巻11

前廃帝

前廃帝は、 いみな を恭、 あざな を脩業といい、広陵恵王元羽の子である。母は王氏という。幼少より端謹で、志操と器量があった。成長して学問を好み、祖母と嫡母に仕えて孝行で知られた。正始年間に爵位を襲い、延昌年間に通直 散騎常侍 さんきじょうじ に任ぜられ、神亀年間に兼 散騎常侍 さんきじょうじ に進んだ。正光二年、正員常侍となり、給事黄門侍郎を領した。帝は元叉が権力を専断するのを見て、病と かな して出仕しなかった。長くして、さらに失語症を仮託した。五年、金紫光禄大夫に任ぜられ、 散騎常侍 さんきじょうじ を加えられた。建義元年、儀同三司に任ぜられた。

王は言葉を絶ってほぼ十二年、龍華寺に居住し、外部との交渉はなかった。永安末年、ある者が孝荘帝に告げて、王が語らないのは異心があるからだと言い、民間の流言でも天子の気があると噂された。王は禍を恐れて上洛に逃げ隠れたが、すぐに追跡されて捕らえられ、京師に送られ、長く拘禁されたが、証拠がないため赦免された。孝荘帝が 崩御 ほうぎょ すると、尓朱世隆らは元曄が疎遠であり、また人望が推すところではないとして、王が沈黙して身を晦まし、人並み外れた度量があると考え、廃立を謀った。しかし本当に話せないのか恐れ、王の親しい者にその意を伝えさせ、かつ脅迫を加えた。王はついに答えて「天何ぞ言わんや」と言った。世隆らは大いに喜んだ。

春二月己巳、元曄が邙山の南に進んだ。世隆らは王を東郭の外に奉じて、禅譲の礼を行い、群臣が上表して言った。「否と泰は時に沿い、深い憂いが聖人を啓く。故に六飛は御し、三石は符瑞を興す。伏して惟うに、陛下は千歳の運に属し、智は万物に周く、独り繫象を明らかにし、妙は天人に極まる。 宝暦 ほうれき の帰する所、光宅の属する所である。しかるに独善を安んじ、兼 わた を務めず、霊命は徘徊し、幽明は佇ち待つ。伏して願わくは時に謳謡に順い、この宗廟を念い、労疾を捨て用い、人神に まこと かに答えられんことを。」王は答えて言った。「自ら眇身を量り、もって執ることを譲らんとした。然るに王公の勤め至る、拒み違えるべからず。今、敬って陳ぶる所を承る。ただ負荷に堪えず、愧じるのみである。」 太尉 たいい 公尓朱度律が璽綬と袞冕の服を奉じて進めると、王は輅車に就き、百官が侍衛して、建春門・雲龍門から入り、太極前殿に昇り、群臣が拝賀した。

礼が終わると、閶闔門に登り、詔して言った。「朕は寡薄をもって万邦を撫臨し、億兆とともにこの慶泰を同じくせんと思う。大いに天下を赦すべし。魏を大魏とし、建明二年を改めて普泰元年と為す。税市及び税塩の官は、悉く廃止すべし。百雑の戸は、民名を貸し賜い、官任は旧に る。天下の調絹は、四丈を一匹とす。内外の文武は、普く四階を ひろ く叙す。叙すべきで未だ第を定めざる者も、また級を沾う。除名免官の者は、特に本資を復し、品封は旧に仍る。潁川王尓朱兆、彭城王尓朱仲遠、隴西王尓朱天光、楽平王尓朱世隆、常山王尓朱度律、車騎大将軍・儀同三司斉献武王、 都督 ととく 斛斯椿の下の軍士は、普く六級を汎く叙す。」庚午、詔して言った。「朕は眇身をもって王公の上に臨み、夕べに おそ みて祇に懐い、氷谷を履むが若し。七廟の霊に頼り、百辟の忠誠の挙げる所により、庶幾くは墜歿を免れん。三皇は皇と称し、五帝は帝と云い、三代は王と称し、互いに沖虚を挹ぐ。秦の末より、競って皇帝を為す。負乗の深き殃を忘れ、貪鄙を万葉に垂る。予今帝と称する、已に褒むるなり。普く告げ知らしむべし。」

この月、鎮遠将軍清河の崔祖螭が青州七郡の衆十余万人を集めて東陽を包囲した。幽州 刺史 しし 劉霊助が薊で兵を起こした。撫軍将軍・金紫光禄大夫・兼 侍中 じちゅう ・河北大使高 あま 邕及び弟の平北将軍・通直 散騎常侍 さんきじょうじ 高敖曹が、衆を おおむ いて夜襲して冀州を攻め、刺史元嶷を捕らえ、監軍孫白鷂を殺し、共に前河内太守封隆之を推して州事を行わせた。

三月癸酉、長広王元曄を東海王に封じた。詔して太師・驃騎大将軍・青州刺史・魯郡王元粛を して太師と為し、特進・車騎大将軍・沛郡王元欣を 太傅 たいふ ・司州牧と為し、淮陽王に改封し、驃騎大将軍・開府儀同三司・徐州刺史・彭城王尓朱仲遠と、驃騎大将軍・儀同三司・雍州刺史・隴西王尓朱天光を並びに大将軍と為し、柱国大将軍・ 并州 へいしゅう 刺史・潁川王尓朱兆を天柱大将軍と為し、驃騎大将軍・儀同三司・左衛将軍・大 都督 ととく ・晋州刺史・平陽郡開国公斉献武王を勃海王に封じ、邑五百戸を増やし、特進・車騎大将軍・清河王元亶を儀同三司と為し、侍中・太傅・驃騎大将軍・開府儀同三司・ 尚書 しょうしょ 令・楽平王尓朱世隆を 太保 たいほう と為し、開府・前 司徒 しと 公長孫稚を太尉公・録尚書事と為し、侍中・驃騎大将軍・開府儀同三司・趙郡王元諶を 司空 しくう 公と為した。長孫稚は固辞し、まもなく驃騎大将軍・開府儀同三司に任ぜられた。丙子、帝は尚書右 僕射 ぼくや 元羅及び皇族を顕陽殿に引見し、労い励ました。丁丑、驃騎大将軍・北華州刺史公孫略に儀同三司を加えた。己卯、詔して右衛将軍賀抜勝に尚書一人を併せ、伎作及び雑戸で従征する者を募らせ、正入の出身は皆実官を授け、私馬を出す者は優に一大階を授けるとした。庚辰、侍中・衛将軍・咸陽王元坦、衛将軍・尚書左僕射・南陽王元宝炬、侍中・征東将軍・平陽王元脩を並びに儀同三司とした。乙酉、詔して北来及び在京の二官で員外に余分に置かれた者を簡選した。己丑、持節・驃騎将軍・涇州刺史賀抜岳を儀同三司・岐州刺史と為し、使持節・車騎大将軍・渭州刺史侯莫陳悦を儀同三司・秦州刺史と為した。庚寅、詔して天下に徳・孝・仁・賢・忠・義・志・信のある者は、礼をもって召し闕に赴かせ、召しに応じない者は不敬の罪に論ずるとした。丙申、劉霊助が衆を率いて安国城に駐屯したが、定州刺史侯淵がこれを破って斬り、首を京師に伝送した。戊戌、使持節・侍中・車騎大将軍斛斯椿、侍中・衛将軍元受を並びに特進・儀同三司とした。詔して言った。「頃く官方が秩序を失い、仍って沙汰を命じ、定員の簡剩は既に判決あり。退下の徒、微なるもまた愍むべし。諸に簡下にある者は、特により一級を優し、皆将軍を授け、選限に預かり、能に随い補用すべし。」

この春、冠軍将軍・南青州刺史茹懐朗がその部 まさ 何宝に歩騎三千を率いさせて、琅邪において蕭衍の守将を撃ち、その尚書左僕射・儀同三司・雲麾将軍・徐兗二州刺史劉相如を とら らえた。

夏四月癸卯、帝は華林都亭に幸して燕射を行い、班錫に差等あり。太楽が伎を奏するに、倡優に愚癡を為す者あり、帝は雅戲に非ずとして、詔してこれを罷む。壬子、太廟に事あり。癸丑、詔して斉献武王を以て使持節・侍中・ 都督 ととく 冀州諸軍事・驃騎大将軍・開府儀同三司・大 都督 ととく ・東道大行臺・冀州刺史と為し、驃騎大将軍・安定王尓朱智虎を開府儀同三司・ ほしいまま 州刺史と為す。乙卯、右衛将軍賀抜勝・武衛将軍大野抜を並びに儀同三司と為す。己未、帝は顕陽殿に於いて通直 散騎常侍 さんきじょうじ ・散騎侍郎・通直郎を簡試し、剩員にして才なき者は他に転ず。癸亥、隴西王尓朱天光、宿勤明達を大破し、擒えて京師に送り、これを斬る。丙寅、侍中・驃騎大将軍尓朱彦伯を 司徒 しと 公と為す。詔して有司に偽梁と復称することを得ざらしめ、細作の条を罷め、隣国往還を禁ぜず。詔す、員外諫議大夫・歩兵 校尉 こうい ・奉車都尉・羽林監・給事中・積射将軍・奉朝請・殿中将軍・宮門僕射・殿中司馬督・治礼郎の十一官は、俸を得て力給せず、老いて外選に合う者は常格に依り、未だ老せずして外選せんと欲する者は、解くことを聴す。その七品以上は、朔望に朝に入り、若し正員に闕あれば、才に随い進補す。前員外簡退優階の者はこれを追い、事に称して簡下する者は、仍って一級を優す。

先に、南陽太守趙脩延が刺史李琰之を執す。五月丙子、荊州城民、脩延を斬り、首を送り、還って琰之を推して刺史と為す。尓朱仲遠、その 都督 ととく 魏僧勗らを遣わし、東陽に於いて崔祖螭を討ち、これを擒斬す。

六月庚申、斉献武王、尓朱の逆乱を以て、始めて義兵を信都に興す。西は殷州を定め、その刺史尓朱羽生を斬り、南趙郡太守李元忠を命じて刺史と為し、広阿に鎮守せしむ。癸亥、帝は顕陽殿に臨み、親ら冤訟を理む。戊辰、使持節・驃騎大将軍・開府尓朱弼を以て儀同三司と為す。

秋七月壬申、尓朱世隆ら、前太保楊椿・前 司空 しくう 公楊津及びその家を害す。丙戌、 司徒 しと 公尓朱彦伯、旱を以て位を遜る。戊子、彦伯の侍中・開府儀同三司を除く。庚寅、侍中・太保・開府・ 尚書令 しょうしょれい ・楽平王尓朱世隆を以て儀同三師と為し、位は上公に次ぐ。

八月庚子、詔して隴西王尓朱天光の下の文武で宿勤明達を討つ者に、汎く三級を加う。潁川王尓朱兆、歩騎二万を率いて井陘より出で、殷州に趨り、李元忠は城を棄てて信都に還る。丙午、常山王尓朱度律・彭城王尓朱仲遠ら、衆を率いて出でて義旗に抗す。

九月丁丑、侍中驃騎将軍盧同・驃騎大将軍杜徳・車騎大将軍橋寧を並びに儀同三司と為す。己卯、使持節・ 都督 ととく 東道諸軍事・兼 尚書令 しょうしょれい ・東道大行臺・彭城王尓朱仲遠を以て太宰と為す。庚辰、使持節・大将軍・ 都督 ととく 関中諸軍事・兼 尚書令 しょうしょれい ・西道大行臺・隴西王尓朱天光に大司馬を加う。驃騎大将軍・青州刺史・開府儀同三司穆紹薨ず。癸巳、皇考を追尊して先帝と為し、皇妣王氏を先太妃と為す。皇弟永業を封じて高密王と為し、皇子子恕を勃海王と為す。

冬十月壬寅、斉献武王、勃海太守元朗を推戴し、即皇帝位に即かしむること信都に於いて。

二年春三月、斉献武王、尓朱天光らを韓陵に於いて敗る。

夏四月辛巳、斉献武王と廃帝と邙山に至り、魏蘭根をして洛邑を慰諭せしめ、且つ帝の為人を観察せしむ。蘭根は帝の雅徳を忌み、還って毀謗を致し、竟に崔㥄の議に従い、帝を崇訓仏寺に廃し、平陽王脩を立てて帝と為す。帝は既に位を失い、乃ち詩を賦して曰く、「朱門久しく患う可く、紫極は情玩に非ず。顛覆立って待つ可く、一年に三たび 換す。時運正に此の如し、唯だ真観を修むる有りのみ」と。

太昌初め、帝は門下外省にて す、時に年三十五。出帝、詔して百司に赴会せしめ、大鴻臚に喪事を監護せしめ、葬は王礼を用い、九旒・鑾輅・黄屋・左纛を加え、班剣百二十人、二衛・羽林に儀衛を備えしむ。

後廃帝

後廃帝、諱は朗、字は仲哲、章武王融の第三子なり、母は程氏と曰う。少より明悟と称せらる。永安二年、肆州魯郡王後軍府録事参軍・儀同開府司馬と為る。元曄の建明二年正月戊子、冀州勃海太守と為る。斉献武王の義兵を起し、暴逆を誅せんと将いし時に及び、乃ちこれを推戴す。

冬十月壬寅、即皇帝位に即くこと信都城西に於いて。壇に昇り燎を焚き、大赦し、中興元年と称す。文武百官に普く四級を汎す。斉献武王を以て侍中・丞相・ 都督 ととく 中外諸軍事・大将軍・録尚書事・大行臺と為し、邑三万戸を増す。兼侍中・撫軍将軍・河北大使高乾邕を以て侍中・ 司空 しくう 公と為す。前平北将軍・通直 散騎常侍 さんきじょうじ 高敖曹を以て驃騎大将軍・儀同三司・冀州刺史と為し、その身を終わるまでとす。前刺史元嶷を以て儀同三司と為す。己酉、尓朱度律・尓朱仲遠・斛斯椿・賀抜勝・賈顕智、陽平に次し、将に義師に抗せんとす。斉献武王、反間を放ちてこれを構え、遂に尓朱兆と相疑い、敗散して還る。辛亥、斉献武王、尓朱兆を広阿に於いて大破し、その卒五千余人を虜う。詔して将士に五級を汎し、留守の者に二級を加う。詔して征東将軍・吏部尚書封隆之を以て使持節・北道大使と為し、方に随い処分せしむ。

十有一月己巳、詔して曰く、「王度創めて開け、彝倫方に始まる。班くる所の官秩は、旧章を改めず。而るに識無きの徒、此に因りて僥倖し、謬って軍級を増し、虚名顕位、皆な前朝の授くる所と言い、理を推抑し難し。自ら厳しく条制を為さざれば、以てその偽竊を防ぐこと無からん。諸に虚増の官号有りて、人の発糾する為に、罪は軍法に従う。若し格に入りて検覈し名無き者は、退けて平民と為し、終身禁錮す」と。庚辰、斉献武王、師を率いて ぎょう 城を攻む。

是の年、南兗城民王乞徳、前刺史劉世明を逼りて州を以て蕭衍に降り、衍はその将元樹をして譙城に入り据えしむ。

二年春正月壬午、鄴を抜き、刺史劉誕を擒える。詔して諸将兵に四級を ひろ く授け、侯に封じ、邑を増すこと九十七人、各差等有り。癸未、詔して曰く、「中興草昧より以来、典制権輿し、郡県の官は おおむ ね行・督を兼ねる。仮に正者あれども、風化未だ均しからず。周余を かえり みれば、専ら漁猟を為す。朕夙興夜寐する所以は、懐に おそ るる有るなり。有司明らかに糾罰を加え、朕が意に かな えよ」と。

二月辛亥、孝荘皇帝に おくりな して武懐皇帝と曰う。甲子、斉献武王を大丞相・柱国大将軍・太師と為し、封邑三万戸を増し、併せて前の六万戸と為す。

三月丙寅、斉文襄王を起家して驃騎大将軍・儀同三司と為す。丙子、侍中・車騎大将軍・尚書左僕射孫騰を驃騎大将軍・儀同三司と為す。丁丑、車駕鄴に幸す。乙酉、詔して文武の家屬をして信都より 鄴城 ぎょうじょう に赴かしむ。

閏月乙未、安北将軍・光禄大夫・博野県開国伯尉景を驃騎大将軍・儀同三司と為す。丙申、衛将軍・金紫光禄大夫厙狄干を車騎大将軍・儀同三司と為す。壬寅、尒朱天光・兆・度律・仲遠等、洹水の南に屯す。癸丑、斉献武王紫陌に出でて とん す。庚申、尒朱兆軽騎三千を率いて夜 鄴城 ぎょうじょう を襲い、西門を叩くも克たず、退きて走る。壬戌、斉献武王、尒朱天光等四胡を韓陵に大破し、前廃帝鎮軍将軍賀抜勝・徐州刺史杜徳は陣において降る。尒朱兆走りて へい 州に趣き、仲遠は東郡に奔り、天光・度律は まさ 洛陽 らくよう に赴かんとす。大 都督 ととく 斛斯椿・賈顕智は倍道して先に還る。

夏四月甲子朔、椿等河橋を拠り、罪を懼れて自ら劾す。尋いで天光・度律を河橋に擒える。西北大行台長孫稚・ 都督 ととく 賈顕智等、騎を率いて京師に入り、尒朱世隆・彦伯を執り、都街に斬り、天光・度律を囚えて斉献武王に送る。辛未、前廃帝驃騎大将軍・行済州事侯景、城を拠りて降り、 りて儀同三司・兼尚書僕射・南道大行台・済州刺史を除す。甲戌、車騎将軍・尚書右僕射魏蘭根を驃騎大将軍・儀同三司と為す。乙亥、車騎大将軍・儀同三司・中軍大 都督 ととく 高盛に尚書僕射・北道行台を兼ねしめ、機に随い処分せしむ。尒朱仲遠は蕭衍に奔る。青州刺史尒朱弼は其の部下馮紹隆に殺され、首を伝えて京師に至る。丙子、前廃帝安東将軍辛永・右将軍建州大 都督 ととく 張悦、城を挙げて降る。

辛巳、車駕河陽に至り、別邸に位を遜る。太昌元年五月、安定郡王に封じ、邑一万戸。後に罪有りて門下外省に す。時に年二十。永熙二年、鄴西南野馬岡に葬る。

出帝

出帝、諱は脩、字は孝則、広平武穆王懐の第三子なり。母は李氏。性沈厚にして言少なく、武事を好む。始め汝陽県開国公に封ぜられ、通直散騎侍郎を拝し、転じて 中書 ちゅうしょ 侍郎と為る。建義初、 散騎常侍 さんきじょうじ を除し、尋いで平東将軍・兼太常卿に遷り、又鎮東将軍・宗正卿と為る。永安三年、平陽王に封ぜらる。普泰初、侍中・鎮東将軍・儀同三司・兼尚書右僕射に転じ、又侍中・尚書左僕射を加えらる。

永熙元年

中興二年夏四月、安定王自ら疏遠を以て、未だ四海の心に まこと ならずとし、大位を遜らんことを請う。斉献武王、百僚と会議し、 みな に高祖後無きべからずと謂い、乃ち共に王を奉ず。戊子、帝位に即くこと東郭の外、東陽・雲龍門より入り、太極前殿に御し、群臣朝賀す。礼畢りて閶闔門に昇り、詔して曰く、「否泰相沿い、廃興互いに有り、玄天隠す所無く、精霊諭うる能わず。大魏統を あま つき、徳区宇に およ び、九服を牢籠し、三光に 旁礴 ほうはく す。而上天禍を降し、運踵多難、礼楽崩淪し、憲章漂没す。赫赫たる宗周、 せん じて戎寇と為り、粛粛たる清廟、将に茂草と成らんとす。胡 けつ 機に乗じ、其の昏虐を ほしいまま にし、君を殺し王を害し、海内を 刳剔 こてき す。其の吞 ぜい の意を競い、飽満の心を識らず。書契以来、未だ斯の若き者有らざるなり。大丞相勃海王、忠本朝に存し、精白日に貫き、 ここ に義旗を挙げ、志国恥を雪がんとす。故に広阿の軍は、貔虎気を奪い、鄴下の師は、金湯険を失う。近者四胡相率い、実に徒繁く有り、天下の兵を駆り、尽く華戎の鋭を つく す。桴鼓暫く交わり、一朝に盪滅し、元兇首を授け、 大憝斯 ここ とら わる。旆を揚げて河を わた り、伊洛を掃清し、士民安堵し、旧章を失わず。 社稷 しゃしょく 危うくして復た安んじ、 洪基毀 やぶ れて た構う。朕宸極に託体し、 みだり に楽推に当たり、 つつし みて宝図を握り、 の大業を承く。以て眇身をして、王公の上に託すこと、淵水に渉るが若く、 るべき津を知らず。兆民と茲の嘉慶を同じくせんと思い、大いに天下を赦すべし。中興二年を改めて太昌元年と為す」と。詔して前御史中尉樊子鵠を起復して本官と為し、尚書左僕射・東南道大行台を兼ね、 都督 ととく 儀同三司・徐州刺史杜徳に元樹を討たしむ。斉献武王上言し、建義の家にして げて尒朱氏に籍没せられたる者は、悉く 皆蠲免 けんめん せしむ。帝世の わるを以て、復た斉献武王を大丞相・天柱大将軍・太師と除し、定州刺史を世襲せしめ、封邑九万を増し、併せて前の十五万戸と為す。庚寅、斉文襄王に侍中・開府儀同を加え、余は故の如し。壬辰、斉献武王還りて鄴に至る。車駕乾脯山に於いて餞別す。

五月丙申、前廃帝広陵王殂す。太傅・淮陽王欣を太師と為し、沛郡王に封ず。 司徒 しと 公・趙郡王諶を太保と為す。侍中・驃騎大将軍・開府儀同三司・清河王亶を儀同三師と為す。使持節・侍中・驃騎大将軍・開府儀同三司・司州牧・南陽王宝炬を太尉公と為す。侍中・太保・録尚書事長孫稚を太傅と為す。侍中・驃騎大将軍・尚書左僕射元羅を儀同三司・ 尚書令 しょうしょれい と為す。驃騎大将軍・吏部尚書元世儁を儀同三司と為す。戊戌、斉献武王固く譲るを以て、天柱大将軍を解くことを聴し、封邑五万戸を減じ、余は悉く故の如し。辛丑、前 司空 しくう 高乾邕を復た 司空 しくう 公と為す。乙巳、帝華林都亭に幸し、群臣を宴し、班賚差等有り。羽林隊主唐猛突入して慶を称す。帝猛の禁衛を犯すを以て、之を杖す。猛の 辞色忤 さか る有り、階下に之を斬る。

丁未の日、詔して曰く、「孤獨を侮らず、事は前経に炳たり;鰥寡をこれ恵む、声は往冊に留まる。朕、薄徳を以て民の父母と為り、乃ち元元を眷み、寤言して増歎す。今、理運惟新、哀矜始まる。もし孤老・疾病・依帰する所なき者あらば、有司明らかに隠括を加え、格に依り賑贍せよ」。また詔して曰く、「理に一準あれば則ち民に覬覦無く、法に二門を啓けば則ち吏多く威福す。前主は律を為し、後主は令を為す、歴世永久、実用滋章なり。是れ以て庶品を準的し、万物を隄防するに非ず。執事の官四品以上をして、都省に集まり、諸の条格を取り、一途を議定せしむべし。其の施用すべからざる者は、当局に停記すべし。新定の格は、旧制と相連ぬること勿れ。務めに約通に在りて、冗滞を致すこと無からしむべし」。己酉の日、侍中・驃騎大將軍・儀同三司・清河王亶を以て 司徒 しと 公と為す。庚戌の日、詔して曰く、「頃者、西土年飢え、百姓流徙し、或いは身は溝渠に倚り、或いは命は道路に懸かり、皆草土に見棄てられ、烏鳶に取厭せらる。言これを念うに、夜寐に警む有り。骼を掩うの礼、誠に庶幾すべし;墐を行うの義、冀くは亦た勉むべし。其の諸れ露屍有るは、所在に埋覆せしむべし。天下に宣告すべし」。乙卯の日、内外に解厳を詔す。

六月癸亥朔、帝華林園に於いて訟を納む。丙寅、 蠕蠕 じゅんじゅん ・嚈噠・高麗・契丹・庫莫奚国並びに使を遣わして朝貢す。丁卯、太尉公・司州牧・南陽王宝炬、事に坐して驃騎大將軍・開府に降り、王は故の如く、第に帰り、羽林 えい をして守らしむ。武懐皇帝を改諡して孝莊と曰う。癸酉、蠕蠕・嚈噠国使を遣わして朝貢す。戊寅、内外百司に普く六級を汎するを詔す。京に在る百僚には中興四級を加え、義師の将士には並びに軍汎六級を加え、鄴に在る百官には三級を、河北の義に同ずる州には両級を、河橋に建義したる者には五級を加え、関西には二級を加う。諸れ建明・普泰の封爵・汎級・優特の階を受けたるは、悉く追う。己卯、帝顕陽殿に臨みて訟を納む。乙酉、高麗・契丹・庫莫奚国使を遣わして朝貢す。丙戌、前驃騎大將軍・開府儀同三司斛斯椿を以て前官に還す。詔して曰く、「間者、凶権誕恣し、法令常を変じ、遂に夷貊の軽賦を立て、天下の意を収めんことを冀い、箕斂の重きに随い、終に十倍の征を納る。目を掩いて雀を捕う、何ぞ能く此れを過ぎんや。朕、蒸黎を属念し、寢食を忘れず、田桑の事始まるに加え、生業未だ滋さず。若し頓に常格に依らば、或いは周展せず。今歳の租調は、且つ両収して一丐し、来年旧に復せよ」。辛卯、使持節・ えい 大將軍・儀同三司・尚書左僕射賈顕度を以て驃騎大將軍・開府儀同三司と為す。

秋七月乙未、詔して曰く、「頃者永安運を馭し、載せて皇儲を育くみ、遂に汎階を錫ひ、以て国慶を申べし。近く普泰を経て、便爾に中追す。今罪人既に殄び、旧章斯に復す。往旨を述べ、以て前恩を卒すべし。皇子の汎二級は、悉く還授すべし。文穆廟の汎は、故に停寝すべく、若し已に受けたる者は、例に依りて之を追うべし」。庚子、驃騎大將軍・開府・南陽王宝炬を以て太尉公と為す。壬寅、齊献武王衆を率いて滏口より入り、大 都督 ととく 厙狄干井陘より入り、尒朱兆を討つ。乙巳、齊献武王尒朱天光・尒朱度律を以て之を京師に送り、都巿に斬る。己酉、兼尚書左僕射・東南道大行臺樊子鵠を以て儀同三司と為す。庚戌、侍中・驃騎將軍・左光禄大夫高隆之をして使持節・驃騎大將軍・儀同三司・兼尚書左僕射・北道行臺と為し、歩騎十万を率いて太行に趨り、齊献武王に会わしむるを詔す。隆之行臺を解き、仍って大丞相軍司と為る。齊献武王武郷に次ぐ。尒朱兆大いに しん 陽を掠め、北に秀容に走る。 へい 州平ぐ。乙卯、帝顕陽殿に臨み、親ら冤獄を理む。丙辰、宗師・東萊王貴平を以て車騎大將軍・儀同三司と為す。是の月、夏州の徙民郭遷宥州を拠りて反し、刺史元嶷城を棄てて走る。行臺侯景をして齊州刺史尉景・済州刺史蔡儁等を率いて之を攻討せしむるを詔す。城陥ち、遷蕭衍に奔る。東南道大行臺樊子鵠大いに蕭衍の軍を譙城に破り、其の鄴王元樹及び譙州刺史朱文開を擒う。

八月壬戌朔、齊文襄王来朝し、燕射し、部下に班賚すること各差有り。丁卯、西中郎将元寧を以て高平王と為す。甲戌、車騎大將軍・左光禄大夫李琰之を以て儀同三司と為す。庚寅、車騎將軍・左光禄大夫崔秉を以て驃騎大將軍・儀同三司と為す。辛卯、車騎將軍・右光禄大夫高岳を以て驃騎大將軍・儀同三司と為す。

九月癸未、侍中・驃騎大將軍・左光禄大夫封津を以て儀同三司と為す。庚子、帝華林都亭に幸し、元樹及び公卿百僚蕃使督将等を引見し、宴射し、班賚すること各差有り。癸卯、燕郡開国公賀抜允爵を進めて王と為す。乙巳、帝都水に幸し、南に洛汭を過ぎ、遂に瀍澗に至る。己酉、復た北原に田す。癸丑、太師・沛王欣を以て広陵王と為し、前廃帝の子勃海王子恕を改めて沛郡王に封ず。甲寅、侍中・驃騎大將軍封隆之、任祥を並びに儀同三司と為す。車騎大將軍・河南尹元仲景を以て驃騎大將軍・儀同三司と為す。乙卯、車駕山陵を謁す。丙辰、蠕蠕・高昌国使を遣わして朝貢す。庚申、 えい 將軍・前吏部尚書李神雋、撫軍將軍・右 えい 將軍婁昭を並びに驃騎大將軍・儀同三司と為す。

冬十月甲子、使持節・ えい 將軍・光州刺史高仲密を以て車騎大將軍・儀同三司と為す。丁卯、車騎大將軍・左光禄大夫潘蠻を以て儀同三司と為す。己卯、車騎大將軍・左光禄大夫高琛を以て特進・驃騎・開府儀同三司と為す。庚寅、使持節・驃騎將軍・肆州刺史劉貴を以て驃騎大將軍・儀同三司と為す。

十有一月甲午、車騎將軍・揚州刺史斛斯敦を以て驃騎大將軍・儀同三司と為す。丁酉、日南至す、車駕円丘に事有り。戊戌、太極前殿に百官を朝会す。甲辰、安定王朗及び東海王曄、事に坐して死す。乙巳、蠕蠕国使を遣わして朝貢す。己酉、前太尉公・汝南王悦を以て侍中・大司馬・開府と為す。霊太后胡氏を葬る。

十有二月丙寅、驃騎大將軍・領御史中尉綦雋を以て儀同三司と為す。乙亥、侍中・広平王贊を以て驃騎大將軍・開府儀同三司と為す。丁亥、大司馬・汝南王悦を殺す。大赦天下し、太昌を改めて永興と為し、太宗の号を以てす。尋いで改めて永熙元年と為す。

永熙二年

二年春正月庚寅の朔、太極前殿において群臣を朝饗す。甲午、斉献武王、 晋陽 しんよう より出でて尓朱兆を討つ。丁酉、赤洪嶺において大いにこれを破り、兆は遁走し、自殺す。己亥、車駕、崧高石窟霊巖寺に幸す。庚子、また幸し、散施各々差あり。庚戌、儀同三司李琰之薨ず。丁巳、皇考を追尊して武穆帝と為し、皇太妃 馮氏 ふうし を武穆后と為し、皇妣李氏を皇太妃と為す。驃騎将軍・前滄州刺史高聿を以て驃騎大将軍・儀同三司と為す。蕭衍の労州刺史曹鳳・東荊州刺史雷能勝ら、城を挙げて内属す。

二月庚申、使持節・鎮東将軍・行汾州事張瓊を以て驃騎大将軍・儀同三司と為す。辛酉、 司空 しくう 公高乾邕を以て使持節・驃騎大将軍・開府儀同三司と為し、咸陽王坦を 司空 しくう 公と為す。

三月己丑の朔、驃騎大将軍・滄州刺史賈顯智に開府儀同三司を加う。辛卯、詔して以前諸行臺を普く解きしを以て、今阿至羅相率いて降款す、復た斉献武王を大行台と為し、機に随い裁処せしむとす。甲午、車騎将軍・蔚州刺史竇泰を以て使持節・車騎大将軍・開府儀同三司・相州刺史と為す。使持節・驃騎大将軍・開府儀同三司・徐州刺史高乾邕、事に坐して賜死す。太師・魯郡王蕭薨ず。戊申、使持節・ 都督 ととく 河渭部三州諸軍事・驃騎大将軍・世襲河州刺史梁景叡を以て儀同三司と為す。丁巳、侍中・太保・司州牧・趙郡王諶を太尉公と為し、羽葆鼓吹を加え;侍中・太尉公・南陽王宝炬を太尉・開府・ 尚書令 しょうしょれい と為す。

夏四月戊辰、詔して諸参佐、三府以下より爰に外州に及び、皆復た常侍及び両員を兼ぬることを得ず、已に授かる者と雖も亦悉くこれを追うとす。是の月、青州の人耿翔、膠州を襲い据え、刺史裴粲を殺し、蕭衍に通ず。

五月庚寅、詔して諸の幽枉未だ申さず、事経ること一周已上の者、悉く華林に集め、将に親ら覧察せんとす; もし 事既に年を経、有司列せざる者は、其の人各々陳訴するを聴く;若し事州郡に連なり、淹歳に由る者は、亦た尚書に仰ぎ総集して以て聞かしむ。壬寅、使持節・驃騎大将軍・儀同三司・斉州刺史侯淵を以て復た開府儀同三司と為す。乙巳、詔して曰く「大夫の職は、位秩貴顕なり;員外の官も、亦た賤しからず。而るに下は胥吏に及び、帯領一に非ず、高卑渾雑し、彝章を損う。今已後より、京官称事の小職を楽む者は、直に散号将軍を加え、卑官を罷めんことを願う者は大夫及び員外の職と為るを聴くべし、宜しく仍前に散実参領すべからず。其中旨特加の者は、此の例に在らず。」東徐州城民王早・簡実ら、刺史崔庠を殺し、州を据えて蕭衍に入る。

六月壬申、驃騎大将軍・開府儀同三司・尚書右僕射樊子鵠を以て青膠大使と為し、済州刺史・大 都督 ととく 蔡儁を督して耿翔を討たしむ。丁丑、驃騎大将軍・前行南兗州事念賢を以て儀同三司と為す。

秋七月辛卯、使持節・鎮北将軍・大 都督 ととく ・秦州刺史万俟普撥を以て驃騎大将軍・儀同三司と為す。壬辰、太師・司州牧・広陵王欣を大司馬・侍中と為し、太尉公・趙郡王諶を太師と為し、並びに開府す。庚戌、前 司徒 しと 公・燕郡王賀抜允を太尉公と為す。

八月乙丑、斉文襄王来朝し、帝、華林都亭にて燕し、部下に班賚し各々差あり。驃騎大将軍・前南岐州刺史司馬子如を以て儀同三司と為す。戊辰、車駕、河梁において文襄王を餞り、仍って河を済いて返る。癸酉、斉献武王、表を上り固く王爵を譲る、許さず;邑十万戸を分け、節を降して品と為し、回らして勳義に授けんことを請う、これに従う。

九月壬子、 散騎常侍 さんきじょうじ ・車騎大将軍・左光禄大夫崔孝芬を以て儀同三司と為す。

冬十月癸未、衛将軍・瓜州刺史・泰臨県開国伯・高昌王麴子堅を以て儀同三司と為し、爵を進めて郡王とす。

十有一月癸巳、持節・征北将軍・殷州刺史邸珍を徐州大 都督 ととく ・東道行台僕射と為し、将を率いて東徐州を討たしむ。

十有二月丁巳、車駕、嵩陽に狩す。己巳、遂に温湯に幸す。丁丑、車駕、宮に還る。

永熙三年

三年春正月壬辰、斉献武王、河西苦洩河において費也頭を討ち、大いにこれを破り、其の帥紇豆陵伊利を獲、其の部落を内地に遷す。

二月、東梁州、夷民の侵逼を受け、詔して使持節・車騎大将軍・行東雍州事泉企を東梁州行台・ 都督 ととく と為して以てこれを討たしむ。己未、蕭衍の仮節・ 州刺史・南昌王毛香、城を挙げて内附し、持節・安南将軍・信州刺史・義昌王を授く。壬戌、大赦天下す。丙子、帝、親ら釈奠し先師に礼す。辛巳、洪池陂に幸し、遂に遊田す。壬午、衛将軍・前徐州刺史元祐を衛大将軍・儀同三司と為し、驃騎将軍・左衛将軍元斌之を潁川王と為す。

三月壬寅、前侍中・車騎大將軍李彧を驃騎大將軍・儀同三司に任ず。

夏四月戊午、契丹国が使者を遣わして朝貢す。辛未、高平王寧は事に坐して爵を降られ公となる。丙子、高麗国が使者を遣わして朝貢す。

五月丙戌、勲府庶子を増置し、廂別に六百人、また騎官を増やし、廂別に二百人とし、第に依りて出身し、騎官の秩は直斎に比す。

辛卯、詔して曰く、「大魏は一を得て宸に居り、六を乗じて宇を馭す。風雲の会する所を考へ、日月の中る所に宅す。北より南に、東征して西は怨み、後に来たりて其れ蘇り、思はざるは偃せず。而るに句呉は険を負ひ、久しく度外に遺す。世祖太武皇帝、金鏡を握りて以て照耀し、玉鼓を撃ちて以て鏗鏘たり、神武の牢籠する所、威風の轥轢する所、雲徹ぎ霧巻き、瓦解し氷消せざる莫し。長江已北、尽く魏土と為る。頃年天歩中に圮れ、国綱時に屯み、凶竪機に因り、互ひに上国を窺ひ、疆埸侵 ぜい せられ、州郡淪胥す。乃ち眷みて東を顧み、寢食を忘るゝこと無し。自ら五牛の旆を警め、七萃の部を按ずるに非ざれば、何を以てか文武の旧業を復し、遺黎の塗炭を拯はん。朕将に親しく六軍を総べ、径ちに彭・汴に臨まんとす。一労永逸、庶くは無疆を保たん。内外の百僚、便ち厳備すべし。出頓の期は、更に後の勅を聴け。」時に帝は斛斯椿・元毗・王思政・魏光等の謟佞に間阻せられ、斉献武王に貳し、蕭衍を討つに託け、盛暑に河南諸州の兵を徴発す。天下怪悪す。語は斛斯椿伝に在り。丙申、使持節・侍中・大司馬・開府・司州牧・広陵王欣を以て左軍大 都督 ととく と為し、太傅・録尚書事長孫稚を中軍四面大 都督 ととく と為す。丁酉、帝華林都亭に幸し、京畿 都督 ととく 及び軍士三千余人を集め、之を慰勉す。庚子、又た華林都亭に幸して訟を納る。壬寅、又た長孫稚を後軍大 都督 ととく と為す。

六月丁卯、大 都督 ととく 源子恭胡陽を鎮め、汝陽王暹石済を守り、儀同三司賈顯智は 州刺史斛斯寿を率ひ東に趨きて済州に赴く。庚午、吐谷渾国が使者を遣わして朝貢す。丙子、詔して曰く、「頃年以来、天歩時に阻まれ、干戈戢まらず、荊棘是れ生ず。或は節を徇ひて恩を感じ、奮ひて命を顧みず、或は戎に臨みて敵に対し、難に赴くこと帰るが如し。身首横に分かれ、骸骨斂めず。勲誠録する莫く、栄贈加ふる莫し。寤寐之を矜み、良に嗟悼有り。普く内外に告げ、所在言列せしむべし。若し親近無くば、故友の之を陳ぶるを聴け。尚書実を検し、状に随ひて科贈せよ。庶くは粗く冤魂を慰め、少しく惻隱を申さん。」庚辰、使持節・車騎大將軍・中軍大 都督 ととく 斛律沙門を以て開府儀同三司と為す。

秋七月辛巳朔、鎮東將軍・前大鴻臚卿・太原王昶を特進として車騎大將軍・儀同三司と為す。己丑、帝親しく六軍十余万を総べ河橋に次ぐ。斛斯椿を前軍大 都督 ととく と為し、尋で詔して椿に虎牢を鎮めしむ。又た詔して荊州刺史賀抜勝を行在所に赴かしむ。勝は率ふる所の部を汝水に次ぐ。庚子、使持節・征西將軍・岐州刺史越肱を特進として儀同三司と為す。丁未、帝は椿等に迫脅せられ、遂に 長安 ちょうあん に出づ。己酉、斉献武王洛に入り、賀抜勝走りて荊州に還る。

八月甲寅、 司徒 しと 公・清河王亶を推して大司馬と為し、制を承けて万幾を総べ、尚書省に居る。辛酉、斉献武王西に車駕を迎ふ。戊辰、制して曰く、「晦は明の始め、乱は実に治の基、爰に天道に著く、又た人事に符す。故に姬祚中に微なりしも、践土に勤王の役有り、劉氏将に傾かんとすれども、北軍左袒の挙を致す。用ひて能く此の遠年を隆くし、茲の卜世を克つ。永熙の季、権佞朝に擅り、羣小是れ崇められ、勲賢害せらる。官は価に縁りて貴賤し、獄は貨に因りて死生す。宗祏飄として綴旒の若く、民命棄つること草莽の如し。大丞相位は晋鄭に居り、任は桓文に属し、甲を汾川に興し、罪を伊洛に問ふ。羣姦威を畏れ、人主を擁迫し、以て自ら蔽 えい と為し、遠く秦方に出づ。車駕流移すと雖も、未だ即ち返御せずと雖も、然れども権佞将に除かれ、天下頸を延ぶ。魏邦旧きと雖も、其の化惟だ新たなり、兆民と与に思い、此の更始に同じくせんとす。大いに天下を赦すべし。」行臺侯景荊州を討ち、賀抜勝戦ひ敗れ、走りて蕭衍に奔る。

九月癸巳、 えい 大將軍・河南尹元子思を以て使持節・行臺僕射と為し、使持節・驃騎大將軍・開府儀同三司・領軍將軍婁昭を西道大 都督 ととく と為し、 へい せて左右の侍官を率ひ西に車駕を迎ふ。己酉、椿の党毛鴻賓潼関を守るも、斉献武王破りて之を擒る。是の日、斉献武王東に還りて洛に至る。是の月、東清河人傅皛太守韓子捷を殺し、郡を据へて反す。赦に会ひ、乃ち降る。

冬十月戊辰、使持節・驃騎大將軍・開府儀同三司・行青州事侯淵東陽を克ち、刺史東萊王貴平を斬り、首を伝えて京師に至る。

閏十二月癸巳、帝は宇文黒獺に害せられ、時に年二十五。

【論】

史臣曰く、広陵は前に廃され、中興は後に廃され、平陽は猜惑し、自ら宗廟を絶つ。普泰は雅道多くを占め、永熙は悖徳甚だし。是れ俱に亡滅し、天下の棄つる所か。

校勘記

原本を確認する(ウィキソース):魏書 巻11