四年春正月己巳の朔、皇太后の喪により、朝賀を受けず。辛未、平章政事夾穀清臣を尚書右丞相とし、國史を監修せしむ。丁丑、戶部侍郎李獻可等を遣わし、諸路に分かれて農事を勧めしむ。癸未、尚書省が大興府推官蘇德秀を禮部主事に任ずることを奏す。上曰く、「朕は既に卿に語りしことあり、百官は当に其の職に久しく在らしむべし。彼は方に理官を任じ、また戸曹に改め、尋いでまた禮部を除す。人材は豈に兼ねる能わんや。若し其の職に久しく在らば、但だ中材も新人に勝り、事既に経練すれば、亦必ず済う有らん。後に軽々しく改除すべからず。」上また言う、「凡そ政に異跡有りと称するは、其の事を断ずるに軼才有るを謂うなり。若し只だ清廉なるのみならば、此れ乃ち本分なり。貪汙の者多きを以て、故に其の異を顕わすのみ。宰臣また言う、『近く事を言う者は謂う、方今孝弟廉恥の道缺くると。風俗を正さんことを乞う。』此れ蓋し官吏能く教化を奉宣せざるに由るなり。今の官吏を察挙する者は、多く近効を責め、幹辦を以て上と為し、其の心を秉ねて寛厚にし、徳化を行わんと欲する者有れば、輒ち之を迂闊と謂う。故に人々皆教化を以て余事と為し、此れ孝弟の廃るる所以なり。若し所司に諭し、官吏に能く務めて徳化を行う者有れば、擢げて之を用いば、則ち教化行わる可く、孝弟興る可し。今の察挙する所は、皆先ず才にして後に徳なり。巧猾の徒は、髒汙有りと雖も、一旦用いられ見れば、猶お能吏と為す。此れ廉恥の喪わる所以なり。若し所司に諭し、官吏を察挙するに、必ず真偽を審らかにし、才有りて行い無き者をして覬覦せしめず、道に非ざるを以て進まんと求むる者に糾劾を加えば、則ち奔兢の俗息み、而して廉恥興る可し。」辛卯、河北諸路の水災を被る者を賑う。癸巳、點檢司に諭す、「行宮の外地及び圍獵の処は悉く民に耕さしむ。禁地と雖も、民の農器を持ち出入りするを聴す。」丙申、東京路副使王勝、鷹を進む。之に諭して遣わし曰く、「汝の職は軽からず。民間の利害、官吏の邪正、略くも具に聞かず、而して乃ち鷹を以て進む。此れ豈に汝の職とする所ならんや。後復た爾る毋れ。」
二月戊戌の朔、春水に如く。始めて春・秋二仲月の上戊の日に社稷を祭る。癸丑、姚村澱に獵す。癸亥、春水より至る。丙寅、參知政事張萬公罷む。
三月戊辰の朔、諸部提刑司入見す。各職事を以て問い、仍ち誡諭して曰く、「朕は特ち提刑司を設く。本より民を安んぜんと欲す。今に至るまで五年、効猶お未だ著わさず。蓋し多く本職の体を識らず、而して徒らに細碎を事とし、以て州縣例皆畏宿して敢えて事を行わざらしむ。乃ち者、山東の民食に艱し。嘗て使を遣わして賑済せしむ。蓋し卿等職を尽さざる故に、此れに至る。既往の失、其れ悛改を思え。」庚午、上将に景明宮に幸せんとす。御史中丞董師中等上書切諫す。報えず。壬申、章再び上る。補闕許安仁、拾遺路鐸皆諫す。乃ち止む。民の角牴、槍棒を習う罪を制定す。工部尚書胥持國を以て參知政事と為す。丙子、特ち有司の孔端甫に及第を賜い、小學教授を授く。尋いで年老いたるを以て、主簿の半俸を食ませて致仕せしむ。甲申、香山永安寺及び玉泉山に幸す。甲午、配享功臣を定む。勅す、自今より御史台の奏事するに、修起居注並びに回避せしむ。
夏四月丁酉の朔、興陵崇妃第に幸す。是の日、始めて楽を挙ぐ。己亥より癸卯に至るまで、百官三たび表を上りて尊号を上ることを請う。上曰く、「祖宗古先に尊号を受くる者有り。蓋し其の徳有る故に、其の名有り。比年五穀登らず、百姓流離す。正に戒懼修身の日なるに、豈に虚しく栄名を受くべけんや。」許さず。仍ち来章を断つ。戊申、親しく太廟に禘す。庚戌、萬甯宮に如く。辛亥、右丞相清臣、百官及び耋艾等を率いて復た尊号を上ることを請う。学官劉璣も亦た六学の諸生趙楷等七百九十五人を率いて紫宸門に詣り、尊号を上ることを請う。唐の元和の故事の如く。許さず。丁巳、河州の饑を賑う。勅す、女直進士及第の後、仍ち騎射を以て試み、中選する者は之を升擢す。乙丑、尚廄の食谷馬を減ず。
五月丙寅の朔、曹王永升及び諸王、尊号を上ることを請う。許さず。尚廄局使石抹貞を以て横賜夏国使と為す。己巳、上、群臣の累ねて尊号を上るも受けざるを以て、詔して中外に諭す。徒罪以下は一等を遞降し、杖以下は之を原う。甲戌、近郊に於いて稼を観る。辛巳、左司に諭す、「遍く諸路に諭し、月に雨澤田禾の分数を具して以て聞かしむ。」癸未、久雨を以て、鋋す。
六月癸丑、有司の挙ぐる所の德行才能の士、安州の崔秉仁、袞州の翟駒、錦州の齊文乙、大名の孫可久、陳信仁、應州の董戣に並びに同進士出身を賜う。丙辰、晴を以て、嶽鎮海瀆に致祭す。壬戌、尚書右丞相夾谷清臣、戴国公に進封ぜらる。西京留守完顏守貞を平章政事と為し、蕭国公に封ず。尚書右丞劉瑋薨ず。
秋七月辛巳、南京路提刑司、許州より南京に遷りて治む。己丑、制す、三品以上の官に故ある者、若し親・賢・勳・舊ならば、尚書省即ち聞奏し、追贈を加うるを議す。命す、銀を以て「礼信之宝」を改めて鋳し、仍ち金を以て塗らしむ。同判大睦親府事襄を以て樞密使と為す。御史中丞董師中等を以て賀宋生日使と為す。
八月己亥、樞密使襄、百僚を帥いて再び尊号を上ることを請う。許さず。是の日、歳星・太白昼に見ゆ。庚子、大赦す。甲辰、萬甯宮より至る。丁未、孔子廟に釈奠し、北面して再拝す。辛亥、國史院『世宗実録』を進む。上袍帯を服し、仁政殿に禦し、座を降り、立って之を受く。
九月甲子の朔、天寿節、大安殿に禦し、親王百官及び宋・高麗・夏の使の朝賀を受く。戊辰、參知政事來谷衡を以て尚書右丞と為し、戶部尚書馬琪を參知政事と為す。尚書省に勅す、「大定二十九年以後の土庶の言事、或いは国家或いは邊關の大利害に係り已に施行する者は、特ち一官を補す可し。官民に益有る者は、量りて賞を与う。」西上閣門使大枿を以て夏国生日使と為す。庚午、山陵に如く。奉先県に次す。辛未、県の西に於いて天を拝す。壬申、諸陵に致奠す。癸酉、秋山に如く。
十一月庚午、右丞相清臣、參知政事持国、表を上りて閑を丐う。優詔して許さず。戊寅、翰林直学士完顏匡等を以て賀宋正旦使と為す。命す、匡に権りて名を易えて弼と為さしむ。以て宋の諱を避けしむ。壬午、木冰す。丙戌、詔す、諸職官、贓汙不職を以て罪せられ、廉能を以て升を獲る者は、諸路・京・府・州・県に随って其の姓名を列し、之を公署に掲げ、以て勧懲を示す。庚寅、夏国嗣子李純佑、使を遣わし来りて訃告す。
十二月甲午朔(一日)、夏国の李純佑が使者を遣わし、故王仁孝の遺表を奉じて進上した。大興府に諭して暖湯院において日々に米五石を給し、以て貧者を贍わしむ。戊戌(五日)、定武軍節度使鄭王永蹈、謀反を以て誅せらる。己亥(六日)、有司に諭し、鄭王の財産を以て諸王に分賜し、澤國公主の財物を以て諸公主に分賜す。甲辰(十一日)、諸王府に司馬一人を増置す。紇石烈珵を以て高麗生日使と為し、西上閣門使大枿等を以て夏國敕祭慰問使と為す。庚戌(十七日)、尚書省、科目近く多く人を得たりとし、是の挙に進士の取るを増すを乞う。上然り之、有司に詔して「会試は人数を限る毋れ」とす。甲寅(二十一日)、長白山の神を冊して開天弘聖帝と為す。丙辰(二十三日)、近郊に猟す。是歳、大いに年有り。邢・洺・深・冀及び河北西路十六謀克の地、野蠶繭を成す。
五年春正月癸朔(一日)、宋・高麗・夏、使者を遣わして来賀す。乙丑(三日)、昭容李氏、位を進めて淑妃と為す。己巳(七日)、初めて唐・宋の典禮を用い、皇后の忌辰は皆務を廃す。尚書省、区田法を進む。詔して其の地の宜しきを相て、務めて民の便に従わしむ。又、官を遣わして農を劭ますの擾を言う。提刑司に命じて之を禁止せしむ。乙亥(十三日)、葉魯・穀神の始めて女直字を制すを以て、詔して封贈を加え、倉頡の盩厔に廟を立つる例に依り、上京納裏渾莊に祠す。歳時に致祭し、其の子孫に拝奠せしめ、本路の官一人及び本千戶に春秋二祭せしむ。辛巳(十九日)、前中都路都轉運使王寂、三挙終場の人蔡州の文商を薦めて経明行修、顧問に備うるに足るとす。前河北西路轉運使李揚、慶陽府の進士李獎を言うに純德博学、郷曲之を誉むと。絳州の李天祺・応州の康晉侯、屡廷試に赴き、皆才徳有りと。上曰く「文商は召すべし。李獎には主簿の半俸を終身に給し、余は同進士出身を賜え」と。国子祭酒劉璣を遣わし、李純佑を冊して夏国王と為す。丁亥(二十五日)、城南の別宮に幸す。
二月丁酉(六日)、初めて長吏の課を勧むる能否の賞格を定む。尚書省奏す「礼官言う、孝懿皇太后の祥除已久しく、宜しく隆慶宮を易えて東宮と為し、慈訓殿を承華殿と為すべし」と。之に従う。詔して『崇文総目』内の闕く所の書籍を購求す。戊戌(七日)、社稷を祭る。宣献皇后の忌辰を以て、熙寧の祀儀を用い、楽縣して作さず。甲辰(十三日)、鄆王琮薨ず。己酉(十八日)、宰臣、北辺の屯駐軍馬を罷むるを請う。允さず。癸丑(二十二日)、斉河県の民張涓・済陽県の王琛・河州の李錡、義に急き施しを好むを以て、詔して之を終身に復し、仍令に著す。宣徽使移剌敏・戸部主事赤盞実理哥に命じ、北辺の営屯を相視し、長久之計を経画せしむ。
三月壬申(十一日)、初めて銭を限るの禁を定む。庚辰(十九日)、初めて日月風雨雷師の常祀を定む。戊子(二十七日)、弘文院を置き、経書を訳写す。
夏四月壬辰朔(一日)、北苑に幸す。庚子(九日)、詔して諸路の挙ぐる所の德行才能の士、涿州の時琦・雲中の劉摯・鄭州の李升・恩州の傅礪・済南の趙摯・興中の田扈方の六人、並びに特に同進士出身を賜う。文商を以て国子教授と為し、特に登仕郎に遷す。己酉(十八日)、詔して今より筐櫝床榻の飾りを金玉を以てする毋れ。壬子(二十一日)、特に翰林待制溫蒂罕迪に翰林学士承旨・中奉大夫を賜う。乙卯(二十四日)、景明宮に幸す。董師中・賈守謙・路鐸、先後凡そ両度封事を上り切諫す。報えず。
五月庚午(十日)、烏十撒八に次る。戊子(二十八日)、桓・撫二州旱す。使者を遣わし縉山に祷る。
六月壬辰(二日)、冰井に如く。己亥(九日)、出猟す。胡土白山に登る。酒を酹ぎ再拝す。曹王永升以下酒を進む。丙午(十六日)、天を拝し、曲赦して西北路す。己未(二十九日)、查沙秋山に如く。是月、宋の前主甗殂す。
七月戊辰(八日)、豁赤火に猟す。一発にして双鹿を貫く。是日、鹿二百二十二を獲、扈従の官に差有りて賜う。辛巳(二十一日)、魯溫合失不に次る。是日、上親ら射、黄羊四百七十一を獲る。乙酉(二十五日)、冰井に次る。丙戌(二十六日)、天寿節を以て、樞光殿に宴す。凡そ従官及び承応人覃恩に遇い秩を遷す者、並びに殿前に於て宣敕を受く。時に久雨初めて霽る。龍有りて殿前の雲間に尾を曳く。戊子(二十八日)、御膳の羹中に髪有り。上挙げて視て之を棄て、左右に戒めて宣言する毋れとす。
八月辛亥(二十二日)、景明宮より至る。壬子(二十三日)、河、陽武の故堤決し、封丘を灌ぎて東す。丁巳(二十八日)、幸に従い山后せし親軍に銀・絹を差有りて賜う。
九月戊午朔(一日)、天寿節、宋・高麗・夏、使者を遣わして来賀す。壬戌(五日)、捕盗官の殺さるる所の賻銭及び官賞格を増定せしむるを命ず。甲子(七日)、都水監官王汝嘉等、河決に坐し、各官二階を削り、杖七十、之を罷む。乙丑(八日)、上睿思殿に御し、諸路の提刑使入見す。戊辰(十一日)、初めて民に随処の金・銀・銅冶を買撲せしむ。参知政事馬琪に命じ往きて河決を視せしめ、仍便宜に事を従うるを許す。壬申(十五日)、宋主、使者を遣わし来りて哀を告ぐ。戊寅(二十一日)、知大興府事尼厖古等を以て宋国弔祭使と為す。尚書省に勅し、百官を集めて備辺の事を議わしむ。壬午(二十五日)、特に恩を推し東宮の旧人司経王伯温等八人の官に差有りて賜う。甲申(二十七日)、上京等九路並びに諸抹及び糺等の処に命じ、軍三万を選び、来春の調発を俟ち、仍諸路並びに北阻棨に命じ、六年の夏を以て兵を臨潢に会わしむ。
冬十月庚寅(三日)、右丞相夾谷清臣等、表を上りて尊号を上るを請う。允さず。宋、使者を遺わし遣留物を献ず。壬寅(十五日)、右丞相清臣、復た尊号を上るを請う。国子祭酒劉璣も亦た六学の諸生を率い表を上りて陳請す。允さず。戸部員外郎何格を遣わし、河決に被災せる人戸を賑す。庚戌(二十三日)、張汝弼の妻高陀斡、謀逆を以て誅せらる。壬子(二十五日)、尚書省奏す。提刑司の察する所の廉官南皮県令史肅以下十二人を升す。而して大興主簿蒙括蛮都も亦た選中に在り。上其の人を知りて曰く「蛮都は澆浮の人なり。之を升す可きか。其の澆浮を任するに与ぶるは、孰れか淳厚を用うるに若かん。況んや蛮都は常才なり。才智人に過ぐるも猶お当に用うべからず。風俗を敗るを恐る。況んや常才をや。其れ再び之を察せよ」と。
閏月戊午朔、宋主は使者を遣わし即位を報ず。甲子、親王・百官各々表を奉り尊号を上ることを請う、許さず。丙寅、代国公歡都等五人を以て祖廟廷に配享す。甲戌、河東南・北提刑使王啓等を以て賀宋主即位使と為す。乙亥、近郊に猟す。戊寅、上輔臣に問うて曰く、「孔子廟諸処は如何。」平章政事守貞曰く、「諸県見議建立す。」上因りて曰く、「僧徒は宇像を修飾すること甚だ厳なり、道流はこれに次ぎ、惟だ儒者は孔子廟に於いて最も滅裂なり。」守貞曰く、「儒者は長く学校に居する能わず、僧道の久しく寺観に処するが若くは非ざるなり。」上曰く、「僧道は仏・老を以て利を営む、故に務めて荘厳閎侈に在り、人を起こして施利自ずから多し、以て観美と為す所以なり。」庚辰、参知政事馬琪行省より回り、具に河防の利害を奏す、語は『琪伝』に載す。丙戌、翰林待制奥屯忠孝を以て権戸部侍郎と為し、太府少監温昉を以て権工部侍郎と為し、戸・工部事を行い、河防を修治せしむ。引進使完顔衷を以て夏国生日使と為す。
十一月癸巳、詔して紫荊嶺の護りし所の囲場を罷む。庚子、右宣徽使移剌敏等を以て賀宋正旦使と為す。癸丑、太白昼に見ゆ。
十二月辛酉、平章政事完顔守貞罷む。知大興府事尼厖古鑑を以て参知政事と為し、戸中郎中李敬義を以て賜高麗生日使と為す。丁卯、黄河水災に被れる今年の秋税を免ず。辛巳、勅して修内司の備営造軍千人、都城所五百人を減ず。癸未、勅して尚書省に、自今より霊芝嘉禾を献ずる者を賞す。
六年春正月丁亥朔、宋・高麗・夏の使の朝賀を受く。庚寅、太白昼に見ゆ。辛卯、勅して有司に天水郡公の家属の田宅を給せしむ。壬辰、春水に如く。庚戌、陝西の括地を罷む。辛亥、胥持国に諭し、河上の役夫聚居し、恐らくは疾疫を生ぜん、医を廩して護視すべし。乙卯、禦林に次ぐ。
二月丁巳朔、勅して有司に、「行宮の側及び猟所に農する者有らば禁ずる勿れ。」己未、始めて高禖を祭る。庚午、春水より至る。丁丑、京師地震す。大雨雹、昼晦し、応天門右の鴟尾を震す。癸未、宋使いを遣わし来たり報謝す。
三月丙戌朔、日食有り。甲午、翰林直学士孛朮魯子元を以て右司諫を兼ね、監察御史田仲礼を左拾遺と為し、翰林修撰僕散訛可を以て右拾遺を兼ね、之に諭して曰く、「国家諫官を設置するは、虚名を取るに非ず、蓋し実効を責む、庶幾くは裨益する所有らん。卿等皆朝廷の選擢、之を諫職に置く、国家の利害・官吏の邪正の如きは、極言して隠すこと無かれ。近く路鐸左遷せしは、本より他罪を以てす、卿等責めらるるを以て、遂に畏縮して言わざる勿れ、其れ心を悉くし力を戮し、黙するを得ざれ。」丙申、万寧宮に如く。戊戌、北辺の糧運を以て、群牧所・三招討司の猛安謀克・随糺及び迭剌・唐古部の諸抹・西京・太原の官民の駝五千を括みて之に充つ、惟だ民の駝を以て載するを業と為す者は括む勿れ。銀五十万両・銭二十三万六千九百貫を以て支給に備う。銀五万両・金盂二千八百両・金牌百両・銀盂八千両・絹五万匹・雑彩千端・衣四百四十六襲を以て賞労に備う。庚子、郡挙の才行の士翟介然以下三人に特賜して進士及第と為し、李貞固以下十五人を同進士出身と為す。
夏四月癸亥、勅して有司に、「曲阜宣聖廟を増修するの工畢るを以て、衍聖公以下に三献の法服及び登歌楽一部を賜い、仍て太常の旧工を遣わし往きて孔氏の子弟を教え、以て祭礼に備えしむ。」甲子、尚書左丞烏林答願を以て平章政事と為し、右丞夾谷衡を尚書左丞と為す。丙子、玉泉山に幸す。戊寅、河防を修するの工畢るを以て、参知政事胥持国官二階を進め、翰林待制奥屯忠孝以下三十六人各一階、獲嘉令王維翰以下五十六人各銀弊を賜うこと差有り。庚辰、尚書右丞相来谷清臣を以て左丞相と為し、国史を監修し、密国公に封ず。枢密使襄を尚書右丞相と為し、任国公に封ず。参知政事胥持国を尚書右丞と為す。壬午、宰臣に手詔を賜い、風俗淳ならず、官吏苟且なるを以て、之を責む。
五月丙戌、命じて万寧宮の陳設九十四所を減ぜしむ。辛卯、出師を以て、礼部尚書張暐を遣わし廟社に告げしむ。乙未、判平陽府事鎬王永中罪を以て死を賜い、並びに二子に及ぶ。丁酉、中外に詔す。乙巳、諸路の猛安謀克に農隙に武を講ぜしめ、本路の提刑司其の惰なる者を察して之を罰せしむ。庚戌、左丞相来谷清臣に命じて臨潢府に行省せしむ。
六月丙辰、右諫議大夫賈守謙・右拾遺僕散訛可鎬王永中の事に坐し奏対実ならず、官二階を削ぎ、之を罷む。御史中丞孫即康、右補闕蒙括胡剌・右拾遺田仲礼各金二十斤を罰す。丙寅、枢密副使唐括貢を以て枢密使と為す。久雨を以て、鋋す。庚辰、太白天を経る。辛巳、左丞相清臣使いを遣わし来たり捷を献ず。
七月丙申、曹王永升の第に幸す。甲辰、始めて文武官六貫石以上・承応人並びに廕に及ぶ者・若しくは籍に在る儒生の章服の制を定む。
九月壬午朔、天寿節、宋・高麗・夏使いを遣わし来たり賀す。甲申、静寧山神を冊して鎮安公と為し、忽土白山神を瑞聖公と為す。丙戌、知河間府事移剌仲方を御史大夫と為す。辛卯、秋山に如く。尚書左司郎中粘割胡上を以て夏国生日使と為す。
冬十月丙辰、秋山より至る。丁巳、歳に春水・秋山に幸するを以て、五日に一たび起居表を進む、自今より十日に一たび進むべし。乙亥、尚書左丞来谷衡に命じて撫州に行省せしめ、親軍・武衛軍各五百人を選びて以て従わしめ、仍て銭五千万を給す。
十一月戊子、左丞相夾谷清臣罷む、右丞相襄代わりに行省事を領す。丙申、刑部尚書紇石烈貞等を以て賀宋正旦使と為す。壬寅、初めて猛安謀克鎮辺後放免者の官を授くるの格を定む。射糧軍を禁じ、応役但だ隊伍を成す、兵器及び凡そ人を傷つくるを得る者を持つことを得ず。甲辰、望雲に於いて敵を敗るを報ず。乙巳、枢密使唐括貢・御史大夫移剌仲方・礼部尚書張暐等二十三人を以て計議官と充て、凡そ軍事は則ち之を議ましむ。戊申、初めて県官の水田を増すの升除の制を定む。
十二月乙卯、詔して北辺の軍民を招撫せしむ。知登聞檢院賈益を以て高麗生日使と為し、戸部員外郎納蘭昉を横賜使と為す。戊午、禮部尚書張暐等『大金儀禮』を進む。丁卯、応奉翰林文字趙秉文上書して奸欺を論ず。乙亥、詔して五鎮四瀆に王爵を加う。庚辰、上後園に幸して軍器を閲す。是の月、右丞相襄、駙馬都尉僕散揆等を率いて大塩濼に進軍し、兵を分かち諸営を攻め取る。
二月甲子、有司に命じて高禖を祀らしむること新儀の如くす。丁卯、右丞相襄・左丞衡、軍前より至る。己巳、復た命して軍に還らしむ。都南行宮の春水に幸す。甲戌、行宮より至る。是の月、初めて虎符を造り兵を発す。
三月丁酉、万寧宮に如く。雨降らず、官を遣わし北郊にて嶽鎮海瀆を望祭せしむ。癸卯、尚書省に勅す「刑獄は既に奏行すと雖も、其の間に疑枉有るを恐る。再び議して以て聞かしめよ。人命至重なり、慎まざるべからず」と。甲辰、参知政事尼厖古鑒を遣わし社稷に雨を祈らしむ。丁未、復た使を遣わし就て東嶽に雨を祈らしむ。
夏四月辛亥、尚書右丞胥持国に命じ太廟に雨を祈らしむ。壬子、使を遣わし冤獄を審決せしむ。京城に傘扇を禁ず。戊午、初めて区種法を行い、民十五以上六十以下にして土田有る者は、丁ごとに一畝を種わしむ。乙丑、御史大夫移剌仲方に命じ社稷に雨を祈らしむ。壬申、参知政事馬琪に命じ太廟に雨を祈らしむ。甲戌、尚書省、趙承元の言に依り、孝懿皇太后の冊宝を追い上ぐることを請うて、然る後諡冊の礼を行わんとす。礼官、皇太后を尊ぶは既に詔して中外に示す、追冊の礼無しと執奏す。之に従う。戊寅、上、久しく雨降らざるを以て、礼部尚書張暐に命じ北嶽に祈らしむ。己卯、官を遣わし北郊にて嶽鎮海瀆を望祭せしむ。
五月庚辰朔、近郊にて稼を観、因って区田を閲す。乙酉、久旱を以て、市を徙す。庚寅、詔して市を復すこと常の如くせしむ。壬辰、尚薬局副使粘割忠を以て横賜夏国使と為す。乙未、参知政事尼厖古鑒薨ず。庚子、雨足る。
六月甲寅、上、百姓の食艱きを以て、詔して倉粟十万石を出だし価を減じて以て之を糶かしむ。乙丑、平晋県民利通の家の蚕自ら綿段を成す、長さ七尺一寸五分、闊さ四尺九寸、詔して絹十匹を賜う。丁卯、勅す、今より長老・大師・大德は年甲を限らず、長老・大師は弟子三人を度することを許し、大德は二人、戒僧年四十以上の者は一人を度す。其の大定十五年附籍の沙弥年六十以上の者は並びに戒せしめ、仍て弟子を度することを許さず。尼・道士・女冠も亦之の如し。御史大夫移剌仲方罷む。庚午、環秀亭に幸して稼を観る。癸酉、詔す、軍器を禁ずべき路分に応じ、歩弓手は射糧軍内に於いて之を選ぶことを擬し、馬弓手は猛安謀克軍戸余丁内に於いて之を選ぶことを擬す。其れ百姓を害する有るは、本州県に従い断遣せしむ。猛安戸無きは、二百里内に屯駐する軍余丁内に於いて之を取り、歩弓手に依り月に二貫石を給す。
七月庚辰、紫宸殿に御し、諸王・百官の賀を受け、諸王・宰執に酒を賜う。有司に勅す「酒一万尊を以て通衢に置き、民に賜いて縦飲せしむ」と。乙酉、勅す、今後高麗・夏使の入見数奏に、新設の各国通事に公服を具えしめ閣門使とともに上殿監聴せしむ。有司に命じ西北路陣亡の骸骨を収瘞せしむ。
八月己酉、近郊にて猟す。癸丑、玉泉山に幸す。甲子、郊祀の日期を以て中外に詔す。戊辰、万寧宮より至る。陝西西北路転運使董師中を以て御史大夫と為す。癸酉、左丞衡、父憂に丁す。
九月丁丑朔、天寿節、宋・高麗・夏使を遣わし来たり賀す。天長観に幸す。辛巳、右丞相襄を以て左丞相と為し、国史を監修し、常山郡王に封ず。壬午、襄に酒百尊を賜う。太白昼見す。癸未、都人酒三千一百瓶を進む、詔して以て北辺の軍吏に賜う。吏部尚書張嗣等を以て賀宋生日使と為す。癸巳、左丞衡起復す。丁酉、知大興府卜・同知郭鑄、宰臣を擅に逮問するを以て、各々笞四十。辛丑、西南路招討使僕散揆、軍より至る。乙巳、国子監丞烏古論達吉不を以て夏国生日使と為す。
冬十月丙午朔、詔して親軍八百人を選び撫州に戍らしむ。庚戌、左丞相襄に命じ北京に行省せしめ、簽書枢密院事完顔匡に命じ撫州に行院せしむ。丙辰、太廟に於いて祫享す。
十一月戊子、参知政事馬琪罷む。庚寅、特満群牧の契丹陀鎖・徳寿反す、泰州軍之を撃敗す。御史大夫董師中・北京留守裔並びに参知政事と為す。甲午、陝西路統軍使崇道等を以て賀宋正旦使と為す。丁酉、太廟に於いて朝享す。戊戌、南郊に於いて事有り、大赦し、元を改む。己亥、曹王永升、親王・百官を率いて賀す。癸卯、有司に命じ雪を祈らしめ、仍て官を遣わし東嶽に祈らしむ。
十二月丙午、枢密使唐括貢、百官を率いて上尊号を請う、允さず。乙酉、提点太醫近侍局使李仁惠を遣わし北辺の将士を労賜し、官を授くる者一万一千人、賞を授くる者幾二万人、凡そ銀二十万両、絹五万匹、銭三十二貫を用う。庚戌、同知登聞檢院阿不罕徳剛を以て高麗国生日使と為す。壬子、枢密使唐括貢、復た百官を率いて上尊号を請う、允さず。
二月丁巳、勅す、今より職官贓を犯す者は、一官を削るごとに一年を殿す。是の日、太白昼見し、天を経る。是の月、特命して衍聖公孔元措の襲封を世襲し兼ねて曲阜令と為す。
三月己卯、親王・百官が再び尊号奉上を請うたが、許さなかった。壬午、尚書戸部侍郎の温昉に金符を佩かせ、撫州において六部尚書を行わせた。庚寅、西園に行き軍器を閲した。辛卯、初めて保挙德行才能の格を定めた。癸巳、平章政事の烏林答願が罷免された。丁酉、枢密使の唐括貢が百官を率いて尊号奉上を請うたが、許さなかった。参知政事の裔を以て左丞相の襄に代わり北京に行省させた。
夏四月甲寅、萬寧宮に行幸した。丙辰、有司に命じて雨を祈り、北郊において嶽鎮海瀆を望祭させた。甲子、社稷において雨を祈った。尚書省が奏上した:「近年北辺の調度が甚だ多いので、僧道の空名度牒・紫褐・師徳号を下賜して軍儲を助けることを請う。」これに従った。癸酉、親王の宣勅に初めて女直字を用いた。
五月甲戌朔、宰臣に諭して言った:「近頃軍需のため、各路に賦調を課した。司県は緩急を量らず、期を促して征斂し、民に数倍の費用を負わせ、胥吏がまたこれに乗じて侵暴する。提刑司にこれを究察させよ。」丙子、官吏を尚書省に集め、詔を下して諭して言った:「今紀綱が立たず、官吏は弛慢で、遷延苟簡、習い以て弊となる。職官は多く吉善を以て名を求め、自ら安んずることを計り、国家は何を頼みとせん。情に殉じて法を売るに至っては、省部の令史が特に甚だしい。尚書省はこれを戒諭せよ。」丁丑、北京行省参知政事の裔を臨潢府に移駐させた。庚辰、撫州を鎮寧軍に昇格させた。雨が十分であることを以て、社稷に報祭した。甲申、北郊において嶽鎮海瀆を望祭した。丁亥、左丞相の襄が臨潢府に赴いた。己丑、皇子が生まれた。庚寅、中外に詔し、死罪を減刑し、徒刑以下の者を釈放した。
六月乙巳、礼部尚書の張暐に命じて高禖に報祀させた。丙午、雹が降った。戌申、澄州刺史の王遵古を翰林直学士とし、なお選述に関与せず、入直すれば奏聞し、霖雨の際は入直を免ずるよう勅した。これは遵古が年老いており、かつかつて侍講読を務めたためである。庚戌、瑤光殿の工事を罷めるよう詔した。甲寅、全州盤安軍節度使を置き、安豊県を治所とした。乙卯、皇子を寿王に封じた。
閏月甲午、西横門を出て耕作を見た。
秋七月壬寅朔、天長観に行幸し、普天大醮を建て、七日間屠殺を禁じ、刑を奏上せず、百司は暫く決罰を停止した。己未、西上閣門使の劉頍に命じて行省において参知政事の裔に宴を賜った。戊辰、天寿節、紫宸殿に御して朝賀を受けた。
八月庚辰、計議官の進める奏帖は、利害を直言し、浮辞を用いないよう勅した。辛巳、辺事が未だ寧かでないことを以て、六品以上の官を尚書省に集め、攻守の計を問うよう詔した。中外の臣僚は職位の高下を問わず、方略材武ある者、或いは調度に長けた者を、各々三、五人挙げて選用に備え、顧望して懐く所を尽くさず、期日を五日と定めて封章を以て進めるよう命じた。議する者凡そ八十四人、攻撃を言う者五、守備を言う者四十六、攻撃且つ守備を言う者三十三、睿思殿に召して対せしめ、長く論難した。癸未、萬寧宮より還御した。丙戌、左丞相の襄を左副元帥とし、参知政事の董師中を尚書左丞とし、左宣徽使の嵒を尚書右丞とし、戸部尚書の楊伯通を参知政事とした。尚書左丞の夾穀衡を罷免した。右丞の胥持国を致仕させた。庚寅、参知政事の裔を罷免した。枢密使の唐括貢を致仕させた。壬辰、左副元帥の襄を枢密使兼平章政事とした。
九月辛丑朔、天寿節、宋・高麗・夏が使節を派遣して来朝賀した。壬寅、官を分遣して上京・東京・北京・咸平・臨潢・西京等の路に赴き漢軍を募集させ、不足すれば簽補させた。乙巳、夏の使節が朝辞するに当たり、詔を下して保安・蘭州の榷場を再開することを許諾した。丁未、帰徳府事を知る完顔愈を賀宋生日使とした。癸丑、上京留守の粘割斡特剌を平章政事とした。辛酉、枢密使兼平章政事の襄と、大興府事を知る胥持国を枢密副使・権参知政事とし、北京に行省させた。乙丑、初めて軍器監を置き、戎器の治掌を管轄させ、少府監の下に班し、甲坊・利器の二署を隷属させた。丁卯、官を分遣して東・西・北京、河北等の路、中都の二節鎮において、牛五万頭を買わせた。
冬十月庚午朔、初めて講議所の官十員を設け、共に銭穀を議させ、中都路転運使の孫鐸・戸部侍郎の高汝礪等をこれに充てた。庚辰、尚書省が奏上した、高麗国の牒報によれば、その王が老疾のため、母弟の𧦬に国事を権摂させるとのことである。壬午、尚書省が推排を行った。丁亥、皇子の寿王が薨去した。壬辰、西南路招討使の僕散揆等の有功将士を詔を以て褒賞し諭した。甲午、大雪が降り、米千石を普済院に賜り、粥を作って貧民に食わせるよう命じた。丙申、礼部員外郎の蒙括仁本を夏国生日使とした。
十一月甲辰、冬至、南郊において祭祀を行った。乙巳、薪が高価なため、囲場の地内では樵采を禁じないよう勅した。壬子、尚書省に諭して言った:「猛安謀克は既に提刑司に隷属しないので、監察御史にその臧否を察させよ。」庚申、北京留守の裔が行省として失職したため、杖一百を加え、除名した。右諫議大夫の納蘭昉に杖九十を加え、官二階を削り、罷免した。甲子、宰臣に諭して言った:「朕は九重に居り、民間のことは遍く知り難い。宰相が賓客に接見しなければ、どうして民間の利害を知ることができようか。」
十二月己巳朔、御史台に諂佞趨走して実跡ある者を糾察するよう勅した。己卯、初めて「承安宝貨」を鋳造した。癸未、戸部侍郎の上官瑜を派遣して西京の逃亡を体究させ、沿辺の軍民を勧率して耕種させ、戸部郎中の李敬義をして臨潢等路の農務を規措させた。乙酉、宰臣に諭して言った:「今後水潦・旱蝗・盗賊の窃発があれば、提刑司に命じて予め規画させよ。」戊子、西南路の将士を諭した。庚寅、豫王の永成が馬八十匹を進献したので、詔を賜って褒賞し諭し、皇叔豫王と称して名を呼ばなかった。