遼史

志第十三: 曆象志中

◎曆象誌中

○閏考

月の運行が不足すれば、これにより朔の虚が生じ、天の運行に余りがあれば、これが気の盈となる。盈と虚が相い懸隔すれば、歳月は牉し、牉が積もって差が生じ、寒暑が互いに易わり、百穀は実らず、諸々の政務は明らかでなくなる。聖人は斗柄をもってこれを験し、歳星をもってこれを準え、ここに閏法を立て、百官を信治する。ゆえに閏が正しければ月が正しく、月が正しければ歳が正しい。歳月が既に正しければ、令を頒ち考績を行い、時に合わざることはない。国史は歳年を正して以て事を叙す、これより重きはない。遼は初め梁・唐の暦を征用した。晋に入った後、帝制を奄有し、『乙未』『大明』と、暦法は再び変わった。穆宗応暦六年、周は顕徳『欽天暦』を用い、十年、宋は建隆『応天暦』を用いた。景宗乾亨四年、宋は『乾元暦』を用いた。聖宗統和十九年、宋は『儀天暦』を用い、太平元年、宋は『崇天暦』を用いた。道宗清寧十年、宋は『明天暦』を用い、大康元年、宋は『奉元暦』を用い、大安七年、宋は『観天暦』を用いた。天祚皇帝乾統六年、宋は『紀元暦』を用いた。五代の暦は三変し、宋は凡そ八変し、遼は終始再変した。暦法が斉しからざる故に、定朔を定め閏を置くこと、時に同じからず、覧る者惑う。ここに『閏考』を作る。(書540-564頁に表有り)