二月壬午、室韋が白麃を進む。戊子、鉄驪来貢す。丁酉、松山に猟す。戊戌、遼河東に幸す。丙申、上、人皇王を思い、惕隠を遣わして宗室以下を率い其の行宮を祭らしむ。丁未、詔して晋使の経過する供億戸を増す。
三月壬戌、将に東幸せんとす。三克、農務方に興ると言い、輜重を減じ、還朝を促さんことを請う。之に従う。丙寅、女直来貢す。癸酉、東幸す。
夏四月戊寅朔、南京に如く。甲申、女直来貢す。乙酉、温泉に幸す。己丑、還宮し、皇太后に朝す。丁酉、女直、弓矢を貢す。己亥、西南辺大詳穏耶律魯不古、党項の捷を奏す。
五月甲寅、晋復た使者を遣わして尊号を上ることを請う。之に従う。
六月丙子朔、吐谷渾及び女直来貢す。辛卯、南唐来貢す。癸巳、詔して日月四時堂を建て、古帝王の事を両廡に図写せしむ。
秋七月癸亥、使者を遣わして晋に馬を賜う。丁卯、鶻離底を遣わして晋に使わし、梅里了古をして南唐に使わしむ。戊辰、中台省右相耶律述蘭迭烈哥を遣わして晋に使わし、臨海軍節度使趙思温之に副わし、晋帝を冊して英武明義皇帝と為す。
八月戊子、女直来貢す。庚子、吐谷渾、烏孫、靺鞨皆来貢す。
九月庚戌、黒車子室韋、名馬を貢す。辺臣、晋が守司空馮道、左散騎常侍韋勛を遣わして皇太后の尊号を上り、左僕射劉昫、右諫議大夫盧重皇帝の尊号を上ると奏す。遂に監軍寅你已を遣わして接伴を充てしむ。壬子、詔して群臣及び高年に、凡そ大臣の爵秩を授くる者は、皆錦袍、金帯、白馬、金飾の鞍勒を賜い、令に著す。
冬十月甲戌朔、郎君迪里姑等を遣わして晋使を撫問す。壬寅、晋、使者を遣わして冊礼を謝す。是の日、復た使有りて独峰駝及び名馬を進む。
十一月甲辰朔、南北宰相及び夷離堇に命じ、就館して晋使馮道以下に宴を賜わしむ。丙午、上開皇殿に御し、晋使を召見す。壬子、皇太后開皇殿に御し、馮道、韋勛、尊号を冊上して広徳至仁昭烈崇簡応天皇太后と曰う。甲子、再生柴冊礼を行ふ。丙寅、皇帝宣政殿に御し、劉昫、盧重、尊号を冊上して睿文神武法天啓運明徳章信至道広敬昭孝嗣聖皇帝と曰う。大赦し、元を改めて会同と為す。是の月、晋復た趙瑩を遣わして表を奉り来賀し、幽・薊・瀛・莫・涿・檀・順・媯・儒・新・武・雲・応・朔・寰・蔚の十六州並びに図籍を以て来献す。ここに於て詔して皇都を以て上京と為し、府を臨潢と曰う。幽州を升めて南京と為し、南京を東京と為す。新州を改めて奉聖州と為し、武州を帰化州と為す。北・南二院及び乙室夷離堇を升めて王と為し、主簿を以て令と為し、令を刺史と為し、刺史を節度使と為し、二部梯里己を司徒と為し、達剌干を副使と為し、麻都不を県令と為し、県達剌干を馬歩と為す。宣徽・閤門使・控鶴・客省・御史大夫・中丞・侍御・判官・文班牙署・諸宮院世燭、馬群・遙輦世燭、南北府・国舅帳郎君官を敞史と為し、諸部宰相・節度使帳を司空と為し、二室韋闥林を僕射と為し、鷹坊・監冶等局官長を詳穏と為す。
十二月戊戌、同括・阿缽等を遣わして晋に使わし、制して晋の馮道に守太傅を加え、劉昫に守太保を加え、余官各差有り。
二月戊寅、諸王及び節度使にして冊礼を受けたことを賀し来たる者を宴し、仍て皇太子・惕隱迪輦に命じて之を餞せしむ。癸巳、太祖廟に謁し、在京の吏民に物を賜い、及び内外の群臣に官賞すること差あり。丁酉、兼侍中・左金吾衛上將軍王鄑に加えて檢校太尉とす。
三月、褭潭の則に畋う。戊申、女直、貢し来たる。丁巳、皇子述律を封じて壽安王とし、罨撒葛を太平王とす。己巳、大いに百姓を賚う。
夏四月乙亥、木葉山に幸す。癸巳、東京路、狼人を食うと奏す。
五月乙巳、南京に牝羊を境外に鬻ぐことを禁ず。思奴古多里等、官物を盗みて坐し、其の家を籍す。南唐、使者を遣わして貢し来たる。丁未、貢せしめたる物を以て群臣に賜う。戊申、回鶻單于使人、官を授けんことを乞う、詔して第に刺史・縣令を加う。
六月丁丑、雨雪。是の夏、頻蹕淀に駐蹕す。
秋七月戊申、晉、使者を遣わして犀帶を進む。庚戌、吐谷渾、貢し来たる。乙卯、敞史阿缽、奉使して職を失うに坐し、命じて之を笞つ。
閏月癸未、乙室大王、賦調均しからざるに坐し、木剣を以て背を撻ちて之を釈す。並びに南・北府の民の上供、及び宰相・節度諸の賦役にして旧制に非ざる者を罷む。乙酉、的烈を遣わして晉に烏古の良馬を賜う。己丑、南王府の二刺史の貪蠹なるを以て、各杖一百、仍て虞候帳に系し、射鬼箭に備え、群臣の民に愛せらるる者を選びて之に代う。
八月乙丑、晉、使者を遣わして歳幣を貢し、戌・亥の二歳の金幣を燕京に輸することを奏す。
九月甲戌、阻卜阿離底、貢し来たる。己卯、使者を遣わして晉に使わす。
冬十月丁未、上、烏古部の水草肥美なるを以て、詔して北・南院に三石烈の戸を徙して之に居らしむ。
十一月丁亥、鐵驪・敦煌並びに使者を遣わして貢し来たる。
十二月庚子、土河に魚を釣る。甲子、回鶻の使者の傔人に刃を以て相撃つ者有り、詔して其の使に付して之を処せしむ。
二月己亥、奚王の労骨寧が六節度使を率いて朝貢した。庚子、烏古が使者を遣わして伏鹿国の捕虜を献上したので、その部の夷離堇に旗鼓を賜い、その功を顕彰した。壬寅、女直が来貢した。辛亥、墨離鶻末里が回鶻の阿薩蘭に使いして帰還したので、対衣を賜って労った。乙卯、鴨淥江の女直が使者を遣わして来朝した。
三月戊辰、使者を遣わして晋に使いし、南京行幸を報じた。己巳、南京に行幸した。辛未、惕隱の耶律涅離骨徳に命じて万騎を率いて先駆けさせた。壬申、石嶺に駐留し、奚王の労骨寧と監軍の寅你已が朝謁の時を守らなかったので、厳しく責めた。丙子、魯不姑が党項の捕虜・鹵獲の数を上奏した。癸未、水門で狩猟し、白鹿を獲た。庚寅、詔して、扈従で民を擾乱する者は軍律に従って処罰するとした。甲午、薊州に行幸した。乙未、晋および南唐が各々使者を遣わして来朝した。
夏四月庚子、燕に至り、法駕を整え、拱辰門より入り、元和殿に御し、入閤の礼を行った。壬寅、人を遣わして晋に使いさせた。乙巳、留守の趙延寿の別荘に行幸した。丙午、晋が宣徽使の楊端・王眺らを遣わして起居を問わせた。壬子、便殿に御し、晋および諸国の使者を宴した。丙辰、晋が使者を遣わして茶薬を進めた。壬戌、昭慶殿に御し、南京の群臣を宴した。癸亥、晋が使者を遣わして端午を賀し、進上した節物を以て群臣に賜った。乙丑、南唐が白亀を進めた。
五月庚午、端午を以て群臣および諸国の使者を宴し、回鶻・敦煌の二使に命じて本俗の舞を舞わせ、諸使に観覧させた。庚辰、晋が使者を遣わして弓矢を進めた。甲申、皇子の天徳および検校司徒の邸用和を遣わして晋に使いさせた。戊子、南郊で騎兵を閲兵した。
六月乙未朔、東京の宰相の耶律羽之が渤海の相の大素賢が法に背くと上言したので、詔して僚佐・部民に有才徳の者を挙げさせてこれに代えさせた。丙申、南郊で歩卒を閲兵した。庚子、晋および轄剌骨只が使者を遣わして来朝した。壬寅、車駕は燕京を発ち、中書令の蕭僧隠に命じて諸道の軍を長坐営に部署させた。癸丑、奉聖州に駐留した。甲寅、軍士を労った。
秋七月己巳、猾底烈山で狩猟した。癸酉、皇太后に朝した。丙子、皇太后に従って人皇王妃の病を見舞った。戊寅、人皇王妃の蕭氏が薨去した。己卯、安重栄が鎮州を拠りて晋に叛いたので、詔して征南将軍の柳に辺境の守備を厳しくさせた。丙戌、人皇王の行宮をその妃の薨去した所に移した。辛卯、晋が使者を遣わして南郊の礼を行いたいと請うたので、これを許した。
八月己亥、詔して東丹の吏民にその王の倍の妃の蕭氏の喪服を着させた。庚子、阻卜が来貢した。壬寅、使者を南唐に遣わした。乙巳、阻卜・黒車子室韋・賃烈等国が来貢した。南唐が使者を遣わして青氈帳を求めたので、これを賜った。戊申、安端の私城を以て白川州とした。辛亥、鼻骨徳の使者が爵位の賜与を乞うたので、その国の相の位を授けた。甲寅、阻卜が来貢した。乙卯、白川州の官属を置いた。丙辰、詔して于諧里河・臚朐河の近地を以て、南院の欧堇突呂・乙斯勃、北院の温納何剌、三石烈の人々に賜い、農田とさせた。
九月庚午、侍中の崔窮古が言うには、「晋主が陛下がしばしば遊猟されるのを聞き、節制されるようお願いしたいとの意向です」と。上は言った、「朕の狩猟は、ただ楽しみに従うだけでなく、武事を練習する所以である」と。そこで詔してこれを諭した。壬午、辺将が吐谷渾を撃破し、その長を生け捕りにしたと上奏したので、詔してその首悪と丁壮を誅するのみとし、残りは全て釈放させた。丙戌、晋が使者を遣わして名馬を貢いだ。戊子、女直および呉越王が使者を遣わして来貢した。
冬十月辛丑、克郎を呉越に、略姑を南唐に使いさせた。庚申、晋が使者を遣わして布を貢ぎ、また親しく南嶽を祠ることを請うたので、これを許した。
十一月己巳、南唐が使者を遣わして蠟丸書を奉り、晋の密事を言上した。丁丑、詔して有司に命じ、民に播種と紡績を教えさせた。姉が亡くなれば妹が続くという法を廃止した。
十二月壬辰朔、百官を率いて太祖の行宮に謁した。甲午、燔柴を行い、礼が終わると、神帳に祠った。丙申、使者を遣わして晋に使いさせた。丙辰、詔して、契丹人で漢官に任じられた者は漢儀に従い、漢人と婚姻することを聴すとした。丁巳、詔して燕京皇城の西南の堞に涼殿を建てさせた。
この冬、傘淀に駐蹕した。
会同四年
四年春正月壬戌、乙室・品卑・突軌の三部の鰥寡で自活できない者を、官が配偶させた。丙子、南唐が使者を遣わして来貢した。庚辰、涅剌・烏隗部が党項の捕虜・鹵獲の数を献上した。己丑、詔して党項征討の功績を定めた。
二月丙申、皇太子が白い獐を獲た。甲辰、晋が使者を遣わして香薬を進めた。丙子、鉄驪が来朝して貢物を献じた。丁巳、有司に命じて『始祖奇首可汗事跡』を編纂させた。己未、晋が楊彦詢を遣わして来朝し貢物を献じ、且つ鎮州の安重栄が跋扈している様子を言上したので、遂に留めて帰さなかった。この月、晋の鎮州の安重栄が遼の使者拽剌を捕らえた。
三月、回鶻の使者闊里を特に于越に授け、併せて旌旗・弓剣・衣馬を賜い、その他の者にも差等を設けて賜物を与えた。癸酉、晋が南郊での祭祀を許されたことを以て、使者を遣わして来朝し謝意を表し、黄金十鎰を進めた。
夏四月己卯、晋が使者を遣わして桜桃を進めた。
五月庚辰、吐谷渾の夷離堇蘇らが叛いて晋に入った。牒蠟を遣わして晋及び太原の守臣に諭旨を伝えさせた。
六月辛卯、振武軍節度副使趙崇がその節度使耶律画里を逐い、朔州を以て叛き、晋に附した。丙午、宣徽使褭古只を命じて朔州に赴かせ、兵をもってその城を囲ませた。晋の使者が至り、壁を開くことを請うたが、即座に聞き入れず、駅伝をもって闕下に送らせた。
秋七月癸亥、南唐が使者を遣わして蠟丸の書を奉った。丙寅、褭古只が奏上して、使者を朔州に遣わして降伏を命じることを請うたが、守備の者はなお堅く壁を守って受け入れなかった。且つ晋に貢物があると述べた。命じて即座にその貢物を攻城の将校に賜わった。己巳、有司が奏上して、神纛車に蜂の巣ができて蜜がなったと、史官がこれを占ったところ、吉であった。壬申、晋が使者を遣わして水晶硯を進めた。
八月癸巳、南唐が蠟丸の書を奉った。庚子、晋が使者を遣わして犀弓・竹矢を進めた。呉越王が使者を遣わして蠟丸の書を奉った。
九月壬申、星が孛(彗星)を晋の分野に現した。丁丑、帰化州に行幸した。
冬十月辛丑、有司が奏上して、燕・薊が大いに豊作であると。癸卯、呉越王が使者を遣わして来朝し貢物を献じた。
十一月丙寅、晋が安重栄を討伐したことを以て来告した。庚午、吐谷渾が降伏を請うたので、使者を遣わして慰撫諭旨した。阻卜が来朝して貢物を献じたので、その物を左右に賜わった。丙子、鴨緑江の女直が来朝して貢物を献じた。壬午、永寧・天授の二節及び正旦・重午・冬至・臘の日に併せて賀を受けられることとし、令に著した。
十二月戊子、晋が使者を遣わして来告し、山南節度使安従進が反したと。詔して便宜を以てこれを討たしめた。庚寅、南唐が使者を遣わして蠟丸の書を奉った。戊戌、晋が王升鸞を遣わして来朝し貢物を献じた。戊申、晋が安重栄を破ったことを以て来告したので、遂に楊彦詢を帰国させた。辛亥、晋が使者を遣わして戍兵の撤収を乞うたので、詔して惕隠朔古に班師させた。甲寅、朔州を攻め落とし、控鶴指揮使諧里を遣わして軍を労った。時に褭古只が城下で戦死したので、上は怒り、城中の丁壮を誅することを命じ、なお叛民の上戸三十を褭古只の部曲とした。
会同五年
五年春正月丙辰朔、上は帰化州に在り、行殿に御して群臣の朝賀を受けた。諸道の貢物を以て太后に進め、宗室百僚に賜わった。戊午、直言を求める詔を下し、北王府の郎君耶律海思が詔に応じ、召し出されて対し旨に叶ったので、特に宣徽使に授けた。政事令僧隠らに詔して、契丹戸を分けて南辺に屯させた。戊辰、晋が安重栄の首を函に入れて来献した。上は幾度も重栄を親征しようとしたが、ここに至ってやめた。癸酉、使者を遣わして晋に使わした。この月、晋が朔州平定を以て、使者を遣わして来賀したので、遂に客省使耶律化哥を遣わして晋に使わし、併せて生辰の礼を致した。
二月壬辰、上は南幸しようとしたが、諸路に未だ平定されざる者あるを以て、太子及び群臣を召して議した。皆曰く「今、襄・鎮・朔の三州は既に平らげられたとはいえ、然れども吐谷渾は安重栄に誘われて、なお帰命せず。兵を発してこれを討つべく、以て諸部に警めすべし」。上曰く「正に朕の思いと合う」。遂に詔して明王隈恩をもって于越信恩に代えて西南路招討使とし、以てこれを討たしめ、且つ明王に諭して、先ず辺事を練習すべく、而して後にその官に就くべしと。甲午、南京に行幸した。使者を遣わして晋に使わし、吐谷渾の叛者を索めさせた。乙未、鼻骨徳が来朝して貢物を献じた。
三月乙卯朔、晋が斉州防禦使宋暉業・翰林茶酒使張言を遣わして起居を問わしめた。
閏月、陽門に駐蹕す。
夏四月甲寅朔、鐵驪来貢す、其の物を以て群臣に分賜す。丙子、晉使を遣わし射柳鞍馬を進む。
五月五日戊子、屠宰を禁ず。
六月癸丑朔、晉齊王重貴使を遣わし来貢す。丁巳、徒睹古・素撒来貢す。乙丑、晉主敬瑭殂す、子重貴立つ。戊辰、晉使を遣わし哀を告ぐ、朝を輟むこと七日。庚午、使を遣わし晉に往き弔祭す。丁丑、皇太后の不豫を聞き、上馳せて入り侍し、湯薬必ず親しく嘗む。仍て太祖廟に告げ、菩薩堂に幸し、僧五万人に飯す。七月乃ち癒ゆ。
秋七月庚寅、晉金吾衛大將軍梁言・判四方館事朱崇節を遣わし来謝す、書に孫と称し、臣と称せず、客省使喬榮を遣わして之を譲る。景延廣答えて曰く、「先帝は則ち聖朝の立てし所、今主は則ち我国の自ら冊す。隣と為り孫と為るは則ち可なり、表を奉り臣と称するは則ち不可なり」と。榮還り、具に之を奏す、上始めて南伐の意有り。辛卯、阻卜・鼻骨德・烏古来貢す。將軍闥德里・蒲骨等降将轄徳を率いて闕に至り、並びに獲たる所を献ず。丁未、晉使を遣わし祖母の哀を以て告ぐ。
八月辛酉、女直・阻卜・烏古各方物を貢す。甲子、晉襄州を復す。戊辰、河東節度使劉知遠に詔し叛臣烏古指揮使を送り燕京より闕に赴かしむ。癸酉、天城軍節度使蕭拜石を遣わし晉に於て弔祭せしむ。
九月壬辰、使を遣わし晉帝の嗣位を賀す。
冬十月己巳、諸道の兵を征す。將軍密骨徳を遣わし党項を伐つ。
十一月乙未、武定軍松に棗の生ずるを奏す。
十二月癸亥、晉使を遣わし来謝す。
是の冬、赤城に駐蹕す。
會同六年
六年春二月乙卯、晉使を遣わし先帝の遺物を進む。辛酉、晉使を遣わし汴に居らんことを請う、之に従う。
三月己卯朔、吳越王使を遣わし来貢す。甲申、梅里喘引来帰す。戊子、南唐使を遣わし蠟丸書を奉る。丁未、晉汴に至り、使を遣わし来謝す。
夏四月戊申朔、日食有り。
五月己亥、使者を晋に遣わして生辰の礼を致す。
六月丁未朔、鉄驪来貢す。己未、奚鋤骨里部白麝を進む。辛酉、莫州白鵲を進む。晋使者を遣わして金を貢す。
秋八月丁未朔、晋復た金を貢す。己未、奉聖州に如く。晋其の子延煦を遣わして来朝す。
冬十一月辛卯、上京留守耶律迪輦、晋の諜を得て、二心あるを知る。甲辰、鉄驪来貢す。
十二月丁未、南京に如き、晋を伐つことを議す。趙延寿・趙延昭・安端・解里等に命じ、滄・恒・易・定より分道して進み、大軍之に継がしむ。
是歳、楊彦昭、鎮を奈濼及び新鎮に移すことを請う。之に従う。
会同七年
七年春正月甲戌朔、趙延寿・延昭、前鋒五万騎を率いて任丘に次す。丙子、安端、雁門に入り、忻・代を囲む。己卯、趙延寿、貝州を囲む。其の軍校邵珂、南門を開き遼兵を納る。太守呉巖、井に投じて死す。己丑、元城に次ぎ、延寿に魏・博等州節度使を授け、魏王に封じ、率いる所の部をして南楽に屯せしむ。丙申、兵を遣わして黎陽を攻む。晋の張彦澤来たりて拒ぐ。辛丑、晋使者を遣わして旧好を修め来る。詔して河北諸州を割き、及び桑維翰・景延広を遣わして来議せしむ。
二月甲辰朔、博州を攻む。刺史周儒、城を以て降る。晋平盧軍節度使楊光遠、密かに遼師を道し馬家口より河を済さしむ。晋将景延広、石斌に命じ麻家口を守らしめ、白再栄に命じ馬家口を守らしむ。未だ幾ばくもせず、周儒、遼軍麻答を引き河東に営し、鄆州北津を攻め、以て光遠に応ず。晋、李守貞・皇甫遇・梁漢璋・薛懐譲を遣わし、兵万人を将い、河に縁り水陸俱に進む。遼軍、晋の別将を戚城に囲む。晋主自ら将いて之を救う。遼師解けて去る。守貞等、馬家口に至る。麻答、歩卒万人を遣わし営壘を築き、騎兵万人をして外に守らしめ、余兵は河西に屯す。渡ること未だ已まず、晋兵之に迫る。遼軍利あらず。
三月癸酉朔、趙延寿言う、「晋の諸軍、河に沿いて柵を置くは、皆畏怯して敢えて戦わず。若し大兵を率いて直ちに澶淵に抵り、其の橋梁を拠らば、晋必ず取るべし」と。是日、晋兵澶淵に駐す。其の前軍高行周は戚城に在り。乃ち延寿・延昭に命じ数万騎を以て行周の右に出でしめ、上は精兵を以て其の左に出づ。戦いて暮に至る。上復た勁騎を以て其の中軍を突く。晋軍戦う能わず。会うに諜者有りて言う、晋軍東面数少なく、河に沿う城柵固からずと。乃ち急に其の東偏を撃つ。衆皆奔潰す。兵を縦ち追い及び、遂に之を大いに敗る。壬午、趙延昭を留めて貝州を守らしめ、俘うる所の戸を内に徙す。
夏四月癸丑、還り南京に次す。辛未、涼陘に如く。
五月癸酉、耶律抜里得、德州を破り、刺史尹居璠及び将吏二十七人を擒うるを奏す。
六月甲辰、黒車子室来貢す。乙巳、紝没里・要里等国来貢す。
秋七月己卯、晋の楊光遠、人を遣わし蠟丸書を奉る。辛卯、晋、張暉を遣わし表を奉りて和を乞う。暉を留めて遣わさず。
八月辛酉、回鶻、使者を遣わし婚を請う。許さず。是月、晋鎮州の兵来たりて飛狐を襲う。大同軍節度使耶律孔阿、之に戦いて敗る。
九月庚午朔、北へ幸す。
冬十月丁未、鼻骨徳来貢す。壬戌、天授節、諸国進賀す、惟だ晋至らず。
十一月壬申、詔して諸道の兵を征し、閏月の朔を以て温楡河の北に会せしむ。
十二月癸卯、南伐す。甲子、古北口に次ぐ。
閏月己巳朔、諸道の兵を温楡河に閲す。己卯、恒州を囲み、其の九県を下す。
会同八年
八年春正月庚子、兵を分かち邢・洺・磁の三州を攻め、殺掠殆んど尽くす。鄴都の境に入る。張従恩・馬全節・安審琦の兵悉く相州安陽水の南に陳す。皇甫遇と濮州刺史慕容彦超、兵千騎を将いて来たり遼軍を覘う。鄴都に至り、遼軍数万に遇い、且つ戦い且つ却き、楡林店に至る。遼軍継いて至り、遇と彦超力戦すること百余合、遇の馬斃れ、歩戦す。審琦騎兵を引きて水を踰えて以て救う、遼軍乃ち還る。
二月、魏を囲む、晋の将杜重威兵を率いて来たり救う。戊子、晋の将折従阮勝州を陥す。
三月戊戌、師祁州を抜き、其の刺史沈斌を殺す。庚子、杜重威・李守貞泰州を攻む。戊子、趙延寿前鋒を率いて泰城に迫る。己未、重威・守貞兵を引きて南へ遁る、陽城に追い至り、之を大いに敗る。復た歩卒を以て方陣と為し来たり拒ぎ、之と戦うこと二十余合。壬戌、復た搏戦すること十余里。癸亥、晋兵を白団衛村に囲む。晋兵鹿角を下して営と為す。是の夕大風。曙に至り、鉄鷂軍に命じて馬を下り、其の鹿角を抜き、短兵を奮って入り撃たしむ。風に順いて火を縱ち塵を揚げ、以て其の勢を助く。晋軍大いに呼びて曰く、「都招討何ぞ兵を用いず、士卒をして徒に死せしむるや」と。諸将皆奮い出で戦う。張彦澤・薬元福・皇甫遇兵を出だし大戦し、諸将継いて至り、遼軍却くこと数百歩。風益々甚だしく、晝晦れて夜の如し。符彦卿万騎を以て横より遼軍を撃ち、歩卒を率いて並び進む、遼軍利あらず。上奚車に乗じて退くこと十余里、晋の追兵急なり、一の橐駝を獲て之に乗じ乃ち帰る。晋兵退きて定州に保つ。
夏四月甲申、還りて南京に次ぎ、戦い力めざる者を杖すること各数百。庚寅、将士を元和殿に宴す。癸巳、涼陘に如く。
六月戊辰、回鶻来貢す。辛未、吐谷渾・鼻骨徳皆来貢す。辛巳、黒車子室韋来貢す。丁亥、趙延寿奏す、晋兵高陽を襲う、戍将之を撃ち走らすと。
秋七月乙卯、平地松林に獵す。晋孟守中を遣わし表を奉じて和を請う、仍って前事を以て之に答う。
八月己巳、詔して侍衛蕭素撒に群牧を北陘に閲せしむ。
九月壬寅、赤山に次ぎ、従臣を宴し、軍国の要務を問う。対えて曰く、「軍国の務、民を愛するを本と為す。民富めば則ち兵足り、兵足れば則ち国強し」と。上以て然りと為す。辛酉、上京に還る。
冬十月辛未、木葉山に祠る。
十一月戊戌、女直及び鐵驪が来朝して貢物を献じた。
十二月癸亥朔、太祖の行宮に朝謁した。乙丑、雲州節度使耶律孔阿が晉の間諜を捕らえた。戊辰、臘の祭りを行い、諸国からの貢使に衣装と馬を賜った。
會同九年
九年春正月庚子、回鶻が来朝して貢物を献じた。丁未、女直が来朝して貢物を献じた。
二月戊辰、鼻骨德が軍籍を奏上した。
三月乙亥、吐谷渾が軍校の恤烈を遣わして生口千戸を献上させ、恤烈に檢校司空を授けた。
夏四月辛酉朔、吐谷渾の白可久が来朝して帰附した。この月、涼陘に行幸した。
五月庚戌、晉の易州の戍将孫方簡が内附を請うた。
六月戊子、祖陵を拝謁し、閟神殿を長思と改めた。
秋七月辛亥、諸道の兵を徴発する詔を下し、敢えて禾稼を傷つける者は軍法に論ずるとした。癸丑、女直が来朝して貢物を献じた。乙卯、阻卜の酋長曷剌を本部の夷離堇に任じた。
八月丙寅、烏古が来朝して貢物を献じた。この月、自ら将兵して南伐した。
九月壬辰、漁陽の西の棗林淀で諸道の兵を閲兵した。この月、趙延壽が晉の張彦澤と定州で戦い、これを破った。
冬十一月戊子朔、進軍して鎮州を包囲した。丙申、先に派遣していた斥候騎兵が晉兵の到来を報告したので、精兵を遣わして河橋を断ち切らせた。晉兵は退いて武強に拠った。南院大王迪輦と將軍高模翰が兵を分けて瀛州の間道より進んだ。杜重威が貝州節度使梁漢璋を遣わして衆を率いて来拒した。これと戦い、大いにこれを破り、梁漢璋を殺した。杜重威と張彦澤は兵を引いて中渡橋を占拠した。趙延壽が歩卒を率いて前進して撃ち、高彦溫が騎兵でこれに乗じ、敗走する敵を追撃し、数万の屍を残し、その将王清を斬り、宋彦筠は水に落ちて死んだ。重威らは退いて中渡寨に拠った。義武軍節度使李殷が城を挙げて降った。そこで進軍し、滹沱河を挟んで陣を営した。中渡寨から三里のところで、兵を分けてこれを包囲した。夜は騎兵を列ねて環状に守り、昼は出兵して略奪した。また大内惕隱耶律朔骨里と趙延壽に命じて兵を分けて包囲守備させ、自らは騎卒を率いて夜に河を渡りその背後に出た。欒城を攻め落とし、騎卒数千を降伏させた。将兵を分遣してその要害を占拠させた。ここにおいて軍中では軍食を予め準備し、三日間は炊煙を上げず、ただ晉人を捕らえれば、すぐに黥面して放免した。諸々の糧秣輸送の者らはこれを見て皆、荷物を棄てて逃げた。ここにおいて晉兵は内外の連絡が絶たれ、食糧が尽きて窮地に陥った。
十二月丙寅、杜重威、李守貞、張彦澤らが率いる所部の二十万の衆が来降した。上は数万騎を擁し、大きな丘に臨み、馬を立ててこれを受け入れた。重威に守太傅・鄴都留守を、守貞に天平軍節度使を授け、その余は各々旧職を領させた。降伏した兵卒の半分を重威に預け、半分を趙延寿に隷属させた。御史大夫解里、監軍傅桂児、張彦澤に詔を持たせて汴に入らせ、晉帝の母李氏に諭してその心を安んじさせ、かつ桑維翰と景延廣を先に召し寄せるよう命じた。騎兵千人を留めて魏を守らせ、自らは大軍を率いて南下した。壬申、解里らが汴に至ると、晉帝重貴は素服で命を拝し、母李氏と共に輿に乗り、上表して罪を請うた。初め、重貴が和好を断った時、維翰はたびたび諫めて止めさせようとしたが、従わなかった。ここに至って彦澤が維翰を殺し、自ら縊死したと偽って言った。詔してこれを収葬させ、その田園と第宅を返還し、なお厚くその家を恤った。甲戌、彦澤が重貴とその母及び妻を開封府の役所に移し、控鶴指揮使李栄に兵を督させてこれを護衛させた。壬午、赤岡に駐留した。重貴は一族を挙げて封丘門を出て、藁の縄を身に付け羊を引いて待った。上は臨んで見るに忍びず、封禅寺に宿所を改めるよう命じた。晉の百官は縞衣に紗帽で、俯伏して罪を待った。上は言った、「その主が恩に背いたのであって、その臣に何の罪があろうか」。命じて以前通り職を領させ、すぐに安叔千に金吾衛上將軍を授けた。叔千が班列を出て一人立つと、上は言った、「そなたの邢州での請願は、朕の忘れぬところである」。そこで鎮國軍節度使を加えた。これは邢州にいた時に密かに内附を請うたことを指す。將軍康祥が景延廣を捕らえて来献した。詔して牙籌でその罪を数えさせ、全部で八つあり、縛って都に送る途中、自殺した。
二月丁巳朔、国号を大遼と建て、大赦し、元を大同と改む。鎮州を中京に升す。趙延寿を大丞相兼政事令・枢密使・中京留守と為し、中外の官僚将士に爵賞有差。辛未、河東節度使北平王劉知遠自立して帝と為り、国号漢とす。詔して耿崇美を昭義軍節度使と為し、高唐英を昭徳軍節度使と為し、崔廷勛を河陽軍節度使と為し、要地を分かち据えしむ。
三月丙戌朔、蕭翰を宣武軍節度使と為し、将吏に爵賞有差を賜う。壬寅、晉の諸司の僚吏・嬪御・宦寺・方技・百工・図籍・暦象・石経・銅人・明堂刻漏・太常楽譜・諸宮県・鹵簿・法物及び鎧仗を悉く上京に送る。磁州帥梁暉相州を以て漢に降る。己酉、高唐英を命じてこれを討たしむ。
夏四月丙辰朔、汴州より発し、馮道・李崧・和凝・李浣・徐台符・張礪等を従行せしむ。赤岡に次ぐ。夜、声雷の如く、御幄より起こり、大星復た旗鼓の前に隕つ。乙丑、黎陽渡を済い、侍臣を顧みて曰く、「朕この行に三失有り。兵を縦して芻粟を掠めしは一なり。民の私財を括るは二なり。諸節度を遽かにして鎮に還さざるは三なり」と。皇太弟使いを遣わして軍前の事を問う。上報えて曰く、「初め兵二十万を以て杜重威・張彦澤を降し、鎮州を下す。汴に入るに及び、その官属具員なる者を省き、その才に当たる者を任ず。司属は存すと雖も、官吏廃墮し、雛飛の後に徒らに空巣有るが如し。久しく離乱を経て、一にここに至る。所在盗賊屯結し、土功息まず、饋餉時に非ず、民命に堪えず。河東未だ帰命せず、西路の酋帥も亦相党附す。夙夜に思い、これを制するの術、惟だ庶僚に心を推し、軍情を和協し、百姓を撫綏するの三者のみ。今帰順する凡そ七十六処、戸一百九万百一十八を得たり。汴州の炎熱、水土居り難きに非ざれば、止むこと一年を得て、太平指掌にして致すべし。且つ鎮州を中京と改め、巡幸に備う。河東を伐たんと欲すれども、姑く別図を俟つ。その概かくの如し」と。戊辰、高邑に次ぎ、豫せず。丁丑、欒城に崩ず。年四十六。是歳九月壬子朔、鳳山に葬る。陵を懐陵と曰い、廟号を太宗とす。統和二十六年七月、尊諡して孝武皇帝と曰う。重熙二十一年九月、諡を増して孝武恵文皇帝と曰う。
贊
贊して曰く、太宗甫く多方を定め、遠近化に向う。国号を建て、典章を備え、庶政を厘し、名実を閲し、囚徒を録し、耕織を教え、鰥寡を配するに至る。直言の士を求め、郎君海思を得て、即ち宣徽に擢ぐ。唐の張敬達その君に忠なるを嘉し、卒に礼を以て葬る。游豫を輟めて三克の清を納れ、士卒を憫みて休養の令を下す。親しく晉国を征し、重貴面縛す。斯れ威徳兼ねて弘く、英略間見する者と謂うべし。汴に入るの後、幾微の驕り無く、『三失』の訓有り。『伝』は鄭伯の勝を処するの善を称し、『書』は『秦誓』の能く過ちを悔いるを進む。太宗蓋し兼ねてこれ有り、その卓たりや。