隋書

巻三十 志第二十五 地理中

河南郡

河南郡は旧く洛州を置く。大業元年に都を移し、豫州と改称す。東面に三門あり、北は上春と曰い、中は建陽と曰い、南は永通と曰う。南面に二門あり、東は長夏と曰い、正南は建國と曰う。里は一百三、市は三。三年に郡と改め、尹を置く。統県十八、戸二十万二千二百三十。

河南〈郡を帯ぶ。関官あり。郟山あり。瀍水あり。〉

洛陽らくよう〈漢以来の旧都なり。後魏は司州を置き、東魏は洛州と改称す。後周は東京六府・洛州総管を置く。開皇元年に六府を改め、東京尚書省を置く。其の年、東京尚書省を廃す。二年に総管を廃し、河南道行台省を置く。三年に行台を廃し、洛州刺史に総監を領せしむ。十四年に金墉城に別に総監を置く。煬帝即位し、省を廃す。河南県を置く。東魏は鄴に遷り、宜遷県と改む。後周は復た河南と曰う。大業元年に新都に徙る。又、東魏は洛陽郡・河陰県を置く。開皇初年に郡並びに廃され、又伊川県を析置す。大業初年に河陰・伊川の二県を併せて焉に入る。〉

閿鄉〈旧くは湖城と曰う。開皇十六年に改む。王澗・全鳩澗・秦山あり。〉

桃林〈開皇十六年に置く。上陽宮あり。淄水あり。陝は後魏に置き、及び陝州・恆農郡を置く。後周は又崤郡を置く。開皇初年に郡並びに廃す。大業初年に州を廃し、弘農宮を置く。常平倉・溫湯あり。砥柱あり。〉

熊耳〈後周に置く。同軌郡あり。開皇初年に郡を廃す。又後魏の崤縣あり、大業初年に廃して焉に入る。二崤あり。天柱山・大頭山・硤石山・谷水あり。〉

澠池〈後周に河南郡を置く。大象年中に廃す。〉

新安〈後周に中州及び東垣縣を置く。州は尋いで廃す。開皇十六年に穀州を置く。仁壽四年に州を廃し、又新安を廃して東垣に入る。大業初年に名を改めて新安とす。冶官あり。騩山・強山・缺門山・孝水・澗水・金谷水あり。〉

偃師〈旧く廃す。開皇十六年に置く。関官あり。河陽倉あり。都尉府あり。首陽山・酈山・乾脯山あり。〉

鞏〈後齊に廃す。開皇十六年に復す。興洛倉あり。九山あり、天陵山・緱山・東首陽山あり。〉

宜陽〈後魏に宜陽郡を置く。東魏に陽州を置く。後周は熊州と改称す。又後魏の南澠池縣を復置す。後周は昌洛と改む。開皇初年に郡を廃す。十八年に昌洛を改めて洛水と曰う。大業初年に熊州を廃し、洛水を省きて宜陽に入る。又東魏に金門郡を置く。後周に廃す。福昌宮・金門山・女幾山・太陰山・嶕嶢山あり。〉

壽安〈後魏に置き、縣を甘棠と曰う。仁壽四年に改む。顯仁宮有り。慈澗有り。〉

陸渾〈東魏に伊川郡を置き、南陸渾縣を領す。開皇初めに郡を廢し、縣を改めて伏流と曰う。大業初めに改めて陸渾と曰う。又東魏の北荊州有り、後周に改めて和州と曰う。開皇初めに又改めて伊州と曰う。大業初めに州廢す。又東魏の東亭縣有り、尋いで廢す。方山、三塗山、孤山、陽山、王母澗有り。〉

伊闕〈舊は新城と曰う。東魏に新城郡を置く。開皇初めに郡廢す。十八年に縣名を改めて焉とす。伊闕山有り。〉

興泰〈大業初めに置く。鹿歸山、石墨山、鐘山有り。〉

緱氏〈舊は廢す。東魏に置く。開皇十六年に廢す。大業初めに又置く。緱氏山、轘轅山、景山有り。〉

崇陽〈後魏に置き、潁陽と曰う。東魏に分ちて堙陽を置く。後周に潁陽を廢して之に入る。開皇六年に改めて武林と曰う。十八年に改めて輪氏と曰う。大業元年に改めて嵩陽と曰う。又東魏の中川郡有り、後周に廢す。嵩高山、少室山、潁水有り。〉

陽城〈後魏に陽城郡を置く。開皇初めに廢す。十六年に嵩州を置く。仁壽四年に廢す。又後魏に康城縣を置く。仁壽四年に廢して焉に入る。箕山、偃月山、荊山、禹山、崤山有り。〉

滎陽郡、舊は鄭州なり。開皇十六年に管州を置く。大業初めに復た鄭州と曰う。縣十一を統べ、戶十六萬九百六十四。

管城〈舊は中牟と曰う。東魏に廣武郡を置く。開皇初めに郡廢し、中牟を改めて內牟と曰う。十六年に分ちて管城を置く。十八年に內牟を改めて圃田と曰い、之に入る。後魏に曲梁縣を置く。後齊に廢す。鄭水有り。〉

汜水〈舊は成皋と曰う、即ち武牢なり。後魏に東中府を置く。東魏に北豫州を置く。後周に滎州を置く。開皇初めに鄭州と曰う。十八年に成皋を改めて汜水と曰う。大業初めに武牢都尉府を置く。周山、天陵山有り。〉

滎澤〈開皇四年に置き、廣武と曰う。仁壽元年に名を改めて焉とす。〉

原武〈開皇十六年に置く。〉

陽武

圃田〈開皇十六年に置き、郟城と曰う。大業初めに改めて焉とす。〉

浚儀(東魏が梁州・陳留郡を置き、後斉は開封郡を廃して併合し、後周は汴州と改称す。開皇初年に郡を廃し、大業初年に州を廃す。関官あり。通済渠・蔡水あり。)

酸棗(後斉に廃され、開皇六年に復す。関官あり。)

新鄭(後魏に廃され、開皇十六年に復し、大業初年に宛陵県を併せて合併す。関官あり。大騩山あり。)

滎陽(旧に滎陽郡を置く。後斉は巻・京の二県を省いて併合し、成皋郡と改称す。開皇初年に郡を廃す。京索水・梧桐澗あり。)

開封(東魏に郡を置き、後斉に廃す。)

梁郡

梁郡は開皇十六年に宋州を置く。十三県を統べ、戸十五万五千四百七十七。

宋城(旧は睢陽と曰い、梁郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十八年に県名を改む。大業初年にまた郡を置く。また梁は北新安郡を置き、尋いで廃す。)

雍丘(後魏に陽夏郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十六年に杞州を置く。大業初年に州を廃す。)

襄邑(後斉に廃され、開皇十六年に復す。)

甯陵(後斉に廃され、開皇六年に復す。)

虞城(後魏は蕭と曰い、後斉に廃す。開皇十六年に置き、名を改む。また後魏にはい郡を置き、後斉に廃す。)

谷熟(後魏に廃され、開皇十六年に復す。)

陳留(後魏に廃され、開皇六年に復す。十六年に新裡県を分置し、大業初年に廃してこれに合す。また小黄県あり、後斉に廃して合す。睢水・渙水あり。)

下邑(後斉は巳吾県を廃してこれに合す。)

考城(後魏では考陽と称し、北梁郡を置いた。後斉は郡と県をともに廃し、城安県とした。開皇十八年に同名を避けて、考城と改称した。)

楚丘(後魏では巳氏と称し、北譙郡を置いた。後斉は郡と県をともに廃した。開皇四年にまた巳氏を置き、六年に楚丘と改称した。)

碭山(後魏に置かれ、安陽と称した。開皇十八年にこの名に改めた。碭山・魚山がある。)

圉城(旧称は圉。後斉に廃され、開皇六年に再び置き、圉城と称した。谷水がある。)

柘城(旧称は柘。久しく廃されていた。開皇十六年に置き、柘城と称した。)

譙郡

譙郡は後魏に南兗州を置いた。後周に総管府を置き、後に亳州と改称した。開皇元年に府は廃された。六県を統轄し、戸七万四千八百一十七。

譙(旧称は小黄。陳留郡を置いた。開皇初年に郡は廃され、十六年に分置して梅城県を置いた。大業三年、小黄を譙県と改め、梅城をこれに併合した。)

酂(旧来廃されていたが、開皇十六年に復活した。旧来馬頭郡があり、後魏にはまた下邑県を置き、後斉はともに廃した。)

城父(宋に置かれ、浚儀と称した。開皇十八年に改称した。)

谷陽(後斉に省かれたが、開皇六年に復活した。)

山桑(後魏に渦州・渦陽県を置き、また譙郡を置いた。梁は渦州を西徐州と改称した。東魏は譙州と改称した。開皇初年に郡は廃され、十六年に渦陽を肥水と改めた。大業初年に州は廃され、県を山桑と改称した。また梁は北新安郡を置き、東魏は蒙郡を置いた。後斉は郡を廃して蒙県を置き、後にまた郡を置いた。開皇初年に郡は廃された。また梁は陽夏郡を置き、東魏はこれを廃した。)

臨渙(後魏に臨渙郡を置き、また別に丹城県を置いた。東魏は分置して白椫県を置き、後斉に郡は廃された。開皇元年に丹城は省かれ、大業初年に白椫もまた省かれ、これに併合された。嵇山・龍岡がある。)

済陰郡

済陰郡は後魏に西兗州を置き、後周は曹州と改称した。九県を統轄し、戸十四万九百四十八。

済陰郡(後魏が沛郡を置き、後斉が廃した。また開皇六年に分けて黄県を置き、十八年に蒙沢と改め、大業初年に廃してここに併入した。)

外黄県(後斉が成安県を廃して併入した。また開皇十八年に首城県を置き、大業初年に廃してここに併入した。)

済陽県

成武県(後斉が永昌郡を置いた。開皇初年に郡が廃され、十六年に戴州を置いた。大業初年に州が廃された。)

冤句県

乗氏県

定陶県

単父県(後魏では離狐といい、北済陰郡を置いた。後斉で郡と県がともに廃された。開皇六年に再び置き、単父と名付けた。)

金郷県(開皇十六年に分けて昌邑県を置き、大業初年に併入した。)

襄城郡

襄城郡(東魏が北荊州を置き、後周で和州と改称した。開皇初年に伊州と改め、大業初年に汝州と改称した。八県を統轄し、戸数十万五千九百一十七。)

承休県(旧称は汝原で、汝北郡を置き、後に汝陰郡と改称した。後周で郡が廃された。大業初年に県を承休と改め、襄城郡を置いた。黄水がある。)

梁県(かつて汝北郡を置き、後斉で廃された。濫泉がある。)

郟城県(旧称は龍山。東魏が順陽郡および南陽郡・南陽県を置いた。開皇初年に龍山を汝南と改め、三年に二郡がともに廃された。十八年に汝南を輔城と改め、南陽を期城と改めた。大業初年に輔城を郟城と改め、期城を廃してここに併入した。関官があり、大留山がある。)

陽翟県(東魏が陽翟郡を置き、開皇初年に郡が廃された。釣台がある。九山祠がある。)

汝源

汝南(後魏に汝南郡及び符壘県が置かれたが、ともに後斉に廃された。)

魯(後魏に荊州を置き、まもなく廃して魯陽郡を立て、後に魯州を置いた。開皇初年に郡は廃され、大業初年に州は廃された。関官がある。和山、大義山がある。)

犨城(旧称は雉陽。開皇十八年に湛水と改称し、大業初年に改名した。また後周に武山郡が置かれ、開皇初年に廃された。後魏に南陽県、河山県が置かれ、大業初年にともに廃されてここに編入された。応山がある。)

潁川郡

潁川郡は旧来潁州が置かれ、東魏は鄭州と改称し、後周は許州と改称した。十四県を統轄し、戸数十九万五千六百四十。

潁川(旧称は長社。潁川郡が置かれた。後斉は潁陰県を廃して編入した。開皇初年に郡は廃され県名が改められた。また東魏は黄台県を置き、大業初年に廃してここに編入し、郡を置いた。)

襄城(旧来襄城郡が置かれ、後周は汝州を置いた。開皇初年に郡は廃され、大業初年に州は廃された。溵水がある。)

汝墳(後斉は漢広郡を置き、まもなく廃された。首山がある。)

葉(後斉は襄州を置いた。後周は襄州を廃し、南襄城郡を置いた。開皇初年に郡は廃された。また東魏は定南郡を置き、後周は廃して定南県とした。大業初年に廃止され編入された。)

北舞(旧来定陵郡が置かれ、開皇初年に廃された。百尺溝がある。)

郾城(開皇初年に置かれ、十六年に道州を置き、大業初年に州は廃された。また後魏は潁川郡を置き、後斉は臨潁郡と改称し、開皇初年に郡は廃された。また邵陵県があり、大業初年に廃された。溵水がある。)

繁昌

臨潁

尉氏(後斉に廃され、開皇六年に復活した。)

長葛(開皇六年に設置)。

許昌

㶏強(開皇十六年に設置、陶城と称す。大業初年に改称)。

扶溝

鄢陵(東魏が許昌郡を設置、後斉が県を廃止。開皇初年に郡を廃止、七年に鄢陵県を復活。十六年に洧州を設置、大業初年に州を廃止。また開皇十六年に蔡陂県を設置、この時に省いて合併)。

汝南郡

汝南郡は後魏が豫州を設置、東魏が行台を設置。後周が総管府を設置、後に舒州と改称、まもなく豫州に復し、洛州を豫州と改めた際、ここを溱州とし、また蔡州と改称。十一県を統轄、戸数十五万二千七百八十五。

汝陽(旧称は上蔡、汝南郡を設置。開皇初年に郡を廃止。大業初年に郡を設置、県を汝陽と改称、併せて保城県を廃止して合併。鴻郤陂あり)。

城陽(旧来廃止、梁が設置、また義興県あり。後魏が城陽郡を設置、梁が楚州を設置、東魏が西楚州を設置、後斉は永州と称す。開皇九年、純州に廃止合併。十八年に義興を純義と改称。大業初年に州・県ともに廃止して合併。また梁が伍城郡を設置、後斉が廃止。十丈山・大木山あり)。

真陽(旧来郢州を設置。東魏が州を廃止、義陽郡を設置。後斉が郡を廃止して保城県に合併。開皇十一年に県を廃止。十六年に県を設置、真丘と称す。大業初年に真陽と改称。また白狗県あり、梁が淮州を設置。後斉が州を廃止、代わりに斉興郡を設置、郡はまもなく廃止。開皇初年、県を淮川と改称、この時に至り省いて合併。また後魏の安陽県あり、後に廃止。汶水あり)。

新息(後魏が東豫州を設置。梁が西豫州と改称。また淮州と改称。東魏が再び東豫州と称し、後周が息州と改称、大業初年に州を廃止。また後魏が汝南郡を設置、開皇初年に郡を廃止。また梁が滇州を設置、まもなく廃止。また梁が北光城郡を設置、東魏が廃止、また北新息県あり、後斉が廃止)。

褒信(宋が包信と改称。大業初年に旧称に復す。また梁が梁安郡を設置、開皇初年に廃止。また長陵郡あり、後斉が県に廃止。大業初年にまた県を省く)。

上蔡(後魏が設置、臨汝と称す。後斉が廃止。開皇年間に設置、武津と称す。大業初年に改名)。

平輿(旧来廃止、大業初年に新蔡を改めて設置。葛陂あり)。

新蔡(斉が北新蔡郡を設置、魏は新蔡郡と称し、東魏が蔡州を設置。後斉が州を廃止して広寧郡を設置。開皇初年に郡を廃止。十六年に舒州及び舒県・広寧県を設置。仁寿元年に広寧を汝北と改称。大業初年に州を廃止、汝北を新蔡と改称。また後斉が永康県を設置、後に澺水と改名、この時に至り舒県とともに廃止して合併)。

朗山(旧称は安昌、初安郡を置く。廃止、十八年に県名を改めて朗山と為す。また梁は除州を置き、後魏に廃止、また斉は荊州を置き、まもなく廃止。後周はまた威州を置き、後にまた廃止。)

呉房(旧称は遂寧、後斉は綏義県を廃してこれに併入す。大業初年に改めて呉房と曰う。)

西平(後魏は襄城郡を置く、後斉は郡を改めて文城と曰う、開皇初年に郡廃止。また旧武陽県有り、十八年に改めて呉房と曰う、大業初年に廃止。また旧洧州・灊州有り、ともに後斉に置き、開皇初年に皆廃止。)

淮陽郡

淮陽郡開皇十六年に陳州を置く。十県を統べ、戸十二万七千百四。

宛丘(後魏は項と曰い、陳郡を置く。開皇初年に県名を宛丘と改め、まもなく郡を廃止、後に臨蔡県を分置す。大業初年に淮陽郡を置き、臨蔡県を併入す。また後魏は南陽郡を置き、東魏に廃止。)

西華(旧称は長平、開皇十八年に改めて鴻溝と曰う。大業初年に改む。旧長平県有り、後斉に廃止。)

溵水(開皇十六年に置く、また後魏の汝陽郡及び県有り、後斉に郡廃止、大業初年に県廃止。)

撫楽(開皇十六年に置く。渦水有り。)

太康(旧称は陽夏、併せて淮陽郡を置く。開皇初年に郡廃止、七年に更めて太康と名づく。窪水有り。)

鹿邑(旧称は武平、開皇十八年に改名す。)

項城(東魏は揚州及び丹陽郡・秣陵県を置く、梁は改めて殷州と曰う、東魏はまた改めて北揚州と曰う、後斉は改めて信州と曰う、後周は改めて陳州と曰う。開皇初年に秣陵を改めて項県と為す。十六年に分けて沈州を置く、大業初年に州廃止、また項城郡有り、開皇初年に分けて陳郡を立て、三年に併せて廃止。)

南頓(旧に南頓郡を置く。後斉は郡及び平郷県を廃してこれに併入し、改めて和城と曰う。大業初年にまた南頓と改む。)

鄲(開皇六年に置く。鮦陽は後斉に廃止、開皇十一年に復す。また東魏は財州を置き、後斉に廃止し、以て包信県を置く。開皇初年に廃止。)

汝陰郡

汝陰郡は旧来潁州を置く。五県を統べ、戸六万五千九百二十六。

汝陰〈旧来汝陰郡を置く。開皇初年に郡廃止。大業初年に再び置く。〉

潁陽〈梁は陳留と曰い、併せて陳留郡及び陳州を置く。東魏、州を廃す。開皇初年に郡を廃し、十八年に県名を改む。鄭県有り、後斉に廃す。〉

清丘〈梁は許昌と曰い、及び潁川郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十八年に県名を改む。〉

潁上〈梁、下蔡郡を置く。後斉、郡を廃す。大業初年に県名を改む。〉

下蔡〈梁、汴郡を置く。後斉、郡廃止。大業初年に県名を改む。又、梁、淮陽郡を置く。後斉、潁川郡と改む。開皇初年に郡廃止。〉

上洛郡

上洛郡。旧来洛州を置く。後周、商州と改む。五県を統べ、戸一万五百十六。

上洛〈旧来上洛郡を置く。開皇初年に郡廃止。大業初年に再び置く。秦嶺山、熊耳山、洛水、丹水有り。〉

商洛〈関官有り。〉

洛南〈旧は拒陽と曰い、拒陽郡を置く。開皇初年に郡を廃し、県名を改む。玄扈山、陽虚山有り。〉

豊陽〈後周に置く。開皇初年に南陽県を併せて入れる。洵水、甲水有り。〉

上津〈旧来北上洛郡を置く。梁、南洛州と改む。西魏、又た上州と改む。後周、漫川、開化の二県を併せて入れる。大業初年に州を廃す。天柱山、詔及山、女思山有り。〉

弘農郡

弘農郡は大業三年に置く。四県を統べ、戸二万七千四百六十六。

弘農(旧は西恆農郡を置き、後周に廃す。大業初年に弘農郡を置く。また石城郡・玉城縣あり、西魏に併せて廃す。石堤山あり。)

盧氏(後魏に漢安郡を置き、西魏に義川郡を置く。開皇初年に郡廃し、州を改めて虢州と為す。大業初年に州廃す。関官あり。石扇山あり。)

長泉(後魏に南陝と曰い、西魏に改む。松楊山・檀山あり。)

硃陽(旧に硃陽郡を置き、後周に郡廃す。邑陽縣あり、開皇末年に邑川と改め、大業初年に併せて入る。肺山あり、湖水あり。)

淅陽郡

淅陽郡は西魏に淅州を置く。七縣を統べ、戸三万七千二百五十。

南鄉(旧に南鄉郡を置く。後周に龍泉・湖裡・白亭の三縣を併せて入る。また左南鄉縣あり、併せて左鄉郡を置く。西魏に郡を秀山と改め、縣を安山と改む。後周に秀山郡廃す。開皇初年に南鄉郡廃す。大業初年に淅陽郡を置き、併せて安山縣をこれに入る。石墨山あり。)

内鄉(旧は西淅陽郡と曰い、西魏に内鄉と改む。後周に廃し、併せて淅川・石人の二縣をこれに入る。淅水あり。)

丹水(旧に丹川郡を置く。後周に郡廃し、併せて茅城・倉陵・許昌の三縣を入る。胡保山あり。)

武當(旧に武當郡を置く。また始平郡を僑置し、後に齊興郡と改む。梁に興州を置き、後周に豊州と改む。開皇初年に二郡併せて廃し、均州と改む。大業初年に州廃す。石階山・武當山あり。)

均陽(梁に置く。)

安福(梁に置き、広福と曰い、併せて郡と為す。開皇初年に郡廃し、仁壽初年に改む。)

鄖鄉(防山あり。)

南陽郡

南陽郡は旧に荊州を置く。開皇初年に改めて鄧州と為す。八縣を統べ、戸七万七千五百二十。

穰(郡治。白水あり。)

新野(旧称は棘陽、新野郡を置く。また漢廣郡あり、西魏これを黄岡郡と改む。また南棘陽縣あり、百寧縣と改む。後周に二郡ともに廃し、南棘縣を併せて入る。開皇初めに更めて新野と名づく。)

南陽(旧称は上陌、南陽郡を置く。後周に宛縣を併せて入れ、更めて上宛と名づく。開皇初めに郡廃し、また南陽と改む。)

課陽(旧称は涅陽、開皇初めに改む。課水・涅水あり。)

順陽(旧に順陽郡を置く。西魏に鄭縣を分ち置き、尋いで清郷と改む。後周にまた順陽を清郷に併せて入る。開皇初めにまた順陽と改む。)

冠軍

菊潭(旧称は酈、開皇初めに改む。東弘農郡あり、西魏これを武關と改む、是に至りて廃し入る。梅溪・湍水あり。)

新城(西魏これを臨湍と改む、開皇初めに復た名を新城とす。朝水あり。)

淯陽郡

淯陽郡は西魏に蒙州を置く。仁壽年中、淯州と曰う。三縣を統べ、戸一万七千九百。

武川(郡治。雉衡山あり。淯水・紵水・灃水あり。)

向城(西魏に置く。また雉陽郡を立てる。開皇初めに郡廃す。)

方城(西魏に置く。及び襄邑郡を置く。開皇初めに廃す。東魏にまた建城郡及び建城縣を置く。後齊に郡縣ともに廃す。また業縣あり、開皇末に灃水と改め、大業に併せて入る。西唐山あり。)

淮安郡

淮安郡は後魏に東荊州を置き、西魏これを淮州と改む。開皇五年にまた顯州と改む。七縣を統べ、戸四万六千八百四十。

比陽(郡を帯びる。後魏では陽平と称し、開皇七年に饒良と改め、大業初年にまた改称した。また後魏の城陽県があり、殷州・城陽郡を置いた。開皇初年に郡はともに廃止され、その県はまもなく省かれた。また昭越県があり、大業初年に同光と改め、まもなく廃止された。また東南陽郡があり、西魏で南郭郡と改め、後周で廃止された。また比陽故県があり、西郢州を置いた。西魏で鴻州と改め、後周で真昌郡に降格した。開皇初年に郡は廃止され、大業初年に県は廃止された。)

平氏(旧くは漢広郡を置き、開皇初年に郡は廃止された。淮水がある。)

真昌(旧くは北平と称し、開皇九年に改称した。)

顯岡(旧くは舞陰郡を置き、開皇初年に郡は廃止された。)

臨舞(東魏に置かれ、期城郡も併置された。開皇初年に郡は廃止された。また東舞陽県があり、開皇十八年に昆水と改め、大業初年に廃止された。)

慈丘(後魏では江夏と称し、江夏郡を併置した。開皇初年に郡は廃止され、その北境に慈丘を改めて置いた。後魏には鄭州・潘州・溱州及び襄城・周康の二郡、上蔡・青山・震山の三県があり、いずれも開皇初年に廃止された。比水がある。)

桐柏(梁に置かれ、淮安と称し、華州を立て、また上川郡を立てた。西魏で州を淮州と改め、後に純州と改め、まもなく廃止された。開皇初年に郡は廃止され、県名を桐柏と改めた。また梁は西義陽郡を置き、西魏は淮陽郡及び輔州を置き、後周で州郡はともに廃止され、また淮南県を置いた。開皇末年に油水と改め、大業初年に廃止された。また大義郡があり、後周に置かれ、開皇初年に廃止された。桐柏山がある。)

豫州は『禹貢』においては荊州の地である。天官においては、氐宿五度から尾宿九度までを大火とし、辰は卯に当たり、宋の分野で豫州に属する。柳宿九度から張宿十六度までを鶉火とし、辰は午に当たり、周の分野で三河に属し、すなわち河南である。星次に準ずれば、これも豫州の領域である。豫とは舒の意味であり、平和の気を稟け、性質が安舒であることを言う。洛陽は土中を得て、賦貢が均等であるから、周公が洛邑を作ったのはここにある。その風俗は商賈を尚び、機巧が習俗となる。故に『漢志』に「周人の失は、巧偽にして利に趨き、義を賤しみ財を貴ぶ」と云うが、これも古より然りである。滎陽は古の鄭の地であり、梁郡は梁孝王の旧都で、邪僻で傲蕩なのは、旧くその俗が伝えられる。今では稼穡を好尚し、礼文を重んじ、その風は皆古より変じている。譙郡・済陰・襄城・潁川・汝南・淮陽・汝陰は、その風は頗る同じである。南陽は古の帝郷で、搢紳の出づる所であるが、三方鼎立して以来、地は辺疆に処り、戎馬の萃まる所となり、その旧俗を失った。上洛・弘農は、本来三輔と俗を同じくする。漢の高祖こうそしょくはしょくの人を発し、三秦を定め、巴の渠率七姓を遷して商洛の地に居らせたことにより、風俗はその地を改めない。その人で巴より来たる者は、風俗は猶巴郡と同じである。淅陽・淯陽も、またその俗に頗る同じと云う。

兗州

東郡

東郡は開皇九年に杞州を置き、十六年に滑州と改め、大業二年に兗州となった。九県を統轄し、戸十二万一千九百五。

白馬(旧く東郡を置き、後斉は涼城県を併合した。大業初年に再び郡を置いた。)

霊昌(開皇十六年に置かれた。)

衛南(開皇十六年に置かれ、大業初年に西濮陽を廃して併合した。また後魏の平昌・長楽の二県があり、後斉でともに廃止された。)

濮陽(開皇十六年に分置して昆吾県を置き、大業初年にこれを併合した。)

封丘(後斉にて廃止、開皇十六年に復置)。

匡城(後斉にて長垣と称す、開皇十六年に改称)。

胙城(旧称は東燕、開皇十八年に改称)。

韋城(開皇六年に設置、十六年に長垣県を分置、大業初年にこれを廃して併合)。

離狐

東平郡

東平郡は後周に魯州を置き、まもなく廃止。開皇十年に鄆州を置く。六県を統轄し、八万六千九十戸。

鄆城(後周に設置、清澤と称し、また高平郡を置く。開皇初年に郡を廃し、県を万安と改称。十八年に鄆城と改称。大業初年に郡を置き、廩丘を併合)。

鄄城(旧来濮陽郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十六年に濮州を置く。大業初年に州を廃す。関官あり)。

須昌(開皇十六年に設置。梁山あり)。

宿城(後斉にて須昌と称す、開皇十六年に改称。旧来東平郡を置く、後斉にて併せて廃止)。

雷澤(旧称は城陽、後斉にて廃止。開皇十六年に設置、雷澤と称し、また臨濮県を分置。大業初年にこれを併合。歴山・雷澤あり)。

钜野(旧来廃止、開皇十六年に復置、また乗丘県を置く、大業初年に廃してこれを併合)。

済北郡

済北郡は旧来済州を置く。九県を統轄し、十万五千六百六十戸。

盧縣(旧郡を置く。開皇初年に廃す。六年に分けて済北県を置く。大業初年にこれを省きて併入す。尋いで郡を置く。関官あり。成回倉あり。魚山・遊仙山あり。)

范縣(後斉に廃す。開皇十六年に置く。)

陽穀縣(開皇十六年に置く。)

東阿縣(浮山・𡽳山・狼水あり。)

平陰縣(開皇十四年に置く。榆山と曰う。大業初年にこれを改む。)

長清縣(開皇十四年に置く。また東太原郡あり。後斉に廃す。)

濟北縣(開皇十四年に置く。時平と曰う。大業初年にこれを改む。)

壽張縣

肥城縣(宋、済北郡を置く。後斉に廃す。後周、肥城郡を置く。尋いで廃す。また復す。開皇初年にまた廃す。)

武陽郡

武陽郡(後周、魏州を置く。十四県を統べ、戸二十一萬三千三十五。)

貴郷縣(東魏に置く。また平邑縣あり。後斉に廃す。開皇十六年にまた置く。大業初年に武陽郡を置き、並びに平邑縣を省きてこれに併入す。愜山あり。)

元城縣(後斉に廃す。開皇六年に復す。また馬陵縣を置く。大業初年に廃しこれを併入す。沙麓山あり。)

繁水縣(旧は昌樂と曰い、昌樂郡を置く。東魏、郡を廃す。後周また置く。旧に魏城縣あり。後斉に廃す。開皇初年に郡を廃し、六年に縣を置き、繁水と曰う。大業初年に昌樂縣を廃しこれを併入す。)

魏縣(後斉に廃す。開皇六年に復す。十六年に漳陰縣を析置す。大業初年に省きてこれを併入す。)

莘(旧称は陽平、後斉が楽平と改称す。開皇六年に再び陽平と為し、八年に清邑と改め、十六年に莘州を置く。大業初年に州を廃し、県名を莘と改め、また莘亭県を廃して之に合す。後周に武陽郡を此に置く、開皇初年に廃す。)

頓丘(後斉に省く、開皇六年に置く。また旧陰安県有り、後斉に廃す。)

観城(旧称は衛国、開皇六年に改む。)

臨黄(後魏に置く、後斉に省く、開皇六年に復し、十六年に分ちて河上県を置く、大業初年に省きて之に合す。)

武陽(後斉に省く、後周に置く。)

武水(開皇十六年に置く。)

館陶(旧に毛州を置く、大業初年に州を廃す。また旧陽平郡有り、開皇初年に廃す。)

堂邑(開皇六年に置く。)

冠氏(開皇六年に置く。)

聊城(旧に南冀州及び平原郡を置く、未だ幾ばくもあらずして、州廃す。開皇初年に郡廃す。十六年に博州を置く、大業初年に州廃す。)

渤海郡

渤海郡は開皇六年に棣州を置き、大業二年に滄州と為す。県十を統べ、戸十二万二千九百九。

陽信(郡を帯ぶ。)

楽陵(旧に楽陵郡を置く、開皇初年に郡廃す。十六年に分ちて鬲津県を置く、大業初年に廃して之に合す。)

滳河(開皇十六年に置く。また後魏の濕沃県有り、後斉に廃す。関官有り。)

厭次(後斉にて廃止、開皇十六年に復置。)

蒲台(開皇十六年に設置。)

饒安(旧来は滄州・浮陽郡を設置、開皇初年に郡を廃止、大業初年に州を廃止。)

無棣(開皇六年に設置。)

鹽山(旧称は高成。開皇十六年にまた浮水県を設置。十八年に高成を鹽山と改称。大業初年に浮水を廃してこれに併合。鹽山・峽山あり。)

南皮

清池(旧称は浮陽、開皇十八年に改称。)

平原郡

平原郡は開皇九年に德州を設置。九県を統轄し、戸数十三万五千八百二十二。

安樂(旧来は平原郡を設置、開皇初年に郡を廃止、大業初年に復置、また開皇十六年に繹幕県を設置、この時に廃止してこれに併合。また後魏の鬲県あり、後斉にて廃止、関官あり。)

平原(後斉にて鄃県を併合してこれに属す。関官あり。また後魏に東青州を設置、設置後間もなくして廃止。)

將陵(開皇十六年に設置。)

平昌(後魏に東安郡を設置、後斉にて廃止、また重平県を併合してこれに属す。)

般(後斉にて廃止、開皇十六年に復置。)

長河(旧称は廣川。後斉にて廃止、開皇六年に復置、仁壽初年に改名。)

弓高(旧来は廃止されていたが、開皇十六年に設置された。)

東光(旧来は渤海郡を設置していたが、開皇初年に郡は廃止された。九年に観州を設置し、大業初年に州は廃止され、また安陵県を併合してここに属させた。天胎山がある。)

胡蘇(旧来は廃止されていたが、開皇十六年に設置された。)

兗州は『禹貢』においては済水・黄河の地である。天官においては、軫宿十二度から氐宿四度までを寿星とし、辰は辰に当たり、鄭の国の分野である。兗州はおそらく沇水を取って名としたもので、また兗ともいう。兗という言葉は端を意味し、陽の精気が端々であることを言い、その気は繊細で殺伐であるという。東郡・東平・済北・武陽・平原などの郡は、その地を得ている。また鄒・魯・齊・衛の交わりをも兼ねている。旧来、太公たいこうや唐叔の教えが伝わり、また周や孔子の遺風もある。今この数郡の人々は、なお多く儒学を好み、性質は質直で義を懐き、古の風烈がある。

冀州

信都郡

信都郡は旧来冀州を設置していた。十二県を統轄し、戸数十六万八千七百十八。

長楽(旧来は信都といい、長楽郡を帯びていた。後斉は扶柳県を廃止してここに併合した。開皇初年に郡は廃止され、信都県を分割して長楽県を設置した。十六年にはまた長楽県を分割して沢城県を設置した。大業初年に信都県及び沢城県を廃止してここに併合し、信都郡を設置した。)

堂陽(旧来の県。後斉に廃止され、開皇十六年に復活した。)

衡水(開皇十六年に設置された。)

棗強(旧来の県。後斉は索蘆・広川の二県を廃止してここに併合した。)

武邑(旧来の県。後斉に廃止された。開皇六年に設置し、後斉の観津県の地をも得た。十六年に武強県を分割して昌亭県を設置し、大業初年に廃止してここに併合した。)

武強(旧来武邑郡を設置していた。後斉に郡は廃止され、また武遂県を廃止してここに併合した。)

南宮(旧来の県。後斉に廃止され、開皇六年に復活した。)

斌強

鹿城(旧称は鄡、後斉が安国と改称。開皇六年に安定と改め、十八年に改称。開皇十六年にまた晏城を設置、大業初年に廃止し編入。)

下博

蓚(旧称は脩、開皇五年に改称。十六年に観津県を分置、大業初年に廃止。)

阜城

清河郡

清河郡は後周が貝州を設置。統轄する県十四、戸三十万一千五百四十四。

清河(旧称は武城、清河郡を設置。開皇初年に郡を廃止、名を改め、なお別に武城県を設置。十六年に夏津県を設置、大業初年に廃止し編入、清河郡を設置。)

清陽(旧称は清河県、後斉が貝丘を省きこれに編入、貝丘と改称、開皇六年に清陽と改称。また後魏の候城県あり、後斉が省き武城に編入、これにもまた編入。)

武城(旧称は上城。開皇初年に武城を清河県と改称、ここに武城を設置。)

歴亭(開皇十六年に武城を分けてこれを設置。)

漳南は開皇六年に設置、東陽と称し、十八年に漳南と改称。後魏の故索盧城あり、後斉が棗強に編入、この時に至り編入。

鄃(旧来廃止、開皇十六年に設置。)

臨清(後斉が廃止、開皇六年に復活。また十六年に沙丘県を設置、大業初年に廃止しこれに編入。)

清泉(後斉が千童県を廃止し編入。開皇十六年に貝丘県を設置、大業二年に廃止し編入。)

清平(開皇六年に設置、貝丘と称し、十六年に清平と改称。)

高唐(後魏が南清河郡を置き、後斉において郡は廃された。)

経城(後斉において廃され、開皇六年に置かれ、十六年に分置して府城県とした。大業初年にこれを省いて合併した。)

宗城(旧称は広宗、仁寿元年に改称。)

博平(開皇六年に霊県を置き、大業初年にこれを省いて合併した。)

茌平(後斉において廃され、開皇初年に復活した。)

魏郡

魏郡は後魏が相州を置き、東魏は司州牧と改称した。後周はまた相州と改め、六府を置いた。宣政初年に府は洛に移り、これに総管府を置いたが、間もなく府は廃された。十一県を統轄し、戸十二万二百二十七。

安陽(周の大象初年に、相州及び魏郡を置き、これにより鄴と改名した。開皇初年に郡は廃され、十年に復活し、安陽と名付け、分置して相県とした。鄴は旧に復した。大業初年に相を廃してこれに合併し、魏郡を置く。韓陵山あり。)

鄴(東魏の都。後周が斉を平定し、相州を置いた。)

大象(初め県は州に随い安陽に移り、ここは霊芝県と改めた。開皇十年にまた改めた。)

臨漳(東魏が置いた。)

成安(後斉が置いた。)

霊泉(後周が置いた。龍山あり。)

堯城(開皇十年に置き、長楽と名付け、十八年に改めた。)

洹水(後周が置いた。)

滏陽(後周に置く。開皇十年に慈州を置き、大業初年に州を廃す。)

臨水(慈石山・鼓山・滏山あり。)

林慮(後魏に林慮郡を置く。後斉に郡を廃し、後にまた置く。開皇初年に郡を廃し、また分けて淇陽県を置く。十六年に岩州を置く。大業初年に州を廃し、また淇陽を廃してこれに併入す。林慮谼・仙人台・洹水あり。)

臨淇(東魏に置き、まもなく廃す。開皇十六年に復す。淇水あり。)

汲郡

汲郡は東魏に義州を置き、後周に衛州と為す。八県を統べ、戸十一万一千七百二十一。

衛(旧は朝歌と曰い、汲郡を置く。後周にまた分けて修武郡を置く。開皇初年に郡ともに廃し、十六年にまた清淇県を置く。大業初年に汲郡を置き、朝歌県を改めて衛と曰い、清淇を廃してこれに併入す。朝陽山・同山あり。紂の朝歌城・比干の墓あり。)

汲(東魏に僑置して七郡十八県を置く。後斉に省き、以て伍城郡を置く。後周に廃して伍城県と為し、開皇六年に改む。)

隋興(開皇六年に置く。後に分けて陽源県を置き、大業初年に併せてこれに併入す。倉岩山あり。)

黎陽(後魏に黎陽郡を置き、後に黎州を置く。開皇初年に州・郡ともに廃す。十六年にまた黎州を置き、大業初年に罷む。倉あり。関官あり。大伾山・枉人山あり。)

内黄(旧廃す。開皇六年に置く。十六年に分けて繁陽県を置き、大業初年に廃してこれに併入す。)

湯陰(旧廃す。開皇六年にまた置く。博望岡あり。)

臨河(開皇六年に置く。)

澶水(開皇十六年に置く。)

河内郡

河内郡は旧来に置かれた懐州である。統轄する県は十、戸数は十三万三千六百六。

河内〈旧称は野王、河内郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十六年に県を改称す。軹県あり、大業初年に廃して併入し、まもなく郡を置く。太行山あり、丹水あり、絺城あり。〉

温〈旧来廃止、開皇十六年に置く。古温城あり。〉

済源〈開皇十六年に置く。旧来に沁水県あり、後斉に廃して併入す。孔山・母山あり。済水・濝水あり、古原城あり。河陽は旧来廃止、開皇十六年に置く。盟津あり。古河陽城の治所あり。〉

安昌〈旧称は州県、武徳郡を置く。開皇初年に郡を廃し、十八年に県を邢丘と改む。大業初年に安昌と改名し、また懐県を廃してこれに併入す。旧来に平高県あり、後斉に廃す。〉

王屋〈旧称は長平、後周に改称し、後にまた懐州を置く。斉を平定するに及び、州を廃して王屋郡を置く。開皇初年に郡を廃す。王屋山・斉子嶺あり。軹関あり。〉

獲嘉〈後周に修武郡を置く。開皇初年に郡を廃す。十六年に殷州を置き、大業初年に州を廃す。〉

新郷〈開皇初年に置く。関官あり。旧来に獲嘉県あり、後斉に廃す。〉

修武〈後魏に修武を置く。後斉にこれを併入す。開皇十六年に分置して武陟とし、大業初年にこれを併入す。また東魏の広寧郡あり、後周に廃す。〉

共城〈旧称は共、後斉に廃す。開皇六年に再び設置し、共城と曰う。共山・白鹿山あり。〉

長平郡

長平郡は旧称を建州と曰う。開皇初年に改めて沢州とす。統轄する県は六、戸数は五万四千九百十三。

丹川〈旧称は高都。後斉に長平・高都の二郡を置き、後周に併せて高平郡とす。開皇初年に郡を廃し、十八年に丹川と改む。大業初年に長平郡を置く。太行山あり。〉

沁水〈旧来に広寧郡を置く。後斉に郡を廃し、県を永寧と改む。開皇十八年に改称す。輔山あり。〉

端氏〈後魏に安平郡を置く。開皇初年に郡を廃す。巨峻山・秦川水あり。〉

濩澤(嶕嶢山、濩澤山あり。)

高平(旧は平高と曰う。斉の末に改む。また玄氏県を併せて入れる。関官あり。)

陵川(開皇十六年に置く。)

上黨郡

上黨郡は後周に潞州を置く。十県を統べ、戸十二万五千五十七。

上黨(旧に上黨郡を置く。開皇初年に郡廃す。壺関県あり。大業初年に再び郡を置き、壺関を廃してこれに入れる。羊頭山、抱犢山あり。)

長子(後齊に廃す。開皇九年に置き、寄氏県と曰う。十八年に長子と改む。旧に屯留、樂陽の二県あり、後齊に廃す。濁漳水、堯水あり。)

潞城(開皇十六年に置く。黄阜山あり。)

屯留(後齊に廃す。開皇十六年に復す。)

襄垣(旧に襄垣郡を置く。後齊に郡廃す。後周に韓州を置く。大業初年に州廃す。鹿臺山あり。)

黎城(後魏、潞県の誅せられ遺れる人を以て置く。十八年に名を黎城と改む。積布山、松門嶺あり。)

涉(後魏に廃す。開皇十八年に復す。崇山あり。)

鄉(石勒、武鄉郡を置く。後魏、武の字を去る。開皇初年に郡廃す。十六年に分ちて榆社県を置く。大業初年に廃す。また後魏の南垣州あり、尋いで豊州と改む。後周に廃す。)

銅鞮(旧涅県あり。後魏、陽城と改む。開皇十八年に甲水と改む。大業初年に省きて入れる。銅鞮水あり。)

沁源(後魏に県及び義寧郡を置く。開皇初年に廃す。十六年に沁州を置く。また義寧県は十八年に和川と改む。大業初年に州廃し、また和川県を廃して入れる。)

河東郡

河東郡は、後魏において秦州と称し、後周において蒲州と改称された。十県を統轄し、戸数十五万七千七十八を有す。

河東県〈旧称は蒲阪県で、河東郡が設置されていた。開皇初年に郡が廃止され、十六年に河東県が分置された。大業初年に河東郡が設置され、蒲阪県を併合した。酒官がある。首山がある。媯水、汭水がある。〉

桑泉県〈開皇十六年に設置された。三疑山がある。〉

汾陰県〈旧来、汾陰郡が設置されていたが、開皇初年に郡が廃止された。龍門山がある。〉

龍門県〈後魏に設置され、同時に龍門郡も設置された。開皇初年に郡が廃止された。〉

芮城県〈旧来設置され、安戎と称した。後周において現名に改められ、また永楽郡が設置されたが、後に廃止されて当県に併合された。関官がある。〉

安邑県〈開皇十六年に虞州が設置されたが、大業初年に州が廃止された。塩池、銀の採掘所がある。〉

夏県〈旧来、安邑郡が設置されていたが、開皇初年に郡が廃止された。巫鹹山、稷山、虞阪がある。〉

河北県〈旧来、河北郡が設置されていたが、開皇初年に郡が廃止された。関官がある。砥柱山がある。傅岩がある。〉

猗氏県〈西魏において桑泉と改称されたが、後周において元の名に復した。〉

虞郷県〈後魏では安定と称し、西魏において南解と改称し、さらに綏化と改め、また虞郷と改称した。石錐山、百梯山、百徑山がある。〉

絳郡

絳郡は、後魏において東雍州が設置され、後周において絳州と改称された。八県を統轄し、戸数七万一千八百七十六を有す。

正平県〈旧称は臨汾で、正平郡が設置されていた。開皇初年に郡が廃止され、十八年に県名が現名に改められた。大業初年に絳郡が設置された。また後魏の南絳郡があり、後周に郡が廃止され、さらに南絳県が小郷県に併合された。開皇十八年に汾東と改称されたが、大業初年に廃止されて当県に併合された。〉

翼城(後魏に置く。北絳縣と曰い、併せて北絳郡を置く。後齊は新安縣を廃し、併せて南絳郡をこれに合す。開皇初年に郡廃す。十八年に翼城と改む。烏嶺山、東涇山あり。澮水あり。)

絳(旧に絳郡を置く。開皇初年に郡廃す。後周は晉州を置く。建德五年に廃す。)

曲沃(後周に置く。建德六年に廃す。絳山、橋山あり。)

稷山(後魏は高涼と曰う。開皇十八年に改む。後魏の龍門郡あり。開皇初年に廃す。また後周の勳州あり。総管を置く。後に絳州と改曰す。開皇初年に移す。)

聞喜(景山あり。董澤陂あり。)

垣(後魏は邵郡及び白水縣を置く。後周は邵州を置き、白水を改めて亳城とす。開皇初年に郡廃す。大業初年に州廃し、縣を改めて垣縣とし、また後魏の置く所の清廉縣及び後周の置く所の蒲原縣を省きてこれに合す。黒山あり。)

太平(後魏に置く。後齊は臨汾縣を省きてこれに合す。関官あり。)

文城郡

文城郡は東魏に南汾州を置く。後周は汾州と改む。後齊は西汾州とす。後周、齊を平らげ、総管府を置く。開皇四年に府廃す。十六年に耿州と改め、後に復た汾州とす。縣四を統べ、戸二萬二千三百。

吉昌(後魏は定陽縣と曰い、併せて定陽郡を置く。開皇初年に郡廃す。十八年に縣名を改めてかくの如し。大業初年に文城郡を置く。風山あり。)

文城(後魏に置く。石門山あり。)

伍城(後魏に置く。刑軍縣と曰う。後に伍城と改む。後にまた伍城郡を置く。開皇初年に郡廃す。また後魏の平昌縣を廃してこれに合す。大業初年にまた大寧縣を廃してこれに合す。)

昌甯(後魏に置く。併せて内陽郡あり。開皇初年に郡廃す。壺口山、崿山あり。)

臨汾郡

臨汾郡は後魏に唐州を置き、晉州と改曰す。後周は総管府を置く。開皇初年に府廃す。縣七を統べ、戸七萬一千八百七十四。

臨汾(後魏は平陽と称し、平陽郡を併せて置く。開皇初年に郡を平河と改め、県を臨汾と改め、まもなく郡は廃止される。また東魏の西河・敷城・伍城・北伍城・定陽の五郡があり、後周は西河・定陽の二郡に廃止する。開皇初年に郡はともに廃止される。また後魏の永安県があり、開皇初年に西河と改め、大業初年に省く。また旧襄城県があり、後斉はこれを省く。姑射山がある。)

襄陵(後魏の太武帝が赫連昌を禽獲し、ここに分けて禽昌県を置く。斉は襄陵を禽昌県に併合する。大業初年にまた襄陵と改める。)

冀氏(後魏は冀氏郡を置き、冀氏・合陽の二県を領す。後斉は郡を廃し、また合陽を廃してここに併入する。)

霍邑(後魏は永安と称し、永安郡を併せて置く。開皇初年に郡は廃止される。十六年に汾州を置き、十八年に呂州と改め、県を霍邑と称す。大業初年に州は廃止される。霍山がある。彘水がある。)

汾西(後魏は臨汾と称し、汾西郡を併せて置く。開皇初年に郡は廃止され、十八年に県を汾西と改める。また後周の新城県があり、開皇十年に省いて併入する。)

岳陽(後魏に置き、安澤と称す。大業初年にこれに改める。)

龍泉郡

龍泉郡は後周に汾州を置く。開皇四年に西汾州総管を置き、五年に隰州総管と改める。大業初年に府は廃止される。五県を統べ、戸二万五千八百三十。

隰川(後周に県を置き、初めは長寿と称し、また龍泉郡を置く。開皇初年に郡は廃止され、県は隰川と改称す。大業初年に郡を置く。)

永和(後周に置き、臨河県および臨河郡と称す。開皇初年に郡は廃止され、十八年に県名をこれに改める。関官がある。)

樓山(後周に置き、帰化と称す。開皇十八年に名をこれに改める。北石樓山があり、孔山がある。)

石樓(旧に吐京郡および吐京県を置く。開皇初年に郡は廃止され、十八年に県名を改める。)

蒲(後周に置く。伍城郡および石城郡および石城県があり、周の末年にともに廃止される。また後魏の平昌県があり、開皇年中に蒲川と改称し、大業初年に廃してここに併入する。)

西河郡

西河郡は後魏の時に汾州を置き、後齊の時に南朔州を置き、後周が介州と改称した。六県を統轄し、戸数六万七千三百五十一。

隰城〈旧来西河郡を置く。開皇初年に郡を廃止し、大業初年に復活した。隠泉山がある。〉

介休〈後魏が定陽郡・平昌県を置く。後周が郡を介休と改称し、介休県をこれに編入した。開皇初年に郡を廃止し、十八年に県を介休と改称した。〉

永安〈雀鼠穀がある。〉

平遙〈開皇十六年に清世県を分置し、大業初年にこれを廃止して編入した。また後魏が蔚州を置き、後周がこれを廃止した。鹿臺山がある。〉

霊石〈開皇十年に置かれた。介山があり、靖岩山がある。〉

綿上〈開皇十六年に置かれた。沁水がある。〉

離石郡

離石郡は後齊が西汾州を置き、後周が石州と改めた。五県を統轄し、戸数二万四千八十一。

離石〈後齊では昌化県といい、懐政郡を置いた。後周が離石郡及び県と改称し、また寧郷県を置いた。開皇初年に郡を廃止した。大業初年に郡を置き、寧郷を併せて編入した。〉

修化〈後周に置かれ、窟胡といい、併せて窟胡郡を置いた。開皇初年に郡を廃止し、後に県を修化と改めた。また後周が盧山県を置き、大業初年にこれを併せて編入した。伏盧山がある。〉

定胡〈後周に置かれ、併せて定胡郡を置いた。開皇初年に郡を廃止した。関官がある。〉

平夷〈後周に置かれた。〉

太和〈後周に置かれ、烏突といい、併せて烏突郡を置いた。開皇初年に郡を廃止し、県はまもなく改称した。湫水がある。〉

雁門郡

雁門郡は後周において肆州を置いた。開皇五年に代州と改め、総管府を置く。大業初年に府は廃止された。五県を統轄し、戸数四万二千五百二。

雁門〈旧称は広武、雁門郡を置いた。開皇初年に郡は廃止され、十八年に雁門と改称した。大業初年に雁門郡を置く。関官がある。長城がある。摐頭山があり、夏屋山がある。〉

繁畤〈後魏において設置し、併せて繁畤郡を置いた。後周において郡と県は共に廃止された。開皇十八年に再び県を置いた。東魏の武州及び吐京、斉、新安の三郡が城中に寄寓していた。後斉において北霊州と改め、まもなく廃止された。長城、滹沱水、泒水、唐山がある。〉

崞〈後魏において設置し、石城県と称した。東魏において廓州を置いた。広安、永定、建安の三郡が山城に寄寓していた。後斉において郡を廃止した。北顕州と改称した。後周において廃止された。開皇十年に県を平寇と改称した。大業初年に崞県と改めた。また雲中城があり、東魏が僑置して恒州としたが、まもなく廃止された。無京山、崞山がある。土城がある。〉

五台〈旧称は慮虒、久しく廃止されていた。後魏において設置し、驢夷と称した。大業初年にこれを改めた。五台山がある。〉

霊丘〈後魏において霊丘郡を置き、後斉において莎泉県をここに併合した。後周において蔚州を置き、また大昌県を立てた。開皇初年に郡は廃止され、県はここに併合された。大業初年に州は廃止された。〉

馬邑郡

馬邑郡は旧来朔州を置いた。開皇初年に総管府を置き、大業初年に府は廃止された。四県を統轄し、戸数四千六百七十四。

善陽〈後斉において設置し、県を招遠、郡を広安と称した。開皇初年に郡は廃止された。大業初年に県を善陽と改め、代郡を置き、まもなく馬邑と称した。また後魏の桑乾郡があり、後斉においてこれを用いて朔州及び広寧郡を置いた。後周において郡は廃止され、大業初年に州は廃止された。〉

神武〈後魏において神武郡を置き、後斉において太平と改称し、後周において郡を廃止した。桑乾水がある。〉

雲内〈後魏において平斉郡を立て、まもなく廃止された。後斉において太平県と改称し、後周において雲中と改称し、開皇初年に雲内と改称した。後魏の都があり、司州を置いた。また後斉の安遠、臨塞、威遠、臨陽等の郡が北恒州に属し、後周において共に廃止された。純真山、白登山、武周山がある。濕水がある。〉

開陽〈旧称は長寧、後斉において斉徳、長寧の二郡を置いた。後周において斉徳郡を廃止した。開皇初年に郡は廃止され、十九年に県を開陽と改称した。〉

定襄郡

定襄郡は開皇五年に雲州総管府を置き、大業元年に府は廃止された。一県を統轄し、戸数三百七十四。

大利〈大業初年に設置し、郡を帯びた。長城がある。陰山がある。紫河がある。〉

楼煩郡

楼煩郡は大業四年に置かれた。三県を統轄し、戸数二万四千四百二十七。

静楽〈旧称は岢嵐。開皇十八年に汾源と改め、大業四年に今の名に改めた。長城がある。汾陽宮がある。関官がいる。管涔山・天池・汾水がある。〉

臨泉〈後斉に置かれ、蔚汾といった。大業四年に今の名に改めた。〉

秀容〈旧来に肆州を置き、後斉にまた平寇県を置いた。後周に州は雁門に移った。開皇初年に新興郡・銅川県を置いた。郡はまもなく廃止された。十年に平寇県を廃した。十八年に忻州を置き、大業初年に州を廃し、また銅川を廃した。程侯山・系舟山がある。嵐水がある。〉

太原郡

太原郡は後斉のへい州で、省を置き、別宮を立てた。後周に并州六府を置き、後に総管を置き、六府を廃した。開皇二年に河北道行台を置き、九年に総管府と改め、大業初年に府を廃した。十五県を統轄し、戸数十七万五千三。

晋陽〈後斉に置かれ、龍山といった。太原郡を帯びた。開皇初年に郡を廃し、十年に県を晋陽と改め、十六年にまた清源県を置き、大業初年にこれを省いて合併した。龍山・蒙山がある。〉

太原〈旧称は晋陽で、郡を帯びた。開皇十年に分置して陽真県とし、大業初年にこれを省いて合併した。晋陽宮がある。晋水がある。〉

交城〈開皇十六年に置かれた。〉

汾陽〈旧称は陽曲。開皇六年に陽直と改め、十六年にまた今の名に改め、さらに分置して孟県とし、大業初年に廃した。摩笄山がある。〉

文水〈旧称は受陽。開皇十年に今の名に改めた。文水・泌水がある。〉

祁〈後斉に廃され、開皇年間に復した。〉

寿陽〈開皇十年に州南の受陽県を文水と改め、州東の旧寿陽を分けて寿陽を置いた。甗岩がある。〉

榆次〈後斉では中都といった。開皇年間に今の名に改めた。〉

太谷(旧称は陽邑、開皇十八年に改称す。)

楽平(旧に楽平郡を置く。開皇初年に郡を廃す。十六年に遼州及び東山県を分置し、大業初年に州及び東山県を廃す。皋洛山あり。清漳水あり。)

和順(旧称は梁榆、開皇十年に改称す。九京山あり。)

遼山(後魏は遼陽と曰う、後齊に省かれる。開皇十年に置き、名を改む。十六年に遼州に属し、併せて交漳県を置く。大業初年に州を廃し、併せて交漳を罷めてこれに合す。萁轑水あり。)

平城(開皇十六年に置く。塗水あり。石艾に蒙山あり。)

孟(開皇十六年に置き、原仇と曰う。大業初年に改称す。白鹿山あり。)

襄国郡

襄国郡は開皇十六年に邢州を置く。七県を統べ、戸十万五千八百七十三。

龍岡(旧称は襄国、開皇九年に改名す。十六年に又青山県を置き、大業初年に省いてこれに合す。黒山あり。干水あり。)

南和(旧に北広平郡を置く。後齊に省かれて広平郡に入る。後周に分置して南和郡とす。開皇初年に郡を廃す。十六年に任県を置き、大業初年に廃してこれに合す。)

平郷

沙河(開皇十六年に置く。罄山あり。)

鉅鹿(後齊に廃す。開皇六年に南䜌県を置き、後に廃してこれに合す。)

内丘(干言山あり。)

柏仁(鵲山あり。)

武安郡

武安郡は後周において洛州を置いた。八県を統轄し、戸数十一万八千五百九十五。

永年〈旧称は広平、広平郡を置いた。後斉は北広平郡及び曲梁・広平の二県を廃して編入した。開皇初年に郡を廃し、再び広平県を置き、後に鶏沢と改称した。仁寿元年に広平を永年に改めた。大業初年に武安郡を置き、また鶏沢県を併せて編入した。〉

肥郷〈東魏において廃止されたが、開皇十年に復活した。〉

清漳〈開皇十六年に設置された。〉

平恩

洺水〈旧称は斥漳、後斉において廃止され平恩県に編入された。開皇六年に分置して曲周県とし、大業初年に廃止されてここに編入された。〉

武安〈開皇十年に分置して陽邑県としたが、大業初年に廃止されてここに編入された。榆溪あり、閼与山あり、浸水あり。〉

邯鄲〈東魏において廃止された。開皇十六年に陟郷県を復活して置いたが、大業初年に廃止されてここに編入された。〉

臨洺〈旧称は易陽。後斉において廃止され襄国県に編入され、襄国郡が置かれた。後周は易陽県と改め、別に襄国県を置いた。開皇六年に易陽を邯鄲と改め、十年に邯鄲を臨洺と改めた。開皇初年に郡は廃止された。紫山・狗山・塔山あり。〉

趙郡

趙郡は開皇十六年に欒州を置き、大業三年に趙州と改称した。十一県を統轄し、戸数十四万八千百五十六。

平棘〈旧来趙郡を置いたが、開皇初年に廃止した。宋子県があったが、後斉において廃止された。大業初年に趙郡を置き、宋子県を廃止してここに編入した。〉

高邑

賛皇〈開皇十六年に設置された。孔子嶺あり、白溝あり。〉

元氏(旧県、後斉にて廃止、開皇六年に設置。大業初年に趙郡を置き、宋子県を廃してこれに編入す。)

癭陶(旧称は癭遙、開皇六年に「陶」と改称す。)

欒城(旧県、後斉にて廃止、開皇十六年に復活す。)

大陸(旧称は広阿、殷州及び南鉅鹿郡を設置す。後に南趙郡と改め、州を趙州と改む。開皇十六年に分置して欒州とし、仁寿元年に象城と改称す。大業初年に州を廃し、県を大陸と改む。また開皇十六年に設置した大陸県も、廃してこれに編入す。)

栢郷(開皇十六年に設置す。𡺟𡺱山あり。)

房子(旧県、後斉にて廃止、開皇六年に復活す。賛皇山あり。彭水あり。)

稾城(後斉にて下曲陽を廃してこれに編入す。高城県と改め、鉅鹿郡を設置す。開皇初年に郡を廃す。十年に廉州を置き、十八年に稾城県と改称す。大業初年に州を廃す。また開皇十六年に設置した栢郷県も、廃してこれに編入す。)

鼓城(旧称は曲陽、後斉にて廃止。開皇十六年に分置して昔陽県とし、十八年に鼓城と改称す。十六年にまた廉平県を設置し、大業初年に併合す。)

恒山郡

恒山郡は後周にて恒州を置く。八県を統べ、戸十七万七千五百七十一。

真定(旧に常山郡を置く。開皇初年に郡を廃す。十六年に分置して常山県とす。大業初年に恒山郡を置き、常山を廃してこれに編入す。)

滋陽(開皇六年に設置す。十六年にまた玉亭県を置き、大業初年に廃してこれに編入す。大茂山・歳山あり。)

行唐

石邑(旧県、後斉にて井陘と改称す。開皇六年に改称す。十六年に分置して鹿泉県とす。大業初年に併合す。封龍山・抱犢山あり。)

九門(後斉にて廃止、開皇六年に復活す。大業初年に、また新市県を併せてこれに編入す。許春壘あり。)

井陘(後斉は石邑を廃し、以て井陘を置く。開皇六年、石邑県を復し、井陘を分置す。十六年、井陘に於いて井州を置き、及び葦沢県を置く。大業初め、州を廃し、並びに葦沢県及び蒲吾県を廃して之に合す。)

房山(開皇十六年に置く。)

霊寿(後周、蒲吾郡を置く。開皇初め、郡廃す。)

博陵郡

博陵郡、旧は定州を置く。後周、総管府を置く、尋いで罷む。統ぶる県十、戸十万二千八百十七。

鮮虞(旧は盧奴と曰い、鮮虞郡を置く。後斉、盧奴を廃して安喜に入る。開皇初め、郡を廃し、以て鮮虞県を置く。大業初め、博陵郡を置き、又安喜を廃して之に入る。盧水有り。)

北平(旧は北平郡を置く。後斉、郡廃し、又望都・蒲陰の二県を併せて来入す。開皇六年、又望都を置く。大業初め、又廃す。都山・伊祁山有り。濡水有り。)

唐(旧県、後斉廃す。開皇十六年復す。堯山・郎山・中山有り。)

恒陽(旧は上曲陽と曰う。後斉、上の字を去る。開皇六年、石邑と改む。七年、恒陽と改めて曰う。恒山有り。恒陽溪有り。范水有り。)

新楽(開皇十六年に置く。黄山有り。)

隋昌(後魏は魏昌と曰う。後斉廃す。開皇十六年復し、仍って改む。)

毋極

義豊(開皇六年に置く。旧に安国県有り、後斉廃す。)

深沢(後斉廃す。開皇六年復す。)

安平(後斉、博陵郡を置く。開皇初め廃す。十六年、深州を置く。大業初め、州廃す。)

河間郡

河間郡は旧来瀛州を置いた。十三県を統轄し、戸数十七万三千八百八十三。

河間〈旧来河間郡を置き、開皇初年に郡を廃した。大業初年に再び郡を設置し、武垣県を併合してここに属させた。〉

文安〈狐狸澱がある。〉

楽寿〈旧称は楽城、開皇十八年に広城と改め、仁寿初年に改称した。〉

束城〈旧称は束州、後斉に廃された。開皇十六年に設置し、後に改名した。〉

景城〈旧称は成平、開皇十八年に改称した。〉

高陽〈旧来高陽郡を置き、開皇初年に郡を廃した。十六年に蒲州を設置し、大業初年に州を廃し、任丘県を併合してここに属させた。〉

鄚〈易城県があったが、後斉に廃された。開皇年間に永寧県を設置し、大業初年に廃止してここに併合した。〉

博野〈旧称は博陸、後魏に博野と改め、後斉に蠡吾県を廃してここに併合した。君子澱がある。〉

清苑〈旧称は楽郷。後斉に樊興・北新城・清苑・楽郷を廃して永寧に併合し、改名した。開皇十八年に清苑と改めた。〉

長蘆〈開皇初年に設置し、併せて漳河郡を立てたが、郡はまもなく廃された。十六年に景州を設置し、大業初年に州を廃した。〉

平舒〈旧来章武郡を置き、開皇初年に廃した。〉

魯城〈開皇十六年に設置した。〉

饒陽〈開皇十六年に分置して安平・蕪蔞の二県を立て、大業初年に廃止してここに併合した。〉

涿郡

涿郡は旧来幽州を置き、後斉は東北道行台を置いた。後周が斉を平定し、総管府に改置した。大業初年に府は廃止された。九県を統轄し、戸数八万四千五十九。

薊〈旧来燕郡を置き、開皇初年に廃止し、大業初年に涿郡を置く。〉

良郷

安次

涿〈旧来范陽郡を置き、開皇初年に郡を廃止。〉

固安〈旧称は故安、開皇六年にこれを改む。〉

雍奴

昌平〈旧来東燕州及び平昌郡を置く。後周に州・郡ともに廃止し、後にまた平昌郡を置く。開皇初年に郡を廃止し、また万年県を廃してこれに併合す。関官あり。長城あり。〉

懐戎〈後斉は北燕州を置き、長寧・永豊の二郡を領す。後周は北の字を除く。開皇初年に郡を廃止し、大業初年に州を廃止す。喬山、歴陽山、大・小翮山あり。漷水・鳷水・涿水・阪泉水あり。〉

潞〈旧来漁陽郡を置き、開皇初年に廃止。〉

上谷郡

上谷郡は開皇元年に易州を置く。六県を統轄し、戸数三万八千七百。

易〈開皇初年に黎郡を置き、まもなく廃止。十六年に県を置く。大業初年に上谷郡を置く。旧来故安県あり、後斉に廃止。駁牛山・五回嶺あり。易水・徐水あり。〉

淶水〈旧称は遒県、後周に廃止。開皇元年、范陽を以て遒と為し、ここに更に范陽を置く。六年に固安と改め、八年に廃止。十年にまた置き、永陽と為す。十八年に淶水と改む。〉

遒(旧くは范陽、ここに居す。俗に小范陽と号す。開皇の初めに遒と改む。)

遂城(旧は武遂と曰う。後魏、南営州を置き、営州に准じて五郡十一県を置く:龍城・広興・定荒は昌黎郡に属し、石城・広都は建徳郡に属し、襄平・新昌は遼東郡に属し、永楽は楽浪郡に属し、富平・帯方・永安は営丘郡に属す。後斉は唯だ昌黎一郡を留め、永楽・新昌の二県を領し、余は並びに省く。開皇元年に州移り、三年に郡廃す。十八年に遂城と改む。龍山有り。)

永楽(旧は北平と曰う。後周、名を改めて焉とす。郎山有り。)

飛狐(後周に置く。広昌と曰う。仁寿の初めに焉と改む。栗山有り。巨馬河有り。)

漁陽郡

漁陽郡は、開皇六年に玄州をここに徙し、並びに総管府を立つ。大業の初めに府廃す。県一を統べ、戸三千九百二十五。

無終(後斉に置く。後周また徐無県を廃して焉に入る。大業の初めに漁陽郡を置く。長城有り。燕山・無終山有り。泃河・如河・庚水・灅水・濫水有り。海有り。)

北平郡

北平郡は旧く平州を置く。県一を統べ、戸二千二百六十九。

盧龍(旧く北平郡を置き、新昌・朝鮮の二県を領す。後斉、朝鮮を省いて新昌に入れ、また遼西郡並びにその領する海陽県を省いて肥如に入る。開皇六年また肥如を省いて新昌に入れ、十八年に名を改めて盧龍とす。大業の初めに北平郡を置く。長城有り。関官有り。臨渝宮有り。覆舟山有り。碣石有り。玄水・盧水・温水・閏水・龍鮮水・巨梁水有り。海有り。)

安楽郡

安楽郡は旧く安州を置き、後周、玄州と改む。開皇十六年に州徙り、尋いで檀州を置く。県二を統べ、戸七千五百九十九。

燕楽(後魏、広陽郡を置き、大興・方城・燕楽の三県を領す。後斉、郡を廃し、大興・方城を焉に入る。大業の初めに安楽郡を置く。長城有り。沽河有り。)

密雲(後魏、密雲郡を置き、白檀・要陽・密雲の三県を領す。後斉、郡及び二県を廃して密雲に入る。また旧安楽郡有り、安市・土垠の二県を領す。後斉、土垠を廃して安市に入れ、後周、安市を廃して密雲県に入る。開皇の初めに郡廃す。長城有り。桃花山・螺山有り。漁水有り。)

遼西郡

遼西郡は旧来に営州を置き、開皇初年に総管府を置き、大業初年に府は廃された。統轄する県は一、戸数は七百五十一。

柳城〈後魏は和龍城に営州を置き、建徳・冀陽・昌黎・遼東・楽浪・営丘等の郡を領し、龍城・大興・永楽・帯方・定荒・石城・広都・陽武・襄平・新昌・平剛・柳城・富平等の県を領した。後斉は唯だ建徳・冀陽の二郡、永楽・帯方・龍城・大興等の県を留め、その余は並びに廃した。開皇元年は唯だ建徳一郡、龍城一県を留め、その余は並びに廃した。尋いで又郡を廃し、県を改めて龍山と為し、十八年に柳城と改む。大業初年、遼西郡を置く。帯方山・禿黎山・鶏鳴山・松山有り。渝水・白狼水有り。〉

冀州は古に於いて、堯の都なり。舜は州を分けて十二と為し、冀州より幽・并を析置す。その天文に於いて、胃七度より畢十一度に至るを大梁と為し、冀州に属す。尾十度より南斗十一度に至るを析木と為し、幽州に属す。危十六度より奎四度に至るを娵訾と為し、并州に属す。柳九度より張十六度に至るを鶉火と為し、三河に属す、則ち河内・河東なり。星次に準ずれば、本皆冀州の域にして、帝居の所在なれば、故にその界尤も大なり。夏に至り幽・并を廃して之に入れ、唐の旧を得たり。信都・清河・河間・博陵・恒山・趙郡・武安・襄国、その俗頗る同じ。人性多く敦厚にして、務め農桑に在り、儒學を好尚す、而して遅重に傷つく。前代冀・幽の士は椎の如く鈍しと称す、蓋し此れを取るなり。俗気俠を重んじ、朋黨を結ぶを好み、その死生に赴く相も、亦仁義より出づ。故に《班志》その土風を述べて、悲歌慷慨、椎剽掘塚、亦古よりの患いなりとす。前諺に云う「仕官偶わず冀部に遇う」と、実に此れを弊とす。魏郡は鄴都の所在にして、浮巧俗を成し、雕刻の工、特雲精妙、士女の被服、咸に奢麗を以て相高くし、その性の尚習する所、京・洛の風を得たり。語に曰く「魏郡・清河、天公奈何す可からず!」と。斯れ皆軽狡の致す所なり。汲郡・河内は殷の故壌を得、旧説を考うるに、紂の余教有り。汲は又衛の地、仲由の勇を習う、故に漢の官人、便宜に事を従うるを得、その多く殺戮を行うは、本此れに以てす。今風俗頗る移り、皆礼に向かう。長平・上党は人多く農桑を重んじ、性尤も朴直にして、蓋し軽詐少なし。河東・絳郡・文城・臨汾・龍泉・西河は、土地沃少く瘠多く、是を以て儉嗇に傷つく。その俗剛強、亦風気然るか。太原は山川重複し、実に一都の会たり、本後斉の別都と雖も、人物殷阜、然れども甚だ機巧ならず。俗は上党に頗る同じ、人性勁悍にして、戎馬に習う。離石・雁門・馬邑・定襄・楼煩・涿郡・上谷・漁陽・北平・安楽・遼西は、皆辺郡に連接し、習尚は太原と俗を同じくす、故に古より勇俠を言う者は、皆幽・并を推すと云う。然れども涿郡・太原は、前代已来より、皆多く文雅の士有り、倶に辺郡と曰うと雖も、然れども風教比ぶるに為らず。

青州

北海郡

北海郡は旧来に青州を置き、後周に総管府を置き、開皇十四年に府は廃された。統轄する県は十、戸数は十四万七千八百四十五。

益都〈旧斉郡を置く、開皇初年に廃し、大業初年に北海郡を置く。堯山・鋋山有り。臨淄及び東安平・西安は、並びに後斉に廃す。開皇十六年に又臨淄及び時水県を置く。大業初年に高陽・時水の二県を廃して之に入れる。社山・葵丘・牛山・稷山有り。〉

千乗〈旧楽安郡を置く、開皇初年に郡を廃す。〉

博昌〈旧楽安と曰う、開皇十六年に之を改む。又十八年に新河県を析置し、大業初年に廃して之に入れる。〉

寿光〈開皇十六年に閭丘県を置き、大業初年に廃して之に入れる。〉

臨朐〈旧昌国と曰う。開皇六年に逢山と改め、又般陽県を置く。大業初年に臨朐と曰い改め、並びに般陽を廃して之に入れる。逢山・沂山・穆陵山・大峴山有り。汶水・浯水有り。〉

都昌〈箕山・阜山・白狼山有り。〉

北海〈旧下密と曰い、北海郡を置く。後斉に郡を改めて高陽と曰い、開皇初年に郡を廃す。十六年に分ち濰州を置き、大業初年に州を廃し、県名を改めて之と為す。〉

営丘〈後斉に廃し、開皇十六年に復す。叢角山・女節山有り。〉

下密〈後魏は膠東と曰い、後斉に廃す。開皇六年に復し、濰水と改む。大業初年に名を改めて之と為す。鉄山有り。溉水有り。〉

斉郡

斉郡は旧称を斉州という。十県を統轄し、戸数十五万二千三百二十三。

歴城〈旧に済南郡を置く。開皇初年に廃す。大業初年に斉郡を置き、山茌県を廃してここに併合す。舜山・鶏山・盧山・鵲山・華山・鮑山あり。〉

祝阿

臨邑

臨済〈開皇六年に置く。朝陽と曰う。十六年に改めて臨済と曰い、別に朝陽を置く。大業初年に廃してここに併合す。〉

鄒平〈旧は平原と曰う。開皇十八年に改名す。〉

章丘〈旧は高唐と曰う。開皇十六年に改む。また営城県を置く。大業初年に廃してここに併合す。また宋は東魏郡を置く。後斉に廃す。東陵山・長白山・龍盤山あり。〉

長山〈旧は武強と曰い、広川郡を置き、東清河・平原の二郡を併せて東平原郡と改称す。開皇初年に郡を廃す。また十六年に済南県を置き、十八年に武強を長山と改む。大業初年に済南県を廃してここに併合す。〉

高苑〈後斉は長楽と曰う。開皇十八年に会城と改む。大業初年に改称す。〉

亭山〈旧は衛国と曰う。後斉に土鼓・肥郷を併合す。開皇六年に亭山と改名す。龍舟山・儒山あり。〉

淄川〈旧は貝丘と曰い、東清河郡を置く。後斉に郡を廃す。開皇十六年に淄州を置き、十八年に県名を改む。大業初年に州を廃す。〉

東萊郡

東萊郡は旧に光州を置く。開皇五年に萊州と改称す。九県を統轄し、戸数九万三百五十一。

掖〈旧に東萊郡を置く。後斉に曲城・当利の二県を併合す。開皇初年に郡を廃す。大業初年に再び郡を置く。缶山あり。掖水・光水あり。〉

膠水(旧称は長広、仁寿元年に改名す。明堂山あり。)

盧郷(後斉に盧郷及び挺城を併せて廃す。開皇十六年に盧郷を再置し、併せて挺城を廃してこれに合す。)

即墨(後斉に即墨及び不其県を併せて廃す。開皇十六年に再置し、併せて不其を廃してこれに合す。大労山・馬山あり。田横島あり。)

観陽(後周に廃す。開皇十六年に再置し、また分置して牟州とす。大業初年に州廃す。)

昌陽(巨神山あり。)

黄(旧に東牟・長広の二郡を置く。後斉に東牟郡を廃して長広郡に合し、開皇初年に郡廃す。)

牟平(牟山・龍山・金山・九目山あり。)

文登(後斉に置く。石橋あり。文登山・斥山・之罘山あり。)

高密郡

高密郡は旧に膠州を置く。開皇五年に密州と改む。七県を統べ、戸七万一千九百二十。

諸城(旧称は東武、高密郡を置く。開皇初年に郡廃し、十八年に県名を改む。大業初年に再び郡を置く。烽火山あり。)

東莞(後斉に姑幕県を併せてこれに合す。箕山・濰水あり。)

郚城(旧に平昌郡を置く。後斉に郡を廃し、琅邪県を置き、硃虚を廃してこれに合す。大業初年に名を改めて郚城とす。)

安丘(開皇十六年に置く。牟山と曰う。大業初年に名を改め、併せて安昌を省きこれに合す。)

高密(後斉に淳於県を廃してこれに合す。)

膠西〈旧は黔陬と曰い、平昌郡を置く。開皇初年に郡廃す。十六年に県を置き、膠西と曰う。大業初年また黔陬を以て之に合す。〉

琅邪〈開皇十六年に置く、豊泉と曰う。大業初年に改む。徐山・盧山・鄣日山・膠水有り。〉

《周礼・職方氏》に曰く「正東を青州と曰う」と。其れ天官に在りては、須女八度より危十五度に至るを、玄枵と為し、辰に於いては子に在り、斉の分野なり。呉の季札楽を観、斉の歌を聞きて曰く「泱泱乎たるかな大風なり、国未だ量るべからず」と。漢の時に在りては、俗弥いよいよ侈泰に流れ、氷紈・綺繡・純麗の物を織作し、冠帯衣履天下と号せらる。初め太公尊賢尚智を以て教えと為す、故に士庶其の風を伝習し、功名に矜り、経術に依るもの莫からず、闊達にして智多く、志度舒緩なり。其の失と為す所は、誇奢朋党、言と行いたがうなり。斉郡旧は済南と曰う、其の俗子女を教飾して淫哇の音を好み、能く骨をび肉を飛ばし、人目を傾詭けいぎせしむ。俗に「斉倡」と雲う、本此より出づ。祝阿県の俗、賓婚の大会に、肴饌豊かなりと雖も、蒸膾に至りては、嘗むのみ、多ければ則ち不敬と謂い、共に相誚責す、此れ其の異なり。大抵数郡の風俗、古と殊ならず、男子多く農桑に務め、学業を崇尚し、其の儉約に帰すれば、則ち頗る旧風を変ず。東莱人は尤も朴魯なり、故にことに文義少なし。