魏氏は代々幽州・朔方の地に居住していたが、献帝の代に至り、神人が南遷すべきであると告げた。そこで子の聖武帝に位を譲り、南遷を命じたが、山や谷が険しく隔たり、なおも留まろうとした。また神獣があり、その形は馬に似て、その声は牛に類し、先に立って導き、数年を経てようやく出た。初めて匈奴の故地に居住した。
麟
高祖延興元年十一月、肆州秀容の民が麟を獲て献上した。王者が胎を刳らず卵を剖かざれば至る。
亀
世祖神䴥三年七月、冀州が白亀を献上した。王者が私的に人を官に任ぜず、耆老を尊び旧臣を任用し、偏党なきことの応である。
高宗興安二年六月、営州が大亀を送った。
高祖延興元年十二月、徐州竹邑の戍士邢徳が彭城の南一百二十里の地で、蓍草一株、四十九枝を得、下を掘ると大亀を得て献上した。詔して曰く、「亀と蓍は経文と相合する、いわゆる霊物である。徳に五等の爵を賜うべし」。
三年六月、京師で大亀を獲た。
粛宗神亀元年二月、九龍殿の霊芝池で亀を獲、大赦して元号を改めた。
孝静帝武定三年十月、有司が奏上して言う、南兗州陳留郡の民賈興達が家の庭で毛亀一匹を得たと。
世祖神䴥三年七月、冀州が白亀を献上した。王者が私的に人を官に任ぜず、耆老を尊び旧臣を任用し、偏党なきことの応である。
高宗興安二年六月、営州が大亀を送った。
高祖延興元年十二月、徐州竹邑の戍士邢徳が彭城の南一百二十里の地で、蓍草一株、四十九枝を得、下を掘ると大亀を得て献上した。詔して曰く、「亀と蓍は経文と相合する、いわゆる霊物である。徳に五等の爵を賜うべし」。
三年六月、京師で大亀を獲た。
粛宗神亀元年二月、九龍殿の霊芝池で亀を獲、大赦して元号を改めた。
孝静帝の武定三年(545年)十月、役人が上奏したところによれば、南兗州陳留郡の民である賈興達が自宅の庭で毛の生えた亀を一匹得た。
象
天平四年(537年)八月、巨大な象が南兗州に至り、碭郡の民である陳天愛がこれを報告し、都に送られた。大赦を行い年号を改めた。王者が自ら養うことに節度があれば至る。
狐
高祖(孝文帝)の太和二年(478年)十一月、徐州が黒狐を献上した。周の成王の時、治世が太平に至り黒狐が現れた。
三年(479年)五月、白狐を獲た。王者に仁と智があれば至る。六月、撫冥(鎮)が白狐を獲て献上した。
八年(484年)六月、徐州が黒狐を獲て献上した。
十年(486年)三月、冀州が九尾の狐を獲て献上した。王者が天下を統一すれば現れる。周の文王の時、東夷がこれに帰順した。曰く、王者が色に傾かなければ至徳が至り、鳥獣もまた至る。
十一年(487年)十一月、冀州が九尾の狐を獲て献上した。
二十三年(499年)正月、司州と河州がそれぞれ白い狐を献上した。
十九年(495年)六月、司州平陽郡が白狐を獲て献上した。
世宗(宣武帝)の景明三年(502年)二月、河州が白狐を献上した。
永平三年(510年)十月、白狐が汲郡に現れた。
延昌四年(515年)四月、兗州が白狐を献上した。
九月、相州が白狐を献上した。
閏月、汾州より白狐二頭を献ず。
粛宗正光二年三月、南青州より白狐二頭を献ず。
三年六月、平陽郡より白狐を献ず。
八月、光州より九尾狐を献ず。
四年五月、平陽郡より白狐を献ず。
孝静天平四年四月、西兗州より白狐を献ず。七月、光州より九尾狐を献ず。
元象元年四月、光州より九尾狐を献ず。
二年二月、光州より九尾狐を献ず。
興和三年五月、司州より九尾狐を献ず。
十二月、魏郡より白狐を献ず。
四年四月、瀛州より白狐二頭を献ず。
武定元年七月、幽州白狐を獲て、以て上に献ず。
三年七月、瀛州より白狐を献ず、牡二頭牝一頭なり。
九月、西兗州より白狐を献ず。
五色の狗。
太和二年十一月辛未、泰州より五色の狗を献ず。
三年三月、斉州より五色の狗を献ず。その五色は絵の如し。
白鹿
太祖天興四年五月、魏郡斥丘県にて白鹿を獲たり。王者の恵み下に及べば則ち至る。
太宗永興四年九月、建興郡より白鹿を献ず。
世祖神䴥元年二月、定州にて白䴥を獲たり。白䴥鹿また楽陵に見え、因りて以て元を改む。
三年二月、白鹿代郡倒剌山に見ゆ。
太延四年十二月、相州より白鹿を献ず。
真君八年五月、洛州より白鹿を送る。
高宗太安二年十月、白鹿京師西苑に見ゆ。
高祖承明元年六月、秦州より白鹿を献ず。
太和元年正月、白鹿秦州に見ゆ。
三月、白鹿青州に見ゆ。
四年正月、南豫州より白鹿を献ず。
十九年七月、司州にて白鹿・麑を獲て以て献ず。
二十年六月、司州が白鹿を献上した。
世宗景明元年四月、荊州が白鹿を献上した。
永平四年八月、平州が白鹿を献上した。
延昌二年五月、齊州が白鹿を献上した。
四年六月、司州が白鹿を献上した。
肅宗熙平元年五月、濟州が白鹿を献上した。
二年五月、司州が白鹿を献上した。
神龜二年六月、徐州が白鹿を献上した。
孝靜元象元年六月、齊獻武王が白鹿を獲て献上した。
武定元年六月、兗州が白鹿を献上した。
角
太祖登國六年十二月、上は狩猟し、自ら一角の鹿を獲た。群臣を召して問うと、皆が言うには、「鹿は二角あるべきもの、今一つであるのは、諸国が併合される兆しである」と。
高祖太和三年三月、肆州が一角鹿を献上した。
神龜元年七月、徐州が一角鹿を献上した。
世宗正始二年九月、後軍將軍尒朱新興が一角獣を献上した。天下が平らかに統一されれば則ち至る。
粛宗熙平元年十一月、肆州より一角獣を献ず。
神亀二年九月、徐州より一角獣を献ず。
高宗太安三年三月、白狼一頭あり、太平郡に現る。議する者曰く、「古今の瑞応多し、然れども白狼は成湯の世に現れたる故に、殷の道用ひて興り、太平は嘉名なり。又た先帝の本封の国にして白狼現るるは、無窮の徴なり。周の宣王これを得て犬戎服す」と。
白麋
太宗永興四年十二月、章安子の封懿、白麞を献ず。王者刑罰理まれば則ち至る。
高祖太和二年十二月、懐州より白麞を献ず。
三年五月、白麞豫州に現る。
二十三年正月、華州より白麏を献ず。
粛宗熙平二年三月、徐州より白麞を献ず。
神亀二年七月、徐州より白麞を献ず。
孝静武定七年七月、瀛州より白麞を献ず。
三足烏
高祖太和七年六月、青州より三足烏を献ず。王者慈孝天地に則れば至る。
十三年十一月、滎陽より三足烏を献ず。
十四年六月、懐州より三足烏を献ず。
十五年閏月、済州が三足烏を献上した。
十七年五月、冀州が三足烏を献上した。
二十年六月、豫州が三足烏を献上した。
二十三年六月、冀州が三足烏を献上した。
世宗景明元年五月、徐州が三足烏を献上した。
三年二月、豫州が三足烏を献上した。
四年六月、幽州が四足烏を献上した。
正始元年二月、冀州が三足烏を献上した。
五月、幽州が三足烏を献上した。
この月、相州が三足烏を献上した。
六月、定州が三足烏を献上した。
二年五月、肆州が三足烏を献上した。
三年三月、豫州が三足烏を献上した。
この月、豫州がまた三足烏を献上した。
永平元年四月、豫州が三足烏を献上した。
延昌三年(514年)二月、冀州が三足烏を献上した。
肅宗熙平元年(516年)四月、汲郡が三足烏を献上した。
熙平二年(517年)四月、東郡が三足烏を献上した。この月、豫州が三足烏を献上した。南兗州もまた三足烏を献上した。
神龜元年(518年)八月、雍州が三足烏を献上した。
神龜二年(519年)五月、潁川郡が三足烏を献上した。
正光元年(520年)四月、濟州が三足烏を献上した。
この月、濟州がまた三足烏を献上した。
正光二年(521年)閏月、東郡が三足烏を献上した。
正光三年(522年)五月、東郡が三足烏を献上した。潁川郡許昌縣が三足烏を献上した。肆州が三足烏を献上した。
正光三年(522年)六月、冀州が三足烏を献上した。
正光四年(523年)六月、瀛州が三足烏を献上した。
出帝太昌元年(532年)五月、齊獻武王(高歓)が三足烏を捕獲して献上した。
孝靜帝元象二年(539年)四月、京師で三足烏が捕獲された。
武定三年(545年)五月、瀛州が三足烏を献上した。
武定四年(546年)四月、潁州が三足烏を献上した。
五月、潁州がまた三足烏を献上した。
白鳥
高祖太和二年七月、白烏が涼州に現れた。王者が宗廟を厳粛に敬うと至る。
九月、白烏が京師に現れた。
三年五月、白烏が豫州に現れた。
九月、白烏が秦州に現れた。
十七年六月、兗州が白烏を献上した。
二十三年十二月、司州が白烏を献上した。
世宗正始二年五月、司州が白烏を献上した。
三年九月、潁川郡が白烏を献上した。
四年七月、潁川がまた白烏を献上した。
永平元年四月、潁川が白烏を献上した。
延昌二年八月、平陽郡が白烏を献上した。
三年六月、冀州が白烏を献上した。
肅宗正光元年十月、幽州が白烏を献上した。
孝静帝の天平二年七月、斉の献武王が白烏を獲て献上した。
元象元年五月、冀州が白烏を獲た。
二年八月、徐州が上表して言うには、「済陰郡の庁舎前の槐樹に烏が巣を作り、烏の母が死んだところ、鵲が食を銜えて烏の雛に与え、時を失わず、皆成長した。」と。太守に帛十匹を賞賜した。
興和四年四月、魏郡貴郷県が白烏の雛を獲た。
五月、京師が白烏を獲た。この月、陽夏郡が白烏を献上した。
七月、北豫州が白烏を献上した。
十月、瀛州が白烏を献上した。
武定元年六月、東郡の民が白烏を献上した。
三年五月、北豫州が白烏を献上した。この月、広宗郡が白烏を献上した。潁州もまた白烏を献上した。
六月、滄州が白烏を献上した。
四年四月、梁州が白烏を献上した。
五月、済州が白烏を献上した。
八月、陽夏郡が白烏を献上した。
赤烏
高祖の太和二年二月、涼州が赤烏を献上した。周武王の時に麦を銜えて至り、殷を克った。
粛宗熙平元年二月、赤烏が肆州秀容郡に現れる。
神亀元年四月、赤烏が并州の晋陽県に現れる。
蒼鳥
世宗景明二年十二月、南青州が蒼烏を献上す。君主が孝慈を行い、万姓が殺生を好まざれば則ち至る。
正始二年五月、雍州が蒼烏を献上す。
六月、雍州また蒼烏を献上す。
永平二年四月、河内が蒼烏を献上す。
粛宗熙平元年六月、冀州が蒼烏を献上す。
前廃帝普泰元年五月、河内が蒼烏を献上す。
孝静興和四年五月、済州が蒼烏を献上す。
七月、瀛州また蒼烏を献上す。
武定元年四月、兗州が蒼烏を献上す。
五月、済州また蒼烏を献上す。
二年五月、京師にて蒼烏を獲る。
三年六月、京師にて蒼烏を獲る。
十月、光州が蒼烏を献上した。
白鵲
高祖延興二年(472年)四月、幽州が白鵲を献上した。
四年(474年)九月、白鵲が中山に現れた。
承明元年(476年)八月、定州と冀州がともに白鵲を献上した。
十一月、定州がまた白鵲を献上した。
太和二年(478年)十一月、洛州が白鵲を献上した。
肅宗熙平元年(516年)正月、定州が白鵲を献上した。
正光四年(523年)正月、京師で白鵲を捕獲した。
孝靜興平二年(553年)五月、京師で白鵲を捕獲した。
武定二年(544年)七月、林慮が白鵲を献上した。
三年(545年)六月、京師で白鵲を捕獲した。
光
世祖太平真君二年(441年)七月、天に黄光が洞徹して照り輝いた。議する者は皆、これを栄光であると言った。
高宗興光元年(454年)二月、五色の雲があった。いわゆる景雲であり、太平の兆しである。
景明二年(501年)六月、申の刻から酉の刻の間に五色の雲が現れた。
出帝(元脩)の太昌元年(532年)六月、日が昇り始めた時、大きな黄色い気が抱擁の形を成した。
甘露
世祖(太武帝)の始光四年(427年)六月、甘露が太学に降った。王者の徳が至り、天の気が和して盛んなれば降る。また、王者が老人を敬えば、柏が甘露を受ける。王者が賢者を尊び老人を愛し、細やかなことにも心を配れば、竹や葦がそれを受ける。
神䴥元年(428年)二月、甘露が范陽郡に降った。
二年(429年)四月、甘露が鄴に降った。六月、甘露が平城宮に降った。
三年(430年)三月、甘露が鄴に降った。
四年(431年)五月、甘露が河西に降った。
太平真君元年(440年)四月、甘露が平原郡に降った。
高宗(文成帝)の太安二年(456年)七月、甘露が常山郡に降った。
和平二年(461年)七月、甘露が京師に降った。
世宗(宣武帝)の景明三年(502年)八月、甘露が青州新城県に降った。
永平元年(508年)十月、甘露が青州益都県に降った。
延昌二年(513年)九月、甘露が齊州清河郡に降った。
三年(514年)十月、齊州が甘露が降ったと上言した。
四年七月、甘露が京師に降る。
粛宗正光三年十月、甘露が華林園の栢樹に降る。
四年八月、甘露が顕美県に降る。
孝静元象二年三月、甘露が京師に降る。
武定五年十月、甘露が斉の文襄王の邸宅の門の柳樹に降る。
六年三月、甘露が京師に降る。
四月、太山郡が上言して甘露が降ったと報告する。
嘉禾
太祖天興二年七月、平城県で嘉禾を得る。異なる茎にして同じ穂である。
八月、広寧より嘉禾一茎十一穂を送る。平城南十里の郊に嘉禾一茎九穂あり、宗廟に告ぐ。
太宗永興二年十月、嘉禾が清河郡に生ず。
泰常三年八月、嘉禾が勃海郡東光県に生ず。
世祖神䴥二年七月、嘉禾が魏郡安陽県に生ず。三本同じ穂である。
高祖承明元年八月、斉州が嘉禾を献ず。
太和三年九月、斉州が嘉禾を献ず。
五年(506年)八月、常山が嘉禾を献上した。
七年(508年)八月、定州が嘉禾を献上した。
世宗景明元年(500年)七月、齊州が嘉禾を献上した。
三年(502年)七月、齊州が嘉禾を献上した。
四年(503年)八月、冀州が嘉禾を献上した。
正始元年(504年)八月、濟州が嘉禾を献上した。
二年(505年)六月、齊州が嘉禾を献上した。七月、魯陽郡が嘉禾を献上した。八月、司州が嘉禾を献上した。
三年(506年)七月、冀州が嘉禾を献上した。
永平三年(510年)八月、滎陽が嘉禾を献上した。
肅宗熙平二年(517年)八月、幽州が嘉禾を献上した。一本の茎に三つの穂がついていた。
正光二年(521年)七月、朔州が嘉禾を献上した。
三年(522年)八月、肆州が嘉禾を献上した。一本の茎から六つの穂が生えていた。
孝靜天平三年(536年)七月、魏郡が嘉禾を献上した。
四年(537年)八月、并州が嘉禾を献上した。
その月、京師でもまた嘉禾を得た。虞曹郎中司馬仲璨もまた嘉禾を献上した。一本の茎に五つの穂がついていた。
元象元年八月、東雍州が嘉禾を献上した。
興和三年八月、南青州が嘉禾を献上した。
四年八月、京師で再び嘉禾を得た。
武定二年八月、京師で嘉禾を得た。
三年八月、并州が嘉禾を献上した。
高祖太和三年十月、徐州が嘉瓠を献上した。一本の蔕に二つの実がなっていた。
白兔
太祖天興二年七月、并州が白兔一頭を献上した。王者が耆老を敬うと現れる。
三年五月、車駕が東巡し、廣寧に幸し、白兔が乗輿の前に現れたので、これを獲た。
四年正月、并州が白兔を献上した。
太宗永興三年、上は西山で狩猟し、白兔を獲た。
八月、京師で白兔を得た。
泰常元年十一月、定州安平縣が白兔を献上した。
二年六月、京師で白兔を得た。
三年六月、頓丘郡で白兔を得た。
世祖の始光三年五月、洛州が黒兎を献上す。
神䴥元年九月、章武郡が白兎を献上す。
四年二月、勃海郡が白兎を献上す。
真君七年二月、青州が白兎二頭を献上す。
高宗の和平三年十月、雲中にて白兎を獲たり。
四年閏月、鄴県にて白兎を獲たり。
高祖の延興五年四月、白兎代郡に見ゆ。
承明元年八月、白兎雲中に見ゆ。
太和元年六月、雍州周城県が白兎を献上す。
三年三月、吐京鎮が白兎を献上す。
八年六月、徐州が白兎を献上す。
十八年十月、瀛州が白兎を献上す。
二十年七月、汲郡が黒兎を献上す。
七月、京師にて白兎を獲たり。
二十三年、黒兎を獲たり。
世宗景明元年十一月、河州が白兎を献上した。
三年四月、潁川郡が白兎を献上した。
八月、河内郡が白兎を献上した。
四年六月、河内郡が白兎を献上した。
七月、夏州が黒兎を献上した。
正始元年三月、河南郡が黒兎を献上した。
四月、魯陽郡が白兎を献上した。
二年八月、東郡が白兎を献上した。
九月、河内郡が黒兎を献上した。
この月、肆州が白兎を献上し、東郡もまた白兎を献上した。
三年七月、薄骨律鎮が白兎を献上した。
九月、肆州が白兎を献上した。
四年四月、河内郡が白兎を献上した。
永平元年四月、済州が白兎を献上した。
五月、河内が黒兎を献上した。
十月、楽安郡が白兎を獲た。
二年二月、相州が白兎を献じた。
延昌三年七月、豫州が白兎を献じた。
四年三月、河南が白兎を献じた。
八月、河南がまた白兎を献じた。
九月、河内がまた白兎を献じた。
粛宗の熙平二年四月、豫州が白兎を献じた。
五月、東郡が白兎を献じた。
六月、京師が白兎を獲た。
十一月、鄯善鎮が白兎を献じた。
神亀元年六月、京師が黒兎を獲た。
二年八月、正平郡が白兎を献じた。
九月、正平郡がまた白兎を献じた。
十月、京師が黒兎を獲た。
正光元年正月、徐州が白兎を献じた。
五月、冀州が白兎を献上した。
三年五月、徐州が白兎二頭を献上した。
その月、冀州が白兎を献上した。
孝静帝の天平二年八月、光州が白兎を献上した。
四年十月、光州が白兎を献上した。
元象元年五月、徐州が白兎を捕獲した。
六月、齊の献武王が白兎を捕獲して献上した。
その月、濮陽郡が白兎を献上した。
興和二年四月、徐州が白兎を献上した。
六月、京師が白兎を捕獲した。
四年正月、光州が白兎を献上した。
武定元年三月、瀛州が白兎を献上した。
□月、汲郡が白兎を献上した。
六年十一月、武平鎮が白兎を献上した。
白燕
太祖天興五年八月、上は曜軍覽谷にて、白燕一羽を見る。
太宗永興三年六月、京師にて白燕を獲る。
四年閏月、京師にてまた白燕を獲る。
泰常二年六月、京師にて白燕を獲る。
高祖太和二年三月、白燕、并州に現る。
八年四月、白燕、京師に集まる。
是の月、代郡、白燕を献ず。
二十三年八月、荊州、白燕を献ず。
閏月、正平郡、白燕を献ず。
世宗景明三年六月、涇州、白燕を献ず。
肅宗熙平元年七月、京師にて白燕を獲る。
孝靜元象元年八月、西中府、白燕を献ず。
興和二年三月、京師にて白燕を獲る。
武定三年六月、北豫州、白燕を献ず。
白雀
太宗泰常八年五月、雁門が白雀を献上す。王者の爵禄均しければ則ち白雀至る。
世祖神䴥元年九月、滄水郡白雀を献ず。
十月、魏郡白雀を献ず。
真君八年五月、雁門郡白雀を献ず。
高祖延興二年二月、白雀扶風郡に見ゆ。
三年五月、白雀代郡に見ゆ。
四年正月、青州白雀を献ず。
太和三年五月、白雀豫州に見ゆ。
十三年正月、清河武城縣白雀を献ず。
世宗景明三年六月、滎陽郡白雀を献ず。
十月、薄骨律鎮白雀を献ず。
四年三月、敦煌鎮白雀を献ず。
五月、京師白雀を獲たり。
六月、恒農郡白雀を献ず。
七月、京師白雀を獲たり。
正始二年(505年)七月、薄骨律鎮が白雀を献上した。
三年(506年)四月、京師において白雀を獲た。
十月、河州が白雀を献上した。
十二月、雍州が白雀を献上した。
四年(507年)二月、豫州が白雀を献上した。
永平三年(510年)七月、京師において白雀を獲た。
延昌三年(514年)七月、河南郡において白雀を獲た。
十一月、秦州が白雀を献上した。
四年(515年)五月、滎陽が白雀を献上した。
八月、秦州が白雀を献上した。
その月、青州が白雀を献上した。
その月、恒州が白雀を献上した。
その月、洛陽において白雀を獲た。
十一月、荊州が白雀を献上した。
肅宗の熙平元年(516年)四月、京師において再び白雀を獲た。
七月、宮中に白雀を獲たり。
二年四月、華州より白雀を献ず。
六月、相州より白雀を献ず。
是の月、薄骨律鎮より白雀を献ず。
七月、京師に白雀を獲たり。
八月、薄骨律鎮また白雀を献ず。
是の月、京師に白雀を獲たり。
十一月、京師に白雀を獲たり。
神龜元年五月、京師に白雀を獲たり。
六月、京師に白雀二を獲たり。
八月、薄骨律鎮より白雀を献ず。
二年五月、徐州より白雀を献ず。
是の月、京師に白雀を獲たり。
三年七月、京師また白雀を獲たり。
正光元年六月、京師に白雀を獲たり。
二年六月、光州より白雀を献ず。
三年四月、京師にて白雀を獲たり。
六月、滎陽郡より白雀を献ず。
八月、済州より白雀を献ず。
是の月、光州より白雀を献ず。
九月、白雀、舎人省に見ゆ。
四年六月、京師にて白雀を獲たり。
七月、京師にて白雀を獲たり。
出帝太昌元年四月、京師にて白雀を獲たり。
孝静天平二年五月、北豫州より白雀を献ず。
三年七月、京師にて白雀を獲たり。
四年七月、兗州より白雀を献ず。
元象元年五月、京師にて白雀を獲たり。
六月、京師にて白雀を獲たり。
七月、肆州より白雀を献ず。
この月、斉の献武王が白雀を獲た。
二年五月、京師で白雀を獲た。
六月、斉の文襄王が白雀を獲て献上した。
この月、南兗州で白雀を獲た。
七月、京師で白雀を獲た。
興和二年四月、京師で白雀を獲た。
閏月、京師で白雀を獲た。
六月、光州が白雀を献上した。
七月、京師で白雀を獲た。
三年五月、京師で白雀を獲た。
四年正月、京師で白雀を獲た。
六月、京師で白雀を獲た。
七月、京師で白雀を獲た。
武定元年六月、京師で白雀を獲た。
七月、京師で白雀を獲た。
三年五月、梁州において白雀を獲たり。
七月、京師において白雀を獲たり。
十月、兗州において白雀を獲たり。
四年六月、京師において白雀を獲たり。
六年六月、京師において白雀を獲たり。
赤雀
世宗景明三年三月、済州が赤雀を献ず。周の文王の時に書を銜えて至る。
四年五月、京師において赤雀を獲たり。
永平元年四月、京師において赤雀を獲たり。
粛宗孝昌三年四月、河南において赤雀を獲て以て献ず。
白鳩
高宗和平四年三月、冀州が白鳩を献ず。殷の湯の時に至る。王者、耆老を養い、道徳に遵い、新を以て旧を失わざれば則ち至る。
高祖承明元年十一月、冀州が白鳩を献ず。
太和二十三年七月、瀛州が白鳩を献ず。
八月、滎陽郡が白鳩を献ず。
世宗景明三年七月、涇州が白鳩を献上した。
正始元年十月、京師で白鳩を獲た。
この月、建興郡が白鳩を献上した。
二年四月、并州が白鳩を献上した。
七月、冀州が白鳩二羽を献上した。
三年七月、夏州が白鳩を献上した。
永平元年六月、洛州が白鳩を献上した。
肅宗熙平二年九月、汲郡が白鳩を献上した。
相
太祖天興四年春、新興太守が上言した。「晋昌の民賈相は、かつて二十二歳の時、雁門郡の吏となり、句注の西陘に入ったところ、一人の老父に出会い、相に言うには、『今より以後四十二年を経て、北方に聖人が出るであろう。その時は大いに楽しみ、子孫は永く長く続くが、私はそれを見届けることはできない。』と言い終わると過ぎ去った。相が振り返って見ると、老父は石人に化していた。相は今七十歳である。下って石人を検すると現存していた。帝が慕容宝を破った年に至って、四十二年であった。」
真君五年二月、張掖郡が上言した。「かつて曹氏の世に、丘池県の大柳谷山の石に龍馬の形が表れ、石馬の背の文に『大討曹』とあり、そして晋氏が魏に代わった。今、石の文は国家の祖宗の諱を記し、受命の符を著している。」そこで使者を遣わしてその文を図写させた。大石は五つあり、皆青質に白章で、間に文字を成していた。そのうち二つの石は張氏、呂氏以前の、既に然るべき効験を記していた。その三つの石は国家の祖宗から現在に至るまでを記していた。その文は昭成皇帝の諱「継世四六、天法平、天下大安」、合わせて十四字を記し、次に太祖道武皇帝の諱「応王、載記千歳」、合わせて七字を記し、次に太宗明元皇帝の諱「長子二百二十年」、合わせて八字を記し、次に「太平天王継世主治」、合わせて八字を記し、次に皇太子の諱「昌封太山」、合わせて五字を記していた。初め上は太平王に封ぜられ、天文図録もまた「太平真君」の号を授け、石文と相応じていた。太宗の名諱の後に、一人の人の象があり、一人の小児を携えていた。見る者は皆言った。「上は皇孫を愛し、提携して臥起し、左右を離れず、これ即ち上の象と霊契であり、真に天授である。」ここにおいて衛大将軍・楽安王範、輔国大将軍・建寧王崇、征西大将軍・常山王素、征南大将軍・恒農王奚斤が上奏して言った。「臣聞く、帝王の興りには、必ず受命の符有り、故に能く三才を経緯し、皇極を維建し、三五の盛は、之に同じからざる莫しと。伏羲には河図・八卦有り、夏禹には洛書・九疇有り、至っては神功往古に播き、聖跡来世に顕わる。伏惟うに、陛下の徳は乾坤に合し、明は日月に並び、固より天聖を縦し、応運して挺生し、上霊顧を垂れ、徴善備集す。是を以て始光元年、天師を経て天文図録を奉じ、『太平真君』の号を授く。陛下深く虚沖に執り、歴年して乃ち受く。精誠霊物に感し、信恵天人に協し、用て能く威四海に加わり、沢宇内に流れ、普天率土、服せざる無きなり。今、張掖郡列言す、丘池県大柳谷山の大石に青質白章有り、間に文字を成し、国家祖宗の諱を記し、受命歴数の符を著すと。王公已下、群司百辟、此の図文を覩し、感動せざる莫く、僉に曰く、古より以来、禎祥の験、今日の煥炳に如くは未だ有らざるなりと。斯れ乃ち上霊命を降し、国家無窮の徴なり。臣等幸いに盛化に遭い、光寵に沐浴す、以て天休に対揚し、天地を増広する無く、謹んで群臣と参議し、宜しく石文の徴を以て、四海に宣告し、方外の僭竊をして天命の帰する有るを知らしむべし。」制して曰く。「此れ天地の況施、乃ち先祖父の遺徴、豈に朕一人の能く独り致す所ならんや。可なり所奏の如くせよ。」
太和元年冬十月、南部尚書安定侯鄧宗慶が奏した。「郷郡の民李飛、太原の民王顯が先に列して称えるには、京南山に詣でて薬を採り、遊越谷の南嶺の下に到ると、清碧の石柱数百枚を見たという。詔により案検を被り、見た所の青碧柱は、長いものは一匹、相接して上り、或いは方一尺二寸、或いは方一尺、方楞悉く就いていると称した。その数既に多く、具数すべからず、作曹に付して採用を請う。」奏は可とされた。時に人は之を神異とした。
顕祖皇興三年六月、尉元が表した。「臣、彭城において別将を遣わし、八日に睢口に至り賊将陳顕達を邀えしむ。戦士有りて営外五里に芻牧す。一人の白頭翁を見る。白馬に乗り、将軍たり。之を呼びて語らしむ。称して『十八日の辰必ず此に来たり到らん。汝の将軍に語れ、衆を領して東北より臨み入れ。我当に賊を駆りて走らしめん。申時に至れば、賊必ず大いに破れ、宿豫・淮陽皆克つこと疑い無からん。我当に汝が国家の為に淮畔を断たん。下邳城は我当に駆り出さん。兵力を労せず。』と。後十日、此人復た彭城南の戯馬台の東二里に白頭翁を見る。亦た白馬に乗り、東北より来たり、此人を呼びて謂いて曰く『我は東海・四瀆・太山・北嶽の神と共に淮北を行き、汝が二将を助けて蕩除已に定まれり。汝の上下喜ばざるか?』と。因って忽然として見えず。」詔して元に老人の前後見たる所に壇を為し、之を表記せしむ。
肅宗孝昌二年十月、揚州刺史李憲が表して云う。「門下督周伏興が去る七月に患いを以て仮に家に還り、十一日の夜に肥水を渡る夢を見、草堂寺の南に行き至ると、遥かに七人を見る。一人は馬に乗り朱衣を着し籠冠し、六人が後ろに従う。興は路左に立ち、至るや便ち再拝す。興に何人なるかを問う。興対えて曰く『李公の門下督、暫く硤石に使す。』と。其の人興に語りて『君は回れ。我は孝文皇帝の中書舎人なり。李憲に遣わし語らく、賊の堰を憂うる勿れ、此の月に破れんと。』と。興二歩を行き、興の姓字を録し、興に速やかに白せしむ。興覚め、暁に遂に城に還り、具に夢の状を言う。七月二十七日、堰破る。」
玉
世祖の延和三年三月、楽安王範が玉璽一つを獲、文に「皇帝璽」と曰い、以て献上す。
太延元年、三月より雨なくして六月に至る。有司をして遍く群神に請わしむ。数日にして大雨。是の日、婦人一人玉印一つを持ちて潞県の侯孫の家に至り売る。孫家印を得て、之を奇とし、婦人を求訪すれども、所在を知る莫し。其の文に曰く「旱疫平」。寇天師曰く「龍文紐書に云う、此れ神中の三字印なり」と。
高宗の和平三年四月、河内の人張超、壊楼所の城北なる故仏図の処に於いて玉印を獲て以て献上す。印は方二寸、其の文に曰く「富楽日昌、永保無疆、福禄日臻、長享万年」。玉色光潤、模制精巧、百僚咸く曰く「神明の授くる所、人の為すに非ざるなり」と。詔して天下に大酺三日を賜う。
高祖の承明元年八月、上谷郡の民、玉印を献ず。上に蛟龍の文有り。
太和元年三月、武川鎮、玉印を献ず。青質素文、其の文に「太昌」と曰う。
六月、雍州、玉印を献ず。
是の月、長安鎮、玉印一つを献ず。上に亀紐有り、下に文字有り。色甚だ鮮白にして、常玉に殊なる有り。
三年七月、定州鉅鹿の民、玉印一方を献ず。七分、上に文字有り。
世宗の永平元年四月、瀛州の民、玉璧・玉印各一つを獲て以て献ず。
肅宗の熙平二年十一月、京師に仍て玉璽二つを獲る。
孝靜の興和三年二月、東郡白馬県の民、玉印一つを献ず。
太宗の永興三年十二月、北塞の候人、玉板二つを獲て以て献ず。王者慈仁なれば則ち見ゆ。
孝靜の天平二年二月、員外散騎常侍穆礼、玉板一つを得る。広さ三寸、長さ尺五寸、頭に両孔有り、以て献ず。
高祖の承明元年九月、京兆の民、青玉璧一双を献ず。文色炳煥たり。王者賢良の美德有れば則ち至る。
肅宗の正光三年六月、并州静林寺の僧、陽邑城西の橡谷に在りて薬を掘り、玉璧五、珪十、印一、玉柱一、玉蓋一を得て、並びに以て献ず。
高祖太和五年(481年)六月、上邽鎮の将が上奏して言うには、「鎮城の西二百五十里で射猟をしていたところ、営の南の千水の中から玉の車釧(車輪の装飾具)三枚を得た。二つは青く、一つは赤く、造形は甚だ精巧である」と。
孝静帝興和四年(542年)七月、鄴県の民が白玉の原石一つを献上した。
肅宗熙平二年(517年)正月、金が岐州横水県の赤粟谷より出た。
木連理
太祖天興三年(400年)四月、木連理が生じた。代郡天門関の道の左側に生えた。王者の徳沢が純粋で行き渡り、八方が一つとなれば生ずるものである。
八月、渤海郡が上言して、脩県と東光県にそれぞれ木連理が一つずつあると報告した。
十二月、豫州が上言して、木連理が河内郡の沁県に生じたと報告した。
四年(401年)春、河内郡に木連理が二つあった。
八月、魏郡が上言して、内黄県に木連理があると報告した。
太宗泰常元年(416年)十月、范陽郡が木連理があると上言した。
十一月、常山郡が木連理があると上言した。
三年(418年)正月、渤海郡が東光県に木連理があると上言した。
八月、広寧郡が木連理があると上言した。
世祖神䴥四年(431年)九月、滎陽郡が木連理があると上言した。
延和二年(433年)三月、楼煩の南山に木連理が生じた。
三年九月、上谷郡より木連理(の出現)を上言す。
太延元年二月、魏郡より木連理を上言す。
五年二月、遼西より木連理を上言す。
高祖延興元年十一月、秘書令楊崇、奏して言う、鍾律郎李生、京師に於いて長生の連理樹を見たりと。
承明元年九月、并州より木連理を上言す、相去ること一丈二尺、中に五枝相連なるあり。
太和元年三月、冀州より木連理を上言す。
十七年六月、京師に木連理(生ず)。
十八年十月、河南より鞏県に木連理(生ず)と上言す。
二十三年十月、并州より百節の連理、県甕山に生ずと上言す。済州より木連理を上言す。
十二月、瀛州より木連理を上言す。
世宗景明二年正月、瀛州より平舒県に木連理(生ず)と上言す。
三年正月、潁川郡より木連理を上言す。
二月、平陽郡より襄陵県に木連理(生ず)と上言す。
四月、荊州より南陽宛県に木連理(生ず)と上言す。
六月、徐州より東海に木連理(生ず)と上言す。
十月、秦州が上言して、南稻・新興の二県に木連理が各一つあると報告した。
四年二月、趙平郡が上言して、鶉觚県に木連理があると報告した。
二月、齊郡が上言して、臨淄県に木連理があると報告した。
四月、汾州が上言して、五城郡に木連理があると報告した。
五月、青州が上言して、莒県に木連理があると報告した。
六月、恒農盧氏県に木連理がある。
この月、徐州が上言して、梁郡下邑県に木連理があると報告した。
九月、秦州が上言して、當亭四県の境界に各々木連理があると報告した。
正始元年五月、司州が上言して、滎陽京県に木連理があると報告した。
六月、京師の西苑に木連理がある。
七月、河東郡が上言して、聞喜県に木連理があると報告した。
八月、河南郡が上言して、慈水のほとりに木連理があると報告した。
十月、恒農郡が上言して、崤県に木連理があると報告した。
十二月、涼州が上言して、石城県に木連理があると報告した。
二年正月、汾州が上言して、平昌県に木連理があると報告した。
二月、司州が崤県に木連理ありと上言す。
九月、司州が潁川陽翟県に木連理ありと上言す。
三年六月、汾州が永安県に木連理ありと上言す。
是の月、京師に木連理あり。
七月、潁川陽翟県が木連理ありと上言す。
是の月、建徳郡が石城県に木連理ありと上言す。
永平元年四月、司州が潁川郡に木連理ありと上言す。
二年四月、司州が恒農北陝県に木連理ありと上言す。
三年十一月、夏州が横風山に木連理ありと上言す。
延昌二年正月、徐州が建陵戍に木連理ありと上言す。
三年正月、司州が軹県に木連理ありと上言す。
四年三月、冀州が信都県に木連理ありと上言す。
六月、京師に木連理あり。
九月、雍州が鄠県に木連理ありと上言す。
粛宗熙平元年正月、光州が曲城県に木連理ありと上言す。
二年十一月、京師に木連理が生じた。
十二月、敦煌鎮より晋昌戍に木連理が生じたと上言した。
神亀元年正月、汾州より永安県に木連理が生じたと上言した。
三月、滄州より饒安県に木連理が生じたと上言した。
八月、燕州より上谷郡に木連理が生じたと上言した。
九月、秦州より隴西の武陽山に木連理が生じたと上言した。
二年六月、夏州より山鹿県に木連理が生じたと上言した。
正光元年五月、并州より上党東山谷中に木連理が生じたと上言した。
十一月、斉州より済南郡霊寿山に木連理が生じたと上言した。
二年六月、斉州より魏郡逢陵県に木連理が生じたと上言した。
二年二月、涼州より榆中県に木連理が生じたと上言した。
三月、青州より平昌郡に木連理が生じたと上言した。
八月、徐州より龍亢戍の東に木連理が二つ生じたと上言した。
四年二月、揚州より汝陰県に木連理が生じたと上言した。
八月、涼州より顕美県に木連理が生じたと上言した。
孝昌元年十月、魏郡元城県に木連理あり。
孝静帝天平二年四月、臨水郡に木連理あり。
七月、魏郡に木連理あり。
三年五月、司州より清河郡に木連理ありと上言す。
四年六月、広平郡より木連理ありと上言す。
八月、并州より木連理ありと上言す。
元象元年二月、洛州より木連理ありと上言す。
五月、林慮県より木連理ありと上言す。
八月、上党郡より木連理ありと上言す。
興和元年九月、有司、西山採材司馬張神和が司空谷に木連理ありと上言すと奏す。
二年四月、光州より盧郷県に木連理ありと上言す。
武定元年閏月、西兗州より済陰郡に木連理ありと上言す。
九月、斉献武王、并州に木連理ありと上言す。
三年九月、瀛州より上言す、河間郡に木連理ありと。
五年十一月、汾州より木連理ありと上言す。
六年五月、晋州が木連理の出現を上奏した。
八年四月、青州が斉郡の木連理を上奏した。
世宗景明三年七月、魯陽が烏芝を献上した。王者が慈仁であれば生じ、これを食すれば人をして世を度らしむという。
白雉
太祖天興二年七月、并州が白雉を献上した。周の成王の時に越裳氏が来て献じた故事がある。
四年正月、上党郡が白雉を献上した。
二月、并州が白雉を献上した。
五月、河内郡が白雉を献上した。
太宗神瑞二年十一月、右民尚書の周幾が博陵安平において白雉一羽を獲て献上した。
泰常三年正月、勃海郡高城県が白雉を献上した。
三月、勃海郡南皮県が白雉二羽を献上した。
十一月、中山行唐県が白雉を献上した。
四年正月、新興郡が白雉を献上した。十二月、また白雉二羽を献上した。
五年二月、白雉が河内郡に現れた。
世祖神䴥元年二月、相州が白雉を献上した。
二年二月、上党郡が白雉を献上した。
高祖延興二年正月、青州が白雉を献上した。
五年正月、白雉が上谷郡に現れた。
太和元年二月、秦州が白雉を献上した。
三月、白雉が秦州に現れた。
十一月、白雉が安定郡に現れた。
二年十一月、徐州が白雉を献上した。
三年正月、統万鎮が白雉を献上した。
四年正月、南豫州が白雉を献上した。
六年三月、豫州が白雉を献上した。
八年六月、齊州清河郡が白雉を献上した。
十七年正月、幽州が白雉を献上した。
四月、瀛州が白雉を献上した。
二十年三月、兗州が白雉を献上した。
世宗景明三年正月、徐州が白雉を献上した。
二月、冀州が白雉を献上す。
正始三年三月、齊州が白雉を献上す。
十月、青州が白雉を献上す。
四年十一月、秦州が白雉を献上す。
永平二年四月、河内郡が白雉を献上す。
六月、河南が白雉を献上す。
十二月、豫州が白雉を献上す。
延昌四年二月、冀州が白雉を献上す。
是の月、京師にて白雉を獲たり。
閏月、岐州が白雉を献上す。
十二月、幽州が白雉を献上す。
肅宗熙平元年二月、相州が白雉を献上す。
三月、肆州が白雉を献上す。
二年三月、徐州が白雉を献上す。
神龜元年三月、潁川郡が白雉を献上す。
二年正月、豫州より白雉を献ず。
正光三年二月、夏州より白雉を献ず。
四年三月、光州より白雉を献ず。
孝靜天平三年正月、青州より白雉を献ず。
四年二月、青州より白雉を献ず。
十二月、梁州より白雉を献ず。
元象二年正月、魏郡繁陽縣より白雉を献ず。
武定元年正月、廣宗郡より白雉を献ず。
是の月、兗州より白雉を献ず。
四年三月、青州より白雉を献ず。
泉
太宗泰常七年九月、溫泉涿鹿に出づ。人風寒の疾有り、入る者は多く愈ゆ。
高祖太和八年正月、上谷郡惠化寺に醴泉涌く。醴泉は水の精なり。味甘美にして、王者修治すれば則ち出づ。
興和元年冬、西兗州濟陰郡宛句縣濮水の南岸に、泉涌き出づ。色清く味甘く、飲む者は疾愈え、四遠より奔湊す。齊獻武王、泉の所に於いて廬舍を營立せしむ。尚書奏して、刺史に粟千石、太守に粟五百石、縣令に粟二百石を賞し、以て善政の感ずる所を旌し、先に言を列する者に第に依りて出身せしむ。詔して可とす。
高宗太和二年九月、鼎洛州滍水に出で、京師に送る。王者滋味を極めざれば、則ち神鼎出づ。
校勘記