晉書

巻一百二十九 載記第二十九

巻一百二十九 載記第二十九

晉書

原文晉書

巻一百二十九 載記第二十九

原文卷一百二十九 載記第二十九 ► 卷一百三十

沮渠蒙遜

原文沮渠蒙遜

沮渠蒙遜は、臨松の盧水胡人である。その先祖は匈奴の左沮渠の官に就いていたため、官職を氏とした。蒙遜は広く諸史に通じ、天文にも明るく、雄傑で英略があり、滑稽で権変に長けていた。梁熙や呂光は皆その才を奇異に思い恐れたため、蒙遜は常に酒宴にふけって自らを晦ましていた。ちょうど伯父の羅仇と麹粥が呂光に従って河南を征討した際、光の前軍が大敗した。麹粥が兄の羅仇に言った。「主上は老いて愚かで驕り高ぶり、諸子は党派を組んで互いに傾軋し、讒言する者がはびこっています。今、軍は敗れ将は死に、まさに智勇ある者が猜疑される時です。恐れるべきではありませんか!我々兄弟は元より彼らに恐れられています。溝や堀で無様に死ぬよりは、むしろ兵を率いて西平に向かい、苕藋から出撃し、腕を奮って大呼し、涼州を平定するに足りません。」羅仇は言った。「道理はお前の言う通りだ。しかし我が家は累世忠孝を重ね、一方の民の帰するところである。寧ろ人に背かれようとも、我が人を背くことはない。」間もなく二人とも呂光に殺された。宗族や姻戚、諸部族で葬儀に参列した者は一万余人に上った。蒙遜は泣きながら人々に言った。「昔、漢の国運が衰微した時、我が先祖は竇融を助け、河右を保ち安寧に導いた。呂王は老いて愚かで、乱暴で無道である。どうして先祖が時を安んじた志を継ぎ、二人の父を黄泉に恨みさせておけようか!」人々は皆万歳を唱えた。そこで蒙遜は呂光の中田護軍の馬邃と臨松令の井祥を斬って盟を結び、十日ほどの間に、兵は一万余りに達した。金山に屯拠し、従兄の男成と共に呂光の建康けんこう太守であった段業を推戴して、使持節・大都督・龍驤大将軍・涼州牧・建康公とし、呂光の龍飛二年を神璽元年と改めた。段業は蒙遜を張掖太守とし、男成を輔国将軍とし、軍国大事を委任した。

原文沮渠蒙遜,臨松盧水胡人也。其先世為匈奴左沮渠,遂以官為氏焉。蒙遜博涉群史,頗曉天文,雄傑有英略,滑稽善權變,梁熙、呂光皆奇而憚之,故常遊飲自晦。會伯父羅仇、麹粥從呂光征河南,光前軍大敗,麹粥言于兄羅仇曰:「主上荒耄驕縱,諸子朋黨相傾,讒人側目。今軍敗將死,正是智勇見猜之日,可不懼乎!吾兄弟素為所憚,與其經死溝瀆,豈若勒眾向西平,出苕藋,奮臂大呼,涼州不足定也。」羅仇曰:「理如汝言,但吾家累世忠孝,為一方所歸,寧人負我,無我負人。」俄而皆為光所殺。宗姻諸部會葬者萬餘人,蒙遜哭謂眾曰:「昔漢祚中微,吾之乃祖翼獎竇融,保寧河右。呂王昏耄,荒虐無道,豈可不上繼先祖安時之志,使二父有恨黃泉!」眾咸稱萬歲。遂斬光中田護軍馬邃、臨松令井祥以盟,一旬之間,眾至萬餘。屯據金山,與從兄男成推光建康太守段業為使持節、大都督、龍驤大將軍、涼州牧、建康公,改呂光龍飛二年為神璽元年。業以蒙遜為張掖太守,男成為輔國將軍,委以軍國之任。

段業が蒙遜に西郡を攻撃させようとした時、人々は皆疑った。蒙遜は言った。「この郡は山嶺の要衝を占めており、取らねばなりません。」段業は言った。「卿の言う通りだ。」そこで派遣した。蒙遜は水を引いて城を灌漑し、城は陥落し、太守の呂純を捕らえて帰還した。これにより王徳が晋昌を、孟敏が敦煌を以て段業に降った。段業は蒙遜を臨池侯に封じた。呂弘が張掖を離れ、東へ逃げようとした時、段業はこれを撃つことを議した。蒙遜は諫めて言った。「帰る軍を阻まず、窮した敵を追わず、これが兵家の戒めです。彼らを逃がして、後の計画とすべきです。」段業は言った。「一日敵を逃がせば、後悔しても及ばない。」そこで兵を率いて追撃したが、呂弘に敗れた。段業は蒙遜のおかげで難を免れ、嘆いて言った。「孤は子房(張良)の言葉を用いることができず、このような事態に至った!」段業は西安城を築き、その部将の臧莫孩を太守とした。蒙遜は言った。「莫孩は勇猛だが謀がなく、進むことを知って退くことを忘れ、いわゆる彼のために塚を築くようなもので、城を築くのではありません。」段業は従わなかった。間もなく呂纂に敗れた。蒙遜は段業が自分を容れられないのではないかと恐れ、常に智謀を隠して避けた。

原文業將使蒙遜攻西郡,眾咸疑之。蒙遜曰:「此郡據嶺之要,不可不取。」業曰:「卿言是也。」遂遣之。蒙遜引水灌城,城潰,執太守呂純以歸。於是王德以晉昌,孟敏以敦煌降業。業封蒙遜臨池侯。呂弘去張掖,將東走,業議欲擊之。蒙遜諫曰:「歸師勿遏,窮寇弗追,此兵家之戎也。不如縱之,以為後圖。」業曰:「一日縱敵,悔將無及。」遂率眾追之,為弘所敗。業賴蒙遜而免,歎曰:「孤不能用子房之言,以至於此!」業築西安城,以其將臧莫孩為太守。蒙遜曰:「莫孩勇而無謀,知進忘退,所謂為之築塚,非築城也。」業不從。俄而為呂纂所敗。蒙遜懼業不能容己,每匿智以避之。

段業は涼王を僭称し、蒙遜を尚書しょうしょ左丞とし、梁中庸を右丞とした。

原文業僭稱涼王,以蒙遜為尚書左丞,梁中庸為右丞。

呂光はその二人の子、紹と纂を派遣して段業を討伐させた。段業は禿髪烏孤に救援を求め、烏孤はその弟の鹿孤と楊軌を派遣して段業を救援した。呂紹は段業らの軍勢が盛んなのを見て、三門関から山に沿って東進しようとした。呂纂は言った。「山に沿うのは弱さを示すもので、敗北を招く道です。陣を結んで守る方が良く、彼らは必ず我々を恐れて戦わないでしょう。」呂紹はそこで軍を率いて南進した。段業がこれを撃とうとした時、蒙遜は諫めて言った。「楊軌は虜の騎兵の強さを恃み、覗う志があります。呂紹と呂纂の兵は死地にあり、必ず決戦して生き延びようとします。戦わなければ泰山のように安泰ですが、戦えば累卵の危うさがあります。」段業は言った。「卿の言う通りだ。」そこで兵を抑えて戦わなかった。呂紹もまた攻撃を難しく思い、それぞれ兵を引き揚げて帰った。

原文呂光遣其二子紹、纂伐業,業請救于禿髮烏孤,烏孤遣其弟鹿孤及楊軌救業。紹以業等軍盛,欲從三門關挾山而東。纂曰:「挾山示弱,取敗之道,不如結陣衛之,彼必憚我而不戰也。」紹乃引軍而南。業將擊之,蒙遜諫曰:「楊軌恃虜騎之強,有窺覦之志。紹、纂兵在死地,必決戰求生。不戰則有太山之安,戰則有累卵之危。」業曰:「卿言是也。」乃按兵不戰。紹亦難之,各引兵歸。

段業は蒙遜の雄武を恐れ、密かに遠ざけようと考え、蒙遜の従叔の益生を酒泉太守とし、蒙遜を臨池太守とした。段業の門下侍郎の馬権は才気煥発で気概があり、武略は人に優っていた。段業は馬権を蒙遜に代えて張掖太守とし、非常に親しく重用し、常に蒙遜を軽んじ侮った。蒙遜もまた彼を恐れて怨み、段業に讒言して言った。「天下は心配するに足りませんが、ただ馬権だけを憂うべきです。」段業は遂に彼を殺した。蒙遜は男成に言った。「段業は愚かで暗愚であり、乱を治める才能はなく、讒言を信じ佞臣を愛し、鑑識と決断の明がありません。恐れていたのは索嗣と馬権だけでしたが、今は二人とも死にました。蒙遜が段業を除いて兄上を奉じようと思うのはどうでしょうか。」男成は言った。「段業は寄留の身で孤立しており、我々が擁立したのです。我々兄弟がいれば、魚に水があるようなものです。人が既に我々を親しんでいるのに、背くのは不吉です。」そこでやめた。蒙遜は既に段業に恐れられ、内心安らかでなく、西安太守になることを願い出た。段業もまた蒙遜に大志があることを知り、朝夕の変事を恐れて、これを許した。

原文業憚蒙遜雄武,微欲遠之,乃以蒙遜從叔益生為酒泉太守,蒙遜為臨池太守。業門下侍郎馬權雋爽有逸氣,武略過人。業以權代蒙遜為張掖太守,甚見親重,每輕陵蒙遜。蒙遜亦憚而怨之,乃譖之於業曰:「天下不足慮,惟當憂馬權耳。」業遂殺之。蒙遜謂男成曰:「段業愚暗,非濟亂之才,信讒愛佞,無鑒斷之明。所憚惟索嗣、馬權,今皆死矣,蒙遜欲除業以奉兄何如?」男成曰:「業羈旅孤飄,我所建立,有吾兄弟,猶魚之有水,人既親我,背之不祥。」乃止。蒙遜既為業所憚,內不自安,請為西安太守。業亦以蒙遜有大志,懼為朝夕之變,乃許焉。

蒙遜は男成と共に蘭門山で祭祀を行う約束をし、密かに司馬の許咸を派遣して段業に告げさせた。「男成が謀反を企てており、休暇を取る日を期して逆を起こすと約束しています。もし蘭門山で祭祀を求めて来れば、臣の言ったことが証明されます。」約束の日になると、果たしてその通りになった。段業は男成を捕らえ、自殺を命じた。男成は言った。「蒙遜が謀反を企てており、既に以前に臣に告げました。臣は兄弟の縁故から、耐え忍んで言いませんでした。臣が今生きているため、部下が従わないのを恐れ、臣と期日を決めて山で祭祀を行い、返って誣告したのです。臣が朝に死ねば、蒙遜は必ず夕方に挙兵します。どうか臣の死を偽り、臣の罪悪を説いてください。蒙遜は必ず逆を起こしますので、臣が袖を振るって討伐に赴けば、事は必ず成功します。」段業は従わなかった。蒙遜は男成の死を聞き、泣きながら人々に告げて言った。「男成は段公に忠実であったのに、無実の罪で殺害された。諸君は彼の仇を討つことができるか? しかも州内は兵乱が続き、段業には治められそうにない。私が初め彼を奉じたのは、彼を陳勝や呉広のような存在だと思ったからだ。しかし彼は讒言を信じ猜疑心が強く、忠良を無実の罪で害した。どうして安らかに枕を高くして寝て、百姓を塗炭の苦しみに離散させておけようか。」男成は平素から恩信があったため、人々は皆憤慨して泣き、これに従った。氐池に到着する頃には、兵は一万を超えた。鎮軍の臧莫孩が部衆を率いてこれに帰順し、羌や胡も多く兵を起こして呼応した。蒙遜は侯塢に陣を構えた。

原文蒙遜期與男成同祭蘭門山,密遣司馬許咸告業曰:「男成欲謀叛,許以取假日作逆。若求祭蘭門山,臣言驗矣。」至期日,果然。業收男成,令自殺。男成曰:「蒙遜欲謀叛,先已告臣,臣以兄弟之故,隱忍不言。以臣今在,恐部人不從,與臣克期祭山,返相誣告。臣若朝死,蒙遜必夕發。乞詐言臣死,說臣罪惡,蒙遜必作逆,臣投袂討之,事無不捷。」業不從。蒙遜聞男成死,泣告眾曰:「男成忠於段公,枉見屠害,諸君能為報仇乎?且州土兵亂,似非業所能濟。吾所以初奉之者,以之為陳、吳耳,而信讒多忌,枉害忠良,豈可安枕臥觀,使百姓離于塗炭。」男成素有恩信,眾皆憤泣而從之。比至氐池,眾逾一萬。鎮軍臧莫孩率部眾附之,羌胡多起兵回應。蒙遜壁于侯塢。

段業は先にその右将軍の田昂を疑い、内に幽閉していたが、この時になって謝罪して赦し、武衛の梁中庸らと共に蒙遜を攻撃させた。段業の部将の王豊孫が段業に言った。「西平の田氏一族は、代々反逆する者がいます。田昂は外見は恭しいが心は残忍で、志は大きいが情は険しい。信用できません。」段業は言った。「孤も久しく疑っていた。しかし田昂以外に蒙遜を討伐できる者はいない。」豊孫の言は聞き入れられず、田昂は侯塢に到着すると、騎兵五百を率いて蒙遜に帰順した。蒙遜が張掖に到着すると、田昂の兄の子の承愛が関門を斬って内に迎え入れ、段業の側近は皆散り散りになった。蒙遜は大声で呼んだ。「鎮西(段業)はどこだ?」兵士が言った。「ここにいます。」段業は言った。「孤はただ一人で飄々としているだけで、貴方の家門に推戴されたのです。どうか余命を乞い、嶺南に身を投じ、東に帰って妻子と再会できるようにさせてください。」蒙遜は遂に彼を斬った。

原文業先疑其右將軍田昂,幽之於內,至是,謝而赦之,使與武衛梁中庸等攻蒙遜。業將王豐孫言于業曰:「西平諸田,世有反者,昂貌恭而心很,志大而情險,不可信也。」業曰:「吾疑之久矣,但非昂無可以討蒙遜。」豐孫言既不從,昂至侯塢,率騎五百歸於蒙遜。蒙遜至張掖,昂兄子承愛斬關內之,業左右皆散。蒙遜大呼曰:「鎮西何在?」軍人曰:「在此。」業曰:「孤單飄一己,為貴門所推,可見丐餘命,投身嶺南,庶得東還,與妻子相見。」蒙遜遂斬之。

段業は京兆の人である。広く史伝に通じ、手紙文を書く才能があり、杜進の記室となり、塞外を征討に従軍した。儒者の風格を持つ長者であったが、他に権謀術策はなく、威令や禁令は行われず、部下が勝手に命令を出し、特に卜筮・讖記・巫覡・徴祥を信じたため、奸佞の者に誤らされた。

原文業,京兆人也。博涉史傳,有尺牘之才,為杜進記室,從征塞表。儒素長者,無他權略,威禁不行,群下擅命,尤信卜筮、讖記、巫覡、征祥,故為奸佞所誤。

隆安五年、梁中庸、房晷、田昂らが蒙遜を推戴して、使持節・大都督・大将軍・涼州牧・張掖公とし、境内を赦免し、元号を永安と改めた。従兄の伏奴を鎮軍将軍・張掖太守・和平侯に任命し、弟の挐を建忠将軍・都谷侯に、田昂を鎮南将軍・西郡太守に、臧莫孩を輔国将軍に、房晷と梁中庸を左右長史に、張騭と謝正礼を左右司馬に任命した。賢才を抜擢し、文武の官は皆喜んだ。

原文隆安五年,梁中庸、房晷、田昂等推蒙遜為使持節、大都督、大將軍、涼州牧、張掖公,赦其境內,改元永安。署從兄伏奴為鎮軍將軍、張掖太守、和平侯,弟挐為建忠將軍、都谷侯,田昂為鎮南將軍、西郡太守,臧莫孩為輔國將軍,房晷、梁中庸為左右長史,張騭、謝正禮為左右司馬。擢任賢才,文武咸悅。

その時、姚興が将軍の姚碩徳を派遣して姑臧こぞうで呂隆を攻撃すると、蒙遜は従事中郎の李典を姚興のもとに派遣して聘問させ、和好を通じさせた。蒙遜は、呂隆がすでに姚興に降伏し、酒泉・涼寧の二郡が反乱して李玄盛に降ったため、建忠将軍の挐と牧府長史の張潜を姑臧の姚碩徳のもとに派遣し、軍を派遣して迎えに来るよう請い、郡民を率いて東遷したいと申し出た。碩徳は大いに喜び、張潜を張掖太守に、挐を建康太守に任命した。張潜は蒙遜に東遷を勧めた。挐はひそかに蒙遜に言った。「呂氏はまだ存続し、姑臧は陥落しておらず、碩徳は兵糧が尽きて遠くから来ているので、長くは持ちません。どうして故郷を離れ、他人の支配を受けようとなさるのですか!」輔国将軍の莫孩も言った。「建忠将軍の言う通りです。」蒙遜はそこで張潜を斬り、布告を下した。「孤は徳が薄く、時運に恵まれてこの地位にある。まだ大業を広く打ち立て、群賊を平定し、桃虫(小悪)が東京で勢いを得たり、封豕(大悪)が西の地で跋扈したりするのを防ぐことができず、軍勢はたびたび動員され、戦いはまだ終わらず、農民は三時の農作業を失い、百姓は家ごとに一粒の米も食べられない。よって、諸々の徭役を免除・軽減し、農業に専念させ、明確な規律を設けて、地の利を尽くすよう務めよ。」

原文時姚興遣將姚碩德攻呂隆于姑臧,蒙遜遣從事中郎李典聘於興,以通和好。蒙遜以呂隆既降於興,酒泉、涼寧二郡叛降李玄盛,乃遣建忠挐、牧府長史張潛見碩德于姑臧,請軍迎接,率郡人東遷。碩德大悅,拜潛張掖太守,挐建康太守。潛勸蒙遜東遷。挐私于蒙遜曰:「呂氏猶存,姑臧未拔,碩德糧竭將遠,不能久也。何故違離桑梓,受制於人!」輔國莫孩曰:「建忠之言是也。」蒙遜乃斬張潛,因下書曰:「孤以虛薄,猥忝時運。未能弘闡大獻,戡蕩群孽,使桃蟲鼓翼東京,封豕烝涉西裔,戎車屢動,干戈未戢,農失三時之業,百姓戶不粒食。可蠲省百徭,專功南畝,明設科條,務盡地利。」

その時、梁中庸が西郡太守であったが、西へ逃れて李玄盛に奔った。蒙遜はこれを聞き、笑って言った。「私と中庸は義理において一体の深い仲であるのに、私を信じず、ただ自分を責めているだけだ。孤はどうして彼を責めようか!」そして、彼の妻子をすべて帰らせた。

原文時梁中庸為西郡太守,西奔李玄盛。蒙遜聞之,笑曰:「吾與中庸義深一體,而不信我,但自負耳,孤豈怪之!」乃盡歸其妻孥。

蒙遜は命令を下した。「老人を養って意見を乞うことは、晋の文公が輿人の誦(民衆の歌)を取り入れた故事であり、それによって英傑を礼遇して招き、時代の平和を招来することができた。ましてや孤は徳が乏しく、智謀も遠大でないのに、どうして正直な言葉を聞いて自らを省みることを考えないでいられようか!内外の官僚たちは、それぞれ賢才を探し求め、広く草莽の意見を進言し、孤の及ばないところを補ってほしい。」

原文蒙遜下令曰:「養老乞言,晉文納輿人之誦,所以能招禮英奇,致時邕之美。況孤寡德,智不經遠,而可不思聞讜言以自鏡哉!內外群僚,其各搜揚賢雋,廣進芻蕘,以匡孤不逮。」

輔国将軍の臧莫孩を派遣して山北の虜(異民族)を襲撃させ、大いにこれを破った。姚興は将軍の斉難に四万の兵を率いさせて呂隆を迎えに行かせた。呂隆は斉難に蒙遜を討つよう勧め、斉難はこれに従った。莫孩がその前軍を破ったため、斉難は盟約を結んで帰還した。

原文遣輔國臧莫孩襲山北虜,大破之。姚興遣將齊難率眾四萬迎呂隆,隆勸難伐蒙遜,難從之。莫孩敗其前軍,難乃結盟而還。

蒙遜の伯父である中田護軍の親信と臨松太守の孔篤はともに驕慢で奢侈にふけり、民衆を苦しめていた。蒙遜は言った。「わが国を乱す者は、二人の伯父である。どうしてこれで民衆を統治できようか!」二人とも自殺を命じた。

原文蒙遜伯父中田護軍親信、臨松太守孔篤並驕奢侵害,百姓苦之。蒙遜曰:「亂吾國者,二伯父也,何以綱紀百姓乎!」皆令自殺。

蒙遜は番禾で狄洛磐を襲撃したが、勝てず、その五百余戸を移して帰還した。

原文蒙遜襲狄洛磐於番禾,不克,遷其五百餘戶而還。

姚興は使者の梁斐と張構らを派遣し、蒙遜を鎮西大将軍・沙州刺史しし・西海侯に任命した。その時、姚興はまた禿髮傉檀を車騎将軍に任命し、広武公に封じていた。蒙遜はこれを聞いて喜ばず、梁斐らに言った。「傉檀は上公の位なのに、わしは侯に封じられているのはどういうことか。」張構が答えて言った。「傉檀は軽薄で狡詐、仁愛がなく、誠意が明らかでありません。聖朝(姚興の朝廷)が彼に高い爵位を加えたのは、善に帰順して秩序に従うという意義を褒めたまでのことです。将軍の忠誠は白日に貫き、勲功は一時に高く、まさに朝廷に入って鼎の味(政務)を調和させ、帝室を補佐すべきです。どうして不信をもって待遇されましょうか。聖朝では爵位は必ず功績に相応しく、官職は徳を越えません。尹緯や姚晁が創業を補佐し、斉難や徐洛が元勲の勇将でありながら、位は二品に止まり、爵は侯・伯に過ぎません。将軍はどうして彼らより先んじられましょうか。竇融は熱心に固辞し、旧臣の上位に立とうとしませんでした。将軍が突然このような質問をされるのが理解できません。」蒙遜は言った。「朝廷はどうして張掖を封地として与えず、わざわざ遠い西海を封じるのか。」張構は言った。「張掖は、計画の範囲内で、将軍がすでに所有しておられます。遠く西海を授けたのは、将軍の国を広大にしたいからです。」蒙遜は大いに喜び、任命を受けた。

原文姚興遣使人梁斐、張構等拜蒙遜鎮西大將軍、沙州刺史、西海侯。時興亦拜禿髮傉檀為車騎將軍,封廣武公。蒙遜聞之,不悅,謂斐等曰:「傉檀上公之位,而身為侯者何也!」構對曰:「傉檀輕狡不仁,款誠未著,聖朝所以加其重爵者,褒其歸善即敘之義耳。將軍忠貫白日,勳高一時,當入諧鼎味,匡贊帝室,安可以不信待也。聖朝爵必稱功,官不越德,如尹緯、姚晁佐命初基,齊難、徐洛元勳驍將,並位才二品,爵止侯伯。將軍何以先之乎?竇融殷勤固讓,不欲居舊臣之右,未解將軍忽有此問!」蒙遜曰:「朝廷何不即以張掖見封,乃更遠封西海邪?」構曰:「張掖,規畫之內,將軍已自有之。所以遠授西海者,蓋欲廣大將軍之國耳。」蒙遜大悅,乃受拜。

その時、地震が起こり、山が崩れ木が折れた。太史令の劉梁が蒙遜に言った。「辛酉は金に属します。地が金によって動き、金が木を刻む(金克木)。これは大軍が東へ行くのに敵なしの兆しです。」その時、張掖城には毎日光る気色があった。蒙遜は言った。「王気が成ろうとしている。百戦百勝の象徴だ。」そこで日勒で禿髮氏の西郡太守楊統を攻撃した。楊統は降伏し、右長史に任命され、その寵遇は古くからの功臣を上回った。

原文時地震,山崩折木。太史令劉梁言于蒙遜曰:「辛酉,金也。地動于金,金動刻木,大軍東行無前之征。」時張掖城每有光色,蒙遜曰:「王氣將成,百戰百勝之象也。」遂攻禿髮西郡太守楊統于日勒。統降,拜為右長史,寵逾功舊。

張掖太守の句呼勒が西涼に逃亡した。従弟の成都を金山太守に、羅仇の子の鄯を西郡太守に、麹粥の子の鄯を西郡太守に任命した。句呼勒が西涼から逃げ帰ってくると、以前と同様に待遇した。

原文張掖太守句呼勒出奔西涼。以從弟成都為金山太守,羅仇子也;鄯為西郡太守,麹粥子也。句呼勒自西涼奔還,待之如初。

蒙遜は騎兵二万を率いて東征し、丹嶺に駐屯した。北虜の大人である思盤が部落三千を率いて降伏した。

原文蒙遜率騎二萬東征,次於丹嶺,北虜大人思盤率部落三千降之。

その時、永安で木が連理(枝がつながる)を生じた。永安県令の張披が上書して言った。「異なる枝が同じ幹から生じるのは、遠方に教化が行き渡る兆しであり、異なる根元が同じ心を持つのは、上下に二心のない固い結束の表れです。これは至道の嘉祥、大同の美しい徴候です。」蒙遜は言った。「これはみな、二千石(太守)や県令・県長が身を顧みず時勢を救った結果であって、どうしてわしの薄徳がこれを感得できようか。」

原文時木連理,生於永安,永安令張披上書曰:「異枝同幹,遐方有齊化之應;殊本共心,上下有莫二之固。蓋至道之嘉祥,大同之美征。」蒙遜曰:「此皆二千石令長匪躬濟時所致,豈吾薄德所能感之!」

蒙遜は歩兵と騎兵合わせて三万を率いて禿髮傉檀を討伐し、西郡に駐屯した。大風が西北から吹き、気が五色になり、やがて昼間でも暗くなった。顕美に至り、数千戸を移して帰還した。傉檀が窮泉で蒙遜に追いついた。蒙遜がこれを撃とうとすると、諸将は皆言った。「賊はすでに陣営を固めており、攻撃すべきではありません。」蒙遜は言った。「傉檀はわしが遠くから来て疲弊していると思い、必ず軽んじて備えがないだろう。その陣営がまだ完成しないうちに、一気に滅ぼすことができる。」進撃してこれを破り、勝ちに乗じて姑臧にまで至り、夷狄や華夏の降伏者は一万数千戸に及んだ。傉檀は恐れて和を請い、蒙遜はこれを許して帰還した。傉檀が南の楽都に奔った後、魏安人の焦朗が姑臧を占拠して自立した。蒙遜は歩兵と騎兵三万を率いて焦朗を攻め、これを平定して許した。謙光殿で文武の将士を饗応し、金や馬を差等をつけて賜った。敦煌の張穆は経史に博通し、才藻が清らかで豊かであったので、抜擢して中書侍郎に任命し、機密の任務を委ねた。弟の挐を護羌校尉・秦州刺史とし、安平侯に封じて姑臧を鎮守させた。十日余りで挐が死んだので、また従祖の益子を鎮京将軍・護羌校尉・秦州刺史とし、姑臧を鎮守させた。

原文蒙遜率步騎三萬伐禿髮傉檀,次於西郡。大風從西北來,氣有五色,俄而晝昏。至顯美,徙數千戶而還。傉檀追及蒙遜於窮泉,蒙遜將擊之。諸將皆曰:「賊已安營,弗可犯也。」蒙遜曰:「傉檀謂吾遠來疲弊,必輕而無備,及其壘壁未成,可以一鼓而滅。」進擊,敗之,乘勝至於姑臧,夷夏降者萬數千戶。傉檀懼,請和,許之而歸。及傉檀南奔樂都,魏安人焦朗據姑臧自立,蒙遜率步騎三萬攻朗,克而宥之。饗文武將士于謙光殿,班賜金馬有差。以敦煌張穆博通經史,才藻清贍,擢拜中書侍郎,委以機密之任。以其弟挐為護羌校尉、秦州刺史,封安平侯,鎮姑臧。旬餘而挐死,又以從祖益子為鎮京將軍、護羌校尉、秦州剌史,鎮姑臧。

まもなく蒙遜は姑臧に遷都し、義熙八年に河西王の位に僭称し、境内で大赦を行い、元号を玄始と改めた。官僚を設置し、呂光が三河王であった時の故事に倣った。宮殿を修繕し、城門や諸観を建てた。子の政徳を世子とし、鎮衛大将軍・録尚書事を加えた。

原文俄而蒙遜遷于姑臧,以義熙八年僭即河西王位,大赦境內,改元玄始。置官僚,如呂光為三河王故事。繕宮殿,起城門諸觀。立其子政德為世子,加鎮衛大將軍、錄尚書事。

傉檀が攻めて来たので、蒙遜は若厚塢でこれを破った。傉檀の湟河太守の文支が湟川を占拠し、護軍の成宜侯が兵を率いて蒙遜に降った。蒙遜は文支を鎮東大将軍・広武太守・振武侯に任命し、成宜侯を振威将軍・湟川太守とし、殿中将軍の王建を湟河太守とした。蒙遜は布告を下した。「古の先哲の王で、時機に応じて乱を治めた者は、みな八方を経略してから、純粋な風教を広く明らかにした。孤は智謀が乱を平定するに足りず、職分は時勢を救うことにあるが、狡虜の傉檀が旧都に梟のように構え、夷狄や華夏に害を加えている。東苑での殺戮は長平の戦いよりも残酷であり、辺境の城の禍いは獫狁よりも甚だしい。常に蒼生の無辜を思い、そのため休む暇もなく、身には甲冑を疲れさせ、体には風塵に倦んでいる。その巣穴を傾けても、傉檀はまだ首を差し出さない。傉檀の弟の文支は、項伯が漢に帰順した義に倣い、あの重要な辺境を占拠し、臣下となることを請うた。西平より南は、城を連ねて次々と帰順している。ただ傉檀だけが窮地の獣となり、楽都で死守している。四肢がすでに落ちれば、命は長く保てまい。五星の会合がすでに応じ、天下統一の時期は遠くない。まさに金山に馬を放ち、民衆を永遠に安楽にしよう。よって、遠近に露布(勝利の布告)し、すべての人に知らしめよ。」

原文傉檀來伐,蒙遜敗之於若厚塢。傉檀湟河太守文支據湟川,護軍成宜侯率眾降之。署文支鎮東大將軍、廣武太守、振武侯,成宜侯為振威將軍、湟川太守,以殿中將軍王建為湟河太守。蒙遜下書曰:「古先哲王應期撥亂者,莫不經略八表,然後光闡純風。孤雖智非靖難,職在濟時,而狡虜傉檀鴟峙舊京,毒加夷夏。東苑之戮,酷甚長平,邊城之禍,害深獫狁。每念蒼生之無辜,是以不遑啟處,身疲甲胄,體倦風塵。雖傾其巢穴,傉檀猶未授首。傉檀弟文支追項伯歸漢之義,據彼重籓,請為臣妾。自西平已南,連城繼順。惟傉檀窮獸,守死樂都。四支既落,命豈久全!五緯之會已應,清一之期無賒,方散馬金山,黎元永逸。可露布遠近,咸使聞知。」

蒙遜は西の苕藋に行き、冠軍将軍の伏恩に騎兵一万を率いさせて卑和・烏啼の二虜を襲撃させ、大いにこれを破り、二千余りの落(集落)を捕虜にして帰還させた。

原文蒙遜西如苕藋,遣冠軍伏恩率騎一萬襲卑和、烏啼二虜,大破之,俘二千餘落而還。

蒙遜は新台で寝ていたところ、宦官の王懐祖が蒙遜を襲撃し、足に傷を負わせた。蒙遜の妻の孟氏が王懐祖を捕らえて斬り、その三族を誅滅した。

原文蒙遜寢於新台,閹人王懷祖擊蒙遜,傷足,其妻孟氏擒斬之,夷其三族。

蒙遜の母の車氏が重篤となったので、蒙遜は南景門に登り、銭を撒いて百姓に賜った。詔みことのり書を下して言った。「孤は宗廟の霊と天地の加護を頼りに、塞がり剥がれる運命の機会を乗り切り、残された民衆の苦難を救い、上には気の穢れを掃き清めることを望み、下には家の福を保ち安んじることを願っている。しかし太后が快方に向かわず、年を経るごとにますます重くなっている。これは刑獄が曲げられ濫用され、民衆に怨みがあるからか? 賦役が煩雑で重く、時勢に耐えられないからか? 群望(山川の神々)が清らかでなく、神の譴責があるからか? 内に諸々の身を省みるが、罪の在り所を知らない。殊死以下の罪を大赦すべし。」間もなく車氏は死去した。

原文蒙遜母車氏疾篤,蒙遜升南景門,散錢以賜百姓。下書曰:「孤庶憑宗廟之靈,乾坤之祐,濟否剝之運會,拯遺黎之荼蓼,上望掃清氣穢,下冀保寧家福。而太后不豫,涉歲彌增,將刑獄枉濫,眾有怨乎?賦役繁重,時不堪乎?群望不絜,神所譴乎?內省諸身,未知罪之攸在。可大赦殊死已下。」俄而車氏死。

蒙遜はその将に命じて湟河へ食糧を輸送させ、自らは軍勢を率いて乞伏熾磐の広武郡を攻略した。食糧輸送が途絶えたため、広武から湟河へ向かい、浩亹を渡った。熾磐は将の乞伏魋尼寅を派遣して蒙遜を防がせたが、蒙遜はこれを撃破して斬った。熾磐はまた将の王衡、折斐、麹景らに騎兵一万を率いさせて勒姐嶺を占拠させた。蒙遜は戦いながら前進し、これを大破し、折斐ら七百余人を捕らえ、麹景は逃げ帰った。蒙遜は弟の漢平を折衝将軍・湟河太守に任じ、そこで軍を引き返した。

原文蒙遜遣其將運糧於湟河,自率眾攻克乞伏熾磐廣武郡。以運糧不繼,自廣武如湟河,度浩亹。熾磐遣將乞伏魋尼寅距蒙遜,蒙遜擊斬之。熾磐又遣將王衡、折斐、麹景等率騎一萬據勒姐嶺,蒙遜且戰且前,大破之,擒折斐等七百餘人,麹景奔還。蒙遜以弟漢平為折沖將軍、湟河太守,乃引還。

晋の益州刺史硃齢石が使者を派遣して来朝した。蒙遜は舎人の黄迅を派遣して益州に返礼の使者として赴かせ、その際に上表文を奉って言った。「天が災いを降し、天下は分裂し崩壊し、天子の威光は南方の辺境に擁せられ、民衆は醜悪な夷狄に没しています。陛下は代々の聖主が徳を重ねられ、その道は周や漢を超え、純粋な教化の及ぶところ、八方の民は心を寄せております。臣は辺境の地にあり、髪を結わず、才能は時の俊英に及ばず、誤って河西の残された民衆に推されて盟主となりました。臣の先祖は代々恩寵を蒙り、艱難辛苦を経ながらも、義を守って揺るがず、首を陽の方角(晋の都のある方)に向け、心は王室にありました。去る冬、益州刺史硃齢石が使者を臣のもとに遣わし、ようやく朝廷の吉報を知ることができました。車騎将軍劉裕が馬に秣をやり戈を揮い、中原の回復を志しておられると承り、これはまさに天が大晋を助け、英明な補佐役をお生みになったと言えましょう。臣は聞きます、少康が夏朝を興し、光武帝が漢の業を復興させた時、皆剣を奮い起こして立ち上がり、兵は一旅(五百人)にも満たなかったのに、なお天に配する功績を成し遂げ、『車攻』の詩を著わすことができました。陛下は全楚の地を領有し、荊州・揚州の精鋭を擁しておられながら、どうして拱手して安閑とし、二京を放棄して戎虜に与えることができましょうか。もし六軍が北をめざして進発され、克服回復の期日が定まるならば、臣は河西の兵を率いて晋の右翼の先鋒となることを請い願います。」

原文晉益州刺史硃齡石遣使來聘。蒙遜遣舍人黃迅報聘益州,因表曰:「上天降禍,四海分崩,靈耀擁于南裔,蒼生沒於醜虜。陛下累聖重光,道邁周、漢,純風所被,八表宅心。臣雖被髮邊徼,才非時雋,謬為河右遺黎推為盟主。臣之先人,世荷恩寵,雖曆夷險,執義不回,傾首陽,乃心王室。去冬益州刺史硃齡石遣使詣臣,始具朝廷休問。承車騎將軍劉裕秣馬揮戈,以中原為事,可謂天贊大晉,篤生英輔。臣聞少康之興大夏,光武之復漢業,皆奮劍而起,眾無一旅,猶能成配天之功,著《車攻》之詠。陛下據全楚之地,擁荊、揚之銳,而可垂拱晏然,棄二京以資戎虜!若六軍北軫,克復有期,臣請率河西戎為晉右翼前驅。」

熾磐は三万人の兵を率いて湟河を襲撃したが、漢平は力戦して堅く守り、司馬の隗仁を夜間に出撃させて熾磐を攻撃させ、数百の首級を斬った。熾磐は撤退しようとし、まず老弱者を先に帰した。漢平の長史焦昶と将軍段景が密かに手紙を送って熾磐を招くと、熾磐は再び進攻して漢平を攻めた。漢平は昶と景の意見を容れて、自ら縛られて出降した。隗仁は壮士百余りを率いて南門の楼上に拠り、三日間も陥落せず、多勢に無勢でついに熾磐に捕らえられた。熾磐は怒って、彼を斬るよう命じた。段暉が諫めて言った。「隗仁は危難に臨んで、命を顧みず奮闘したのは、忠義の士です。寛大に扱い、君主に仕える者を励ますべきです。」熾磐はそこで彼を捕らえたまま帰還した。隗仁は熾磐のもとに五年間留め置かれ、段暉がまた強く願い出たので、ようやく姑臧に帰ることができた。到着すると、蒙遜はその手を握って言った。「卿はわが蘇武である!」そして高昌太守に任じた。彼は政治を行うにあたり威厳と恩恵の称えられる所があったが、かなり財を愛する点が欠点であった。

原文熾磐率眾三萬襲湟河,漢平力戰固守,遣司馬隗仁夜出擊熾磐,斬級數百。熾磐將引退,先遣老弱。漢平長史焦昶、將軍段景密信招熾磐,熾磐復進攻漢平。漢平納昶、景之說,而縛出降。仁勒壯士百餘據南門樓上,三日不下,眾寡不敵,為熾磐所擒。熾磐怒,命斬之。段暉諫曰:「仁臨難履危,奮不顧命,忠也。宜宥之,以厲事君。」熾磐乃執之而歸。在熾磐所五年,暉又為之固請,乃得還姑臧。及至,蒙遜執其手曰:「卿孤之蘇武也!」以為高昌太守。為政有威惠之稱,然頗以愛財為失。

沮渠蒙遜は西進して金山で祭祀を行い、沮渠広宗に騎兵一万を率いさせて烏啼虜を襲撃させ、大勝して帰還した。蒙遜はさらに西進して苕藋に至り、前将軍の沮渠成都に騎兵五千を率いさせて卑和虜を襲撃させ、自らは中軍三万を率いてその後を継いだ。卑和虜は軍勢を率いて迎え出て降伏した。そこで海沿いに西進し、塩池に至り、西王母寺で祭祀を行った。寺の中には『玄石神図』があり、中書侍郎の張穆に命じて賦を作らせ、寺の前に銘を刻ませた。そして金山へ向かい、そこから帰還した。

原文蒙遜西祀金山,遣沮渠廣宗率騎一萬襲烏啼虜,大捷而還。蒙遜西至苕藋,遣前將軍沮渠成都將騎五千襲卑和虜,蒙遜率中軍三萬繼之,卑和虜率眾迎降。遂循海而西,至鹽池,祀西王母寺。寺中有《玄石神圖》,命其中書侍郎張穆賦焉,銘之於寺前,遂如金山而歸。

沮渠蒙遜は詔書を下して言った。「ここしばらく春から炎暑と旱魃が続き、時節の苗を害し、青々とした原野が瞬く間に枯れた土地となった。これは刑罰と政治が中庸を失い、下に冤罪の獄があるからか?あるいは労役が煩雑で賦税が重く、天が譴責しているのか?内省すれば多くの欠点があり、それは孤の罪である。《書経》に言わないか、『百姓に過ちがあれば、その罪は一人(天子)に帰する』と。殊死以下の罪を大赦すべきである。」翌日、慈雨が大いに降った。」

原文蒙遜下書曰:「頃自春炎旱,害及時苗,碧原青野,倏為枯壤。將刑政失中,下有冤獄乎?役繁賦重,上天所譴乎?內省多缺,孤之罪也。《書》不雲乎:'百姓有過,罪予一人。'可大赦殊死已下。」翌日而澍雨大降。

沮渠蒙遜は劉裕が姚泓を滅ぼしたと聞き、大いに怒った。門下校郎の劉祥が蒙遜に事を言上すると、蒙遜は言った。「お前は劉裕が関中に入ったと聞いて、あえて得意げにしているのか!」そして彼を殺した。その峻烈で暴虐な様はこのようなものであった。左右の者を顧みて言った。「古の軍を進める者は、歳星や鎮星の所在を犯さないものだ。姚氏は舜の後裔であり、軒轅(黄帝)の末裔である。今、鎮星は軒轅にあるのに、裕が彼らを滅ぼした。彼もまた長く関中を守ることはできないだろう。」

原文蒙遜聞劉裕滅姚泓,怒甚。門下校郎劉祥言事于蒙遜,蒙遜曰:「汝聞劉裕入關,敢研研然也!」遂殺之。其峻暴如是。顧謂左右曰:「古之行師,不犯歲鎮所在。姚氏舜後,軒轅之苗裔也。今鎮星在軒轅,而裕滅之,亦不能久守關中。」

蒙遜は李士業に解支澗で敗れたが、再び散り散りになった兵士を集めて戦おうとした。前将軍の成都が諫めて言った。「臣は聞きます。高祖(劉邦)は彭城で敗れたが、ついに大漢を成し遂げました。軍を引き返して後の計画とすべきです。」蒙遜はこれに従い、建康を築いて帰還した。

原文蒙遜為李士業敗于解支澗,復收散卒欲戰。前將軍成都諫曰:「臣聞高祖有彭城之敗,終成大漢,宜旋師以為後圖。」蒙遜從之,城建康而歸。

その臣下たちが上書して言った。「官職を設けて職務を分けるのは、国を治め時勢を救うためであり、官職に忠実に勤めて職務を遂行するのは、諸々の政務を明らかに整えるためである。官職にある者は身を顧みずに職務に励むことを務めとし、任務を受けた者は身を忘れて尽くすことを成果とするべきです。皇綱が初めて揺らいで以来、戦乱が都の近くに起こり、公私ともに草創期で、旧来の制度にまで手が回りませんでした。そのため朝廷の多くの者は憲法制度に背き、典章に従わず、ある者は公文書や皇帝の文書を自宅に持ち帰って処理し、ある者は事柄の可否を決めず、空を見上げて通過させてしまいました。その結果、昇進・降格は朝廷から絶え、異議申し立ては聖なる世の中で廃れ、清濁が共に流れ、有能・無能が入り混じり、人々に励んで競う心がなく、ただ日々を過ごすだけのことをしています。どうして公を憂え私を忘れ、主上に奉ずる道と言えましょうか!今、皇化は日に日に盛んになり、遠近ともに安泰です。綱紀を厳しく整え、旧来の規則を改めて修めるべきです。」蒙遜はこれを受け入れ、征南将軍の姚艾と尚書左丞の房晷に命じて朝堂の制度を撰定させた。これを十日間施行すると、百官は奮い立って厳粛になった。

原文其群下上書曰:「設官分職,所以經國濟時;恪動官次,所以緝熙庶政。當官者以匪躬為務,受任者以忘身為效。自皇綱初震,戎馬生郊,公私草創,未遑舊式。而朝士多違憲制,不遵典章;或公文御案,在家臥署;或事無可否,望空而過。至今黜陟絕於皇朝,駁議寢於聖世,清濁共流,能否相雜,人無勸競之心,苟為度日之事。豈憂公忘私,奉上之道也!今皇化曰隆,遐邇寧泰,宜肅振綱維,申修舊則。」蒙遜納之,命征南姚艾、尚書左丞房晷撰朝堂制。行之旬日,百僚振肅。

太史令の張衍が蒙遜に言った。「今年、臨沢城の西で軍勢が破れることがあるでしょう。」蒙遜はそこで、その世子の政徳を若厚塢に駐屯させた。蒙遜は西へ白岸まで行き、張衍に言った。「私は今年、何かを決着させるべきだが、ただ太歳が申にあり、月もまた申を建てているので、西へ行くことはできない。しばらく南へ巡行し、その帰還の機会を待ち、主導権を握って受け身にならず、天の心に従おう。計略は状況に応じて臨機応変に立てるが、くれぐれも漏らすな。」そこで浩亹を攻撃したが、蛇が陣幕の前に蟠っていた。蒙遜は笑って言った。「先のことは騰蛇であったが、今は私の陣幕に蟠っている。天の意思は、私に軍を返してまず酒泉を平定させようとしているのだ。」攻撃用具を焼いて引き返し、川岩に駐屯した。李士業が兵を徴発して張掖を攻撃しようとしていると聞き、蒙遜は言った。「私の計略にはまった。ただ、私が軍を返したと聞いて、進もうとしないのを恐れるだけだ。軍事はやはり権謀を重んじる。」そこで西の国境に布告を出し、浩亹を手に入れたと称し、黄穀へ進軍しようとしているとした。士業はこれを聞いて大いに喜び、都瀆澗へ進軍した。蒙遜は密かに軍を進めてこれを迎え撃ち、壞城で士業を破り、ついで進軍して酒泉を攻略した。百姓は以前と変わらず安堵し、軍に私利私欲はなかった。子の茂虔を酒泉太守とし、士業の旧臣たちは皆、その才能に応じて抜擢して任用した。

原文太史令張衍言于蒙遜曰:「今歲臨澤城西當有破兵。」蒙遜乃遣其世子政德屯兵若厚塢。蒙遜西至白岸,謂張衍曰:「吾今年當有所定,但太歲在申,月又建申,未可西行。且當南巡,要其歸會,主而勿客,以順天心。計在臨機,慎勿露也。」遂攻浩亹,而蛇盤於帳前。蒙遜笑曰:「前一為騰蛇,今盤在吾帳,天意欲吾回師先定酒泉。」燒攻具而還,次於川岩。聞李士業徵兵欲攻張掖,蒙遜曰:「入吾計矣。但恐聞吾回軍,不敢前也。兵事尚權。」乃露布西境,稱得浩亹,將進軍黃穀。士業聞而大悅,進入都瀆澗。蒙遜潛軍逆之,敗士業於壞城,遂進克酒泉。百姓安堵如故,軍無私焉。以子茂虔為酒泉太守,士業舊臣皆隨才擢敘。

沮渠蒙遜は安帝の隆安五年に自ら州牧を称し、義熙八年に僭立し、その後八年を経て宋氏が禅譲ぜんじょうを受け、元嘉十年に死去した。享年六十六歳、偽位にあったのは三十三年であった。子の茂虔が立ち、六年の後、魏に捕らえられ、合わせて三十九年で滅亡した。

原文蒙遜以安帝隆安五年自稱州牧,義熙八年僭立,後八年而宋氏受禪,以元嘉十年死,時年六十六,在偽位三十三年。子茂虔立,六年,為魏所擒,合三十九載而滅。

【評贊】

原文【評贊】

史臣が言う。蒙遜は夷狄の地より出で、辺境の塞において雄を擅にした。呂光の徳に悖るに遭い、仇粥の冤を深く懐き;段業を推して時を済わしめ、陳勝・呉広の事を仮りた。白澗に兵を挙げれば、南涼は和を請い;丹嶺に師を出せば、北寇は賓服した。しかしながら利を見て義を忘れ、禍を包み親を滅ぼす。一隅の命を制する能くするも、抑も亦諸の凶徳を備えたる者であった。

原文史臣曰:蒙遜出自夷陬,擅雄邊塞。屬呂光之悖德,深懷仇粥之冤;推段業以濟時,假以陳、吳之事。稱兵白澗,南涼請和;出師丹嶺,北寇賓服。然而見利忘義,苞禍滅親,雖能制命一隅,抑亦備諸凶德者矣。