漢書

巻六十四上 厳朱吾丘主父徐厳終王賈伝

厳助

原文嚴助

厳助は、会稽呉の人で、厳夫子の子である。〈張晏が言うには、「夫子とは、厳忌のことである」。〉あるいは一族の子であるとも言われる。〈師古が言うには、「また、夫子の族子であるとも言う」。〉郡が賢良を推挙し、百余人が対策に応じたが、武帝は厳助の対策を良しとし、これによってただ一人厳助を抜擢して中大夫とした。後に朱買臣、吾丘寿王、司馬相如、主父偃、徐楽、厳安、東方朔、枚皐、膠倉、終軍、厳葱奇らを得て、ともに左右に置いた。この時、四方の夷を征伐し、辺境に郡を設置し、軍旅をたびたび発し、内では制度を改め、朝廷には事多く、しばしば賢良文学の士を推挙した。〈師古が言うには、「婁は、古い屡の字である」。〉公孫弘は徒歩の身から起こり、数年で丞相に至り、東閤を開いて賢人を招き謀議に与からせ、朝見して奏事する際、国家の便宜について述べた。上は厳助らに命じて大臣と弁論させ、内(天子の賓客)と外(公卿大夫)が義理の文をもって相応じた。〈師古が言うには、「中とは天子の賓客、すなわち厳助の輩をいう。外とは公卿大夫をいう」。〉大臣はたびたび屈服した。〈師古が言うには、「計議が助らに及ばず、毎回屈服したという意味である。音は丘勿の反切」。〉その中で特に親しく寵愛された者は、東方朔、枚皐、厳助、吾丘寿王、司馬相如である。相如は常に病気を称して事を避けた。朔と皐は論議の根拠がしっかりしておらず、上は彼らをかなり俳優のように扱った。〈師古が言うには、「論議が従順で、正しさを保持できず、樹木の根柢がないようなものだ」。〉ただ厳助と寿王だけが見いだされて任用され、その中でも厳助が最も先に進んだ。

原文嚴助,會稽吳人,嚴夫子子也,〈張晏曰:「夫子,嚴忌也。」〉或言族家子也。〈師古曰:「亦云夫子之族子也。」〉郡舉賢良,對策百餘人,武帝善助對,繇是獨擢助爲中大夫。後得朱買臣、吾丘壽王、司馬相如、主父偃、徐樂、嚴安、東方朔、枚皐、膠倉、終軍、嚴葱竒等,並在左右。是時征伐四夷,開置邊郡,軍旅數發,內改制度,朝廷多事,婁舉賢良文學之士。〈師古曰:「婁,古屢字。」〉公孫弘起徒步,數年至丞相,開東閤,延賢人與謀議,朝覲奏事,因言國家便宜。上令助等與大臣辨論,中外相應以義理之文,〈師古曰:「中謂天子之賔客,若嚴助之輩也。外謂公卿大夫也。」〉大臣數詘。〈師古曰:「謂計議不如助等,每詘服也,音丘勿反。」〉其尤親幸者,東方朔、枚皐、嚴助、吾丘壽王、司馬相如。相如常稱疾避事。朔、皐不根持論,上頗俳優畜之。〈師古曰:「論議委隨,不能持正,如樹木之無根柢也。」〉唯助與壽王見任用,而助最先進。

建元三年、閩越が兵を挙げて東甌を包囲し、東甌が漢に危急を告げた。当時、武帝は年齢二十に満たず、太尉の田蚡に問うた。蚡は、越人が互いに攻撃し合うのは彼らの常事であり、またたびたび反覆するので、中国が煩わされて救援に向かうに足らず、秦の時以来放棄して属させていない、と考えた。〈師古が言うには、「中華に臣属していないという意味」。〉そこで厳助は蚡を詰問して言った。「ただ力が及ばず救えず、徳が及ばず覆えないことを憂えるだけで、もし本当にできれば、どうして放棄するのか。かつて秦は咸陽を挙げて(天下全体を)放棄したのだから、何も越だけのことではない。〈師古が言うには、「挙は総の意味。天下全体、ひいては京師までも放棄したという意味」。〉今、小国が窮迫して危急を告げてきているのに、天子が救いの手を挙げなければ、どこに訴えればよいのか。〈師古が言うには、「振は挙げる、起こすの意味。安は焉んぞ」。〉またどうして万国を子として養うと言えようか」。〈師古が言うには、「子とは、臣子として養うことをいう」。〉上は言った。「太尉は計略に与かるに足らない。私は新たに即位したばかりで、虎符を出して郡国の兵を発することを望まない」。そこで厳助に節を持たせて会稽の兵を発させた。会稽太守は法を盾に拒もうとして、兵を発しなかった。〈師古が言うには、「法によって拒んだのは、符験がないためである」。〉厳助はそこで一人の司馬を斬り、天子の意図を諭し告げた。〈師古が言うには、「天子の意図をはっきりと告げ知らせた」。〉ついに兵を発して海を渡り東甌を救援した。到着する前に、閩越は兵を引き上げた。

原文建元三年,閩越舉兵圍東甌,東甌告急於漢。時武帝年未二十,以問太尉田蚡。蚡以爲越人相攻擊,其常事,又數反覆,不足煩中國往救也,自秦時棄不屬。〈師古曰:「言不臣屬於中華。」〉於是助詰蚡曰:「特患力不能救,德不能覆,誠能,何故棄之?且秦舉咸陽而棄之,何伹越也!〈師古曰:「舉,惣也。言惣天下乃至京師皆棄也。」〉今小國以窮困來告急,天子不振,尚安所愬,〈師古曰:「振,舉也,起也。安,焉也。」〉又何以子萬國乎?」〈師古曰:「子謂畜爲臣子也。」〉上曰:「太尉不足與計。吾新即位,不欲出虎符發兵郡國。」迺遣助以節發兵會稽。會稽守欲距法,不爲發。〈師古曰:「以法距之,爲無符驗也。」〉助迺斬一司馬,諭意指,〈師古曰:「以天子意指曉告之。」〉遂發兵浮海救東甌。未至,閩越引兵罷。

その後三年、閩越が再び兵を起こして南越を攻撃した。南越は天子との約束を守り、勝手に兵を発することを敢えてせず、上書して報告した。上はその義を重んじ、〈師古が言うには、「多は重んじるの意味」。〉大いに兵を発動し、二人の将軍に兵を率いさせて閩越を誅伐させようとした。淮南王の安が上書して諫めて言った。

原文後三歲,閩越復興兵擊南越。南越守天子約,不敢擅發兵,而上書以聞。上多其義,〈師古曰:「多猶重也。」〉大爲發興,遣兩將軍將兵誅閩越。淮南王安上書諫曰:

陛下が天下に臨み、徳を布き恵を施し、刑罰を緩め、賦斂を薄くし、鰥寡を哀れみ、孤独を恤れみ、耆老を養い、匱乏を救い、盛んな徳は上に高まり、和やかな恩沢は下に行き渡り、近い者は親しみ付き従い、遠い者は徳を慕い、天下は安らかで、〈孟康が言うには、「摂は安らか。音は奴協の反切」。〉人はその生を安んじ、自ら身を終えるまで兵革を見ないと思っています。今、役人が兵を挙げて越を誅伐しようとしていると聞き、臣安はひそかに陛下のためにこれを難事と考えます。〈師古が言うには、「重は難とするの意味」。〉越は、方外の地、髪を切り身体に文様を施す民です。〈晋灼が言うには、「淮南子に『越人は劗髪する』とあり、張揖はこれが古い翦の字であると考えている」。師古が言うには、「劗は翦と同じで、張の説が正しい」。〉冠帯の国の法度をもって治めることはできません。夏・殷・周三代の盛んな時から、胡や越は正朔を受けず、〈師古が言うには、「与は読んで豫とする」。〉強くなくて服させられず、威がなくて制御できなかったのではなく、居住に適さない土地、牧養できない民であり、中国を煩わせるに足りないと考えたからです。〈師古が言うには、「地は住むことができず、民は牧養できないという意味」。〉それゆえ、古くは封内を甸服とし、〈師古が言うには、「封内とは封圻千里の内をいう。甸服は、王田を治めて祭祀に供える」。〉封外を侯服とし、〈師古が言うには、「封外は千里の外をいう。侯は候(斥候)の意味で、王のための斥候となる」。〉侯衛を賓服とし、〈服虔が言うには、「侯服の外に、さらに衛服がある。賓は王に賓見すること。侯・衛の二服はともに賓である」。〉蛮夷を要服とし、〈師古が言うには、「さらに侯衛の外にあって九州の内に居る。要は、文徳をもって招き寄せるという意味。音は一遙の反切」。〉戎狄を荒服としたのは、〈師古が言うには、「これは九州の外にあるもの。荒は、荒忽として絶遠で、来去が常でないという意味」。〉遠近の情勢が異なるからです。漢が初めて平定されて以来七十二年、呉や越の人が互いに攻撃した例は数えきれませんが、しかし天子は一度も兵を挙げてその地に入ったことはありません。

原文陛下臨天下,布德施惠,緩刑罰,薄賦斂,哀鰥寡,恤孤獨,養耆老,振匱乏,盛德上隆,和澤下洽,近者親附,遠者懷德,天下攝然,〈孟康曰:「攝,安也。音奴協反。」〉人安其生,自以沒身不見兵革。今聞有司舉兵將以誅越,臣安竊爲陛下重之。〈師古曰:「重,難也。」〉越,方外之地,劗髮文身之民也。〈晉灼曰:「淮南云『越人劗髮』,張揖以爲古翦字也。」師古曰:「劗與翦同,張說是也。」〉不可以冠帶之國法度理也。自三代之盛,胡越不與受正朔,〈師古曰:「與讀曰豫。」〉非彊弗能服,威弗能制也,以爲不居之地,不牧之民,不足以煩中國也。〈師古曰:「地不可居,而民不可牧養也。」〉故古者封內甸服,〈師古曰:「封內謂封圻千里之內也。甸服,主治王田以供祭祀也。」〉封外侯服,〈師古曰:「封外,千里之外也。侯,候也,爲王者斥候。」〉侯衞賔服,〈服虔曰:「侯服之外,又有衞服。賔,賔見於王也。侯衞二服同爲賔也。」〉蠻夷要服,〈師古曰:「又在侯衞之外而居九州之內也。要,言以文德要來之耳,音一遙反。」〉戎狄荒服,〈師古曰:「此在九州之外者也。荒,言其荒忽絕遠,來去無常也。」〉遠近埶異也。自漢初定已來七十二年,吳越人相攻擊者不可勝數,然天子未甞舉兵而入其地也。

臣は聞きます。越には城郭や邑里があるわけではなく、谿谷の間、篁竹の中に処り、〈服虔が言うには、「竹の叢。音は皇」。師古が言うには、「竹の田を篁という」。〉水戦に習熟し、舟を使うのに便利で、土地は深く暗く水険が多いため、〈師古が言うには、「昧は暗い。草木が多いという意味」。〉中国の人はその地勢の険阻を知らずにその地に入れば、百人でもその一人に当たらないでしょう。その地を得ても、郡県とすることはできません。攻めても、急に奪取することはできません。地図でその山川の要塞を調べると、相去ることわずか数寸ですが、実際の間は数百千里もあり、〈師古が言うには、「間は中間の意味。あるいは八九百里、あるいは千里」。〉険阻な地形や林叢はすべてを記載できません。〈師古が言うには、「図にすべて載せることができない。著の音は竹助の反切」。〉見た目は易しいようでも、行うのは非常に難しいのです。天下は宗廟の霊威に頼り、国内は大いに寧らかで、白髪の老人は兵革を見ず、〈師古が言うには、「戴白は、白髪が首にあるという意味」。〉民は夫婦が相守り、父子が相保つことができているのは、陛下の徳によるものです。越人は藩臣と名乗りながら、貢酎の奉納は大内に輸送せず、〈応劭が言うには、「越国は僻遠で、珍奇の貢ぎ物や宗廟の祭りにはいずれも与からない。大内は都内で、国家の宝蔵である」。師古が言うには、「百官公卿表に、治粟の属官に都内令丞があると云う」。〉一兵の用も上の事に供給しません。〈師古が言うには、「給は供える」。〉自ら互いに攻撃しているのに陛下が兵を発して救援するのは、これはかえって中国をもって蛮夷を労させることです。〈師古が言うには、「蛮夷の地で中国の人を疲労させる」。〉かつて越人は愚かで軽薄で、約束を背き反覆し、天子の法度を用いないのは、一日の積み重ねではありません。〈師古が言うには、「積は久しい」。〉一度詔を奉じなければ、すぐに兵を挙げて誅伐するならば、臣は後々兵革がいつ止む時があるかと恐れます。

原文臣聞越非有城郭邑里也,處谿谷之閒,篁竹之中,〈服虔曰:「竹叢也。音皇。」師古曰:「竹田曰篁。」〉習於水鬬,便於用舟,地深昧而多水險,〈師古曰:「昧,暗也。言多草木。」〉中國之人不知其埶阻而入其地,雖百不當其一。得其地,不可郡縣也;攻之,不可暴取也。以地圖察其山川要塞,相去不過寸數,而間獨數百千里,〈師古曰:「間,中間也。或八九百里,或千里也。」〉阻險林叢弗能盡著。〈師古曰:「不可盡載於圖也。著音竹助反。」〉視之若易,行之甚難。天下賴宗廟之靈,方內大寧,戴白之老不見兵革,〈師古曰:「戴白,言白髮在首。」〉民得夫婦相守,父子相保,陛下之德也。越人名爲藩臣,貢酎之奉,不輸大內,〈應劭曰:「越國僻遠,珍竒之貢,宗廟之祭皆不與也。大內,都內也,國家寶藏也。」師古曰:「百官公卿表云治粟屬官有都內令丞也。」〉一卒之用不給上事。〈師古曰:「給,供也。」〉自相攻擊而陛下發兵救之,是反以中國而勞蠻夷也。〈師古曰:「疲勞中國之人於蠻夷之地。」〉且越人愚戇輕薄,負約反覆,其不用天子之法度,非一日之積也。〈師古曰:「積,乆也。」〉壹不奉詔,舉兵誅之,臣恐後兵革無時得息也。

間諜の報告によれば、ここ数年は連続して不作が続き、民衆は爵位を売ったり、子を質に入れたりして衣食をつなぎ、陛下の恩沢によって救済され、溝壑に転がり死ぬことは免れている。四年間不作が続き、五年目には再び蝗害が発生し、民衆の生業はまだ回復していない。今、兵を発して数千里を行軍させ、衣服や食糧を携えて越の地に入り、輿轎で山嶺を越え、舟を引きずって水に入り、数百千里を行き、深い林や竹藪に挟まれ、水路は上下で岩にぶつかり、林の中には多くの蝮蛇や猛獣がおり、夏の暑い時期には、嘔吐や下痢、コレラのような病気が次々と発生し、まだ兵を交えず刃を接する前に、死傷者は必ず多いであろう。以前、南海王が反乱を起こした時、陛下の先臣(淮南厲王長)が将軍の間忌(簡忌)に兵を率いてこれを討たせ、その軍を降伏させ、上淦の地に置いた。その後、再び反乱を起こし、ちょうど暑く雨が多い時期で、楼船の兵卒は水上に住み、櫂を打って戦い、戦う前に病気で死んだ者が半数を超えた。年老いた親は涙を流し、孤児は泣き叫び、家は破れ、生業は散り、遺体を千里の外から迎え、骸骨を包んで帰った。悲しみの気配は数年たっても消えず、長老たちは今でもこれを記憶している。まだその地に入る前に、すでに禍はここまで及んでいるのである。

原文間者,數年歲比不登,民待賣爵贅子以接衣食,〈如淳曰:「淮南俗賣子與人作奴婢,名爲贅子,三年不能贖,遂爲奴婢。」師古曰:「贅,質也。一說,云贅子者,謂令子出就婦家爲贅壻耳。贅壻解在〈賈誼傳〉。」〉賴陛下德澤振救之,得毋轉死溝壑。四年不登,五年復蝗,民生未復。〈師古曰:「生謂生業。復音扶目反。」〉今發兵行數千里,資衣糧,入越地,〈師古曰:「資猶齎。」〉輿轎而隃領,〈服虔曰:「轎音橋梁,謂隘道輿車也。」臣瓚曰:「今竹輿車也,江表作竹輿以行是也。」項昭曰:「陵絕水曰轎,音旗廟反。領,山領也。不通船車,運轉皆擔輿也。」師古曰:「服音、瓚說是也。項氏謬矣。此直言以轎過領耳,何云陵絕水乎!又旗廟之音無所依據。隃與踰同。」〉拕舟而入水,〈師古曰:「拕,曳也,音它。」〉行數百千里,夾以深林叢竹,水道上下擊石,〈師古曰:「謂船觸石,難以行也。」〉林中多蝮蛇猛獸,〈師古曰:「蝮,惡蛇也,音敷福反,解在〈田儋傳〉。」〉夏月暑時,歐泄霍亂之病相隨屬也,〈師古曰:「泄,吐也,音弋制反。屬音之欲反。」〉曾未施兵接刃,死傷者必衆矣。前時南海王反,陛下先臣使將軍間忌將兵擊之,〈文穎曰:「先臣,淮南厲王長也。間忌,人姓名。」師古曰:「〈淮南王傳〉作簡忌,此本作間,轉寫字誤省耳。」〉以其軍降,處之上淦。〈蘇林曰:「淦音耿弇之弇。」師古曰:「音工含反。」〉後復反,會天暑多雨,樓船卒水居擊櫂,〈師古曰:「言常居舟中水上,而又有擊櫂行舟之役,故多死也。櫂音直孝反。」〉未戰而疾死者過半。親老涕泣,孤子謕號,〈師古曰:「謕,古啼字。」〉破家散業,迎尸千里之外,裹骸骨而歸。悲哀之氣數年不息,長老至今以爲記。曾未入其地而禍已至此矣。

臣が聞くところによれば、軍旅の後には必ず凶年があるという。民衆がそれぞれその愁苦の気持ちをもって陰陽の和を脅かし、天地の精気を感じ、災いの気がそれによって生じるのである。陛下の徳は天地に匹敵し、明るさは日月の象のようであり、恩恵は禽獣にまで及び、草木にまで潤いをもたらし、一人でも飢え寒さで天寿を全うせずに死ぬ者がいれば、心を痛めて悲しむ。今、国内には犬の吠えるような警報もなく、陛下の兵士を死なせ、中原に曝し、山谷に濡らし、辺境の民は早く門を閉め遅く開け、朝を保って夕を待つことができず、臣の安はひそかに陛下のためにこれを憂慮する。

原文臣聞軍旅之後必有凶年,言民之各以其愁苦之氣薄陰陽之和,感天地之精,〈師古曰:「薄,迫也。」〉而災氣爲之生也。陛下德配天地,明象日月,恩至禽獸,澤及草木,一人有飢寒不終其天年而死者,爲之悽愴於心。今方內無狗吠之警,〈師古曰:「方內,中國四方之內也。」〉而使陛下甲卒死亡,暴露中原,霑漬山谷,邊境之民爲之早閉晏開,〈師古曰:「晏,晚也。言有兵難,故邊城早閉而晚開也。」〉鼂不及夕,〈師古曰:「鼂,古朝字也。言憂危亡不自保也。」〉臣安竊爲陛下重之。〈師古曰:「重,難也。」〉

南方の地形に慣れていない者は、多くが越を人口が多く兵力が強いと考え、辺境の城に難題を突きつけることができると思っている。淮南がまだ一国であった時、多くの者が辺境の官吏を務め、臣がひそかに聞いたところでは、中国とは異なっている。高山によって隔てられ、人の足跡が絶え、車道は通じず、天地が内外を隔てているのである。彼らが中国に入るには必ず領水を下らなければならず、領水の山は険しく、石を漂わせ舟を破り、大きな船で食糧を載せて下ることはできない。越人が変事を起こそうとすれば、必ずまず餘干の境界内で田畑を耕し、食糧を蓄積し、それから入って材木を伐り船を造る。辺境の城が守備を厳重にし、越人が材木を伐りに入る者があれば、すぐに捕らえ、その蓄積を焼き払えば、たとえ百越であっても、辺境の城をどうすることもできまい。しかも越人は力が弱く才能も乏しく、陸戦はできず、車騎や弓弩の使い方も知らないが、それでも侵入できないのは、険しい地形を保ち、中国の人間がその水土に耐えられないからである。臣が聞くところによれば、越の甲卒は数十万を下らず、それに入るには、五倍の兵力が必要であり、車を引いて糧食を運ぶ者はその中に含まれない。南方は暑く湿気が多く、夏に近づくと熱病が発生し、水辺に曝され、蝮蛇の毒が生じ、疫病が多く発生し、兵がまだ血を流す前に病死する者が十のうち二、三に及び、たとえ越国を挙げて虜にしても、失ったものを償うには足りないであろう。

原文不習南方地形者,多以越爲人衆兵彊,能難邊城。〈服虔曰:「爲邊城作難也。」〉淮南全國之時,多爲邊吏,〈師古曰:「全國謂未分爲三之時也。淮南人於邊爲吏,與越接境,故知其地形也。」〉臣竊聞之,與中國異。〈師古曰:「言其風土不同。」〉限以高山,人迹所絕,車道不通,天地所以隔外內也。其入中國必下領水,〔領水〕之山峭峻,漂石破舟,〈師古曰:「言水流湍急,石爲之漂轉,觸破舟船也。漂音匹遙反。」〉不可以大船載食糧下也。越人欲爲變,必先田餘干界中,〈韋昭曰:「越邑,今鄱陽縣也。」〉積食糧,迺入伐材治船。邊城守候誠謹,越人有入伐材者,輒收捕,焚其積聚,雖百越,柰邊城何!且越人緜力薄材,〈孟康曰:「緜音滅,薄力也。」師古曰:「緜,弱也,言其柔弱如緜,讀如本字。孟說非也。」〉不能陸戰,又無車騎弓弩之用,然而不可入者,以保地險,而中國之人不能其水土也。〈師古曰:「能,堪也。」〉臣聞越甲卒不下數十萬,所以入之,五倍迺足,〈師古曰:「不下,言不減也。漢軍多之五倍,然後可入其地也。」〉輓車奉饟者,不在其中。〈師古曰:「輓,引也,音晚。饟亦餉字。」〉南方暑溼,近夏癉熱,〈師古曰:「癉,黃病,音丁幹反。」〉暴露水居,蝮蛇蠚生,〈師古曰:「蠚,毒也,音壑。」〉疾癘多作,兵未血刃而病死者什二三,雖舉越國而虜之,不足以償所亡。〈師古曰:「舉謂惣取也。」〉

私は道端の噂を聞きましたが、閩越王の弟の甲が王を弑逆して殺したとのことです。甲は誅殺されましたが、その民衆はまだ帰属する所がありません。陛下がもし彼らを招き入れ、中国の地に居住させ、重臣を派遣して慰問し、恩徳を施し褒賞を与えて招致なされば、彼らは必ず幼子を抱え老人を支えて聖徳に帰順するでしょう。もし陛下が彼らを利用する必要がなければ、その絶えた世継ぎを継がせ、滅びた国を存続させ、王侯を立てて閩越を飼いならすのです。そうすれば、彼らは必ず身を委ねて藩臣となり、代々貢物を納めて職務を果たすでしょう。陛下は方寸の印と丈二の組綬をもって、遠方の地を鎮撫なされ、一兵も労せず、一戟も損なうことなく、威厳と徳化をともに行き渡らせることができます。今、兵を率いてその地に入れば、彼らは必ず震え恐れ、役人が自分たちを皆殺しにしようとしていると思い、雉や兎のように山林の険阻な地へ逃げ込むでしょう。背を向けて去れば、再び群れをなして集まり、留まって守備すれば、長い年月を経て、兵士は疲れ果て、食糧は尽き果て、男子は耕作や植樹ができず、婦人は紡績や機織りができず、壮丁は軍に従い、老弱者は食糧を輸送し、家にいる者は食がなく、旅に出る者は糧食を持たず、民は兵役に苦しみ、逃亡する者は必ず多く、それに従って誅伐しても、尽くしきれず、盗賊が必ず起こります。

原文臣聞道路言,閩越王弟甲弒而殺之,〈師古曰:「甲者,閩王弟之名。」〉甲以誅死,其民未有所屬。陛下若欲來內,處之中國,使重臣臨存,〈師古曰:「存謂省問之。」〉施德垂賞以招致之,此必攜幼扶老以歸聖德。若陛下無所用之,則繼其絕世,存其亡國,建其王侯,以爲畜越,〈李竒曰:「如人畜養六畜也。」師古曰:「直謂畜養之耳,非六畜也。」〉此必委質爲藩臣,世共貢職。〈師古曰:「共讀曰供。」〉陛下以方寸之印,丈二之組,填撫方外,〈師古曰:「組者,印之綬。」〉不勞一卒,不頓一戟,〈師古曰:「頓,壞也。一曰頓讀曰鈍。」〉而威德並行。今以兵入其地,此必震恐,以有司爲欲屠滅之也,必雉兔逃入山林險阻。〈師古曰:「如雉兔之逃竄而入山林險阻之中。」〉背而去之,則復相羣聚;留而守之,歷歲經年,則士卒罷勌,〈師古曰:「罷讀曰疲。勌亦倦字。」〉食糧乏絕,男子不得耕稼樹種,婦人不得紡績織絍,〈師古曰:「樹,植也。機縷曰絍。絍音人禁反。」〉丁壯從軍,老弱轉餉,〈師古曰:「餉亦饟字。」〉居者無食,行者無糧。民苦兵事,亡逃者必衆,隨而誅之,不可勝盡,盜賊必起。

私は古老の言い伝えを聞きましたが、秦の時代に尉の屠睢を派遣して越を攻撃させ、また監の禄に命じて運河を開削し通路を通させました。越人は深い山林や藪の中に逃げ込み、攻撃することができませんでした。軍を留めて空地を守備させましたが、長い時が過ぎ、兵士は疲労困憊し、越人が出撃してきました。秦軍は大敗し、そこで罪人を徴発して守備に当たらせました。この時、内外は騒動し、民衆は疲弊し、出征する者は帰らず、赴く者は戻らず、皆生きる望みを失い、逃亡して互いに従い、群れをなして盗賊となり、ここに山東の乱が始まりました。これは老子の言う「軍隊の駐屯した所には、荊棘が生い茂る」というものです。戦争は凶事であり、一方に急変があれば、四方がそれに従います。私は変事の発生や奸邪の輩の出現が、ここから始まるのではないかと恐れます。『周易』に「高宗が鬼方を討伐し、三年かかってこれを平定した」とあります。鬼方は小さな蛮夷であり、高宗は殷の盛んな天子です。盛んな天子が小さな蛮夷を討伐するのに、三年かかってようやく平定したというのは、軍事行動を軽々しく行ってはならないことを言っているのです。

原文臣聞長老言,秦之時甞使尉屠睢擊越,〈張晏曰:「郡都尉,姓屠名睢也。」〉又使監祿鑿渠通道。〈張晏曰:「監郡御史也,名祿。」〉越人逃入深山林叢,不可得攻。留軍屯守空地,曠日引乆,士卒勞倦,越出擊之。秦兵大破,迺發適戍以備之。〈師古曰:「適讀曰謫。」〉當此之時,外內騷動,百姓靡敝,〈師古曰:「靡,散也,音縻。」〉行者不還,往者莫反,皆不聊生,亡逃相從,羣爲盜賊,於是山東之難始興。此老子所謂「師之所處,荊棘生之」者也。〈師古曰:「老子道經之言也。師旅行,必殺傷士衆,侵暴田畝,故致荒殘而生荊棘也。」〉兵者凶事,一方有急,四面皆從。臣恐變故之生,姦邪之作,由此始也。《周易》曰:「高宗伐鬼方,三年而克之。」〈師古曰:「旣濟九三爻辭。」〉鬼方,小蠻夷;高宗,殷之盛天子也。以盛天子伐小蠻夷,三年而後克,言用兵之不可不重也。

私は聞きました。天子の軍勢は征伐はあっても戦闘はない、つまり敢えて対抗する者はいないと。もし仮に越人が僥倖を頼みにして、陛下の軍勢の先鋒に逆らったとして、下働きの兵卒の一人でも不備があって帰還するようなことがあれば、たとえ越王の首を取ったとしても、私はひそかに大漢の恥であると思います。陛下は四海を境とし、九州を家とし、八藪を苑とし、長江と漢水を池とし、生ける民すべてを臣妾とされています。人民の多さは百官の供給に十分であり、租税の収入は天子の御用に十分足ります。心を神明に遊ばせ、聖人の道を執り、黼扆を背にし、玉几にもたれかかり、南面して政務を裁断し、天下に号令すれば、四海の内、響き応じない者はありません。陛下が徳恵を垂れて民を覆い潤し、庶民を安住楽業させれば、その恩沢は万世に及び、子孫に伝わり、永遠に施されます。天下の安泰は泰山のように安定し、四方を結びつけているのです。夷狄の地など、一日の暇をつぶすにも足りず、どうして汗馬の労を煩わす必要がありましょうか。『詩経』に「王道は誠に満ち満ちて、徐方はすでに来たり」とあります。これは王道が非常に大きく、遠方の者もこれを慕うというのです。私は聞きました。農夫が働いて君子を養い、愚者が発言して智者が選択すると。私は幸いにも陛下のために藩屏を守り、自らを防壁とすること、これが人臣の任務です。辺境に危急があれば、身の死を惜しんで愚見を尽くさないのは、忠臣ではありません。私はひそかに恐れます。将軍や役人が十万の軍勢を、一介の使者の任務で済ませられることを!

原文臣聞天子之兵有征而無戰,言莫敢校也。〈師古曰:「校,計也。不敢與計彊弱曲直。」〉如使越人蒙徼幸以逆執事之顏行,〈文穎曰:「顏行猶雁行,在前行,故曰顏也。」師古曰:「蒙,犯也。行音胡郎反。」〉厮輿之卒有一不備而歸者,〈張晏曰:「厮,微;輿,衆也。」師古曰:「厮,析薪者。輿,主駕車者。此皆言賤役之人。」〉雖得越王之首,臣猶竊爲大漢羞之。陛下以四海爲境,九州爲家,八藪爲囿,江漢爲池,〈師古曰:「八藪,謂魯有大野,晉有大陸,秦有楊汙,宋有孟諸,楚有雲夢,吳越之間有具區,齊有海隅,鄭有圃田。」〉生民之屬皆爲臣妾。人徒之衆足以奉千官之共,〈師古曰:「千官猶百官也,多言之耳。共讀曰供。」〉租稅之收足以給乘輿之御。玩心神明,秉執聖道,負黼依,〈師古曰:「負,背也。白與黑畫爲斧文,謂之黼也。依讀曰扆。扆形如屏風而曲之,畫以黼文,張於戶牖之間。」〉馮玉几,〈師古曰:「馮讀曰凭。」〉南面而聽斷,號令天下,四海之內莫不嚮應。〈師古曰:「嚮讀曰響。」〉陛下垂德惠以覆露之,〈師古曰:「露謂使之沾潤澤也。或露或覆,言養育也。」〉使元元之民安生樂業,則澤被萬世,傳之子孫,施之無窮。天下之安猶泰山而四維之也,〈師古曰:「維謂聯繫之。」〉夷狄之地何足以爲一日之間,〈如淳曰:「得其地物,不足爲一日閑暇之虞也。」〉而煩汗馬之勞乎!《詩》云「王猶允塞,徐方旣來」,〈師古曰:「大雅常武之詩。猶,道也。允,信也。塞,滿也。旣,盡也。言王道信充滿於天下,則徐方淮夷盡來服也。」〉言王道甚大,而遠方懷之也。臣聞之,農夫勞而君子養焉,〈師古曰:「言農夫勤力於耕稼,所得五穀以養君子也。」〉愚者言而智者擇焉。臣安幸得爲陛下守藩,以身爲鄣蔽,人臣之任也。邊境有警,愛身之死而不畢其愚,非忠臣也。〈師古曰:「畢,盡也,盡言其意也。」〉臣安竊恐將吏之以十萬之師爲一使之任也!〈師古曰:「言漢發一使鎮撫之,則越人賔服,不煩兵往。」〉

この時、漢軍はついに出動し、嶺を越えましたが、ちょうど閩越王の弟の餘善が王を殺して降伏したため、漢軍は引き上げました。皇帝は淮南王の忠誠心を称え、将兵の功績を褒めたたえ、厳助に命じて南越に天子の意向を諷諭させました。南越王は頓首して言いました。「天子がわざわざ兵を起こして閩越を誅伐してくださったこと、死んでも報いることができません!」すぐに太子を厳助に随行させて入朝させました。

原文是時,漢兵遂出,踰領,適會閩越王弟餘善殺王以降。漢兵罷。上嘉淮南之意,美將卒之功,迺令嚴助諭意風指於南越。〈師古曰:「風讀曰諷,以天子之意指諷告也。」〉南越王頓首曰:「天子迺幸興兵誅閩越,死無以報!」即遣太子隨助入侍。

助が帰還すると、また淮南王に諭して言った。「皇帝が淮南王にお尋ねになる。中大夫の玉を使者として上書して事を述べたことを聞いた。朕は先帝の美徳を奉じ、朝早く起き夜遅くまで寝ずに励んでいるが、明察が行き届かず、さらに不徳であるため、このように連年凶作と災害が民衆を苦しめている。この微々たる身をもって、王侯の上に託されているが、国内には飢え寒さに苦しむ民がおり、南夷が互いに侵奪し合い、辺境を騒がしく不安にさせているので、朕は非常に恐れている。今、王が深く考えを巡らせ、太平の世を明らかにして朕の過失を補い、夏・殷・周三代の最も盛んな時代を称え、天と地が接するほど広く、人の足跡の及ぶところはすべて臣従したと述べられたので、はるかに及ばず甚だ恥ずかしい。王の志を嘉し、尽きることがないので、中大夫の助に朕の意を諭させ、王に越の事を告げさせる。」

原文助還,又諭淮南曰:「皇帝問淮南王:使中大夫玉上書言事,聞之。朕奉先帝之休德,夙興夜寐,明不能燭,〈師古曰:「燭,照也。」〉重以不德,〈師古曰:「重音直用反。」〉是以比年凶菑害衆。〈師古曰:「菑,古災字。」〉夫以眇眇之身,託于王侯之上,內有飢寒之民,南夷相攘,〈師古曰:「攘謂相侵奪也,音人羊反。」〉使邊騷然不安,朕甚懼焉。今王深惟重慮,〈師古曰:「惟,思也。慮,計也。」〉明太平以弼朕失,稱三代至盛,際天接地,人迹所及,咸盡賔服,藐然甚慙。〈如淳曰:「王之所言藐然,聞之甚慚也。」師古曰:「藐,遠也。言不可及也。藐音武卓反。」〉嘉王之意,靡有所終,〈師古曰:「靡,無也。終,極也。」〉使中大夫助諭朕意,告王越事。」

助は意を諭して言った。「今、大王が屯兵を発して越の事に臨むことについて上書されたので、陛下はわざわざ臣の助を使者として、その事を王に告げさせたのです。王は遠方にお住まいで、事態が切迫して急であったため、王とともにその計画を立てることはできませんでした。朝廷に政治の欠陥があり、王に憂いをかけたことを、陛下は非常に残念に思っておられます。そもそも兵器は凶器であり、明主が重く見て容易に出さないものですが、しかし五帝三王以来、暴虐を禁じ乱れを止めるのに、武力によらないということは聞いたことがありません。漢は天下の宗主として、生殺与奪の権を握り、海内の命運を制しており、危険な者は安泰を望み、乱れた者は治世を仰ぎ望んでいます。今、越の閩王は貪欲で不仁であり、自分の身内を殺し、親戚を離反させ、行ったことの多くは不義であり、またしばしば兵を挙げて百越を侵陵し、隣国を併合して暴虐に強くなり、密かに奇策をめぐらし、尋陽の楼船を焼き討ちし、会稽の地を招き寄せようとし、句践の跡を踏もうとしています。今また、辺境から閩王が両国の兵を率いて南越を撃ったと報告がありました。陛下は万民の安危と長遠の計のために、人をやって諭し告げて、『天下は安寧であり、それぞれ世を継いで民を撫で、互いに併合することを禁ずる』とおっしゃいました。役人は、彼が虎狼のような心で、百越の利を貪り占めようとし、あるいは順逆をわきまえず、明詔を奉じないのではないかと疑い、そうなれば会稽や豫章には必ず長患いが起こると考えました。しかも天子は誅伐はしても征伐はせず、どうして百姓を労苦させ士卒を苦しめることがあろうか。そこで両将に命じて境上に駐屯させ、威武を震わせ、名声を響かせたのです。駐屯兵はまだ集結しないうちに、天がその心を導き、閩王は命を落とし、すぐに使者を遣わして駐屯を解き、農時を遅らせないようにしました。南越王は甚だ恥じて恩恵に浴し、美徳を蒙り、心を改め行いを変え、自ら使者に従って入朝し謝罪したいと願いましたが、犬馬の病があり、朝服を着ることができず、そこで太子の嬰斉を入侍させました。病が癒えたならば、北闕に伏して、大廷を望み、盛徳に報いたいと願っています。閩王は八月に冶南で挙兵し、士卒は疲れ倦み、三王の衆が相謀ってこれを攻め、その弱い弟の余善を利用してその謀を成し遂げました。今、国は空虚で、使者を遣わして符節を奉じ、誰を立てるべきか請い、自ら立つことを敢えず、天子の明詔を待っています。この一挙は、一兵の鋭鋒も挫かず、一卒の死も用いずして、閩王は罪に伏し、南越は恩沢に浴し、威は暴王を震わせ、義は危国の存続を図りました。これは陛下の深い計略と遠大な思慮から出たものです。事の効果は目前に現れており、それゆえ臣の助を使者として王の意を諭させたのです。」

原文助諭意曰:「今者大王以發屯臨越事上書,陛下故遣臣助告王其事。王居遠,事薄遽,不與王同其計。〈如淳曰:「薄,迫也。言事迫,不暇得先與王共議之。或曰薄,語助也。」師古曰:「薄,迫,是也。遽,速也,音其据反。」〉朝有闕政,遺王之憂,〈師古曰:「言朝政有闕,乃使王有憂也。遺猶與也。」〉陛下甚恨之。夫兵固凶器,明主之所重出也,〈師古曰:「重,難也。」〉然自五帝三王禁暴止亂,非兵,未之聞也。漢爲天下宗,操殺生之柄,〈師古曰:「操,執持也,音千高反。」〉以制海內之命,危者望安,亂者卬治。〈師古曰:「卬讀曰仰,謂仰而望之。」〉今越閩王狼戾不仁,〈師古曰:「狼性貪戾,凡言狼戾者,謂貪而戾。」〉殺其骨肉,離其親戚,所爲甚多不義,又數舉兵侵陵百越,并兼鄰國,以爲暴彊,陰計竒策,入燔尋陽樓船,〈師古曰:「漢有樓船貯在尋陽也。」〉欲招會稽之地,以踐句踐之迹。〈師古曰:「先是越王句踐稱霸中國,今越王欲慕之。句音工侯反。」〉今者,邊又言閩王率兩國擊南越。陛下爲萬民安危乆遠之計,使人諭告之曰:『天下安寧,各繼世撫民,禁毋敢相并。』有司疑其以虎狼之心,貪據百越之利,或於逆順,不奉明詔,則會稽、豫章必有長患。且天子誅而不伐,焉有勞百姓苦士卒乎?〈師古曰:「王者之兵,但行誅耳,無有戰鬬,故云不伐也。」〉故遣兩將屯於境上,震威武,揚聲鄉。〈師古曰:「鄉讀曰響。」〉屯曾未會,〈師古曰:「言兵未盡集。」〉天誘其衷,閩王隕命,輒遣使者罷屯,毋後農時。〈師古曰:「令及農時,不待後也。」〉南越王甚嘉被惠澤,蒙休德,願革心易行,身從使者入謝。〈師古曰:「革,改也。」〉有狗馬之病,不能勝服,〈師古曰:「服謂朝服也。」〉故遣太子嬰齊入侍;病有瘳,願伏北闕,望大廷,以報盛德。閩王以八月舉兵於冶南,〈蘇林曰:「山名也,今名東冶,屬會稽。」〉士卒罷倦,〈師古曰:「罷讀曰疲。」〉三王之衆相與攻之,因其弱弟餘善以成其謀。至今國空虛,遣使者上符節,請所立,不敢自立,以待天子之明詔。此一舉,不挫一兵之鋒,不用一卒之死,而閩王伏辜,南越被澤,威震暴王,義存危國,此則陛下深計遠慮之所出也。事效見前,〈師古曰:「見,顯也。前謂目前。」〉故使臣助來諭王意。」

そこで淮南王は謝罪して言った。「湯が桀を伐ち、文王が崇を伐ったとしても、誠にこれを超えるものはありません。臣の安が妄りに愚かな意見や狂った言葉を申し上げましたが、陛下は忍んで誅することなく、使者を遣わして臣の安に未だ聞いたことのないことを詔してくださり、誠に厚幸に堪えません。」助はこれによって淮南王と結びつき帰還した。上は大いに喜んだ。

原文於是王謝曰:「雖湯伐桀,文王伐崇,誠不過此。臣安妄以愚意狂言,陛下不忍加誅,使使者臨詔臣安以所不聞,〈師古曰:「先未聞者今得聞也。」〉誠不勝厚幸!」助由是與淮南王相結而還。上大說。〈師古曰:「說讀曰悅。」〉

助が侍して宴席でくつろいでいると、上は助が郷里にいた時のことを尋ねた。助は答えて言った。「家が貧しく、友人の婿である富人に辱められました。」上は何を望むかと尋ねると、会稽太守になりたいと答えた。そこで会稽太守に任命した。数年経っても良い評判が聞こえてこなかった。上は詔書を賜って言った。「会稽太守に詔す。卿は承明の廬に飽き、侍従の務めを煩わしく思い、故郷を懐かしんで、郡の吏として出た。会稽は東は海に接し、南は諸越に近く、北は大江に臨んでいる。近頃、久しく音沙汰がないが、具に春秋の義をもって答えよ。蘇秦の縦横の術を用いるな。」助は恐れ、上書して謝罪し、「春秋に、天王が鄭に出居されたのは、母に仕えることができなかったからであり、それゆえ絶縁されたのです。臣が君に仕えることは、子が父母に仕えるのと同じです。臣の助は誅されるべきです。陛下が忍んで誅することなく、三年の計最を奉じたいと願います。」と称した。詔して許し、そのまま侍中に留めた。奇異なことがあると、すぐに文章を作らせ、また賦頌を数十篇作らせた。

原文助侍燕從容,〈師古曰:「從容,閒語也。從音千容反。」〉上問助居鄉里時,助對曰:「家貧,爲友壻富人所辱。」〈師古曰:「友壻,同門之壻。」〉上問所欲,對願爲會稽太守。於是拜爲會稽太守。數年,不聞問。〈師古曰:「無善聲。」〉賜書曰:「制詔會稽太守:君厭承明之廬,〈張晏曰:「承明廬在石渠閣外。直宿所止曰廬。」〉勞侍從之事,懷故土,〈師古曰:「懷,思也。」〉出爲郡吏。會稽東接於海,南近諸越,〈師古曰:「越種非一,故言諸。」〉北枕大江。〈師古曰:「枕,臨也。」〉間者,闊焉乆不聞問,具以春秋對,毋以蘇秦從橫。」〈師古曰:「從音子容反。」〉助恐,上書謝稱:「春秋天王出居于鄭,不能事母,故絕之。〈師古曰:「周惠王之子襄王也。弟叔帶有寵於惠后,欲立之,故襄王避難而出奔也。僖二十四年經書:『天王出居於鄭。』《公羊傳》曰:『王者無外,此其言出何?不能乎母也。』」〉臣事君,猶子事父母也,臣助當伏誅。陛下不忍加誅,願奉三年計最。」〈如淳曰:「舊法,當使丞奉歲計,今躬自欲入奉也。」晉灼曰:「最,凡要也。」〉詔許,因留侍中。有竒異,輒使爲文,〈師古曰:「謂非常之文。」〉及作賦頌數十篇。

後に淮南王が来朝した時、助に厚く賄賂を贈り、私的に議論を交わした。淮南王が反乱を起こすと、事は助と連座し、上はその罪を軽く見て、誅することを望まなかった。廷尉の張湯が争い、助は禁門を出入りする腹心の臣でありながら、外で諸侯とこのように私的に交際したのだから、誅さなければ後々治まらないと主張した。助はついに棄市に処せられた。

原文後淮南王來朝,厚賂遺助,交私論議。及淮南王反,事與助相連,上薄其罪,欲勿誅。〈師古曰:「以其過爲輕小。」〉廷尉張湯爭,以爲助出入禁門,腹心之臣,而外與諸侯交私如此,不誅,後不可治。助竟棄市。

朱買臣

原文朱買臣

朱買臣は字を翁子といい、呉の人である。家は貧しく、書物を読むことを好み、産業を営まず、常に薪を刈り、売って食糧を賄い、束ねた薪を担ぎ、歩きながら書物を誦した。その妻も背負って荷物を運びながら付き従ったが、たびたび買臣に道中で歌うなと止めた。買臣はますます激しく歌い、妻はこれを恥じて、去ることを求めた。買臣は笑って言った。「私は五十歳で富貴になるはずだ。今はもう四十を過ぎている。お前は長い間苦労してきたが、私が富貴になるのを待って、お前の功労に報いるよ。」妻は怒って言った。「あなたのような者が、とうとう餓死して溝の中に埋もれるだけです。どうして富貴になれましょうか。」買臣は留めることができず、すぐに去ることを許した。その後、買臣は一人で道中を歌いながら歩き、墓の間で薪を背負っていた。かつての妻とその夫の家族が一緒に墓参りに行き、買臣が飢え寒さに苦しんでいるのを見て、呼び寄せて飯を食べさせ、飲ませた。

原文朱買臣字翁子,吳人也。家貧,好讀書,不治產業,常艾薪樵,賣以給食,〈師古曰:「艾讀曰刈。給,供也。」〉擔束薪,行且誦書。其妻亦負戴相隨,數止買臣毋歌嘔道中。〈師古曰:「嘔讀曰謳,音一侯反。」〉買臣愈益疾歌,妻羞之,求去。買臣笑曰:「我年五十當貴,今已四十餘矣。女苦日乆,待我富貴報女功。」〈師古曰:「女皆讀曰汝。」〉妻恚怒曰:「如公等,終餓死溝中耳,何能富貴?」買臣不能留,即聽去。其後,買臣獨行歌道中,負薪墓閒。故妻與夫家俱上冢,見買臣飢寒,呼飯飲之。〈師古曰:「飯謂飤之,音扶晚反。飲音於禁反。」〉

数年後、買臣は上計吏に従って卒となり、重車を率いて長安に至り、宮門に赴いて上書したが、上書は長い間返答がなかった。公車に待詔していたが、食糧や費用が乏しく、上計吏の卒が交替で乞食をした。たまたま同郷の厳助が貴幸を得ており、買臣を推薦した。召し出されて謁見し、春秋を説き、楚辞を語ると、帝は大いに喜び、買臣を中大夫に任命し、厳助とともに侍中とした。この時、ちょうど朔方を築いており、公孫弘が諫めて、中国を疲弊させると言った。上は買臣に命じて弘を難詰させた。その言葉は〈弘伝〉にある。後に買臣は事に坐して免官され、長い間を経て、召し出されて待詔となった。

原文後數歲,買臣隨上計吏爲卒,將重車至長安,〈師古曰:「買臣身自充卒,而與計吏將重車也。載衣食具曰重車。重音直用反。」〉詣闕上書,書乆不報。待詔公車,糧用乏,上計吏卒更乞匄之。〈師古曰:「更音工衡反。乞音氣。匄音工大反。」〉會邑子嚴助貴幸,薦買臣。召見,說春秋,言楚詞,帝甚說之,〈師古曰:「說讀曰悅。」〉拜買臣爲中大夫,與嚴助俱侍中。是時方築朔方,公孫弘諫,以爲罷敝中國。〈師古曰:「罷讀曰疲。」〉上使買臣難詘弘,語在〈弘傳〉。後買臣坐事免,乆之,召待詔。

この時、東越がたびたび反覆したので、買臣はそれに乗じて言った。「かつての東越王は泉山に拠って守りを固めていました。一人が険要を守れば、千人でも登ることができません。今、東越王がさらに南行に移り住んだと聞きます。泉山から五百里離れ、大沢の中に住んでいます。今、兵を発して海を渡り、まっすぐ泉山を指し、船を並べ兵を列ね、南行を席巻すれば、破滅させることができます。」上は買臣を会稽太守に任命した。上は買臣に言った。「富貴になって故郷に帰らないのは、刺繍の衣を着て夜道を歩くようなものだ。今、お前はどうするか。」買臣は頓首して辞謝した。詔して買臣に郡に着いたら、楼船を整え、食糧や水戦の具を備え、詔書が到着するのを待って、軍とともに進むように命じた。

原文是時,東越數反覆,買臣因言:「故東越王居保泉山,〈師古曰:「泉山即今泉州之山也,臨海,去海十餘里。保者,保守之以自固也。說者乃云保是地名,失之矣。」〉一人守險,千人不得上。今聞東越王更徙處南行,去泉山五百里,居大澤中。今發兵浮海,直指泉山,陳舟列兵,席卷南行,可破滅也。」上拜買臣會稽太守。上謂買臣曰:「富貴不歸故鄉,如衣繡夜行,今子何如?」買臣頓首辭謝。詔買臣到郡,治樓船,備糧食、水戰具,須詔書到,軍與俱進。〈師古曰:「須,待也。」〉

初め、買臣が免官されて待詔していた時、常に会稽郡の守邸者に寄食していた。太守に任命されると、買臣は古い衣服を着て、その印綬を懐にしまい、歩いて郡邸に帰った。ちょうど上計の時で、会稽の役人たちがちょうど一緒に群れ飲みをしており、買臣を見向きもしなかった。買臣は部屋の中に入り、守邸者と一緒に食事をし、食べ終わりそうになった時、少しその綬を見せた。守邸者は怪しんで、前に進んでその綬を引き、その印を見ると、会稽太守の印章であった。守邸者は驚き、出て上計掾吏に話した。皆酔っており、大声で叫んだ。「でたらめだ!」守邸者は言った。「試しに来て見てみなさい。」買臣の旧知で、もともと買臣を軽んじていた者が中に入って見て、走り戻り、急いで叫んだ。「本当だ!」座中は驚き騒ぎ、守丞に報告し、互いに押し合いながら中庭に整列して拝謁した。買臣はゆっくりと戸口から出た。しばらくすると、長安の厩吏が駟馬車に乗って迎えに来た。買臣は遂に駅伝車に乗って去った。会稽では太守がまもなく到着すると聞き、民衆を発動して道を清め、県の長吏がこぞって送迎し、車は百余乗に及んだ。呉の境界に入ると、かつての妻とその夫が道を整備しているのを見た。買臣は車を停め、命じて後続の車にその夫婦を乗せ、太守の舎に着くと、園中に置き、食糧を与えた。一ヶ月ほど経つと、妻は自ら首を吊って死んだ。買臣はその夫に銭を乞い、埋葬させた。旧知の人々をことごとく召し出して飲食を共にし、かつて恩を受けた者たちには、すべて報いた。

原文初,買臣免,待詔,常從會稽守邸者寄居飯食。〈師古曰:「飯音扶晚反。」〉拜爲太守,買臣衣故衣,懷其印綬,步歸郡邸。直上計時,會稽吏方相與羣飲,〈師古曰:「直讀曰值。」〉不視買臣。買臣入室中,守邸與共食,食且飽,少見其綬。〈師古曰:「見,顯示也。」〉守邸怪之,前引其綬,視其印,會稽太守章也。守邸驚,出語上計掾吏。皆醉,大呼曰:「妄誕耳!」〈師古曰:「誕,大言也。呼音火故反。次下亦同。」〉守邸曰:「試來視之。」其故人素輕買臣者入內視之,還走,疾呼曰:「實然!」坐中驚駭,白守丞,〈服虔曰:「守邸丞也。」張晏曰:「漢舊郡國丞長吏與計吏俱送計也。」師古曰:「張說是也。謂之守丞者,繫太守而言也。守音式授反。」〉相推排陳列中庭拜謁。買臣徐出戶。有頃,長安廄吏乘駟馬車來迎,〈張晏曰:「故事,大夫乘官車駕駟,如今州牧刺史矣。」〉買臣遂乘傳去。〈師古曰:「傳音張戀反。」〉會稽聞太守且至,發民除道,縣長吏並送迎,車百餘乘。入吳界,見其故妻、妻夫治道。買臣駐車,呼令後車載其夫妻,到太守舍,置園中,給食之。〈師古曰:「食讀曰飤。」〉居一月,妻自經死,買臣乞其夫錢,令葬。〈師古曰:「乞音氣。」〉悉召見故人與飲食,諸甞有恩者,皆報復焉。〈師古曰:「復音扶目反。」〉

一年余り経つと、買臣は詔を受けて兵を率い、横海将軍韓説らとともに東越を撃破し、功績があった。召し出されて主爵都尉となり、九卿に列せられた。

原文居歲餘,買臣受詔將兵,與橫海將軍韓說等俱擊破東越,〈師古曰:「說讀曰悅。」〉有功。徵入爲主爵都尉,列於九卿。

数年後、法に坐して免官され、再び丞相長史となった。張湯が御史大夫であった。初め買臣は厳助とともに侍中となり、貴用事していた時、湯はまだ小吏で、買臣らの前を走り回っていた。後に湯が廷尉として淮南の獄を治め、厳助を陥れたので、買臣は湯を怨んだ。買臣が長史となった時、湯はたびたび丞相の事務を代行し、買臣がもともと貴いことを知っていたので、わざと陵辱して屈服させた。買臣が湯に会うと、床に坐ったまま礼をしなかった。買臣は深く怨み、常に彼を死なせようとした。後に遂に湯の陰事を告発し、湯は自殺し、上もまた買臣を誅殺した。買臣の子の山拊は官が郡守、右扶風に至った。

原文數年,坐法免官,復爲丞相長史。張湯爲御史大夫。始買臣與嚴助俱侍中,貴用事,湯尚爲小吏,趨走買臣等前。後湯以廷尉治淮南獄,排陷嚴助,買臣怨湯。及買臣爲長史,湯數行丞相事,知買臣素貴,故陵折之。買臣見湯,坐牀上弗爲禮。〈師古曰:「言不動容以禮之也。爲音于僞反。」〉買臣深怨,常欲死之。〈師古曰:「致死以害之。」〉後遂告湯陰事,湯自殺,上亦誅買臣。買臣子山拊官至郡守,〈如淳曰:「拊音夫。」〉右扶風。

吾丘寿王

原文吾丘壽王

吾丘寿王は字を子贛といい、趙の人である。年少の時、格五に巧みであることで召し出されて待詔となった。詔して中大夫董仲舒に従って春秋を学ばせると、才能が高く道理に通明していた。侍中中郎に遷ったが、法に坐して免官された。上書して罪を謝し、黄門で馬の飼育を願ったが、上は許さなかった。後に辺境を守って寇難を防ぐことを願ったが、また許さなかった。長い間を経て、上疏して匈奴を撃つことを願い、詔して状況を問うと、寿王の答えが良かったので、再び召し出されて郎とした。

原文吾丘壽王字子贛,趙人也。年少,以善格五召待詔。〈蘇林曰:「博之類,不用箭,但行梟散。」孟康曰:「格音各。行伍相各,故言各。」劉德曰:「格五,棊行。簺法曰塞白乘五,至五格不得行,故云格五。」師古曰:「即今戲之簺也。音先代反。」〉詔使從中大夫董仲舒受春秋,高材通明。遷侍中中郎,坐法免。上書謝罪,願養馬黃門,上不許。〈師古曰:「請於黃門供養馬之事。」〉後願守塞扞冦難,復不許。乆之,上疏願擊匈奴,詔問狀,壽王對良善,復召爲郎。

しばらくして昇進し、ちょうど東郡で盗賊が発生したため、東郡都尉に任命された。皇帝は寿王を都尉としたので、太守を置かなかった。この時、軍事が頻繁に起こり、年が豊かでなく、盗賊が多かった。詔を下して寿王に璽書を賜り、言うには、「そなたが朕の前にいた時は、知略が車の輻が轂に集まるように集まり、天下に二つとなく、海内に並ぶ者がないと思っていた。ところが、十余りの城の守備を連ね、四千石の重責を任せたところ、職務はことごとく廃れ、盗賊が横行している。以前の評判にまったく見合わないのは、どうしたことか。」寿王は謝罪し、状況を説明した。

原文稍遷,會東郡盜賊起,拜爲東郡都尉。上以壽王爲都尉,不復置太守。是時,軍旅數發,年歲不孰,多盜賊。詔賜壽王璽書曰:「子在朕前之時,知略輻湊,〈師古曰:「言其無方而至,若車輪之歸於轂。」〉以爲天下少雙,海內寡二。及至連十餘城之守,任四千石之重,〈師古曰:「郡守、都尉皆二千石,以壽王爲都尉,不置太守,兼緫二任,故云四千石也。」〉職事並廢,盜賊從橫,〈師古曰:「從音子庸反。」〉甚不稱在前時,何也?」壽王謝罪,因言其狀。

再び召されて光禄大夫侍中となった。丞相の公孫弘が上奏して言うには、「民衆に弓弩を携帯させてはなりません。十人の賊が弩を引き絞れば、百人の役人も前に出られず、盗賊はすぐには罪を認めず、逃げおおせる者が多く、害が少なく利が多いため、これが盗賊が増える原因です。民衆に弓弩を携帯させないようにすれば、盗賊は短い武器を持ち、短い武器で戦えば人数が多い方が勝ちます。多くの役人が少数の賊を捕らえれば、その勢いで必ず捕らえられます。盗賊に害があって利がなければ、法を犯す者はなく、刑罰が不用になる道です。愚臣は、民衆に弓弩を携帯させないようにするのがよいと考えます。」皇帝はこの議論を下に回した。寿王が答えて言うには、

原文復徵入爲光祿大夫侍中。丞相公孫弘奏言:「民不得挾弓弩。十賊彍弩,百吏不敢前,〈張晏曰:「彍音郭。」師古曰:「引滿曰彍。」〉盜賊不輒伏辜,免脫者衆,害寡而利多,此盜賊所以蕃也。〈師古曰:「蕃亦多也,音扶元反。」〉禁民不得挾弓弩,則盜賊執短兵,短兵接則衆者勝。以衆吏捕寡賊,其埶必得。盜賊有害無利,則莫犯法,刑錯之道也。臣愚以爲禁民毋得挾弓弩便。」上下其議。壽王對曰:

臣は聞く、古の時代に五兵を作ったのは、互いに害をなすためではなく、暴虐を禁じ邪悪を討つためである。平穏な時には猛獣を制し非常事態に備え、事ある時には守衛を設け陣を敷くためである。周王室が衰微し、上には明王がなく、諸侯が力を争い、強い者が弱い者を侵し、多い者が少ない者を虐げ、海内が疲弊し、巧みな詐りが並び生じるに至った。それゆえ知者は愚者に陥り、勇者は怯者を威し、ただ勝つことを務めとし、義理を顧みなかった。それゆえ機巧な変化や器械の装飾など、互いに賊害するための道具が数え切れないほどになった。そこで秦が天下を併せ、王道を廃し、私的な議論を立て、詩書を滅ぼして法令を第一とし、仁恩を除いて刑戮を任せ、名城を壊し、豪傑を殺し、甲兵を溶かし、鋒刃を折った。その後、民衆は耰や鋤、箠や梃で互いに打ち合い、法を犯す者がますます多く、盗賊が数え切れず、ついに赭衣(囚人服)が道を塞ぎ、群盗が山に満ち、ついに乱れて滅びた。それゆえ聖王は教化に務めて禁防を省き、それらが頼りにならないことを知っていたのである。

原文臣聞古者作五兵,非以相害,以禁暴討邪也。〈師古曰:「五兵謂矛、戟、弓、劔、戈。」〉安居則以制猛獸而備非常,有事則以設守衞而施行陣。及至周室衰微,上無明王,諸侯力政,彊侵弱,衆暴寡,海內抏敝,巧詐並生。〈師古曰:「抏,訛盡也,音五官反。」〉是以知者陷愚,勇者威怯,苟以得勝爲務,不顧義理。故機變械飾,所以相賊害之具不可勝數。於是秦兼天下,廢王道,立私議,滅詩書而首法令,〈師古曰:「以法令爲首。」〉去仁恩而任刑戮,〈師古曰:「去,除也。」〉墮名城,殺豪桀,〈師古曰:「墮,毀也,音火規反。」〉銷甲兵,折鋒刃。其後,民以耰鉏箠梃相撻擊,〈師古曰:「耰,摩田之器也。箠,馬檛也。梃,大杖也。耰音憂。箠音之累反。梃音大鼎反。」〉犯法滋衆,盜賊不勝,〈師古曰:「滋,益也。不勝,言不可勝也。」〉至於赭衣塞路,羣盜滿山,卒以亂亡。故聖王務敎化而省禁防,知其不足恃也。

今、陛下は明徳を輝かせ、太平を建て、俊材を挙げ、学官を興し、三公や有司の中には窮巷から、白屋から起用され、土地を裂いて封じられた者もいる。宇内は日に日に教化され、方外も風に従っている。それでもなお盗賊がいるのは、郡国の二千石の罪であって、弓弩を携帯することの過ちではない。礼に言う、男子が生まれると、桑の弓と蓬の矢を持たせてこれを挙げるのは、事ある時に備えることを明示するためである。孔子は言われた、「私は何を執ろうか?射を執ろうか?」大射の礼は、天子から庶人に至るまで、三代の道である。『詩』に「大侯既に抗がり、弓矢斯れ張る。射夫既に同にし、爾が発功を献ず」とあるのは、的中を貴ぶことを言うのである。愚かにも聞く、聖王は射を合わせて教化を明らかにしたのであって、弓矢を禁じたとは聞かない。しかも禁じようとするのは、盗賊が攻撃や略奪に用いるためである。攻撃や略奪の罪は死罪であるが、それでも止まないのは、大奸は重い誅罰をも恐れないからである。臣は恐れる、邪悪な者が弓弩を携帯しても役人が止められず、善良な民が自衛のために法禁に触れるなら、それは賊の威を専有し民の救いを奪うことになる。窃かに考えるに、奸を禁じるのに益なく、先王の典を廃し、学者にその礼を習い行うことを得させないのは、大いに不便である。

原文今陛下昭明德,建太平,舉俊材,興學官,三公有司或由窮巷,起白屋,裂地而封,〈師古曰:「白屋,以白茅覆屋也。壽王言此者,並以譏公孫弘。」〉宇內日化,方外鄉風,〈師古曰:「鄉讀曰嚮。」〉然而盜賊猶有者,郡國二千石之罪,非挾弓弩之過也。禮曰男子生,桑弧蓬矢以舉之,明示有事也。〈師古曰:「有四方扞禦之事。」〉孔子曰:「吾何執?執射乎?」〈師古曰:「論語載孔子之言。」〉大射之禮,自天子降及庶人,三代之道也。《詩》云「大侯旣抗,弓矢斯張,射夫旣同,獻爾發功」,〈師古曰:「小雅賔之初筵之詩也。侯,所以居的,以皮爲之。天子射豹侯,諸侯射熊侯,卿大夫射麋侯,士射鹿豕侯。抗,舉也。射夫,衆射者也。同,同耦也。言旣舉大侯,又張弓矢,分耦而射,則獻其發矢中的之功也。」〉言貴中也。〈師古曰:「中音竹仲反。」〉愚聞聖王合射以明敎矣,未聞弓矢之爲禁也。且所爲禁者,爲盜賊之以攻奪也。攻奪之罪死,然而不止者,大姦之於重誅固不避也。臣恐邪人挾之而吏不能止,良民以自備而抵法禁,〈師古曰:「抵,觸也。」〉是擅賊威而奪民救也。〈師古曰:「擅,專也。」〉竊以爲無益於禁姦,而廢先王之典,使學者不得習行其禮,大不便。

上書が奏上されると、皇帝はこれをもって丞相の弘を難じた。弘は屈服して服した。

原文書奏,上以難丞相弘。弘詘服焉。

汾陰で宝鼎が得られると、武帝はこれを嘉し、宗廟に薦見し、甘泉宮に蔵した。群臣は皆、上寿して賀し言うには、「陛下は周の鼎を得られました。」寿王だけは周の鼎ではないと言った。皇帝はこれを聞き、召して問うて言うには、「今、朕は周の鼎を得たが、群臣は皆そうだと言い、寿王だけはそうではないと言う。どうしたことか。説明があれば許し、なければ死罪とする。」寿王が答えて言うには、「臣、どうして説明なしにいられましょうか!臣は聞きます、周の徳は后稷に始まり、公劉に長じ、大王に大となり、文武に成り、周公に顕れた。徳沢は上に明らかで、天下に漏泉のごとく、通じないところはなかった。上天が報応し、鼎は周のために現れたので、周鼎と名付けたのである。今、漢は高祖より周を継ぎ、また徳を明らかにし行いを顕わし、恩を布き恵を施し、六合が和同している。陛下に至っては、祖業を恢廓し、功徳はますます盛んで、天瑞が並び至り、珍祥がことごとく現れている。昔、秦の始皇帝は自ら彭城で鼎を探したが得られなかった。天は徳ある者に福を与え、宝鼎は自ら出た。これは天が漢に与えたものであり、すなわち漢の宝であって、周の宝ではない。」皇帝は言った、「よろしい。」群臣は皆、万歳を称えた。この日、寿王に黄金十斤を賜った。

原文及汾陰得寶鼎,武帝嘉之,薦見宗廟,臧於甘泉宮。群臣皆上壽賀曰:「陛下得周鼎。」壽王獨曰非周鼎。上聞之,召而問之,曰:「今朕得周鼎,羣臣皆以爲然,壽王獨以爲非,何也?有說則可,無說則死。」壽王對曰:「臣安敢無說!臣聞周德始乎后稷,長於公劉,大於大王,〈師古曰:「公劉,后稷曾孫也。大王,文王之祖,則古公亶父也。」〉成於文武,顯於周公。德澤上昭,天下漏泉,〈師古曰:「昭,明也。漏,言潤澤下霑如屋之漏。」〉無所不通。上天報應,鼎爲周出,故名曰周鼎。今漢自高祖繼周,亦昭德顯行,布恩施惠,六合和同。至於陛下,恢廓祖業,功德愈盛,天瑞並至,珍祥畢見。昔秦始皇親出鼎於彭城而不能得,天祚有德而寶鼎自出,此天之所以與漢,迺漢寶,非周寶也。」上曰:「善。」羣臣皆稱萬歲。是日,賜壽王黃金十斤。

後に事に坐して誅殺された。

原文後坐事誅。

主父偃

原文主父偃

主父偃は、斉国臨菑の人である。長短縦横の術を学び、遅くになって易、春秋、百家の言を学んだ。斉の諸子の間を遊学したが、諸儒生が互いに排斥し、斉に容れられなかった。家は貧しく、借りるものも得られず、北に燕、趙、中山を遊んだが、皆厚遇せず、客として甚だ困窮した。諸侯の中に遊ぶに足る者がいないと考え、元光元年、関に入って衛将軍に会った。衛将軍はたびたび皇帝に言上したが、皇帝は省みなかった。資金が乏しく、長く留まり、諸侯の賓客も多く彼を嫌ったため、ついに闕下に上書した。朝に奏上し、夕方に召されて入見した。言上した九つの事柄のうち、八つは律令に関する事柄で、一つは匈奴征伐を諫めることであった。言うには、

原文主父偃,齊國臨菑人也。學長短從橫術,〈服虔曰:「蘇秦法百家書說也。」師古曰:「長短解在〈張湯傳〉。從橫說在〈藝文志〉。」〉晚迺學易、春秋、百家之言。游齊諸子閒,〈師古曰:「諸子,諸侯王子。」〉諸儒生相與排儐,不容於齊。家貧,假貣無所得,〈師古曰:「貣音土得反。」〉北游燕、趙、中山,皆莫能厚,客甚困。以諸侯莫足游者,元光元年,迺入關見衞將軍。〈師古曰:「衞青。」〉衞將軍數言上,上不省。資用乏,留乆,諸侯賔客多厭之,迺上書闕下。朝奏,暮召入見。所言九事,其八事爲律令,一事諫伐匈奴,曰:

臣は聞く、明主は切諫を厭わずして広く観察し、忠臣は重誅を避けずして直諫する。この故に事は策を遺さず、功は万世に流れるのである。今、臣は忠を隠し死を避けて、愚かな計略を呈することを敢えてせず、願わくは陛下幸いに赦して少しこれを察せられんことを。

原文臣聞明主不惡切諫以博觀,忠臣不避重誅以直諫,是故事無遺策而功流萬世。今臣不敢隱忠避死,以效愚計,願陛下幸赦而少察之。

『司馬法』に曰く、「国は大なりといえども、戦を好めば必ず亡び、天下は平なりといえども、戦を忘れれば必ず危うし」と。天下が既に平定されると、天子は大愷(凱旋の楽)を奏し、春に蒐(狩猟)し秋に獮(狩猟)し、諸侯は春に旅(軍隊)を整え、秋に兵を治める。これは戦いを忘れないためである。かつ怒りは逆徳であり、兵は凶器であり、争いは末節である。古の人君は一たび怒れば必ず屍を伏せ血を流すので、聖王はこれを実行することを重んじた。戦勝に務め、武事を窮めても、後悔しない者はない。

原文《司馬法》曰:「國雖大,好戰必亡;天下雖平,忘戰必危。」〈師古曰:「司馬穰苴善用兵,著書言兵法,謂之司馬法。一說司馬,古主兵之官,有軍陳用兵之法。」〉天下旣平,天子大愷,〈應劭曰:「大愷,周禮還師振旅之樂也。」〉春蒐秋獮,諸侯春振旅,秋治兵,所以不忘戰也。〈師古曰:「春爲陽中,其行木也;秋爲陰中,其行金也。金、木,兵器所資,故於此時蒐獮治兵也。蒐,蒐索也,取不孕者。獮,應殺氣也。振,整;旅,衆也。獮音先淺反。」〉且怒者逆德也,兵者凶器也,爭者末節也。古之人君一怒必伏尸流血,故聖王重行之。〈師古曰:「重,難也。」〉夫務戰勝,窮武事,未有不悔者也。

昔、秦の皇帝は戦勝の威勢を任せ、天下を蚕食し、戦国を併呑し、海内を一つにし、功績は三代(夏・殷・周)に並んだ。勝つことに務めて休まず、匈奴を攻めようとした。李斯が諫めて言った、「なりません。匈奴には城郭の住居もなく、物資の貯蔵も守らず、鳥のように移動し、捕らえ制することが難しいのです。軽兵で深く入れば、食糧は必ず尽き、食糧を運搬して行けば、重くて事に及ばない。その地を得ても利益とするに足らず、その民を得ても調和させて守ることはできません。勝てば必ずこれを捨てるのであって、民の父母ではありません。中国を疲弊させ、匈奴に快く思わせるのは、完全な計略ではありません」。秦皇帝は聞き入れず、ついに蒙恬に兵を率いさせて胡を攻めさせ、千里の地を退け、黄河を境とした。土地はもともと沼沢で塩分が多く、五穀が生じない。その後、天下の丁男(成年男子)を徴発して北河を守らせた。兵を暴にし師を露わにして十余年、死者は数え切れず、ついに河を越えて北へ進むことはできなかった。これは果たして人の衆多が足りず、兵器が備わっていなかったからであろうか。その情勢が許さなかったのである。また天下に飛芻輓粟(緊急に飼料と食糧を輸送すること)を行わせ、黄・腄・琅邪など海に面した郡から起こし、北河へ転送輸送した。およそ三十鍾で一石が届く程度であった。男子は懸命に耕作しても糧餉に足らず、女子は紡績しても帷幕に足りなかった。百姓は疲弊し、孤児・寡婦・老人・弱者は互いに養うことができず、路上で死ぬ者が相望み、天下が叛き始めたのである。

原文昔秦皇帝任戰勝之威,蠶食天下,并吞戰國,海內爲一,功齊三代。務勝不休,欲攻匈奴,李斯諫曰:「不可。夫匈奴無城郭之居,委積之守,遷徙鳥舉,難得而制。輕兵深入,糧食必絕;運粮以行,重不及事。得其地,不足以爲利;得其民,不可調而守也。〈李竒曰:「不可和調也。」〉勝必棄之,非民父母。靡敝中國,甘心匈奴,〈師古曰:「靡,散也,音縻。其下類此。」〉非完計也。」秦皇帝不聽,遂使蒙恬將兵而攻胡,卻地千里,以河爲境。地固澤鹵,不生五穀,〈師古曰:「地多沮澤而鹹鹵。」〉然後發天下丁男以守北河。暴兵露師十有餘年,死者不可勝數,終不能踰河而北。是豈人衆之不足,兵革之不備哉?其埶不可也。又使天下飛芻輓粟,〈師古曰:「運載芻槀,令其疾至,故曰飛芻也。輓謂引車船也,音晚。」〉起於黃、腄、琅邪負海之郡,轉輸北河,〈師古曰:「黃、腄,二縣名也,並在東萊。言自東萊及琅邪緣海諸郡,皆令轉輸至北河也。腄音直瑞反,又音誰。」〉率三十鍾而致一石。〈師古曰:「六斛四斗爲鍾。計其道路所費,凡用百九十二斛,乃得一石至。」〉男子疾耕不足於糧餉,〈師古曰:「餉亦饟字。」〉女子紡績不足於帷幕。百姓靡敝,孤寡老弱不能相養,道死者相望,〈師古曰:「道死謂死於路也。」〉蓋天下始叛也。

高皇帝が天下を平定し、辺境で土地を攻略した時、匈奴が代谷の外に集結していると聞いてこれを撃とうとした。御史の成が諫めて言った、「なりません。匈奴は獣のように集まり鳥のように散り、これを追うのは影を打つようなものです。今、陛下の盛徳をもって匈奴を攻めるのは、臣はひそかに危惧します」。高帝は聞き入れず、ついに代谷に至り、果たして平城の包囲があった。高帝はこれを悔い、劉敬を遣わして和親を結ばせ、その後天下に干戈の事がなくなった。

原文及至高皇帝定天下,略地於邊,聞匈奴聚代谷之外而欲擊之。御史成諫曰:「不可。夫匈奴,獸聚而鳥散,從之如搏景,〈師古曰:「搏,擊也。搏人之陰景,言不可得也。」〉今以陛下盛德攻匈奴,臣竊危之。」高帝不聽,遂至代谷,果有平城之圍。高帝悔之,迺使劉敬往結和親,然後天下亡干戈之事。

故に兵法に曰く、「師十万を興せば、日費千金」と。秦は常に数十万の衆を集積したが、たとえ敵軍を覆し将を殺し、単于を捕虜にしても、かえって深い怨みを結ぶだけで、天下の費用を償うには足りなかった。匈奴は盗みを行い侵掠することを業とし、天性が本来そうなのである。上は虞・夏・殷・周から、もとよりこれを課役監督せず、禽獣のように畜養し、人として同等に扱わなかった。上(古)を観て虞・夏・殷・周の伝統を見ず、下(近世)に従って近世の過失を踏襲するのは、これが臣の大いに恐れるところであり、百姓が苦しむところである。かつ兵が長く続けば変事が生じ、事が苦しければ思慮が変易する。辺境の民を疲弊愁苦させ、将吏が互いに疑って外(敵国)と内通すれば、故に尉佗・章邯はその私心を成し遂げ、秦の政令は行われず、権力が二人に分かれた。これが得失の効果である。故に周書に曰く、「安危は令を出すに在り、存亡は用いる所に在り」と。願わくは陛下、よく計られてさらにこれを察せられんことを。

原文故兵法曰:「興師十萬,日費千金。」秦常積衆數十萬人,雖有覆軍殺將,係虜單于,〈師古曰:「覆音芳目反。」〉適足以結怨深讎,不足以償天下之費。夫匈奴行盜侵𢿛,所以爲業,天性固然。〈師古曰:「來侵邊境而𢿛略人畜也。𢿛與驅同,其字從攵,音普木反。」〉上自虞夏殷周,固不程督,〈師古曰:「程,課也。督,視責也。」〉禽獸畜之,不比爲人。夫不上觀虞夏殷周之統,而下循近世之失,此臣之所以大恐,百姓所疾苦也。且夫兵乆則變生,事苦則慮易。〈師古曰:「言思慮變易,失其常也。」〉使邊境之民靡敝愁苦,將吏相疑而外市,〈張晏曰:「與外國交市己利,若章邯之比也。」〉故尉佗、章邯得成其私,〈師古曰:「佗音徒何反。」〉而秦政不行,權分二子,此得失之效也。故周書曰:「安危在出令,存亡在所用。」〈師古曰:「此周書者,本尚書之餘。」〉願陛下孰計之而加察焉。

この時、徐楽・厳安もともに上書して世務を述べた。上書が奏上されると、上(皇帝)は三人を召し出して言った、「公たちは皆どこにいたのか。どうしてこんなに遅く会えたのだろうか」。そこで主父偃・徐楽・厳安を皆、郎中に任じた。偃はたびたび上疏して事を言い、謁者、中郎、中大夫と昇進した。一年のうちに四度の昇進をした。

原文是時,徐樂、嚴安亦俱上書言世務。書奏,上召見三人,謂曰:「公皆安在?何相見之晚也!」〈師古曰:「言皆者,各在何處。」〉迺拜偃、樂、安皆爲郎中。偃數上疏言事,遷謁者,中郎,中大夫。歲中四遷。

偃は上に説いて言った、「古の諸侯は地が百里を超えず、強弱の形勢は制しやすかった。今の諸侯はあるいは城を数十も連ね、地方千里に及び、平時は驕奢で淫乱になりやすく、緊急時はその強さを頼みとして合従し、京師に逆らう。今、法によって削減すれば、逆節が萌し起こる。前日の晁錯がそうである。今、諸侯の子弟はあるいは十数人いるが、嫡嗣だけが代わりに立ち、残りはたとえ骨肉でも、尺の地の封もない。すると仁孝の道が宣揚されない。願わくは陛下、諸侯に推恩して子弟に分け与え、土地をもって侯に封じることを許されたい。彼らは皆、望み通りになることを喜び、上は徳を施し、実質的にその国を分割するので、必ず次第に自ら弱体化するでしょう」。そこで上はその計略に従った。また上に説いて言った、「茂陵が初めて建てられたので、天下の豪傑・兼併の家で、民衆を乱す者は皆、茂陵に移住させることができます。内は京師を充実させ、外は奸猾を消滅させる。これがいわゆる誅殺せずして害を除くことです」。上はまたこれに従った。

原文偃說上曰:「古者諸侯地不過百里,彊弱之形易制。今諸侯或連城數十,地方千里,緩則驕奢易爲淫亂,急則阻其彊而合從以逆京師。〈師古曰:「從音子容反。」〉今以法割削,則逆節萌起,〈師古曰:「萌謂事之始生,如草木之萌芽也。」〉前日朝錯是也。今諸侯子弟或十數,而適嗣代立,〈師古曰:「適讀曰嫡。」〉餘雖骨肉,無尺地之封,則仁孝之道不宣。願陛下令諸侯得推恩分子弟,以地侯之。彼人人喜得所願,上以德施,實分其國,必稍自銷弱矣。」於是上從其計。又說上曰:「茂陵初立,天下豪桀兼并之家,亂衆民,皆可徙茂陵,內實京師,外銷姦猾,此所謂不誅而害除。」上又從之。

衛皇后を尊び立て、燕王定国の陰事を暴いたことについて、偃は功績があった。大臣たちは皆その口を恐れ、賄賂は千金に累積した。ある人が偃に説いて言った。「大いに横暴です!」偃は言った。「臣が結髪して遊学して四十余年、身は遂げられず、親は子とせず、兄弟は受け入れず、賓客は私を見捨て、私は困窮の日が久しい。丈夫たるもの、生きて五鼎の食をせずんば、死しては五鼎で烹られるのみだ!私は日暮れの身ゆえ、敢えて倒行逆施するのだ。」

原文尊立衞皇后及發燕王定國陰事,偃有功焉。大臣皆畏其口,賂遺累千金。或說偃曰:「大橫!」〈師古曰:「橫音胡孟反。」〉偃曰:「臣結髮游學四十餘年,身不得遂,〈師古曰:「遂猶達也。」〉親不以爲子,昆弟不收,賔客棄我,我阸日乆矣。丈夫生不五鼎食,死則五鼎亨耳!〈張晏曰:「五鼎食,牛、羊、豕、魚,麋也。諸侯五,卿大夫三。」師古曰:「五鼎亨之,謂被鑊亨之誅。」〉吾日暮,故倒行逆施之。」〈師古曰:「暮言年齒老也。倒行逆施,謂不遵常理。此語本出五子胥,偃述而稱之。」〉

偃は盛んに朔方の地が肥沃で豊饒であり、外は黄河に阻まれ、蒙恬が城を築いて匈奴を駆逐し、内では転輸や戍漕を省き、中国を広め、胡を滅ぼす根本であると述べた。上はその説を覧し、公卿に下して議させたが、皆不便であると言った。公孫弘は言った。「秦の時、かつて三十万の衆を発して北河を築いたが、結局成らず、やがて放棄した。」朱買臣が弘を難詰して屈服させたので、遂に朔方を置いたが、これは元々偃の計略であった。

原文偃盛言朔方地肥饒,外阻河,蒙恬城以逐匈奴,內省轉輸戍漕,廣中國,滅胡之本也。上覽其說,下公卿議,皆言不便。公孫弘曰:「秦時甞發三十萬衆築北河,終不可就,〈師古曰:「就,成也。」〉已而棄之。」朱買臣難詘弘,遂置朔方,本偃計也。

元朔年間、偃は斉王に内に淫佚の行いがあると上言した。上は偃を斉の相に任命した。斉に至ると、兄弟や賓客をことごとく召し、五百金をばらまいて与え、責めて言った。「初め私が貧しかった時、兄弟は私に衣食を与えず、賓客は私を門内に入れなかった。今、私が斉の相となると、諸君は私を千里も迎えに来る。私は諸君と縁を切る。二度と偃の門に入るな!」そこで人を使って、王が姉と姦通したことを王に突きつけて動揺させた。王はついに逃れられないと思い、燕王のように死罪にされるのを恐れ、遂に自殺した。

原文元朔中,偃言齊王內有淫失之行,〈師古曰:「失讀曰佚,音尹一反。」〉上拜偃爲齊相。至齊,徧召昆弟賔客,散五百金予之,數曰:〈師古曰:「數,責也。數音所具反。」〉「始吾貧時,昆弟不我衣食,賔客不我內門,〈師古曰:「衣音於旣反。食讀曰飤。內門,謂內之於門中也。」〉今吾相齊,諸君迎我或千里。吾與諸君絕矣,毋復入偃之門!」迺使人以王與姊姦事動王。王以爲終不得脫,恐效燕王論死,迺自殺。

偃が初めて布衣であった時、かつて燕、趙を遊歴し、その貴くなってから、燕の事を暴いた。趙王は彼が国の患いとなることを恐れ、上書してその陰事を言おうとしたが、中央に居るため、敢えて発しなかった。彼が斉の相となり、関を出ると、すぐに人を使って上書し、偃が諸侯から金を受け取り、それゆえ諸侯の子弟の多くが封を得られたと告発した。斉王が自殺したと聞くと、上は大いに怒り、偃がその王を脅迫して自殺させたと考え、遂に召し下して吏に治めさせた。偃は諸侯から金を受けたことは認めたが、実際に斉王を脅迫して自殺させたわけではなかった。上は誅殺するのをやめようとしたが、公孫弘が争って言った。「斉王は自殺して後嗣がなく、国は除かれて郡となり、漢に入りました。偃はそもそも首悪です。偃を誅殺しなければ天下に謝罪することはできません。」遂に偃を族誅した。

原文偃始爲布衣時,甞游燕、趙,及其貴,發燕事。趙王恐其爲國患,欲上書言其陰事,爲居中,不敢發。及其爲齊相,出關,即使人上書,告偃受諸侯金,以故諸侯子多以得封者。及齊王以自殺聞,上大怒,以爲偃劫其王令自殺,迺徵下吏治。偃服受諸侯之金,實不劫齊王令自殺。上欲勿誅,公孫弘爭曰:「齊王自殺無後,國除爲郡,入漢,偃本首惡,非誅偃無以謝天下。」迺遂族偃。

偃が貴幸の盛んな時、客は数千に及んだが、族誅されて死ぬと、一人として見舞う者はなく、ただ孔車だけが収めて葬った。上はこれを聞き、車を長者とした。

原文偃方貴幸時,客以千數,及族死,無一人視,獨孔車收葬焉。上聞之,以車爲長者。

徐樂

原文徐樂

徐樂は、燕の無終の人である。上書して言った。

原文徐樂,燕無終人也。上書曰:

臣は聞く、天下の患いは土崩にあるのであって、瓦解にあるのではない。古今とも同じである。

原文臣聞天下之患在於土崩,不在瓦解,古今一也。

何を土崩というか。秦の末世がこれである。陳勝は千乗の尊さもなく、強固な土地もなく、身は王公大人や名族の後裔でもなく、郷里の称賛もなく、孔丘、曾参、墨子のような賢さも、陶朱、猗頓のような富もなかった。しかし窮巷から起こり、棘矜を奮い起こし、片肌を脱いで大声をあげると、天下は風に従った。この故は何か。民が困窮しているのに主が憐れまず、下が怨んでいるのに上が知らず、風俗が既に乱れているのに政治が修まらない、この三つが陳勝の頼みとした所以である。これを土崩という。故に天下の患いは土崩にあるというのである。

原文何謂土崩?秦之末世是也。陳涉無千乘之尊,疆土之地,身非王公大人名族之後,鄉曲之譽,非有孔、曾、墨子之賢,陶朱、猗頓之富也。然起窮巷,奮棘矜,〈師古曰:「棘,戟也。矜者,戟之把也。時秦銷兵器,故但有戟之把耳。矜音巨巾反。此下亦同。」〉偏袒大呼,天下從風,〈師古曰:「呼音火故反。」〉此其故何也?由民困而主不恤,下怨而上不知,俗已亂而政不脩,此三者陳涉之所以爲資也。此之謂土崩。故曰天下之患在乎土崩。

何を瓦解というか。呉、楚、斉、趙の兵がこれである。七国は大逆を謀り、皆万乗の君と称し、帯甲数十万、威は十分にその境内を厳しくし、財は十分にその士民を勧めるに足りた。しかし西に向かって尺寸の地を攘うこともできず、かえって中原で捕らえられた。この故は何か。権力が匹夫より軽く、兵が陳勝より弱かったからではない。当の時、先帝の徳が未だ衰えず、安土楽俗の民が多かったので、諸侯には境外の助けがなかったのである。これを瓦解という。故に天下の患いは瓦解にはないというのである。

原文何謂瓦解?吳、楚、齊、趙之兵是也。七國謀爲大逆,號皆稱萬乘之君,帶甲數十萬,威足以嚴其境內,財足以勸其士民,然不能西攘尺寸之地,〈師古曰:「攘謂侵取漢地。」〉而身爲禽於中原者,此其故何也?非權輕於匹夫而兵弱於陳涉也,當是之時先帝之德未衰,而安土樂俗之民衆,故諸侯無竟外之助。〈師古曰:「竟讀曰境。其下同。」〉此之謂瓦解。故曰天下之患不在瓦解。

このことから見れば、天下に真に土崩の勢いがあるならば、たとえ布衣の貧窮した処士であっても、ある者は首唱して難を起こし、海内を危うくすることができる。陳勝がこれである。まして韓・趙・魏の君主のような者が存続しているならばなおさらであろう。天下がまだ治まっていなくても、真に土崩の勢いがなければ、たとえ強国や精鋭の兵があっても、踵を返す間もなく身を捕らわれることになる。呉楚七国の乱がこれである。まして群臣や百姓が乱を起こすことなどできようか。この二つの事態は、安と危の明らかな要点であり、賢明な君主が留意して深く考察すべきものである。

原文由此觀之,天下誠有土崩之埶,雖布衣窮處之士或首難而危海內,〈師古曰:「首難謂首唱而作難也。」〉陳涉是也,況三晉之君或存乎?〈師古曰:「韓、趙、魏三國本共分晉,故稱三晉。」〉天下雖未治也,誠能無土崩之埶,雖有彊國勁兵,不得還踵而身爲禽,〈師古曰:「還讀曰旋。」〉吳楚是也,況羣臣百姓,能爲亂乎?此二體者,安危之明要,賢主之所留意而深察也。

近ごろ、関東では五穀がたびたび実らず、年が豊かにならず、民は多く窮困に陥っている。これに辺境の事態が重なっている。道理を推し量って観察すれば、民はその住むところに安住できない状態にあるはずである。安住できないから動きやすく、動きやすいということは、土崩の勢いである。だから賢明な君主はただ一人で万物変化の根源を観察し、安危の機微を明らかにし、廟堂の上でこれを修め、まだ形にならない禍患を消し去るのである。その要は、期して天下に土崩の勢いがないようにするだけである。だからたとえ強国や精鋭の兵があっても、陛下が走獣を追い、飛鳥を射ち、遊猟の苑囿を広げ、放縦で気ままな観覧を尽くし、駆け回る楽しみを極めても、平常どおりでよい。金石や絲竹の音が耳から絶えることがなく、帷幄の中の私的な楽しみや俳優や侏儒の笑いが面前に欠けることがなくても、天下に長く続く憂いはない。名君は必ずしも夏の禹や子姓の湯である必要はなく、風俗は必ずしも成王・康王の時代である必要はない。とはいえ、臣はひそかに陛下の天性の資質、寛仁な素養をもって、真に天下を務めとされれば、湯王や文王に並ぶことは難しくなく、成王・康王の時代の風俗が必ずしも復興しないとは限らないと思う。この二つの事態が確立してこそ、その後、尊厳で安泰な実を享受し、広大な名誉を当世に揚げ、天下を親しませ四夷を服従させ、余った恩恵と遺された徳が数世代にわたって盛んとなり、南面して扆に背き、袖を整えて王公に揖拝することができる。これが陛下のなさるべきことである。臣は聞く、王道を図って成し遂げられなくても、その末路はなお安泰をもたらすに足ると。安泰であれば、陛下は何を求めて得られず、何の威厳を成し遂げられず、何を征して服従させられないことがあろうか。

原文間者,關東五穀數不登,年歲未復,〈師古曰:「復音扶目反。」〉民多窮困,重之以邊境之事,〈師古曰:「重音直用反。」〉推數循理而觀之,民宜有不安其處者矣。不安故易動,易動者,土崩之埶也。故賢主獨觀萬化之原,明於安危之機,脩之廟堂之上,而銷未形之患也。其要,期使天下無土崩之埶而已矣。故雖有彊國勁兵,陛下逐走獸,射飛鳥,弘游燕之囿,淫從恣之觀,極馳騁之樂,自若。〈師古曰:「自若者,言如其常,無所廢損也。從讀曰縱。」〉金石絲竹之聲不絕於耳,帷幄之私俳優朱儒之笑不乏於前,而天下無宿憂。〈師古曰:「宿,乆也。」〉名何必夏、子,俗何必成、康!〈服虔曰:「夏,禹也。子,湯也。湯,子姓。」〉雖然,臣竊以陛下天然之質,寬仁之資,而誠以天下爲務,則湯、文不難侔,而成、康之俗未必不復興也。〈師古曰:「侔,等也。」〉此二體者立,然後處尊安之實,揚廣譽於當世,親天下而服四夷,餘恩遺德爲數世隆,南面背依攝袂而揖王公,〈師古曰:「依讀曰扆。已解於上。」〉此陛下之所服也。〈師古曰:「服,事也。」〉臣聞圖王不成,其敝足以安。〈師古曰:「言其敝末之法,猶足自安也。」〉安則陛下何求而不得,何威而不成,奚征而不服哉?〈師古曰:「奚,何也。」〉