遼史

列傳第三十七: 列女

◎列女

邢簡の妻陳氏、耶律氏(常哥)、耶律奴の妻蕭氏、耶律朮者の妻蕭氏、耶律中の妻蕭氏

男女が居室を共にするは、人の大なる倫なり。烈女を得るよりは、賢女を得るに若かず。天下に烈女の名あるは、幸いならざるなり。『詩』は衛の共姜を讃え、『春秋』は宋の伯姫を褒む。蓋し已むを得ざる所以にして、人倫の変を重んずるなり。遼は北方を拠り、風化中土より疎なりと視らる。遼の世を終ふるまで、賢女二を得、烈女三を得て、以て人心の天理、世道の存亡とともにせざるもの有るを見る。

邢簡の妻陳氏は、営州の人なり。父は陘、五代時に累ねて官司徒しとに至る。陳氏、笄をはじめて、経義に通じ、凡そ詩賦を覧るに、すなはち能く誦し、特に吟詠を好み、時に女秀才を以て之を名づく。年二十にして簡に嫁ぐ。舅姑に孝行し、閨門和睦し、親党推重す。六子有り、陳氏親しく経を以て教ふ。後に二子、抱樸・抱質皆賢を以て、宰相の位に至る。統和十二年に卒す。睿智皇后之を聞き、嗟悼し、魯国夫人を贈り、石を刻みて其の行を表す。及び遷祔せんぷに及び、使いを遣はして以て祭る。論ずる者、貞静柔順、婦道母儀終始慊うらむる所無しと謂ふ。

耶律氏は、太師適魯の妹、小字は常哥。幼くして爽秀、成人の風有り。長ずるに及び、操行修潔、自ら嫁がざるを誓ふ。詩文に能くし、いやしくも作さず。『通歴』を読み、前人得失を見、歴然として品藻す。咸雍年間、文を作して時政を述ぶ。其の略に曰く、「君は民を以て体と為し、民は君を以て心と為す。人主は忠賢を任ずべく、人臣は比周を去るべし。然らば則ち政化平らかに、陰陽順なり。遠きを懐けんと欲すれば則ち恩を崇め徳をたっとび、国を強くせんと欲すれば則ち徭を軽くし賦を薄くす。四端五典は治教の本、六府三事は実に生民の命なり。淫侈は以て戒めと為すべく、勤儉は以て師と為すべし。まがれるをてば則ち人敢へて詐らず、忠を顕はせば則ち人敢へて欺かず。空門になずみ、土木を崇飾すること勿れ。辺鄙に事へ、金帛を妄りに費やすこと勿れ。満つるは溢るるを思ひ、安きは必ず危うきを慮れ。刑罰罪に当たれば則ち民善を勧む。遠物を宝とせざれば則ち賢者至る。万世の磐石の業を建て、諸部強横の心を制す。下を率ゐんと欲すれば則ち先づ身を正しくし、遠きを治めんと欲すれば則ち朝廷より始む。」と。上善しと称す。時に枢密使耶律乙辛其の才を愛し、しばしば詩を求め、常哥回文を以て之におくる。乙辛其の己を諷するを知り、之をふくむ。大康三年、皇太子事に坐し、乙辛罪を以て誣ふ。按ずるに跡無く、免るることを得。たまたま兄適魯鎮州に謫せられ、常哥俱にし、常に布衣疏食す。人問ひて曰く、「何ぞ自ら苦しむこと此の如きや」と。対へて曰く、「皇儲罪無くして廃せらる。我輩豈に美食安寝すべけんや」と。及び太子害せらるるに及び、哀痛に勝へず。年七十、家に卒す。

耶律奴の妻蕭氏、小字は意辛、国舅駙馬都尉陶蘇斡の女。母は胡独公主。意辛、姿容美しく、年二十にして始めて奴に嫁ぐ。親に事へ族に睦み、孝謹を以て聞こゆ。嘗て娣姒と会し、厭魅を争ひ言ひて以て夫の寵を取らんとす。意辛曰く、「厭魅は礼法に若かず」と。衆其の故を問ふ。意辛曰く、「己を修めて以て潔くし、長に奉じて以て敬し、夫に事へて以て柔らかにし、下を撫でて以て寛くし、君子して其の輕易を見せしむることからしむ。此れを礼法と為し、自然に夫に重んぜらる。厭魅を以て寵を獲るは、独り心に愧ぢざらんや」と。聞く者大いに慚づ。初め、奴は枢密使乙辛と隙有り。及び皇太子廃せらるるに及び、誣はれて爵を奪はれ、興聖宮に没入せられ、烏古部に流さる。上、意辛公主の女なるを以て、婚を絶たしめんと欲す。意辛辞して曰く、「陛下妾が葭莩の親を以て、流竄を免れしめ給ふは、実に天地の恩なり。然れども夫に帰するの義、生死も亦た之を以てす。妾笄年より奴に従ふ。一旦難に臨み、にわかしかく乖離し、綱常の道に背き、禽獣に何ぞ異ならん。幸ひに陛下哀憐し、奴と俱に行かしめ給はば、妾即ち死すとも恨み無し」と。帝其の言に感じ、之に従ふ。意辛久しく貶所に在り、親しく役事を執り、労有りと雖も難色無し。夫に事ふる礼敬、旧に増す有り。寿隆中、上書して子孫の為に著帳郎君たらんことを乞ふ。帝其の節を嘉し、挙家を召し還す。子国隠、乾統年間に始めて仕ふ。保大中、意辛臨潢に在り、諸子に謂ひて曰く、「吾盧彦倫の必ず叛かんことを度る。汝輩速やかに避けよ。我当に之に死せん」と。賊至り、害に遇ふ。

耶律朮者の妻蕭氏、小字は訛裏本、国舅孛堇の女。性端愨、容色有り、幼より他女と異なり。年十八にして朮者に嫁ぐ。謹裕貞婉、娣姒之を推尊す。及び朮者の喪に居るに及び、極めて哀毀す。既に葬りて、親しき者に謂ひて曰く、「夫婦の道は、陰陽表裏の如し。陽無ければ則ち陰立つ能はず、表無ければ則ち裏附く所無し。妾今不幸にして天を失ふ。且つ生くる者は必ず死す、理の自然なり。朮者早歳朝に登り、才有りて寿いのちせず。天妾身に禍ひし、此の酷罰に罹る。復た何にか依恃せん。し死者見る可くば、則ち従はん。見る可からざれば、則ち当に俱にせん」と。侍婢慰勉すれど、竟に回意無く、自ら刃して卒す。

耶律中の妻蕭氏、小字は挼蘭、韓国王恵の四世孫。聡慧謹願。年二十にして中に嫁ぐ。夫に事ふるに敬順にして、親戚皆其の徳を誉む。中嘗て謂ひて曰く、「汝粗ほぼ書を知る可し。以前の貞淑を以て鑒と為せ」と。遂に心を発して誦習し、多く古今に渉る。天慶中、賊に執へられ、潜かに刃をくつの中に置き、誓ひて曰く、「人我を汚さんと欲する者は、即ち之に死せん」と。夜に至り、賊遁れて免る。久しくして、帝中を召して五院都監と為す。中妻に謂ひて曰く、「吾本より宦情無し。今免るる能はず。我当に死を以て国に報ぜん。汝我に従ふ能はんや」と。挼蘭対へて曰く、「謹んで教へを奉ず」と。及び金兵地をしたがひて嶺西に至り、其の民を尽く徙す。中節を守りて死す。挼蘭悲戚を外に形せず、人怪しむ。しばらくして馬を躍らせて突出し、中の死する所に至りて自殺す。

論じて曰く、陳氏は経を以て二子を教へ、並びに賢相と為り、耶律氏は自ら潔くして嫁がず、閨閫の内に居りて其の君に忠なるを忘れず。賢ならずして能く之を為さんや。三蕭氏の節は、烈丈夫と雖も能はざる者有らん。