遼史

本紀第十七: 聖宗八

聖宗 八

五年春正月乙酉、混同江に至る。二月戊午、天下に明金及び金線綺の服用を禁ず。国親で服用すべき者は、奏上して後用いる。この月、魚児濼に至る。三月壬辰、左丞相張儉を武定軍節度使・同政事門下平章事とし、鄭弘節を臨潢少尹とし、劉慎行を遼興軍節度使とし、武定軍節度使蕭匹敵を契丹行宮都部署とし、枢密副使楊又玄を吏部尚書・参知政事兼枢密使とする。この月、長春河魚児濼に至る。その水が一夕に雷の如き音あり、沙岡を越えること四十里、別に一つの陂となる。夏五月、永安山にて清暑す。蕭従順を太子太師とし、呉叔達を翰林学士とし、道士馮若谷に太子中允を加え、耶律晨を武定軍節度使とし、張儉を彰信軍節度使とし、呂士宗を礼部員外郎とし、李可挙を順義軍節度使とする。秋七月、平地松林にて狩猟す。九月、南京に駐蹕す。己亥、蕭迪烈・李紹琪を賀宋太后生辰使副に充て、耶律守寧・劉四端を賀宋主生辰使副に充てる。冬十月辛未、宋太后、馮元宗・史方を遣わして順天節を賀す。十一月庚子、内果園に幸して宴し、京民集まり観る。進士を求め、七十二人を得、命じて詩を賦せしめ、その工拙を第し、張昱等十四人を太子校書郎とし、韓欒等五十八人を崇文館校書郎とする。辛丑、左祗候郎君詳穏蕭羅羅を右夷離畢とする。十二月丁巳、漢人行宮都部署蕭孝先を上京留守とし、皇侄長沙郡王謝家奴を匡義軍節度使とし、耶律仁挙を興国軍節度使とする。甲子、蕭守寧を点検侍衛親軍馬歩軍とする。乙丑、北院枢密使蕭合卓薨ず。戊辰、北府宰相蕭普古を北院枢密使とする。己巳、蕭諧・李琪を遣わして賀宋正旦使副に充てる。庚午、参知政事劉京を順義軍節度使とする。乙亥、宋使李維・張綸来たりて千齢節を賀す。この歳、燕民、年穀豊熟にして車駕臨幸するを以て、争って土物を以て来献す。上、高年を礼し、鰥寡を恵み、賜酺飲す。夕に至り、六街の灯火昼の如く、士庶嬉遊し、上もまた微行して之を観る。丁丑、工匠に金銀器を銷毀することを得ざるを禁ず。

六年春正月己卯朔、宋、徐奭・裴継起・張若谷・崔準を遣わして来賀す。庚辰、鴛鴦濼に至る。二月己酉、迷離己を同知枢密院とし、黄翩を兵馬都部署とし、達骨只を之に副え、赦石を都監とし、軍を引いて混同江・疏木河の間に城す。黄龍府、堡障三・烽台十の建立を請う。詔して農隙を以て之を築かしむ。東京留守八哥、黄翩が兵を領いて女直界に入り地を徇い、人・馬・牛・豕を俘獲し、勝計すべからず、降戸二百七十を得たりと奏す。詔して之を奨諭す。戊午、耶律野を副点検とし、国舅帳蕭柳氏・徒魯骨に西北路十二班軍・奚王府舎利軍を領せしむ。己巳、南京水害あり、使を遣わして之を振恤す。庚午、党項別部塌西に契丹節度使を設けて之を治むることを詔す。三月戊寅朔、大同軍節度使張儉を入れて南院枢密使・左丞相兼政事令とし、参知政事呉叔達を責授して将作少監とし、出でて東州刺史とす。この月、阻卜来侵す。西北路招討使蕭惠之を破る。夏四月丁未朔、武定軍節度使耶律洪古を惕隠とする。戊申、蒲盧毛朵部に多き兀惹戸あり。詔して之を索む。丙寅、永安山に至る。五月辛卯、東京統軍使蕭慥古を契丹行宮都部署とする。癸卯、西北路招討使蕭惠を遣わして兵を将いて甘州回鶻を伐たしむ。六月辛丑、詔す、凡そ官畜は並びに其の左に印して之を識すべし。秋七月戊申、黒嶺にて狩猟す。八月、蕭惠、甘州を攻めて克たず、師還る。是より阻卜諸部皆叛く。遼軍之と戦い、皆敗れられる。監軍涅裏姑・国舅帳太保曷不呂之に死す。詔して惕隠耶律洪古・林牙化哥等を遣わして兵を将いて之を討たしむ。九月、遼河の滸に駐蹕す。冬十月丙子、曷蘇館諸部長来朝す。庚辰、使を遣わして夏国の五月に宋と交戦したる故を問わしむ。辛巳、前院大王直魯袞を烏古敵烈都詳穏とする。庚寅、蕭孝順・蕭紹宗に侍中を兼ねさせ、駙馬蕭紹業を平章政事とし、前南院大王胡睹堇を同知上京留守とし、安哥を通化州節度使とする。十一月乙丑、宋、韓翼・田承説を遣わして来たり順天節を賀す。戊辰、西北路招討司小校掃姑、招討蕭惠の三罪を訴う。詔して都監奥骨禎に按問せしむ。十二月庚辰、曷蘇館部、旗鼓の建立を乞う。之を許す。辛巳、詔す、北南諸部に州県及び石烈・弥裏の官を廉察せしめ、治まらざる者は之を罷めしむ。詔す、大小の職官に貪暴民を残す者有らば、直ちに之を罷め、終身録用せず。其の廉直ならざる者は、重任に処すと雖も、即時に之に代う。清勤自ら持する能う者は、卑位に在るとも亦た当に薦抜すべし。其の内族賄賂を受くる者は、事発すれば、常人と犯す所同じく科す。戊戌、杜防・蕭蘊を遣わして賀宋生辰使副に充てる。庚子、遼河に駐蹕す。

七年春正月壬寅朔、宋、張保維・孫継業・孔道輔・馬崇至を遣わして来賀す。混同江に至る。辛亥、女直の白縷を惕隠とし、蒲馬を巌母部太師とする。甲寅、蒲盧毛朵部、使を遣わして来貢す。夏四月乙未、黒嶺にて狩猟す。五月、永安山にて清暑す。西南路招討司、陰山中に金銀を産すと奏す。冶を置くことを請う。之に従う。復た使を遣わして遼河源を循り金銀を産する鉱を求む。六月、諸屯田に官粟を擅に貨することを得ざるを禁ず。癸巳、蕭惠に再び阻卜を討たしむることを詔す。秋七月己亥朔、法令を更定することを詔す。庚子、駙馬蕭鉏不・公主粘米袞に詔諭す、「爾ら後には父母の尊有り。後或いは臨幸し、先祖を祗謁し、空帳を祗拝するは、致敬の礼を失う。今後は像を設けて拝謁すべし」。乙巳、詔す、輦路の経る所、傍ら三十歩内に耕種せざる者は、訴訟の限に在らず。九月、遼河に駐蹕す。冬十月丁卯朔、詔す、諸帳院の庶孽は、並びに其の母に従って貴賤を論ず。十一月、宋、石中立・石貽孫を遣わして来たり千齢節を賀し、王博文・王双を遣わして順天節を賀す。辛亥、楊又玄・邢祥に貢挙を知らしむ。己未、匡義軍節度使中山郡王査葛・保寧軍節度使長沙郡王謝家奴・広徳軍節度使楽安郡王遂哥奏す、各将に之官せんとし、伴読の書史を選ぶことを乞う。之に従う。癸亥、三韓王欽を啓聖軍節度使とし、楊佶を刑部侍郎とする。甲子、左千牛衛上将軍耶律古昱を北院大王とする。十二月丁卯朔、耶律遂英・王永錫を遣わして賀宋太后生辰に充て、蕭速撒・馬保永を賀正旦使副に充てる。癸酉、金吾蕭高六を奚舎利軍詳穏とする。

八年春正月乙亥、混同江に幸す。庚申、党項辺境を侵す、これを破る。甲子、詔して州県の長吏に農を勧めしむ。二月戊子、燕京留守蕭孝穆、拒馬河に於いて宋境に接する所に戍長を置き巡察せんことを乞う、詔してこれに従う。三月、長春河に駐蹕す。夏五月、永安山に清暑す。六月、韓寧・劉湘を以て賀宋太后生辰使副と為し、呉克荷を以て賀夏国王李徳昭生辰使と為す。癸巳、権北院大王耶律鄭留奏す、今歳十一月皇太子妃を納る、諸族会親の帳を備う。詔して豪盛なる者三十戸を以てその費を給す。秋七月丁酉、遙輦帳郎君陳哥を以て西北路巡検と為し、蕭諧領と同く二招討の地を管せしむ。南院大王耶律敵烈を以て上京留守と為す。戊戌、平地松林に猟す。九月壬辰朔、渤海宰相羅漢を以て権東京統軍使と為す。壬子、中京に幸す。北敵烈部節度使耶律延寿、諸部を視察し、旗鼓を賜わんことを請う、詔してこれに従う。癸丑、阻卜別部の長胡懶来降す。乙卯、阻卜の長舂古来降す。冬十月、宋、唐粛・葛懐湣を遣わして来たり順天節を賀す。枢密使・魏王耶律斜軫の孫の婦阿聒、乗輿を指斥し、その孫骨欲これを隠す、事覚る、乃ち並びにこれに坐し、仍ってその家を籍す。詔して燕城の将士、若し敵至らば、総管城の東南を備え、統軍その西北を守り、馬歩軍その野戦を備え、統軍副使壁壘を繕い、士卒を課し、各その事を練らしむ。十一月丙申、皇太子妃蕭氏を納る。耶律求翰を以て北院大王と為す。十二月辛酉朔、遙輦太尉謝仏留を以て天雲軍詳穏と為す。壬申、前北院大王耶律留寧を以て双州節度使と為し、康筠を崇徳宮都部署と為し、謝十を永興宮都部署と為し、旅墳を宜州節度使と為し、菴を遼州節度使と為し、耶律野を同知中京留守と為し、耶律曷魯突愧を大将軍と為す。丁丑、詔す、庶孽已に良と為すと雖も、世選に預かることを得ず。丁亥、宋、寇瑊・康徳を遣わして来たり千齢節を賀す。朱諫・曹英・張逸・劉永釗来歳両宮正旦を賀す。詔す、両国舅及び南・北王府は乃ち国の貴族なり、賤庶は本部の官に任ずることを得ず。是歳、進士張宥等五十七人を放つ。

九年春正月、中京より至る。二月戊辰、使を遣わして高麗王に物を賜う。斡凜河に幸す。夏五月、永安山に清暑す。六月戊子朔、長沙郡王謝家奴を以て広徳軍節度使と為し、楽安郡王遂哥を匡義軍節度使と為し、中山郡王査葛を保定軍節度使と為し、進めて潞王に封じ、章王貼不を長寧軍節度使と為す。耶律思忠・耶律荷・耶律暠・遙輦謝仏留・陳邈・韓紹一・韓知白・張震を以て賀宋両宮生辰及び来歳正旦使副と為す。秋七月戊午朔、黒嶺に幸す。八月己丑、東京舎利軍詳穏大延琳、留守駙馬都尉蕭孝先及び南陽公主を囚え、戸部使韓紹勛・副使王嘉・四捷軍都指揮使蕭頗得を殺す。延琳遂に位を僭し、その国を興遼と号し、年を天慶とす。初め、東遼の地、神冊より来附し、未だ榷酤塩曲の法なく、関市の征も亦甚だ寛弛なりき。馮延休・韓紹勛相継いで燕地平山の法を以てこれを縄す、民命に堪えず。燕又仍歳大饑あり、戸部副使王嘉復た計を献じて船を造り、その民海事に諳んずる者をして、粟を漕ぎて以て燕民を賑わしむ。水路艱険、多く覆没に至り、言を信ぜずと雖も、鞭楚搒掠す、民怨み乱を思う。故に延琳これに乗じ、首に紹勛・嘉を殺し、以てその衆を快くす。延琳先ず事に副留守王道平と謀り、道平夜その家を棄て、城を逾えて走り、延琳の遣わして黄龍府の黄翩を召さんとする者と俱に行在に至り変を告ぐ。上即ち諸道の兵を征し、時を以て進討せしむ。時に国舅詳穏蕭匹敵延琳に近く治め、先ず本管及び家兵を率いてその要害を拠し、その西渡の計を絶つ。渤海太保夏行美亦旧兵を主とし、保州に戍す。延琳密かに書を馳せ、統帥耶律蒲古を図らしむ。行美乃ち実を以て告ぐ。蒲古書を得、遂に渤海兵八百人を殺し、而してその東路を断つ。延琳黄龍・保州皆附せざるを知り、遂に兵を分かち西に沈州を取らんとす。その節度使蕭王六初めて至り、その副張傑降らんと欲すと声言す、故に急に攻めず。及びその詐を知り、而して已に備えあり、これを攻めて克たずして還る。時に南・北女直皆延琳に従い、高麗亦その貢を稽す。及び諸道の兵次第に皆至り、延琳城に嬰り固く守る。冬十月丙戌朔、南京留守燕王蕭孝穆を以て都統と為し、国舅詳穏蕭匹敵を副統と為し、奚六部大王蕭蒲奴を都監と為して以てこれを討たしむ。十一月乙卯朔、顕陵に幸す。丙寅、沈州節度副使張傑を以て節度使と為す。その皇城進士張人紀・趙睦等二十二人朝に入る。詩賦を以て試み、皆第を賜い、超授して保州戍将夏行美を平章事と為す。壬申、駙馬劉四端を以て権知宣徽南院事と為す。十二月丁未、宋、仇永・韓永錫を遣わして来たり千齢節を賀す。耶律育・呉克荷・蕭可観・趙利用を命じて賀宋生辰使副と為し、耶律元吉・崔閏・蕭昭古・竇振を来歳賀宋正旦使副と為す。

十年春正月乙卯朔、宋、王夷簡・竇処約・張易・張士宜を遣わして来たり賀す。二月、龍化州に幸す。三月甲寅朔、詳穏蕭匹敵遼東より至り、言う、都統蕭孝穆城を去ること四面各五里許り、城堡を築きて以てこれを囲む。駙馬延寧その妹と地を穴ぐって遁去る。惟だ公主崔八後れ在り、守陴の者に覚られて止む。夏四月、乾陵に幸す。耶律行平を以て広平軍節度使と為し、夏行美を忠順軍節度使と為し、李延弘を易州知事と為し、蕭従順に太子太師を加う。五月戊申、柏坡に清暑す。秋七月壬午、詔して来歳貢挙法を行わしむ。八月丙午、東京賊の将楊詳世密かに款を送り、夜南門を開きて遼軍を納る。延琳を擒え、渤海平ぐ。冬十月、長寧澱に駐蹕す。十一月辛亥、南京留守燕王蕭孝穆、東征の将士凱還するを以て、戎服を以て上に見え、上大いに宴労を加う。翌日、孝穆を以て東平王・東京留守と為し、国舅詳穏・駙馬都尉蕭匹敵を蘭陵郡王に封じ、奚王蒲奴に侍中を加う。権燕京留守兼侍中蕭恵を以て燕京統軍使と為し、前統軍委窊を大将軍・節度使と為し、宰相兼枢密使馬保忠を権知燕京留守と為し、奚王府都監蕭阿古軫を東京統軍使と為す。詔す、渤海旧族勛労材力ある者を用い叙し、余は来・隰・遷・潤等州に分居せしむ。十二月乙巳、宋、梅詢・王令傑を遣わして来たり千齢節を賀す。漆水郡王耶律敵烈に尚父を加え、烏古部節度使蕭普達を乙室部大王と為し、尚書左僕射蕭琳を臨海軍節度使と為す。

十一年春正月己酉の朔、混同江に幸す。二月、長春河に幸す。三月、上御体不豫なり。夏五月、大いに雨水あり、諸河横流し、皆故道を失う。六月丁丑の朔、大福河の北に駐蹕す。己卯、帝行宮に崩ず、年六十一、在位四十九年。景福元年閏十月壬申、尊謚を上りて文武大孝宣皇帝と曰い、廟號を聖宗とす。

贊に曰く、聖宗幼沖にして位を嗣ぎ、政は慈闈より出づ。宋人の二道より来攻するに及び、親ら甲冑を禦いで、一挙にして燕・雲を復し、信・彬を破り、再挙にして河・朔を躪す、亦偉ならずや。既にして侈心一たび啓き、佳兵は祥ならず、東に茶・陀の敗あり、西に甘州の喪あり、これ常勝に狃るるの過ちなり。然れども其の践阼すること四十九年、冤滯を理め、才行を挙げ、貪殘を察し、奢僭を抑え、死事の子孫を録し、諸部の貧乏を振い、迎合不忠の罪を責め、高麗女楽の帰を卻く。遼の諸帝、在位長久にして令名窮まり無きは、其れ唯聖宗か。