晉書

巻三十 志第二十

巻三十 志第二十

晉書

原文晉書

巻三十 志第二十

原文卷三十 志第二十 ► 卷三十一

刑法志

原文刑法志

刑法

原文刑法

伝に曰く、「礼をもって整えれば、恥を知り、かつ正しくなる」と。刑罰が犯せないものであるのは、礼が越えられないものに及ばない。それゆえ、昊歳(堯の時代)を犧年(神農の時代)と比べれば、刑罰は軽減されるべきである。そもそも天地が分かれ、昼夜の形が定まり、万物がその喜怒を表し、気質がその善悪を明らかにするには、自然の理がある。刑罰の前に思いやりを置き、十字あざな路に酒樽を置いて先に恵みを与えるのは、災害を取り除き、平和を導き、琴や瑟に譬え、手綱を忘れないようにし、春秋の教化を模倣し、堯や舜の心のようにするためである。原野に厳粛さが広がり、軒轅黄帝には轡野での軍勢があった。雷電が威を示し、高辛氏には触山の務めがあった。兵甲を並べて市や朝廷にさらすのは、天の刑罰を厳かにし、乱の首謀者を懲らしめるためであり、その本意を論じれば、やむを得ず用いるものがある。それゆえ丹浦では仁が興り、羽山では皆が服した。しかし世が僥倖に属し、事が害悪に関わると、政治は礼を失い微細になり、獄が成り刑罰が起こる。すると孔子は言う、「訴訟を聴くことは私も人と同じであるが、必ずや訴訟のないようにすることだ」と。周が恭しく行い、刃を収め、生成を祖述し、堯や禹を憲章とした時、政治には膏露のような潤いがあり、威厳は礼楽を兼ね、言葉を観てその趣旨を明らかにし、耳を傾けてその微細を照らし、善を顕彰してその心情を奮い立たせ、悪を除いてその根本を尊んだ。威を取って覇を定め、天下を匡正して諸侯を糾合し、成王や康王に寓話を託し、厳しい法網によらなかったのは、いわゆるその遺された美を斟酌し、民を愛し国を治める者である。もし教化が倫理を蔑ろにし、道が明らかで慎重であることを疎外すれば、夏の桀が百姓を殺戮し、殷の紂が四海に毒害を及ぼし、衛の鞅が身の置き所なく、韓非がその虐政に耐えられなかったように、『甘棠』の詩が詠われるようなものとは決して同様にはならない。秦の文公が初めて三族誅殺の刑を作り、始皇帝が抽協(連座の刑)を加えると、牢獄は市のようになり、悲哀が道に満ちた。漢の高祖は三章の法をもって民を慰め、文帝は刑罰を廃する道をもって臨んだ。その時、百姓は喜び、太平の世を迎えようとした。しかし、獄吏の情が移り変わり、法令が意のままに改められ、玉の杯を宮殿の下に献上し、青衣(罪人の服)を蜀の道に移し、醢ひしおを覆して刑を裁き、宗族を傾けて獄に至らせた。ましてや京兆の夜に数人の囚人を、長安ちょうあんの市に五日間、北闕で互いに引き合い、中あた都で次々に及ぶことも、しばしばあった。そして滅びゆく国では、法典や刑罰がすべて捨てられ、法令を急いで改めてその法を厳しくし、意のままにその法網を緩める。桓帝や霊帝の末年のこと、その通りではなかったか。魏の明帝の時、宮殿の造営が盛んになり、期限が逼迫して厳しくなると、期限に遅れた者を帝自ら召し出して問いただし、言葉がまだ口にあるうちに、首と体が分かれた。王粛が上疏して言った、「陛下が行われる刑罰は、皆死に値する者です。しかし、民衆は知らず、突然のことと思われるでしょう。願わくは陛下がこれを官吏に下してその罪を明らかにしてください。その死を均しくするなら、宮廷を汚さず、官僚を驚かせ嘆かせず、遠近の人々に疑念を抱かせません。人命は最も重く、生かすのは難しく殺すのは易しい。息が絶えて続かないものだから、聖王はこれを重んじるのです。孟軻は言います、『一人の罪なき者を殺して天下を取ることは、仁者は行わない』と」。

原文傳曰:「齊之以禮,有恥且格。」刑之不可犯,不若禮之不可逾,則昊歲比於犧年,宜有降矣。若夫穹圓肇判,宵貌攸分,流形播其喜怒,稟氣彰其善惡,則有自然之理焉。念室後刑,衢樽先惠,將以屏除災害,引導休和,取譬琴瑟,不忘銜策,擬陽秋之成化,若堯舜之為心也。效原布肅,軒皇有轡野之師;雷電揚威,高辛有觸山之務。陳乎兵甲而肆諸市朝,具嚴天刑,以懲亂首,論其本意,蓋有不得已而用之者焉。是以丹浦興仁,羽山咸服。而世屬僥倖,事關攸蠹,政失禮微,獄成刑起,則孔子曰:「聽訟吾猶人也,必也使無訟乎!」及周氏龔行,卻收鋒刃,祖述生成,憲章堯禹,政有膏露,威兼禮樂,或觀辭以明其趣,或傾耳以照其微,或彰善以激其情,或除惡以崇其本。至夫取威定霸,一匡九合,寓言成康,不由凝網,此所謂酌其遺美,而愛民治國者焉。若乃化蔑彝倫,道睽明慎,則夏癸之虔劉百姓,商辛之毒痡四海,衛鞅之無所自容,韓非之不勝其虐,與夫《甘棠》流詠,未或同歸。秦文初造參夷,始皇加之抽協,囹圄如市,悲哀盈路。漢王以三章之法以吊之,文帝以刑厝之道以臨之,于時百姓欣然,將逢交泰。而犴逐情遷,科隨意往,獻瓊杯于闕下,徙青衣于蜀路,覆醢裁刑,傾宗致獄。況乃數囚於京兆之夜,五日于長安之市,北闕相引、中都繼及者,亦往往而有焉。而將亡之國,典刑咸棄,刊章以急其憲,適意以寬其網,桓靈之季,不其然歟!魏明帝時,宮室盛興,而期會迫急,有稽限者,帝親召問,言猶在口,身首已分。王肅抗疏曰:「陛下之所行刑,皆宜死之人也。然眾庶不知,將為倉卒,願陛下下之于吏而暴其罪。均其死也,不汙宮掖,不為搢紳驚惋,不為遠近所疑。人命至重,難生易殺,氣絕而不續者也,是以聖王重之。孟軻云:『殺一不辜而取天下者,仁者不為也。』」

世祖武皇帝(司馬炎しばえん)は三統の微を受け継ぎ、千年の規範を斟酌し、官吏に命じて、刑罰の法を大いに明らかにした。その時、詔みことのり書によって新法が天下に頒布され、海内は同じ軌道に乗り、人々は非常に安んじた。条綱は設けられたが、簡素で恵み深いと称され、上は天の眷顧を仰ぎ見、下は民心を救い、道は法があって敗れることなく、徳は刑罰を待って久しく立った。晋が南に移ってから百二年、前の規範を仰ぎ見てその流れの潤いを受け、江左には外がなく、蛮族の地からも来朝した。孝武帝の時、会稽かいけい王司馬道子が朝廷の権力を傾けて弄び、その立てた党派は、官職を売り私的な獄を設け、烈祖(孝武帝)は昏迷して、司敗(刑獄の官)のことを聞かず、晋の綱紀は大いに乱れた。

原文世祖武皇帝接三統之微,酌千年之範,乃命有司,大明刑憲。于時詔書頒新法於天下,海內同軌,人甚安之。條綱雖設,稱為簡惠,仰昭天眷,下濟民心,道有法而無敗,德俟刑而久立。及晉圖南徙,百有二年,仰止前規,挹其流潤,江左無外,蠻陬來格。孝武時,會稽王道子傾弄朝權,其所樹之黨,貨官私獄,烈祖惛迷,不聞司敗,晉之綱紀大亂焉。

伝に曰く、「三皇は言葉を設けても民は背かず、五帝は象を描いて民は禁を知る」と。それは『書経』にいう「象をもって典刑とし、流刑と宥恕をもって五刑とし、鞭をもって官刑とし、撲むちをもって教刑とする」ものである。すると、黥刑(入れ墨)を犯した者は頭巾を黒くし、劓刑(鼻削ぎ)を犯した者は衣服を赤くし、臏刑(膝蓋骨削ぎ)を犯した者は体に墨を塗り、宮刑(去勢)を犯した者は履き物を雑色にし、大辟(死刑)の罪は、特別な刑罰の極みとして、その衣の裾に縁を付けず、市中に投げ出し、衆人と共に捨てる。舜は皋陶に命じて言った、「五刑には服すべきものがあり、五服には三つの場所があり、五流には住むべき所があり、五宅には三つの居所がある」と。前代の記録と比べれば、事柄は既に三倍にもなっている。夏后氏が天下を王とする時は、五刑に属するものが三千あった。殷は夏に因り、増減があった。周の人々は三典をもって国を刑し、五聴をもって民情を察し、左に嘉石(善行を記す石)、右に肺石(民の訴えを聞く石)を置き、事は鋳造のように均しく行われたが、五刑に属するものはなお二千五百あった。そこで三刺、三宥、三赦の法を置いた。一刺は群臣を訊ね、再刺は群吏を訊ね、三刺は万民を訊ねる。一宥は不識(知らないこと)、再宥は過失、三宥は遺忘である。一赦は幼弱、再赦は老旄(年老いて耄碌した者)、三赦は蠢愚(愚かで知恵のない者)である。『司馬法』には、あるいは甲兵を起こして不義を征伐し、貢職を廃すれば討ち、朝会しなければ誅し、嫡庶を乱せば拘束し、礼や刑を変えれば流刑にするとある。

原文傳曰「三皇設言而民不違,五帝畫象而民知禁」,則《書》所謂「象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,撲作教刑」者也。然則犯黥者皁其巾,犯劓者丹其服,犯臏者墨其體,犯宮者雜其屢,大辟之罪,殊刑之極,布其衣裾而無領緣,投之於市,與眾棄之。舜命皋陶曰;「五刑有服,五服三就,五流有宅,五宅三居。」方乎前載,事既參倍。夏后氏之王天下也,則五刑之屬三千。殷因于夏,有所損益。周人以三典刑邦國,以五聽察民情,左嘉右肺,事均熔造,而五刑之屬猶有二千五百焉。乃置三刺、三宥、三赦之法:一刺曰訊群臣,再刺曰訊群吏,三刺曰訊萬民;一宥曰不識,再宥曰過失,三宥曰遺忘;一赦曰幼弱,再赦曰老旄,三赦曰蠢愚。《司馬法》:或起甲兵以征不義,廢貢職則討,不朝會則誅,亂嫡庶則縶,變禮刑則放。

伝に曰く、「殷や周の質実は、その文飾に勝てない」と。昭王が征伐に出て、穆王が老いてから、刑罰の法を制定し、四方を詰問したが、奸宄(悪事)が多く、乱離が長く続いた。いわゆる「夏に乱政があって『禹刑』を作り、商に乱政があって『湯刑』を作り、周に乱政があって『九刑』を作った」ものである。古くは大刑には甲兵を用い、中刑には刀鋸を用い、薄刑には鞭撲を用いた。これ以降、狡猾な詐術がますます多くなった。武皇帝(司馬炎)は、いずれも過去の法令はまだ疑わしく、国を治めるのに適さないと考え、車騎将軍・守尚書しょうしょ令・魯公に命じて英俊を求め、律令を刊行して篇を定めさせたという。

原文傳曰:「殷周之質,不勝其文。」及昭後徂征,穆王斯耄,爰制刑辟,以詰四方,奸宄弘多,亂離斯永,則所謂「夏有亂政而作《禹刑》,商有亂政而作《湯刑》,周有亂政而作《九刑》」者也。古者大刑用甲兵,中刑用刀鋸,薄刑用鞭撲。自茲厥後,狙詐彌繁。武皇帝並以為往憲猶疑,不可經國,乃命車騎將軍、守尚書令、魯公徵求英俊,刊律定篇云爾。

漢

原文漢

漢は王莽が帝位を簒奪した後、旧来の章典が残らなかった。光武帝が中興し、様々な訴訟に心を留め、常に朝廷に出て訴訟を聴き、自ら疑わしい事件を裁決した。この時は離乱の後を承けて、法網は弛緩し、罪名は軽く、懲らしめて厳粛にするものがなかった。梁統が上疏して言った。

原文漢自王莽篡位之後,舊章不存。光武中興,留心庶獄,常臨朝聽訟,躬決疑事。是時承離亂之後,法網弛縱,罪名既輕,無以懲肅。梁統乃上疏曰:

臣がひそかに見るに、元帝の初元五年には、軽い特別な刑罰が三十四事あり、哀帝の建平元年から四年までの間には、軽い特別な死刑が八十一事あった。そのうち四十二事は、手ずから人を殺した者も皆、死罪一等を減じ、常法として定められた。これ以降、人は軽々しく法を犯し、吏は容易に人を殺し、吏も民も共に節度を失い、ついには束縛されない状態に至った。

原文臣竊見元帝初元五年,輕殊刑三十四事,哀帝建平元年盡四年,輕殊死者刑八十一事,其四十二事,手殺人皆減死罪一等,著為常法。自是以後,人輕犯法,吏易殺人,吏民俱失,至於不羈。

臣の愚見では、刑罰は軽くすることを求めず、適中することを求めるべきです。人君の道は、仁義を主とし、仁者は人を愛し、義者は事務を理める。人を愛するからには害を除くべきであり、事務を理めるからには乱れを去るべきである。それゆえ五帝には流刑・誅殺・放逐・殺戮の誅罰があり、三王には大辟や肌を刻む刑罰があった。それは残虐を除き乱れを去るためである。故に孔子は「仁者は必ず勇あり」と称し、また「財を理め辞を正し、人の非を行うことを禁むるを義と曰う」と言った。高祖が天命を受け、約令を制定し、法律を定め、後世に伝え、常に施行できるようにした。文帝は寛大で恵み深く温和で、太平な世に遭い、時に応じて恩恵を施し、肉刑を省き、連座の法を除いたが、他はすべて旧来の章典に従い、天下はほとんど昇平に至った。武帝は中国が隆盛で、財力に余裕があり、兵を出して将を命じ、遠方を征伐し、軍役がたびたび起こり、百姓は疲弊し、豪傑が禁令を犯し、奸吏が法を弄んだ。それゆえ逃亡隠匿の科条を設け、知情不挙の律を定めた。宣帝は聡明で正直であり、道を踏み要を握り、海内を統御し、臣下は憲法を奉じて、規準を失わなかった。元帝の法律は、改めることが少なく、天下は安泰と称された。孝成帝、孝哀帝は太平を承け帝位を継ぎ、即位した日が浅く、訴訟を聴き裁断することはまだ少なかった。丞相の王嘉らは、数年の間に軽率にも先帝の旧約を損ない除き、法令を穿鑿して律を断ち、およそ百余事に及び、あるいは政治に不便であり、あるいは人心に満足させなかった。臣は謹んで、特に政事を妨げ善良を害するものを取り上げ、左のように付して奏上する。

原文臣愚以為刑罰不苟務輕,務其中也。君人之道,仁義為主,仁者愛人,義者理務。愛人故當為除害,理務亦當為去亂。是以五帝有流殛放殺之誅,三王有大辟刻肌之刑,所以為除殘去亂也。故孔子稱「仁者必有勇」,又曰「理財正辭,禁人為非曰義」。高帝受命,制約令,定法律,傳之後世,可常施行。文帝寬惠溫克,遭世康平,因時施恩,省去肉刑,除相坐之法,他皆率由舊章,天下幾致升平。武帝值中國隆盛,財力有餘,出兵命將,征伐遠方,軍役數興,百姓罷弊,豪傑犯禁,奸吏弄法,故設遁匿之科,著知縱之律。宣帝聰明正直,履道握要,以禦海內,臣下奉憲,不失繩墨。元帝法律,少所改更,天下稱安。孝成、孝哀,承平繼體,即位日淺,聽斷尚寡。丞相王嘉等猥以數年之間,虧除先帝舊約,穿令斷律,凡百餘事,或不便於政,或不厭人心。臣謹表取其尤妨政事、害善良者,傅奏如左。

伏して惟みるに、陛下は五常を包み、九徳を履み、時を推して乱を撥ね、博く施して時に済い、しかるに反って末世の末節に因循し、衰微の軌跡に従う。これは誠に初めに還り本に反り、元に拠って更始する所以ではありません。願わくは、陛下は有司に詔を宣べ、初元・建平の間に穿鑿したこと全てを挙げさせ、その軽重を考へ、その化俗を察し、以て政教の処する所を知るに足らしめ、その善なるものを択びてこれに従い、その善からざるものを改め、定まって易からざる典を定め、これを施して窮まりなく、天下幸甚です。

原文伏惟陛下苞五常,履九德,推時撥亂,博施濟時,而反因循季世末節,衰微軌跡,誠非所以還初反本,據元更始也。願陛下宣詔有司,悉舉初元、建平之所穿鑿,考其輕重,察其化俗,足以知政教所處,擇其善者而從之,其不善者而改之,定不易之典,施之無窮,天下幸甚。

事は三公・廷尉に下って議せられ、隆刑峻法は明王の急務に非ず、開いて許すべからずと為す。統また上言して曰く、「有司は猥りに臣の上す所を施行すべからずと為す。今臣の言う所は、厳刑と曰うに非ず。窃かに謂う、高帝以後、宣帝に至るまで、その施行する所は、経伝に考合し、これ方今の事にして、隆刑峻法に非ず。至願に勝えず、願わくは召見を得、若し尚書近臣に対し、口を以てその意を陳せん。」帝は尚書に状を問わしむ。統また対し、極めて政刑の改むべきを言う。議は竟に行われず。明帝即位に及び、常に臨んで聴訟観に洛陽らくよう諸獄を録す。帝の性既に明察にして、能く下の奸を得る。故に尚書の奏する決罰は苛碎に近し。

原文事下三公、廷尉議,以為隆刑峻法,非明王急務,不可開許。統復上言曰:「有司猥以臣所上不可施行。今臣所言,非曰嚴刑。竊謂高帝以後,至於宣帝,其所施行,考合經傳,此方今事,非隆刑峻法。不勝至願,願得召見,若對尚書近臣,口陳其意。」帝令尚書問狀,統又對,極言政刑宜改。議竟不從。及明帝即位,常臨聽訟觀錄洛陽諸獄。帝性既明察,能得下奸,故尚書奏決罰近於苛碎。

章帝の時に至り、尚書陳寵上疏して曰く、「先王の政は、賞は僭せず、刑は濫れず、その已むを得ざるに与するに、寧ろ僭すとも濫るなかれ。故に唐堯は典を著して『流して五刑を宥し、眚災は赦すに肆す』と曰う。帝舜は皋陶に命じて『五宅三居、惟れ明くして克く允かなす』と曰う。文王は《易》の六爻を重んじ、而して叢棘の聴を列ね;周公は《立政》を作り、成王を戒めて庶獄を誤るなかれとす。陛下即位し、率ねこの義に由る。然るに有司執事、未だ悉く奉承せず。断獄者は榜格酷烈の痛に急ぎ、執憲者は詐欺放濫の文に繁く、本に違い実を離れ、棰楚を以て奸と為し、或いは公に因りて私を行い、以て威福を逞うす。夫れ政を為すは、猶お琴瑟を張るが如し。大弦急なれば小弦絶つ。故に子貢は臧孫の猛法を非とし、而して鄭僑の仁政を美とす。方今聖徳充塞し、上下に仮す。宜しくこの時に因り、先聖の務を隆くし、煩苛を蕩滌し、棰楚を軽薄にし、以て群生を済い、至徳を広むべし。」帝寵の言を納れ、罪を行い刑を決するに、務めて寛厚に在り。その後遂に詔して有司に、鑽諸の酷痛旧制を禁絶し、祅悪の禁を解き、文致の請を除き、讞すること五十余事、定めて令に著す。是の後獄法平和なり。

原文至章帝時,尚書陳寵上疏曰:「先王之政,賞不僭,刑不濫,與其不得已,寧僭不濫。故唐堯著典曰『流宥五刑,眚災肆赦』。帝舜命皋陶以『五宅三居,惟明克允』。文王重《易》六爻,而列叢棘之聽;周公作《立政》,戒成王勿誤乎庶獄。陛下即位,率由此義,而有司執事,未悉奉承。斷獄者急於榜格酷烈之痛,執憲者繁於詐欺放濫之文,違本離實,棰楚為奸,或因公行私,以逞威福。夫為政也,猶張琴瑟,大弦急者小弦絕,故子貢非臧孫之猛法,而美鄭僑之仁政。方今聖德充塞,假於上下,宜因此時,隆先聖之務,蕩滌煩苛,輕薄棰楚,以濟群生,廣至德也。」帝納寵言,決罪行刑,務于寬厚。其後遂詔有司,禁絕鑽諸酷痛舊制,解祅惡之禁,除文致之請,讞五十餘事,定著於令。是後獄法和平。

永元六年、寵また郭躬に代わりて廷尉と為り、復た律令を校し、刑法の《甫刑》に溢るる者を奏して除きて曰く、「臣聞く、礼経三百、威儀三千。故に《甫刑》は大辟二百、五刑の属三千。礼の去る所、刑の取る所、礼を失えば即ち刑に入る。相い表裏を為す者也。今の律令、犯罪応死刑者は六百一十、耐罪千六百九十八、贖罪以下二千六百八十一、《甫刑》に溢るること千九百八十九。その四百一十大辟、千五百耐罪、七十九贖罪。《春秋保乾図》に曰く、『王者は三百年に一度法を蠲く。』漢興以来三百二年、憲令稍く増え、科条限り無し。又律に三家有り、説各々駁異す。刑法繁多なり。宜しく三公・廷尉をして律令を集め平らげしめ、経に応じ義に合い施行すべき者、大辟二百、耐罪・贖罪二千八百、合わせて三千と為し、礼と相応ぜしむべし。その余の千九百八十九事は、悉く詳らかに除くべし。百姓をして視聽を改易せしめ、以て大化を成し、刑措の美を致し、これを伝えて窮まり無からしむべし。」未だ施行せず、寵罪に抵るに会い、遂に寝す。寵の子忠。忠後復た尚書と為り、略ね寵の意に依り、三十三条を奏上し、《決事比》と為し、以て請讞の弊を省く。又上りて蠶室刑を除き、贓吏三世の禁錮を解き、狂易殺人は重論を減ずるを得、母子兄弟相代わり死するは代わる所の者を赦すを聴く。事皆施行せらる。時に蠲革有りと雖も、旧律繁蕪にして、未だ纂集せられず。

原文永元六年,寵又代郭躬為廷尉,復校律令,刑法溢于《甫刑》者,奏除之,曰:「臣聞禮經三百,威儀三千,故《甫刑》大辟二百,五刑之屬三千。禮之所去,刑之所取,失禮即入刑,相為表裏者也。今律令,犯罪應死刑者六百一十,耐罪千六百九十八,贖罪以下二千六百八十一,溢于《甫刑》千九百八十九,其四百一十大辟,千五百耐罪,七十九贖罪。《春秋保乾圖》曰:『王者三百年一蠲法。』漢興以來,三百二年,憲令稍增,科條無限。又律有三家,說各駁異。刑法繁多,宜令三公、廷尉集平律令,應經合義可施行者,大辟二百,耐罪、贖罪二千八百,合為三千,與禮相應。其餘千九百八十九事,悉可詳除。使百姓改易視聽,以成大化,致刑措之美,傳之無窮。」未及施行,會寵抵罪,遂寢。寵子忠。忠後復為尚書,略依寵意,奏上三十三條,為《決事比》,以省請讞之弊。又上除蠶室刑,解贓吏三世禁錮,狂易殺人得減重論,母子兄弟相代死聽赦所代者,事皆施行。雖時有蠲革,而舊律繁蕪,未經纂集。

献帝建安元年、応劭また律令を刪定し、《漢議》と為し、表を奏して曰く、「夫れ国の大事は、載籍を尚ぶに莫し。載籍とは、嫌疑を決し、是非を明らかにし、賞刑の宜しきを、允に厥の中を執り、俾く後人の永く鑑とする有らしむるなり。故に膠東相董仲舒老病致仕す。朝廷政議有る毎に、数え遣わす廷尉張湯陋巷に親しく至り、その得失を問う。ここに於て《春秋折獄》二百三十二事を作り、動もすれば《経》を以て対え、言うこと詳らかなり。逆臣董卓、王室を蕩覆し、典憲焚燎し、孑遺有ること靡し。開闢以来、茲の酷なること或は莫し。今大駕東邁し、許都を巡省し、険難を抜き出で、その命惟れ新たなり。臣窃かに自ら揆えず、輒ち撰具す《律本章句》、《尚書旧事》、《廷尉板令》、《決事比例》、《司徒しと都目》、《五曹詔書》及び《春秋折獄》、凡そ二百五十篇、復重を蠲き去り、これが為に節文す。又集む《議駁》三十篇、類を以て相い従え、凡そ八十二事。その《漢書》に見える二十五、《漢記》四は、皆刪叙潤色し、以て本体を全うす。その二十六は、古今の瑰瑋の士を博采し、徳義観るべし。その二十七は、臣の創造する所。《左氏》に云う、『姫姜有りと雖も憔悴を棄てず、絲麻有りと雖も菅蒯を棄てず。』蓋し以て匱を代うる所以なり。是を用いて敢えて頑才を露し、明哲の末に廁す。未だ国体を綱紀し、時雍を宣洽するに足らざると雖も、庶幾くは観察し、聖徳を増闡せんことを。惟れ万機の余暇に因り、意を遊らせ省覧せんことを。」献帝之を善しとす。ここに於て旧事存す。是の時天下将に乱れんとし、百姓土崩の勢有り。刑罰悪を懲るに足らず。ここに於て名儒大才故遼東りょうとう太守崔実・大司農鄭玄・大鴻臚陳紀の徒、咸く肉刑を行い復すべしと為す。漢朝既にその事を議せず。故に用うる所無し。

原文獻帝建安元年,應劭又刪定律令,以為《漢議》,表奏之曰:「夫國之大事,莫尚載籍。載籍也者,決嫌疑,明是非,賞刑之宜,允執厥中,俾後之人永有鑒焉。故膠東相董仲舒老病致仕,朝廷每有政議,數遣廷尉張湯親至陋巷,問其得失,於是作《春秋折獄》二百三十二事,動以《經》對,言之詳矣。逆臣董卓,蕩覆王室,典憲焚燎,靡有孑遺,開闢以來,莫或茲酷。今大駕東邁,巡省許都,拔出險難,其命惟新。臣竊不自揆,輒撰具《律本章句》、《尚書舊事》、《廷尉板令》、《決事比例》、《司徒都目》、《五曹詔書》及《春秋折獄》,凡二百五十篇,蠲去復重,為之節文。又集《議駁》三十篇,以類相從,凡八十二事。其見《漢書》二十五,《漢記》四,皆刪敘潤色,以全本體。其二十六,博采古今瑰瑋之士,德義可觀。其二十七,臣所創造。《左氏》云:『雖有姬姜,不棄憔悴;雖有絲麻,不棄菅蒯。』蓋所以代匱也。是用敢露頑才,廁於明哲之末,雖未足綱紀國體,宣洽時雍。庶幾觀察,增闡聖德。惟因萬機之餘暇,遊意省覽。」獻帝善之,於是舊事存焉。是時天下將亂,百姓有土崩之勢,刑罰不足以懲惡,於是名儒大才故遼東太守崔實、大司農鄭玄、大鴻臚陳紀之徒,咸以為宜復行肉刑。漢朝既不議其事,故無所用矣。

魏

原文魏

魏武帝漢室を匡輔するに及び、尚書令荀彧百官に博く訪い、復たこれを申さんと欲す。而して少府孔融議して以て為く、「古は敦厖にして、善否区別す。吏端く刑清く政簡、一も過失無く、百姓罪有れば、皆自ら之を取る。末世陵遅し、風化壊乱し、政その俗を撓み、法その教を害す。故に曰く『上その道を失い、人散ずること久し』と。而して古刑を以て之を縄し、残棄に之を投ぜんと欲するは、時に消息すと謂う所に非ず。紂朝渉の脛を斮つ、天下無道と謂う。夫れ九牧の地、千八百君、若し各一人を刖せば、是れ天下常に千八百の紂有るなり。世の休和を求むるも、得べからざるのみ。且つ刑せられたる人は、慮生を念わず、志死を思うに在り。類多く悪に趨き、復た正に帰ること莫し。夙沙斉を乱し、伊戾宋に禍し、趙高・英布、世の大患と為る。人を止めて遂に非を為さしむる能わず、適足れり人を絶ちて還り善を為さしむるのみ。忠鬻拳の如く、信卞和の如く、智孫臏の如く、冤巷伯の如く、才史遷の如く、達子政の如きも、一たび刀鋸に罹れば、没世歯せられず。是れ太甲の庸を思うも、穆公の秦に覇つも、陳湯の都頼も、魏尚の辺に臨むも、復た施す所無きなり。漢悪を改むるの路を開く、凡そこの為なり。故に明徳の君は、遠く度り深く惟い、短を棄て長に就き、苟もその政を革めざる者也。」朝廷之を善しとす。卒に改めず。

原文及魏武帝匡輔漢室,尚書令荀彧博訪百官,復欲申之,而少府孔融議以為:「古者敦厖,善否區別,吏端刑清政簡,一無過失,百姓有罪,皆自取之。末世陵遲,風化壞亂,政撓其俗,法害其教。故曰『上失其道,人散久矣』。而欲繩之以古刑,投之以殘棄,非所謂與時消息也。紂斮朝涉之脛,天下謂為無道。夫九牧之地,千八百君,若各刖一人,是天下常有千八百紂也,求世休和,弗可得已。且被刑之人,慮不念生,志在思死,類多趨惡,莫復歸正。夙沙亂齊,伊戾禍宋,趙高、英布,為世大患。不能止人遂為非也,適足絕人還為善耳。雖忠如鬻拳,信如卞和,智如孫臏,冤如巷伯,才如史遷,達如子政,一罹刀鋸,沒世不齒。是太甲之思庸,穆公之霸秦,陳湯之都賴,魏尚之臨邊,無所復施也。漢開改惡之路,凡為此也。故明德之君,遠度深惟,棄短就長,不苟革其政者也。」朝廷善之,卒不改焉。

魏が建国されると、陳紀の子の陳群が御史中丞を務めていたが、魏の武帝(曹操)が命令を下して再び肉刑を復活させようとし、陳群に父の論を述べさせた。陳群はその利便性を詳しく述べた。当時、鐘繇が相国であり、これに賛成したが、奉常の王脩はその議論に同意しなかった。魏の武帝もまた、藩国が漢朝の制度を改めるのは難しいと考え、遂に実行せずに中止した。そこで甲子科を定め、左右の足に鉄の足枷をはめる罪については木製の枷に替えることとした。当時は鉄が不足していたため、木に替えたのである。また、漢の律が重すぎるのを問題視し、律に基づいて論罪する場合には科罰を半分に減らすことを認め、半減させるようにした。

原文及魏國建,陳紀子群時為御史中丞,魏武帝下令又欲復之,使群申其父論。群深陳其便。時鐘繇為相國,亦贊成之,而奉常王脩不同其議。魏武帝亦難以籓國改漢朝之制,遂寢不行。於是乃定甲子科,犯釱左右趾者易以木械,是時乏鐵,故易以木焉。又嫌漢律太重,故令依律論者聽得科半,使從半減也。

魏の文帝が禅譲ぜんじょうを受けると、再び肉刑について議論した。詳細な議論が未定のうちに軍事が起こり、またも中止となった。当時、劉朱という年長の女性がおり、息子の嫁を残酷に殴打し、前後して三人の嫁が自殺した。劉朱は死刑を減じて尚方での労役に処せられたが、これにより、怨恨による殺人でも死刑を減じる法令が下された。魏の明帝は、士人と庶民の罰金に関する法令を改め、男性は罰金を認めるが、女性は笞刑を加え、従来の鞭打ちによる監督の例に戻した。これは、女性の身体が露出することを理由としたものである。

原文魏文帝受禪,又議肉刑。詳議未定,會有軍事,復寢。時有大女劉硃,撾子婦酷暴,前後三婦自殺,論硃減死輸作尚方,因是下怨毒殺人減死之令。魏明帝改士庶罰金之令,男聽以罰金,婦人加笞還從鞭督之例,以其形體裸露故也。

当時は秦や漢の旧律が用いられており、その条文は魏の文侯の師である李悝に始まる。李悝は諸国の法を編纂し、『法経』を著した。王者の政治で最も急を要するのは盗賊であると考え、その律は『盗賊』から始まった。盗賊は取り調べと逮捕を必要とするため、『網捕』二篇を著した。軽薄で狡猾な行為、城壁を越えること、博打、借りたものを返さない不廉潔、淫らで贅沢が制限を超える行為を『雑律』一篇とし、また『具律』で刑罰の加減を規定した。したがって、著したのは六篇だけであったが、いずれも罪名に関する制度であった。商君(商鞅)はこれを受け継いで秦の宰相となった。漢は秦の制度を継承し、蕭何が律を定め、三族皆殺しや連座の罪を除き、部の長官が知っていた場合の条項を増やし、事に関する律として『興』、『廄』、『戸』の三篇を加え、合わせて九篇とした。叔孫通は律で及ばない部分を補い、傍章十八篇を加えた。張湯は『越宮律』二十七篇を、趙禹は『朝律』六篇を著した。合わせて六十篇となった。また、漢代には判決事例を集めて『令甲』以下三百余篇とし、司徒の鮑公が婚姻や訴訟に関する判決を集めて『法比都目』を編纂し、合わせて九百六巻となった。世の中に増減があり、おおむね類を集めて篇とし、事柄をまとめて章とした。一章の中に数十の事柄が含まれることもあり、事柄の種類は同じでも、軽重が異なっていた。そして条文や文句がつながり、上下が互いに覆い隠し、大体は別の篇であっても、実際には互いに取り入れられていた。『盗律』には賊傷の例があり、『賊律』には盗みに関する条文があり、『興律』には上獄の法があり、『廄律』には逮捕に関する事柄があり、このような例は入り混じって一定しなかった。後世の人はそれぞれに解釈し、章句を作った。叔孫宣、郭令卿、馬融、鄭玄ら諸儒の章句は十余家に及び、一家で数十万言に及んだ。罪を断ずる際に用いるべきものは、合わせて二万六千二百七十二条、七百七十三万二千二百余言となり、言葉の数がますます増え、読む者にとってますます難しくなった。天子(皇帝)はそこで詔を下し、鄭氏の章句のみを用い、他の家を混用してはならないとした。

原文是時承用秦漢舊律,其文起自魏文侯師李悝。悝撰次諸國法,著《法經》。以為王者之政,莫急於盜賊,故其律始于《盜賊》。盜賊須劾捕,故著《網捕》二篇。其輕狡、越城、博戲、借假不廉、淫侈逾制以為《雜律》一篇,又以《具律》具其加減。是故所著六篇而已,然皆罪名之制也。商君受之以相秦。漢承秦制,蕭何定律,除參夷連坐之罪,增部主見知之條,益事律《興》、《廄》、《戶》三篇,合為九篇。叔孫通益律所不及,傍章十八篇。張湯《越宮律》二十七篇。趙禹《朝律》六篇。合六十篇。又漢時決事,集為《令甲》以下三百餘篇,及司徒鮑公撰嫁娶辭訟決為《法比都目》,凡九百六卷。世有增損,率皆集類為篇,結事為章。一章之中或事過數十,事類雖同,輕重乖異。而通條連句,上下相蒙,雖大體異篇,實相采入。《盜律》有賊傷之例,《賊律》有盜章之文,《興律》有上獄之法,《廄律》有逮捕之事,若此之比,錯糅無常。後人生意,各為章句。叔孫宣、郭令卿、馬融、鄭玄諸儒章句十有餘家,家數十萬言。凡斷罪所當由用者,合二萬六千二百七十二條,七百七十三萬二千二百餘言,言數益繁,覽者益難。天子於是下詔,但用鄭氏章句,不得雜用餘家。

衛覬もまた上奏して言った。「刑法は国家が重んじるものであるが、私的な議論では軽んじられている。獄吏は百姓の命がかかっているが、選任する者は卑しめている。王政の弊害は、必ずしもここから来ていないとは言えない。律博士を置き、互いに教授させることを請う。」事は遂に施行された。しかし、律文は煩雑で広範であり、事例は多く、根本から離れて末節に依拠し、裁判官である獄吏は、廷尉の獄吏范洪が囚人から絹二丈を受け取り、軽い法に基づいて論じ、獄吏劉象が依頼を受けて偏って囚人張茂を拷問し死亡させたが、重い法に基づいて論じた。范洪、劉象はいずれも市中で斬首刑に処せられたが、軽い罪で不当に処罰される者が相次いだ。この時、太傅の鐘繇がまた上疏して肉刑の復活を求め、詔によってその上奏が下され、司徒の王朗の議論はまた異なっていた。当時、議論する者は百余人おり、王朗と同じ意見の者が多かった。帝(明帝)は呉と蜀がまだ平定されていないことを理由に、またも中止した。その後、天子(おそらく明帝またはその後継者)はまた詔を下して刑制を改定し、司空しくうの陳群、散騎常侍の劉邵、給事黄門侍郎の韓遜、議郎の庾嶷、中郎の黄休、荀詵らに命じて旧科を削減・要約し、漢律を参考に取り入れ、魏の法として定め、『新律』十八篇、『州郡令』四十五篇、『尚書官令』、『軍中令』を制定し、合わせて百八十余篇とした。その序文の概略は次のように述べている。

原文衛覬又奏曰:「刑法者,國家之所貴重,而私議之所輕賤;獄吏者,百姓之所懸命,而選用者之所卑下。王政之弊,未必不由此也。請置律博士,轉相教授。」事遂施行。然而律文煩廣,事比眾多,離本依末,決獄之吏如廷尉獄吏范洪受囚絹二丈,附輕法論之,獄吏劉象受屬偏考囚張茂物故,附重法論之。洪、象雖皆棄市,而輕枉者相繼。是時太傅鐘繇又上疏求復肉刑,詔下其奏,司徒王朗議又不同。時議者百餘人,與朗同者多。帝以吳蜀未平,又寢。其後,天子又下詔改定刑制,命司空陳群、散騎常侍劉邵、給事黃門侍郎韓遜、議郎庾嶷、中郎黃休、荀詵等刪約舊科,傍采漢律,定為魏法,制《新律》十八篇,《州郡令》四十五篇,《尚書官令》、《軍中令》,合百八十餘篇。其序略曰:

旧律が理解しにくいのは、六篇しかなく篇が少ないためである。篇が少ないと条文が粗雑になり、条文が粗雑になると扱う事柄が少なくなり、事柄が少ないと罪が漏れる。そのため後世の人が少しずつ増やし、さらに本来の体裁から離れてしまった。今、新律を制定するには、事柄の類をすべてまとめ、篇条を多くすべきである。

原文舊律所難知者,由於六篇篇少故也。篇少則文荒,文荒則事寡,事寡則罪漏。是以後人稍增,更與本體相離。今制新律,宜都總事類,多其篇條。

旧律は秦の『法経』に基づき、三篇を増やしたが、『具律』は移動せず、第六篇のままである。罪と条例が最初にも最後にもなく、篇章としての意味をなさない。そこで罪の例を集めて『刑名』とし、律の冒頭に置いた。

原文舊律因秦《法經》,就增三篇,而《具律》不移,因在第六。罪條例既不在始,又不在終,非篇章之義。故集罪例以為《刑名》,冠於律首。

『盗律』には劫略・恐喝・人身売買があり、科には人質を取る規定があったが、いずれも盗みの事柄ではないため、分離して『劫略律』とした。『賊律』には欺瞞・詐偽・封を越える・詔書を偽造する規定があり、『囚律』には生死を詐称する規定があり、『令丙』には詐って自ら復免する規定があり、事類が多いため、分離して『詐律』とした。『賊律』には樹木を伐採する・人畜を殺傷する・印を亡失する規定があり、『金布律』には官有財物を毀損亡失する規定があったため、分離して『毀亡律』とした。『囚律』には告発・取り調べの規定があり、『廄律』には謀反を告発して逮捕・受理する規定があり、科には登聞道で訴える規定があったため、分離して『告劾律』とした。『囚律』には囚人を拘束する・獄を審理する・判決を下す法があり、『興律』には上訴の事柄があり、科には事実を調べて判決を請う規定があったため、別の篇とすべきで、分離して『系訊律』・『断獄律』とした。『盗律』には監臨者が賄賂を受け取って法を曲げる規定があり、『雑律』には借りて返さず廉潔でない規定があり、『令乙』には人を脅して金を受け取る規定があり、『科』には使者が賄賂を検証する規定があり、その事柄が類似しているため、分離して『請賕律』とした。『盗律』には強盗を侮辱する規定があり、『興律』には勝手に徭役を興す規定があり、『具律』には売り物を提出する規定があり、科には勝手に屋舎を修理する事柄があったため、分離して『興擅律』とした。『興律』には徭役の滞納・遅滞があり、『賊律』には物資の準備が不十分であり、『廄律』には軍務の徴発の怠慢があり、また旧典には詔勅を謹んで奉じない・詔書を承用しない規定があり、漢代の施行には小さな過失や詔令に従わない反逆があり、すぐに詔書を承用せず軍務を怠ったとして腰斬に処し、また『丁酉詔書』で減刑した。『丁酉詔書』は漢の文帝が下したもので、再び法とするには適さないため、別に『留律』を設けた。秦代の旧制には駅舎・駅伝車・副車・食厨があり、漢初は秦を継承して改めなかったが、後に費用がかさむので次第に省き、後漢では騎馬による駅伝のみを設け車馬はなく、律には依然としてその条文が記載されていたが、それは虚設となったため、『廄律』を廃止し、そのうち科令に合う使えるものを取り出して、『郵驛令』とした。謀反を告発して逮捕・検証する規定は、別に『告劾律』に入れた。変事を上言する規定は、『変事令』とした。急事を告げる規定と、『興律』の烽火および科令の規定を合わせて、『驚事律』とした。『盗律』には贓物を返して主人に与える規定があり、『金布律』には罰金・贖罪・債務を黄金の価格で納入する規定があり、科には贓罪による連座の事柄があったため、『償负律』とした。律の初期の制度には、連座を免じる条文はなく、張湯・趙禹が初めて監臨部主・見知故縦の例を作った。知っていて故意に告発しない者は、それぞれ同罪とし、過失で告発しない者は、それぞれ贖罪で論じ、知らず見ていない者は、連座しない。それゆえ条文は簡約で例は通じる。科の制度では、各条に違反する科があり、知覚せず知らない場合でも、連座の免除について、再び区別せず、連座を免じる規定が多くなった。総じて免例とし、科の条文を省くべきであるため、改めてその由例を制定し、『免坐律』とした。諸律令の中にその教制があり、本条に連座の条文がないものは、すべてこれに従って法を取るのである。定めたものは合わせて十三篇増やし、従来の五篇に合わせ、合わせて十八篇とし、正律九篇に対しては増加し、傍章科令に対しては省略したのである。

原文《盜律》有劫略、恐猲、和賣買人,科有持質,皆非盜事,故分以為《劫略律》。《賊律》有欺謾、詐偽、逾封、矯制、《囚律》有詐偽生死,《令丙》有詐自復免,事類眾多,故分為《詐律》。《賊律》有賊伐樹木、殺傷人畜產及諸亡印,《金布律》有毀傷亡失縣官財物,故分為《毀亡律》。《囚律》有告劾、傳覆,《廄律》有告反逮受,科有登聞道辭,故分為《告劾律》。《囚律》有系囚、鞫獄、斷獄之法,《興律》有上獄之事,科有考事報讞,宜別為篇,故分為《系訊》、《斷獄律》。《盜律》有受所監受財枉法,《雜律》有假借不廉,《令乙》有呵人受錢,《科》有使者驗賂,其事相類,故分為《請賕律》。《盜律》有勃辱強賊,《興律》有擅興徭役,《具律》有出賣呈,科有擅作修舍事,故分為《興擅律》。《興律》有乏徭稽留,《賊律》有儲峙不辨,《廄律》有乏軍之興,及舊典有奉詔不謹、不承用詔書,漢氏施行有小愆之反不如令,輒劾以不承用詔書乏軍要斬,又減以《丁酉詔書》,《丁酉詔書》,漢文所下,不宜復以為法,故別為之《留律》。秦世舊有廄置、乘傳、副車、食廚,漢初承秦不改,後以費廣稍省,故後漢但設騎置而無車馬,則律猶著其文,則為虛設,故除《廄律》,取其可用合科者,以為《郵驛令》。其告反逮驗,別入《告劾律》。上言變事,以為《變事令》,以驚事告急,與《興律》烽燧及科令者,以為《驚事律》。《盜律》有還贓畀主,《金布律》有罰贖入責以呈黃金為價,科有平庸坐贓事,以為《償贓律》。律之初制,無免坐之文,張湯、趙禹始作監臨部主、見知故縱之例。其見知而故不舉劾,各與同罪,失不舉劾,各以贖論,其不見不知,不坐也,是以文約而例通。科之為制,每條有違科,不覺不知,從坐之免,不復分別,而免坐繁多,宜總為免例,以省科文,故更制定其由例,以為《免坐律》。諸律令中有其教制,本條無從坐之文者,皆從此取法也。凡所定增十三篇,就故五篇,合十八篇,於正律九篇為增,于旁章科令為省矣。

漢の旧律で魏で行われないものはすべて廃止し、さらに古義に依拠して五刑を制定した。その死刑には三種類、髡刑には四種類、完刑・作刑はそれぞれ三種類、贖刑は十一種類、罰金は六種類、雑抵罪は七種類、合わせて三十七の名称があり、これを律の冒頭とした。また『賊律』を改め、言葉だけで宗廟園陵を犯すことを、大逆無道と呼び、腰斬とし、家族を連座させたが、祖父母・孫には及ばなかった。謀反大逆については、臨時に捕らえ、あるいは汚水に沈め、あるいは首をさらして塩漬けにし、三族を滅ぼしたが、これは律令にはなく、悪の跡を厳しく絶つためである。賊が闘争で人を殺し、告発されて逃亡した場合、古義に許されて、子弟が追って殺すことを認めた。赦令にあたる場合や過誤による殺し合いについては、復讐を許さず、殺害を止めるためである。継母を殺害することは、実母と同じとし、継母と継子の間の隙間を防ぐためである。異子の科を廃止し、父子が別財産を持たないようにした。兄姉を殴打する罪を五年刑に加え、教化を明らかにするためである。囚人が人を謀反と誣告した場合、罪は親族に及び、善良な人とは異なり、刑を重くして誣告をやめさせるためである。投書の罪を棄市とする科を改め、刑を軽くするためである。囚人を奪取する罪を棄市と定め、凶暴な者が義を装う行いを断つためである。二年刑以上の場合、家族が再審を請う制度を廃止し、煩雑な獄事を省くためである。諸郡が自ら伏日を選べないように改め、風俗を統一するためである。

原文改漢舊律不行于魏者皆除之,更依古義制為五刑。其死刑有三,髡刑有四,完刑、作刑各三,贖刑十一,罰金六,雜抵罪七,凡三十七名,以為律首。又改《賊律》,但以言語及犯宗廟園陵,謂之大逆無道,要斬,家屬從坐,不及祖父母、孫。至於謀反大逆,臨時捕之,或汙瀦,或梟菹,夷其三族,不在律令,所以嚴絕惡跡也。賊鬥殺人,以劾而亡,許依古義,聽子弟得追殺之。會赦及過誤相殺,不得報仇,所以止殺害也。正殺繼母,與親母同,防繼假之隙也。除異子之科,使父子無異財也。歐兄姊加至五歲刑,以明教化也。囚徒誣告人反,罪及親屬,異于善人,所以累之使省刑息誣也。改投書棄市之科,所以輕刑也。正篡囚棄市之罪,斷凶強為義之蹤也。二歲刑以上,除以家人乞鞫之制,省所煩獄也。改諸郡不得自擇伏日,所以齊風俗也。

これらはすべて魏の時代に改められたもので、その大略はこのようである。その後、正始年間、天下に事がなく、征西将軍夏侯玄・河南尹李勝・中領軍曹羲・尚書丁謐がさらに肉刑を追議したが、ついに決着しなかった。その文章は非常に多いため、ここには記載しない。

原文斯皆魏世所改,其大略如是。其後正始之間,天下無事,於是征西將軍夏侯玄、河南尹李勝、中領軍曹羲、尚書丁謐又追議肉刑,卒不能決。其文甚多,不載。

景帝

原文景帝

景帝が政務を補佐した時、当時の魏の法では、大逆を犯した者は既に嫁いだ娘にも刑が及んだ。毌丘倹かんきゅうけんが誅殺された時、その子の甸の妻荀氏は連座して死罪となるはずであったが、その族兄の顗が景帝と姻戚関係にあり、魏の皇帝に上表して、彼女の命を乞うた。詔勅は離婚を認めた。荀氏の生んだ娘の芝は、潁川太守劉子元の妻であったが、これも連座して死罪となり、妊娠中であったため獄に繋がれた。荀氏は司隷校尉何曾のもとに赴き恩赦を乞い、官婢に没収されることで、芝の命を贖おうと願い出た。何曾はこれを哀れみ、主簿しゅぼの程咸に上議させて言わせた。

原文及景帝輔政,是時魏法,犯大逆者誅及已出之女。毌丘儉之誅,其子甸妻荀氏應坐死,其族兄顗與景帝姻,通表魏帝,以匄其命。詔聽離婚。荀氏所生女芝,為潁川太守劉子元妻,亦坐死,以懷妊繫獄。荀氏辭詣司隸校尉何曾乞恩,求沒為官婢,以贖芝命。曾哀之,使主簿程咸上議曰:

司寇が法典を作り、三つの等級の制度を立てた。甫侯が刑罰を修め、軽重の法を通じさせた。末世は変化が多く、秦は重い刑罰を立て、漢はさらにこれを修めた。大魏は秦漢の弊害を承けたが、まだ制度を改革しておらず、既に嫁いだ娘を追って殺戮するのは、まさに醜い類の一族を絶やそうとするためである。しかしながら、法は適中を得ることを貴び、刑は過度な制度を慎むべきである。臣は考えるに、女人には三従の義があり、自ら専断する道はなく、他族に嫁ぎ、父母の喪に服する時は喪服の等級を下げる。これは外に成る節義を明らかにし、実家にいる時の恩愛とは異なるためである。ところが父母が罪を犯すと、既に嫁いだ娘を追って刑し、夫の一族が誅殺されると、さらに姓を同じくする者として殺戮される。一人の身が、内と外の両方で刑罰を受けるのである。今、女は既に嫁げば、異姓の妻となる。もし子を産めば、他族の母となる。これは大悪人が軽視し、無辜の者を殺戮することを重んじることであり、防犯の面では奸悪の乱れの源を懲らしめるに足らず、人情の面では孝子の心を傷つける。男は他族に罪を得ないのに、女だけが二つの家門で殺戮の憂き目に遭う。これは女の弱さを哀れみ、法制の本分を明らかにして免除することではない。臣は考えるに、実家にいる娘は父母の誅罰に従い、既に嫁いだ婦人は夫の家の罰に従うべきである。旧科を改め、永久的な制度とすべきである。

原文夫司寇作典,建三等之制;甫侯修刑,通輕重之法。叔世多變,秦立重辟,漢又修之。大魏承秦漢之弊,未及革制,所以追戮已出之女,誠欲殄丑類之族也。然則法貴得中,刑慎過制。臣以為女人有三從之義,無自專之道,出適他族,還喪父母,降其服紀,所以明外成之節,異在室之恩。而父母有罪,追刑已出之女;夫黨見誅,又有隨姓之戮。一人之身,內外受辟。今女既嫁,則為異姓之妻;如或產育,則為他族之母,此為元惡之所忽。戮無辜之所重,於防則不足懲奸亂之源,於情則傷孝子之心。男不得罪於他族,而女獨嬰戮於二門,非所以哀矜女弱,蠲明法制之本分也。臣以為在室之女,從父母之誅;既醮之婦,從夫家之罰。宜改舊科,以為永制。

そこで詔勅により律令を改定することとなった。

原文於是有詔改定律令。

文帝

原文文帝

文帝が晋王であった時、前代の律令とその注釈が煩雑であることを憂慮し、陳群や劉邵が改革を経たものの、法網は依然として細かく、また叔孫、郭、馬、杜ら諸儒の章句解釈は鄭氏の説のみを採用して偏っており、そのまま用いることはできなかった。そこで賈充に法律制定を命じ、太傅の鄭沖、司徒の荀顗、中書監の荀勖、中軍将軍の羊祜ようこ、中護軍の王業、廷尉の杜友、守河南尹の杜預とよ、散騎侍郎の裴楷、潁川太守の周雄、斉相の郭頎、騎都尉の成公綏、尚書郎の柳軌および吏部令史の栄邵ら十四人にその事を主管させ、漢の九章律に十一篇を増やし、その族類に従い、その体号を正し、旧律を『刑名』『法例』と改め、『囚律』を『告劾』『系訊』『断獄』に分け、『盗律』を『請賕』『詐偽』『水火』『毀亡』に分け、事類に因って『衛宮』『違制』とし、『周官』を撰して『諸侯律』とし、合わせて二十篇、六百二十条、二万七千六百五十七字とした。苛酷で穢れた部分を除去し、簡潔で要約された部分を残し、事は中典に従い、時宜に益するものとした。その他、除くべきでないもの、例えば軍事、田農、酒の専売などは、すべて人心に従うことはできず、一時的にその法を設け、太平の世になれば除くべきものであるため、律には入れず、すべて令とした。制度を施行し、これをもって教化を設け、令に違反して罪があれば律に入れる。常事の品式章程は、それぞれその府に還し、故事とした。梟斬、族誅、連座の条項を減らし、謀反の罪で適養母や出女嫁が父母の棄市に連座しないこととし、禁固と相互告訴の条項を省き、逃亡者捕縛や逃亡没官による官奴婢の制度を廃止した。軽い過誤で、老人、子供、女性が罰金や杖罰に当たる場合は、すべて半減させた。伯叔母との姦通を重くし、棄市とした。寡婦との姦通は、三年の刑とした。嫁娶の要を重んじ、すべて聘礼を以って正式とし、私約は認めない。礼教の防ぎを厳しくし、五服を基準として罪を定めた。律令は合わせて二千九百二十六条、十二万六千三百字、六十巻、故事三十巻である。

原文文帝為晉王,患前代律令本注煩雜,陳群、劉邵雖經改革,而科網本密,又叔孫、郭、馬、杜諸儒章句,但取鄭氏,又為偏黨,未可承用。於是令賈充定法律,令與太傅鄭沖、司徒荀顗、中書監荀勖、中軍將軍羊祜、中護軍王業、廷尉杜友、守河南尹杜預、散騎侍郎裴楷、潁川太守周雄、齊相郭頎、騎都尉成公綏、尚書郎柳軌及吏部令史榮邵等十四人典其事,就漢九章增十一篇,仍其族類,正其體號,改舊律為《刑名》、《法例》,辨《囚律》為《告劾》、《系訊》、《斷獄》,分《盜律》為《請賕》、《詐偽》、《水火》、《毀亡》,因事類為《衛宮》、《違制》,撰《周官》為《諸侯律》,合二十篇,六百二十條,二萬七千六百五十七言。蠲其苛穢,存其清約,事從中典,歸於益時。其餘未宜除者,若軍事、田農、酤酒,未得皆從人心,權設其法,太平當除,故不入律,悉以為令。施行制度,以此設教,違令有罪則入律。其常事品式章程,各還其府,為故事。減梟斬族誅從坐之條,除謀反適養母出女嫁皆不復還坐父母棄市,省禁固相告之條,去捕亡、亡沒為官奴婢之制。輕過誤老少女人當罰金杖罰者,皆令半之。重奸伯叔母之令,棄市。淫寡女,三歲刑。崇嫁娶之要,一以下娉為正,不理私約。峻禮教之防,准五服以制罪也。凡律令合二千九百二十六條,十二萬六千三百言,六十卷,故事三十卷。

武帝

原文武帝

泰始三年、事業が完了し、上表して奏上した。武帝は詔して言った。「昔、蕭何は律令を定めて封を受けた。叔孫通は儀礼を制定して奉常となり、金五百斤を賜り、弟子百人すべてが郎となった。功を立て事を成すことは、古今において重んじられることである。禄賞を加えるべきである。詳細に考査して差等をつけて叙せよ。」詔に従ってただちに弟子百人を選抜し、才能と品第に従って任用し、帛一万余匹を賞賜した。武帝は自ら臨講し、裴楷に読ませた。四年正月、天下に大赦し、新律を公布した。その後、明法掾の張裴がさらに律に注釈を加え、上表して奏上した。その要旨は以下の通りである。

原文泰始三年,事畢,表上。武帝詔曰:「昔蕭何以定律令受封,叔孫通制儀為奉常,賜金五百斤,弟子百人皆為郎。夫立功立事,古今之所重,宜加祿賞,其詳考差敘。輒如詔簡異弟子百人,隨才品用,賞帛萬餘匹。」武帝親自臨講,使裴楷執讀。四年正月,大赦天下,乃班新律。其後,明法掾張裴又注律,表上之,其要曰:

律が『刑名』から始まるのは、罪の制度を定めるためである。『諸侯』で終わるのは、その政を完結させるためである。王政は上に布かれ、諸侯は下で奉じ、礼楽は中で調和する。故に三才の意義があり、それらは互いに必要とし合って一体を成すのである。

原文律始於《刑名》者,所以定罪制也;終於《諸侯》者,所以畢其政也。王政布于上,諸侯奉于下,禮樂撫於中,故有三才之義焉,其相須而成,若一體焉。

『刑名』は罪法の軽重を経略し、加減の等差を正し、多くの篇の多義を明らかにし、その章条の不足を補い、上下の綱領を比較して挙げるものである。盗賊、詐偽、請賕を犯す者は、ここに罪を求める。作役、水火、畜養、守備などの細事は、すべてその本名に求める。告訊はその心舌となり、捕系はその手足となり、断獄はその定罪となり、名例はその制度を整える。始めから終わりまで、往くこと窮まりなく、変動常なく、四方に周流し、上下に方なく、法律の中を離れないのである。

原文《刑名》所以經略罪法之輕重,正加減之等差,明發眾篇之多義,補其章條之不足,較舉上下綱領。其犯盜賊、詐偽、請賕者,則求罪於此,作役、水火、畜養、守備之細事,皆求之作本名。告訊為之心舌,捕系為之手足,斷獄為之定罪,名例齊其制。自始及終,往而不窮,變動無常,周流四極,上下無方,不離於法律之中也。

知っていて犯すのを「故」といい、そのように思って犯すのを「失」といい、忠誠に背き上を欺くのを「謾」といい、信義に背き巧みを隠すのを「詐」といい、礼を損ない節を廃するのを「不敬」といい、双方が争って向かうのを「闘」といい、双方が和して害するのを「戯」といい、変事なく斬撃するのを「賊」といい、意図せず誤って犯すのを「過失」といい、節を逆らい理を絶つを「不道」といい、上を陵ぎ貴に僭するを「悪逆」といい、害を加えようとして未だ発しないを「戕」といい、率先して言い出すを「造意」といい、二人で対議するを「謀」といい、衆を制し計を建てるを「率」といい、和せざるを「強」といい、悪を攻めるを「略」といい、三人を「群」といい、その物でないものを取るを「盗」といい、貨財の利を「贓」という。これら二十のものは、律義の比較する名称である。

原文其知而犯之謂之故,意以為然謂之失,違忠欺上謂之謾,背信藏巧謂之詐,虧禮廢節謂之不敬,兩訟相趣謂之鬥,兩和相害謂之戲,無變斬擊謂之賊,不意誤犯謂之過失,逆節絕理謂之不道,陵上僭貴謂之惡逆,將害未發謂之戕,唱首先言謂之造意,二人對議謂之謀,制眾建計謂之率,不和謂之強,攻惡謂之略,三人謂之群,取非其物謂之盜,貨財之利謂之贓:凡二十者,律義之較名也。

律は、その変化を慎み、その理を審らかにすべきである。もし詔書を用いず、故なくして刑を失う場合は、贖罪に従うべきである。謀反の同伍で、実情を知らない場合は、刑に従うべきである。これは故と失の変化である。卑しい者が尊い者と闘うのは、すべて賊である。闘いの中で兵刃や水火を加えるのは、戯とはならず、戯の重いものである。人の家屋や道に向かって射るのは、過失とはならず、失の禁じるものである。都城中の人混みで馬を走らせて人を殺すのは、賊とすべきで、賊に似ている。過失は賊に似、戯は闘に似、闘いで傍人を殺傷するのはまた誤りに似、盗みで人を傷つけ縛って守るのは強盗に似、人を呵責して財を取るのは賄賂を受け取るのに似、囚人の供述が連座するのは告劾に似、諸々の聴理せざるは故縦に似、人質を取るのは恐喝に似る。このような類は、すべて常ならざる格である。

原文夫律者,當慎其變,審其理。若不承用詔書,無故失之刑,當從贖。謀反之同伍,實不知情,當從刑。此故失之變也。卑與尊鬥,皆為賊。鬥之加兵刃水火中,不得為戲,戲之重也。向人室廬道徑射,不得為過,失之禁也。都城人眾中走馬殺人,當為賊,賊之似也。過失似賊,戲似鬥,鬥而殺傷傍人,又似誤,盜傷縛守似強盜,呵人取財似受賕,囚辭所連似告劾,諸勿聽理似故縱,持質似恐猲。如此之比,皆為無常之格也。

五刑で簡明でない場合は、五罰で正し、五罰で服さない場合は、五過で正す。意は善くても功が悪ければ、金で贖う。故に律の制度では、生罪は十四等を超えず、死刑は三を超えず、徒刑の加算は六を超えず、囚禁の加算は五を超えず、累積の労役は十一歳を超えず、累積の笞刑は千二百を超えず、刑の等級は一歳を超えず、金の等級は四両を超えない。月単位の贖罪は日数を計らず、日単位の労役は月に拘らず、年数は閏月を疑わない。加算によって死罪に至っても、死罪に併せてさらに加算しない。累積できないものは、故に併数があり、併数できないものは、その加算を累積する。加算によって論ずるものは、ただその加算を得る。加算と同様のものは、本来の罪も連帯して得る。順序にないものは、通じて論じない。人によって罪を得るものは人と同様にし、法によって罪を得るものは法と同様にする。生を侵し死を害することは、その防ぎを一律にできない。親疏公私は、その教えを常にできない。礼楽は上で尊ばれるので、その刑を下げる。刑法は下で防ぐので、その法を全うする。これによって尊卑の序があり、仁義が明らかになり、九族が親しく、王道が平らかになるのである。

原文五刑不簡,正於五罰,五罰不服,正於五過,意善功惡,以金贖之。故律制,生罪不過十四等,死刑不過三,徒加不過六,囚加不過五,累作不過十一歲,累笞不過千二百,刑等不過一歲,金等不過四兩。月贖不計日,日作不拘月,歲數不疑閏。不以加至死,並死不復加。不可累者,故有並數;不可並數,乃累其加。以加論者,但得其加;與加同者,連得其本。不在次者,不以通論。以人得罪與人同,以法得罪與法同。侵生害死,不可齊其防;親疏公私,不可常其教。禮樂崇於上,故降其刑;刑法閑于下,故全其法。是故尊卑敘,仁義明,九族親,王道平也。

律には事状が似ていて罪名が関連するものがある。例えば、威勢を加えて手を下し財を取るのは強盗であり、自ら逃亡を知らないで縛られ守るのは縛守であり、脅しの中に悪言があるのは恐喝であり、罪名によらず呵責するのは呵人であり、罪名によって呵責するのは賄賂を受け取ることであり、財を強要して召し出すのは人質を取ることである。この六つは、威勢によって財を得るが名称が異なるものである。求めずに自ら与えるのは求めを受け取ることであり、監視下で求めて後に取るのは盗贓であり、輸送中に呵責して受け取るのは留難であり、人の財物を徴収して官に積み蔵するのは擅賦であり、殴打を加えるのは戮辱である。このような類は、すべて威勢によって財を得るが罪が似ているものである。

原文律有事狀相似而罪名相涉者,若加威勢下手取財為強盜,不自知亡為縛守,將中有惡言為恐猲,不以罪名呵為呵人,以罪名呵為受賕,劫召其財為持質。此六者,以威勢得財而名殊者也。即不求自與為受求,所監求而後取為盜贓,輸入呵受為留難,斂人財物積藏於官為擅賦,加歐擊之為戮辱。諸如此類,皆為以威勢得財而罪相似者也。

刑は、理を司る官である。理は、情を求める機会である。情は、心神の使いである。心が感じれば情は中に動き、言葉に形を現し、四肢に通じ、事業に発する。それゆえ、奸人は心に愧じて顔が赤くなり、内に怖れて色が奪われる。罪を論ずる者は、必ずその心を本とし、その情を審らかにし、その事を精査し、近くは自らに取り、遠くは物に取り、その後にはじめて刑を正すことができる。手を仰ぐのは乞うに似、手を俯すのは奪うに似、手を捧げるのは謝るに似、手を擬えるのは訴えるに似、臂を拱くのは自首するに似、臂を攘うのは格闘するに似、矜持して荘重なのは威に似、怡悦するのは福に似る。喜怒憂歓は、容貌に声と色として現れる。奸の真偽、猛弱は、視息の間に伺われる。口を出して言うのは告げるべきであり、手を下して禁ずるのは賊すべきである。喜ぶ子が怒る子を殺すのは戯であり、怒る子が喜ぶ子を殺すのは賊である。このような類は、極めて精妙でなければその理を極めることができない。

原文夫刑者,司理之官;理者,求情之機,情者,心神之使。心感則情動於中,而形於言?暢于四支,發於事業。是故奸人心愧而面赤,內怖而色奪。論罪者務本其心,審其情,精其事,近取諸身,遠取諸物,然後乃可以正刑。仰手似乞,俯手似奪,捧手似謝,擬手似訴,拱臂似自首,攘臂似格鬥,矜莊似威,怡悅似福,喜怒憂歡,貌在聲色。奸真猛弱,候在視息。出口有言當為告,下手有禁當為賊,喜子殺怒子當為戲,怒子殺喜子當為賊。諸如此類,自非至精不能極其理也。

律の名例は、正文ではないが事柄を明らかにするものである。例えば八十歳の者は、人を殺傷したのでなければ、その他の罪は全て論じないが、謀反を誣告した者は反坐する。十歳の者は、人を告発することはできない。また奴婢が主人に抵抗した場合、主人はその殺害を請願することができる。賊が人の家屋や財物を焼き、盗んだ贓物が五匹以上に及ぶ場合は、棄市に処する。官庁の財物を焼き盗んだ場合も、同様に扱うべきである。人を殴るよう教唆した者は、実行犯と同罪とする。ただし、人にその父母を殴らせた者は、実行犯と同じ重い罪にはならない。遺失物を強奪したり強請したりする類の行為については、贓物を返還する規定や慣例に従って与えるという条文はない。法律中の諸々の不敬罪、儀礼や規定に違反する行為、および公私を問わず犯罪を犯し、贓物が身に入るか入らないかに関わらず、全て事態の軽重に応じて法を適用し、例によってその罪名を求めるのである。

原文律之名例,非正文而分明也。若八十,非殺傷人,他皆勿論,即誣告謀反者反坐。十歲,不得告言人;即奴婢捍主,主得謁殺之。賊燔人廬舍積聚,盜贓五匹以上,棄市;即燔官府積聚盜,亦當與同。歐人教令者與同罪,即令人歐其父母,不可與行者同得重也。若得遺物強取強乞之類,無還贓法隨例畀之文。法律中諸不敬,違儀失式,及犯罪為公為私,贓入身不入身,皆隨事輕重取法,以例求其名也。

理というものは、精妙で玄遠なものであり、一つの方法で行うことはできない。律というものは、深遠な理の奥義であり、一つの形で守ることはできない。あるいは過失を計算して罪に配当し、あるいは簡略化して常道に従い、あるいは事態に応じて真情を尽くし、あるいは取捨して時勢に従い、あるいは重く推して防ぎを立て、あるいは軽く引いて下に就かせる。公私における廃止や回避の適切さ、削除や軽重の変化は、全て臨機応変に隙を観察し、法を運用し解釈する者が未制定の領域の中に深く入り込み、その根幹の微細なところを採り、機軸の上にまで至らせ、毫厘の差で軽重を量り、複雑な事象の中から類例を考察し、そうして初めて理が正しく刑が正されるのである。

原文夫理者,精玄之妙,不可以一方行也;律者,幽理之奧,不可以一體守也。或計過以配罪,或化略以循常,或隨事以盡情,或趣舍以從時,或推重以立防,或引輕而就下。公私廢避之宜,除削重輕之變,皆所以臨時觀釁,使用法執詮者幽於未制之中,采其根牙之微,致之於機格之上,稱輕重於豪銖,考輩類于參伍,然後乃可以理直刑正。

聖典を奉じる者は、刀を操り縄を執るようなものである。刀を妄りに加えれば物を傷つけ、縄を妄りに張れば真っ直ぐなものを侵す。梟首は悪の中でも最も重く、斬刑は罪の中でも大きく、棄市は死刑の中でも下位にあり、髡作は刑罰の中でも威嚇的なものであり、贖罰は過失に対する戒めである。王者がこの五刑を立てるのは、君子を大切にし小人を脅かすためであり、だからこそ慎重を期すべき規範として、全て『周易』に倣って変通の体裁を備えているのである。大綱を提げて大道を清らかにし、要略を挙げて王法を整えたいと願い、その主旨は遠大であり、その言葉は文飾され、その言は曲折していながら中正であり、その事柄は明白でありながらも奥深い。天下の志を通じさせるのは忠のみであり、天下の疑いを断つのは文のみであり、天下の情に迫るのは遠大さのみであり、天下の務めを満たすのは広大さのみであり、変化して常体がないのは理のみである。天下の賢聖でなければ、誰がこれに関与できようか。

原文夫奉聖典者若操刀執繩,刀妄加則傷物,繩妄彈則侵直。梟首者惡之長,斬刑者罪之大,棄市者死之下,髡作者刑之威,贖罰者誤之誡。王者立此五刑,所以寶君子而逼小人,故為敕慎之經,皆擬《周易》有變通之體焉。欲令提綱而大道清,舉略而王法齊,其旨遠,其辭文,其言曲而中,其事肆而隱。通天下之志唯忠也,斷天下之疑唯文也,切天下之情唯遠也,彌天下之務唯大也,變無常體唯理也,非天下之賢聖,孰能與於斯!

刑より上のものを道といい、刑より下のものを器といい、変化させて裁断するものを格という。刑殺は冬の雷光の象であり、髡罪は秋の草木が凋落する変化に似ており、贖失は春の陽気の中にある悔やみ惜しむ瑕疵のようなものである。五刑が文章を成し、互いに依拠し準拠するのが、法律の意義なのである。

原文夫刑而上者謂之道,刑而下者謂之器,化而裁之謂之格。刑殺者是冬震曜之象,髡罪者似秋雕落之變,贖失者是春陽悔吝之疵之。五刑成章,輒相依准,法律之義焉。

この時、侍中の盧珽と中書侍郎の張華ちょうかがまた上表して言った。「『新律』の諸々の死罪条項を抄録し、駅亭に掲示して、万民に示すべきです。」詔があり、これに従った。

原文是時侍中盧珽、中書侍郎張華又表:「抄《新律》諸死罪條目,懸之亭傳,以示兆庶。」有詔從之。

劉頌が廷尉となると、たびたび肉刑を復活させるべきだと上表したが、聞き入れられず、また上言して言った。

原文及劉頌為廷尉,頻表宜復肉刑,不見省,又上言曰:

臣が以前に肉刑について上奏して以来、長年が経過し、遂に議論されないままになっています。臣はひそかに思いますに、議論する者は孝文帝の小さな仁愛に拘泥し、聖王の典刑を軽んじて違背しており、これほど詳らかでないことはありません。

原文臣昔上行肉刑,從來積年,遂寢不論。臣竊以為議者拘孝文之小仁,而輕違聖王之典刑,未詳之甚,莫過於此。

現在、死刑は重く、故に命を落とす者が多い。生刑は軽く、故に罪が奸悪を禁じることができない。このようになるのは、肉刑を用いないことによるものである。現在の徒刑に服する者は、概して元来悪逆で不軌な族類である。家から遠く離れ、山谷で労役に従事し、飢え寒さが身に迫り、生きる意欲もなく、廉潔な士や節義の者であっても、もし死を免れようと考えるならば、皆盗賊となるであろう。ましてや本性が奸凶で無頼な徒輩においておやである。また、徒刑に服する者の中で富裕な者は財貨を納めて、日数を満たせば家に帰ることができ、これは実質的に労役のない者である。貧しい者は奸盗を働き始め、また制御できない虜となってしまう。刑罰がなければ、罪を禁じる手段がない。制御がなければ、群悪が横暴に振る舞う。このような法では、近くにおいても十分に善くはない。そのため、徒刑囚の逃亡が日々続き、賊盗が日々煩わしくなる。逃亡する者の数は十数人にまで至り、捕まえればすぐに刑罰を加え、日に一年ずつ増やしていく。これは終身の徒刑である。自ら顧みて善に戻る見込みがなく、災難と困窮が身に迫れば、その心は逃亡や盗みを考えずにはいられず、勢いとして止むことはない。事態がそうさせるのである。

原文今死刑重,故非命者眾;生刑輕,故罪不禁奸。所以然者,肉刑不用之所致也。今為徒者,類性元惡不軌之族也,去家懸遠,作役山谷,饑寒切身,志不聊生,雖有廉士介者,苟慮不首死,則皆為盜賊,豈況本性奸凶無賴之徒乎!又令徒富者輸財,解日歸家,乃無役之人也。貧者起為奸盜,又不制之虜也。不刑,則罪無所禁;不制,則群惡橫肆。為法若此,近不盡善也。是以徒亡日屬,賊盜日煩,亡之數者至有十數,得輒加刑,日益一歲,此為終身之徒也。自顧反善無期,而災困逼身,其志亡思盜,勢不得息,事使之然也。

古くは刑罰を用いて刑罰を止めたが、今はこれに反している。重い罪を犯して逃亡した者は、髪が三寸を超えるとすぐに重ねて髪を剃る。これは刑罰から刑罰を生じさせるものである。労役を一年加える。これは徒刑から徒刑を生じさせるものである。逃亡者が積み重なると、囚人は雑多に収容される。議論する者は、囚人は赦免せざるを得ないと言い、またそれに従って赦免する。これは刑罰が罪を制御できず、法が奸悪に勝てないことになる。下々は法が勝てないことを知り、集まって謀り、不軌を図り、月ごとに異なり年ごとに同じではない。それ故に近年以来、奸悪な者が暴虐を振るい、至る所に充満している。議論する者はこの原因を深く考えず、ただ肉刑は名声において聞き苦しいと言う。聞き苦しいことと、賊盗を禁じられないことと、どちらがましであろうか。

原文古者用刑以止刑,今反於此。諸重犯亡者,發過三寸輒重髡之,此以刑生刑;加作一歲,此以徒生徒也。亡者積多,系囚猥畜。議者曰囚不可不赦,復從而赦之,此為刑不制罪,法不勝奸。下知法之不勝,相聚而謀為不軌,月異而歲不同。故自頃年以來,奸惡陵暴,所在充斥。議者不深思此故,而曰肉刑於名忤聽,忤聽孰與賊盜不禁?

聖王が肉刑を制定したのは、遠大で深遠な道理があり、その事柄は言葉で説明できる。単に剥ぎ取る痛みを恐れて悪事を働かなくなることを懲らしめるためだけでなく、悪事を働くための手段を取り除き、奸人が再びその意志を恣にすることができないようにし、奸悪を止めて根本を絶つ、理の極致なのである。逃亡者には足を切り、再び逃亡する手段をなくす。盗人には手を切り、再び盗む手段をなくす。淫乱な者にはその生殖器を切り取る。道理はこれと同じである。悪を除き源を塞ぐには、これに勝るものはない。単なることではない。このような者たちは刑を受けた後、それぞれ家に帰り、父母妻子と共に養い労わり、路上に流離することはない。現在の困窮があるが、傷が癒えれば労役に就くことができ、古制に準じて、適宜に作業に従事させる。たとえ身体が刑によって損なわれても、無駄に捨てられることはなく、問題は全て塞がれ、また生育が繁栄する道は以前のままである。

原文聖王之制肉刑,遠有深理,其事可得而言,非徒懲其畏剝割之痛而不為也,乃去其為惡之具,使夫奸人無用復肆其志,止奸絕本,理之盡也。亡者刖足,無所用復亡。盜者截手,無所用復盜。淫者割其勢,理亦如之。除惡塞源,莫善於此,非徒然也。此等已刑之後,便各歸家,父母妻子,共相養恤,不流離于塗路。有今之困,創愈可役,上准古制,隨宜業作,雖已刑殘,不為虛棄,而所患都塞,又生育繁阜之道自若也。

今は死刑の下限を軽くし、三度逃亡や淫盗を犯した者については、全て肉刑に置き換えるべきである。三年以下の刑については、すでに杖罰で処しており、またその罰の回数を規定し、一定の限度を設け、これ以下に減じてはならない。重くすべきものについては、また官長に任せる。四、五年の刑に相当する者は、皆髪を剃り笞打ち、笞は百回までとし、少しずつ執行してそれぞれ差をつけ、全て再び居作に服させることはない。そうすれば、刑が再び刑を生じず、徒刑が再び徒刑を生じず、身体を損なうことが罰となり、終身にわたって戒めとなる。人はその痛みを見て、恐れて犯さなくなり、必ず現在の数倍になるであろう。かつ悪事を働く者は発覚するや刑を受け、悪事を働く手段を奪われる。これは刑を受けた者たちが皆善良な士となることであり、どうして奸悪を働く手足をそのままにしておきながら、必ず死に至る窮地に追い詰められることと同じであろうか。それでもなお肉刑は用いることができないと言うのは、臣はひそかに、時務を弁えないことの甚だしいものだと思う。

原文今宜取死刑之限輕,及三犯逃亡淫盜,悉以肉刑代之。其三歲刑以下,已自杖罰遣,又宜制其罰數,使有常限,不得減此。其有宜重者,又任之官長。應四五歲刑者,皆髡笞,笞至一百,稍行,使各有差,悉不復居作。然後刑不復生刑,徒不復生徒,而殘體為戳,終身作誡。人見其痛,畏而不犯,必數倍於今。且為惡者隨發被刑,去其為惡之具,此為諸已刑者皆良士也,豈與全其為奸之手足,而蹴居必死之窮地同哉!而猶曰肉刑不可用,臣竊以為不識務之甚也。

臣は以前、常に左右に侍し、しばしば明詔を聞きましたが、肉刑を用いるべきであり、政事に便であるとおっしゃっていました。願わくは陛下がご独自の見識による決断を信じ、有能な者に聖慮を奉じさせ、今日においてこれを実行させてください。溝壑に埋もれる前に、太平の世を見たいと願います。『周礼』の三赦三宥は、老人、幼子、哀悼すべき高齢者、および連座に及ばない庶民に施される。これは悪事を働く者が出自する場所ではないので、刑法に逆らって赦免し宥恕するのである。この族類以外の者は、犯罪を犯せば必ず刑罰を受け、赦されることはない。これが政治の道理である。後世に至っては、時勢が険しく多難であるため、赦免によって結び目を解き、権宜として行うのであり、また罪人を寛大に扱うためではない。現在に至るまで常に罪が積み重なり獄事が煩雑であるため、赦免によって分散させている。そのため赦免がますます頻繁になるほど獄事はますます詰まり、このままでは、対応しきれなくなるであろう。その原因を推し量れば、肉刑を用いないことによるのである。今、肉刑を行えば、単に積み重ならないだけでなく、悪事を働く手段がなければ奸悪は止む。この二点を取り除けば、獄事は煩雑にならず、故に頻繁な赦免に頼る必要がなく、政治の根本において勝っているのである。

原文臣昔常侍左右,數聞明詔,謂肉刑宜用,事便於政。願陛下信獨見之斷,使夫能者得奉聖慮,行之於今。比填溝壑,冀見太平。《周禮》三赦三宥,施於老幼悼耄,黔黎不屬逮者,此非為惡之所出,故刑法逆舍而宥之。至於自非此族,犯罪則必刑而無赦,此政之理也。暨至後世,以時嶮多難,因赦解結,權以行之,又不以寬罪人也。至今恆以罪積獄繁,赦以散之,是以赦愈數而獄愈塞,如此不已,將至不勝。原其所由,內刑不用之故也。今行肉刑,非徒不積,且為惡無具則奸息。去此二端,獄不得繁,故無取於數赦,於政體勝矣。

上疏したが、また聞き入れられなかった。

原文疏上,又不見省。

恵帝

原文惠帝

恵帝の世に至ると、政令は群臣の下から出され、疑わしい獄事があるたびに、それぞれ私情を立て、刑法は定まらず、訴訟は煩雑に増えた。尚書の裴頠が上表してこれを陳べた。

原文至惠帝之世,政出群下,每有疑獄,各立私情,刑法不定,獄訟繁滋。尚書裴頠表陳之曰:

天下の事柄は多岐にわたり、一つの官庁のみで管轄できるものではない。中程度の才能の者は感情が乱れやすく、恒常的な制度によって初めて安定する。先王はその所以を知っていたため、方角を分け職務を定め、基準と組織を設けたのである。基準と組織が確立されれば、それぞれがその任務を掌握し、刑罰と賞賛が相応し、軽重に差がなくなる。それゆえ下々の聞くところには常軌があり、群吏は安んじて職務に励むのである。かつて宮中や陵廟に水火による損傷の変事があった際には、尚書が自ら駆けつけたが、それ以外の場合は、全て郎や令史の段階で止められていた。刑罰を加える場合も、それぞれに定められた刑罰があった。

原文夫天下之事多塗,非一司之所管;中才之情易擾,賴恆制而後定。先王知其所以然也,是以辨方分職,為之准局。准局既立,各掌其務,刑賞相稱,輕重無二,故下聽有常,群吏安業也。舊宮掖陵廟有水火毀傷之變,然後尚書乃躬自奔赴,其非此也,皆止于郎令史而已。刑罰所加,各有常刑。

元康四年、大風の後、宗廟の屋根瓦が数枚落下した際、太常の荀寓が免職された。当時は厳しい詔勅による譴責であったため、誰も正しい判断を下すことができなかった。しかし内外の意見は、事柄が軽微であるのに責任が重すぎるとして、常軌に反していると一様に考えていた。ちょうど五年二月に大風があり、担当者は前例を戒め恐れた。臣が新たに尚書に任命されて三日目、本来の担当尚書が病気のため、臨時に兼務して出向し、蘭台を巡視した。担当者は屋根の棟の間を見上げ、歪んだ瓦を探し求め、棟上の瓦がわずかに傾いている箇所を十五か所見つけた。あるいは瓦を葺き始めた時の歪みかもしれず、言うに足りないことである。風が突然起こり、台官が交代で赴き、太常が巡視したが、十分に確認する前に、文書が届く前に、互いに制止し合った。臣は臨時の兼務として出向しただけで、出向から戻れば任務は終わるため、事態を徹底的に追及することはできなかった。しかし本来の担当部署は固執し、問い詰めるのをやめなかった。臣はその場で詳しく説明して解散させようとしたが、担当者は過失を恐れ、臣の言葉に従わず、太常を拘束し、再び刑罰を科そうとした。

原文去元康四年,大風之後,廟闕屋瓦有數枚傾落,免太常荀寓。于時以嚴詔所譴,莫敢據正。然內外之意,僉謂事輕責重,有違于常。會五年二月有大風,主者懲懼前事。臣新拜尚書始三日,本曹尚書有疾,權令兼出,按行蘭台。主者乃瞻望阿棟之間,求索瓦之不正者,得棟上瓦小邪十五處。或是始瓦時邪,蓋不足言,風起倉卒,台官更往,太常按行,不及得周,文書未至之頃,便競相禁止。臣以權兼暫出,出還便罷,不復得窮其事。而本曹據執,卻問無已。臣時具加解遣,而主者畏咎,不從臣言,禁止太常,復興刑獄。

昔、漢代に宗廟の玉環を盗んだ者がおり、文帝は一族を誅殺しようとしたが、張釈之は死刑のみを処すべきだとし、「もし長陵の一掬の土を侵したならば、これ以上どのような刑罰を加えられましょうか」と言った。文帝はこれに従った。大晉は制度を定めるに当たり、深く遠大なことを考え、山陵に封土を築かず、園邑を飾らず、墓はあっても墳丘を築かず、山野の土と同じようにした。それゆえ丘陵には古くからの草が残り、中原の地と等しくしているのである。陵墓の区域は尊厳であるが、破壊や発掘があって初めて一族を誅するのが、古典の定めである。もし踏み荒らしたり損傷を与え、敬意を尽くす道を失ったならば、刑罰に止めるべきである。

原文昔漢氏有盜廟玉環者,文帝欲族誅,釋之但處以死刑,曰:「若侵長陵一抔土,何以復加?」文帝從之。大晉垂制,深惟經遠,山陵不封,園邑不飾,墓而不墳,同乎山壤,是以丘阪存其陳草,使齊乎中原矣。雖陵兆尊嚴,唯毀發然後族之,此古典也。若登踐犯損,失盡敬之道,事止刑罪可也。

八年前、下僕が教唆されて周龍が草を焼いたと誣告し、廷尉はついに周龍の一族を誅すよう上奏し、一家八人が命を落とすことになった。周龍の事件が覆った後、ようやく免罪となった。情理を考え、前例に照らせば、処罰は実に重すぎた。今年八月、陵墓の上の荊の木で、周囲七寸二分の一本が切り取られた。司徒と太常は道路を駆け回り、事柄が小さいと知りながらも、審理と弾劾が予測困難であるため、騒ぎ立て奔走し、それぞれが責任を免れようと競い合い、今も太常は拘束が解かれていない。近ごろ太祝署で火災が発生し、建物三間半が焼けた。署は宗廟の北にあり、道路を隔てて二重の塀の内側にあり、また既に鎮火していたが、頻繁に詔勅によって問い質された。担当者は詔勅による問い質しが頻繁であることを理由に、尚書が直ちに巡視しなかったと責め、勝手に拘束し、尚書を免職したが、これらは全て法の外にある。

原文去八年,奴聽教加誣周龍燒草,廷尉遂奏族龍,一門八口並命。會龍獄翻,然後得免。考之情理,准之前訓,所處實重。今年八月,陵上荊一枝圍七寸二分者被斫,司徒太常,奔走道路,雖知事小,而案劾難測,搔擾驅馳,各競免負,於今太常禁止未解。近日太祝署失火,燒屋三間半。署在廟北,隔道在重牆之內,又即已滅,頻為詔旨所問。主者以詔旨使問頻繁,便責尚書不即案行,輒禁止,尚書免,皆在法外。

刑罰に関する条文には限りがあるが、過ちや違反の原因は様々である。それゆえ臨時に議論して処断する制度があり、確かに全てを常軌に従わせることはできない。しかしこのような事例は、全て過剰であり、常に逼迫され、道理に従うことができず、上は聖朝の画一的な徳を損ない、下は礼を重んじる大臣への信望を損なっている。臣の愚見では、陵墓の上の草木を犯したとしても、兄弟姉妹に異なる刑罰を科す制度を用いるべきではない。巡視して上奏し弾劾するには、一定の基準があるべきであり、受け継がれるうちに事務が重くなり、体例が損なわれている。あるいは他の事柄によって、軽重の余地が生じている。

原文刑書之文有限,而舛違之故無方,故有臨時議處之制,誠不能皆得循常也。至於此等,皆為過當,每相逼迫,不得以理,上替聖朝畫一之德,下損崇禮大臣之望。臣愚以為犯陵上草木,不應乃用同產異刑之制。按行奏劾,應有定準,相承務重,體例遂虧。或因余事,得容淺深。

劉頠はこの上表をしたが、不当な議論は依然として止まなかった。当時、劉頌が三公尚書であり、また上疏して言った。

原文頠雖有此表,曲議猶不止。時劉頌為三公尚書,又上疏曰:

近世以来、法は次第に門戸が多くなり、法令は甚だしく統一されていない。臣は今、刑罰の断罪を掌る職にあり、その憂いを思う。謹んで全てを啓上し聞かせる。

原文自近世以來,法漸多門,令甚不一。臣今備掌刑斷,職思其憂,謹具啟聞。

臣はひそかに考えるに、陛下が政務を執られるにあたり、常に完全を尽くされようとされるため、事柄を曲げて妥当に求められると、先例が正しく行われず、完全を尽くされようとされると、法が完全に保たれない。なぜか。そもそも法とは、道理を尽くすことを以て法とするものである。上で完全を尽くそうと求めれば、下々の者は条文にこだわり意に沿わせ、君主が許容するところに合わせようとする。それゆえ法は完全に保たれないのである。刑罰の条文は文面を徴証とするが、文面を徴証とすれば必ず情理や聞き取りの判断に背くことがある。上で曲げて妥当であると安んじれば、公平を執ろうとする者は条文を引き合いに出し、二つの解釈を生じさせる。これが法の門戸が多く、法令が統一されない状態であり、役人は守るべきものを知らず、下々の者は避けるべきものを知らない。奸偽の者は法の門戸が多いことを利用して、自分の感情を売り込み、望むところの軽重を図る。もし判断が統一されなければ、上に立つ者は下を監督しにくくなり、それゆえ事柄が同じでも議論が異なり、獄訟が公平でなくなり、法を傷つけることになる。

原文臣竊伏惟陛下為政,每盡善,故事求曲當,則例不得直;盡善,故法不得全。何則?夫法者,固以盡理為法,而上求盡善,則諸下牽文就意,以赴主之所許,是以法不得全。刑書徵文,徵文必有乖於情聽之斷,而上安于曲當,故執平者因文可引,則生二端。是法多門,令不一,則吏不知所守,下不知所避。奸偽者因法之多門,以售其情,所欲淺深,苟斷不一,則居上者難以檢下,於是事同議異,獄犴不平,有傷於法。

古人に言う。「君主が細部にこだわると、その政治は乱れる。君主が大綱を期すると、その事柄は治まる。」細部にこだわるとは、他でもない、完全を尽くそうとすれば法が傷つくため、その政治が乱れるのである。大綱を期するとは、軽重が妥当であり、情理に満足しなくても、一旦条文に入ればそれに従って行うため、その事柄が治まるのである。法を善く用いる者は、情理に背き聞き入れがたい判断を忍び、軽重が人心に允っていなくても、凡庸な見解を通して、もし実行できないと思われるならば、法は初めて正されるのである。また君臣の分けは、それぞれに司るものがある。法は必ず奉じられるべきであるため、担当者に条文を守らせる。道理に行き詰まりがあるため、大臣に滞りを解かせる。事柄に時宜があるため、君主が権限を持って断じる。担当者が条文を守るとは、張釈之が天子の行列を犯した者を公平に裁いたようなものである。大臣が滞りを解くとは、公孫弘が郭解の獄を裁いたようなものである。君主が権限を持って断じるとは、漢の高祖が丁公を誅殺したようなものである。天下の万事は、この格が重んじられるものでない限り、この類いに近似しないため、恣意的に議論を出すことはできず、その他は全て律令に従って事に当たるべきである。そうして初めて法は下々に信頼され、人々の聞くところは惑わされず、役人は奸を許さず、政治を語ることができる。君主がこの格に従って群臣を責め、大臣も小吏もそれぞれその職分を守れば、法は統一されるのである。

原文古人有言:「人主詳,其政荒;人主期,其事理。」詳匪他,盡善則法傷,故其政荒也。期者輕重之當,雖不厭情,苟入于文,則循而行之,故其事理也。夫善用法者,忍違情不厭聽之斷,輕重雖不允人心,經於凡覽,若不可行,法乃得直。又君臣之分,各有所司。法欲必奉,故令主者守文;理有窮塞,故使大臣釋滯;事有時宜,故人主權斷。主者守文,若釋之執犯蹕之平也;大臣釋滯,若公孫弘斷郭解之獄也;人主權斷,若漢祖戮丁公之為也。天下萬事,自非斯格重為,故不近似此類,不得出以意妄議,其餘皆以律令從事。然後法信於下,人聽不惑,吏不容奸,可以言政。人主軌斯格以責群下,大臣小吏各守其局,則法一矣。

古人に言う。「善く政を為す者は、人を見て教えを設ける。」人を見て教えを設けるとは、法を制定することを言う。また言う。「時宜に随う」とは、当面の急務を言う。しかしながら、人を見て時宜に随うことは、大局においてであり、その法を制定するのである。法の軌範が既に定まればそれを実行し、実行する信頼は四季の如く、執り行う堅固さは金石の如くである。群吏がどうして既成の制度の内にあって、再び時宜に随うことを称し、傍らから人を見て教えを設けることを引き合いに出し、政典を乱すことがあろうか。なぜか。制度を制定し始めた当初に、既に人を見て時宜に随っていたのである。今もし法の設定が未だ完全に妥当でなければ、改めるべきである。もし既に善いと考えるならば、全てを制度とせず、奉じて用いる役所が公然と出入りして軽重に差をつけることを許すべきではない。人君が天下と共にするものは、法である。既に四海に令を出した以上、信頼できないものを以て教えとすることはできず、天下が軽んじないことを求める以上、信頼できない法で縛ることはできない。かつて先識者が言ったように、人は愚かであっても欺くことはできない。平時に法の意に背いて断じ、百姓の願いに勝てないとは言わないのである。

原文古人有言:「善為政者,看人設教。」看人設教,制法之謂也。又曰:「隨時之宜」,當務之謂也。然則看人隨時,在大量也,而制其法。法軌既定則行之,行之信如四時,執之堅如金石,群吏豈得在成制之內,復稱隨時之宜,傍引看人設教,以亂政典哉!何則?始制之初,固已看人而隨時矣。今若設法未盡當,則宜改之。若謂已善,不得盡以為制,而使奉用之司公得出入以差輕重也。夫人君所與天下共者,法也。已令四海,不可以不信以為教,方求天下之不慢,不可繩以不信之法。且先識有言,人至遇而不可欺也。不謂平時背法意斷,不勝百姓願也。

上古においては事を議して制を定め、刑辟(刑法)を設けなかった。夏・殷・周の時代には、法令を象魏(宮門の両側の楼)に掲示した。三代の君主は皆聖明であったが、いずれも状況に応じて妥当に裁断する妙鑑を捨て、条文をそのまま適用する直截な基準に任せた。聖人に違いがあったわけではなく、遭遇した状況が異なっていたのである。今、時代は敦朴(質朴)を尊び、中古には及ばないのに、公平を執ろうとする者が、人情の安んじる所に合わせようとし、自ら「事を議して制を定める」ことに託している。臣は、聞くところは美しいが、道理を論じれば違っていると思う。しかし天下は極めて大きく、事務は多種多様で、時に法令の条文通りに全て従うことができない場合がある。それ故、臣は格(基準)を立てて限界とし、担当者が条文を遵守し、生死をもそれによって決し、既成の制度の外で思案を巡らせて軽重に差を生じさせないようにすべきだと考える。そうすれば法は常に完全に保たれる。事柄に正しい根拠がなく、名例(総則規定)にも及ばない場合は、大臣が議論して妥当な判断を下し、滞りを解消すれば、事は妨げられない。非常時の断罪、法を超えた賞罰、例えば漢の高祖が楚の臣下(丁公)の私的な恩義を理由に誅し、趙氏(趙佗)の功績がないのに封じたようなことは、君主のみが専権をもつものであり、職務を奉ずる臣下が擬議すべきことではない。そうすれば、私情による依頼や請託の形跡は絶え、似て非なる上奏は塞がれ、これこそが法を整える大きな基準である。担当の下級官吏は、事を処理するのに一定の基準がない。なぜか。情がなければ法はただ厳格に適用されるだけで、情があれば法は曲げられる。厳格さを積み重ねると私心がないように見えるが、実はそれによって私利を得ており、また常に身を守るための盾としている。判断が常に厳格であれば、世間は公平を尽くしていると言うが、時に一度法を曲げても、疑われることはない。それ故、君主は、深く公平に見える判断を頼りとせず、法令の条文通りに守る上奏を責めるべきである。そうして初めて規律が保たれる。これもまた法を公平にする一つの方策である。

原文上古議事以制,不為刑辟。夏殷及周,書法象魏。三代之君齊聖,然咸棄曲當之妙鑒,而任徵文之直准,非聖有殊,所遇異也。今論時敦樸,不及中古,而執平者欲適情之所安,自托於議事以制。臣竊以為聽言則美,論理則違。然天下至大,事務眾雜,時有不得悉循文如令。故臣謂宜立格為限,使主者守文,死生以之,不敢錯思于成制之外,以差輕重,則法恆全。事無正據,名例不及,大臣論當,以釋不滯,則事無閡。至如非常之斷,出法賞罰,若漢祖戮楚臣之私己,封趙氏之無功,唯人主專之,非奉職之臣所得擬議。然後情求傍請之跡絕,似是而非之奏塞,此蓋齊法之大准也。主者小吏,處事無常。何則?無情則法徒克,有情則撓法。積克似無私,然乃所以得其私,又恆所岨以衛其身。斷當恆克,世謂盡公,時一曲法,乃所不疑。故人君不善倚深似公之斷,而責守文如令之奏,然後得為有檢,此又平法之一端也。

法を超えて権宜の措置をとり、一事に適用する指針を定めることは、人情に合い聞き入れられ、耳目に快く、確かに臨機応変に意に適う痛快さがあり、条文に拘って人心に允わないよりは勝っている。しかし、これを経常の制度として起こし、長年にわたって適用すれば、常に一を得て十を失うことになる。それ故、小さな利益を得る者は、必ず大きな損失を被り、近くで漏れるものがあれば、必ず遠くに及ぶ。それ故、事に精通し大体をわきまえる者は、軽重をよく権衡し、小さなことで大きなことを害さず、近いことで遠いことを妨げない。近くに適った曲当(状況に合わせた裁断)を忍び、簡潔で直截な大きな基準を全うする。凡俗の聞き入れやすいことに引きずられず、必ず条文を守って正しい例(判例)を立てる。事に臨むごとに、常にこの心を持って決断する。これもまた法の大要である。

原文夫出法權制,指施一事,厭情合聽,可適耳目,誠有臨時當意之快,勝於徵文不允人心也。然起為經制,經年施用,恆得一而失十。故小有所得者,必大有所失;近有所漏者,必遠有所苞。故諳事識體者,善權輕重,不以小害大,不以近妨遠。忍曲當之近適,以全簡直之大准。不牽於凡聽之所安,必守徵文以正例。每臨其事,恆禦此心以決斷,此又法之大概也。

また、律法によって罪を断ずるには、皆、法律令の正文に基づくべきであり、もし正文がなければ、名例(総則規定)に依拠して断罪する。その正文や名例が及ばない事柄については、全て論罪しない。法吏以上の者は、執るところが異なれば、異議を唱えることができる。律の条文に照らし、法を守る官吏は、ただ律令を奉じて用いるべきである。法律の範囲内で、見解が異なる場合に限り、異議を唱えることができるのである。今、法曹・郎・令史に限り、意見が異なれば駁議(反論)を提出できるが、ただ法律を論釈して、下された判決を正すことのみを許し、外部に援用を求めて、時宜に応じた議論をし、法官が職分を守ることを明らかにしてはならない。

原文又律法斷罪,皆當以法律令正文,若無正文,依附名例斷之,其正文名例所不及,皆勿論。法吏以上,所執不同,得為異議。如律之文,守法之官,唯當奉用律令。至於法律之內,所見不同,乃得為異議也。今限法曹郎令史,意有不同為駁,唯得論釋法律,以正所斷,不得援求諸外,論隨時之宜,以明法官守局之分。

詔がこの件を下した。侍中・太宰・汝南王司馬亮が上奏して言うには、「礼は世を教化し、法は俗を整えるものであり、政治教化の根本は、事実これによる。もし断ずべきを断ぜず、常に軽重を随意にすれば、王の憲法は統一されず、人は拠り所を失う。それ故、人を観て教えを設けるのは、上に立つ者の挙措であり、条文を守り法を直截に適用するのは、臣下・官吏の節度である。臣は、去る太康八年より、事に随って異議を唱えてきた。周が象魏に法令を掲げ、漢が画一の法を称えたのは、まさに法は時代と共にあるべきで、その意義が二つあってはならないからである。今、法は既に定まっているのに、法について議論すれば、長所を開くことになり、裴頠の上啓の通り、永久の制度とすべきであると思う」。そこで門下は三公に命じて言った、「昔、先王は事を議して制を定めたが、中古以来、法を執って事を断ずるようになり、既に立法した以上、誠に法外の小さな善を再び求めるべきではない。もし常に善によって法を奪えば、人は善を追って法を忌憚しなくなり、その害は法がないよりも甚だしい。上啓の事案によれば、法令による断罪を統一し、事に二つの門戸がないようにし、郎・令史以下が、再び法を超えて駁議を提出する場合は、事に随って上聞すべきである」。

原文詔下其事。侍中、太宰、汝南王亮奏以為:「夫禮以訓世,而法以整俗,理化之本,事實由之。若斷不斷,常輕重隨意,則王憲不一,人無所錯矣。故觀人設教,在上之舉;守文直法,臣吏之節也。臣以去太康八年,隨事異議。周懸象魏之書,漢詠畫一之法,誠以法與時共,義不可二。今法素定,而法為議,則有所開長,以為宜如頌所啟,為永久之制。」於是門下屬三公曰:「昔先王議事以制,自中古以來,執法斷事,既以立法,誠不宜復求法外小善也。若常以善奪法,則人逐善而不忌法,其害甚於無法也。案啟事,欲令法令斷一,事無二門,郎令史已下,應復出法駁案,隨事以聞也。」

元帝

原文元帝

江左に至り、元帝が丞相であった時、朝廷は草創期で、判決が法律に従わず、人々がそれぞれ異議を立て、軽重に規律がなかった。主簿の熊遠が上奏して言った。

原文及于江左,元帝為丞相時,朝廷草創,議斷不循法律,人立異議,高下無狀。主簿熊遠奏曰:

礼は善を崇め、法は非を防ぐ。それ故、礼には不変の典則があり、法には不変の防ぎがあり、人は悪を知って邪心を持たない。それ故、周は象魏の制度を建て、漢は画一の法を創始し、それによって大道を闡明し弘めて、刑罰を廃するに至った。律令の制定は、由来が古い。賢智を経て、夷険(平穏と危険)を歴て、時宜に応じて斟酌され、最も周到に備わっている。軍興(戦乱)以来、法度は廃れ、事を処理するのに律令を用いず、競って属命(上官の命令)を作り、人々がそれぞれ異議を立て、物情(事情・人情)に曲げて合わせ、大原則を損なっている。府が節度(規則)を立てても、また奉じて用いず、事に臨んで制度を改め、朝に作り夕に改め、ついには担当者が法に任せることができず、毎度関わって諮問し、高官に委ねるようになり、政治の体をなしていない。もし本曹(担当部署)の処事が法令に合わなければ、監司は法によって違反を弾劾すべきであり、勝手に開塞(適用・不適用)を動かして、成事を壊してはならない。そもそも法は粗末な術であって、妙なる道ではなく、物情を矯正して割り切り、法を成り立たせるものである。もし毎度物情に随って法制を改めれば、これは情によって法を壊すことになる。法が統一されないのは、多門(出入り口が多い)と言い、人事の道を開き、私的な請託の端緒を広げるもので、先王が法を立てた本意ではない。凡そ駁議を為す者は、もし律令の節度に違反するなら、経伝および前例・故事に合致させるべきであり、勝手な感情で既成の法を破ってはならない。愚かにも、録事に命じて更に条制を立て、諸々の議を立てる者は皆、律令・経伝を引用すべきであり、直接に情のみを言って、依拠する基準がなく、旧典を損なうことがないようにすべきであると思う。もし開塞を時宜に随って行い、権道をもって物事を制するのは、これは人君が行うべきことであり、臣子が専ら用いるべきではない。担当者はただ条文を求め法に拠り、事実をもって判断すべきである」。

原文禮以崇善,法以閑非,故禮有常典,法有常防,人知惡而無邪心。是以周建象魏之制,漢創畫一之法,故能闡弘大道,以至刑厝。律令之作,由來尚矣。經賢智,曆夷險,隨時斟酌,最為周備。自軍興以來,法度陵替,至於處事不用律令,競作屬命,人立異議,曲適物情,虧傷大例。府立節度,復不奉用,臨事改制,朝作夕改,至於主者不敢任法,每輒關咨,委之大官,非為政之體。若本曹處事不合法令,監司當以法彈違,不得動用開塞,以壞成事。按法蓋粗術,非妙道也,矯割物情,以成法耳。若每隨物情,輒改法制,此為以情壞法。法之不一,是謂多門,開人事之路,廣私請之端,非先王立法之本意也。凡為駁議者,若違律令節度,當合經傳及前比故事,不得任情以破成法。愚謂宜令錄事更立條制,諸立議者皆當引律令經傳,不得直以情言,無所依准,以虧舊典也。若開塞隨宜,權道制物,此是人君之所得行,非臣子所宜專用。主者唯當徵文據法,以事為斷耳。

この時、帝は権宜に事を行っており、まだ従うことができなかった。そして河東の衛展が晉王(当時の元帝)の大理となり、故事を調査摘発して人情に合わないものがあり、また上書して言った。

原文是時帝以權宜從事,尚未能從。而河東衛展為晉王大理,考擿故事有不合情者,又上書曰:

今施行されている詔書には、子を拷問して父の死刑を正すものや、父母を鞭打って子の所在を問うものがある。最近、担当者が称える『庚寅詔書』には、一家全員が逃亡した場合は家長を斬るとある。もし家長が逃亡の主犯であれば、斬刑は重くてもまだ許される。仮に子孫が罪を犯し、祖父や父の逃亡を拷問しようとする場合、逃亡したのは子孫なのに、父や祖父がその残酷な刑に遭う。順(親孝行の道)を傷つけ教えを破るようなことが多い。互いに隠し合う道が離れれば、君臣の義は廃れる。君臣の義が廃れれば、上を犯す奸が生じる。秦の法網は密で条文は峻厳であったが、漢が興ると、煩瑣苛酷を掃除し、風俗が移り変わり、ほとんど刑罰が廃されるに至った。大人(君主)が革命を起こすには、その穢れや隠匿を蕩除し、その壊れ滞ったものを通じさせねばならない。今、詔書で除くべきものが多く、当今に便益のあるものは、正条として定着させれば、法は少し簡易になる」。元帝は令を下して言った、「礼楽が興らなければ、刑罰は中らない。それ故、罰を明らかにし法を整えることは、先王が慎重にしたことである。元康以来、事故が重なり、法禁は蔓延している。大理の上奏した件は、朝堂で会議し、用いることのできない詔書を除去すべきである。これは孤が虚心に待つところである」。

原文今施行詔書,有考子正父死刑,或鞭父母問子所在。近主者所稱《庚寅詔書》,舉家逃亡家長斬。若長是逃亡之主,斬之雖重猶可。設子孫犯事,將考祖父逃亡,逃亡是子孫,而父祖嬰其酷。傷順破教,如此者眾。相隱之道離,則君臣之義廢。君臣之義廢,則犯上之奸生矣。秦網密文峻,漢興,掃除煩苛,風移俗易,幾于刑厝。大人革命,不得不蕩其穢匿,通其圮滯。今詔書宜除者多,有便於當今,著為正條,則法差簡易。」元帝令曰:「禮樂不興,則刑罰不中,是以明罰敕法,先王所慎。自元康已來,事故薦臻,法禁滋漫。大理所上,宜朝堂會議,蠲除詔書不可用者,此孤所虛心者也。

帝が即位すると、衛展は廷尉となり、また上言した。「古の肉刑は、前聖の時代を経た事柄であり、漢の文帝がこれを除き、大辟(死刑)を増やした。今、人戸は凋落荒廃し、百に一も残らず、しかも刑法が峻重であるのは、越王句践が胎児を養った精神に合わない。愚かにも、古制を復活して施行し、太平の教化を盛んにすべきであると思う」。詔して内外に通議させた。

原文及帝即位,展為廷尉,又上言:「古者肉刑,事經前聖,漢文除之,增加大辟。今人戶凋荒,百不遺一,而刑法峻重,非句踐養胎之義也。愚謂宜復古施行,以隆太平之化。」詔內外通議。

そこで驃騎将軍王導おうどう・太常賀循・侍中紀瞻・中書郎庾亮ゆりょう・大将軍諮議参軍梅陶・散騎郎張嶷らが議論して言った。

原文於是驃騎將軍王導、太常賀循、侍中紀瞻、中書郎庾亮、大將軍諮議參軍梅陶、散騎郎張嶷等議以:

肉刑の法典は、その由来が古くから尊ばれてきた。太古の昔から始まり、三代に至るまで、聖哲明王が改めたことはなかった。どうして漢の文帝のような常主が容易に変えられるものだろうか!当時、蕭何や曹参はすでに亡く、絳侯や灌嬰の徒はその正義を正すことができなかった。班固が深くこの事を論じたところによれば、外には軽刑の名がありながら、内実は人を殺すものであるという。また死刑は重すぎ、生刑は軽すぎ、生刑は上で放縦され、死刑は下で怨まれる。軽重が当を得ず、だから刑政が中正でないのだ。そもそも先王が刑を作ったのは、過ちを怒るためではなく、人を残虐にするためでもなく、奸悪を救い、罪に相当させるためであった。今、盗みをする者は人の財を窃み、淫らな者は人の色を好み、逃亡する者は反乱の役を避けるが、いずれも殺害はしていない。それなのに刑を加える。刑を加えれば止むのに、斬戮を加えるのは、戮が罪を超え、死は生き返らず、ここに虐げを放縦し、毎年膨大な数に上る。これは仁人君子が聞くに忍びないことであり、ましてや政治において行うことだろうか!もしその名に惑わされて実質を練らず、生を憎んで死に急ぐならば、これは水を恐れて舟に飛び込み、穴を避けて井戸に踏み込むようなもので、愚かな者にも及ばず、政治において何の取り柄があろうか!今、大晉が中興し、古典に従って復し、旧章に則り、千年の停滞した義を起こし、百の残された民を救い、皇典が廃れて再び存し、黔首が死んで更に生き返らせ、至義が三代の間に暢び、遺風が百世の後に播く。生肉と枯骨に、恵みが造化に等しく、なんと素晴らしいことではないか!惑える者は、死ですら懲戒にならないのに、ましてや刑罰がどうして懲戒になろうか、と言う。しかし人は冥であり、極めて愚かである。たとえ斬戮を加えられても、忽ち灰土となり、死んだことは日々過ぎ去り、生きたい欲求は日々存続し、改めることにはならない。もし刑を市朝で行い、朝夕に鑑戒とし、刑を受けた者は悪を為した永遠の痛みを詠じ、悪を為す者は残刖の長い廃人を見て、十分に恐れるのである。そうして初めて、先王が軽刑をもって物を統御し、顕かな誡めをもって愚を懲らしめる道理が遠大であることを知るのである。

原文肉刑之典,由來尚矣。肇自古先,以及三代,聖哲明王所未曾改也。豈是漢文常主所能易者乎!時蕭曹已沒,絳灌之徒不能正其義。逮班固深論其事,以為外有輕刑之名,內實殺人。又死刑太重,生刑太輕,生刑縱於上,死刑怨於下,輕重失當,故刑政不中也。且原先王之造刑也,非以過怒也,非以殘人也,所以救奸,所以當罪。今盜者竊人之財,淫者好人之色,亡者避叛之役,皆無殺害也,則加之以刑。刑之則止,而加之斬戮,戮過其罪,死不可生,縱虐於此,歲以巨計。此乃仁人君子所不忍聞,而況行之於政乎!若乃惑其名而不練其實,惡其生而趣其死,此畏水投舟,避坎蹈井,愚夫之不若,何取於政哉!今大晉中興,遵復古典,率由舊章,起千載之滯義,拯百殘之遺黎,使皇典廢而復存,黔首死而更生,至義暢於三代之際,遺風播乎百世之後,生肉枯骨,惠侔造化,豈不休哉!惑者乃曰,死猶不懲,而況于刑?然人者冥也,其至愚矣,雖加斬戮,忽為灰土,死事日往,生欲日存,未以為改。若刑諸市朝,朝夕鑒戒,刑者詠為惡之永痛,惡者睹殘刖之長廢,故足懼也。然後知先王之輕刑以禦物,顯誡以懲愚,其理遠矣。

尚書令の刁協、尚書の薛兼らが議して、次のように考えた。

原文尚書令刁協、尚書薛兼等議,以為:

聖上が残された荒廃した民を悼み、死罪に犯す者が多いことを傷み、刖刑を行って死刑に代え、死罪に犯した者を生かしておこうとされるならば、天下の民は更生の恩恵を受け、民衆は必ず恩を感じて教化に帰するでしょう。今、中興の運は隆盛し、天命は新たであり、誠に寛大な法を設けて人を育てるべきです。しかし、群小が愚かで蔽われ、慣れ親しんだ見解にふけって異なる意見を軽んじ、あるいは皆が服さないかもしれないことを恐れます。愚かながら思うに、刑を行う時、まず法令を明らかに申し立て、刑を喜ぶ者には刖刑を、死を甘んじる者には殺刑を、とすれば、心は必ず服するでしょう。古典では刑は大夫に上らず、今、士人に犯す者があるならば、旧制のように刑例に含めないのが、進退ともに妥当であると考えます。

原文聖上悼殘荒之遺黎,傷犯死之繁眾,欲行刖以代死刑,使犯死之徒得存性命,則率土蒙更生之澤,兆庶必懷恩以反化也。今中興祚隆,大命惟新,誠宜設寬法以育人。然懼群小愚蔽,習玩所見而忽異聞,或未能咸服。愚謂行刑之時,先明申法令,樂刑者刖,甘死者殺,則心必服矣。古典刑不上大夫,今士人有犯者,謂宜如舊,不在刑例,則進退為允。

尚書の顗、郎曹の彦、中書郎の桓彝らが議して、次のように考えた。

原文尚書顗、郎曹彥、中書郎桓彝等議,以為:

肉刑を復活させて死に代えることは、誠に聖王の至徳であり、哀れみ深い広大な私心である。しかし、ひそかに思うに、刑罰の軽重は時勢に応じて作られるものである。時に人が罪少なく威圧しやすいならば、軽くして寛大にする。時に人が罪多く威圧しにくいならば、刑を教化に用いて救済すべきである。肉刑は平世に立てるべきものであり、弊害を救うのに適したものではない。今、聖化は草創期にあり、人は奸悪が余っており、悪に慣れた徒は非行をやめず、首を切り絞めても、まだ禁じることができないのに、さらに足を断ち鼻を削ぎ、刑罰を軽くして、悪を為そうとする者に寛刑を軽々しく犯させ、罪を踏む者をさらに多くするのは、刑を軽くして人を罪に誘い込み、その身を残して楚の酷刑を加えるようなものである。かつて死刑を恐れて善人となった者は、今や皆軽刑を犯してその身を傷つけ、重い刑を恐れる普通の人々は、かえって軽い刑を犯して囚われの身となる。これは常人を断刖して恩仁とするのと何が異なろうか!刑を受ける者が転じて広がり、非行を為す者が日増しに多くなり、義足は高く履物は安くなり、鼻のある者は醜いとされる。軽刑の名ばかりで、実は悪を長くする源を開くことになる。殺しをもって殺しを止めるに如かず、重い刑で軽い刑を全うさせ、権宜的に小休止するのがよい。聖化が次第に顕著になり、民衆が威圧しやすくなる日を待って、徐々に施行すべきです。

原文復肉刑以代死,誠是聖王之至德,哀矜之弘私。然竊以為刑罰輕重,隨時而作。時人少罪而易威,則從輕而寬之;時人多罪而難威,則宜化刑而濟之。肉刑平世所應立,非救弊之宜也。方今聖化草創,人有餘奸,習惡之徒,為非未已,截頭絞頸,尚不能禁,而乃更斷足劓鼻,輕其刑罰,使欲為惡者輕犯寬刑,蹈罪更眾,是為輕其刑以誘人於罪,殘其身以加楚酷也。昔之畏死刑以為善人者,今皆犯輕刑而殘其身,畏重之常人,反為犯輕而致囚,此則何異斷刖常人以為恩仁邪!受刑者轉廣,而為非者日多,踴貴屨賤,有鼻者醜也。徒有輕刑之名,而實開長惡之源。不如以殺止殺,重以全輕,權小停之。須聖化漸著,兆庶易威之日,徐施行也。

議が奏上されると、元帝はなおも展の上奏に従おうとした。大將軍の王敦は「百姓の習俗は日が長く、突然肉刑を復活させれば、必ず遠近を驚かせる。しかも逆寇がまだ滅びていないので、惨酷な評判を天下に聞かせるべきではない」と考えた。そこでやめた。

原文議奏,元帝猶欲從展所上。大將軍王敦以為:「百姓習俗日久,忽復肉刑,必駭遠近。且逆寇未殄,不宜有慘酷之聲,以聞天下。」於是乃止。

元帝の後

原文元帝之後

咸康の世、庾冰ゆひょうは糾察を好み、繁細に近かったが、後にはますます矯違し、再び寛縱を存し、疏密は自由で、律令は用をなさなくなった。

原文咸康之世,庾冰好為糾察,近於繁細,後益矯違,復存寬縱,疏密自由,律令無用矣。

安帝の元興の末に至り、桓玄が政を輔けると、また肉刑と左右の趾を斬る法を復活させ、死刑を軽くしようと議し、百官に議論させた。蔡廓が上議して言った。「国を建て法を立て、教えを弘めて化を和らげるには、必ず時勢に応じて制度を置き、徳と刑を兼ねて施す。貞一を長くしてその邪を防ぎ、教禁をもってその怠慢を検し、湛露を洒いで潤いを流し、厳霜を励まして威を粛しくする。質と文が繰り返し用いられても、この道は変わらない。肉刑の設置は、哲王に始まる。昔の世は風俗が淳朴で、人が多く惇謹であり、図像が既に陳べられれば機心は直ちに収まり、刑人が道にいれば不逞の輩は操行を改めた。だからこそ残虐に勝ち殺戮を去り、教化が隆盛して無為となった。末世は澆薄で偽りが多く、網を設けてますます密になり、利巧の心は日々増し、恥じ畏れる情は転じて少ない。終身の重い労役でも、その奸悪を止めるのに足りず、ましてや黥や劓刑がどうして善に戻れようか。ただ酸惨な声があるだけで、世俗を救う益はない。棄市の条に至っては、実は赦さざる罪ではなく、事が手ずからの殺害でなくても、律を考うれば同じ帰結であり、軽重を均しく科し、減刑降格の道が塞がれている。鐘繇や陳羣がこれに対して抗言し、元皇帝が留め哀れんだ所以である。今、英明な輔弼が翼賛し、その道は伊尹や周公に遠く及ぶ。誠に刑を用いることを明らかに慎み、人を愛し育てを弘め、哀れみを申し立てて濫用を改め、大辟を肢体に移し、性命の最も重いものを全うし、将来のために繁息を恢めるべきである。」しかし孔琳之の議は異なり、王朗や夏侯玄の主旨を用いた。当時の議論は多く琳之と同じであったので、遂に行われなかった。

原文至安帝元興末,桓玄輔政,又議欲復肉刑斬左右趾之法,以輕死刑,命百官議。蔡廓上議曰:「建邦立法,弘教穆化,必隨時置制,德刑兼施。長貞一以閑其邪,教禁以檢其慢,灑湛露以流潤,厲嚴霜以肅威,雖復質文迭用,而斯道莫革。肉刑之設,肇自哲王。蓋由曩世風淳,人多惇謹,圖像既陳,則機心直戢,刑人在塗,則不逞改操,故能勝殘去殺,化隆無為。季末澆偽,設網彌密,利巧之懷日滋,恥畏之情轉寡。終身劇役,不足止其奸,況乎黥劓,豈能反於善。徒有酸慘之聲,而無濟俗之益。至於棄市之條,實非不赦之罪,事非手殺,考律同歸,輕重均科,減降路塞,鐘陳以之抗言,元皇所為留湣。今英輔翼贊,道邈伊周,誠宜明慎用刑,愛人弘育,申哀矜以革濫,移大辟于支體,全性命之至重,恢繁息於將來。」而孔琳之議不同,用王朗、夏侯玄之旨。時論多與琳之同,故遂不行。

校勘記

原文校勘記