隋書

巻十 志第五 礼儀五

輿輦の別は、蓋し先王の威等を列する所以なり。然れども時に随ひて変じ、代は同じからず。

梁の初めは、尚ほ斉の制を遵ひ、其の後武帝既に礼儀を議定し、乃ち漸く変革有り。初め永明中、歩兵校尉こうい伏曼容奏し、宋の大明中、尚書左丞荀万秋議す、金玉の二輅は、並びに碧旂を建て、象革木の輅は、並びに赤旂を建つ、時運の上する所に非ず、又五方の色に非ず。今五輅五牛及び五色幡旗は、並びに斉の尚ぶ所の青色に準ぜんことを請ふ。時に議して駁し、行はれず。天監三年に至り、乃ち五輅の旗を改めて同じく赤を用ひて旒は異ならず、以て行運の尚ぶ所に従へり。

七年、帝曰く、「礼に拠れば『玉輅は以て祀り、金輅は以て賓す』と、而るに今大祀は、並びに金輅に乗る」と。詔して詳議を下す。周捨以爲く、「金輅は之を齋車に以てす、本祭祀に関せず」と。是に於て陵廟を改めて皆玉輅に乗り、大駕は則ち太僕卿御し、法駕は則ち奉車郎馭す。其の余の四輅は、則ち人をして轡を執らしめ、朱絲を以て之を爲す。執する者は武冠・朱衣なり。

又斉の永明の制、玉輅の上に重屋を施し、宝鳳皇を棲まはし、金鈴を綴り、珠璫・玉蚌佩を鑷す。四角の金龍、五綵の毦を銜む。又麒麟の頭を画きて馬首に加ふる者有り。十二年、帝皆之を省く。

初め、斉の武帝大小の輦を造り、並びに軺車の如くすれども、但だ輪轂無く、下に轅軛を横ふ。梁の初め、漆画を以て之に代ふ。後帝令して上に笨輦を加ふる可しとし、形は犢車の如く、是より始まる。中方八尺、左右に四望を開く。金を以て龍首と爲す。其の五末を飾る、謂はゆる轅轂の頭及び衡の端なり。金鸞軛に棲む。其の下に重層を施し、空青を以て彫鏤して龍鳳の象と爲す。漆木を前に横へ、名けて望板と曰ふ。其の下交はして三十六横を施す。小輿は形軺車に似、金装漆画すれども、但だ八横を施す。元正の大会、乗り出でて上殿す。西堂に挙哀するも亦之に乗る。行けば則ち後に従ふ。一名を輿車と曰ふ。

羊車は一名を輦と曰ひ、其の上は軺の如く、小児は青布の袴褶を衣、五辮の髻、数人之を引く。時に名けて羊車小史と曰ふ。漢氏は或は人を以て牽き、或は果下馬を駕す。梁は貴賤通じて之に乗るを得、名けて牽子と曰ふ。

画輪車、一乗、牛を駕す。乗用は斉の制の如く、旧史之を詳かに言へり。

衣書車、十二乗、牛を駕す。漢は皁蓋朱裏、江を過ぎて緑油幢を加ふ。朱絲の絡、青交路、黄金塗の五末。一に副車と曰ふ。梁朝之を衣書車と謂ふ。

皇太子の鸞輅、三馬を駕し、左右に騑す。朱斑の輪、倚獣の較、伏鹿の軾、九旒、降龍を画き、青蓋に幡を画き、文輈、黄金塗の五末。近代亦之を鸞輅と謂ひ、即ち象輅なり。梁の東宮初めて建つ及び太子の釈奠・元正の朝会は則ち之に乗る。画輪を以て副と爲す。若し常に画輪に乗らば、軺衣書車を以て副と爲す。画輪車は、上に四望を開き、緑油幢、朱繩の絡、両箱の裏は錦を以て飾り、黄金塗の五末。

二千石四品已上及び列侯は、皆軺車を給し、牛を駕す。伏兔箱、青油幢、朱絲の絡、轂輞皆黒漆。天監二年の令、三公・開府・尚書令しょうしょれいは、則ち鹿幡軺を給し、耳を施し、後戸、皁輞。尚書僕射・左右光禄大夫・侍中・中書監ちゅうしょかん令・秘書監は、則ち鳳轄軺を給し、後戸、皁輞。領・護・国子祭酒・太子詹事・尚書・侍中・列卿・散騎常侍さんきじょうじは、聊泥軺を給し、後戸無く、漆輪。車騎・驃騎及び諸王の刺史を除き、将軍を帯ぶるは、龍雀軺を給し、金銀を以て飾る。御史中丞は方蓋軺を給し、形は小傘の如し。

諸王三公に勲徳有る者は、皆特に皁輪車を加へ、牛を駕し、形は犢車の如し。但だ烏漆の輪轂、黄金の彫装、上に青油幢を加へ、朱絲の絡、通幰或は四望。上臺、三夫人も亦之に乗り、搨幢涅幰を以て副と爲す。王公に礼を加ふる者は、油幢絡車を給し、牛を駕す。朱輪華轂。天監二年の令、上臺、六宮・長公主・公主・諸王太妃・妃は、皆青油輿幢通幰車に乗り、搨幢涅幰を以て副と爲す。采女・皇女・諸王嗣子・侯夫人は、皆赤油搨幢車に乗り、涅幰を以て副と爲す。侍女・直は涅幰の乗に乗る。

諸王三公は並びに通幰平乗車に乗り、竹箕子壁・仰、[木資]榆を以て輞と爲す。今の犢車の如しれども、但だ幰を挙げて上を通覆す。

方州刺史は、並びに通幰平肩輿に乗り、従横に八横を施し、亦金渡装の較を得。天子より下賤に至るまで、通じて歩輿に乗り、方四尺、上に隠膝及び襻を施し、之を挙ぐ。禁限無し。載輿も亦之の如しれども、但だ脚を施さず、以て席に就くに便なり。優礼する者は、人輿を以て殿に升る。司徒しと謝朏は、脚疾を以て之を優す。

五牛旗は、左に青と赤、右に白と黒、黄色はその中央にあり、これは古の五時副車である。旧来に五色立車と五色安車があり、合わせて十乗、名を五時車という。旗を十二本立て、それぞれ車の色に同じ。立車は則ちその旗を正しく立て、安車は則ち斜めに掲げる。馬もまた五時の色に従い、白馬は則ちその鬣と尾を朱に染める。左右の騑驂には、金鋄鏤鍚を飾り、黄屋左纛を設け、金根車の制の如し。行幸には則ち後に従う。名を五時副車という。晋が江を渡り、恒常的に用いることがなければ、則ち仮に馬車で代え、その上に旗を立てた。後にはただ五色の木牛で車を象り、旗を牛の背に立て、人にこれを担がせた。旗は常に巻かれて開かず、ただ天子が自ら戎事に臨む時のみ、その斾を開く。周遷は晋の武帝が呉を平らげた後に五牛の旗を造ったとし、江を渡って初めて作ったのではないとする。

指南車は、大駕が出る時、先導を開く車となる。漢初、俞児騎を置き、ともに先駆けとした。左太冲は言う、「俞騎は路を馳せ、指南は方角を司る」と。後にその騎を廃してその車を存した。

記里車は、牛に駕す。その中に木人が槌を執り、車が一里行くごとに、一槌打つ。

鼓吹車は、上に層楼を設け、四角に金龍を飾り、旒蘇と羽葆を銜む。凡そ鼓吹は、陸では則ち楼車、水では則ち楼船、殿庭では則ち筍虡を画いて楼とす。楼上には翔鷺と棲烏、或いは鵠の形を為す。

陳は梁の末を承け、王琳が放火し、延焼して車府を焼いた。天嘉元年に至り、勅して都官尚書・宝安侯の到仲挙に命じ、玉・金・象・革・木等の五輅及び五色副車を造ることを議させた。皆、金薄の交龍を以て、輿の倚較と為し、文貔を軾に伏せ、虯首を以て軛を銜ませ、左右に吉陽筩を設け、鸞雀を衡に立て、𣝛文を轓に画き、緑油の蓋、黄絞の裏、相思橑、金華の末とす。斜めに旂旗を車の左に掲げ、各々方色に依る。棨戟を車の右に加え、黻繡の衣でこれを韜む。獣頭幡は、長さ一丈四尺、戟の杪に懸ける。玉輅は、正副ともに六馬を駕し、余の輅は皆四馬を駕す。馬は皆黄金を以て文髦と為し、翟尾を挿し、玉を以て鏤鍚とす。又、綵画の赤油を以て、長さ三尺、広さ八寸、両軸の頭に繫ぎ、古くは飛軨と言い、改めて綵画の蛙蟆幡とし、両軸の頭に綴じ、即ち古の飛軨の遺象である。五輅の両箱の後は、皆玳瑁を以て鵾翅と為し、金銀の彫飾を加える、故に俗人はこれを金鵾車と謂う。両箱の裏は、紅錦を以て衣とし、金花の帖釘、上は紅紫錦を以て後檐と為し、青絞の純帯、夏は簟を用い、冬は綺繡の褥を用いる。此の後次第に修め、梁の制に具に依った。

後魏の天興初年、詔して儀曹郎の董謐に朝饗の儀を撰ばしめ、初めて軒冕を制し、古式を知らず、多く旧章に違う。孝文帝の時、儀曹令の李韶が更に奏して詳定し、経籍を討論し、改正を議した。ただ五輅を備え、各々方色に依るのみで、その余の車輦は、未だ具えることができなかった。熙平九年に至り、明帝がまた詔して侍中の崔光と安豊王の延明・博士の崔瓚にその議を採らせ、大いに車服を造らせた。制を定め、五輅は並びに五馬を駕す。皇太子は金輅に乗り、朱蓋赤質、四馬。三公及び王は、朱屋青表、制は輅と同じ、名を高車といい、三馬を駕す。庶姓の王・侯及び尚書令・僕以下、列卿以上は、並びに軺車を給し、駕には一馬を用いる。或いは四望通幰車に乗り、一牛を駕す。此れより以後、条章は粗く備わり、北斉は皆これを取り用いた。その後これにより令を著し、並びに増減無し。

王・庶姓の王・儀同三司以上・親公主は、雉尾扇、紫傘。皇宗及び三品以上の官は、青傘朱裏。その青傘碧裏は、士人に達し、禁じない。

正従第一品の執事官・散官及び儀同三司・諸公主は、油色朱絡網車に乗ることを得、車牛の飾りに金塗及び純銀を用いることを得る。二品・三品は、巻通幰車に乗ることを得、車牛の飾りに金塗を用いる。四品以下、七品以上は、偏幰車に乗ることを得、車牛の飾りに銅を用いる。

尚書令には哄士十五人を給し、左右僕射・御史中丞には、各々十二人を給す。

周氏は六官を設け、司輅の職を置き、以て公車の政を掌り、その名品とその物色を弁ず。

皇帝の輅は、十二等あり:一に曰く蒼輅、以て昊天上帝を祀る。二に曰く青輅、以て東方上帝を祀る。三に曰く朱輅、以て南方上帝及び朝日を祀る。四に曰く黄輅、以て地祇中央上帝を祭る。五に曰く白輅、以て西方上帝及び夕月を祀る。六に曰く玄輅、以て北方上帝及び感帝を祀り、神州を祭る。此の六輅は、通じて漆を施すのみで、他の物を用いて飾らない。皆、疏面とし、旒は方色に就き、俱に十二。〈疏面とは、皮を刻んで顱に当てる。〉七に曰く玉輅、以て先皇を享け、元服を加え、后を納る。八に曰く碧輅、以て社稷を祭り、諸先帝を享け、大いに亀に貞し、三老五更を食し、諸侯を饗し及び耕籍する。九に曰く金輅、以て星辰を祀り、四望を祭り、朔を視、大射し、賓射し、群臣を饗し、犠牲を巡り、国老を養う。十に曰く象輅、以て群祀を望秩し、朝を視、諸侯及び群臣を燕し、燕射し、庶老を養い、諸侯の家に適い、巡省し、太学に臨み、道法門を幸する。十一に曰く革輅、以て兵を巡り即ち戎す。十二に曰く木輅、以て田猟し、郷畿を行く。此の六輅は、又、六色の漆を以て施し画き、玉・碧・金・象・革の物を用い、以て諸末を飾る。皆、鍚面・金鉤とし、五采に就き、俱に十二。〈鍚面とは、金を鏤んで顱に当てる。鉤は以て勒・鞶・纓に属す。〉

皇后の車も、亦十二等あり:一に曰く重翟、以て皇帝に従う。〈重翟は羽を以て車の蕃と為す。〉郊禖を祀り、先皇を享け、皇太后に朝する。二に曰く厭翟、以て陰社を祭る。〈その羽を次ぐ。〉三に曰く翟輅、以て桑を採る。〈翟羽を以て飾る。〉四に曰く翠輅、以て皇帝に従い、賓客に見える。〈翠羽を以て飾る。〉五に曰く雕輅、以て帰寧する。〈諸末を刻む。〉六に曰く篆輅、以て諸道法門に臨む。〈諸飾を篆す。〉六輅は皆、鍚面、朱総、〈総は朱絲を以て為し、馬勒に置き、両耳と両鑣とに直す。〉金鉤。七に曰く蒼輅、以て命婦の家に適う。八に曰く青輅、九に曰く朱輅、十に曰く黄輅、十一に曰く白輅、十二に曰く玄輅。五時に常に出入りする時は則ちこれを供す。六輅は皆、疏面、繢総。〈画繒を以て為す。〉

諸公の輅は九:方輅、〈各々方の色に象る。〉革輅、篆輅、木輅、皆、疏面、鞶纓九就。凡そ就は、皆、朱・白・蒼の三采を以てす。諸侯は方輅以下八、又、碧輅無し。諸伯は方輅以下七、又、金輅無し。諸子は方輅以下六、又、象輅無し。諸男は方輅以下五、又、犀輅無し。凡そ就は、各々その命の如し。

諸公の夫人の輅車は九種あり、厭翟・翟輅・翠輅は、いずれも鍚面(馬面の飾り)を施し、朱総(赤い総)を垂れ、金鉤を用いる。雕輅・篆輅は、いずれも勒面(革で覆った面)を施し、〈白黒の革を刻んで当顱(額当て)とする。〉繢総(彩色した総)を垂れる。朱輅・黄輅・白輅・玄輅は、いずれも雕面(漆塗りの革で刻んだ面)を施し、〈漆塗りの革を刻んで当顱とする。〉鷖総(青黒色の総)を垂れる。〈総は青黒色の繒を用い、その垂れ方は朱総と同じである。〉諸侯の夫人は翟輅以下八種、諸伯の夫人は翠輅以下七種、諸子の夫人は雕輅以下六種、諸男の夫人は篆輅以下五種を用いる。鞶纓の就(飾りの段数)は、それぞれその君(夫の爵位)に準ずる。

公・孤・卿・大夫は、いずれも中之色(爵位に応じた色)の服を着て祀輅に乗る。士は祀車に乗る。

三公の輅車は九種あり、祀輅・犀輅・貝輅・篆輅・木輅・夏篆・夏縵・墨車・輚車である。篆輅以上は、金で末端を塗り、疏鍚(馬の額飾り)・鞶纓・金鉤を施す。木輅以下は、銅で末端を飾り、疏(飾り革)・鞶纓はいずれも九就(九段)とする。三孤は祀輅以下八種で、犀輅はない。六卿は祀輅以下七種で、さらに貝輅はない。上大夫は祀輅以下六種で、さらに篆輅はない。中大夫は祀輅以下五種で、さらに木輅はない。下大夫は祀輅以下四種で、さらに夏篆はない。士の車は三種、祀車・墨車・輚車である。凡そ就の数は、それぞれその命(爵位)の数に等しい。孤以下は、朱と緑の二采を用いる。

三妃・三公夫人の輅は九種あり、篆輅・朱輅・黄輅・白輅・玄輅は、いずれも勒面を施し、繢総を垂れる。夏篆・夏縵・墨車・輚車は、いずれも雕面を施し、鷖総を垂れる。三㚤・三孤内子は、朱輅以下八種を用いる。六嬪・六卿内子は、黄輅以下七種を用いる。上媛婦・中大夫孺人は、玄輅以下五種を用いる。下媛婦・大夫孺人は、夏篆以下四種を用いる。御婉・士敍人は、夏縵以下三種を用いる。その鞶纓の就は、それぞれその等級による。

いずれも簟笰(竹のすだれ)を用い、漆を塗る。君(皇帝・諸侯)は赤色、卿・大夫・士は玄色とする。

君は四頭立てとし、三輈(轅)六轡(手綱)を用いる。卿・大夫は三頭立てとし、二輈五轡を用いる。士は二頭立てとし、一輈四轡を用いる。

輅の制は、重輪・重較(車の横木)とし、さらに耳(車箱の側板の装飾)を加える。皇帝・皇后の輅は、輿(車体)の幅六尺六寸、輪の高さ七尺である。輪轂・輈衡(轅と横木)に雲牙の文様を描き、箱軾(車箱と手すり)に虡文(獣の文様)を描き、虡内(文様の内側)に雑獣を描く。獣は軾に伏せ、鹿は較に寄りかかる。諸侯及び夫人、命夫・命婦の輅車は、幅六尺二寸、輪の高さ六尺六寸である。轂に雲牙を描き、軾に虡文を描き、虡内に雲華を描く。鹿は較に寄りかかる。士は描かない。后・夫人・内子以下は、同様に獣と鹿を除く。

凡そ旗において、太常には三辰を描き、〈日・月・五星。〉旃には青龍を描き、〈皇帝は昇龍、諸侯は交龍。〉旟には朱雀を描き、旌には黄麟を描き、旗には白獸を描き、旐には玄武を描き、いずれも雲を加える。その旜物(旗の種類)は軍中においても、またその事号(標識)を書き、雲気を加える。徽幟もまた同じである。〈通帛(一色の帛)を旜とし、雑帛(二色以上の帛)を物とする。軍中においてもまたその人の官と姓名の事号を書く。徽幟にもまたそれを書き、ただその書く例に従って描く。〉旌節にはまた白獸を描き、その上に析羽(裂いた鳥の羽)を飾る。

司常は、旗物の保管を掌る。通帛の旗六種を、郊丘の祭祀に供える。第一は蒼旗、第二は青旗、第三は朱旗、第四は黄旗、第五は白旗、第六は玄旗である。画繢(彩色して描いた)の旗六種を、玉輅などの車に備える。第一は三辰の常、第二は青龍の旗、第三は朱鳥の旟、第四は黄麟の旌、第五は白獸の旗、第六は玄武の旐である。いずれも左に旗を建て、右に闟戟(矛と戟)を建てる。また継旗四種があり、軍旅に用いる。第一は麾で、軍将に供する。第二は旞で、師帥に供する。第三は[旗-其+伐]で、旅帥に供する。第四は斾で、倅長に供する。諸公の方輅・碧輅には旂を建て、金輅には旟を建て、象輅には物を建て、木輅には旐を建てる。諸侯は金輅以下、諸公の旗と同じとする。諸伯は象輅以下、諸侯の旗と同じとする。諸子は犀輅以下、諸伯の旗と同じとする。諸男は象輅以下、諸子の旗と同じとする。三公の犀輅・貝輅・篆輅には旜を建て、木輅には旐を建て、夏篆・夏縵及び輚車には物を建てる。孤卿以下は、それぞれその等級に応じてその旗を建てる。

旌杠(旗竿)は、皇帝は六刃、諸侯は五刃、大夫は四刃、士は三刃とする。

旒(旗の垂れ飾り)は、皇帝は地に曳き、諸侯は軹(車軸端)に及び、大夫は轂(車輪の中心)に及び、士は軫(車の後部)に及ぶ。凡そ毛を杠首に注ぐものを綏といい、析羽を旌といい、全羽を旞という。その幓(旗の覆い)は、皇帝・諸侯には弧韣(弓袋)を加える。闟戟は、方六尺で黻(礼服の模様)で覆い、ただ皇帝・諸侯の輅に建てる。〈闟戟・杠綢(旗竿の覆い)は旗と同じである。〉

車の蓋は円く、天を象り、輿は方形で、地を象る。輪輻は三十本、日月を象る。蓋橑(蓋の骨)は二十八本、列宿を象る。和鑾(鈴)を設けて趨行(歩調)を整え、旗旒を掲げて貴賤を表す。その取象は大きく、その徳を彰わすことは明らかである。ゆえに王者はこれを尊ぶ。

皇帝・皇后が喪中の時に用いる車は五種ある。第一は木車で、初喪に乗る。第二は素車で、卒哭(百日祭)に乗る。第三は藻車で、既練(小祥)に乗る。第四は駹車で、祥(大祥)に乗る。第五は漆車で、禫(除服)に乗る。

北斉を平定した時、その輿輅を得て中府に蔵め、まったく用いなかった。大象(北周静帝の年号)の初めに至り、鄭訳を遣わして武庫を視察させたところ、魏の旧物を得て、特に優れたものを選び、ともに彫飾を加え、六宮に分け与えた。乾象輦があり、羽葆(羽飾りの傘)と円蓋を備え、日月五星・二十八宿・天街雲罕・山林奇怪及び遊麟飛鳳・朱雀玄武・騶虞青龍を描き、二十四頭の馬を駕し、天中皇后に給して、助祭の時に乗った。また大樓輦車があり、龍輈(龍形の轅)十二本に玉飾りを加え、四轂六衡、方輿円蓋、金鷄樹羽、寶鐸旒蘇、鸞雀立衡、六螭龍銜軛(六頭の螭龍が軛を銜む)を施し、太常を建て、昇龍日月を描き、二十頭の牛を駕した。また象輦があり、左右に金鳳、白鹿仙人、羽葆旒蘇、金鈴玉佩を飾り、初めは二頭の象を駕したが、後に六頭の駱駝に代えた。ともに遊観小樓等の輦、十五頭立ての馬車などがあり、合わせて十余乗、いずれも魏の天興年間に制作されたものである。宣帝(北周宣帝)はこの時、ことごとく再びこれらを御した。また天下の車に、すべて渾成木(丸木)を輪とすることを命じた。

開皇元年(581年)、内史令李德林が上奏し、周・魏の輿輦は制度に背いているとして、すべて廃棄破壊することを請うた。高祖こうそ(隋文帝)はこれに従った。ただ魏の太和年間に儀曹令李韶が制作した五輅と、斉の天保年間に遵用されていたものを留めた。また魏の熙平年間に、太常卿穆紹が議した皇后の輅、すなわち従祭には金根車に乗り、親桑には雲母車に乗り、ともに四頭立てとする。帰寧には紫罽車に乗り、遊行には安車に乗り、弔問には紺罽輧車に乗り、ともに三頭立てとするものを留めた。後に令を定め、五輅の制度を制定した。

玉輅は、青を地とし、諸所の端を玉で飾る。重箱の盤輿、左に青龍、右に白虎、金の鳳凰の翅、虡文の鳥獣を画く。黄屋に左纛、金鳳は軾の前にあり、八鸞は衡にあり、二鈴は軾にある。龍の輈、前に鄣塵を設く。青蓋に黄裏、繍で飾る。博山の鏡子、羽を樹つ。輪は皆朱斑の重牙。左に旗を建て、十二の旒あり、幓と旒は皆昇龍を画き、その長さ地に曳く。右に闟戟を載せ、長さ四尺、広さ三尺、黻文。旂の首は金の龍頭、結綬及び鈴緌を銜む。蒼龍を駕し、金鋄の方釳、翟尾五隼を挿し、鏤鍚、鞶纓十二就。(鍚は馬の当顱、鏤金をもってこれを作る。鞶は馬の大帯、纓は馬の鞅、皆五彩をもってこれを飾る。就は成なり、一帀をもって一就とす。)祭祀、納后の時にはこれを供す。

金輅は、赤を地とし、諸所の端を金で飾る。左に旟を建て、右に闟戟を建つ。(旟は鳥隼を画く。)その余は玉輅と同じ。赤駵を駕す。朝覲会同、饗射飲至の時にはこれを供す。

象輅は、黄を地とし、諸所の端を象牙で飾る。左に旌を建て、右に闟戟を建つ。(旌は黄麟を画く。)黄駵を駕す。行道の時にはこれを供す。

革輅は、白を地とし、革をもってこれを輓く。左に旗を建て、右に闟戟を建つ。(旗は白獣を画く。)白駱を駕す。巡守・臨兵事の時にはこれを供す。

木輅は、漆を塗る。左に旐を建て、右に闟戟を建つ。(旐は亀蛇を画く。)黒駵を駕す。田猟の時にはこれを供す。五輅の蓋、旌旗の地、及び鞶纓は、皆輅の色に従う。蓋の裏は、俱に黄を用いる。その鏤鍚は、五輅同じ。

安車は、重輿を飾り、曲壁、紫油纁に朱裏、通幰、朱絲の絡網、朱の鞶纓、朱の覆髮、絡を具す。赤駵を駕す。臨幸の時にはこれを供す。

四望車は、(制は犢車と同じ。)金飾、青油纁に朱裏、通幰。拜陵・臨弔の時にはこれを供す。

皇后・皇太后の重翟は、青を地とし、諸所の端を金で飾る。朱輪、金根に朱牙。その箱は重翟の羽をもって飾り、青油纁に朱裏、通幰、紫の帷を繍し、朱絲の絡網、紫の絡帯を繍す。八鑾は衡にあり、鍚、鞶纓十二就、金鋄の方釳、翟尾を挿し、朱総。(総は朱をもってこれを作り、馬纓の如くして小さく、馬勒に著け、両耳と両鑣にある。)蒼龍を駕す。受冊・郊禖に従う・廟を享ける時にはこれを供す。

厭翟は、赤を地とし、諸所の端を金で飾る。輪に朱牙を画く。その箱は次翟の羽をもって飾り、紫油纁に朱裏、通幰、紅錦の帷、朱絲の絡網、紅錦の絡帯。その余は重翟の如し。赤駵を駕す。親桑の時にはこれを供す。

翟車は、黄を地とし、諸所の端を金で飾る。輪に朱牙を画く。その車側は翟羽をもって飾り、黄油纁に黄裏、通幰、白紅錦の帷、朱絲の絡網、白紅錦の絡帯。その余は重翟の如し。黄駵を駕す。帰寧の時にはこれを供す。

諸々の鞶纓の色は、皆車の地色に従う。

安車は、赤を地とし、金で飾る。紫の通幰に朱裏。四馬を駕す。臨幸及び弔の時にはこれを供す。

皇太子の金輅は、赤を地とし、諸所の端を金で飾る。重較、箱に虡文の鳥獣を画き、黄屋、伏鹿の軾、龍の輈。金鳳一つ、軾の前にあり。鄣塵を設く。朱蓋に黄裏。輪に朱牙を画く。左に旂を建て、九旒、右に闟戟を載す。旂の首は金の龍頭、結綬及び鈴緌を銜む。赤駵四頭を駕す。八鑾は衡にあり、二鈴は軾にある。金鋄の方釳、翟尾五隼を挿し、鏤鍚、鞶纓九就。祀享に従い、正冬の大朝、妃を納る時にはこれに乗る。

軺車は、諸所の端を金で飾る。紫の通幰に朱裏。一馬を駕す。五日の常朝及び宮臣を朝饗する時、出入り行道にはこれに乗る。

四望車は、諸所の端を金で飾る。紫油纁の通幰に朱裏、朱絲の絡網。一馬を駕す。弔臨の時にはこれに乗る。

公爵及び一品の象輅は、黄色を地とし、象牙で諸末を飾る。旟を建て、鳥隼を画く。冊を受け廟に告げ、壇に登り任に就き、親迎及び葬送の際にはこれに乗る。侯伯及び二品三品の革輅は、白を地とし、革で諸末を飾る。旟を建て、熊獣を画く。冊を受け廟に告げ、親迎及び葬送の際にはこれに乗る。

子男及び四品の木輅は、黒を地とし、漆でこれを飾る。旐を建て、亀蛇を画く。冊を受け廟に告げ、親迎及び葬送の際にはこれに乗る。

象輅以下、旒及び就の数は、それぞれ爵品に依る。礼に依り名を製すと雖も、未だ創造に及ばず。開皇三年閏十二月、並びに詔して造るを停め、旧物を尽く用う。九年に至り陳を平らげ、又輿輦を得たり。旧に令に著する者は、以て有司に付し、載せざる所の者は、並びに皆毀棄す。儉省に従うと雖も、礼に於いて多く闕けり。

十四年、詔して又以て見乗の車輅は、近代に因循し、事典経に非ずとし、更に議定せしむ。ここに命じて有司に故実を詳考せしめ、五輅及び副を改造す。玉輅は青を地とし、祭祀に乗ず。金輅は赤を地とし、朝会礼還に乗ず。象輅は黄を地とし、臨幸に乗ず。革輅は白を地とし、戎事に乗ず。木輅は玄を地とし、耕藉に乗ず。五輅は皆朱斑の輪、龍の輈、重輿、十二旒を建て、並びに升龍を画く。左に闟戟を建つ。旂旒は輅と色を同じくす。樊纓十有二就。王、五等開国、第一第二品及び刺史の輅は、朱を地とし、朱蓋、斑輪。左に旂を建て、旂に龍を画き、一升一降。右に闟戟を建つ。第三第四品の輅は、朱を地とし、朱蓋、左に旜を建て、通帛を以てこれを作り、旂旜は皆赤。その旒及び樊纓の就数は、各その品に依る。

大業元年、更に車輦を製し、五輅の外に、副車を設く。詔して尚書令楚公楊素、吏部尚書奇章公牛弘、工部尚書安平公宇文愷、内史侍郎虞世基、礼部侍郎許善心、太府少卿何稠、朝請郎閻毗等に、詳議して奏決せしむ。ここに前朝の故事を審択し、その取捨を定むる云う。

玉輅は、禋祀に用いる所、玉を以て飾る。白武通に云う、「玉輅は、大輅なり」。周礼巾車氏の掌る所、「鏤鍚、樊纓十有再就、太常を建て、十有二旒」。虞氏はこれを鸞車と謂い、夏后氏はこれを鉤車と謂い、殷はこれを大輅と謂い、周はこれを乗輅と謂う。大戴礼にその形式を著し、上蓋は規の如く天に象り、二十八橑は列星に象り、下方の輿は地に象り、三十輻は一月に象る。前より視れば則ち鑾和の声を覩、側より観れば則ち四時の運を覩ゆ。昔、成湯用いて郊祀し、山車の瑞有るに因り、亦た桑根車と謂う。蔡邕独断に漢の制度を論じ、凡そ乗輿の車は、皆六馬有り、羽蓋金爪、黄屋左纛、鏤鋄方釳、重轂繁纓、黄繒を蓋裏と為す。左纛は、旄牛の尾を以て竿上に建て、その大さ斗の如く、左騑に立つ。鏤鋄は高闊各五寸、上は傘の形の如く、髪上に施し、翟尾を插す。方釳は顱に当たり、馬冠なり。繁纓は、膺前の索なり。重轂は、轂を重ね施すなり。応劭漢官に、大輅龍旂、旂上に龍を画く。董巴志に瑞山車と謂い、秦は金根と謂い、即ち殷の輅なり。司馬彪志も亦云う、「漢は五輅を備え、或いは徳車と謂い、その駕する馬は、皆方色の如し」。唯だ晋の太常卿摯虞のみ、独り大輅を疑い、玉輅に非ずと謂う。摯虞の説は、理実に疑わしむべきも、歴代の通儒、混じて玉輅と為し、その施用を詳らかにするに、義も亦た殊ならず。左に太常を建つ。案ずるに釈名に、「日月を常と為し、旗端に日月を画き、常に明らかなるを言う」。又云う、「夏より始まるなり」。奚仲は夏の車正と為り、旂常を加え、ここに旒就に差有り、以て尊卑の別を明らかにす。董巴の述ぶる所、全く漢制を明らかにす。天子は太常を建て、十二斿、地を曳き、日月升龍、天の明らかなるに象る。今の玉輅は、旧典を参用し、消息取捨し、その折中を裁す。青を以て質と為し、玉を以てその末を飾る。重箱盤輿、左龍右獣、金鳳翅、虡文を画く。軛の左に纛を立つ。金鳳一、軾の前に在り。八鸞は衡に在り、二鈴は軾に在り。龍輈の上、前に鄣塵を設く。青蓋黄裏、繍游帯。金博山、鏡子を綴じ、下に八佩を垂る。四十葆羽を樹つ。輪は皆朱斑重牙、復轄。左に太常を建て、十有二旒、皆升龍日月を画き、その長さ地を曳く。右に闟戟を載せ、長さ四尺、闊さ三尺、黻文。旗首は金龍頭、鈴及び緌を銜み、結綬を以て垂る。蒼龍を駕し、金鋄方釳、翟尾五隼を插し、鏤鍚、鞶纓十有二就、皆五繒罽を以て文飾と為す。天子祭祀、納后の際にはこれに乗ず。馭士二十八人、余の輅はこれに準ず。

副車は、案ずるに蔡邕独断に、五輅の外に、乃ち復た五色の安車、立車各一乗を設け、皆四馬を駕し、是を五時副車と為す。俗人は五帝車と名づく、蓋し副車なり。故に張良ちょうりょう秦皇帝を狙撃し、誤って副車に中つ。漢家の制度も、亦た副車を備う。司馬彪云う、「徳車は六を駕し、後は四を駕し、是を副車と為す」。魏志も亦云う、「天子太祖に命じて金根六馬を駕し、五時副車を設けしむ」。江左は乃ち闕け、梁に至り始めて備う。開皇中、副車を置かず、陳を平らげて之を得、毀して用いず。是に至り復た並びに之を設く。副玉輅は、色及び旗章、一に正輅と同じくす、唯だ二等を降すのみ。駕は四馬を用い、馭士二十四人。余の四副はこれに準ず。

金輅は、『尚書』を案ずるに、すなわち綴輅である。周官に曰く、「金輅は、鏤鍚を飾り、繁纓九就、大旂を建て、賓を接し、同姓を以て封ず」と。礼は窮すれば通ず、下は上に通ずるを得るなり。故に天子これに乗り、賓宴に接し、同姓諸侯を同じくし、受けて出封す。これにより漢の太子・諸王は、皆金輅及び安車に乗り、ともに朱斑輪、倚獣較、伏鹿軾、黒𣝛文、画藩、青蓋、金華を施し橑に、朱画轅、金塗飾とす。皇子にして王たらざれば、この乗を錫せず、皆左右騑とし、三馬を駕す。旂は九旒、降龍を画く。皇孫は緑車に乗り、またこれを駕す。魏・晋の制、太子及び諸王は、皆四馬を駕す。摯虞の議に依れば、天子の金輅は、次第二に在り。また云う、金輅を以て朝し、象輅を以て賓すと。則ち是れ晋の輅を用いること周と異なるなり。宋起居注、泰始四年、尚書令建安王休仁議す、「天子の元子は、士なり。故に辟雍に歯冑し、教を知りて後に尊ばしめんと欲し、生まれながらに貴しとすること得ず。既に命したる後は、礼上公に同じ。故に天子金輅を賜う。但だ旂章を減じて等級と為す。象及び革木は、異姓諸侯に賜う。朝に在る卿士も、またこの例に準ず」と。此れは皇太子及び帝子の王者、通じてこれを乗ずるを得るなり。晋より江を過ぎてより、王公以下、車服卑雑、唯だ太子のみ、礼秩崇異なり。また山石安車に乗ずるは、義経に見えず、事出づる所なし。金輅を賜うは、これ古制、乗輿より二等を降し、駕は四馬を用う。唯だ天子の五輅は、通じて六馬を駕す。旟旌旗旐は、並びに十二旒。左に旟を建つ。『爾雅』を案ずるに、「錯革鳥を曰く旟」と。郭璞云う、「此れ全く鳥の皮毛を剝ぎ、これを竿上に置くを謂う」と。旧説、革鳥に刻む。孫叔然云う、「革は急なり。急疾の鳥を旒上に画くを言う」と。周官の所謂鳥隼を以て旟と為すも、また急の義なり。今の金輅は、赤質、黄金諸末を飾る。左に旟を建ち、飛隼を画き、右に闟戟を建つ。鞶輿鳳趐等は、並びに玉輅と同じ。赤駵を駕す。朝会同に臨み、饗射飲至するときは則ちこれを用う。

皇太子輅は、古は金飾なり。宋・斉以来、並びに象輅に乗ず。宇文愷・閻毗奏す、「宋の大明六年を案ずるに、初めて五輅を備え、有司奏して云う、『秦は周の輅を改め、金根を創制し、漢・魏因循し、その形改むる莫し。而して金玉二輅は、彫飾略同、造次瞻覩すれば、殆ど差別無し。若し東儲に錫せば、礼に重きを嫌い、陛級を崇峻し、等威を表示する所以に非ず。今皇太子は宜しく象輅に乗り、碧旂九葉、進みて尊を斥けず、退きて下を逼らず、時に酌み古に沿い、礼に於いて中と為すべし』と。宋のこの義を観れば、乃ち副車無し。新たに五輅を置き、金玉同体、象以下に至りては、即ち差降と為す。太子の金輅に乗ずるを得ざる所以は、等威を示さんと欲するが故に、象を給するを令す。今周礼の名を取り、漢家の制に依り、天子の五輅は、形飾並びに同じ。旒及び繁纓は、例皆十二、黄屋左纛、金根重轂、悉く同じからざる無し。唯だ応に五方色を以て殊異と為すべきのみ。若しこの輅を用い、太子に給せば、革木尽く皆不可、況んや金象なる者をや。既に副車を製し、駕は四馬を用う。金輅に至りては、自ら等差有り。春秋の義、降下は両を以てす。今天子の金輅は、駕は六馬を用い、十二旒、太子の金輅は、駕は四馬を用い、降龍九旒、制は頗る副車と同じく、また旌旗の別有り。並びに嫡皇孫及び親王等の輅は、皆金輅を給し、而してその彫飾を減じ、古典に合わしむ。臣謂う、嫌に非ずと」。制して曰く「可なり」と。ここにおいて太子の金輅は、赤質、制は副車と同じく、具体にして小、また四馬を駕し、馭士二十人。皇嫡孫の金輅は、緑質、太子より一等を降す。盤輿重轂を去り、轅上に箱を起し、末を金を以て飾り、旌長七刃、七旒。駕は四馬を用い、馭士十八人。親王の金輅は、赤を以て質と為し、余は皇嫡孫と同じ。唯だその国に在り及び妃を納れ親迎するときは則ちこれを給し、常朝には則ち象輅に乗ず。

象輅は、『尚書』を案ずるに、すなわち先輅なり。周礼に曰く、「象輅は、朱繁纓五就、大赤を建て、以て朝し、異姓を以て封ず」と。左に旌を建つ。『爾雅』注に「旄首を曰く旌」と、許慎の説く所「游車旌を載す」。『広雅』に云う、「天子の旌は高さ九刃、諸侯七刃、大夫五刃」と。周書王会に「羽鳬の旌を張る」と。礼記に云う、「龍旂九旒は、天子の旌なり」と。今の象輅は、黄を以て質と為し、象諸末を飾る。左に旌を建ち、緑麟を画き、右に闟戟を建つ。黄駵を駕す。后土を祀るときは則ちこれを用う。

革輅は、『釈名』を案ずるに「天子の車なり」。周礼に曰く、「革輅は、龍勒、絛纓五就、大白を建て、これを用いて即戎し、四えいを以て封ず」と。古は革を輓きてこれに漆し、更に他の飾り無し。また「戎輅の萃、広車の萃、闕車の萃、軽車の萃」有り。此れ皆兵車、所謂五戎なり。然れども革輅もまた戎輅と名づけ、天子軍に在りて乗ずる所なり。広車は、横陣車なり。闕車は、補闕車なり。飾り並びに革を以てす。故に「師は革車を供し、各おのその萃に以てす」。摯虞議に云う、革輅第四と。左に旌を建つ。『釈名』を案ずるに「熊獣を旗と為す」と、周官に「龍旂九旒、大火を以て象る」と。今の革輅は白質、革を以てこれに鞔う。左に旗を建ち、騶虞を画き、右に闟戟を建つ。白駱を駕す。巡守し兵に臨むときは則ちこれを用う。三品已下は、並びに革輅に乗じ、朱色を質と為す。馭士十六人。

木輅は、『尚書』を案ずるに、すなわち次輅なり。周官に曰く、「木輅は、緇樊鵠纓、麾を建て、以て畋し、藩国を以て封ず」と。晋の摯虞云う、畋輅第五と。唯だ宋の泰始詔に、木輅を以て耕稼す。徐爰の釈疑略に曰く、「天子の五輅、晋江左に遷りて、その三を闕き、唯だ金輅を以て郊し、木輅を以て即戎す。宋の大明の時、始めてその数を備う」と。凡そ五輅の蓋、旌旗の質及び鞶纓は、皆方色に従う。蓋裏並びに黄、彫飾一の如し。沈約曰く、「金象革木は、礼図その形を載せず」と。今の旒数羽葆は、並びに玉輅と同じ。左に旐を建つ。周官を案ずるに「亀蛇を以て旐と為す」と。釈名に云う、「亀は気兆の吉凶を知るなり」と。許慎云う、「旐には四斿有り、営室を以て象る」と。今の木輅は黒質、これを漆す。左に旐を建ち、玄武を画き、右に闟戟を建つ。黒駵を駕す。畋猟するときはこれを用う。四品方伯は木輅に乗じ、赤質、駕士十四人。

安車は、礼を案ずるに、卿大夫致事すれば則ちこれに乗ず。その制は輜輧の如し。蔡邕の独断に五色安車有り、皆輪を画き轂を重ぬ。今は輪を画き、輿を重ね、壁を曲げ、紫油幢絳裏、幰を通し、朱絲絡網、赤鞶纓。四馬を駕す。省問し臨幸するときは則ちこれに乗ず。皇太子の安車は、斑輪、赤質、制は乗輿に略同じ、また四馬を駕す。

四望車は、晋の中朝における大駕鹵簿を考証すると、四望車は牛に駕し中道を行く。東宮の旧儀によれば、皇太子及び妃は、皆画輪四望車を有した。今の四望車は、制が犢車と同じで、黄金で飾り、青油の幢に朱裏、紫の通幰、紫の絲網を施す。一牛を駕す。陵を拝し臨弔する時に用いる。皇太子の四望車は、緑油の幢、青の通幰、朱の絲絡網である。

耕根車は、沈約の説を考証すると、「親しく籍田に幸して御する。三蓋の車、一名を芝車、また耕根車という。耒耜を軾の上に置く。」即ち潘岳の所謂「紺轅黛耜に属す」というものである。開皇年間には無く、駕出して親耕する時は、木輅に乗り、宋の泰始の故事に依ったものである。今の耕根車は、青を質とし、三重に蓋を施し、羽葆の雕装は、全て玉輅と同じである。六馬を駕す。その軾は平らで、青囊に耒を盛ってその上に加える。千畝の籍田で、三推の礼を行う時は、親しくこれに乗る。

羊車は、晋の司隸校尉劉毅が、護軍羊琇の私乗を奏したものである。開皇年間には無く、ここに至って初めて置かれた。その制は軺車の如く、金宝で飾り、紫錦の幰、朱の絲網を施す。馭童二十人、皆両鬟の髻を結い、青衣を服し、年十四五の者を取ってこれを為し、羊車小史と謂う。果下馬を以て駕し、その大きさ羊の如し。

属車は、古くは諸侯の貳車九乗であったが、秦が九国を滅ぼし、その車服を兼ねたので、八十一乗となった。漢はこれに遵って改めなかった。武帝が太一を甘泉に祠る時は、これを全て用いた。明帝が原陵に上る時も、また用いた。法駕は三十六乗、小駕は十二乗である。開皇年間、大駕は十二乗、法駕はその半減であった。大業初年、属車は八十一乗を備え、全て犢車の如く、紫の通幰、朱の絲絡網、黄金の飾りを施す。一牛を駕す。鹵簿の中では、単独で正道を行く。三年二月に至り、帝はその多きを嫌い、起部郎閻毗に問うた。毗は言う、「臣は宇文愷と共に故実を参詳しましたが、これは秦に起こり、遂に後の式となったもので、故に張衡の賦に『属車九九』と云うのはこれです。次いで法駕は、三分して一を減じ、これは漢の制です。故に文帝紀に『天子の法駕を奉じて代邸を迎う』とあり、如淳が曰く『属車三十六乗』と云うのはこれです。また宋の孝建時に拠れば、有司が奏議し、晋が江左に遷ってからは、唯五乗を設け、尚書令建平王宏が曰く『八十一乗は準拠すべき所が無く、江左の五乗は倹にして礼に中らず。但し帝王の旂旒の数は、皆十二を用いる。今はこれに準じて、十二乗を設くべし』と。開皇年間に陳を平らげ、これを因って法令としました。往古に憲章し、大駕は秦に依り、法駕は漢に依り、小駕は宋に依って、差等と為すべきです。」帝は曰く、「大駕は三十六を用いるべく、法駕は十二を用いるべく、小駕は除いて可なり。」

輦は、釈名に「人の輦する所なり」とある。漢の成帝が後庭に遊ぶ時はこれに乗った。徐爰の釈問に云く、「天子輦に御すれば、侍中陪乗す。」今の輦は、制は軺車に象るが、輪を施さず、通幰に朱の絡を施し、金玉を以て飾り、人を以て荷う。

副輦は、笨を加え、制は犢車の如く、また通幰に朱の絡を施し、蓬輦と謂う。梁の武帝より始まる。

輿は、説文に云く、「箯は竹輿なり。」周官に曰く、「周人は輿に上る。」漢室の制度は、雕を以てこれを為し、方径六尺である。今の輿は、制は輦の如く但だ小さいのみで、宮苑の宴私に御する。

小輿は、幰は方形で、形は幄帳と同じである。閤より出で正殿に升る時に御する。

軺車は、六韜を考証すると、一名を遙車といい、遙かに遠く四顧する車という意味であろう。漢の武帝が申公を迎える時、弟子二人が軺伝に乗って従った。これはまた馳伝車である。晋氏の鹵簿では、御史の軺車が中道を行く。晋公卿礼秩に云く、「尚書令の軺は、黒耳に後戸あり。」今の軺車は、青の通幰を施し、二馬を駕す。王侯が入学し、五品が朝婚する時は、通じてこれを給する。司隸刺史及び県令、詔使で品第六七の者は、皆一馬を駕す。

犢車は、魏武書を考証すると、楊彪に七香車二乗を贈り、牛を以てこれを駕した。これは犢車であろう。長沙耆舊伝に曰く、「劉壽は常に通幰車に乗った。」今の犢車は通幰を施し、王公以下より、五品以上に至るまで、並びにこれを給して乗る。三品以上は、青幰に朱裏、五品以上は、紺幰に碧裏で、皆白銅の装いである。唯、惨及び弔喪する者のみは、幰を張らずして鉄装の車に乗る。六品以下は給せず、自ら犢車に乗ることを任すが、幰を施すことは許さない。初め、五品以上は、偏幰車に乗ったが、その後その美しからざるを嫌い、停めて行用せず、亘幰を以てこれに代えた。三品以上の通幰車は則ち青壁とし、一品の軺車は、油幰に朱網を施すが、唯車輅一等のみは、勅を聴いて始めて乗ることを得る。

馬珂は、三品以上は九子、四品は七子、五品は五子である。

皇后の重翟車は、周礼を考証すると、正后も亦五輅有り:一に重翟、二に厭翟、三に安車、四に翟車、五に輦車という。漢の制では、后の法駕は、重翟車に乗る。今の重翟は、青を質とし、諸末を金で飾る。画輪、金根に朱牙、重轂。その箱は重翟の羽を以て飾る。青油の幢に朱裏、通幰、紫の繡帷、朱の絲絡、紫の繡帶。八鑾は衡に在り、鏤鍚、鞶纓十二就、金鋄の方釳、翟尾を插し、朱総は、馬勒及び両の金鑣の上に綴る。蒼龍を駕す。冊を受けて従い、郊禖に祀り廟を享する時に供する。

厭翟は、赤を質とし、諸末を金で飾る。朱輪、朱牙を画く。その箱は次翟の羽を以て飾り、紫油の幢に朱裏、通幰、紅錦の帷、朱の絲絡網、紅錦の帶。その余は重翟の如し。赤駵を駕す。採桑する時に供する。

翟車は、黄を質とし、諸末を金で飾る。輪に朱牙を画く。その箱は翟羽を以て飾り、黄油の幢に黄裏、通幰、白紅錦の帷、朱の絲絡網、白紅錦の帶。その余は重翟の如し。黄駵を駕す。帰寧する時に供する。諸の鞶纓の色は、皆車の質に従う。

安車は、金で飾り、紫の通幰、朱裏を施す。四馬を駕す。臨幸及び弔する時に供する。

輦車は金で飾り、蓬輦と同じく、通幰つうけん斑輪はんりんを備え、四馬を駕して用いる。宮苑の近くを行くときはこれに乗る。

皇后の属車は三十六乗である。初め、宇文愷うぶんがい閻毗えんひが奏上して定め、乗輿の半分に減ずることを請うた。礼部侍郎の許善心きょぜんしんが奏上して駁し、「謹んで案ずるに周礼によれば、后は六服を備え、併せて五輅を設け、采章の数は全て王と同じである。属車の制は独り異なるべきではない。また宋の孝建の時、輿輦を議定し、天子の属車は十二乗とされた。大明元年九月に至り、有司が皇后の副車には定式がないと奏上したので、詔して礼官に下し、その数を議正させた。博士の王燮之おうしょうしが議して、『鄭玄が云うには、后は王にならって六宮を立て、亦た正寝一にして燕寝五とす。その立てる所を推すに、毎に王と同じく、十二乗を通関とするを允当と謂う』と。宋帝はこれに従い、遂に後の式となった。今、乗輿に依ることを請い、差降する必要はない」と。制して曰く、「可なり」と。

三妃は翟車てきしゃに乗り、赤を質とし、二馬を駕する。九嬪以下は皆、犢車とくしゃに乗り、青幰せいけんと朱の絡網を用いる。

皇太子妃は翟車に乗り、赤を質とし、三馬を駕し、轅に画を施し金で飾る。犢車を副車とし、紫幰しけんと朱の絡網を用いる。良娣以下は皆、犢車に乗り、青幰で朱裏とする。

三公の夫人・公主・王妃は皆、犢車に乗り、紫幰と朱の絡網を用いる。五品以上の命婦は皆、青幰の車に乗り、その夫と同じである。