興宗 三
十六年春正月己卯、混同江に至る。二月庚申、魚兒濼に至る。辛酉、群臣に禁ず、宴楽に遇い私事を奏請することを。詔す、世選の官は、各部の耆旧に従い材能ある者を択びて用いるべしと。三月丁亥、黒水濼に至る。癸巳、使を遣わし双州の囚を審決せしむ。壬寅、大雪。夏四月乙巳朔、皇太后病み、上疾を視んと馳せ往く。丙午、皇太后癒ゆ、復た黒水濼に至る。丁卯、肆赦す。六月戊申、永安山にて清暑す。丁巳、阻卜大王屯禿古斯来朝し、方物を献ず。戊午、詔す、士庶に事を言わしむ。秋七月辛卯、慶州に幸す。是の月より九月に至るまで、日々に楚不溝霞列・系輪・石塔諸山にて射猟す。冬十月辛亥、中京に幸し、祖廟を謁す。丙辰、公主の舅姑に対する婦礼の儀を定む。庚午、鉄驪仙門来朝し、始めて貢に入るを以て、右監門衛大将軍を加う。十一月戊寅、木葉山を祠る。己丑、中京に幸し、皇太后に朝す。壬辰、宮中の事を漏泄するを禁ず。十二月辛丑朔、女直使を遣わし来貢す。辛亥、太祖廟を謁し、『太宗収晋図』を観る。癸丑、皇太后に安否を問う。乙卯、太后の癒ゆるを以て、雑犯死罪は一等を減じて論じ、徒以下は免ず。庚申、南府宰相杜防・韓紹栄、事を奏すに誤りあり、各おおむちにてこれを決す。防を出して武定軍節度使と為す。壬戌、高麗使を遣わし来貢す。
十七年春正月丁亥、春水に至る。閏月癸丑、候裏吉にて虎を射る。二月辛巳、瑤穩・嘲穩部を振恤す。是の月、詔す、士庶に国家の利便を言わしむ、己が事に及ぶべからず、奴婢の見る所は、その主に白するを許す、自ら陳ずべからずと。夏国王李元昊薨じ、その子諒祚使を遣わし来告す、即ち永興宮使耶律裏・右護衛太保耶律興老・将作少監王全を遣わし慰奠せしむ。三月癸卯、同知南京留守事蕭塔烈葛を以て左夷離畢と為し、知右夷離畢事唐古を右夷離畢と為す。丙午、夏国李諒祚使を遣わしその父元昊の遺物を上る。丁卯、鉄不得国使来たり、本部の軍を以て夏国を攻むるを助けんことを乞う、許さず。夏四月辛未、武定軍節度使杜防復た南府宰相と為す。丙子、高麗使を遣わし来貢す。甲申、蒲盧毛朵部大王蒲輦、舟を造る人を以て来献す。六月庚辰、阻卜馬・駱駝二万を献ず。辛卯、長白山太師柴葛・回跋部太師撒剌都来たり方物を貢す。秋七月丁未、於越摩梅欲の子不葛一及び婆離八部夷離堇虎𤳖等内附す。甲寅、囚を録し、雑犯死罪を減ず。八月丙戌、南京貧戸の租税を復す。戊子、殿前都点検耶律義先を以て行軍都部署と為し、忠順軍節度使夏行美を副部署と為し、東北面詳穩耶律朮者を監軍と為し、蒲奴裏酋陶得裏を伐たしむ。冬十月甲申、南院大王耶律韓八薨ず。甲午、独盧金に駐蹕す。十一月乙未朔、使を遣わし馬を括る。丁巳、皇太弟重元に金券を賜う。皇子和魯斡を越王に封じ、阿璉を許王に封じ、忠順軍節度使謝家奴を陳王に封じ、西京留守貼不を漢王に封じ、惕隱旅墳を遼西郡王に封じ、行宮都部署別古得を柳城郡王に封じ、奉陵軍節度使侯古を饒楽郡王に封じ、安定郡王涅魯古を進めて楚王に封ず。
十八年春正月甲午朔、日食あり。戊戌、夏国の賀正使を留めて遣わさず。己亥、北院枢密副使蕭惟信を遣わし夏を伐つことを以て宋に告げしむ。辛丑、囚を録す。丙午、鴛鴦濼に至る。丙辰、霸特山に猟す。耶律義先蒲奴裏の捷を奏す。二月庚辰、燕趙国王洪基の帳に幸し疾を視る。乙酉、耶律義先等陶得裏を執り以て献ず。三月乙巳、高昌国使を遣わし来貢す。壬子、洪基の疾癒ゆるを以て、雑犯死罪以下を赦す。丁巳、烏古使を遣わし款を送る。夏四月癸酉、南府宰相耶律高十を以て南京統軍使と為す。五月甲辰、五国酋長各おのその部を率いて来附す。庚戌、回跋部長兀叠臺紥等来朝す。戊午、五国節度使耶律仙童、烏古の叛人を降すを以て、左監門衛上将軍を授く。六月壬戌朔、韓国王蕭惠を以て河南道行軍都統と為し、趙王蕭孝友・漢王貼不をこれに副えしむ。乙丑、囚を録す。丙寅、十二神纛の礼を行ふ。己巳、宋、遼師の夏を伐つを以て、銭逸を遣わし贐礼を致さしむ。庚辰、阻卜来たり馬・駱駝・珍玩を貢す。辛巳、夏国使来貢す、これを留めて遣わさず。丁亥、再生の礼を行ふ。秋七月戊戌、親征す。八月辛酉朔、河を渡る。夏人遁ぐ、乃ち還る。九月丁未、蕭惠等夏人の為に敗る。冬十月、北道行軍都統耶律敵魯古、阻卜諸軍を率いて賀蘭山に至り、李元昊の妻及びその官僚の家族を獲、夏人三千来たり戦ふに遇い、これを殪す。烏古敵烈部都詳穩蕭慈氏奴・南克耶律斡裏ここに死す。十二月戊寅、慶陵の林木火す。己卯、囚を録す。弟兄に従ひ強盗を為す者あり、兄弟ともに子無し、特ちにその弟を原ゆ。
十九年春正月庚寅、僧侶の惠鑒に檢校太尉を加える。庚子、耶律敵魯古を再び漆水郡王に封じ、諸将校及び阻卜等の部族酋長にそれぞれ爵位を進める差等あり。蕭慈氏奴に同中書門下平章事を追贈す。辛丑、使者を遣わして夏国に問罪す。壬寅、魚兒濼に至る。二月丁亥、夏の将軍窪普・猥貨・乙靈紀等が来たりて金肅城を攻む。南面林牙耶律高家奴等これを破る。窪普は創を受け遁走し、猥貨・乙靈紀を殺す。三月戊戌、殿前都點檢蕭叠裏得、夏と三角川に戦い、これを敗る。癸卯、西南招討使蕭蒲奴・北院大王宜新・林牙蕭撒抹等に命じ師を帥いて夏を伐たしめ、行宮都部署別古得をして戦を監せしむ。甲辰、同知北院樞密使蕭革を遣わし軍を辺城に按ぜしめ、以て声援となす。己酉、駐蹕して息雞澱に在り。丙辰、殿前都點檢蕭叠裏得・駙馬都尉蕭胡睹の帳に幸して疾を視る。夏四月丙寅、魚兒濼に至る。壬申、蒲盧毛朵部の惕隱信篤来たりて貢す。甲申、高麗使いを遣わして来貢す。五月己丑、涼陘に至る。癸巳、蕭蒲奴等夏の境に入るも、敵と遇わず、軍を放ち俘掠して還る。丁酉、夏国の窪普来たりて降る。己亥、遠夷の拔思母部使いを遣わして来貢す。六月丙辰朔、倒塌嶺都監を置く。丙寅、慶陵を謁す。庚午、慶州に幸し、大安殿を謁す。壬申、詔して医卜屠販・奴隸及び父母に倍するか或いは事を犯して逃亡する者は、進士に挙げることを得ざるべしとす。回跋・曷蘇館・蒲盧毛朵部各使いを遣わして馬を貢す。甲戌、宋使いを遣わして来たり夏を伐つ捷を賀し、高麗の使も倶に至る。辛巳、金鑾殿に御して進士を試す。秋七月壬辰、駐蹕して括裏蒲碗に在り。癸巳、燕趙國王洪基をして北南樞密院を領せしむ。乙未、阻卜の長豁得剌の弟斡得来朝し、太尉を加えてこれを遣わす。戊戌、囚を録す。戊申、左夷離畢蕭唐古を以て北院樞密副使と為す。壬子、侯裏吉に獵す。八月丁卯、阻卜の酋長喘只葛拔裏斯来朝す。九月壬寅、夏人辺境を侵し、敵魯古六院軍の将海裏を遣わしてこれを撃ち敗る。冬十月庚午、上京に還る。辛未、夏國王李諒祚の母使いを遣わして旧に依り藩と称することを乞う。使い還り、詔を諭して別に信臣を遣わして闕に詣らしめ、当に徐にこれを思わしむ。壬申、臨潢府の役徒を釈す。甲戌、中會川に至る。十一月甲午、阻卜の酋長豁得剌使いを遣わして来貢す。庚戌、囚を録す。壬子、南府宰相韓知白を出して武定軍節度使と為し、樞密副使楊績を長寧軍節度使と為し、翰林學士王綱を澤州刺史と為し、張宥を徽州刺史と為し、知制誥周白を海北州刺史と為す。閏月乙卯、漢王貼不を以て中京留守と為す。辛未、同知北院樞密使事蕭革を以て南院樞密使と為し、南院大王耶律仁先を以て知北院樞密使事と為し、宋王に封ず。十二月丁亥、北府宰相・趙王蕭孝友を出して東京留守と為し、東京留守蕭塔列葛を北府宰相と為し、南院樞密使・潞王查葛を南院大王と為す。庚戌、韓國王蕭惠を徙めて魏王に封じ、致仕す。壬子、夏国李諒祚使いを遣わして表を上り、旧に依り臣属することを乞う。
二十年春正月戊戌、駐蹕して混同江に在り。二月甲申、前北院都監蕭友括等を遣わして夏国に使いせしめ、党項の叛戸を索む。己丑、蒼耳濼に至る。甲辰、吐蕃使いを遣わして来貢す。三月壬子朔、黒水に幸す。夏五月癸丑、蕭友括等夏に使いして還る。李諒祚の母表して党項の権に馬・駝・牛・羊等の物を進むるが如きことを乞う。己巳、夏国使いを遣わして唐隆鎮を求め、及び建てたる城邑を罷むることを乞う。詔を以てこれに答う。六月丙戌、詔して獲たる李元昊の妻及び前後俘えし夏人を、蘇州に安置す。夏を伐ちて獲たる物を以て使いを遣わし宋に遺す。秋七月、秋山に至る。九月、詔して条制を更定す。駐蹕して中會川に在り。冬十月己卯朔、諸道の軍籍を括む。十一月庚申、惕隱都監蕭謨魯を以て左夷離畢と為す。甲子、東京留守司に命じ戸部・内省の事を総領せしむ。丁卯、中丞の職官過犯を記録することを罷め、承旨にこれを総せしむ。十二月乙酉、皇太后の行う再生礼に因り、肆赦す。
二十一年春正月辛亥、混同江に至る。二月、魚兒濼に至る。夏四月癸未、国舅詳穩蕭阿剌を以て西北路招討使と為し、西平郡王に封ず。六月丙子、駐蹕して永安山に在り。秋七月甲辰朔、北府宰相蕭塔烈葛・南府宰相漢王貼不・南院樞密使蕭革・知北院樞密使事仁先等を召し、坐を賜い、古今の治道を論ず。戊申、天地を祀る。己酉、北・南樞密院に詔し、日再び事を奏せしむ。壬子、太祖の祖を追尊して簡献皇帝と為し、廟号を玄祖とし、祖妣を簡献皇后と為す。太祖の考を追尊して宣簡皇帝と為し、廟号を徳祖とし、妣を宣簡皇后と為す。太祖の伯父夷離堇巖木を追封して蜀國王と為し、於越釋魯を隋國王と為す。燕趙國王洪基を以て天下兵馬大元帥・知惕隱事と為し、詔を賜いてこれを諭す。癸亥、近侍小底盧宝御書を偽り学び、死を免じ、終身役に配す。甲子、秋山に至る。戊辰、慶陵を謁す。南院樞密使蕭革を以て北院樞密使と為し、呉王に封ず。辛未、慶州に至る。壬申、太祖の弟寅底石を追封して許國王と為す。八月戊子、太尉烏者薨じ、詔して聖宗廟に配享せしむ。九月乙卯、平州白兔を進む。己未、懷陵を謁す。庚申、嗣聖皇帝・天順皇帝の尊謚を追上し、及び彰德皇后の謚を更めて靖安と曰う。癸亥、斉天皇后に謚して仁德皇后と曰う。甲子、祖陵を謁す。太祖の謚を増して大聖大明神烈天皇帝と為し、貞烈皇后の謚を更めて淳欽と曰い、恭順皇帝の謚を更めて章肅と曰い、后蕭氏に謚して和敬と曰う。冬十月戊寅、駐蹕して中會川に在り。丁亥、夏国李諒祚使いを遣わして辺備を弛むることを乞う。即ち蕭友括を遣わし詔を奉じてこれを諭す。戊子、顕・懿二州に幸す。甲午、遼興軍節度使蕭虚烈を鄭王に封じ、南院大王・潞王查葛を南院樞密使と為し、進めて越國王に封ず。戊戌、南撒葛柏にて虎を射る。辛丑、乾陵を謁す。十一月壬寅朔、文獻皇帝の謚を増して文獻欽義皇帝と為し、及び二后に謚して端順・柔貞と曰う。復た世宗孝烈皇后の謚を更めて懷節と為す。丁未、孝成皇帝の謚を増して孝成康靖皇帝と曰い、聖神宣獻皇后の謚を更めて睿智と為す。甲子、中會川に次ぐ。回鶻阿薩蘭使いを遣わして名馬・文豹を貢す。丙寅、囚を録す。十二月戊戌、北府宰相塔烈葛を以て南京統軍使と為し、鄭王虚烈を北府宰相と為し、契丹行宮都部署耶律義先を惕隱と為す。役徒の限年ある者を釈す。
贊
贊に曰く、興宗即位す、年十六なり、能く先ず母后を尊ばずしてその母を尊び、以て臨朝専政を致し、賊殺して辜なきを殺し、また能く礼を以て幾諫せず、斉天をして弑逆に死なしめ、王者の孝を虧く、惜しいかな。夫れ大行殯に在りて、酒を飲み鞠を博するは、簡書に疊見す。その遺像を謁して哀慟し、宋の弔を受け衰绖するに及びては、為すところ二人を出だすが若し。何ぞ其れ然るや。富弼の言を感じて南宋の好を申し、諒祚の盟を許して西夏の兵を罷むるに至りては、辺鄙聳がず、政治内に修まり、親しく進士を策し、大いに条制を修め、下は士庶に至るまで、便宜を陳ずるを得ば、則ち治を求むるの志切なり。時に左右の大臣、曾て一賢の進むを聞かず、一事の諫を聞かず、古帝王の風に庶幾からんと欲す、其れ得べけんや。然りと雖も、聖宗以下、賢君と謂うべし。