卷六十九 表第七

部族表

司馬遷が『史記』を著し、四裔を篇末に記す。秦、漢以降、それぞれ国を持つ。境界を延長し、道里は遠く、天下を統一できず、種族を周知せず、隣国の聘貢往来を歴覧することはできない。口伝や記憶により、概略を模写するのみ。

遼は五代に接し、漢地の遠近は簡冊に記され考証可能。西北の沙漠の地では、五穀を栽培し、衣服・車馬・礼文・制度・文物・士産品物は粗を得て精を失う。部落の名、姓氏の号は音を得て字を得ず。歴代で誤りが続き、考索は困難。

遼氏は諸部と相通じ、往来朝貢し、西遼の至った地は『紀』・『伝』にも少なくない。事は『紀』に記し、部族は『表』に列す。

部族表

紀年 正月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月 十一月 十二月
太祖元年 黑車子室韋八部が降伏した。 黑車子室韋を討伐した。
二年 皇弟惕隱撒剌が烏丸及び黒車子室韋を討伐する。
三年 黒車子室韋を討伐し、これを破る。西北の嗢娘改部族が牽車人を進貢する。
四年 烏馬山奚の庫支及び査剌底、鋤勃徳等の部が叛き、これを討伐平定する。
五年 西奚部、東奚部が叛き、これを討伐平定する。
神冊元年 突厥、党項、小蕃、沙陀諸部を征伐し、これを破り降伏させる。
三年 皇弟安端を惕隱とし、西南諸部を攻撃する。
四年 烏古部を征討する。
六年 皇太子と諸将が部落を分かち撃ち、烏古・奚を図盧・涅離・奧畏の三部とする。
天贊元年 西南諸部を撃つ。 迭剌部を二院に分ける。
二年 奚胡損を討ち、これを捕らえ、奚墮瑰部を置く。
三年 山東部族を撃ち、これを破る。 胡母思山蕃部を破る。
天顕元年 奚部長の勃魯恩、王郁が従征して功績あり、これを賞す。 安辺・鄚頡・定理の三府が叛き、これを討つ。
三年(太宗、元号を改めず) 突呂不が烏古部を討つ。 突呂不が烏古の捕虜を献上する。 鼻骨德が来貢する。
四年 突呂不が烏古の捕虜を献上。
五年 敵烈が朝貢に来る。 烏古が朝貢に来る。
六年 敵烈が朝貢に来る。 烏古が朝貢に来る。 鼻骨德が朝貢に来る。
七年 烏古と敵烈が貢ぎ物を持って来た。
九年 鼻骨德が貢ぎ物を持って来た。
十一年 鼻骨德が貢ぎ物を持って来た。 于厥里が貢ぎ物を持って来た。
十二年 鼻骨德が貢ぎ物を持って来た。
会同元年 室韋が白い麃を献上した。 黒車子室韋が名馬を献上した。
三年 烏古が伏鹿国の捕虜を献上した。 黒車子室韋が来貢した。 朮不姑三部の人が来貢した。
四年 涅剌、烏隗の二部が党項の捕虜と戦利品を献上した。乙室、品、突挙の三部が党項の捕虜と戦利品を献上した。 烏古が来貢した。于厥里が来貢した。 阿里底が来貢した。 朮不姑が来貢した。女直が来貢した。
五年 鼻骨德が貢ぎ物を持って来た。 鼻骨德、烏古が貢ぎ物を持って来た。朮不姑、鼻骨德、于厥里が貢ぎ物を持って来た。
六年 奚鋤勃德部が白麝を献上した。
七年 黒車子室韋が貢ぎ物を持って来た。 鼻骨德
八年 鼻骨德が貢ぎ物を持って来た。黒車子室韋が貢ぎ物を持って来た。 鼻骨德が朝貢した。
九年 鼻骨德が軍籍を奏上した。 烏古が朝貢した。
穆宗応曆元年 鼻骨德が朝貢した。
二年 敵烈部が朝貢した。
三年 烏古、鼻骨德が朝貢した。 敵烈部が朝貢に来た。
五年 鼻骨德が朝貢に来た。
六年 鼻骨德が朝貢に来た。
七年 鼻骨德が朝貢に来た。
十四年 黄室韋が反乱を起こした。 庫古只が黄室韋が馬牛を略奪し、反乱して去ったと奏上した。庫古只は黄室韋と戦い、これを破り、その衆を降伏させた。詔を賜って慰撫し諭した。烏古が反乱し、住民の財産を略奪した。
十五年 烏古がその酋長窣離底を殺し、降伏したが再び反乱した。 大黄室韋の酋長寅底吉が反乱した。五坊の四十戸が烏古に逃げ込んだ。 小黄室韋が反乱して去り、雅里斯、楚思らがこれを攻撃したが、室韋に敗れた。使者を遣わしてこれを責めた。 庫古只が奏上したところ、室韋の酋長寅底吉が敵烈に逃亡した。 敵烈が降伏してきた。 烏古が河德濼に至り、夷離菫画里、夷離畢常恩を遣わしてこれを攻撃させた。丁丑の日、烏古が上京北の榆林峪の住民を略奪し、林牙蕭幹を遣わしてこれを討伐させた。 常恩が烏古と戦い、これを大いに破った。
十七年 夷離畢骨欲が烏古の捕虜を献上した。
景宗保寧三年 鼻骨德が貢ぎ物を献上した。
四年 鼻骨德が貢ぎ物を献上した。
五年 鼻骨德部の長である曷魯撻覽が来朝した。
八年 鼻骨德が貢ぎ物を献上した。
乾亨元年 敵烈が貢ぎ物を献上した。
聖宗統和元年 速撒が敵烈部の降伏を奏上。速撒が反乱した蕃部の降伏を奏上。
二年 五国・隈烏古部節度使耶律隈窪が、管轄する諸部が統制困難なため、詔書と物資の賜与を請い、便宜を図ることを許された。これに従った。 劃離部の者が、今後詳穩は当部から選任するよう請うたが、上は諸部の官長は適材を得ることが重要として、詔で許可しなかった。 耶律蒲寧・都監蕭勤德が女直東征から帰還し、戦勝を献上した。
三年 上は諸部の戸籍を閲覧し、涅剌・烏隈二部が戸数少なく役務重いため、酌量して免除した。 乙室奧隗部で黍が過熟で未収穫のため、人を遣わして収穫を助けた。 乙室姥隈部族副使が貢物を進上。朮不姑諸部が近地に来た。
四年 頻不部節度使和盧睹、黃皮室詳穩解里等がそれぞれ捕獲した兵器・甲冑を献上した。 姪里古部が輜重を行宮に送った。
五年 涅剌部節度使撒葛里は善政を行い、部民が留任を請願したため、これに従った。
六年 烏隈于厥部に対し、貂鼠・青鼠皮の貢納を停止し、馬・牛のみを貢納するよう詔を下した。 西南面招討使韓德威を以て、河湟路の命令に背いた諸蕃を討伐させた。
九年 室韋・烏古部を救済した。 鼻骨徳が貢物を献上した。
十二年 詔を下し、皇太妃に西北路烏古部の兵を率いさせた。
十三年 鼻骨徳が貢物を献上した。
十五年 奚五部の毎年の貢物(鹿)を廃止した。 敵烈八部が詳穏を殺して反乱を起こし、蕭撻が追撃し、その部族の半数を捕らえた。 奚王諸部の貢物を廃止した。
十六年 鼻骨德の酋長が貢ぎ物を持って来た。
十九年 達盧骨部が貢ぎ物を持って来た。 閏月、鼻骨德が貢ぎ物を持って来た。
二十一年 奧里などの部族が貢ぎ物を持って来た。 烏古が貢ぎ物を持って来た。
二十二年 蕃部による千齢節・冬至・重五の祝賀と貢ぎ物の進呈を廃止した。 蒲奴里、剖阿里などの部族が貢ぎ物を持って来た。
二十三年 烏古が貢ぎ物を献上した。 鼻骨德が貢ぎ物を献上した。
開泰元年 曷蘇館大王の曷里喜が来朝した。
二年 烏古と敵烈が反乱を起こし、右皮室詳穩の延壽に命じて兵を率いて討伐させた。 烏古と敵烈は皆、元の領地に戻った。
三年 鐵驪が貢ぎ物を献上した。 烏古が反乱を起こした。 八部敵烈が共の詳穩稍瓦を殺害し、皆が反乱を起こした。詔により南府宰相耶律吾剌葛がこれを招撫した。囚われていた敵烈の数人を釈放し、その衆を招諭させた。壬子の日、耶律世良が使者を遣わして敵烈の捕虜を献上した。
四年 耶律世良が敵烈得部を討伐した。 耶律世良が反乱を起こした烏古を討伐し、皆殺しにした。使者を遣わして軍前で功績のあった将校を賞した。 旗鼓拽剌詳穩題裡姑を六部奚王に任命した。
五年 鼻骨德の酋長撒保特、賽剌らが来貢した。
七年 東北の越里篤、部阿里、奧里米、蒲奴里、鐵驪の五部に毎年貂皮六万五千枚、馬三百匹を貢ぐことを命じた。烏古部節度使蕭普達が反乱を起こした敵烈を討伐し、滅ぼした。 蒲奴里部が貢ぎ物を持って来た。
八年 回跋部の太師踏剌葛が貢ぎ物を持って来た。 曷蘇館の惕隠阿不葛、宰相賽剌が貢ぎ物を持って来た。 回跋部の太保麻門が貢ぎ物を持って来た。 曷蘇館の惕隠阿不葛が貢ぎ物を持って来た。
太平元年 敵烈の酋長頗白が馬と駱駝を貢ぎ物として持って来た。
六年 蒲盧毛朵部には多くの兀惹の民戸がいるため、詔を下してこれを求めた。 朮不姑の諸部がすべて反乱した。 曷蘇館の諸部長が来朝した。 曷蘇館部が旗鼓の設置を請願し、許可された。
七年 蒲盧毛朵部が使者を派遣して貢物を献上した。 女直部、蒲盧毛朵部を来州に送って収管させた。 査只底部の民四百戸が来て帰附した。
興宗重熙元年 五国の酋長が来貢した。
三年 耶迷只部を救済する。
十年 蒲盧毛朵部に没入した曷蘇館の人戸を索還し、復業させる。 朮不姑の酋長が来貢する。
十二年 回跋部に詳穩・都監を設置する。 斡朵・蒲盧毛朵部の二使が来貢が不時であったが、その罪を釈し、帰還させる。
十三年 耶律歐里斯が兵を率いて蒲盧毛朵部を攻撃する。西南面招討都監の羅漢奴・詳穩の斡魯母らが奏上:山西部族節度使の屈烈が五部を率いて西夏に叛き、南北府の兵を派遣して実威塞州の人戸を援送するよう乞う。詔して富者を選んで発遣し、残りは天徳軍で屯田させる。 羅漢奴が奏上:派遣した部兵が党項と戦って不利であった。 元昊が党項三部の酋長を率いて降伏してきた。
十五年 蒲盧毛朵界の曷懶河の人々が帰順してきた。 蒲盧毛朵の曷懶河の180戸が帰順してきた。 女直部の長である遮母が衆を率いて帰順してきた。
十七年 瑤穩部と嘲穩部を救済した。 蒲盧毛朵部の大王である蒲輦が船工を献上した。 長白山の太師である柴葛と回跋の太師である撒剌都が貢物を献上してきた。 婆離八部の夷離菫である虎〈番去〉らが内附した。 蒲奴里の酋長陶得里を討伐。
十八年 耶律義先が蒲奴里での勝利を上奏。 耶律義先らが陶得里を捕らえて献上。 烏古が使者を送って帰順を申し出る。 五国の酋長がそれぞれ部族を率いて帰順。回跋部の長兀迭、臺札らが来朝。五国節度使耶律仙童が烏古の反乱者を降伏させ、左監門衛上將軍を授かる。
十九年 蒲盧毛朵部の惕隱信篤が来貢。高麗が来貢。 遠夷の抜思母部が使者を送って来貢。 回跋、曷蘇館、蒲盧毛朵部がそれぞれ使者を送って馬を献上。
二十一年 使者を五国及び鼻骨徳、烏古、敵烈の四部に派遣し、海東青鶻を捕獲させる。
道宗清寧二年 二女古部で代々宰相・節度使に選ばれる者は、皮室軍の役務を免除するよう詔を下す。
三年 五国部の長が地方の産物を貢納する。
八年 吾独婉惕隠の屯禿葛らが毎年の馬・駱駝の貢納を請願し、これを許可する。
咸雍五年 五国の剖阿里部が命令に背き、左夷離畢の蕭素颯がこれを討伐する。 五国の酋長が降伏し、引き続き地方の産物を献上した。
六年 五国の部族長が来朝した。
九年 八石烈敵烈人がその節度使を殺して反乱を起こし、皇帝は隈烏古部の軍を二つの道に分けてこれを攻撃するよう詔を下した。
大康元年 西北路の反乱を命じた酋長の遐搭、雛搭、双古らが降伏した。
四年 五国の部族長が貢ぎ物を献上した。
七年 五国部の部族長が朝貢に来た。
八年 五国の諸部族長が地方の産物を貢いだ。
九年 五国部の部族長が朝貢に来た。
大安元年 五国の部族長が良馬を貢いだ。
三年 絹を出して隗烏古部の貧民に賜った。 西北部の渤海が牛を献上した。
四年 五国諸部の長が来貢した。 諸部の官長に自ら獄訟を審理するよう詔を下した。
八年 阻卜の酋長磨古斯が金吾吐古斯を殺して叛き、奚六部の吐里耶律郭三を派遣して諸蕃部の兵を発し討伐させた。
九年 戦馬三千頭を烏古部に給与するよう詔を下した。烏古敵烈統軍使蕭朽哥が阻卜討伐の勝利を奏上した。
十年 惕徳の酋長が来貢した。 烏古部節度使耶律陳家奴が茶札剌討伐の勝利を奏上した。知北院樞密使事耶律斡特剌を都統とし、夷離畢耶律禿朵を副統とし、龍虎衛上將軍耶律胡呂を都監として磨古斯を討伐させ、積慶宮使蕭糾里を派遣して戦闘を監視させた。 西北路招討司が敵烈部の侵入を奏上し、統軍司の兵が戦って不利となり、招討司の兵がこれを撃破した。 和烈葛部が来貢した。惕徳酋長が来貢した。 この年、惕徳酋長の萌得斯が部族を率いて降伏し、詔で旧地を回復させた。頗里八部が侵入し、これを撃破した。
寿隆元年 敵烈が侵入し、群牧の馬を略奪したが、戍兵が襲撃し、略奪品を全て奪回した。 斡特剌が耶睹刮での勝利を奏上した。 頗里八部の酋長が帰順し、方物を進献した。斡特剌が磿古斯での勝利を奏上した。
二年 牛を市して烏古、敵烈、隗烏古部の貧民に与えた。 撻麻里別古部を救済した。 頗里八部が馬を献上した。
三年 烏古部節度使耶律陳家奴が西北諸部を討伐し功績があった。 蒲盧毛朵部長が部民を率いて帰順した。 五国部長が来朝して貢物を献上した。 蒲盧毛朵部が来朝して貢物を献上した。
五年 五国部長が来朝して貢物を献上した。 惕德酋長禿的らが来朝して貢物を献上した。 斡特剌が耶睹刮討伐の勝利を上奏した。
六年 オテラが反逆者モグスを捕らえて献上した。 ウグ部がチャザラを討伐し、これを破った。 イェドゥグァ諸部が西北路を侵した。 オテラがイェドゥグァ諸部の勝利を奏上した。 五国諸部の長が来貢した。
天祚帝乾統二年 オテラがイェドゥグァ等部の勝利を献上した。
四年 ビグデが使者を派遣して来貢した。
九年 五国部が来貢した。
十年 五国部の部長が来貢した。
天慶元年 五国部の部長が来貢した。
二年 五国部の部長が来貢した。
五年 饒州の渤海人古欲らが反乱を起こし、自ら大王と称した。蕭謝佛留らを派遣して討伐させた。
六年 烏古部が反乱を起こし、中丞耶律撻不也らを派遣してこれを招撫した。 烏古部が降伏した。 東面行軍副統馬哥、余睹らが曷蘇館を攻撃したが、敗北した。
保大二年 金軍が西京を占領し、沙漠以南の部族はすべて降伏した。帝は訛莎烈に逃れた。 烏古部節度使耶律棠古が敵烈部の反乱軍を破り、太子太保に加えられた。 都統馬哥が反乱した敵烈部を討伐し、これを平定した。 金主が南京を平定したと聞き、掃里関から出て、四部族詳穩の家に滞在した。
三年 軍将耶律敵烈らが梁王雅里を誘拐し西北部へ逃亡した。 耶律大石が金朝から逃亡して帰還した。再び黄河を渡って東へ戻り、突呂不部に居住した。
四年 皇帝は北へ逃れ、謨葛失が迎えに来て、配下の者を率いて防衛した。当時、従者は数日間食糧がなく、衣服で羊と交換した。烏古敵烈部に至り、謨葛失を神于越に封じた。 皇帝は突呂不部の者訛哥の妻諳葛を娶り、訛葛を本部の節度使とした。

天祚が播越し、耶律大石が燕晉国王淳を立てる。淳が死に、蕭妃と天徳軍に奔る。上は妃を誅し、大石を責める。大石は衆を率いて西去し、自立して帝となる。歴た諸部は後に附見する。

大黃室韋部 白達旦部 敵烈部 王紀剌部 茶赤剌部 也喜部 鼻骨德部
尼剌部 達剌乖部 達密里部 密兒紀部 合主部 烏古里部 阻卜部
普速完部 唐古部 忽母思部 奚的部 紀而畢部 乃蠻部 畏吾兒城
回回大食部 尋思干地 起而漫地

原本を確認する(ウィキソース):遼史 巻69