遼史

本紀第十五: 聖宗六

聖宗 六

二十八年春正月辛亥の朔、賀を受けず。甲寅、乾陵に至る。癸酉、大行皇太后の梓宮を乾州菆塗殿に奉安す。二月丙戌、宋は王隨・王儒等を遣わして来り弔祭す。己亥、高麗は魏守愚等を遣わして来り祭る。是の月、左龍虎衛上將軍蕭合卓を遣わし大行皇太后の遺物を宋に饋り、仍りて臨海軍節度使蕭虚列・左領軍衛上將軍張崇濟を遣わし宋の弔祭を謝す。三月癸卯、大行皇太后の謚を上りて聖神宣獻皇后と為す。是の月、宋・高麗は使いを遣わして来り葬に会す。夏四月甲子、太后を乾陵に葬る。大丞相耶律德昌に名を賜ひて隆運と曰ふ。庚午、宅及び陪葬地を賜ふ。五月己卯の朔、中京に至る。辛卯、七金山に清暑す。乙巳、西北路招討使蕭圖玉、甘州回鶻を伐ち、蕭州を破り、其の民を尽く俘へしと奏す。詔して土隗口故城を修め以て之を実す。丙午、高麗西京留守康肇其の主誦を弒し、擅に誦の從兄詢を立てる。諸道に詔して甲兵を繕はしめ、以て東征に備ふ。秋八月戊申、平州の饑民を振る。辛亥、中京に幸す。丙寅、顯・乾二陵を謁す。丁卯、自ら将として高麗を伐ち、使いを遣わし宋に報ず。皇弟楚國王隆祐を以て京師を留守せしめ、北府宰相・駙馬都尉蕭排押を都統と為し、北面林牙僧奴を都監と為す。九月乙酉、使いを遣わし西平王李德昭を冊して夏國王と為す。辛卯、樞密直學士高正・引進使韓杞を遣わし高麗王詢に宣問す。冬十月丙午の朔、女直良馬萬匹を進め、征に従ひ高麗を乞ふことを乞ふ。之を許す。王詢使いを遣わし表を奉り師を罷むることを乞ふ。許さず。十一月乙酉、大軍鴨淥江を渡る。康肇拒み戦ひ、之を敗り、退きて銅州を保つ。丙戌、肇復た出づ。右皮室詳穩耶律敵魯肇及び副将李立を擒へ、数十里を追ひ殺し、棄てし所の糧餉・鎧仗を獲る。戊子、銅・霍・貴・寧等州皆降る。排押奴古達嶺に至り、敵兵に遇ひ、戦ひて之を敗る。辛卯、王詢使いを遣わし表を上り朝請す。之を許す。軍士の俘掠を禁ず。政事舍人馬保佑を以て開京留守と為し、安州團練使王八を副留守と為す。太子太師乙凜を遣わし騎兵一千を将ひ、保佑等を送りて京に赴かしむ。壬辰、守将卓思正遼の使者韓喜孫等十人を殺し、兵を領ひ出でて拒ぎ、保佑等還る。乙凜を遣わし兵を領ひて之を撃たしむ。思正遂に西京に奔る。之を囲み、五日克たず。蹕を城西に駐す。高麗禮部郎中渤海陀失来降す。庚子、排押・盆奴等を遣わし開京を攻め、高麗兵に遇ひ、之を敗る。王詢城を棄て遁去し、遂に開京を焚き、清江に至り、還る。

二十九年春正月乙亥の朔、師を班す。降りし諸城復た叛く。貴州南峻嶺谷に至り、大雨連日、馬駝皆疲れ、甲仗多く遺棄し、霽れて乃ち渡るを得。己丑、鴨淥江に次ぐ。庚寅、皇后及び皇弟楚國王隆祐来遠城に迎ふ。壬辰、諸軍を罷むるを詔す。己亥、東京に次ぐ。二月己酉、乾・顯二陵を謁す。戊午、俘へし高麗人を分ち諸陵廟に置き、餘は内戚・大臣に賜ふ。三月己卯、大丞相晉國王耶律隆運薨ず。庚辰、皇弟楚國王隆祐権め北院樞密使事を知り、樞密直學士高正を北院樞密副使と為す。庚寅、南京・平州水す。之を振る。己亥、北院大王耶律室魯を以て北院樞密使と為し、韓王に封じ、北院郎君耶律世良を北院大王と為し、前三司使劉慎行を参知政事兼知南院樞密使事と為す。夏四月、老古堝に清暑す。五月甲戌の朔、已に奏せし事を所司に送り日曆に附するを詔す。又帳族に罪有るは、げい墨諸部人の例に依ふを詔す。乙未、劉慎行を以て南院樞密使と為し、南府宰相邢抱質に南院樞密使事を知らしむ。六月庚戌、蔚州・利州を升めて觀察使と為す。乙卯、韓王耶律室魯薨ず。丙辰、南院大王化哥を以て北院樞密使と為す。丁巳、西北路招討使・駙馬都尉蕭圖玉に詔して西鄙を安撫せしむ。阻卜諸部節度使を置く。是の秋、平地松林に獵す。冬十月庚子の朔、蹕を廣平澱に駐す。甲寅、大丞相晉國王耶律隆運に尚書令しょうしょれいを贈り、謚して文忠と曰ふ。十一月庚午の朔、顯州に幸す。十二月庚子の朔、復た廣平澱に如く。癸丑、知南院樞密使事邢抱質年老を以て、詔して小車に乗りて朝に入る。是の月、歸・寧二州を置く。是年、禦試し、高承顏等二人を放ち及第せしむ。

開泰元年春正月己巳の朔、宋は趙湘・符成翰を遣わして来賀す。癸未、長白山三十部女直の酋長来貢し、爵秩を授くるを乞う。甲申、王子院に駐蹕す。丙戌、祠を望み木葉山に祀る。丁亥、女直太保蒲撚等来朝す。戊子、買曷魯林に猟す。庚寅、木葉山に祠る。辛卯、曷蘇館大王曷裏喜来朝す。二月壬子、瑞鹿原に駐蹕す。三月甲戌、蔚州を以て観察と為し、武定軍に隷せず。乙亥、葦濼に如く。丁丑、詔して皇女八人を封じて郡主と為す。乙酉、詔して日を卜して山を拝し、大に柳を射るの礼を行わしめ、北宰相・駙馬・蘭陵郡王蕭寧、枢密使・司空しくう邢抱質を命じて有司に儀物を具えしむ。丁亥、皇弟楚國王隆祐、徙め封ぜられて齊國王と為り、東京に留守す。夏四月庚子、高麗蔡忠順を遣わし来たり、臣と称することを旧の如くせんことを乞い、詔して王詢に親朝せしむ。壬寅、夏国使いを遣わし良馬を進む。己酉、風伯を祀る。辛酉、前孟父房敞穩蕭佛奴を以て左夷離畢と為す。五月戊辰の朔、上京に還る。詔して裴玄感・邢祥に礼部貢挙を知らしめ、進士史簡等十九人を放ち及第せしむ。駙馬蕭紹宗を以て鄭州防禦使と為す。乙亥、邢抱質を以て大同軍節度使と為す。六月、上京に駐蹕す。秋七月丙子、耶律遂貞を以て遼興軍節度使と為し、遂正を北院宣徽使と為し、張昭瑩を南院宣徽使と為し、耶律受益を上京副留守と為し、寇卿を彰德軍節度使と為す。耶律釋身奴・李操を命じて賀宋国生辰信使副と充て、蕭涅袞・齊泰を賀宋正旦使副と為す。進士康文昭・張素臣・郎玄達、知貢挙裴玄感・邢祥の私曲を論ずるに坐し、秘書省正字李萬上書し、辞怨訕に渉る。皆杖して之を徒し、萬は陷河冶に役す。八月丙申の朔、鐵那沙等兀惹百余戸を送りて賓州に至り、絲絹を賜う。是の日、那沙、佛像・儒書を賜わんことを乞い、詔して『護國仁王佛像』一、『易』・『詩』・『書』・『春秋』・『禮記』各一部を賜う。己未、高麗王詢田拱之を遣わし表を奉り、病を称して朝すること能わずとす。詔して復た六州の地を取る。是の月、齊國王隆祐薨じ、朝を輟むこと五日。冬十月辛亥、中京に如く。閏月丁卯、隆祐に守太師を贈り、謚して仁孝と曰う。十一月甲午の朔、文武百官尊号を加え上りて弘文宣武尊道至德崇仁廣孝聰睿昭聖神贊天輔皇帝と曰う。大赦し、元を改めて開泰とす。幽都府を改めて析津府と為し、薊北縣を析津縣と為し、幽都縣を宛平縣と為し、恩を覃べて中外に及ぼす。己亥、夏国使・東頭供奉官曹文斌・呂文貴・竇珪祐・守榮・武元正等に爵を賜うこと差有り。癸卯、前遼州録事張庭美六世同居し、儀坤州劉興胤四世同居す。各復を給すること三年。甲辰、西北招討使蕭図玉奏す、七部太師阿裏底其の部民の怨みに因り、本部節度使暗を殺し並びに其の家を屠りて以て叛く。阻卜阿裏底を執りて以て献じ、而して沿辺諸部皆叛く。十二月丙寅、奉じて南京諸帝の石像を遷し中京観徳殿に、景宗及び宣献皇后を上京五鸞殿にす。壬申、奉聖州の饑民を振恤す。庚辰、皇弟秦晉國王隆慶に鉄券を賜う。癸未、劉晨言う、殿中高可垣・中京留守推官李可挙獄を治むること明允なりと。詔して超遷す。甲申、詔す、諸道水災饑民男女を質する者は、来年正月より起り、日計傭銭十文、価傭に折り尽くし、其の家に遣還せしむ。帰州言う、其の居民本新羅の遷せる所、未だ文字を習わず、学を設けて以て之を教えんことを請う。詔して請を允す。貴徳・龍化・儀坤・雙・遼・同・祖七州、是に至りて詔有り始めて商を征す。己丑、詔す、諸鎮宣敕楼を建てしむ。

二年春正月癸巳朔、裴玄感を翰林承旨とし、邢祥を給事中とし、石用中を翰林學士とし、呂德推を樞密直學士とし、張儉を政事舍人とし、邢抱質に開府儀同三司・守司空兼侍中を加え、王繼忠を中京留守・檢校太師とし、戶部侍郎劉涇に工部尚書を加え、駙馬蕭紹宗に檢校太師を加え、耶律控溫に政事令を加え、幽王に封じた。丁未、瑞鹿原に至る。北院樞密使耶律化哥を豳王に封じた。馬氏を麗儀とし、耿氏を淑儀とし、尚寢白氏を昭儀とし、尚服李氏を順儀とし、尚功艾氏を芳儀とし、尚書孫氏を和儀とした。己未、囚徒を録した。烏古・敵烈が叛き、右皮室詳穩延壽が兵を率いてこれを討った。この月、達旦國の兵が鎮州を包囲したが、州軍は堅く守り、まもいて引き去った。二月丙子、詔して麦務川を象雷縣とし、女河川を神水縣とし、羅家軍を閭山縣とし、山子川を富庶縣とし、習家砦を龍山縣とし、阿覽峪を勸農縣とし、松山川を松山縣とし、金甸子を金原縣とする。壬午、北院樞密副使高正を遣わして諸道の獄を按察させた。三月壬辰朔、化哥は西北路がほぼ平定したとして、兵を留めて鎮州を戍らせ、行在に赴いた。夏四月甲子、日を拝した。詔して上京の請いに従い、韓斌が括出した贍國・撻魯河・奉・豪等州の戸二万五千四百余りをもって、長霸・興仁・保和等十縣を置いた。丙子、緬山に至る。五月辛卯朔、再び化哥らに命じて西討させた。六月辛酉朔、中丞耶律資忠を遣わして高麗に使いさせ、六州の旧地を取らせた。秋七月壬辰、烏古・敵烈は皆旧疆に復した。乙未、西南招討使・政事令斜軫が奏上して言うには、党項諸部の叛いた者は皆黄河の北の模赧山に遁れ、叛かなかった曷黨・烏迷の両部がその地を占拠したが、今また西遷し、詰問すると水草を逐うと言う。早く図らなければ、後々患いとなる恐れがある。また聞くところでは、前後して叛いた者の多くは西夏に投じたが、西夏は受け入れなかった。詔して使者を遣わして再び西遷の意を問わせ、もし故地に帰るならば、その場で撫諭を加えるべしとした。使者が返答しなかったので、上は怒り、これを伐とうとした。そこで李德昭に詔して言うには、「今、党項が叛いた。我は西伐しようとしている。そなたは東から撃て。掎角の勢いを失うな」と。なお諸軍に命じてそれぞれ肥えた馬を買わせた。丁酉、惕隱耶律滌洌を南府宰相とし、太尉五哥を惕隱とした。癸卯、曲溝で魚を釣った。戊申、詔して敦睦宮の子銭をもって貧民を賑わせた。己酉、化哥らが阻卜の酋長烏八の衆を破った。丁卯、皇子宗訓を大内惕隱に封じた。八月壬戌、引進使李延弘を遣わして夏國王李德昭及び義成公主に車馬を賜った。己丑、耶律資忠が高麗より使いして還った。冬十月己未朔、麃井の北で狩猟した。耶律阿営らを命じて宋に使いさせ、生辰を賀わせた。辛酉、長濼に駐蹕した。丙寅、詳穩張馬留が女直人で高麗の事情を知る者を献上した。上がこれを問うと、言うには、「臣は三年前に高麗に虜われ、郎官となったので、これを知っています。開京より東へ馬で七日行くと、大きな砦があり、広さは開京のようで、傍らの州が貢ぐ珍異な物は皆ここに積まれています。勝・羅等州の南にも二つの大砦があり、積まれているものはこれと同じです。もし大軍が前の路より行軍し、曷蘇館女直の北を取り、まっすぐ鴨祿江を渡り、大河に沿って上り、郭州で大路と合流すれば、高麗は取って有することができます」と。上はこれを採用した。十一月甲午、囚徒を録した。癸丑、樞密使豳王化哥は西征に罪ありとして、その官封を削り、出して大同軍節度使とした。十二月甲子、北院大王耶律世良を北院樞密使とし、岐王に封じた。宰臣劉晟を以て國史を監修させ、牛璘を彰國軍節度使とし、蕭孝穆を西北路招討使とした。進士鮮于茂昭ら六人を及第させた。

三年春正月己丑、囚徒を録した。阻卜の酋長烏八が来朝し、王に封じた。乙未、渾河に至る。丁酉、女直及び鐵驪が各々使者を遣わして来貢した。この夕、彗星が西方に見えた。丙午、潢河のほとりで狩猟した。壬子、帝及び皇后が瑞鹿原で狩猟した。二月戊午、詔して樞密使以下の月俸を増やした。甲子、上京副留守耶律資忠を遣わして再び高麗に使いさせ、六州の旧地を取らせた。三月庚子、耶律世良を遣わして招州に城を築かせた。戊申、南京・奉聖・平・蔚・雲・應・朔等州に轉運使を置いた。夏四月戊午、詔して南京管內では刑獄を滞らせて農務を妨げてはならないとした。癸亥、烏古が叛いた。乙亥、沙州回鶻の曹順が使者を遣わして来貢した。丙子、西北路招討都監蕭孝穆を北府宰相とした。五月乙酉朔、緬山で清暑した。六月乙亥、拔裏・乙室の二國舅を一帳に合せ、乙室夷離畢蕭敵烈を詳穩としてこれを総轄させた。甲申、皇侄胡都古を廣平郡王に封じた。この夏、詔して國舅詳穩蕭敵烈・東京留守耶律團石らに高麗を討たせ、鴨淥江に浮梁を造り、保・宣義・定遠等州に城を築かせた。秋七月乙酉朔、平地松林に至る。壬辰、詔して政事省・樞密院に、酒宴の間に官を授け罪を釈放する場合は、直ちに奉行せず、明日に覆奏せよとした。八月甲寅朔、沙嶺に幸した。九月丁酉、八部敵烈がその詳穩稍瓦を殺し、皆叛いた。詔して南府宰相耶律吾剌葛にこれを招撫させた。辛亥、敵烈の数人を釈放し、その衆を招諭させた。壬子、耶律世良が使者を遣わして敵烈の捕虜を献上した。冬十月甲寅朔、中京に幸した。丙子、旗鼓拽剌詳穩題裏姑を奚六部大王とした。進士張用行ら三十一人を及第・出身させた。

四年春正月乙酉、瑞鹿原に行幸す。丙戌、耶律世良に詔して再び迪烈得を伐たしむ。戊子、詳穩拔姑に命じて瑞鹿原に水を瀦し、以て春蒐に備えしむ。丁酉、馬蘭澱に狩る。壬寅、東征す。東京留守善寧・平章涅裏袞奏す、既に大軍及び女直諸部の兵を総べて分道進討すと。遂に使を遣わして密詔を軍前に賫す。二月壬子朔、薩堤濼に行幸す。于闐国来貢す。夏四月癸丑、林牙建福を以て北院大王と為す。甲寅、蕭敵烈等、高麗を伐ちて還る。丙辰、曷蘇館部、女直王殊只你の戸にして旧に籍無き者を括り、其の丁を会して賦役に入れんことを請う。之に従う。枢密使貫寧、八部迪烈得を大破せしむと奏す。詔して侍御撒剌に賞諭せしめ、代わって執手の礼を行わしむ。丙寅、耶律世良等、阻卜を破りし俘獲の数を上る。戊辰、沿柳湖に駐蹕す。己巳、女直、使を遣わして来貢す。壬申、耶律世良、烏古を討ちて之を破る。甲戌、使を遣わして功有る将校を賞す。世良、迪烈得を討ちて清泥堝に至る。時に於厥既に平らぎ、朝廷其の衆を内徙せんと議す。於厥、土を安んじて遷を重んず。遂に叛く。世良、懲創し、迪烈得を破るや、輒ち其の丁壮を殲す。兵を勒して曷剌河を渡り、余党を進撃す。斥候謹ならず、其の将勃括、兵を稠林に聚め、遼軍の不備を撃つ。遼軍小しく却き、陣を河曲に結ぶ。勃括是の夜来襲す。翌日、遼の後軍至る。勃括、於厥の衆を誘いて皆遁く。世良之を追う。軍、険厄に至る。勃括方に険に阻まれて少しく休む。遼軍其の所を偵知す。世良急ぎ之を掩わず。勃括軽騎にて遁去す。其の輜重及び誘わしむる所の於厥の衆を獲、並びに迪烈得の獲たる轄麥裏部の民を遷し、城を臚朐河上に築きて以て之に居らしむ。是の月、蕭楊哥、南平郡主に尚す。五月辛巳、北府宰相劉晟を命じて都統と為し、枢密使耶律世良を副と為し、殿前都点検蕭屈烈を都監と為して以て高麗を伐たしむ。晟先ず家を携えて辺郡に置き、師期を緩ませしむ。之を追還す。世良・屈烈を以て兵を総べて進討せしむ。耶律徳政を以て遼興軍節度使と為し、蕭年骨烈を天成軍節度使と為す。李仲挙卒す。詔して其の家を賫恤す。六月庚戌、上、日を拝すること礼の如し。麻都骨の世勛を以て、衣馬を易えて好と為す。上京留守耶律八哥を以て北院枢密副使と為す。秋七月、上又日を拝し、遂に秋山に幸す。八月より鹿を射ること九月に至り、復た癸丑より辛酉に至り、連ねて有柏・碎石・太保・響応・松山諸山に狩る。丁卯、夷離畢・兵部尚書蕭栄寧と交契を定め、以て君臣の好を重んず。丙子、旗鼓拽剌詳穩題裏姑を以て六部奚王と為す。冬十月、撻剌割濼に駐蹕す。十一月庚申、詔して東京の僧を汰し、及び上京・中京並びに諸宮に命じて精兵五万五千人を選び以て東征に備えしむ。十二月、南巡して海僥に至る。還り、顕州に幸す。

五年春正月丁未、北幸す。庚戌、耶律世良・蕭屈烈、高麗と郭州西に戦い、之を破り、首級数万を斬り、尽く其の輜重を獲る。乙卯、師、南海軍に次ぐ。耶律世良、軍に薨ず。癸酉、雪林に駐蹕す。二月己卯、阻卜の長来朝す。辛巳、薩堤濼に行幸す。庚寅、前東京統軍使耶律韓留を以て右夷離畢と為す。戊戌、皇子宗真生まる。三月乙巳、鼻骨徳の長撒保特・賽剌等来貢す。辛酉、諸道獄空し、詔して階を進め物を賜う。丙寅、前北院大王耶律敬温を以て阿紥割只と為す。辛未、党項の魁可来降す。夏四月乙亥、招州の民を振恤す。戊寅、左夷離畢蕭合卓を以て北院枢密使と為し、曷魯寧を副使と為す。庚辰、孤樹澱に清暑す。五月甲子、尚書蕭姫隠、出使して後期するに坐し、其の官を削る。丁卯、耿元吉を以て戸部使と為す。六月、政事舎人呉克昌を以て覇州の刑獄を按察せしむ。丁丑、回鶻、孔雀を献ず。秋七月甲辰、赤山に狩る。八月丙子、懐州に幸し、諸陵に事有り。戊寅、上京に還る。九月癸卯、皇弟南京留守秦晋国王隆慶来朝す。上親しく出で迎え労い、実徳山に至り、因りて同しく松山に狩る。乙丑、杏堝に駐蹕す。冬十月甲午、秦晋国王隆慶の長子査割を中山郡王に封じ、次子遂哥を楽安郡王に封ず。十一月辛丑朔、参知政事馬保忠を以て枢密院事を同知し、国史を監修せしむ。丁巳、北面林牙蕭隈窪を以て国舅詳隠と為す。十二月乙酉、秦晋国王隆慶還り、北安に至りて薨ず。訃聞き、上哀慟し、朝を輟むこと七日。丁酉、宋、張遜・王承徳を遣わして千齢節を賀す。是歳、進士孫傑等四十八人を放ち及第せしむ。

六年春正月癸卯、錐子河に行幸す。二月甲戌、公主賽哥、罪無き婢を殺すを以て、駙馬蕭図玉、家を斉うること能わず。公主を県主に降し、図玉の同平章事を削る。丁丑、詔して国舅帳詳隠蕭隗窪に本部の兵を将いて東征して高麗を伐たしめ、其の国舅司の事は都監を以て之を摂せしむ。庚辰、南面林牙涅合を以て南院大王と為す。三月乙巳、顕州に行幸し、秦晋国王隆慶を葬る。顕・乾二陵に事有り。隆慶を追冊して太弟と為す。夏四月辛卯、隆慶の少子謝家奴を長沙郡王に封じ、枢密使漆水郡王耶律制心を以て諸行宮都部署事を権知せしむ。壬辰、命婦の再醮を禁ず。丙申、涼陘に行幸す。五月戊戌朔、枢密使蕭合卓を命じて都統と為し、漢人行宮都部署王継忠を副と為し、殿前都点検蕭屈烈を都監と為して以て高麗を伐たしむ。翌日、合卓に剣を賜い、専殺を得しむ。丙午、囚を録す。己酉、四帳都詳隠を設く。甲寅、南京統軍使蕭恵を以て右夷離畢と為す。乙卯、木葉山・潢河に祠る。乙丑、九層台に駐蹕す。六月戊辰朔、徳妃蕭氏を賜いて死せしめ、兔児山の西に葬る。後数日、大風冢上に起こり、昼暝み、大雷電して雨止まざること月を逾ゆ。是の月、南京諸県蝗有り。秋七月辛亥、秋山に行幸す。礼部尚書劉京・翰林学士呉叔達・知制誥仇正己・起居舎人程翥・吏部員外郎南承顔・礼部員外郎王景運を遣わし分路して刑獄を按察せしむ。辛酉、西南路招討の請いに依り、寧仁県を勝州に置く。九月庚子、上京に還り、皇子属思の生まるを以て、大赦す。丁未、駙馬蕭璉・節度使化哥・知制誥仇正己・楊佶を以て賀宋生辰正旦使副に充てしむ。乙卯、蕭合卓等、高麗の興化軍を攻めて克たず、師を還す。冬十月丁卯、南京路饑う。雲・応・朔・弘等州の粟を免じて之を振恤す。辛未、鏵子河に狩る。庚寅、達離山に駐蹕す。十一月乙卯、建州節度使石匡弼卒す。十二月丁卯、上、軽騎にて上京に還る。戊子、宋、李行簡・張信を遣わして千齢節を賀す。翌日、宋の馮元・張綸来りて正旦を賀す。