道宗 一
道宗孝文皇帝、諱は洪基、字は涅鄰、小字は查剌。興宗皇帝の長子、母は仁懿皇后蕭氏。六歳で梁王に封ぜられる。重熙十一年、燕國王に進封され、中丞司事を総領す。明年、北南院樞密使事を総領し、尚書令を加えられ、燕趙國王に進封さる。二十一年、天下兵馬大元帥となり、惕隱事を知り、朝政に預かる。帝の性質は沈静にして厳毅、毎朝、興宗之がために顔色を斂む。
二十四年秋八月己丑、興宗崩ず。即ち皇帝の位に即くこと柩前、哀慟して政を聴かず。辛卯、百僚上表固く請う、之を許す。詔して曰く、「朕以て菲徳を以て、士民の上に托を居す。第に智識及ばざる有るを恐れ、群下未だ信ぜざる有り。賦斂妄に興り、賞罰中らず。上恩下に及ぶこと能わず、下情上に達すること能わず。凡そ爾士庶、直言して諱むこと無かれ。可なれば則ち択用し、否なれば則ち以て愆と為さず。卿等其れ朕が意を体せよ」と。壬辰、皇太弟重元を以て皇太叔と為し、漢拝を免じ、名を称せず。癸巳、使を遣わして哀を宋及び夏・高麗に報ず。甲午、重元を遣わして南京の軍民を安撫せしむ。戊戌、遺詔を以て、西北路招討使西平郡王蕭阿剌を北府宰相と為し、仍って南院樞密使事を権知せしめ、北府宰相蕭虚烈を武定軍節度使と為す。辛丑、元を清寧と改め、大赦す。九月戊午、詔して常に幸する圍場の外は禁ずること無からしむ。庚申、詔して護衛士を除き、余は刃を佩びて宮に入ることを得ず。勲戚の後及び夷離堇・副使・承応諸職事の人に非ざれば、冠巾を冠ることを得ず。壬戌、詔して夷離堇及び副使の族並びに民奴賤は、駝尼・水獺裘を服することを得ず。刀柄・兔鶻・鞍勒・珮子は犀玉・骨突犀を用いることを許さず。惟だ大將軍は禁ぜず。乙丑、内外の臣僚に爵賞を賜うこと差有り。庚午、皇太后を尊びて太皇太后と為す。辛未、左夷離畢蕭謨魯・翰林学士韓運を遣わして先帝の遺物を以て宋に遺す。癸酉、使を遣わして即位を以て宋に報ず。丙子、皇后を尊びて皇太后と為し、菆塗殿に宴す。上京留守宿国王陳留を以て南京留守と為す。壬午、使を遣わして高麗・夏国に先帝の遺物を賜う。冬十月丁亥、有司請うて帝の生日を以て天安節と為すことを、之に従う。呉王仁先を以て同知南京留守事と為し、陳王塗孛特を南府宰相と為し、呉王に進封す。壬寅、順義軍節度使十神奴を以て南院大王と為す。十一月甲子、興宗皇帝を慶陵に葬る。宋及び高麗使を遣わして来会す。其の山を名づけて永興と曰う。丙寅、南院大王侯古を以て中京留守と為し、北府宰相西平郡王蕭阿剌を韓王に進封す。壬申、懐州に次す。太宗・穆宗廟に事有り。甲戌、祖陵を謁す。戊寅、冬至、太祖・景宗・興宗廟に事有り、群臣の賀を受けず。十二月丙戌、左夷離畢に詔して曰く、「朕以て眇沖を以て、大位を嗣ぐことを獲、夙夜憂懼し、恐らくは克く任に堪えざらんとす。直言を聞かんと欲して、以て其の失を匡えんとす。今已に数月、未だ以て朕が股肱耳目を委任する意に副う所以を見ず。其れ内外の百官を令し、秩満に比し、各一事を言わしめよ。仍って所部に転諭し、貴賤老幼を問わず、皆直言して諱むこと無きを得しめよ」と。戊子、応聖節、太皇太后に寿を上り、群臣・命婦を宴し、妃蕭氏を冊して皇后と為す。皇弟越王和魯幹を魯国王に進封し、許王阿璉を陳国王に進封し、楚王涅魯古を徒封して呉王と為す。辛卯、部署院に詔し、事機密有るは即ち奏せしめ、其の謗訕の書を投ずる者、輒ち受け及び読む者並びに市に棄つ。癸巳、皇族十公悖母、誅に伏す。甲午、樞密副使姚景行を以て参知政事と為し、翰林学士呉湛を樞密副使と為し、参知政事・同知樞密院事韓紹文を上京留守と為す。丙申、宋欧陽修等を遣わして来たり即位を賀す。戊戌、詔して学を設け士を養い、『五経』伝疏を頒ち、博士・助教各一員を置く。癸卯、涿州知事楊績を以て参知政事兼同知樞密院事と為す。庚戌、聖宗在世時の生辰を以て、上京の囚を赦す。是年、清涼殿に御し進士張孝傑等四十四人を放つ。
四年春正月壬申朔、使いを遣わし宋・夏に哀を報ず。鴨子河に幸し魚を釣る。癸酉、宋使いを遣わし宋主の繪像を奉じて来る。丁亥、易州事を知る耶律頗得秩滿す、部民留まるを乞う、之を許す。二月丙午、夷離畢に詔す:諸路死罪を鞫うるに、獄具うるも、仍て別の州縣に令して覆按せしめ、冤無くして然る後に之を決すべし;冤を称する者は、即ち具に奏すべし。庚戌、魚兒濼に幸す。三月戊寅、天德・鎮武・東勝等の処の勇捷なる者を募り、籍して軍と為す。甲午、肆赦す。夏四月甲辰、慶陵を謁す。丁卯、宋使いを遣わし吊祭す。五月庚午朔、大行太皇太后の尊謚を上りて欽哀皇后と曰す。癸酉、慶陵に葬る。夏國・高麗使いを遣わし来たり会す。乙酉、永安山に幸し清暑す。六月乙丑、北院樞密使鄭王蕭革を以て南院樞密使と為し、徙めて楚王に封じ、南院樞密使吳王仁先を北院樞密使と為す。秋七月辛巳、諸の内藏庫を掌る官の兩貫以上を盗む者を制し、奴婢の告げるを許す。壬午、黒嶺に獵す。冬十月戊戌朔、同知東京留守事侯古を以て南院大王と為し、保安軍節度使奚底を奚六部大王と為す。十一月癸酉、再生及び柴冊の禮を行い、八方陂に群臣を宴す。庚辰、清風殿に御して大冊禮を受く。大赦す。吳王仁先を以て南京兵馬副元帥と為し、徙めて隋王に封ず。壬午、太祖及び諸帝の宮を謁す。丙戌、木葉山に祠る。玉器の造るを禁ず。十二月辛丑、駝尼・水獺裘の禁を弛む。乙巳、士庶の鷹を畜うるを許す。辛亥、南院樞密使楚王蕭革復た北院樞密使と為る。閏月己巳、皇太叔重元に金券を賜う。是歲、皇子浚生まる。
五年春、春州に幸す。夏六月甲子朔、納葛濼に駐蹕す。己丑、南院樞密使蕭阿速を以て北府宰相と為し、樞密副使耶律乙辛を南院樞密使と為し、惕隱查葛を遼興軍節度使と為し、魯王謝家奴を武定軍節度使と為し、東京留守吳王貼不を西京留守と為す。秋七月丁酉、烏古敵烈詳穩蕭謨魯を以て左夷離畢と為す。冬十月壬子朔、南京に幸し、嘉寧殿に於いて興宗を祭る。十一月、獵を禁ず。十二月壬戌、北院林牙奚馬六を以て右夷離畢と為し、參知政事吳湛弟洵の仕籍に冒入するを以て、爵を削りて民と為す。是年、上百福殿に御し、進士梁援等百一十五人を放つ。
六年春、鴛鴦濼に幸す。夏五月戊子朔、監修國史耶律白御製の詩賦を編次するを請う、仍て白を命じて序と為さしむ。己酉、納葛濼に駐蹕す。六月戊午朔、東北路女直詳穩高家奴を以て惕隱と為す。壬戌、使いを遣わし囚を録す。丙寅、中京に國子監を置き、時に先聖先師を祭るを命ず。癸未、隋王仁先を以て北院大王と為し、御製の誥を賜う。冬十月甲子、藕絲澱に駐蹕す。
七年春三月庚戌、春州に幸す。耶律乙辛を以て北院樞密使事を知らしむ。夏四月辛未、吏民の海東青鶻を畜うるを禁ず。五月丙戌、永安山に清暑す。丙午、慶陵を謁す。辛亥、東京留守陳王蕭阿剌を殺す。六月壬子朔、日食有り。甲子、蕭謨魯を以て順義軍節度使と為す。丁卯、弘義・永興・崇德の三宮に幸し致祭す。柳を射り、宴を賜い、賞賚差有り。戊辰、再生禮を行い、復た群臣を命じて分朋して柳を射らしむ。丁丑、楚國王涅魯古を以て南院樞密使事を知らしむ。秋九月丁丑、藕絲澱に駐蹕す。冬十二月壬午、黄龍府事を知る耶律阿裏只を以て南院大王と為す。