聖宗 三
五年春正月乙丑、束城県を破り、兵を放って大いに掠奪す。丁卯、文安に駐屯し、人を遣わして降伏を諭すも、聴かず、遂にこれを撃ち破り、その丁壮を尽く殺し、その老幼を俘虜とす。戊寅、上は南京に還る。己卯、元和殿に臨み、将士を大いに賞賜す。壬辰、華林・天柱に行幸す。
二月甲午朔、天柱より至る。
三月癸亥朔、長春宮に行幸し、花を賞で魚を釣り、牡丹を以て近臣に遍く賜い、数日にわたり歓宴す。丁丑、諦居部の下の拽剌解裏が偵候に功有りしを以て、命じて御盞郎君班祗候に入らしむ。
夏四月癸巳朔、南京に行幸す。丁酉、上は百僚を率いて皇太后の尊号を冊上し、睿徳神略応運啓化承天皇太后と曰う。礼畢、群臣皇帝の尊号を上り、至徳広孝昭聖天輔皇帝と曰う。戊戌、有司に詔して勲旧を条上せしめ、等第を以て恩を加う。癸丑、冰井にて清暑す。
六月壬辰朔、大臣を召して庶政を決す。丙申、耶律蘇を以て遥郡刺史と為す。
秋七月戊辰、涅剌部節度使撒葛裏に恵政有り、民留まることを請う、これに従う。是の月、平地松林に猟す。
九月丙戌、南京に行幸す。是の冬、ここに止まる。
六年春正月庚申、華林・天柱に行幸す。
二月丁未、奚王籌寧が無罪の人李浩を殺す。所司貴を議し、その罪を貸し、令して銭を出だし浩の家を贍わしむることを請う、これに従う。甲寅、大同軍節度使・同平章政事劉京致仕す。
三月己未、休哥宋事の宜を奏す、上親しくこれを覧る。丙寅、司天趙宗徳・斉泰・王守平・邵祺・閻梅が征に従うこと四載、天象数に征有りと言うを以て、物を賜うこと差有り。癸未、李継遷使いを遣わして来貢す。
夏四月乙未、南京に行幸す。丁酉、胡裏室が横に突きて韓徳譲を墮馬せしむ、皇太后怒り、これを殺す。戊戌、宋国王休哥の第に行幸す。
五月癸亥、南府宰相耶律沙薨ず。閏月丙戌朔、奉聖州言う、太祖の建てし金鈴閣壊る、修繕を加うることを乞う。詔して南征を以て、重ねて百姓を労するを恐れ、軍還るを待ちてこれを治む。壬寅、阿薩蘭回鶻来貢す。甲寅、烏隈於厥部、歳貢の貂鼠・青鼠皮は土産に非ず、皆他処にて貿易を以て献ずるを以て、改めて貢することを乞う。詔して自今より牛馬を進むるに止む。
六月癸亥、党項の太保阿剌恍が来朝し、地方の産物を貢いだ。乙丑、諸道の兵馬に南征の攻城器具を準備するよう命じた。乙酉、夷離堇阿魯勃が沙州節度使曹恭順を送還し、於越に任じた。
秋七月丙戌、市を観覧した。己亥、南面招討使韓德威を遣わして河・湟の諸蕃で命令に背いた者を討たせた。休哥と排亜部の諸軍に戦馬を賜った。己酉、洛河に駐蹕した。壬子、韓德威に開府儀同三司兼政事令・門下平章事を加え、東京留守兼侍中・漆水郡王耶律抹只を大同軍節度使とした。癸丑、排亜が涿州の駅伝を増設するよう請うた。
八月丙辰、青牛と白馬をもって天地を祭祀した。戊午、休哥が排亜・裊裏曷と捕虜を捕らえ、易州に至らんとしたところ、宋兵に遭遇し、その指揮使を殺して帰還した。庚申、黎園の温湯に行幸した。癸亥、宋を伐つにあたり、使者を遣わして木葉山を祭祀した。丁丑、沿海の女直が使者速魯裏を遣わして来朝した。西北路管押詳穩速撒哥が折立・助裏の二部を討伐し、捕虜と獲物を献上した。東路林牙蕭勤徳及び統軍石老が女直兵を撃破し、捕虜を献上した。大同軍節度使耶律抹只が今年霜と旱魃で食糧が不足したと奏上し、粟を割り増し価格で買い上げて貧民を利するよう請うた。詔してこれに従わせた。沿海の女直が廝魯裏を遣わして土産を貢いだ。
九月丙申、化哥と朮不姑舂古裏が来貢した。休哥が詳穩意徳裏を遣わして捕らえた宋の間諜を献上させた。丁酉、皇太后が韓徳譲の帳に行幸し、厚く賞賜を与え、従臣に命じて分かれて双陸を打ち、歓を尽くさせた。戊戌、南京に行幸した。己亥、太宗皇帝廟で祭祀を行った。唐元徳を奉陵軍節度使とした。癸卯、旗鼓を祭祀して南伐した。庚戌、涿州に駐留し、帛書を射て城中に降伏を諭したが、聞き入れなかった。
冬十月乙卯、兵を四方に放って攻撃した。城が破れて降伏し、その衆を撫諭した。駙馬蕭勤徳と太師闥覧はいずれも流れ矢に当たった。勤徳を帝の車に乗せて帰還した。宋軍が退いたと聞き、斜軫・排亜らを遣わして追撃させ、大いにこれを破った。戊午、沙堆駅を攻撃し、これを破った。己巳、黒白の羊をもって天地を祭祀した。庚午、宋の降伏軍を分けて七指揮とし、帰聖軍と号した。壬申、行軍参謀・宣政殿学士馬得臣が宋降伏軍を諭したが、結局用いることができない恐れがあるとして、ともに放還するよう請うた。詔して許さなかった。丙子、籌寧が狼山での勝利を奏上した。辛巳、さらに益津関で宋兵を破ったと奏上した。癸未、長城口に進軍した。宋の定州守将李興が兵を率いて来て抵抗したが、休哥がこれを撃破し、五六里追撃した。
十一月甲申朔、上は長城口を攻撃しようとして、諸軍に攻撃具を準備するよう詔した。庚寅、長城口に駐留し、大軍を督いて四方から進攻させた。兵士は包囲を突破し、城を捨てて逃げた。斜軫がこれを招いたが、降伏しなかった。上は韓徳譲とともにこれを邀撃し、殺し捕らえることほぼ尽くし、捕虜は分かれて燕軍に隷属させた。辛卯、満城を攻撃し、包囲した。甲午、その城を陥落させた。軍士は北門を開いて逃げたが、上は使者を遣わしてその将領を諭し、ついに衆を率いて降伏した。戊戌、祁州を攻め落とし、兵を放って大いに掠奪させた。己亥、新楽を陥落させた。庚子、小狼山砦を破った。丁未、宋軍千人が益津関から出撃したが、国舅郎君桃委と詳穩十哥がこれを撃退し、副将一人を殺した。己酉、休哥が黄皮室詳穩が莫州の地を巡行して得た馬二十匹と士卒二十人を献上した。降伏者に衣帯を賜い、燕京に隷属させるよう命じた。辛亥、西路がまた降卒二百余人を送り、寒さに凍える者に裘衣を与えた。馬得臣を権宣徽院事とした。
十二月甲寅朔、皮室詳穩乞得と禿骨裏に戦馬を賜った。横帳郎君達打裏が掠奪したので、杖刑に処するよう命じた。丙辰、沙河で狩猟した。休哥が奚詳穩耶魯が捕らえた宋の間諜を献上した。丁巳、北宰相蕭継遠らを遣わして安平を偵察させた。侍衛馬軍司が祁州・新楽の攻略で、都頭劉賛ら三十人が功績があったと奏上し、恩賞を加えるよう請うた。この月、大軍は宋の境内に駐留した。この年、詔して貢挙を開き、高挙一人を及第させた。
七年春正月癸未朔、軍を返した。戊子、宋の鶏壁砦守将郭栄が衆を率いて来降した。詔して南京に駐屯させた。庚寅、長城口に駐留した。兵卒三人が営を出て掠奪したので、答刑に処して衆に示し、得た物を左右に分け与えた。壬辰、李継遷が兄の継捧と怨みがあり、通好を請うたが、上はその誠意でないことを知り、許さなかった。癸巳、諸軍に易州に向かうよう命じた。己亥、部従が民の桑梓を伐つことを禁じた。癸卯、易州を攻撃した。宋兵が遂城から出て来援したので、鉄林軍を遣わしてこれを撃ち、その指揮使五人を生け捕りにした。甲辰、大軍が一斉に進み、易州を破り、刺史劉墀を降伏させた。城壁を守る士卒は南へ逃げたが、上は師を率いてこれを邀撃し、敢えて出る者はなかった。直ちに馬質を刺史とし、趙質を兵馬都監とした。易州の軍民を燕京に移した。東京騎将夏貞顕の子仙寿が先登したので、高州刺史に任じた。乙巳、易州に行幸し、五花楼に御し、士庶を撫諭した。丙午、青牛白馬をもって天地を祭祀した。三京諸道に詔諭した。戊申、淶水に駐留し、景宗皇帝廟を拝謁した。詔して涿州刺史耶律守雄を遣わし、易州の降人八百人を護送して本貫に還し隷属させた。己酉、歧溝に駐留し、鬼箭を射た。辛亥、還って南京に駐留し、六軍の厳戒を解いた。
二月壬子朔、上は元和殿に御して百官の賀を受けた。詔して鶏壁砦の民二百戸を檀・順・薊の三州に移住させた。甲寅、回鶻・于闐・師子等国が来貢した。乙卯、軍士を大いに饗応し、爵賞に差等をつけた。枢密使韓徳譲を楚国王に封じ、駙馬都尉蕭寧遠を同政事門下平章事とした。この日、長春宮に行幸した。甲子、詔して南征で捕虜となり親属が諸帳に分かれて隷属している者には、官銭を与えて贖い出し、互いに従わせよとした。乙丑、南征の女直軍を賞し、東還させた。丙寅、挙人が匿名の飛書で朝廷を誹謗することを禁じた。癸酉、吐蕃・党項が来賀した。甲戌、雲州の租賦は本道のみに輸送するよう請うたので、従わせた。丙子、女直の活骨徳を本部の相とした。巫覡を分遣して名山大川を祭祀させた。丁丑、皇子仏宝奴が生まれた。戊寅、阿薩蘭・于闐・轄烈がともに使者を遣わして来貢した。
三月壬午朔、使者を遣わして木葉山を祭祀した。芻牧が禾稼を傷つけることを禁じた。宋の進士十七人が家族を連れて来帰した。有司に命じてその中で及第する者を試験し、国学官に補し、残りは県主簿・尉に任じた。李継遷が使者を遣わして来貢した。丁亥、詔して易州知州趙質に戦死した士卒の骸骨を収めさせ、京観を築かせた。戊子、於越宋国王に紅珠筋線を賜い、内神帳に入って再生の礼を行わせた。皇太后は物を厚く賜った。鶏壁砦の民成廷朗ら八戸を飛狐に隷属させた。己丑、詔して雲州の未納租賦を免除した。乙室王貫寧が撃鞠をしていたところ、配下の郎君高四が馬を走らせて突き死なせたので、詔して高四の罪を訊問させた。丙申、詔して奇峰路を開いて易州市に通じさせた。戊戌、王子帳耶律襄の女を義成公主に封じ、李継遷に降嫁させた。この春、延芳澱に駐蹕した。
夏四月甲寅、京に還る。乙卯、国舅太師蕭闥覽が子の排亞のために皇女延寿公主を娶ることを請う、これを許す。丙辰、太宗皇帝廟に謁す。御史大夫烏骨を以て乙室大王に領ぜしむ。己未、延寿寺に幸して僧に飯す。甲子、諫議大夫馬得臣、上(帝)の球撃ちを好むを以て、上疏して切に諫む。「臣伏して見るに、陛下は朝を聴くの暇に、球撃ちを以て楽しみと為す。臣思うに、此事には三つの宜しからざる有り。上下分かれて朋を為し、君臣勝を争い、君は得て臣は奪い、君は輸けて臣は喜ぶ、一に宜しからず。往来交錯し、前後遮約し、争心競い起こり、礼容全く廃れ、若し月杖を貪り、誤って天衣を拂わば、臣既に儀を失い、君又責め難し、二に宜しからず。万乗の貴きを軽んじ、広場の娛を逐う。地は平らなれども、至って堅確に至り、馬は良しと雖も、亦驚蹶有り。或いは奔撃に因り、其の控禦を失わば、聖体寧くも虧損無からんや。太后豈に驚懼せざらんや。三に宜しからず。臣望むらくは、陛下に継承の重きを念い、危険の戯れを止めしめんことを。」疏奏す、大いに嘉して之を納る。丁卯、吐渾の還金、回鶻の安進、吐蕃の独朵等、宋より来帰す、皆衣帯を賜う。皇太后、奇首可汗廟に謁す。丙子、舍利軍耶律杳を以て常袞と為す。己卯、儒州龍泉に駐蹕す。
五月庚辰朔、宣徽使蒲領等を遣わし兵を率いて分道し宋に備えしむ。遙輦副使控骨離を以て舍利拽剌詳穩と為す。辛巳、儒州白馬村にて風伯を祭る。休哥軍を引きて満城に至り、降卒七百余人を招き、使いを遣わして来献せしむ、詔して東京に隷せしむ。辛卯、桑乾河に猟す。壬辰、燕京奏す、宋兵辺境に至る、時暑く未だ敢えて戦わず、且つ易州に駐し、彼の動くを俟ちて則ち進撃し、退けば則ち師を班す、之に従う。
六月庚戌朔、太師柘母迎合するを以て、之を撾つこと二十。辛酉、詔す、燕楽・密雲二県の荒地は民に耕種を許し、賦役を免ずること十年。甲戌、宣政殿学士馬得臣卒す、詔して太子少保を贈り、銭十万、粟百石を賜う。乙亥、詔して諸畜を出だして辺部の貧民に賜う。是の月、休哥・排亞、宋兵を泰州に破る。
秋七月乙酉、含涼殿に御して朝を視る。丙戌、中丞耶律核麦哥を以て夷離畢を権えしめ、横帳郎君耶律延寿を御史大夫と為す。癸巳、兵を遣わして南征せしむ。甲午、迪離畢・涅剌・烏濊の三部各四人を以て東北路来人婆裏德に益し、仍って印綬を給う。丁酉、南征の将士を労う。是の日、帝と皇太后、景宗皇帝廟に謁す。
八月庚午、進士高正等二人を放ちて及第せしむ。
冬十月、罝網を禁じて兎を捕う。
十一月甲申、于闐の張文宝、内丹書を進む。
十二月甲寅、沈子濼にて鉤魚す。癸亥、好草嶺にて猟す。