金史

本紀第十七: 哀宗上

哀宗の諱は守緒、初めの諱は守禮、また寧甲速ともいう。宣宗の第三子である。母は明恵皇后王氏といい、温敦氏の姓を賜わり、仁聖皇后の姉である。承安三年八月二十三日に翼邸で生まれた。仁聖には子がなく、養子として育てた。泰和年間、金紫光禄大夫を授けられた。宣宗が即位すると、遂王に進封され、秘書監を授かり、枢密使に改められた。貞祐初年、荘献太子守忠が薨じ、皇孫の鏗を皇太孫に立てたが、まもなくまた薨じた。四年正月己卯、守禮を皇太子に立て、引き続き枢密院事を管掌させ、詔書に大略こう述べた。「子は母によって貴くなる。遂王守禮は嫡子に近い地位にあり、元妃の慶事に集う。皇太子に立てる。その典礼は有司が条項を具えて奏聞せよ。」四月甲午、太子少保張行信の言を用い、さらに名を守緒と賜う。元光二年十二月庚寅、宣宗崩御。辛卯、遺詔を奉じて柩前で皇帝の位に即く。壬辰、大赦を詔し、大略こう述べた。「朕は先帝の遺意を述べ、時に便益ありて行おうとして未だ及ばざるものは、悉く奉じてこれを行わん。国家には既に定制あり。有司は往々にして情をもって法を破り、人をして刑憲に遭わしむることなからしむ。今後本条ありて遵わざる者は、故に入人罪の罪をもってこれに処す。草沢の士庶は、直言して軍国の利害を述べることを許す。譏諷に渉りて採取すべきなきものと雖も、並びに坐罪せず。」

正大元年春正月戊戌朔、改元して正大とすることを詔す。庚子、上は廬に居り、百官始めて奏事す。秘書監・権吏部侍郎蒲察合住は恒州刺史に改め、左司員外郎泥旁古華山は同知楨州軍州事とし、二奸臣を逐う。大夫士相賀す。邠州節度使移剌朮納阿卜が白兎を貢ぐ。詔して曰く、「賢臣の輔佐を得、年穀豊登するは、これ上瑞なり。焉ぞこれを事とせん。有司に命じて道裏の費を給し、その本土に従わしめよ。礼部は四方に遍く諭し、朕が意を知らしめよ。」丁巳、朝臣に河中府の修復を議することを詔す。礼部尚書趙秉文・太常卿楊雲翼ら言う、陝西の民は方に疲弊し、未だ力役に堪えず。遂に止む。戊午、上始めて朝政を視る。大司農・守汝州防禦使李蹊は太常卿となり、権参知政事となる。平章政事荊王守純罷め、睦親府を判ず。参知政事僕散五斤罷め、大行山陵使を充つ。皇后温敦氏・元妃温敦氏を尊びて皆皇太后と為し、その宮の号を一は仁聖、一は慈聖とす。百官隆徳殿に入り賀す。この日、大風端門の瓦を飄わす。赤盞合喜は権枢密副使となる。麻衣を服した男子あり、承天門を望みて且つ笑い且つ哭す。詰問するに、則ち曰く、「吾笑うは、将相人無きを笑うなり。吾哭くは、金国将に亡ぶを哭くなり。」群臣重典を置くことを請う。上は不可とし、曰く、「近く詔して草沢諸人に直言せしむ。譏訕に渉ると雖も坐罪せず。」法司は唯だ君門は笑哭の所に非ざるを以て、重く杖ちてこれを遣わす。南陽の民布陳謀反し、誅せらる。

三月、熒惑左執法を犯す。戊申、宣宗の御容を孝厳寺に奉安す。辛亥、丞相高汝礪薨ず。癸丑、宣宗を徳陵に葬る。甲寅、致仕した邠州節度使張行信を起復して尚書左丞と為す。延安の帥臣完顔合達が戦禦に功有るを以て、金虎符を授け、権参知政事とし、京兆において行尚書省事を行わしめ、河東両路を兼ねて統べしむ。

夏四月癸酉、宣宗廟に祔し、中外に大赦す。熒惑右執法を犯す。

五月戊戌、平章政事把胡魯薨ず。癸卯、枢密副使完顔賽不は平章政事となり、権参知政事石盞尉忻は尚書右丞となり、太常卿李蹊は翰林承旨となり、引き続き権参政を兼ねる。甲辰、策論進士孛朮論長河以下十余人に及第を賜い、経義進士張介以下五人に及第を賜う。戊申、詞賦進士王鶚以下五十人に及第を賜う。刑部・登聞検院・鼓院に詔し、銷閉防護することなく、冤有る者の陳訴を聴けしむ。

六月甲戌、宰執鞠を撃つことを請う。上は心喪を以て許さず。辛卯、妃徒単氏を立てて皇后と為す。枢密判官移剌蒲阿を遣わし兵を率いて光州に至らしめ、榜を掲げて宋界の軍民に諭し、更に南伐せざることを告げしむ。

秋七月己亥、百官に詔して各その職に勤むべしと諭す。癸卯、大楽を補修す。

九月、枢密判官移剌蒲阿、沢・潞を復し、馬千疋を獲る。

冬十月戊午、夏国使いを遣わし来たりて好を修む。

十二月乙巳、恒州刺史蒲察合住罪有り、誅せらる。甲寅、宣宗の小祥、徳陵にて焼飯の儀を行う。辟挙県令の法を改定し、六事を以て県令を課す。京東・京西・京南・陝西に大司農司を設け、採訪公事を兼ね、京師の大司農がこれを総べる。左丞張行信言う、「先帝詔して国内に、刑は大夫に上らず、廉恥を以て治む。丞相高琪の定めたる職官犯罪の的決百余条は、旧制に改めんことを乞う。」上は先帝の過ちを顕わすを欲せず、略々これを施行す。

二年春正月甲申、黄黒の昆有り。

夏四月辛卯朔、恒山公武仙、真定府より来奔す。致仕した平章政事莘国公胥鼎を起復して平章政事と為し、衛州に行省事を行わしめ、英国公に進封す。甲午、京畿旱魃のため、使いを遣わし囚を慮す。鈞州・許州大雨雹。丁酉、宿州・鄭州雨麦を傷つく。

五月丁丑、旱甚だしきを以て己を責め、正殿を避け、常膳を減じ、罪を赦す。蘇椿、大名より来奔す。詔して椿を許州に置く。

秋七月、都水蒲察毛花輦が人を殺し、死罪を免じて除名す。

八月、鞏州元帥田瑞反す。行省軍之を囲む。其の母弟十哥、瑞を殺して出で降る。其の罪を赦し、以て涇州節度使と為し、猛安を世襲せしむ。

九月、夏国との和議定まる。兄の事として金に仕え、各本国の年号を用い、使を遣わして来聘し、国書を奉じて弟と称す。

冬十月、夏国の修好を以て、中外に詔す。新軍政、総領を改めて都尉と為す。己酉、田瑞を誅するを以て中外に詔す。癸亥、礼部尚書奥敦良弼・大理卿裴満欽甫・侍御史烏古孫弘毅を遣わして夏国報成使と為し、国書に兄と称す。乙亥、台諫の完顔素蘭・陳規に面諭して曰く、「宋人は軽々しく辺界を犯す。我は軽騎を以て之を襲い、其の懲創して通好するを冀い、以て吾が民を息ましめんとす。夏人は従来我が朝に臣属す。今弟と称して和す。我尚以て辱と為さず。果たして和好を得て、以て吾が民を安んずるに、尚兵を用いんと欲するか。卿等宜しく朕が意を悉くすべし」と。移剌蒲阿、宋人と光州に戦い、馬数千を獲、人千余を数えて還る。内族王家奴、故より鮮于主簿を殺す。権貴之を救う者多し。上曰く、「英王は朕が兄なり。敢えて妄りに一人を撻たんや。朕は人主と為り、敢えて罪無くして一人を害せんや。国家衰弱の際、生霊幾何ぞ有らん。而して族子恃みて一主簿を殺せば、吾が民主無し」と。特命を以て之を斬る。詔して有司に死節の士十有三人の為に褒忠廟を立たしむ。宿・泗・青口の巡辺官兵を禁じ、復た擅に淮を過ぐる紅衲軍を殺すこと無からしむ。詔して趙秉文・楊雲翼に『亀鏡万年録』を作らしむ。

三年春正月丁巳朔、夏国使を遣わして来賀す。

三月、陝西旱す。平章政事胥鼎復た致仕を請う。許さず。詔して尚書省に用度を省減するを議せしむ。

夏四月辛卯、親しく太廟に享く。郕国夫人の車、禦路を経て、廟前を過ぐ。馭者馬に乗り、二婢車中に坐し、倶に下らず。詔して獄に繫ぎ之を杖つ。辛丑、旱を以て、官を遣わして済瀆に祷る。癸卯、太廟に祈る。傘扇を禁ず。河南大雨雹す。己酉、使を遣わして囚を慮し、使を遣わして蝗を捕えしむ。

五月己未、大雨す。宋兵寿州の境を掠む。癸亥、永州桃園軍利に失い、死者四百人。乙丑、大雨す。壬申、詔して庾州の趙甫等に諭し、能く土地を以て来帰せば、当に之を任用すべしと。

六月辛卯、京東大雨雹し、蝗尽く死す。壬子、詔して高麗及び遼東行省葛不靄に諭し、反賊万奴を討ち、脅従する者を赦せと。

秋七月庚午、平章政事英国公胥鼎薨ず。

八月、移剌蒲阿、復た曲沃及び晋安を取る。辛卯、詔して益政院を内廷に設け、礼部尚書楊雲翼等を以て益政院説書官と為し、日二人直し、顧問に備う。

冬十月丁酉、夏使来りて哀を報ず。

十一月庚申、宋と修好するを議す。戊辰、又之を議す。己巳、宋の忠義軍夏全、楚州より来帰す。楚州の王義深・張惠・範成進、城を以て降る。四人を封じて郡王と為す。辛未、楚州を改めて平淮府と為す。夏全等の来降を以て、諸路の宋に従い及び淮・楚の官吏軍民並びに其の家属を赦す。甲戌、使を遣わし夏国に正旦を賀す。丙子、夏、兵事方に殷なるを以て来報し、各使聘を停む。大元兵西夏を征し、中興府を平ぐ。陝西行省及び陝州総帥完顔訛可・霊宝総帥紇石烈牙吾塔を召し汴に赴き兵事を議せしむ。詔して陝西両省に諭し、凡そ戎事三品以下の官は功過を以て之を賞罰するを聴し、銀二十五万両其の賞を与うるに従わしむ。中奉大夫完顔履信等を遣わして弔祭夏国使と為す。

四年春正月辛亥朔。壬戌、中京城を増築し、汴城外の濠を浚う。

二月、蒲阿・牙吾塔、平陽を復た取り、知府李七斤を執り、馬八千を獲る。

三月、労効官を徴発して軍に充てようとしたが、怨言があったため、用いることができなかった。銀をもって平陽で虜獲された男女を贖い、官軍に分賜された者は自便に従うことを許した。大元の兵が徳順府を平定し、節度使愛申・摂府判馬肩龍はこれに死す。大元の兵が再び平陽を陥落させる。己巳、夏税を二倍に徴収す。

夏五月丁丑、大元に乞和を議す。大元の兵が臨洮府を平定し、総管陀満胡土門はこれに死す。陝西行省が三策を進む。上策は自ら将となり出戦すること、中策は陝州に幸すること、下策は秦を棄てて潼関を保つことなり。従わず。

六月戊申朔、前御史大夫完顔合周を遣わして議和使とす。丙辰、地震あり。太白、井に入る。詞賦経義の盧亜以下に進士第を賜う。

秋七月、大元の兵が鳳翔より京兆を巡行し、関中大いに震う。工部尚書師安石を尚書右丞とす。壬辰、中丞烏古孫卜吉・祭酒裴満阿虎帯を以て司農卿を兼ねしめ、民軍を徴発し、富民を勧率して城聚に入り保たしめ、兼ねて秋税を督め、百姓に避遷の計を知らしむ。丁酉、陝西東・西両路を赦し、民に今年の租を賜う。

八月庚戌、有司に詔して防備丁壮・修城民夫の派遣を罷め、軍須差発の不急のものは権停せしむ。己巳、万年節、同知集賢院史公奕が『大定遺訓』を進め、待制呂造が『尚書要略』を進む。この日、大風左掖門の鴟尾を落とし、丹鳳扉を壊す。霜が降り、禾ことごとく損ず。李全、都より再び楚州に入りこれを占拠す。総帥完顔訛可・元帥慶山奴を遣わして盱眙を守らしめ、全と亀山に戦い、敗績す。

冬十月辛酉、右拾遺李大節・右司諫陳規、同判睦親府事撒合輦の奸贓を弾劾す。報いず。壬戌、外台監察御史が狩猟を諫む。上怒り、名を邀え直を売るとしてこれを責む。詔して徳順府の死事者愛申・馬肩龍等の官を贈る。淮南王の爵をもって李全を招く。

十一月乙未、未の時、日の上に二つの白虹これを通す。丁酉、近郊に狩猟す。

十二月、李蹊を真に参知政事に授く。大元の兵が商州を陥落させる。壬子、使者を遣わして陝西を安撫し、牛千頭をもって貧民に賜う。

五年春正月丁丑、親しく三廟を祭る。庚辰、知開封府事完顔麻斤出を遣わして大元に吊慰せしむ。丙戌、盱眙を撃つことを議す。辛卯、亀山の敗により、元帥慶山奴を降して定国軍節度使とす。

二月乙巳朔、大いに寒く、雷鳴り、雨雪あり、木の華あるものことごとく死す。癸丑、有司に詔して臨洮総管陀満胡土門の塑像を褒忠廟に入れしむ。死節の子孫を御屏に書き、材を量り官に用いしむ。

三月甲戌朔、群臣、祖宗の故事に依り、枢密院をして尚書省の節制を聴かしめんことを請う。従わず。乙酉、監察御史烏古論不魯剌、近侍張文寿・張仁寿・李麟之の饋遺を受けたことを弾劾す。曲げてその罪を赦し出だす。

夏四月甲辰朔、御史の三奸を言うこと已まずにより、凡そ四日朝を視ず。八日、西夏人口を放還することを議す。丙寅、右丞師安石薨ず。親衛軍の王咬児、酒に酔ってその孫を殺す。大理寺は徒刑に当たるとすれども、特命してこれを斬る。

五月癸巳、定国軍節度使慶山奴、賄賂を受けたことを以て、一官を奪わる。

六月壬戌、旱魃により、雑犯の死罪以下の者を赦す。

秋七月戊子、同判睦親府事撒合輦を出して中京留寧・行枢密院事とす。

八月乙卯、旱魃のため、使者を遣わして上清宮に祈らせた。甲子、参知政事白撒を尚書右丞とし、太常卿顔盞世魯を権参知政事とした。帰德行枢密院を増築し、工役数百万を計画したが、詔を下し権枢密院判官白華を遣わして農夫の労苦を諭させ、その工事を三分の二に減じた。節制が統一されないため、衛州帥府を恒山公府に併合し、白華に命じてこれを経画させた。

九月庚寅、雨が十分に降り、ようやく麦を植えた。

冬十一月辛巳、『宣宗実録』を進呈した。

十二月庚子朔、日食があった。完顔麻斤出は奉使の職務を果たさなかったため、死罪を免じて除名した。壬子、完顔奴申を侍講学士に改め、国信使を充てた。陝西が大いに寒かったため、軍士に柴炭銀を差等を付けて賜った。京兆・鳳翔府司竹監が竹を進め、これを分給するよう命じた。

六年春二月丙辰、枢密院判官移剌蒲阿を権枢密副使とした。耀州刺史李興に戦功があったため、詔を下して玉兔鶻帯・金器を賜った。丞相完顔賽不に関中において尚書省事を行わせるため、平章政事完顔合達を召還して朝廷に還らせた。移剌蒲阿は忠孝軍総領完顔陳和尚に忠孝軍一千騎を率いさせて邠州に駐屯させた。白華を馳せて遣わし、蒲阿に用兵の意を諭させた。詔して枢密院に忠孝軍の馬匹を更に給させ、漸次に都尉司の歩卒及び忠孝軍の馬軍を調発して京西に屯させた。白華をして専ら軍需に備えさせた。

三月乙亥、忠孝軍総領陳和尚に戦功があったため、定遠大将軍・平涼府判官を授け、謀克を世襲させた。

夏五月、隴州防禦使石抹冬児が黄鸚鵡を進めたが、詔して曰く「外方より珍禽異獣を献ずるは、物性に背き、人力を損う。今後再び進めざるよう命ず」と。

秋七月、陝西行省の軍中の浮費を罷めた。

八月、移剌蒲阿が再び沢州・潞州を回復した。

九月、洮州・河州・蘭州・会州元帥顔盞蝦鲩麻が西馬二匹を進めた。詔して曰く「卿の武芸は超絶す。この馬は戦用に充てうる。朕が乗ればどうしてその力を尽くせようか。既に進上されれば、即ち尚廄の物なり。今卿に賜う。その朕が意を悉くせよ」と。

冬十月、移剌蒲阿が東還した。陳和尚に命じて陝西より帰順した馬軍を率い、鈞州・許州に屯させた。大元の兵が慶陽界に駐屯した。詔して陝西行省に使者を遣わし、羊・酒・幣帛を奉じて師の緩和を乞い、和を請わせた。

十一月、使者を鈞州・許州に遣わし、陝西より帰順した人々を選試させ、二千の軍を得た。技芸優れた者を以て忠孝軍に充て、次いで合裏合軍に充てた。

十二月、詔して副枢蒲阿・総帥紇石烈牙吾塔・権簽枢密院事完顔訛可に慶陽を救援させた。京師付近の狩猟地百里を廃し、民に耕作を許した。

七年春正月、副枢蒲阿・総帥牙吾塔・権簽院事訛可が慶陽の包囲を解いた。訛可をして邠州に屯させ、蒲阿・牙吾塔を京兆に還らせた。

夏五月、詔して清口の宋の敗軍三千人を釈放し、留まることを願う者五百人を以て許州に屯させ、残りは悉く放ち遣わした。経義詞賦の李瑭以下に進士の及第を賜った。

秋七月、平章政事合達を枢密副使に権任す。

八月、陝西の死事者の遺孤に塩引及び絹を賜い、なお材量に応じて任用す。大元の兵、旧衛州において武仙を囲む。

冬十月、平章合達・副枢蒲阿、兵を率いて衛州を救う。衛州の囲み解く。上、承天門に登り軍を犒う。合達・蒲阿ともに世襲の謀克を賜る。移剌蒲阿を参知政事に権任し、合達とともに閿郷に行省事を行わせ、潼関を備えしむ。

八年春正月、大元の兵、鳳翔府を囲む。枢密院判官白華・右司郎中夾谷八裏門を遣わし、閿郷行省に進兵を諭す。合達・蒲阿、未だ機会を見ずとし行かず。また白華を遣わし、合達・蒲阿に兵を率いて関を出で鳳翔の囲みを解くべしと諭す。また行かず。

夏四月丁巳朔、赦す。京西路の軍銭を一年全免す。旱災の州県は、差税を実情に従って減免・貸与す。大元の兵、鳳翔府を平定す。両行省、京兆を棄て、居民を河南に遷す。慶山奴を留めてこれを守らしむ。

五月、李全の妻楊妙真、全が宋に陥没したを以て、楚州の北に浮橋を構え、宋の讎を復せんとす。合達・蒲阿を遣わし桃源界滶河口に屯し、侵軼に備えしむ。宋の八裏荘の人、その主将が合達・蒲阿を納れるを拒む。詔して八裏荘を鎮淮府と改む。

秋七月、宋の将、浮橋を焼く。

九月丙申、慈聖宮皇太后温敦氏崩ず。園陵の制度は務めて倹約に従うべしと誥す。大元の兵、河中府に駐屯す。慶山奴、京兆を棄て東還す。合達・蒲阿を汴に召し、兵を率いて河中府に趨らんことを議す。懼れて敢えて行かず、陝州に還り、師を出して冷水谷に至りて帰る。大元の兵、河中府を攻む。合達・蒲阿、元帥王敢に兵一万を率いてこれを救わしむ。

冬十月、右丞相賽不、致仕す。

十一月丁未、大元の兵、嶢峰関に進み、金州より東す。省院、労を以て逸に侍するを議し、未だ戦うべからずとす。上これを諭して曰く、「南渡して二十年、所在の民、田宅を破り、妻子を鬻ぎ、肝脳を竭くして以て軍を養う。今兵至るも逆戦できず、ただ自護するのみでは、京城たとえ存すとも何を以て国と為さん、天下我を何と謂わん。朕これを熟思す。存と亡は天命にあり、ただ我が民に負わざるべし。」乃ち諸将に詔し、軍を襄・鄧に屯せしむ。

十二月己未、明恵皇后を葬る。河中府陥つ。権簽枢密院事草火訛可これに死す。元帥板子訛可、敗卒三千を提げて閿郷に走る。将佐以下を赦し、訛可を二百杖して死に至らしむる詔す。合達・蒲阿、諸軍を率いて鄧州に入る。楊沃衍・陳和尚・武仙皆兵を引いて来会す。出でて順陽に屯す。戊辰、大元の兵、漢江を渡りて北す。丙子、畢く渡る。合達・蒲阿、兵を将いて禹山の前にて禦ぐ。大元の兵、道を分かちて汴京に趨る。京城戒厳す。是の夜二鼓、合達・蒲阿、軍を引いて鄧州に還る。大元の兵、その後を躡い、その輜重を尽く獲る。

天興元年、是の年本は正大九年、正月に改元して開興とし、四月また改元して天興とす。春正月壬午朔、日に両珥あり。大元の兵、唐州より道す。元帥完顔両婁室、襄城の汝墳においてこれと戦い、敗績す。両婁室、汴京に走る。完顔麻斤出らを遣わし部民丁一万人を率い、河水を決して京城を衛わしむ。癸未、尚書省・枢密院を宮中に置き、以て召問に便ならしむ。前元帥古裏甲石倫を起用し昌武軍節度使に権任し、行元帥府事を行わしむ。合達・蒲阿、軍を率いて鄧州より汴京に赴く。乙酉、点検夾穀撒合を総帥とし、歩騎三万を将いて河渡を巡らしめ、権近侍局使徒単長楽にその軍を監せしむ。近京諸色軍の家属五十万口を起して京に入らしむ。丙戌、大元の兵、既に河中を定め、河清県白坡より河を渡る。丁亥、長楽・撒合、兵を引いて封丘に至りて還る。戊子、左司郎中斜卯愛実上書し、長楽・撒合を斬りて軍政を粛すべしと請う。従わず。都尉烏林答胡土の一軍、潼関より入援し、偃師に至り、大元の兵の河を渡るを聞き、すなわち登封少室山に走る。壬辰、衛州節度使完顔斜撚阿不、城を棄てて汴に走る。甲午、京城の楼櫓及び守禦の備えを修す。大元の兵、鄭州に迫り、白坡の兵と合し、屯軍元帥馬伯堅、城を以て降る。防禦使烏林答咬住これに死す。乙未、大元の遊騎、汴城に至る。丁酉、大雪。大元の兵及び両省の軍、鈞州の三峰山において戦う。両省の軍大いに潰る。合達・陳和尚・楊沃衍、鈞州に走る。城破れ皆これに死す。枢密副使蒲阿、執われ、尋いでまた死す。武仙、密県に走る。是より、兵復た振わず。己亥、徐州行省完顔慶山奴、兵を引いて入援す。義勝軍校侯進・杜正・張興、率いる所の部を北降す。慶山奴、睢州に入る。庚子、端門に御し肆赦し、改元して開興とす。辛丑、潼関守将李平、関を以て大元に降る。壬寅、扶溝の民錢大亨・李鈞叛き、県令王浩及びその主簿尉を殺す。庚戌、許州軍変を起こし、元帥古裏甲石倫・粘合仝周・蘇椿らを殺し、城を以て大元に降る。

二月壬子朔、慶山奴、帰徳に走らんと謀り、陽驛店に至りて大元の兵に遇う。徐帥完顔兀裏力戦して死す。慶山奴擒えられ、京城を招かしむるも従わず。睢州刺史張文寿、城を棄てて慶山奴に従い、皆これに死す。甲寅、大元の兵、臨渙を徇る。摂県令張若愚これに死す。戊午、盧氏に次ぐ。関・陝行省総帥両軍及び秦・藍帥府軍、潼関を棄てて東し、これと遇う。天また大雪、未だ戦わずして潰る。行省徒単兀典・総帥納合合閏敗死す。完顔重喜降り、馬前において斬らる。都尉鄭倜、都尉苗英を殺しまた降る。秦・藍総帥府経歴商衡これに死す。大元の兵、睢州を下す。庚申、翰林待制馮延登北より帰る。乙丑、大元の兵、帰徳を攻む。庚午、致仕の右丞相賽不を起複して左丞相とす。京師の民軍二十万を括りて諸帥に分隸し、人月ごとに粟一石五斗を給す。

三月丁亥、大元軍が中京を平定し、留守撒合輦は水に投身して死す。甲午、平章政事白撒をして上清宮に宿衛せしめ、枢密副使合喜をして大仏寺に宿衛せしめ、緩急に備えしむ。大元、使者を鄭州より遣わし来たりて降伏を諭す。使者立ちて国書を出し以て訳史に授け、訳史以て宰相に授く。宰相跪きて進め、上立ちて之を受け、以て有司に付す。書には翰林学士趙秉文・衍聖公孔元措等二十七家、及び帰順人の家属、蒲阿の妻子、繡女・弓匠・鷹人また数十人を索む。庚子、荊王子訛可を曹王に封じ、質と為すことを議す。密国公璹、曹王幼きを以て、代わりに行くことを請う。上慰めてこれを遣わし、その代わりを聴かず。壬寅、尚書左丞李蹊、曹王を送り出質し、諫議大夫裴満阿虎帯・太府監国世栄を請和使と為す。戸部侍郎楊慥、参知政事を権む。軍を分かちて四城を防守せしむ。大元兵、汴城を攻む。上、承天門を出でて西面の将士を撫す。千戸劉寿、語に遜らず。詔して釈し問わず。癸卯、上また出でて東面の将士を撫し、親しく戦傷者の薬を南薫門下に傅え、なお卮酒を賜う。内府の金帛器皿を出して以て戦士を賞す。乙巳、鳳翔府砲軍万戸王阿驢・樊喬来帰す。己酉、革車三千両を造る。已にして用いず。局を置きて家なき俘民を養う。

夏四月癸丑、兵士李新功有り、四方館使に擢る。元帥劉益、その子を叱して戦死せしむ。丁巳、戸部侍郎楊居仁を遣わし金帛を奉じて大元兵に詣りて和を乞わしむ。戊午、また珍異を以て往きて和を許されたことを謝す。癸亥、明恵皇后の陵発せられ、柩の所在を失う。中官を遣わし往きて之を視せしむ。是に至りて始めて得たり。兵を以て宮女十人を護り出でて朔門を迎え、柩を奉じて城下に至り、禦幄を設けて安置す。是夜また之を葬る。鄭倜の妻子を戮す。甲子、端門に御し肆赦し、元を改めて天興と為す。詔して内外の官民、能く州郡を完復する者は功賞有差とす。金帛酒炙を出して軍士を犒飫す。禦膳を減じ、冗員を罷め、宮女を放つ。上書に聖と称することを得ず。聖旨を改めて制旨と為す。鎬厲王・衛紹王の二族の禁錮を釈し、自便するを聴す。乙丑、百官初めて隆徳殿前に起居す。丙寅、尚書省を以て枢密院事を兼ねしむ。丁卯、宮女を放ち、衣装を以て自随するを聴し、金珠は留めて士卒を犒う。汴京解厳し、歩軍始めて封丘門を出でて薪蔬を采る。己巳、建威都尉完顔兀論、大元使没忒と同に入城す。庚午、使臣を隆徳殿に見る。宮女を放つこと前に如し。辛未、鄭門を開き百姓男子の出入りを聴す。甲戌、承天門に御し大いに将士を饗す。声屈する者有りと聞きて乃ち宮に還る。乙亥、詔有りて奏事を止む。許州、櫻桃を進む。

五月辛巳、遷民、城を出づるを告ぐる者万数を以てす。賽不・白撒聴かず。乙酉、南陽郡王子思烈を以て尚書省を鄧州に行わしめ、援兵を召す。丙戌、天を大慶殿に拝し、詔して白撒を致仕せしむ。京城四面の軍を放つ。李辛詔を奉ぜず。丁亥、洧川の漕渠を鑿つ。尋いで之を罷む。馮延登、奉使に労有りを以て、礼部侍郎を授かる。戊子、裕州鎮防軍の将領賀都喜、西軍二千人を率いて入援し、遷民を放ちて京を出づ。辛卯、大寒冬の如し。密国公璹薨ず。汴京大疫す。凡そ五十日、諸門より死者を出すこと九十余万人、貧しくして葬ること能わざる者は是の数に在らず。癸巳、楊春入りて亳州を据え、観察判官劉均之に死す。辛丑、上香合に御し、面して宰相を責む。乙巳、将相、保城の爵賞を受く。

六月庚戌朔、詔して百官に大将を挙げしむ。衆、劉益を挙ぐ。用いること能わず。癸丑、飛虎軍二百人、封丘門を奪いて出奔す。甲寅、出師を以て門禁を錮す。乙卯、白撒、私第の東に渠を開く。丙辰、官馬を閲し、瘠せる者を択びて殺し以て食らわしむ。丁巳、封仙徐州を据え、徒単益都宿州に走り、張興を行省事に推す。庚申、京城の四門を塞ぎ、以て守禦に便ならしむ。壬戌、国安用徐州に入り、張興を殺し、封仙を推して元帥と為し、以て州事を主らしむ。己巳、詔して禦侮中郎将完顔陳和尚に鎮南軍節度使を贈る。褒忠廟碑を立つ。権参知政事楊糸廷罷む。辛未、汴城を復修す。疫後の故を以て、園戸・僧道・醫師・棺を鬻ぐ者厚利を擅にす。命じて有司に倍して之を征せしめ、以て其の用を助けしむ。甲戌、宿州鎮防千戸高臘哥・李宣、節度使紇石烈阿虎父子を殺し、行省徒単益都に主帥事を請う。益都従わず、其の将吏を率いて西走す。穀熟に至りて大元軍に遇い、之に死す。乙亥、左丞李蹊、曹王と其の子仝を送りて俱に還る。丁丑、恒山公武仙、士人李汾を殺す。

七月庚辰朔、兵刃に火有り。辛巳、軍士、登聞鼓を撾ちて劉益を将とせんことを乞う。癸未、尚書右丞顔盞世魯罷む。吏部尚書完顔奴申、参知政事と為る。甲申、飛虎軍士申福・蔡元、擅に北使唐慶等三十余人を館に於いて殺す。詔して其の罪を貰い、和議遂に絶つ。乙酉、都人、白撒を殺さんと欲すと揚言す。密詔して衛士を遣わし其の家を護らしむ。丙戌、軍士、白撒の別墅を毀つ。斜撚阿不、妄りに市人の其の門を過ぐる者を殺し以て乱を靖む。丁亥、天を承天門下に拝し、内府及び両宮の物を出して軍士に賜う。戊子、令を下して軍を招く。辛卯、民を簽して兵と為す。鞏昌の民百二十人、援に赴く。乙未、宿州帥衆僧奴、国安用の降るを称し、近侍直長因世英等を遣わし詔を持ちて安用を封じて兗王と為し、京東等路尚書省事を行わしめ、姓を賜いて完顔と為し、名を用安と改む。新軍に登聞鼓を撾つ者有り、杖殺す。乙巳、金・木・火・太陰、軫・翼に会す。丙午、参知政事完顔思烈・恒山公武仙・鞏昌総帥完顔忽斜虎、諸将の兵を率いて汝州より入援す。合喜を枢密使と為し、兵一万を将いて之に応ぜしむ。命じて左丞李蹊に師を出だすことを勧諭せしめ、乃ち行く。

八月己酉朔、合喜は杏花営に屯し、また兵五千人を増やし、始めて中牟故城に進んで屯す。庚戌、丁壮五千人を発して糧を運び、合喜の軍に餉す。辛亥、完顔思烈は京水において大元の兵に遇い、遂に潰え、武仙は留山に退き保ち、思烈は禦寨に走り、中京元帥左監軍任守貞これに死す。合喜は輜重を棄てて鄭門に奔り至り、兵を聚めて乃ち入る。甲寅、合喜を免じて庶人と為し、その家を籍して軍士に賜う。監軍長東を降して符宝郎と為す。丁巳、孔子に釈奠す。戊午、民間の粟を括る。己未、徒単兀典・完顔重喜・納合合閏の家財を籍す。前儀封令魏璠上言す、「鞏昌帥完顔仲德は沈毅にして遠謀有り、臣請う、命を奉じて往き召さん」と。報えず。戊辰、府試を免ず。前大司農侯摯を起復して平章政事と為し、蕭国公に進封し、京東路尚書省事を行わしむ。己巳、摯兵を帥いて行き封丘に至り、将士将に潰えんとす、摯これを止め、乃ち衆とともに汴に還る。壬申、軍無き家口の京を戍ることを聴す。甲戌、金木星交わる。乙亥、官を売り、及び進士第を買うことを許す。丙子、詔して粟を括ることを罷め、また進献を以てこれを取る。丁丑、京城の民楊興入貲し、延州刺史を授く。戊寅、劉仲温入貲し、許州刺史を授く。