二月己巳の朔、建春宮に幸す。辛巳、宰臣に諭す、「今より内外官に闕あるときは、才能有りて任に堪うる者は、資歴未だ及ばずと雖も、亦具さに以て聞こえしむべし。親故と雖も、避くるところあることなかれ」と。武衛軍都指揮使烏林答天益等を以て宋弔祭使と為す。甲申、建春宮より至る。丙戌、斜出、内附す。辛卯、平章政事粘割斡特剌薨ず。
三月戊戌、礼部尚書張暐を以て御史大夫と為す。壬寅、醋を復た榷す。甲寅、萬甯宮に如く。丁巳、随処の盗賊に勅す、強きを以て窃と為し、多きを以て少なしと為し、有るを以て無しと為すことなかれ。嘯聚三十人以上は奏聞すべし、違う者は杖百。丙寅、高麗王王皓、弟𧦬に国事を権めしめ、使いを遣わし表を奉じて来告す。
夏四月戊戌の朔、有司に諭す、「宰相遇雨すれば、殿廡に循り出入すべし」と。丙申、御史台に諭す、「随朝の大小官、才能有りと雖も、率ね多く苟簡なり、朕甚だ之を悪む、其れ察挙して以て聞こえしめよ。提刑司の察する廉能汚濫の官は、皆当に殿奏すべく、余の事は転じて以て聞こえしむべし」と。侍御史孫俁を以て高麗王王皓を宣問する使と為す。
五月庚子、右宣徽使張汝方、廷議を漏泄するを以て、官を削ること両階。壬寅、柳を射ち、球を撃ち、百姓をして観せしむ。戊申、客省使移剌郁を以て夏国生日使と為す。甲子、参知政事楊伯通、表を上して致仕を乞う、許さず。
秋七月丙午、香山に幸す。己酉、萬甯宮に如く。甲寅、宮に還る。
八月辛未、近郊に獵す。癸酉、香山に獵す。戊寅、萬甯宮に如く。庚辰、護衛石和尚を以て押軍萬戸と為し、親軍八百人・武衛軍千六百人を率い西北路を戍らしむ。癸未、宮に還る。宋、使いを遣わし来り謝を報ず。
九月丙申の朔、天壽節、宋・夏、使いを遣わして来賀す。中都路都転運使孫鐸等を以て賀宋生日使と為す。乙巳、近郊に獵す。庚戌、参知政事楊伯通、再び表して致政を乞う、許さず。戊午、木波、馬を進む。
冬十月庚午、近郊に獵す。癸未、行樞密院言う、斜出等、轄裏嫋に於て榷場を開くことを請う、之に従う。丁亥、官民の存留見錢の数を定め、回易務を設け、行用鈔法を更めて立つ。
十一月丁酉、樞密使兼平章政事襄、軍より至る。癸卯、以て尚書左丞相と為し、国史を監修せしむ。丁未、太常卿楊庭筠等を以て賀宋正旦使と為す。戊申、詔して樞密副使夾穀衡以下の将士を奨諭す。辛亥、属托の法を定む。軍前の官吏の賞格を定む。辺事定まるを以て、中外に詔し、死罪を減じ、徒已下を釈く。左丞相襄以下の将士に金幣を賜うこと差有り。甲寅、冬獵す。
十二月甲子の朔、酸棗林に獵す。大風寒く、獵を罷め、凍死者五百余人。己巳、都に還る。丙戌、尚書右丞嵒罷む。高麗権国事王𧦬、使いを遣わし表を奉じて来告す。
四年春正月癸巳の朔、宋・高麗・夏、使いを遣わして来賀す。乙巳、尚書左董師中致仕す。辛酉、監察御史姬端修、妄言を以て吏に下る。尚書左丞相襄、司空と為り、職は旧の如し。樞密副使夾谷衡、平章政事と為り、英国公に封ぜらる。前知済南府事張萬公、起復して平章政事と為り、寿国公に封ぜらる。楊伯通、尚書左丞と為る。簽樞密院事完顏匡、尚書右丞と為る。
二月乙丑、建春宮の春水に如く。己巳、宮に還る。庚午、宣華門に御し、仏を迎えるを観る。辛未、建春宮に如く。姬端修の罪を赦し、家に居て命を俟たしむ。司空襄言う、西南路招討使僕散揆、辺を治めて功有り、闕に召し赴かしめ、知興中府事紇石烈子仁を以て之に代う。壬申、有司に諭す、「三月一日より始め、毎旬三品より五品の官各一人転対し、六品も亦次を以て対す。台諫は与かることなかれ、応に奏すべき事有らば、転対官と相見え、面対する者無きは章を上するも亦聴す」と。乙亥、宮に還る。戊寅、建春宮に如く。庚辰、上、点検司に諭す、「蒲河より長河及び細河以東は、朕常に経行する所なり、官為に其の地を和買し、百姓をして之を耕さしめ、仍って其の租税を免ずべし」と。甲申、宮に還る。乙酉、西南路招討使僕散揆を以て参知政事と為す。姬端修を起して太学博士と為す。建春宮に如く。戊子、宮に還る。
三月丁酉、同判大睦親府事の宗浩を枢密使とし、崇国公に封ず。己亥、建春宮に幸す。使者を遣わして王𧦬を冊立し高麗国王とす。戸部尚書の孫鐸、郎中の李仲略、国子祭酒の趙忱、初めて香閣において転対す。丁未、尚書に勅す、「官職を改除すべき者はこれを議せよ。その月日浅き者は数え改易するなかれ」と。乙卯、尚書省、親軍武衛軍の員額及び太学の女直・漢児生員を減ずることを奏し、小学官及び外路の教授を罷む。詔して学校は旧に従い、武衛軍の員額は再議せしめ、その余は報可す。司空の襄、右丞の匡、参知政事の揆、諸路の提点刑獄を罷むるを請う。従う。戊午、雹を降らす。
夏四月癸亥、提刑司を改めて按察使司とす。戊辰、万寧宮に幸す。壬申、左丞の楊伯通致仕す。御史大夫の張暐、奏事実ならざるを以て、一官を追奪し、侍御史の路鐸は両官を追奪し、ともにこれを罷む。姬端修は杖七十、贖す。壬午、英王の従憲を進めて瀛王に封ず。詔して同州・許州節度使の陝西・河南副統軍を兼ぬるを罷む。
五月壬辰朔、旱魃のため、詔を下して躬を責め、直言を求め、正殿を避け、膳を減じ、冤獄を審理し、泰和殿において奏事せしむ。戊戌、有司に命じて岳瀆を望祭し雨を祈らしむ。己亥、応奉翰林文字の陳載、四事を言う。其一、辺民は寇掠に苦しむ。其二、農民は軍需に困す。其三、冤滞を審決し、一切寛大に従い、苟くも罪有る者を縦す。其四、行省の官員は例として厚賞を獲るも、辺境沿いの司県は曾て及ぶこと沾わず。これもまた和気を幹え、旱災を致す由なり。上これ是とす。壬寅、兵部郎中の完顔撒裏合を夏国生日使とす。戊申、宰臣、京畿に雨降るを以て、百官を率いて正殿に御し、常膳を復するを請う。従わず。尚書省、更定の虎符給発の制を奏上し、令に著す。庚戌、宰臣に諭して曰く、「諸路旱す。或いは執政に関わるか。今ただ大興・宛平の両県雨降らず。その守令の過ちに非ずや」と。司空の襄、平章政事の万公、参知政事の揆、表を上して罪を待つ。上は躬を罪するを以てこれに答え、各々職に還るを命ず。詔して銅杖の式を頒つ。壬子、太廟において雨を祈る。乙卯、軍功賞格を更定す。戊午、司空の襄以下、再び正殿に御し、常膳を復するを請う。従わず。庚申、平章政事の夾穀衡薨ず。宿直将軍の徒単仲華を横賜夏国使とす。
六月丁卯、雨降る。司空の襄以下、再び表を上して正殿に御し、常膳を復するを請う。従う。甲戌、雨足るを以て、有司に命じて太廟において報謝せしむ。丁丑、右補闕の楊庭秀言う、「転対官の外より、復た随朝の八品以上、外路の五品以上及び外路に出使して言うべき有る者をして、並びに移文して検院に聞かしむるを許すべし。然らば時政の得失、民間の利病、周知すべし」と。従う。己卯、雨足るを以て、社稷に報祭す。辛巳、官を遣わして岳瀆に報祀せしむ。癸未、奉職の丑和尚、『浮漏水称影儀簡儀図』を進む。有司に命じて式に依りこれを造らしむ。丁亥、宮中の親戚、公事に非ずして言語を伝達し、諸物を転遞し、及び書簡を出入する者の罪を定む。
七月甲辰、尚薬・儀鸞局の学者の格を更定す。辛亥、宣徽院の官に勅す、天寿節には凡そ致仕の宰執を悉く召して宴に与らしむと。丙辰、久雨を以て、大興府に命じて晴を祈らしむ。
八月己巳、近郊に狩す。壬申、香山に狩す。甲戌、皇嗣未だ立たざるを以て、有司に命じて太廟において祈らしむ。丁丑、近郊に狩す。庚辰、宮に還る。
九月庚寅朔、天寿節、宋・高麗・夏、使者を遣わして来朝賀す。己亥、薊州の秋山に幸す。己未、知東平府事の僕散琦等を賀宋生日使とす。
冬十月丙寅、秋山より至る。壬午、初めて百官の休假を定む。甲申、初めて審官院を置く。
十一月乙未、京・府・州・県に普済院を設け、毎歳十月より明年四月に至るまで粥を設け、以て貧民に食わしむるを勅す。丙申、平章政事の張万公、表を上して致政を乞う。許さず。庚戌、有司に命じて雪を祈らしむ。甲寅、護衛の奉御に改充する格を定む。知済南府事の範楫等を賀宋正旦使とす。
十二月己未、除授の文字、初めて審官院に送る。辛酉、随朝の検・知法の条格を試験することを更定す。右補闕の楊庭秀、太祖・太宗・世宗の三朝の聖訓を類集し、時に観覧するを請う。従い、仍詔して熙宗を増して四朝とす。癸未、科挙法を更定す。国史院に女直・漢人の同修史各一人を増設す。親軍及び承応人の退閑遷賞の格を定む。是の月、淑妃の李氏を進めて元妃に封ず。
五年春正月戊子朔、宋・高麗・夏、使者を遣わして来朝賀す。乙未、尚書省の言うところ、「会試は策論・詞賦・経義を取ること六百人を過ぐべからず。合格者その数に及ばざれば、則ちこれを闕く」を以てす。丙申、春水に幸す。庚子、左右司に命じて五日に一度転じて奏事せしむ。辛丑、点検司に諭す、「車駕の至る所、仍た百姓の市易を許すべし」と。庚戌、猛安謀克の軍前怠慢にして世襲を罷むる制を定む。
二月辛未、春水より至る。辛巳、有司奏す、「応奉翰林文字の温蒂罕天興、その兄の直学士の思齊と同僚として学士院に在り、制誥の文字を定撰す。合うべく乃ち避くべきか」と。詔して避くるを須いず、仍た定制と為す。
閏月癸卯、粟を進納して官を補うの家の弓箭を存留する制を定む。丁未、上、宰臣と相を置くことを論じて曰く、「徒単鎰は朕が志先ず定む。賈鉉は如何」と。皆曰く、「知延安府事の孫即康可なり」と。平章政事の万公も亦曰く、「即康は及第し、鉉より一榜先んず」と。上曰く、「此に至りて安んぞ榜次を問わん。特だ賈の才を用うる可きのみ」と。尚書省奏す、「右補闕の楊庭秀言う、尚書省に命じて及第の左右官一人、史事に入るべき者をして日暦を編次し、或いは一月、或いは一季、封じて史院に送らしむるを乞う」と。上その言を是とし、仍た著作局に送り潤色せしめ、これに付す。
三月庚申、大睦親府、重修の『玉牒』を進む。平章政事の張万公、致政を乞う。許さず。壬戌、有司に命じて雨を祈らしむ。癸亥、雨降る。戸部尚書の孫鐸、大理卿の完顔撒剌、国子司業の蒙括仁本、便殿に召して対す。丙寅、万寧宮に幸す。戊辰、妻亡き服内の婚娶は離を聴するの制を定む。親王・宰執・百官、再び上尊号を請う。許さず。庚午、知大興府事の卜を御史大夫とす。丙子、尚書省奏す、「同知商州事の蒲察西京を擬して済南府判官と為さん」と。上曰く、「宰相豈に止だ人情に徇うべけんや。まさに名爵を重んじ惜しむべし。この人堪えず。朕常にこれを記す。ただ七品を与うるに足る」と。庚辰、上京留守の徒単鎰を平章政事とし、済国公に封ず。辛巳、本国の婚聘礼制を定む。山東東路の旧皇城猛安の名を改めて合裏哥阿鄰と曰う。
四月丙戌朔、文武百官、再び上尊号を請う。許さず。丙午、尚書省、『律義』を進む。
五月乙卯朔、猛安謀克の闘毆殺人で赦に遇い死罪を免ぜられた者の世襲制を廃止することを定む。雨足るを以て、使いを遣わし社稷に報祭す。丁巳、策論進士及び承廕人の弓箭試験の格式を定む。戊午、来たる重五の日に天を拝するに、公裳を服する者の拝礼は仍って旧に従い、諸便服の者は皆女直の拝を用いることを勅す。己未、諸路按察司に、親民官が大杖を以て人を捶く者を糾察せしむることを勅す。乙亥、親王・文武百官・六学各上表して尊号を上ることを請う。許さず。庚辰、地震す。詔して進納官の犯したる者の決断法を定む。
六月乙巳、有司を遣わして晴を祈り、嶽瀆を望祭す。
七月乙卯朔、晴を以て、官を遣わし嶽鎮海瀆を望祭す。癸亥、祖父母の喪中に婚娶したる者の離縁を聴する法を定む。初めて蒲思衍群牧を置く。辛未、平章政事の万公特則に告を賜うこと両月。甲戌、近郊に狩す。
八月壬辰、香山に幸す。乙未、香山より至る。丁未、審官院の奏事に、その院官皆殿上に昇ることを許すことを勅す。戊申、鎮防軍の徒罪を犯して配役する法を更に定む。
冬十月庚寅、秋山より至る。庚子、風霾す。宋使いを遣わして来り哀を告ぐ。辛丑、百官を尚書省に集め、問う:「間者亢旱し、近くは則ち久しく陰る、豈に政に錯謬有りて而して然らしむるか?」各見る所を以て対す。礼部郎中劉公憲を以て高麗生日使と為す。丁未、近郊に狩す。宿直將軍完顔観音奴を以て夏国生日使と為す。
十一月癸丑朔、日食有り。乙卯、国史院編修官呂卿雲を以て左補闕兼応奉翰林文字と為す。審官院資浅を以て奏を駁す、上之に諭して曰く:「明昌の間、卿雲嘗て上書して宮掖の事を言う、辞甚だ切直、皆他人の能く言わざる者、卿輩蓋し知らざるなり。臣下の事を言うに外人に知らしめざるは、乃ち謹密なり、正に顕用すべし、卿宜しく之を悉すべし。」工部尚書烏古論誼等を以て宋弔祭使と為す。初めて品官の闕を過ぐる則ち下制することを定む。己巳、宋復た使いを遣わして来り哀を告ぐ。辛未、殿前右副点検紇石烈忠定を以て賀宋正旦使と為す。
二月壬辰、土茶律を造ることを去く。丁未、春水より至る。
三月乙丑、夏国使いを遣わして来り謝す。壬申、天長観に幸す。癸酉、万寧宮に如く。乙亥、宋使いを遣わして来り報謝す。丁丑、鎮防千戸謀克の老いて入除する格を更に定む。辛巳、官司・私文字に始祖以下の廟諱小字を避くることを勅し、犯す者は律の如く論ず。
夏四月甲辰、契丹人戸に諭し、累ね簽軍を経て功を立てる者は、官賞恩例女直人と同じく、仍って馬を養い・吏と為ることを許すことを詔す。
五月甲寅、臨武殿にて球を撃ち、都民をして縦観せしむ。丙辰、枢密使宗浩罷む。壬戌、玉泉山に幸す。戊寅、尊長罪有りて卑幼追捕する律を削る。直東上閣門劉頍を以て横賜高麗使と為す。
六月己卯、香山に幸す。乙酉、平章政事張万公致仕を乞う。許さず。辛卯、北郊に於て雨を祈る。己亥、尚書省の言を用い、旧制を申明し、猛安謀克戸毎に田四十畝に、桑一畝を樹う。樹木を毀つ者は禁有り、地土を鬻ぐ者は刑有り。其の田多く汚萊し、人戸闕乏するは、並びに臨む所の長吏に坐す。按察司時を以て勅督し、故有りて慢なる者は量りて之を決罰し、仍って牛頭税を三の一減ず。尚書省に風俗奢僭の禁を行わしむることを勅す。乙巳、初めて諸科の征鋪馬・黄河夫・軍須等の銭を、銀一半に折納することを許し、願わくば銭鈔を納るる者を聴す。丁未、有司に蓮花漏を修めしむることを詔す。
七月辛酉、放良人の諸科挙に応ずることを得ざるを禁じ、子孫は禁限に在らず。甲子、刑部官に諭し、凡そ上書人の宰相に言及する者は省に申すことを得ず。乙丑、右選の県令丞簿を注する格を更に定む。己巳、初めて廟諱の同音字を禁ず。
八月庚辰、初めて戸絶(後継ぎのない家)の者の田宅をその女及び女孫に三分の一を給付することを命ず。戊子、特に司空襄に河間府路算注海の世襲猛安を改めて授く。乙未、萬甯宮より至る。丙申、宋、使いを遣わして来たり謝を報ず。壬寅、制す、猛安謀克は並びに按察司に隷せしめ、監察御史は部を按ずるに止まり糾挙し、罪有れば則ち監臨の官を並びに坐す。詔して西京・北京・遼東三路の人戸の物力を推排せしむ。
九月戊申朔、天壽節、宋・高麗・夏、使いを遣わして来たり賀す。贍学養士の法を更めて定む:生員には、民に官田を佃わしめ人六十畝を給し、歳に粟三十石を支ふ;国子生には、人百八畝を給し、歳にその収入をもって給し、官その数を掌る。右宣徽使徒單懷忠等を以て賀宋生日使と為す。甲寅、秋山に如く。丙子、秋山より至る。
冬十月乙酉、太廟に祫祭を享く。戊子、平章政事張萬公、致仕を乞う、許さず。壬辰、御史台奏す:「制に在り、按察司官は任終わりに比し官を遣わして考核し、然る後に尚書省官を命じて覆察せしむ。今監察御史員を添設すること多し、宜しく路を分かち巡行せしめ、毎路女直・漢人各一人同じく往かしむべし。」これに従う、仍て四路に分かつことを敕す。丙申、御史大夫卞、致仕を乞う、許さず。戊戌、武衛軍都指揮使司判官納合鉉を以て高麗生日使と為す。壬寅、有司に敕す:「遺書を購うには宜しくその価を尚び、以て搜訪を広むべし。蔵書の家に珍惜して官に送るを願わざる者有れば、官為に謄写す。畢りて復たこれを還し、仍てその価の半を量りて給す。」甲辰、刑部員外郎完顏綱を以て夏国生日使と為す。
十一月庚戌、司空襄以下文武百官復た上尊号を請う。許さず。辛亥、尚書省に敕す:「凡そ衆を役し民を労するの事は、軽くこれを行うことなかれ。」丁巳、工部に諭して曰く:「比聞く、懐州に橙実を結ぶ有り、官吏検視し、已に嘗て民を擾す。今復た柑を進む、民を重ねて擾すこと無からんや?その所司を誡めよ、遇う有れば則ち進め、無ければ則ち已むべし。」庚申、殿前右衛將軍紇石烈七斤等を以て賀宋正旦使と為す。
十二月辛巳、敕して原廟の春秋祭祀を改め朝献と称す。司空襄以下復た上尊号を請う。詔して允さず、仍て来章を断つ。丁酉、司空襄等『新定律令敕條格式』五十二巻を進む。辛丑、詔してこれを頒行せしむ。壬寅、近郊に猟す。乙巳、初めて廉能官の升注の格を定む。
二月戊戌、初めて内侍寄祿官を置く。乙巳、宮に還る。
三月甲寅、初めて宮苑司都監・同監各一人を置く。甲子、蔡王従彝の母充(太師の夫人)卒す、詔して有司に喪礼葬儀を定めしむ、事は『従彝伝』に載す。
四月庚辰、升国長公主の第に幸して疾を問う。己亥、三品官を遷す格を定む。撲買河濼の法を復す。辛丑、御史台に諭し、諸台に事を訴うるは、当に実を以て上聞すべく、輒ち察知すと称することを得ず。癸卯、萬甯宮に如く。有司に命じて雨を祈らしむ。
五月甲辰朔、日食有り。戊申、泰和宮に如く。辛亥、初めて新を太廟に薦む。壬戌、有司に諭して曰く:「金井捺缽は二三日を過ぎて留まること無し、朕の止まる所は、一涼廈足る。若し修治を加うれば、徒らに人力を費やす。その籓籥不急の処は、囲幕を用うるべし。」甲子、泰和宮を改めて慶寧と曰い、長楽川を雲龍と曰う。己巳、御史台に敕す、京師にて廟を拝し及び巡幸の過ぐる所の州県は、止だ灑掃を令し、黄土を以て道を覆うことを得ず、違う者はこれを糾せ。
六月辛卯、尚書省に諭し、諸路の禾稼及び雨の多寡を、州郡をして以て聞かしむ。
七月辛亥、有司奏して還宮の日に黄麾仗を用いんことを請う。許さず。乙卯、衍慶宮に朝献す。
八月丙申、鳳凰磁州武安県鼓山の石聖台に見ゆ。丁酉、宮に還る。皇太子生まる。
九月壬寅朔、天壽節、宋・高麗・夏、使いを遣わして来たり賀す。甲寅、拱衛直都指揮使完顏瑭等を以て賀宋生日使と為し、且つこれを戒めて曰く:「両国和好久し、細故を争い、大體を傷つくるに宜しからず。」癸亥、皇子生まるを以て、親しく南北郊に謝す。庚午、皇子を封じて葛王と為す。
冬十月戊寅、太廟及び山陵に報謝す。甲申、鳳凰見ゆるを以て、中外に詔す。丙戌、近郊に猟す。壬辰、尚輦局副使李仲元を遣わして高麗国生日使と為す。宿直將軍紇石烈毅を以て夏国生日使と為し、瀛王府司馬獨吉溫を横賜使と為す。
十一月甲辰、徳運を改めて土と定め、臘祭に辰を用いる。西京留守の宗浩を枢密使とする。戊申、徳運を改定したことを以て、内外に詔す。庚申、初めて外官の三品が着任の際に表を進めて謝称することを命ず。甲子、玉虚観に幸し、使者を遣わして太清宮に報謝す。
十二月癸酉、皇子の誕生日を以て、僧道の戒牒三千を放つ。武安軍節度使の徒単公弼らを賀宋正旦使とする。戊寅、冬の狩猟を行う。庚辰、高禖に報謝す。丁酉、都に還る。
閏月庚戌、司空の襄薨去す。癸丑、初めて監察御史は特旨なければ官を挙げることを許さざることを命ず。辛酉、使者を遣わして北嶽に報謝す。人戸の物力に随時推収する法を定む。丁卯、使者を遣わして長白山に報謝す。冬、雪なし。
二月癸丑、宮に還る。甲子、諸職官の省親・墓参の給假例を定む。
三月壬申、平章政事の張萬公致仕す。庚辰、萬甯宮に行幸す。丁亥、従人の銅牌売毀の罪賞制を定む。庚寅、職官で三品格に遷るべき者、刺史以上及び随朝の資歴が刺史以上で身故した者を、半年毎に一度敷奏することを定む。甲午、玉泉山に行幸す。丙申、殿前都点検の僕散端を御史大夫とする。
四月乙巳、太廟にて禘祭を行う。点検司に敕す:「致仕官が宮に入るに当たり、年高くして歩行困難なる者は、皆杖を執ることを聴し、なお舎人に護衛させてこれを扶けしめよ。」丁巳、有司に雨を祈らしめ、なお土龍法を頒つ。己未、吏部侍郎の李炳・国子司業の蒙括仁本・知登聞検院の喬宇らに命じ、再び『儀礼』を詳定せしむ。庚申、省司に諭す:「宮中で用いる物は、民間にて得難きものは、強いてこれを市すべからず。」癸亥、尚書省奏す、官を遣わし各路に分かれて御史の察したる事を覆実せしむ。
五月壬申、重五を以て天を拝し、柳を射り、上三発三中す。四品以上の官、魚藻殿に侍宴す。天気方暑きを以て、甲を着たる兵士にこれを解かしむ。丙戌、律令を定め、土徳を正し、鳳凰来たり、皇嗣建つを以て、大赦を行う。辛卯、皇子の葛王薨去す。壬辰、宮門の鎖鑰を擅に増減する罪を定む。丙申、太極宮を造営す。
六月己亥、太白昼見す。壬寅、詔して聰明方正の士を選び修起居注とす。また点検司に詰め、諸親軍の設けたる教授及び授業人の数、その教うる所の法、大義を通ずる者幾人なるかを、各具して以て聞かしむ。戊申、職官の追贈法を定め、惟だ嘗て贓罪を犯したる者は追贈の列に在らざる。壬戌、官を遣わし中都の田禾の雨沢分数を行視せしむ。
七月壬申、衍慶宮に朝献す。乙亥、大臣薨去の際の百官奉慰の礼を定む。庚辰、近郊にて狩猟す。丁亥、上宰臣に諭す:「凡そ事を奏するに、朕は徐に思わんと欲するか、或いは己の如きものあらん。若し除授の事は、三五日を俟ちて再奏すべし。その余は並びに二十日にこれを奏せよ。」
八月丙辰、宮に還る。庚申、編修官の左容に命じて宮教を充てしめ、銀・幣を賜う。
九月丙寅朔、天寿節、宋・高麗・夏より使者を遣わして来賀す。壬申、刑部尚書の承暉らを賀宋生日使とする。戊子、萬甯宮提挙司を工部に隷属せしむ。壬辰、詔して千戸謀克が随処の捕盗官の公移を受け、盗急なるに、直ちに衆を以てこれに応ぜざる者の罪等差あるを定む。右丞相の宗浩を召し還朝せしむ。
冬十月戊戌、日将暮れて、赭の如く赤し。己亥、大風。甲辰、申・酉の間天大いに赤く、夜将だ明けんとする時もまたかくの如し。壬子、右丞の僕散揆、北辺より至る。丙辰、香閣に召してこれを慰労す。尚食局使の師孝を高麗生日使とする。庚申、尚書左丞の完顔匡ら『世宗実録』を進む。上座を降り、立ってこれを受く。壬戌、薊州刺史の完顔太平を夏国生日使とする。奉御の完顔阿魯帶、宋に使いして還り、宋の権臣韓侂冑が馬を市い兵を厲し、将に北侵を謀らんとすとを言う。上怒り、事を生ずと為し、これを笞き五十、出して彰徳府判官とす。及びび淮平陥落して、乃ちこれを擢て安国軍節度副使とす。丁卯、尚書省に諭す:「士庶の陳言は皆その所司に従いて以て聞かしむ。今より後は悉く闕に詣らしめ、量りて食直を与え、なお官居を給せよ。その言切直にして及び利害重きに係る者は、並びに三日の内に奏聞せよ。」
十二月庚子、宰臣に諭して曰く:「賀正の宋使将に至らんとす。監察をしてこれに随わしめ、以て常と為すべし。」壬寅、都に還る。己酉、天長観の額を賜いて太極宮と為す。辛亥、詔して諸親王・公主は毎歳寒食・十月朔に興・裕の二陵を朝謁することを聴し、忌辰もまたかくの如し。癸丑、詔して監察御史を遣わし分かれて諸路を按察せしむ。遣わす者が女直人なれば、即ち漢人の朝臣を以て偕にせしめ、遣わす者が漢人なれば、即ち女直の朝臣を以て偕にせしむ。戊午、行宮の名を光春と曰い、その朝殿を蘭皋と曰い、寝殿を輝寧と曰うことを敕す。