遼史

志第二十六: 儀えい志三

◎儀衛誌三(符印)

遙輦氏の世、回鶻より印を受く。耶瀾可汗に至り、唐に印を請う、武宗始めて「奉國契丹印」を賜う。太祖神冊元年、梁の幽州刺史来帰す、詔して印綬を賜う。是の時、太祖遙輦に位を受くること十年なり。会同九年、太宗晋を伐ち、末帝表を上ぐるに伝国宝一、金印三、天子の符瑞ここに遼に帰す。

伝国宝は、秦始皇の作、藍玉を用い、螭紐、六面、其の正面の文「受命於天、既壽永昌」、魚鳥篆、子嬰以て漢高祖こうそに上ぐ。王莽漢を篡し、平皇后璽を殿階に投ず、螭角微かに玷つ。献帝之を失い、孫堅井中に得、孫権に伝わるに至り、以て魏に帰す。魏文帝隷を以て肩際に刻みて曰く「大魏受漢伝国之宝」。唐更めて名づけて「受命宝」。晋亡びて遼に帰す。三国以来、僭偽諸国往往模擬私制し、歴代府庫の蔵する一ならず、真偽を弁ぜず。聖宗開泰十年、馳驛して石晋の上ぐる所の玉璽を中京に取る。興宗重熙七年、以て《伝国宝有る者を正統と為すの賦》を以て進士を試む。天祚保大二年、伝国璽を桑乾河に遺す。

玉印は、太宗晋を破り北に帰り、汴宮にて得、随駕庫に蔵す。穆宗応歴二年、詔して太宗の旧宝を用う。御前宝は、金に鑄し、文に曰く「御前之宝」、以て臣僚の宣命を印す。詔書宝は、文に曰く「書詔之宝」、凡そ書詔批答之を用う。

契丹宝は、契丹冊儀を受く、符宝郎宝を捧げて御坐の東に置く。金印三は、晋帝の上ぐる所、其の文詳ならず。

皇太后宝は、制詳ならず。天顕二年、応天皇太后称制し、群臣璽綬を上ぐ。冊承天皇太后儀、符宝郎宝を奉じて皇太后坐の右に置く。皇后印は、文に曰く「皇后教印」。

皇太子宝は、其の制詳ならず。重熙九年皇太子を冊する儀、中書令皇太子宝を授く。吏部印は、文に曰く「吏部之印」、銀に鑄し、以て文官の制誥を印す。兵部印は、文に曰く「兵部之印」、銀に鑄し、以て軍職の制誥を印す。

契丹枢密院、契丹諸行軍部署、漢人枢密院、中書省、漢人諸宮都部署の印、並びに銀に鑄す。文六字以上に過ぎず、銀朱を以て色と為す。

南北王以下内外百司の印、並びに銅に鑄し、黄丹を以て色と為し、諸税務は赤石を以て色と為す。

杓窊印は、杓窊は鷙鳥の総名、以て印紐と為し、疾速の義を取る。行軍詔将帥を賜うに之を用う。道宗耶律仁先に鷹紐印を賜う、即ち此れなり。符契

大賀氏八部より用兵有れば、則ち契を合して動く、木を刻みて牉合と為すに過ぎず。太祖命を受く、以て金魚に易う。

金魚符七枚、黄金に鑄し、長さ六寸、各々字号有り、毎魚左右判合す。事有れば、左半を以て先ず守将に授け、使者右半を執り、大小・長短・字号合同して、然る後に兵を発す。事訖れば、内府に帰す。

銀牌二百面、長さ一尺、国字を以て刻み、文に曰く「宜速」、又曰く「勅走馬牌」。国に重事有れば、皇帝牌を以て親しく使者に授け、手札を以て驛馬若干を給す。驛馬闕くれば、他の馬を取って代う。法、昼夜七百里を馳せ、其の次五百里。至る所天子親臨の如く、須索更易す、敢て違う者無し。使い回れば、皇帝親しく之を受け、手封牌印郎君収掌す。

木契は、表面を陽とし、裏面を陰とし、閣門が仗を呼び出すときに用いる。朝賀の礼においては、宣徽使が陽面の木契を請い下殿し、殿門に至って、契を西上閣門使に授けて云う、「契を授けて行勘せよ」と。勘契官が声を出して承諾し、跪いて契を受け、手を挙げて契を勘合し、俯し、興き、鞠躬し、奏上して「内外の勘契同じ」と。閣門使が云う、「勅に準じて契を勘合し、行勘せよ」と。勘契官が陰面の木契を執り声を出し、平身して立ち、少し退き近く後ろに引き、声を引いて「軍将門仗官」と云うと、斉しく声を出す。勘契官が云う、「内より出でし喚仗木契一隻、勅に準じて左右金吾仗に付して行勘す」と。勘契官が「合うか合わぬか」と云うと、門仗官が「合う」と云い、凡そ再び行う。勘契官が「同じか同じからぬか」と云うと、門仗官が「同じ」と云い、これも再び行う。勘契官が近く前に進み鞠躬し、奏上する、「勘官左金吾引駕仗、勾画都知某官某、御前に對して勘合同じ」と。平身し、少し退き近く後ろに引き、右手に契を挙げて云う、「其の契謹みて閣門使に付し進入せしむ」と。閣門使が声を引いて承諾し、門仗官が下声で承諾する。勘契官が跪いて契を授け、閣門使が上殿して契を納め、宣徽使が契を受ける。閣門使が下殿し、勅を奉じて仗を喚ぶ。

木箭は、内箭を雄とし、外箭を雌とし、皇帝の行幸のときに用いる。還宮の際、勘箭官が雌箭を執り、東上閣門使が雄箭を執り、勘契の儀式の如く行い、詳しくは『礼儀志』に具える。