遼史

列傳第八: 耶律夷臘葛 蕭海璃 蕭護思 蕭思溫 蕭繼先

○耶律夷臘葛蕭海璃蕭護思蕭思溫蕭繼先

耶律夷臘葛

耶律夷臘葛、字は蘇散、本宮分人にして檢校太師合魯の子なり。應歷の初め、父の任によりて入侍す。数歳にして、始めて殿前都點檢となる。時に上(穆宗)新に即位し、諸王に異志あるを疑ひ、夷臘葛を引いて布衣の交はりと為し、一切の機密事必ず之と謀り、寄班都知に遷し、宮戸を賜ふ。時に上酒に酔ひ、数へて細故を以て人を殺す。雉を監する者有り、雉を傷けて因りて亡ぶ、之を獲して誅せんと欲す。夷臘葛諫めて曰く、「是の罪は死に応ぜず」と。帝竟に之を殺し、屍を以て夷臘葛に付して曰く、「汝が故人を収めよ」と。夷臘葛終に止めず。復た鹿を監する詳穩有り、一鹿を亡ふす、獄に下して死に当たる。夷臘葛又諫めて曰く、「人命は至って重し、豈に一獣の為に之を殺すべけんや」と。良久くして、免るるを得たり。遼の法、麚の角の歧れる者は、惟だ天子のみ射るを得。会に秋獵有り、善く鹿鳴を為す者一麚を呼び至らしむ。命じて夷臘葛に射しむるに、弦に応じて踣る。上大いに悦び、金・銀各百両、名馬百匹及び黒山東抹真の地を賜ふ。後に穆宗しいせらるるに及び、守衛厳ならざるに坐し、誅せらる。

蕭海璃

蕭海璃、字は寅的哂、其の先遙輦氏の時本部の夷離堇と為る。父塔列、天顯の間本部の令穩と為る。海璃貌魁偉、膂力人に過ぐ。天祿の間、明王安端の女藹因翁主を娶る。應歷の初め、察割乱を為し、藹因連坐す。継ぎて嘲瑰翁主を娶る。上近戚を以て、其の勤篤なるを嘉し、命じて北府宰相の選に預からしむ。頃くして、軍國事を總知す。時に諸王多く反逆に坐す。海璃人と為り廉謹、政體に達し、毎に命を被りて獄を按ずるに、多く其の情を得、人冤ある者無し。是に由りて名を知らる。漢主劉承鈞毎に使を遣わして貢に入るに、必ず別に幣物を致す。詔して之を受くるを許す。年五十にして卒す。帝湣悼し、朝を輟むこと二日。

蕭護思

蕭護思、字は延寧、世々北院の吏と為り、累遷して御史中丞、群牧部籍を總典す。應歷の初め、左客省使に遷る。未だ幾ばくもあらずして、御史大夫を拝す。時に諸王多く事に坐して獄に繫がる。上護思に才幹有るを以て、詔して窮治せしむ。旨に称し、北院樞密使に改め、仍て命じて世々宰相の選に預からしむ。護思辞して曰く、「臣が子孫賢なるや否や知らず、一の客省使を得るは足れり」と。之に従ふ。上晩歳酒に酔ひ、刑を用ふるに濫るること多し。護思要地に居り、齪齪として自ら保ち、嘗て一言も匡救せず。議者是を以て之を少くす。年五十七にして卒す。

蕭思溫

蕭思溫、小字は寅古、宰相敵魯の族弟忽沒裏の子なり。書史に通ず。太宗の時奚禿裏太尉と為り、燕國公主に尚ひ、群牧都林牙と為る。思溫軍中に在り、握齱として邊幅を修め、僚佐皆將帥の才に非ずと言ふ。尋いで南京留守と為る。初め、周人揚州を攻む。上思溫を遣わして其の後を躡はしむ。暑を憚りて進むことを敢へず、緣邊の数城を抜きて還る。後周師来りて侵し、馮母鎮を圍み、勢甚だ張る。思溫兵を益すことを請ふ。帝報じて曰く、「敵来らば則ち統軍司と並び兵をして之を拒がしめ、敵去らば則ち農作に務め、士馬を労する勿れ」と。会に敵束城に入る。我軍退きて滹沱を渡りて屯す。思溫兵を勒して徐行す。周軍数日動かず。思溫諸將と議して曰く、「敵衆くして銳し、戰利あらざれば則ち後患有り。兵を頓して以て其の師を老いしめ、躡ひて之を撃つに若かず。以て必勝すべし」と。諸將之に従ふ。遂に統軍司の兵と会し、他説を飾りて師を濟することを請ふ。周人引き退く。思溫亦還る。已にして周主復た北侵し、其の將傅元卿・李崇進等と分道並び進み、瀛州を圍み、益津・瓦橋・淤口の三關を陷し、垂れんとして固安に迫る。思溫計の出づる所を知らず、但だ車駕旦夕に至らんと云ふのみ。麾下の士奮躍して戰を請ふも、従はず。已にして易・瀛・莫等州を陷す。京畿の人皆震駭し、往々西山に遁る。思溫邊防の利を失へるを以て、朝廷己を罪せんことを恐れ、表して親征を請ふ。会に周主榮病を以て歸る。思溫退きて益津に至り、偽りて所在を知らずと言ふ。歩卒二千餘人來りて拒ぐに遇ひ、之を敗る。是の年、周の喪を聞き、燕民始めて安んず。乃ち師を班す。

時に穆宗酒に湎り殺を嗜む。思溫密戚を以て政に預かり、匡輔する所無し。士論與せず。十九年、春蒐す。上熊を射て中つ。思溫夷離畢牙裏斯等と酒を進めて壽を上ぐ。帝醉ひて宮に還る。是の夜、庖人斯奴古等の為に弑せらる。思溫南院樞密使高勛・飛龍使女裏等と景宗を立つ。保寧の初め、北院樞密使と為り、北府宰相を兼ね、仍て命じて世々其の選に預からしむ。上思溫の女を冊して后と為し、尚書令しょうしょれいを加へ、魏王に封ず。帝に従ひて閭山に獵す。賊の為に害せらる。

蕭繼先

蕭繼先、字は楊隱、小字は留只哥。幼くして穎悟、叔思溫命じて子と為す。睿智皇后特に之を愛す。乾亨の初め、齊國公主に尚ひ、駙馬都尉を拝す。統和四年、宋人来りて侵す。繼先邏騎を率ひて境上に逆ひ、俘獲すること多し。上之を嘉し、北府宰相を拝す。是より出師するに、繼先必ず本府の兵を将ひて先づ従ふ。狼山の石壘を抜き、従ひて宋軍を應州に破る。上南征し、通利軍を取る。戰捷力を称す。親征して高麗に及ぶに、繼先年老を以て、上京を留守す。卒す。年五十八。繼先富貴に處るも、尚儉素、至る所善く治むるを以て称せらる。故に兵を将ひて攻戰するも、未だ利を失はず、名戚裏に重し。

論じて曰く、嗚呼、人君の過ちは、辜なき者を殺すより大なるは莫し。湯が桀を伐つや、その罪を数えて曰く「並びに辜なきを上下神祇に告ぐ」と。武王が紂を伐つや、その罪を数えて曰く「辜なき者天に籲く」と。堯が苗民を伐つや、呂侯その罪を追数して曰く「辜なき者を殺戮す」と。跡これを言えば、夷臘葛の諫めは、凜凜として古の君子の風に幾からん。然りといえども、善く諫むる者は已然に諫めず、蓋し必ず先ず心術の微を得るにあり、脈を察する者の如く、その病に先んじてこれを治めば、則ち功を為し易し。穆宗沈湎して徳を失い、蓋しその資富強の勢いを以て自ら肆うこと久し。群臣をして造次動作の際に、諫め彼れ諍い、提げてこれを警らし、その甚だしきを防がしめば、則ち亦詎ぞ是に至らんや。これを以て知る、護思・思温の位に処り優重なるも、禄に耽り取容するは、真に鄙夫なり。若し海璃の獄を折り、継先の善く治むるは、職に任ずる臣と謂うべきか。