○山陵
○山陵
十二月、礼部が葬祭の儀式を進上した。発引の三日前、百官は斎戒する。官を遣わして葬期を天地宗社に告げ、皇帝は衰服して几筵に告げ、皇太子以下は皆衰服して班に随い礼を行う。百官は衰服して一日に一度臨み、発引までとする。前日、官を遣わして金水橋・午門・端門・承天門・大明門・徳勝門及び経過する河橋・京都で祀るべき神祇及び経過する祀るべき神祠を祭り、儀式には酒果肴饌を用いる。この夕、辞奠を設け、帝后太子以下は皆衰服し、順序に従って祭る。司礼監・礼部・錦衣衛が執事者に命じて大昇輿を設け、葬儀を午門外及び大明門外に陳列する。将に発せんとするに、啓奠を設ける。皇帝及び皇太子以下は衰服して四拝する。帛を奠め、酒を献じ、祝を読み、四拝する。哀を挙げ、興り、哀止み、瘞を望む。執事者が昇り、帷幄を徹し、梓宮を拭い、龍輴を几筵殿下に進める。神亭・神帛輿・諡冊宝輿を丹陛上に設け、祖奠を啓奠の儀の如く設ける。皇帝は梓宮前に詣り、西に向かって立つ。皇太子・親王は次第に侍立する。内侍は梓宮前で奏し、霊駕の進発を請い、冊宝・神帛を捧げて輿中に置く。次に銘旌が出る。執事官が梓宮を昇り、内執事が翣を持ち左右に蔽う。殿を降り、内侍官が梓宮の龍輴への昇ることを請い、執事官が彩帷をもって梓宮を幕し、内侍が傘扇を持ち儀式の如く侍衛する。旧御儀仗が前に居り、冊宝・神帛・神亭・銘旌が次第に行く。皇帝は殿左門より出で、后妃・皇太子・親王及び宮妃が後に随う。午門内に至り、遣奠を設け、祖奠の儀の如くする。内侍が霊駕の進発を請い、皇帝以下は哭して哀を尽くし、皆還宮する。梓宮が午門外に至ると、礼官が梓宮の大昇輿への昇ることを請う。執事官が昇輿を奉じて終わり、礼官が霊駕の進発を請う。皇太子・親王以下は哭して端門外まで送り出し、辞祖の礼を行う。執事官が褥位を太廟の帛香案前に設ける。皇太子は常服に易え、神帛を捧げ、左門より入り、褥位に至り跪き、神帛を褥に置き、興り、神の後に正立して跪く。礼官が左に跪き、奏して太宗体天弘道高明広運聖武神功純仁至孝文皇帝の謁辞とす。皇太子は俯伏し、興る。賛して五拝三叩頭終わり、皇太子は神帛を捧げて興り、礼官に授ける。礼官が輿中に安め、霊駕の進発を請う。皇太子はなお喪服し、親王以下は随行する。梓宮は大明中門より出で、皇太子以下は左門より出で、歩行して徳勝門外まで送り、馬に乗って陵に至り、途上で朝夕哭奠臨する。諸王以下及び百官・軍民耆老・四品以上の命婦は、順序に従って沿道に祭を設ける。文武官で山陵の執事に係らざる者は悉く還る。陵に至り、執事官は先ず龍輴を献殿門外に陳列し、大昇輿の至るを俟つ。礼官が霊駕の輿を降り、龍輴に昇り献殿に詣ることを請う。執事官が梓宮を奉じて入り、皇太子・親王は左門より入り、安奉終わり、安神の礼を行う。皇太子は四拝し、興り、酒を奠め、祝を読む。俯伏し、興り、四拝し、哀を挙げる。親王以下は陪拝し、常儀の如し。官を遣わして后土及び天寿山を祀告し、遷奠の礼を設け、上の儀の如くする。将に玄宮を掩わんとするに、皇太子以下は梓宮前に詣り跪く。内侍が霊駕の玄宮に赴くことを請い、執事官が梓宮を奉じて皇堂に入る。内侍が冊宝を捧げて前に置き、明器を陳列し、贈礼を行う。皇太子は四拝し興り、酒を奠め、贈を進める。執事官が玉帛を捧げて右より進め、皇太子は受けて献じ、内執事に授け、捧げて皇堂に入れ安置する。俯伏し、興り、四拝し、哀を挙げ、ここに玄宮を掩う。饗礼を行い、遷奠の儀の如し。官を遣わして后土及び天寿山を祀謝する。香案を玄宮門外に設け、題主案を前に設け、西に向く。皇太子の拜位を前に設け、北に向く。内侍が手を盥ぎ主を奉じて案上に置き、題主官が手を盥ぎ西に向かって題し終わり、内侍が主を奉じて神座に安め、帛箱中に蔵める。内侍が奏して太宗文皇帝の神霊の神主に上ることを請う。賛して四拝し、興り、酒を献じ、祝を読む。俯伏し、興り、四拝し、哀を挙げる。内侍が櫝を啓き主を受け終わり、神主の座を降り輿に昇ることを請う。献殿に至り、奏して神主の輿を降り座に昇ることを請い、初虞の礼を行う。皇太子は四拝し、初献し、帛酒を奠め、祝を読み、俯伏し、興る。亜献・終献し、四拝し、哀を挙げ、瘞を望む。内官が神帛箱を捧げて殿前に埋め、兇器を野に焚く。葬日の初虞、柔日の再虞、剛日の三虞、後に間日ごとに一虞、九虞で止む。途上では、皇太子が礼を行う。京に還れば、皇帝が礼を行う。
神主将に還らんとするに、内侍が神主の座を降り輿に昇ることを請い、儀仗侍衛は儀式の如し。皇太子は随い、なお朝夕奠する。京に至り、先ず城外に幄次を置き、儀衛を列ね、鼓吹は備えるも作さず。百官は衰服して城外に候し、主が幄次に入れば、百官は序列し、五拝三叩首する。神主が行けば、百官は従う。午門外に至り、皇帝は衰服して午門内で迎え、哀を挙げ、歩行して主を導き几筵殿に昇る。皇帝は殿上に立ち、内侍が神主の輿を降り座に昇ることを請い、安神の礼を行う。皇帝は四拝し、興り、酒を奠め、祝を読む。俯伏し、興り、四拝し、哀を挙げる。皇太子以下は陪拝する。百官は思善門外で儀式の如く礼を行う。明日、百官は奉慰の礼を行う。
卒哭は虞祭後の剛日を用い、礼は虞祭と同じく、ここに朝夕奠を罷む。祔饗は卒哭の明日を用い、太常寺が醴饌を太廟に設け、時饗の儀の如くし、楽は設くるも作さず。儀衛傘扇を午門外に設け、内侍が御輦を几筵殿前に進め、皇帝は衰服して四拝し、哀を挙げる。興り、哀止み、拜位の東に立ち、西に向く。内侍が神主の座を降り輿に昇り、太廟に詣り祔饗することを請う。思善門外に至り、皇帝は祭服に易え、輅に昇り、随って午門外に至り、御輦前に詣り跪く。太常卿が奏して神主の輿を降りることを請い、皇帝は俯伏し、興り、主を捧げて左門より入り、丹陛上に至る。典儀が唱えて「太宗文皇帝廟に謁す」と。廟前に至り、内侍が主を捧げて褥位に至らせ、皇帝は後に八拝礼を行う。毎廟俱に同じ。内侍が主を捧げて北に向かい、太常卿が壇の東に立ち、西に向く。「賜坐」と唱え、皇帝は圭を搢え、神主を奉じて座に安め、拜位に詣り祭礼を行い、時饗の儀の如し。太常卿が奏して神主の几筵に還ることを請い、皇帝は主を捧げて廟左門より出で、御輦に安奉する。皇帝は輅に昇り随い、思善門に至り輅を降り、衰服に易え、随って几筵殿前に至る。内侍が神主の輿を降り座に昇ることを請う。皇帝は殿左門より入り、安神の礼終わり、服を釈して還宮する。明日、百官は素服して奉慰の礼を行う。
大祥に、神主を太廟に奉安し、礼は廟制に詳しい。皇帝は几筵殿を祭告し、皇太后・皇后以下は各々一壇を祭り、王府は官を遣わして共に一壇を祭り、在京の文武官は一壇を祭る。神主が几筵殿を出づるより、内侍は即ち几筵・帷幄を撤し、思善門外で焚く。禫祭には、親王を遣わして陵に詣り礼を行わしむ。
先づ是れ、献陵を営むを詔す。帝、尚書蹇義・夏原吉を召して諭して曰く、「国家は四海の富を以て親を葬る、豈に労費を惜しまんや。然れども古の聖帝明王は皆倹制に従ふ。孝子は其の親の体魄を永久に保たんと思ふも、亦厚葬を欲せざるなり。況んや皇考の遺詔は、天下の共に知る所、宜しく先志に遵ふべし」と。是に於いて寝殿五楹を建て、左右廡神厨各五楹、門楼三楹。其の制は長陵に較べて遠く殺ぎ、皆帝の規画する所なり。吏部尚書蹇義等、祔廟の後、素服にて西角門に御し事を視るを請ふ。孟冬歳暮に至り、時饗の礼を行ふ。鐘鼓を鳴らし、黄袍を以て奉天門に御して朝を視る。禫祭の後、始めて素服を釈く。之に従ふ。
孝宗崩御し、工部言ふ、「大行の遺詔、惓惓として節用愛民を以て本と為す。内府諸司に勅し、凡そ葬儀冥器並びに山陵殿宇は、務めて減省に従はんことを乞ふ」と。礼部言ふ、「百日例に応じて服を変ふべし。但だ梓宮未だ山陵に入らず、請ふらくは仍た素翼善冠・麻布袍服・腰絰を以て、西角門に御し事を視り、鐘鼓を鳴らさず、百官は仍た素服にて朝参すべし」と。之に従ふ。辞霊より虞祔に至るまで、栄王俱に陪列に在り。既にして王疾を以て奏して免る。礼部、駙馬等の官を以て帛を捧げて祖に朝するを請ふ。帝曰く、「祖に朝し帛を捧ぐるは、朕自ら行はん」と。発引、親王は止めて大明門外に送る。其の途に在り及び陵に至りて奠に臨むは、俱に護喪官礼を行ふ。後遂に例と為る。
明は仁宗献陵以後、規制儉約なり。世宗永陵に葬り、其の制始めて侈なり。神宗定陵に葬るに及び、給事中惠世揚・御史薛貞陵工を巡視し、費八百余万に至るといふ。