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巻02

巻02 天監元年

天監元年

原文天監元年

天監元年夏四月丙寅の日、高祖は南郊において皇帝の位に即いた。壇を設け柴を焚き、天に類を告げて言った。「皇帝臣の衍は、敢えて玄牡を用い、皇天后帝に明らかに告げます。斉氏は歴運が既に尽き、否が極まれば亨通となる道理により、天の応えを敬い、衍に命を下されました。司牧の任は、ただ有能な者に授けられるものであり、天命は常に一定ではなく、帝王は一つの一族に限られません。唐が謝し虞が受け、漢が替わり魏が昇り、さらに晋、宋に至るまで、昔の法式に従ってきました。皆、君主の徳をもって四海を治め、大いなる功績をもって万姓を子のように慈しんだため、広く民衆を庇護し、天下に光を及ぼすことができました。斉代の末世においては、世の主は昏愚で凶暴であり、狡猾な群悪を崇め長とし、その奸回暴乱をほしいままにして、我が国に虐政を広め、天下を戦慄させ、深い淵に陥らんとしていました。九服八荒の内、連率や岳牧の君たちは、額を地に打ち付けて拝礼しても、匡救する術がなく、薪の上に臥して火がつくのを待つように、天に訴えても応えはありませんでした。衍は袖を振るって星の下に出陣し、万里の彼方で敵鋒を摧き、掛冠の情を奮い立たせ、兆民の危急を救おうとしました。胆を噛んで衆に誓い、鋭鋒を覆し堅陣を屠り、人主を立てて、昏乱を克く剪除しました。こうして時運に乗じて、邦国の宰司となり、民を済い世を康んじることに、実にその労苦がありました。そして、日影と星象が祥瑞を呈し、山川が福を効し、朝夕の郊野や牧地、日月の照らす郊畿においても、代が終わる符瑞が既に顕れ、革運の期が既に集まりました。異なる風俗の百蛮も、重ねて通訳して貢ぎ物を献じ、人も神も遠近を問わず、和会しないものはありませんでした。ここに至り、群公卿士は皆、その誠を尽くし、ともに皇天が命を下されたことを以て、謙遜して拒むことは難しいと致しました。斉帝は万邦を脱ぎ捨てるように、神器を授けられました。衍は自ら徳のないことを思い、辞退しましたが、許されませんでした。上は上玄の眷顧に迫られ、下は億兆の心を思い、宸極は久しく空しくしておくことはできず、民神は主を欠くことはできないため、遂に楽推を藉りて、この嘉祚を受けました。この寡薄をもって、万方に臨み御することとなり、夙志を顧み求め、永く言うに祗り惕むばかりです。謹んで元辰を選び、この大礼を恭しく執り行い、壇に昇って禅を受け、上帝に類を告げ、美しい福祉を播き、盛んな功業を弘め、その跡を伝え、我が有梁を永く保つために用います。どうか明らかな霊よ、お受け取りください。」

原文天監元年夏四月丙寅,高祖卽皇帝位於南郊。設壇柴燎,告類于天曰:「皇帝臣衍,敢用玄牡,昭告于皇天后帝:齊氏以曆運斯旣,否終則亨,欽若天應,以命于衍。夫任是司牧,惟能是授;天命不于常,帝王非一族。唐謝虞受,漢替魏升,爰及晉、宋,憲章在昔。咸以君德馭四海,元功子萬姓,故能大庇氓黎,光宅區宇。齊代云季,世主昏凶,狡焉羣慝,是崇是長,肆厥姦回暴亂,以播虐于我有邦,俾溥天惴惴,將墜于深壑。九服八荒之內,連率岳牧之君,蹶角頓顙,匡救無術,臥薪待然,援天靡訴。衍投袂星言,摧鋒萬里,厲其掛冠之情,用拯兆民之切。銜膽誓衆,覆銳屠堅,建立人主,克翦昏亂。遂因時來,宰司邦國,濟民康世,實有厥勞。而晷緯呈祥,川岳效祉,朝夕坰牧,日月郊畿。代終之符旣顯,革運之期已萃,殊俗百蠻,重譯獻款,人神遠邇,罔不和會。於是羣公卿士,咸致厥誠,並以皇乾降命,難以謙拒。齊帝脫屣萬邦,授以神器。衍自惟匪德,辭不獲許。仰迫上玄之眷,俯惟億兆之心,宸極不可久曠,民神不可乏主,遂藉樂推,膺此嘉祚。以茲寡薄,臨御萬方,顧求夙志,永言祗惕。敬簡元辰,恭茲大禮,升壇受禪,告類上帝,克播休祉,以弘盛烈,式傳厥後,用永保于我有梁。惟明靈是饗。」

礼が終わると、法駕を整えて建康宮に赴き、太極前殿に臨んだ。詔を下して言った。「五精が次々に襲い、皇王がこれによって命を受ける。四海が楽しく推戴し、殷、周がこれによって文物を改める。禅譲ぜんじょうと放伐は相違し、遭遇する時勢は異なるが、微明が代わる代わる用いられ、その流れは遠い。民を振い徳を育み、その光を黎元に被うことのない者はなかった。朕は寡闇にして、命は先後せず、寧済の功は、期運に属すべきものであった。この時来に乗じ、万物に心を因み、遂にその弛んだ綱維を振るい起こし、区夏を大いに造った。永く前の蹤跡を言えば、その義は慙徳に等しい。斉氏は代が終わるに符瑞があり、歴数が改まるというので、前載を敬い、大命を朕の身に集めた。顧みるに菲徳をもって、辞退しても命を得ず、寅畏して上霊に従い、景業を受けるに至った。禋柴の礼を執り、能ある者に与えるべき福を受け、百王の跡を継ぎ、四海に君臨する。大河を渡るが如く、どう渡るべきか知らない。洪大な基業が初めて兆し、万物が始動する。慶沢を施し、率土に広く及ぼそうと思う。天下を大赦することができる。斉の中興二年を改めて天監元年とする。民に爵位を二級賜う。文武の官は位を二等加える。鰥寡孤独で自活できない者には、一人あたり穀物五斛を与える。未納の布、口銭、古い債務は再び徴収しない。郷論清議に犯し、贓汙淫盗の罪のある者は、すべて洗い清め、以前の注記を除き、更始させる。」

原文禮畢,備法駕卽建康宮,臨太極前殿。詔曰:「五精遞襲,皇王所以受命;四海樂推,殷、周所以改物。雖禪代相舛,遭會異時,而微明迭用,其流遠矣。莫不振民育德,光被黎元。朕以寡闇,命不先後,寧濟之功,屬當期運,乘此時來,因心萬物,遂振厥弛維,大造區夏,永言前蹤,義均慙德。齊氏以代終有𧗲,歷數云改,欽若前載,集大命于朕躬。顧惟菲德,辭不獲命,寅畏上靈,用膺景業。執禋柴之禮,當與能之祚,繼迹百王,君臨四海,若涉大川,罔知攸濟。洪基初兆,萬品權輿,思俾慶澤,覃被率土。可大赦天下。改齊中興二年爲天監元年。賜民爵二級;文武加位二等;鰥寡孤獨不能自存者,人穀五斛。逋布、口錢、宿債勿復收。其犯鄉論清議,贓汙淫盜,一皆蕩滌,洗除前注,與之更始。」

斉帝を巴陵王に封じ、一郡を全食邑とした。天子の旌旗を用い、五時の副車に乗ることを許す。斉の正朔を行い、天地を郊祀し、礼楽制度はすべて斉の典拠を用いる。斉の宣徳皇后は斉の文帝の妃とし、斉の后の王氏は巴陵王妃とした。

原文封齊帝爲巴陵王,全食一郡。載天子旌旗,乘五時副車。行齊正朔。郊祀天地,禮樂制度,皆用齊典。齊宣德皇后爲齊文帝妃,齊后王氏爲巴陵王妃。

詔して言った。「興運の升降は、前代の旧章である。斉の世の王侯の封爵は、すべて降格または廃止する。そのうち艱難において功績が顕著な者は、別に後の命令がある。ただ宋の汝陰王のみは除例に含めない。」また詔して言った。「大運が初めて昇り、嘉慶が始まる。劫賊の残党で台府に没収されている者は、すべて赦免して放免せよ。諸々の流刑や移住の家は、皆、本籍地に戻ることを許す。」

原文詔曰:「興運升降,前代舊章。齊世王侯封爵,悉皆降省。其有效著艱難者,別有後命。惟宋汝陰王不在除例。」又詔曰:「大運肇升,嘉慶惟始,劫賊餘口沒在臺府者,悉可蠲放。諸流徙之家,並聽還本。」

皇考を追尊して文皇帝とし、廟号を太祖とした。皇妣を追尊して献皇后とした。妃の郗氏を追諡おくりなして徳皇后とした。兄の太傅懿を追封して長沙郡王とし、諡を宣武とした。斉の後軍諮議の敷を追封して永陽郡王とし、諡を昭とした。弟の斉の太常暢を追封して衡陽郡王とし、諡を宣とした。斉の給事黄門侍郎の融を追封して桂陽郡王とし、諡を簡とした。

原文追尊皇考爲文皇帝,廟曰太祖;皇妣爲獻皇后。追諡妃郗氏爲德皇后。追封兄太傅懿爲長沙郡王,諡曰宣武;齊後軍諮議敷爲永陽郡王,諡曰昭;弟齊太常暢爲衡陽郡王,諡曰宣;齊給事黃門侍郎融爲桂陽郡王,諡曰簡。

この日、詔を下して文武功臣で新たに車騎將軍に任じられた夏侯詳ら十五人を公侯に封じ、食邑をそれぞれ差等を与えた。弟の中護軍宏を揚州刺史とし、臨川郡王に封じた。南徐州刺史の秀を安成郡王とした。雍州刺史の偉を建安郡王とした。左衛將軍の恢を鄱陽郡王とした。荊州刺史の憺を始興郡王とした。

原文是日,詔封文武功臣新除車騎將軍夏侯詳等十五人爲公侯,食邑各有差。以弟中護軍宏爲揚州刺史,封爲臨川郡王;南徐州刺史秀安成郡王;雍州刺史偉建安郡王;左衛將軍恢鄱陽郡王;荊州刺史憺始興郡王。

丁卯の日、領軍將軍王茂に鎮軍將軍を加えた。中書監王亮を尚書令、中軍將軍とした。相国左長史王瑩を中書監、撫軍將軍とした。吏部尚書沈約を尚書僕射とした。長兼侍中範雲を散騎常侍、吏部尚書とした。

原文丁卯,加領軍將軍王茂鎮軍將軍。以中書監王亮爲尚書令、中軍將軍,相國左長史王瑩爲中書監、撫軍將軍,吏部尚書沈約爲尚書僕射,長兼侍中範雲爲散騎常侍、吏部尚書。

詔して言った。「宋氏以来、共に淫侈をほしいままにし、傾宮の富は遂に数千に満ちた。五都を推算し、四海を愁窮させ、共に冤横に罹り、拘逼されることは一様ではなかった。弦を撫で管を命じても、良家は免除されず、織室や繡房では、幽厄の身であってもなお使役された。国を弊わせ和を傷つけること、これより甚だしいものはない。凡そ後宮の楽府、西解の暴室、このような類のものは、すべて放免して帰郷させよ。もし老衰して自活できない者は、官が廩食を与える。」

原文詔曰:「宋氏以來,並恣淫侈,傾宮之富,遂盈數千。推算五都,愁窮四海,並嬰罹冤橫,拘逼不一。撫弦命管,良家不被蠲;織室繡房,幽厄猶見役。弊國傷和,莫斯爲甚。凡後宮樂府,西解暴室,諸如此例,一皆放遣。若衰老不能自存,官給廩食。」

戊辰の日、車騎將軍高句驪王高雲の号を進めて車騎大將軍とした。鎮東大將軍百濟王餘大の号を進めて征東大將軍とした。安西將軍宕昌王梁彌𩒎の号を進めて鎮西將軍とした。鎮東大將軍倭王武の号を進めて征東大將軍とした。鎮西將軍河南王吐谷渾休留代の号を進めて征西將軍とした。巴陵王が姑孰で薨去こうきょし、追諡して斉の和帝とし、葬儀の礼はすべて故事に従った。

原文戊辰,車騎將軍高句驪王高雲進號車騎大將軍。鎮東大將軍百濟王餘大進號征東大將軍。安西將軍宕昌王梁彌𩒎進號鎮西將軍。鎮東大將軍倭王武進號征東大將軍。鎮西將軍河南王吐谷渾休留代進號征西將軍。巴陵王薨于姑孰,追諡爲齊和帝,終禮一依故事。

己巳の日、光禄大夫張瑰を右光禄大夫とした。庚午の日、鎮南將軍、江州刺史陳伯之の号を進めて征南將軍とした。

原文己巳,以光祿大夫張瑰爲右光祿大夫。庚午,鎮南將軍、江州刺史陳伯之進號征南將軍。

詔して言った。「風俗を観察し省みることは、哲后の弘規である。岳を狩り方を巡ることは、明王の盛軌である。これによって重華が上にあり、五品が修められ、文命が基を肇き、四載がこれを行った。故に幽微な物色に至り、屠釣の者に耳目を傾け、王業を緝熙に致し、淳風を遐邇に被うことができた。朕は寡薄をもって、治め方に暗く、代終の運を藉り、符命の重みに当たり、前古を監みるに、朽ちた車を馭するかのように慄然とする。民を振い徳を育み、殺伐を去って残虐に勝ち、網を解いて更に張り、仁寿の地に置くことを思う。しかし、遠くを照らす明に慚じ、物事に周到な智がなく、兼ねて年が豊かでないため、まだ卜征に遑がなく、言い興して夕べに惕み、鑑寐することを忘れない。内侍を分遣して四方を周り省みさせ、政を観察し謠を聴き、賢を訪れ滞った者を挙げさせよ。田野が開拓されず、獄訟に規律がなく、公を忘れて私に殉じ、侵漁を務める者がいれば、すべて事に随って上聞せしめよ。もし宝を懐いて邦を迷わし、奇を蘊んで価を待ち、響を蓄え真を蔵して、聞達を求めない者がいれば、ともに名に依って上奏させ、遺漏隠匿することのないようにせよ。輶軒の届くところ、朕が親しく覧るが如くあらしめよ。」

原文詔曰:「觀風省俗,哲后弘規;狩岳巡方,明王盛軌。所以重華在上,五品聿修;文命肇基,四載斯履。故能物色幽微,耳目屠釣,致王業於緝熙,被淳風於遐邇。朕以寡薄,昧于治方,藉代終之運,當符命之重,取監前古,懍若馭朽。思所以振民育德,去殺勝殘,解網更張,置之仁壽;而明慚照遠,智不周物,兼以歲之不易,未遑卜征,興言夕惕,無忘鑒寐。可分遣內侍,周省四方,觀政聽謠,訪賢舉滯。其有田野不辟,獄訟無章,忘公殉私,侵漁是務者,悉隨事以聞。若懷寶迷邦,蘊奇待價,蓄響藏真,不求聞達,並依名騰奏,罔或遺隱。使輶軒所屆,如朕親覽焉。」

また詔を下して言った。「金で贖罪の刑を行うことは、昔から聞いている。絹を納めて罪を免れることは、中世に施行され、民は喜び法は行われ、これに勝るものはない。永く言えば末世では、軽薄が風潮となり、罪を犯して刑に処せられる道は一つではない。判決の文書は、日に日に聴聞と閲覧に纏わりつき、枷や鎖の刑罰は、年ごとに牢獄に積み重なる。死者は再び生き返らず、刑に処せられた者は自ら戻る道もない。これによって実り豊かな世を望むことなど、どうしてできるだろうか。朕は朝夕慎み治世を思い、政術を尊ぶことを念じ、前代の王者を斟酌し、その善き法典を選び、国を規範とするに足るものは、すべてこれに従う。四海に心の恥じ入る思いを解き、万物に真情を明らかにする。俗が偽りに長く、禁令の網はますます煩雑である。漢の文帝の四百の刑罰は、はるか遠くに去った。事を省き心を清めることを忘れずとも、職務を委ね策を廃すれば、事は成就しない。周・漢の旧典に従い、罪があれば贖罪を認めることとせよ。外で詳細に条格を定め、時宜に応じて奏上せよ。」

原文又詔曰:「金作贖刑,有聞自昔,入縑以免,施於中世,民悅法行,莫尚乎此。永言叔世,偷薄成風,嬰諐入罪,厥塗匪一。斷弊之書,日纏於聽覽;鉗钅犬之刑,歲積於牢犴。死者不可復生,刑者無因自返,由此而望滋實,庸可致乎?朕夕惕思治,念崇政術,斟酌前王,擇其令典,有可以憲章邦國,罔不由之。釋愧心於四海,昭情素於萬物。俗偽日久,禁網彌繁。漢文四百,邈焉已遠。雖省事清心,無忘日用,而委銜廢策,事未獲從。可依周、漢舊典,有罪入贖,外詳爲條格,以時奏聞。」

辛未の日、中領軍の蔡道恭を司州刺史とした。新たに謝沐県公に任じられた蕭寶義を巴陵王とし、斉の祭祀を奉じさせた。南蘭陵武進県を復活させ、前代の規定に従った。謝朏を左光禄大夫・開府儀同三司に、何胤を右光禄大夫に任命した。南東海を蘭陵郡と改称した。南徐州の諸僑郡県に対して土断を行った。

原文辛未,以中領軍蔡道恭爲司州刺史。以新除謝沐縣公蕭寶義爲巴陵王,以奉齊祀。復南蘭陵武進縣,依前代之科。徵謝朏爲左光祿大夫、開府儀同三司,何胤爲右光祿大夫。改南東海爲蘭陵郡。土斷南徐州諸僑郡縣。

癸酉の日、詔を下して言った。「商の風俗が移り変わったばかりで、遺風はなお盛んであり、下情が上に達しないことは、由来遠い。天子が昇って天下を治めるにあたり、その慎みを増す。公車府の謗木と肺石の傍らにそれぞれ一つの箱を置くこととせよ。もし高位の者が言わず、山野の者が横議をしたいならば、謗木函に投函せよ。もし朕に従って江・漢の功績があり、策に記すべき功があるのに、犀や兕の甲冑が徒らに破れ、龍蛇の剣がまだ掛かっている者(=功績があるのに報われない者)、あるいは身分は低いが才能が高妙で、排斥・圧迫されて通じず、傅説や呂尚の術を抱き、屈原や賈誼のような嘆きを抱き、その道理が明白であるのに、包み隠されて困窮している者、また大政が小を侵し、豪門が賤しきを陵ぎ、四民がすでに窮し、九重の宮廷に達しない者。もし自ら申し開きをしたいならば、すべて肺石函に投函することができる。」

原文癸酉,詔曰:「商俗甫移,遺風尚熾,下不上達,由來遠矣。升中馭索,增其懍然。可於公車府謗木肺石傍各置一函。若肉食莫言,山阿欲有橫議,投謗木函。若從我江、漢,功在可策,犀兕徒弊,龍蛇方縣;次身才高妙,擯壓莫通,懷傅、呂之術,抱屈、賈之歎,其理有皦然,受困包匭;夫大政侵小,豪門陵賤,四民已窮,九重莫達。若欲自申,並可投肺石函。」

甲戌の日、遠近からの慶賀の礼を禁じる詔を下した。

原文甲戍,詔斷遠近上慶禮。

また詔を下して言った。「礼を司る官署や文書の閣は、旧章に従うべきであり、貴賤がその位に就けば、それぞれ差等があり、うつむき仰ぎ拝み伏すことで、王者の法度を明らかにし、威儀整い盛んな様子は、すべてここに見られる。近ごろ多くの難事により、統治の綱紀が弛緩し、官職は積み重ねた功績によるものではなく、栄誉は幸運によって至った。六軍が四品の職務を占め、高官が白簿(下級文書)の労務を処理する。衣を整えて朝廷の列に立ち、卿相に長揖し、広い宮門を歩き、丞や郎と並んで駆ける。ついに冠と履が倒錯し、玉圭と土器の区別もつかなくなった。静かに考えて心を痛め、流弊を改めようと思う。また法を弄び官職に怠惰な者は、動けば逃亡や弛緩となり、常法で罰しても、ついに懲らしめ改めることはない。檟楚むち(むち)で威を示すことは、代わりに足を断つことであり、笞打ちの刑には法令があるが、もし従えるならばそれでよい。外で詳細に共同で評議し、務めてその道理を尽くせ。」

原文又詔曰:「禮闈文閣,宜率舊章,貴賤旣位,各有差等,俯仰拜伏,以明王度,濟濟洋洋,具瞻斯在。頃因多難,治綱弛落,官非積及,榮由幸至。六軍尸四品之職,青紫治白簿之勞。振衣朝伍,長揖卿相,趨步廣闥,並驅丞郎。遂冠履倒錯,珪甑莫辨。靜言疚懷,思返流弊。且翫法惰官,動成逋弛,罰以常科,終未懲革。夫檟楚申威,蓋代斷趾,笞捶有令,如或可從。外詳共平議,務盡厥理。」

癸未の日、詔を下した。「相国府の職吏は、資歴と功労に基づいて台省(尚書省)に任用することができる。もし職務の定員が満ちている場合は、任用の余剰分および驃騎府の者もすべて任用の恩恵を与えよ。」

原文癸未,詔「相國府職吏,可依資勞度臺;若職限已盈,所度之餘,及驃騎府並可賜滿。」

閏月丁酉の日、行宕昌王の梁彌邕を安西将軍・河涼二州刺史とし、正式に宕昌王に封じた。壬寅の日、車騎将軍の夏侯詳を右光禄大夫とした。

原文閏月丁酉,以行宕昌王梁彌邕爲安西將軍、河涼二州刺史,正封宕昌王。壬寅,以車騎將軍夏侯詳爲右光祿大夫。

詔を下して言った。「事業を成し風教を広め、内外を厳しく戒め励ますことは、実に官職を設け職務を分け、互いに戒め糾すことによる。しかし近ごろは常式に拘泥し、過失を見てからようやく奏上し、多く違反や怠惰を容認し、誰も進んでその責を執ろうとせず、法綱は日に日に弛緩し、次第に習慣となっている。今、端右(御史台の長官など)は風聞によって事を奏上することができる。元熙(晋の年号)の旧制に従え。」

原文詔曰:「成務弘風,肅厲內外,實由設官分職,互相懲糾。而頃壹拘常式,見失方奏,多容違惰,莫肯執咎,憲綱日弛,漸以爲俗,今端右可以風聞奏事,依元熙舊制。」

五月乙亥の夜、盗賊が南掖・北掖に入り、神虎門と総章観を焼き、衛尉卿の張弘策を殺害した。戊子の日、江州刺史の陳伯之が兵を挙げて反乱を起こした。領軍将軍の王茂を征南将軍・江州刺史とし、軍勢を率いてこれを討伐させた。

原文五月乙亥夜,盜入南、北掖,燒神虎門、總章觀,害衛尉卿張弘策。戊子,江州刺史陳伯之舉兵反,以領軍將軍王茂爲征南將軍、江州刺史,率衆討之。

六月庚戌の日、行北秦州刺史の楊紹先を北秦州刺史・武都王とした。この月、陳伯之は魏に奔り、江州は平定された。前益州刺史の劉季連が成都を占拠して反乱を起こした。

原文六月庚戌,以行北秦州刺史楊紹先爲北秦州刺史、武都王。是月,陳伯之奔魏,江州平。前益州刺史劉季連據成都反。

八月戊戌の日、建康に三官(天地人の三官か、あるいは三つの官署)を設置した。乙巳の日、平北将軍・西涼州刺史の象舒彭の位を進めて安西将軍の号を授け、鄧至王に封じた。丁未の日、詔を下して中書監の王瑩ら八人に律令の制定に参与させた。この月、詔を下して尚書曹郎に昔のように奏事を行うことを命じた。林邑国と干陁利国がそれぞれ使者を遣わして地方の産物を献上した。

原文八月戊戌,置建康三官。乙巳,平北將軍、西涼州刺史象舒彭進號安西將軍,封鄧至王。丁未,詔中書監王瑩等八人參定律令。是月,詔尚書曹郎依昔奏事。林邑、干陁利國各遣使獻方物。

冬十一月己未の日、小廟を建立した。甲子の日、皇子の統を皇太子に立てた。

原文冬十一月己未,立小廟。甲子,立皇子統爲皇太子。

十二月丙申の日、国子祭酒の張稷を護軍将軍とした。辛亥の日、護軍将軍の張稷を免官した。

原文十二月丙申,以國子祭酒張稷爲護軍將軍。辛亥,護軍將軍張稷免。

この年は大旱魃があり、米一斗が五千銭となり、多くの人が餓死した。

原文是歲大旱,米斗五千,人多餓死。

天監二年

原文天監二年

二年春正月甲寅朔,詔を下して曰く、「三訊五聽は聖典に著され、哀矜折獄は前誥に義重く、蓋し是れ以て刑を用いるに明慎を明らかにし、疑枉を深く戒め、成功致治は茲より由らざるは無し。朕は藩部より、常に躬ら訊録し、理を求めて情を得、洪細必ず尽くす。末運は網弛み、斯の政また闕け、牢犴沈壅し、申訴靡く従う所無し。朕は期運に属し、兆億に君臨す。復た斎居宣室すと雖も、心を留めて聴断す。而るに九牧遐荒、臨覧する因無し。深く冤を懐いて鞫に就くを懼れ、匪惟一方のみ。諸州に申敕すべし、月に一たび臨訊し、博く詢いて善を択び、務めて確實に在らしむべし」。乙卯、尚書僕射沈約を以て尚書左僕射と為す。吏部尚書范雲を尚書右僕射と為す。前將軍鄱陽王恢を南徐州刺史と為す。尚書令王亮を左光禄大夫と為す。右衛將軍柳慶遠を中領軍と為す。丙辰、尚書令、新たに除された左光禄大夫王亮免官。

原文二年春正月甲寅朔,詔曰:「三訊五聽,著自聖典,哀矜折獄,義重前誥,蓋所以明慎用刑,深戒疑枉,成功致治,罔不由茲。朕自籓部,常躬訊錄,求理得情,洪細必盡。末運弛網,斯政又闕,牢犴沉壅,申訴靡從。朕屬當期運,君臨兆億,雖復齋居宣室,留心聽斷;而九牧遐荒,無因臨覽。深懼懷冤就鞫,匪惟一方。可申敕諸州,月一臨訊,博詢擇善,務在確實。」乙卯,以尚書僕射沈約爲尚書左僕射;吏部尚書范雲爲尚書右僕射;前將軍鄱陽王恢爲南徐州刺史;尚書令王亮爲左光祿大夫;右衛將軍柳慶遠爲中領軍。丙辰,尚書令、新除左光祿大夫王亮免。

夏四月癸卯、尚書刪定郎蔡法度、『梁律』二十巻、『令』三十巻、『科』四十巻を上る。

原文夏四月癸卯,尚書刪定郎蔡法度上《梁律》二十卷、《令》三十卷、《科》四十卷。

五月丁巳、尚書右僕射范雲卒す。乙丑、益州刺史鄧元起、成都を克つ。益州を曲赦す。壬申、諸郡県の二宮への献奉を断つ。惟だ諸州及び会稽は、職惟だ嶽牧たり、土産を薦むるを許す。若し地産に非ざれば、亦た貢ぐべからず。

原文五月丁巳,尚書右僕射範雲卒。乙丑,益州刺史鄧元起克成都,曲赦益州。壬申,斷諸郡縣獻奉二宮。惟諸州及會稽,職惟嶽牧,許薦任土,若非地產,亦不得貢。

六月丁亥、詔して東陽、信安、豊安三県の水潦、居民の資業を漂損するを以て、使を遣わして周履せしめ、課調を量りて蠲す。是の夏、癘疫多し。新たに除された左光禄大夫謝朏を以て司徒、尚書令と為す。甲午、中書監王瑩を尚書右僕射と為す。

原文六月丁亥,詔以東陽、信安、豊安三縣水潦,漂損居民資業,遣使周履,量蠲課調。是夏多癘疫。以新除左光祿大夫謝朏爲司徒、尚書令。甲午,以中書監王瑩爲尚書右僕射。

秋七月、扶南、龜茲、中天竺国各使を遣わし方物を献ず。

原文秋七月,扶南、龜茲、中天竺國各遣使獻方物。

冬十月、魏、司州を寇す。

原文冬十月,魏寇司州。

十一月乙卯、雷電大雨、晦。是の夜また雷す。乙亥、尚書左僕射沈約、母憂を以て職を去る。

原文十一月乙卯,雷電大雨,晦。是夜又雷。乙亥,尚書左僕射沈約以母憂去職。

天監三年

原文天監三年

三年春正月戊申、後將軍、揚州刺史臨川王宏、号を進めて中軍將軍と為す。癸丑、尚書右僕射王瑩を尚書左僕射と為し、太子詹事柳惔を尚書右僕射と為し、前尚書左僕射沈約を鎮軍將軍と為す。

原文三年春正月戊申,後將軍、揚州刺史臨川王宏進號中軍將軍。癸丑,以尚書右僕射王瑩爲尚書左僕射,太子詹事柳惔爲尚書右僕射,前尚書左僕射沈約爲鎮軍將軍。

二月、魏、梁州を陥す。

原文二月,魏陷梁州。

三月、霜隕りて草を殺す。

原文三月,隕霜殺草。

五月丁巳、扶南國王憍陳如闍耶跋摩を安南將軍と為す。

原文五月丁巳,以扶南國王憍陳如闍耶跋摩爲安南將軍。

六月丙子、詔して曰く、「昔、哲王の世を宰むや、毎歳卜征し、躬ら事として巡省し、民俗政刑、必ず逮はざるは無し。末代風凋み、久しく茲の典を曠つ。遠きを肆にし労を忘れ、幽仄に臨み究めんと欲すと雖も、今に居りて古を行ふは、事未だ従い易からず。是を以て日晏く踟躕し、情同じく再撫の如し。総総たる九州、遠近の民庶、或いは川路幽遐、或いは貧羸老疾、冤を懐き理を抱きて、自ら申す由莫し。是を以て東海の匹婦、邦國に災を致し、西土の孤魂、楼に登りて訴えを請ふ。此れを念うに懐に中り、中夜太息す。将命を分ちて州部に巡行すべし。其れ深冤鉅害有りて、抑鬱帰する所無き者は、使者に詣りて、源に依りて自ら列するを聴せ。庶幾くは矜隠の念を以て、四方に昭かに被り、遠聞を逷聽し、事均しく親覧するに同じからしめん」。癸未、天下に大赦す。

原文六月丙子,詔曰:「昔哲王之宰世也,每歲卜征,躬事巡省,民俗政刑,罔不必逮。末代風凋,久曠茲典。雖欲肆遠忘勞,究臨幽仄,而居今行古,事未易從,所以日晏踟躕,情同再撫。總總九州,遠近民庶,或川路幽遐,或貧羸老疾,懷冤抱理,莫由自申,所以東海匹婦,致災邦國,西土孤魂,登樓請訴。念此于懷,中夜太息。可分將命巡行州部。其有深冤鉅害,抑鬱無歸,聽詣使者,依源自列。庶以矜隱之念,昭被四方,逷聽遠聞,事均親覽。」癸未,大赦天下。

秋七月丁未、光禄大夫夏侯詳を以て車騎將軍、湘州刺史と為し、湘州刺史楊公則を中護軍と為す。甲子、皇子綜を立てて豫章郡王と為す。

原文秋七月丁未,以光祿大夫夏侯詳爲車騎將軍、湘州刺史,湘州刺史楊公則爲中護軍。甲子,立皇子綜爲豫章郡王。

八月、魏、司州を陥す。詔して南義陽に司州を置く。

原文八月,魏陷司州,詔以南義陽置司州。

九月壬子の日、河南王の世子伏連籌を鎮西将軍・西秦河二州刺史・河南王とした。北天竺国が使者を派遣して地方の産物を献上した。

原文九月壬子,以河南王世子伏連籌爲鎮西將軍、西秦河二州刺史、河南王。北天竺國遣使獻方物。

冬十一月甲子の日、詔を下して言った。「教化を施すのは時勢に応じるものであり、風俗の淳朴と薄情によって政治は異なり、刑罰は世とともに改まり、軽重は風習によって異なる。昔、商の風俗が変わらず、民は離散して久しく、法網にかかり刑罰に陥る者が日夜絶えなかった。もしすべてを正法に処すれば、赭衣(囚人服)が道を塞ぎ、すべてに寛大な赦しを施せば、国を治めるのは難しくなる。そこで罪ある者に贖罪を許し、民衆の命を全うさせた。今は遠近ともに禁令を知り、牢獄も次第に空いてきた。このまま進めば、刑罰が用いられなくなることも望めよう。金による贖罪は一時の典則であり、廃止すべきである。贖罪の科条を除くことを許可する。」

原文冬十一月甲子,詔曰:「設教因時,淳薄異政,刑以世革,輕重殊風。昔商俗未移,民散久矣,嬰網陷辟,日夜相尋。若悉加正法,則赭衣塞路;並申弘宥,則難用爲國,故使有罪入贖,以全元元之命。今遐邇知禁,圄犴稍虛,率斯以往,庶幾刑措。金作權典,宜在蠲息。可除贖罪之科。」

この年は疫病が多かった。

原文是歲多疾疫。

天監四年

原文天監四年

四年春正月癸卯朔の日、詔を下して言った。「今、九流の常選(通常の選抜)において、年齢が三十に満たず、一経も通じない者は、官職に就くことを許さない。もし甘茂や顔回のような才能があれば、年齢の制限は設けない。」五経博士をそれぞれ一人ずつ置いた。鎮北将軍・雍州刺史・建安王蕭偉を南徐州刺史とし、南徐州刺史鄱陽王蕭恢を郢州刺史とし、中領軍柳慶遠を雍州刺史とした。丙午の日、『鳳皇銜書伎』を廃止した。戊申の日、詔を下して言った。「天を祀り帝を饗する郊祀は、最も敬虔な行いであり、誠意を尽くしてもなお違うことがあるのを恐れる。しかし、過去の時代には多くの場合、宮人たちにこの礼を見物させ、幕を張った宮殿を広く設け、輜軿(婦人用の車)が道を輝かせた。これは蒼天を仰ぎ敬い、上霊に感応を示すことにはならない。属車の間で、前世に非難されたことがある。よって今よりこれを停止することを許可する。」辛亥の日、車駕自ら南郊で祭祀を行い、天下に赦しを施した。

原文四年春正月癸卯朔,詔曰:「今九流常選,年未三十,不通一經,不得解褐。若有才同甘、顏,勿限年次。」置《五經》博士各一人。以鎮北將軍、雍州刺史、建安王偉爲南徐州刺史,南徐州刺史鄱陽王恢爲郢州刺史,中領軍柳慶遠爲雍州刺史。丙午,省《鳳皇銜書伎》。戊申,詔曰:「夫禋郊饗帝,至敬攸在,致誠盡愨,猶懼有違;而往代多令宮人縱觀茲禮,帷宮廣設,輜軿耀路,非所以仰虔蒼昊,昭感上靈。屬車之間,見譏前世,便可自今停止。」辛亥,輿駕親祠南郊,赦天下。

二月壬午の日、衛尉卿楊公則に命じて宿衛兵を率いさせ、洛口を塞がせた。壬辰の日、交州刺史李凱が州を拠点として反乱を起こしたが、長史李畟が討伐して平定した。交州に限って赦しを施した。戊戌の日、前郢州刺史曹景宗を中護軍とした。この月、秣陵の建興里に建興苑を造営した。

原文二月壬午,遣衛尉卿楊公則率宿衛兵塞洛口。壬辰,交州刺史李凱據州反,長史李畟討平之。曲赦交州。戊戌,以前郢州刺史曹景宗爲中護軍。是月,立建興苑於秣陵建興里。

夏四月丁巳の日、行宕昌王梁彌博を安西将軍・河涼二州刺史・宕昌王とした。この月、甲寅から壬戌までの間、甘露が華林園に連続して降った。

原文夏四月丁巳,以行宕昌王梁彌博爲安西將軍、河涼二州刺史、宕昌王。是月,自甲寅至壬戌,甘露連降華林園。

五月辛卯の日、建康県朔陰里に嘉禾が生え、一茎に十二の穂があった。

原文五月辛卯,建康縣朔陰里生嘉禾,一莖十二穗。

六月庚戌の日、孔子廟を建立した。壬戌の日、歳星が昼間に現れた。

原文六月庚戌,立孔子廟。壬戌,歲星晝見。

秋七月辛卯の日、右光禄大夫張瓌が死去した。

原文秋七月辛卯,右光祿大夫張瓌卒。

八月庚子の日、老人星が現れた。

原文八月庚子,老人星見。

冬十月丙午の日、北伐を行い、中軍将軍・揚州刺史臨川王蕭宏を都督北討諸軍事とし、尚書右僕射柳惔をその副将とした。この年、出師の費用のために、王公以下がそれぞれ封国の租税と田穀を献上し、軍資を助けた。

原文冬十月丙午,北伐,以中軍將軍、揚州刺史臨川王宏都督北討諸軍事,尚書右僕射柳惔爲副。是歲,以興師費用,王公以下各上國租及田穀,以助軍資。

十一月辛未の日、都官尚書張稷を領軍将軍とした。甲午の日、天気が晴朗で、西南に電光があり、雷のような音が三度聞こえた。

原文十一月辛未,以都官尚書張稷爲領軍將軍。甲午,天晴朗,西南有電光,聞如雷聲三。

十二月、司徒・尚書令謝朏が実母の喪に服し、職を去った。

原文十二月,司徒、尚書令謝朏以所生母憂,去職。

この年は大豊作で、米一斛が三十銭であった。

原文是歲大穰,米斛三十。

天監五年

原文天監五年

五年春正月丁卯朔,詔を下して曰く、「昔の周・漢においては、方国から士を取った。近年は凋落し誤り、隠れた者にはめったに及ばず、人は孤立し地は隔絶し、聴聞が阻まれ、士の操行は堕落し、これによって励ましがなかった。どうして山や川が霊を授けるのに、偏って厚薄があるだろうか。実は知るか知らぬか、用いるか用いないかによるのだ。朕は薄徳をもって、この兆民の君たるが、兼ねて明らかに広く照らすことが、堂戸に屈し、遠くまで聞き見ることも四方に及ばず、永く言うに愧じ、朝夕忘れない。すべて諸郡国の旧族で、邦内に朝廷の位にいない者は、官を選んで探し求め、郡ごとに一人を出させるように。」乙亥、前司徒の謝朏を中書監・司徒・衛将軍とし、鎮軍将軍の沈約を右光禄大夫とし、豫章王綜を南徐州刺史とした。丁丑、尚書左僕射の王瑩を護軍将軍とし、僕射はもとのままとした。甲申、皇子綱を立てて晋安郡王とした。丁亥、太白が昼間に現れた。

原文五年春正月丁卯朔,詔曰:「在昔周、漢,取士方國。頃代凋訛,幽仄罕被,人孤地絕,用隔聽覽,士操淪胥,因茲靡勸。豈其岳瀆縱靈,偏有厚薄,實由知與不知,用與不用耳。朕以菲德,君此兆民,而兼明廣照,屈於堂戶,飛耳長目,不及四方,永言愧懷,無忘旦夕。凡諸郡國舊族,邦內無在朝位者,選官搜括,使郡有一人。」乙亥,以前司徒謝朏爲中書監、司徒、衛將軍,鎮軍將軍沈約爲右光祿大夫,豫章王綜爲南徐州刺史。丁丑,以尚書左僕射王瑩爲護軍將軍,僕射如故。甲申,立皇子綱爲晉安郡王。丁亥,太白晝見。

二月庚戌、太常の張充を吏部尚書とした。

原文二月庚戌,乙太常張充爲吏部尚書。

三月丙寅朔、日食があった。癸未、魏の宣武帝の従弟の翼がその諸弟を率いて降伏してきた。輔国将軍の劉思效が魏の青州刺史の元系を膠水で破った。丁亥、陳伯之が寿陽から衆を率いて帰順した。

原文三月丙寅朔,日有蝕之。癸未,魏宣武帝從弟翼率其諸弟來降。輔國將軍劉思效破魏青州刺史元系于膠水。丁亥,陳伯之自壽陽率衆歸降。

夏四月丙申、廬陵の高昌の仁山で銅の剣二振りを得、始豊県で八目の亀一匹を得た。甲寅、詔を下して曰く、「朕は早朝から斎戒して居り、ただ刑罰を憂い、三辟五聴の法を思い、寝ても覚めても心に抱いている。故に肺石を都の街に陳べ、詔獄に官司を増やし、心を込めて自ら覧み、大小を情によって裁いた。しかし明らかに慎重であることが行き渡らず、牢獄はまだ塞がっており、永く言うに民の苦しみを思い、朕が愧じる。すべて牢獄のあるところには、法官や近侍を派遣し、順に囚徒を記録させ、もし冤罪や滞りがあれば、時を以て奏上して聞かせよ。」

原文夏四月丙申,廬陵高昌之仁山獲銅劍二,始豊縣獲八目龜一。甲寅,詔曰:「朕昧旦齋居,惟刑是恤,三辟五聽,寢興載懷。故陳肺石於都街,增官司於詔獄,殷勤親覽,小大以情。而明慎未洽,囹圄尚壅,永言納隍,在予興愧。凡犴獄之所,可遣法官近侍,遞錄囚徒,如有枉滯,以時奏聞。」

五月辛未、太子左衛率の張惠紹が魏の宿預城を陥れた。乙亥、臨川王宏の前軍が梁城を陥れた。辛巳、豫州刺史の韋叡が合肥城を陥れた。丁亥、廬江太守の裴邃が羊石城を陥れた。庚寅、また霍丘城を陥れた。辛卯、太白が昼間に現れた。

原文五月辛未,太子左衛率張惠紹克魏宿預城。乙亥,臨川王宏前軍克梁城。辛巳,豫州刺史韋叡克合肥城。丁亥,廬江太守裴邃克羊石城;庚寅,又克霍丘城。辛卯,太白晝見。

六月庚子、青・冀二州刺史の桓和の前軍が朐山城を陥れた。

原文六月庚子,青、冀二州刺史桓和前軍克朐山城。

秋七月乙丑、鄧至国が使いを遣わして方物を献上した。

原文秋七月乙丑,鄧至國遣使獻方物。

八月戊戌、老人星が現れた。辛酉、太子宮を造営した。

原文八月戊戌,老人星見。辛酉,作太子宮。

冬十一月甲子、京師で地震があった。乙丑、出師が長引いたことを理由に、大赦を天下に下した。魏が鐘離を侵し、右衛将軍の曹景宗に衆を率いて救援に向かわせた。

原文冬十一月甲子,京師地震。乙丑,以師出淹時,大赦天下。魏寇鐘離,遣右衛將軍曹景宗率衆赴援。

十二月癸卯、司徒の謝朏が薨こう去した。

原文十二月癸卯,司徒謝朏薨。

天監六年

原文天監六年

六年春正月辛酉朔、詔を下して曰く、「径寸の宝も、あるいは砂泥に隠れる。人を以て言を廃するのは、君子が戒めるところである。朕は朝を聴き罷めて後、政術を明らかにしようと思い、百官卿士であっても、思いがあれば必ず聞くが、辺境の遠方に響きが蓄えられ、未だ魏闕に至らない。あるいは貧しさや卑しさによって屈し、あるいは山川によって隔てられ、足を止めて首を伸ばしても、奏上する道がない。どうして沈んでいる者も漏らさず、遠近ともに得ることができようか。四方の士民で、もし刑政を陳べ、国を益し民を利することを願い、阻まれて遠く、自ら通じることができない者は、それぞれ条を解き心を刺史や二千石に布かせよ。採用すべきことがあれば、大小を問わず聞かせよ。」己卯、詔を下して曰く、「天下を持つ者は、義は己のためではない。凶荒・疾疫・兵革・水火、この中に一つでもあれば、責めは元首に帰する。今、祝史が祈祷を請うが、諸々の不善を朕の身に引き受けさせよ。永く災害が万姓に及ばず、この下民が少しでも安寧を得られるように。朕のために福を祈って、その過ちを増やすことのないように。特に遠近に布告し、皆に遵奉させよ。」

原文六年春正月辛酉朔,詔曰:「徑寸之寶,或隱沙泥;以人廢言,君子斯戒。朕聽朝晏罷,思闡政術,雖百辟卿士,有懷必聞,而蓄響邊遐,未臻魏闕。或屈以貧陋,或間以山川,頓足延首,無因奏達。豈所以沉浮靡漏,遠邇兼得者乎?四方士民,若有欲陳言刑政,益國利民,淪礙幽遠,不能自通者,可各詮條布懷于刺史二千石。有可申采,大小以聞。」己卯,詔曰:「夫有天下者,義非爲己。凶荒疾癘,兵革水火,有一於此,責歸元首。今祝史請禱,繼諸不善,以朕身當之。永使災害不及萬姓,俾茲下民稍蒙寧息。不得爲朕祈福,以增其過。特班遠邇,咸令遵奉。」

二月甲辰、老人星が現れた。

原文二月甲辰,老人星見。

三月庚申朔、霜が降りて草を殺した。この月、三頭の象が京師に入った。

原文三月庚申朔,隕霜殺草。是月,有三象入京師。

夏四月壬辰、左右驍騎将軍と左右遊撃将軍の官職を設置した。癸巳、曹景宗と韋叡らが邵陽洲で魏軍を破り、斬首・捕獲は万単位に及んだ。癸卯、右衛将軍曹景宗を領軍将軍・徐州刺史とした。己酉、江州刺史王茂を尚書右僕射とし、中書令安成王蕭秀を平南将軍・江州刺史とした。湘州と広州の一部を分けて衡州を設置した。丁巳、中軍将軍・揚州刺史臨川王蕭宏を驃騎将軍・開府儀同三司とし、撫軍将軍建安王蕭偉を揚州刺史とし、右光禄大夫沈約を尚書左僕射とし、尚書左僕射王瑩を中軍将軍とした。

原文夏四月壬辰,置左右驍騎、左右遊擊將軍官。癸巳,曹景宗、韋叡等破魏軍於邵陽洲,斬獲萬計。癸卯,以右衛將軍曹景宗爲領軍將軍、徐州刺史。己酉,以江州刺史王茂爲尚書右僕射,中書令安成王秀爲平南將軍、江州刺史。分湘廣二州置衡州。丁巳,以中軍將軍、揚州刺史臨川王宏爲驃騎將軍、開府儀同三司,撫軍將軍建安王偉爲揚州刺史,右光祿大夫沈約爲尚書左僕射,尚書左僕射王瑩爲中軍將軍。

五月己未、新たに左驍騎将軍に任じられた長沙王蕭深業を中護軍とした。癸亥、侍中袁昂を吏部尚書とした。己巳、中衛将軍と中権将軍を設置し、驍騎を雲騎に、遊撃を遊騎に改称した。辛未、右将軍・揚州刺史建安王蕭偉は中権将軍の号を進めた。

原文五月己未,以新除左驍騎將軍長沙王深業爲中護軍。癸亥,以侍中袁昂爲吏部尚書。己巳,置中衛、中權將軍,改驍騎爲雲騎,遊擊爲遊騎。辛未,右將軍、揚州刺史建安王偉進號中權將軍。

六月庚戌、車騎将軍・湘州刺史夏侯詳を右光禄大夫とし、新たに金紫光禄大夫となった柳惔を安南将軍・湘州刺史とした。新呉県で四つの目を持つ亀一匹を捕獲した。

原文六月庚戌,以車騎將軍、湘州刺史夏侯詳爲右光祿大夫,新除金紫光祿大夫柳惔爲安南將軍、湘州刺史。新吳縣獲四目龜一。

秋七月甲子、太白星が昼間に現れた。丙寅、広州の一部を分けて桂州を設置した。丁亥、新たに尚書右僕射となった王茂を中衛将軍とした。

原文秋七月甲子,太白晝見。丙寅,分廣州置桂州。丁亥,以新除尚書右僕射王茂爲中衛將軍。

八月戊子、天下に大赦を行った。戊戌、大風が木を折った。京師で大水が起こり、波が侵入して御道を七尺嵩上げした。

原文八月戊子,赦天下。戊戌,大風折木。京師大水,因濤入,加御道七尺。

九月、一つの茎に九つの穂がついた嘉禾が江陵県に生えた。乙亥、閲武堂を徳陽堂に、聴訟堂を儀賢堂に改称した。丙戌、左衛将軍呂僧珍を平北将軍・南兗州刺史とし、豫章内史蕭昌を広州刺史とした。

原文九月,嘉禾一莖九穗,生江陵縣。乙亥,改閱武堂爲德陽堂,聽訟堂爲儀賢堂。丙戌,以左衛將軍呂僧珍爲平北將軍、南兗州刺史,豫章內史蕭昌爲廣州刺史。

冬十月壬寅、五兵尚書徐勉を吏部尚書とした。

原文冬十月壬寅,以五兵尚書徐勉爲吏部尚書。

閏月乙丑、驃騎将軍・開府儀同三司臨川王蕭宏を司徒・行太子太傅とし、尚書左僕射沈約を尚書令・行太子少傅とし、吏部尚書袁昂を右僕射とした。戊寅、平西将軍・荊州刺史始興王蕭憺は安西将軍の号を進めた。甲申、右光禄大夫夏侯詳を尚書左僕射とした。

原文閏月乙丑,以驃騎將軍、開府儀同三司臨川王宏爲司徒、行太子太傅,尚書左僕射沈約爲尚書令、行太子少傅,吏部尚書袁昂爲右僕射。戊寅,平西將軍、荊州刺史始興王憺進號安西將軍。甲申,以右光祿大夫夏侯詳爲尚書左僕射。

十二月丙辰、尚書左僕射夏侯詳が死去した。乙丑、魏の淮陽鎮都軍主常邕和が城を挙げて帰順した。豫州の一部を分けて霍州を設置した。

原文十二月丙辰,尚書左僕射夏侯詳卒。乙丑,魏淮陽鎮都軍主常邕和以城內屬。分豫州置霍州。

天監七年

原文天監七年

七年春正月乙酉朔、詔を下して言った。「国を建て民を治めるには、教えを立てることが第一である。学ばなければ堕落し、善き苗は育つ由もない。朕は天命を承けて基を開き、天下を治めているが、耕作の正業を重んじ、傍らに芸文を広めてはいるものの、人材が広く育っておらず、根本の志がまだ欠けている。これは貴族子弟を陶冶し、規範に導くことにはならない。年長者を敬う風を篤くし、家から国を正すことを望む。今や教化の及ぶところ、華夷ともに同じ風俗となりつつある。大いに学校を開き、広く子弟を招き、十倫の教えに努め、三徳を広め、陶冶の風を遠くまで及ぼし、微言を顕彰すべきである。」中衛将軍・領太子詹事王茂は車騎将軍の号を進めた。戊戌、端門と大司馬門の外に神龍闕と仁虎闕を造営した。壬子、領軍将軍曹景宗を中衛将軍とし、衛尉蕭景に領軍将軍を兼任させた。

原文七年春正月乙酉朔,詔曰:「建國君民,立教爲首。不學將落,嘉植靡由。朕肇基明命,光宅區宇,雖耕耘雅業,傍闡藝文,而成器未廣,志本猶闕,非所以鎔範貴游,納諸軌度。思欲式敦讓齒,自家刑國。今聲訓所漸,戎夏同風,宜大啓庠斅,博延胄子,務彼十倫,弘此三德,使陶鈞遠被,微言載表。」中衛將軍、領太子詹事王茂進號車騎將軍。戊戌,作神龍、仁虎闕於端門、大司馬門外。壬子,以領軍將軍曹景宗爲中衛將軍,衛尉蕭景兼領軍將軍。

二月乙卯、廬江郡灊県で銅鐘二つを発見した。越城の南に新たに国門を造営した。乙丑、鎮衛将軍以下の官職を増設し、それぞれ等級を設けた。庚午、詔を下して州・郡・県ごとに州望・郡宗・郷豪をそれぞれ一人ずつ置き、もっぱら人材の探索と推薦を担当させた。乙亥、車騎大將軍高麗王高雲を撫東大將軍・開府儀同三司とし、平北将軍・南兗州刺史呂僧珍を領軍将軍とした。丙子、中護軍長沙王蕭深業を南兗州刺史とし、兼領軍将軍蕭景を雍州刺史とし、雍州刺史柳慶遠を護軍将軍とした。

原文二月乙卯,廬江灊縣獲銅鐘二。新作國門于越城南。乙丑,增置鎮衛將軍以下各有差。庚午,詔於州郡縣置州望、郡宗、鄉豪各一人,專掌搜薦。乙亥,以車騎大將軍高麗王高雲爲撫東大將軍、開府儀同三司,平北將軍、南兗州刺史呂僧珍爲領軍將軍。丙子,以中護軍長沙王深業爲南兗州刺史,兼領軍將軍蕭景爲雍州刺史,雍州刺史柳慶遠爲護軍將軍。

夏四月乙卯、皇太子が妃を迎え入れ、大辟以下の罪人を赦し、朝臣と近侍にそれぞれ等級に応じて恩賜を頒布した。辛未、秣陵県で霊亀一匹を捕獲した。戊寅、餘姚県で古い銅剣二振りを発見した。

原文夏四月乙卯,皇太子納妃,赦大辟以下,頒賜朝臣及近侍各有差。辛未,秣陵縣獲靈龜一。戊寅,餘姚縣獲古銅劍二。

五月己亥、詔を下して宗正・太僕・大匠・鴻臚を再設置し、さらに太府・太舟を増設し、従前の十二卿の体制に戻した。癸卯、平南将軍・江州刺史安成王蕭秀を平西将軍・荊州刺史とし、安西将軍・荊州刺史始興王蕭憺を護軍将軍とし、中衛将軍曹景宗を安南将軍・江州刺史とした。

原文五月己亥,詔復置宗正、太僕、大匠、鴻臚,又增太府、太舟,仍先爲十二卿。癸卯,以平南將軍、江州刺史安成王秀爲平西將軍、荊州刺史,安西將軍、荊州刺史始興王憺爲護軍將軍,中衛將軍曹景宗爲安南將軍、江州刺史。

六月辛酉、建陵と修陵の周囲五里以内の住民を復帰させ、陵監を陵令に改称した。

原文六月辛酉,復建、修二陵周回五里內居民,改陵監爲令。

秋七月丁亥、月が氐宿を犯した。

原文秋七月丁亥,月犯氐。

八月癸丑、安南将軍・江州刺史の曹景宗が死去した。丁巳、大辟以下の未決囚で結審していない者を赦免した。甲戌、平西将軍・荊州刺史の安成王蕭秀が安西将軍に号を進め、雲麾将軍・郢州刺史の鄱陽王蕭恢が平西将軍に号を進めた。老人星が現れた。

原文八月癸丑,安南將軍、江州刺史曹景宗卒。丁巳,赦大辟以下未結正者。甲戌,平西將軍、荊州刺史安成王秀進號安西將軍,雲麾將軍、郢州刺史鄱陽王恢進號平西將軍。老人星見。

九月丁亥、詔を下して言った。「刈り取る者や牧畜する者は必ず(山林藪沢に)赴かせるべきであり、これは周の文王が垂れた法則である。雉や兎を獲るのに刑罰を科すのは、姜宣(斉の宣王)が貶められた所以である。藪沢や山林は、材木を育む所であり、斧を用いることは、どの家も頼るところである。しかし近世は代々受け継がれ、ことごとく封鎖して固めてしまっている。これはどうして民と利益を同じくし、この庶民を恵むと言えようか。凡そ公家の諸屯戍で現在封鎖・焼き払っている所は、全て恒常的な禁令を解くように。」壬辰、童子奉車郎を置いた。癸巳、皇子の蕭績を立てて南康郡王とした。己亥、月が東井宿を犯した。

原文九月丁亥,詔曰:「芻牧必往,姬文垂則,雉兔有刑,姜宣致貶。藪澤山林,毓材是出,斧斤之用,比屋所資。而頃世相承,並加封固,豈所謂與民同利,惠茲黔首?凡公家諸屯戍見封熂者,可悉開常禁。」壬辰,置童子奉車郎。癸巳,立皇子績爲南康郡王。己亥,月犯東井。

冬十月丙寅、呉興太守の張稷を尚書左僕射とした。丙子、魏の陽関主の許敬珍が城を挙げて内属した。大規模な北伐を行うことを詔した。護軍将軍始興王蕭憺を平北将軍とし、軍勢を率いて清に入らせた。車騎将軍王茂に軍勢を率いて宿預に向かわせた。丁丑、魏の懸瓠鎮の軍主白皁生と豫州刺史胡遜が城を挙げて内属した。皁生を鎮北将軍・司州刺史とし、遜を平北将軍・豫州刺史とした。

原文冬十月丙寅,以吳興太守張稷爲尚書左僕射。丙子,魏陽關主許敬珍以城內附。詔大舉北伐。以護軍將軍始興王憺爲平北將軍,率衆入清;車騎將軍王茂率衆向宿預。丁丑,魏懸瓠鎮軍主白皁生、豫州刺史胡遜以城內屬。以皁生爲鎮北將軍、司州刺史,遜爲平北將軍、豫州刺史。

十一月辛巳、鄞県が甘露が降ったと報告した。

原文十一月辛巳,鄞縣言甘露降。

天監八年

原文天監八年

八年春正月辛巳、皇帝の車駕がみずから南郊で祭祀を行い、天下に赦令を下し、内外の文武官にそれぞれ労を賜うこと一年とした。壬辰、魏の鎮東参軍成景儁が宿預城主の厳仲宝を斬り、城を挙げて内属した。

原文八年春正月辛巳,輿駕親祠南郊,赦天下,內外文武各賜勞一年。壬辰,魏鎮東參軍成景儁斬宿預城主嚴仲寶,以城內屬。

二月壬戌、老人星が現れた。

原文二月壬戌,老人星見。

夏四月、北巴西郡を以て南梁州を置いた。戊申、護軍将軍始興王蕭憺を中衛将軍とし、司徒・行太子太傅臨川王蕭宏を司空・揚州刺史とし、車騎将軍・領太子詹事王茂を即ち本号のまま開府儀同三司とした。丁卯、魏の楚王城主李国興が城を挙げて内属した。丙子、中軍将軍・丹陽尹の王瑩を右光禄大夫とした。

原文夏四月,以北巴西郡置南梁州。戊申,以護軍將軍始興王憺爲中衛將軍,司徒、行太子太傅臨川王宏爲司空、揚州刺史,車騎將軍、領太子詹事王茂卽本號開府儀同三司。丁卯,魏楚王城主李國興以城內附。丙子,以中軍將軍、丹陽尹王瑩爲右光祿大夫。

五月壬午、詔を下して言った。「学問は政事に従うためにあり、これは昔の賢人が熱心に説いたところであり、俸禄はその中にある。これもまた前例のあることである。朕は治世の綱紀を明らかにしようと思い、常に儒術を重んじ、里門に車を停めて(賢人を訪ね)、学館を開き、急いでこれを行ってきた。そのため書物を背負うことが風となり、甲科の及第者が時折出るようになった。まさに彼らを朝廷の列に置き、高官の印綬で飾ろうとしている。一経を通じ、初めから終わりまで倦むことなく学んだ者があれば、策試の実績の後、選考の上、適宜に叙録を加えるように。たとえ牛を監する者や羊を売る市場の者であっても、寒門の出身や卑賤の家柄であっても、皆その才能に応じて官吏に試験任用し、遺漏や隔てがあってはならない。」

原文五月壬午,詔曰:「學以從政,殷勤往哲,祿在其中,抑亦前事。朕思闡治綱,每敦儒術,軾閭辟館,造次以之。故負袟成風,甲科間出,方當置諸周行,飾以青紫。其有能通一經,始末無倦者,策實之後,選可量加敘錄。雖復牛監羊肆,寒品後門,並隨才試吏,勿有遺隔。」

秋七月癸巳、巴陵王蕭宝義が薨去した。

原文秋七月癸巳,巴陵王蕭寶義薨。

八月戊午、老人星が現れた。

原文八月戊午,老人星見。

冬十月乙巳、中軍将軍始興王蕭憺を鎮北将軍・南兗州刺史とし、南兗州刺史長沙王蕭深業を護軍将軍とした。

原文冬十月乙巳,以中軍將軍始興王慎爲鎮北將軍、南兗州刺史,南兗州刺史長沙王深業爲護軍將軍。

天監九年

原文天監九年

九年春正月乙亥、尚書令・行太子少傅の沈約を左光禄大夫とし、行少傅の職は元の通りとし、右光禄大夫の王瑩を尚書令とし、行中撫将軍建安王蕭偉に護軍将軍を領させ、鎮北将軍・南兗州刺史始興王蕭憺を鎮西将軍・益州刺史とし、太常卿の王亮を中書監とした。丙子、軽車将軍晋安王蕭綱を南兗州刺史とした。庚寅、新たに淮水沿いの堤防を築き、北岸は石頭から東冶まで、南岸は後渚の籬門から三橋までとした。

原文九年春正月乙亥,以尚書令、行太子少傅沈約爲左光祿大夫,行少傅如故,右光祿大夫王瑩爲尚書令,行中撫將軍建安王偉領護軍將軍,鎮北將軍、南兗州刺史始興王憺爲鎮西將軍、益州刺史,太常卿王亮爲中書監。丙子,以輕車將軍晉安王綱爲南兗州刺史。庚寅,新作緣淮塘,北岸起石頭迄東冶,南岸起後渚籬門迄三橋。

三月己丑の日、帝の車駕は国子学に臨幸し、自ら講義の場に臨み、国子祭酒以下にそれぞれ絹帛を賜った。乙未の日、詔を下して言った。「王子が学問に従うことは、礼経に明記されており、貴族の子弟が皆これに加わることは、まさに前代の教えである。これによって教えの道を広め、教育の道を確立する。今、成均(国子学)が大きく開かれ、皇太子が年齢順に礼譲している。これ以降、皆学業に励むべきである。皇太子及び王侯の子で、師に従う年齢にある者は、入学を許可せよ。」于闐国が使者を遣わして地方の産物を献上した。

原文三月己丑,車駕幸國子學,親臨講肆,賜國子祭酒以下帛各有差。乙未,詔曰:「王子從學,著自禮經,貴遊咸在,實惟前誥,所以式廣義方,克隆教道。今成均大啓,元良齒讓,自斯以降,並宜肄業。皇太子及王侯之子,年在從師者,可令入學。」于闐國遣使獻方物。

夏四月丁巳の日、尚書五都令史の選任を改革し、寒門の流れの者を用いた。林邑国が使者を遣わして白い猿一頭を献上した。

原文夏四月丁巳,革選尚書五都令史用寒流。林邑國遣使獻白猴一。

五月己亥の日、詔を下して言った。「朕は広く意見を聞き治世を考え、日が傾くのを忘れない。しかし百官の様々な政務は、その方法が一様ではなく、時宜に応じて用いるべきものであり、それぞれに適したものがある。もし多くの意見を総合しなければ、朕が自ら覧るに足るものは備わらない。今後、台閣・省府・州郡・鎮戍で職務を持つ官僚がいる場所では、時々共に集まって議論し、それぞれ利害得失を述べ、詳細を奏上して報告せよ。」中書監の王亮が死去した。

原文五月己亥,詔曰:「朕達聽思治,無忘日昃。而百司羣務,其途不一,隨時適用,各有攸宜,若非總會衆言,無以備茲親覽。自今臺閣省府州郡鎮戍應有職僚之所,時共集議,各陳損益,具以奏聞。」中書監王亮卒。

六月癸丑の日、賊が宣城太守の朱僧勇を殺害した。癸酉の日、中撫将軍・領護軍の建安王蕭偉を鎮南将軍・江州刺史とした。

原文六月癸丑,盜殺宣城太守朱僧勇。癸酉,以中撫將軍、領護軍建安王偉爲鎮南將軍、江州刺史。

閏月己丑の日、宣城の賊が転じて呉興県を侵し、太守の蔡撙がこれを討伐して平定した。

原文閏月己丑,宣城盜轉寇吳興縣,太守蔡撙討平之。

秋七月己巳の日、老人星が現れた。

原文秋七月己巳,老人星見。

冬十二月癸未の日、車駕は国子学に臨幸し、貴族の子弟を策試し、教訓を授ける役人にそれぞれ差等を付けて賜った。

原文冬十二月癸未,輿駕幸國子學,策試胄子,賜訓授之司各有差。

天監十年

原文天監十年

十年春正月辛丑の日、車駕は自ら南郊で祭祀を行い、天下に大赦を施行し、官署で職務に当たる者には二年分の労を賜った。癸卯の日、尚書左僕射の張稷を安北将軍・青冀二州刺史とし、郢州刺史の鄱陽王蕭恢を護軍将軍とした。甲辰の日、南徐州刺史の豫章王蕭綜を郢州刺史とし、軽車将軍の南康王蕭績を南徐州刺史とした。戊申の日、騶虞が一頭、荊州華容県に現れた。左民尚書の王暕を吏部尚書とした。辛酉の日、車駕は自ら明堂で祭祀を行った。

原文十年春正月辛丑,輿駕親祠南郊,大赦天下,居局治事賜勞二年。癸卯,以尚書左僕射張稷爲安北將軍,青冀二州刺史,郢州刺史鄱陽王恢爲護軍將軍。甲辰,以南徐州刺史豫章王綜爲郢州刺史,輕車將軍南康王績爲南徐州刺史。戊申,騶虞一,見荊州華容縣。以左民尚書王暕爲吏部尚書。辛酉,輿駕親祠明堂。

三月辛丑の日、賊が東莞・琅邪二郡太守の鄧晣を殺害し、朐山を拠点として魏軍を引き入れたため、振遠将軍の馬仙琕を派遣してこれを討伐させた。この月、魏の徐州刺史の盧昶が軍勢を率いて朐山に向かった。

原文三月辛丑,盜殺東莞、琅邪二郡太守鄧晣,以朐山引魏軍,遣振遠將軍馬仙琕討之。是月,魏徐州刺史盧昶帥衆赴朐山。

夏五月癸酉の日、安豊県で一角の玄い亀を捕獲した。丁丑の日、領軍の呂僧珍が死去した。己卯の日、国子祭酒の張充を尚書左僕射とし、太子詹事の柳慶遠を領軍将軍とした。

原文夏五月癸酉,安豊縣獲一角玄龜。丁丑,領軍呂僧珍卒。己卯,以國子祭酒張充爲尚書左僕射,太子詹事柳慶遠爲領軍將軍。

六月乙酉の日、楽游苑で一つの茎に三つの花が咲く嘉蓮が生じた。

原文六月乙酉,嘉蓮一莖三花生樂游苑。

秋七月丙辰の日、詔を下して言った。「昔、公卿が面と向かって意見を述べたことは、前史に記載されており、尚書令・僕射が陛下の前で奏上したことは、歴代にはっきりと記されている。これによって様々な事績を整え、多くの政務を成し遂げたのである。晋の時代に衰え、空虚ででたらめなことが風潮となり、これが引き継がれて、その欠陥はますます遠くまで及んだ。そのため、武帳は空しく労するだけで汲黯のような奏上はなく、丹墀は空しく開かれるだけで鄭崇のような履き物の音は聞こえない。三槐(三公)や八座(尚書令・僕射ら)をはじめ、職務を持つ百官は、議論すべきことがあれば、進み出て陳啓すべきである。これによって広く意見を集め、朕の浅薄さを少しでも補うことを望む。」

原文秋七月丙辰,詔曰:「昔公卿面陳,載在前史,令僕陛奏,列代明文,所以釐彼庶績,成茲羣務。晉氏陵替,虛誕爲風,自此相因,其失彌遠。遂使武帳空勞,無汲公之奏,丹墀徒辟,闕鄭生之履。三槐八座,應有務之百官,宜有所論,可入陳啓,庶藉周爰,少匡寡薄。」

九月丙申の日、天の西北でごうごうと音がし、赤い気が地に下った。

原文九月丙申,天西北隆隆有聲,赤氣下至地。

冬十二月癸酉の日、山車が臨城県に現れた。庚辰の日、馬仙琕が魏軍を大破し、十余万の首級を斬り、朐山城を奪回した。

原文冬十二月癸酉,山車見于臨城縣。庚辰,馬仙琕大破魏軍,斬馘十餘萬,剋復朐山城。

この年、初めて宮城の門に三重楼を造り、二つの通路を開いた。宕昌国が使者を遣わして地方の産物を献上した。

原文是歲,初作宮城門三重樓及開二道。宕昌國遣使獻方物。

天監十一年

原文天監十一年

十一年春正月壬辰、詔して曰く、「刑法は老人を憐れみ、罪は妻子に及ぼさず、礼には明文が著され、史には前事が顕わである。これはその哀れみを伸べるためであり、故に罰の及ばないところがある。近代、相因ってその網はますます厳しく、幼い子供も白髪の老人も、同じく連座して罪に落ちる。悪を懲らしめ善を勧めるには、その制度を究めるべきではあるが、老幼が流離するのは、まことに憐れむべきことである。今より逃亡・流罪の家および罪に応じて質作すべき者で、もし年老いた者や幼い者がいる場合は、護送を停止させよ。」左光禄大夫・行太子少傅沈約に特進を加え、鎮南将軍・江州刺史建安王蕭偉に儀同三司を授け、司空・揚州刺史臨川王蕭宏を進めて太尉とし、驃騎将軍王茂を司空とし、尚書令・雲麾将軍王瑩の号を進めて安左将軍とし、安北将軍・青冀二州刺史張稷の号を進めて鎮北将軍とした。

原文十一年春正月壬辰,詔曰:「夫刑法悼耄,罪不收孥,禮著明文,史彰前事,蓋所以申其哀矜,故罰有弗及。近代相因,厥網彌峻,髫年華髮,同坐入諐。雖懲惡勸善,宜窮其制,而老幼流離,良亦可愍。自今逋讁之家及罪應質作,若年有老小,可停將送。」加左光祿大夫、行太子少傅沈約特進,鎮南將軍、江州刺史建安王偉儀同三司,司空、揚州刺史臨川王宏進位元爲太尉,驃騎將軍王茂爲司空,尚書令、雲麾將軍王瑩進號安左將軍,安北將軍、青冀二州刺史張稷進號鎮北將軍。

二月戊辰、新昌・済陽の二郡で野蚕が繭を作った。

原文二月戊辰,新昌、濟陽二郡野蠶成繭。

三月丁巳、揚州・徐州の二州を曲赦した。鐘山に西静壇を築いた。庚申、高麗国が使者を遣わして地方の産物を献上した。

原文三月丁巳,曲赦揚、徐二州。築西靜壇於鐘山。庚申,高麗國遣使獻方物。

四月戊子、詔して曰く、「去年、朐山において醜類を大いに殲滅した。京観を築いて武功を顕彰すべきである。しかし、罪を伐ち民を弔うのは皇王の盛んな軌範であり、骸骨を掩い肉を埋めるのは仁者の心である。青州に命じて全て収蔵させよ。」百済・扶南・林邑国が使者を遣わして地方の産物を献上した。

原文四月戊子,詔曰:「去歲朐山大殲丑類,宜爲京觀,用旌武功;但伐罪弔民,皇王盛軌,掩骼埋胔,仁者用心。其下青州悉使收藏。」百濟、扶南、林邑國並遣使獻方物。

六月辛巳、司空王茂に中権将軍を兼任させた。

原文六月辛巳,以司空王茂領中權將軍。

九月辛亥、宕昌国が使者を遣わして地方の産物を献上した。

原文九月辛亥,宕昌國遣使獻方物。

冬十一月乙未、呉郡太守袁昂を兼尚書右僕射とした。己酉、太尉・揚州刺史臨川王蕭宏を降格して驃騎将軍・開府同三司の儀とした。癸丑、斉の宣徳太妃王氏が薨去した。

原文冬十一月乙未,以吳郡太守袁昂兼尚書右僕射。己酉,降太尉、揚州刺史臨川王宏爲驃騎將軍、開府同三司之儀。癸丑,齊宣德太妃王氏薨。

十二月己未、安西将軍・荊州刺史安成王蕭秀を中衛将軍とし、護軍将軍鄱陽王蕭恢を平西将軍・荊州刺史とした。

原文十二月己未,以安西將軍、荊州刺史安成王秀爲中衛將軍,護軍將軍鄱陽王恢爲平西將軍、荊州刺史。

天監十二年

原文天監十二年

十二年春正月辛卯、輿駕がみずから南郊で祭祀を行い、大辟以下の罪を赦した。

原文十二年春正月辛卯,輿駕親祠南郊,赦大辟以下。

二月辛酉、兼尚書右僕射袁昂を尚書右僕射とした。丙寅、詔して曰く、「骸骨を掩い肉を埋めることは、周の経典で義が重んじられ、槥櫝を加えることは、漢の策で事が美とされた。朕は隅に面して思いを抱き、常に急ぐことに努め、収蔵の命をしばしば哀れみの情をもって下した。しかし、郡県は遠く深く、遵守奉行が行き届かず、路上に白骨が散らばり、しばしば見られる。沈淪し枯れた者を思いやれば、ますます労り悲しむ。遠近に明らかに下し、それぞれ境界を巡視させよ。もし遺骸が葬られず、あるいは粗末な衣を改められない者がいれば、すぐに収斂し、棺具を量って与えよ。夜に泣く魂を慰め、霜に濡れた骨に帰る所があらんことを。」辛巳、新たに太極殿を造り、十三間に改めた。

原文二月辛酉,以兼尚書右僕射袁昂爲尚書右僕射。丙寅,詔曰:「掩骼埋胔,義重周經,槥櫝有加,事美漢策。朕向隅載懷,每勤造次,收藏之命,亟下哀矜;而㝢縣遐深,遵奉未洽,髐然路隅,往往而有,言愍沉枯,彌勞傷惻。可明下遠近,各巡境界,若委骸不葬,或蒢衣莫改,卽就收斂,量給棺具。庶夜哭之魂斯慰,沾霜之骨有歸。」辛巳,新作太極殿,改爲十三間。

三月癸卯、湘州刺史王珍国を護軍将軍とした。

原文三月癸卯,以湘州刺史王珍國爲護軍將軍。

閏月乙丑、特進・中軍将軍沈約が卒去した。

原文閏月乙丑,特進、中軍將軍沈約卒。

夏四月、都の建康で大水が起こった。

原文夏四月,京邑大水。

六月癸巳、新たに太廟を造営し、基壇を九尺高くした。庚子、太極殿が完成した。

原文六月癸巳,新作太廟,增基九尺。庚子,太極殿成。

秋九月戊午、鎮南将軍・開府儀同三司・江州刺史の建安王蕭偉を撫軍将軍とし、儀同は元の通りとした。驃騎将軍・開府同三司之儀・揚州刺史の臨川王蕭宏を司空とした。中権将軍を兼任する王茂を驃騎将軍・開府同三司之儀・江州刺史とした。

原文秋九月戊午,以鎮南將軍、開府儀同三司、江州刺史建安王偉爲撫軍將軍,儀同如故;驃騎將軍、開府同三司之儀、揚州刺史臨川王宏爲司空;領中權將軍王茂爲驃騎將軍、開府同三司之儀、江州刺史。

冬十月丁亥、詔を下して言った。「明堂の地勢が低く湿っているのは、朕の心にかなわない。外廷においては測量して高く築き上げ、誠敬の心を尽くすようにせよ。」

原文冬十月丁亥,詔曰:「明堂地勢卑濕,未稱乃心。外可量就埤起,以盡誠敬。」

天監十三年

原文天監十三年

十三年春正月壬戌、丹陽尹の晉安王蕭綱を荊州刺史とした。癸亥、平西将軍・荊州刺史の鄱陽王蕭恢を鎮西将軍・益州刺史とした。丙寅、翊右将軍の安成王蕭秀を安西将軍・郢州刺史とした。

原文十三年春正月壬戌,以丹陽尹晉安王綱爲荊州刺史。癸亥,以平西將軍、荊州刺史鄱陽王恢爲鎮西將軍、益州刺史。丙寅,以翊右將軍安成王秀爲安西將軍、郢州刺史。

二月丁亥、皇帝自ら籍田を耕した。天下に赦令を下し、孝悌力田の者には爵位一級を賜った。老人星が現れた。

原文二月丁亥,輿駕親耕籍田,赦天下,孝悌力田賜爵一級。老人星見。

三月辛亥、新たに中撫将軍・開府儀同三司に任じられた建安王蕭偉を左光禄大夫とした。

原文三月辛亥,以新除中撫將軍、開府儀同三司建安王偉爲左光祿大夫。

夏四月辛卯、林邑国が使者を遣わして産物を献上した。壬辰、郢州刺史の豫章王蕭綜を安右将軍とした。

原文夏四月辛卯,林邑國遣使獻方物。壬辰,以郢州刺史豫章王綜爲安右將軍。

五月辛亥、通直散騎常侍の韋叡を中護軍とした。

原文五月辛亥,以通直散騎常侍韋叡爲中護軍。

六月己亥、南兗州刺史の蕭景を領軍将軍とし、領軍将軍の柳慶遠を安北将軍・雍州刺史とした。

原文六月己亥,以南兗州刺史蕭景爲領軍將軍,領軍將軍柳慶遠爲安北將軍、雍州刺史。

秋七月乙亥、皇子の蕭綸を邵陵郡王に、蕭繹を湘東郡王に、蕭紀を武陵郡王に封じた。

原文秋七月乙亥,立皇子綸爲邵陵郡王,繹爲湘東郡王,紀爲武陵郡王。

八月癸卯、扶南国と于闐国がそれぞれ使者を遣わして産物を献上した。

原文八月癸卯,扶南、于闐國各遣使獻方物。

この年、浮山堰を築いた。

原文是歲作浮山堰。

天監十四年

原文天監十四年

十四年春正月乙巳朔(1月1日)、皇太子が元服し、天下に赦令を下し、父の後を継ぐ者に爵位一級を賜い、王公以下にはそれぞれ等級に応じて恩賞を分け与え、遠近からの慶賀の礼を停止した。丙午(1月2日)、安左将軍・尚書令の王瑩が中権将軍に進号した。鎮西将軍始興王蕭憺を中撫将軍とした。辛亥(1月7日)、皇帝の車駕がみずから南郊で祭祀を行った。詔を下して言った。「朕は恭しく明らかな祭祀を執り行い、はっきりと天上の神霊に仕え、竹宮に臨んで泰壇に登り、裘冕を着て蒼璧を奉じ、燔柴と望祀が終わり、誠敬の心を十分に表した。それゆえ、乾元(天)に対応し、徳教を広く宣揚する方法を考えている。しかし治道には欠け、政治と法は多くが暗く、実に多くの人材を待ち望み、それをもって万民の業績を安んじたい。遠近に布告し、広く英傑異才を採り上げよ。もし確かに郷党で評判があり、州閭で独行し、丘園に隠遁して名声を求めず、才能を隠して時を待ち、まだ採用されていない者がいるならば、あるいは賢良・方正、孝悌・力田の者であれば、すぐに上奏し、その名を詳細に報告せよ。彼らを朝廷の官位に抜擢し、邦邑で試用し、百官が皆職務に励み、万民に隠れた人材がいないようにしたい。また、刑罰は時代によって軽重があり、時勢に応じて法を定める。以前は劓刑や墨刑をもって重刑に代えたが、改悔の道を思いやれば、その道はすでに閉ざされている。これらもすべて廃止せよ。」丙寅(1月22日)、汝陰王劉胤が薨去した。

原文十四年春正月乙巳朔,皇太子冠,赦天下,賜爲父後者爵一級,王公以下班賚各有差,停遠近上慶禮。丙午,安左將軍、尚書令王瑩進號中權將軍。以鎮西將軍始興王憺爲中撫將軍。辛亥,輿駕親祠南郊。詔曰:「朕恭祗明祀,昭事上靈,臨竹宮而登泰壇,服裘冕而奉蒼璧,柴望旣升,誠敬克展,思所以對越乾元,弘宣德教;而缺于治道,政法多昧,實佇羣才,用康庶績。可班下遠近,博采英異。若有確然鄉黨,獨行州閭,肥遁丘園,不求聞達,藏器待時,未加收采;或賢良、方正,孝悌、力田,並卽騰奏,具以名上。當擢彼周行,試以邦邑,庶百司咸事,兆民無隱。又世輕世重,隨時約法,前以劓墨,用代重辟,猶念改悔,其路已壅,並可省除。」丙寅,汝陰王劉胤薨。

二月庚寅(2月17日)、芮芮国が使者を遣わして産物を献上した。戊戌(2月25日)、老人星が現れた。辛丑(2月28日)、中護軍の韋叡を平北将軍・雍州刺史とし、新たに中撫将軍に任じられた始興王蕭憺を荊州刺史とした。

原文二月庚寅,芮芮國遣使獻方物。戊戌,老人星見。辛丑,以中護軍韋叡爲平北將軍、雍州刺史,新除中撫將軍始興王憺爲荊州刺史。

夏四月丁丑(4月25日)、驃騎将軍・開府同三司之儀・江州刺史の王茂が薨去した。

原文夏四月丁丑,驃騎將軍、開府同三司之儀、江州刺史王茂薨。

五月丁巳(6月4日)、荊州刺史の晋安王蕭綱を江州刺史とした。

原文五月丁巳,以荊州刺史晉安王綱爲江州刺史。

秋八月乙未(9月10日)、老人星が現れた。

原文秋八月乙未,老人星見。

九月癸亥(10月8日)、長沙王蕭深業を護軍将軍とした。狼牙修国が使者を遣わして産物を献上した。

原文九月癸亥,以長沙王深業爲護軍將軍。狼牙修國遣使獻方物。

天監十五年

原文天監十五年

十五年春正月己巳(1月15日)、詔を下して言った。「時勢を観て教化を施すことは、王政の最優先事項であり、両方を兼ねて利益をもたらすことは、まさに根本に努めることである。風俗を移し治世を成すことは、すべてここから始まる。近ごろは改革の命令が、事あるごとに必ず下されているが、緩急の要は、まだ適切に至っておらず、民の苦しみは依然として多く、廉潔公平な官吏はまだ少ない。それゆえ、冕旒と纊(帝王の耳飾り)を前にして思いを巡らし、玉帛を捧げて嘆息するのである。四方に布告せよ。民に不便な政があれば、その所在地が詳細に条項を記して報告せよ。郡守や県令で清廉潔白が称えられる者、あるいは民を侵食し害をなす者は、それぞれ上奏し、それをもって昇進・降格を行う。長吏は農事を奨励監督し、自ら堤防を巡視し、修繕されていないことがないようにし、農事を妨げることのないようにせよ。関市の税には、妥当でないものがあるかもしれない。外部の情勢を考慮して、旧来の規定より優遇し減額せよ。」

原文十五年春正月己巳,詔曰:「觀時設教,王政所先,兼而利之,實惟務本,移風致治,咸由此作。頃因革之令,隨事必下,而張弛之要,未臻厥宜,民瘼猶繁,廉平尚寡,所以佇旒纊而載懷,朝玉帛而興歎。可申下四方,政有不便於民者,所在具條以聞。守宰若清潔可稱,或侵漁爲蠹,分別奏上,將行黜陟。長吏勸課,躬履堤防,勿有不脩,致妨農事。關市之賦,或有未允,外時參量,優減舊格。」

三月戊辰朔(3月1日)、日食があった。

原文三月戊辰朔,日有蝕之。

夏四月丁未(5月9日)、安右将軍豫章王蕭綜を護軍を兼任させた。高麗国が使者を遣わして産物を献上した。

原文夏四月丁未,以安右將軍豫章王綜兼護軍。高麗國遣使獻方物。

五月癸未(6月14日)、司空・揚州刺史の臨川王蕭宏を中書監とし、驃騎大将軍・刺史の職はもとのままとした。

原文五月癸未,以司空、揚州刺史臨川王宏爲中書監,驃騎大將軍、刺史如故。

六月丙申(6月27日)、小廟の改築が完了した。庚子(7月1日)、尚書令の王瑩を左光禄大夫・開府儀同三司とし、尚書右僕射の袁昂を尚書左僕射とし、吏部尚書の王暕を尚書右僕射とした。

原文六月丙申,改作小廟畢。庚子,以尚書令王瑩爲左光祿大夫、開府儀同三司,尚書右僕射袁昂爲尚書左僕射,吏部尚書王暕爲尚書右僕射。

秋八月、老人星が現れた。芮芮、河南(吐谷渾)が使者を遣わして産物を献上した。

原文秋八月,老人星見。芮芮、河南遣使獻方物。

九月辛巳(9月10日)、左光禄大夫・開府儀同三司の王瑩が薨去した。壬辰(9月21日)、天下に赦令を下した。

原文九月辛巳,左光祿大夫、開府儀同三司王瑩薨。壬辰,赦天下。

冬十月戊午(10月17日)、丹陽尹の長沙王蕭深業を湘州刺史とした。

原文冬十月戊午,以丹陽尹長沙王深業爲湘州刺史。

十一月丁卯、兼護軍豫章王蕭綜を安前將軍とした。交州刺史李畟が交州の反乱者阮宗孝を斬り、その首を京師に伝送した。交州を曲赦した。壬午、雍州刺史韋叡を護軍將軍とした。

原文十一月丁卯,以兼護軍豫章王綜爲安前將軍。交州刺史李畟斬交州反者阮宗孝,傳首京師。曲赦交州。壬午,以雍州刺史韋叡爲護軍將軍。

天監十六年

原文天監十六年

十六年春正月辛未、輿駕が親しく南郊を祠り、詔して言った。「朕は扆に臨んで治を思い、政道は未だ明らかでなく、昧旦に劬労し、星紀が早く移った。今、太皞が気を御し、句芒が節を首め、升中して陽に就き、禋敬を克く展べる。天の休を承け、この和沢を布くことを務める。特に貧しい家は、今年の三調を収めないこと。田業のない者は、所在において量宜を以て賦給する。もし民に産子があれば、即ち格に依り優蠲する。孤老・鰥寡で自ら存することができない者は、皆に賑卹を加える。四方に班下する。諸州郡県は、時に獄訟を理め、冤滞させないこと。朕が親しく覧るが如くせよ。」

原文十六年春正月辛未,輿駕親祠南郊,詔曰:「朕當扆思治,政道未明,昧旦劬勞,亟移星紀。今太皞御氣,句芒首節,升中就陽,禋敬克展,務承天休,布茲和澤。尤貧之家,勿收今年三調。其無田業者,所在量宜賦給。若民有產子,卽依格優蠲。孤老鰥寡不能自存,咸加賑卹。班下四方。諸州郡縣,時理獄訟,勿使冤滯,並若親覽。」

二月庚戌、老人星が現れた。甲寅、安前將軍豫章王蕭綜を南徐州刺史とした。

原文二月庚戌,老人星見,甲寅,以安前將軍豫章王綜爲南徐州刺史。

三月丙子、河南王が使いを遣わして方物を献じた。

原文三月丙子,河南王遣使獻方物。

夏四月甲子、初めて宗廟の犠牲を取りやめた。潮溝で白雀一羽を獲た。

原文夏四月甲子,初去宗廟牲。潮溝獲白雀一。

六月戊申、廬陵王蕭績を江州刺史とした。

原文六月戊申,以廬陵王績爲江州刺史。

七月丁丑、郢州刺史安成王蕭秀を鎮北將軍・雍州刺史とした。

原文七月丁丑,以郢州刺史安成王秀爲鎮北將軍、雍州刺史。

八月辛丑、老人星が現れた。扶南国・婆利国がそれぞれ使いを遣わして方物を献じた。

原文八月辛丑,老人星見。扶南、婆利國各遣使獻方物。

冬十月、宗廟の薦脩を取りやめ、初めて蔬果を用いた。

原文冬十月,去宗廟薦脩,始用蔬果。

天監十七年

原文天監十七年

十七年春正月丁巳朔、詔して言った。「楽の生ずる所は、含識の常性であり、下を厚くし宅を安んずるは、世を馭する通規である。朕はこの庶氓を矜み、待旦を忘れず、生聚の略を亟に弘め、毎に寛恤の恩を布く。しかるに編戸は未だ滋えず、遷徙する者なおあり、軽々しく故郷を去るのは、豈にその本志であろうか。資業は殆ど闕け、自ら返るに由なく、巣南の心も、また何ぞ能く弭せん。今、開元の歳を発し、品物惟新たなり、黔黎を思いて、各々旧所に安んぜしめんと欲する。郡に曠土無く、邑に遊民無く、鶏犬相聞こえ、桑柘畛を交わすようにせん。凡そ天下の民で、流移して他境にある者で、天監十七年正月一日以前の者は、恩を開き半歳とし、皆本貫に還ることを聴き、課役を三年蠲免する。その流寓が遠き者は、程日を量り加える。もし還ることを楽しまない者があれば、即ち土籍に著して民とし、旧課に准じて輸納させる。もし流移の後、本郷に再び居宅がない者は、村司・三老及びその他の親属が、即ち県に詣で、村内の官地・官宅を占請し、相容受することを令し、本を恋うる者に還って託す所あらしめる。凡そ市埭諸職に坐し、割盗衰滅して封籍されるべき者の田宅・車牛は、これ民生の具であるから、悉く没入してはならず、皆優量して分留し、自ら止まることを得させる。その商賈・富室も、頓に相兼併してはならない。遁叛の身は、罪の軽重を問わず、並びに首出を許し、還って民伍に復させる。もし拘限があれば、自ら本役に還る。並びに条格とし、皆に知聞せしめる。」

原文十七年春正月丁巳朔,詔曰:「夫樂所自生,含識之常性;厚下安宅,馭世之通規。朕矜此庶氓,無忘待旦,亟弘生聚之略,每布寬恤之恩;而編戶未滋,遷徙尚有,輕去故鄉,豈其本志?資業殆闕,自返莫由,巢南之心,亦何能弭。今開元發歲,品物惟新,思俾黔黎,各安舊所。將使郡無曠土,邑靡遊民,雞犬相聞,桑柘交畛。凡天下之民,有流移他境,在天監十七年正月一日以前,可開恩半歲,悉聽還本,蠲課三年。其流寓過遠者,量加程日。若有不樂還者,卽使著土籍爲民,准舊課輸。若流移之後,本鄉無復居宅者,村司三老及餘親屬,卽爲詣縣,占請村內官地官宅,令相容受,使戀本者還有所託。凡坐爲市埭諸職,割盜衰滅應被封籍者,其田宅車牛,是民生之具,不得悉以沒入,皆優量分留,使得自止。其商賈富室,亦不得頓相兼併。遁叛之身,罪無輕重,並許首出,還復民伍。若有拘限,自還本役。並爲條格,咸使知聞。」

二月癸巳、鎮北將軍・雍州刺史安成王蕭秀が薨じた。甲辰、大赦天下した。乙卯、石頭戍事を領する南康王蕭績を南兗州刺史とした。

原文二月癸巳,鎮北將軍、雍州刺史安成王秀薨。甲辰,大赦天下。乙卯,以領石頭戍事南康王績爲南兗州刺史。

三月甲申、老人星が現れた。丙申、建安王蕭偉を改めて南平王に封じた。

原文三月甲申,老人星見。丙申,改封建安王偉爲南平王。

夏五月戊寅、驃騎大將軍・揚州刺史臨川王蕭宏を免じた。己卯、干陁利国が使いを遣わして方物を献じた。領軍將軍蕭景を安右將軍とし、揚州を監せしめた。辛巳、臨川王蕭宏を中軍將軍・中書監とした。

原文夏五月戊寅,驃騎大將軍、揚州刺史臨川王宏免。己卯、干陁利國遣使獻方物。以領軍將軍蕭景爲安右將軍,監揚州。辛巳,以臨川王宏爲中軍將軍、中書監。

六月乙酉の日、益州刺史の鄱陽王蕭恢を領軍將軍とした。中軍將軍・中書監の臨川王蕭宏は本官のまま司徒を代行した。癸卯の日、国子祭酒の蔡撙を吏部尚書とした。

原文六月乙酉,以益州刺史鄱陽王恢爲領軍將軍。中軍將軍,中書監臨川王宏以本號行司徒。癸卯,以國子祭酒蔡撙爲吏部尚書。

秋八月壬寅の日、老人星が現れた。詔を下し、兵士や御者の奴婢で、男が六十歳に達し、女が五十歳に達した者は、平民として解放することとした。

原文秋八月壬寅,老人星見。詔以兵騶奴婢,男年登六十,女年登五十,免爲平民。

冬十月乙亥の日、中軍將軍・司徒代行の臨川王蕭宏を中書監・司徒とした。

原文冬十月乙亥,以中軍將軍、行司徒臨川王宏爲中書監、司徒。

十一月辛亥の日、南平王蕭偉を左光禄大夫・開府儀同三司とした。

原文十一月辛亥,以南平王偉爲左光祿大夫、開府儀同三司。

天監十八年

原文天監十八年

十八年春正月甲申の日、領軍將軍の鄱陽王蕭恢を征西將軍・開府儀同三司・荊州刺史とし、荊州刺史の始興王蕭憺を中撫將軍・開府儀同三司・領軍とした。尚書左僕射の袁昂を尚書令とし、尚書右僕射の王暕を尚書左僕射とし、太子詹事の徐勉を尚書右僕射とした。辛卯の日、皇帝の車駕がみずから南郊で祭祀を行い、孝悌と力田に爵位一級を賜った。

原文十八年春正月甲申,以領軍將軍鄱陽王恢爲征西將軍、開府儀同三司、荊州刺史,荊州刺史始興王憺爲中撫將軍、開府儀同三司、領軍。以尚書左僕射袁昂爲尚書令,尚書右僕射王暕爲尚書左僕射,太子詹事徐勉爲尚書右僕射。辛卯,輿駕親祠南郊,孝悌力田賜爵一級。

二月戊午の日、老人星が現れた。

原文二月戊午,老人星見。

四月丁巳の日、大赦を天下に施行した。

原文四月丁巳,大赦天下。

秋七月甲申の日、老人星が現れた。于闐国と扶南国がそれぞれ使者を派遣し、産物を献上した。

原文秋七月甲申,老人星見。于闐、扶南國各遣使獻方物。