遼史

本紀第十: 聖宗一

聖宗 一

聖宗文武大孝宣皇帝、諱は隆緒、小字は文殊奴。景宗皇帝の長子、母は睿智皇后蕭氏という。帝は幼くして書翰を好み、十歳にして詩を作ることができた。長ずるに及んで、射法に精通し、音律に通暁し、絵画を好んだ。乾亨二年、梁王に封ぜられた。

四年秋九月壬子、景宗崩御した。癸丑、柩前において皇帝の位に即き、時に年十二。皇后が遺詔を奉じて政事を摂行し、諸道に詔を下して諭した。

冬十月己未朔、帝は初めて臨朝した。辛酉、群臣が尊号を上って昭聖皇帝と称し、皇后を尊んで皇太后とし、大赦を行った。南院大王勃古哲に山西諸州事を総領させ、北院大王・於越休哥を南面行軍都統とし、奚王和朔奴をその副とし、同政事門下平章事蕭道寧に本部の軍を率いさせて南京に駐屯させた。己丑、顕州に行幸した。

十一月甲午、乾州を置いた。

十二月戊午朔、耶律速撒が阻卜を討った。辛酉、南京留守荊王道隱が奏上して、宋が使者を遣わし犀帯を献じて和を請うたと報告したが、詔して国書がないことを理由にこれを退けた。甲子、撻剌幹乃萬十が酔って宮中の事を言い、法は死に当たるが、杖刑に処して釈放した。辛未、西南面招討使秦王韓匡嗣が薨去した。癸酉、大行皇帝の梓宮を菆塗殿に奉安した。庚辰、中臺省の官を置き省いた。

統和元年春正月戊午朔、大行皇帝の殯中にあるため、朝賀を受けなかった。乙丑、遺詔を奉じ、先帝の庶兄質睦を菆塗殿前に召し出し、再び寧王に封じた。宰相室昉・宣徽使普領らに恩を加えた。丙寅、荊王道隱が病にかかったため、詔して使者を遣わして見舞わせた。この日、皇太后がその邸に臨んで病を見舞った。戊辰、烏隈烏骨裏部節度使耶律章瓦を同政事門下平章事とした。甲戌、荊王道隱が薨去した。三日間朝政を止め、晋王を追封し、使者を遣わしてその家を慰撫した。丙子、於越休哥を南京留守とし、なお南面行營総管の印綬を賜り、辺境の事を総轄させた。渤海撻馬解裏は先帝の厚恩を受けたことを理由に殉葬を乞うたが、詔して許さず、物を賜ってこれを表彰した。戊寅、使者を遣わして於越休哥及び奚王籌寧・統軍使頗德らに湯薬を賜った。懇篤に命じて休哥の下車の榜文を持たせ送り、燕の民に諭させた。辛巳、速撒が阻卜の捕虜を献上した。壬午、涿州刺史安吉が奏上して、宋が河北に城を築いていると報告した。詔して留守於越休哥にこれを撹乱させ、完成させてはならないと命じた。趙妃及び公主胡骨典・奚王籌寧・宰相安寧・北大王普奴寧・惕隱屈烈・吳王稍・寧王只沒と横帳・国舅・契丹・漢官らが並んで山陵の費用を献上した。癸未、齊國公主が内外の命婦を率いて同様に物を進上した。甲申、西南面招討使韓德威が奏上して、党項十五部が辺境を侵したが、兵を以てこれを撃破したと報告した。乙酉、速撒が阻卜を破ったことを理由に、詔を下して褒め称えた。なお大漢に命じて党項諸部を討たせた。丁亥、樞密使兼政事令室昉が年老いを理由に兼職の解除を請うたが、詔して允さなかった。

二月戊子朔、所在の官吏軍民が無故に群衆を集めて私語し、及び禁を犯して夜行することを禁じ、違反した者はこれを処罰した。己丑、南京が奏上して、宋が辺境に多くの食糧を集積していること及び宋主が台山に行幸しようとしていることを聞いたと報告した。詔して休哥に厳重に備えさせた。甲午、景宗皇帝を乾陵に葬り、近幸の朗・掌飲の伶人撻魯を殉死させた。上と皇太后は因って書をしたためて大行皇帝に附葬した。丙申、皇太后が陵に詣でて奠を設け、近臣を御容殿に描かせ、山陵の工事に携わった者に物を差等を付けて賜った。庚子、先帝の遺物を皇族及び近臣に賜った。辛丑、南京統軍使耶律善補が奏上して、宋の辺境の七十余村が帰附してきたと報告した。詔してこれを慰撫し存問させた。乙巳、御容殿を玉殿とし、酒谷を聖谷とした。速撒が党項討伐の勝利を奏上したので、使者を遣わして慰労した。戊申、惕隱化哥を北院大王とし、解領を南府宰相とした。辛亥、聖山に行幸し、遂に三陵に謁した。甲寅、皇女長壽公主を国舅宰相蕭婆項の子吳留に降嫁させた。

三月戊午、天德軍節度使頹剌父子が戦死したので、その弟涅離に爵を継がせた。己未、独山に駐留した。使者を遣わして西南面の功有る将士を賞した。辛酉、大父帳太慰耶律曷魯寧を惕隱とした。甲子、遼河の平澱に駐蹕した。辛巳、国舅・同平章事蕭道寧を遼興軍節度使とし、なお忠亮佐理功臣の号を賜った。壬午、青牛白馬を以て天地を祭った。

夏四月丙戌朔、東京に行幸した。樞密副使耶律末只を兼侍中とし、東京留守とした。庚寅、太祖廟に謁した。癸巳、詔して物を賜い、命婦で寡居している者を優遇した。丙申、南に行幸した。辛丑、三陵に謁し、東京から進上された物を陵寢の官吏に分け賜った。再び詔して西南路招討使大漢に剣を賜い、命令に従わない者があれば専断して誅殺することを許した。壬寅、凝神殿において饗宴を設けた。癸卯、乾陵に謁した。乙巳、人を遣わして酒脯を以て平章耶律河陽の墓を祭った。庚戌、夫人烏骨裏の邸に行幸し、太祖の御容に謁し、礼が終わると、公主胡古典の邸に行って酒宴を開き、賜与は甚だ厚かった。壬子、大臣が太后が政事に預かるので、尊号を有すべきであるとし、有司に下して冊礼を詳定するよう請うた。詔して枢密院に命じて沿辺の節将に諭し、行礼の日には、子弟を遣わして表を奉り称賀するのみとし、辺備を失う恐れがあるからとさせた。枢密院が詔を請い、北府司徒しと頗德に南京から進上された律文を訳させた。これに従った。遂に徽州に行幸した。耶律慶朗を信州節度使とした。

五月丙辰朔、国舅・政事門下平章事蕭道寧が皇太后の慶寿を理由に、父母の家に帰って礼を行いたいと請うた。そして齊國公主及び命婦・群臣がそれぞれ物を進上した。宴を設け、国舅帳の高齢者に物を差等を付けて賜った。壬戌、西南路招討が兵を増やして西突厥諸部を討つよう請うた。詔して北王府耶律蒲奴寧に敵畢・叠烈の二部の兵を率いて赴かせた。癸亥、於越休哥が南院において吏人を過度に用いたことを理由に、詔して南大王に相循襲させないように命じた。庚午、耶律善補が宋に亡命した者を招き、千余戸を得て帰国した。詔して慰撫させた。辛未、永州に駐留し、王子薬師奴の墓を祭った。乙亥、詔して近臣に皇太后の尊号冊礼を議わせた。枢密使韓德度が後漢の太后が臨朝した故事に基づいて草案を定めて上奏した。丙子、青牛白馬を以て天地を祭った。戊寅、木葉山に行幸した。西南路招討使大漢が奏上して、近く拽剌跋剌哥を遣わして党項諸部を諭したところ、来る者が甚だ多いと報告した。詔を下して褒め称えた。

六月乙酉朔、詔して有司に命じ、皇太后を冊立する日に、三品以上の者には法服を給し、三品以下の者には大射柳の服を用いさせた。西南路招討使が奏上して、党項酋長が夷離堇の子隈引らを捕らえ、内附を乞うたと報告した。詔してこれを慰撫し受け入れさせた。なおその誠偽を察し、辺備を厳重にせよと命じた。丙戌、上京に還った。己丑、有司が奏上して、同政事門下平章事・駙馬都尉盧俊が公主と不仲であると報告した。詔してこれを離縁させ、遂に盧俊を出して興國軍節度使とした。辛卯、太廟において祭祀を行った。甲午、上は群臣を率いて皇太后の尊号を上って承天皇太后と称し、群臣は皇帝の尊号を上って天輔皇帝と称した。大赦を行い、元号を統和と改めた。丁未、恩赦を内外に及ぼし、文武官はそれぞれ爵一級を進めた。枢密副使耶律斜軫を司徒に任じた。

秋七月甲寅朔、皇太后が政務を聴く。乙卯、帝自ら囚人を録す。壬子、司徒婁国は病と称して山陵に赴かざる罪に坐し、笞二十。辛酉、再生の礼を行う。癸酉、臨潢尹袞が飲饌を進む。帝と諸王は分かれて朋をなし鞠を撃つ。丙子、韓徳威が詳穏轄馬を遣わし、党項を破り俘獲の数を上奏し、併せて夷離堇の子を送り来たりて献ず。辛巳、西南面の功ある将士を賞す。

八月戊子、帝西巡す。己丑、祖陵を謁す。辛卯、皇太后、楚国王蕭思温の墓を祭る。癸巳、帝と皇太后、懐陵を謁し、遂に懐州に幸す。甲午、帝と斜軫、太后の前において弓矢鞍馬を易え、約して友と為す。己亥、赤山に猟し、使者を遣わして熊肪・鹿脯を乾陵の凝神殿に薦ぐ。政事令孫楨に子無きを以て、詔して国舅小翁帳郎君桃隈をして其の後と為さしむ。乙巳、詔して于越休哥に元城を提点せしむ。壬子、韓徳威表を上りて再び叛く党項を伐たんことを請う、詔して之を許す。仍って別部の兵数千を発して之を助く。

九月癸丑朔、東京・平州に旱魃・蝗害有るを以て、詔して之を振恤す。乙卯、永興・長寧・敦睦の三宮を謁す。丙辰、南京留守奏す、秋霖稼を害す、関征を権停し、以て山西の糴易を通ぜんことを請う、之に従う。庚申、宣簡皇帝廟を謁す。辛酉、祖州に幸し、祖陵を謁す。壬戌、上京に還る。辛未、有司、帝の生日を以て千齢節と為さんことを請う、之に従う。皇太后言う、故于越屋只に傅導の功有り、宜しく其の子孫を録すべしと。遂に其の子泮泱を林牙と為すを命ず。丙子、老翁川に如く。

冬十月癸未朔、司天、老人星見ゆと奏す。戊子、公主淑哥を以て国舅詳穏照姑に下嫁す。癸巳、速撒奏す、敵烈部及び叛蕃来降し、悉く故地を復すと。乙未、燕京留守于越休哥の言に従い、毎歳諸節度使の貢献は、契丹官の例の如く、止めて鞍馬を進むるに従う。丁酉、呉王稍を以て上京留守と為し、臨潢尹の事を行わしむ。帝将に高麗を征せんとし、親しく東京留守耶律末只の総ぶる兵馬を閲す。丙午、宣徽使兼侍中蒲領・林牙肯德等に兵を将いて東討せしめ、旗鼓及び銀符を賜う。

十一月壬子朔、撻馬濼にて漁を観る。癸丑、応州奏す、宋の諜者を獲たり、言う、宋は五台山に道を除き、将に霊丘界に入らんとすと。詔して諜者及び居停人を並びに市にて磔す。庚辰、帝と皇太后、乾陵を祭り、詔を下して三京の左右相・左右平章事・副留守判官・諸道節度使判官・諸軍事判官・録事参軍等に諭し、公方を執るべく、阿順するを得ざるべしと。諸県の令佐、州官及び朝使の非理なる征求に遇うときは、畏れて徇うこと無かれと。恒に采聴を加え、以て殿最と為す。民間に父母在りて別籍異居する者有らば、隣里の覚察を聴き、之に坐す。父母に孝行し三世同居する者有らば、其の門閭を旌す。

十二月壬午朔、凝神殿を謁し、使者を分遣して諸陵を祭らしめ、守殿の官属に酒を賜う。是の日、顕州に幸す。丁亥、顕州の歳貢の綾錦を以て左右に分賜す。甲午、東幸す。乙亥、皇太后、玉盆湾にて漁を観る。辛丑、浚淵にて漁を観る。甲辰、諸の刑辟已に結正決遣して冤有る者は、台に詣り訴うるを聴く、と勅す。是の夕、双渓に万魚灯を然す。戊申、千齢節、日月を祭り、礼畢し、百僚賀す。

二年春正月甲子、長濼に如く。二月癸巳、国舅帳彰徳軍節度使蕭闥覧来朝す。甲午、将軍耶律敵不に春衣・束帯を賜う。丙申、東路行軍・宣徽使耶律蒲寧、女直を討ちて捷すと奏す、使者を遣わし手を執りて奨諭す。庚子、皇太后に朝し、太后因りに従いて饒楽川にて猟を観る。乙巳、五国烏隈于厥節度使耶律隗窪、轄する諸部治め難きを以て、詔を賜い剣を給し、便宜を行わんことを乞う、之に従う。丙午、帝と諸王大臣、射を較ぶ。丁未、韓徳威、党項を征して回り、遂に河東を襲い、俘えし所を献じ、詔を賜いて褒美す。

三月乙卯、劃離部、今後詳穏は止だ本部より選授するを以て宜しと請う。帝曰く「諸部の官は惟だ人を得るに在り、豈に定めて所部を以て限と為すべけんや」と。允さず。故同平章事趙延煦に侍中を兼ねて贈る。

夏四月丁亥、宣徽使・同平章事耶律普寧・都監蕭勤徳、女直を征して捷すと献ず。普寧に政事令を兼ね授け、勤徳に神武衛大将軍を授け、各々金器等の物を賜う。庚寅、皇太后、滞獄を臨決す。辛卯、風伯を祭る。壬辰、宣徽南院使劉承規を承徳軍節度使と為し、崇徳宮都部署・保義軍節度使張徳筠を宣徽北院使と為す。

五月乙卯、木葉山に祠る。丁丑、沿柳湖に駐蹕す。

六月己卯朔、皇太后、獄を決す、月終に至る。

秋七月癸丑、皇太后、再生の礼を行う。

八月辛卯、東京留守兼侍中耶律末只奏す、女直朮不直・賽裏等八族、衆を挙げて内附せんことを乞うと。詔して之を納る。

九月戊申朔、土河に駐蹕す。辛未、景宗の忌日に因り、詔して諸道京鎮に官を遣わし行香飯僧せしむ。

冬十月丁丑朔、帰化州刺史耶律普寧を彰徳軍節度使と為し、右武衛大将軍韓倬を彰国軍節度使兼侍衛親軍兵馬都指揮使と為す。

十一月壬子、樞密直學士・給事中鄭嘏を以て儒州刺史と為す。是の月、速撒等阻卜を討ち、其の酋長撻剌幹を殺す。

十二月辛丑、翰林學士承旨馬得臣を以て宣政殿學士と為し、耶律頗德を南京統軍使と為し、耶律瑤升を大内惕隱と為し、大仁靖を東京中臺省右平章事と為す。

三年春正月丙午朔、長濼に如く。丁巳、翰林學士邢抱樸を以て尚書・禮部侍郎・知制誥と為し、左拾遺知制誥劉景・吏部郎中知制誥牛藏用を並びに政事舍人と為す。

二月丙子朔、牛藏用を以て知樞密直學士と為す。

三月乙巳朔、樞密、契丹諸役戶多く困乏すと奏す。富戶を以て之に代ふるを請ふ。上因て諸部の籍を閲し、涅剌・烏隈の二部は戸少なくして役重し、並びに量りて之を免す。

夏四月乙亥朔、木葉山に祠る。壬午、鳳州刺史趙匡符を以て保靜軍節度使と為す。癸未、左監門衛大將軍王庭勖を以て奉先軍節度使と為し、彰武軍節度使韓德凝を崇義軍節度使と為す。

五月壬子、上京に還る。癸酉、國舅蕭道寧を以て同平章事・知沈州軍州事と為す。

六月甲戌朔、柏坡に如く。皇太后親しく滞獄を決す。乙亥、歸義軍節度使王希嚴を以て興國軍節度使と為す。

秋七月甲辰朔、諸道に詔して甲兵を繕はしめ、以て東征高麗に備ふ。甲寅、東幸す。甲子、郎君班を遣はして秦王韓匡嗣の葬物を賜ふ。丙寅、土河に駐蹕す。暴漲を以て、船橋を造るを命じ、明日歩輦に乗り出でて政を聴く。老人星見ゆ。丁卯、使を遣はして東京諸軍の兵器及び東征道路を閲せしむ。平章事蕭道寧を以て昭德軍節度使と為し、武定軍節度使・守司空しくう兼政事令郭襲を天平軍節度使と為し、大同軍節度使・守太子太師兼政事令劉延構を義成軍節度使と為し、尚父秦王韓匡嗣に尚書令しょうしょれいを贈る。

八月癸酉朔、遼澤沮洳を以て、高麗征を罷む。樞密使耶律斜軫を都統と為し、駙馬都尉蕭懇德を監軍と為し、兵を以て女直を討たしむるを命ず。丁丑、槁城に次ぐ。庚辰、顯州に至り、凝神殿を謁す。辛巳、乾州に幸し、新宮を観る。癸未、乾陵を謁す。甲申、南・北面の臣僚に命じ分かれて山陵の林木を巡らしめ、及び乾・顯二州に令して其の部する里社の数を上らしむ。丙戌、北皮室詳穩勇敢の士七人を進む。戊子、故南院大王諧領已裏婉の妻蕭氏、夫の死して葬ること能はざるを奏す。詔して有司に之を助けしむ。庚辰、東征都統所、路尚ほ濘に陷り、未だ討を進むべからずと奏す。詔して澤の涸るを俟ちて深入せしむ。癸巳、皇太后顯陵を謁す。庚子、乾陵を謁す。辛丑、西幸す。

閏九月癸酉、邢抱樸に命じて顯陵を勾檢せしむ。丙子、海上に行き次ぐ。庚辰、重九、駱駝山に登高し、群臣に菊花酒を賜ふ。辛巳、東征の将帥に詔諭し、水涸るるに乗じて進討せしむ。丙申、女直宰相朮不裏来貢す。戊戌、東古山に駐蹕す。己亥、速撒、朮不姑諸部近澱に至ると奏す。夷離堇易魯姑、行ひて俘掠せんことを請ふ。上曰く「諸部国に悪しきこと無し。何ぞ故に俘掠せん、徒らに事を生ずるのみ」と。允さず。

冬十一月甲戌、呉王稍に詔して秦王韓匡嗣の葬祭の事を領せしむ。丁丑、東北路兵馬監軍の妻婆底裏に詔して辺民を存撫せしむ。戊寅、公主胡骨典に葬夫の金帛・工匠を賜ふ。辛卯、韓德讓を以て兼政事令と為す。癸巳、行在市に布帛尺度に中らざる者を易するを禁ず。丙申、女直を東征し、都統蕭闥覽・菩薩奴、行軍の経る地裏・物産を以て来上す。