也。禀性剛烈。太和中,為徐州後軍,以力死戰,眾寡不敵,遂禽。瞋目大罵,終不降屈,為賊所殺。高祖贈立忠將軍、平州刺史、上庸侯,賜絹千匹、穀千斛。

嚴季という者あり、また軍校尉となり、渴侯と共に戦い、勢い窮まって捕らえられたが、終に降伏屈従せず、後に逃げ帰ることができた。立節将軍に任じられ、爵位五等男を賜った。

原文有嚴季者,亦為軍校尉,與渴侯同殿,勢窮被執,終不降屈,後得逃還。除立節將軍,賜爵五等男。

朱長生及び于提は、共に代郡の人である。高祖(孝文帝)の時、長生を員外散騎常侍とし、提と共に高車に使わした。その庭(王庭)に至ると、高車の主阿伏至羅は長生らに拝礼を求めたが、長生は拒んで言った、「我は天子の使臣なり、安んぞ下土の諸侯に拝せんや」。阿伏至羅は礼をもって遇さなかった。長生は金銀の宝器を奉ったが、至羅が献上を受け取ると、長生は言った、「臣として内附するならば、臣たる礼を尽くすべきである。どうして口では再拝と言いながら、実は拝礼しないのか」。呼び出して帳の外に至らせ、大衆の中で拝礼させようとした。阿伏至羅は臣下の面前で恥をかかされ、大いに怒って言った、「帳中で何故我に拝礼せよと教えず、大衆の前で我を辱しめるのか」。長生らの献上物を奪い、叢石の中に囚え、兵で脅して言った、「我が臣となれば生かしてやる。もし降らなければ、殺す」。長生と于提は目を瞋らし声を厲して責めて言った、「天子の使臣が汝ら夷狄に拝する事があろうか。我らは寧ろ魏の鬼となるとも、汝の臣とはならぬ」。至羅はますます怒り、飲食を絶った。従行者三十人皆降伏したので、至羅は肉と酪を与えたが、長生と提のみは従わず、遂にそれぞれ別々に移し囚えた。三年を経て、ようやく帰還できた。高祖は長生らの節操を守ることを遠く蘇武に同じくするとして、大いに賞賛し、長生を河内太守に、于提を隴西太守に任じ、共に爵位五等男を賜った。従者は皆、令・長となった。

原文朱長生及于提,並代人也。高祖時,以長生為員外散騎常侍,與提俱使高車。至其庭,高車主阿伏至羅責長生等拜,長生拒之曰:「我天子使,安肯拜下土諸侯!」阿伏至羅乃不以禮待。長生以金銀寶器奉之,至羅既受獻,長生曰:「為臣內附,宜盡臣禮,何得口云再拜而實不拜!」呼出帳,命眾中拜。阿伏至羅慚其臣下,大怒曰:「帳中何不教我拜,而辱我於大眾!」奪長生等獻物,囚之叢石之中,兵脅之曰:「汝能為我臣則活,如其不降,殺汝!」長生與于提瞋目厲聲責之曰:「豈有天子使人拜汝夷,我寧為魏鬼,不為汝臣!」至羅彌怒,絕其飲食。從行者三十人皆降,至羅乃給以肉酪,惟長生與提不從,乃各分徙之。積三歲,乃得還。高祖以長生等守節遠同蘇武,甚嘉之,拜長生河內太守,于提隴西太守,並賜爵五等男。從者皆為令長。

馬八龍は、武邑郡武強県の人である。財を軽んじ義を重んじた。友人武遂県の尹霊哲が軍中で亡くなると、八龍は聞くや即ち駆けつけ、屍を背負って帰り、家財を以て殯葬し、緦服を制した。その孤児遺族を撫育し、恩は実子の如くであった。州郡が上表して列挙すると、詔して門閭を表彰した。

原文馬八龍,武邑武強人也。輕財重義。友人武遂縣尹靈哲在軍喪亡,八龍聞即奔赴,負屍而歸,以家財殯葬,為制緦服。撫其孤遺,恩如所生。州郡表列,詔表門閭。

門文愛は、汲郡山陽県の人である。早く孤児となり、伯父母を供養して孝謹をもって知られた。伯父が亡くなり、喪服も終わらぬうちに、伯母もまた亡くなった。文愛は喪に居り、喪服を着すること六年、哀毀して骨立った。郷人の魏中賢ら相謀ってその孝義を標榜した。

原文門文愛,汲郡山陽人也。早孤,供養伯父母以孝謹聞。伯父亡,服未終,伯母又亡。文愛居喪,持服六年,哀毀骨立。鄉人魏中賢等相與標其孝義。

晁清

原文晁清

晁清は、遼東の人である。祖父の暉は、済州刺史・潁川公であった。清は祖父の爵を襲い、例により伯に降格された。梁城の戍将となった。蕭衍が攻囲し、糧尽きて城は陥落、清は節を抗(あらが)い屈せず、賊に殺された。世宗(宣武帝)は褒め称え、楽陵太守を追贈し、諡して忠といった。子の栄賓が襲爵した。劉侯仁は、豫州の人である。城人白早生が刺史司馬悦を殺し、城を拠て南に叛いた。悦の息子朏は、逃れて侯仁に投じた。賊は重く賞金をかけ募り、また厳しく捶撻したが、侯仁は終に漏洩せず、朏は遂に禍を免れた。事が収まると、有司がその操行を奏上し、府籍を免じて一小県に叙することを請うた。詔して可とした。

原文晁清,遼東人也。祖暉,濟州刺史、潁川公。清襲祖爵,例降為伯。為梁城戍將。蕭衍攻圍,糧盡城陷,清抗節不屈,為賊所殺。世宗褒美,贈樂陵太守,諡曰忠。子榮賓襲。劉侯仁,豫州人也。城人白早生殺刺史司馬悅,據城南叛。悅息朏,走投侯仁。賊雖重加購募,又嚴其捶撻,侯仁終無漏泄,朏遂免禍。事寧,有司奏其操行,請免府籍,敍一小縣,詔可。

石祖興は、常山郡九門県の人である。太守田文彪・県令和真らが亡くなると、祖興は自ら家の絹二百余匹を出し、喪事を営み護った。州郡が上表して列挙すると、高祖はこれを嘉し、爵二級を賜い、上造とした。後に寧陵令に任じられ、卒した。吏部尚書李韶がその節義を奏し、贈諡を加えて来者を奨励することを請うた。霊太后は令してその奏の如くせしめた。有司が諡して恭といった。

原文石祖興,常山九門人也。太守田文彪、縣令和真等喪亡,祖興自出家絹二百餘匹,營護喪事。州郡表列,高祖嘉之,賜爵二級,為上造。後拜寧陵令,卒。吏部尚書李韶奏其節義,請加贈諡,以奬來者,靈太后令如所奏。有司諡曰恭。

邵洪哲

原文邵洪哲

邵洪哲は、上谷郡沮陽県の人である。県令范道栄は先に朐城より帰順して県令に任じられたが、道栄の郷人徐孔明が妄りに公府に訴え、道栄に勲功なしと訟えたため、道栄は罪に坐して除名された。羇旅孤貧にして、自ら理を訴えることができなかった。洪哲は義憤に堪えず、遂に道栄に代わって京師に赴き、曲直を明らかにし申し立てた。寒暑を経ても、労苦を厭わず、道栄は遂に冤罪を雪ぐことができた。また北鎮が反乱すると、道栄は孤単で、帰附する所がなかった。洪哲の兄伯川が再び郷人を率いて来迎え、幽州まで送り届けた。道栄はその誠節に感じ、省に訴えて上聞させた。詔が州郡に下り、その里閭を標榜した。

原文邵洪哲,上谷沮陽人也。縣令范道榮先自朐城歸款以除縣令,道榮鄉人徐孔明,妄經公府,訟道榮非勳,道榮坐除名。羇旅孤貧,不能自理。洪哲不勝義憤,遂代道榮詣京師,明申曲直。經歷寒暑,不憚劬勞,道榮卒得復雪。又北鎮反亂,道榮孤單,無所歸附。洪哲兄伯川復率鄉人來相迎接,送達幽州。道榮感其誠節,訴省申聞。詔下州郡,標其里閭。

王栄世

原文王榮世

王栄世は、陽平郡館陶県の人である。三城の戍主・方城県子となった。蕭衍が攻囲し、力尽きて全うできないと知ると、先ず府庫を焼き、後に妻妾を殺した。賊が城を陥とすに及んで、戍副の鄧元興らと共に屈せずして害された。粛宗(孝明帝)は詔を下し忠節を褒め称え、栄世の爵を伯に進め、斉州刺史を追贈した。元興には開国子を贈り、洛州刺史を追贈した。

原文王榮世,陽平館陶人也。為三城戍主、方城縣子。蕭衍攻圍,力窮知不可全,乃先焚府庫,後殺妻妾。及賊陷城,與戍副鄧元興等俱以不屈被害。肅宗下詔褒美忠節,進榮世爵為伯,贈齊州刺史;元興開國子,贈洛州刺史。

胡小虎

原文胡小虎

胡小虎は、河南郡河陰県の人である。若くして武気有り。正光末年(北魏)、晋寿において統軍となった。孝昌年中、蕭衍の将樊文熾らが辺境を寇すと、益州刺史邴虬は長史和安に命じて小剣を固守させ、文熾がこれを包囲した。虬は小虎に命じ、統軍崔珍宝と共に防ぎ拒ましめた。文熾は小虎・珍宝を掩襲し、共に擒えた。文熾は小剣を攻めて未だ陥さず、珍宝を城下に連れて行き、和安に謂わしめて言った、「南軍強盛にして、北の救い来たらず。帰順して富貴を取るに若くはない」。和安は射させたので、退いた。再び小虎を逼り和安と交言させようとした。小虎は慷慨として安に謂って言った、「我が柵は防がず、賊の虜となる。其の兵士を観るに、勢いは言うに足らず。努力して堅守せよ。魏の行臺より梁州に遣わされた将軍は已に至れり」。賊は刀で殴打し、言を終わらせず、遂に害した。三軍、其の壮節を歎かずとなく、其の死亡を哀しまざるはなかった。賊は間もなく敗走し、其の次将蕭世澄・陳文緒ら十一人を擒えた。行臺魏子建は其の気概を壮とし、世澄を以て其の屍柩を購(あがな)うことを啓上し、乃ち骸骨を得て帰葬した。

原文胡小虎,河南河陰人也。少有武氣。正光末,為統軍於晉壽。孝昌中,蕭衍將樊文熾等寇邊,益州刺史邴虬遣長史和安固守小劍,文熾圍之。虬命小虎與統軍崔珍寶同往防拒。文熾掩襲小虎、珍寶,並擒之。文熾攻小劍未陷,乃將珍寶至城下,使謂和安曰:「南軍強盛,北救不來,豈若歸款,取其富貴。」和安命射之,乃退。復逼小虎與和安交言,小虎乃慷慨謂安曰:「我柵不防,為賊所虜。觀其兵士,勢不足言,努力堅守。魏行臺傳梁州遣將已至。」賊以刀毆擊,言不得終,遂害之。三軍無不歎其壯節,哀其死亡。賊尋奔敗,禽其次將蕭世澄、陳文緒等一十一人。行臺魏子建壯其氣概,啟以世澄購其屍柩,乃獲骸骨歸葬。

孫道登

原文孫道登

孫道登は、彭城郡呂県の人である。永安(北魏孝荘帝の年号)の初め、蕭衍(梁の武帝)の将軍韋休らに捕らえられ、縛られたまま刃を前にし、遠近の村塢を巡らされ、郷里の人々を招降せよと命じられた。道登は声を張り上げて叫んだ、「ただ力を尽くせ、賊にできることなどない」と。賊は遂に彼を屠戮した。

原文孫道登,彭城呂縣人也。永安初,為蕭衍將韋休等所虜,面縛臨刃,巡遠村塢,令其招降鄉曲。道登厲聲唱呼:「但當努力,賊無所能。」賊遂屠戮之。

また荊州が包囲された時、行臺の宗霊恩が使者の宗女ら四人を城内に入れて諭させたが、賊将に捕らえられ、宗女らを城の周りに引き回して、言葉を改めさせようとした。宗女らは大声で言った、「天軍(朝廷の軍)がまさに到らんとしている、堅守して降るな」と。賊は憤り、それぞれその腹を刳り、それから首を斬った。二州(孫道登と宗女らの事績があった州)は彼らの節義を上表し、道登らには並びに五品郡(五品の郡太守相当の位か)と五等子爵を賜り、子弟による承襲を許した。使者をその地に遣わして弔祭させた。

原文又荊州被圍,行臺宗靈恩遣使宗女等四人入城曉喻,為賊將所獲,執女等巡城,令其改辭。女等大言:「天軍垂至,堅守莫降。」賊忿,各刳其腹,然後斬首。二州表其節義,道登等並賜五品郡、五等子爵,聽子弟承襲。遣使詣所在弔祭。

李几は、博陵郡安平県の人である。七世が共に居住し財産を共有し、家に二十二房、一百九十八口があり、長幼秩序正しく、風儀礼節で知られ、役務に就く時は、年少の者も進んで従事した。郷里の人々は感嘆し称賛し、その門閭に標榜した。

原文李几,博陵安平人也。七世共居同財,家有二十二房,一百九十八口,長幼濟濟,風禮著聞,至於作役,卑幼競進。鄉里嗟美,標其門閭。

張安祖は、河陽県の人である。世襲の爵位である山北侯を襲封した。時に元承貴という者がおり、かつて河陽県令を務め、家が貧しく、尚書省に赴いて選任を求めようとしたが、天候が非常に寒く、遂に路傍で凍死した。一子は幼く、屍は門前の路に放置され、棺を調え殯(もがり)を行う当てがなかった。安祖は悲しみ慟哭して礼を尽くし、木材を買って棺とし、自ら手を下して作り、殯斂を整え周囲に施しを与えた。朝野は称賛し嘆賞した。尚書省がこれを聞き上奏し、その門閭に標榜した。

原文張安祖,河陽人也。襲世爵山北侯。時有元承貴,曾為河陽令,家貧,且赴尚書求選,逢天寒甚,遂凍死路側。一子年幼,停屍門巷,棺斂無託。安祖悲哭盡禮,買木為棺,手自營作,斂殯周給。朝野嘉歎。尚書聞奏,標其門閭。

王閭は、北海郡密県の人である。数世が同居し、百口を数えた。また太山郡の劉業興は四世同居し、魯郡の蓋儁は六世同居し、並びに財産を共有し、家門は和やかで睦まじかった。郷里の人々は敬服し異と為した。有司が上奏し申し上げ、皆その門閭に標榜した。

原文王閭,北海密人也。數世同居,有百口。又太山劉業興四世同居,魯郡蓋儁六世同居,並共財產,家門雍睦。鄉里敬異。有司申奏,皆標門閭。