親征、遣将、禡祭、受降、奏凱献俘、論功行賞、大閲、大射、救日伐鼓
○親征
正徳十四年、帝、宸濠を親征す。礼部、旧の如き祭告儀注を上る。帝、祭祀は俱に官を遣わして代わらしむ。及び疏を上り官を遣わさんことを請うに、旨ありて遣わすなかれ。その詔を頒つも、また旧制の如し。明年十一月、将に凱旋せんとす。礼臣言う、「宸濠悖逆し、皇上親しく六師を統べ、往きてその罪を正すは、宣徳の間、漢の庶人高煦を親征したる故事と同じ。但し一切の礼儀、稽考するに従うこと無し。請う、師還の日、聖駕は正陽門より入り、官を遣わして天地廟社に告謝せしめよ。駕は奉先殿・几筵殿に詣り、謁見畢りて、皇太后に朝見す。次日早く、午門楼に御し、百官朝見し、献俘の礼を行わしむ。日を択びて天下に詔告せしむべし」。十二月、帝、京に還る。百官、正陽門外に迎う。帝、戎服を以て馬に乗りて入る。
○遣将
○禡祭
親征の前期、皇帝及び大将陪祭官は皆一日斎す。前一日、皇帝、通天冠・絳紗袍を服し牲を省み、神廚に詣り、鼎鑊の滌溉を視る。執事、軍牙六纛を廟中の北に設け、軍牙は東、六纛は西、籩豆十二、簠簋各二、鉶登俎各三。瘞坎の位を神位の西北に設け、席を坎の前に設く。上に酒碗五、雄鶏五を置き、余の陳設は常儀の如し。祭の日、牙旗六纛を神位の後に建つ。皇帝、武弁を服し、左南門より入る。廟庭の南に至り、正中に北向して立つ。大将及び陪祭官、文武を分かち重行に班して後にす。神を迎え、再拝し、幣を奠む。初献の礼を行い、先ず軍牙神位の前に詣り、次いで六纛神位の前に詣り、俱に再拝す。亜献・終献もこれに如し。惟だ初献のみ祝を読み、飲福位に詣り、再拝して福を飲み、胙を受け、また再拝す。掌祭官、豆を徹し、賛礼、送神を唱え、復た再拝す。執事官各々祝幣を以てし、掌祭官饌を取って燎所に詣り、太常、望燎を奏請す。執事、鶏を殺し、血を刺して酒碗の中にし、神に酹す。燎半ばにして、礼畢を奏し、駕還る。若し将を遣わさば、則ち旗纛廟壇に於て三献の礼を行ふ。大将初献、諸将亜献・終献。
○受降
洪武四年七月、蜀の夏の明升の降表、京師に至る。太祖、中書に命じて集議し受降の礼を定む。省部、宋太祖が蜀主孟昶の降を受けたる故事の如くせんことを請う。明升の朝見する日、皇帝奉天門に御し、升らは午門外に跪きて待罪の表を進む。侍儀使、表を捧げて入り、宣表官、読み宣げ畢りて、承制官出でて制を伝う。升らは皆地に俯伏し、侍儀舎人、升を掖きて起たしめ、その属官は皆起ち、跪きて制を宣し罪を釈するを聴く。升ら五拝し、三たび万歳を呼ぶ。承制官、制を伝え、衣服冠帯を賜う。侍儀舎人、升を導き丹墀の中に入らしめ四拝せしむ。侍儀使、旨を伝え、升跪きて宣諭を聴き、俯伏四拝し、三たび万歳を呼び、また四拝して出づ。百官、賀礼を行ふ。帝、昶は専ら国政を治め、為す所奢縦なりしも、升は年幼く、事は臣下に由るを以て、その叩頭伏地して表を上り罪を請うる礼を免じ、惟だ升及びその官属に朝見を命じ、百官に朝賀せしむ。
○奏凱献俘
凡そ親征して、師が還る時は、皇帝は諸将を率いて凱楽を陳べ、俘虜と馘首を廟の南門外、社の北門外に置く。廟社に告祭し、三献の礼を行い、出師の儀と同様とする。祭が終わると、俘虜と馘首を刑部に付し、協律郎が楽を導いて退く。皇帝は通天冠・絳紗袍を着け、午門楼に昇り、露布をもって天下に詔し、百官は朝服を具えてこれを聴く。儀は詔赦を開読するのと同様である。
大将が凱旋を奏する儀。あらかじめ、大都督が露布をもって奏聞する。内使監が御座を午門楼上前楹に陳べ、奏凱楽の位を楼前に設け、協律郎の位を奏凱楽の北に、司楽の位を協律郎の南に設ける。また献俘の位を楼前のやや南に設け、献俘将校の位をその北に、刑部尚書が奏する位を将校の北に設け、皆北向きとする。また刑部尚書が俘虜を受ける位を献俘位の西に設け、東向きとする。露布案を内道の正中に設け、南向きとする。露布を受ける位を案の東に、制を受ける位を案の東北に設け、共に西向きとする。露布を宣する位を文武班の南に設け、北向きとする。当日の早朝、先ず凱楽と俘虜・馘首を廟社の門外に陳べ、歌曲は奏さない。告祭の礼が終わるのを待ち、再び楽を午門楼前に陳べ、将校が俘虜を引いて兵仗の外に侍立させ、百官は侍立位に入る。皇帝は常服で楼に昇り、侍衛は常の儀の如し。大将は楼前で就位し、四拝する。諸将もこれに従い、退いて侍立位に就く。賛して奏凱楽と唱え、協律郎が麾を執り楽工を導いて位に就かせ、司楽が跪いて凱楽の奏を請う。協律郎が麾を挙げると、鼓吹が振作し、編曲を奏する。楽が止むと、賛して露布を宣すると唱える。承製官が露布を受露布官に付し、引礼が案に導いて跪いて受け、中道より南行し、宣露布官に授ける。宣し終わると、中書省に付して天下に頒示させる。将校が俘虜を位に引き至らせ、刑部尚書が跪いて奏して曰く、「某官某、某処で捕らえた俘虜を献ず。請う、所司に付せんことを。」奏し終わり、退いて復位する。刑に就く者は西廂に立ち、東向きとし、刑官に付する。罪を宥うる者は、楼上の承製官が旨を宣し、敕ありて縛を解くと。楼下で旨を受け、解き終わると、賛礼が解かれた俘虜に恩を謝せしめ、皆四拝三呼し、将校が解かれた俘虜を以て退く。もし賜う所あれば、就いて旨を宣してこれを賜う。大将以下は拝位に就き、舞蹈山呼すること常の儀の如し。班前がやや前に進み跪き、賀を称し致詞し終わると、百官は再び四拝し、礼が終わって宮に還る。
○論功行賞
○大閲
前一日、皇帝は常服を着て内殿に告げ、四拝の礼を行い、郊外に出る儀式の如くす。司設監は将台上に御幄を設け、総協戎政大臣・巡視科道は将領軍兵を督率して予め教場を粛清す。当日早朝、官を遣わして教場にて旗纛の神を祭る。三大営の官軍は甲仗を具え、将官四員が馬兵二千を統率して駕を扈従す。文臣は各堂上官、科道掌印官、礼兵二科、礼部儀制司、兵部四司官、糾儀監射御史、鴻臚寺供事官、武臣は都督以上、錦衣衛堂上及び南鎮撫司掌印僉書官、皆大紅の便服を着し、扈従の牙牌を関領して懸帯し、先ず教場に詣る。この日は朝参を免ず。錦衣衛は鹵簿を備う。皇帝は常服を着て輦に乗り、長安左門より出で、官軍が導従し、鉦鼓を振作す。安定門を出で、閲武門外に至る。総協戎政官は大小の将佐を率い戎服を着て跪迎し、将台下に入り、北向きに序立す。駕が閲武門に入れば、内中軍が号砲三を挙げ、各営の鉦鼓が振作し、扈従官は行宮門外に序立す。駕が門に至れば、輦を降りる。兵部官が導入して行宮に入り、金を鳴らして鼓を止め、座に昇るを候う。扈従官は一拝の礼を行い、酒飯を賜わるを伝う。各官は恩を謝して出で、将台下に東西に序立す。兵部官が大閲を奏請す。兵部・鴻臚寺官が駕を導いて台に登り、砲三を挙ぐ。京営の将士が叩頭を終え、東西に侍立す。総協戎政官は扈従官の北に列し、諸将は従官の南に列す。兵部尚書が奏請し、各営に人馬を整搠せしむ。台上にて号笛を吹き、黄旗を麾し、総協戎政及び将佐等の官は各々その部に帰る。兵部尚書が陣を閲するを請い、砲三を挙ぐ。馬歩の官軍が陣を演じ、常法の如し。演畢、また号笛を吹き、黄旗を麾し、将士は俱に営に回る。少頃、兵部尚書が射を閲するを請う。総協戎政官以下及び射を聴く公・侯・駙馬・伯・錦衣衛等の官は、俱に台下にて較射す。馬は三矢、歩は六矢、的に中れば鼓を鳴らして報い、御史・兵部官が監視して記録す。把総以下及び家丁・軍士の射は、府部大臣並びに御史・兵部官が東西の庁にて較閲す。槍刀火器等の芸は、総協戎政官に量りて一隊を取らせ、御前に呈験せしむ。兵部尚書が大閲畢を奏し、台下に号旗を挙ぐ。総協戎政官及び諸将領は俱に台下に詣り、北向きに序立す。鴻臚寺官が制を伝うを奏し、跪を賛す。制を宣し訖り、叩頭を賛す。各官は先ず退き、門外に出で、扈従官に叩頭の礼を行わしむを賛す。礼畢、駕は行宮に回り、少しく憩い、扈従等の官は門内に趨りて立つ。皇帝が輦に昇る。中軍が砲三を挙げ、各営は皆鼓吹し、鹵簿及び馬兵が導従すること来儀の如く、鉦鼓と大楽相応じて振作す。総協戎政以下は駕の至るを候い、叩頭して退く。馬兵は長安左門外に至りて止む。鹵簿・大楽は午門外に至りて止む。駕は還り、仍って内殿に参謁し、前儀の如し。百官で扈従せざる者は、各々吉服を着て承天門外橋南に序立して恭送し、駕の還るを迎えること之に如し。次日、総協戎政官以下は表を上して謝し、百官は侍班して称賀の礼を行い、常儀の如し。兵部は将士の優劣及び中箭の多寡・教練の等第を奏聞す。二日を越え、皇帝は皇極門に御し、勅を賜って将士を勉励す。総協戎政官は彩輿に捧げ至り、将士は迎導して教場に至り、開読して礼を行い儀の如し。この日、即ち賞賚を行い並びに戒罰に差等有り。次日、総協戎政官は将佐を率いて復た恩を謝す。
詔して議の如く行わしむ。駕還るに、楽は『武成之曲』を奏す。
万暦九年に大閲を行い、隆慶の故事の如し。
大射
大射の礼は、後世に講ずる者なく、惟だ『宋史』は嘉礼に列す。『明集礼』に至っては則ち軍礼中に附し、『会典』も亦然り。
太祖また先王の射礼久しく廃れ、弧矢の事は専ら武夫に習わされ、而して文士は多く未だ解せざるを以て、乃ち国学及び郡県の生員に皆習射せしむることを詔し、儀式を天下に頒つ。朔望には則ち公廨または閑地に於て之を習う。その官府学校の射儀は、略く大射の式に倣いてその礼を殺す。射位は初め三十歩、自後累加して九十歩に至る。四矢を射り、二人を以て耦と為す。
永楽の時に撃球射柳の制有り。十一年五月五日に東苑に幸し、撃球射柳し、文武群臣・四夷の朝使及び在京の耆老の聚観を聴す。撃球官を分ちて両朋と為し、皇太孫より下諸王大臣以て次第に撃射し、中る者に幣布を賜うこと差等有り。
救日伐鼓
洪武六年二月、救日食の礼を定む。その日、皇帝は常服を着し、正殿に御せず。中書省は香案を設け、百官は朝服を着して礼を行い、鼓人が鼓を伐ち、復円して乃ち止む。月食には、大都督府が香案を設け、百官は常服を着して礼を行い、鼓を伐たず、雨雪雲翳あれば則ち免ず。
二十六年三月に更めて定める、礼部は香案を露台に設け、太陽に向かい、金鼓を儀門内に設け、楽を露台下に設け、各官の拝位を露台上に設ける。期日に至れば、百官は朝服を着て班に入り、楽が奏され、四拝して起き、楽が止み、跪く。執事者が鼓を捧げ、班首が鼓を三声打ち、衆鼓が斉に鳴り、太陽が復円するのを待ち、再び四拝の礼を行う。月食のときは、百官は便服で都督府において儀式に従い救護する。在外の諸司は、日食のときは布政使司・府・州・県において、月食のときは都指揮使司・衛・所において、儀式に従う。
隆慶六年、大喪。服を成そうとするとき、日食に遇う。百官は先に哭臨し、後に礼部に赴き、青素衣・黒角帯を着け、太陽に向かって四拝し、鼓楽を用いない。