隋書

巻025

巻二十五志第二十

巻二十五志第二十

原文卷二十五志第二十 ► 卷二十六

序

原文序

刑とは、死生の命を制し、善悪の源を詳らかにし、乱を翦ぎ暴を誅し、人の非行を禁ずるものである。聖王は天を仰いで法星を視、傍らに習坎を観、五気を弥縫し、四時を則と取り、春風に先んじて恩を播き、秋霜に後れて憲を動かすことなきはない。ここに慈恵愛を宣べ、その萌芽を導き、刑罰威怒を、その粛殺に随わしむ。仁恩をもって情性と為し、礼義をもって綱紀と為し、化を養うをもって本と為し、刑を明らかにするをもって助けと為す。上に道あれば、これを刑して刑なきに至り、上に道なきときは、これを殺しても勝てないのである。記に曰く、「徳を以てこれを教え、礼を以てこれを斉うれば、則ち人に格心あり。政を以てこれを教え、刑を以てこれを斉うれば、則ち人に遁心あり」と。善を勧めることを始めとし、暴を禁ずることを終わりとし、これをもって民を養うには、必ず刑罰を兼ねる。時に交泰に逢い、政忠厚と称せられ、美化と車軌と攸に同じくし、至仁と嘉祥かしょうと間出するに至っては、歳ごとに平典を布き、年ごとに簡憲を垂れる。昭然として日月の如く、これを望む者迷わず、曠乎として大路の如く、これを行く者惑わない。

原文夫刑者,制死生之命,詳善惡之源,翦亂誅暴,禁人為非者也。聖王仰視法星,旁觀習坎,彌縫五氣,取則四時,莫不先春風以播恩,後秋霜而動憲。是以宣慈惠愛,導其萌芽,刑罰威怒,隨其肅殺。仁恩以為情性,禮義以為綱紀,養化以為本,明刑以為助。上有道,刑之而無刑;上無道,殺之而不勝也。記曰:「教之以德,齊之以禮,則人有格心。教之以政,齊之以刑,則人有遁心。」而始乎勸善,終乎禁暴,以此字人,必兼刑罰。至於時逢交泰,政稱忠厚,美化與車軌攸同,至仁與嘉祥間出,歲布平典,年垂簡憲。昭然如日月,望之者不迷,曠乎如大路,行之者不惑。

刑とは甲兵であり、鈇鉞であり、刀鋸鑽鑿であり、鞭扑榎楚であり、原野に陳べ市朝に肆するもので、その由来することもまた久しい。龍官の歳、鳳紀の前のごときは、結繩して違わず、令せずして人畏る。五帝は象を画きてその衣服を殊にし、三王は肉刑を以てその膚体を刻む。重華の眚災肆赦、文命の刑罰三千のごとき、都君の刑を卹うは尚ほ唐堯の徳を奉じ、高密の罪に泣くは猶お虞舜の心を懐く。殷より以降、徳を去ること滋く遠し。紂もし成湯に遵い、炮格を造らず、刑を設けて礼を兼ね、位を守りて仁に依らば、則ち西伯轡を斂めて田叟と化したであろう。周王は三刺を立てて濫れざらしめ、三宥を弘めて物を開き、成・康は四十二年の間に、刑措いて用いず。薰風潜かに暢び、頌声遐く挙がり、越裳重訳して、万里来帰す。もし魯が燕・斉に接し、荊が鄭・晋に隣るがごときは、時の尚うところは弁舌に資り、国の恃むところは威刑に在らず。ここに纔に夷蒐を鼓すれば、宣尼誚け致し、既に刑辟を鑄すれば、叔向書を貽う。夫れ勃澥の浸は千里に沾濡す、列国の政は豈に周の膏潤なる者ならんや。秦氏は僻く西戎より出で、初めて区夏を平ぐ、時に戈を投げ甲を棄て、恩を仰ぎ惠を祈るに、乃ち政教に厳霜を落とし、邦国に流電を揮い、灰を棄て偶語するを、前に愁怨を生じ、毒網凝科を、後に肌膚を害す。玄鉞は朝市に肆し、赭服は路衢に飄い、将閭に一劍の哀あり、茅焦は列星の数を請う。漢高祖こうそは初め三章の約を以て、秦人を慰め、孝文は躬親玄黙して、遂に天網を疎かにす。孝宣は枢機周密にして、法理詳備し、于定国を選んで廷尉と為し、黄霸を以て廷平と為す。毎に季秋の後に、諸の請讞する所、帝は常に宣室に幸し、斎して事を決し、明察平恕にして、寬簡と号せらる。光武こうぶ中興して、その旧を移さず、ここに二漢の羣后、残酷を聞くこと罕なり。魏武は易釱の科を造り、明皇は減死の令を施すも、中原凋敝し、呉・蜀三分し、哀矜折獄も亦未だ暇あらず。晋氏は呉を平げ、九州寧一す、乃ち賈充に命じ、大いに刑憲を明らかにす。内には以て百姓を平章し、外には以て万邦を和協し、実に軽平と曰い、簡易と称せらる。ここに宋・斉方駕して、その余軌を轥む。もし刑喜悪に随い、道正直に暌い、憲を布くこと秋荼に擬し、網を設くること朝脛に踰え、恣に夷翦を興し、情霊を快くせんと取るがごときは、隋高祖の無辜に刃を揮う、斉文宣の軽刀臠割のごとき、これ所謂る匹夫の私讐にして、国典に関せず。孔子曰く、「刑乱れて諸の政に及び、政乱れて身に及ぶ」と。心の詣る所は、則ち善悪の本原なり。彪・約の製する所、刑法篇無く、臧・蕭の書は、また多く漏略す。ここにその遺事を撮り、隋氏に至るまで、篇に附す。

原文刑者甲兵焉,鈇鉞焉,刀鋸鑽鑿,鞭扑榎楚,陳乎原野而肆諸市朝,其所由來,亦已久矣。若夫龍官之歲,鳳紀之前,結繩而不違,不令而人畏。五帝畫象,殊其衣服,三王肉刑,刻其膚體。若重華之眚災肆赦,文命之刑罰三千,而都君卹刑,尚奉唐堯之德,高密泣罪,猶懷虞舜之心。殷因以降,去德滋遠。若紂能遵成湯,不造炮格,設刑兼禮,守位依仁,則西伯斂轡,化為田叟。周王立三刺以不濫,弘三宥以開物,成、康以四十二年之間,刑厝不用。薰風潛暢,頌聲遐舉,越裳重譯,萬里來歸。若乃魯接燕、齊,荊鄰鄭、晉,時之所尚,資乎辯舌,國之所恃,不在威刑。是以纔鼓夷蒐,宣尼致誚,既鑄刑辟,叔向貽書。夫勃澥之浸,沾濡千里,列國之政,豈周之膏潤者歟!秦氏僻自西戎,初平區夏,于時投戈棄甲,仰恩祈惠,乃落嚴霜於政教,揮流電於邦國,棄灰偶語,生愁怨於前,毒網凝科,害肌膚於後。玄鉞肆於朝市,赭服飄於路衢,將閭有一劍之哀,茅焦請列星之數。漢高祖初以三章之約,以慰秦人,孝文躬親玄默,遂疎天網。孝宣樞機周密,法理詳備,選于定國為廷尉,黃霸以為廷平。每以季秋之後,諸所請讞,帝常幸宣室,齋而決事,明察平恕,號為寬簡。光武中興,不移其舊,是以二漢羣后,罕聞殘酷。魏武造易釱之科,明皇施減死之令,中原凋敝,吳、蜀三分,哀矜折獄,亦所未暇。晉氏平吳,九州寧一,乃命賈充,大明刑憲。內以平章百姓,外以和協萬邦,實曰輕平,稱為簡易。是以宋、齊方駕,轥其餘軌。若乃刑隨喜怒,道暌正直,布憲擬於秋荼,設網踰於朝脛,恣興夷翦,取快情靈。若隋高祖之揮刃無辜,齊文宣之輕刀臠割,此所謂匹夫私讎,非關國典。孔子曰:「刑亂及諸政,政亂及諸身。」心之所詣,則善惡之本原也。彪、約所製,無刑法篇,臧、蕭之書,又多漏略。是以撮其遺事,以至隋氏,附于篇云。

刑法

原文刑法

梁の武帝は斉の昏虐の余を承け、刑政多く僻し。即位するや、乃ち権典を制し、周・漢の旧事に依り、罪ある者は贖う。その科は、凡そ官に在りて身犯す者は、罰金。鞭杖杖督の罪は、悉く贖に入れて罰を停む。その台省の令史士卒贖わんと欲する者は、これを聴す。時に律令を議定せんと欲し、斉の時の旧郎済陽の蔡法度を得たり。家に律学を伝え、斉の武帝の時、刪定さんてい郎王植之が、張・杜の旧律を集注し、一書に合せ、凡そ一千五百三十条、事未だ施行せず、その文殆ど滅ぶと云う。法度よくこれを言う。ここに於いて兼尚書刪定郎と為し、植之の旧本を損益せしめ、以て梁律と為す。天監元年八月、乃ち詔を下して曰く、「律令一ならず、実に弊を去り難し。殺傷に法あり、昏墨に刑あり、これ蓋し常科にして、条例と為し易し。三男一妻、首を懸けて獄を造るが如きに至っては、事慮内に非ず、法恒鈞に出づ。前王の律、後王の令、因循創附して、良く各以て有り。もし遊辞費句、実録に取る無き者は、宜しく悉くこれを除くべし。文の指帰を求め、変に適う可き者は、一家を載せて本と為し、衆家を用いて以て附す。丙丁俱に有れば、則ち丁を去りて丙を存す。もし丙丁二事、注釈同じからざれば、則ち二家兼ねて載す。咸く百司をして、その可ならざるを議せしめ、その安んず可きを取り、以て標例と為すべし。宜しく『某等如干人同議し、これを以て長と為す』と云うべく、則ち定めて梁律と為す。尚書比部に留め、悉く文を備えしめ、もし州郡に班下するは、機要を撮むに止むべし。二門侮法の弊無かるべし」と。法度また請いて曰く、「魏・晋律を撰ぶは、数人に関るに止まる。今もし皆列位に諮らば、緩にして決無からんことを恐る」と。

原文梁武帝承齊昏虐之餘,刑政多僻。既即位,乃制權典,依周、漢舊事,有罪者贖。其科,凡在官身犯,罰金。鞭杖杖督之罪,悉入贖停罰。其臺省令史士卒欲贖者,聽之。時欲議定律令,得齊時舊郎濟陽蔡法度,家傳律學,云齊武時,刪定郎王植之,集注張、杜舊律,合為一書,凡一千五百三十條,事未施行,其文殆滅。法度能言之。於是以為兼尚書刪定郎,使損益植之舊本,以為梁律。天監元年八月,乃下詔曰:「律令不一,實難去弊。殺傷有法,昏墨有刑,此蓋常科,易為條例。至如三男一妻,懸首造獄,事非慮內,法出恒鈞。前王之律,後王之令,因循創附,良各有以。若遊辭費句,無取於實錄者,宜悉除之。求文指歸,可適變者,載一家為本,用眾家以附。丙丁俱有,則去丁以存丙。若丙丁二事,注釋不同,則二家兼載。咸使百司,議其可不,取其可安,以為標例。宜云『某等如干人同議,以此為長』,則定以為梁律。留尚書比部,悉使備文,若班下州郡,止撮機要。可無二門侮法之弊。」法度又請曰:「魏、晉撰律,止關數人,今若皆諮列位,恐緩而無決。」

ここにおいて尚書令しょうしょれい王亮、侍中王瑩、尚書僕射ぼくや沈約、吏部尚書范雲、長兼侍中柳惲、給事黄門侍郎傅昭、通直散騎常侍さんきじょうじ孔藹、御史中丞楽藹、太常たいじょう丞許懋らをして参議断定させ、二十篇と定めた。第一は刑名、第二は法例、第三は盗劫、第四は賊叛、第五は詐偽、第六は受賕、第七は告劾、第八は討捕、第九は繫訊、第十は断獄、第十一は雑、第十二は戸、第十三は擅興、第十四は毀亡、第十五は衛宮、第十六は水火、第十七は倉庫、第十八は廐、第十九は関市、第二十は違制である。その刑を定めるに十五等の差を設けた。棄市以上を死罪とし、大罪はその首を梟し、次は棄市とする。刑二歳以上を耐罪とし、各々伎能に随ってこれを任使するというのである。髠鉗五歳刑あり、笞二百、贖絹を収め、男子は六十疋。また四歳刑あり、男子は四十八疋。また三歳刑あり、男子は三十六疋。また二歳刑あり、男子は二十四疋。罰金一両以上を贖罪とする。死を贖うには金二斤、男子は十六疋。髠鉗五歳刑笞二百を贖うには、金一斤十二両、男子は十四疋。四歳刑を贖うには、金一斤八両、男子は十二疋。三歳刑を贖うには、金一斤四両、男子は十疋。二歳刑を贖うには、金一斤、男子は八疋。罰金十二両の者は、男子は六疋。罰金八両の者は、男子は四疋。罰金四両の者は、男子は二疋。罰金二両の者は、男子は一疋。罰金一両の者は、男子は二丈。女子は各々その半とする。五刑に簡ぶるなくば、五罰に正し、五罰に服さざれば、五過に正し、贖を以て論ず。故にこの十五等の差を為すのである。また九等の差を定めた。一歳刑、半歳刑、百日刑、鞭杖二百、鞭杖一百、鞭杖五十、鞭杖三十、鞭杖二十、鞭杖一十がある。また八等の差がある。第一は免官、杖督一百を加える。第二は免官。第三は労を奪うこと百日、杖督一百。第四は杖督一百。第五は杖督五十。第六は杖督三十。第七は杖督二十。第八は杖督一十である。論じて加うる者は上に就きて次とし、減ずるに当たる者は下に就きて次とする。

原文於是以尚書令王亮、侍中王瑩、尚書僕射沈約、吏部尚書范雲、長兼侍中柳惲、給事黃門侍郎傅昭、通直散騎常侍孔藹、御史中丞樂藹、太常丞許懋等,參議斷定,定為二十篇:一曰刑名,二曰法例,三曰盜劫,四曰賊叛,五曰詐偽,六曰受賕,七曰告劾,八曰討捕,九曰繫訊,十曰斷獄,十一曰雜,十二曰戶,十三曰擅興,十四曰毀亡,十五曰衞宮,十六曰水火,十七曰倉庫,十八曰廐,十九曰關市,二十曰違制。其制刑為十五等之差:棄市已上為死罪,大罪梟其首,其次棄市。刑二歲已上為耐罪,言各隨伎能而任使之也。有髠鉗五歲刑,笞二百,收贖絹,男子六十疋。又有四歲刑,男子四十八疋。又有三歲刑,男子三十六疋。又有二歲刑,男子二十四疋。罰金一兩已上為贖罪。贖死者金二斤,男子十六疋。贖髠鉗五歲刑笞二百者,金一斤十二兩,男子十四疋。贖四歲刑者,金一斤八兩,男子十二疋。贖三歲刑者,金一斤四兩,男子十疋。贖二歲刑者,金一斤,男子八疋。罰金十二兩者,男子六疋。罰金八兩者,男子四疋。罰金四兩者,男子二疋。罰金二兩者,男子一疋。罰金一兩者,男子二丈。女子各半之。五刑不簡,正于五罰,五罰不服,正于五過,以贖論,故為此十五等之差。又制九等之差:有一歲刑,半歲刑,百日刑,鞭杖二百,鞭杖一百,鞭杖五十,鞭杖三十,鞭杖二十,鞭杖一十。又有八等之差:一曰免官,加杖督一百;二曰免官;三曰奪勞百日,杖督一百;四曰杖督一百;五曰杖督五十;六曰杖督三十;七曰杖督二十;八曰杖督一十。論加者上就次,當減者下就次。

凡そ獄に繫がるる者は、直ちに款を答えず、測罰を加うべく、人士を以て隔てとすべからず。もし人士罰を犯し、違扞して款まず、測罰すべき者は、先ず参議して牒啓し、然る後に科を行え。断食三日、家人に粥二升を進むるを聴す。女及び老小は、一百五十刻にして乃ち粥を与え、千刻に満ちて止む。囚には械・杻・斗械及び鉗あり、並びに軽重大小の差を立て、定制と為す。その鞭には、制鞭・法鞭・常鞭あり、凡そ三等の差がある。制鞭は生革を廉成し、法鞭は生革にして廉を去り、常鞭は熟靼にして廉を去らず。皆鶴頭紐を作り、長さ一尺一寸。梢は長さ二尺七寸、広さ三分、靶は長さ二尺五寸。杖は皆生荊を用い、長さ六尺。大杖・法杖・小杖の三等の差がある。大杖は大頭の囲み一寸三分、小頭の囲み八分半。法杖は囲み一寸三分、小頭五分。小杖は囲み一寸一分、小頭極めて杪なり。諸の督罰は、大罪は五十・三十を過ぎず、小なる者は二十。笞二百以上に当たる者は、笞の半ばを行い、余りの半ばは後に決し、鞭杖を中分する。老小は律令において鞭杖罰を得るに当たる者は、皆その半ばとする。その法鞭・杖を得るに応ずる者は、熟靼鞭・小杖を以てす。五十を過ぐる者は、稍々これを行え。将吏以上及び女人に罰有るべき者は、罰金を以てこれに代えよ。その職員を以て応罰し、及び律令に指名して制罰する者は、この令を用いず。その問事諸罰は、皆熟靼鞭・小杖を用いよ。その制鞭制杖、法鞭法杖は、特詔に非ざれば、皆用いることを得ず。詔して鞭杖を京師に在る者は、皆雲龍門において行え。女子にして懐孕する者は、決罰することを得ず。その謀反・降叛・大逆以上は皆斬る。父子同産の男は、少長無く、皆棄市とする。母妻姊妹及び応に坐に従い棄市とする者は、妻子女妾同じく奚官に補して奴婢と為す。貲財は官に没す。劫は身は皆斬り、妻子は兵に補す。赦に遇い死を降す者は、面に劫の字あざなを黵し、髠鉗し、冶鎖士に補して終身とす。その下また運を讁し材官冶士・尚方鎖士に配し、皆軽重を以てその年数を差う。その重き者は或いは終身なり。

原文凡繫獄者,不即答款,應加測罰,不得以人士為隔。若人士犯罰,違扞不款,宜測罰者,先參議牒啟,然後科行。斷食三日,聽家人進粥二升。女及老小,一百五十刻乃與粥,滿千刻而止。囚有械、杻、斗械及鉗,並立輕重大小之差,而為定制。其鞭,有制鞭、法鞭、常鞭,凡三等之差。制鞭,生革廉成;法鞭,生革去廉;常鞭,熟靼不去廉。皆作鶴頭紐,長一尺一寸。梢長二尺七寸,廣三分,靶長二尺五寸。杖皆用生荊,長六尺。有大杖、法杖、小杖三等之差。大杖,大頭圍一寸三分,小頭圍八分半。法杖,圍一寸三分,小頭五分。小杖,圍一寸一分,小頭極杪。諸督罰,大罪無過五十、三十,小者二十。當笞二百以上者,笞半,餘半後決,中分鞭杖。老小於律令當得鞭杖罰者,皆半之。其應得法鞭、杖者,以熟靼鞭、小杖。過五十者,稍行之。將吏已上及女人應有罰者,以罰金代之。其以職員應罰,及律令指名制罰者,不用此令。其問事諸罰,皆用熟靼鞭、小杖。其制鞭制杖,法鞭法杖,自非特詔,皆不得用。詔鞭杖在京師者,皆於雲龍門行。女子懷孕者,勿得決罰。其謀反、降叛、大逆已上皆斬。父子同產男,無少長,皆棄市。母妻姊妹及應從坐棄市者,妻子女妾同補奚官為奴婢。貲財沒官。劫身皆斬,妻子補兵。遇赦降死者,黵面為劫字,髠鉗,補冶鎖士終身。其下又讁運配材官冶士、尚方鎖士,皆以輕重差其年數。其重者或終身。

士人には禁錮の科あり、また軽重を以て差あり。その清議を犯す者は、則ち終身歯せず。耐罪囚八十以上、十歳以下、及び孕者・盲者・侏儒にして械繫に当たる者、及び郡国太守相・都尉・関中侯以上、亭侯以上の父母妻子、及び所生坐に非死罪除名の罪、二千石以上にして檻徴せられざる者は、並びに頌繫す。

原文士人有禁錮之科,亦有輕重為差。其犯清議,則終身不齒。耐罪囚八十已上,十歲已下,及孕者、盲者、侏儒當械繫者,及郡國太守相、都尉、關中侯已上,亭侯已上之父母妻子,及所生坐非死罪除名之罪,二千石已上非檻徵者,並頌繫之。

丹陽尹は月に一度建康県に詣で、令三官と参共に獄を録し、枉直を断ずるを察す。その尚書当に人を録するの月は、尚書と参共にこれを録す。大凡定罪二千五百二十九条。

原文丹陽尹月一詣建康縣,令三官參共錄獄,察斷枉直。其尚書當錄人之月者,與尚書參共錄之。大凡定罪二千五百二十九條。

二年四月癸卯、法度表を上して新律を献じ、また令三十巻、科三十巻を上る。帝は乃ち法度をして廷尉卿を守らしめ、詔して新律を天下に班す。

原文二年四月癸卯,法度表上新律,又上令三十卷,科三十卷。帝乃以法度守廷尉卿,詔班新律於天下。

三年八月、建康の女子任提女、口を誘うに坐して死に当たる。その子景慈、鞫に对する辞に云う、母実にこれを行えりと。是の時法官虞僧虬啓して称す、「案ずるに子の事親するは、隠有りて犯無し。直躬父を証し、仲尼これを非とす。景慈素より防閑の道無く、死に明目の据有り。親を陷れて極刑に至らしめ、和を傷み俗を損ず。凡そ鞫を乞うて審らかならざれば、罪一等を降す。豈に五歳の刑を避け、死母の命を忽せにすべけんや。景慈宜しく罪辟を加うべし」。詔して交州に流す。ここに至りて復た流徒の罪有り。その年十月甲子、詔して金を以て権典と作すは、宜しく蠲息すべしと。ここにおいて贖罪の科を除く。

原文三年八月,建康女子任提女,坐誘口當死。其子景慈對鞫辭云,母實行此。是時法官虞僧虬啟稱:「案子之事親,有隱無犯,直躬證父,仲尼為非。景慈素無防閑之道,死有明目之據,陷親極刑,傷和損俗。凡乞鞫不審,降罪一等,豈得避五歲之刑,忽死母之命!景慈宜加罪辟。」詔流于交州。至是復有流徒之罪。其年十月甲子,詔以金作權典,宜在蠲息。於是除贖罪之科。

武帝は九族を敦睦し、朝士を優借し、犯罪有る者は、皆羣下に諷し、法を屈してこれを申す。百姓罪有る者は、皆法を以てこれを案ず。その縁坐は則ち老幼免れず、一人亡逃すれば、則ち挙家質作す。人既に窮急なれば、姦宄益々深し。後、帝親しく南郊に謁す。秣陵の老人帝を遮りて曰く、「陛下法を為すに、黎庶れいしょに於いては急にし、権貴に於いては緩なり。長久の術に非ず。誠に能く是に反せば、天下幸甚なり」。帝ここにおいてこれを寛くする所以を思う。旧獄法は、夫罪有れば妻子を逮え、子罪有れば父母を逮う。十一年正月壬辰、乃ち詔を下して曰く、「今より捕讁の家、及び罪応に質作すべき者、若し年に老小有る者は、将送を停むることを得」。十四年、また黵面の刑を除く。

原文武帝敦睦九族,優借朝士,有犯罪者,皆諷羣下,屈法申之。百姓有罪,皆案之以法。其緣坐則老幼不免,一人亡逃,則舉家質作。人既窮急,姦宄益深。後帝親謁南郊,秣陵老人遮帝曰:「陛下為法,急於黎庶,緩於權貴,非長久之術。誠能反是,天下幸甚。」帝於是思有以寬之。舊獄法,夫有罪,逮妻子,子有罪,逮父母。十一年正月壬辰,乃下詔曰:「自今捕讁之家,及罪應質作,若年有老小者,可停將送。」十四年,又除黵面之刑。

帝は儒雅に意を鋭くし、刑法を疎かに簡略にし、公卿大臣より以下、皆獄事を留意せず。奸吏は権を招き、巧みに文を弄び法を弄び、賄賂市を成し、多く枉濫を致す。大率二歳刑以上、歳五千人に至る。是の時、徒居作者は具に五任を具え、其の任なき者は、斗械を著す。若し疾病あれば、権に之を解く。是より後、囚徒或いは優劇有り。大同中、皇太子春宮に在りて事を視、見て之を愍れみ、乃ち上疏して曰く、「臣、比時に勅を奉じ、権に京師の雑事に親しむ。切に南北郊壇・材官・車府・太官下省・左装等の処の上啓を見るに、並びに四五歳以下の軽囚を請い、使役に充つるを助けんとす。自ら刑均しく罪等しく、愆目異ならざるも、而して甲は錢署に付し、乙は郊壇に配す。錢署三所は、事に於いて劇と為し、郊壇六処は、役に在りて則ち優なり。今、獄官に其の可否を詳かにするを聴くは、文を舞わすの路、此よりして生ず。公平なるは其の人に遇い難く、流泉は易く其の歯を啓く、将に恐らくは玉科の軽重、全く墨綬に関し、金書の去取、更に丹筆に由らんとす。愚謂う、宜しく条制を詳かに立て、以て永準と為すべし」と。帝手勅を下して報いて曰く、「頃年已来、処々の役、唯だ徒讁を資とし、急を逐い充配す。若し科制繁細にして、義同じく絲の如く、切に須うるの処、終に得可からず。例を引き訟を興せば、紛紜として方に始まらんとし、奸巧を防杜するは、是より為し難し。更に別に思い、其の便を取るべし」と。竟に之に従わず。是の時、王侯の子弟皆長じ、而して驕蹇として法に従わず。武帝年老い、万機に厭き、又専ら仏戒に精しく、毎に重罪を断つときは、則ち終日懌ばず。嘗て南苑に遊びしに、臨川王宏、人を橋下に伏せ、将に逆を為さんとす。事覚え、有司ゆうし誅すを請う。帝但だ泣きて譲りて曰く、「我が人才爾に十倍す、此れに処りて恒に戦懼を懐う。爾何を為す者ぞ。我豈に周公の事を行えざらんや、汝の愚かなるを念う故なり」と。居官を免ず。頃くして、還た本職に復す。是より王侯驕横転甚だしく、或いは白日都街に人を殺し、劫賊亡命、皆王家に自匿し、薄暮塵起れば、則ち行路を剝掠し、之を打稽と謂う。武帝深く其の弊を知るも、誅討するに難し。十一年十月、復た贖罪の科を開く。中大同元年七月甲子、詔して今より犯罪し、大逆に非ざれば、父母・祖父母坐する勿れと。是より禁網漸く疎く、百姓之に安んずるも、貴戚の家、不法尤も甚だし。尋で侯景逆乱す。

原文帝銳意儒雅,疎簡刑法,自公卿大臣,咸不以鞫獄留意。姦吏招權,巧文弄法,貨賄成市,多致枉濫。大率二歲刑已上,歲至五千人。是時徒居作者具五任,其無任者,著斗械。若疾病,權解之。是後囚徒或有優劇。大同中,皇太子在春宮視事,見而愍之,乃上疏曰:「臣以比時奉勑,權親京師雜事。切見南北郊壇、材官、車府、太官下省、左裝等處上啟,並請四五歲已下輕囚,助充使役。自有刑均罪等,愆目不異,而甲付錢署,乙配郊壇。錢署三所,於事為劇,郊壇六處,在役則優。今聽獄官詳其可否,舞文之路,自此而生。公平難遇其人,流泉易啟其齒,將恐玉科重輕,全關墨綬,金書去取,更由丹筆。愚謂宜詳立條制,以為永准。」帝手敕報曰:「頃年已來,處處之役,唯資徒讁,逐急充配。若科制繁細,義同簡絲,切須之處,終不可得。引例興訟,紛紜方始,防杜姦巧,自是為難。更當別思,取其便也。」竟弗之從。是時王侯子弟皆長,而驕蹇不法。武帝年老,厭於萬機,又專精佛戒,每斷重罪,則終日弗懌。嘗遊南苑,臨川王宏,伏人於橋下,將欲為逆。事覺,有司請誅之。帝但泣而讓曰:「我人才十倍於爾,處此恒懷戰懼。爾何為者?我豈不能行周公之事,念汝愚故也。」免所居官。頃之,還復本職。由是王侯驕橫轉甚,或白日殺人於都街,劫賊亡命,咸於王家自匿,薄暮塵起,則剝掠行路,謂之打稽。武帝深知其弊,而難於誅討。十一年十月,復開贖罪之科。中大同元年七月甲子,詔自今犯罪,非大逆,父母、祖父母勿坐。自是禁網漸疎,百姓安之,而貴戚之家,不法尤甚矣。尋而侯景逆亂。

及び元帝即位し、前政の寛を懲り、且つ帝素より苛刻にして、周師至るに及び、獄中の死囚且つ数千人、有司皆之を釈し、以て戦士に充てんことを請う。帝許さず、並びに棒を以て之を殺すことを令す。事未だ行わざるに城陥つ。敬帝即位し、刑政陳に適す。

原文及元帝即位,懲前政之寬,且帝素苛刻,及周師至,獄中死囚且數千人,有司請皆釋之,以充戰士。帝不許,並令棒殺之。事未行而城陷。敬帝即位,刑政適陳矣。

陳氏梁季の喪乱を承け、刑典疎闊なり。武帝即位に及び、其の弊を革めんと思い、乃ち詔を下して曰く、「朕聞く、唐・虞の道盛んなれば、画象を設けて犯さず、夏・商の徳衰うれば、孥戮すと雖も未だ備わらずと。末代に洎るに及び、綱目滋繁し、況んや乱離に属し、憲章遺紊す。朕始めて宝暦を膺け、政樞を広めんと思い、外は良才を搜挙し、科令を刪改し、羣僚博議し、務めて平簡を存すべし」と。是より稍く梁時の明法吏を求得し、令して尚書刪定郎范泉と、律令を参定せしむ。又勅して尚書僕射沈欽・吏部尚書徐陵・兼尚書左丞宗元饒・兼尚書左丞賀朗をして其の事に参知せしめ、律三十巻、令律四十巻を制す。前代を採酌し、条流冗雑、綱目多くと雖も、博にして要に非ず。其の制は唯だ清議禁錮の科を重んず。若し縉紳の族、名教を犯し虧き、不孝及び内乱する者は、詔を発して之を棄て、終身歯せず。先に士人と婚を為す者は、妻家に之を奪うを許す。其の賊帥及び士人の悪逆を獲るは、死を免じて冶に付し、妻を将いて役に入るを聴し、年数を為さず。又贖罪の律を存し、父母縁坐の刑を復す。自余の篇目条綱、軽重簡繁、一に梁法を用う。其の贓験然として款わざる有れば、則ち上測立つ。立測とは、土を以て垛と為し、高さ一尺、上円く、劣しく囚の両足の立つを容る。鞭二十、笞三十を訖え、両械及び杻を著け、垛に上る。一たび上測すること七刻、日に再び上る。三七日上測し、七日一行鞭す。凡そ杖を経ること、百五十に合い、度を承けざるを得れば、死を免ず。其の髠鞭五歳刑は、死一等を降し、鎖二重。其の五歳刑以下は、並びに鎖一重。五歳四歳刑は、若し官有れば、二年に准当し、余は並びに居作す。其の三歳刑は、若し官有れば、二年に准当し、余一年贖う。若し公坐過誤は、罰金す。其の二歳刑は、官有る者は、贖論す。一歳刑は、官無くとも亦贖論す。寒庶人は、鞭杖を決するに准う。囚は並びに械を著け、徒は並びに鎖を著け、階品を計わず。死罪将に決せんとす、露車に乗じ、三械を著け、壺手を加う。市に至りて、手械及び壺手を脱す。市に於いて刑に当たる者は、夜は須らく明るく、雨は須らく晴れよ。晦朔・八節・六斎・月の張心に在る日は、並びに行刑すべからず。廷尉寺を北獄と為し、建康県を南獄と為し、並びに正監平を置く。又制す、常に三月を以て、侍中・吏部尚書・尚書・三公郎・部都令史・三公録寃局、令史・御史中丞・侍御史・蘭臺令史、親しく京師諸獄及び冶署に行き、囚徒の寃枉を理察す。

原文陳氏承梁季喪亂,刑典疎闊。及武帝即位,思革其弊,乃下詔曰:「朕聞唐、虞道盛,設畫象而不犯,夏、商德衰,雖孥戮其未備。洎乎末代,綱目滋繁,矧屬亂離,憲章遺紊。朕始膺寶曆,思廣政樞,外可搜舉良才,刪改科令,羣僚博議,務存平簡。」於是稍求得梁時明法吏,令與尚書刪定郎范泉,參定律令。又勑尚書僕射沈欽、吏部尚書徐陵、兼尚書左丞宗元饒、兼尚書左丞賀朗參知其事,制律三十卷,令律四十卷。採酌前代,條流冗雜,綱目雖多,博而非要。其制唯重清議禁錮之科。若縉紳之族,犯虧名教,不孝及內亂者,發詔棄之,終身不齒。先與士人為婚者,許妻家奪之。其獲賊帥及士人惡逆,免死付冶,聽將妻入役,不為年數。又存贖罪之律,復父母緣坐之刑。自餘篇目條綱,輕重簡繁,一用梁法。其有贓驗顯然而不款,則上測立。立測者,以土為垛,高一尺,上圓,劣容囚兩足立。鞭二十,笞三十訖,著兩械及杻,上垛。一上測七刻,日再上。三七日上測,七日一行鞭。凡經杖,合一百五十,得度不承者,免死。其髠鞭五歲刑,降死一等,鎖二重。其五歲刑已下,並鎖一重。五歲四歲刑,若有官,准當二年,餘並居作。其三歲刑,若有官,准當二年,餘一年贖。若公坐過誤,罰金。其二歲刑,有官者,贖論。一歲刑,無官亦贖論。寒庶人,准決鞭杖。囚並著械,徒並著鎖,不計階品。死罪將決,乘露車,著三械,加壺手。至市,脫手械及壺手焉。當刑於市者,夜須明,雨須晴。晦朔、八節、六齊、月在張心日,並不得行刑。廷尉寺為北獄,建康縣為南獄,並置正監平。又制,常以三月,侍中、吏部尚書、尚書、三公郎、部都令史、三公錄寃局,令史、御史中丞、侍御史、蘭臺令史,親行京師諸獄及冶署,理察囚徒寃枉。

文帝ぶんてい性明察にして、刑政に心を留め、獄訟を親覧し、羣下を督責し、政厳明と号す。是の時寛政の後を承け、功臣貴戚非法有るも、帝皆法を以て之を縄し、頗る峻刻と号す。宣帝即位に及び、文武の士を優借し、簡易の政を崇め、上下之に便んず。其の後政令既に寛く、刑法立たず、又連年北伐し、人を疲らせて劫盗と為り聚まる。後主即位し、讒邪を信任し、羣下縱恣し、獄を鬻ぎて市を成し、賞罰の命、外に出でず。後主性猜忍疾忌にして、威令行わず、左右意に忤うる者有れば、動もすれば夷戮に至る。百姓怨叛し、以て滅に至る。

原文文帝性明察,留心刑政,親覽獄訟,督責羣下,政號嚴明。是時承寬政之後,功臣貴戚有非法,帝咸以法繩之,頗號峻刻。及宣帝即位,優借文武之士,崇簡易之政,上下便之。其後政令既寬,刑法不立,又以連年北伐,疲人聚為劫盜矣。後主即位,信任讒邪,羣下縱恣,鬻獄成市,賞罰之命,不出于外。後主性猜忍疾忌,威令不行,左右有忤意者,動至夷戮。百姓怨叛,以至於滅。

斉の神武帝・文襄帝は、ともに魏の宰相より出で、なお旧法を用いた。文宣帝の天保元年に至り、初めて群官に命じて魏朝の麟趾格を刊定せしめた。この時は軍国多事にして、政刑一ならず、獄を決し罪を定むるに、律文に依ること稀にして、相承してこれを変法従事と謂う。清河の房超は黎陽郡守たりしとき、趙道德という者あり、書を以て超に属せしむ。超は書を発かず、その使者を棒殺す。文宣帝はここにおいて守宰に各々棒を設けさせ、属請の使者を誅せしむ。後に都官郎中宋軌奏して曰く、「昔曹操棒を懸けて、乱時に威あり、今これを太平に施すは、その可なるを見ざるなり。もし使を受け賕を請うも、なお大戮に致す、身をもって法を枉ぐるは、何を以てか罪を加えん」と。ここにおいてこれを罷む。既にして司徒しと功曹張老上書し、大斉の受命以来、律令改まらず、これ創制して法を垂れ、人の視聴を革むるに非ずと称す。ここにおいて初めて群官に命じ、斉律を造るを議せしむも、積年成らず。その獄を決するはなお魏の旧に依る。この時は刑政なお新たにして、吏皆法を奉ず。六年の後より、帝遂に功業を以て自ら矜り、酷暴を行い恣にし、昏狂酗醟して、喜怒に任せたり。大鑊・長鋸・剉碓の類を造り、並びに庭に陳べ、意に快からざるあれば、則ち手ずから屠裂し、あるいは左右に命じて臠噉せしめ、以てその意を逞しむ。時に僕射楊遵彦は、乃ち憲司に命じて先ず死罪囚を定め、仗衞の中に置かしむ。帝人を殺さんと欲すれば、則ちこれを執りて命に応ぜしめ、これを供御囚と謂う。三月を経て殺さざる者は、則ちその死を免ず。帝嘗て金鳳台に幸し、仏戒を受け、多く死囚を召し、籧篨を編みて翅と為し、これに飛び下らしめ、これを放生と謂う。墜ちて皆死に致り、帝視て以て歓笑と為す。時に有司の獄を折するも、また皆酷法なり。囚を訊するには則ち車輻𤠮杖を用い、指を夾み踝を圧し、またこれを焼犁耳の上に立たしめ、あるいは臂を以て焼車釧を貫かしむ。既にその苦に勝えず、皆誣伏に致る。七年、豫州検使白𢶏は、左丞盧斐に劾せられ、乃ち獄中に於いて斐が金を受けたるを誣告す。文宣帝その姦罔を知り、詔して按ぜしむるに、果たして其事無し。乃ち八座に勅して案劾格を議立せしめ、罪を負う者は人事を告ぐることを得ず。ここにおいて姦を挟む者は糾を畏れ、乃ち先ず誣訟を加え、以て当格に擬し、吏断ずること能わず。また妄りに相引き、大獄動もすれば千人に至り、多く歳月を移す。然れども帝なお政を輔臣楊遵彦に委ね、その闕を弥縫す。故に時の議者窃かに云う、主は上に昏く、政は下に清しと。

原文齊神武、文襄,並由魏相,尚用舊法。及文宣天保元年,始命羣官刊定魏朝麟趾格。是時軍國多事,政刑不一,決獄定罪,罕依律文,相承謂之變法從事。清河房超為黎陽郡守,有趙道德者,使以書屬超。超不發書,棒殺其使。文宣於是令守宰各設棒,以誅屬請之使。後都官郎中宋軌奏曰:「昔曹操懸棒,威於亂時,今施之太平,未見其可。若受使請賕,猶致大戮,身為枉法,何以加罪?」於是罷之。既而司徒功曹張老上書,稱大齊受命已來,律令未改,非所以創制垂法,革人視聽。於是始命羣官,議造齊律,積年不成。其決獄猶依魏舊。是時刑政尚新,吏皆奉法。自六年之後,帝遂以功業自矜,恣行酷暴,昏狂酗醟,任情喜怒。為大鑊、長鋸、剉碓之屬,並陳於庭,意有不快,則手自屠裂,或命左右臠噉,以逞其意。時僕射楊遵彥,乃令憲司先定死罪囚,置于仗衞之中,帝欲殺人,則執以應命,謂之供御囚。經三月不殺者,則免其死。帝嘗幸金鳳臺,受佛戒,多召死囚,編籧篨為翅,命之飛下,謂之放生。墜皆致死,帝視以為歡笑。時有司折獄,又皆酷法。訊囚則用車輻𤠮杖,夾指壓踝,又立之燒犁耳上,或使以臂貫燒車釭。既不勝其苦,皆致誣伏。七年,豫州檢使白𢶏,為左丞盧斐所劾,乃於獄中誣告斐受金。文宣知其姦罔,詔令按之,果無其事。乃勑八座議立案劾格,負罪不得告人事。於是挾姦者畏糾,乃先加誣訟,以擬當格,吏不能斷。又妄相引,大獄動至千人,多移歲月。然帝猶委政輔臣楊遵彥,彌縫其闕,故時議者竊云,主昏於上,政清於下。

孝昭帝は藩に在りしとき、既にその失を知り、即位の後、将に懲革を加えんとす。未だ幾ばくもせずして崩ず。武成帝即位し、軽典を存するを思い、大寧元年、乃ち詔を下して曰く、「王者の用うる所は、唯だ賞罰に在り、賞は理に適うを貴び、罰は情を得るに在り。然れども理は進退を容れ、事は疑似に渉る。盟府司勳には、あるいは開塞の路あり、三尺の律令は、未だ画一の道を窮めず。文王の官人を想い、宣尼の訟を止むるを念い、刑賞の宜しき、その所を得んことを思う。今より諸に賞罰応ずるは、皆賞は疑わしきは重きに従い、罰は疑わしきは軽きに従え」と。また律令成らずして、頻りに催督を加う。河清三年、尚書令・趙郡王高叡ら、斉律十二篇を奏上す。一に名例と曰い、二に禁衞と曰い、三に婚戸と曰い、四に擅興と曰い、五に違制と曰い、六に詐偽と曰い、七に鬬訟と曰い、八に賊盗と曰い、九に捕断と曰い、十に毀損と曰い、十一に廐牧と曰い、十二に雑と曰う。その定罪九百四十九条。また新令四十巻を上る。大抵魏・晋の故事を採る。その制、刑名五。一に死と曰う。重き者はこれを轘し、その次は梟首し、並びに屍を三日陳ぶ。市なき者は、郷亭の顕処に列す。その次は斬刑、身首を殊にする。その次は絞刑、死するも殊れず。凡そ四等。二に流刑と曰う。犯すこと死すべきを論じ、情を原うれば降すべきを謂う。鞭笞各々一百、これを髠し、辺裔に投じ、以て兵卒と為す。未だ道里の差無し。その遠配に合わざる者は、男子は長徒、女子は舂に配し、並びに六年。三に刑罪と曰う。即ち耐罪なり。五歳・四歳・三歳・二歳・一歳の差あり。凡そ五等。各々鞭一百を加う。その五歳の者は、また笞八十を加え、四歳の者は六十、三歳の者は四十、二歳の者は二十、一歳の者は笞無し。並びに鎖して左校に輸するも髠さず。保なき者はこれを鉗す。婦人は舂及び掖庭織に配す。四に鞭と曰う。一百・八十・六十・五十・四十の差あり、凡そ五等。五に杖と曰う。三十・二十・十の差あり、凡そ三等。大凡そ十五等と為す。加うべき者は上りて次に就き、減ずべき者は下りて次に就く。贖罪旧くは金を以てす、皆中絹に代う。死一百匹、流九十二匹、刑五歳七十八匹、四歳六十四匹、三歳五十匹、二歳三十六匹。各々鞭笞を通じて論ず。一歳は笞無ければ、則ち鞭二十四匹を通ず。鞭杖毎に十、絹一匹を贖う。鞭百に至れば、則ち絹十匹。絹なき郷は、皆絹に准じて銭を収む。贖うべきは笞十已上より死に至るまで、また十五等の差を為す。加減すべき次は、正決の法の如し。贖うに合う者は、流内の官及び爵秩比視・老小閹癡並びに過失の類を謂う。罰絹一匹及び杖十已上を犯すは、皆名けて罪人と為す。盗及び人を殺して亡ぶる者は、即ち名を懸け籍に注し、その一房を甄りて驛戸に配す。宗室は則ち盗を注せず、及び奚官に入れず、宮刑を加えず。流罪已下贖うに合うを自ら犯す者、及び婦人刑已下を犯す者、侏儒・篤疾・癃残にして死罪を犯さざる者は、皆これを頌繫す。罪刑年する者は鎖し、鎖なきは枷を以てす。流罪已上は杻械を加う。死罪の者はこれを桁す。流刑鞭笞を決する者は、その背を鞭う。五十、一たび執鞭の人を易う。鞭鞘は皆熟皮を用い、廉稜を削り去る。鞭瘡は長さ一尺。笞する者は臀を笞し、中るも人を易えず。杖は長さ三尺五寸、大頭径二分半、小頭径一分半。三十已下の杖を決する者は、長さ四尺、大頭径三分、小頭径二分。官に在りて罪を犯すは、鞭杖十を一負と為す。閑局は六負を一殿と為し、平局は八負を一殿と為し、繁局は十負を一殿と為す。殿に加うる者は、復た負と計す。赦日には、則ち武庫令金雞及び鼓を閶闔門外の右に設く。囚徒を闕前に勒集し、鼓を千声撾ち、枷鎖を釈く。また重罪十条を列す。一に反逆と曰い、二に大逆と曰い、三に叛と曰い、四に降と曰い、五に悪逆と曰い、六に不道と曰い、七に不敬と曰い、八に不孝と曰い、九に不義と曰い、十に内乱と曰う。この十を犯す者は、八議論贖の限に在らず。是れより後、法令明審にして、科条簡要なり。また仕門の子弟に勅して、常にこれを講習せしむ。斉人せいじんは多く法律に暁く、蓋しこれに由るなり。

原文孝昭在藩,已知其失,即位之後,將加懲革。未幾而崩。武成即位,思存輕典,大寧元年,乃下詔曰:「王者所用,唯在賞罰,賞貴適理,罰在得情。然理容進退,事涉疑似,盟府司勳,或有開塞之路,三尺律令,未窮畫一之道。想文王之官人,念宣尼之止訟,刑賞之宜,思獲其所。自今諸應賞罰,皆賞疑從重,罰疑從輕。」又以律令不成,頻加催督。河清三年,尚書令、趙郡王叡等,奏上齊律十二篇:一曰名例,二曰禁衞,三日婚戶,四曰擅興,五曰違制,六曰詐偽,七曰鬬訟,八曰賊盜,九曰捕斷,十曰毀損,十一曰廐牧,十二曰雜。其定罪九百四十九條。又上新令四十卷,大抵採魏、晉故事。其制,刑名五:一曰死,重者轘之,其次梟首,並陳屍三日;無市者,列於鄉亭顯處。其次斬刑,殊身首。其次絞刑,死而不殊。凡四等。二曰流刑,謂論犯可死,原情可降,鞭笞各一百,髠之,投于邊裔,以為兵卒。未有道里之差。其不合遠配者,男子長徒,女子配舂,並六年。三曰刑罪,即耐罪也。有五歲、四歲、三歲、二歲、一歲之差。凡五等。各加鞭一百。其五歲者,又加笞八十,四歲者六十,三歲者四十,二歲者二十,一歲者無笞。並鎖輸左校而不髠。無保者鉗之。婦人配舂及掖庭織。四曰鞭,有一百、八十、六十、五十、四十之差,凡五等。五曰杖,有三十、二十、十之差,凡三等。大凡為十五等。當加者上就次,當減者下就次。贖罪舊以金,皆代以中絹。死一百匹,流九十二匹,刑五歲七十八匹,四歲六十四匹,三歲五十匹,二歲三十六匹。各通鞭笞論。一歲無笞,則通鞭二十四匹。鞭杖每十,贖絹一匹。至鞭百,則絹十匹。無絹之鄉,皆准絹收錢。自贖笞十已上至死,又為十五等之差。當加減次,如正決法。合贖者,謂流內官及爵秩比視、老小閹癡并過失之屬。犯罰絹一匹及杖十已上,皆名為罪人。盜及殺人而亡者,即懸名注籍,甄其一房配驛戶。宗室則不注盜,及不入奚官,不加宮刑。自犯流罪已下合贖者,及婦人犯刑已下,侏儒、篤疾、癃殘非犯死罪,皆頌繫之。罪刑年者鎖,無鎖以枷。流罪已上加杻械。死罪者桁之。決流刑鞭笞者,鞭其背。五十,一易執鞭人。鞭鞘皆用熟皮,削去廉稜。鞭瘡長一尺。笞者笞臀,而不中易人。杖長三尺五寸,大頭徑二分半,小頭徑一分半。決三十已下杖者,長四尺,大頭徑三分,小頭徑二分。在官犯罪,鞭杖十為一負。閑局六負為一殿,平局八負為一殿,繁局十負為一殿。加於殿者,復計為負焉。赦日,則武庫令設金雞及鼓於閶闔門外之右。勒集囚徒於闕前,撾鼓千聲,釋枷鎖焉。又列重罪十條:一曰反逆,二曰大逆,三曰叛,四曰降,五曰惡逆,六曰不道,七曰不敬,八曰不孝,九曰不義,十曰內亂。其犯此十者,不在八議論贖之限。是後法令明審,科條簡要,又勑仕門之子弟,常講習之。齊人多曉法律,蓋由此也。

その定法と為すべからざる者は、別に権令二巻を制し、これと並び行わる。後に平秦王高帰彦謀反し、約罪須らく有るも、律に正条無し。ここにおいて遂に別条権格有り、律と並び行わる。大理明法は、上下比附し、出さんと欲すれば則ち軽議に附依し、入れんと欲すれば則ち重法に附従す。姦吏これに因り、文を舞わして出没す。後主に至り、権幸用事し、これに附せざる者有れば、陰に中りて法を以てす。綱紀紊乱し、卒に亡ぶるに至る。

原文其不可為定法者,別制權令二卷,與之並行。後平秦王高歸彥謀反,須有約罪,律無正條,於是遂有別條權格,與律並行。大理明法,上下比附,欲出則附依輕議,欲入則附從重法,姦吏因之,舞文出沒。至于後主,權幸用事,有不附之者,陰中以法。綱紀紊亂,卒至於亡。

周の文帝が関中を有するや、覇業の基初めて開け、典章多く闕けり。大統元年、有司に命じて今古を斟酌し通変し、以て時に益するべきものを、二十四条の制と為し、之を奏す。七年、また十二条の制を下す。十年、魏帝、尚書蘇綽に命じ、総べて三十六条を、更に損益して五巻と為し、天下に班す。其の後、河南の趙肅を以て廷尉卿と為し、法律を撰定せしむ。肅、積思累年、遂に心疾を感じて死す。乃ち司憲大夫託拔迪に命じて之を掌らしむ。保定三年三月庚子に至りて乃ち成る、之を大律と謂う、凡そ二十五篇:一に曰く刑名、二に曰く法例、三に曰く祀享、四に曰く朝会、五に曰く婚姻、六に曰く戸禁、七に曰く水火、八に曰く興繕、九に曰く衛宮、十に曰く市廛、十一に曰く闘競、十二に曰く劫盗、十三に曰く賊叛、十四に曰く毀亡、十五に曰く違制、十六に曰く関津、十七に曰く諸侯、十八に曰く廐牧、十九に曰く雑犯、二十に曰く詐偽、二十一に曰く請求、二十二に曰く告言、二十三に曰く逃亡、二十四に曰く繫訊、二十五に曰く断獄。大凡そ定罪一千五百三十七条。其の罪を制するに:一に曰く杖刑五、十より五十に至る。二に曰く鞭刑五、六十より百に至る。三に曰く徒刑五、徒一年の者は、鞭六十、笞十。徒二年の者は、鞭七十、笞二十。徒三年の者は、鞭八十、笞三十。徒四年の者は、鞭九十、笞四十。徒五年の者は、鞭一百、笞五十。四に曰く流刑五、流衛服、皇畿を去ること二千五百里の者は、鞭一百、笞六十。流要服、皇畿を去ること三千里の者は、鞭一百、笞七十。流荒服、皇畿を去ること三千五百里の者は、鞭一百、笞八十。流鎮服、皇畿を去ること四千里の者は、鞭一百、笞九十。流蕃服、皇畿を去ること四千五百里の者は、鞭一百、笞一百。五に曰く死刑五、一に曰く磬、二に曰く絞、三に曰く斬、四に曰く梟、五に曰く裂。五刑の属各々五有り、合わせて二十五等。十悪の目を立てず、而して悪逆、不道、大不敬、不孝、不義、内乱の罪を重んず。凡そ悪逆は、之を肆すこと三日。盗賊郷邑を群攻し及び人家に入る者は、之を殺すも罪無し。若し讎を報ずる者は、法に告げて自ら之を殺せば、坐せず。嘗て盗を為す者は、其の籍に注す。唯だ皇宗は則ち然らず。凡そ死罪は枷にして拲し、流罪は枷にして梏し、徒罪は枷し、鞭罪は桎し、杖罪は散じて断を待つ。皇族及び爵有る者は、死罪已下は之を鎖し、徒已下は之を散ず。獄成りて将に殺せんとする者は、其の姓名及び其の罪を拲に書き、而して之を市に殺す。唯だ皇族と爵有る者は獄を隠す。

原文周文帝之有關中也,霸業初基,典章多闕。大統元年,命有司斟酌今古通變,可以益時者,為二十四條之制,奏之。七年,又下十二條制。十年,魏帝命尚書蘇綽,總三十六條,更損益為五卷,班於天下。其後以河南趙肅為廷尉卿,撰定法律。肅積思累年,遂感心疾而死。乃命司憲大夫託拔迪掌之。至保定三年三月庚子乃就,謂之大律,凡二十五篇:一曰刑名,二曰法例,三曰祀享,四曰朝會,五曰婚姻,六曰戶禁,七曰水火,八曰興繕,九曰衞宮,十曰市廛,十一曰鬬競,十二曰劫盜,十三曰賊叛,十四曰毀亡,十五曰違制,十六曰關津,十七曰諸侯,十八曰廐牧,十九曰雜犯,二十曰詐偽,二十一曰請求,二十二曰告言,二十三曰逃亡,二十四曰繫訊,二十五曰斷獄。大凡定罪一千五百三十七條。其制罪:一曰杖刑五,自十至五十。二曰鞭刑五,自六十至于百。三曰徒刑五,徒一年者,鞭六十,笞十。徒二年者,鞭七十,笞二十。徒三年者,鞭八十,笞三十。徒四年者,鞭九十,笞四十。徒五年者,鞭一百,笞五十。四曰流刑五,流衞服,去皇畿二千五百里者,鞭一百,笞六十。流要服,去皇畿三千里者,鞭一百,笞七十。流荒服,去皇畿三千五百里者,鞭一百,笞八十。流鎮服,去皇畿四千里者,鞭一百,笞九十。流蕃服,去皇畿四千五百里者,鞭一百,笞一百。五曰死刑五,一曰磬,二曰絞,三曰斬,四曰梟,五曰裂。五刑之屬各有五,合二十五等。不立十惡之目,而重惡逆、不道、大不敬、不孝、不義、內亂之罪。凡惡逆,肆之三日。盜賊羣攻鄉邑及入人家者,殺之無罪。若報讎者,告於法而自殺之,不坐。經為盜者,注其籍。唯皇宗則否。凡死罪枷而拲,流罪枷而梏,徒罪枷,鞭罪桎,杖罪散以待斷。皇族及有爵者,死罪已下鎖之,徒已下散之。獄成將殺者,書其姓名及其罪於拲,而殺之市。唯皇族與有爵者隱獄。

其の杖刑を贖うは五、金一両より五両。鞭刑を贖うは五、金六両より十両。徒刑を贖うは五、一年は金十二両、二年は十五両、三年は一斤二両、四年は一斤五両、五年は一斤八両。流刑を贖うは、一斤十二両、倶に六年を役し、遠近を以て差等と為さず。死罪を贖うは、金二斤。鞭する者は一百を以て限と為す。笞を加うる者は、合わせて二百に止む。応に鞭笞を加うべき者は、皆先ず笞し後鞭す。婦人笞に当たる者は、贖を以て論ずるを聴す。徒にして作に輸する者は、皆其の能くする所に任せて之を役使す。杖十已上、加うべきに当たる者は上りて次に就き、数満ちて乃ち坐す。減ずべきに当たる者は、死罪は流蕃服、蕃服已下は倶に徒五年に至る。五年以下は、各々一等を以て差と為す。盗賊及び謀反大逆降叛悪逆の罪流に当たる者は、皆一房を甄りて雑戸に配す。其れ盗賊事発して逃亡する者は、名を懸けて注配す。若し再び徒を犯し、三たび鞭を犯す者は、一身永く下役に配す。応に金を贖うべき者は、鞭杖十、中絹一匹を収む。流徒の者は、限に依り歳に絹十二匹を収む。死罪の者は一百匹。其の刑を贖うは、死罪五旬、流刑四旬、徒刑三旬、鞭刑二旬、杖刑一旬。限外に輸せざる者は、法に帰す。貧者は請いて之を免ず。大凡そ法を定むること一千五百三十七条、之を天下に班す。其の大略滋に章なり、条流苛密にして、斉の法に比すれば、煩にして要ならず。

原文其贖杖刑五,金一兩至五兩。贖鞭刑五,金六兩至十兩。贖徒刑五,一年金十二兩,二年十五兩,三年一斤二兩,四年一斤五兩,五年一斤八兩。贖流刑,一斤十二兩,俱役六年,不以遠近為差等。贖死罪,金二斤。鞭者以一百為限。加笞者,合二百止。應加鞭笞者,皆先笞後鞭。婦人當笞者,聽以贖論。徒輸作者,皆任其所能而役使之。杖十已上,當加者上就次,數滿乃坐。當減者,死罪流蕃服,蕃服已下俱至徒五年。五年以下,各以一等為差。盜賊及謀反大逆降叛惡逆罪當流者,皆甄一房配為雜戶。其為盜賊事發逃亡者,懸名注配。若再犯徒、三犯鞭者,一身永配下役。應贖金者,鞭杖十,收中絹一匹。流徒者,依限歲收絹十二匹。死罪者一百匹。其贖刑,死罪五旬,流刑四旬,徒刑三旬,鞭刑二旬,杖刑一旬。限外不輸者,歸於法。貧者請而免之。大凡定法一千五百三十七條,班之天下。其大略滋章,條流苛密,比於齊法,煩而不要。

また初め復讐の法を除き、犯す者は殺を以て論ず。時に晋公護、将に異志有らんとし、政を寛にして以て人心を取らんと欲す、然れども人を知るに闇く、委ぬる所多く職に称せず。既に法を用いること寛弛にして、姦を制するに足らず、子弟僚属、皆窃に其の権を弄び、百姓愁怨し、控告する所無し。武帝、性甚だ明察にして、護を誅する後より、躬から万機を覧み、骨肉と雖も縦捨する所無く、法を用いること厳正にして、中外肅然しゅくぜんたり。魏、晋相承より、死罪其の重き者は、妻子皆以て兵に補す。魏、西涼の人を虜にし、没入して名けて隷戸と為す。魏武関に入り、隷戸皆東魏に在り、後斉之に因り、仍って厮役を供す。建徳六年、斉平んだ後、帝、新国に軽典を施さんと欲し、乃ち詔して凡そ諸の雑戸は、悉く百姓と為すを放つ。是より後雑戸復た無し。其の後また斉の旧俗、未だ昏政を改めず、賊盗姦宄、頗る憲章に乖く。其の年、また刑書要制を以て之を督む。其の大抵、仗を持つ群盗一匹以上、仗を持たざる群盗五匹以上、監臨主掌自ら盗むこと二十匹以上、盗み及び詐りて官物を請うこと三十匹以上、正長五戸及び十丁以上を隠し、及び地三頃以上、皆死。自余は大律に依る。是によりて澆詐頗る息む。

原文又初除復讎之法,犯者以殺論。時晉公護將有異志,欲寬政以取人心,然闇於知人,所委多不稱職。既用法寬弛,不足制姦,子弟僚屬,皆竊弄其權,百姓愁怨,控告無所。武帝性甚明察,自誅護後,躬覽萬機,雖骨肉無所縱捨,用法嚴正,中外肅然。自魏、晉相承,死罪其重者,妻子皆以補兵。魏虜西涼之人,沒入名為隸戶。魏武入關,隸戶皆在東魏,後齊因之,仍供厮役。建德六年,齊平後,帝欲施輕典於新國,乃詔凡諸雜戶,悉放為百姓。自是無復雜戶。其後又以齊之舊俗,未改昏政,賊盜姦宄,頗乖憲章。其年,又為刑書要制以督之。其大抵持仗羣盜一匹以上,不持仗羣盜五匹以上,監臨主掌自盜二十匹以上,盜及詐請官物三十匹以上,正長隱五戶及十丁以上、及地三頃以上,皆死。自餘依大律。由是澆詐頗息焉。

宣帝は残忍にして暴戾なる性分であり、皇太子の地位にあった時から、その叔父である斉王宇文憲及び王軌・宇文孝伯らを憎んでいた。即位すると、これらを先に誅戮したため、内外ともに安んぜず、皆危惧を抱いた。帝はまた衆望を失うことを恐れ、寛大な法を行い、衆心を収めようとした。宣政元年八月、九条の詔制を下し、州郡に公布した。大象元年、また詔を下して曰く、「高祖(武帝)の立てたる刑書要制は、用法が深重である。これを一切除く」と。しかし帝の荒淫は日増しに甚だしく、己の過ちを聞くことを嫌い、誅殺は度を失い、大臣を疎んじて斥けた。またしばしば肆赦(大赦)を行ったため、姦を行う者は皆軽々しく刑法を犯し、政令は一でなく、下民は従うべきところを知らなかった。ここにおいてまた刑書要制を広め、さらにその法を峻厳に改め、これを刑経聖制と称した。宿衛の官は、一日でも直務を怠れば、罪は官位削除に至った。逃亡者は皆死罪とし、その家族は籍没した。上書の文字に誤りある者は、その罪を科した。鞭杖はいずれも一百二十を限度とし、天杖と名付けた。その後さらに二百四十に加えられた。また礔礰車を作り、婦人を威嚇した。人に罪を決するに、杖を与うると云えば即ち一百二十、多く打つと云えば即ち二百四十であった。帝は既に酣飲過度で、かつて酒宴の最中に、下士の楊文祐が宮伯の長孫覧に白上して、歌を求め、曰く、「朝も亦酔い、暮れも亦酔う。日々恒常に酔い、政事日に次第無し」と。鄭訳がこれを奏上すると、帝は怒り、杖二百四十を賜いて死に至らしめることを命じた。後さらに中士の皇甫猛に歌わせたが、猛の歌もまた諷諫であった。鄭訳がまたこれを奏上すると、また猛に杖一百二十を賜った。この時、下は公卿より、内は妃后に至るまで、皆棰楚を加えられ、上下愁怨した。帝が不豫(病気)に陥ると、内外離心し、各々苟も免れんことを求めた。隋の高祖(楊堅)が丞相となると、また寛大の典を行い、旧律を刪略して、刑書要制を作った。完成して奏上すると、静帝は詔を下して頒行した。諸々に犯罪ありて未だ科決せられざる者は、並びにこの制に依り処断せしめられた。

原文宣帝性殘忍暴戾,自在儲貳,惡其叔父齊王憲及王軌、宇文孝伯等。及即位,並先誅戮,由是內外不安,俱懷危懼。帝又恐失眾望,乃行寬法,以取眾心。宣政元年八月,詔制九條,宣下州郡。大象元年,又下詔曰:「高祖所立刑書要制,用法深重,其一切除之。」然帝荒淫日甚,惡聞其過,誅殺無度,疎斥大臣。又數行肆赦,為姦者皆輕犯刑法,政令不一,下無適從。於是又廣刑書要制,而更峻其法,謂之刑經聖制。宿衞之官,一日不直,罪至削除。逃亡者皆死,而家口籍沒。上書字誤者,科其罪。鞭杖皆百二十為度,名曰天杖。其後又加至二百四十。又作礔礰車,以威婦人。其決人罪,云與杖者,即一百二十,多打者,即二百四十。帝既酣飲過度,嘗中飲,有下士楊文祐白宮伯長孫覽,求歌曰:「朝亦醉,暮亦醉。日日恒常醉,政事日無次。」鄭譯奏之,帝怒,命賜杖二百四十而致死。後更令中士皇甫猛歌,猛歌又諷諫。鄭譯又以奏之,又賜猛杖一百二十。是時下自公卿,內及妃后,咸加棰楚,上下愁怨。及帝不豫,而內外離心,各求苟免。隋高祖為相,又行寬大之典,刪略舊律,作刑書要制。既成奏之,靜帝下詔頒行。諸有犯罪未科決者,並依制處斷。

高祖は周の禅譲を受けると、開皇かいこう元年、詔して尚書左僕射・勃海公高熲、上柱国・沛公鄭訳、上柱国・清河郡公楊素、大理前少卿・平源県公常明、刑部侍郎・保城県公韓濬、比部侍郎李諤、兼考功侍郎柳雄亮らに、新律を更に定めさせ、奏上させた。その刑名は五つある。第一は死刑二種、絞あり、斬あり。第二は流刑三種、一千里・一千五百里・二千里あり。配流に応ずる者は、一千里は居作二年、一千五百里は居作二年半、二千里は居作三年。住居して作役すべき者は、三流ともに役三年。近流は杖一百を加え、一等ごとに三十を加う。第三は徒刑五種、一年・一年半・二年・二年半・三年あり。第四は杖刑五種、五十より百に至る。第五は笞刑五種、十より五十に至る。そして前代の鞭刑及び梟首・轘裂の法を蠲除した。その流罪・徒刑の罪は皆軽きに従って減じた。ただ大逆・謀反・謀叛の者は、父子兄弟皆斬り、家族は官に没する。また十悪の条を置き、多く後斉の制を採り、而して頗る損益あり。第一は謀反、第二は謀大逆、第三は謀叛、第四は悪逆、第五は不道、第六は大不敬、第七は不孝、第八は不睦、第九は不義、第十は内乱。十悪及び故殺人で獄が成った者を犯すは、赦令に会うとも、猶除名せられる。

原文高祖既受周禪,開皇元年,乃詔尚書左僕射、勃海公高熲,上柱國、沛公鄭譯,上柱國、清河郡公楊素,大理前少卿、平源縣公常明,刑部侍郎、保城縣公韓濬,比部侍郎李諤,兼考功侍郎柳雄亮等,更定新律,奏上之。其刑名有五:一曰死刑二,有絞,有斬。二曰流刑三,有一千里、千五百里、二千里。應配者,一千里居作二年,一千五百里居作二年半,二千里居作三年。應住居作者,三流俱役三年。近流加杖一百,一等加三十。三曰徒刑五,有一年、一年半、二年、二年半、三年。四曰杖刑五,自五十至于百。五曰笞刑五,自十至于五十。而蠲除前代鞭刑及梟首轘裂之法。其流徒之罪皆減從輕。唯大逆謀反叛者,父子兄弟皆斬,家口沒官。又置十惡之條,多採後齊之制,而頗有損益。一曰謀反,二曰謀大逆,三曰謀叛,四曰惡逆,五曰不道,六曰大不敬,七曰不孝,八曰不睦,九曰不義,十曰內亂。犯十惡及故殺人獄成者,雖會赦,猶除名。

八議の科に在る者及び官品第七以上が犯罪した者は、皆例え減一等とする。その品第九以上が犯す者は、贖うことを聴す。応に贖うべき者は、皆銅をもって絹に代える。贖銅一斤を一負と為し、負十を殿と為す。笞十は銅一斤、加えて杖百に至れば則ち十斤。徒一年は、贖銅二十斤、毎等ごとに則ち銅十斤を加え、三年は則ち六十斤。流一千里は、贖銅八十斤、毎等ごとに則ち銅十斤を加え、二千里は則ち百斤。二種の死刑は皆贖銅百二十斤。私罪を犯して官をもって徒に当てる者は、五品以上は、一官で徒二年に当てる。九品以上は、一官で徒一年に当てる。流に当たる者は、三流同じく徒三年に比す。若し公罪を犯す者は、徒各々一年を加え、流に当たる者は各々一等を加う。その徒罪を累ねて九年を過ぐる者は、流二千里とする。

原文其在八議之科,及官品第七已上犯罪,皆例減一等。其品第九已上犯者,聽贖。應贖者,皆以銅代絹。贖銅一斤為一負,負十為殿。笞十者銅一斤,加至杖百則十斤。徒一年,贖銅二十斤,每等則加銅十斤,三年則六十斤矣。流一千里,贖銅八十斤,每等則加銅十斤,二千里則百斤矣。二死皆贖銅百二十斤。犯私罪以官當徒者,五品已上,一官當徒二年;九品已上,一官當徒一年;當流者。三流同比徒三年。若犯公罪者,徒各加一年,當流者各加一等。其累徒過九年者,流二千里。

定まり訖り、詔を頒って曰く、「帝王法を作るは、沿革同じからず、時に適するを取る、故に損益あり。夫れ絞は以て斃れしめ、斬は則ち刑を殊にする、悪を除くの体、ここに已に極まれり。梟首轘身は、義取る所無く、懲肅の理を益さず、徒らに安忍の懷を表すのみ。鞭の用と為るや、膚体を殘剝し、骨に徹き肌に侵し、酷く臠切に均し。遠古の式と云うと雖も、事仁者の刑に乖き、梟轘及び鞭は、並びに去ることを令す。貴きは礪帶の書にあり、徒らに罰すべからず、軒冕の蔭を広くし、旁ら諸親に及ぼす。流役六年を、五載に改め、刑徒五歳を、三祀に変ず。その余は軽きを以て重きに代え、死を化して生と為す、条目甚だ多く、簡策に備わる。宜しく諸れ海内に班し、時の軌範と為し、雑格厳科は、並びに宜しく除削すべし。先ず法令を施すは、人をして犯す心無からしめんと欲し、国に常刑有るは、誅して怒らざるの義なり。措いて用いざれば、庶幾くは遠からず、万方百辟ひゃくへき、吾が此の懷を知れ」と。前代より相承し、有司の訊考は、皆法外に在り。或いは大棒・束杖、車輻・鞵底、壓踝・杖桄の属を用い、楚毒備わり至り、誣伏すること多し。法に文致すること有ると雖も、而して毎に枉濫有り、自ら理むる能わず。ここに至り苛惨の法を尽く除き、囚を訊するは二百を過ぐること得ず、枷杖の大小、咸これが程品を為し、杖を行う者は人を易えることを得ず。帝はまた律令初めて行わるるや、人未だ禁を知らず、故に法を犯す者衆し。また下吏苛政の後に承け、務めて鍛鍊して以て人を罪に致す。乃ち詔して四方に申勅し、辞訟を理むるを敦しむ。枉屈有りて県理めざる者は、令して次いで郡及び州を経、省に至り仍り理めざれば、乃ち闕に詣でて申訴せしむ。未だ愜わざる所有れば、登聞鼓を撾つことを聴し、有司状を録してこれを奏す。

原文定訖,詔頒之曰:「帝王作法,沿革不同,取適於時,故有損益。夫絞以致斃,斬則殊刑,除惡之體,於斯已極。梟首轘身,義無所取,不益懲肅之理,徒表安忍之懷。鞭之為用,殘剝膚體,徹骨侵肌,酷均臠切。雖云遠古之式,事乖仁者之刑,梟轘及鞭,並令去也。貴礪帶之書,不當徒罰,廣軒冕之蔭,旁及諸親。流役六年,改為五載,刑徒五歲,變從三祀。其餘以輕代重,化死為生,條目甚多,備於簡策。宜班諸海內,為時軌範,雜格嚴科,並宜除削。先施法令,欲人無犯之心,國有常刑,誅而不怒之義。措而不用,庶或非遠,萬方百辟,知吾此懷。」自前代相承,有司訊考,皆以法外。或有用大棒束杖,車輻鞵底,壓踝杖桄之屬,楚毒備至,多所誣伏。雖文致於法,而每有枉濫,莫能自理。至是盡除苛慘之法,訊囚不得過二百,枷杖大小,咸為之程品,行杖者不得易人。帝又以律令初行,人未知禁,故犯法者眾。又下吏承苛政之後,務鍛鍊以致人罪。乃詔申勑四方,敦理辭訟。有枉屈縣不理者,令以次經郡及州,至省仍不理,乃詣闕申訴。有所未愜,聽撾登聞鼓,有司錄狀奏之。

帝はまた毎季自ら囚徒を録囚し、常に秋分の前に諸州が申奏する罪状を省閲した。三年、刑部の奏上を覧て、断獄の数なお万条に至るのを知り、律がなお厳密なるを以て、故に人多く罪に陥るものと為す。また蘇威・牛弘等に勅して新律を更に定めしむ。死罪八十一箇条、流罪百五十四箇条、徒杖等千余条を除き、定めて留まるは唯五百条とす。凡そ十二巻。一を名例と曰い、二を衛禁と曰い、三を職制と曰い、四を戸婚と曰い、五を廐庫と曰い、六を擅興と曰い、七を賊盗と曰い、八を闘訟と曰い、九を詐偽と曰い、十を雑律と曰い、十一を捕亡と曰い、十二を断獄と曰う。是より刑網簡要にして、疎にして失わず。ここに律博士弟子員を置く。大獄を断決するには、皆先ず明法に牒し、其の罪名を定め、然る後に断に依る。五年、侍官慕容天遠が都督ととく田元を糾し、義倉を冒請せしむるを、事実なるに始平県の律生輔恩、文を舞わして天遠を陥れ、遂に更に反坐せらる。帝之を聞き、乃ち詔を下して曰く、「人命の重きは、律文に懸かり、科条を刊定して、令をして易曉ならしむ。官を分ち職を命ずるに、恒に循吏を選び、小大の獄、理として疑舛無し。而るに往代を因襲し、別に律官を置き、報判の人、其の首と為すを推す。殺生の柄、常に小人に委ね、刑罰未だ清まらざる所以、威福妄に作る所以なり。政を為すの失、此より大なるは莫し。其れ大理律博士・尚書刑部曹明法・州県律生は、並びに停廃すべし」と。是より諸曹事を決するに、皆律文を具写して断ずるを令す。六年、諸州の長史以下、行参軍以上の者に勅し、並びに律を習わしめ、京に集まるの日、其の通ずるか否かを試む。また詔して尉遅迥・王謙・司馬消難の三道の逆人の家口の配没せられたる者を免じ、悉く官をして酬贖せしめ、編戸と為さしむ。因りて孥戮相坐の法を除く。また諸州の囚に処死ある者は、馳驛して行決することを得ざるを命ず。

原文帝又每季親錄囚徒。常以秋分之前,省閱諸州申奏罪狀。三年,因覽刑部奏,斷獄數猶至萬條。以為律尚嚴密,故人多陷罪。又勑蘇威、牛弘等,更定新律。除死罪八十一條,流罪一百五十四條,徒杖等千餘條,定留唯五百條。凡十二卷。一曰名例,二曰衞禁,三曰職制,四曰戶婚,五曰廐庫,六曰擅興,七曰賊盜,八曰鬬訟,九曰詐偽,十曰雜律,十一曰捕亡,十二曰斷獄。自是刑網簡要,疎而不失。於是置律博士弟子員。斷決大獄,皆先牒明法,定其罪名,然後依斷。五年,侍官慕容天遠,糾都督田元,冒請義倉,事實而始平縣律生輔恩,舞文陷天遠,遂更反坐。帝聞之,乃下詔曰:「人命之重,懸在律文,刊定科條,俾令易曉。分官命職,恒選循吏,小大之獄,理無疑舛。而因襲往代,別置律官,報判之人,推其為首。殺生之柄,常委小人,刑罰所以未清,威褔所以妄作。為政之失,莫大於斯。其大理律博士、尚書刑部曹明法、州縣律生,並可停廢。」自是諸曹決事,皆令具寫律文斷之。六年,勑諸州長史已下,行參軍已上,並令習律,集京之日,試其通不。又詔免尉迥、王謙、司馬消難三道逆人家口之配沒者,悉官酬贖,使為編戶。因除孥戮相坐之法。又命諸州囚有處死,不得馳驛行決。

高祖は性猜忌にして、素より学を悦ばず、既に智を任じて大位を獲たるにより、文法を以て自ら矜り、明察を以て下に臨む。恒に左右をして内外を覘視せしめ、小過失有れば、則ち重罪を以て之に加う。また令史の贓汚を患え、因りて私に人をして銭帛を遺わしめ、犯を得れば立たせて斬る。毎に殿廷に於て人を打つこと、一日の中、或は数四に至る。嘗て問事の揮楚甚だしからざるを怒り、即ち斬るを命ず。十年、尚書左僕射高熲・治書侍御史柳彧等諫めて、朝堂は人を殺す所に非ず、殿庭は罰を決する地に非ずと為す。帝納れず。熲等乃ち尽く朝堂に詣りて罪を請い、曰く、「陛下群生を子育し、弊を去るに務む。而るに百姓無知にして、犯す者息まず、致して陛下の決罰過厳なり。皆臣等の裨益する所有らざるに因る。請うらくは自ら退屏し、以て賢路を避けん」と。帝是に於て領左右都督田元を顧みて謂いて曰く、「吾が杖重きか」と。元曰く、「重し」と。帝其の状を問う。元手を挙げて曰く、「陛下の杖は指の如く大にして、楚を人に三十するは、常の杖数百に比し、故に多く死に致す」と。帝懌せず、乃ち殿内に杖を去らしめ、決罰有らんと欲すれば、各其の所由に付す。後、楚州行参軍李君才上言して、帝の高熲を寵すること過甚なりとす。上大いに怒り、之を杖するを命ずるに、殿内に杖無く、遂に馬鞭を以て笞殺す。是より殿内復た杖を置く。未だ幾ばくもせず怒り甚だしく、また殿庭に於て人を殺す。兵部侍郎馮基固く諫む。帝従わず、竟に殿庭に行決す。帝亦尋ち悔い、馮基を宣慰し、而して群僚の諫めざる者を怒る。十二年、帝、律を用うる者多く致すところ踳駁にして、罪同じくして論異なるを以て、詔して諸州の死罪は便ち決することを得ず、悉く大理に移して案覆せしめ、事尽くして然る後に上省して奏裁せしむ。十三年、徒及び流を改めて並びに配防と為す。十五年制す、死罪の者は三奏して然る後に決す。十六年、有司奏して合川倉の粟七千石少なしと。斛こく律孝卿を命じて其の事を鞫問せしむ。主典の窃む所と為す。復た孝卿をして馳驛して之を斬らしめ、其の家を没して奴婢と為し、粟を鬻ぎて以て之を填む。是より後、辺糧を盗む者は、一升已上皆死し、家口官に没す。上また典吏久しく其の職に居り、情を肆にして姦を為すを以て、諸州県の佐史は三年一代とし、経任する者は重ねて之に居ることを得ず。十七年、詔してまた所在の官人、相敬憚せず、多く自ら寛縱し、事克く挙げ難きを以て、諸に殿失有り、科条備わりと雖も、或は律に据れば乃ち軽く、情を論ずれば則ち重く、即ち罪を決せざれば、以て懲肅す無しとす。其の諸司の属官、若し愆犯有らば、律外に於て斟酌して決杖するを聴す。是に於て上下相駆り、迭りに棰楚を行い、残暴を以て幹能と為し、守法を以て懦弱と為す。

原文高祖性猜忌,素不悅學,既任智而獲大位,因以文法自矜,明察臨下。恒令左右覘視內外,有小過失,則加以重罪。又患令史贓汚,因私使人以錢帛遺之,得犯立斬。每於殿廷打人,一日之中,或至數四。嘗怒問事揮楚不甚,即命斬之。十年,尚書左僕射高熲、治書侍御史柳彧等諫,以為朝堂非殺人之所,殿庭非決罰之地。帝不納。熲等乃盡詣朝堂請罪,曰:「陛下子育羣生,務在去弊,而百姓無知,犯者不息,致陛下決罰過嚴。皆臣等不能有所裨益,請自退屏,以避賢路。」帝於是顧謂領左右都督田元曰:「吾杖重乎?」元曰:「重。」帝問其狀,元舉手曰:「陛下杖大如指,棰楚人三十者,比常杖數百,故多致死。」帝不懌,乃令殿內去杖,欲有決罰,各付所由。後楚州行參軍李君才上言,帝寵高熲過甚,上大怒,命杖之,而殿內無杖,遂以馬鞭笞殺之。自是殿內復置杖。未幾怒甚,又於殿庭殺人,兵部侍郎馮基固諫,帝不從,竟於殿庭行決。帝亦尋悔,宣慰馮基,而怒羣僚之不諫者。十二年,帝以用律者多致踳駁,罪同論異。詔諸州死罪不得便決,悉移大理案覆,事盡然後上省奏裁。十三年,改徒及流並為配防。十五年制,死罪者三奏而後決。十六年,有司奏合川倉粟少七千石,命斛律孝卿鞫問其事,以為主典所竊。復令孝卿馳驛斬之,沒其家為奴婢,鬻粟以填之。是後盜邊糧者,一升已上皆死,家口沒官。上又以典吏久居其職,肆情為姦。諸州縣佐史,三年一代,經任者不得重居之。十七年,詔又以所在官人,不相敬憚,多自寬縱,事難克舉。諸有殿失,雖備科條,或據律乃輕,論情則重,不即決罪,無以懲肅。其諸司屬官,若有愆犯,聽於律外斟酌決杖。於是上下相驅,迭行棰楚,以殘暴為幹能,以守法為懦弱。

是の時、帝の意毎に惨急を尚び、而して姦回止まず、京市白日に公行掣盗し、人間強盗も亦往往にして有り。帝之を患え、群臣に断禁の法を問う。楊素等未だ言わざるに、帝曰く、「朕之を知れり」と。詔して能く糾告する者有らば、賊家の産業を没し、以て糾人を賞す。時月の間、内外寧息す。其の後、無頼の徒、富人の子弟の路に出づるを候い、而して故に物を其の前に遺い、偶拾取すれば則ち擒えて官に送り、而して其の賞を取る。大抵陷れらるる者甚だ衆し。帝之を知り、乃ち一銭已上を盗む者は皆棄市せしむ。行旅皆晏く起き早く宿り、天下懍懍たり。此の後又た制を定め、行署一銭已上を取るを聞見して告言せざる者は、死に坐す。此より四人共に一榱桶を盗み、三人同に一瓜を窃むも、事発すれば即時に行決す。数人あり、執事を劫執して之に謂いて曰く、「吾豈に財を求むる者ならんや。但だ枉人の来るを為すのみ。而して我が為に至尊に奏せよ。古より以来、国を体し法を立つるに、未だ一銭を盗みて死する者無し。而して我が為に以て聞こえざれば、吾更に来りて、而して属無類ならん」と。帝之を聞き、為に一銭を盗み取って棄市するの法を停む。

原文是時帝意每尚慘急,而姦回不止,京市白日,公行掣盜,人間強盜,亦往往而有。帝患之,問羣臣斷禁之法。楊素等未及言,帝曰:「朕知之矣。」詔有能糾告者,沒賊家產業,以賞糾人。時月之間,內外寧息。其後無賴之徒,候富人子弟出路者,而故遺物於其前,偶拾取則擒以送官,而取其賞。大抵被陷者甚眾。帝知之,乃命盜一錢已上皆棄市。行旅皆晏起早宿,天下懍懍焉。此後又定制,行署取一錢已上,聞見不告言者,坐至死。自此四人共盜一榱桶,三人同竊一瓜,事發即時行決。有數人劫執事而謂之曰:「吾豈求財者邪?但為枉人來耳。而為我奏至尊,自古以來,體國立法,未有盜一錢而死也。而不為我以聞,吾更來,而屬無類矣。」帝聞之,為停盜取一錢棄市之法。

帝嘗て怒を発し、六月に人を棒殺せんとす。大理少卿趙綽固く争いて曰く、「季夏の月は、天地庶類を成長す。此の時に以て誅殺すべからず」と。帝報えて曰く、「六月と雖も生長せいちょうと曰うと、此の時必ず雷霆有り。天道既に炎陽の時に於て、其の威怒を震わす。我は則ち天に行う。何の不可か有らん」と。遂に之を殺す。大理掌固来曠、封事を上り、大理官司の恩寛なるを言う。帝、曠を忠直と為し、遣わして毎旦五品行中に参見せしむ。曠又た少卿趙綽の徒囚を濫免するを告ぐ。帝、信臣をして推験せしむるに、初め阿曲無し。帝又た曠を怒り、斬るを命ず。綽因りて固く争い、曠の死に合わざるを以てす。帝乃ち衣を拂いて閣に入る。綽又た言を矯えて曰く、「臣更に曠を理めず、自ら他事有りて未だ奏聞に及ばず」と。帝命じて閣に引入る。綽再拝して請いて曰く、「臣に死罪三有り。臣大理少卿と為り、掌固を制馭すること能わず、曠をして天刑に触挂せしむ。死罪一なり。囚死に合わずと雖も、臣死を争うこと能わず。死罪二なり。臣本他事無くして、妄りに言を以て入るを求む。死罪三なり」と。帝顔を解く。会うに献皇后坐に在り。帝綽に二金盃の酒を賜い、飲み訖り、并せて盃を以て之に賜う。曠因りて死を免れ、広州に配徒す。

原文帝嘗發怒,六月棒殺人。大理少卿趙綽固爭曰:「季夏之月,天地成長庶類。不可以此時誅殺。」帝報曰:「六月雖曰生長,此時必有雷霆。天道既於炎陽之時,震其威怒,我則天而行,有何不可。」遂殺之。大理掌固來曠上封事,言大理官司恩寬。帝以曠為忠直,遣每旦於五品行中參見。曠又告少卿趙綽濫免徒囚,帝使信臣推驗,初無阿曲。帝又怒曠,命斬之。綽因固爭,以為曠不合死。帝乃拂衣入閣,綽又矯言,臣更不理曠,自有他事未及奏聞。帝命引入閤,綽再拜請曰:「臣有死罪三。臣為大理少卿,不能制馭掌固,使曠觸挂天刑,死罪一也。囚不合死,而臣不能死爭,死罪二也。臣本無他事,而妄言求入,死罪三也。」帝解顏。會獻皇后在坐,帝賜綽二金盃酒,飲訖,并以盃賜之。曠因免死,配徒廣州。

帝は年齢が晩年に至り、特に仏道を崇尚し、また平素より鬼神を信じていた。二十年、詔して沙門・道士が仏像・天尊を壊し、百姓が岳瀆の神像を壊す者は、皆悪逆の罪に論ずるとした。帝は猜忌心が強く、二朝の臣僚に対し、法の適用は特に峻厳であった。御史監師が、元正の日に武官の衣剣の不揃いを弾劾しなかったことを、或る者が帝に告げると、帝はこれに謂って曰く、「汝は御史であるのに、何ぞ自由に放任するのか」と。命じてこれを殺させた。諫議大夫毛思祖が諫めると、またこれを殺した。左領軍りょうぐん府長史が考校に公平を欠き、将作寺丞が麦𪌭(麦の粉)の供給が遅れたことを諫め、武庫令が官署の庭が荒蕪していること、独孤師が蕃客の鸚鵡を受け取ったことを、帝は察知し、みずから臨んで斬決した。

原文帝以年齡晚暮,尤崇尚佛道,又素信鬼神。二十年,詔沙門道士壞佛像天尊,百姓壞岳瀆神像,皆以惡逆論。帝猜忌,二朝臣僚,用法尤峻。御史監師,於元正日不劾武官衣劍之不齊者,或以白帝,帝謂之曰:「爾為御史,何縱捨自由。」命殺之。諫議大夫毛思祖諫,又殺之。左領軍府長史考校不平,將作寺丞以諫麥𪌭遲晚,武庫令以署庭荒蕪,獨孤師以受蕃客鸚鵡,帝察知,並親臨斬決。

仁寿じんじゅ年間、法の適用は益々峻厳となり、帝は既に喜怒常ならず、もはや科律に依拠しなくなった。時に楊素は正に委任を受けていた。素はまた生来気性が高慢で、公卿は股慄し、敢えて言を措くことができなかった。素は鴻臚少卿陳延に不満を持ち、蕃客館を経過した際、庭中に馬糞があり、また庶僕が氈の上で樗蒲をしていた。直ちにこれを帝に告げると、帝は大いに怒って曰く、「主客令は庭内を洒掃せず、掌固は私的な遊戯で官の氈を汚し損なう、罪状これに何を以て加えん」と。皆西市で棒殺し、陳延を榜棰(鞭打ち)して、殆ど死に至らしめた。大理寺丞楊遠・劉子通らは、性来深刻な条文を好み、毎に牙(衙門)に随って獄を奏上し、よく帝の旨に順承した。帝は大いに悦び、共に殿庭の三品行中に供奉させ、詔獄がある毎に、専らこれらをして主掌させた。帝の快としない者があれば、則ち重い罪状を案じて、殊なる罪なくして死する者は、数え切れないほどであった。遠はまた楊素に附くことができ、毎に道中で出迎え、囚人の名をこれに告げ、皆素の為す所の軽重に随った。その臨終に市に赴く者は、道中で冤罪を叫び、天を仰いで哭くこと無きはなかった。越公楊素は朝権を侮弄し、帝もまたこれを悉くすることはできなかった。

原文仁壽中,用法益峻,帝既喜怒不恒,不復依準科律。時楊素正被委任。素又禀性高下,公卿股慄,不敢措言。素於鴻臚少卿陳延不平,經蕃客館,庭中有馬屎,又庶僕氊上樗蒲。旋以白帝,帝大怒曰:「主客令不灑掃庭內,掌固以私戲污敗官氊,罪狀何以加此。」皆於西市棒殺,而榜棰陳延,殆至於斃。大理寺丞楊遠、劉子通等,性愛深文,每隨牙奏獄,能承順帝旨。帝大悅,並遣於殿庭三品行中供奉,每有詔獄,專使主之。候帝所不快,則案以重抵,無殊罪而死者,不可勝原。遠又能附楊素,每於塗中接候,而以囚名白之,皆隨素所為輕重。其臨終赴市者,莫不塗中呼枉,仰天而哭。越公素侮弄朝權,帝亦不之能悉。

煬帝ようだいが即位すると、高祖(文帝)の禁網が深刻であることを以て、また律令を修めさせ、十悪の条を除いた。時に斗・称は皆旧制より二倍小さく、その贖銅もまた二倍を加えて差等とした。杖百は則ち三十斤である。徒一年の者は六十斤、毎等三十斤を加えて差等とし、三年は則ち一百八十斤である。流刑は異なる等なく、贖は二百四十斤。二種の死刑(絞・斬)は同じく贖三百六十斤。その実質は異ならない。開皇の旧制では、釁門(罪を犯した家門)の子弟は、宿衛・近侍の官に居ることを得なかった。先に蕭巖が反逆に坐して誅せられ、崔君綽が庶人勇(元皇太子楊勇)の事に連坐し、家口は籍没されていた。巖は中宮(皇后)の縁故により、君綽は娘が宮中に入り愛幸された縁故で、帝は乃ち詔を下して前制を革め、曰く「罪は嗣に及ばず、既に至孝の道を弘め、恩は義によって断ち、以て君に事える節を勧む。故に羊鮒は戮に従い、弥(いよいよ)叔向の誠を見せ、季布は勲を立て、丁公の禍に預からず、用いて往代に声を樹て、将来に範を貽す。朕は虚己して政を為し、旧典に遵うことを思い、心を推して物に待ち、毎に寛政に従う。六位象を成し、その含弘を美とし、一眚(一つの過ち)をもって徳を掩うは、甚だ謂うところに非ざるなり。諸々犯罪して戮せられたる門の、期親以下の親は、仍(なお)仕え合わせることを令し、宿衛近侍の官に預かることを聴す」と。

原文煬帝即位,以高祖禁網深刻,又敕修律令,除十惡之條。時斗稱皆小舊二倍,其贖銅亦加二倍為差。杖百則三十斤矣。徒一年者六十斤,每等加三十斤為差,三年則一百八十斤矣。流無異等,贖二百四十斤。二死同贖三百六十斤。其實不異。開皇舊制,釁門子弟,不得居宿衞近侍之官。先是蕭巖以叛誅,崔君綽坐連庶人勇事,家口籍沒。巖以中宮故,君綽緣女入宮愛幸,帝乃下詔革前制曰:「罪不及嗣,既弘至孝之道,恩由義斷,以勸事君之節。故羊鮒從戮,彌見叔向之誠,季布立勳,無預丁公之禍,用能樹聲往代,貽範將來。朕虛己為政,思遵舊典,推心待物,每從寬政。六位成象,美厥含弘,一眚掩德,甚非謂也。諸犯罪被戮之門,期已下親,仍令合仕,聽預宿衞近侍之官。」

三年、新律が成る。凡そ五百条、十八篇なり。詔して施行し、之を大業たいぎょう律と謂う。一に名例、二に衛宮、三に違制、四に請求、五に戸、六に婚、七に擅興、八に告劾、九に賊、十に盗、十一に闘、十二に捕亡、十三に倉庫、十四に廐牧、十五に関市、十六に雑、十七に詐偽、十八に断獄。その五刑の内、軽き典に降る者は、二百余条。その枷・杖・決罰・訊囚の制は、並びに旧より軽し。是の時、百姓は久しく厳刻を厭い、刑の寛なることを喜んだ。後に帝は乃ち外に四夷を征し、内に嗜慾を窮め、兵革歳毎に動き、賦斂滋に繁し。有司は皆臨時に迫脅し、苟くも事を済まんことを求め、憲章は遠く棄てられ、賄賂公行し、窮民告ぐる無く、聚まって盗賊と為った。帝は乃ち更に厳刑を立て、勅して天下の窃盗以上の罪は、軽重を問わず、聞奏を待たず、皆斬るとした。百姓は転相群聚し、城邑を攻剽し、誅罰も禁ずることができなかった。帝は盗賊止まずを以て、乃ち益々淫刑を肆(ほしいまま)にした。九年、又詔して盗を為す者はその家を籍没すとす。ここより群賊大いに起こり、郡県の官人は、又各々威福を専らにし、生殺情に任せた。楊玄感の反するに及んで、帝はこれを誅し、罪は九族に及んだ。その尤も重き者は、轘裂・梟首の刑を行った。或いは磔にして之を射させ、公卿以下に命じて、その肉を臠噉(切り取って食わせ)させた。百姓怨嗟し、天下大いに潰え、恭帝の即位に及んで、獄訟帰する所あり。

原文三年,新律成。凡五百條,為十八篇。詔施行之,謂之大業律:一曰名例,二曰衞宮,三曰違制,四曰請求,五曰戶,六曰婚,七曰擅興,八曰告劾,九曰賊,十曰盜,十一曰鬬,十二曰捕亡,十三曰倉庫,十四曰廐牧,十五曰關市,十六曰雜,十七曰詐偽,十八曰斷獄。其五刑之內,降從輕典者,二百餘條。其枷杖決罰訊囚之制,並輕於舊。是時百姓久厭嚴刻,喜於刑寬。後帝乃外征四夷,內窮嗜慾,兵革歲動,賦斂滋繁。有司皆臨時迫脅,苟求濟事,憲章遐棄,賄賂公行,窮人無告,聚為盜賊。帝乃更立嚴刑,勑天下竊盜已上,罪無輕重,不待聞奏,皆斬。百姓轉相羣聚,攻剽城邑,誅罰不能禁。帝以盜賊不息,乃益肆淫刑。九年,又詔為盜者籍沒其家。自是羣賊大起,郡縣官人,又各專威褔,生殺任情矣。及楊玄感反,帝誅之,罪及九族。其尤重者,行轘裂梟首之刑。或磔而射之,命公卿已下,臠噉其肉。百姓怨嗟,天下大潰,及恭帝即位,獄訟有歸焉。