遼史

志第二十三: 楽志

◎楽誌

遼には国楽があり、雅楽があり、大楽があり、散楽があり、鐃歌・横吹楽がある。旧史は聖宗・興宗が皆音律に通じ、声気・歌辞・舞節は、太常・儀鳳・教坊に徴しても得られないと称する。『紀』『志』『遼朝雑礼』を按じ、史籍を参考し、知り得るものを定めて、一代の欠けた文章を補う。

ああ、『咸』『韶』『夏』『武』の楽は、声は亡び書は逸し、河間が『記』を作り、史遷はこれによって『書』とした。寥として希なるかな、遼の楽は、これを見れば足りる。

国楽

遼には国楽があり、これは先王の風に似る。その諸国楽は、諸侯の風に似る。故にその概略を誌す。

正月朔日の朝賀には、宮懸雅楽を用いる。元会には、大楽を用いる。曲破の後、散楽を用い、角觝でこれを終える。この夜、皇帝が燕飲するには、国楽を用いる。

七月十三日、皇帝は行宮を出て三十里に帳を卓つ。十四日に宴を設け、従う諸軍は各部落に随って楽を動かす。十五日は中元、大宴を行い、漢楽を用いる。

春に杏堝に飛放し、皇帝が頭鵝を射獲すれば、廟に薦め燕飲し、楽工数十人が小楽器を執って酒を侑える。諸国楽

太宗会同三年、晋の宣徽使楊端・王朓ら及び諸国の使者が朝見し、皇帝は便殿に御して宴を賜う。朓が起ち進酒し、歌舞を作り、上は觴を挙げて極めて歓ぶ。

会同三年端午の日、百官及び諸国の使者が賀を称し、式の如く燕飲し、回鶻・敦煌の二使に命じて本国の舞を行わせる。

天祚天慶二年、駕は混同江に幸し、頭魚の酒筵、半ば酣に至り、上は諸酋長に命じて次第に歌舞して楽と為す。女直の阿骨打は端立して直視し、不能を以て辞す。上は蕭奉先に謂いて曰く、「阿骨打の意気雄豪、顧視常ならず、辺事を托してこれを誅すべし。然らずんば、後患を貽すを恐る。」奉先奏して曰く、「阿骨打に大過無く、これを殺せば向化の意を傷つく。蕞爾たる小国、又何ぞ能く為さん。」

雅楽

漢以後より、相承する雅楽には、古『頌』あり、古『大雅』あり。遼は郊廟の礼を欠き、頌楽無し。大同元年、太宗は汴より将に還らんとし、晋の太常楽譜・宮懸・楽架を得て、所司に委ねて先ず中京に赴かしむ。

聖宗太平元年、尊号冊礼において、宮懸を殿庭に設け、麾を挙げる位は殿の第三重西階の上に置き、協律郎は各々麾を挙げる位に就き、太常博士が太常卿を導き、太常卿が皇帝を導く。儀仗が動こうとする時、協律郎が麾を挙げると、太楽令が黄鐘の鐘を撞くよう命じ、左右の鐘は皆これに応ず。楽工が立ち上がり、楽が奏される。皇帝が御座に着くと、扇が合わさり、楽が止む。王公が入門すると、楽が奏され、位に至ると、楽が止む。通事舍人が押冊大臣を導き初めて動くと、楽が奏され、冊を殿前の香案に置き終え、位に就くと、楽が止む。冊を舁ぐ官が冊を奉じ、初めて動くと、楽が奏され、殿に昇り、冊を御座の前に置き、西の壁の北の上位に就くと、楽が止む。大臣が殿に上ると、楽が奏され、殿の欄干内の位に至ると、楽が止む。大臣が殿階を降りると、楽が奏され、元の位に戻ると、楽が止む。王公三品以上が出ると、楽が奏され、太常博士が太常卿を導き、太常卿が皇帝を導いて御座を降り閣に入ると、楽が止む。

興宗重熙九年、契丹冊を上る儀式において、皇帝が出御すると、『隆安』の楽を奏す。

聖宗統和元年、承天皇太后を冊立する儀式において、宮懸・簨虡を設け、太楽工・協律郎が入る。太后の儀衛が動き、麾が挙げられると、『太和』の楽が奏される。太楽令・太常卿が導き御座に昇り、簾が巻き上げられると、楽が止む。文武三品以上が入ると、『舒和』の楽が奏され、位に至ると、楽が止む。皇帝が入門すると、『雍和』の楽が奏され、殿前の位に至ると、楽が止む。宰相が冊を押し、皇帝が冊に従うと、楽が奏され、殿前に至り冊を案上に置くと、楽が止む。翰林学士・大将軍が冊を舁ぐと、楽が奏され、御座の前に置くと、楽が止む。丞相が殿に上ると、楽が奏され、冊を読む位に至ると、楽が止む。皇帝が殿を下ると、楽が奏され、位に至ると、楽が止む。太后が宣答し終わると、楽が奏され、皇帝が西閣に至ると、楽が止む。親王・丞相が殿に上ると、楽が奏され、退班して出ると、楽が止む。簾が下りると、楽が奏され、皇太后が内に入ると、楽が止む。

皇太子冊立の儀:太子が初めて入門すると、『貞安』の楽が奏される。

冊礼における楽工の次第:四隅に各々建鼓一虡を置き、楽工各一人。宮懸は毎面九虡、毎虡に楽工一人。楽虡の近く北に置き、各一、楽工各一人。楽虡の内に坐部の楽工、左右各百二人。楽虡の西南に武舞六十四人、小旗を執る者二人。楽虡の東南に文舞六十四人、小旗を執る者二人。協律郎二人。太楽令一人。

唐の『十二和』の楽は、遼の初めにこれを用い、『和』は天神を祀り、『順和』は地祇を祭り、『永和』は宗廟を饗け、『肅和』は登歌して玉帛を奠め、『雍和』は俎に入れて神に接し、『壽和』は酌献して神に飲ませ、『太和』は昇降を節し、『舒和』は出入を節し、『昭和』は酒を挙げ、『休和』は飯に用い、『正和』は皇后が冊を受ける時に用い、『承和』は太子が用いる。

遼の『十二安』の楽:初め、梁が唐の『十二和』の楽を『九慶』の楽と改め、後唐は唐の宗廟を建て、なお『十二和』の楽を用い、晋はこれを『十二同』の楽と改めた。『遼雑礼』に「天子出入には『隆安』を奏し、太子行には『貞安』を奏す」とある。すなわち遼もかつて楽名を改めたのである。残る十安の楽名は欠けている。

遼の雅楽の歌辞は、文が欠けて具わらない。八音の器数は、おおむね唐の旧制による。八音:金は縛・鐘、石は球・磬、

絲は琴・瑟、竹は籥・簫・竾、匏は笙・竽、土は籥、

革は鼓・鼗、木は、

十二律は周の黍尺九寸の管を用い、空の径三分を本とする。道宗大康年中、詔して黍によって定めた升斗を行い、かつ律を定めた。その法はおおむね古律を用いる。

大楽

漢以来、秦・楚の声に因って楽府を置く。隋の高祖こうそに至り、音を知る者を求める詔があり、鄭訳が西域の蘇祗婆の七旦の声を得て、七音八十四調の説に合わせ求めた。これにより雅俗の楽は、皆この声となった。朝廷で用い、雅楽と別なるものを大楽という。晋の高祖が馮道・劉煦を使わして応天太后・太宗皇帝を冊立した時、その声器・工官と法駕は、共に遼に帰した。

聖宗統和元年、承天皇太后を冊立する儀式において、童子弟子隊の楽が太后の輦を導いて金鑾門に至る。

天祚皇帝天慶元年の上寿儀:皇帝が東閣より出御し、鞭を鳴らすと、楽が奏される。簾が巻き上げられ、扇が開くと、楽が止む。太尉が台を執り、分班し、太楽令が麾を挙げると、楽が奏され、皇帝が酒を飲み終わると、楽が止む。座すべき臣僚は東西の外殿に、太楽令が堂上に導き、楽が昇る。大臣が台を執り、太楽令が觴を挙げるよう奏し、登歌すると、楽が奏され、飲み終わると、楽が止む。臣僚に酒を行き渡らせ、太楽令が巡周を奏し、麾を挙げると、楽が奏され、飲み終わると、楽が止む。太常卿が御食を進め、太楽令が食が行き渡ったことを奏すると、楽が奏され、『文舞』が入り、三変し、導き出されると、楽が止む。次に酒を進め、臣僚に酒を行い、觴を挙げ、巡周すると、楽が奏され、飲み終わると、楽が止む。次に食を進め、食が行き渡ると、楽が奏され、『武舞』が入り、三変し、導き出されると、楽が止む。扇が合わさり、簾が下り、鞭を鳴らすと楽が奏され、皇帝が西閣に入ると、楽が止む。

大楽器:本来は唐の太宗の『七徳』・『九功』の楽である。武后が唐の宗廟を毀つと、『七徳』・『九功』の楽舞は遂に亡び、その後は宗廟で隋の『文』・『武』の二舞を用いた。朝廷では高宗の『景雲』楽を以て代え、元会では第一に『景雲』楽舞を奏した。杜佑の『通典』は既に諸楽は皆亡びたと称し、ただ『景雲』楽舞のみが僅かに存するとする。唐末・五代の板蕩の余波で、存するものは稀である。遼国の大楽は、晋代に伝えられたものである。雑礼には坐部楽工が左右各一百二人と見えるが、これも『景雲』の遺工を以て坐部に充てたものであろう。その坐部・立部の楽は、唐の時既に亡びており、考証し得るのはただ『景雲』四部楽舞のみである。

玉磬・方響・搊箏・築

臥箜篌・大箜篌・小箜篌・大琵琶

小琵琶・大五弦・小五弦・吹葉

大笙・小笙・觱篥・簫

銅鈸・長笛・尺八笛・短笛

以上は皆一人。毛員鼓・連鼗鼓・貝

以上は皆二人、その他の各楽器は工一人。歌二人。舞二十人、四部に分かれる:『景雲』舞八人

『慶雲』楽舞四人・『破陣』楽舞四人・『承天』楽舞四人

大楽調:雅楽に七音あり、大楽にも七声あり、これを七旦と謂う:一を娑陁力(平声)と曰い、二を雞識(長声)と曰い、三を沙識(質直声)と曰い、四を沙侯加濫(応声)と曰い、五を沙臘(応和声)と曰い、六を般贍(五声)と曰い、七を俟利𨖷(斛牛声)と曰う。隋以来、楽府はその声を取って、四旦二十八調を大楽とした。

娑陁力旦:正宮・高宮・中呂宮

道調宮・南呂宮・仙呂宮・黄鐘宮

雞識旦:越調・大食調・高大食調

双調・小食調・歇指調・林鐘商調

沙識旦:大食角・高大食角・双角

小食角、歇指角、林鐘角、越角

般涉旦:中呂調、正平調、高平調

仙呂調、黃鐘調、般涉調、高般涉調

右の四旦二十八調は、黍律を用いず、琵琶の弦をもってこれに叶う。皆、濁より清に至り、声を重ねて更にし、下は益々濁り、上は益々清し。七七四十九調あり、余りの二十一調はその伝を失う。蓋し九部楽の《龜茲部》より出づるという。

大楽の声:各調の中に、曲を度り音に協せしむるに、その声凡そ十あり、曰く、五、凡、工、尺、上、一、四、六、勾、合なり。十二雅律に近く、律呂に於いて各々その一を闕き、猶ほ雅音の商に及ばざるが如し。

散楽

殷人は靡靡の楽を作り、その声往きて反らず、流れて鄭・衛の声となる。秦・漢の間、秦・楚の声起こり、鄭・衛の声次第に亡ぶ。漢の武帝は李延年に楽府を典せしめ、稍々西涼の声を用う。今の散楽は、俳優・歌舞雑進し、往々漢の楽府の遺声なり。晉の天福三年、劉句を遣わして伶官を以て来帰せしめ、遼に散楽あるは、蓋しこれより起こる。

遼の冊皇后の儀:百戯・角觝・戯馬を呈して以て楽とす。皇帝生辰の楽次:酒一行、觱篥起こり、歌す。酒二行、歌し、手伎入る。

酒三行、琵琶独弾す。餅・茶・致語。食入り、雑劇進む。酒四行、闕く。

酒五行、笙独吹し、鼓笛進む。酒六行、箏独弾し、築球す。酒七行、歌曲破し、角觝す。曲宴宋国使の楽次:

酒一行、觱篥起こり、歌す。酒二行、歌す。酒三行、歌し、手伎入る。酒四行、琵琶独弾す。

餅・茶・致語。食入り、雑劇進む。酒五行、闕く。酒六行、笙独吹し、《法曲》に合す。

酒七行、箏独弾す。酒八行、歌し、架楽を撃つ。酒九行、歌し、角觝す。

散楽は、三音を以て三才の義を該ね、四声を以て四時の気を調べ、十二管の数に応ず。竹を截ちて四竅の笛と為し、以て音声を葉え、これに弦歌を被す。三音:天の音は揚がり、地の音は抑えられ、人の音は中なり、皆、声有りて文無し。四時:春の声を平と曰い、夏の声を上と曰い、秋の声を去と曰い、冬の声を入と曰う。

散楽の器:觱篥、簫、笛、笙、琵琶、五弦、箜篌、箏、方響、杖鼓、第二鼓、第三鼓、腰鼓、大鼓、鞚、拍板。

雑戯:斉の景公が倡優侏儒を用いたことに始まり、漢の武帝は魚龍曼延の戯を設け、後漢には縄舞・自刳の伎があり、杜佑は多くが幻術であり、皆西域より出づと為す。哇俚にして経に合わず、故に具に述べず。

鼓吹楽

鼓吹楽は、一に短簫鐃歌楽と曰い、漢よりこれ有り、之を軍楽と謂う。『遼雑礼』に、朝会には熊羆十二案を設け、法駕には前後部鼓吹有り、百官の鹵簿には皆鼓吹楽有り。前部:

鼓吹令二人、〓鼓十二、金鉦十二、大鼓百二十、

長鳴百二十、鐃十二、鼓十二、歌二十四、

管二十四、簫二十四、笳二十四。後部:

鼓吹丞二人、大角百二十、羽葆十二、鼓十二、

管二十四、簫二十四、鐃十二、鼓十二、

簫二十四、笳二十四。右の前後鼓吹は、行くときは則ち駕を導きてこれを奏し、朝会には則ち仗を列ね、設けて奏せず。

横吹楽

横吹も亦た軍楽なり、鼓吹と分部して同じく用い、皆鼓吹令に属す。前部:大横吹百二十、節鼓二、

笛二十四、觱篥二十四、笳二十四、桃皮觱篥二十四、

〓鼓十二、金鉦十二、小鼓百二十、中鳴百二十、

羽葆十二、鼓十二、管二十四、簫二十四、

笳二十四。後部:小横吹百二十四、笛二十四。

簫二十四、觱篥二十四、桃皮蒨篥二十四

百官の鼓吹・横吹楽は、四品以上より、それぞれ増減あり、『儀衛志』に見ゆ。周の衰えより、先王の楽は次第に亡失し、『周南』は『秦風』に変ず。始皇天下を有するに及び、鄭・衛・秦・燕・趙・楚の声相次いで進み、而して雅声は亡ぶ。漢唐の盛時、文事は多く西音に属し、これ大楽・散楽と為す。武事は皆北音に属し、これ鼓吹・横吹楽と為す。雅楽の存するものは、その器は雅にして、その音もまた西と謂う。