興宗 二
十年春正月辛亥の朔、宋は梁適・張從一・富弼・趙日宣を遣わして来朝し賀す。甲子、また呉育・馮戴を遣わして永寿節を賀せしむ。二月庚辰の朔、蒲盧毛朶部に詔して、曷蘇館戸の没入したる者を帰し、業に復せしむ。甲申、北枢密院言う、南・北二王府及び諸部の節度侍衛祗候郎君は、皆族帳より出で、既に民と辺を戍ることを免ぜられたり。其の祗候の事、請うらくは亦部曲を以て代行することを得べしと。詔して其の請に従う。夏四月、鴨緑江浮梁を修し、及び漢兵屯戍の役を罷むることを詔す。また東京留守蕭撒八の言に因り、東京の撃鞠の禁を弛む。六月戊寅の朔、蕭寧・耶律坦・崔禹稱・馬世良・耶律仁先・劉六符を以て賀宋生辰使副と為し、耶律庶成・趙成・耶律烈・張旦を以て来歳賀宋正旦使副と為す。秋七月壬戌、諸職官私に官物を取る者は、正盗を以て論ずることを詔す。諸敢て先朝已だ断ぜし事を相告言する者は、之を罪す。諸帳郎君等禁地に於いて鹿を射るは、三百を決し、償を徴せず。小将軍は二百以下を決す。及び百姓犯す者は、罪同じく郎君に論ず。八月丙戌、医者鄧延貞、詳穏蕭留寧の疾を治し験あるを以て、其の父母に官を贈りて以て之を奨む。九月辛亥、皇太后に朝す。国舅留寧薨ず。庚申、皇太后熊を射獲す。上酒を進めて寿と為す。癸亥、上馬孟山に猟す。草木蒙密たり。猟者の誤りて射人を傷つくるを恐れ、耶律迪姑に命じ各姓名を矢に書して以て之を誌さしむ。丙寅、夏国宋の俘を献ず。石硬砦太保郭三、虎を避けて射ざるを以て、官を免ず。冬十月丙戌、東京留守蕭孝忠に詔し、官吏に廉幹清強なる者有らば、具に名を以て聞かしむ。庚寅、女直太師臺押を以て曷蘇館都大王と為す。辛卯、皇子胡盧斡裏生まるを以て、北宰相・駙馬撒八寧、上を迎えて其の第に至り宴飲す。上衛士と漢人に角觝を為さしめて楽と為す。壬辰、また皇太后殿に飲み、皇子生まるを以て、赦を肆う。夕、また公主・駙馬及び内族大臣を引きて寝殿に入り劇飲す。甲午、中京に幸す。庚子、駙馬都尉蕭忽列を以て国舅詳穏と為す。十一月丙辰、回鶻使いを遣わして来貢す。十二月丙子の朔、宋は劉沆・王整を遣わして来朝し応聖節を賀す。乙未、撻朮不姑酋長を置く。胡撻剌を以て平章事と為す。上聞く、宋関河を設け、壕塹を治め、辺患と為さんことを恐れ、南・北枢密呉国王蕭孝穆・趙国王蕭貫寧と謀り、宋の旧に割きし関南十県の地を取らんとす。遂に蕭英・劉六符を遣わし宋に使せしむ。庚寅、宋は張沔・侯宗亮・薛申・侍其浚・施昌言・潘永照を遣わして来朝し永寿節及び来歳正旦を賀す。宣政殿学士楊佶を以て吏部尚書・判順義軍節度使事と為す。丁酉、宋を伐つことを議し、諸道に詔諭す。
十一年春正月戊申、皇太后を内殿に奉迎す。庚戌、南院宣徽使蕭特末・翰林学士劉六符を遣わし宋に使せしめ、晋陽及び瓦橋以南十県の地を取らしむ。且つ夏を伐つに師を興し、及び辺に沿いて水沢を疏浚し、兵戍を増益するの故を問わしむ。二月壬寅、鴛鴦濼に如く。夏四月甲戌の朔、南征賞罰令を頒つ。六月乙亥、宋は富弼・張茂実を遣わし書を奉じて来聘す。書を以て之に答う。壬午、含涼殿に御し、進士王寔等六十四人を放つ。氈・銀の宋に鬻ぎ入るることを禁ず。秋七月壬寅の朔、官馬を盗み易うる者は死を減じて論ずることを詔す。外路の官勤瘁正直なる者は、考満して代う。事を治めざる者は即ち之を易う。八月丙申、宋また富弼・張茂実を遣わし書を奉じて来聘し、歳幣銀絹を増すことを乞う。書を以て之に答う。九月壬寅、北院枢密副使耶律仁先・漢人行宮副部署劉六符を遣わし宋に使せしめ和を約せしむ。是の時、富弼上に言す。大意に謂く、遼と宋和すれば、坐して歳幣を獲ば、則ち利は国家に在り、臣下は与からず。宋と兵を交えば、則ち利は臣下に在り、害は国家に在りと。上其の言に感じ、和好始めて定まる。閏月癸未、耶律仁先人を遣わし報ず。宋歳に銀・絹十万両・匹を増し、文書に貢と称し、白溝に送る。帝喜び、群臣を昭慶殿に宴す。是の日、三父族の貧しき者を振恤す。辛卯、仁先・劉六符還り、宋国の誓書を進む。冬十一月丁亥、群臣上り尊号を加うること、聡文聖武英略神功睿哲仁孝皇帝と曰い、皇后蕭氏を冊して貞懿宣慈崇聖皇后と曰う。大赦す。梁王洪基進み封ぜられ燕国王と為る。十二月癸卯、皇太后に朝す。甲辰、皇太弟重元の子涅魯古を封じて安定郡王と為す。己酉、宣献皇后の忌日に因り、上と皇太后素服し、僧に飯を延寿・憫忠・三学の三寺に於いてす。辛亥、宋を伐たんと預備する諸部の租税一年を蠲することを詔す。壬子、吐渾・党項多く馬を夏国に鬻ぐを以て、辺防を謹むことを詔す。己未、宋の賀正旦及び永寿節の使、邸に居る。帝微服して往き観る。丁卯、喪葬に牛馬を殺し及び珍宝を蔵することを禁ず。
十四年春正月庚申、侍中蕭虚烈を南院統軍使と為し、遼西郡王に封ず。庚午、鴛鴦濼に至る。壬午、金吾衛大将軍敵魯古を乙室大王と為す。甲申、夏国使いを遣わして鶻を進む。常侍斡古得戦歿するを以て、其の子習羅を帥と為すことを命ず。二月庚子、皇太后に朝す。撒剌濼に駐蹕す。三月己卯、宋夏を伐つ師還るを以て、使いを遣わして来賀す。四月辛亥、高麗使いを遣わして来貢す。閏五月癸丑、永安山に清暑す。六月丁卯、慶陵に謁す。己卯、阻卜大王屯禿古斯諸酋長を率いて来朝す。庚辰、夏国使いを遣わして来貢す。辛巳、西南面招討使蕭普達戦歿するを以て、同中書門下平章事を贈る。秋七月戊申、中会川に駐蹕す。冬十月甲子、木葉山を望祀す。十一月壬午朔、回鶻阿薩蘭使いを遣わして来貢す。甲辰、同知北院宣徽事蕭阿剌を北府宰相と為す。十二月癸丑、漢軍の炮射撃刺を習うを観る。癸亥、滞獄を決す。
十五年春正月乙酉、混同江に行幸す。契丹人が奴婢を漢人に売り渡すことを禁ず。二月乙卯、長春河に行幸す。丙寅、蒲盧毛朵界の曷懶河戸が来附す、詔してこれを撫す。三月甲申、皇太后に朝す。乙酉、応聖節に因り、死罪を減じ、徒罪以下を釈す。辛卯、皇太后に朝す。丁酉、高麗使いを遣わして来貢す。諸道に詔し、歳ごとに獄訟を具えて聞かしむ。夏四月辛亥朔、五京の吏民が撃鞠することを禁ず。戊午、遙輦帳の戍軍を罷む。壬戌、北女直の詳穩蕭高六を以て奚六部大王と為す。甲子、永安山に清暑す。甲戌、蒲盧毛朵の曷懶河百八十戸来附す。六月癸丑、西京留守耶律馬六を以て漢人行宮都部署と為し、参知政事楊佶を出して武定軍節度使と為す。戊辰、清涼殿に御し、進士王棠等六十八人を放つ。甲戌、西北路招討使耶律敵魯古贓に坐して官を免ず。秋七月乙酉、豳王遂哥薨ず。戊子、獲を観る。乙未、北院宣徽使旅墳を以て左夷離畢と為し、前南府宰相耶律喜孫を東北路詳穩と為す。丙申、諸路の軍を籍す。丁酉、秋山に行幸す。辛丑、扈従の民田を践むことを禁ず。丁未、女直部長遮母の衆を率いて来附するを以て、太師を加う。八月癸丑、高麗王欽薨ず、使いを遣わして来告す。九月甲辰、罝網を以て狐兔を捕うることを禁ず。冬十月己酉、中会川に駐蹕す。十一月丁亥、南院樞密使蕭孝友を以て北府宰相と為し、契丹行宮都部署耶律仁先を南院大王と為し、北府宰相蕭革を同知北院樞密使事と為し、知夷離畢事耶律信先を漢人行宮都部署と為し、左夷離畢旅墳を惕隱と為し、漢人行宮都部署耶律敵烈を左夷離畢と為す。己亥、渤海部、契丹戸の例に依り軍馬を通括す。乙巳、南京の貧民を振恤す。十二月壬申、徒罪以下の罪を曲赦す。是の日、聖宗在世時の生辰なり。