隋書

巻三十一 志第二十六 地理下

徐州

彭城郡

彭城郡は旧来徐州を置き、後斉は東南道行台を置き、後周は総管府を立てた。開皇七年に行台は廃され、大業四年に府は廃された。統轄する県は十一、戸数は十三万二百三十二。

彭城〈旧来郡を置く。後周ははい及び南陽平の二郡を併せて入れる。開皇初年に郡は廃され、大業初年に再び郡を置く。呂梁山、徐山あり。〉

蘄〈梁は蘄郡を置く。後斉は仁州を置き、また龍亢郡を分置す。開皇初年に郡は廃され、大業初年に州は廃される。〉

谷陽〈後斉は谷陽郡を置く。開皇初年に郡は廃される。また巳吾、義城の二県あり、後斉はともに臨淮県とし、大業初年にここに併合す。〉

留〈後斉に廃され、開皇十六年に復す。微山、黄山あり。〉

蕭〈旧来沛郡を置く。後斉に廃されて承高県となる。開皇六年に龍城と改め、十八年に臨沛と改め、大業初年に蕭と改む。相山あり。〉

滕〈旧くは蕃といい、蕃郡を置く。後斉に廃される。開皇十六年に滕県と改む。〉

蘭陵〈旧くは承といい、蘭陵郡を置く。開皇初年に郡は廃され、十六年に承を分けて鄶州及び蘭陵県を置く。大業初年に州は廃され、また蘭陵、鄶城の二県をここに併合し、まもなく承を蘭陵と改む。抱犢山あり。〉

符離〈後斉は睢南郡を置く。開皇初年に郡は廃される。竹邑県あり、梁は睢州を置く。開皇三年に州は廃され、また竹邑を廃してここに入る。女山、定陶山あり。〉

方與(後斉にて廃止、開皇十六年に復置。)

魯郡

魯郡は旧兗州、大業二年に魯郡と改称す。統轄する県は十、戸数十二万四千十九。

瑕丘(旧廃止、開皇十三年に復置、郡を帯ぶ。)

任城(旧高平郡を置く、開皇初年に廃止。)

鄒(鄒山・承匡山あり。)

曲阜(旧魯郡と曰う、後斉にて郡を任城と改む。開皇三年に郡廃止、四年に県を汶陽と改称、十六年に曲阜と改名す。)

泗水(開皇十六年に設置。陪尾山・尼丘山・防山あり。洙水・泗水あり。)

平陸(後斉にて楽平と曰う、開皇十六年に改む。)

龔丘(後斉にて平原県と曰う、開皇十六年に改む。)

梁父(龜山あり。)

博城(旧博と曰い、泰山郡を置く。後斉にて郡を東平と改め、また博平・牟を併合す。開皇初年に郡廃止、十六年に県を汶陽と改称、まもなく博城と改む。奉高県あり、開皇六年に岱山と改称、大業初年に州廃止、また岱山県を廃してこれに併合す。岱山・玉符山あり。)

嬴(開皇十六年に分置して牟城県とす、大業初年に併合してこれに入る。艾山あり。淄水あり。)

琅邪郡

琅邪郡は旧北徐州を置く、後周にて沂州と改称す。統轄する県は七、戸数六万三千四百二十三。

臨沂(旧称は即丘、郡を帯びる。開皇初年に郡を廃し、十六年に分けて臨沂を置く。大業初年に即丘を併合してここに入れる。大祠山あり。)

顓臾(旧称は南城武陽、開皇十八年に改名す。また南城県あり、後斉に廃す。開明山あり。)

新泰(後斉、蒙陰県を廃してここに入れる。)

沂水(旧に南青州及び東安郡を置く。後周、州を改めて莒州とす。開皇初年に郡を廃し、県を改めて東安と曰う。十六年また改めて沂水と曰う。大業初年に州を廃す。)

東安(後斉に廃す、開皇十六年に復す。松山あり。)

莒(旧に東莞郡を置く。後斉に廃す、後に義唐郡を置く。開皇初年に廃す。)

東海郡

東海郡(梁、南・北二青州を置く。東魏、改めて海州とす。県五を統べ、戸二万七千八百五十八。)

朐山(旧は朐と曰い、琅邪郡を置く。後周、県を改めて朐山と曰い、郡を朐山と曰う。開皇初年に郡を廃し、大業初年に復し、郡を帯びる。朐山・羽山あり。)

東海(旧に広饒県及び東海郡を置く。後斉、広饒を分けて東海県を置く。開皇初年に郡及び東海県を廃し、仁寿元年、広饒を改めて東海と曰う。謝祿山・郁林山あり。)

漣水(旧は襄賁と曰う。東海郡を置く。東魏、改めて海安と曰う。開皇初年に郡を廃し、県また改む。)

沭陽(梁、潼陽郡を置く。東魏、改めて沭陽郡と曰い、県を置いて懷文と曰う。後周、県を改めて沭陽と曰う。開皇初年に郡を廃す。)

懷仁(梁、南・北二青州を置く。東魏、州を廃し、義唐郡及び懷仁県を立てる。開皇初年に郡を廃す。)

下邳郡

下邳郡は後魏が南徐州を置き、梁が東徐州と改め、東魏がまた東楚州と改称し、陳が安州と改め、後周が泗州と改めた。統轄する県は七、戸数五万二千七十。

宿〈かつて宿豫郡を置く。開皇初年に郡を廃す。大業初年に下邳郡を置く。また梁が朝陽・臨沭の二郡を置き、後齊が晉寧郡を置くが、まもなくともに廃止。〉

夏丘〈後齊が置き、あわせて夏丘郡を置き、まもなく潼州を立てる。後周が州を宋州と改め、県を晉陵と称す。開皇初年に郡を廃し、十八年に州を廃し、県は再び夏丘と称す。また東魏が臨潼郡・睢陵県を置き、後齊が郡を潼郡と改む。また梁が潼州を置き、後齊が睢州と改称するが、まもなく廃止し、潼郡に併合される。開皇初年に郡・県ともに廃止。〉

徐城〈梁が高平郡を置く。東魏がまた梁の東平・陽平・清河・歸義の四郡を併せて高平縣とし、また梁の硃沛・循儀・安豐の三郡を併せて硃沛縣を置く。また安遠郡あり、後齊に廃止され、後周にまた硃沛を高平に併合す。開皇初年に郡を廃し、十八年に徐城と改名す。〉

淮陽〈梁が淮陽郡を置く。東魏が綏化・呂梁の二郡を併せて綏化縣を置く。後周が縣を淮陽と改む。開皇初年に郡を廃す。また梁の臨清・天水・浮陽の三郡あり、東魏が併せて甬城縣とし、後齊が文城縣と改称し、後周がまた臨清と改め、開皇三年にこれを省いて当県に併合す。〉

下邳〈梁は歸政と称し、武州・下邳郡を置く。魏が縣を下邳と改め、郡は改めず、州を東徐と改称す。後周が州を邳州と改む。開皇初年に郡を廃し、大業初年に州を廃す。嶧山・磬石山あり。〉

良城〈梁が武安郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十一年に縣を良城と改名す。徐山あり。〉

郯〈かつて郡を置く。開皇初年に廃止。〉

『禹貢』に曰く、「海・岱及び淮は惟れ徐州なり」と。彭城・魯郡・琅邪・東海・下邳は、その地を得たり。天文に在りては、奎五度より胃六度に至り、降婁に当たり、辰に於いて戌に在り。其れ列国に在りては、則ち楚・宋及び魯の交わる所なり。其の旧俗を考うるに、人は頗る勁悍にして軽剽、其の士子は則ち任節気を挟み、賓游を好尚す、此れ蓋し楚の風ならん。大抵徐・兗は俗を同じくす、故に其の余の諸郡は、皆斉・魯の尚ぶ所を得たり。商賈を賤しめずと云うこと莫く、稼穡に務め、儒を尊び学を慕い、洙泗の俗を得たり。

揚州

江都郡

江都郡は梁が南兗州を置き、後齊が東廣州と改め、陳が再び南兗と称し、後周が吳州と改む。開皇九年に揚州と改め、総管府を置く。大業初年に府を廃す。統轄する縣十六、戸数十一万五千五百二十四。

江陽〈旧は廣陵と称す。後齊が廣陵・江陽の二郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十八年に縣を邗江と改め、大業初年に江陽と改名す。江都宮・揚子宮あり。陵湖あり。〉

江都〈梁より隋に至るまで、或いは廃止され或いは設置される。〉

海陵〈梁が海陵郡を置く。開皇初年に郡を廃し、また建陵縣を併合す。まもなく江浦縣を分置し、大業初年にこれを省いて併合す。〉

甯海(開皇初年に如皋県を併合す。)

高郵(梁が竹塘・三帰の二県を分置し、また広業郡を置く。まもなく嘉禾あるを以て神農郡と為す。開皇初年に郡廃止、また竹塘・三帰・臨沢の三県を併合す。)

安宜(梁が陽平郡及び東莞郡を置く。開皇初年に郡廃止、また石鱉県を廃して併合す。白馬湖あり。)

山陽(旧に山陽郡を置く。開皇初年に郡廃止。十二年楚州を置く。大業初年に州廃止す。後魏の淮陰郡あり、東魏これを淮州と改む。後齊魯・富陵を併せて懐恩県を立て、後周これを寿張と改称す。また東平郡を僑立す。開皇元年郡を淮陰と改め、併せて楚州を立て、まもなく郡を廃し、さらに県を改めて淮陰と曰う。大業初年に州廃止、県はこれに併合さる。)

盱眙(旧魏盱眙郡を置く。陳北譙州を置き、まもなく省く。開皇初年に郡廃止、また考城・直瀆・陽城の三県を併合す。都梁山あり。)

鹽城(後齊射陽郡を置く。陳これを鹽城と改む。開皇初年に郡廃止す。)

清流(旧は頓丘と曰い、新昌郡及び南譙州を置く。開皇初年に滁州と改め、郡廃止す。また楽鉅・高塘の二県を廃して頓丘に併合し、新昌と改称す。十八年さらに清流と改む。大業初年に州廃止す。白禅山・曲亭山あり。)

全椒(梁は北譙と曰い、北譙郡を置く。後齊郡を臨滁と改め、後周また北譙と曰う。開皇初年に郡廃止、県を滁水と改む。大業初年に名を改む。銅官山・九斗山あり。)

六合(旧は尉氏と曰い、秦郡を置く。後齊秦州を置く。後周州を方州と改め、郡を六合と改む。開皇初年に郡廃止、四年尉氏を六合と改め、堂邑・方山の二県を省き併合す。大業初年に州廃止す。また後齊瓦梁郡を置き、陳これを廃す。瓜歩山・六合山あり。)

永福(旧は沛と曰い、梁が涇城・東陽の二郡を置く。陳州を廃し、二郡を併せて梁郡と為す。後周梁郡を石樑郡と改め、沛県を石樑県と改称し、横山県を省き併合す。開皇初年に郡廃止。大業初年に県を永福と改む。香山・永福山あり。)

句容(茅山・浮山・四平山あり。)

延陵(旧に南徐州・南東海郡を置く。梁これを蘭陵郡と改む。陳さらに東海と改む。開皇九年州郡ともに廃止、また丹徒県を廃して併合す。十五年潤州を置く。大業初年に州廃止す。句山・黄鵠山・蒜山・長塘湖あり。)

曲阿(武進県あり、梁これを蘭陵と改む。開皇九年併合さる。)

鐘離郡

鐘離郡は後齊西楚州と曰う。開皇二年濠州と改む。四県を統べ、戸三万五千十五。

鐘離(旧来郡を置く。開皇初年に郡廃止。大業年間に再び郡を置く。)

定遠(旧称は東城。梁が定遠と改称し、臨濠郡を置く。後斉が広安と改称。開皇初年に郡廃止。また旧来の九江郡あり、後斉が曲陽県に廃止し、県はまもなく廃止。また梁が安州を置き、侯景の乱で廃止。)

化明(旧称は睢陵、済陰郡を置く。後斉が県を池南と改称、陳が再び睢陵と称し、後周が昭義と改称。開皇初年に郡廃止、大業初年に県名を改めて化明とする。)

塗山(旧称は当塗。後斉が馬頭と改称し、荊山郡を置く。開皇初年に県を塗山と改称し、郡を廃止。当塗山あり。)

淮南郡

淮南郡は旧来豫州と称し、後魏は揚州と称し、梁は南豫州と称し、東魏は揚州と称し、陳はまた豫州と称し、後周は揚州と称す。開皇九年に寿州と称し、総管府を置く。大業元年に府廃止。四県を統轄し、戸三万四千二百七十八。

寿春(旧来淮南・梁郡・北譙・汝陰等の郡あり、開皇初年にいずれも廃止し、また蒙県を廃止してこれに併合す。大業初年に淮南郡を置く。八公山・門溪あり。)

安豊(梁が陳留・安豊二郡を置く。開皇初年にいずれも廃止。芍陂あり。)

霍丘(梁が安豊郡を置く。東魏が廃止。開皇十九年に県を置き、霍丘と名づく。)

長平(梁が北陳郡を置く。開皇初年に廃止し、また西華県を併合す。)

弋陽郡

弋陽郡は梁が光州を置く。六県を統轄し、戸四万一千四百三十三。

光山(旧来光城郡を置く。開皇初年に郡廃止、十八年に県を置く。大業初年に光陽郡を置く。また旧来の黄川郡あり、梁が廃止。)

楽安(梁が宋安郡及び宋安・光城二県を置き、また豊安郡あり。開皇三年にいずれも廃止してこれに併合す。弋陽山・浮光山・金山・錫山あり。)

定城(後斉が南郢州を置き、後に廃止して南・北二弋陽県に併合し、後にまた北弋陽を省いて南弋陽に併合し、定遠と改称す。また後魏が弋陽郡を置き、また梁の東新蔡県あり。後周が淮南郡と改称す。また後斉が斉安・新蔡二郡を置き、また旧義州を廃止し、東光城郡を立てる。開皇初年に至り、五郡及び郢州はいずれも廃止。)

殷城(旧称は包信、開皇の初年に改名す。梁が義城郡及び建州を置き、併せて管轄する平高・新蔡・新城の三郡、開皇の初年に併せて廃止す。大蘇山・南松山あり。)

固始(梁は蓼縣と曰う。後齊これを改名し、北建州を置く。まもなく州を廃し、新蔡郡を置く。後周は澮州を改めて置く。開皇の初年に州・郡ともに廃止して併合し、また縣を改めて固始とす。安陽山あり。)

期思(陳が邊城郡を置く。開皇の初年に郡を廃し、縣名を改む。後齊の光化郡あり、また廃止してこれに併合す。大別山あり。)

蘄春郡

蘄春郡は後齊が雍州を置き、後周は蘄州と改めて曰う。開皇の初年に総管府を置き、九年に府を廃す。五縣を統べ、戸三万四千六百九十。

蘄春(旧称は蘄陽、梁は蘄水と改めて曰う。後齊は齊昌と改めて曰い、齊昌郡を置く。開皇十八年に蘄春と改む。開皇の初年に郡を廃す。安山あり。)

浠水(旧に永安郡を置く。開皇の初年に郡を廃す。石鼓山あり。)

蘄水(旧は蘄春と曰い、梁これを改名す。鼓吹山あり。蘄水あり。)

黃梅(旧は永興と曰い、開皇の初年に新蔡と改めて曰い、十八年に改名す。黃梅山あり。)

羅田(梁が義州・義城郡を置く。開皇の初年に併せて廃す。)

廬江郡

廬江郡は梁が南豫州を置き、また合州と改む。開皇の初年に廬州と改む。七縣を統べ、戸四万一千六百三十二。

合肥(梁は汝陰と曰い、汝陰郡を置く。後齊は北陳郡を分置す。開皇の初年に郡を廃し、縣名を改む。)

廬江(齊が廬江郡を置き、梁は湘州を置く。後齊は州を廃し、開皇の初年に郡を廃す。冶甫山・上薄山・三公山・聖山・藍家山あり。)

襄安(梁は蘄と曰い、開皇の初年に改む。龜山・紫微山・亞父山・半陽山・白石山・四鼎山あり。)

慎〈東魏が平梁郡を置き、陳は梁郡と称し、開皇初年に郡は廃された。浮闍山がある。〉

霍山〈梁が霍州及び岳安郡・岳安縣を置く。後齊に州は廃される。開皇初年に郡は廃され、縣は改名された。〉

渒水〈梁が北沛郡及び新蔡縣を置く。開皇初年に郡は廃され、また新蔡を廃してこれに併合された。墜星山がある。〉

開化〈梁が置く。衡山・九公山・蹋鼓山・天山・多智山がある。〉

同安郡

同安郡は梁が豫州を置き、後に晉州と改称し、後齊は江州と改め、陳はまた晉州と称し、開皇初年に熙州と称す。五縣を統べ、戸二萬一千七百六十六。

懷甯〈旧に晉熙郡を置く。開皇初年に郡は廃される。大業三年に同安郡を置く。〉

宿松〈梁が高塘郡を置く。開皇初年に郡は廃され、縣を高塘と改め、十八年にまた改名された。雷水がある。〉

太湖〈開皇初年に晉熙と改め、十八年に再び改名された。〉

望江〈陳が大雷郡を置く。開皇十一年に義鄉と改称し、十八年に改名された。〉

同安〈旧は樅陽と称し、併せて樅陽郡を置く。開皇初年に郡は廃され、十八年に縣は改名された。浮度山がある。〉

曆陽郡

曆陽郡は後齊に和州を立てる。二縣を統べ、戸八千二百五十四。

曆陽〈旧に曆陽郡を置く。開皇初年に郡は廃される。大業初年に再び郡を置く。〉

烏江〈梁が江都郡を置き、後齊は齊江郡と改め、陳はまた臨江郡と改め、周は同江郡と改む。開皇初年に郡は廃される。大業初年に曆陽郡を置く。六合山がある。〉

彤陽郡

彤陽郡は東晉以後より郡を置き、揚州と曰う。陳を平らげ、詔して並びに平蕩し耕墾せしめ、更に石頭城に蔣州を置き、三県を統べ、戸二万四千百二十五。

江甯〈梁、丹陽郡及び南丹陽郡を置く。陳、南丹陽郡を省く。陳を平らげ、又丹陽郡を廃し、併せて秣陵・建康・同夏の三県を之に入る。大業初め丹陽郡を置く。蔣山有り。〉

當塗〈旧に淮南郡を置く。陳を平らげ、郡を廃し、併せて襄垣・於湖・繁昌・西郷を之に入る。天門山・楚山有り。〉

溧水〈旧は溧陽と曰う。開皇九年丹陽郡を廃し之に入れ、十八年改む。赭山・廬山・楚山有り。〉

宣城郡

宣城郡は旧に南豫州を置く。陳を平らげ、宣州と改む。六県を統べ、戸一万九千九百七十九。

宣城〈旧は宛陵と曰い、宣城郡を置く。陳を平らげ、郡廃せられ、仍て併せて懐安・甯国・當塗・浚遒の四県を之に入る。大業初め郡を置く。敬亭山有り。〉

涇〈陳を平らげ、安呉・南陽の二県を省き之に入る。蓋山・陵陽山有り。〉

南陵〈梁に置き、併せて南陵郡を置く。陳、北江州を置く。陳を平らげ、州郡並びに廃せられ、管する所の石城・臨城・定陵・故治・南陵の五県を併せて之に入る。〉

秋浦〈旧は石城と曰う。陳を平らげて廃し、開皇十九年置き、改名す。〉

永世〈陳を平らげて廃し、開皇十二年又置く。霊光山有り。〉

綏安〈旧は石封と曰う。陳を平らげ、改名す。梁末大樑郡を立て、又陳留と改む。陳を平らげ、郡廃せられ、大徳・故鄣・安吉・原郷の四県を省き之に入る。〉

毗陵郡

毗陵郡は陳を平らげ、常州を置く。四県を統べ、戸一万七千五百九十九。

晉陵(旧に晉陵郡を置く。陳を平らげて、郡を廃す。大業の初めに郡を置く。横山あり。)

江陰(梁に置き、及び江陰郡を置く。陳を平らげて、郡を廃す。及び利城・梁豊の二県をこれに入れる。毗陵山あり。)

無錫(九龍山あり。)

義興(旧は陽羨と曰い、義興郡を置く。陳を平らげて、郡を廃し、県の名を改む。又、義郷・國山・臨津の三県を廃してこれに入れる。計山・洞庭山あり。)

吳郡

吳郡(陳は吳州を置く。陳を平らげて、蘇州と改称す。大業の初めに再び吳州と曰う。五県を統べ、戸一万八千三百七十七。)

吳(旧に吳郡を置く。陳を平らげて、郡を廃す。大業の初めに再び置く。胥山・横山・華山・黃山・姑蘇山・太湖あり。)

昆山(梁に置く。陳を平らげて廃す。開皇十八年に復す。)

常熟(旧は南沙と曰い、梁は信義郡を置く。陳を平らげて廃し、併せて領する所の海陽・前京・信義・海虞・興國・南沙をこれに入れる。虞山あり。)

烏程(旧に吳興郡を置く。陳を平らげて、郡を廃し、併せて東遷県をこれに入れる。仁寿年中に湖州を置く。大業の初めに州を廃す。雉山あり。)

長城(陳を平らげて廃す。仁寿二年に復す。卞山あり。)

會稽郡

會稽郡(梁は東揚州を置く。陳の初めに省く。尋いで復す。陳を平らげて、吳州と改称し、総管府を置く。大業の初めに府を廃し、越州を置く。四県を統べ、戸二万二百七十一。)

會稽(旧に會稽郡を置く。陳を平らげて、郡を廃す。及び山陰・永興・上虞・始寧の四県を廃してこれに入れる。大業の初めに郡を置く。稷山・種山・會稽山あり。)

句章(陳を平らげて、余姚・鄞・鄮の三県を併せてこれに入れる。太白山・方山あり。)

剡県(桐柏山がある。)

諸暨県(泄溪、大農湖がある。)

餘杭郡

餘杭郡は、陳を平定した後に杭州を設置した。仁寿年間に総管府を置き、大業初年に府を廃止した。六県を統轄し、一万五千三百八十戸。

銭唐県(かつて銭唐郡を置いた。陳を平定し、郡を廃止し、管轄していた新城県を併合した。大業三年に餘杭郡を置いた。粟山、石甑山、臨平湖がある。)

富陽県(石頭山、鶏籠山がある。)

餘杭県(由拳山、金鵝山がある。)

於潜県(天目山、石鏡山がある。桐溪がある。)

塩官県(しょく山がある。)

武康県(陳平定時に廃止され、仁寿二年に復活した。封嵎山、青山、白鵠山がある。)

新安郡

新安郡は、陳を平定した後に歙州を設置した。三県を統轄し、六千百六十四戸。

休寧県(旧称は海寧、開皇十八年に改名した。大業初年に郡を置いた。)

歙県(陳平定時に廃止され、開皇十一年に復活した。)

黟県(陳平定時に廃止され、開皇十一年に復活した。)

東陽郡

東陽郡は、陳を平定した後に婺州を設置した。管轄する県は四、戸数は一万九千八百五。

金華〈旧称は長山で、金華郡を設置した。陳を平定し、郡を廃止し、また建徳・太末・豊安の三県を廃して合併し、呉寧県と改称した。開皇十二年(592年)に東陽と改称し、十八年(598年)にこの名に改めた。大業初年に東陽郡を設置した。長山・龍山・楼山・丘山がある。赤松澗がある。〉

永康

烏傷〈香山・歌山がある。〉

信安〈江山・悲思嶺がある。定陽溪がある。〉

永嘉郡

永嘉郡は、開皇九年(589年)に処州を設置し、十二年(592年)に括州と改称した。管轄する県は四、戸数は一万五百四十二。

括倉〈陳を平定し、県を設置した。大業初年に永嘉郡を設置した。縉雲山・括倉山がある。〉

永嘉〈旧称は永寧で、永嘉郡を設置した。陳を平定し、郡を廃止し、県名をこのように改めた。芙蓉山がある。〉

松陽

臨海〈旧称は章安で、臨海郡を設置した。陳を平定し、郡を廃止し、県名をこのように改めた。赤山・天臺山がある。〉

建安郡

建安郡は、陳の時代に閩州を設置したが、すぐに廃止され、後にまた豊州を設置した。陳を平定し、泉州と改称した。大業初年に閩州と改称した。管轄する県は四、戸数は一万二千四百二十。

閩〈旧称は東侯官で、晉安郡を設置した。陳を平定し、郡を廃止し、県を原豊と改称した。開皇十二年(592年)に閩と改称し、大業初年に建安郡を設置した。岱山・飛山がある。〉

建安(旧は建安郡を置く。陳を平らげて廃す。)

南安(旧は晋安と曰い、南安郡を置く。陳を平らげ、郡を廃し、県の名を改む。また莆田県を置くが、尋いで廃してこれに併入す。)

龍溪(梁に置く。開皇十二年、蘭水・綏安の二県を併せてこれに入る。)

遂安郡

遂安郡(仁寿三年に睦州を置く)。三県を統べ、戸七千三百四十三。

雉山(旧は新安郡を置く。陳を平らげ、廃して新安県と為す。大業初め、県の名を改め、遂安郡を置く。仙壇山あり。)

遂安(陳を平らげて廃す。仁寿年中に復す。)

桐廬(陳を平らげて廃す。仁寿年中に復す。白石山あり。)

鄱陽郡

鄱陽郡(梁に呉州を置き、陳に廃す。陳を平らげ、饒州を置く)。三県を統べ、戸一万一百二。

鄱陽(旧は鄱陽郡を置く。陳を平らげて廃す。また陳の銀城県、廃されてこれに入る。大業初め、郡を再び置く。)

余幹

弋陽(旧は葛陽と曰う。開皇十二年に改む。弋水あり。)

臨川郡

臨川郡(陳を平らげ、撫州を置く)。四県を統べ、戸一万九百。

臨川(旧に臨川郡を置く。陳を平らげて郡を廃し、大業三年に再び郡を置く。銅山・黄山あり。夢水あり。)

南城(五章山あり。)

崇仁(梁、巴山郡を置き、大豊・新安・巴山・新建・興平・豊城・西寧の七県を領す。陳を平らげて郡県ともに廃し、以て県を置く。)

邵武(開皇十二年に置く。)

廬陵郡

廬陵郡、陳を平らげて吉州を置く。四県を統べ、戸二万三千七百十四。

廬陵(旧に廬陵郡を置く。陳を平らげて廃し、大業初年に再び置く。)

泰和(陳を平らげて置く。西昌と曰う。十一年に東昌を省きて併せ、名を更む。)

安復(旧に安成郡を置く。陳を平らげて郡を廃し、県を改めて安成と曰う。十八年、また安復と曰う。更生山・長嶺あり。)

新淦(玉笥山あり。)

南康郡

南康郡、開皇九年に虔州を置く。四県を統べ、戸一万一千百六十八。

贛(旧は南康と曰い、南康郡を置く。陳を平らげて郡を廃す。大業初年に県名を改めてかく曰い、尋いで郡を置く。儲山あり。贛水あり。)

虔化(旧は寧都と曰う。開皇十八年に名を改めてかく曰う。石鼓山あり。)

雩都(旧は廃す。陳を平らげて置く。金雞山・君山あり。)

南康郡(旧称は贛、大業初年に改名す。廩山・上洛山・贛山あり。)

宜春郡

宜春郡は陳を平げて袁州を置く。統べる県三、戸一万百十六。

宜春(旧称は宜陽。開皇十一年に呉平県を廃して併入し、十八年に改名す。大業初年に郡を置く。廬溪・渝水あり。)

萍郷(宜春江あり。)

新喩

豫章郡

豫章郡は陳を平げて洪州総管府を置く。大業初年に府を廃す。統べる県四、戸一万二千二十一。

豫章(旧に豫章郡を置く。陳を平げて郡を廃す。大業初年に再び郡を置く。)

豊城(陳を平げて廃す。開皇十二年に置き、広豊と曰う。仁寿初年に改名す。)

建昌(開皇九年にへい・永修・豫章・新呉の四県を省き併入す。)

建城(然石あり。)

南海郡

南海郡は旧に広州を置き、梁・陳ともに都督ととく府を置く。陳を平げて総管府を置く。仁寿元年に番州を置き、大業初年に府を廃す。統べる県十五、戸三万七千四百八十二。

南海(旧に南海郡を置く。陳を平げて郡を廃す。また分かち番禺県を置くも、尋いで廃して併入す。大業初年に郡を置く。)

曲江(旧に始興郡を置く。陳を平らげて廃し、十六年にまた湞陽県を廃してここに入れる。玉山・銀山あり。)

始興(斉は正階と曰い、梁これを改めて名づけ、また安遠郡を置き、東衡州を置く。陳を平らげ、郡を改めて大庾県を置き、またここに広州総管を置く。開皇末に南海に移し、また十六年に大庾を廃してここに入れる。)

翁源(梁に置き、陳また清遠郡を置く。陳を平らげて郡廃す。)

増城(旧に東官郡を置く。陳を平らげて廃す。羅浮山あり。)

宝安

楽昌(梁に置き、梁化と曰い、また分かちて平石県を置く。開皇十二年平石を省きて入れ、十八年に改む。)

四会(旧に綏建郡を置き、また楽昌郡あり。陳を平らげ、二郡ともに廃す。大業初また始昌県を併せてここに入れる。)

化蒙(大業初、威城県を廃してここに入れる。)

清遠(旧に清遠郡を置き、また分かちて威正・廉平・恩洽・浮護の四県を置く。陳を平らげてともに廃し、もって清遠県を置く。また斉は斉康郡を置き、この時に至りまた廃してここに入れる。)

含洭(梁に衡州・陽山郡を置く。陳を平らげ、州を改めて洭州と曰い、郡を廃す。二十年州廃す。堯山あり。)

政賓(旧に東官郡を置く。陳を平らげて郡廃す。)

懐集

新会(旧に新会郡を置く。陳を平らげて郡廃し、また盆允・永昌・新建・熙潭・化召・懐集の六県を併せて入れ、封州と為す。十一年允州と改め、後にまた岡州と改む。大業初州廃し、また封楽県を廃して入れる。社山あり。)

義寧(開皇十年、新夷・初賓の二県を廃して入れる。また始康県あり、廃して封平に入れる。大業初また封平を廃してここに入れる。茂山あり。)

龍川郡

龍川郡は、陳を平定した後に設置され、循州総管府を置いた。大業の初年に府は廃止された。五県を統轄し、戸数は六千四百二十である。

帰善〈郡治を帯びる。帰化山・懐安山がある。〉

河源〈開皇十一年に龍川県を廃してここに併合した。また新豊県があったが、開皇十八年に休吉と改称し、大業の初年に廃してここに併合した。龍山・亢山がある。修江がある。〉

博羅

興寧

海豊〈黒龍山がある。漲海がある。〉

義安郡

義安郡は、梁が東揚州を設置し、後に瀛州と改称したが、陳の時に州は廃止された。陳を平定した後、潮州を設置した。五県を統轄し、戸数は二千六十六である。

海陽〈かつて義安郡を設置していた。陳を平定した時に郡は廃止された。大業の初年に郡を置いた。鳳凰山がある。〉

程郷

潮陽

海寧〈龍溪山がある。〉

萬川〈旧称は義招であり、大業の初年に改名した。〉

高涼郡

高涼郡は、梁が高州を設置した。九県を統轄し、戸数は九千九百十七である。

高涼(旧くは高涼郡を置く。陳を平らげて廃し、大業の初めに再び置く。)

連江(梁が連江郡を置く。陳を平らげ、郡は廃される。梁はまた梁封縣を置き、開皇十八年に義封と改む。梁はまた南巴郡を置く。陳を平らげ、郡は廃されて南巴縣となる。大業の初め、二縣ともに廃されてこれに合す。)

電白(梁が電白郡を置く。陳を平らげ、郡は廃される。また海昌郡あり、廃されてこれに合す。)

杜原(旧くは杜陵と曰う。梁が杜陵郡を置き、また永甯・宋康の二郡あり。陳を平らげ、ともに廃されて縣となる。十八年、杜陵を杜原と改め、宋康を義康と改む。大業二年、二縣ともに廃されて杜原に合す。)

海安(旧くは齊安と曰い、齊安郡を置く。陳を平らげ、郡は廃される。開皇十八年に縣名を改む。)

陽春(梁が陽春郡を置く。陳を平らげ、郡は廃される。)

石龍(旧く羅州・高興郡を置く。陳を平らげ、郡は廃される。大業の初め、州は廃される。)

吳川

茂名

信安郡

信安郡(陳を平らげ、端州を置く。七縣を統べ、戸一萬七千七百八十七。)

高要(旧くは高要郡を置く。陳を平らげ、郡は廃される。大業の初め、信安郡を置く。定山あり。)

端溪(旧くは晉康郡を置く。陳を平らげ、郡は廃される。端水あり。)

樂城(開皇十二年、文招・悅成の二縣を廃して合す。)

平興(旧くは宋隆郡を置き、初甯・建甯・熙穆・崇德・召興・崇化・南安等の縣を領す。陳を平らげ、郡は廃され、領する縣ともにこれに合す。また梁が梁泰郡及び縣を置く。陳を平らげ、郡は廃され、縣は清泰と改称す。大業の初め、廃されてこれに合す。)

新興(梁が新州・新寧郡を置く。陳を平らげて郡を廃す。大業初年に州を廃し、また索盧県を廃してここに併入す。)

博林(大業初年に撫納県を廃して併入す。)

銅陵(流南県あり、開皇十八年に改めて南流と曰う。また西城県あり、大業初年に廃して併入す。)

永熙郡

永熙郡(梁が瀧州を置く。六県を統べ、戸一万四千三百一十九。)

瀧水(旧に開陽県を置き、開陽・平原・羅陽等の郡を置く。陳を平らげて郡は並びに廃し、以て県と名づく。開皇十八年に平原を改めて瀧水とし、羅陽県を正義とす。大業初年に永熙郡を置き、開陽・正義は倶に廃してここに併入す。)

懷德(旧は梁德と曰い、梁德郡を置く。陳を平らげて郡を廃す。十八年に改めて懷德と名づく。)

良德(陳が置く、務德と曰い、後に改名す。)

安遂(梁が建州・廣熙郡を置き、尋いで廃す。州は大業初年に廃す。)

永業(梁が永業郡を置き、尋いで県に改め、後に省く。開皇十六年にまた置く。)

永熙(大業初年に安南県を併せて併入す。)

蒼梧郡

蒼梧郡(梁が成州を置き、開皇初年に封州に改む。四県を統べ、戸四千五百七十八。)

封川(梁は梁信と曰い、梁信郡を置く。陳を平らげて郡を廃す。十八年に封川に改む。大業初年にまた封興県を廃してここに併入す。)

都城(開皇十二年に威城・晉化の二県を省きてここに併入す。)

蒼梧(旧に蒼梧郡を置く。陳を平らげて、郡廃止。)

封陽

始安郡

始安郡(梁の時に桂州を置く。陳を平らげて、総管府を置く。大業元年に府廃止。統轄する県十五、戸五万四千五百十七。)

始安(旧に始安・梁化の二郡を置く。陳を平らげて、郡ともに廃止。大業初年に興安県を廃止してここに編入。)

平楽(目山あり。)

荔浦

建陵

陽朔

隋化

義熙(旧は斉熙といい、斉熙・黄水の二郡及び東寧州を置く。陳を平らげて、郡ともに廃止。開皇十八年に州を融州と改め、県を義熙と改む。大業初年に州廃止し、臨䍧・黄水の二県を廃止してここに編入。)

龍城(梁の時に置く。)

馬平(開皇十二年に象州を置く。大業初年に州廃止。)

桂林(大業初年に西寧県を廃止して編入。)

陽壽(馬平・桂林・象・韶陽の四郡あり。陳を平らげ、並びに廃す。また淮陽県あり、開皇十八年に改めて陽寧と曰う。大業初年に省きて此に併入す。)

富川(旧に臨賀・楽梁の二郡を置く。陳を平らげ、並びに廃し、賀州を置く。大業初年に州を廃し、また臨賀・綏越・蕩山の三県を置きて此に併入す。)

龍平(梁、静州、梁寿・静慰の二郡を置く。陳を平らげ、並びに廃し、また帰化県を置く。大業初年に州を廃し、また帰化・安楽・博労の三県を廃して此に併入す。)

豪静(梁、開江・武城の二郡を置き、陳、逍遙郡を置く。陳を平らげ、郡並びに廃す。また猛陵・開江の二県あり、大業初年に並びに廃して此に併入す。)

永平郡

永平郡(陳を平らげ、藤州を置く。県十一を統べ、戸三万四千四十九。)

永平(旧に永平郡を置く。陳を平らげ、郡を廃す。大業に郡を置く。)

武林(燕石山あり。)

隋建(開皇十九年に置く。)

安基(梁、建陵郡を置く。陳を平らげ、郡を廃す。)

隋安(開皇十九年に置く。)

普寧(旧は陰石と曰い、梁、陰石郡を置く。陳を平らげ、郡を廃し、県を改めて奉化とす。開皇十九年にまた名を改めて此と為す。)

戎成(梁に置き、遂成と曰う。開皇十一年に名を改めて此と為す。農山あり。)

寧人(開皇十五年に置き、安人と曰う。十八年に名を改めて此と為す。寿原山あり。)

淳人(開皇十九年に置く。)

大賓(開皇十五年設置)

賀川(開皇十九年設置。また陳が建陵・綏越・蒼梧・永建の四郡を設置した。陳を平定し、すべて廃止)

郁林郡

郁林郡は梁が定州を設置し、後に南定州と改称した。陳を平定し、尹州と改めた。大業初年に鬱州と改称した。統轄する県は十二、戸数は五万九千二百。

郁林(かつて郁林郡を設置。陳を平定し、郡を廃止。大業初年にまた郡を設置し、また武平・龍山・懷澤・布山の四県を廃して編入)

郁平

領方(梁が領方郡を設置。陳を平定し、郡を廃止)

阿林

石南(陳が石南郡を設置。陳を平定し、郡を廃止)

桂平(梁が桂平郡を設置。陳を平定し、郡を廃止。大業初年にまた皇化県を廃して編入)

馬度

安成(梁が安成郡を設置。陳を平定し、郡を廃止)

甯浦(かつて寧浦郡を設置し、梁が簡陽郡を分置。陳を平定し、郡を廃止して簡州を設置。十八年に縁州と改称。大業二年に州を廃止)

樂山(梁が樂陽郡を設置。陳を平定し、樂陽県と改称。十八年にこの名に改む)

嶺山(梁が嶺山郡を設置。陳を平定し、嶺縣と改称。十八年に嶺山と改称。大業初年に武縁縣を併せて編入。武縁山あり)

宣化(旧は晋興郡を置く。陳を平らげて、廃して県となす。開皇十八年に改名す。)

合浦郡

合浦郡は旧に越州を置く。大業初年に禄州と改め、まもなく合州と改む。統ぶる県十一、戸二万八千六百九十。

合浦(旧に合浦郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。大業初年に郡を置く。)

南昌

北流(大業初年に陸川県を廃して入る。)

封山(大業初年に廉昌県を廃して入る。)

定川(旧に定川郡を立てる。陳を平らげて、郡廃す。)

龍蘇(旧に龍蘇郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。大業初年にまた大廉県を併せて入る。)

海康(梁の大通中、番州合浦を割き高州を立て、まもなくまた合州を分ち立つ。大同末、合肥を以て合州となし、ここに南合州を置く。陳を平らげて、ここを以て合州となし、海康県を置く。大業初年に州廃し、また摸落、羅阿、雷川の三県を廃して入る。)

抱成(旧は抱と曰い、並びに郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。十八年に改めて抱成と曰う。)

隋康(旧は斉康と曰い、斉康郡を置く。陳を平らげて、郡廃し、県名を改む。)

扇沙(旧に椹県あり、開皇十八年に椹川と改め、大業初年に廃して入る。)

鐵杷(開皇十年に置く。)

珠崖郡

珠崖郡は梁の時に崖州を置いた。十県を統轄し、一万九千五百戸を有する。

義倫(郡治を帯びる。)

感恩

顏盧

毗善

昌化(藤山あり。)

吉安

延德

寧遠

澄邁

武德(扶山あり。)

甯越郡

甯越郡は梁の時に安州を置き、開皇十八年に欽州と改称した。六県を統轄し、一万二千六百七十戸を有する。

欽江(旧くは宋壽郡を置く。陳を平らげて、郡は廃止された。開皇十八年に欽江と改称し、大業初年に寧越郡を置いた。)

安京(旧くは安京郡を置く。陳を平らげて、郡は廃止された。羅浮山あり。武郎江あり。)

内亭(旧は宋広郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。開皇十七年に新化県と改称し、十八年に名を改む。)

南賓(開皇十八年に置く。)

遵化(開皇二十年に置く。)

海安(梁に置く。安平と曰い、黄州及び寧海郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。開皇十八年に州を玉州と改む。大業初年に州廃す。その年また海平・玉山の二県を省きて入れる。)

交趾郡

交趾郡、旧は交州と曰う。県九を統べ、戸三万五十六。

宋平(旧は宋平郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。大業初年に交趾郡を置く。)

龍編(旧は交趾郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。)

朱枿(旧は武平郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。)

隆平(旧は武定と曰い、武平郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。開皇十八年に県名を改む。)

平道(旧は国昌と曰う。開皇十二年に名を改む。)

交趾

嘉寧(旧は興州・新昌郡を置く。陳を平らげて、郡廃す。開皇十八年に峰州と改称す。大業初年に州廃す。)

新昌

安人(旧は臨西と曰う。開皇十八年に名を改む。)

九真郡

九真郡は梁の時に愛州を置いた。統轄する県は七、戸数は一万六千百三十五。

九真(郡治を帯びる。陽山・堯山がある。)

移風(旧くは九真郡を置いた。陳を平らげて、郡は廃された。)

胥浦

隆安(旧名は高安、開皇十八年に改名された。)

軍安

安順(旧名は常楽、開皇十六年に改名された。)

日南

日南郡

日南郡は梁の時に德州を置き、開皇十八年に驩州と改称した。統轄する県は八、戸数は九千九百十五。

九德(郡治を帯びる。)

咸驩

浦陽

越常

金甯(梁が利州を置く。開皇十八年に智州と改め、大業初年に州は廃止された。)

交谷(梁が明州を置く。大業初年に州は廃止された。)

安遠

光安(旧称は西安、開皇十八年にこの名に改めた。)

比景郡

比景郡 大業元年に林邑を平定し、蕩州を置く。まもなく郡に改めた。四県を統轄し、戸数一千八百一十五。

比景

硃吾

壽泠

西捲

海陰郡

海陰郡 大業元年に林邑を平定し、農州を置く。まもなく郡に改めた。四県を統轄し、戸数一千一百。

新容

真龍

多農

安楽

林邑郡

林邑郡は大業元年に林邑を平定し、沖州を設置し、まもなく郡に改めた。統轄する県は四、戸数は一千二百二十。

象浦

金山

交江

南極

揚州は『禹貢』において淮海の地である。天官においては、斗宿十二度から須女七度までを星紀とし、辰は丑に当たり、呉・越がその分野を得る。江南の風俗は、火耕水耨し、魚と稲を食し、漁猟を業とし、蓄積の資はないが、しかしまた飢え凍えることもない。その俗は鬼神を信じ、淫祀を好み、父子が時に別居する、これはおおよそ然りである。江都・弋陽・淮南・鐘離・蘄春・同安・廬江・曆陽は、人の性質はともに躁勁で、風気は果決、禍害を包蔵し、死を視ること帰するが如く、戦いでは詐りを貴び、これがその旧風である。陳を平定した後より、その俗は大いに変わり、淳質を尚び、儉約を好み、喪紀婚姻は、おおよそ礼に漸く。その俗の弊れる者は、少し古よりましである。丹陽は旧京の所在する所で、人物はもとより盛んであり、小人は多く商販に従い、君子は官禄に資し、市厘の列肆は、二京に並び、人は五方に雑り、故に俗は大いに相類する。京口は東に呉会に通じ、南に江湖に接し、西に都邑に連なり、また一つの都会である。その人はもとよりともに戦いに習熟し、天下の精兵と号される。俗に五月五日を闘力の戯とし、各々強弱を量り相敵し、事は武を講ずるに類する。宣城・毗陵・呉郡・会稽・餘杭・東陽は、その俗も同じである。しかし数郡は川沢沃衍で、海陸の饒があり、珍異の集まる所であるから、商賈ともに湊る。その人の君子は礼を尚び、庸庶は敦厖であるから、風俗は澄み清く、道教は隆洽し、またその風気の尚ぶ所である。豫章の俗は、大いに呉中と同じで、その君子は居室を善くし、小人は耕稼に勤む。衣冠の人は、多く数人の婦を持ち、市廛に顔を曝し、銖を競って分かちその夫に給する。孝廉に挙げられる時は、さらに富める者を求め、前妻には積年の勤めがあり、子女が室に満ちても、なお放逐され、後人を避ける。俗は争訟少なく、歌舞を尚ぶ。一年に蚕は四五熟し、紡績に勤め、また夜に紗を浣ぎて旦に布となる者もあり、俗にこれを鶏鳴布と呼ぶ。新安・永嘉・建安・遂安・鄱陽・九江・臨川・廬陵・南康・宜春は、その俗はまた大いに豫章と同じで、廬陵の人は厖淳で、多く寿考である。しかしこの数郡は、往々にして蠱を飼い、宜春は特に甚だしい。その法は五月五日に百種の虫を集め、大なるは蛇に至り、小なるは虱に至り、合わせて器中に置き、自ら相啖わしめ、余った一種の存する者を留め置き、蛇ならば蛇蠱と曰い、虱ならば虱蠱と曰い、これを行って人を殺す。食によって人の腹内に入り、その五臓を食い、死ぬとその産は蠱主の家に移る。三年他人を殺さなければ、飼う者は自らその弊を鐘する。累世の子孫相伝えて絶えず、また女子に随って嫁ぐこともある。幹寶はこれを鬼と謂うが、実はそうではない。侯景の乱の後より、蠱の家は多く絶え、既に主人がないから、道路の中を飛び遊んでいるとそこで死ぬ。

嶺より南の二十余郡は、おおよそ土地は低湿で、皆多く瘴癘があり、人は特に夭折する。南海・交趾は、各々一つの都会であり、ともに近海に処し、多く犀・象・玳瑁・珠璣があり、奇異珍瑋であるから、商賈の至る者は、多く富を取る。その人の性質はともに軽悍で、逆節を起こし易く、椎結踑踞は、その旧風である。その俚人は質直で信を尚び、諸蛮は勇敢で自立し、皆賄を重んじ死を軽んじ、ただ富を以て雄と為す。巣居崖処し、農事に力を尽くす。木を刻んで符契と為し、言誓すれば死に至るまで改めない。父子は別業し、父が貧しければ、子に身を質入することもある。諸獠は皆そうである。ともに銅を鋳て大鼓と為し、初めて成ると、庭中に懸け、酒を置いて同類を招く。来る者に豪富の子女があれば、金銀を以て大釵と為し、これを執って鼓を叩き、終わって主人に留め遺し、これを銅鼓釵と名付ける。俗は相殺すことを好み、多く仇怨を構え、相攻めようとすればこの鼓を鳴らし、到る者は雲の如し。鼓を持つ者は「都老」と号し、群情は推服する。旧事に本づけば、尉陀が漢に対して、「蛮夷大酋長・老夫臣」と自称したので、俚人はなおその尊ぶ所を「倒老」と呼ぶ。言が訛ったので、また「都老」と称するという。

荊州

南郡

南郡は旧く荊州を置いた。西魏は梁を封じて蕃国と為し、また江陵総管府を置いた。開皇初年に府は廃された。七年に梁を併合し、また江陵総管を置き、二十年に荊州総管に改めた。大業初年に廃された。統轄する県は十、戸数は五万八千八百三十六。

江陵〈南郡を帯びる。開皇初年に郡は廃され、大業初年に再び郡を置く。〉

長楊〈開皇八年に設置し、併せて睦州を立て、十七年に州は廃された。宜陽山がある。〉

宜昌〈開皇九年に松州を置き、また帰化・受陵の二県を省いて併入した。十一年に州は廃され、また宜都県を省いて併入した。丹山・黄牛山がある。〉

枝江

當陽(後周に平州を置き、漳川・安遠の二郡を領し、梁蕃に属す。開皇七年に玉州と改め、九年に州と郡はともに廃止された。梁はまた安居県を置き、開皇十八年に昭丘と改称し、大業初年に荊台と改め、まもなく廃止されて当陽に編入された。清溪山がある。)

松滋(江左、旧に河東郡を置く。陳を平らげて、郡は廃止された。涔水がある。)

長林(旧は長寧県といった。開皇十一年に長林県を廃して編入し、十八年に長林と改称した。)

公安(陳が荊州を置く。開皇九年に孱陵・永安の二県を廃して編入した。黄山がある。霊溪水がある。)

安興(旧に広牧県を置く。開皇十一年に安興県を廃して編入し、仁寿初年に安興と改称した。また定襄県があり、大業初年に廃止されて編入された。)

紫陵(西魏が華陵県を置き、後周に改名してこの名となった。その城南面に、梁が都州を置き、また雲沢県を置いた。大業初年に州と県はともに廃止されてここに編入された。硤石山がある。)

夷陵郡

夷陵郡は梁が宜州を置き、西魏に拓州と改称し、後周に硤州と改称した。三県を統轄し、戸五千百七十九。

夷陵(郡治を帯びる。馬穴がある。)

夷道(旧に宜都郡を置く。開皇七年に廃止された。女観山がある。)

遠安(旧は高安といい、汶陽郡を置いた。また周が県を安遠と改称した。開皇七年に郡は廃止された。)

竟陵郡

竟陵郡は旧に郢州を置く。八県を統轄し、戸五万三千三百八十五。

長寿(後周に石城郡を置く。開皇初年に郡は廃止され、大業初年に竟陵郡を置いた。また梁が北新州及び梁寧など八郡を置き、後周の保定年間に、州及び八郡の総管は廃止されてここに編入された。敖山がある。)

藍水(宋が僑立した馮翊郡ひょうよくぐん、蓮勺県。西魏が郡を漢東と改め、県を藍水と改む。また宋が高陸県を置き、西魏が滶水と改称す。開皇初年に郡廃止、大業初年に滶水を省きてここに併合す。唐水あり。)

棨川(後周が置く。及び滶川郡を置く。また清県を置き、西魏が滶陂と改称す。開皇初年に郡廃止、大業初年に滶陂を省きてここに併合す。)

漢東(斉が置き、上蔡と曰い、及び斉興郡を置く。後周に郡廃止。開皇十八年に県名を改めてこれとす。東溫山あり。)

清騰(梁が置き、梁安と曰い、また崇義郡を立てる。後周に郡廃止。後周にはまた遂安郡あり。開皇初年に廃止、七年に名を改めてこれとす。清騰山あり。)

樂鄉(旧く武寧郡を置く。西魏が鄀州を置く。また梁が旌陽県を置き、後に名を改めて惠懷とし、西魏がまた武山と改称す。開皇七年に郡廃止、大業初年に州廃止、また武山を廃してここに併合す。武陵山あり。)

豐鄉(西魏が置く。また基州及び章山郡を置く。開皇七年に郡廃止、大業初年に州廃止。)

章山(西魏が置き、祿麻と曰い、及び上黄郡を立てる。開皇七年に郡廃止、大業初年に県名を改めてこれとす。)

沔陽郡

沔陽郡は後周が複州を置き、大業初年に沔州と改称す。五県を統べ、戸四万一千七百十四。

沔陽(梁が沔陽・營陽・州城の三郡を置く。西魏が州陵・惠懷の二県を省き、県を置いて建興と曰う。後周が複州を置き、後にまた營陽・州城の二郡を省きて建興に併合す。開皇初年に州移り郡廃止、仁寿三年に再び州を置く。大業初年に建興を沔陽と改称し、州廃止、再び沔陽郡を置く。)

監利

竟陵(旧く霄城と曰い、竟陵郡を置く。後周が県を竟陵と改む。開皇初年に複州を置き、仁寿三年に州は再び建興に移る。また京山県あり、斉が建安郡を置き、西魏が光川と改称し、後周に郡廃止。大業初年に京山県もまた廃してここに併合す。)

甑山(梁が梁安郡を置く。西魏が魏安郡と改称し、江州を置き、まもなく郡を汶川と改む。後周が甑山県を置き、建德二年に州廃止。開皇初年に郡廃止。陽臺山あり。)

漢陽(開皇十七年に置き、漢津と曰い、大業初年に改めてこれとす。沌水あり。)

沅陵郡

沅陵郡は開皇九年に設置し、辰州と称した。五県を統轄し、戸数四千百四十。

沅陵〈旧に沅陵郡を設置す。陳を平らげて、郡を廃し、大業初年に復す。〉

大鄉〈梁が設置す。〉

鹽泉〈梁が設置す。〉

龍檦〈梁が設置す。武山あり。〉

辰溪〈旧は辰陽と曰う。陳を平らげて、名を改め、併せて故夜郎郡を廃し、静人県を設置す。尋いで廃す。又、梁は南陽郡、建昌県を設置し、陳は県を廃す。開皇初年に郡を廃し、壽州を設置す。十八年に充州と改称す。大業初年に州を廃す。郎溪あり。〉

武陵郡

武陵郡は梁が武州を設置し、後に沅州と改称す。陳を平らげて、朗州と為す。二県を統轄し、戸数三千四百十六。

武陵〈旧に武陵郡を設置す。陳を平らげて、郡を廃し、臨沅、沅南、漢壽の三県を併せて武陵県を設置す。大業初年に武陵郡を再び設置す。望夷山、龍山あり。〉

龍陽〈白查湖あり。〉

清江郡

清江郡は後周が亭州を設置し、大業初年に庸州と改称す。五県を統轄し、戸数二千六百五十八。

鹽水〈後周が県を設置し、併せて資田郡を設置す。開皇初年に郡を廃し、大業初年に清江郡を設置す。〉

巴山〈梁が宜都郡、宜昌県を設置し、後周が江州を設置す。開皇初年に清江県を設置し、十八年に江州を津州と改称す。大業初年に州を廃し、清江県を省いてこれに併合す。〉

清江〈後周が施州及び清江郡を設置す。開皇初年に郡を廃し、五年に清江県を設置す。大業初年に州を廃す。陽瞿水に在り。〉

開夷(後周に設置、烏飛と称す。開皇初年に改称す。)

建始(後周に業州及び軍屯郡を設置す。開皇初年に郡廃止、五年に県を設置、大業初年に州廃止す。)

襄陽郡

襄陽郡 江左にて並びに雍州を僑置す。西魏にて襄州と改称し、総管府を設置す。大業初年に府廃止す。十一県を統轄し、戸九万九千五百七十七。

襄陽(襄陽郡を帯ぶ。開皇初年に郡廃止、大業初年に再び設置す。鐘山・峴山・鳳林山あり。)

安養(西魏に河南郡を設置、後周に樊城・山都の二県を廃止して編入す。開皇初年に郡廃止す。)

穀城(旧称は義城、義城郡を設置す。後周に郡廃止、開皇十八年に県名を改む。また梁に築陽県あり、開皇初年に廃止す。また梁に興国・義城の二郡あり、並びに西魏にて廃止す。穀城山・闕林山あり。)

上洪(宋に略陽県を僑立、梁にまた徳広郡を設置す。西魏にて県を上洪と改称す。開皇初年に郡廃止す。また梁に新野郡を設置、西魏にて威寧と改称、後周にて廃止す。亜山あり。)

率道(梁に設置す。)

漢南(宋にて華山と称し、華山郡を設置す。西魏にて県を漢南と改め、宜城郡に属す。後周に武建郡及び恵懐・石樑・帰仁・鄢の四県を廃止して編入し、後に宜城郡を廃止して武泉県に編入す。また梁に秦南郡を設置、後周に武泉県とともに廃止す。石樑山あり。)

陰城(西魏に酂城郡を設置、後周に廃止す。また梁に南陽郡を設置、西魏にて山都郡と改称、後周にて廃止す。)

義清(梁に設置、穰県と称す。西魏にて義清と改め、帰義郡に属す。後周に郡及び左安・開南・帰仁の三県を廃止して編入す。また武泉郡あり、開皇初年に廃止す。柤山・霊山あり。檀渓水・襄水あり。)

南漳(西魏に新安・武昌・武平・安武・建平の五県を併せて設置、初め重陽と称し、また南襄陽郡を立てる。後周に沮州を設置、まもなく廃止し、重陽県を思安と改称す。開皇初年に郡廃止、十八年に県を南漳と改む。荊山あり。)

常平(西魏に設置、義安と称し、長湖郡を設置、後に県を常平と改称す。開皇初年に郡廃止す。また後魏に旱停県を設置、大業初年に廃止す。)

舂陵郡

舂陵郡は後魏が南荊州を置き、西魏が昌州と改称した。六県を統轄し、戸数四万二千八百四十七。

棗陽〈旧称は広昌で、広昌郡を併せて置いた。開皇初年に郡が廃止され、仁寿元年に県名を改めて棗陽とした。大業初年に舂陵郡を置いた。また西魏が東荊州を置き、まもなく廃止した。山がある。溲水がある。〉

舂陵〈旧来安昌郡を置いた。開皇初年に郡が廃止された。また後魏が豊良県を置き、大業初年に廃止した。石鼓山がある。四望水がある。〉

清潭〈大洪山がある。淯水がある。〉

湖陽〈後魏が西淮安郡及び南襄州を置き、後に郡が廃止され、州は南平州と改められた。西魏が升州と改称し、後にまた湖州と改めた。後周が升平郡を置いた。開皇初年に郡が廃止された。仁寿初年に升州と改称し、大業初年に州が廃止された。また後魏が順陽郡を置き、西魏が柘林郡と改めた。後周が郡を廃し、県名を柘林と改めた。大業初年にその県が廃止されてここに編入された。蓼山がある。〉

上馬〈後魏が置き、石馬と称した。後に訛って上馬となり、それによって改称した。鐘離県があり、洞州・洞川郡を置いた。後周に州が廃止され、開皇初年に郡が廃止された。十八年に鐘離を洞川県と改称し、大業初年に廃止されてここに編入された。〉

蔡陽〈梁が蔡陽郡を置き、後魏が南雍州を置いた。西魏が蔡州と改称し、南陽県を分置した。後に双泉と改称した。また千金郡・瀴源県を置いた。開皇初年に郡はともに廃止され、大業初年に州が廃止され、双泉・瀴源の二県はともに廃止されてここに編入された。唐子山・大鼓山がある。瀴水がある。〉

漢東郡

漢東郡は西魏が并州を置き、後に隋州と改称した。八県を統轄し、戸数四万七千百九十三。

隋〈旧来随郡を置いた。西魏はまた㵐西郡及び㵐西県を分置した。梁はまた曲陵郡を置いた。開皇初年に郡はともに廃止された。大業初年に㵐西県を廃止し、まもなく漢東郡を置いた。〉

土山〈梁は龍巢と称し、土州・東西二永寧・真陽の三郡、及び石武県を置いた。後周が三郡を廃して斉郡とし、龍巢を左陽と改称した。また阜陵県があり、漳川県と改めた。開皇初年に郡が廃止された。十八年に左陽を真陽と改め、石武を宜人と改めた。大業初年にまた真陽を土山と改め、州及び宜人・漳川はともに廃止されてここに編入された。〉

唐城〈後魏は㵐西と称し、義陽郡を置いた。西魏は㵐西を下溠と改め、また肆州を立て、まもなく唐州と称した。後周が均・款・溳・帰の四州を廃して編入し、唐州と改称した。また東魏の南豫州があり、ここに至って㵐川郡と改め、また清嘉県を置いた。開皇初年に郡はともに廃止された。十六年に下溠を唐城と改称し、大業初年に州及び諸県はともに廃止されてここに編入された。清臺山がある。㵐水がある。〉

安貴〈梁が置き、定陽と称した。また北郢州を置いた。西魏は定陽を安貴と改め、北郢州を款州と改めた。またまもなく廃して溳水郡とし、別に戟城郡及び戟城県を置いた。後に戟城郡を廃し、戟城県を横山と改称した。開皇初年に溳水郡が廃止され、大業初年にまた横山県を廃止してここに編入した。〉

順義〈梁が北随郡を置いた。西魏は南陽と改め、淮南郡を分置した。厲城・順義の二県をもって冀州を立て、まもなく順州と改めた。また安化県を置いた。開皇初年に郡はともに廃止され、十八年に安化を寧化と改称した。大業初年に州が廃止され、厲城を順義と改めた。旧来の順義及び寧化は、ともに廃止されてここに編入された。浮山がある。〉

平林(梁が上明郡を置き、開皇初年に廃す。漂水あり。)

上明(西魏が置く。洛平縣と曰い、開皇十八年に改名す。鸚鵡山あり。)

光化(舊は安化と曰い、西魏これを新化と改め、後周また改む。)

安陸郡

安陸郡は梁が南司州を置き、尋いで罷む。西魏が安州総管府を置き、開皇十四年に府廃す。縣八を統べ、戸六萬八千四十二。

安陸(舊に安陸郡を置く。開皇初年に郡廃し、大業初年にまた郡を置く。舊の永陽縣あり、西魏これを吉陽と改め、是に至りて廃し入る。)

孝昌(西魏が岳州及び嶽山郡を置く。後周に州郡並びに廃す。また嵒嶽郡あり、開皇初年に廃す。鳳皇岡あり。)

吉陽(梁が置く。平陽と曰い、及び汝南郡を立つ。西魏、郡を董城と改め、縣を京池と改む。後周、嵒州を置き、尋いで州郡並びに廃す。大業初年に縣を吉陽と改む。また梁が義陽郡を置き、西魏これを南司州と改め、尋いで廃す。)

應陽(西魏が置く。應城と曰い、また城陽郡を置く。開皇初年に郡廃し、大業初年に縣名を改む。潼水・溫水あり。)

雲夢(西魏が置く。)

京山(舊は新陽と曰い、梁が新州・梁寧郡を置く。西魏、州を溫州と改め、縣を角陵と改め、また盤陂縣を置く。開皇初年に郡廃し、大業初年に州廃す。角陵を京山と改め、盤陂を廃して之に入る。角陵山・京山あり。)

富水(舊は南新市と曰う。西魏これを富水と改め、また富水郡を置く。開皇初年に郡廃す。)

應山(梁が置く。永陽と曰い、仍って應州を置き、また平靖郡あり。西魏また平靖縣を置く。開皇初年に郡廃し、大業初年に州廃し、また平靖縣を省きて之に入る。大龜山・安居山あり。)

永安郡

永安郡は後齊が衡州を置き、陳これを廃し、後周また置く。開皇五年に黄州と改む。縣四を統べ、戸二萬八千三百九十八。

黄岡(斉は南安と称し、また斉安郡を置く。開皇初年に郡は廃止され、十八年に県を改めて黄岡と曰う。また後斉は巴州を置き、陳はこれを廃す。後周は置き、弋州と曰い、西陽・弋陽・辺城の三郡を統べる。開皇初年に州・郡ともに廃止され、大業初年に永安郡を置く。)

黄陂(後斉は南司州を置く。後周は改めて黄州と曰い、総管府を置き、また安昌郡あり。開皇初年に府は廃止される。また後斉は滻州を置き、陳はこれを廃す。)

木蘭(梁は梁安と曰い、梁安郡を置き、また永安・義陽の二郡あり。後斉は湘州を置き、後に改めて北江州と為す。開皇初年に別に廉城県を置き、まもなく州・二郡は相次いでともに廃止される。十八年に県を改めて木蘭と曰う。)

麻城(梁は信安を置き、また北西陽県あり。陳は北西陽を廃し、定州を置く。後周は州を改めて亭州と曰い、また建寧・陰平・定城の三郡あり。開皇初年に州・郡ともに廃止され、十八年に県名を改む。陰山あり。)

義陽郡

義陽郡は斉が司州を置く。梁は北司州と曰い、後に再び司州と曰う。後魏は改めて郢州と曰い、後周は改めて申州と曰い、大業二年に義州と為す。五県を統べ、戸四万五千九百三十。

義陽(旧は平陽と曰い、宋安郡を置く。開皇初年に郡は廃止され、県名を改む。大業初年に義陽郡を置く。大亀山・金山あり。)

鐘山(旧は𨞚と曰う。後斉は改めて斉安と曰い、なお郡を置く。開皇初年に郡は廃止され、県を改めて鐘山と曰う。鐘山あり。)

羅山(後斉に置き、高安と曰う。開皇初年に廃止され、十六年に置き、羅山と曰う。)

禮山(旧は東随と曰い、開皇九年に改む。関官あり。禮山あり。)

淮源(後斉に置き、慕化と曰い、淮安郡を置く。開皇初年に郡は廃止され、大業初年に県名を改む。油水あり。)

九江郡

九江郡は旧に江州を置く。二県を統べ、戸七千六百十七。

湓城(旧は柴桑と曰い、尋陽郡を置く。梁はまた汝南県を立てる。陳を平らげ、郡は廃止され、また汝南・柴桑の二県を廃し、尋陽県を立て、十八年に改めて彭蠡と曰う。大業初年に郡を置き、県名を改む。巣湖・彭蠡湖あり。廬山・望夫山あり。)

彭澤(梁は太原郡を置き、彭澤・晉陽・和城・天水を領す。陳を平らげ、郡県ともに廃止され、龍城県を置く。開皇十八年に改名す。釣磯あり。)

江夏郡

江夏郡は旧く郢州を置く。梁は北新州を分置し、まもなくまた北新を分けて土・富・洄・泉・豪の五州を立てる。陳を平らげ、鄂州を改置す。統べる県四、戸一万三千七百七十一。

江夏〈旧く江夏郡を置く。陳を平らげ、郡廃止、大業初年に再び置く。烽火山・塗水あり。〉

武昌〈旧く武昌郡を置く。陳を平らげ、郡廃止、また西陵・鄂の二県を廃してこれに合す。樊山・白紵山あり。〉

永興〈陳は陽新と曰う。陳を平らげ、富川と改称す。開皇十一年に永興県を廃して合し、十八年に名を改む。五龍山あり。〉

蒲圻〈梁は上雋郡を置き、また沙陽県あり、沙州を置く。州はまもなく廃止。陳を平らげ、郡廃止。石頭山・魚岳山・鮑山あり。〉

澧陽郡

澧陽郡は陳を平らげ、松州を置き、まもなく澧州と改む。統べる県六、戸八千九百六。

澧陽〈陳を平らげ、県を置き、大業初年に郡を置く。薬山あり。油水あり。〉

石門〈旧く天門郡を置く。陳を平らげ、郡廃止。〉

孱陵〈旧くは作唐と曰い、南平郡を置く。陳を平らげ、郡廃止、県名を改む。〉

安郷〈旧く義陽郡を置く。陳を平らげ、郡廃止。皇山あり。〉

崇義〈後周は衡州を置く。開皇年中に県を置き、名づく。十八年に州を崇州と改称し、大業初年に州廃止。澧水あり。〉

慈利〈開皇年中に置き、零陵と曰う、十八年に名を改む。始零山あり。〉

巴陵郡

巴陵郡は梁の時に巴州を置いた。陳を平定して、岳州と改称し、大業初年に羅州と改称した。五県を統轄し、戸数六千九百三十四。

巴陵〈かつて巴陵郡を置いた。陳を平定して、郡は廃止され、大業初年に再び郡を置いた。〉

華容〈旧称は安南。梁が南安湘郡を置き、まもなく廃止した。開皇十八年に県名を改めて華容とした。〉

沅江〈梁が設置し、薬山と称し、そのまま郡治とした。陳を平定して、郡は廃止され、県名を安楽と改め、開皇十八年に沅江と改称した。〉

湘陰〈梁が岳陽郡及び羅州を置いた。陳が州を廃止した。陳を平定して、郡及び湘陰県を廃して岳陽県に併合し、玉州を置いた。まもなく岳陽を湘陰と改称し、玉山県を廃してこれに併合した。開皇十二年に玉州を廃止した。〉

羅〈開皇九年に呉昌・湘濱の二県を廃してこれに併合した。渭水・汨水がある。〉

長沙郡

長沙郡はかつて湘州を置き、陳を平定して潭州総管府を置き、大業初年に府は廃止された。四県を統轄し、戸数一万四千二百七十五。

長沙〈旧称は臨湘。長沙郡を置いた。陳を平定して、郡は廃止され、県名を長沙と改めた。銅山・錫山がある。〉

衡山〈かつて衡陽郡を置いた。陳を平定して、郡は廃止され、衡山・湘郷・湘西の三県を併合して衡山県とした。〉

益陽〈陳を平定して、新康県を併合して益陽県とした。浮梁山がある。〉

邵陽〈かつて邵陵郡を置いた。陳を平定して、郡は廃止され、扶夷・都梁の二県を併合して邵陽県とした。〉

衡山郡

衡山郡は陳を平定して、衡州を置いた。四県を統轄し、戸数五千六十八。

衡陽〈かつて湘東郡を置いた。陳を平定して、郡は廃止され、臨烝・新城・重安の三県を廃してこれに併合した。衡山・武水・連水がある。〉

洡陰(旧称は洡陽。陳を平定し、改名した。肥水・酃水がある。)

湘潭(陳を平定し、茶陵・攸水・陰山・建寧の四県を廃して併合した。武陽山がある。歴水がある。)

新甯(宜溪水・舂江がある。)

桂陽郡

桂陽郡は陳を平定し、郴州を設置した。三県を統轄し、戸数四千六百六十六。

郴(旧来、桂陽郡を設置。陳を平定し、郡を廃止、大業初年に再び設置した。万歳山がある。溱水がある。)

臨武(華陰山がある。)

盧陽(陳が盧陽郡を設置。陳を平定し、郡を廃止した。淥水がある。)

零陵郡

零陵郡は陳を平定した初め、永州総管府を設置したが、まもなく府を廃止した。五県を統轄し、戸数六千八百四十五。

零陵(旧称は泉陵、零陵郡を設置。陳を平定し、郡を廃止し、また応陽・永昌・祁陽の三県を廃して併合した。大業初年に再び郡を設置した。)

湘源(陳を平定し、洮陽・灌陽・零陵の三県を廃して県を設置した。黄華山がある。観水・湘水・洮水がある。)

永陽(旧称は営陽、梁が永陽郡を設置。陳を平定し、郡を廃止し、営浦・謝沐の二県を併合した。)

営道(陳を平定し、冷道・舂陵の二県を併合した。九疑山・営山がある。)

馮乘(馮水がある。)

熙平郡

熙平郡は、陳を平定した後に連州を設置した。管轄する県は九つ、戸数は一万二百六十五である。

桂陽県〈梁が陽山郡を設置した。陳を平定し、郡は廃止された。大業初年に熙平郡を置いた。貞女山・方山がある。盧水・洭水がある。〉

陽山県〈斟水がある。〉

連山県〈梁が設置し、広徳と称した。隋はこれを改めて広沢とし、仁寿元年にこの名に改めた。黄連山がある。〉

宣楽県〈梁が設置し、梁楽と称し、併せて梁楽郡を置いた。陳を平定し、郡は廃止され、開皇十八年に宣楽と改称した。〉

游安県

熙平県〈かつて斉楽郡を置いた。陳を平定し、郡は廃止された。〉

武化県〈梁が設置した。〉

桂嶺県〈旧称は興安、開皇十八年にこの名に改めた。〉

開建県〈梁が南静郡を設置した。陳を平定し、郡は廃止された。〉

『尚書』に「荊州および衡陽以南は荊州である」とある。天象に当てはめれば、張宿十七度から軫宿十一度までが鶉首の次に当たり、十二支では巳に相当し、楚の分野である。その風俗と物産は、揚州とほぼ同じである。その人々は概して剛健で果敢激烈であり、これも天性によるものであろう。南郡・夷陵・竟陵・沔陽・沅陵・清江・襄陽・舂陵・漢東・安陸・永安・義陽・九江・江夏の諸郡には、多く蛮左が雑居し、夏人と雑居する者は諸華と区別がない。その僻遠の山谷に住む者は、言語が通ぜず、嗜好や住居も全く異なり、巴・渝の習俗にかなり似ている。諸蛮はその出自により、盤瓠の後裔を継ぐので、衣服の模様は多く斑布で飾る。互いに蛮と呼び合うことは、深く忌み嫌う。晋氏が南遷して以降、南郡・襄陽はいずれも要衝となり、四方から人が集まるので、ますます士大夫の子孫が多く、礼義や経籍を少し尊ぶようになった。九江は要害の地であり、江夏・竟陵・安陸にはそれぞれ重要な州が置かれ、藩鎮として重責を担ったので、人物は他の諸郡と異なる。おおよそ荊州では鬼神を敬い、特に祭祀の事を重んじ、昔、屈原が『九歌』を作ったのも、これによるものである。屈原が五月十五日に汨羅に身を投げたとき、土地の人が洞庭湖まで追ったが見えず、湖は広く船は小さいため渡る者がなく、そこで歌った、「どうして湖を渡ることができようか」と。それによって櫂を打って争って帰り、競って亭に集まり、習い伝えられて競渡の戯れとなった。その速い櫂が一斉に走り、櫂歌が乱れ響き、水陸に喧噪が振るい、見物人は雲のようであり、諸郡はみなそうであるが、南郡・襄陽は特に甚だしい。この二郡にはまた牽鉤の戯れがあり、これは武事の講習から出たものと云い、楚が呉を伐つとき、戦いを教えるために用い、変遷しても改めず、習い伝えられた。鉤が動き始めるときには、みな鼓の拍子があり、群衆が騒ぎ歌い、遠近に響き渡り、俗にこれで厭勝し、豊穣をもたらすと云う。この事は他の郡にも伝わっている。梁の簡文帝が雍部に臨んだとき、禁令を出してこれを禁じたため、かなり止んだ。その死喪の作法は、髪を振り乱し胸を叩いて踊ることはないが、号泣することは知っている。死ぬとすぐに屍を中庭に出し、室内に留めない。納棺が終わると、山中に送り、十三年を期限とする。まず吉日を選び、小棺に改めて納め、これを拾骨と称する。拾骨は必ず婿が行わなければならず、蛮は婿を重んじるので、これを任せるのである。拾骨する者は、肉を除き骨を取り、小さいものを棄て大きいものを取る。葬る夜、婿あるいは数十人が、宗長の家に集まり、芒の心に接籬を着け、茅綏と名付ける。それぞれ竹竿を執り、長さ一丈ばかり、先端の三四尺はまだ枝葉が付いている。その隊列の前進後退には、みな節奏があり、歌吟叫呼にもまた規則がある。伝えるところでは、盤瓠が初めて死んだとき、これを樹上に置き、竹や木で刺して下ろしたので、今に至るまで相承し、習俗となったという。その事を隠して、刺北斗と称する。葬った後に祭りを設けると、親疎みな哭き、哭き終わると、家族が既に到着した後は、ただ歓んで飲み帰るだけで、再び祭って哭くことはない。その左人はまた異なり、喪服を着けず、復魄を行わない。死ぬとすぐに、屍を館舎に置き、隣里の少年たちが、それぞれ弓矢を持ち、屍を巡って歌い、矢で弓を叩いて拍子とする。その歌詞は平生の楽しい事を述べ、終末に至るまで、おおよそ今の挽歌のようである。歌を数十曲詠んだ後、衣衾と棺で納め、山林に送り、別に廬舎を造り、棺柩を安置する。また村の傍らに埋め、二三十の喪を待って、総じて石窟に葬ることもある。長沙郡にはまた夷蜒が雑居し、莫徭と名乗り、自らその先祖に功績があり、常に徭役を免れたので、この名としたと云う。その男子はただ白布の褌衫を着け、巾や袴は更にない。その女子は青布の衫・斑布の裙を着け、全く鞋屩を履かない。婚嫁には鉄鈷莽を聘財とする。武陵・巴陵・零陵・桂陽・澧陽・衡山・熙平はいずれも同じである。その喪葬の作法は、諸左とかなり同じである。