晉書

巻一百二十六 載記第二十六

巻一百二十六 載記第二十六

晉書

原文晉書

巻一百二十六 載記第二十六

原文卷一百二十六 載記第二十六 ► 卷一百二十七

禿髮烏孤

原文禿髮烏孤

禿髮烏孤は、河西の鮮卑人である。その祖先は後魏と同祖である。八世の祖の匹孤がその部衆を率いて塞北から河西に移住した。その領地は東は麥田・牽屯から、西は濕羅まで、南は澆河から、北は大漠に接していた。匹孤が没すると、子の壽闐が立った。初め、壽闐が母の胎内にいた時、母の胡掖氏が寝ている間に布団の中で産んだ。鮮卑語で布団を「禿髮」と言うので、これをもって氏とした。壽闐が没すると、孫の樹機能が立った。彼は雄壮で果断、謀略に富んでいた。泰始年間(265-274年)、秦州刺史ししの胡烈を萬斛堆で殺害し、涼州刺史の蘇愉を金山で破り、涼州の地をことごとく手中に収めたため、武帝(司馬炎しばえん)は食事も遅れるほど心配した。後に馬隆に敗れ、部下が彼を殺して降伏した。従弟の務丸が立った。死ぬと、孫の推斤が立った。死ぬと、子の思復鞬が立ち、部衆は次第に盛んになった。烏孤は思復鞬の子である。位を継ぐと、農桑に努め、隣国との友好を修めた。呂光が使者を遣わし、仮節・冠軍大將軍・河西鮮卑大都統・廣武縣侯に任命した。烏孤は諸将に言った。「呂氏が遠方から仮の官職を授けてきたが、これを受けるべきか?」一同は皆言った。「我々の兵士は少なくないのに、なぜ他人に隷属しなければならないのか!」烏孤はそれに従おうとしたが、配下の将軍の石真若留が言った。「今は基盤が固まっておらず、道理に従って時勢に応じるべきです。呂光は徳と刑罰を整え、国内に憂いがありません。もし彼が我々に死力を尽くして攻めてきたら、大小の力が拮抗せず、後で悔やんでも及ばないでしょう。むしろ任命を受けて養力を図り、彼の隙を待つべきです。」烏孤はこれを受け入れた。

原文禿髮烏孤,河西鮮卑人也。其先與後魏同出。八世祖匹孤率其部自塞北遷於河西,其地東至麥田、牽屯,西至濕羅,南至澆河,北接大漠。匹孤卒,子壽闐立。初,壽闐之在孕,母胡掖氏因寢而產於被中,鮮卑謂被為「禿髮」,因而氏焉。壽闐卒,孫樹機能立,壯果多謀略。泰始中,殺秦州刺史胡烈于萬斛堆,敗涼州刺史蘇愉于金山,盡有涼州之地,武帝為之旰食。後為馬隆所敗,部下殺之以降。從弟務丸立。死,孫推斤立。死,子思復鞬立,部眾稍盛。烏孤即思復鞬之子也。及嗣位,務農桑,修鄰好。呂光遣使署為假節、冠軍大將軍、河西鮮卑大都統、廣武縣侯。烏孤謂諸將曰:「呂氏遠來假授,當可受不?」眾咸曰:「吾士眾不少,何故屬人!」烏孤將從之,其將石真若留曰:「今本根未固,理宜隨時。光德刑修明,境內無虞,若致死於我者,大小不敵,後雖悔之,無所及也。不如受而遵養之,又待其釁耳。」烏孤乃受之。

烏孤は乙弗・折掘の二部を討伐し、大いに破った。配下の将軍の石亦幹に命じて廉川堡を築かせ、そこを都とした。烏孤は廉川の大山に登り、泣いて言葉を発しなかった。石亦幹が進み出て言った。「臣は聞きます。主君が憂えれば臣は辱めを受け、主君が辱めを受ければ臣は死ぬ、と。大王が楽しまれないのは、呂光のためではないでしょうか!呂光はすでに年老いて衰え、軍勢はたびたび敗れています。今、我々は兵馬の盛んな勢いをもって大川を保ち拠れば、一をもって百に当たることができ、呂光など恐れるに足りません。」烏孤は言った。「光が老衰していることは、私も知っている。しかし我が祖宗は徳をもって遠方を懐柔し、異なる風俗の者もその威を恐れ、盧陵・契汗は万里を隔てて従順であった。私が業を継いだ今、諸部は背き離反し、近くの者がすでに乖離しているのに、遠方の者をどうやって従わせられようか。それゆえに泣くのだ。」配下の将軍の苻渾が言った。「大王はどうして軍勢を整え誓いを立て、その罪を討たれないのですか。」烏孤はこれに従い、諸部を大いに破った。呂光は烏孤を廣武郡公に封じた。また意雲鮮卑を討伐し、大いに破った。

原文烏孤討乙弗、折掘二部,大破之,遣其將石亦幹築廉川堡以都之。烏孤登廉川大山,泣而不言。石亦幹進曰:「臣聞主憂臣辱,主辱臣死,大王所為不樂者,將非呂光乎!光年已衰老,師徒屢敗。今我以士馬之盛,保據大川,乃可以一擊百,光何足懼也。」烏孤曰:「光之衰老,亦吾所知。但我祖宗以德懷遠,殊俗憚威,盧陵、契汗萬里委順。及吾承業,諸部背叛,邇既乖違,遠何以附,所以泣耳。」其將苻渾曰:「大王何不振旅誓眾,以討其罪。」烏孤從之,大破諸部。呂光封烏孤廣武郡公。又討意雲鮮卑,大破之。

呂光はまた使者を遣わし、烏孤を征南大將軍・益州牧・左賢王に任命した。烏孤は使者に言った。「呂王はかつて征伐を専断する威勢によって、この州を手に入れたが、徳をもって遠方を柔らげ、民衆を恵み安んずることができなかった。その諸子は貪欲で淫らであり、三人の甥は暴虐をほしいままにし、郡県は土崩瓦解し、下民は生きるよりどころがない。どうして私は天下の心に背き、不義の爵位を受けられようか!帝王の興起に、常などあろうか!道なき者は滅び、徳ある者は栄える。私は天と人の望みに順い、天下の主となろう。」鼓吹(楽隊)と羽儀(儀仗)は留め置き、使者に礼を述べて帰らせた。

原文光又遣使署烏孤征南大將軍、益州牧、左賢王。烏孤謂使者曰:「呂王昔以專征之威,遂有此州,不能以德柔遠,惠安黎庶。諸子貪淫,三甥肆暴,郡縣土崩,下無生賴。吾安可違天下之心,受不義之爵!帝王之起,豈有常哉!無道則滅,有德則昌,吾將順天人之望,為天下主。」留其鼓吹羽儀,謝其使而遣之。

隆安元年(397年)、自ら大都督・大將軍・大單于・西平王を称し、境内で大赦を行い、年号を太初とした。広武で軍勢を誇示し、金城を攻略した。呂光が将軍の竇苟を派遣して討伐してきたが、街亭で戦い、大いにこれを破った。呂光配下の楽都・湟河・澆河の三郡を降伏させ、嶺南の羌胡数万落(集落)も皆これに帰附した。呂光の将であった楊軌・王乞基が数千戸を率いて来奔した。烏孤はさらに武威王と称した。三年後、楽都に遷都し、弟の利鹿孤を驃騎大將軍・西平公に任命して安夷を鎮守させ、傉檀を車騎大將軍・廣武公に任命して西平を鎮守させた。楊軌を賓客として遇した。金石生・時連珍は四夷の豪傑、陰訓・郭倖は西州で徳望のある者、楊統・楊貞・衛殷・麹丞明・郭黄・郭奮・史暠・鹿嵩は文武に優れた俊傑、梁昶・韓疋・張昶・郭韶は中州の才人、金樹・薛翹・趙振・王忠・趙晁・蘇霸は秦雍の名門の出身で、皆、内では顕位に就き、外では郡県を治めた。官職に人材を授け、すべて適所を得た。

原文隆安元年,自稱大都督、大將軍、大單于、西平王,赦其境內,年號太初。曜兵廣武,攻克金城。光遣將軍竇苟來伐,戰於街亭,大敗之。降光樂都、湟河、澆河三郡,嶺南羌胡數萬落皆附之。光將楊軌、王乞基率戶數千來奔。烏孤更稱武威王。後三歲,徙于樂都,署弟利鹿孤為驃騎大將軍、西平公,鎮安夷,傉檀為車騎大將軍、廣武公,鎮西平。以楊軌為賓客。金石生、時連珍,四夷之豪雋;陰訓、郭倖,西州之德望;楊統、楊貞、衛殷、麹丞明、郭黃、郭奮、史暠、鹿嵩,文武之秀傑;梁昶、韓疋、張昶、郭韶,中州之才令;金樹、薛翹、趙振、王忠、趙晁、蘇霸,秦雍之世門,皆內居顯位,外宰郡縣。官方授才,咸得其所。

烏孤はゆったりと配下の者たちに言った。「隴右はわずか数郡の地に過ぎないのに、その兵乱によって分裂し、ついに十余りにまでなった。乾帰は河南で勝手に命令を出し、段業は張掖で兵を擁して抵抗し、呂光は氐族の地でかろうじて息をつなぎ、姑臧こぞうをこっそり占拠している。私は父兄の遺した功業を頼りに、西夏を平定しようと考えている。弱きを併せ、暗きを攻める、この三者のうちどれを先にすべきか?」楊統が進み出て言った。「乾帰はもともと我が配下であり、結局は帰服するでしょう。段業は儒生で、経世の才はなく、権臣が命令を専断し、制御は己に由りません。千里を隔てて人を伐つのは、兵糧の輸送が途絶えやすく、しかも我々とは隣国として友好関係にあり、災難を分かち合い憂いを共にすると約束しています。その危難と疲弊に乗じるのは、義挙ではありません。呂光は老衰し、後継者の呂紹は幼く暗愚です。二人の子の呂纂・呂弘は、文武の才はある程度ありますが、内では互いに猜疑し合っています。もし天威をもって臨めば、必ず刃が触れるとともに瓦解するでしょう。車騎将軍(傉檀)を浩亹に鎮守させ、鎮北将軍を廉川に拠点を置かせ、虚に乗じて交互に出撃し、様々な方策で彼らを惑わせ、右を救えばその左を撃ち、左を救えばその右を撃ち、呂纂を奔走に疲れさせ、人々が農業に安んじて従事できないようにすべきです。弱きを併せ、暗きを攻めることは、ここにあります。二年と経たずして、座したまま姑臧を平定できるでしょう。姑臧を陥落させれば、二つの敵(乾帰・段業)は兵戈を用いるまでもなく、自然に服従するでしょう。」烏孤はこれをよしとし、ひそかに併呑の志を抱いた。

原文烏孤從容謂其群下曰:「隴右區區數郡地耳!因其兵亂,分裂遂至十餘。乾歸擅命河南,段業阻兵張掖,虐氐假息,偷據姑臧。吾藉父兄遺烈。思郭清西夏。兼弱攻昧,三者何先?」楊統進曰:「乾歸本我所部,終必歸服。段業儒生,才非經世,權臣擅命,制不由已,千里伐人,糧運懸絕,且與我鄰好,許以分災共患,乘其危弊,非義舉也。呂光衰老,嗣紹沖暗,二子纂、弘,雖頗有文武,而內相猜忌。若天威臨之,必應鋒瓦解。宜遣車騎鎮浩亹,鎮北據廉川,乘虛迭出,多方以誤之,救右則擊其左,救左則擊其右,使纂疲於奔命,人不得安其農業。兼弱攻昧,於是乎在,不出二年,可以坐定姑臧。姑臧既拔,二寇不待兵戈,自然服矣。」烏孤然之,遂陰有吞併之志。

段業が呂纂に侵攻されたので、利鹿孤を派遣して救援させた。呂纂は恐れ、氐池・張掖の穀物と麦を焼いて撤退した。(烏孤は)利鹿孤を涼州牧とし、西平を鎮守させ、傉檀を呼び戻して府国の政務を執らせた。

原文段業為呂纂所侵,遣利鹿孤救之。纂懼,燒氐池、張掖穀麥而還。以利鹿孤為涼州牧,鎮西平,追傉檀入錄府國事。

この年、烏孤は酒のため落馬して脇腹を負傷し、笑って言った。「危うく呂光父子を大喜びさせるところだった。」間もなく病状が重くなり、配下の者たちを見て言った。「困難がまだ静まっていない。年長の君主を立てるべきだ。」言い終えて死んだ。王位にあったのは三年で、偽の諡を武王、廟号を烈祖とした。弟の利鹿孤が立った。

原文是歲,烏孤因酒墜馬傷脅,笑曰:「幾使呂光父子大喜。」俄而患甚,顧謂群下曰:「方難未靜,宜立長君。」言終而死,在王位三年,偽諡武王,廟號烈祖。弟利鹿孤立。

禿髮利鹿孤

原文禿髮利鹿孤

利鹿孤は隆安三年(399年)に偽の位に即き、境内で死刑以下の罪を赦し、また西平に遷都した。記室監の麹梁明を段業のもとに派遣して聘問させた。段業が言った。「貴国の先王は創業して国運を開き、功績は先代よりも高い。国の太祖とすべきであるのに、子がいるのにどうして立てないのか?」梁明が言った。「羌奴という子がいますが、先王のご命令です。」段業が言った。「昔、成王は幼少であったが、周公・召公が宰相となった。漢の昭帝は八歳であったが、金日磾・霍光が補佐した。嗣子が幼くても、二人の叔父が優れ明らかであれば、左右から支え導くことも、また良くないか?」明が言った。「宋の宣公が国を譲ることができたことは、『春秋』がこれを褒めている。孫伯符(孫策)が事を仲謀(孫権)に委ねたことで、ついに呉の国を開く大業を成し遂げた。また、兄が終われば弟が継ぐのは、殷の湯王の制度であり、聖人の格言でもあり、万代に通ずる法則です。どうして必ずしも自分の子孫を継がせることが正しく、兄から継ぐことが間違いだと言えましょうか。」段業が言った。「素晴らしい!使者としての見識だ。」

原文利鹿孤以隆安三年即偽位,赦其境內殊死已下,又徙居於西平。使記室監麹梁明聘于段業。業曰:「貴主先王創業啟運,功高先世,宜為國之太祖,有子何以不立?」梁明曰:「有子羌奴,先王之命也。」業曰:「昔成王弱齡,周召作宰;漢昭八歲,金、霍夾輔。雖嗣子沖幼,而二叔休明,左提右挈,不亦可乎?」明曰:「宋宣能以國讓,《春秋》美之;孫伯符委事仲謀,終開有吳之業。且兄終弟及,殷湯之制也,亦聖人之格言,萬代之通式,何必胤已為是,紹兄為非。」業曰:「美哉!使乎之義也。」

利鹿孤は呂光の死を聞き、配下の将軍の金樹・蘇翹に騎兵五千を率いさせ、昌松の漠口に駐屯させた。

原文利鹿孤聞呂光死,遣其將金樹、蘇翹率騎五千屯於昌松漠口。

一年が過ぎると、境内で大赦を行い、元号を建和と改めた。二千石の長吏で清廉高潔で善政を布いた者は、皆、亭侯・関内侯に封じられた。

原文既逾年,赦其境內,改元曰建和。二千石長吏清高有惠化者,皆封亭侯、關內侯。

呂纂が討伐に来たので、傉檀に命じてこれを防がせた。呂纂の士卒は精鋭で、進軍して三堆を渡り、三軍は動揺して恐れた。傉檀は馬から下りて胡床に座り、兵士たちの心はようやく落ち着いた。呂纂と戦い、これを破り、二千余りの首級を斬った。呂纂が西進して段業を攻撃すると、傉檀は騎兵一万を率い、虚に乗じて姑臧を襲撃した。呂纂の弟の呂緯が南北の城を守って自らを固めた。傉檀は硃明門の上で酒宴を開き、鐘鼓を鳴らして将士を饗応し、青陽門で軍勢を誇示し、八千余戸を捕虜として帰還した。

原文呂纂來伐,使傉檀距之。纂士卒精銳,進度三堆,三軍擾懼。傉檀下馬據胡床而坐,士眾心乃始安。與纂戰,敗之,斬二千餘級。纂西擊段業,傉檀率騎一萬,乘虛襲姑臧。纂弟緯守南北城以自固。傉檀置酒於硃明門上,鳴鐘鼓以饗將士,耀兵于青陽門,虜八千餘戶而歸。

乞伏乾帰は姚興に敗れ、数百騎を率いて来奔したので、彼を晋興に住まわせ、上賓の礼をもって遇した。乾帰は子の謙らを西平に人質として送った。鎮北将軍の俱延が利鹿孤に言った。「乾帰は本来我が属国であり、みだりに自ら尊立し、行き詰まって帰順したのであって、真心があるわけではありません。もし東秦(後秦)に奔れば、必ず軍勢を率いて西に侵攻してくるでしょう。それは我が国の利益ではありません。乙弗の間に移住させ、彼らが逃亡する道を防ぐべきです。」利鹿孤は言った。「私は今まさに信義を広めて天下の人心を収めようとしている。乾帰が誠意をもって投じてきたのに移住させれば、天下の人は私が誠信をもって託せない者だと言うだろう。」間もなく乾帰は果たして姚興のもとに奔った。利鹿孤は延に言った。「卿の言葉を用いなかったので、乾帰は果たして叛いた。卿は私のために追撃せよ。」延は乾帰を追って河まで行ったが、追いつけずに帰還した。

原文乞伏乾歸為姚興所敗,率騎數百來奔,處之晉興,待以上賓之禮。乾歸遣子謙等質于西平。鎮北將軍俱延言于利鹿孤曰:「乾歸本我之屬國,妄自尊立,理窮歸命,非有款誠;若奔東秦,必引師西侵,非我利也。宜徙於乙弗之間,防其越逸之路。」利鹿孤曰:「吾方弘信義以收天下之心,乾歸投誠而徙之,四海將謂我不可以誠信託也。」俄而乾歸果奔于姚興。利鹿孤謂延曰:「不用卿言,乾歸果叛,卿為吾行也。」延追乾歸至河,不及而還。

利鹿孤が立って二年、長寧に龍が現れ、綏羌に麒麟が遊んだ。そこで群臣が即位を勧め、隆安五年に河西王を僭称した。その将軍の鍮勿侖が進言して言った。「昔、我が先君は幽州・朔方の地より始まり、髪を振り乱し左前に衣を着て、冠や冕の礼はなく、定住せず、城邑の制度もありませんでした。それによって天下を二分し、威を異境に振るうことができました。今、大号を建てるのは、まことに天の心に順うものです。しかし、安らかに住み楽しい土地に居着くことは、子孫に遺すべき規矩ではありません。倉庫の粟や帛は、敵の志を生じさせます。かつて最初に兵を挙げて号を称した者は、事必ず成らず、陳勝・項籍の前例は遠くありません。晋人を諸城に置き、農桑を勧めて課し、軍国の用に供させ、我々は戦法を習って未だ賓服しない者を誅すべきです。もし東西に変事があれば、長い計略をもってこれを繋ぎとめ、もし敵が我々より強ければ、移住してその鋒を避ける。これもまた良くないでしょうか。」利鹿孤はその言葉をよしとした。

原文利鹿孤立二年,龍見於長寧,麒麟游於綏羌,於是群臣勸進,以隆安五年僭稱河西王。其將鍮勿侖進曰:「昔我先君肇自幽、朔,被髮左衽,無冠冕之義,遷徙不常,無城邑之制,用能中分天下,威振殊境。今建大號,誠順天心。然甯居樂士,非貽厥之規;倉府粟帛,生敵人之志。且首兵始號,事必無成,陳勝、項籍,前鑒不遠。宜置晉人于諸城,勸課農桑,以供軍國之用,我則習戰法以誅未賓。若東西有變,長算以縻之;如其敵強於我,徙而以避其鋒,不亦善乎!」利鹿孤然其言。

そこで軍を率いて呂隆を討伐し、大いにこれを破り、その右僕射ぼくやの楊桓を捕らえた。傉檀が彼に言った。「危険な国に安んじて寝ており、木を選ぶことを考えず、老いて囚虜となる。これを智と言えようか。」桓は言った。「呂氏の厚恩を受け、端貳(副宰相級)の位に辱くもありました。たとえ洪水が天に滔みなぎっても、なお彼らと共に溺れようとしたい。叛臣となって明主にお目にかかることを、まことに恥じるのです。」傉檀は言った。「卿は忠臣である。」左司馬に任じた。

原文於是率師伐呂隆,大敗之,獲其右僕射楊桓。傉檀謂之曰:「安寢危邦,不思擇木,老為囚虜,豈曰智也!」桓曰:「受呂氏厚恩,位忝端貳,雖洪水滔天,猶欲濟彼俱溺,實恥為叛臣以見明主。」傉檀曰:「卿忠臣也!」以為左司馬。

利鹿孤はその臣下たちに言った。「私は経国済民の才がなく、辱くも業を継いで統治し、荷が重すぎる地位にあり、ここに三年になる。朝夕慎み、道化を広めようと思うが、刑政はまだ適切でなく、風俗はなお多く凋弊している。軍をしばしば出しても、境を開く功績はない。賢才を進めようとしても、下々にはまだ埋もれている者がいる。これは任じた者が才でないのか、それとも私が明らかでないからなのか。諸君、忌憚なく意見を述べよ。私はそれを見よう。」祠部郎中の史暠が答えて言った。「古の王者は、軍を動かすのに全軍を保つことを上とし、国を破ることはその次とし、溺れる者を救い焼ける者を助け、東征すれば西の民が(王が来ないことを)怨んだ。今、安寧を優先せず、ただ戸口を移すことのみを務めているので、土地を安んじ移住を重んじるため、離反する者があり、将を斬り城を落としても、領土は広がりません。今、士を取るに弓馬を優先し、文章学芸は無用の条項とし、遠方の人々を招き寄せ、不朽の業を残すものではありません。孔子は言われた。『礼を学ばなければ、立つことができない。』学校を建て、庠序(学校)を開き、年老いた徳の高い碩儒を選んで貴族の子弟を教えさせるべきです。」利鹿孤はこれを良しとし、田玄沖と趙誕を博士祭酒として、貴族の子弟を教えさせた。

原文利鹿孤謂其群下曰:「吾無經濟之才,忝承業統,自負乘在位,三載於茲。雖夙夜惟寅,思弘道化,而刑政未能允中,風俗尚多凋弊;戎車屢駕,無辟境之功;務進賢彥,而下猶蓄滯。豈所任非才,將吾不明所致也?二三君子其極言無諱,吾將覽焉。」祠部郎中史暠對曰:「古之王者,行師以全軍為上,破國次之,拯溺救焚,東征西怨。今不以綏寧為先,惟以徙戶為務,安土重遷,故有離叛,所以斬將克城,土不加廣。今取士拔才,必先弓馬,文章學藝為無用之條,非所以來遠人,垂不朽也。孔子曰:'不學禮,無以立。'宜建學校,開庠序,選耆德碩儒以訓胄子。」利鹿孤善之,於是以田玄沖、趙誕為博士祭酒,以教胄子。

当時、利鹿孤は僭位していたが、なお姚興に臣従していた。楊桓の兄の楊経は姚萇を補佐して天命に従い、早くに死んだ。姚興は桓に徳望があると聞き、彼を召し出した。利鹿孤は城東で桓を見送り、彼に言った。「本来は卿と共に大業を成そうと期待していたが、事は本図に背き、別れの感慨は、まことに古人の情深さに通じる。しかし、鯤は広大な海がなければその体を動かせず、鳳凰は高い梧桐がなければその翼を休めることができない。卿には時勢を補佐する器量、夜光の宝のような才能がある。雲閣(朝廷)で冠の纓を振るい、連城の価を輝かせるべきであり、この小さな河右の地では、卿の才力を十分に発揮させることはできない。日々新たに善く励み、大いなる美を成してほしい。」桓は泣いて言った。「臣はかつて呂氏に仕え、節義を立てることができませんでした。陛下は臣を俘虜の中からお許しになり、賢臣や旧臣と同じように顕彰してくださいました。常に龍に攀じ鳳に附いて、わずかでも功を立てたいと願っていました。龍門が開かれたのに、臣は離れ去ります。公衡(蜀の黄権)が魏に降った時の懐かしむ思いを、どうして忘れましょうか。」利鹿孤は彼のために涙を流した。

原文時利鹿孤雖僭位,尚臣姚興。楊桓兄經佐命姚萇,早死,興聞桓有德望,征之。利鹿孤餞桓於城東,謂之曰:「本期與卿共成大業,事乖本圖,分歧之感,實情深古人。但鯤非溟海,無以運其軀;鳳非修梧,無以晞其翼。卿有佐時之器,夜光之寶,當振纓雲閣,耀價連城,區區河右,未足以逞卿才力。善勖日新,以成大美。」桓泣曰:「臣往事呂氏,情節不建。陛下宥臣于俘虜之中,顯同賢舊,每希攀龍附風,立尺寸之功,龍門既開,而臣違離,公衡之戀,豈曰忘之!」利鹿孤為之流涕。

傉檀を遣わして、また呂隆の昌松太守の孟禕を顕美で攻撃し、これを陥落させた。傉檀は禕を捕らえて責めて言った。「機を見て行動することは、賞が先んじるべきところである。迷いを守って変わらなければ、刑が及ぶところである。私は今まさに玉門に威を輝かせ、秦・隴を掃平しようとしている。卿は貧しい城に固執し、王の法令の執行を遅らせた。国には常刑があるが、本分として甘んじるか。」禕は言った。「明公は河右を切り開き、その名声は天下に広まり、文徳をもって遠人を安んじ、威武をもって恭順しない者を懲らしめられます。ましてや禕のような取るに足らない者が、どうして天命に逆らえましょうか。鼓を血で染める刑は、禕の本分です。しかし、彼に忠であった者は、こちらにも忠なのです。呂氏の厚恩を受け、藩屏の任に就いていました。明公が来られてから帰順すれば、執事(君主)に罪を得る恐れがあります。どうか明公にお考えいただきたい。」傉檀は大いに喜び、その縄を解き、客礼をもって遇した。顕美、麗靬の二千余戸を移住させて帰還した。禕の忠烈を嘉して、左司馬に任じた。禕は請うて言った。「呂氏はまさに滅びようとしており、聖朝が河右を併せることは、明らかに定まっています。しかし、人のために守りながら全うせず、さらに顕職に辱くも任じられるのは、私としては心が安まりません。明公の恩により、禕が姑臧で処刑されることをお許しください。そうすれば死んでも朽ちません。」傉檀はその義を重んじて許した。

原文遣傉檀又攻呂隆昌松太守孟禕于顯美,克之。傉檀執禕而數之曰:「見機而作,賞之所先;守迷不變,刑之所及。吾方耀威玉門,掃平秦、隴,卿固守窮城,稽淹王憲,國有常刑,于分甘乎?」禕曰:「明公開翦河右,聲播宇內,文德以綏遠人,威武以懲不恪,況禕蔑爾,敢距天命!釁鼓之刑,禕之分也。但忠於彼者,亦忠於此。荷呂氏厚恩,受籓屏之任,明公至而歸命,恐獲罪于執事,惟公圖之。」傉檀大悅,釋其縛,待之客禮。徙顯美、麗靬二千餘戶而歸。嘉禕忠烈,拜左司馬。禕請曰:「呂氏將亡,聖朝之並河右,昭然已定。但為人守而不全,復忝顯任,竊所未安。明公之恩,聽禕就戮于姑臧,死且不朽。」傉檀義而許之。

呂隆が沮渠蒙遜に討伐され、使者を遣わして援軍を乞うた。利鹿孤は臣下を集めてこれを議した。尚書しょうしょ左丞の婆衍侖が言った。「今、姑臧は飢饉で荒廃し、穀物一石が万銭、野に青草はなく、食料を取ることもできません。蒙遜は千里を行軍し、糧食の輸送は続きません。二つの敵を争わせて、その隙に乗ずるべきです。もし蒙遜が姑臧を陥落させても、守ることはできず、ちょうど我々が取るべきものとなります。救うべきではありません。」傉檀は言った。「侖はその一を知り、二を知らない。姑臧は今は空虚で疲弊しているが、地勢は要害の地にあり、西方の一都会となるべきところである。蒙遜にこれを占拠させてはならない。速やかに救うべきだ。」利鹿孤は言った。「車騎将軍(傉檀)の言葉は、私の心だ。」そこで傉檀に騎兵一万を率いて救援させた。昌松に到着した時には、蒙遜はすでに退却しており、傉檀は涼沢、段塚の五百余家を移住させて帰還した。

原文呂隆為沮渠蒙遜所伐,遣使乞師,利鹿孤引群下議之。尚書左丞婆衍侖曰:「今姑臧饑荒殘弊,谷石萬錢,野無青草,資食無取。蒙遜千里行師,糧運不屬,使二寇相殘,以乘其釁。若蒙遜拔姑臧,亦不能守,適可為吾取之,不宜救也。」傉檀曰:「侖知其一,未知其二。姑臧今雖虛弊,地居形勝,可西一都之會,不可使蒙遜據之,宜在速救。」利鹿孤曰:「車騎之言,吾之心也。」遂遣傉檀率騎一萬救之。至昌松而蒙遜已退,傉檀徙涼澤、段塚五百餘家而歸。

利鹿孤が病に臥せり、命令を下した。「内外に憂いが多く、国家の機務は広大である。車騎将軍(傉檀)に業を継がせ、先王の志を成し遂げさせよ。」在位三年で死去し、西平の東南に葬られ、偽の諡を康王とした。弟の傉檀が後を継いだ。

原文利鹿孤寢疾,令曰:「內外多虞,國機務廣,其令車騎嗣業,以成先王之志。」在位三年而死,葬于西平之東南,偽諡曰康王。弟傉檀嗣。

禿髮傉檀

原文禿髮傉檀

傉檀は若い頃から機警で、才略があった。その父は彼を奇異とし、諸子に言った。「傉檀は明識と幹才・技芸に優れ、お前たちの同類ではない。」そのため、兄たちは子に授けず、傉檀に伝えようとした。利鹿孤が即位すると、彼はただ拱手して座っているだけで、軍国大事はすべて彼に委ねた。元興元年に涼王を僭称し、楽都に遷都し、元号を弘昌と改めた。

原文傉檀少機警,有才略。其父奇之,謂諸子曰:「傉檀明識幹藝,非汝等輩也。」是以諸兄不以授子,欲傳之于傉檀。及利鹿孤即位,垂拱而已,軍國大事皆以委之。以元興元年僭號涼王,遷于樂都,改元曰弘昌。

初め、乞伏乾帰が晋興にいた時、世子の熾磐を人質に出した。後に熾磐が逃げ帰ろうとしたが、追撃の騎兵に捕らえられ、利鹿孤は彼を殺すよう命じた。傉檀は言った。「臣下や子が君父のもとに逃げ帰るのは、古来通ずる道理である。ゆえに魏の武帝は関羽の逃亡を良しとし、秦の昭王は楚の頃襄王の逃亡を許した。熾磐は逃げ叛いたが、孝心は嘉すべきであり、全うして許すことを示し、海や山のような度量を広めるべきです。」そこで赦免した。この時、熾磐はまた允街に奔ったが、傉檀はその妻子を帰した。

原文初,乞伏乾歸之在晉興也,以世子熾磐為質。後熾磐逃歸,為追騎所執,利鹿孤命殺之。傉檀曰:「臣子逃歸君父,振古通義,故魏武善關羽之奔,秦昭恕頃襄之逝。熾磐雖逃叛,孝心可嘉,宜垂全宥,以弘海嶽之量。」乃赦之。至是,熾磐又奔允街,傉檀歸其妻子。

姚興は使者を遣わし、傉檀を車騎将軍・広武公に任命した。傉檀は楽都の城を大いに増築した。姚興は将軍の斉難に軍勢を率いさせて姑臧から呂隆を迎えさせた。傉檀は昌松と魏安の二つの戍を収縮させてこれを避けた。

原文姚興遣使拜傉檀車騎將軍、廣武公。傉檀大城樂都。姚興遣將齊難率眾迎呂隆于姑臧,傉檀攝昌松、魏安二戍以避之。

涼州刺史王尚が主簿しゅぼの宗敞を派遣して来聘した。敞の父の燮は、呂光の時代に湟河太守から尚書郎に入り、広武で傉檀に会い、その手を取って言った。「あなたは気宇壮大で抜きん出ており、雲を凌ぐ逸気があり、世に名を成す傑物である。必ずや世の乱れを清めるだろう。恨むらくは私が年老いてそれを見届けられないことだ。敞ら兄弟をあなたに託す。」この時、傉檀は敞に言った。「私は平凡な才能で、尊父に過分に称賛されたことを恐れ、常に尊父の明鏡のような見識に恥じないかと心配していた。家業を継いだ今、君子を思う気持ちはある。『詩経』に『心に秘めて、何日かこれを忘れん』とあるが、今日あなたに会えるとは思わなかった。」敞は言った。「大王の仁愛は魏の太祖(曹操)に匹敵し、先人を思いやるお心は、朱暉が張堪の遺児を顧みたことや、叔向が汝斉の子を養育したことにも勝ります。」酒が進み、平生の話になった。傉檀は言った。「あなたは魯粛のような人物だ。あなたと共に大業を成し遂げられなかったことが残念だ。」

原文興涼州刺史王尚遣主薄宗敞來聘。敞父燮,呂光時自湟河太守入為尚書郎,見傉檀于廣武,執其手曰:「君神爽宏拔,逸氣陵雲,命世之傑也,必當克清世難。恨吾年老不及見耳,以敞兄弟托君。」至是,傉檀謂敞曰:「孤以常才,謬為尊先君所見稱,每自恐有累大人水鏡之明。及忝家業,竊有懷君子。《詩》云:'中心藏之,何日忘之。'不圖今日得見卿也。」敞曰:「大王仁侔魏祖,存念先人,雖硃暉眄張堪之孤,叔向撫汝齊之子,無以加也。」酒酣,語及平生。傉檀曰:「卿魯子敬之儔,恨不與卿共成大業耳。」

傉檀は姚興の勢いが盛んなのを見て、密かに姑臧を狙い、年号を廃し、尚書丞郎の官を罷め、参軍の関尚を姚興のもとに派遣した。興は尚に言った。「車騎将軍(傉檀)は誠意を尽くして帰順し、国の藩屏となったはずなのに、勝手に兵を動かし、大城を築くとは、臣下の道として正しいのか。」尚は言った。「王侯が要害を設けて自らを守るのは、先王の制度です。それは人民を安んじ衆を守り、不測の事態に備えるためです。車騎将軍は辺境の藩屏にあり、強敵に近接し、南には未だ帰順しない羌が、西には跋扈する沮渠蒙遜がいます。これは国家のための重門の防備であり、陛下が突然これを疑われるとは思いませんでした。」興は笑って言った。「卿の言う通りだ。」

原文傉檀以姚興之盛,又密圖姑臧,乃去其年號,罷尚書丞郎官,遣參軍關尚聘於興。興謂尚曰:「車騎投誠獻款,為國籓屏,擅興兵眾,輒造大城,為臣之道固若是乎?」尚曰:「王侯設險以自固,先王之制也,所以安人衛眾,預備不虞。車騎僻在遐籓,密邇勍寇,南則逆羌未賓,西則蒙遜跋扈,蓋為國家重門之防,不圖陛下忽以為嫌。」興笑曰:「卿言是也。」

傉檀はその将の文支を派遣して南羌と西虜を討伐し、大いに破った。姚興に上表して涼州を求めたが、許されず、傉檀に散騎常侍を加え、封邑二千戸を増やした。そこで傉檀は軍を率いて沮渠蒙遜を討伐し、氐池に駐屯した。蒙遜は城に籠って固守し、その禾苗を刈り取ったため、赤泉まで進軍して引き返した。興に馬三千匹、羊三万頭を献上した。興はついに傉檀を使持節・都督河右諸軍事・車騎大将軍・領護匈奴中郎将・涼州刺史に任命し、常侍と公の位は元の通りとし、姑臧に鎮守させた。傉檀は歩騎三万を率いて五澗に駐屯し、興の涼州刺史王尚が辛晁、孟禕、彭敏を派遣して出迎えさせた。尚は清陽門から出て、鎮南将軍の文支は涼風門から入った。宗敞が別駕として王尚を長安ちょうあんに送り返すことになり、傉檀は言った。「私は涼州の三千余家を得たが、心のよりどころは卿ただ一人だ。どうして私を捨てて行くのか。」敞は言った。「今、旧君を送るのは、殿下への忠誠のためです。」傉檀は言った。「私は今、新たにこの貴州を治めることになった。遠方を懐柔し近隣を安んずる策は、どうすればよいか。」敞は言った。「涼州の地は疲弊していますが、地勢は優れています。道は人が広めるもので、実は殿下次第です。段懿、孟禕は武威の宿望ある者。辛晁、彭敏は秦・隴の冠冕たる者。斐敏、馬輔は中州の名族。張昶は涼国の旧い家柄。張穆、辺憲、文斉、楊班、梁崧、趙昌は、武勇が飛将軍・羽林のごとき者たちです。大王の神妙な計略をもって、威信でこれらを慰撫し、農耕と戦備をともに修め、文教も併せて設ければ、天下を縦横にすることができ、河右など平定に足りましょうか。」傉檀は大いに喜び、敞に馬二十匹を賜った。そこで謙光殿で文武の官を大いに饗応し、金や馬をそれぞれの功績に応じて賜った。

原文傉檀遣其將文支討南羌、西虜,大破之。上表姚興,求涼州,不許,加傉檀散騎常侍,增邑二千戶。傉檀於是率師伐沮渠蒙遜,次於氐池。蒙遜嬰城固守,芟其禾苗,至於赤泉而還。獻興馬三千匹,羊三萬頭。興乃署傉檀為使持節、都督河右諸軍事、車騎大將軍、領護匈奴中郎將、涼州刺史,常侍、公如故,鎮姑臧。傉檀率步騎三萬次於五澗,興涼州刺史王尚遣辛晁、孟禕、彭敏出迎。尚出自清陽門,鎮南文支入自涼風門。宗敞以別駕送尚還長安,傉檀曰:「吾得涼州三千餘家,情之所寄,唯卿一人,奈何舍我去乎?」敞曰:「今送舊君,所以忠於殿下。」傉檀曰:「吾今新牧貴州,懷遠安邇之略,為之若何?」敞曰:「涼土雖弊,形勝之地,道由人弘,實在殿下。段懿、孟禕、武威之宿望;辛晁、彭敏,秦、隴之冠冕;斐敏、馬輔,中州之令族;張昶,涼國之舊胤;張穆、邊憲、文齊、楊班、梁崧、趙昌,武同飛、羽。以大王之神略,撫之以威信,農戰並修,文教兼設,可以從橫於天下,河右豈足定乎!」傉檀大悅,賜敞馬二十匹。於是大饗文武于謙光殿,班賜金馬各有差。

西曹従事の史暠を姚興のもとに派遣した。興は暠に言った。「車騎将軍は涼州を平定して坐し、本国で錦を飾っているが、私に恩を感じているか。」暠は言った。「車騎将軍は河西に徳を積み、若い頃から英名を広めました。王の威光が届かない遠方にあって、万里を越えて誠意を捧げました。陛下が法に則って人材を任用し、功績に応じて職を授けられるのは、人倫の常道であり、何の恩もありません。」興は言った。「朕が州を車騎に授けなかったのに、車騎はどうやってそれを得たのか。」暠は言った。「河西を混乱させ、呂氏を狼狽させたのは、実は車騎将軍兄弟がその根本を傾けたからです。陛下の網が広く及んでも、涼州はなお天網の外にありました。故に征西将軍(姚碩徳)は周公・召公のような重臣でありながら、姑臧で力尽き、斉難は王師の盛んな勢いをもって、張掖で勢いを挫かれました。王尚は孤城を独り守り、外からは諸狄に逼迫されていました。陛下が十年も兵を連ね、中国の力を尽くさなければ、涼州は容易に取れなかったでしょう。今、虚名を人に与えて、内に大きな利益を収められたのは、妙算が天から出て、聖徳が道と合致したからであり、官職を移したとはいえ、時宜に適ったことです。」興はその言葉を喜び、騎都尉に任じた。

原文遣西曹從事史暠聘于姚興。興謂暠曰:「車騎坐定涼州,衣錦本國,其德我乎?」暠曰:「車騎積德河西,少播英問,王威未接,投誠萬里,陛下官方任才,量功授職,彝倫之常,何德之有!」興曰:「朕不以州授車騎者,車騎何從得之。」暠曰:「使河西雲擾、呂氏顛狽者,實由車騎兄弟傾其根本。陛下雖鴻羅遐被,涼州猶在天網之外。故征西以周、召之重,力屈姑臧;齊難以王旅之盛,勢挫張掖。王尚孤城獨守,外逼群狄,陛下不連兵十年,殫竭中國,涼州未易取也。今以虛名假人,內收大利,乃知妙算自天,聖與道合,雖云遷授,蓋亦時宜。」興悅其言,拜騎都尉。

傉檀が宣徳堂で群僚を宴した際、仰ぎ見て嘆息して言った。「古人が『作る者は住まず、住む者は作らない』と言ったのは、まことにもっともだ。」孟禕が進み出て言った。「張文王(張駿ちょうしゅん)が城苑を築き、宗廟を修繕して子孫に残す資産とし、万世の業としたのに、秦の軍が黄河を渡ると、たちまち瓦解しました。梁熙は全州の地を占め、十万の兵を擁しながら、酒泉で軍が敗れ、彭済で身を亡くしました。呂氏は山を押しのける勢いで西夏を王有しましたが、領土は崩れ離れ、秦・雍で璧を銜んで降伏しました。寛饒が言ったように、『富貴は常ならず、忽ち人を易える』。この堂の建立から百年近く、十二人の主君がいました。ただ信義と順従によってのみ久しく安泰にあり、仁義によってのみ永く固く保たれるのです。どうか大王、努められますように。」傉檀は言った。「あなたがいなければ、このような正論を聞くことはなかった。」傉檀は姚興に制約されていたが、車服や礼制の規定はすべて王者の通りであった。宗敞を太府主簿・録記室事に任じた。

原文傉檀宴群僚於宣德堂,仰視而歎曰:「古人言作者不居,居者不作,信矣。」孟禕進曰:「張文王築城苑,繕宗廟,為貽厥之資,萬世之業,秦師濟河,漼然瓦解。梁熙據全州之地,擁十萬之眾,軍敗於酒泉,身死于彭濟。呂氏以排山之勢,王有西夏,率土崩離,銜璧秦、雍。寬饒有言:'富貴無常,忽輒易人。'此堂之建,年垂百載,十有二主,唯信順可以久安,仁義可以永固,願大王勉之。」傉檀曰:「非君無以聞讜言也。」傉檀雖受制于姚興,然車服禮章一如王者。以宗敞為太府主簿、錄記室事。

傉檀は澆河に遊ぶふりをして、西平・湟河の諸羌三万戸余りを武興・番禾・武威・昌松の四郡に強制移住させた。戎夏の兵五万余人を徴集し、方亭で大閲兵を行い、沮渠蒙遜を討伐して西陝に入った。蒙遜が軍を率いて防ぎ、均石で戦い、傉檀は蒙遜に敗れた。傉檀は騎兵二万を率い、穀物四万石を運んで西郡に補給した。蒙遜が西郡を攻撃し、陥落させた。その後、傉檀はまた赫連勃勃かくれんぼつぼつと陽武で戦い、勃勃に敗れ、将佐十余人が戦死し、傉檀は数騎で南山に逃げ、追撃の騎兵に捕まりかけた。傉檀は東西から敵が来るのを恐れ、三百里以内の百姓を姑臧に移住させたため、国内は驚き怨んだ。屠各の成七児が百姓の動揺に乗じて、配下三百人を率い、北城で傉檀に叛いた。梁貴を盟主に推したが、貴は門を閉じて応じなかった。一夜のうちに数千人に膨れ上がった。殿中都尉の張猛が大衆に向かって大声で言った。「主上(傉檀)の陽武での敗北は、衆を恃んだためです。自らを責め過ちを悔いるのは、明君の道理です。諸君はどうしてこのような小人について不義のことをするのか。殿内の武兵が今まさに迫っている。目前の危険を後悔しても及ばない。」衆はこれを聞き、皆散った。七児は晏然に逃げたが、殿中騎将の白路らが追撃して斬った。軍諮祭酒の梁裒、輔国司馬の辺憲ら七人が謀反を企て、傉檀は彼らを皆誅殺した。

原文傉檀偽遊澆河,襲徙西平、湟河諸羌三萬餘戶于武興、番禾、武威、昌松四郡。徵集戎夏之兵五萬餘人,大閱于方亭,遂伐沮渠蒙遜,入西陝。蒙遜率眾來距,戰于均石,為蒙遜所敗。傉檀率騎二萬,運谷四萬石以給西郡。蒙遜攻西郡,陷之。其後傉檀又與赫連勃勃戰于陽武,為勃勃所敗,將佐死者十餘人,傉檀與數騎奔南山,幾為追騎所得。傉檀懼東西寇至,徙三百里內百姓入于姑臧,國中駭怨。屠各成七兒因百姓之擾也,率其屬三百人,叛傉檀於北城。推梁貴為盟主,貴閉門不應。一夜眾至數千。殿中都尉張猛大言於眾曰:「主上陽武之敗,蓋恃眾故也。責躬悔過,明君之義,諸君何故從此小人作不義之事!殿內武旅正爾相尋,目前之危,悔將無及。」眾聞之,咸散。七兒奔晏然,殿中騎將白路等追斬之。軍諮祭酒梁裒、輔國司馬邊憲等七人謀反,傉檀悉誅之。

姚興は、傉檀が外では陽武の敗戦を喫し、内では辺憲・梁飢の乱が起きていると聞き、その尚書郎韋宗を派遣して隙を窺わせた。傉檀は韋宗と六国の合従連衡の策、三国の戦争の謀略について論じ、遠くは天命の興廃を語り、近くは人事の成敗を述べ、機略の変化は尽きることなく、言葉の趣きは明晰で弁舌に優れていた。韋宗は退出して嘆息し、「世に名を成す大才で、名教を経綸する者は、必ずしも中華の士族である必要はない。煩わしさを撥ね除け乱れを治め、気を澄ませて世を救う者も、必ずしも『八索』『九丘』の書に頼るわけではない。五経の外、冠冕の表れとして、また別に人物がいるものだ。車騎将軍(傉檀)は神機妙算に優れ、まさに一代の偉人であり、由余や金日磾などもこれ以上ではないだろう!」と言った。韋宗は長安に戻り、姚興に「涼州は凋弊した後ではあるが、風俗教化はまだ衰えておらず、傉檀は権謀術数に長け、山河の険固を頼りにしているので、まだ図ることはできません」と報告した。姚興は「勃勃が烏合の衆でさえ彼を破ったのだ。我が天下の兵をもってして、どうして勝てないことがあろうか」と言った。韋宗は「形勢は移り変わり、始めと終わりは道を異にします。人を陵ぐ者は敗れやすく、自ら守る者は攻め難いのです。陽武の戦役では、傉檀は勃勃を軽んじたために敗れました。今、大軍をもって臨めば、必ず自らを固めて全きを求めます。臣はひそかに群臣を推し量りますが、傉檀に匹敵する者はいません。たとえ陛下の威光をもって臨んだとしても、その利益は見えません」と言った。姚興は従わず、その将姚弼と斂成らに歩兵・騎兵三万を率いて討伐に向かわせ、またその将姚顕を姚弼らの後詰めとし、傉檀に「尚書左僕射斉難を派遣して勃勃を討伐するが、彼が西に逃れるのを恐れるので、姚弼らに河西で邀撃させた」という書簡を送った。傉檀はこれを真に受け、ついに防備を整えなかった。姚弼の軍が漠口に到着すると、昌松太守蘇霸が城に籠って固守した。姚弼は蘇霸を説得して降伏を促したが、蘇霸は「お前たちは盟誓に背き、従順な藩屏を伐つ。天地に霊があれば、お前たちを祐さないだろう!私は涼の鬼となることを願い、どうして降伏などできようか!」と言った。城は陥落し、蘇霸は斬られた。姚弼は姑臧に到着し、西苑に駐屯した。州人の王鐘・宋鐘・王娥らが密かに内応しようとしたが、斥候がその使者を捕らえて送り届けた。傉檀はその首謀者を誅殺しようとしたが、前軍の伊力延侯が「今、強敵が外におり、内に奸臣がいます。兵が交われば形勢は逼迫し、禍難は軽くありません。内外を安んじるためには、ことごとく穴埋めにすべきです」と言った。傉檀はこれに従い、五千余人を殺し、婦女を軍の褒賞とした。諸郡県に命じて牛羊をすべて野原に追い出させると、斂成は兵を放って略奪させた。傉檀はその鎮北将軍俱延、鎮軍将軍敬帰ら十将に騎兵を率いさせ分かれて攻撃し、大いにこれを破り、七千余級を斬首した。姚弼は堅固な陣営を築いて出撃せず、傉檀はこれを攻めたが陥せなかった。そこで上流を断ち切って水を止め、持久戦で疲弊させようとした。ちょうど大雨が降り、堰が壊れ、姚弼の軍は勢いを盛り返した。姚顕は姚弼の敗北を聞き、道を倍にして急行し、軍勢は非常に盛んだった。射将の孟欽ら五人を涼風門に派遣して挑戦させたが、弦を引く間もなく、材官将軍宋益らが駆けつけて攻撃し、これを斬った。姚顕は罪を斂成に負わせた。使者を派遣して傉檀に謝罪し、軍を率いて帰還した。

原文姚興以傉檀外有陽武之敗,內有邊、梁之亂,遣其尚書郎韋宗來觀釁。傉檀與宗論六國從橫之規,三家戰爭之略,遠言天命廢興,近陳人事成敗,機變無窮,辭致清辯。宗出而歎曰:「命世大才、經綸名教者,不必華宗夏士;撥煩理亂、澄氣濟世者,亦未必《八索》、《九丘》。五經之外,冠冕之表,復自有人。車騎神機秀髮,信一代之偉人,由余、日磾豈足為多也!」宗還長安,言於興曰:「涼州雖殘弊之後,風化未頹,傉檀權詐多方,憑山河之固,未可圖也。」興曰:「勃勃以烏合之眾尚能破之,吾以天下之兵,何足克也!」宗曰:「形移勢變,終始殊途,陵人者易敗,自守者難攻。陽武之役,傉檀以輕勃勃致敗。今以大軍臨之,必自固求全,臣竊料群臣無傉檀匹也。雖以天威臨之,未見其利。」興不從,乃遣其將姚弼及斂成等率步騎三萬來伐,又使其將姚顯為弼等後繼,遺傉檀書云「遣尚書左僕射齊難討勃勃,懼其西逸,故令弼等於河西邀之。」傉檀以為然,遂不設備。弼眾至漠口,昌松太守蘇霸嬰城固守,弼喻霸令降,霸曰:「汝違負盟誓,伐委順之籓,天地有靈,將不祐汝!吾甯為涼鬼,何降之有!」城陷,斬霸。弼至姑臧,屯於西苑。州人王鐘、宋鐘、王娥等密為內應,候人執其使送之。傉檀欲誅其元首,前軍伊力延侯曰:「今強敵在外,內有奸豎,兵交勢踧,禍難不輕,宜悉坑之以安內外。」傉檀從之,殺五千餘人,以婦女為軍賞。命諸郡縣悉驅牛羊於野,斂成縱兵虜掠。傉檀遣其鎮北俱延、鎮軍敬歸等十將率騎分擊,大敗之,斬首七千餘級。姚弼固壘不出,傉檀攻之未克,乃斷水上流,欲以持久斃之。會雨甚,堰壞,弼軍乃振。姚顯聞弼敗,兼道赴之,軍勢甚盛。遣射將孟欽等五人挑戰於涼風門,弦未及發,材官將軍宋益等馳擊斬之。顯乃委罪斂成。遣使謝傉檀,引師而歸。

傉檀はここにおいて涼王の位を僭称し、境内で大赦を行い、年号を嘉平と改め、百官を置いた。夫人の折掘氏を王后に立て、世子の武台を太子・録尚書事とし、左長史趙晁と右長史郭倖を尚書左右僕射とし、鎮北将軍俱延を太尉たいいとし、鎮軍将軍敬帰を司隸校尉とし、その他もそれぞれ封爵・官職を授けた。

原文傉檀於是僭即涼王位,赦其境內,改年為嘉平,置百官。立夫人折掘氏為五後,世子武台為太子、錄尚書事,左長史趙晁、右長史郭倖為尚書左右僕射,鎮北俱延為太尉,鎮軍敬歸為司隸校尉,自余封署各有差。

その左将軍枯木と駙馬都尉胡康を派遣して沮渠蒙遜を討伐させ、臨松の民千余戸を掠奪して帰還した。蒙遜は大いに怒り、騎兵五千を率いて顕美の方亭に至り、車蓋鮮卑を破って帰還した。俱延がまた蒙遜を討伐したが、大敗して帰った。傉檀は自ら衆を率いて蒙遜を討伐しようとしたが、趙晁と太史令景保が諫めて「今、太白星(金星)は出ておらず、歳星(木星)は西にあります。自ら守るべきであり、人を伐つのは難しい。近年、天文は錯乱し、風霧は時を失しています。ただ徳を修め身を責めることによってのみ、安寧と吉祥を得ることができます」と言った。傉檀は「蒙遜は往年、道理をわきまえず、我が封域に入り、我が辺境を掠め、我が禾稼を荒らした。私は力を蓄え時を待ち、東門の恥を報いようとしている。今、大軍はすでに集結している。卿は衆の士気を挫こうとするのか」と言った。景保は「陛下は臣を不肖とせず、臣に天象を観察させておられます。もし事を見て言わなければ、臣としての本分ではありません。天文は明らかであり、動けば必ず利益はありません」と言った。傉檀は「私は軽騎五万でこれを討つ。蒙遜がもし騎兵で我を防げば、衆寡敵せず。歩兵を兼ねて来れば、緩急が異なる。右を救えばその左を撃ち、前へ赴けばその後を攻め、終いには彼と交戦することはない。卿は何を恐れるのか」と言った。景保は「天文は虚しくはありません。必ず変事が起こります」と言った。傉檀は怒り、景保を鎖で繋いで連れて行き、「功があればお前を殺して衆に示し、功がなければお前を百戸侯に封じよう」と言った。やがて蒙遜が衆を率いて防ぎに来て、窮泉で戦い、傉檀は大敗し、単騎で逃げ帰った。景保は蒙遜に捕らえられ、責められて「卿は天文に明るく、あの国の任用を受けたのに、天に背き順を犯す。智はどこにあるのか」と言われた。景保は「臣は智が無いわけではありません。ただ、言うことを聞いてもらえなかっただけです」と言った。蒙遜は「昔、漢の高祖は平城に困窮したが、婁敬を功労者とした。袁紹は官渡で敗れたが、田豊は誅殺された。卿の献策はこの二人と同じだが、貴主がどうなるかは測りかねる。卿には必ず婁敬のような褒賞があるだろう。私は今、卿を放すが、ただ田豊のような禍いがあることを恐れるだけだ」と言った。景保は「我が君は才能において漢の高祖には及びませんが、それでも袁紹(本初)とは異なります。ただ侯に封じられないだけであり、どうして禍いを慮ることがありましょうか」と言った。蒙遜は彼を赦免した。姑臧に至ると、傉檀は謝罪して「卿は孤の亀筮(占いの道具、頼りになる者)であるのに、それに従わなかった。これは孤の深い罪である」と言い、景保を安亭侯に封じた。

原文遣其左將軍枯木、駙馬都尉胡康伐沮渠蒙遜,掠臨松人千餘戶而還。蒙遜大怒,率騎五千至於顯美方亭,破車蓋鮮卑而還。俱延又伐蒙遜,大敗而歸。傉檀將親率眾伐蒙遜,趙晁及太史令景保諫曰:「今太白未出,歲星在西,宜以自守,難以伐人。比年天文錯亂,風霧不時,唯修德責躬可以甯吉。」傉檀曰:「蒙遜往年無狀,入我封畿,掠我邊疆,殘我禾稼。吾蓄力待時,將報東門之恥,今大軍已集,卿欲沮眾邪?」保曰:「陛下不以臣不肖,使臣主察乾象,若見事不言,非為臣之體。天文顯然,動必無利。」傉檀曰:「吾以輕騎五萬伐之,蒙遜若以騎兵距我,則眾寡不敵;兼步而來,則舒疾不同;救右則擊其左,赴前則攻其後,終不與之交兵接戰,卿何懼乎?」保曰:「天文不虛,必將有變。」傉檀怒,鎖保而行,曰:「有功當殺汝以徇,無功封汝百戶侯,」既而蒙遜率眾來距,戰於窮泉,傉檀大敗,單馬奔還。景保為蒙遜所擒,讓之曰:「卿明于天文,為彼國所任,違天犯順,智安在乎?」保曰:「臣匪為無智,但言而不從。」蒙遜曰:「昔漢祖困于平城,以婁敬為功;袁紹敗於官渡,而田豐為戮。卿策同二子,貴主未可量也。卿必有婁敬之賞者,吾今放卿,但恐有田豐之禍耳。」保曰:「寡君雖才非漢祖,猶不同本初,正可不得封侯,豈慮禍也。」蒙遜乃免之。至姑臧,傉檀謝之曰:「卿,孤之蓍龜也,而不能從之,孤之深罪。」封保安亭侯。

蒙遜は姑臧を攻め取ろうと進軍した。百姓は東苑での殺戮を懲りて、皆驚き散った。壘掘部、麦田部、車蓋部などの諸部族はことごとく蒙遜に降った。傉檀は使者を派遣して和を請うと、蒙遜はこれを許し、司隸校尉敬帰とその子の敬他を人質として差し出させた。敬帰は胡坑に至って逃げ帰り、敬他は追兵に捕らえられた。蒙遜はその民八千余戸を移して帰還した。右衛の折掘奇鎮が石驢山に拠って反乱を起こした。傉檀は蒙遜に滅ぼされることを恐れ、また奇鎮が嶺南を制圧することを憂慮し、楽都に遷都し、大司農成公緒に姑臧を守らせた。傉檀が城を出始めると、焦諶・王侯らが城門を閉じて乱を起こし、三千余家を集めて南城を守り拠った。焦諶は焦朗を大都督・龍驤大将軍に推戴し、自らは涼州刺史となり、蒙遜に降った。鎮軍将軍敬帰が石驢山で奇鎮を討伐したが、戦いに敗れて戦死した。

原文蒙遜進圖姑臧,百姓懲東苑之戮,悉皆驚散。壘掘、麥田、車蓋諸部盡降于蒙遜。傉檀遣使請和,蒙遜許之,乃遣司隸校尉敬歸及子他為質,歸至胡坑,逃還,他為追兵所執。蒙遜徙其眾八千餘戶而歸。右衛折掘奇鎮據石驢山以叛。傉檀懼為蒙遜所滅,又慮奇鎮克嶺南,乃遷于樂都,留大司農成公緒守姑臧。傉檀始出城,焦諶、王侯等閉門作難,收合三千餘家,保據南城。諶推焦朗為大都督、龍驤大將軍,諶為涼州刺史,降于蒙遜。鎮軍敬歸討奇鎮于石驢山,戰敗,死之。

蒙遜は姑臧を制圧した威勢に乗じて討伐に来た。傉檀はその安北将軍段苟と左将軍雲連に命じ、虚に乗じて番禾から出撃して蒙遜の背後を襲わせ、三千余家を西平に移住させた。蒙遜は楽都を包囲したが、三十日経っても陥せず、使者を派遣して傉檀に「もし寵愛する子を人質に差し出せば、私は軍を返そう」と言った。傉檀は「去るも留まるも卿の兵勢次第だ。卿は盟約に背き信義が無い。どうして人質を供出できようか!」と言った。蒙遜は怒り、家屋を築き田を耕して帰るふりをし、持久戦の構えを見せた。群臣が固く請うたので、ついに子の安周を人質とした。蒙遜は軍を引き上げて帰還した。

原文蒙遜因克姑臧之威來伐,傉檀遣其安北段苟、左將軍雲連乘虛出番禾以襲其後,徙三千餘家于西平。蒙遜圍樂都,三旬不克,遣使謂傉檀曰:「若以寵子為質,我當還師。」傉檀曰:「去否任卿兵勢。卿違盟無信,何質以供!」蒙遜怒,築室返耕,為持久之計。群臣固請,乃以子安周為質。蒙遜引歸。

吐谷渾の樹洛幹が衆を率いて討伐に来た。傉檀はその太子武台にこれを防がせたが、樹洛幹に敗れた。

原文吐谷渾樹洛幹率眾來伐,傉檀遣其太子武台距之,為洛幹所敗。

傉檀はまた蒙遜を討伐しようとした。邯川護軍の孟愷が諫めて言った。「蒙遜は初め姑臧を併合し、その凶勢は非常に盛んです。固守して隙を窺うべきであり、軽率に動いてはなりません。」従わなかった。五つの軍勢を進め、番禾・苕藋に至り、五千余戸を掠奪した。その将軍屈右が進み出て言った。「陛下は千里を転戦し、前には完璧な陣形がなく、移住させた民戸と物資財貨が道に溢れています。倍の速度で軍を返し、早く険しい地を渡るべきです。蒙遜は用兵に長け、兵士たちは戦いに慣れています。もし軽装の軍勢が突然到来し、我々の予想を超えたなら、大敵が外から迫り、移住させた民戸が内から攻めることになり、危険な道です。」衛尉の伊力延が言った。「我が軍の勢いは今まさに盛んであり、将兵の勇気は自ずと倍増しています。彼らは歩兵で我々は騎兵であり、その勢いは互いに及ばない。もし倍の速度で軍を返せば、必ず資財を捨て去ることになり、人に弱さを見せることになり、良策ではありません。」屈右は退出してその諸弟に告げて言った。「私の言葉は用いられない。これが天命だ。ここが我々兄弟の死地である。」間もなく暗い霧と風雨が起こり、蒙遜の軍が大挙して到来し、傉檀は大敗して帰還した。蒙遜は進軍して楽都を包囲した。傉檀は城に籠って固守し、子の染幹を人質として差し出すと、蒙遜はようやく帰還した。しばらくして、安西の紇勃を派遣して西の国境で軍勢を誇示させた。蒙遜は西平を侵し、民戸を移住させ牛馬を掠奪して帰還した。

原文傉檀又將伐蒙遜,邯川護軍孟愷諫曰:「蒙遜初並姑臧,凶勢甚盛,宜固守伺隙,不可妄動。」不從。五道俱進,至番禾、苕藋,掠五千餘戶。其將屈右進曰:「陛下轉戰千里,前元完陣,徙戶資財,盈溢衢路,宜倍道旋師,早度峻險。蒙遜善於用兵,士眾習戰,若輕軍卒至,出吾慮表,大敵外逼,徙戶內攻,危之道也。」衛尉伊力延曰:「我軍勢方盛,將士勇氣自倍,彼徒我騎,勢不相及,若倍道旋師,必捐棄資財,示人以弱,非計也。」屈右出而告其諸弟曰:「吾言不用,天命也。此吾兄弟死地。」俄而昏霧風雨,蒙遜軍大至,傉檀敗績而還。蒙遜進圍樂都,傉檀嬰城固守,以子染幹為質,蒙遜乃歸,久之,遣安西紇勃耀兵西境。蒙遜侵西平,徙戶掠牛馬而還。

邯川護軍の孟愷が上表して、鎮南将軍・湟河太守の文支が酒に溺れて諫言を聞かず、政事を顧みないと報告した。傉檀は伊力延に言った。「今、州の領土は傾き覆り、頼りにしているのは文支だけだ。どうしたものか。」延は言った。「召し出して訓戒し、過去を改め将来を修めるようにさせるべきです。」傉檀はそこで文支を召し出した。到着すると、責めて言った。「二人の兄は英姿を早くに失い、私は不才ながら後を継いで統治したが、大業を担うことができず、このように倒れ苦しんでいる。どうして世の中を見る顔があろうか。生きていても死んだも同然だ。子鮮が衛を存続させ、文種が呉を復興させたように頼みたいのは、卿のことだ。聞くところによると、卿はただ酒に耽り、様々な政事を荒廃させているという。私はすでに年老いた。卿がまたこのようでは、祖宗の事業は誰に託せばよいのか。」文支は頓首して陳謝した。

原文邯川護軍孟愷表鎮南、湟河太守文支荒酒愎諫,不血阝政事。傉檀謂伊力延曰:「今州土傾覆,所杖者文支而已,將若之何?」延曰:「宜召而訓之,使改往修來。」傉檀乃召文支,既到,讓之曰:「二兄英姿早世,吾以不才嗣統,不能負荷大業,顛狽如是,胡顏視世,雖存若隕。庶憑子鮮存衛,藉文種復吳,卿之謂也。聞卿唯酒是耽,荒廢庶事。吾年已老,卿復若斯,祖宗之業將誰寄也。」文支頓首陳謝。

邯川の人衛章らが孟愷を殺害しようと謀り、南の乞伏熾磐に内通しようとした。郭越がこれを止めて言った。「孟尹(孟愷)は寛大で部下に恩恵を施している。何の罪があって殺すというのか!私はむしろ衆に逆らって死のうとも、君に背いて生き延びることはしない。」そこで密かに孟愷に告げ、衛章らを酒宴に誘い出し、四十余人を殺した。孟愷は熾磐の軍が到来することを恐れ、急いで文支に知らせた。文支は将軍の匹珍を派遣して救援に向かわせた。熾磐の軍が城に到着したが、珍が来ると聞き、引き返して帰還した。

原文邯川人衛章等謀殺孟愷,南啟乞伏熾磐。郭越止之曰:「孟尹寬以惠下,何罪而殺之!吾寧違眾而死,不負君以生。」乃密告之愷,誘章等飲酒,殺四十餘人。愷懼熾磐軍之至,馳告文支,文支遣將軍匹珍赴之。熾磐軍到城,聞珍將至,引歸。

蒙遜はまた楽都を攻撃したが、二十日間攻め落とせずに帰還した。鎮南将軍の文支は湟河をもって蒙遜に降伏し、五千余戸を姑臧に移住させた。蒙遜がまた来襲したので、傉檀は太尉の俱延を人質として差し出すと、蒙遜はようやく軍を引き返した。

原文蒙遜又攻樂都,二旬不克而還。鎮南文支以湟河降蒙遜,徙五千餘戶于姑臧。蒙遜又來伐,傉檀以太尉俱延為質,蒙遜乃引還。

傉檀は乙弗を西征しようと評議した。孟愷が諫めて言った。「連年収穫がなく、上下ともに飢え疲弊し、南は熾磐に迫られ、北は蒙遜に迫られ、百姓は動揺し、下民は生業に安んじていません。今、遠征してたとえ勝利しても、後患は必ず深くなります。熾磐と盟約を結び、穀物の交易で難局を救い、諸部族を慰撫して軍資を広め、力を蓄え兵を整え、時機を見て動く方が良いでしょう。《易経》に『滅びるか滅びるか、それは桑の根にかかっている』とあります。陛下にはよくお考えください。」傉檀は言った。「私は領土を攻略しようとしている。卿は衆の士気をくじいてはならない。」太子の武台に言った。「今、多年にわたって種を蒔かず、内外ともに窮乏している。事は西行してこの弊害を救うべきだ。蒙遜は近く去ったばかりで、すぐには来られない。朝夕心配なのは、ただ熾磐だけだ。彼は名声は小さく兵は少ないので、討伐し防ぐのは容易い。私は一ヶ月もかからず、十分に対応できる。汝は楽都を謹んで守り、失墜させてはならない。」傉檀はそこで騎兵七千を率いて乙弗を襲撃し、大破して、牛馬羊四十余万頭を獲得した。

原文傉檀議欲西征乙弗,孟愷諫曰:「連年不收,上下饑弊,南逼熾磐,北迫蒙遜,百姓騷動,下不安業。今遠征雖克,後患必深,不如結盟熾磐,通糴濟難,慰喻雜部,以廣軍資,畜力繕兵,相時而動。《易》曰:'其亡其亡,系于苞桑。'惟陛下圖之。」傉檀曰:「孤將略地,卿無沮眾。」謂其太子武台曰:「今不種多年,內外俱窘,事宜西行,以拯此弊。蒙遜近去,不能卒來,旦夕所慮,唯在熾盤。彼名微眾寡,易以討禦,吾不過一月,自足周旋。汝謹守樂都,無使失墮。」傉檀乃率騎七千襲乙弗,大破之,獲牛馬羊四十餘萬。

熾磐が虚を突いて来襲した。撫軍從事中郎の尉肅が武台に言った。「今、外城は広大で、固守するのは難しい。国人を内城に集めるべきです。肅らが諸々の晋人を率いて外で戦いを防ぎます。もし勝てなくても、まだ万全の策があります。」武台は言った。「小賊どもがちっぽけなだけで、朝夕のうちに逃げ出すだろう。卿はなぜそんなに心配しすぎるのか。」武台は晋人が二心を抱くことを恐れ、豪族で声望があり勇気と謀略のある者を召し出して内に閉じ込めた。孟愷は泣いて言った。「熾磐は道理に外れており、人も神も共に憤っています。愷らは進めば恩に報いるため重い任務を引き受け、退けば妻子の累を顧みるだけで、どうして二心がありましょうか!今、事態はすでに切迫しています。人はみな自ら尽くそうと思っているのに、何を猜疑するというのですか。」武台は言った。「私が子の忠誠を知らないわけではない。実は他の者がもし思いがけないことを考え出すことを恐れているのだ。君たちを安心させるためだ。」十日で城は陥落した。

原文熾磐乘虛來襲,撫軍從事中郎尉肅言于武台曰:「今外城廣大,難以固守,宜聚國人於內城,肅等率諸晉人距戰於外,如或不捷,猶有萬全。」武台曰:「小賊蕞爾,旦夕當走,卿何慮之過也。」武台懼晉人有二心也,乃召豪望有勇謀者閉之於內。孟愷泣曰:「熾磐不道,人神同憤,愷等進則荷恩重遷,退顧妻子之累,豈有二乎!今事已急矣,人思自效,有何猜邪?」武台曰:「吾豈不知子忠,實懼餘人脫生慮表,以君等安之耳。」一旬而城潰。

安西将軍の樊尼が西平から逃げてきて傉檀に報告した。傉檀は衆に言った。「今、楽都は熾磐に陥落させられ、男は皆殺しにされ、女は軍の褒美にされた。たとえ帰還しようとしても、赴くところがない。卿らが私と共に乙弗の資産を頼りに、契汗を取って妻子を贖い出すことができるなら、それが私の望みだ。そうでなければ、熾磐のもとに帰れば奴隷になるだけだ。どうして妻子が他人の懐にいるのを見ていられようか!」そこで軍を率いて西進した。多くの兵士が逃げ帰ったので、鎮北将軍の段苟を派遣して追わせたが、苟も帰ってこなかった。こうして将兵は皆散り散りになり、ただ中軍の紇勃、後軍の洛肱、安西の樊尼、散騎侍郎の陰利鹿だけが傍にいた。傉檀は言った。「蒙遜も熾磐も昔は私に人質を差し出した者たちだ。今、彼らのもとに帰るのは、あまりにも卑しいことではないか!四海は広いというのに、一匹夫として身を容れるところがない。なんと痛ましいことか!蒙遜は私と名声を同じくし年齢も近い。熾磐は姻戚関係にある若者だ。二人とも私を忌み嫌っているので、どちらに頼ってもうまくいかない。共に集まって死ぬよりは、分かれて生き延びる者が出る方がましだ。樊尼は長兄の子で、宗族の寄るところだ。我が軍勢で北にいる者は戸数二万に近い。蒙遜は今まさに遠近を招き慰め、滅びた者を継がせている。汝は西に行け。紇勃、洛肱も樊尼と共に行け。私は年老いた。行く先々で受け入れられないだろう。むしろ妻子に会って死のう!」そこで熾磐のもとに帰った。ただ陰利鹿だけが従った。傉檀は利鹿に言った。「危険を去り安全に就くのは、人の常だ。私の親族は皆散り散りになったのに、卿はなぜ一人残るのか。」利鹿は言った。「臣の老いた母が家におり、心は実に乱れています。しかし忠孝の義は、情勢上両全できません。西の沮渠(蒙遜)のもとに赴いて泣き申し立て、申包胥の誠意を示すことはできず、東の秦の援けを感じさせ、毛遂の操りを展開することもできませんが、馬具を負って陛下に仕えることは、臣の本分です。ただ、遠大な計画を開示し、進退の策を慎重に考えられることを願います。」傉檀は嘆いて言った。「人を知ることは確かに容易ではない。人もまた容易には知られない。大臣も親戚も皆私を見捨てたが、最後まで偽らず誠実なのは、卿ただ一人だ。歳寒くても凋まないのは、卿に見ることができた。」傉檀が西平に到着すると、熾磐は使者を派遣して郊外で出迎えさせ、上賓の礼をもって遇した。

原文安西樊尼自西平奔告傉檀,傉檀謂眾曰:「今樂都為熾磐所陷,男夫盡殺,婦女賞軍,雖欲歸還,無所赴也。卿等能與吾藉乙弗之資,取契汗以贖妻子者,是所望也。不爾,歸熾磐便為奴僕矣,豈忍見妻子在他人懷抱中!」遂引師而西,眾多逃返,遣鎮北段苟追之,苟亦不還。於是將士皆散,惟中軍紇勃、後軍洛肱、安西樊尼、散騎侍郎陰利鹿在焉。傉檀曰:「蒙遜、熾磐昔皆委質於吾,今而歸之,不亦鄙哉!四海之廣,匹夫無所容其身,何其痛也!蒙遜與吾名齊年比,熾磐姻好少年,俱其所忌,勢皆不濟。與其聚而同死,不如分而或全。樊尼長兄之子,宗部所寄,吾眾在北者戶垂二萬,蒙遜方招懷遐邇,存亡繼絕,汝其西也。紇勃、洛肱亦與尼俱。吾年老矣,所適不容,甯見妻子而死!」遂歸熾磐,唯陰利鹿隨之。傉檀謂利鹿曰:「去危就安,人之常也。吾親屬皆散,卿何獨留?」利鹿曰:「臣老母在家,方寸實亂。但忠孝之義,勢不俱全。雖不能西哭沮渠,申包胥之誠;東感秦援,展毛遂之操,負羈靮而侍陛下者,臣之分也。惟願開弘遠猷,審進止之算。」傉檀歎曰:「知人固未易,人亦未易知。大臣親戚皆棄我去,終紿不虧者,唯卿一人。歲寒不凋,見之於卿。」傉檀至西平,熾磐遣使郊迎,待以上賓之禮。

初め、楽都が陥落した時、諸城は皆熾磐に降伏したが、傉檀の将軍尉賢政だけは浩亹を固守して降伏しなかった。熾磐が呼びかけて言った。「楽都はすでに陥落し、卿の妻子は皆我が手中にある。孤城を独り守って、何をしようというのか!」賢政は言った。「涼王の厚恩を受け、国家の藩屏となっています。楽都が陥落し、妻子が捕らえられたと知っていても、先に帰順すれば褒賞を得、後から従えば誅殺されるでしょうが、主上の存亡を知らないので、まだ帰順するわけにはいきません。妻子は小事です。どうして心を動かされましょうか!昔、羅憲が命令を待ったことを、晋の文王は明らかにした。文聘が後から来たことを、魏の武帝は責めなかった。一時の栄誉を求め、委ねられた重責を忘れることは、私はひそかに恥じるところです。大王もどうしてそんな者を用いられましょうか!」熾磐はそこで武台に自筆の手紙を書かせて賢政を説得させた。賢政は言った。「汝は国の儲君でありながら、節を尽くすことができず、人に縛られて面を向け、父を捨て君に背き、万世の事業を損なった。賢政は義士である。どうして汝のようでありえようか!」その後、傉檀が左南に到着したと聞き、ようやく降伏した。

原文初,樂都之潰也,諸城皆降於熾磐,傉檀將尉賢政固守浩亹不下。熾磐呼之曰:「樂都已潰,卿妻子皆在吾間,孤城獨守,何所為也!」賢政曰:「受涼王厚恩,為國家籓屏,雖知樂都已陷,妻子為擒,先歸獲賞,後順受誅,然不知主上存亡,未敢歸命。妻子小事,豈足動懷!昔羅憲待命,晉文亮之;文聘後來,魏武不責。邀一時之榮,忘委付之重,竊用恥焉,大王亦安用之哉!」熾磐乃遣武台手書喻政,政曰:「汝為國儲,不能盡節,面縛於人,棄父負君,虧萬世之業,賢政義士,豈如汝乎!」既而聞傉檀至左南,乃降。

熾磐は傉檀を驃騎大將軍とし、左南公に封じた。一年余りして、傉檀は熾磐によって毒殺された。側近たちが傉檀に解毒を勧めたが、傉檀は言った。「わが病はどうして治すべきであろうか!」こうして死んだ。時に五十一歳、在位は十三年、偽の諡は景王である。武台も後に熾磐によって殺された。傉檀の末子の保周、破羌の臘於、俱延の子の覆龍、鹿孤の孫の副周、烏孤の孫の承缽は皆、沮渠蒙遜のもとに奔った。長い時を経て、北魏に帰順し、北魏は保周を張掖王とし、覆龍を酒泉公、破羌を西平公、副周を永平公、承缽を昌松公とした。

原文熾磐以傉檀為驃騎大將軍,封左南公。歲餘,為熾磐所鴆。左右勸傉檀解藥,傉檀曰:「吾病豈宜療邪!」遂死,時年五十一,在位十三年,偽諡景王。武台後亦為熾磐所殺。傉檀少子保周、臘於破羌、俱延子覆龍、鹿孤孫副周、烏孤孫承缽皆奔沮渠蒙遜。久之,歸魏,魏以保周為張掖王,覆龍酒泉公,破羌西平公,副周永平公,承缽昌松公。

烏孤が安帝の隆安元年に僭称して立ってから、傉檀の代までの三世、合わせて十九年で、安帝の義熙十年に滅亡した。

原文烏孤以安帝隆安元年僭立,至傉檀三世,凡十九年,以安帝義熙十年滅。

【評贊】

原文【評贊】

史臣が言う。禿髮氏は代々の酋長・豪族として、辺境の地で強勢を誇り、玉門塞で弓を引き絞り、金山で馬を躍らせ、満月を待って兵を窺い、膠が折れる季節に乗じて矢を放ち、礼儀作法は行き届かず、声教(文化・教化)はここで阻まれた。烏孤は苻渾の献策を受け入れて兵を整え、服従しない者を討伐し;鹿孤は史暠の言葉に従って学校を建て、貴族の子弟を教育した。それによって河西の地に領土を開拓し、強国と対抗することができた。道は人によって広められるというが、まさにこれを言うのであろう。

原文史臣曰:禿髮累葉酋豪,擅強邊服,控弦玉塞,躍馬金山,候滿月而窺兵,乘折膠而縱鏑,禮容弗被,聲教斯阻。烏孤納苻渾之策,治兵以討不賓;鹿孤從史暠之言,建學而延胄子。遂能開疆河右,抗衡強國。道由人弘,抑此之謂!

傉檀は連戦連勝の鋭気を受け継ぎ、二人の兄の基盤を頼りに、呂氏を打ち破るには計算に遺策がなく、姑臧を奪取するには兵に血を流させず、武略と雄大な構想は前の優れた者たちに並ぶものであった。その後、重い地位を不当に占め、満ち溢れては容易に期限が来るように、兵力を尽くしてその欲望を満たし、悪事をほしいままにして自ら禍いを招き、領土を蒙遜に奪われ、勢力は赫連に敗れ、国を滅ぼし身を失ったが、それでもまだ幸運であったと言える。昔、宋の殤公は戦争を好み、華督によって災いを招き;楚の霊王は武力を濫用し、乾渓で殺害された。時代は異なるが同じように滅亡した。そのことが傉檀に見られるのである。

原文傉檀承累捷之銳,藉二昆之資,摧呂氏算無遺策,取姑臧兵不血刃,武略雄圖,比蹤前烈。既而叨竊重位,盈滿易期,窮兵以逞其心,縱慝自貽其弊,地奪于蒙遜,勢衄于赫連,覆國喪身,猶為幸也。昔宋殤好戰,致災于華督;楚靈黷武,取殺於乾溪。異代同亡,其于傉檀見之矣。