漢書

司馬相如しばそうじょ伝 第二十七 下

司馬相如(下)

原文司馬相如(下)

相如が郎となって数年が経った時、ちょうどとう蒙が夜郎やろう僰中ぼくちゅうを略して通じさせようとし、〈師古しこが言うには、「行って取ることを略という。夜郎・僰中は、いずれも西南である。僰の音は蒲北の反切である。」〉巴蜀の吏しゅつ千人を徴発し、郡もまた多く転漕(輸送)の者一万余人を徴発し、軍興の法を用いてその渠率(首領)を誅殺した。〈師古が言うには、「渠はおおである。」〉巴蜀の民は大いに驚き恐れた。上(皇帝)はこれを聞き、そこで相如を遣わして唐蒙らを責めさせ、その機会に巴蜀の民に諭告して、これは上(皇帝)の意ではないことを知らせた。檄文に言う。

原文相如爲郎數歲,會唐蒙使略通夜郎、僰中,〈師古曰:「行取曰略。夜郎、僰中,皆西南夷也。僰音蒲北反。」〉發巴蜀吏卒千人,郡又多爲發轉漕萬餘人,用軍興法誅其渠率。〈師古曰:「渠,大也。」〉巴蜀民大驚恐。上聞之,乃遣相如責唐蒙等,因諭告巴蜀民以非上意。檄曰:

巴蜀太守に告ぐ。蛮夷ばんいは勝手に振る舞い、討伐しない日が久しい。時に辺境を侵犯し、士大夫を労する。陛下が即位され、天下を慰撫し、中国を安んじ集めた後、軍を起こし兵を出し、北は匈奴を征伐し、単于は怖れ驚き、腕を交わして事を受け、膝をくつして和を請うた。康居こうきょ・西域は、重ねて通訳を介して貢ぎ物を納め、稽首して来朝し、祭祀に与った。〈師古が言うには、「来て朝覲し、あらかじめ享祀に与るのである。一説に、享は献であり、その国の珍物を献上するのである。」〉軍を移して東を指せば、えつびんえつは互いに誅殺し合い;右(西)番禺はんぐうを弔い、太子が入朝した。〈文穎ぶんえいが言うには、「弔は至である。番禺は南海郡の治所である。東に越を伐ち、後に番禺に至ったので、右と言うのである。」師古が言うには、「南越が東越に伐たれ、漢が兵を発してこれを救った。南越は天子の徳恵を蒙ったので、太子を遣わして入朝させた。それゆえ弔うと言うのであって、至と訓じるのではない。」〉南夷の君、西僰せいはくの長は、常に貢職を尽くし、敢えて怠ることはなく、首を延べ踵を挙げ、喁喁然ぎょぎょぜんとして、〈師古が言うには、「喁喁は、衆口が上を向く様子である。音は魚龍の反切である。」〉皆、風にかい義を慕い、〈師古が言うには、「郷は嚮と読む。」〉臣妾となろうと欲したが、道里は遠く、山川が阻み深く、自ら至ることができなかった。〈師古が言うには、「致は至である。」〉したがじない者はすでに誅され、善を行う者はまだ賞されていない。それゆえ中郎将を遣わして賓客として遇し、巴蜀の士各五百人を徴発して幣帛を奉じさせ、使者に変事がないよう護衛させたのである。〈張揖ちょうゆうが言うには、「然らざる変事である。」〉兵革の事はなく、戦闘の患いはなかった。今、聞くところによれば、彼(唐蒙)は軍興の制を発し、〈師古が言うには、「発軍の法をもって衆を興す制としたのである。」〉子弟を驚かせ懼れさせ、長老を憂い患わせ、郡もまた勝手に粟を転送し運輸したという。これらは皆、陛下の意ではない。当該の行者の中には逃亡したり自ら害したりする者もいるが、〈師古が言うには、「賊は害と同じである。」〉これもまた人臣の節ではない。

原文告巴蜀太守:蠻夷自擅,不討之日乆矣,時侵犯邊境,勞士大夫。陛下即位,存撫天下,集安中國,然後興師出兵,北征匈奴,單于怖駭,交臂受事,屈膝請和。康居西域,重譯納貢,稽首來享。〈師古曰:「來入朝覲,豫享祀也。一曰享,獻也,獻其國珍也。」〉移師東指,閩越相誅;右弔番禺,太子入朝。〈文穎曰:「弔,至也。番禺,南海郡治也。東伐越,後至番禺,故言右也。」師古曰:「南越爲東越所伐,漢發兵救之,南越蒙天子德惠,故遣太子入朝,所以云弔耳,非訓至也。」〉南夷之君,西僰之長,常效貢職,不敢惰怠,延頸舉踵,喁喁然,〈師古曰:「喁喁,衆口向上也,音魚龍反。」〉皆鄉風慕義,〈師古曰:「鄉讀曰嚮。」〉欲爲臣妾,道里遼遠,山川阻深,不能自致。〈師古曰:「致,至也。」〉夫不順者已誅,而爲善者未賞,故遣中郎將徃賔之,發巴蜀之士各五百人以奉幣,衞使者不然,〈張揖曰:「不然之變也。」〉靡有兵革之事,戰鬬之患。今聞其乃發軍興制,〈師古曰:「以發軍之法爲興衆之制也。」〉驚懼子弟,憂患長老,郡又擅爲轉粟運輸,皆非陛下之意也。當行者或亡逃自賊殺,〈師古曰:「賊猶害也。」〉亦非人臣之節也。

辺境の郡の兵士たちは、烽火が上げられ、のろしが焚かれると聞けば、皆、弓を引き絞って駆け出し、武器を担いで走り、汗を流して次々と続き、ただ遅れを取ることを恐れ、白刃に触れ、飛び交う矢を冒し、決して振り返らず、踵を返すことを考えず、人は皆、怒りの心を抱き、まるで私的な仇を討つかのようである。彼らはどうして死を好み生を嫌い、戸籍に編入された民ではなく、巴蜀の民と君主を異にする者であろうか。計略は深く、慮りは遠く、国家の難を急ぎ、人臣の道を尽くすことを喜んでいるのである。それゆえ、符節を割って封じられ、圭玉を分けて爵位を与えられ、位は通侯に至り、東第に住む。終わりには後世に顕著なしょう号を遺し、土地を子孫に伝え、行いは非常に忠敬であり、地位にあっては非常に安楽であり、名声は無限に広がり、功績は顕著で滅びることがない。このため、賢人君子は、肝脳を中原に塗り、膏液を野草に潤しても辞さないのである。今、幣帛を捧げて南夷に役務に赴き、自ら害を加えて死に、あるいは逃亡して誅罰に至り、身を死なせて名を残さず、おくりなを至愚とされ、恥辱が父母に及び、天下の笑いものとなる。人の度量の隔たりは、なんと遠いことか。しかし、これは単に行動した者の罪ではなく、父兄の教えが先んじず、子弟の模範が謹んでおらず、廉恥心が薄く、風俗が厚くないのである。彼らが刑罰を受け、殺されるのは、まさに当然ではないか。

原文夫邊郡之士,聞㷭舉燧燔,〈孟康曰:「㷭如覆米䉛,縣著契臯頭,有寇則舉之。燧,積薪,有寇則燔然之也。」〉皆攝弓而馳,荷兵而走,〈師古曰:「攝謂張弓注矢而持之也。攝音女涉反。」〉流汗相屬,惟恐居後,〈師古曰:「屬,逮也,音之欲反。」〉觸白刃,冒流矢,〈師古曰:「冒,犯也。」〉議不反顧,計不旋踵,人懷怒心,如報私讎。彼豈樂死惡生,非編列之民,而與巴蜀異主哉?〈師古曰:「編列,謂編戶也。編音布先反。」〉計深慮遠,急國家之難,而樂盡人臣之道也。故有剖符之封,析圭而爵,位爲通侯,〈如淳曰:「析,中分也。白藏天子,青在諸侯也。」〉居列東第。〈師古曰:「東第,甲宅也。居帝城之東,故曰東第也。」〉終則遺顯號於後世,傳土地於子孫,事行甚忠敬,居位甚安佚,〈師古曰:「佚,樂也,讀與逸同。」〉名聲施於無窮,功烈著而不滅。是以賢人君子,肝腦塗中原,膏液潤埜屮而不辭也。〈師古曰:「埜與野同,古野字也。屮,古草字。」〉今奉幣役至南夷,即自賊殺,或亡逃抵誅,〈師古曰:「抵,至也,亡逃而至於誅也。」〉身死無名,〈師古曰:「無善名也。」〉謚爲至愚,〈師古曰:「謚者,行之跡也。終以愚死,後葉傳稱,故謂之謚。」〉恥及父母,爲天下笑。人之度量相越,豈不遠哉!然此非獨行者之罪也,父兄之敎不先,子弟之率不謹,〈師古曰:「不先者,謂往日不素敎之也。」〉寡廉鮮恥,而俗不長厚也。〈師古曰:「寡、鮮,皆少也。鮮音息淺反。」〉其被刑戮,不亦宜乎!

陛下は、使者や役人のあのようなあり方を憂い、不肖の愚民のこのようなあり方を悲しまれ、それゆえまこと実な使者を遣わし、兵卒を徴発することについて百姓に明らかに諭し、それによって不忠と死罪の罪を責め、三老や孝悌に教誨が行き届かなかった過ちを責められた。今は田畑の季節であり、百姓を煩わせることを重んじず、すでに近県の者には直接お会いになったが、遠方の渓谷や山沢の民に広く知らせないことを恐れ、この檄文が到着したら、急いで県や道に下し、皆に陛下の御心を諭し、怠ってはならない。

原文陛下患使者有司之若彼,悼不肖愚民之如此,故遣信使,〈師古曰:「誠信之人以爲使也。」〉曉諭百姓以發卒之事,〈師古曰:「諭,告也。」〉因數之以不忠死亡之罪,〈師古曰:「數,責也,音所具反。」〉讓三老孝弟以不敎誨之過。〈師古曰:「讓,責也,責其敎誨不備也。」〉方今田時,重煩百姓,〈師古曰:「重,難也,不欲召聚之也。」〉已親見近縣,〈師古曰:「近縣之人,使者以自見而口諭之矣,故爲檄文馳以示遠所也。」〉恐遠所谿谷山澤之民不徧聞,檄到,亟下縣道,〈師古曰:「亟,急也。縣有蠻夷曰道。」〉咸諭陛下意,毋忽!〈師古曰:「忽,怠忽也。」〉

相如(司馬相如)が帰還して報告した。〈師古が言うには、「使いを終えて天子に報告したのである。」〉唐蒙はすでに夜郎をほぼ通じさせ、それによって西南夷への道を通じさせ、巴・蜀・広漢の兵卒を徴発し、工事に従事する者は数万人に及んだ。道を整備すること二年、道は完成せず、士卒は多く死亡し、〈師古が言うには、「物故とは、死ぬことである。解釈は蘇武伝にある。」〉費用は億万の単位で計算された。蜀の民衆および漢の政務担当者の多くはその不便さを訴えた。この時、きょうさくの君長〈文穎が言うには、「邛とは、今の邛都県である。莋とは、今の定莋県である。」師古が言うには、「莋は、才各反さくと読む。」〉は、南夷が漢と通じ、多くの賞賜を得たと聞き、多くが内臣妾となることを望み、官吏を置いてほしいと請い、南夷と同様に扱われたいと願った。上(武帝)が相如に問うと、相如は言った。「邛・莋・ぜんぼうは蜀に近く、道は通じやすいです。〈師古が言うには、「今の夔州・開州などの首領で姓が冉の者は、皆かつての冉の種族である。駹はぼうと読む。」〉かつては郡県として通じていたことがあります。〈師古が言うには、「異時とは、往時のことである。」〉漢が興ってから廃止されました。今、もしほん当に再び通じさせ、県を置くならば、南夷よりも優れています。」〈晉灼が言うには、「南夷とは犍為・牂牁を指す。西夷とは越巂・益州を指す。」師古が言うには、「愈とは、勝るということである。」〉上はこれをもっともだと考え、そこで相如を中郎将に任命し、節(使者のしるし)を建てて使いに赴かせた。副使者は王然于・壺充國・呂越人で、四頭立ての伝車を駆って、〈師古が言うには、「伝は張戀反でんと読む。」〉巴・蜀の官吏を通じて貨幣や物品を用いて西南夷を賄賂で懐柔した。蜀に至ると、太守以下が郊外で出迎え、〈師古が言うには、「郊界の上で迎えたのである。」〉県令は弩矢を背負って先導し、〈師古が言うには、「道案内をすることである。」〉蜀の人々はこれを光栄とした。そこで卓王孫・臨邛の諸公は皆、相如の門下を通じて牛や酒を献上して歓待の意を示した。卓王孫は慨然として嘆き、自分の娘を司馬長卿(相如)に嫁がせたのが遅かったと自ら思い、〈師古が言うには、「尚とは、配偶とする意味で、尚公主と同じ意味である。今の流俗書本ではこの尚の字を當としているが、これは後人が前に『文君恐不得當』とあるのを見て、この文をそれに合わせて改めたのであろう。」〉そこで娘に財産を多く分け与え、男子と同等にした。相如が使いとして西南夷をほぼ平定すると、邛・莋・冉・駹・斯榆しゆの君長たちは皆、臣妾となることを請い、辺境の関所を撤去したので、辺境の関所はますます開け広げられ、〈師古が言うには、「斥とは、開け広げることである。」〉西はばい水・若水に至り、〈張揖が言うには、「沬水は蜀の広平の徼外(境界外)から出る。若水は旄牛の徼外から出る。」師古が言うには、「沬はばいと読む。」〉南は牂牁に至るまでを境界とし、〈張揖が言うには、「徼とは、木や石、水で境界をなすものをいう。」如淳じょじゅんが言うには、「斯榆の君などが自ら進んで辺境の関所を取りのぞき、牂牁とともに徼塞(境界の防塞)を作ろうとしたのである。」師古が言うには、「徼は工釣反きょうと読む。」〉霊山の道を通じさせ、孫水に橋を架け、〈張揖が言うには、「霊山の道を開鑿し、霊道県を置いた。孫水は臺登県から出て、南に流れて会無で若水に入る。」師古が言うには、「孫水の上に橋を架けたのである。」〉邛・莋への通路を開いた。帰還して報告すると、天子(武帝)は大いに喜んだ。〈師古が言うには、「説はよろこぶと読む。」〉

原文相如還報。〈師古曰:「使訖還報天子也。」〉唐蒙已略通夜郎,因通西南夷道,發巴蜀廣漢卒,作者數萬人。治道二歲,道不成,士卒多物故,〈師古曰:「物故,死也。解在蘇武傳。」〉費以億萬計。蜀民及漢用事者多言其不便。是時邛、莋之君長〈文穎曰:「邛者,今爲邛都縣。莋者,今爲定莋縣。」師古曰:「莋,才各反。」〉聞南夷與漢通,得賞賜多,多欲願爲內臣妾,請吏,比南夷。上問相如,相如曰:「邛、莋、冉、駹者近蜀,道易通,〈師古曰:「今夔州、開州等首領姓冉者,皆舊冉種也。駹音尨。」〉異時甞通爲郡縣矣,〈師古曰:「異時猶言往時也。」〉至漢興而罷。今誠復通,爲置縣,愈於南夷。」〈晉灼曰:「南夷謂犍爲、牂牁也。西夷謂越巂、益州也。」師古曰:「愈,勝也。」〉上以爲然,乃拜相如爲中郎將,建節徃使。副使者王然于、壺充國、呂越人,馳四乘之傳,〈師古曰:「傳音張戀反。」〉因巴蜀吏幣物以賂西南夷。至蜀,太守以下郊迎,〈師古曰:「迎於郊界之上也。」〉縣令負弩矢先驅,〈師古曰:「導路也。」〉蜀人以爲寵。於是卓王孫、臨邛諸公皆因門下獻牛酒以交驩。卓王孫喟然而歎,自以得使女尚司馬長卿晚,〈師古曰:「尚猶配也,義與尚公主同。今流俗書本此尚字作當,蓋後人見前云文君恐不得當,故改此文以就之耳。」〉乃厚分與其女財,與男等。相如使略定西南夷,邛、莋、冉、駹、斯榆之君皆請爲臣妾,除邊關,邊關益斥,〈師古曰:「斥,開廣也。」〉西至沬、若水,〈張揖曰:「沬水出蜀廣平徼外。若水出旄牛徼外。」師古曰:「沬音妹。」〉南至牂牁爲徼,〈張揖曰:「徼謂以木石水爲界者也。」如淳曰:「斯榆之君等自求去邊關,欲與牂牁作徼塞也。」師古曰:「徼音工釣反。」〉通靈山道,橋孫水,〈張揖曰:「鑿開靈山道,置靈道縣。孫水出臺登縣,南至會無入若水。」師古曰:「於孫水上作橋也。」〉以通邛、莋。還報,天子大說。〈師古曰:「說讀曰悅。」〉

相如が使いに出た時、蜀の長老の多くは西南夷を通じさせても役に立たないと言い、大臣たちもそう考えていた。相如は諫めようとしたが、すでに自分がこのことを建策したので、敢えてできず、〈師古が言うには、「もともと相如がこの事を立てたので、さらに諫めることができなかったのである。」〉そこで書物を著し、蜀の父老を借りて言葉とし、自分がそれに詰問・反論する形で、天子をふう諫し、〈師古が言うには、「藉とは、仮りとする意味である。風は諷と読む。」〉かつ、自分の使者としての趣旨を宣べ伝え、百姓たちに皆、天子の意図を知らしめようとした。その文辞は次のようである。

原文相如使時,蜀長老多言通西南夷之不爲用,大臣亦以爲然。相如欲諫,業已建之,不敢,〈師古曰:「本由相如立此事,故不敢更諫也。」〉乃著書,藉蜀父老爲辭,而己詰難之,以風天子,〈師古曰:「藉,假也。風讀曰諷。」〉且因宣其使指,令百姓皆知天子意。其辭曰:

漢が興って七十八年、その徳の盛んなことは六代の間に存し、威武は盛んに、深い恩恵は広大で、すべての生き物は潤いを受け、その影響は四方の外にまであふれ出た。そこで使者を命じて西征させ、流れに従って退け、風の吹くところ、靡かないものはなかった。これにより冉や駹を朝貢させ、莋を平定し邛を存続させ、斯榆を攻略し苞蒲ほうほを挙げ、車の跡を曲げながえを返し、東に向かって報告しようと、蜀都に至った。

原文漢興七十有八載,德茂存乎六世,威武紛紜,湛恩汪濊,〈師古曰:「紛云,盛貌。汪濊,深廣也。湛讀曰沈。汪音烏皇反。濊音於喙反。」〉羣生霑濡,洋溢乎方外。〈師古曰:「洋音羊。」〉於是乃命使西征,隨流而攘,〈師古曰:「攘,卻退也,音人羊反。」〉風之所被,罔不披靡。〈師古曰:「被音丕靡反。」〉因朝冉從駹,定莋存邛,略斯榆,舉苞蒲,結軌還轅,東鄉將報,〈師古曰:「結,屈也。軌,車跡也。鄉讀曰嚮。報,報天子也。」〉至于蜀都。

長老や大夫、搢紳しんしん先生の類い二十七人が、厳然として訪ねて来た。挨拶が終わると、進み出て言った。「聞くところによれば、天子が夷狄に対しては、その道理はただ繋ぎ留めて絶やさないだけであると。今、三郡の兵士を疲弊させ、夜郎への道を通じさせてから三年になるが、功績はまだ成らず、士卒は労苦し、万民は豊かでない。今また西夷と接し、百姓の力は尽き、恐らく事業を終えることはできないでしょう。これも使者の負担であり、ひそかにあなた方のため心配しています。そもそも邛・莋・西僰は中国と並び立っており、経過した年数は多く、もはや記録しきれません。仁者は徳をもって招来せず、強者は力をもって併合しないのは、おそらく不可能だからでしょう。今、斉民(一般民衆)を切り捨てて夷狄に付け加え、頼りとするものを疲弊させて無用のものに仕えさせるとは、私のような鄙びた者は固陋で、言わんとすることが分かりません。」

原文耆老大夫搢紳先生之徒二十有七人,儼然造焉。〈師古曰:「造,至也,音千到反。」〉辭畢,進曰:〈師古曰:「辭謂初謁見之辭。」〉「蓋聞天子之於夷狄也,其義羈縻勿絕而已。〈師古曰:「羈,馬絡頭也。縻,牛紖也。言牽制之,故取諭也。」〉今罷三郡之士,通夜郎之塗,〈師古曰:「罷讀曰疲。」〉三年於茲,而功不竟,士卒勞倦,萬民不贍;今又接之以西夷,百姓力屈,恐不能卒業,〈師古曰:「屈,盡也。卒,終也。業,事也。屈音其勿反。」〉此亦使者之累也,〈師古曰:「累音力瑞反。」〉竊爲左右患之。且夫邛、莋、西僰之與中國並也,歷年茲多,不可記已。〈師古曰:「已,語終之辭也。」〉仁者不以德來,強者不以力并,意者殆不可乎!〈師古曰:「言古往帝王雖有仁德,不能招來之,雖有強力,不能并吞之,以其險遠,理不可也。」〉今割齊民以附夷狄,弊所恃以事無用,〈師古曰:「所恃即中國之人也,無用謂西南夷也。」〉鄙人固陋,不識所謂。」

使者は言った。「どうしてそのようなことを言うのか。もしあなたの言う通りなら、それは蜀が服を変えず、巴が俗を化さないことになる。私はまだそのような説を聞くのを嫌っている。しかし、この事柄は重大であり、もとより見る者の見るところではない。私の行程は急であり、詳しいことは聞くことができない。大夫のために大略を粗く述べよう。

原文使者曰:「烏謂此乎?〈師古曰:「烏,於何也。」〉必若所云,則是蜀不變服而巴不化俗也,僕尚惡聞若說。〈師古曰:「尚,猶也。若,如也。言僕猶惡聞如此之說,況乎遠識之人也。惡音一故反。」〉然斯事體大,固非觀者之所覯也。〈師古曰:「覯,見也,音搆。」〉余之行急,其詳不可得聞已。〈師古曰:「言行程急速,不暇爲汝詳言之。」〉請爲大夫粗陳其略:〈師古曰:「粗猶麄也,音千戶反。」〉

およそ世には必ず並外れた人がいて、その後には並外れた事があり、並外れた事があって、その後には並外れた功績がある。並外れたものは、もとより常人の異とする所である。だから言う、並外れた事の始まりには、黎民(民衆)は恐れるが、その完成に至れば、天下は安らかであると。

原文蓋世必有非常之人,然后有非常之事;有非常之事,然后有非常之功。非常者,固常人之所異也。〈師古曰:「常人見之以爲異也。」〉故曰非常之元,黎民懼焉;〈師古曰:「元,始也。非常之事,其始難知,衆人懼之。」〉及臻厥成,天下晏如也。〈師古曰:「臻,至也。晏,安也。」〉

昔、洪水が沸き起こって溢れ出し、氾濫して広がり、民衆は高地に登ったり低地に降りたり、移住したりして、道が険しく不安定であった。后氏(禹)はこれを憂い、洪水の源を塞ぎ、長江を切り開き黄河を疏通させ、深い水を分散させて災害を鎮め、東の海へと流れを帰らせ、天下は永久に安寧となった。このような労苦の時、苦労したのは民衆だけだろうか。(禹は)心は思慮に煩わされ、自らその労苦に身を投じ、体は手足に胼胝ができて毛が生えず、皮膚には毛が生えなかった。それゆえ、その美しい功業は無限に顕著となり、その名声は今日にまで広く行き渡っている。

原文昔者,洪水沸出,氾濫衍溢,民人升降移徙,崎嶇而不安。夏后氏戚之,乃堙洪原,〈師古曰:「堙,塞也。水本曰原。堙音因。」〉決江疏河,灑沈澹災,東歸之於海,〈師古曰:「疏,通也。灑,分也。沈,深也。澹,安也。言分散其深水,以安定其災也。灑音所宜反。澹音徒濫反。」〉而天下永寧。當斯之勤,豈惟民哉?心煩於慮,而身親其勞,躬傶骿胝無胈,膚不生毛,〈張揖曰:「躬,體也。戚,湊理也。」孟康曰:「胈,毳;膚,皮也。言禹勤,骿胝無有毳毛也。」師古曰:「胈步曷反,骿步千反,胝竹尸反。」〉故休烈顯乎無窮,聲稱浹乎于茲。〈師古曰:「休,美也。烈,業也。浹,徹也。于茲猶言今茲也。浹音子牒反。」〉

そもそも賢明な君主が位に就くのは、ただ些細なことにこだわり、形式に拘泥し、世俗に引きずられ、伝承をそのまま受け継いで暗誦し、当世の歓心を買うだけのためであろうか。必ずや高遠な議論を尊び、事業を創始し、統治の道を後世に伝え、万代の規範となるのである。だからこそ、広く包容し、天地の徳に匹敵することを深く思案するのだ。また『詩経』に言うではないか、『普天の下、王土ならざるはなく、率土の濵、王臣ならざるはなし』と。それゆえ、天地四方の内も外も、次第に広がり満ち溢れ、生きとし生けるもので君主の恩沢に潤されないものがあれば、賢君はそれを恥じる。今、封土の内側では、文明を備えた人々は皆、こう福を得て、欠けるところはない。しかし、夷狄の風俗の異なる国、遠く隔絶した異域では、舟車も通じず、人の跡も稀で、政治教化が及ばず、良い風習もまだ微かである。内に受け入れると、彼らは国境で義を犯し礼を侵し、外に退けると、邪な行いをほしいままにし、君主を殺害し、君臣の位置が入れたいわり、尊卑の秩序が失われ、父兄は罪なくして殺され、幼い孤児は奴隷となり、捕らえられて泣き叫ぶ。内(中国)を向いて怨み、『聞くところによれば、中国には至仁の君主がいて、徳は豊かで恩恵は広く、万物がその所を得ないものはないという。今、なぜ自分たちだけが取り残されるのか』と言う。踵を上げて慕い、枯れた旱天が雨を望むかのようであり、凶暴な者でさえ涙を流す。ましてや至上の聖人である君主が、どうして止めることができようか。だからこそ、北には軍を出して強を討伐し、南には使者を走らせて勁越を責めたのである。四方に徳を風のように吹き渡らせると、西夷と南夷の君主たちは魚鱗のように集まって流れを仰ぎ、号令を受けることを願う者が億単位で数えられた。そこで、沫水と若水に関所を設け、牂柯に境界を定め、霊山を開削し、孫水の源に橋を架け、道徳の道を開き、仁義の統治を伝え、恩恵を広く施し、遠くを安んじ長く統治し、疎遠な者も閉ざされず、暗闇にあった者も光明に照らされ、ここでは甲冑兵器を収め、あちらでは討伐を止める。遠近一体となり、内外ともに安寧と幸福を得る。これもまた楽しいことではないか。民を沈溺から救い上げ、至尊の美徳を奉じ、衰えた世の頽廃を正し、しゅう王朝の絶えた事業を継ぐことは、天子の急務である。百姓はたとえ労苦しても、どうして止めることができようか。

原文且夫賢君之踐位也,豈特委瑣握𪘏,拘文牽俗,〈師古曰:「握𪘏,局陿也。不拘微細之文,不牽流俗之議也。𪘏音初角反。」〉循誦習傳,當世取說云爾哉!〈師古曰:「說讀曰悅。言非直因循自誦,習所傳聞,取美悅於當時而已。」〉必將崇論谹議,〈師古曰:「谹,深也,音宏。」〉創業垂統,爲萬世規。故馳騖乎兼容并包,而勤思乎參天貳地。〈師古曰:「比德於地,是貳地也。地與己并天爲三,是參天也。」〉且詩不云乎?『普天之下,莫非王土;率土之濵,莫非王臣。』〈師古曰:「小雅北山之詩也。普,大也。濵,涯也。」〉是以六合之內,八方之外,〈師古曰:「天地四方謂之六合,四方四維謂之八方也。」〉浸淫衍溢,〈師古曰:「浸淫猶漸漬也。衍溢言有餘也。」〉懷生之物有不浸潤於澤者,賢君恥之。今封彊之內,冠帶之倫,〈師古曰:「倫,類也。」〉咸獲嘉祉,靡有闕遺矣。而夷狄殊俗之國,遼絕異黨之域,舟車不通,人迹罕至,政敎未加,流風猶微,內之則犯義侵禮於邊境,外之則邪行橫作,放殺其上,〈師古曰:「內之,謂通其朝獻也。外之,謂棄而絕之也。橫音胡孟反。殺讀曰試。」〉君臣易位,尊卑失序,父兄不辜,幼孤爲奴虜,係絫號泣。〈師古曰:「爲人所獲而絫係之,故號泣也。絫,力追反。」〉內鄉而怨,〈師古曰:「鄉讀曰嚮。嚮中國而怨慕也。」〉曰:『蓋聞中國有至仁焉,德洋恩普,〈師古曰:「洋,多也。」〉物靡不得其所,今獨曷爲遺己!』〈師古曰:「曷,何也。己,謂怨者之身也。」〉舉踵思慕,若枯旱之望雨,盭夫爲之垂涕,〈張揖曰:「很戾之夫也。」師古曰:「盭,古戾字。」〉況乎上聖,又烏能已?〈師古曰:「烏猶焉也。已,止也。」〉故北出師以討強胡,南馳使以誚勁越。〈師古曰:「誚,責也,音材笑反。」〉四面風德,〈師古曰:「風,化也。」〉二方之君鱗集仰流,〈師古曰:「二方謂西夷及南夷也。若魚鱗之相次而仰向承流也。」〉願得受號者以億計。〈師古曰:「號謂爵號也,一曰受天子之號令也。」〉故乃關沬、若,〈張揖曰:「以沬、若水爲關也。」〉徼牂柯,鏤靈山,梁孫原,〈師古曰:「鏤謂疏通之以開道也。梁,橋也。孫原,孫水之原也。」〉創道德之塗,垂仁義之統,將博恩廣施,遠撫長駕,〈張揖曰:「駕,行也,使恩遠安長行之也。」〉使疏逖不閉,〈師古曰:「逖,遠也,言疏遠者不被閉絕也。」〉曶爽闇昧得燿乎光明,〈師古曰:「曶爽,未明也。曶音忽。」〉以偃甲兵於此,而息討伐於彼。遐邇一體,中外禔福,不亦康乎?〈師古曰:「禔,安也。康,樂也。禔音土支反。」〉夫拯民於沈溺,〈師古曰:「拯,升也,言人在沈溺之中,升而舉之也。」〉奉至尊之休德,〈師古曰:「休,美也。」〉反衰世之陵夷,繼周氏之絕業,〈師古曰:「陵夷謂弛替也。」〉天子之急務也。百姓雖勞,又惡可以已哉?〈師古曰:「惡讀與烏同。已,止也。」〉

そもそも王者というものは、憂いと勤勉によって始まり、安逸と楽しみによって終わることのないものである。〈師古が言うには、「始めに憂い勤勉であれば、終わりに安逸楽しみを得るという意味である。佚の字は逸と同じである」〉それゆえ、天命を受ける符契はここにある。〈張揖が言うには、「符契は憂い勤勉と安逸楽しみの中にあるという意味である」〉今まさに泰山たいざん封禅ほうぜんを増し、梁父りょうほの祭祀を加え、和鸞わらんの音を鳴らし、楽頌がくしょうを揚げ、上は五帝ごていに並び、下は三王さんおうの上に登ろうとしている。〈李竒りきが言うには、「五帝の徳は漢に比べて劣り、三王の徳は漢がその上に出るという意味である」師古が言うには、「この説は誤りである。咸は皆の意味で、漢の徳が五帝と皆盛んであり、三王の上に登るという意味である。司馬相如が漢が五帝に劣ると言うはずがない」〉見る者はその指し示すところを見ず、聞く者はその音を聞かず、まるで焦朋しょうほうがすでに寥廓りょうかくに翔けめぐっているのに、〈師古が言うには、「寥廓は天上の広々としたところである。寥の音はりょう」〉網を張る者がなお藪沢そうたくを見ているようなものである。〈師古が言うには、「水のない沢を藪という」〉悲しいことだ!」

原文且夫王者固未有不始於憂勤,而終於佚樂者也。〈師古曰:「言始能憂勤則終獲逸樂也。佚字與逸同。」〉然則受命之符合在於此。〈張揖曰:「合在於憂勤逸樂之中也。」〉方將增太山之封,加梁父之事,鳴和鸞,揚樂頌,上咸五,下登三。〈李竒曰:「五帝之德比漢爲減,三王之德漢出其上。」師古曰:「此說非也。咸,皆也,言漢德與五帝皆盛,而登於三王之上也。相如不當言漢減於五帝也。」〉觀者未覩指,聽者未聞音,猶焦朋已翔乎寥廓,〈師古曰:「寥廓,天上寬廣之處。寥音聊。」〉而羅者猶視乎藪澤,〈師古曰:「澤無水曰藪。」〉悲夫!」

そこで諸大夫たちは茫然として、〈師古が言うには、「茫の音は莫郎反ばくろうはん」〉抱いて来た志を失い、進言しようとした所以をなくし、〈師古が言うには、「初めに志を抱いて来て、進んでこれを述べようとしたが、今はその来意をことごとく喪失したという意味である」〉ため息をついて一斉に称えて言った。「まことに漢の徳は盛んなことよ、〈師古が言うには、「允はまことの意味である。小雅しょうが車攻しゃこうの詩に『允矣君子まことやくんし』とある」〉これは我ら鄙人ひじんが願って聞きたいことであった。百姓はたとえ労苦しようとも、我らが身をもって先導しよう。」彼らは茫然自失して退き、〈師古が言うには、「敞罔しょうもうは志を失った様子。靡徙びしは自ら退くこと」〉引き延ばして辞退した。

原文於是諸大夫茫然〈師古曰:「茫音莫郎反。」〉喪其所懷來,失厥所以進,〈師古曰:「初有所懷而來,欲進而陳之,今並喪失其來意也。」〉喟然並稱曰:「允哉漢德,〈師古曰:「允,信也。小雅車攻之詩曰『允矣君子』。」〉此鄙人之所願聞也。百姓雖勞,請以身先之。」敞罔靡徙,遷延而辭避。〈師古曰:「敞罔,失志貌。靡徙,自抑退也。」〉

その後、人が上書して、司馬相如が使者の時に金を受け取ったと告発し、官を失った。一年余り過ぎて、再び召し出されて郎となった。

原文其後人有上書言相如使時受金,失官。居歲餘,復召爲郎。

司馬相如は吃音であったが、書を著すのが巧みであった。常に消渇しょうかつの病を患っていた。卓氏と婚姻し、財産に富んでいた。そのため官職に就いても、公卿や国家の事に参与しようとはせず、〈師古が言うには、「与はと読む」〉常に病気と称して閑居し、官爵を慕わなかった。〈師古が言うには、「閒は閑と読む」〉かつて帝に従って長楊宮ちょうようきゅうへ狩りに行った。〈師古が言うには、「長楊宮は盩厔ちゅうしつにある」〉この時、天子はみずから熊や猪を撃ち、野獣を追い駆けることを好んでいた。司馬相如はこれにより上疏して諫めた。その文は次の通りである。

原文相如口吃而善著書。常有消渴病。與卓氏婚,饒於財。故其事宦,未甞肻與公卿國家之事,〈師古曰:「與讀曰豫。」〉常稱疾閒居,不慕官爵。〈師古曰:「閒讀曰閑也。」〉甞從上至長楊獵。〈師古曰:「長楊宮也,在𥂕厔。」〉是時天子方好自擊熊豕,馳逐壄獸,相如因上疏諫。其辭曰:

臣は聞く、物には同類でありながら能力が異なるものがあると。ゆえに力を称するなら烏獲うかく、敏捷を言うなら慶忌けいき、〈師古が言うには、「烏獲は秦の武王ぶおうの力士である。慶忌は呉王僚ごおうりょうの子で、矢を射るのが速い」〉勇を期するなら賁育ほんいくである。〈師古が言うには、「孟賁もうほんは古代の勇士で、水を行く時は蛟龍こうりゅうを避けず、陸を行く時は豺狼さいろうを避けず、怒りを発して気を吐けば、声響は天を動かす。夏育かいくもまた猛士である」〉臣の愚見では、ひそかに、人に確かにこのような者がいるとすれば、獣もまた当然そうあるべきだと思う。今、陛下は険阻な場所を好んで登り、猛獣を射ようとされる。突然、逸材いつざいの獣に出会い、危険で身の置き所のない場所で驚き、〈師古が言うには、「卒はそつと読み、音は千忽反せんこつはん、突然の意味である。不存は安存できない場所の意味」〉属車ぞくしゃ清塵せいじんを犯すようなことになれば、〈応劭おうしょうが言うには、「古くは諸侯は副車を九乗持った。秦が九国を滅ぼし、その車服を兼ねた。漢は秦の制度に依ったので、大駕たいがの属車は八十一乗である」師古が言うには、「属は連続して絶えないという意味である。塵は行って塵が立つこと。清と言うのは尊貴の意である。ところが説く者が清道せいどうして塵をそそぐことを清塵と言うとするのは誤りである。属の音は之欲反しよくはん」〉車は轅を回す暇もなく、人は巧みな技を施す暇もない。たとえ烏獲や逢蒙ほうもうの技があっても用いることができず、〈師古が言うには、「逢蒙は古代の善射者である。孟子に『逢蒙、羿げいに射を学ぶ』とある」〉枯れた木や朽ちた株さえもが災いとなるであろう。これは胡や越が車輪の下から起こり、きょうや夷が車のしんに接するようなもので、危険でないと言えようか!〈師古が言うには、「軫は車の後ろの横木。殆は危険の意味」〉たとえ万全で災いがなくとも、そもそも天子が近づくべき場所ではないのである。

原文臣聞物有同類而殊能者,故力稱烏獲,捷言慶忌,〈師古曰:「烏獲,秦武王力士也。慶忌,吳王僚子也,射能捷矢也。」〉勇期賁育。〈師古曰:「孟賁,古之勇士也,水行不避蛟龍,陸行不避豺狼,發怒吐氣,聲響動天。夏育,亦猛士也。」〉臣之愚,竊以爲人誠有之,獸亦宜然。今陛下好陵阻險,射猛獸,卒然遇逸材之獸,駭不存之地,〈師古曰:「卒讀曰猝,音千忽反,謂暴疾也。不存,不可得安存也。」〉犯屬車之清塵,〈應劭曰:「古者諸侯貳車九乘,秦滅九國,兼其車服,漢依秦制,故大駕屬車八十一乘。」師古曰:「屬者,言相連續不絕也。塵謂行而起塵也。言清者,尊貴之意也。而說者乃以爲清道灑塵謂之清塵,非也。屬音之欲反。」〉輿不及還轅,人不暇施巧,雖有烏獲、逢蒙之技不得用,〈師古曰:「逢蒙,古之善射者也。孟子曰『逢蒙學射於羿也』。」〉枯木朽株盡爲難矣。是胡越起於轂下,而羌夷接軫也,豈不殆哉!〈師古曰:「軫,車後橫木。殆,危也。」〉雖萬全而無患,然本非天子之所宜近也。

しかも、道を清めてから通行し、道の中央を走る場合でも、なお時には馬勒や車の鉤心が外れるような事故がある。ましてや、茂った草を踏み越え、丘や廃墟を駆け巡り、前方には獣を獲る楽しみがあるが、内心には事変への備えの心が無い場合、害を被ることは難しくないだろうか。万乗の重みを軽んじて安全と思わず、万に一つの危険がある道を出て行くことを楽しみとして娯楽とするのは、臣はひそかに陛下が取られないことを願う。

原文且夫清道而後行,中路而馳,猶時有銜橜之變。〈張揖曰:「銜,馬勒銜也。橜,騑馬口長銜也。」師古曰:「橜謂車之鉤心也。銜橜之變,言馬銜或斷,鉤心或出,則致傾敗以傷人也。橜音鉅月反。」〉況乎涉豐草,騁丘虛,〈師古曰:「豐草,茂草也。虛讀曰墟。」〉前有利獸之樂,而內無存變之意,其爲害也不亦難矣!夫輕萬乘之重不以爲安,樂出萬有一危之塗以爲娛,臣竊爲陛下不取。

およそ明らかな者は未だ芽生えぬうちに遠くを見通し、知恵ある者は形の無いうちに危険を避ける。災いは本来、隠れて微かなところに多く潜み、人の見落とすところから発生するものである。だから俗諺に言う、「家に千金を積む者は、軒下に座らない」と。この言葉は小さなことのようだが、大きなことを譬えることができる。臣は陛下が留意され、幸いにもお察しくださることを願う。

原文蓋明者遠見於未萌,而知者避危於無形,〈師古曰:「萌謂事始,若草木初生者也。」〉旤固多臧於隱微而發於人之所忽者也。故鄙諺曰:「家絫千金,坐不垂堂。」〈張揖曰:「畏櫩瓦墯中人也。」師古曰:「垂堂者,近堂邊外,自恐墜墮耳,非畏櫚瓦也。言富人之子則自愛深也。」〉此言雖小,可以諭大。臣願陛下留意幸察。

皇帝はこれを良しとした。帰途、宜春宮を通り過ぎたとき、相如は賦を奏上して二世皇帝の行いの過ちを哀しんだ。その文辞は次のとおりである。

原文上善之。還過宜春宮,相如奏賦以哀二世行失。〈師古曰:「宜春本秦之離宮,胡亥於此爲閻樂所殺,故感其處而哀之。」〉其辭曰:

なだらかな長い坂を登り、重なり合う宮殿の高くそびえる様に入っていく。曲江の長い洲に臨み、南山の連なり差し違う様を望む。険しい深山の奥深く通じる様、谷は大きく開けて口を開けている。疾く流れて永遠に去り、平らな水辺の広く延びた地に注ぐ。多くの樹木の茂り覆う様を見、竹林の生い茂る様を眺める。東へ土山を駆け、北へ石の瀬を衣をからげて渡る。車の速度を緩めてゆったりと進み、二世皇帝を弔う。身の持ち方を慎まなかったため、国を失い勢力を失った。讒言を信じて悟らなかったため、宗廟は滅び絶えた。ああ、行いが正しくなかったため、墓は荒れ果てて修復されず、魂は帰る所なく食も得られない。

原文登陂陁之長阪兮,坌入會宮之嵯峩。〈蘇林曰:「坌音馬坌叱之坌。」張揖曰:「坌,並也。」師古曰:「曾,重也。嵯峨,高貌也。陂音普何反。陁音徒何反。坌音普頓反,又音步頓反。」〉臨曲江之隑州兮,望南山之絫差。〈張揖曰:「隑,長也。苑中有曲江之象,中有長洲也。」師古曰:「曲岸頭曰隑。隑即碕字耳。言臨曲岸之洲,今猶謂其處曰曲江。隑音鉅依反。」〉巖巖深山之谾谾兮,通谷𧯆乎𧮰谺。〈晉灼曰:「谾音籠,古豅字也。」師古曰:「谾谾,深通貌。𧯆音呼活反。𧮰,大開貌。𧮰音呼含反。谺音呼加反。」〉汨淢靸以永逝兮,注平臯之廣衍。〈師古曰:「汨淢,疾貌也。靸然,輕舉意也。臯,水邊地也。汨音于筆反。淢音域。靸音先合反。」〉觀衆樹之蓊薆兮,覽竹林之榛榛。〈師古曰:「蓊薆,蔭蔽貌。榛榛,盛貌。蓊音烏孔反。薆音愛。榛音側巾反。」〉東馳土山兮,北揭石瀨。〈師古曰:「揭,褰衣而渡也。石而淺水曰瀨,音賴。揭音丘例反。」〉弭節容與兮,歷弔二世。持身不謹兮,亡國失勢;信讒不寤兮,宗廟滅絕。〈師古曰:「信讒,謂殺李斯也。」〉烏乎!操行之不得,〈師古曰:「操音千到反。」〉墓蕪穢而不脩兮,魂亡歸而不食。

相如は孝文園令に任ぜられた。帝はすでに子虛の賦を称賛していたが、相如は帝が神仙を好んでいるのを見て、言った。「上林の賦はまだ十分に美しいとは言えず、さらに華麗なものがあります。かつて臣が『大人賦』を作りましたが、未完成です。どうか完成させて奏上させてください。」相如は、列仙の儒者が山沢の間に住み、容貌が非常に痩せ細っているのは、帝王の求める神仙の境地ではないと考え、そこで『大人賦』を奏上した。その文辞は次のようである。

原文相如拜爲孝文園令。上旣美子虛之事,相如見上好僊,因曰:「上林之事未足美也,尚有靡者。〈師古曰:「靡,麗也。」〉臣甞爲大人賦,未就,〈師古曰:「就,成也。」〉請具而奏之。」相如以爲列僊之儒居山澤間,〈師古曰:「儒,柔也,術士之稱也,凡有道術皆爲儒。今流俗書本作傳字,非也,後人所改耳。」〉形容甚臞,〈師古曰:「臞,瘠也,音鉅句反,又音衢。」〉此非帝王之僊意也,乃遂奏大人賦。其辭曰:

世に大人(天子)がいることよ、中州(中国)に在り。

原文世有大人兮,在乎中州。〈師古曰:「大人,以諭天子也。中州,中國也。」〉宅彌萬里兮,曾不足以少留。〈師古曰:「彌,滿也。」〉悲世俗之迫隘兮,朅輕舉而遠游。〈師古曰:「朅,去意也,音丘例反。」〉乘絳幡之素蜺兮,載雲氣而上浮。〈張揖曰:「乘,用也。赤氣爲幡,綴以白氣也。」師古曰:「上音時掌反。」〉建格澤之脩竿兮,〈張揖曰:「格澤之氣如炎火狀,黃白色,起地上至天,下大上銳。脩,長也。建此氣爲長竿也。」師古曰:「格音胡各反。澤音大各反。」〉緫光燿之采旄。〈張揖曰:「旄,葆也。緫,係也。係光耀之氣於長竿以爲葆也。」師古曰:「緫音摠。葆即今所謂纛頭也。」〉垂旬始以爲幓兮,〈李竒曰:「旬始,氣如雄雞,見北斗旁。」張揖曰:「幓,旒也。縣旬始於葆下,以爲十二旒也。」師古曰:「幓音所銜反。」〉曳彗星而爲髾。〈張揖曰:「髾,燕尾也。枻彗星綴者旒以爲燕尾也。」〉掉指橋以偃寋兮,〈張揖曰:「指橋,隨風指靡也。偃寋,委曲貌。」師古曰:「掉音徒釣反。寋音居偃反。」〉又猗抳以招搖。〈晉灼曰:「猗音依倚反。抳音年纚反。」張揖曰:「猗抳,下垂貌。招搖,跳踃也。」師古曰:「招音韶。踃音蕭。」〉㩜攙搶以爲旌兮,靡屈虹而爲綢。〈張揖曰:「彗星爲攙搶。注髦首曰旌,今以彗星代之也。靡,順也。綢,韜也。以斷虹爲旌杠之韜也。」師古曰:「韜謂裹冒旌旗之竿也。攙音初咸反。搶音初衡反。屈音其勿反。綢音直流反。」〉紅杳眇以玄湣兮,猋風涌而雲浮。〈蘇林曰:「玄音炫。湣音麵。」晉灼曰:「紅,赤色貌。杳眇,深遠也。玄湣,混合也。言自絳幡以下,衆氣色盛,光采相燿,幽藹炫亂也。」師古曰:「如猋風之涌,如雲之浮,言輕舉也。猋音必遙反。」〉駕應龍象輿之蠖略委麗兮,驂赤螭青虬之蚴蟉宛蜒。〈文穎曰:「有翼曰應龍,最其神妙者也。」師古曰:「蠖略委麗、蚴蟉宛蜒,皆其行步進止之貌也。蠖音於縛反,麗音力爾反。蚴音一糾反。蟉音力糾反。宛音於元反。蜒音延。」〉低卬夭蟜裾以驕驁兮,詘折隆窮躩以連卷。〈張揖曰:「裾,直項也。驕驁,縱恣也。詘折,曲委也。隆窮,舉鬐也。躩,跳也。連卷,句蹄也。」師古曰:「裾音倨。驕音居召反。驁音五到反。躩音鉅縛反。卷音鉅圓反。」〉沛艾赳螑仡以佁儗兮,〈張揖曰:「沛艾,駊騀也。赳螑,申頸低卬也。仡,舉頭也。佁儗,不前也。」師古曰:「沛音普蓋反。赳音古幼反。螑音火幼反。仡音魚乞反。佁音丑吏反。儗音魚吏反。佁儗又音態礙。」〉放散畔岸驤以孱顏。〈師古曰:「畔岸,自縱之貌也。驤,舉也。孱顏,不齊也。孱音士顏反。」〉跮踱輵螛容以骫麗兮,〈張揖曰:「跮踱,互前卻也。輵螛,搖目吐舌也。容,龍體貌也。骫麗,左右相隨也。」師古:「跮音丑日反。踱音丑略反。輵音遏。螛音曷。骫,古委字也。麗音力爾反。」〉蜩蟉偃寋怵〈㚟〉以梁倚。〈張揖曰:「蜩蟉,掉頭也。怵㚟,奔走也。梁倚,相著也。」師古曰:「蜩音徒釣反。蟉音盧釣反。怵音黜。㚟音丑若反。倚音於綺反。」〉糾蓼叫奡踏以朡路兮,〈張揖曰:「糾蓼,相引也。叫奡,相呼也。踏,下也。朡,著也。皆下著道也。」師古曰:「叫奡,高舉之貌。蓼音力糾反。奡音五到反。踏音沓。朡音屆。」〉薎蒙踊躍騰而狂趭。〈張揖曰:「薎蒙,飛揚也。踊躍,跳也。騰,馳也。趭,奔走也。」師古曰:「蒙音莫孔反。趭音醮。」〉莅颯芔歙焱至電過兮,煥然霧除,霍然雲消。〈張揖曰:「蒞颯,飛相及也。芔歙,走相追也。」師古曰:「蒞音利。颯音立。芔音諱。歙音翕。」〉

東の極地を斜めに断ち切り、北の極地に登って、真人と互いに求め合った。〈張揖が言うには、「少陽は東の極地。太陰は北の極地。東の極地を斜めに渡って北の極地に昇る。真人とは、若士のような者を指し、太陰の中を遊ぶ。」師古は言う、「真人とは、至真の人であり、若士を指すのではない。」〉互いに折れ曲がり奥深く右へと転じ、飛泉を横切って渡り、真東へと向かった。〈張揖が言うには、「飛泉とは、飛谷であり、崑崙山の西南にある。」師古は言う、「厲とは、渡ることである。」〉霊圉れいぎょをことごとく召し出して選び、衆神を揺光に配置した。〈張揖が言うには、「揺光は、北斗七星の柄の先端の第一星である。」〉五帝に先導させ、太一を帰らせて陵陽に従わせた。〈応劭が言うには、「五帝とは、五畤、太皞の類である。」如淳が言うには、「天極の大星で、一つ明るいものは、太一が常に居る所である。」張揖が言うには、「陵陽は、仙人の陵陽子明である。」師古は言う、「太一にその居所に戻らせ、陵陽に自分に侍従させるのである。」〉左に玄冥を、右に黔雷を配し、〈張揖が言うには、「玄冥は、北方の黒帝の補佐である。黔雷は、黔嬴であり、天上の造化の神の名である。楚辞に『黔嬴を召してこれを見る』とある。あるいは水神ともいう。」〉前には長離を、後ろには矞皇を配した。〈服虔が言うには、「いずれも神の名である。」師古は言う、「長離は霊鳥であり、解釈は礼楽志にある。矞の音は、以出の反切。」〉征伯僑を従者とし羨門を使役し、岐伯に詔して方薬を主管させた。〈応劭が言うには、「廝とは、使役することである。」張揖が言うには、「伯僑は、仙人の王子僑である。羨門は、碣石山の上の仙人の羨門高である。尚とは、主管することである。岐伯とは、黄帝こうていの太医であり、方薬を主管させるために属させたのである。」師古は言う、「征伯僑とは、仙人で、姓は征、名は伯僑であり、王子僑ではない。郊祀志では征の字を正としているが、その音は同じである。ある説では、征とは役使することを意味するとするが、それは誤りである。」〉祝融に警護させて通行を止めさせ、悪気を清めてから出発した。〈張揖が言うには、「祝融は、南方のえん帝の補佐であり、獣の体に人の顔をし、二頭の龍に乗る。」師古は言う、「蹕とは、通行人を止めること。御とは、防ぐこと。氛とは、悪気である。」〉我が車を集めて万乗とし、五色の雲を合わせてけだしとし、華やかな旗を立てた。〈師古は言う、「綷とは、合わせること。五色の雲を合わせて蓋とする。綷の音は、子内の反切。」〉句芒に行き先を率いさせ、私は南の楽しみの地へと向かおう。〈張揖が言うには、「句芒は、東方の青帝の補佐であり、鳥の体に人の顔をし、二頭の龍に乗る。」師古は言う、「将行とは、従者を率いて行くこと。娭の音は、許其の反切。」〉

原文邪絕少陽而登太陰兮,與真人乎相求。〈張揖曰:「少陽,東極。太陰,北極。邪度東極而升北極也。真人,謂若士也,游於太陰之中。」師古曰:「真人,至真之人也,非指謂若士也。」〉互折窈窕以右轉兮,橫厲飛泉以正東。〈張揖曰:「飛泉,飛谷也,在崑崙山西南。」師古曰:「厲,渡也。」〉悉徵靈圉而選之兮,部署衆神於搖光。〈張揖曰:「搖光,北斗杓頭第一星。」〉使五帝先導兮,反大壹而從陵陽。〈應劭曰:「五帝,五畤,太皞之屬也。」如淳曰:「天極,大星,一明者,太一常居也。」張揖曰:「陵陽,仙人陵陽子明也。」師古曰:「令太一反其所居,而使陵陽侍從於己。」〉左玄冥而右黔雷兮,〈張揖曰:「玄冥,北方黑帝佐也。黔雷,黔嬴也,天上造化神名也。楚辭曰『召黔嬴而見之』。或曰水神也。」〉前長離而後矞皇。〈服虔曰:「皆神名也。」師古曰:「長離,靈鳥也,解在禮樂志。矞音以出反。」〉廝征伯僑而役羨門兮,詔岐伯使尚方。〈應劭曰:「廝,役也。」張揖曰:「伯僑,仙人王子僑也。羨門,碣石山上仙人羨門高也。尚,主也。岐伯者,黃帝太醫,屬使主方藥也。」師古曰:「征伯僑者,仙人,姓征,名伯僑,非王子僑也。郊祀志征字作正,其音同耳。或說云征謂役使之,非也。」〉祝融警而蹕御兮,清氣氛而后行。〈張揖曰:「祝融,南方炎帝之佐也,獸身人面,乘兩龍。」師古曰:「蹕,止行人也。御,禦也。氛,惡氣也。」〉屯余車而萬乘兮,綷雲蓋而樹華旗。〈師古曰:「綷,合也,合五采雲以爲蓋也。綷音子內反。」〉使句芒其將行兮,吾欲徃乎南娭。〈張揖曰:「句芒,東方青帝之佐也,鳥身人面,乘兩龍。」師古曰:「將行,將領從行也。娭音許其反。」〉

唐のぎょう崇山すうざんにて訪ね、虞のしゅん九疑きゅうぎにて過ぎる。

原文歷唐堯於崇山兮,過虞舜於九疑。〈張揖曰:「崇山,狄山也。海外經曰狄山,帝堯葬於其陽。九疑山在零陵營道縣,舜所葬也。」師古曰:「疑,似也。山有九峰,其形相似,故曰九疑。」〉紛湛湛其差錯兮,雜遝膠輵以方馳。〈師古曰:「湛湛,積厚之貌。差錯,交互也。雜遝,重絫也。膠輵猶交加也。湛音徒感反。遝音大合反。輵音葛。」〉騷櫌衝蓯其紛挐兮,滂濞泱軋麗以林離。〈張揖曰:「衝蓯,相入貌。滂濞,衆盛貌。泱軋,不前也。麗,靡也。林離,槮欐也。」師古曰:「衝音尺勇反。蓯音相勇反。挐音女居反。滂音普郎反。濞音普備反。泱音烏朗反。軋音於黠反。槮音所林反。欐音所宜反。」〉攢羅列聚叢以蘢茸兮,衍曼流爛痑以陸離。〈張揖曰:「痑,衆貌,一曰罷極也。陸離,參差也。」師古曰:「蘢茸,聚貌。流爛,布散也。痑,自放縱也。蘢音來孔反。茸音而孔反。衍音弋扇反。痑音式爾反,張云罷極,義則非矣。」〉徑入雷室之砰磷鬱律兮,洞出鬼谷之堀礨崴魁。〈張揖曰:「雷室,雷淵也。洞,通也。鬼谷在崑崙北直北辰下,衆鬼之所聚也。堀礨崴魁,不平也。」師古曰:「砰磷鬱律,深峻貌。砰音普萌反。磷音力耕反。堀音口骨反。礨音洛賄反。崴音一迴反。」〉徧覽八紘而觀四海兮,朅度九江越五河。〈張揖曰:「九江在廬江尋陽縣南,皆東合爲大江者。」服虔曰:「河有九,今越其五也。」晉灼曰:「五河,五湖,取河之聲合其音耳。」師古曰:「服、晉說五河皆非也。五河,五色之河也。仙經說有紫碧絳青黃之河,非謂九河之內,亦非五湖也。」〉經營炎火而浮弱水兮,杭絕浮渚涉流沙。〈應劭曰:「楚辭曰『越炎火之萬里』。弱水出張掖刪丹,西至酒泉合黎餘波入于流沙。」張揖曰:「杭,船也。絕,度也。浮渚,流沙中渚也。流沙,沙與水流行也。」師古曰:「弱水謂西域絕遠之水,乘毛車以度者耳,非張掖弱水也。又流沙但有沙流,本無水也。言絕度浮渚,乃涉流沙也。杭音下郎反。」〉奄息葱極汜濫水娭兮,〈張揖曰:「奄然休息也。葱極,葱領山也,在西域中。」〉使靈媧鼓琴而舞馮夷。〈服虔曰:「靈媧,女媧也。伏犧作琴,使女媧鼓之。馮夷,河伯字也,淮南子曰『馮夷得道以潛大川』。」師古曰:「媧音瓜,又工蛙反。」〉時若曖曖將混濁兮,召屏翳誅風伯,刑雨師。〈應劭曰:「屏翳,天神使也。」張揖曰:「風伯字飛廉。」師古曰:「屏音步丁反。」〉西望崑崙之軋沕荒忽兮,〈張揖曰:「崑崙去中國五萬里,天帝之下都也。其山廣袤百里,高八萬仞,增城九重,面有九井,以玉爲檻,旁有五門,開明獸守之。軋沕荒忽,不分明之貌。」師古曰:「沕音勿。荒音呼廣反。」〉直徑馳乎三危。〈張揖曰:「三危山在鳥鼠山之西,與崏山相近,黑水出其南陂,書曰『導黑水至于三危』也。」〉排閶闔而入帝宮兮,載玉女而與之歸。〈張揖曰:「玉女,青要、乘弋等也。」〉登閬風而遙集兮,亢鳥騰而壹止。〈張揖曰:「閬風山在崑崙閶闔之中。遙,遠也。」應劭曰:「亢然高飛,如鳥之騰也。」師古曰:「閬音浪。亢音抗。」〉低徊陰山翔以紆曲兮,吾乃今日覩西王母。暠然白首戴勝而穴處兮,亦幸有三足烏爲之使。〈張揖曰:「陰山在崑崙西二千七百里。西王母其狀如人,豹尾虎首,蓬髮暠然白首,石城金室,穴居其中。三足鳥,三足青鳥也,主爲西王母取食,在崑崙墟之北。」如淳曰:「山海經曰『西王母梯几而戴勝』。」師古曰:「低徊猶徘徊也。勝,婦人首飾也,漢代謂之華勝。暠音工老反,字或作翯,音學。」〉必長生若此而不死兮,雖濟萬世不足以喜。〈師古曰:「昔之談者咸以西王母爲仙靈之最,故相如言大人之仙,娛遊之盛,顧視王母,鄙而陿之,不足羨慕也。」〉

車を返して来たれ、不周山の道を断ち切り、幽都で食事を共にしよう。沆瀣こうかいを呼吸し朝霞を食らい、芝英を噛みしめ瓊華を食む。僸祲きんしんは高く伸び上がり、鴻溶こうようは盛んに湧き上がって高く舞い上がる。けつれっけつ倒景とうけいを貫き、豊隆ほうりゅう滂濱ほうひを渡る。游道ゆうどうを駆け巡り長く降下し、遺霧いむを置き去りにして遠く逝く。区中の隘狭あいきょうに迫り、節を緩めて北のはてを出る。屯騎とんき玄闕げんけつに遺し、先駆せんく寒門かんもんに過ぎる。下は崢嶸そうこうとして地なく、上は嵺廓りょうかくとして天なし。視れば眩泯げんみんとして見るものなく、聴けば敞怳しょうこうとして聞くものなし。虚無に乗って上遐じょうかし、無友を超えて独り存す。

原文回車朅來兮,絕道不周,〈張揖曰:「不周山在崑崙東南二千三百里也。」〉會食幽都。呼吸沆瀣兮餐朝霞,〈張揖曰:「幽都在北方。」如淳曰:「淮南云八極西北曰幽都之門。」應劭曰:「列仙傳陵陽子言春食朝霞,朝霞者,日始欲出赤黃氣也。夏食沆瀣,沆瀣,北方夜半氣也。并天地玄黃之氣爲六氣。」師古曰:「沆音胡朗反。瀣音韰。」〉咀噍芝英兮嘰瓊華。〈張揖曰:「芝,草蒻也。榮而不實謂之英。嘰,食也。瓊樹生崑崙西流沙濵,大三百圍,高萬仞。華,橤也,食之長生。」師古曰:「芝英,芝菌之英也。咀音才汝反。噍音才笑反,又音才弱反。嘰音機,又音祈。」〉僸祲尋而高縱兮,紛鴻溶而上厲。〈張揖曰:「僸,卬也。鴻溶,竦踊也。」師古曰:「僸音角甚反。祲音子禁反。鴻音胡孔反。溶音弋孔反。」〉貫列缺之倒景兮,〈服虔曰:「列缺,天閃也。人在天上,下向視日月,故景倒在下也。」張揖曰:「貫,穿也。陵陽子明經曰列缺氣去地二千四百里,倒景氣去地四千里,其景皆倒在下也。」〉涉豐隆之滂濞。〈應劭曰:「豐隆,雲師也。楚辭曰『吾令豐隆乘雲兮』。淮南子曰『季春三月,豐隆乃出以將雨』。」師古曰:「豐隆將雨,故言涉也。滂濞,雨水多也。滂音普郎反。濞音匹備反。」〉騁游道而脩降兮,騖遺霧而遠逝。〈張揖曰:「馳疾而遺霧在後也。」師古曰:「游,游車也。道,道車也。脩,長也。降,下也。言周覽天上,然後騁車也,循長路而下馳,棄遺霧而遠逝也。道讀曰導。」〉迫區中之隘陝兮,舒節出乎北垠。〈師古曰:「舒,緩也。垠,崖也,音銀。」〉遺屯騎於玄闕兮,〈張揖曰:「玄闕,北極之山也。」〉軼先驅於寒門。〈應劭曰:「寒門,北極之門也。」師古曰:「軼,過也,音逸。」〉下崢嶸而無地兮,〈師古曰:「崢嶸,深遠貌。崢音仕耕反。嶸音宏。」〉上嵺廓而無天。〈師古曰:「嵺廓,廣遠也。嵺音遼。」〉視眩泯而亡見兮,聽敞怳而亡聞。〈師古曰:「眩泯,目不安也。敞怳,耳不諦也。眩音州縣之縣。泯音眄。」〉乘虛亡而上遐兮,超無友而獨存。〈師古曰:「上音時掌反。」〉

相如が『大人の賦』を奏上すると、天子は大いに喜び、飄飄として陵雲の気に乗り天地の間を遊ぶような気分になった。

原文相如旣奏《大人賦》,天子大說,〈師古曰:「說讀曰悅。」〉飄飄有陵雲氣游天地之閒意。

相如(司馬相如)は病気で免官となり、茂陵に住んでいた。天子(武帝)が言った。「司馬相如の病が重いので、行って彼の書物をすべて取り寄せよ。もし遅れれば、後になってしまう。」使者の所忠しょちゅうが行ったが、相如はすでに死んでおり、家には残された書物はなかった。妻に尋ねると、答えて言った。「長卿(相如の字)はかつて書物を持っていませんでした。時々書物を著していましたが、人がまた持って行ってしまいました。長卿が死ぬ前に、一巻の書物を作り、『使者が来て書物を求めたら、これを奏上せよ』と言っていました。」その遺された書簡には封禅のことが書かれており、所忠がそれを奏上すると、天子はこれを奇異に思った。その文辞は次のようである。

原文相如旣病免,家居茂陵。天子曰:「司馬相如病甚,可徃從悉取其書,若後之矣。」〈師古曰:「若,汝也。言汝今去已在他人後也。」〉所忠徃,〈師古曰:「使者姓名也,解在食貨志。」〉而相如已死,家無遺書。問其妻,對曰:「長卿未甞有書也。時時著書,人又取去。長卿未死時,爲一卷書,曰有使來求書,奏之。」其遺札書言封禪事,〈師古曰:「書於札而留之,故云遺札。」〉所忠奏焉,天子異之。其辭曰:

太古の初め、天地が始まって民が生まれて以来、歴代の君主を数え上げて秦に至るまで、近い者はその足跡を踏み、遠い者はその風声を聞き、乱れて埋もれて称えられない者は数えきれない。昭夏(明るく盛大な徳)を継ぎ、号謚を尊び、大略語ることができる者は七十二君である。善に順って栄えない者はなく、逆らって失っても存続できた者があろうか。

原文伊上古之初肇,自顥穹生民。〈師古曰:「肇,始也。顥、穹,皆謂天也。顥言氣顥汗也,穹言形穹隆也。謂自初始有天地以來也。顥音胡老反。」〉歷選列辟,以迄乎秦。〈師古曰:「選,數也。辟,君也。迄,至也。辟音璧。」〉率邇者踵武,聽逖者風聲。〈文穎曰:「率,循也。邇,近也。踵,蹈也。武,跡也。逖,遠也。言循履近者之遺跡,聽遠者之風聲。風謂著於雅頌者也。」師古曰:「風聲,緫謂遺風嘉聲耳,無繫於雅頌也。」〉紛輪威蕤,堙滅而不稱者,不可勝數也。〈張揖曰:「紛輪威蕤,亂貌。」〉繼昭夏,崇號謚,略可道者七十有二君。〈文穎曰:「昭,明也。夏,大也。德明大,相繼封禪於泰山者,七十有二人也。」〉罔若淑而不昌,疇逆失而能存?〈應劭曰:「罔,無也。若,順也。淑,善也。疇,誰也。」師古曰:「言行順善者無不昌大,爲逆失者誰能乆存也。」〉

黄帝以前のことは、遥か遠く、その詳細は聞くことができない。五帝三皇の経典や伝承の書物に記されたものだけが、見ることができる。書経に「君主が明らかであれば、臣下が良くなる」とある。このことから言えば、君主はぎょうほど盛んな者はなく、臣下は后稷こうしょくほど賢い者はない。后稷は唐の時代に創業し、公劉こうりゅう西戎せいじゅうで発跡し、文王ぶんおうは制度を改め、周の隆盛が始まり、大いなる道が完成した。その後、衰微して千年もの間悪い評判がなかったのは、まさに善始善終であったと言えよう。しかし、それは異端がなく、前代においてその由来を慎み、後世に遺訓を謹んで伝えたからに他ならない。だからこそ、その軌跡は平易で従いやすく、深く大きな恩恵は豊かになりやすく、法度は明らかで規範としやすく、伝統を垂れて道理に順っているので継承しやすいのである。それゆえ、その業績は幼少の成王せいおうの時代に隆盛し、文王・武王よりも崇高であった。その始まりを推し量り、その終わりを究めても、今日において考証できるほど特別に優れた業績や途絶えた事跡はない。それでもなお、梁父山りょうほざんを踏み、泰山に登り、顕著な称号を建て、尊い名を施した。大漢たいかんの徳は、烽火のように湧き上がり、泉のように流れ出て、盛大に広がり、四方に満ち溢れ、雲のように広がり霧のように散る。上は九重の天に達し、下は八方の地の果てに流れる。生きとし生けるものは恩恵に濡れ潤い、和やかな気が横溢し、武威が炎のように疾走する。近い者はその源に遊び、遠い者はその末流に泳ぐ。悪の首謀者は埋もれ消え、暗愚な者は明らかになる。虫けらでさえも喜び楽しみ、振り返って内側を向く。その後に、騶虞すうぐの珍獣を苑に囲い、麋鹿びろくの怪獣を境界に迎え入れ、厨房では一茎六穂の嘉禾かかを選び、犠牲には双角が一本の根元から生えた獣を用い、岐山きざんで周代に放たれた余りの亀を獲て、沼では翠黄すいこう乗龍じょうりゅうを招き寄せる。鬼神は霊圉と交わり、閑館かんかんに賓客として迎えられる。奇異な物事は変化に富み、際立って窮まりない。ああ、符瑞ふずいがここまで集まるのに、なお薄いと考え、封禅を行うことを敢えて言わない。周では魚が跳ねて船に落ちるのを吉兆とし、燎祭りょうさいをもって美とした。あの程度の符瑞で、泰山に登って封禅を行ったとは、恥ずかしくないのか!進んで譲るという道理は、なんと違っていることか。

原文軒轅之前,遐哉邈乎,其詳不可得聞已。〈師古曰:「遐、邈,皆遠也。已,語終之辭。」〉五三六經載籍之傳,維見可觀也。〈師古曰:「五,五帝也。三,三皇也。」〉書曰:「元首明哉!股肱良哉!」〈師古曰:「此虞書益稷之辭也。元首,君也。股肱,大臣也。」〉因斯以談,君莫盛於堯,臣莫賢於后稷。后稷創業於唐,公劉發迹於西戎,文王改制,爰周郅隆,大行越成,〈文穎曰:「郅,至也。行,道也。文王始開王業,改正朔服色,太平之道於是成也。」應劭曰:「大行,道德大行也。」師古曰:「郅音質。」〉而后陵遅衰微,千載亡聲,豈不善始善終哉!〈鄭氏曰:「無聲,無有惡聲也。」師古曰:「雖後嗣衰微,政敎頹替,猶經千載而無惡聲。」〉然無異端,慎所由於前,謹遺敎於後耳。〈師古曰:「言旣創業定制,又垂裕後昆也。」〉故軌迹夷易,易遵也;〈師古曰:「夷、易,皆平也。易音弋豉反。」〉湛恩厖洪,易豐也;〈師古曰:「湛讀曰沈。沈,深也。厖、洪,皆大也。厖音尨。」〉憲度著明,易則也;垂統理順,易繼也。〈張揖曰:「垂,縣也。統,緒也。理,道也。文王重易六爻,窮理盡性,縣於後世,其道和順,易續而明,孔子得錯其象而彖其辭也。」師古曰:「統業直言所垂之業,其理至順,故令後嗣易繼之耳,非謂演易也。」〉是以業隆於繈保而崇冠乎二后。〈孟康曰:「繈保謂成王也。二后謂文武也。周公負成王以致太平,功德冠於文武者,遵成法易故也。」〉揆厥所元,終都攸卒,〈師古曰:「元,始也。都,於也。攸,所也。卒亦終也。言度其所始,究其所終也。」〉未有殊尤絕迹可考於今者也。〈師古曰:「尤,異也。考,校也。言不得與漢校其德也。」〉然猶躡梁甫,登大山,建顯號,施尊名。大漢之德,逢涌原泉,沕潏曼羨,〈師古曰:「逢讀曰烽。言如烽火之升,原泉之流也。沕潏曼羨,盛大之意也。沕音勿。潏音聿。羨音弋扇反。」〉旁魄四塞,雲布霧散,〈師古曰:「旁魄,廣被也。魄音步各反。」〉上暢九垓,下泝八埏。〈服虔曰:「暢,達也。垓,重也。天有九重。」如淳曰:「淮南云若士謂盧敖:『吾與汗漫期乎九垓之上。』」孟康曰:「泝,流也。埏,地之八際也。言德上達於九重之天,下流於地之八際。」師古曰:「埏,本音延,合韻音弋戰反。淮南子作八夤也。」〉懷生之類,沾濡浸潤,協氣橫流,武節焱逝,〈師古曰:「言和氣橫被四表,威武如焱之盛。」〉爾陿游原,逈闊泳末,〈孟康曰:「爾,近也。原,本也。逈,遠也。闊,廣也。泳,浮也。恩德比之於水,近者游其原,遠者浮其末也。」〉首惡鬱沒,闇昧昭晰,〈師古曰:「始爲惡者皆即湮滅,素暗昧者皆得光明也。晰音之舌反。」〉昆蟲闓懌,回首面內。〈文穎曰:「闓、懌,皆樂也。」師古曰:「闓讀曰凱。言四方幽遐,皆懷和樂,回首革面,而內嚮也。」〉然后囿騶虞之珍群,徼麋鹿之怪獸,〈師古曰:「言騶虞自擾而充苑囿,怪獸自來若入徼塞。言符瑞之盛也。徼音工釣反。」〉導一莖六穗於庖,〈鄭氏曰:「導,擇也。一莖六穗,謂嘉禾之米,於庖厨以供祭祀也。」〉犧雙觡共抵之獸,〈服虔曰:「犧,牲也。觡,角也。抵,本也。武帝獲白麟,兩角共一本,因以爲牲也。」〉獲周餘放龜于岐,〈文穎曰:「周放畜餘龜於池沼之中,至漢得之於岐山之旁。龜能吐故納新,千歲不死也。」〉招翠黃乘龍於沼。〈張揖曰:「乘龍,四龍也。」孟康曰:「翠黃,乘黃也,龍翼馬身,黃帝乘之而仙。言見乘黃而招呼之。禮樂志曰『訾黃其何不來下』。余吾渥洼水中出神馬,故曰乘龍於沼也。」師古曰:「此說非也。言招致翠黃及乘龍於池沼耳。乘音食證反。《春秋傳》曰『帝賜之乘龍』。」 〉鬼神接靈圉,賔於閒館。〈文穎曰:「是時上求神仙之人,得上郡之巫長陵女子,能與鬼神交接,治病輒愈,置於上林苑中,號曰神君。有似於古之靈圉,禮待之於閒館舍中也。」師古曰:「閒讀曰閑。」〉竒物譎詭,俶儻窮變。〈師古曰:「俶音吐歷反。」〉欽哉,符瑞臻茲,猶以爲薄,不敢道封禪。蓋周躍魚隕杭,休之以燎。〈應劭曰:「杭,舟也。休,美也。」師古曰:「燎,祭天也。謂武王伐紂,白魚入于王舟,俯取以燎。」〉微夫斯之爲符也,以登介丘,不亦恧乎!〈服虔曰:「介,大也。丘,山也。言周以白魚爲瑞,登太山封禪,不亦慚乎?」〉進攘之道,何其爽與?〈張揖曰:「進,周也。攘,漢也。爽,差也。言周未可封禪而封,爲進;漢可封禪而不爲,爲攘也。」師古曰:「攘,古讓字也。」〉

そこで大司馬だいしばが進み出て言った。〈文穎が言う。「大司馬は上公であるから、先に進んで議を述べるのである。」〉「陛下は仁をもって衆生を育み、義をもって従わぬ者を征伐され、〈文穎が言う。「けいは順うことである。」〉諸夏(中国)は喜んで貢ぎ物を捧げ、百蛮(異民族)を執り、〈師古が言う。「夏は大きいことである。諸夏とは中国の人々を指し、蛮夷と比べて大きいのである。」〉その徳は往古の聖王に等しく、功績は二つとなく、〈師古が言う。「ぼうは等しいことである。」〉盛んな業績は広く行き渡り、符瑞は様々に変化し、期せずして相次いで到来し、単に初めて現れるだけではない。〈師古が言う。「符瑞が多く、期に応じて相次いで到来し、単に初めて創めて現れるだけではない、という意味である。」〉思うに、太山たいざんや梁父に壇場を設けて陛下のご臨幸りんこうを望んでいるのは、おそらく封禅の称号を与えて栄誉を比況しようとしているのでしょう。〈孟康もうこうが言う。「意者おもえるにとは、太山や梁父に壇場を設け、聖帝が封禅を行われるのを望み、記号(称号)を与えて栄名を表そうとしている、という意味である。」師古が言う。「幸は臨幸することである。蓋は発語の辞である。」〉上帝(天)が恩恵を垂れ福を蓄えられたのは、まさに慶事の完成を祝うためであり、〈師古が言う。「上帝とは天のことである。下に恩恵を垂れ、あらかじめ福を積み蓄え、慶事を告げる礼(封禅)の完成を祝うためである、という意味。」〉陛下は謙譲しておられて、その意を発せられないのです。〈張揖が言う。「意を発して行こうとされないことである。」師古が言う。「けんは謙の古字である。」〉三神(天神・地祇ちぎ・山岳)の歓びを絶ち、王道の儀礼を欠くことは、〈応劭が言う。「けいは絶つこと。缺は欠くことである。」如淳が言う。「三神とは、地祇、天神、山岳である。」師古が言う。「挈は口計反けいと読む。」〉群臣をじ入らせます。〈師古が言う。「じくは愧じることである。女六反じくと読む。」〉あるいは、天は質朴で暗黙であり、珍しい符瑞を示して固く辞退させないのだ、と言う者もあります。〈師古が言う。「天道は質朴で暗黙であり、符瑞をもってその意を示しているので、辞退することはできない、という意味である。」〉もしこのように辞退するならば、それは泰山に記すべきものがなく、梁父にもほとんど期待するものがないことになります。〈張揖が言う。「泰山の上には表記すべきものがなく、梁父の壇場にもほとんど期待するものがない、という意味である。」〉また、各々がそれぞれの時代に栄え、皆その世を全うして絶えてしまったならば、後世の論者は何を称えて、七十二君(封禅を行ったと伝えられる君主)などと言うことができましょうか。〈応劭が言う。「屈は絶えることである。古の帝王がもしただ各々一時の栄えだけで、その世を終えて絶えてしまったならば、論者は後世において顕著に称えることができない、という意味である。」師古が言う。「屈は其勿反くつと読む。」〉そもそも、徳を修めて符瑞を賜り、その符瑞を奉じて事を行うことは、進んで礼を越えることではありません。〈文穎が言う。「越はえることである。いやしくも進んで礼を踰えることをしない、という意味である。」〉それゆえ聖王はこれを廃さず、地祇に礼を修め、天神に誠を告げ、〈文穎が言う。「えつは告げること。かんは誠である。」師古が言う。「替は廃することである。封禅の事を廃さない、という意味。」〉中岳(嵩山)に功績を刻み、至尊(天子)の威光を明らかにし、〈張揖が言う。「おそらく先に中岳に礼を尽くし、それから太山に行幸するのであろう。」師古が言う。「しょうは明らかにすることである。」〉盛んな徳を広げ、栄誉の称号を発し、厚い福を受け、それをもって黎民(民衆)を潤すのです。まことに盛大なことです、この事は。天下の壮観であり、王者の大業であり、軽んじてはなりません。〈師古が言う。「皇皇こうこうは盛んな様子である。卒は終わることである。字は本またはとも作る。丕は大きいことである。」〉どうか陛下にはこれを全うなさってください。〈張揖が言う。「封禅をもってその終わりを全うしてほしい、という願いである。」〉そしてその後、縉紳しんしんの先生方の様々な術略を合わせて用い、彼らが日月の末光絶炎(最後の輝き)を得て、その職務を展開し事業を配置できるようにしてくださいますよう。〈文穎が言う。「さいは官職のことである。諸儒に功績を記録させ業績を顕著にさせ、日月の末光殊絶の明るさを見ることができるようにし、その官職を展開させ、その事業を配置させるのである。」李竒が言う。「炎は火の光炎こうえんと読む。」師古が言う。「炎は弋贍反えんと読む。千故反と読む。」〉さらに、天時を正し人事を列ねるその意義を兼ね備え、旧文を除いて新たに飾り立て、『春秋』のような一つの経典を作り上げます。〈孟康が言う。「『春秋』を作ったように、天時を正し、人事を列ねるのである。諸儒がすでに事業を展開できるようになったので、天時を正し人事を列ねることを兼ね、大義を叙述して一つの経典とする、という意味である。」師古が言う。「ふつは除くことである。祓飾ふっしょくとは、旧事を除去し、新たに文を飾ることを言う。祓は敷勿反ふつと読む。」〉旧来の六経に襲(加)えて七経とし、それを永遠に広め、〈文穎が言う。「六経に一つを加えて七とするのである。」師古が言う。「ちょくことである。丑居反ちょと読む。」〉万世に清流を激しくし、微かな波を揚げ、英声を飛ばし、茂った実りを昇らせるのです。〈師古が言う。「は飛の古字である。」〉前代の聖王が永遠に大いなる名を保ち、常に称賛の筆頭とされるのは、この道を用いたからです。〈師古が言う。「称は尺孕反しょうと読む。」〉どうか掌故しょうこに命じて、その儀礼をことごとく奏上させ、ご覧になられるのがよろしいでしょう。」〈師古が言う。「掌故とは、太常たいじょうの官属で、故事を主管する者である。」〉

原文於是大司馬進曰:〈文穎曰:「大司馬,上公,故先進議也。」〉「陛下仁育群生,義征不譓,〈文穎曰:「譓,順也。」〉諸夏樂貢,百蠻執贄,〈師古曰:「夏,大也。諸夏謂中國之人,比蠻夷爲大也。」〉德牟徃初,功無與二,〈師古曰:「牟,等也。」〉休烈液洽,符瑞衆變,期應紹至,不特創見。〈師古曰:「言符瑞衆多,應期相續而至,不獨初創而見也。」〉意者太山、梁父設壇場望幸,蓋號以況榮,〈孟康曰:「意者,言太山、梁父設壇場,望聖帝往封禪記號以表榮名也。」師古曰:「幸,臨幸也。蓋,發語辭也。」〉上帝垂恩儲祉,將以慶成,〈師古曰:「上帝,天也。言垂恩於下,豫積祉福,用慶告成之禮。」〉陛下嗛讓而弗發也。〈張揖曰:「不肯發意往也。」師古曰:「嗛,古謙字。」〉挈三神之歡,缺王道之儀,〈應劭曰:「挈,絕也。缺,闕也。」如淳曰:「三神,地祇、天神、山岳也。」師古曰:「挈音口計反。」〉群臣恧焉。〈師古曰:「恧,愧也,音女六反。」〉或謂且天爲質闇,示珍符固不可辭;〈師古曰:「言天道質昧,以符瑞見意,不可辭讓也。」〉若然辭之,是泰山靡記而梁甫罔幾也。〈張揖曰:「泰山之上無所表記,梁父壇場無所庶幾也。」〉亦各並時而榮,咸濟厥世而屈,說者尚何稱於後,而云七十二君哉?〈應劭曰:「屈,絕也。言古帝王若但各一時之榮,畢世而絕者,則說者無從顯稱於後也。」師古曰:「屈音其勿反。」〉夫脩德以錫符,奉符以行事,不爲進越也。〈文穎曰:「越,踰也。不爲苟進踰禮也。」〉故聖王弗替,而脩禮地祇,謁款天神,〈文穎曰:「謁,告也。款,誠也。」師古曰:「替,廢也。不廢封禪之事也。」〉勒功中岳,以章至尊,〈張揖曰:「蓋先禮中岳而幸太山也。」師古曰:「章,明也。」〉舒盛德,發號榮,受厚福,以浸黎民。皇皇哉斯事,天下之壯觀,王者之卒業,不可貶也。〈師古曰:「皇皇,盛貌也。卒,終也,字或作本,或作丕,丕,大也。」〉願陛下全之。〈張揖曰:「願以封禪全其終也。」〉而后因雜縉紳先生之略術,使獲曜日月之末光絕炎,以展采錯事。〈文穎曰:「采,官也。使諸儒記功著業,得觀日月末光殊絕之明,以展其官職,設錯其事業也。」李竒曰:「炎音火之光炎。」師古曰:「炎音弋贍反。錯音千故反。」〉猶兼正列其義,祓飾厥文,作《春秋》一蓺。〈孟康曰:「猶作《春秋》者,正天時,列人事也。言諸儒旣得展事業,因兼正天時,列人事,敘述大義爲一經也。」師曰:「祓,除也。祓飾者,言除去舊事,更飾新文也。祓音敷勿反。」〉將襲舊六爲七,攄之無窮,〈文穎曰:「六經加一爲七也。」師古曰:「攄,布也,音丑居反。」〉俾萬世得激清流,揚微波,蜚英聲,騰茂實。〈師古曰:「蜚,古飛字。」〉前聖之所以永保鴻名而常爲稱首者用此。〈師古曰:「稱音尺孕反。」〉宜命掌故悉奏其儀而覽焉。」〈師古曰:「掌故,太常官屬,主故事者。」〉

そこで天子は感動して表情を改め、言った。「よろしい、朕が試してみよう!」そこで考えをめぐらし、公卿たちの議論を総合し、封禅の事柄について諮問し、広大な恩沢を詩に詠み、豊かな符瑞を広く称えた。そして頌を作って言った。

原文於是天子沛然改容,曰:「俞乎,朕其試哉!」〈師古曰:「沛然,感動之意也。俞者,然也,然其所請也。沛音普大反。俞音踰。」〉乃遷思回慮,緫公卿之議,詢封禪之事,詩大澤之博,廣符瑞之富。〈孟康曰:「詩所以詠功德,謂下四章之頌也。大澤之博,謂『自我天覆,雲之油油』也。廣符瑞之富,謂『斑斑之獸』以下三章,言符應廣大富饒也。」〉遂作頌曰:

我が天が覆うところ、雲は油々と湧く。甘露と時雨は、その土地を潤して泳げるほどだ。滋養の液はしみわたり、何の生き物が育たないことがあろうか!優れた穀物は六つの穂をつけ、我が収穫はどうして蓄えられないことがあろうか?

原文自我天覆,雲之油油。〈蘇林曰:「油音油麻之油。」李竒曰:「油油,雲行貌。孟子曰『油然作雲,沛然下雨』。」〉甘露時雨,厥壤可游。〈師古曰:「言雨霧滂沛,其澤可以游泳也。」〉滋液滲漉,何生不育!〈師古曰:「滲漉,謂潤澤下究,故無生而不育也。滲音山禁反。漉音鹿。」〉嘉穀六穗,我穡曷蓄?〈李竒曰:「我之稼穡,何等不蓄積?」〉

ただ雨を降らせるだけでなく、さらに潤いを与える。ただ我が身に偏るだけでなく、広く行き渡らせて守る。万物は和やかに、慕い懐く。名高い山と顕著な位は、君の来臨を待ち望む。君よ君よ、どうして行かないのか!

原文匪唯雨之,又潤澤之;匪唯偏我,汜布護之;〈師古曰:「汜,普也。布護,言遍布也。氾音敷劔反。」〉萬物熙熙,懷而慕之。名山顯位,望君之來。君兮君兮,侯不邁哉!〈師古曰:「侯,何也。邁,行也。言君何不行封禪。」〉

斑々たる獣は、我が君の苑囿を楽しむ。白い地に黒い模様、その姿は喜ばしい。穏やかで慎み深く、君子の態度である。かつてその声を聞いたが、今はその来臨を見る。その来た道は知れないが、天の瑞兆の証である。これを舜に与え、虞氏はこれによって興った。

原文般般之獸,樂我君囿;白質黑章,其儀可喜;〈師古曰:「謂騶虞也。般字與斑同耳,從丹青之丹。喜音許記反。」〉旼旼穆穆,君子之態。〈孟康曰:「旼旼,和也。穆穆,敬也。言容態和且敬,有似君子也。」張揖曰:「旼音旻。」〉蓋聞其聲,今視其來。〈師古曰:「言往昔但聞其聲,今親見其來也。來合韻音郎代反。」〉厥塗靡從,天瑞之徵。〈文穎曰:「其來之道何從乎?此乃天瑞之應也。」〉茲爾於舜,虞氏以興。〈文穎曰:「百獸舞,則騶虞在其中也。」〉

濯々たる麒麟は、あの霊なる畤に遊ぶ。孟冬の十月、君は郊祀に出かける。我が君の車を駆り立て、天帝はこれをもって福を享受される。夏・殷・周の三代以前には、おそらくまだなかったことである。

原文濯濯之麟,游彼靈畤。孟冬十月,君徂郊祀。〈文穎曰:「濯濯,肥也。武帝冬幸雍,祠五畤,獲白麟也。」師古曰:「濯音直角反。大雅靈臺之詩云『麀鹿濯濯』。」〉馳我君輿,帝用享祉。〈文穎曰:「馳我君車之前也。」師古曰:「帝,天帝也。以此祭天,天旣享之,答以祉福也。」〉三代之前,蓋未甞有。

うねうねとした黄龍が、徳を興して昇り、その色彩は黒く輝き、明るく煌めいている。正しい陽気が明らかに現れ、民衆を目覚めさせた。伝記に載せられているところでは、天命を受けた者が乗るものだという。

原文宛宛黃龍,興德而升;〈文穎曰:「起至德而見也。」〉采色玄耀,炳炳煇煌。〈師古曰:「玄讀曰炫。煇煌,光貌。煇音下本反。」〉正陽顯見,覺寤黎烝。〈文穎曰:「陽,明也。」師古曰:「黎烝,衆庶也。」〉於傳載之,云受命所乘。〈師古曰:「謂易云『時乘六龍以御天也』。」〉

それには兆しがあり、必ずしも繰り返し言う必要はない。事象に類して託し、封禅の山を以って諭すのである。

原文厥之有章,不必諄諄。〈文穎曰:「天之所命,表以符瑞,章明其德,不必諄諄然有語言也。」師古曰:「諄諄,告喻之熟也,音之純反。」〉依類託寓,諭以封巒。〈文穎曰:「寓,寄也。巒,山也。言依事類託寄,以喻封禪。」〉

書物を開いて見ると、天と人の間はすでに交わり、上下が互いに呼応して誠実に応えている。聖王の事績は、慎み深く畏れ敬うものである。だから、興隆の時には必ず衰えを考え、安泰の時には必ず危険を思う。それゆえ、湯王や武王は最も尊厳な地位にあっても、恭謹な心を失わず、舜は大いなる法則を考察し、自らの遺漏を顧みて反省した。これがその謂いである。

原文披蓺觀之,天人之際已交,上下相發允荅。聖王之事,兢兢翼翼。〈師古曰:「兢兢,戒也。翼翼,敬也。」〉故曰於興必慮衰,安必思危。是以湯武至尊嚴,不失肅祗,〈師古曰:「言居天子之位,猶不忘恭敬也。」〉舜在假典,顧省厥遺:〈師古曰:「在,察也。假,大也。典,則也。言舜察琁璣玉衡,恐己政化有所遺失,不合天心。今漢亦當順天意而封禪也。」〉此之謂也。

相如が死んで五年後、皇帝は初めて后土を祭った。八年後に中岳で礼を行い、泰山で封禅し、梁甫に至り、肅然で禅を行った。

原文相如旣卒五歲,上始祭后土。八年而遂禮中岳,封于太山,至梁甫,禪肅然。

相如のその他の著作、例えば平陵侯への手紙、五公子との論難、草木についての書篇などは採録せず、公卿の間で特に著名なものを採録した。

原文相如它所著,若遺平陵侯書、與五公子相難、屮木書篇,不采,采其尤著公卿者云。

原文【贊】

賛に曰く、司馬遷は、『春秋』が奥義を推し論じて隠微なところまで及ばしめ、『易』が隠れることを本として顕かなものへ至らしめ、『大雅』が王公大人を論じその徳が衆民に及び、『小雅』が地位の卑しい者の得失を刺してその流れが上に達する、と述べた。言い方はそれぞれ違っても、徳の合するところは同じである。相如の文は虚辞濫説が多いが、要する帰結を節儉に導く。これは『詩』の諷諫と何が違うというのか。楊雄は、奢華な賦は百を戒めて一を諷するにすぎず、鄭・衛の流行の声に任せて曲の終わりに雅を奏するようなもので、やめない戯れではないか、とした。

原文贊曰:司馬遷稱「《春秋》推見至隱,〈李竒曰:「隱猶微也。言其義顯而文隱,若隱公見弒死,而經不書,隱諱之也。」〉易本隱以之顯,〈張揖曰:「作八卦以通神明之德,是本隱也。有天道焉,有地道焉,有人道焉,以類萬物之情,是之顯也。」師古曰:「之,往也。」〉大雅言王公大人,而德逮黎庶,〈張揖曰:「謂文王、公劉在位,大人之德下及衆民者也。」〉小雅譏小己之得失,其流及上。〈張揖曰:「己,詩人自謂也。己小有得失,不得其所,作詩流言,以諷其上也。」師古曰:「小己者,謂卑少之人,以對上言大人耳。」〉所言雖殊,其合德一也。相如雖多虛辭濫說,然要其歸引之於節儉,此亦詩之風諫何異?」〈師古曰:「風讀曰諷,次下亦同。」〉楊雄以爲靡麗之賦,勸百而風一,〈師古曰:「奢靡之辭多,而節儉之言少也。」〉猶騁鄭衞之聲,曲終而奏雅,不已戲乎!〈張揖曰:「不亦輕戲乎哉!」〉