高祖の官制
三師・三公
三師は、事を主とせず、府僚を置かず、蓋し天子と坐して道を論ずる者である。
三公は、国の大事に参議し、後斉に依って府僚を置く。その人無ければ則ち欠く。祭祀には則ち太尉が亜献を務め、司徒が俎を奉じ、司空が掃除を行う。その位は多く空位であり、皆が摂行して事を行う。まもなく府及び僚佐を省き、公を置けば則ち尚書都省に坐す。朝の衆務は、総じて台閣に帰する。
尚書省
尚書省は、事総べて統べざる無し。令・左右僕射各一人を置き、吏部・礼部・兵部・都官・度支・工部などの六曹の事を総べ、これをもって八座と為す。属官として左・右丞各一人、都事八人あり、司を分かち管轄す。吏部尚書は吏部侍郎二人、主爵侍郎一人、司勲侍郎二人、考功侍郎一人を統ぶ。礼部尚書は礼部・祠部侍郎各一人、主客・膳部侍郎各二人を統ぶ。兵部尚書は兵部・職方侍郎各二人、駕部・庫部侍郎各一人を統ぶ。都官尚書は都官侍郎二人、刑部・比部侍郎各一人、司門侍郎二人を統ぶ。度支尚書は度支・戸部侍郎各二人、金部・倉部侍郎各一人を統ぶ。工部尚書は工部・屯田侍郎各二人、虞部・水部侍郎各一人を統ぶ。凡そ三十六侍郎、曹務を分かち司り、禁省に直宿し、漢の制の如し。
門下省
門下省は、納言二人、給事黄門侍郎四人、録事・通事令史各六人を置く。また散騎常侍・通直散騎常侍各四人、諫議大夫七人、散騎侍郎四人、員外散騎常侍六人、通直散騎侍郎四人あり、並びに部従し朝直を掌る。また給事二十人、員外散騎侍郎二十人、奉朝請四十人あり、並びに散騎常侍などと同じく掌り、兼ねて出使し労問する。城門・尚食・尚薬・符璽・御府・殿内などの六局を統ぶ。城門局は、校尉二人、直長四人。尚食局は、典御二人、直長四人、食医四人。尚薬局は、典御二人、侍御医・直長各四人、医師四十人。符璽・御府・殿内局は、監各二人、直長各四人。
内史省
内史省は、監・令各一人を置く。まもなく監を廃す。令二人、侍郎四人、舎人八人、通事舎人十六人、主書十人、録事四人を置く。
秘書省
秘書省は、監・丞各一人、郎四人、校書郎十二人、正字四人、録事二人を置く。著作・太史の二曹を領す。著作曹は、郎二人、佐郎八人、校書郎・正字各二人を置く。太史曹は、令・丞各二人、司暦二人、監候四人を置く。その暦・天文・漏刻・視祲には、各々博士及び生員あり。
内侍省
内侍省は、内侍・内常侍各二人、内給事四人、内謁者監六人、内寺伯二人、内謁者十二人、寺人六人、伺非八人を置く。並びに宦者を用いる。内尚食・掖庭・宮闈・奚官・内僕・内府などの局を領す。尚食局は、典御及び丞各二人を置く。その他は各々令・丞を置き、皆二人。その宮闈・内僕には、則ち更に丞各一人を加えて置く。掖庭にはまた宮教博士二人あり。
御史臺
御史臺には、大夫一人、治書侍御史二人、侍御史八人、殿内侍御史・監察御史が各十二人、録事二人を置く。後魏の延昌年間、王顕が宣武帝に寵愛され、御史中尉となり、御史の選任改革を請うた。その後この事を踏襲し、中尉が任命されるたびに御史を改めて置いた。開皇以後に至り、初めて吏部が選抜任用するようになり、なお従前のごとく禁中に直す。
都水臺
都水臺には、使者及び丞が各二人、参軍三十人、河堤謁者六十人、録事二人を置く。掌船局を管轄し、都水尉二人を置き、また諸津を管轄する。上津には毎に尉一人、丞二人を置く。中津には毎に尉・丞各一人を置く。下津には毎に典作一人、津長四人を置く。
十一寺
太常・光禄・衛尉・宗正・太僕・大理・鴻臚・司農・太府の九寺は、いずれも卿・少卿各一人を置く。太僕はまもなく少卿一人を加える。各々丞を置き、太常・衛尉・宗正・大理・鴻臚・将作は二人、光禄・太僕は各三人、司農は五人、太府は六人である。主簿は、太府が四人、その他の寺は各二人である。録事は各二人である。光禄はさらに三人に加え、司農・太府は各四人とする。などの員を置く。
太常寺
太常寺にはまた博士四人、協律郎二人、奉礼郎十六人を置く。郊社・太廟・諸陵・太祝・衣冠・太楽・清商・鼓吹・太醫・太卜・廩犧などの署を統轄する。各々令を置き、いずれも一人である。太楽・太醫は各二人に加える。丞は各一人である。郊社・太楽・鼓吹は各二人に加える。郊社署にはまた典瑞がいる。四人である。太祝署には太祝二人がいる。太楽署・清商署にはそれぞれ楽師の員がいる。太楽は八人、清商は二人である。鼓吹署には哄師二人がいる。太醫署には主薬、二人。医師二百人。薬園師二人。医博士二人。助教二人。按摩博士二人。祝禁博士二人。などの員を置く。太卜署には卜師、二十人。相師十人。男覡十六人。女巫八人。太卜博士・助教各二人。相博士・助教各一人。などの員を置く。
光禄寺
光禄寺は太官・肴蔵・良醸・掌醢などの署を統轄する。各々令を置き、太官は三人、肴蔵・良醸は各二人、掌醢は一人である。丞を置く。太官は八人、肴蔵・掌醢は各二人、良醸は四人である。太官にはまた監膳がいる、十二人である。良醸には掌醸がいる、五十人である。掌醢には掌醢が十人いる。などの員を置く。
衛尉寺
衛尉寺は公車・武庫・守宮などの署を統轄する。各々令を置き、公車は一人、武庫・守宮は各二人である。丞は公車一人、武庫二人である。などの員を置く。
宗正寺
宗正寺は署を統轄しない。
太僕寺
太僕寺にはまた獣医博士の員が置かれた。百二十人。驊騮・乗黄・龍廄・車府・典牧・牛羊などの署を統轄する。各署には令二人を置く。乗黄・車府はそれぞれ一人を減ずる。丞二人。乗黄は一人、典牧・牛羊はそれぞれ三人。などの員である。
大理寺
大理寺は署を統轄しない。また正・監・評が各一人。司直十人。律博士八人。明法二十人。獄掾八人。
鴻臚寺
鴻臚寺は典客・司儀・崇玄の三署を統轄する。各署には令二人を置く。崇玄はただ一人を置く。典客署にはまた掌客十人。司儀には掌儀二十人。などの員である。
司農寺
司農寺は太倉・典農・平準・廩市・鉤盾・華林・上林・導官などの署を統轄する。各署には令二人を置く。鉤盾・上林は三人に増やし、華林はただ一人を置く。太倉にはまた米稟督二人。穀倉督四人。塩倉督二人。京市には肆長四十人。導官には禦細倉督二人。曲面倉督二人。などの員である。
太府寺
太府寺は左蔵・左尚方・内尚方・右尚方・司染・右蔵・黄蔵・掌冶・甄官などの署を統轄する。各署には令二人を置く。左尚方・右尚方は二人に増やし、黄蔵はただ一人を置く。丞四人。左尚方は八人、右尚方は六人、黄蔵は一人。などの員である。
国子寺
国子寺は元来太常に隷属していた。祭酒一人。属官に主簿・録事が各一人。国子・太学・四門・書算学を統轄し、各々博士を置く。国子・太学・四門は各五人、書・算は各二人。助教を置く。国子・太学・四門は各五人、書・算は各二人。学生は国子百四十人、太学・四門は各三百六十人、書四十人、算八十人。などの員である。
将作寺
将作寺には大匠一人。丞・主簿・録事が各二人。左右校署令各二人を統轄する。丞は左校四人、右校三人。各々監作があり、左校十二人、右校八人。などの員である。
十二衛
左右衛・左右武衛・左右武候には、各大将軍一人。将軍二人。いずれも長史・司馬・録事・功・倉・兵・騎などの曹参軍、法曹・鎧曹行参軍が各一人。行参軍は左右衛・左右武候が各六人、左右武衛が各八人。などの員である。
左右衛
左右衛は宮掖の禁禦を掌り、仗衛を督摂す。また各々直閣将軍(六人)、直寝(十二人)、直斎・直後(各十五人)を有し、並びに宿衛侍従を掌る。奉車都尉(六人)は副車を馭するを掌る。武騎常侍(十人)、殿内将軍(十五人)、員外将軍(三十人)、殿内司馬督(二十人)、員外司馬督(四十人)は並びに府朝に参軍し、使いに出でて労問す。左右衛はまた各々親衛を統べ、開府を置く。左勲衛開府、左翊一開府・二開府・三開府・四開府、及び武衛・武候・領事・東宮領兵開府は此に准ず。府には開府(一人)を置き、長史・司馬・録事及び倉・兵等曹参軍・法曹行参軍(各一人)、行参軍(三人)有り。又儀同府有り。武衛・武候・領軍・東宮領兵儀同は皆此に准ず。儀同以下は、員を置くこと開府と同じくす、但し行参軍の員無し。諸府は皆軍坊を領す。毎坊(東宮軍坊は此に准ず)に坊主(一人)・佐(二人)を置く。毎郷団(東宮郷団は此に准ず)に団主(一人)・佐(二人)を置く。
左右武衛
左右武衛府は直閣以下の員無く、但だ外軍の宿衛を領す。
左右武候
左右武候は車駕の出ずるを掌り、先駆け後殿し、昼夜巡察し、奸非を執捕し、烽候道路・水草の置く所を掌る。巡狩師田するときは則ち其の営禁を掌る。右に加えて司辰師(四人)・漏刻生(百十人)を置く。
左右領左右府
左右領左右府は各大将軍(一人)・将軍(二人)有り、左右を侍衛し、供禦の兵仗を掌る。千牛備身(十二人)を領し、千牛刀を執るを掌る。備身左右(十二人)は供禦の弓箭を掌る。備身(六十人)は宿衛侍従を掌る。各々長史・司馬・録事及び倉・兵二曹参軍事・鎧曹行参軍(各一人)等の員を置く。
左右監門
左右監門府は各将軍(一人)有り、宮殿の門禁及び守衛の事を掌る。各々郎将(二人)・校尉・直長(各三十人)・長史・司馬・録事及び倉・兵曹参軍・鎧曹行参軍(各一人)・行参軍(四人)等の員を置く。
左右領軍府
左右領軍府は各々十二軍の籍帳・差科・辞訟の事を掌る。将軍を置かず。唯だ長史・司馬・掾属及び録事・功・倉・戸・騎・兵等曹参軍・法・鎧等曹行参軍(各一人)・行参軍(十六人)等の員有り。又明法(四人)を置き、法司に隷し、律令の軽重を掌る。
行台省
行台省には則ち尚書令・僕射(左右任置)・兵部(吏部を兼ねる)・礼部・度支(都官・工部を兼ねる)尚書及び丞(左右任置、各一人)・都事(四人)有り。考功(吏部・爵部・司勲を兼ねる)・礼部(祠部・主客を兼ねる)・膳部・兵部(職方を兼ねる)・駕部・庫部・刑部(都官・司門を兼ねる)・度支(倉部を兼ねる)・戸部(比部を兼ねる)・金部・工部(屯田、水部・虞部を兼ねる)侍郎(各一人)有り。毎行台に食貨・農圃・武器・百工監・副監(各一人)を置く。各々丞(食貨四人、農圃六人、武器二人、百工四人)・録事(食貨・農圃・百工各二人、武器一人)等の員を置く。
東宮官属
門下坊
門下坊には、左庶子二人、内舍人四人、録事二人、主事令史四人を置いた。司経・宮門・内直・典膳・薬蔵・斎帥の六局を統轄する。司経局には洗馬四人、校書六人、正字二人を置いた。宮門局には大夫二人を置いた。内直局には監・副監各二人、監殿舎人四人を置いた。典膳局・薬蔵局には、ともに監・丞各二人を置いた。薬蔵局にはさらに侍医四人がいた。斎帥局には四人を置いた。
典書坊
典書坊には、右庶子二人、舎人・通事舎人各八人、録事二人、主事令史四人、内坊典内及び丞各二人、丞直四人、録事一人を置いた。内厩には尉二人を置き、内車輿の事を掌った。
家令は、刑法・食膳・倉庫・什物・奴婢等の事を掌る。率更令は、伎楽・漏刻を掌る。僕は、宗族の親疎、車輿騎乗を掌る。各一人。三寺にはそれぞれ丞を置き、家令寺には二人、率更寺・僕寺には各一人。録事。家令寺には二人、率更寺・僕寺には各一人。家令は食官・典倉・司蔵の三署令を領し、各一人。丞。食官署には二人、典倉署には一人、司蔵署には三人。僕寺は廄牧令一人を領する。員。
太子左右衛
左右衛には、それぞれ率一人、副率二人を置き、宮中の禁衛を掌る。それぞれ長史、司馬及び録事、功・倉・兵・騎兵等曹参軍事、法曹・鎧曹行参軍を各一人、行参軍四人を置いた。員。またそれぞれ直閣四人、直斎八人、直斉・直後各十人を有した。
太子左右宗衛
左右宗衛は、左右衛と同様に官を置き、それぞれ宗人をもって侍衛することを掌る。行参軍二人を加えて置き、直閣・直寝・直斎・直後などの員はない。
太子左右虞候
左右虞候には、それぞれ開府一人を置き、斥候・伺非を掌る。長史以下は左右衛と同様であるが、録事参軍の員はなく、行参軍を一人減らす。
太子左右内率
左右内率・副率を各一人置き、備身以上の禁内侍衛を領し、兵仗を供奉することを掌る。また功・騎兵・法等曹及び行参軍の員はなく、その余は虞候と同じである。千牛備身八人を有し、千牛刀を執ることを掌る。備身左右八人を有し、弓箭を供奉することを掌る。備身二十人を有し、宿衛侍従を掌る。
太子左右監門
左右監門府には、各々率一人、副率二人を置き、諸門の禁衛を掌る。長史以下は内率府と同じであるが、各々直長十人を有する。
散官、爵
高祖はまた後周の制度を採り、上柱国・柱国・上大将軍・大将軍・上開府儀同三司・開府儀同三司・上儀同三司・儀同三司・大都督・帥都督・都督の、総十一等を設置し、勤労に酬いた。また特進・左右光禄大夫・金紫光禄大夫・銀青光禄大夫・朝議大夫・朝散大夫があり、これらは散官とされ、文武官で徳望ある者に加えられ、いずれも実務を管掌しない。六品以下には、さらに翊軍等四十三号の将軍があり、品は凡そ十六等で、散号将軍とされ、広く授与するために加えられた。官署に職務を有する者は執事官とし、職務なき者は散官とする。戎上柱国以下は散実官とし、軍は散号官とする。諸省及び左右衛・武候・領左右監門府は内官とし、それ以外は外官とする。
国王・郡王・国公・郡公・県公・侯・伯・子・男、凡そ九等。皇伯叔昆弟・皇子は親王とする。師・友各二人、文学二人を置く。嗣王には師友はない。長史・司馬・諮議参軍事、掾属各一人、主簿二人、録事・功曹・記室・戸曹・倉曹・兵曹等の曹、騎兵・城局等の参軍事、東西閤祭酒各一人、参軍事四人、法曹・田曹・水曹・鎧曹・士曹等の行参軍各一人、行参軍六人、長兼行参軍八人、典籤二人を置く。
上柱国・嗣王・郡王には、主簿・録事参軍・東西閤祭酒・長兼行参軍等の員はなく、代わりに参軍事を五人に増やし、行参軍を十二人とする。柱国はさらに騎兵参軍事・水曹行参軍等の員がなく、参軍事・行参軍を各一人減ずる。上大将軍はさらに諮議参軍事、田曹・鎧曹行参軍の員がなく、行参軍をさらに一人減ずる。大将軍はさらに掾属の員がなく、参軍事をさらに二人減ずる。上開府はさらに法曹・士曹行参軍、参軍事の員がない。開府はさらに典籤の員がなく、行参軍を二人減ずる。上儀同はさらに功曹・城局参軍事の員がなく、行参軍をさらに二人減ずる。儀同はさらに倉曹の員がなく、行参軍を三人減ずる。
三師・三公の官属
三師・三公には府佐を置き、柱国と同じとする。もし上柱国が三師・三公を兼任する場合は、上柱国の設置にのみ従う。王公以下、三品以上には、さらに親信・帳内があり、各々品の高下に従って員数を定める。
諸国の官属
諸王には国官を置く。令・大農各一人、尉各二人、典衛各八人、常侍各二人、侍郎各四人、廟長・学官長各一人、食官、廐牧長・丞各一人、典府長・丞各一人、舎人各四人等の員がある。上柱国・柱国の公は、典衛二人を減じ、侍郎の員はない。侯・伯はさらに典衛二人、食官・廐牧長各一人を減ずる。子・男はさらに尉・典衛・常侍・舎人各一人を減ずる。上大将軍・大将軍の公は、柱国・子・男と同じとする。その侯・伯は公より典衛・侍郎・廐牧丞各一人を減ずる。子・男には令がなく、典衛もなく、さらに舎人一人を減ずる。上開府・開府の公は、大将軍・子・男と同じとする。その侯・伯はさらに常侍がなく、食官・廐牧丞もない。子・男はさらに侍郎・廐牧長がない。上儀同・儀同の公は、開府の子・男と同じとする。その侯・伯はさらに尉がなく、学官長もない。子・男はさらに廐長・食官長がない。二王の後裔には国官を置き、諸王と同じとする。郡王は上柱国の公と同じとする。国公で上開府以上の官位なき者は、開府の公と同じとする。散郡公は儀同の侯・伯と同じとする。散県公は儀同の子・男と同じとする。大長公主・長公主・公主には、いずれも家令・丞各一人、主簿謁者・舎人各二人等の員を置く。郡主は主簿の員のみを減ずる。
州・郡・県
雍州には牧を置く。属官に別駕、賛務、州都、郡正、主簿、録事、西曹書佐、金曹・戸曹・兵曹・法曹・士曹等の従事、部郡従事、武猛従事等の員がある。佐史を合わせて、総員五百二十四人。
京兆郡には尹、丞、正、功曹、主簿、金曹・戸曹・兵曹・法曹・士曹等の曹佐等の員を置く。佐史を合わせて、総員二百四十四人。
大興県・長安県には令、丞、正、功曹、主簿、西曹、金曹・戸曹・兵曹・法曹・士曹等の員を置く。佐史を合わせて、総員一百四十七人。
上上州には刺史、長史、司馬、録事参軍事、功曹、戸曹・兵曹等の参軍事、法曹・士曹等の行参軍、行参軍、典籤、州都光初主簿、郡正、主簿、西曹書佐、祭酒従事、部郡従事、倉督、市令・丞等の員を置く。佐史を合わせて、総員三百二十三人。上中州は上州の吏属を十二人減ずる。上下州は上中州より十六人減ずる。中上州は上下州より二十九人減ずる。中中州は中上州より二十人減ずる。中下州は中中州より二十人減ずる。下上州は中下州より三十二人減ずる。下中州は下上州より十五人減ずる。下下州は下中州より十二人減ずる。
郡には太守、丞、尉、正、光初功曹、光初主簿、県正、功曹、主簿、西曹、金曹・戸曹・兵曹・法曹・士曹等の曹、市令等の員を置く。佐史を合わせて、総員一百四十六人。上中郡は上上郡の吏属を五人減ずる。上下郡は上中郡より四人減ずる。中上郡は上下郡より十九人減ずる。中中郡は中上郡より六人減ずる。中下郡は中中郡より五人減ずる。下上郡は中下郡より十九人減ずる。下中郡は下上郡より五人減ずる。下下郡は下中郡より六人減ずる。
県には、令・丞・尉・正・光初功曹・光初主簿・功曹・主簿・西曹・金・戸・兵・法・士等の曹佐、及び市令などの員を置く。合わせて九十九人。上中県は、上上県の吏属四人を減ずる。上下県は、上中県の五人を減ずる。中上県は、上下県の十人を減ずる。中中県は、中上県の五人を減ずる。中下県は、中中県の五人を減ずる。下上県は、中下県の十二人を減ずる。下中県は、下上県の六人を減ずる。下下県は、下中県の五人を減ずる。
州には、総管を置く者は、上・中・下の三等に列する。総管刺史は使持節を加える。
鎮には、将・副を置く。戍には、主・副を置く。関には、令・丞を置く。その制度は、官属それぞれ三等の差を立てる。
同州には、総監・副監各一人を置き、二丞を置く。食貨・農圃の二監・副監を統べる。岐州にも監・副監を置く。諸冶にも三等の監を置く。それぞれに丞員がある。
塩池には、総監・副監・丞などの員を置く。東西南北面などの四監を管し、これもそれぞれ副監及び丞を置く。隴右牧には、総監・副監・丞を置き、諸牧を統べる。その驊騮牧及び二十四軍馬牧は、毎牧に儀同及び尉・大都督・帥都督などの員を置く。驢騾牧には、帥都督及び尉を置く。原州羊牧には、大都督並びに尉を置く。原州駝牛牧には、尉を置く。また皮毛監・副監及び丞・録事がある。また塩州牧監には、監及び副監を置き、丞を置き、諸羊牧を統べ、牧には尉を置く。苑川十二馬牧は、毎牧に大都督及び尉各一人、帥都督二人を置く。沙苑羊牧には、尉二人を置く。縁辺交市監及び諸屯監は、毎監に監・副監各一人を置く。畿内のものは司農に隷属し、それ以外は諸州に隷属する。
五嶽にはそれぞれ令を置き、また呉山令があり、その灑掃を供する。
諸官の品
三師・王・三公は、正一品とする。
上柱国・郡王・国公・開国郡県公は、従一品とする。
柱国・太子三師・特進・尚書令・左右光禄大夫・開国侯は、正二品とする。
上大将軍・尚書左右僕射・雍州牧・金紫光禄大夫は、従二品とする。
大将軍、吏部尚書、太常・光禄・衛尉等の三卿、太子三少、納言、内史令、左右衛・左右武衛・左右武候・領左右等の大将軍、礼部・兵部・都官・度支・工部尚書、宗正・太僕・大理・鴻臚・司農・太府等の六卿、上州刺史、京兆尹、秘書監、銀青光禄大夫、開国伯は、正三品とする。
上開府儀同三司、散騎常侍、左右衛・武衛・武候・領左右・監門等の将軍、国子祭酒、御史大夫、将作大匠、中州刺史、親王師、朝議大夫は、従三品とする。
驃騎将軍、開府儀同三司、太常・光禄・衛尉等の三少卿、太子左右衛・宗衛・内等率、尚書吏部侍郎、給事黄門侍郎、太子左庶子、宗正・太僕・大理・鴻臚・司農・太府等の少卿、下州刺史、已前上階。内史侍郎、太子右庶子、通直散騎常侍、左右監門郎将、朝散大夫、開国子は、正四品とする。
上儀同三司、尚書左丞、太子左右衛・宗衛・内等副率、左右監門率、上郡太守、雍州別駕、親王府長史、太子家令、率更令・僕、内侍、城門校尉、已前上階。尚書右丞、上鎮将軍、雍州賛務、直闔将軍、親王府司馬、諫議大夫は、従四品とする。
車騎将軍、儀同三司、内常侍、秘書丞、国子博士、散騎侍郎、太子内舎人、太子左右監門副率、員外散騎常侍、上州長史、親王府諮議参軍事、開国男、以上は上階である。尚食・尚薬典御、上州司馬、これらは正五品とする。
著作郎、通直散騎侍郎、中郡太守、直寝、太子洗馬、中州長史、奉車都尉、以上は上階である。都水使者、治書侍御史、大興・長安令、大理司直、直斎、太子直閤、京兆郡丞、中州司馬、中鎮将、上鎮副、内給事、駙馬都尉、親王友、員外散騎侍郎、これらは従五品とする。
翊軍・翊師将軍、尚書諸曹侍郎、内史舎人、下郡太守、大都督、親王府掾属、下州長史、以上は上階である。四征将軍(征東・征南・征西・征北)。三将軍(内軍・鎮軍・撫軍)。大理正・監・評、千牛備身左右、左右監門校尉、内尚食典御、符璽監、御府監、殿内監、太子内直監、下州司馬、下鎮将、中鎮副、これらは正六品とする。
四平将軍(平東・平南・平西・平北)。四将軍(前軍・後軍・左軍・右軍)。通事舎人、親王文学、帥都督、左右領軍府長史、太子直寝、親王府主簿、親王府録事参軍事、太子門大夫、給事、上県令、以上は上階である。冠軍・輔国の二将軍、太子舎人、直後、三寺丞、親王府功曹・記室・倉戸曹参軍事、城門直長、太子直斎、太子副直監、太子典内、左右領軍府司馬、下鎮副、これらは従六品とする。
鎮遠・安遠の二将軍、員外散騎侍郎、御医、左右衛・武衛・武候・領左右等府長史、親衛、親王府諸曹参軍事、以上は上階である。建威・寧朔の二将軍、六寺丞、秘書郎、著作佐郎、太子千牛備身、太子備身左右、尚食・尚薬・左右監門等直長、太子通事舎人、左右衛・武衛・武候・領左右等府司馬、都督、太子典膳・薬蔵等監、太子斎帥、上戍主、これらは正七品とする。
寧遠・振威の二将軍、左右監門府長史、太子左右衛・宗衛等率、左右虞候・左右内率等府長史、符璽・御府・殿内等直長、上州録事参軍事、左右領軍府掾属、親王府東西閣祭酒、中県令、上郡丞、太子親衛、将作丞、勲衛、親王府参軍事、上鎮長史、以上は上階である。伏波・軽車の二将軍、太学・太常の二博士、武騎常侍、奉朝請、国子助教、親王府諸曹行参軍、太子直後、太子左右監門直長、大興・長安県丞、太子侍医、侍御史、太史令、上州諸曹参軍事、左右監門府・太子左右衛・左右宗衛・左右虞候・左右内率等司馬、上鎮司馬、これらは従七品とする。
宣威・明威の二将軍、協律郎、都水丞、殿内将軍、太子左右監門率府長史、別将、下県令、中郡丞、中州録事参軍事、上上州諸曹行参軍事、親王府行参軍、左右領軍府録事参軍事、中鎮長史、太子内坊丞、太子勲衛、以上は上階である。襄威・厲威の二将軍、殿内御史、掖庭・宮闈の二令、上署令(公車・郊社・太廟・太祝・平準・太楽・驊騮・武庫・典客・鉤盾・左蔵・太倉・左尚方・右尚方・司染・典農・京市・太官・鼓吹)。太子左右監門率府司馬、中州諸曹参軍事、左右衛・武衛・武候等府録事参軍事、左右領軍府諸曹参軍事、内尚食丞、中戍主、上戍副、これらは正八品とする。
威戎・討寇の二将軍、四門博士、主書、門下録事、尚書都事、監察御史、内謁者監、上関令、中署令(太医・右蔵・黄廟・乗黄・龍廟・衣冠・守宮・華林・上林・掌冶・導官・左校・右校・牛羊・典牧)。下郡丞、下州録事参軍事、中州諸曹行参軍、備身、左右衛・武衛・武候・領左右等府諸曹参軍事、左右領軍府諸曹行参軍、太子左右衛・宗衛・率等府録事参軍事、下鎮長史、太子翊衛、以上は上階である。蕩寇・蕩難の二将軍、親王府長兼行参軍及び典籤、員外将軍、統軍、太子三寺丞、中関令、奚官・内僕の二令、下署令(諸陵・崇玄・太卜・車府・清商・司儀・肴蔵・良醖・掌醢・甄官・廩犧)。上津尉、下州諸曹参軍事、左右衛・武衛・武候等府諸曹行参軍、領左右府鎧曹行参軍、左右監門・太子左右衛・宗衛等率、左右虞候、左右内率等府諸曹参軍事、掌船局都尉、上鎮諸曹参軍事、上県丞、上郡尉、これらは従八品とする。
殄寇・殄難の二将軍、太学助教、太子備身、大理寺律博士、諸校書郎、都水参軍事、内史録事、内謁者令、内寺伯、中県丞、下関令、中津尉、下州諸曹行参軍、上州行参軍、左右監門府鎧曹行参軍、太子左右衛・宗衛・虞候府等諸曹行参軍、太子左右内率府鎧曹行参軍、左右領軍府行参軍、中鎮諸曹参軍事、上鎮士曹行参軍、中郡尉、以上は上階である。掃寇・掃難の二将軍、殿内司馬督、太子食官・典倉・司蔵等令、尚食・尚医・軍主・太史・掖庭・宮闈局等丞、上署丞、太子左右監門率府諸曹参軍事、中州行参軍、左右衛・武衛・武候等府行参軍、上州典籤、下戍主、上関丞、太子典膳・薬蔵等局丞、下郡尉、典客署掌客、司辰師、これらは正九品とする。
曠野将軍・横野将軍、掖庭局宮教博士、太祝、太子廄牧令、太子校書、下県丞、中署丞、左右監門率府鎧曹行参軍、下州行参軍、中州典籤、左右監門府・太子左右衞・宗衞・虞候・率府等の行参軍、正字、太子内坊丞直、中関・上津丞、下鎮諸曹参軍事、中鎮士曹行参軍、上県尉、以上は上階である。偏将軍・裨将軍、四門助教、書算学博士、奉礼郎、員外司馬督、幢主・奚官・内僕等局丞、下署丞、下州典籤、内謁者局丞、中津丞、中県尉、太子正字、太史監候、太官監膳、禦府局監事、左右校及び掖庭監作、太史司暦、諸楽師、これらは従九品に属す。
流内の品階
また流内視品十四等あり。
行臺尚書令は、視正二品とする。
上総管・行臺尚書僕射は、視従二品とする。
中総管・行臺諸曹尚書は、視正三品とする。
下総管は、視従三品とする。
行臺尚書左右丞は、視従四品とする。
同州総監・隴右牧総監は、視従五品とする。
行臺諸曹侍郎は、視正六品とする。
上柱国・嗣王・郡王・柱国府長史・司馬・諮議参軍事、塩池総監、同州・隴右牧総副監、王・二王后国令、これらは視従六品とする。
上将軍・大将軍府長史・司馬、上柱国・嗣王・郡王・柱国府掾属、嗣王文学、公国令、王・二王后大農尉・典衞、これらは視正七品とする。
上開府・開府府長史・司馬、上将軍・大将軍府掾属、上柱国・嗣王・郡王・柱国府諸曹参軍事、塩池総副監、塩州牧監、諸屯監、国子学生、侯・伯国令、公国大農尉・典衞・雍州薩保、これらは視従七品とする。
上儀同・儀同府長史・司馬、上将軍・大将軍府諸曹参軍事、上柱国・嗣王・郡王・柱国府参軍事・諸曹行参軍、行臺諸監、同州諸監、塩池四面監、皮毛監、岐州監、同州総監・隴右牧監等の丞、諸大冶監、雍州州都主簿、子・男国令、侯・伯国大農尉・典衞、王・二王后国常侍、これらは視正八品とする。
行臺尚書都事、上開府・開府府諸曹参軍事、上将軍・大将軍府参軍事・諸曹行参軍、上柱国・嗣王・郡王・柱国府行参軍、五嶽・四瀆・呉山等の令、塩池四面副監、諸皮毛副監、行臺諸副監、諸屯副監、諸中冶監、諸縁辺交市監、塩池総監丞、諸州州都主簿、雍州西曹書佐・諸曹從事、京兆郡正功曹、太学生、子・男国大農・典衞、これらは視従八品とする。
開府府法曹行参軍、上儀同・儀同府諸曹参軍事、上大将軍・大将軍府行参軍、上柱国・嗣王・郡王・柱国府典籤、同州諸副監、岐州副監、諸小冶監、塩州牧監丞、諸大冶監丞、諸縁辺交市副監、諸郡正・功曹、京兆郡主簿、諸州西曹書佐・祭酒従事、雍州部郡従事、公国常侍、王・二王后国侍郎、公主家令、諸州胡二百戸以上薩保、これらを視正九品とする。
儀同府法曹行参軍、上開府・開府府行参軍、上大将軍・大将軍府典籤、上儀同・儀同府行参軍、上開府府典籤、行台諸監丞、塩池四面監丞、皮毛監丞、諸中冶監丞、四門学生、諸郡主簿、諸州部郡従事、雍州武猛従事、大興・長安県正・功曹・主簿、侯・伯・子・男国常侍、公国侍郎、これらを視従九品とする。
流外勲品
また流外勲品・二品・三品・四品・五品・六品・七品・八品・九品の差がある。また視流外にも、視勲品・視二品・視三品・視四品・視五品・視六品・視七品・視八品・視九品の差がある。胥吏に至るまで極まり、皆上下階はないという。
諸官の禄
京官正一品は禄九百石、その下は毎に百石を差として、正四品に至れば、これ三百石である。従四品は二百五十石、その下は毎に五十石を差として、正六品に至れば、これ百石である。従六品は九十石、以下は毎に十石を差として、従八品に至れば、これ五十石である。食封及び官で事を判じない者は、並びに九品、皆禄を与えない。その給付は皆春秋二季による。刺史・太守・県令は、戸数を計って禄を与え、各々戸数を以て九等の差とする。大州は六百二十石、その下は毎に四十石を差として、下下に至れば、三百石である。大郡は三百四十石、その下は毎に三十石を差として、下下に至れば、百石である。大県は百四十石、その下は毎に十石を差として、下下に至れば、六十石である。その禄は刺史の二佐及び郡守・県令にのみ及ぶ。
十四年、諸省は各々主事令史の員を置く。九等の州県を上・中・中下・下の四等に改める。
十五年、州県の郷官を罷める。
十六年、内侍省に内主事員二十人を加置し、門閣の事務を承けしめる。
十八年、備身府を置く。
二十年、将作寺を監と改め、大匠を大監とする。初めて副監を加置する。
煬帝の制度改定
尚書省六曹
尚書省の六曹には、各々侍郎一人を置き、尚書の職を副うこととした。また左右丞の階を増し、六侍郎と並んで正四品とした。諸曹の侍郎は皆郎と改めた。また吏部を選部郎と改め、戸部を人部郎と改め、礼部を儀曹郎と改め、兵部を兵曹郎と改め、刑部を憲部郎と改め、工部を起部郎と改め、六侍郎の名と異ならしめ、諸司の員外郎を廃し、毎に一曹の郎を増置し、各二員とした。都司郎は各一人、品は曹郎と同じく、都事の職を掌り、都事を正八品とし、六尚書に分属させた。諸司の主事は、皆令史の名を取り去った。その令史は曹の閑劇に随って置いた。毎に十令史に一主事を置き、十に満たない場合も一人を置いた。その他の四省三臺も、皆令史と称し、九寺五監諸衛府は、皆府史と称した。後にまた主客郎を司蕃郎と改めた。まもなくまた毎に一郎を減らし、承務郎一人を置き、員外の職と同じくした。
散官諸階
内史省
殿内省
殿内省は監(正四品)・少監(従四品)・丞(従五品)を各一人置き、諸供奉を掌らせた。また奉車都尉十二人を置き、進御の輿馬を掌らせた。尚食・尚薬・尚衣・尚舎・尚乗・尚輦の六局を統べ、各々奉御二人(正五品)を置いた。皆直長を置き、これを副とした(正七品)。尚食直長は六人、また食医の員あり。尚薬直長は四人、また侍御医・司医・医佐の員あり。尚衣は即ち旧御府なり、名を改め、直長四人あり。尚舎は即ち旧殿中局なり、名を改め、直長八人あり。尚乗局は左右六閑を置く:一に左右飛黄閑、二に左右吉良閑、三に左右龍媒閑、四に左右騊駼閑、五に左右駃騠閑、六に左右天苑閑。直長十四人あり、また奉乗十人あり。尚輦には直長四人あり、また掌輦六人あり。城門には校尉一人を置き、降格して正五品とした。後にまた校尉を城門郎と改め、員四人を置き、従六品とした。殿内省より門下省の官に隷属させた。
秘書省
秘書省は監を降格して従三品とし、少監一人を増置した(従四品)。著作郎の階を増して正五品とし、校書郎を十人に減じた。太史局を監と改め、令の階を進めて従五品とし、また丞を一人に減じた。司辰師八人を置き、監候を増置して十人とした。その後また監・少監を令・少令と改めた。秘書郎を増して従五品とし、佐郎四人を加置し(従六品)、郎の職を副うこととした。著作郎の階を降格して従五品とした。また儒林郎十人(正七品)を置き、明経を掌り問いに待ち、詔により使わしむるのみとした。文林郎二十人(従八品)を置き、文史を撰録し、旧事を検討することを掌らせた。この二郎は皆、上(煬帝)が藩王であった時より直司の学士であった者である。校書郎の員を四十人に増し、楷書郎の員二十人(従九品)を加置し、御書を抄写することを掌らせた。
御史臺
御史臺は治書侍御史を増して正五品とした。殿内御史の員を省き、監察御史の員を十六人に増し、階を加えて従七品とした。開皇年間、御史は禁中に直宿したが、この時に至りその制を罷めた。また主簿・録事の員を各二人置いた。五年(609年)、また大夫の階を降格して正四品とし、治書侍御史を減じて従五品とした。侍御史を増して正七品とし、ただ侍従糾察を掌るのみとし、臺中の簿領は皆、治書侍御史がこれを主った。後にまた御史(従九品)を増置したが、まもなくまた省いた。
謁者臺
謁者臺には大夫一人を置き、従四品とする。五年に、正四品に改めた。詔を受けて慰労訪問し、使いに出て慰問撫恤し、節を持って巡察し官職を授け、及び冤枉を受けた者を受け取り申し上げ奏聞することを掌る。車駕が出る時は、御史に対し先導を務める。司朝謁者二人を置いてこれを補佐させる。従五品である。属官には丞一人、主簿・録事各一人などがいる。また通事謁者二十人あり、従六品である。これは内史の通事舍人の職務と同じである。次に議郎二十四人、通直三十六人、将事謁者三十人、謁者七十人があり、皆使いに出ることを掌る。その後、議郎、通直、将事謁者、謁者などの員を廃し、代わりに員外郎八十員を置いた。まもなく詔して、門下・内史・御史・司隸・謁者の五つの官署に、上表文を受け取ることを監察させ、恒常の方式とし、もはや謁者に専任させなかった。まもなくまた散騎郎を置く。従五品、二十人。承議郎、正六品。通直郎、従六品。各三十人。宣徳郎、正七品。宣義郎、従七品。各四十人。従事郎、正八品。将仕郎、従八品。常従郎、正九品。奉信郎、従九品。各五十人。これが正員である。並びにその品に相当する俸禄を得る。またそれぞれに散員郎があり、定員がなく俸禄もない。まもなく常従を登仕に、奉信を散従に改めた。散騎以下は、皆使いに出ることを主管し、事の大小を量り、品に基づいてこれを派遣する。
司隸臺
司隸臺には大夫一人を置き、正四品とする。諸々の巡察を掌る。別駕二人あり、従五品である。畿内を分けて巡察し、一人は東都を査察し、一人は京師を査察する。刺史十四人あり、正六品である。畿外を巡察する。諸郡の從事四十人あり、刺史の巡察を補佐する。その掌る所は六条である。一に品官以上が政務を処理する能力の有無を察する。二に官人の貪婪残酷で政事を害することを察する。三に豪強の奸猾で下民を侵害し、及び田宅が制度を超え、官司が禁止できない者を察する。四に水害・旱害・虫害の災害を、実情を以て言わず、枉って賦役を徴収し、及び災害がないのに妄りに免除する者を察する。五に管内の賊盗を、窮め追うことができず、隠して申告しない者を察する。六に德行孝悌、茂才異行がありながら、隠れて貢挙されない者を察する。毎年二月に軽車に乗って郡県を巡り、十月に入って奏上する。丞(従六品)、主簿(従八品)、録事(従九品)を各一人置く。後にまた司隸臺を廃止したが、司隸從事の名称は残し、常置の官とはしなかった。臨時に京官の清廉明察な者を選び、権限を持って代理させて行わせる。
九寺
光禄以下の八寺の卿は、皆従三品に降格された。少卿は各々二人を加えて置き、従四品とする。諸寺の上署の令は、並びに正六品に増やされ、中署の令は従六品、下署の令は正七品とする。初め開皇年間には、署司はただ受納を掌るのみであったが、この時に至って署令が判決の首長となり、二卿の判決を取る。丞はただ勾検を知るのみである。令が欠けた時は、丞が判決する。五年に、寺の丞は並びに従五品に増やされた。
太常寺は太祝署を廃止し、太祝員八人を残して寺に属させた。後にまた十人に増員した。奉礼は六人に減らして置く。太廟署はまた陰室丞を置き、陰室を守り監視させる。楽師を楽正に改め、十人を置く。太卜はまた博士の員を省き、太卜卜正二十人を置いてその事を掌らせる。太醫はまた醫監五人、正十人を置く。衣冠・清商の二署を廃止する。
太僕は驊騮署を減らして殿内尚乗局に組み入れ、龍廄を典廄署と改称し、左・右駁皁の二廄がある。主乗・司庫・司廩の官を加えて置く。牛羊署を廃止する。
大理寺の丞は勾検官に改め、正員を六人に増員し、獄事を分けて判決する。司直十六人を置き、従六品に降格し、後に二十人に加増した。また評事四十八人を置き、掌る所は司直とほぼ同じで、正九品である。
鴻臚寺は典客署を典蕃署に改める。初め煬帝は建國門外に四方館を置き、四方の使者を接待したが、後にこれを廃止し、用事がある時だけ置き、名称は鴻臚寺に属し、事の繁簡を量り、臨時に増減した。東方を東夷使者、南方を南蠻使者、西方を西戎使者、北方を北狄使者と称し、各一人ずつで、その方の国及び互市の事を掌る。各使者の官署には、典護録事・敘職・敘儀・監府・監置・互市監及び副・参軍を各一人ずつ置く。録事は綱紀を主管する。敘職はその貴賤や功績により叙任すべき者を掌る。敘儀は大小の順序を掌る。監府はその貢献する財貨を掌る。監置はその駱駝・馬・船・車の安置を掌り、併せて非違を糾察する。互市監及び副は互市を掌る。参軍事は出入りと交易を掌る。
司農はただ上林・太倉・鉤盾・導官の四署を統べ、典農・華林の二署を廃止し、平准・京市を太府に属させる。
太府寺は既に少府監に分割されたため、ただ京都市の五署及び平准・左右蔵など、合わせて八署を管轄するのみである。京師の東市を都会と称し、西市を利人と称す。東都の東市を豊都と称し、南市を大同と称し、北市を通遠と称す。及び諸々の令を監に改めたが、ただ市署のみは令と称する。
五監
少府監には監を置き、従三品、少監を置き、従四品、各一人。丞は従五品、二人。左尚・右尚・内尚・司織・司染・鎧甲・弓弩・掌冶等の署を統べる。また監・少監を令・少令に改め、司織・司染を合わせて織染署とし、鎧甲・弓弩の二署を廃す。
都水監を使者に改め、正五品に増し、丞を従七品とする。舟楫・河渠の二署を統べる。舟楫署には各津に尉一人を置く。五年、また使者を監に改め、四品とし、少監を加置し、五品とする。後にまた監・少監を令に改め、従三品、少令を従四品とする。
長秋監には令一人を置き、正四品、少令一人を置き、従五品、丞二人を置き、正七品。いずれも士人を用いる。内常侍を内承奉に改め、二人を置き、正五品。給事を内承直に改め、四人を置き、従五品。いずれも宦者を用いる。内謁者官を罷め、掖庭・宮闈・奚官等の三署を領し、いずれも士人を参用する。後にまた内謁者員を置く。
十六衞
十二衞には、各々大將軍一人、將軍二人を置き、府事を総べ、諸鷹揚府を統べる。驃騎を鷹揚郎將に改め、正五品。車騎を鷹揚副郎將に改め、従五品。大都督を校尉に改める。帥都督を旅帥に改める。都督を隊正に改め、隊副を増置してこれを副とする。三衞を三侍に改める。直閤將軍・直寢・奉車都尉・駙馬都尉・直齋・別將・統軍・軍主・幢主の類は、いずれも廃す。武候府の司辰師員を以て、太史局の官に隷属させる。その軍士は、左右衞の領するものを驍騎と名付け、左右驍衞の領するものを豹騎と名付け、左右武衞の領するものを熊渠と名付け、左右屯衞の領するものを羽林と名付け、左右禦衞の領するものを射聲と名付け、左右候衞の領するものを佽飛と名付け、総じて衞士と号す。各衞に護軍四人を置き、將軍を副貳することを掌る。將軍がいなければ一人がこれを摂す。まもなく護軍を武賁郎將に改め、正四品とし、武牙郎將六人を置き、これに副とし、従四品とする。諸衞は皆長史を置き、従五品。また録事參軍、司倉・兵・騎・鎧等の員がある。翊衞にはまた親侍を加える。鷹揚府には各府に鷹揚郎將一人を置き、正五品、副鷹揚郎將一人を置き、従五品、各々司馬及び兵・倉の両司がある。その府は親・勳・武の三侍を領し、翊衞府でなければ、皆三侍はない。鷹揚府には各府に越騎校尉二人を置き、騎士を掌り、歩兵校尉二人を置き、歩兵を領し、いずれも正六品とする。外軍の鷹揚官も同じ。左右候衞には察非掾二人を増置し、専ら糾弾の事に当たる。五年、また副郎將を並べて鷹撃郎將に改める。
左右領左右府を左右備身府に改め、各々備身郎將一人を置く。また各々直齋二人を置いてこれを副とし、いずれも正四品、左右の侍衞を掌る。千牛左右・司射左右各十六人を統べ、いずれも正六品。千牛は千牛刀を執り宿衞することを掌り、司射は御用の弓箭を供することを掌る。長史を置き、正六品、録事、司兵・倉・騎、參軍等の員を置き、いずれも正八品。折衝郎將があり、各三人、正四品、驍果を領することを掌る。また各々果毅郎將三人を置いてこれを副とし、従四品。その驍果には、左・右雄武府の雄武郎將を置いてこれを領させる。武勇郎將を副員とし、鷹揚・鷹撃と同じ。司兵・司騎の二局があり、並びに參軍事を置く。
左右監門府は、將軍を郎將に改め、各一人を置き、正四品、直閣各六人を置き、正五品。官属を置き、備身府と同じ。また左右門尉員一百二十人を増し、正六品。門候員二百四十人を置き、正七品。並びに門禁守衞を分掌する。
東宮諸官
門下坊は内舍人・洗馬の員を減らし、各二人を置き、侍醫を減らし、二人を置く。門大夫を宮門監に改め、正字を正書に改める。
典書坊は太子舍人を管記舍人に改め、四人に減置し、通事舍人を宣令舍人に改め、八員とする。家令を司府令に改め、内坊承直を典直に改める。
左右衞率を左右侍率に改め、正四品。親衞を功曹に改め、勳衞を義曹に改め、翊衞を良曹に改める。直齋・直閣の員を罷める。
左右宗衞率を左右武侍率に改め、正四品。
左右虞候開府を左右虞候率に改め、正四品、並びに副率を置く。
左右内率は正五品に降す。千牛備身を司仗左右に改め、備身左右を主射左右に改める。各員八人。
左右監門率を宮門將に改め、正五品に降す。監門直長を直事に改め、六十人を置く。
爵位
開皇年間に、国王・郡王・国公・郡公・県公・侯・伯・子・男の九等を置いたが、この時に至っては王・公・侯の三等のみを留め、その余は全て廃止した。
王府の諸司参軍は、名を改めて諸司書佐とし、属参軍は則ち直ちに属を以て名とした。国令を改めて家令とした。その他国を以て名とするものは、皆これを除いた。
総監司
行宮の所在する所には、皆総監を立ててこれを司らせた。上宮は正五品、中宮は従五品、下宮は正七品。隴右の諸牧には、左・右牧監各一人を置き、以て統べることを司らせた。
郡・県
州を廃して郡を置き、郡には太守を置いた。上郡は従三品、中郡は正四品、下郡は従四品。京兆・河南は則ち倶に尹とし、並びに正三品。長史・司馬を廃し、賛務一人を置き以てこれに副えしめた。京兆・河南は従四品、上郡は正五品、中郡は従五品、下郡は正六品。次に東西曹掾を置き、京兆・河南は従五品、上郡は正六品、中郡は従六品、下郡は正七品。主簿、司功・倉・戸・兵・法・士曹等の書佐は、各郡の大小に因って増減した。行参軍を改めて行書佐とした。旧来に兵のある所は、則ち刺史が諸軍事を帯びてこれを統べたが、この時に至って別に都尉・副都尉を置いた。都尉は正四品、兵を領し、郡とは相知らなかった。副都尉は正五品。また京輔都尉を置き、従三品、潼関に府を立て、兵を主として遏えを領した。並びに副都尉を置き、従四品。また諸防の主・副官を置き、その職掌は諸鎮と同じ。大興・長安・河南・洛陽の四県令は、並びに増して正五品とした。諸県は皆、管轄する閑劇及び衝要を以て等級とした。丞・主簿は従前の如し。その後、諸郡は各通守一人を加置し、位は太守の次、京兆・河南では、則ちこれを内史と謂った。また郡の賛務を改めて丞とし、位は通守の下、県尉を県正とし、尋いで正を改めて戸曹・法曹とし、分かれて司り以て郡の六司を承けた。河南・洛陽・長安・大興は、則ち功曹を加置し、而して三司と為し、司各二人。郡県の仏寺は、道場と改め、道観は玄壇と改め、各監・丞を置いた。京都の諸坊は里と改め、皆里司を省除し、官を以てその事を主らせた。