遼史

志第三:営衛志下

◎営衛誌下部族下

遼は松漠より起こり、経営撫納して、遂に唐・晉の帝王の器を有し、典章文物は潢海の区にまで及んだ。史を作る者は尚お故俗を語ることができるであろうか。旧史に『部族志』あり、歴代の所無なり。古、方嶽に巡守し、五服の君各その職を述ぶ。遼の部族は実にこれに似たり。故に部族を宮衛・行営の後に置く。

遼の内四部族:遙輦帳九族。横帳三父房族。国舅帳抜裏・乙室已族。

国舅別部。太祖二十部、二国舅帳に升りて分かたれ、止むところ十八部。

五院部。その先は益古と曰い、凡そ六営。阻午可汗の時、弟の撒裏本とこれを領し、叠剌部と曰う。太祖に伝わり、夷離堇を以て即位す。天賛元年、強大にして制し難きを以て、五石烈を析きて五院と為し、六爪を析きて六院と為し、各夷離堇を置く。会同元年、夷離堇を更めて大王と為す。部は北府に隷し、以て南境を鎮む。大王及び都監は春夏は五院部の側に居り、秋冬は羊門甸に居る。石烈四:大蔑孤石烈。小蔑孤石烈。甌昆石烈(太宗会同二年、烏古の地は水草豊美なるを以て、命じてここに居らしむ。三年、益すに海勒水の地を以て農田と為す)。乙習本石烈(会同二年、命じて烏古の地を以てす)。

六院部。北府に隷し、以て南境を鎮む。その大王及び都監は春夏は泰徳泉の北に居り、秋冬は独盧金に居る。石烈四:轄懶石烈。阿速石烈。斡納撥石烈。斡納阿剌石烈(会同二年、命じて烏古に居らしむ。三年、益すに海勒水の地を以てす)。

乙室部。その先は撒裏本と曰い、阻午可汗の世、兄の益古と営を分かちてこれを領し、乙室部と曰う。会同二年、夷離堇を更めて大王と為す。南府に隷し、その大王及び都監は西南の境に鎮駐し、司徒しとは鴛鴦泊に居り、閘撒狘は車軸山に居る。石烈二:阿裏答石烈。欲主石烈。

品部。その先は拿女手と曰い、阻午可汗その営を以て部と為す。太祖諸部の夷離堇を更めて令穩と為す。統和中、又節度使に改む。北府に隷し、西北路招討司に属し、司徒は太子墳に居る。凡そ戍軍は節度使に隷し、留後戸は司徒に隷す。石烈二:北哲裏只石烈。南轄懶石烈。

楮特部。その先は窪と曰い、阻午可汗その営を以て部と為す。南府に隷し、節度使は西北路招討司に属し、司徒は柏坡山及び钅革山の側に居る。石烈二:北石烈。南石烈。

烏隗部。その先は撒裏卜と曰い、兄の涅勒と同営す。阻午可汗これを析きて二と為す:撒裏卜を烏隗部と為し、涅勒を涅剌部と為す。倶に北府に隷し、烏隗部の節度使は東北路招討司に属し、司徒は徐母山・郝裏河の側に居る。石烈二:北石烈。南石烈。

涅剌部。その先は涅勒と曰い、阻午可汗その営を分かちて部と為す。節度使は西南路招討司に属し、黒山の北に居り、司徒は郝裏河の側に居る。石烈二:北塌裏石烈。南察裏石烈。

突呂不部。その先は塔古裏と曰い、三営を領す。阻午可汗命じてその一を弟の航斡に分かち与えて突挙部と為し、塔古裏は其二を得て、更めて突呂不部と為す。北府に隷し、節度使は西北路招討司に属し、司徒は長春州の西に居る。石烈二:北托不石烈。南須石烈。

突挙部。その先は航斡と曰い、阻午可汗営を分かちて部を置く。南府に隷し、隗烏古部に戍し、司徒は冗泉の側に居る。石烈二:北石烈。南石烈。

奚王府の六部五帳分。その先祖は時瑟といい、東遙裏十帳部の主たる哲裏に仕えた。後に哲裏を追放し、自ら奚王と称した。没すると、弟の吐勒斯が立った。遙輦鮮質可汗がこれを討ち、その抵抗した者七百戸を捕虜とし、降伏した者を収容した。時瑟が隣部と親睦していた故に、部曲の半分を捕虜とするにとどめ、残りはすべて留め置かれた。奚の勢力はこれにより衰えた。初め五部あり、遙裏、伯德、奧裏、梅只、楚裏といった。太祖はこれをことごとく降伏させ、五部奚と号した。天賛二年、東扒裏廝の胡損という者がおり、険阻に恃み箭笴山に堅壁を築いて命令に抵抗し、嘲って言うには、「大軍など何ができようか、我らは墮瑰門の下で酒を飲むであろう!」と。太祖はこれを滅ぼし、奚府の給役戸とし、あわせて諸部の隠れた丁男を調査し、離散した者を収集して墮瑰部を置き、墮瑰門の言葉によって名とし、ついに六部奚と号した。勃魯恩を命じてこれを統轄させ、なお奚王と号した。太宗が即位すると、宰相・常袞をそれぞれ二員ずつ置いた。聖宗は奧裏、梅只、墮瑰の三部を一つに合わせ、特に二克部を置いて六部の数を満たした。奚王和朔奴が兀惹を討ち、敗北したため、六部を籍没して北府に隷属させた。

突呂不室韋部。本来の名は大・小二黄室韋戸である。太祖が達馬狘沙裏であった時、計略をもってこれを降伏させ、そこで二部を置いた。北府に隷属し、節度使は東北路統軍司に属し、泰州の東北を戍守した。涅剌拿古部。突呂不室韋部と同じである。節度使は泰州の東を戍守した。

叠剌叠達部。本来は鮮質可汗が捕虜とした奚七百戸であり、太祖が即位すると、十四石烈とし、部として置いた。南府に隷属し、節度使は西南路招討司に属し、黒山の北を戍守し、部民は慶州の南に居住した。

乙室奧隗部。神冊六年、太祖が捕虜とした奚戸を以て置いた。南府に隷属し、節度使は東北路兵馬司に属する。楮特奧隗部。太祖が奚戸を以て置いた。南府に隷属し、節度使は東京都部署司に属する。

品達魯虢部。太祖が捕虜とした達魯虢部を以て置いた。南府に隷属し、節度使は西南路招討司に属し、黒山の北を戍守した。

烏古涅剌部。また涅離部ともいう。太祖が於骨裏の戸六千を取得し、神冊六年、烏古涅剌及び図魯の二部に分けた。ともに北府に隷属し、節度使は西南路招討司に属する。図魯部。節度使は東北路統軍司に属する。

以上、太祖が遙輦氏の旧部族を分けて置いたものは合わせて十部、増設したものは八部である。聖宗の時三十四部あり。

撒裏葛部。奚に三営あり、撒裏葛、窈爪、耨碗爪といった。太祖が奚を討伐した時、降伏を乞い、著帳子弟となることを願った。宮分に籍を置き、皆夷離堇を設けた。聖宗はそれぞれ部を置き、節度使を設けることに改め、皆南府に隷属させ、畋猟の役に備えさせた。沢州の東に居住した。

窈爪部。撒裏葛部と同じである。潭州の南に居住した。耨碗爪部。節度使は東京都部署司に属する。訛仆括部。撒裏葛の三部と同じである。望雲県の東に居住した。

特裏特勉部。初め、八部よりそれぞれ二十戸を分けて奚を戍守させ、落馬河及び速魯河の側で偵察・見張りをさせ、二十の詳穏を置いた。聖宗は戸口が増殖したため、部を置き、節度使を設けた。南府に隷属し、倒塌嶺を戍守し、橐駝岡に居住した。

稍瓦部。初め、諸宮及び横帳大族の奴隸を取って稍瓦石烈を置いた。「稍瓦」は鷹坊のことであり、遼水の東に居住し、飛鳥を網で捕えることを掌った。聖宗は戸口が増殖したため部を置いた。節度使は東京都部署司に属する。

曷術部。初め、諸宮及び横帳大族の奴隸を取って曷術石烈を置いた。「曷術」は鉄のことであり、海浜の柳濕河、三黜古斯、手山で冶鉄した。聖宗は戸口が増殖したため部を置いた。東京都部署司に属する。

遙裏部。潭州と利州の間に居住した。石烈は三つあり、撒裏必石烈、北石烈、帖魯石烈である。

伯德部。松山と平州の間にあり、太師・太保は中京の西にいる。石烈は六つあり、啜勒石烈、速古石烈、腆你石烈、叠裏石烈、旭特石烈、悅裏石烈である。楚裏部。潭州の北に居住した。

奧裏部。統和十二年、梅只、墮瑰の三部と民籍の数が少ないため、合わせて一部とした。上記の三部とともに、本来は奚王府に属していたが、聖宗が分けて置いた。南克部。北克部。統和十二年、奚府の二克を分けて二部を置いた。

隗衍突厥部。聖宗が四辟沙と四頗憊の戸を分けて設置し、東北の女直の境を鎮守させた。開泰九年、節度使が石烈を置くことを奏請した。北府に隷属し、黄龍府都部署司に属す。奧衍突厥部。隗衍突厥と同じ。

涅剌越兀部。涅剌室韋の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は西南面招討司に属し、黒山の北を守備した。

奧衍女直部。聖宗が女直の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は西北路招討司に属し、鎮州の境を守備した。ここから河西部に至るまで、皆諸国から俘獲した民であり、初めは諸宮に隷属し、戸口が増殖したので部を置いた。五国に至るまで、皆節度使を有する。

乙典女直部。聖宗が女直の戸をもって設置した。南府に隷属し、高州の北に居住した。

斡突碗烏古部。聖宗が烏古の戸をもって設置した。南府に隷属し、節度使は西南面招討司に属し、黒山の北を守備した。

叠魯敵烈部。聖宗が敵烈の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は烏古敵烈統軍司に属す。室韋部。聖宗が室韋の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は西北路招討司に属す。

術哲達魯虢部。聖宗が達魯虢の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は東北路統軍司に属し、境内を守備し、境外に居住した。梅古悉部。聖宗が唐古の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は西南面招討司に属す。

頡的部。聖宗が唐古の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は西南面招討司に属す。北敵烈部。聖宗が敵烈の戸をもって設置した。隗烏古部を守備した。匿訖唐古部。聖宗が設置した。北府に隷属し、節度使は西南面招討司に属す。

北唐古部。聖宗が唐古の戸をもって設置した。北府に隷属し、節度使は黄龍府都部署司に属し、府の南を守備した。南唐古部。聖宗が設置した。北府に隷属する。鶴剌唐古部。南唐古と同じ。節度使は西南面招討司に属す。

河西部。聖宗が設置した。北府に隷属し、節度使は東北路統軍司に属す。薛特部。開泰四年、回鶻の戸をもって設置した。北府に隷属し、慈仁県の北に居住した。

伯斯鼻骨德部。本来は鼻骨德の戸である。初めは諸宮に隷属し、聖宗が戸口の増殖により部を置いた。北府に隷属し、節度使は東北路統軍司に属し、境内を守備し、境外に居住した。

達馬鼻骨德部。聖宗が鼻骨德の戸をもって設置した。南府に隷属し、節度使は東北路統軍司に属す。

五國部。剖阿裏國、盆奴裏國、奧裏米國、越裏篤國、越裏吉國であり、聖宗の時に来附し、本土に居住することを命じ、東北の境を鎮守させ、黄龍府都部署司に属した。重熙六年、越裏吉国の人尚海らが酋帥渾尚の貪汙を訴えたため、五国の酋帥を罷め、節度使を設けてこれを統領させた。

以上、聖宗が旧部族をもって設置したもの十六、増置したもの十八。

遼國の外十部:烏古部。敵烈八部。隗古部。回跋部。嵓母部。吾禿婉部。叠剌葛部。回鶻部。長白山部。蒲盧毛朵部。

右の十部は国を成すことができず、遼に附庸し、時に叛き時に服し、それぞれ職貢を有し、唐人に羈縻州有るが如し。