大いなるかな、聖祖の業を建てることよ!後嗣が序を承けて、親親を広む。孝武に至り、諸侯王の畺土が制を過ぎ、或いは替差して軌を失い、子弟が匹夫となるに及び、〈師古曰:「畺も亦壃の字なり。替は古の僣の字なり。軌は法なり。」〉軽重相準ずることなく、ここに制詔して御史に曰く:「諸侯王或いは私恩を推して子弟に邑を分かち与えんと欲する者は、各条上せしめよ、朕且つその号名を臨定せん。」これより支庶畢く侯たり。詩に云う「文王孫子、本支百世」、〈師古曰:「大雅文王の詩なり。本は本宗なり。支は支子なり。文王に明徳有り、故に天子を祚し、子孫嫡なる者は天子たり、支庶は諸侯たり、皆絶えざるなりと言う。」〉信なるかな!〈師古曰:「侯の食む邑は、皆その郡県を下に書く。書かざる者有れば、史の失うなり。或いは但だ某人嗣ぐ及び直に薨を書くのみにして、年月を具せざるは、皆闕文なり。」〉
| 号諡名 | 属 | 始封位次 | 子 | 孫 | 曾孫 | 玄孫 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 羮頡侯信〈服虔曰:「音は撃に同じ。」師古曰:「音は居黠の反切。」〉 | 帝の兄の子。 | 七年中に封じられ、十三年、高后元年、罪あり、爵位一級を削られ、関内侯となる。〈師古曰:「月日を記さず、故に七年中と云う。」〉 | ||||
| 合陽侯喜 | 帝の兄、代王となる。匈奴が代を攻め、国を棄て、廃されて侯となる。 | 八年九月丙午に封じられ、七年、孝惠二年に薨じ、子を以て王とし、諡して頃王と曰う。 | 沛十一年十二月癸巳、侯濞は帝の兄の子として封じられ、十二年、呉王となる。 | |||
| 徳哀侯広 | 一百二十七十二年十一月庚辰、兄の子として封じられ、七年八月に薨ず。 | 高后三年、頃侯通が嗣ぎ、二十四年に薨ず。 | 孝景六年、康侯齕が嗣ぎ、二十四年に薨ず。〈師古曰:「齕の音は紇。下も同じ。」〉 | 元鼎四年、侯何が嗣ぐ。五年、酎金に坐して免ぜられる。 | 泰山元康四年、広の玄孫長安大夫猛、詔して家を復す。〈師古曰:「大夫は第五爵なり。家を復すは賦役を蠲くすなり。復の音は方目の反切。」〉 | |
| 六世 | 七世元寿二年五月甲子、侯勳は広の玄孫の孫長安公乗として紹封され、千戸、九年、王莽が位を簒い、絶つ。〈師古曰:「公乗は第八爵なり。」〉 |
右高祖
| 号諡名 | 属 | 始封位次 |
|---|---|---|
| 上邳侯郢客 | 楚元王の子。 | 128年5月丙申に封じられ、7年後、楚王となる。 |
| 朱虚侯章 | 齊悼惠王の子。 | 129年5月丙申に封じられ、8年後、城陽王となる。〈張晏曰:「高后2年に詔を下し丞相陳平に、列侯の位次を差第させたため、王子侯3人に第が付いたが、2年後は皆第が付かなくなった。」〉 |
| 東牟侯興居 | 齊悼惠王の子。 | 6年4月丁酉に封じられ、4年後、濟北王となる。 |
右高后
| 號諡名 | 屬 | 始封位次 | 子 |
|---|---|---|---|
| 管共侯罷軍〈師古曰:「罷は音皮彼反、また疲と読む。共は恭と読む。以下同様。」〉 | 齊悼惠王の子。 | 4年5月甲寅に封じられ、2年後に薨去。 | 6年、侯戎奴が嗣ぎ、20年後、孝景3年に反乱を起こし、誅殺される。 |
| 氏兵共侯國 | 齊悼惠王の子。 | 5月甲寅に封じられ、11年後に薨去。 | 15年、侯偃が嗣ぎ、10年後、孝景3年に反乱を起こし、誅殺される。 |
| 營平侯信都 | 齊悼惠王の子。 | 5月甲寅に封じられ、10年後に薨去。 | 14年、侯廣が嗣ぎ、11年後、孝景3年に反乱を起こし、誅殺される。 |
| 楊丘共侯安 | 齊悼惠王の子。 | 5月甲寅に封じられ、12年後に薨去。 | 16年、侯偃が嗣ぎ、11年後、孝景4年に国界を出た罪で、司寇に削られる。 |
| 楊虛侯將閭 | 齊悼惠王の子。 | 5月甲寅に封じられ、12年後、齊王となる。 | |
| 朸侯辟光〈師古曰:「朸音其力反。下亦同。」〉 | 齊悼惠王の子。 | 五月甲寅に封じられ、十二年、濟南王となる。 | |
| 安都侯志 | 齊悼惠王の子。 | 五月甲寅に封じられ、十二年、濟北王となる。 | |
| 平昌侯卬 | 齊悼惠王の子。 | 五月甲寅に封じられ、十二年、膠西王となる。 | |
| 武成侯賢 | 齊悼惠王の子。 | 五月甲寅に封じられ、十二年、菑川王となる。 | |
| 白石侯雄渠 | 齊悼惠王の子。 | 五月甲寅に封じられ、十二年、膠東王となる。 | |
| 阜陵侯安 | 淮南厲王の子。 | 八年五月丙午に封じられ、八年、淮南王となる。 | |
| 安陽侯勃 | 淮南厲王の子。 | 五月丙午に封じられ、八年、衡山王となる。 | |
| 陽周侯賜 | 淮南厲王の子。 | 五月丙午に封じられ、八年、廬江王となる。 | |
| 東城哀侯良 | 淮南厲王の子。 | 五月丙午に封じられ、七年で薨去、後継者なし。 |
右孝文
| 號諡名 | 屬 | 始封位次 | 子 | 孫 | 曾孫 |
|---|---|---|---|---|---|
| 平陸侯礼 | 楚元王の子。 | 元年四月乙巳に封じられ、三年で楚王となる。 | |||
| 休侯富 | 楚元王の子。 | 四月乙巳に封じられ、三年で兄の子楚王戊が反乱したため免官。三年、侯富は紅侯に改封され、六年で薨去、諡は懿。 | 七年、懐侯登が継承し、一年で薨去。 | 中元年、敬侯嘉が継承し、二十四年で薨去。 | 元朔四年、哀侯章が継承し、一年で薨去、後継者なし。 |
| 沈猷夷侯歳〈師古曰:「沈は審と読む。」〉 | 楚元王の子。 | 四月乙巳に封じられ、二十年で薨去。 | 建元五年、侯受が継承し、十八年、元狩五年、宗正として請願を聞き入れ、宗室の事を完備しなかった罪で、司寇に降格。〈師古曰:「受は宗正として、私的な請願を聞き入れ許したため、宗室の事が完備せず、罪を得た。」〉 | ||
| 宛朐侯埶〈師古曰:「埶は蓺と読む。」〉 | 楚元王の子。 | 四月乙巳に封じられ、三年で反乱し、誅殺される。 | |||
| 棘楽敬侯調 | 楚元王の子。 | 三年八月壬子に封じられ、十六年で薨去。 | 建元三年、恭侯応が継承し、十五年で薨去。 | 元朔元年、侯慶が継承し、十六年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | |
| 乗氏侯買 | 梁孝王の子。 | 中五年五月丁卯に封じられ、一年で梁王となる。 | |||
| 桓邑侯明 | 梁孝王の子。 | 五月丁卯に封じられ、一年で済川王となる。 |
右孝景
| 号諡名 | 属 | 始封位次 | 子 | 孫 | 曾孫 | 玄孫 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 茲侯明 | 河間献王子。 | 元光五年正月壬子に封じられ、四年後、元朔三年、人を殺した罪で自殺。 | ||||
| 安城思侯蒼 | 長沙定王子。 | 六年七月乙巳に封じられ、十三年で薨去。 | 元鼎元年、節侯自當が嗣ぐ。 | 侯寿光が嗣ぐが、五鳳二年、姉と乱行した罪で獄死。 | 豫章 | |
| 宜春侯成 | 長沙定王子。 | 七月乙巳に封じられるが、十七年後、元鼎五年、酎金違反で免官。 | ||||
| 句容哀侯黨〈師古曰:「句は章句の句と読む。」〉 | 長沙定王子。 | 七月乙巳に封じられるが、二年で薨去、後継者なし。 | 会稽 | |||
| 容陵侯福 | 長沙定王子。 | 七月乙巳に封じられるが、十七年後、元鼎五年、酎金違反で免官。 | ||||
| 杏山侯成 | 楚安王子。 | 後九月壬戌に封じられるが、十七年後、元鼎五年、酎金違反で免官。 | ||||
| 浮丘節侯不害 | 楚安王子。 | 後九月壬戌に封じられ、十一年で薨去。 | 元狩五年、侯霸が嗣ぎ、六年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 沛 | ||
| 広戚節侯将 | 魯共王子。 | 元朔元年十月丁酉に封じられ、薨去。 | 侯始が嗣ぎ、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | |||
| 丹陽哀侯敢 | 江都易王子。 | 十二月甲辰に封じられ、六年、元狩元年に薨去、後継者なし。 | 無湖 | |||
| 盱台侯蒙之 | 江都易王子。 | 十二月甲辰に封じられ、十六年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 胡孰頃侯胥行 | 江都易王子。 | 正月丁卯に封じられ、十六年で薨去。 | 元鼎五年、侯聖が嗣ぎ、逃亡者の戸籍を隠して保人としたことを知りながら、人を殺した罪で免官。 | 丹陽 | ||
| 秣陵終侯纏 | 江都易王子。 | 正月丁卯に封じられ、元鼎四年に薨去、後継者なし。 | ||||
| 淮陵侯定国 | 江都易王子。 | 正月丁卯に封じられ、十六年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 淮陵 | |||
| 張梁哀侯仁 | 梁共王子。 | 二年五月乙巳に封じられ、十三年で薨去。 | 元鼎三年、侯順が継承、二十三年、征和三年、奴隷に殺害される。 | |||
| 龍丘侯代 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、十五年、元鼎五年、酎金の罪で免職。 | 琅邪 | |||
| 劇原侯錯 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、十七年で死去。 | 元鼎二年、孝侯広昌が継承。 | 戴侯骨が継承。 | 質侯吉が継承。 | 節侯囂が継承。 |
| 六世侯勝容が継承。 | ||||||
| 懐昌夷侯高遂 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、二年で死去。 | 四年、胡侯延年が継承。 | 節侯勝時が継承。 | 侯可置が継承。 | |
| 平望夷侯賞 | 菑川懿王の子。 | 五年乙巳に封じられ、七年で死去。 | 元狩三年、原侯楚人が継承、二十六年で死去。 | 太始三年、敬侯光が継承、十四年で死去。 | 神爵四年、頃侯起が継承。 | 孝侯均が継承。 |
| 六世侯旦が継承。 | ||||||
| 臨衆敬侯始昌 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、三十一年で死去。 | 太始元年、康侯革生が継承し、十八年で死去。 | 元鳳三年、頃侯広平が継承し、死去。 | 原侯農が継承。 | 臨原節侯理が継承。 |
| 六世釐侯賢が継承。 | 七世侯商が継承、王莽が帝位を簒奪し、断絶。 | |||||
| 葛魁節侯寛 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、八年で死去。 | 元狩四年、侯戚が継承、五年、元鼎三年、家吏を縛り脅迫して賄賂を受け取った罪で、棄市に処される。 | |||
| 益都敬侯胡 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、死去。 | 原侯広が継承。 | 侯嘉が継承、元鳳三年、広の子でないことが発覚し免職。 | ||
| 平的戴侯強 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、十七年で死去。 | 元狩元年、思侯中時が継承、三十年で死去。 | 太始三年、節侯福が継承、十三年で死去。 | 神爵四年、頃侯鼻が継承。 | 釐侯利親が継承。 |
| 六世侯宣が継承。 | ||||||
| 劇魁夷侯黒 | 菑川懿王の子。 | 五月乙巳に封じられ、十七年で死去。 | 元狩元年、思侯招が継承、三年で死去。 | 四年、康侯徳が継承。 | 孝侯利親が継承。 | 釐侯嬰が継承。 |
| 六世侯向嗣。 | ||||||
| 壽梁侯守 | 菑川懿王子。 | 五月乙巳封,十五年,元鼎五年,坐酎金免。 | 壽樂 | |||
| 平度康侯行 | 菑川懿王子。 | 五月乙巳封,四十七年薨。 | 元鳳元年,節侯慶忌嗣,三年薨。 | 四年,質侯帥軍嗣。 | 頃侯欽嗣。 | 孝侯宗嗣。 |
| 六世侯嘉嗣。 | ||||||
| 宜成康侯偃 | 菑川懿王子。 | 五月乙巳封,十一年薨。 | 元鼎元年,侯福嗣,十二年,太初元年,坐殺弟棄市。 | 平原 | ||
| 臨朐夷侯奴〈師古曰:「朐音劬」。〉 | 菑川懿王子。 | 五月乙巳封,四十一年薨。 | 戴侯乘嗣。 | 節侯賞嗣。 | 孝侯信嗣。 | 東海安侯禕嗣。 〈師古曰:「禕音猗。」〉 |
| 六世侯岑嗣。 | ||||||
| 雷侯豨 | 城陽共王子。 | 五月甲戌封,十五年,元鼎五年,坐酎金免。 | 東海 | |||
| 東莞侯吉 | 城陽共王の子。 | 五月甲戌に封じられ、五年、持病により朝参できず、免官。 | ||||
| 辟土節侯壮〈師古曰:「辟音闢」。〉 | 城陽共王の子。 | 五月甲戌に封じられ、三年で薨去。 | 五年、侯明が継承、十二年、元鼎五年、酎金の罪により免官。 | 東海 | ||
| 尉文節侯丙 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、五年で薨去。 | 元狩元年、侯犢が継承、十年、元鼎五年、酎金の罪により免官。 | 南郡 | ||
| 封斯戴侯胡傷 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、二十五年で薨去。 | 太初三年、原侯如意が継承、五十二年で薨去。 | 甘露四年、孝侯宮が継承。 | 侯仁が継承。 | |
| 榆丘侯受福 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、十五年、元鼎五年、酎金の罪により免官。 | ||||
| 襄嚵侯建〈晉灼曰:「音內言嚵。」師古曰:「音士咸反。」〉 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、十五年、元鼎五年、酎金の罪により免官。 | 廣平 | |||
| 邯会衍侯仁 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、薨去。 | 哀侯慧が継承。 | 後元年、勤侯賀が継承、三十五年で薨去。 | 甘露元年、原侯張が継承。 | 釐侯康が継承。 |
| 六世節侯重が継承。 | 七世懷侯蒼が継承、薨去、後継者なし。 | |||||
| 朝節侯義 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、十三年で薨去。 | 元鼎三年、戴侯祿が継承。 | 侯固城が継承、五鳳四年、酎金が四両不足した罪で免職。 | ||
| 東城侯遺 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、十一年、元鼎元年、孺子に殺害される。〈師古曰:「孺子は妾の称号である。」〉 | ||||
| 陰城思侯蒼 | 趙敬肅王の子。 | 六月甲午に封じられ、十七年、太初元年で薨去。継承者に罪あり、代わることができず。 | ||||
| 廣望節侯忠 | 中山靖王の子。 | 六月甲午に封じられ、三十年で薨去。 | 天漢四年、頃侯中が継承、十三年で薨去。 | 始元三年、思侯何齊が継承。 | 恭侯遂が継承。 | 侯閣が継承。 |
| 將梁侯朝平 | 中山靖王の子。 | 六月甲午に封じられ、十五年、元鼎五年、酎金の罪で免職。 | 涿 | |||
| 薪館侯未央 | 中山靖王の子。 | 六月甲午に封じられ、十五年、元鼎五年、酎金の罪で免職。 | 涿 | |||
| 陸城侯貞 | 中山靖王の子。 | 六月甲午に封じられ、十五年、元鼎五年、酎金の罪により免官。 | 涿 | |||
| 薪處侯嘉 | 中山靖王の子。 | 六月甲午に封じられ、十五年、元鼎五年、酎金の罪により免官。 | 涿 | |||
| 蒲領侯嘉 | 広川恵王の子。 | 三年十月癸酉に封じられ、罪あり、絶える。 | 東海 | |||
| 西熊侯明 | 広川恵王の子。 | 十月癸酉に封じられ、薨じ、後継者なし。 | ||||
| 棗彊侯晏 | 広川恵王の子。 | 十月癸酉に封じられ、薨じ、後継者なし。 | ||||
| 畢梁侯嬰 | 広川恵王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十九年、元封四年、罪人を匿った罪により、鬼薪となる。 | 魏 | |||
| 旁光侯殷 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十年、元鼎元年、子銭を貸して租を占めず、利息を法を超えて取った罪により、赦免に会い、免官。 | 魏 | |||
| 距陽憲侯匄 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十四年で薨じる。 | 元鼎五年、侯淒が継承し、酎金の罪で免職された。〈師古曰:「淒は妻と読む」。〉 | |||
| 蔞節侯退〈師古曰:「蔞は力朱反と読む。」〉 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十六年で死去。 | 元封元年、釐侯嬰が継承し、二十二年で死去。 | 後元年、原侯益壽が継承し、三十一年で死去。 | 五鳳元年、安侯充世が継承し、三年で死去。 | 四年、侯遺が継承し、二十年、建始四年で死去、後継者なし。 |
| 阿武戴侯豫 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、二十四年で死去。 | 太初三年、敬侯宣が継承し、二十年で死去。 | 始元三年、節侯信が継承し、二十三年で死去。 | 神爵元年、釐侯嬰齊が継承。 | 頃侯黃が継承。 |
| 六世侯長乆が継承し、王莽が位を簒奪し、断絶。 | ||||||
| 參戶節侯免 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、四十六年で死去。 | 元鳳元年、敬侯嚴が継承。 | 頃侯元が継承。 | 孝侯利親が継承。 | 侯度が継承。 |
| 州鄉節侯禁 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十一年で死去。 | 元鼎二年、思侯齊が継承。 | 元封六年、憲侯惠が継承。 | 釐侯商が継承。 | 恭侯伯が継承。 |
| 六世侯禹が継承したが、王莽が帝位を簒奪したため、断絶した。 | ||||||
| 平城侯礼 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、六年後、元狩三年、脅迫して鶏を取って買い取らせた罪で免職され、さらに欺瞞を犯し、城旦(刑罰)にされた。 | ||||
| 広侯順 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十四年後、元鼎五年、酎金(祭祀用の金)の罪で免職された。 | 勃海 | |||
| 蓋胥侯譲 | 河間献王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十四年後、元鼎五年、酎金の罪で免職された。 | 魏 | |||
| 陰安康侯不害 | 済北貞王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十一年後に死去した。 | 元鼎三年、哀侯秦客が継承し、三年後に死去し、後継者がいなかった。 | 魏 | ||
| 栄関侯騫 | 済北貞王の子。 | 十月癸酉に封じられ、殺人を謀った罪で、赦免された。 | 茌平 | |||
| 周望康侯何 | 済北貞王の子。 | 十月癸酉に封じられ、八年後に死去した。 | 元狩五年、侯當時が継承し、六年后、元鼎五年、酎金の罪で免職された。 | |||
| 陪繆侯則 | 済北貞王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十一年後に死去した。 | 元鼎二年、侯邑が継承し、五年后、酎金の罪で免職された。 | 平原 | ||
| 前侯信〈師古曰:「字或作菆,音側流反。」〉 | 済北貞王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十四年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 平原 | |||
| 安陽侯楽 | 済北貞王の子。 | 十月癸酉に封じられ、三十八年で薨去。 | 後元元年、穅侯延年が継ぎ、十六年で薨去。 | 本始二年、康侯記が継ぎ、十五年で薨去。 | 五鳳元年、安侯戚が継ぐ。 | 平原哀侯得が継ぎ、薨去し、後継者なし。 |
| 五据侯臞丘〈師古曰:「臞音劬,又音懼。」〉 | 済北式王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十四年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 泰山 | |||
| 富侯龍 | 済北式王の子。 | 十月癸酉に封じられ、十六年、元康元年、奴に人を殺させた罪で下獄し、獄中死。 | ||||
| 平侯遂 | 済北式王の子。 | 十月癸酉に封じられ、四年、元狩元年、官馬を盗んだ者を知りながら隠匿した罪で、赦免後も労役に服す。〈師古曰:「有人盗馬,爲藏匿之,雖會赦,猶復作。復作者,徒役也。復音扶目反。」〉 | ||||
| 羽康侯成 | 済北式王の子。 | 十月癸酉に封じられ、六十年で薨去。 | 地節三年、恭侯係が継ぐ。 | 侯棄が継ぎ、王莽が位を簒奪し、断絶。 | ||
| 胡母侯楚 | 済北式王の子。 | 二月癸酉に封じられ、十四年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 泰山 | |||
| 離石侯綰 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、後に涉侯に改められ、上書で欺いた罪により、鬼薪の刑に処せられた。 | ||||
| 邵侯順 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、二十六年後、天漢元年、人と奴隷合わせて十六人を殺害し、匈奴の騎兵千人を捕らえたと偽った罪により、免官された。 | ||||
| 利昌康侯嘉 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、五十一年後に死去。 | 元鳳五年、戴侯楽が継承し、十二年にして死去。 | 元康二年、頃侯万世が継承。 | 節侯光禄が継承。 | 刺侯殷が継承。 |
| 六世侯換が継承し、王莽が帝位を簒奪したため、断絶。 | ||||||
| 藺侯罷軍 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、後に武原侯に改められ、盗賊の罪により免官された。 | 西河 | |||
| 臨河侯賢 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、後に高俞侯に改められ、酎金の罪により免官された。 | ||||
| 濕成侯忠 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、後に端氏侯に改められ、死去し、後継者がいなかった。 | ||||
| 土軍侯郢客 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、後に鉅乗侯に改められ、酎金の罪により免官された。 | ||||
| 臯琅侯遷 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、死去し、後継者がいなかった。 | 臨淮 | |||
| 千章侯遇 | 代共王の子。 | 正月壬戌に封じられ、後に夏丘侯と改められ、酎金の罪で免官。 | 平原 | |||
| 博陽頃侯就 | 齊孝王の子。 | 三月乙卯に封じられ、薨去。 | 侯終古が継承し、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 濟南 | ||
| 寧陽節侯恬 | 魯共王の子。 | 三月乙卯に封じられ、五十二年で薨去。 | 元鳳六年、安侯慶忌が継承し、十八年で薨去。 | 五鳳元年、康侯信が継承。 | 孝侯扈が継承。 | 侯方が継承。 |
| 瑕丘節侯政 | 魯共王の子。 | 三月乙卯に封じられ、五十三年で薨去。 | 元平元年、思侯國が継承し、四年で薨去。 | 本始四年、孝侯湯が継承し、十年で薨去。 | 神爵二年、煬侯奉義が継承。 | 釐侯遂成が継承。 |
| 六世侯禹が継承。 | ||||||
| 公丘夷侯順 | 魯共王の子。 | 三月乙卯に封じられ、三十年で薨去。 | 太始元年、康侯置が継承。 | 地節四年、煬侯延壽が継承し、九年で薨去。 | 五鳳元年、思侯賞が継承。 | 侯元が継承、王莽が帝位を簒奪し、断絶。 |
| 郁桹侯驕〈師古曰:「桹は狼と音す」。〉 | 魯共王の子。 | 三月乙卯に封じられ、十四年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 西昌侯敬 | 魯共王の子。 | 三月乙卯に封じられ、十四年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 陸地侯義 | 中山靖王の子。 | 三月乙卯に封じられ、十四年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 辛処 | |||
| 邯平侯順 | 趙敬肅王の子。 | 三月乙卯に封じられ、十四年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 広平 | |||
| 武始侯昌 | 趙敬肅王の子。 | 四月甲辰に封じられ、三十四年、趙王となる。 | 魏 | |||
| 𤊱氏節侯賀 | 趙敬肅王の子。 | 四月甲辰に封じられ、十八年で薨去。 | 元封三年、思侯安意が継承、二十七年で薨去。 | 始元六年、康侯千秋が継承、十六年で薨去。 | 元康元年、孝侯漢強が継承。 | 侯酆が継承、王莽が帝位を簒奪し、断絶。 |
| 易安侯平 | 趙敬肅王の子。 | 四月甲辰に封じられ、二十年で薨去。 | 元封五年、康侯種が継承。 | 侯德が継承、始元元年、人を殺した罪で免職。 | 鄗〈師古曰:「鄗は音呼各反。」〉 | |
| 路陵侯童 | 長沙定王の子。 | 四年三月乙丑に封じられ、四年、元狩二年、人を殺した罪で自殺。 | 南陽 | |||
| 攸輿侯則 | 長沙定王の子。 | 三月乙丑に封じられ、二十二年、太初元年、死刑囚を奪った罪で棄市。 | 南陽 | |||
| 荼陵節侯訢〈師古曰:「荼は音塗。訢は欣と同じ。」〉 | 長沙定王の子。 | 三月乙丑に封じられ、十年で死去。 | 元鼎二年、哀侯湯が継承、十一年、太初元年で死去、後継者なし。 | 桂陽 | ||
| 建成侯拾 | 長沙定王の子。 | 三月乙丑に封じられ、元鼎二年、使者に璧と皮を薦めて奉げさせ、元年十月の賀に間に合わなかった罪で免職。〈師古曰:「皮で璧を薦めた。当時は十月を歳首とし、賀に間に合わなかった。」〉 | ||||
| 安衆康侯丹 | 長沙定王の子。 | 三月乙丑に封じられ、三十年で死去。 | 元封六年、節侯山柎が継承、三十八年で死去。〈師古曰:「柎は音方於反。」〉 | 地節三年、繆侯毋妨が継承。 | 釐侯襃が継承。 | 侯㱈が継承。〈師古曰:「㱈は音其禁反、また音其錦反。」〉 |
| 侯崇が継承、居摂元年に挙兵し、王莽に滅ぼされる。 | ||||||
| 侯寵、建武二年に崇の従父弟として紹封。 | 建武十三年、侯松が継承。 | 今見〈師古曰:「表を作成した時点で侯である。」〉 | ||||
| 葉平侯喜〈師古曰:「葉音式涉反。」〉 | 長沙定王の子。 | 三月乙丑に封じられ、十三年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 利郷侯嬰 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、五年、元狩三年、罪により免官。 | ||||
| 有利侯釘〈師古曰:「音丁,又音鼎。」〉 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、三年、元狩元年、淮南王に書を送り臣と称した罪で棄市。 | 東海 | |||
| 東平侯慶 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、五年、元狩三年、姉と姦通した罪で獄死。 | 東海 | |||
| 運平侯記 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、十三年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 東海 | |||
| 山州侯齒 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、十三年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 海常侯福 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、十三年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 琅邪 | |||
| 騶丘敬侯寬 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、六年で薨去。 | 元狩四年、原侯報德が嗣ぐ。 | 侯毋害が嗣ぎ、本始二年、兄を殺させた罪で棄市。 | ||
| 南城節侯貞 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、四十二年で薨去。 | 始元四年、戴侯猛が嗣ぎ、二十二年で薨去。 | 神爵元年、元侯尊が嗣ぎ、二年で薨去。 | 四年、釐侯充国が嗣ぐ。 | 頃侯遂が嗣ぐ。 |
| 六世侯友が嗣ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 | ||||||
| 広陵虒侯裘〈晋灼曰:「虒は斯と音す。」〉 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、七年で薨去。 | 元狩五年、侯成が嗣ぎ、六年、元鼎五年、酎金に坐して免じられる。 | |||
| 杜原侯臯 | 城陽共王の子。 | 三月乙丑に封じられ、十三年、元鼎五年、酎金に坐して免じられる。 | ||||
| 臨楽敦侯光〈師古曰:「敦の字は或いは弋灼反と音し、又は敫と作す、古の穆の字なり。」〉 | 中山靖王の子。 | 四月甲午に封じられ、二十年で薨去。 | 元封六年、憲侯建が嗣ぐ。 | 列侯固が嗣ぐ。 | 五鳳三年、節侯万年が嗣ぐ。 | 侯広都が嗣ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 |
| 東野戴侯章 | 中山靖王の子。 | 四月甲午に封じられ、薨去。 | 侯中時が嗣ぎ、太初四年に薨去し、後継者なし。 | |||
| 高平侯喜 | 中山靖王の子。 | 四月甲午に封じられ、十三年、元鼎五年、酎金に坐して免じられる。 | 平原 | |||
| 広川侯頗 | 中山靖王の子。 | 四月甲午に封じられ、十三年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 重侯擔〈師古曰:「擔は丁甘反と音す。」〉 | 河間献王の子。 | 四月甲午に封じられ、四年、元狩二年、秋請に人を使わない罪で免官。〈師古曰:「請は材姓反と音す。」〉 | 平原 | |||
| 被陽敬侯燕〈師古曰:「被は疲彼反と音す。千乗の県なり。」〉 | 斉孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、十三年で薨去。 | 元鼎五年、穅侯偃が嗣ぎ、二十八年で薨去。 | 始元二年、頃侯壽が嗣ぐ。 | 孝侯定が嗣ぐ。 | 節侯閎が嗣ぐ。 |
| 六世侯廣が嗣ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 | ||||||
| 定敷侯越 | 斉孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、十二年で薨去。 | 元鼎四年、思侯德が嗣ぎ、五十一年で薨去。 | 元康四年、憲侯福が嗣ぐ。 | 恭侯湯が嗣ぐ。 | 定侯乘が嗣ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 |
| 稻夷侯定 | 斉孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、薨去。 | 簡侯陽都が嗣ぐ。 | 本始二年、戴侯鹹が嗣ぎ、四十二年で薨去。 | 甘露元年、頃侯閱が嗣ぐ。 | 侯永が嗣ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 |
| 山原侯國 | 斉の孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、二十七年で薨去。五百五十戸。 | 天漢三年、康侯の棄が嗣ぎ、十四年で薨去。 | 始元三年、安侯の守が嗣ぎ、二十二年で薨去。 | 侯の發が嗣ぐ。 | 勃海の甘露二年、孝侯の外人が嗣ぎ、十八年、建始五年で薨去。 |
| 繁安夷侯の忠 | 斉の孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、十八年で薨去。 | 元封四年、安侯の守が嗣ぐ。 | 節侯の壽漢が嗣ぐ。 | 元鳳五年、頃侯の嘉が嗣ぐ。 | 孝侯の光が嗣ぐ。 |
| 六世の侯の起が嗣ぐ。 | ||||||
| 柳康侯の陽已 | 斉の孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、薨去。 | 敷侯の罷師が嗣ぐ。 | 於侯の自爲が嗣ぐ。 | 安侯の攜が嗣ぐ。 | 繆侯の軻が嗣ぐ。 |
| 六世の侯の守が嗣ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 | ||||||
| 雲夷侯の信 | 斉の孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、十四年で薨去。 | 元鼎六年、侯の茂發が嗣ぐ。 | 太始二年、康侯の遂が嗣ぐ。 | 釐侯の終古が嗣ぐ。 | 侯の得之が嗣ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 |
| 牟平共侯の渫〈師古曰:「渫は音、先列反。」〉 | 斉孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、五年で薨去。 | 元狩三年、節侯奴が継承し、二十五年で薨去。 | 太始二年、敬侯更生が継承し、二十九年で薨去。 | 地節四年、康侯建が継承し、一年で薨去。 | 元康元年、孝侯齕が継承。 |
| 六世釐侯威が継承。 | 七世侯隆が継承し、王莽が位を簒奪し、絶える。 | |||||
| 柴原侯代 | 斉孝王の子。 | 四月乙卯に封じられ、三十四年で薨去。 | 征和二年、節侯勝之が継承し、二十七年で薨去。 | 元康二年、敬侯賢が継承。 | 三年、康侯斉が継承。 | 恭侯莫如が継承し、薨去し、後継者なし。 |
| 柏暢戴侯終古 | 趙敬粛王の子。 | 五年十一月辛酉に封じられ、薨去。 | 侯朱が継承し、始元三年に薨去し、後継者なし。 | 中山 | ||
| 歊安侯延年〈師古曰:「歊音許昭反。」〉 | 趙敬粛王の子。 | 十一月辛酉に封じられ、十二年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 乗丘節侯将夜 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、十一年で薨去。 | 元鼎四年、戴侯徳が継承。 | 侯外人が継承し、元康四年、子の時に後母と乱行した罪で免官。 | ||
| 高丘哀侯破胡 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、八年後、元鼎元年に薨去、後継者なし。 | ||||
| 柳宿夷侯蓋 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、四年後に薨去。 | 元狩三年、侯蘇が継承、八年後、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | |||
| 戎丘侯讓 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、十二年后、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 樊輿節侯脩 | 中山靖王の子。 | 二月癸酉に封じられ、三十六年後に薨去。 | 後元年、煬侯過倫が継承。 | 思侯異衆が継承。 | 頃侯土生が継承。 | 侯自予が継承、王莽が位を簒奪し、断絶。 |
| 曲成侯萬歳 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、十二年后、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 涿 | |||
| 安郭于侯傳富 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、薨去。五百二十戸。 | 釐侯偃が継承。 | 侯崇が継承、元康元年、死罪者を匿った罪で免官。 | 涿 | |
| 安險侯應 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、十二年后、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 安道侯恢 | 中山靖王の子。 | 三月癸酉に封じられ、十二年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 夫夷敬侯義 | 長沙定王の子。 | 三月癸酉に封じられ、十二年で薨去。 | 元鼎五年、節侯禹が継ぎ、五十八年で薨去。 | 五鳳三年、頃侯奉宗が継ぐ。 | 釐侯慶が継ぐ。 | 懷侯福が継ぐ。 |
| 六世侯商が継ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 | ||||||
| 舂陵節侯買 | 長沙定王の子。 | 六月壬子に封じられ、四年で薨去。 | 元狩三年、戴侯熊渠が継ぎ、五十六年で薨去。 | 元康元年、孝侯仁が継ぐ。 | 侯敞が継ぐ。 | 建武二年、敞の子祉を城陽王に立てる。 |
| 都梁敬侯定 | 長沙定王の子。 | 六月壬子に封じられ、八年で薨去。 | 元鼎元年、頃侯傒が継ぐ。〈師古曰:「傒は胡禮反と読む。」〉 | 節侯弘が継ぐ。 | 原侯順懷が継ぐ。 | 煬侯容が継ぐ。 |
| 六世侯佗人が継ぎ、王莽が位を簒奪し、絶える。 | ||||||
| 洮陽靖侯狩燕 | 長沙定王の子。 | 六月壬子に封じられ、七年、元狩六年で薨去、後継ぎなし。 | ||||
| 衆陵節侯賢 | 長沙定王の子。 | 六月壬子に封じられ、五十年で薨去。 | 本始四年、戴侯真定が継承し、二十二年で死去。 | 黄龍元年、頃侯慶が継承。 | 侯骨が継承、王莽が帝位を簒奪し、断絶。 | |
| 終弋侯広置 | 衡山王の子に賜る。 | 六年四月丁丑に封じられ、十一年、元鼎五年、酎金の罪で免官。 | 汝南 | |||
| 麦侯昌 | 城陽頃王の子。 | 元鼎元年四月戊寅に封じられ、五年、酎金の罪で免官。 | 琅邪 | |||
| 鉅合侯発 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年、酎金の罪で免官。 | 平原 | |||
| 昌侯差 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年、酎金の罪で免官。 | 琅邪 | |||
| 蕢侯方〈師古曰:「蕢は口怪反と発音し、字は費とも書き、扶未反と発音する。また祕とも発音する。」〉 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年、酎金の罪で免官。 | ||||
| 虖葭康侯澤〈師古曰:「虖は乎と発音。葭は工遐反と発音。」〉 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、六十二年で死去。 | 神爵元年、夷侯舞が継承。 | 頃侯閣が継承。 | 侯永が継承、王莽が帝位を簒奪し、断絶。 | |
| 原洛侯敢 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、二十六年後、征和三年に人を殺して棄市の刑に処せられた。 | 琅邪 | |||
| 挾術侯昆景 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、十六年後、天漢元年に薨去し、後継者がいなかった。 | 琅邪 | |||
| 挾釐侯霸 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、三十五年後に薨去。 | 始元五年に夷侯戚が継承し、二十一年後に薨去。 | 神爵元年に爵侯賢が継承。 | 頃侯思が継承。 | 孝侯衆が継承し、薨去し、後継者がいなかった。 |
| 扐節侯讓 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、薨去。 | 侯興が継承し、人に殺害された。 | 平原 | ||
| 文成侯光 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免官された。 | 東海 | |||
| 校靖侯雲〈師古曰:「校音効。」〉 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免官された。 | ||||
| 庸侯餘 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、罪を犯して死んだ。 | 琅邪 | |||
| 翟侯壽 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免官。 | 東海 | |||
| 鱣侯応(師古注:「鱣は竹連反と読む。」) | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免官。 | 襄賁(師古注:「賁は奔と読み、また肥とも読む。」) | |||
| 彭侯強 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免官。 | 東海 | |||
| 瓡節侯息(師古注:「瓡は即ち瓠の字で、また孤とも読む。」) | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五十五年にて薨去。 | 元康四年、質侯守が継承し、七年後に薨去。 | |||
| 虚水康侯禹 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、三十八年後に薨去。 | 地節元年、息侯爵が継承し、七年後に薨去。 | 五鳳四年、侯敞が継承し、王莽が位を簒奪したため、絶える。 | ||
| 東淮侯類 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免官。 | 北海 | |||
| 拘侯賢 | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免官。 | 千乗 | |||
| 淯侯不疑(師古注:「淯は育と読む。」) | 城陽頃王の子。 | 四月戊寅に封じられ、五年後、酎金の罪で免職。 | 東海 | |||
| 陸元侯何 | 菑川靖王の子。 | 七月辛卯に封じられ、死去。 | 原侯賈が継承。 | 侯延壽が継承、五鳳三年、妹の夫が逃亡したことを知りながら二百回の鞭打ちを加え、罪人を匿った罪で免職。 | 壽光 | |
| 廣饒康侯國 | 菑川靖王の子。 | 七月辛卯に封じられ、五十年後に死去。 | 地節三年、共侯坊が継承、十四年後に死去。 | 甘露元年、侯麟が継承、王莽が帝位を簒奪し、断絶。 | ||
| 缾敬侯成 | 菑川靖王の子。 | 七月辛卯に封じられ、五十四年後に死去。 | 地節二年、頃侯龍が継承、五十年後に死去。 | 元康三年、原侯融が継承。 | 侯閔が継承、王莽が帝位を簒奪し、断絶。 | |
| 俞閭煬侯毋害 | 菑川靖王の子。 | 七月辛卯に封じられ、四十四年後に死去。 | 地節三年、原侯況が継承、十年後に死去。 | 五鳳元年、侯暽が継承、十二年後、初元三年に死去、後継者なし。 | ||
| 甘井侯光 | 廣川繆王の子。 | 七月乙酉に封じられ、二十五年後、征和二年、人を殺害した罪で市で処刑。 | 鉅鹿 | |||
| 襄隄侯聖 | 廣川繆王の子。 | 七月辛卯に封じられ、五十年後、地節四年、奉酎金が斤八両で四両不足した罪により、免官された。 | 元始二年、聖の子倫が曾祖父の広川恵王の曾孫として広徳王となった。 | 鉅鹿 | ||
| 臯虞煬侯建〈師古曰:「煬は戈向の反切音。後も同様。」〉 | 膠東康王の子。 | 元封元年五月丙午に封じられ、九年で薨去。 | 太初四年、穅侯定が継承し、十四年で薨去。 | 本始二年、節侯裒が継承。 | 釐侯勳が継承。 | 頌侯顯が継承。 |
| 六世侯楽が継承し、王莽が帝位を簒奪したため、断絶。 | ||||||
| 魏其煬侯昌 | 膠東康王の子。 | 五月丙午に封じられ、十七年で薨去。 | 本始四年、原侯傅光が継承し、三十三年で薨去。 | 甘露三年、孝侯禹が継承。 | 質侯蟜が継承。〈師古曰:「蟜は矯の音。」〉 | 侯嘉が継承し、王莽が帝位を簒奪したため、断絶。 |
| 祀玆侯延年 | 膠東康王の子。 | 五月丙午に封じられ、五年後、印綬を棄てて国を出た罪により免官。 | 琅邪 | |||
| 高楽康侯〈師古曰:「史書に名が失われている。」〉 | 斉孝王の子。 | 封じられた年が不明で、薨去し、後継者なし。 | 済南 | |||
| 参鬷侯則〈晋灼曰:「鬷は悾鬷の音。」師古曰:「子弄の反切音、また子公の反切音。」〉 | 広川恵王の子。 | 封じられた年が不明で、酎金の罪により免官。 | 東海 | |||
| 沂陵侯喜〈師古注:「沂の音は牛衣の反切。」〉 | 広川恵王の子。 | 封を受けた年は不明、酎金の罪で免官。 | 東海 | |||
| 瀋陽侯自為 | 河間献王の子。 | 封を受けた年は不明。 | 勃海 | |||
| 漳北侯寛 | 趙敬粛王の子。 | 封を受けた年は不明、元鳳三年、奴隷に殺害される。 | 魏 | |||
| 南䜌侯佗〈師古注:「䜌の音は力専の反切。」〉 | 趙敬粛王の子。 | 封を受けた年は不明、征和二年、酎金の罪で免官。 | 鉅鹿 | |||
| 南陵侯慶 | 趙敬粛王の子。 | 封を受けた年は不明、後三年、沛郡太守として横暴に振る舞い上を欺いた罪で、獄に下され獄死。 | 臨淮 | |||
| 鄗侯舟〈師古注:「鄗の音は呼各の反切。」〉 | 趙敬粛王の子。 | 封を受けた年は不明、征和四年、上を呪詛した罪で、腰斬に処される。〈師古注:「𥛜は古い詛の字、音は側據の反切。」〉 | 常山 | |||
| 安檀侯福 | 趙敬粛王の子。 | 封を受けた年は不明、後三年、常山太守として上を呪詛した罪で、取り調べ未了のまま病死。〈師古注:「訊とは拷問すること。」〉 | 魏 | |||
| 爰戚侯当 | 趙敬粛王の子。 | 封年を得ず、後三年、兄の廖と謀反を謀り、自殺した。 | 済南 | |||
| 栗節侯楽 | 趙敬粛王の子。 | 征和元年に封じられ、二十七年で薨去。 | 地節四年、煬侯忠が継承。 | 質侯終根が継承。 | 侯況が継承。 | |
| 洨夷侯周舎〈師古曰:「洨は交と音し、また爻と音す。」〉 | 趙敬粛王の子。 | 元年に封じられ、薨去。 | 孝侯恵が継承。 | 節侯迺始が継承。 | 哀侯勲が継承。 | 侯承が継承。 |
| 猇節侯起〈晋灼曰:「猇は内言鴞と音す。」師古曰:「于虯反と音す。」〉 | 趙敬粛王の子。 | 元年に封じられ、十三年で薨去。 | 始元六年、夷侯充国が継承、二十年で薨去。 | 神爵元年、恭侯広明が継承。 | 釐侯固が継承。 | 侯鉅鹿が継承。 |
| 揤裴戴侯道〈鄭氏曰:「揤裴は即非と音し、肥郷県南五里にあり、即非城なり。」〉 | 趙敬粛王の子。 | 元年に封じられ、十二年で薨去。 | 元鳳元年、哀侯尊が継承。 | 頃侯章が継承。 | 釐侯景が継承。 | 東海侯発が継承。 |
| 澎侯屈釐〈師古曰:「澎は彭と音し、東海県なり。屈は丘勿反と音し、また求勿反と音す。」〉 | 中山靖王の子。 | 二年三月丁巳に封じられ、三年、丞相として祝𥛜の罪に坐し、腰斬に処せられた。 |
右孝武