遼史

本紀第十六: 聖宗七

聖宗 七

七年の春正月甲辰、達離山に至る。二月乙丑朔、日を拝し、渾河に至る。三月辛丑、東北の越裏篤・剖阿裏・奧裏米・蒲奴裏・鐵等五部に命じ、毎年貂皮六万五千・馬三百を貢納せしむ。丙午、烏古部節度使蕭普達、命に叛く敵烈を討ち、これを滅ぼす。夏四月、日を拝す。丙寅、川・饒の二州の饑饉を賑済す。辛未、中京の貧乏を賑済す。癸酉、匿名の書を禁ず。壬辰、三司使呂德懋を以て樞密副使と為す。閏月壬子、蕭進忠を以て彰武軍節度使兼五州制置と為す。戊午、吐蕃王並裏尊奏す、朝貢するに当たり、夏国を仮道することを乞う、これに従う。五月丙寅、皇子宗真を梁王に封じ、宗元を永清軍節度使とし、宗簡を右衛大將軍とし、宗願を左ぎょう衛大將軍とし、宗偉を右衛大將軍とし、皇侄宗範を昭義軍節度使とし、宗熙を鎮國軍節度使とし、宗亮を絳州節度使とし、宗弼を濮州觀察使とし、宗奕を曹州防禦使とし、宗顯・宗肅を皆防禦使と為す。張儉を以て司徒しとを守り政事令を兼ねしむ。六月丙申、品打魯瑰部節度使勃魯裏、鼻灑河に至り、微雨に遇い、忽ち天地晦冥し、大風四十三人を飄わせ空中に飛旋せしめ、良久にして乃ち数里外に墮つ。勃魯裏幸いに免る。一つの酒壺地に在りて反って移らず。八月丙午、大射柳の礼を行ふ。庚申、耶律留寧・吳守達を以て宋に使いしめ生辰を賀せしめ、蕭高九・馬貽謀を以て宋に使いしめ正旦を賀せしむ。平章蕭弘義に開府儀同三司・尚父兼政事令を加ふ。秋七月甲子、詔して翰林待詔陳升に命じ『南征得勝圖』を上京の五鸞殿に写さしむ。丁卯、蒲奴裏部来貢す。九月庚申朔、蒲昵国の使い奏す、本国は烏裏国と封壤相接し、数侵掠して寧かならずと、詔を賜ひてこれを諭す。戊辰、内外の官に詔す、事に因り賕を受け、事覚えて子孫仆従と称するを、これを禁ず。庚午、囚を録す。馬を括りて東征軍に給す。是の月、土河川に駐蹕す。冬十月、中京に新たに建つる二殿を延慶・永安と名づく。壬寅、順義軍節度使石用中を以て漢人行宮都部署と為す。丙辰、詔して東平郡王蕭排押を以て都統と為し、殿前都點檢蕭虛列を副統と為し、東京留守耶律八哥を都監と為し、高麗を伐たしむ。仍て高麗の守吏に諭し、能く衆を率いて自ら帰する者は厚く賞し、堅壁して相拒ぐ者は追悔も及ばざらんとす。十一月壬戌、呂德懋を以て吏部尚書を知らしめ、楊又玄を以て詳覆院を知らしめ、劉晟を州節度使と為し、北府宰相劉慎行を彰武軍節度使と為す。庚辰、明金・縷金・貼金の服用を禁ず。戊子、中京に幸す。十二月丁酉、宋、呂夷簡・曹璋を遣わし来たりて千齢節を賀す。是の月、蕭排押等、高麗と茶・陀の二河に戦ひ、遼軍利あらず、天雲・右皮室の二軍溺沒する者衆く、遙輦帳詳穩阿果達・客省使酌古・渤海詳穩高清明・天雲軍詳穩海裏等皆これに死す。進士張克恭等三十七人を放ち及第せしむ。

八年の春正月、宋、陳堯佐・張群を遣わし来たりて賀す。壬戌、鐵驪来貢す。中京に景宗廟を建つ。沙州節度使曹順を敦煌郡王に封ず。二月丁未、前南院樞密使韓制心を以て中京留守と為し、漢人行宮都部署王繼忠を南院樞密使と為す。丙辰、風伯を祭る。三月己未、契丹弘義宮使赫石を以て興聖宮都部署と為し、前遙恩拈部節度使控骨裏を積慶宮都部署と為し、左祗候郎君耶律罕を四捷軍都監と為す。乙亥、東平王蕭韓寧・東京留守耶律八哥・國舅平章事蕭排押・林牙要只等、高麗を討ち還り、律を失ひて坐し、その罪を数へてこれを釈す。己卯、詔して高麗に征して功ある渤海の将校の官を加ふ。壬午、飛龍院の馬を閲す。癸未、回跋部太師踏剌葛来貢す。丙戌、東京に渤海承奉官都知押班を置く。夏四月戊子朔、緬山に至る。五月壬申、駙馬蕭克忠を以て長寧軍節度使と為す。乙亥、寧州の渤海戸を遼・土の二河の間に遷す。己卯、曷蘇館惕隱阿不葛・宰相賽剌来貢す。六月戊子、高麗に征して戦歿せる将校の子弟を録す。己丑、左夷離畢蕭解裏を以て西南面招討使と為し、御史大夫蕭要只を夷離畢と為す。乙亥、惕隱耶律合葛を南府宰相と為し、南面林牙耶律韓留を惕隱と為す。癸卯、大擺山猿嶺の采木の禁を弛む。乙巳、南皮室軍校等、高麗を討ちて功あるを以て、金帛を賜ひ差等有り。秋七月己未、高麗に征して戦歿せる諸将、詔してその妻を益封す。庚申、東北路詳穩耶律獨叠を以て北院大王と為す。辛酉、肴裏・涅哥の二奚軍、高麗に征して功有り、皆金帛を賜ふ。癸亥、阻卜に詔し、旧に依り歳に馬千七百・駝四百四十・貂鼠皮一万・青鼠皮二万五千を貢せしむ。戊辰、稼を観る。己巳、回跋部太保麻門来貢す。庚午、市を観、市中の繫囚を曲赦す。解寧・馬翼を命じ賀宋生辰使副を充てしむ。八月庚寅、郎君曷不呂等を遣わし諸部の兵を率い大軍に会して高麗を討たしむ。九月己巳、石用中を以て参知政事と為す。宋、崔遵度・王應昌を遣わし来たりて千齢節を賀す。壬申、囚を録す。甲戌、復た囚を録す。庚辰、曷蘇館惕隱阿不割来貢す。壬午、土河川に駐蹕す。冬十月乙酉、諸道に詔す、事の巨細を問はず、已に断ぜる者は、毎三月一次条奏せしむ。戊子、耶律繼崇・鄭玄瑕を遣わし宋に賀正旦せしむ。癸巳、詔す、横帳三房は卑小なる帳族と婚を為すことを得ず、凡そ嫁娶は必ず奏して後に行はしむ。癸卯、前北院大王建福を以て阿紥割只と為す。甲辰、東路の耗裏太保城を改めて咸州と為し、節を建ててこれを領せしむ。十一月甲寅、雲州宣德縣を置く。十二月辛卯、中京に駐蹕す。乙巳、廣平郡王宗業を以て中京留守・大定尹と為し、韓制心を惕隱と為す。辛亥、高麗王詢、使いを遣わし方物の貢を乞ふ、詔してこれを納る。

九年春正月、宋は劉平・張元普を遣わして来朝し賀す。二月、鴛鴦濼に至る。五月庚午、耶律資忠が高麗より使いして還り、王詢は表を奉り藩を称し貢を納ることを請い、留め置かれたる王人只剌裏を帰す。只剌裏は高麗に在ること六年、忠節を屈せず、以て林牙となす。辛未、使いを遣わして王詢の罪を釈し、併せて其の請を允す。癸酉、耶律宗教を以て検校太傅と為し、宗誨を啓聖軍節度使と為し、劉晟を太子太傅と為し、仍て保節功臣を賜う。秋七月庚戌朔、日食有り、詔して近臣を以て代わりて拝し日を救わしむ。甲寅、使いを遣わして沙州回鶻敦煌郡王曹順に衣物を賜う。查剌・耿元吉・韓九・宋璋を以て来年の賀宋生辰正旦使副と為す。九月戊午、駙馬蕭紹宗を以て平章事と為す。丁卯、文武百僚表を奉り尊号を上る、許さず。表三たび上り、乃ち従う。乙亥、沙州回鶻敦煌郡王曹順使いを遣わして来貢す。諸道の漢民の馬を括りて東征軍に賜う。夷離畢延寧を以て兵馬副都部署と為し、兵を総べて東征す。是の月、金瓶濼に駐蹕す。宋は宋綬・駱継倫を遣わして千齢節を賀す。冬十月戊寅朔、涅裏を以て奚王都監と為し、突叠裏を北王府舍利軍詳穏と為す。郎君老沙州より使いして還る、詔して宿累を釈す。国家旧より遠国に使するに、多く徒罪を犯し而も才略有る者を用い、使い還れば即ち其の罪を除く。戊子、西南招討奏す、党項部に宋犀族有り貢を輸すること時にあらず、常に他意有り、宜しく時に遣使して之を督むべしと。詔して曰く、「辺鄙の小族、歳に常貢有り。辺臣驕縦し、征斂度無く、彼懼を懐いて自ら達する能わざるのみ。第に清慎の官将を遣わし、恩信を示し、或は侵漁すること無くば、自然に順を效す。」復た奏す、諦居・叠烈徳部言う、節度使韓留は恵政有り、今当に代わるべしと請い留めんと。上命して其の治状を進めしむ。辛丑、中京に至る。壬寅、大食国使いを遣わして象及び方物を進め、子冊割の為に婚を請う。十一月丁巳、漆水郡王韓制心を以て南京留守・析津尹・兵馬都総管と為す。己未、夷離畢蕭孝順を以て南面諸行宮都部署と為し、左僕射を加う。十二月丁亥、僧の身を燃やし指を煉ることを禁ず。戊子、詔して中京に太祖廟を建て、制度・祭器皆古制に従わしむ。乙巳、詔して来年冬大冊礼を行わんとす。進士張仲挙等四十五人を放つ。

太平元年春正月丁丑朔、宋使魯宗道・成吉来朝し賀す。渾河に至る。二月乙卯、鈸河に幸す。壬戌、高柳林に猟す。三月戊戌、皇子勃已只生まる。庚子、駙馬都尉蕭紹業私城を建つ、名を睦州と賜い、軍を長慶と曰う。是の月、大食国王復た使いを遣わして婚を請う、王子班郎君胡思裏の女可老を封じて公主と為し、之に嫁す。夏四月戊申、東京留守奏す、女直三十部の酋長各其の子を以て闕に詣り祗候せんことを請う。詔して其の父と俱に来り約を受けしむ。乙卯、囚を録す。丁卯、来州を置く。是の月、緬山に清暑す。秋七月甲戌朔、猟に従う女直人に秋衣を賜う。乙亥、骨裏を遣わして石晋の上りし玉璽を中京に取りしむ。阻卜来貢す。辛巳、沙嶺に至る。是の月、潢河に猟す。九月、中京に幸す。冬十月丁未、敵烈酋長頗白来たり馬・駱駝を貢す。戊申、囚を録す。壬子、宋使李懿・王仲賓来朝し千齢節を賀し、及び蘇惟甫・周鼎来歳元正を賀す。即ち蕭善・程翥を遣わして報聘せしむ。党項長曷魯来貢す。己未、薩敏解裏を都点検と為し、高六を副点検と為し、耶律羅漢奴を左皮室詳穏と為し、嗓姑を右皮室詳穏と為し、聊了を西北路金吾と為し、耶律僧隠を御史大夫と為し、求哥を駙馬都尉と為し、蕭舂・骨裏並びに大将軍と為す。庚申、通天観に幸し、魚龍曼衍の戯を観る。翌日、再び幸す。還り、玉輅に昇り、内三門より万寿殿に入り、七廟の御容に酒を奠し、因りて宗室を宴す。十一月癸未、上昭慶殿に御し、文武百僚冊を奉り尊号を上りて曰く睿文英武遵道至徳崇仁広孝功成治定昭聖神賛天輔皇帝、大赦し、元を太平と改め、中外の官進級差有り。宋使いを遣わして来聘し、夏・高麗使いを遣わして来貢す。甲申、皇子梁王宗真を冊して皇太子と為す。

二年春正月、納水に至り魚を釣る。二月辛丑朔、魚児濼に駐蹕す。三月甲戌、長春州に至る。丁丑、宋使薛貽廓来たりて宋主恒の殂し、子禎嗣位するを告ぐ。都点検耶律僧隠等を遣わして宋祭奠使副を充て、林牙蕭日新・観察馮延休を遣わして宋後吊慰使副を充てしむ。戊寅、金吾耶律諧領・引進姚居信を遣わして宋主吊慰使副を充てしむ。戊子、宋主の為に三京の僧に飯す。是の月、地震し、雲・応二州屋摧け地陥ち、嵬白山数百歩裂け、泉湧きて流を成す。夏四月、緬山に至り清暑す。五月乙亥、参知政事石用中薨ず。庚辰、鉄驪使いを遣わして兀惹十六戸を献ず。六月己未、宋使い薛由等を遣わして来たり其の先帝の遺物を饋る。秋七月乙卯、耶律信寧を以て奉陵軍節度使と為し、高麗国参知政事王同顕を静海軍節度使と為し、耶律遂忠を長寧軍節度使と為し、耿延毅を昭徳軍節度使と為し、高守貞を河西軍節度使と為す。九月癸巳、尚書僧隠・韓格を遣わして宋主の即位を賀す。冬十月壬寅、堂後官張克恭を遣わして賀夏国王李徳昭生日使を充て、耶律掃古・韓王を遣わして賀宋太后生日使副を充て、耶律仙寧・史克忠を遣わして賀宋正旦使副を充てしむ。是の月、胡魯古思澱に駐蹕す。癸卯、宰臣呂徳懋・参知政事呉叔達・枢密副使楊又玄・右丞相馬保忠に銭物を賜うこと差有り。辛亥、上京に至り、畿内の囚を曲赦す。十一月丙戌、宋使いを遣わして来謝す。十二月辛丑、高麗王詢薨ず、其の子欽使いを遣わして来たり報ず。即ち使いを命じ欽を冊して高麗国王と為す。甲寅、宋劉燁・郭誌言を遣わして来たり千齢節を賀す。是年、進士張漸等四十七人を放つ。

三年春正月丙寅の朔、納水に至りて魚を釣る。僧隠を以て平章事と為す。乙亥、蕭臺徳を以て南王府都監と為し、林牙耶律信寧を西北路招討都監と為す。辛巳、越国公主の私城に名を賜いて懿州と曰い、軍を慶懿と曰う。二月丙申、丁振を以て武信軍節度使と為し、改めて蘭陵郡王に封ず。戊申、東平郡王蕭排押を以て西南面都招討と為し、進めて豳王に封ず。夏四月、耶律守寧を以て都点検と為す。五月、緬山に清暑す。六月戊申、南院宣徽使劉涇を以て参知政事と為し、蕭孝恵を副点検と為し、蕭孝恭を東京統軍兼沿辺巡検使と為す。戊午、蕭璉を以て左夷離畢と為し、蕭琳を詳穏と為す。秋七月戊寅、南府宰相耶律合葛を以て上京留守と為し、漆水郡王に封ず。丙戌、皇后の生辰を以て順天節と為す。丁亥、緬山に名を賜いて永安と曰う。是の月、赤山に猟す。閏九月壬辰の朔、蕭柏達・韓紹雍を以て賀宋正旦使副に充て、唐骨徳・程昭文を賀宋生辰使副と為す。冬十月庚辰、宋、薛奎・郭盛を遣わして来たり順天節を賀し、王臻・慕容惟素を遣わして千齢節を賀す。東征軍奏す:「統帥諧領・常袞課奴、師を率いて毛母国嶺より入り、林牙高九・裨将大匡逸等、師を率いて鼓山嶺より入る。閏月、未だ撻離河に至らず、敵に遇わずして還る。是の月を以て弘怕只嶺に会し、駱駝・馬の死する者甚だ衆し。」遼河に駐蹕す。十一月辛卯の朔、皇侄宗範を以て帰徳軍節度使と為し、北府宰相蕭孝穆を南京留守と為し燕王に封じ、南京留守韓制心を南院大王・兵馬都総管と為し、仇正を燕京転運使と為す。十二月壬戌、宗範を以て平章事と為し三韓郡王に封じ、仇道衡を中京副留守と為し、馮延休を順州刺史と為す。郎玄化を西山転運使と為し、趙其を枢密直学士と為す。丁卯、蕭永を以て太子太師と為す。己卯、皇子重元を秦国王に封ず。

四年春正月庚寅の朔、宋、張傳・張士禹・程琳・丁保衡を遣わして来たり賀す。鴨子河に至る。二月己未の朔、撻魯河に猟す。詔して鴨子河を改めて混同江と曰い、撻魯河を長春河と曰う。三月戊子の朔、千齢節、詔して諸宮分の耆老に食を賜う。夏四月癸酉、右丞相馬保忠の子世弘を以て嶺表に使いせしむるも、平地松林に至り、盗の為に殺さる。特ちに昭信軍節度使を贈る。五月、永安山に清暑す。六月己未、南院大王韓制心薨ず。戊辰、鄭弘節を以て兵部郎中と為し、劉慎行を順義軍節度使と為す。辛未、燕王蕭孝穆の子順を以て千牛衛将軍と為す。甲戌、中山郡王査哥を以て保静軍節度使と為し、楽安郡王遂哥を広徳軍節度使と為し、蕭解裏を彰徳軍節度使と為す。庚辰、遼興軍節度使周王胡都古を以て臨海軍節度使と為し、漆水郡王敵烈を南院大王と為す。秋七月、秋山に至る。八月丙辰の朔、韓紹芳を以て枢密直学士と為し、駙馬蕭匹敵を都点検と為す。九月、駙馬蕭紹宗を以て武定軍節度使と為し、耶律宗福を安国軍節度使と為す。冬十月、遼河に駐蹕す。宋、蔡齊・李用和を遣わして来たり千齢節を賀す。十一月、南院大王韓制心を追封して陳王と為す。十二月、蕭従政を以て帰義軍節度使と為し、康筠を監門衛と為し、賀宋正旦使副に充つ。是年、進士李𧫎等四十七人を放つ。