四年春正月壬辰の朔、詔して朝を免ず。丙申、金安軍節度使行元帥府事古裏甲古倫を除名す。丁酉、大元の兵好義堡を下し、霍州刺史移剌阿裏合等之に死す。詔して官を贈るに差有り。庚戌、宋の歩騎十余万鄧州を囲み、援軍至るを聞き、夜営を焚きて去る。招撫副使朮虎移剌答之に追ひ及び、其の俘を奪ひて還る。壬子、晝晦し、有りて間もなく大雷電し、風を以て雨ふる。癸丑、戶部侍郎張師魯上書し、騎兵数千を遣はし、春に及び、淮・蜀並びに進み、以て宋を撓はさんことを請ふ。丙辰、武仙を以て中京留守を遙領せしめ、官一階を進む。
三月辛丑、睢州に遷らんことを議す。治書侍御史蒲魯虎詔を奉じて京東の城池を相視し、還りて遷らず便なりと言ふ。乃ち止む。癸卯、長春節、詔して朝を免ず。乙巳、林州元帥惟良叛人單仲・李俊を擒へ、之を誅し、其の党盧廣を降す。己酉、吏部尚書李復亨を以て參知政事と為し、南京兵馬使朮甲賽也を行はしむ懷・孟帥府事。辛亥、平章政事高汝礪を進めて尚書右丞相と為し、國史を監修し、壽國公に封ず。參知政事李復亨國史を兼修す。平章政事・陝西行尚書省胥鼎を進めて溫國公に封じ、致仕せしむ。壬子、紅襖賊の忙兒海州を襲ひ據ふ。經略使完顏陳兒兵を以て忙兒を撃ち破り、復た之を取る。甲寅、木星鬼宿の積屍氣を犯す。
夏四月庚申の朔、詔して御史中丞完顏伯嘉に防城事を提控せしむ。癸亥、安武軍節度使柴茂紅襖賊を棗強に破る。祁州經略使段增順叛賊甄全を唐縣に破る。夏人邊を犯す。元帥石盞合喜之を破る。乙丑、彰德・衛・輝・滑・浚諸州を以て河南路轉運司に隷せしむ。河南路轉運司を以て都轉運と為し、中都に視ひ、官吏を増置す。戊辰、太廟に禘す。大元趙瑞を遣はし兵を以て孟州を攻む。提控魯德・王安大名府を復す。參知政事把胡魯を以て權尚書右丞・左副元師と為し、元帥左都監承立を右監軍權參知政事と為し、京兆に於て同行尚書省元帥府す。庚辰、東平元帥府總領提控蒲察山兒紅襖賊を聊城に破る。壬年、六部に命じ檢法を以て法狀を部官に親しく白せしめ、其の面議を聽かしむ。大理寺も之の如くす。
五月壬辰、二品より三品に至る立功遷官の格を定む。癸巳、紅襖賊樂陵・鹽山を寇し、橫海軍節度使王福連之を撃ち破る。張聚來り寇す。又た之を敗る。甲午、上臨武殿に於て鞠を撃つ。丙申、時暑を以て、常朝を免じ、四日に一たび奏事す。丁酉、工部に諭し暑月に工役を停む。癸卯、大元の兵庾州を徇く。丙辰、大元の兵兗州を徇き、泰定軍節度使兀顏畏可之に死す。
六月丙寅、人を遣はし張柔を招く。丁卯、詔して監察御史四員を減ず。戊辰、山東の民僑居する者壯士五百人を募り、東莒公燕寧の軍を益す。月土星を犯す。己巳、太白晝に張に見え、百八十有四日にして乃ち伏す。甲戌、諸倉場庫院の巡護軍に制し、提舉倉場司及び監支納官の彈壓を受く。京畿雨降らず、有司を敕し獄を閲し、雜犯死罪以下皆之を釋す。丁丑、大元楊を遣はし大名を攻め下し、又た開州及び東明・長垣等縣を攻む。己卯、雨を祈る。庚辰、宋人方子忻來り歸す。有司之を鄭州に處す。上曰く、「吾が民宋に奔る者は、彼例へば之に衣食す。彼來り歸る者を、善く視へず、或ひは復た逃げ歸り、機事を漏泄せん。」子忻の廩給を増すを命じ、有司に優遇せしむ。元帥右監軍・權參知政事承立封事を上る。
秋七月辛卯、宋人及び紅襖賊河朔を犯し、諸郡皆降る。獨り滄州經略使王福固く守る。會す益都の賊張林來り攻む。福乃ち叛きて林に降る。帥府之を討たんことを請ふ。是の日、雨ふる。癸丑、林州行元帥府總領嚴祿等を遣はし紅襖賊を彰德府に討ち、偽安撫使王九を生擒す。詔して參知政事李復亨を慰使と為し、御史丞完顏伯嘉之に副はし、郡縣を循行し農を勸む。烏古論仲端等を以て大元に使はす。
八月戊午の朔、嚴實・成江・王贇濟南に據る。山東招撫高居實人を遣はし嚴實を青崖砦に招き、其の款を獲て以て聞す。李全東平府を犯す。監軍王庭玉之を敗り、其の偽安化軍節度使張林を擒ふ。庚申、高陽公張甫兵を増し冀州を守らんことを請ふ。上樞密に諭し、潁州の民淮を渡り宋軍と為る者凡そ十村、主者を追索し、一二を懲し以て其の餘を試みんとす。庚午、掌兵官に敕し縣令を挙ぐるを聽かず。夏人會州を陷る。刺史烏古論世顯降る。甲戌、陝西行省龕谷に夏人を敗れるの捷を報ず。乙亥、上宰臣に諭し、河南水災、唐・鄧尤甚し。其の災を被れる州縣、已に其の租を除く。餘の順成の方、正供を責むるに止め、和糴・雜征並びに免ず。仍た今歲九月より始め、周歲の桑皮故紙の折輸を停む。流民荒田を佃ふ者は上に優免の如くす。丙子、陝西行省夏人と和を議す。戊寅、親軍を選補するの法を定む。己卯、葭州招撫司を罷む。壬午、陝西路行省承裔定西州の捷を報ず。丙戌、隨路の諸軍戶を以て河南・京東・西・南路に徙し、各檢察使・副を設く。恆山公武仙大元に降る。
九月戊子、詔して官を河南・陝西に遣はし親軍を選ばしむ。辛卯、『章宗實錄』を進む。戊戌、大元の木華里真定に軍を屯す。總領元帥府を歸德に置き、壽州・陳留兩鎮の兵を之に屬す。庚子、夏人定西州に入る。壬寅、宋人皁郊堡に屯す。行軍提控完顏益都之を撃ち破る。大元塔忽等を遣はし來る。癸卯、夏人來り侵す。甲辰、滕州招捕提控夏義勇紅襖賊を討ち、之を敗る。乙巳、詔して參知政事李復亨に芻糧の事を提控せしむ。己酉、夏人西寧州を陷る。尚書省都事僕散奴失不坐して誅さる。駙馬都尉徒單壽春官一階を奪はれ、杖六十。癸丑、更めて逃亡出征軍人の罪を安泊し及び捕獲の賞格を定む。甲寅、宋人秦州より出で、及び夏人來り侵す。丙辰、鞏州行元帥府石盞合喜定西州の捷を報ず。
冬十月壬戌、大元蒙古塔忽・訛裏剌等を遣はし來る。己卯、陝西東路行省綏德州の捷を報ず。泗州元帥府言ふ、紅襖賊一月に四たび寇し、人畜を掠めて去ると。庚辰、上臨武殿に於て鞠を撃つ。辛巳、紅襖賊時青に滕陽公・本處兵馬總領・元帥兼宣撫を授く。癸未、京西の山寨各守禦使・副を設け、本路の府をして之を總からしむ。陝西行省に諭し會州を復さんことを圖らしむ。上臨武殿に於て鞠を撃つ。
十二月甲戌、雪を祈る。礼部郎中権左司諫抹撚胡魯剌、封事を上る。戊寅、詔して軍官に月に鞠を撃つこと三度を許し、以て武事を習わしむ。庚辰、猟し、太廟に享す。乙酉、鎮南軍節度使温迪罕思敬、書を上りて銭幣・税賦の二事を言う。
五年春正月丙戌朔、朝を免ず。丁亥、世宗の忌日、啓慶宮に謁奠す。戊子、南京諸州の逋戸旧耕官田を括し、軍戸に給す。壬辰、西夏を禦ぎ及び南を征する事を議す。皇太子に東平の禦敵方略を諭す。甲午、枢密院に諭し、南伐の事重し、当に其の便を詳議すべしと。故衛王の事蹟を撰し、海陵庶人の例の如くす。丁酉、大元兵天井関を攻む。戊戌、宋人泗州西城を襲い、提控王禄之に死す。辛丑、太白昼に牛に現れ、二百三十有二日伏す。乙巳、詔して諸道の兵を蔡州に集めしむ。己酉、宋を伐つ。庚戌、山東行省、東平の捷を報ず。
二月丙辰朔、招撫司を単州に置く。東平府を曲赦す。庚申、宋を伐つ詔を下す。内族惟弼に権同簽枢密院事を以てし、行院を中京に置かしめ、斡勒合打に権元帥府右都監を以てし、行元帥府を蔡・息に置かしめ、納合降福に権簽枢密院事を以てし、行院を宿州に置かしめ、孛朮魯達阿に権元帥右都監を以てし、完顔訛論を副右都監とし、行元帥府を唐・鄧に置かしむ。戊辰、懐州行元帥府を罷め、復た招撫司を置き、孟州経略司と共に中京行枢密院の節制を受く。辛未、僕散安貞、元帥を以て息州を出で、宋人を乾淨居山寺に破り、黄土関を抜く。癸酉、旱災を以て、河南路を曲赦す。丙子、京城の兵器を禁ず。元帥紇石烈牙葉塔、宋兵を破り、泗州を復す。濠州に進逼し、渦口に至り、糧乏しくして西城に還る。癸未、旱災を以て、詔して中外に布告す。
三月丙戌朔、上仁安殿に御し、雨を祈り、仍北郊に望祭す。庚寅、宋人唐・鄧を囲む。行元帥府事完顔訛論、力戦して之を却く。前鄧州千戸孛朮魯毛良虎、自ら抜けて帰国す。訛論便宜に其の官を三階遷し、同知唐州事を授く。正授を乞い以て信を示す。之に従う。乙未、河南路行三司を罷む。丙申、参知政事徒単思忠、尚書右丞に進み、兼ねて国史を修む。太子詹事僕散毅夫を参知政事と為す。宰臣に諭して曰く、「今奉御・奉職多く外事を採訪するに留心せず。章宗の時近侍人の秩満するを聞くに、採りし事を以て升降を定む。今も亦宜しく預め考核の法を為し、以て之を激勧すべし」と。戊戌、長春節、朝を免ず。己亥、夏、叛人竇趙児の招きに因り、来羌城に入り拠る。孛朮魯合住、重賞を以て脅従の人を誘いて内応と為し、兵を督して急ぎ城を攻め、之を抜く。省試経義進士、考官常額の外に多く喬松等十余人を放つ。有司奏請して駁放せんとす。上已に允す。尋ち復た松等に諭して曰く、「汝等中選して復た黜せらる、心に動き無き能わず。方今久旱、和気を傷つけんことを恐る。今特恩を以て汝を放つ」と。庚子、林州行元帥府経歴官康琚に進士及第を賜う。琚武階を以て廷試に赴くを乞う。故に是の命有り。丙午、旱を以て壇を築き雷雨師を祀る。壬子、雨降る。
四月己未、山東行省蒙古綱言う、「東莒公燕寧戦敗して死す。寧の居る天勝砦険に拠る。寧亡びて、衆帰する所無し。変は旦夕に在り。権に其の提控孫邦佐を招撫使と署し、黄摑兀也を総領と為し、以て其の衆を撫す」と。使を遣わして命を請う。有司を敕して之を議ましむ。辛酉、太廟に於いて雨を祷る。丙寅、僕散安貞、宋の黄・蘄等州を破る。壬申、宋の宗室男女七十余口を俘え、京師に献ず。癸酉、詔して親軍中武挙第にして職を授けられ需次する者は、仍旧役を執り、廩給は常に循い、闕至りて発遣す。辛巳、監察御史劉従益、弾劾失当を以て、官一階を奪い、之を罷む。詔して進士中下甲及び監官散階明威に至る者の挙げて県令に充つる法を定む。
五月甲申朔、日食有り。戊戌、宋人楚丘に拠る。官軍之を復す。庚子、納蘭記僧誅に伏す。告人趙鋭職四等を升る。壬寅、陝西元帥完顔賽不、使を遣わし来たりて晋安・平陽の捷を献ず。方に其の賞を議す。御史烏古論胡魯其の将士を縦して鹵掠せしめ、主上の乱を除き民を救うの意に副わざるを劾し、其の罪を正さんことを乞う。上賽不功有るを以て、詔して問う勿れ。賞議も亦寝す。癸卯、唐州守将訛論は元帥賽不の猶子たり。宋人と唐州境上に戦い、宋人の為に敗れ、死者七百余人。之を匿して捷を以て聞く。御史納蘭其の事を発す。上賽不の故を以て、亦之を罪せず。而して是の意を以て之に諭す。乃ち納蘭の敢言を称し、其の功を録して有司に付し、秩満して考最とす。癸丑、東平内徙す。蒙古綱に行省を邳州に置かしめ、王庭玉に帥府を黄陵堈に置かしむ。
六月甲寅朔、尚書省駙馬都尉安貞の反状を奏す。上奏を閲し其の実ならざるを慮り、平章政事英王守純に謂いて曰く、「国家一大臣を誅するは、必ず天下後世の公議に合すべし。其れ之を覆按せしめよ」と。乙丑、使を遣わして晋陽公郭文振・上党公完顔開に諭し、各々疆土を守り、心を同くして難を済し、細故を以て釁端を啓き国事を誤ること無からしむ。戊寅、僕散安貞謀反に坐し、並びに其の三子皆誅に伏す。己卯、越王永功薨ず。庚辰、朝を輟む。壬午、上親しく殯所に奠す。
秋七月己亥、義勇軍叛き、碭山県に拠る。庚子、詔して徐州・清口等処の戍兵の衣糧を増給す。己酉、碭山の賊夜に永城県を襲う。行軍副総領高琬之を敗る。蒙古綱に命じ並力討捕せしむ。辛亥、単州招撫劉瓊、河南の糧を移して其の軍を済さんことを乞う。詔して之を給す。
八月壬子朔(一日)、黄陵堈招撫司を廃止す。上、尚書省に諭して曰く、碭山の叛軍の家屬を帰徳に囚ふるも、旬餘を経て糧を給せず、其の生を傷つくるを恐る。宰臣奏して曰く、已に之を給せり。又、樞密に諭して曰く、河北食に艱しく、民南来を欲する者日益多く、速に之を渡らしめ、殍死に致すこと毋れ。癸亥(十二日)、林・懷の帥府、伏恩村に於て紅襖賊を邀撃し、之を敗る。甲子(十三日)、詔して曰く、南征の潰軍復帰して能く力戦する者は、出界立功の格に依りて之を賞せよ。乙丑(十四日)、宋人沈丘を掠め、縣令を殺す。甲戌(二十三日)、有司に命じて逋戶の負租を除き、見戶を征すること毋れ。
九月甲申(四日)、京東の歳饑多く盜あるを以て、御史大夫紇石烈胡失門を遣わし宣慰使と為し、往きて之を撫安せしむ。監察御史違犯の的決法を更定す。丁亥(七日)、詔して曰く、州府及び軍官の盜を捕ふるに職を慢にするは、四品以下は宣慰使之を決し、三品以下は上奏して裁を請へ。戊子(八日)、隰州招撫使軒成の官を増授し、改めて陝西省の節制を受く。乙巳(二十五日)、崇進・駙馬都尉定國公徒單公弼薨ず。庚戌(三十日)、歳星左執法を犯す。右丞相高汝礪、表を上りて致仕を乞ふ。詔して温に留む。
冬十月癸丑(三日)、汝礪の官を進めて榮祿大夫と為す。僕散毅夫に命じて尚書省を行はしむるに京東に於てし、諸軍の芻糧を督めしむ。乙卯(五日)、太醫侯濟・張子英、皇孫の疾を治むるに、薬を用ひて瞑眩し、皇孫任ずる能はず、遂に療せず。罪死に當る。上曰く、「濟等の犯す所誠に死すべし。然れども諸叔及び弟兄の子に在りては、便ち法に准ひて之を行ふべし。朕が孫の故を以て人を殺すは、忍びざる所なり。」命じて杖七十、除名す。尚書省言ふ、「司・縣官の貪暴不法にして、部民逃亡するは、既に決罰有り。他縣の停匿も亦た罪を定むべし。随處の土民久しく徭役に困しみ、客戶販鬻して坐して厚利を獲るも、官斂むる所無し。亦た稍く客戶に及ぼし、以て土民を寬むべし。行院帥府の幕職は、部衆無きと雖も、亦た嘗て戎功を贊畫す。而るに推賞止だ官一階を進むるのみ。宜しく主将の保奏を聴き、功に第して賞を行ふべし。」上皆其の請に従ふ。戊午(十日)、親軍を遣わして河南の群盜を討たしむ。辛酉(十三日)、大元兵綏德州を攻む。壬戌(十四日)、夏人復た龕谷を侵す。甲子(十六日)、敕して曰く、監察の彈ずる事は、同列預り聞くべからず。令と為すに著せよ。丁卯(十九日)、夏人定西・積石の境を犯す。戊寅(三十日)、京畿の戍卒萬二千、河中の民兵八千を分ち、許州元帥紇石烈鶴壽を以て之を将ひ、潼關西に屯せしむ。
十一月癸未(五日)、陝西東路行省、安塞堡に於ける夏人を敗れるの捷を報ず。甲申(六日)、太府に諭して食品を減損せしむ。庚寅(十二日)、民を募りて南陽の水田を興さしむ。壬辰(十四日)、太子・親王・百官、表を上りて安塞堡の捷を賀す。卻く。乙未(十七日)、夏人龕穀を攻む。宋人蘄縣を攻む。紅襖賊宿州を掠む。辛丑(二十三日)、詔して徐・邳・宿・泗等州の逋租を蠲し、官民能く閒田を墾辟する者有らば、来年の科征を除く。帰徳・亳・壽・潁は逋戶租の停閣する外、仍く三の一を蠲す。逋戶の田廬は有司民を募りて承業せしめ、其の毀損を禁じ、以て来復を俟つ。蒲城縣民李文秀等謀反し、誅に伏す。壬寅(二十四日)、宋人潁州を焚き、防禦判官を執へて去る。是の日、相國寺火す。大元兵延安を攻む。
十二月辛亥朔(一日)、大元兵潼關・京兆を下すを以て、詔して省院に之を議せしむ。壬子(二日)、避舉縣令の法を罷む。丁巳(七日)、禮部侍郎烏古孫仲端・翰林待制安庭珍、使北より還る。各一階を遷す。庚申(十日)、河南の義軍を罷む。丁卯(十七日)、詔して新たに簽したる民軍を罷め、樞密院の掌兵官及び京城の戍兵を減じ、仍く行院帥府に諭して、擅に増設補簽する毋れ。辛未(二十一日)、行總管府及び招討統軍檢察等司を罷む。宋人の来歸する賞格及び詐りて征防軍人の逃亡を誘ふ罪法を定む。癸酉(二十三日)、元帥合達買住及び其の将士、延安の功を以て特に之を賞賚し、仍く詔を下して獎諭す。
閏月辛巳朔(一日)、大元兵鄜州を徇り、保大軍節度使完顏六斤・權元帥右都監紇石烈鶴壽・右都監蒲察婁室・遙授金安軍節度使女奚烈資祿皆之に死す。乙酉(五日)、提控朮甲咬住、陳瓦に於て沈丘賊を破る。丙戌(六日)、詔を頒ちて河南の土寇を撫諭す。戊子(八日)、熒惑軒轅を犯す。己丑(九日)、孫瑀及び捕盜官吾古出、泰和縣賊二千人を招降す。詔して其の首惡を斬り、餘は皆之を釋す。同知保靜軍節度使郭澍、糧を征するに期を失ひ、平民を誣殺す。誅に坐す。辛卯(十一日)、官軍復た葭州を取る。癸巳(十三日)、通遠軍節度使孛朮魯合住官を削らる。甲午(十四日)、月熒惑を犯す。丙申(十六日)、紅襖賊蒙城縣に入る。縣官其の符印を失ひ、軍民死者甚だ衆し。賊大いに掠めて去る。戊戌(十八日)、鎮星晝に軫に見ゆ。己亥(十九日)、兵を発して京東の盜を捕へしむ。太白晝に室に見ゆ。壬寅(二十二日)、上林署の粟を発して貧民を賑ふ。陳・亳等州、鹿邑・城父諸縣、盜蜂起す。樞府に趣りて官を遣わし之を討たしむ。捕盜軍の過ぐる所民を殘す。御史一人を遣わし按視せしむ。軍の獲る所の牛は、有司官錢を以て收贖す。戊申(二十八日)、詔して土寇を招捕する官の賞格を定む。己酉(二十九日)、更に「興定寶泉」を造り、每一貫「通寶」四百貫に當つ。
二月壬午(五日)、詔して中京・唐・鄧・商・虢・許・陝等州の屯軍及び諸軍の家屬を徙し、京兆・同・華に赴き糧に就きて屯せしむ。乙酉(八日)、陝西西路行省、厚賞を以て河西蕃部族寺僧を募り、大通城を復するを圖らんことを請ふ。行省樞密院に命じて之を籌せしむ。癸巳(十六日)、上宰臣に諭して曰く、宋人重兵を以て平輿・褒信を攻むるも、我が師力戦して之を卻く。又其の事狀の詳なるを偵知す。若し帥府の功を上り賞を推するを俟たば、豈に勸獎の道に急なるならんや。其れ清望官を遣わし、空名の宣敕を齎し、核實して之に給せよ。乙未(十八日)、詔して河南・陝西を諭す。大元兵葭州に屯す。壬寅(二十五日)、權に行省・樞府・元帥府の輒く左右司・經歷司官を杖する罪法を定む。甲辰(二十七日)、上鄜延の兵に被り、又延安圍まれ、嘗て民粟を発して軍に給せしを念ふ。詔して延安・鄜・坊・丹・葭・綏徳の稅租を除き、仍く有司に令して其の粟直を償はしめ、足らざる者は官を補ふことを許す。戊申(三月一日)、恆州軍變し、萬戶呼延棫等千餘人城中を殺掠し、廬舍を焚きて去る。己酉(二日)、元帥左監軍訛可を遣わして元帥府事を行はしめ、三路の軍馬を節制して宋を伐たしむ。同簽樞密院事時全を行院事と為し、之に副はしむ。
三月辛酉、宋人が確山県の劉村を掠奪す。丙寅、歳星太微左執法を犯す。戊辰、枢密院委差官賈天安上書して利害を言う。壬申、尚書右丞徒単思忠病馬を以て官に輸し、高価を冒して取る。御史これを劾す。有司監主自盗を以て論じて死とす。上大體を顧み惜しみ、降授して陳州防禦使とす。癸酉、提控李師林夏人を永木嶺にて破る。郭文振表す、近く俘者を得て言う、南北兵を合して将に河南・陝西を攻めんとすと。詔して枢密に備禦せしむ。
夏四月辛巳、金吾衛上將軍・勧農使訛可を以て枢密院事を簽す。大司農司を置き、大司農卿・少卿・丞を設け、京東・西・南の三路に行司を置き、並びに採訪事を兼ねしむ。壬午、大元兵陵川県を攻む。丁酉、林懐路行元帥府事惟良官を両階削り、これを罷む。県令を辟挙するの法を更定し、復たこれを行ふ。戊戌、丁憂待闕・追殿等の官を籍し、防秋に備ふ。丁未、行枢密院淮南の捷を報ず。
五月戊申朔、大元兵隰・吉・翼等州に屯す。壬戌、訛可・時全軍大敗す。甲子、訛可敗績を以て死に当たる。上面して数へてこれを責め、其の後効命を勉め、官を両階朘む。丁卯、致政胥鼎等を召して省に赴き利害を議せしむ。壬申、時全誅せらる。
六月戊寅朔、舟を造り陝西の糧を運び、大慶関より渡り湖城に抵る。癸未、大赦す。陳州防禦使呂子羽軍興に乏しきに坐し、自尽す。諸監官及び八品以下の職事、丁憂・待闕・任満・遙授の者を制し、侍衛親軍に試補せしむ。各路の司農司に捕盗の方略を設けしむるを命ず。丁酉、紅襖賊柳子鎮を掠め、百姓及び驛馬を駆りて去る。提控張瑀追撃し、掠めし所を奪ひて還す。偽監軍王二黎陽県に拠る。提控王泉これを討ち、其の城を復す。
秋七月庚戌、大元将按察鄔其の衆を以て晉安・冀州の境に屯す。丙辰、上党公完顔開沢州を復す。己未、帰德行枢密院王庭玉曹州紅襖賊を破れるの捷を報ず。庚申、監当官選法を定む。河北の群盗封丘・開封の界を犯す。枢密院に禦捕せしむるを令す。甲子、京東総帥紇石烈牙吾塔請ふ、今より行院帥府の幕職、過有れば自らこれを決するを得んと。允さず。戊辰、紅襖賊徐州の十八里砦を襲ひ、又古城・桃園を襲ふ。官軍これを破る。乙亥、太白昼見し天を経て、日と光を争ふ。
八月丁丑、西征将士の官賞差有るを定む。己卯、彗星西方に見ゆ。甲申、逃亡親軍を蔵匿するの罪及び告捕の賞格を増定す。積石州の蕃族叛き夏に附す。鞏州提控尼旁古三郎これを討ち、羊千口を獲、尚膳に進む。詔してこれを却く。彗星見ゆるを以て、元を改め、大赦す。宰臣に諭旨して曰く、「赦書已に頒つ。時刻の間、人命の繫る所なり。其れ命を将る者をして速かに往かしめ、期を計りて至らしめよ」と。大司農把胡魯を以て参知政事とす。癸巳、河間公移剌衆家奴・高陽公張甫兵河間府を復す。是の日、捷を報ずる者始めて達す。上道途梗塞し、報ずる者艱虞なるを以て、命じて厚くこれを賞せしむ。夏人徳順に入る。壬寅、雨を祈る。
九月丙午朔、左右警巡使に弾圧を兼ねしむ。陝西行省に辺を備ふるを諭す。壬子、牙吾塔兵を以て寿州より淮を渡り、宋人の巣穴を搗かんことを請ふ。従はず。乙卯、淮南を経略するを議す。己巳、宋人遂平県の石砦店を掠め、復た南陽を侵す。唐州提控夾穀九住これを破る。
冬十月丁丑、夏人徳順の神林堡を掠む。壬午、宋の張惠零子鎮を攻む。斡魯朵に為に敗れられ、其の裨将二人を虜はる。河中府万戸孫仲威其の安撫使阿不罕胡魯剌を執り城に拠りて叛く。陝西行省将を遣わして討ち平げしむ。癸未、曹州を復す。甲申、上近郊に猟す。詔して百官の送迎を免じ、且つ道を治めしむることを令せず、以て百姓を労せしむ。庚寅、彰徳招撫使杜先の軍を衛州に徙す。乙未、大元兵栄州の胡壁堡及び臨晉を下す。庚子、避兵の民の資産を巡護せしむるを所司に詔す。甲辰、京兆の官民兵を避けて南山する者百萬に多きを以て、同知府事完顔霆等に其の衆を安撫せしむるを詔す。
十一月丁未、大元兵同州に徇す。定国軍節度使李復亨・同知定国軍節度使訛可皆自尽す。甲寅、京東総帥牙吾塔臨淮にて宋兵を破れるの捷を報ず。戊辰、大元蒙古蒲花鳳翔府を攻む。
十二月乙亥朔、上皇太子に謂ひて曰く、「吾嘗て夜天下の事を思ひ、必ず燭を索めて以て記し、明けて即ち行ふ。汝も亦た然るべし」と。河中治中侯小叔を以て権に元帥府右都監とし、便宜行事を許す。乙酉、同知平陽府事史詠を龍虎衛上將軍に遷し、号を「守節忠臣」と賜ひ、権に行はしむ平陽公府事。丁亥、疊州総管青宜可卒す。特に其の子角に職を襲はしむるを命ず。近侍局に詔諭して曰く、「奉御・奉職皆少年にして書を知らず。朕曩時に説書人を置き、日を為に古来君臣父子の教を講論し、以て上に事ふる所以を知らしめしを憶ふ。其れ復た置け」と。己丑、蘭州提控唐括昉夏人を質孤堡にて破る。大元大軍を以て鳳翔を攻む。
二月甲戌朔、皇后の生辰、詔して賀礼を免ず。己卯、丞相汝礪朝会し、拝を免じ、榻を殿下に設け、久しく立ちて休を賜ふ。壬午、詔す「軍官罪を犯す、旧制更に任用すべからず。今多故の秋、人才得難し。朕大罪を除く外、徒刑追配武芸善く兵を掌る者有らば、才を量りて復用せんと欲す。其れ尚書省に議して以て聞かしめよ」と。丁亥、大赦す。己亥、鳳翔の囲解く。石盞合喜金紫光禄大夫を加へ、左監軍に升り、特に大名府谷忽申猛安を授く。完顔仲元光禄大夫を加へ、右監軍に升り、特に河北東路洮委必剌猛安を授く。各金鞶帯を賜ふこと差有り。
三月甲辰朔、宋人が汝陽を襲撃す。壬子、平章英王守純に飲酒を慎むよう諭す。癸丑、河中府推官籍阿外を以て権元帥右都監とし、侯小叔の軍を代わりに率いしむ。甲寅、上宰臣に謂いて曰く、「人に才あって事に堪え、その心下らざる者は、終に貴ぶに足らず」と。丞相汝礪対えて曰く、「その心正しからずしてこれに才を以て済すは、いわゆる虎に翼を添うる者なり、古の聖人といえども未だ知り易からず」と。上然りと為す。丙辰、長春節、朝を免ず。戸部尚書石盞畏忻を以て参知政事と為し、国史修撰を兼ねしむ。辛酉、茶を禁ず。壬戌、詔して鳳翔の戦功及び賞を頒つ等級を以て諸郡に遍く諭す。甲子、完顔伯嘉を以て権参知政事と為し、行尚書省を河中府に置く。辛未、詔して職官罪を犯し死罪に非ざる者名を除き、赦に遇いて幸いに免るるも、才幹ある者は中外並びに用いよ。
夏四月癸酉朔、霍州汾西県を復す。詔して空名の宣敕を給し、将士の功ある者を遷賞す。丙子、京兆南山安撫司を設く。丁丑、故鳳翔万戸完顔醜和を死節を以て贈りて懐遠大将軍と為し、刺史職を授く。その父恕は功例の賞の外に除き、官を両階遷し、職を二等升す。己卯、官を遣わし河南帥府の見兵を閲し、閑官・豪右の親丁及び遼東・河北の客户を籍して軍と為す。庚子、西山の猟戸を募りて軍と為す。
五月癸卯朔、始めて「元光重宝」を造る。丙午、河中府及び栄州を復す。人を遣わし檄を持ちて前の恒山公武仙を招く。乙卯、権平陽公史詠、霍州及び洪洞県を復す。丁巳、始めて「元光珍貨」を造り、銀と同行用す。戊午、檄を以て東平の厳実を招く。己未、参知政事毅夫言う、「脅従の人、号して‘忠孝軍’と為し、而して淮に沿いて置く者の為す所多く法に合わず、請うこれに防閑を加えん」と。上曰く、「人心は常無し、ただこれを馭する如何にあるのみ。これを馭するに術あれば、遠方なおかつ命を聴く、況んやこの輩においてをや!然らずんば、左右と雖も防閑し難し。正に大度を廓開するのみ。是くの如くにして太平を致す能わざるは、命なり」と。庚申、河南路の寄居官民を簽して軍に充つ。辛酉、晋陽公郭文振の兵を孟州に徙す。甲子、権平陽公史詠の兵を解州・河中府に徙す。
六月乙亥、京東総帥牙吾塔、淮南の捷を報ず。丁亥、行省の置く監察御史兼弾圧の職を罷む。戊子、人を遣わして李全・厳実・張林を招かんことを議す。甲午、詔して河中行省を罷め、元帥府を置く。辛丑、静難軍節度使顔盞蝦䗫等を遥授し、鳳翔を保つ功を以て官を進む。
秋七月壬寅朔、夏人積石州を犯す。羌界の寺族多く陥没す。惟だ桑逋寺の僧看逋・昭逋・廝没及び答那寺の僧奔鞠等は拒みて従わず。詔して諸僧に鈐轄・正将等の官を賞し、而して廩禄を給す。乙巳、兵を遣わし解州の塩池を守衛せしむ。庚戌、空名の宣敕を以て諸部の降人を遷賞す。壬子、市易に銀を用い及び銀と宝泉と私に相易するの禁を除く。癸丑、諸御史に勅して曰く、「瑣細の事は人主の詰むるに宜しきに非ざるも、然れども凡そ奸弊に渉るは、国政に関わらざるは莫し。比来朝官及び承応人の月給する俸糧に、多く糠土を雑うるを聞く。有司の収むる所、嘗て是の物有りや。出納の斗斛に至りても、亦小大一ならず。此れ皆理の容れざる所にして、而るに台官初めより問わず。事々朕の言うを須うれば、汝曹を用いるに安んぞや!」と。乙卯、丹鳳門壊る。丁巳、陰坡族の骨鞠門等、叛きて夏に帰す。元帥夾谷瑞、兵を発してこれを討ち、捷を以て聞かす。御史中丞師安石、敵を制する二事を言う。戊午、宰臣方に対次するに、有司奏す前奉御温敦太平卒すと。上大いに駭きて曰く、「朕屡たび太平に一職を授けんと欲す。毎に事に阻まる。今僅かにこれを授くる未だ数日ならずして亡ぶ。豈に天ならずや!」と。因りて宰臣に謂いて曰く、「海陵の時、護衛二人私に語る有り。一は富貴は天に在りと曰い、一は君の賜う所に由ると曰う。海陵窃かにこれを聞き、詔して君の得る所に由ると言う者に五品職を授く。意は誠に己に由るを謂うなり。而してその人疾を以て竟に授かるに及ばず。章宗秋に猟し、平章張万公の薨ずるを聞き、歎いて曰く、『朕乃ち将に万公を丞相に拝せんとす。而して遂に起たず。命なり』と」と。乙丑、詔して陝西路の僑居官民を籍して軍と為す。
八月辛未朔、邳州従宜経略使納合六哥等、都統金山顔俊を率い沂州の百余り人を以て、晨に省署に入り、行尚書省蒙古綱を殺し、州を拠りて反す。壬申、詔して京兆路官軍の南山諸穀を保全する功を賞し、全うする所の人数の多寡を以て等第と為す。千人以上は官一階、三千人以上は両階、五千人以上は三階、仍って職一等を升し、能く力戦を以てこれを護る者は又一階を増し、戦没する者は就いてこれを贈る。甲戌、官を遣わし空名の宣敕を持ち、重賞を以て納合六哥を招くことを諭す。命に拒めば、即ち牙吾塔に命じ行院の兵を合してこれを討滅せしむ。乙亥、火星鬼宿の中に入り、積屍気を掩う。乙酉、詔して能く反賊六哥を捕獲する者は、見定の官の外に、仍って世襲の謀克を与う。丙戌、官を遣わし分かれて蔡・息・陳・亳・唐・鄧・裕諸州に行き、及び司農司州県の吏と同議し、凡そ民丁相聚り砦を立て兵を避け、各巡検軍と相依る者、五十戸以上は砦長一員を置き、百戸は副一員を増し、仍って先ず一官を遷し、能く民を安んじ盗を弭ぎ農を勧むる者は功を論じて注授せしむ。
九月庚子朔、日食有り。宋人寿州に入る。女奚烈蒲乃力戦してこれを却く。壬寅、枢密院提控朮甲剉只罕の宋人を破る功を奏す。甲辰、宋人南陽を攻む。丙午、牙塔、桃園・淮陽の捷を報じ、並びに納合六哥の李全と結構するの状を来告す。戊申、降人孫邦佐、李全の軍中より帰る。遥授して知東平府兼山東西路兵馬都総管と為す。官軍宋人と胡陂に於いて力戦し、これを却く。提控朮虎春兒、為す所と為されて殺さる。癸丑、納合六哥の署する所の偽都統烏古論賽漢・夾穀留住等来帰す。己未、朮虎春児を贈りて銀青栄禄大夫と為す。丙寅、紮也胡魯等、邳州南城を抜く。丁卯、権御史中丞帥安石等、英王守純を劾奏して実らず。有司に付して鞠治せしむ。尋いで詔して罪を免ず。而して猶これを責論す。
冬十月癸酉、晋陽公郭文振等の兵を衛州に徙す。乙亥、行枢密院及び元帥府に制し、農隙の月分番して巡徼校猟せしむ。月三回を過ぎず。丁丑、上近郊に猟す。己卯、太廟にて祫祭す。壬午、火星霊台を犯す。乙酉、上近郊に猟す。辛卯、詔して石壕店・澠池・永寧県各兵千人を屯せしむ。壬辰、滕州の人時明謀反し、誅に伏す。戊戌、唐・鄧行元帥、淮南の捷を報ず。
十一月己亥、紅襖賊の偽監軍徐福らが来降す。詔して牙吾塔の官を一階進め、金幣を賜うこと差等あり。辛丑、総帥牙吾塔、邳州の捷を報じ、叛人六哥の首を函にし以て献ず。開封県境に虎人を咥うるあり、詔して親軍百人をして射殺せしめ、射獲る者に銀二十両を賞し、以て内府の薬を傷者に賜う。丙午、邳州の紅襖賊三千来降す。初め諸陳・許の間に置かんと擬す。上以爲く「若輩降るといえども、家屬尚ほ河朔に在り、餘黨必ず之を殺さん。得る所寡くして害せらるる者衆し、亦た復た安んぞ忍びんや。使者を命じて撫諭し、官賞を加えて之を還し遣わすに若かず。果たして我に忠ならば、河朔に処すと雖も豈我に負かんや。且つ餘衆恩を感ずれば、将に順に效る者有らん」と。戊午、上党公完顔開の請に依り、開及び郭文振・史詠・王遇・張道・盧芝等を諭し、各隣する所の帥府と相視し可耕の土田及び河北岸に瀕するの地を、分界して之を種えしめ、以て軍餉を給せしむ。辛酉、鞏州行元帥府、会州夏人を破るの捷を報ず。
丁亥、上豫せず、朝を免ず。戊子、皇太子百官及び王妃・公主を率いて起居を問う。己丑、復た入りて起居を問う。庚寅、上寧徳殿に崩ず。寿六十一。上疾大漸す。暮夜、近臣皆出づ。惟だ前朝の資明夫人鄭氏年老いて側に侍す。上其の托す可きを知り、之に詔して曰く「速やかに皇太子を召して後事を主たせよ」と。言絶えて崩ず。夫人之を秘す。是夜、皇后及び妃龐氏を遣わして安否を寝閣に問わしむ。龐氏陰狡機慧にして、常に其の子守純の年長にして立つことを得ざるを以て、心鞅鞅たり。夫人其の変を為さんことを恐れ、即ち之に紿いて曰く「上方更衣せらる。后妃少しく他室に休まるべし」と。其の入るを俟ち、遽かに之を鑰し、急ぎ大臣を召し、遺詔を伝えて皇太子を立てしむ。始めて戸を啓き后妃を出だし、喪を発す。皇太子方に宮に入らんとす。英王守純已に先に入る。皇太子之を知り、枢密院官及び東宮親衛軍官移剌蒲阿を分遣し、軍三万余を東華門街に集めしむ。部署即に定まり、護衛四人を命じて守純を近侍局に監せしめ、乃ち皇帝の位に即くこと柩前。壬辰、遺詔を宣す。是日、詔して中外を赦す。明年正月戊戌朔、元を改めて正大と為し、大行を諡して継天興統述道勤仁英武聖孝皇帝と曰い、廟号宣宗とす。三月庚申、徳陵に葬る。
賛に曰く、宣宗金源の末運に当たり、撥乱反正の材乏しきといえども、励精図治の志有り。其の勤政憂民の跡を尋ぬれば、中興の業蓋し期す可きなり。然るに卒に成功無きは何ぞや。良に性猜忌を本とし、翽御を崇信し、吏胥を奨用し、苛刻風を成し、挙措当を失うが故なり。執中は元悪なり。此れ豈相とす可き者ならんや、顧みて乃ち其の援立の私を懐き、自ら廉陛の分を除き、礼に悖ること甚だし。高琪の執中を誅するは、悪を除くと云うといえども、『春秋』の法を以て律すれば、豈趙鞅晋陽の責を逃れんや。既に罪すること能わずして遂に之を相とす。失うこと又失うなり。汴に遷りての後、北に顧みれば大元の朝日に隆盛を増し、智識の士孰れか先んじて知らざらん。方且つ餘威に狃り、群議を牽制し、南に宋釁を開き、西に夏侮を啓き、兵力既に分かれ、功患に補わず。曾て数年を未だず、昔は日に国百里を辟き、今は日に国裏を蹙む。其れ能く済わんや。再遷して遂に国を失うに至る。豈重ねて歎く可からざらんや。