遼史

本紀第九: 景宗下

景宗 下

九年春正月丙寅、女直が使者を遣わして来朝し貢物を献ず。

二月庚子、宋が使者を遣わしてその先帝の遺物を贈る。甲寅、青牛と白馬を以て天地を祭る。

三月癸亥、耶律沙・敵烈が漢を救援した戦役で捕獲した宋の俘虜を献ず。戊辰、詔して粟二十万斛を以て漢を助けしむ。

夏五月庚午、漢が使者を遣わして来謝し、かつ宋の事を告げ来る。己丑、女直二十一人来たりて宰相・夷離堇の職を請う、順次これを授く。

六月丙辰、宋王喜隠を以て西南面招討使と為す。

秋七月庚申朔、回鶻が使者を遣わして来朝し貢物を献ず。甲子、宋が使者を遣わして来聘す。壬申、漢、宋の侵攻を以て告げ来る。丙子、使者を遣わして漢を助け戦馬を給す。

八月、漢が使者を遣わして葡萄酒を進む。

冬十月甲子、耶律沙、党項の降伏した酋長可醜・買友を率いて来見す、詔を賜い撫諭す。丁卯、可醜を以て司徒しとと為し、買友を以て太保と為し、各々物を賜いてこれを遣わす。壬申、女直が使者を遣わして来朝し貢物を献ず。乙酉、漢また使者を遣わして宋の事を以て告げ来る。

十一月丁亥朔、司天が奏上して日食あるも欠けずと。戊戌、吐谷渾、太原に叛入したる者四百余戸、これを索めて還す。癸卯、木葉山を祠る。乙巳、太保迭烈割らを遣わして宋に使わす。乙卯、漢また使者を遣わして宋の事を以て告げ来る。

十二月戊辰、近郊に猟し、獲たる所を以て天を祭る。

十年春正月癸丑、長濼に如く。二月庚午、阿薩蘭回鶻来貢す。三月庚寅、顕陵を祭る。夏四月丁卯、西幸す。己巳、女直が使者を遣わして来朝し貢物を献ず。五月癸卯、女裏に死を賜い、人を遣わして高勛らを誅す。六月己未、沿柳湖に駐蹕す。秋七月庚戌、太祖廟を享く。九月癸未朔、平王隆先の子陳哥、その父を謀害せんとす、車裂して以て徇しむ。是の冬、金川に駐蹕す。

乾亨元年春正月乙酉、撻馬長寿を遣わして宋に使わし、師を興して劉継元を伐つ故を問わしむ。丙申、長寿還りて言う「河東は朔命に背く、問罪すべきなり。若し北朝援けずば、和約旧の如し、然らずば則ち戦わん」。二月丁卯、漢、宋兵の境を圧するを以て、使者を遣わして援助を乞う。詔して南府宰相耶律沙を都統と為し、冀王敵烈を監軍と為してこれに赴かしむ。また南院大王斜軫に命じその部を率いて従わしめ、枢密副使抹只にこれを督せしむ。三月辛巳、速撒、人を遣わして別部の化哥らの降伏を告ぐ、これを納る。丙戌、漢、使者を遣わして軍民を撫諭したことを謝す。詔して北院大王奚底・乙室王撒合らに兵を以て燕を戍らしむ。己丑、漢また宋兵の入境を告ぐ。詔して左千牛衛大将軍韓侼・大同軍節度使耶律善補に本路の兵を以て南援せしむ。辛卯、女直が使者を遣わして来朝し貢物を献ず。丁酉、耶律沙ら宋と白馬嶺に戦い、利あらず。冀王敵烈及び突呂不部節度使都敏・黄皮室詳穏唐筈皆これに死す。士卒死傷甚だ衆し。夏四月辛亥、漢、行軍の事宜を以て奏上す。盧俊、代州より馳状して急を告ぐ。辛酉、敵烈来貢す。五月己卯朔、宋兵河東に至る。漢これと戦い、利あらず。劉継文・盧俊来奔す。六月、劉継元宋に降る。漢亡ぶ。甲子、劉継文を彭城郡王に封じ、盧俊を同政事門下平章事と為す。宋主来侵す。丁卯、北院大王奚底・統軍使蕭討古・乙室王撒合これを撃つ。沙河に戦い、利を失う。己巳、宋主南京を囲む。丁丑、詔して耶律沙及び奚底・討古らの軍中事宜を諭す。秋七月癸未、沙ら宋兵と高梁河に戦い、少しく退く。休哥・斜軫横撃し、これを大いに敗る。宋主僅かに身を以て免れ、涿州に至り、窃かに驢車に乗って遁去す。甲申、宋の余軍を撃ち、殺す所甚だ衆く、兵仗・器甲・符印・糧饋・貨幣獲ること計い勝えず。辛丑、耶律沙、人を遣わして俘獲を上る。権知南京留守事韓徳譲・権南京馬歩軍都指揮使耶律学古・知三司事劉弘皆能く人心を安んじ、城池を捍ぐを以て、並びに詔を賜い褒奨す。八月壬子、阻卜惕隠曷魯・夷離堇阿裏睹ら来朝す。乙丑、耶律沙ら俘虜を献ず。丙寅、白馬の役を以て沙・抹只を責め、また宋主を走らせたる功を以てこれを釈す。奚底は敵に遇いて退く、剣の背を以てこれを撃つ。撒合は退くも、部伍乱れず、これを宥す。冀王敵烈の麾下先に遁るる者を斬り、都監以下これを杖つ。壬申、沙・抹只ら将校を宴し、物を賜うこと差あり。九月己卯、燕王韓匡嗣を都統と為し、南府宰相耶律沙を監軍と為し、惕隠休哥・南院大王斜軫・権奚王抹只ら各々その部の兵を率いて南伐す。なお大同軍節度使善補に命じて山西の兵を領し分道して進ましむ。冬十月乙丑、韓匡嗣宋兵と満城に戦い、敗績す。辛未、太保矧思宋兵と火山に戦い、これを敗る。乙亥、詔して韓匡嗣の五罪を数え、これを赦す。十一月戊寅、休哥及び功有る将校を宴賞す。乙未、南院枢密使兼政事令郭襲、上書して畋猟を諫む、嘉してこれを納る。辛丑、冬至、赦し、元を改めて乾亨と為す。十二月乙卯、燕王韓匡嗣遥かに晋昌軍節度使を授け、降って秦王に封ず。壬戌、しょく王道隠を南京留守と為し、徙めて荊王に封ず。是の冬、南京に駐蹕す。

二年春正月丙子朔、皇子隆緒を梁王に封じ、隆慶を恒王に封ず。丁亥、惕隠休哥を以て北院大王と為し、前枢密使賢適を西平郡王に封ず。二月戊辰、清河に如く。三月丁亥、西南面招討副使耶律王六・太尉化哥、人を遣わして党項の俘虜を献ず。閏月庚午、鴇有りて飛び来たり御帳に止まる。獲て以て天を祭る。夏四月庚辰、雨を祈る。戊子、燕子城に清暑す。五月、雷火乾陵の松を焼く。六月己亥、喜隠復た謀反す。祖州に囚う。秋七月戊午、王六等、党項の俘虜を献ず。八月戊戌、東幸す。冬十月辛未朔、巫者を命じて天地及び兵神を祠らしむ。辛巳、将に南伐せんとし、旗鼓を祭る。癸未、南京に次ぐ。丁亥、敵を獲、鬼箭を射る。庚寅、固安に次ぎ、青牛白馬を以て天地を祭る。己亥、瓦橋関を囲む。十一月庚子朔、宋兵夜営を襲う。突呂不部節度使蕭幹及び四捷軍詳穏耶律痕徳、戦いて之を却く。壬寅、休哥、宋兵を瓦橋の東に破る。守将張師兵を引き出でて戦う。休哥奮撃して之を破る。戊申、宋兵水南に陣す。休哥水を渉りて之を撃ち破り、莫州に追い至り、殺傷甚だ衆し。己酉、宋兵復た来たり、之を撃ちて殆んど尽くす。丙辰、師を班す。乙丑、還りて南京に次ぐ。十二月庚午朔、休哥、于越に拝す。軍士を大いに饗す。

三年春二月丙子、東幸す。己丑、復た南京に幸す。三月乙卯、皇子韓八卒す。辛酉、潢・土二河の間に葬り、永州を置く。秦王韓匡嗣を以て西南面招討使と為す。夏五月丙午、上京漢軍乱を起こし、喜隠を劫き立てんとすれども克たず、偽りに其の子留礼寿を立てる。上京留守除室之を擒う。秋七月甲子、留礼寿誅に伏す。冬十月、蒲瑰坡に如く。十一月辛亥、除室に同政事門下平章事を加う。是の月、南院枢密使郭襲を武定軍節度使と為す。十二月、遼興軍節度使韓徳譲を南院枢密使と為す。

四年春正月己亥、華林・天柱に如く。三月乙未、清明、諸王大臣と射を較べ、宴飲す。夏四月、自ら将として南伐す。満城に至り、戦利あらず。守太尉奚瓦里流矢に中りて死す。統軍使善補伏兵に囲まれる。枢密使斜軫救いて免れしむ。詔して備えを失いしを以て之を杖つ。五月、師を班す。燕子城に清暑す。秋七月壬辰、使を遣わして喜隠に死を賜う。八月、西京に如く。九月庚子、雲州に幸す。甲辰、祥古山に猟す。帝せず。壬子、焦山に次ぐ。行在に崩ず。年三十五、位に在ること十三年。遺詔して梁王隆緒位を嗣がしめ、軍国の大事は皇后の命を聴かしむ。統和元年正月壬戌、尊謚して孝成皇帝と曰い、廟号を景宗とす。重熙二十一年、謚を加えて孝成康靖皇帝と曰う。

贊に曰く、遼興ること六十余年、神冊・会同の間は日暇あらず。天禄・応暦の君は其の終わりを令せず。保寧より以来、人々治を望む。景宗の資を以て、人を用うるに疑わず、賞を信じ罰を必ずす。若し与に為す有るべしとす。而るに国の力を竭くして以て河東を助け、軍を破り将を殺し、滅亡を救う無し。一たび宋に取って償うと雖も、得て失に償わず。匡嗣の罪を知りて、数えながら罰せず。郭襲の諫を善しとし、納れながら用いず。沙門昭敏左道を以て徳を乱し、侍中を以て寵す。亦た惑わざらんや。