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明史
志第三十 礼八
嘉礼二
冊皇后儀(冊妃嬪儀附)、冊皇太子及皇太子妃儀、冊親王及王妃儀(冊公主儀附)、皇帝加元服儀、冊皇太子皇子冠礼、品官冠礼、庶人冠礼
冊皇后儀
古えは后を立てるに冊命の礼無し。漢の霊帝に至り、宋美人を立てて皇后と為し、始めて殿に御し、太尉に命じて節を持たせ、璽綬を奉じ、冊を読ませた。皇后は北面して臣妾と称し、跪いて受けた。その後、これに沿って定制と為し、而して儀文は代々各々同じからず。明の儀注は大抵唐・宋の制を参酌してこれを用い、太祖の初め、定制を定む。
凡そ皇后を冊立するには、前期三日に斎戒し、官を遣わして天地・宗廟に祭告す。前一日、侍儀司は冊宝案を奉天殿の御座の前に設け、奉節官の位を冊案の東に設け、掌節者の位をその左に設け、稍々退き、承制官の位をその南に設け、皆西向とす。正副使の受制位を横街の南に設け、北向とす。承制宣制官の位をその北に設け、奉節・奉冊・奉宝官の位をその東北に設け、皆西向とす。正副使の受冊宝褥位を受制位の北に設け、北向とす。典儀二人は丹陛の上南に位し、賛礼二人は正副使の北に位し、知班二人は賛礼の南に位し、皆東西相向とす。百官及び侍従の位は、朝儀の如し。
是の日早く、鹵簿を列ね、甲士を陳べ、楽を設くるは儀の如し。内官は皇后の受冊位及び冊節宝案を宮中に設け、香案を殿上に設け、冊宝案を権めに置く所を香案の前に設け、女楽を丹陛に設く。質明、正副使及び百官入る。鼓三厳、皇帝袞冕を服し奉天殿に御す。礼部官は冊宝を奉じ、各々案に置く。諸執事官各々殿上の位に就きて立つ。楽作し、四拝し、興り、楽止む。承制官は皇后冊宝を発するを奏し、承制畢り、中門より出で、中陛より降り、宣制位に至りて曰く「制有り」と。正副使跪き、承制官は制を宣して曰く「妃某氏を冊して皇后と為し、卿等に命じて節を持ち礼を展ぜしむ」と。宣し畢り、殿の西門より入る。正副使俯伏し、興る。執事者冊宝案を挙げ、中門より出で、中陛より降る。奉節官は掌節者を率いて前導し、正副使の褥位に至り、案を北に置く。掌節者は節衣を脱ぎ、節を奉節官に授く。奉節官はこれを持って正使に授け、正使はこれを持って掌節者に授く。掌節者は跪いて受け、興り、正使の左に立つ。奉節官退く。引礼は正使を引いて受冊位に詣らしめ、奉冊官は冊を持って正使に授け、正使は跪いて受け、案に置く。退き、位に復す。副使の宝を受くるも亦た此の如し。楽作し、正副使四拝す。興り、楽止む。正使は冊に随い、副使は宝に随い、掌節者は前導し、案を挙ぐる者これに次ぎ、楽作す。奉天門を出で、楽止む。侍儀は礼畢るを奏し、駕興り、百官出づ。掌節者は節衣を加え、奉冊宝官は皆笏を搢し、冊宝を取って龍亭内に置く。儀仗・大楽前導し、中宮門外に至り、楽作す。皇后は九龍四鳳冠を具し、禕衣を服し、閤を出で、殿上に至り、南向して立つ。楽止み、正副使は冊宝を奉じて門外に設けたる案の上に権めに置く。引礼は正副使及び内使監令を引いて俱に位に就かしむ。正使は内使監令の前に詣り、称して「冊礼使臣某、副使臣某、制を奉じて皇后に冊宝を授く」と。内使監令入りて皇后に告げ、出で、位に復す。引礼は内外の命婦を引いて入り位に就かしむ。正使は冊を奉じて内使監令に授け、内使監令は跪いて受け、内官に授く。副使の宝を授くるも亦た此の如し。各々位に復す。内使監令は奉冊・奉宝の内官を率いて入り、各々案に置く。尚儀は皇后を引いて陛を降り、庭中の位に詣らしめて立たしむ。内官は冊宝を奉じて皇后の東西に立つ。内使監令は「制有り」と称し、尚儀は拝を奏す。皇后拝し、楽作す。四拝し、興り、楽止む。制を宣し畢り、奉冊内官は冊を持って読冊内官に授けて読み畢り、内使監令に授く。内使監令は跪いて皇后に授け、皇后は跪いて受け、司言に授く。奉宝は前の儀の如し。受け畢り、司宝に授く。尚儀は拝を奏し、皇后は前の如く拝す。内使監令出で、正副使の前に詣り、称して「皇后冊を受くる礼畢る」と。使者退き奉天殿の横街の南に詣り、北面して西上に立ち、給事中は正副使の東北に立ち、西向す。正副使再拝して命を覆し曰く「制を奉じて皇后を冊命する礼畢る」と。又た再拝し、給事中は聞こゆるを奏し、乃ち退く。皇后冊宝を受くる已に畢り、座に升る。引礼は内命婦の班首一人を引き、殿中の賀位に詣らしめて跪き、詞を致して曰く「茲に皇后殿下の冊宝を膺け受け、中宮に正位せらるるに遇い、妾等歓慶に勝えず、謹んで賀を奉ず」と。拝を賛し、楽作す。再拝し、興り、楽止む。退き、位に復す。又た外命婦の班首一人を引き、入りて殿上の賀位に就かしむ、内命婦の儀の如し。礼畢りて俱に出づ。皇后座を降り、楽作す。閤に還り、楽止む。
次日、百官は表箋を上して賀を称す。皇帝は殿に御して賀を受け、常儀の如し。遂に日を卜し、廟を謁する礼を行い、先ず官を遣わして牲牢を用いて事を行い、皇后将に祗見せんとするの意を告ぐ。前期、皇后は三日間斎し、内外の命婦及び執事の内官は一日間斎す。皇后の拝位を廟門外及び廟中に設け、内命婦の陪祀位を廟庭の南に設け、外命婦の陪祀位を内命婦の南に設く。司賛の位を皇后の拝位の東西に設け、司賓の位を内命婦の北に設け、司香の位を香案の右に設く。盥洗を階の東に陳べ、司盥洗官の位を其の所に設く。至日の日、内外の命婦は各々翟衣を着して中宮の内門外に集まる。皇后は九龍四鳳冠を具し、禕衣を服す。内宮門を出で、輿に升り、外門外に至りて輿を降り、重翟車に升る。鼓吹は設くるも作さず。尚儀は儀衛を陳べ、次に外命婦、次に内命婦、皆車に乗じて前導す。内使監は扈従し、宿衛は兵仗を陳べて前後導従す。皇后廟門に至り、司賓は命婦を引いて先に入る。皇后は車を降り、司賛は左門より導き入り、位に就き、北向して立つ。命婦は各々位に就き、北向して立つ。司賛は拝を奏し、司賓は拝を賛し、皇后及び命婦は皆再拝し、興る。司賛は盥洗位に詣らんことを請い、手を盥い帨を以て手を拭い、東陛より升り、神位の前に至る。司賛は香を上する者三たびを奏し、司香は香を右に捧げ、皇后三たび上り畢り、導きて位に復し、拝を賛すること前の如し。司賛は礼畢るを奏し、皇后は廟の左門より出で、命婦は次第を以て出づ。皇后は車に升り、命婦は前導し、来たるの儀の如し。廟を過ぎ、鼓吹振作し、皇后は宮に入る。是の日、皇帝は群臣を謹身殿に宴し、皇后は内外の命婦を中宮に宴す。皆正旦宴会の儀の如し。
成祖が即位すると、皇后徐氏を冊立したが、その儀制はやや異なっていた。皇帝は皮弁服を着て華蓋殿に出御し、翰林院の官が詔書に璽を押し終えてから、奉天殿に出御し、制を伝えて皇后に冊を受けさせた。礼が終わると、翰林官が詔書を礼部官に授け、礼部官が詔書を奉じて承天門で開読した。皇帝は宮に還り、皇后を率いて礼服を整え奉先殿に詣でて謁告を終えた。皇后は内殿で礼服を整え、皇帝が御座に着くのを待った。賛引の女官が導いて拝位に至らせ、謝恩の礼を行い、楽が奏された。八拝し、起立すると、楽が止んだ。礼が終わった。翌日、皇帝と皇后が賀を受け宴會を開くことは、前の儀式と同じであった。天順八年、親王が皇帝の前で慶賀し、次いで皇太后に慶賀し、次いで皇后の前で八拝する儀礼を増補制定した。嘉靖十三年、皇后方氏を冊立するにあたり、礼臣が儀注を具申したが、内殿への謁告の儀はあっても、太廟や世廟への謁告の礼がなかったので、帝は議して増やすよう命じた。そこで礼臣が儀礼を上奏した。事前に三日間斎戒し、所司が時祫の儀のように陳設を整える。当日、皇帝は輅に乗り、皇后と妃は翟車に乗り、ともに太廟に詣でる。命官が七廟の神主を奉じて神座に上げ終える。皇帝が高皇帝の神主を、皇后が高皇后の神主を奉じて出て、神座に上げる。迎神、上香、奠帛、祼献、楽の奏始と停止は、すべて儀式の通りである。次いで世廟に詣でて礼を行い、上の儀式と同じである。隆慶元年に増補制定され、詔書頒布の翌日、命婦が皇后に拝謁する礼を行うこととした。
妃を冊立する儀礼
洪武三年に孫氏を貴妃に冊立して以来、皇帝は殿に出御せず、承制官が制を宣して「妃某氏、特に某妃に封ず。卿等に命じて節を持ち礼を行わしむ」と定められた。ただ冊を授けるだけで、宝はなく、その他はすべて中宮(皇后)の儀礼と同じであった。永楽七年、妃冊立の礼を定めた。皇帝は皮弁服を着て華蓋殿に出御し、制を伝える。宣宗が孫貴妃を立てた時に至って初めて宝を授け、憲宗が万貴妃を封じた時に初めて「皇」と称したが、洪武の旧制ではなかった。嘉靖十年、帝が九嬪を冊立するにあたり、礼官が儀注を上奏した。前日、所司が儀仗を朔望の儀のように陳設する。当日、皇帝は袞冕を着け、太廟・世廟に告げ終えてから、皮弁服に着替え、華蓋殿に出御する。百官は公服で入り礼を行う。正使・副使は朝服を着て制を受け、節と冊を捧げて九嬪の宮に至る。九嬪は宮門外で迎え、拝位に随行する。女官が冊を宣し、九嬪が冊を受け、先後に八拝する。節を送り出し宮門を出て復命する。九嬪は続いて礼服を整えて待ち、皇后が率いて奉先殿に詣でて謁告し、および皇帝・皇后の前で謝恩するのは、いずれも妃冊立の礼と同じである。ただ圭は次玉を用い、谷文・銀冊は皇妃のものより五分の一だけ格を下げる。二十年、徳妃張氏を冊立したが、妃がまさに室(宮室)に入ろうとする時に、帝が静養中であったため、制を伝えず、内殿への謁告も行わず、その他はすべて旧例の通りであった。
皇太子及び皇太子妃冊立の儀礼
漢代から皇太子と称し始め、明帝の時に初めて臨軒・冊拝の儀礼があった。唐代では年長者は臨軒で冊授し、幼い者は使者を遣わして内冊する。宋代では臨軒のみを用いた。元代では内冊のみを用い、長幼を問わなかった。
明朝が興り、制度を定め、皇太子を冊立するには、所司が皇后冊立の儀礼のように陳設を整える。皇太子の拝位を丹陛上に設ける。中厳のとき、皇帝は袞冕を着け謹身殿に出御し、皇太子は冕服を着て奉天門で待つ。外辦のとき、皇帝が奉天殿に昇り、引礼が皇太子を導いて奉天東門に入る。楽が奏され、東階から昇って丹陛の位に至ると、楽が止む。百官はそれぞれ丹墀の位に就く。楽が奏され、皇太子は再拝し、起立すると、楽が止む。承制官が殿中門から出て、門外に立ち、「制あり」と言う。皇太子は跪く。制を宣して「長子某を冊して皇太子とす」と言う。皇太子は俯伏し、起立すると、楽が奏される。再拝する。楽が止む。引礼が皇太子を導いて殿東門から入り、楽が奏される。内賛が導いて御座前に至ると、楽が止む。内賛が跪を唱え、冊宣を唱える。宣し終わると、圭を搢げることを唱え、冊授を唱える。皇太子は圭を搢げ、跪いて冊を受け、内侍に授ける。また宝授を唱え、冊授の儀礼と同じである。圭を出すことを唱え、皇太子は圭を出し、俯伏し、起立して殿東門から出る。執事官が節・冊・宝を挙げて随行して出る。皇太子は元の位に戻り、楽が奏される。四拝して起立すると、楽が止む。東階から降り、楽が奏される。奉天門に至ると、楽が止む。儀仗・鼓楽が冊宝を迎えて文華殿に至らせ、持節官が節を持って復命し、礼部官が詔書を奉じて午門に赴き開読し、百官が詔を迎えて中書省に至り、頒布施行する。侍儀が礼畢を奏し、駕が立ち、宮に還る。皇太子は内殿に詣で、皇后が座に着くのを待ち、朝謝の礼を行い、四拝し、恭しく謝して「小子某、茲に冊命を受け、謹んで母后殿下に詣でて恭しく謝す」と言う。また四拝し、礼が終わる。親王・世子・郡王は文華殿の陛上で待つ。皇太子が座に着くと、親王以下は東陛から昇り、拝位に就いて四拝する。長王が恭しく賀して「小弟某、茲に長兄皇太子が冊宝を栄えて受けられるに遇い、欣忭の至りに勝えず、謹んで諸弟を率いて殿下に詣でて賀を称す」と言う。賀し終わると、皆四拝する。皇太子が立ち、順次に出る。諸王は中宮に詣でて四拝し、長王が賀詞を述べ終わると、皆四拝して出る。この日、皇太子は武英殿に詣でて諸叔に会い、家人の礼を行い、四拝し、諸叔は西向きに座して受ける。諸兄に会い、家人の礼を行い、二拝し、諸兄は西向きに立って受ける。翌日、百官が表箋を進めて慶賀し、内外の命婦が中宮を慶賀するのは、常の儀礼の通りである。そこで日を選び、太子は太廟に謁する。
洪武二十八年、皇太子・親王ともに金冊を授け、宝を用いなかった。永楽二年に定め、三日前に斎戒し、官を遣わして天地・宗廟に祭告し、冊宝を受け終わると、先ず太廟に詣でて謁告し、後に奉天殿で謝恩し、それから中宮に入って謝する。二十二年十月、東宮を冊立したが、梓宮が殯中であったため、楽は設けるが奏さなかった。奉先殿で礼を行い終わると、なお几筵に詣でて謁告した。宣徳二年十一月、皇子が生まれ、群臣が表を奉って太子立てを請うた。三年二月に礼を行ったが、太子がまだ幼かったため、正使・副使に命じて文華門で冊宝を授けさせた。成化十一年、皇太子冊立の礼が成ったので、文武官を五等に分け、綵緞を差等を付けて賜った。嘉靖十八年二月、東宮を冊立するにあたり、帝は南郊に詣でて上帝に告げ、太廟に詣でて皇祖に告げ、北郊および列聖宗廟以下はすべて官を遣わした。当時太子はわずか二歳で、保姆が奉じ、文華殿門で冊宝を迎え、皇帝の前に詣でて謝恩し、皇后・貴妃が太子に代わって八拝した。皇后の前に詣で、貴妃が代わって八拝した。貴妃の前に詣で、保姆が代わって四拝した。その他は常の儀礼の通りであった。
皇太子妃が冊を受けるのは、皇太子と同じ日に制を伝える。節と冊がまさに内殿に至らんとする時、妃は東階から降り、案に迎えて置く。賛が拝位に就くことを唱え、跪を唱え、妃は跪く。賛が冊宣を唱え、女官が跪いて冊を取り、立って宣し終わる。賛が冊授を唱え、圭を搢げることを唱える。女官が冊を妃に授け、妃は圭を搢げ、冊を受け終わると、女官に授ける。女官が跪いて受け、捧えて立つ。賛が圭を出すことを唱え、起立し、四拝する。礼が終わると、内官が節を持って出て、妃は殿外まで送り、正副使が節を持って復命する。この日、妃は礼服を着け奉先殿に詣でて謁告の礼を行う。続いて宮門に詣で、皇帝・皇后が座に着くのを待ち、入って謝恩し、八拝の礼を行う。また各宮の皇妃の前に詣で、四拝の礼を行う。宮に還り、皇太子の前に詣でるのも、また四拝する。礼が終わると、座に着き、王妃・公主・郡主および外命婦が丹墀で儀礼の通りに拝賀する。
親王及び王妃冊立の儀礼
漢代は宗廟において親王を冊封した。唐代は臨軒で冊命を行い、礼は極めて詳密であった。宋代には冊命の文書があり、皆上表して辞退したが、ただ官誥を迎えて邸宅に還るのみであった。元代も制命を下して冊封したが、冊礼は行わなかった。
明朝洪武三年に制度を定め、親王を冊命するには、事前に宗廟に告げ、所司は冊立東宮の儀式に準じて陳設を整える。当日、皇帝は奉天殿に御し、皇太子・親王は奉天東門より入る。楽奏が始まり、東階より昇る。皇太子は殿東門より入り、内賛が導いて御前まで至り、侍立の位置に立つ。親王は入って丹陛の拝位に至り、楽奏が止む。賛拝し、楽奏が始まる。再拝し、起立し、楽奏が止む。承制官が儀式に従って制を承け、諸王は皆跪き、制を宣するには「皇子某を某王に封じ、某を某王に封ず」とある。宣し終わると、諸王は俯伏し、起立する。賛拝し、楽奏が始まる。再拝し、起立し、楽奏が止む。引礼が王を導いて殿東の外より入り、楽奏が始まる。内賛が導いて御座前の拝位に至らせ、楽奏が止む。王は跪く。冊を授けると賛し、捧冊官が冊を読冊官に授け、読み終わると、丞相に授ける。丞相が王に授け、王は圭を搢いて受け、内使に授ける。宝を授けるのは上記の儀式と同じ。終わると、王は圭を出し、俯伏し、起立する。引礼が王を導いて出て、元の位置に戻る。順次に諸王を殿内に導き入れ、冊宝を授けるのは儀式の通りである。内使が冊宝を彩亭に置き終わると、賛拝し、楽奏が始まる。諸王は皆四拝し、起立し、楽奏が止む。内使が亭を挙げて先に行き、親王は東階より降り、楽奏が始まる。奉天東門を出て、楽奏が止む。礼部尚書が詔書に宝璽を押すことを請い、午門に赴いて開読する。礼が終わると、皇帝は宮に還り、皇太子は退出する。王が幼い場合は、官を遣わして冊宝を齎し授ける。丞相が制を承けて王の居所に至り、東北に立ち、西南に向かい、制を宣する。最も幼い者は保抱の礼を行う。この日、親王は皇后・太子に朝謝し、東宮が冊を受けて朝謝するのと同じである。親王は各自で賀礼を行い、幼い者は長者のもとに詣で、四拝の礼を行う。百官が親王に賀するにも、四拝の礼を行う。丞相は殿上に至り跪き、文武官は庭中にいる。丞相が致詞して言うには「某官某等、茲に親王殿下の冊宝を栄えて膺け、封建の礼成るに遇い、欣忭の至りに任えず」とある。賀し終わると、丞相及び百官は再び四拝する。翌日、皇太子は冕服を着て奉天殿において皇帝に朝賀し、太子が致詞して言うには「長子某、茲に諸弟某等の封建を受けて国を建つるに遇い、謹んで父皇陛下に詣りて称賀す」とある。中宮に賀するには、致詞して言うには「謹んで母后殿下に詣りて称賀す」とある。百官は表箋を進めて皇帝及び中宮・東宮を賀し、東宮が冊を受ける儀式と同じである。内外の命婦は中宮を賀し、致詞して言うには「妾某氏等、茲に親王の封建を受けて国を建つるに遇い、恭しく皇后殿下に詣りて称賀す」とある。この日、百官及び命婦はそれぞれ宴を賜る。日を選び、諸王は太廟を謁する。当時、秦・晋・燕・楚・呉の五王は皆年長であり、斉・潭・趙・魯の四王はまだ幼かったので、その制度を併せ備えた。靖江王は親王として封じられたので、秦・晋の儀式に準じた。
二十八年に制度を定め、親王の嫡長子は、年十歳で金冊宝を授け、王世子に立てる。次嫡及び庶子は皆郡王に封ずる。凡そ王世子は必ず嫡長子とし、王が三十歳で、正妃に嫡子がまだない場合は、その子はただ郡王に止める。王と正妃が五十歳になっても嫡子がないのを待って、初めて庶長子を王世子に立て、襲封させる。朝廷は人を遣わして冊命の礼を行う。成化の末、興・岐・益・衡・雍の五王を封じ、帝は親しく奉先殿に告げ、使者を遣わして各王府において冊封し、臨軒の礼を廃した。そして諸王で襲封すべき者は、皆歳末に官を遣わして冊封した。嘉靖の中頃、孟春に改め、令として定めた。王妃を冊立する儀式は、太子妃を冊立する儀式と同じである。
公主を冊立する儀式
洪武九年七月、使者を命じて公主を冊立した。清乾宮の御座の東南に冊案を設け、冊は銀字鍍金を用いる。皇帝・皇后が御座に昇り、使者を遣わして冊を捧げ制を伝えるのは儀式の通りである。使者が華蓋殿に至ると、公主は拝して受け、その儀式は概ね太子妃を冊立するのと同じである。凡そ皇姑を大長公主と曰い、皇姊妹を長公主と曰い、皇女を公主と曰い、親王の女を郡主と曰い、郡王の女を県主と曰い、孫女を郡君と曰い、曾孫女を県君と曰い、玄孫女を郷君と曰う。郡主以下は、誥封を受け、冊命はしない。
皇帝の元服加冠の儀式
古くは冠礼は必ず廟で行い、天子は四加した。魏以後に初めて正殿で冠礼を行い、また天子は至尊であるので、礼はただ一加のみとし、歴代これに因った。
明朝洪武三年に制度を定めた。事前に、太史院が日を卜し、工部が冕服を製し、翰林院が祝文を撰し、礼部が儀注を具える。中書省が制を承け、某官に太師を摂行させ、某官に太尉を摂行させる。日を卜した後、官を遣わして天地・宗廟に告げる。前日、内使監令が奉天殿の正中に御冠席を陳べ、その南に冕服案及び香案宝案を設ける。侍儀司が太師・太尉の起居位を文楼の南に設け、西向きとし、拝位を丹墀内の道に設け、侍立位を殿上の御席の西に設け、盥洗位を丹陛の西に設ける。その百官及び諸執事の位次は大朝儀の通りである。この日、夜明けに、鼓を三厳し、百官が入る。皇帝は空頂幘・双童髻・双玉導・絳紗袍を着け、御輿に乗って出る。侍衛警蹕は儀式の通りに奏する。皇帝が座に昇る。鳴鞭して時を報じ終わると、通班が各供事を賛する。太師太尉が先に入り、拝位に就き、百官皆入る。賛拝し、楽奏が始まる。四拝し、起立し、楽奏が止む。引礼が太師を先に導いて盥洗位に詣らせ、笏を搢いて手を洗い手巾で拭い終わると、笏を出し、西階より昇る。内賛が接引して御席の西に至らせ、東向きに立つ。引礼が再び太尉を導いて手を洗い笏を搢き終わると、入って太師の南に立つ。侍儀が元服を加えることを奏請する。太尉が皇帝の前に詣り、少し右に立ち、跪いて笏を搢く。空頂幘を脱いで内使に授け、箱に置く。櫛を進めて纚を設け終わると、笏を出し、起立し、西に退いて立つ。太師が前に進み、北向きに立つ。内使監令が冕を取って左に立ち、太師が祝して言うには「令月吉日、始めて元服を加う。寿考維れ祺なり、以て景福を介せん」とある。内使監令が冕を捧げ、跪いて太師に授ける。太師は笏を搢き、跪いて冕を受ける。冠を加え、簪纓を加え終わると、笏を出し、起立し、西に退いて立つ。御用監令が皇帝に袞服を着けることを奏請し、皇帝は起立し、袞服を着ける。侍儀が御座に就くことを奏請し、内賛が醴を進めることを賛し、楽奏が始まる。太師が御前に詣り北面して立ち、光禄卿が酒を奉じて進み太師に授ける。太師は笏を搢き酒を受け、祝して言うには「甘醴惟れ厚く、嘉薦令芳なり。天の休を承け、寿考忘れず」とある。祝し終わると、跪いて内使に授ける。内使は跪いて酒を受け、捧げて進める。皇帝は受け、少しばかり祭り、酒を啐み終わると、虚盞を内使に授け、楽奏が止む。内使は盞を受け降り、太師に授ける。太師は盞を受け起立し、光禄卿に授け、光禄卿は盞を受け退く。太師は笏を出し、退き、元の位置に戻る。内賛が太師太尉を導いて殿西門より出し、楽奏が始まり、西階より降りる。引礼が導いて丹墀の拝位に至らせ、楽奏が止む。賛拝し、楽奏が始まる。太師太尉及び文武官は皆四拝し、起立し、楽奏が止む。三たび舞蹈し、山呼し、俯伏し、起立し、楽奏が始まる。再び四拝し、楽奏が止む。礼が終わると、皇帝は起立し、鳴鞭し、楽奏が始まる。宮に入り、楽奏が止む。百官は退出する。皇帝は通天冠・絳紗袍に改め、太后を拝謁し、正旦の儀式と同じである。日を選んで太廟を謁し、時祭と同じである。明日、百官は公服を着て称賀し、謹身殿で宴を賜る。
万暦三年正月、帝は吉日を選んで髪を長くする儀式を行い、礼部に儀式の準備を命じた。大学士張居正らが言うには、「礼は冠婚を重んじる。皇上前に東宮にあって既に冠礼を行い、三加の礼を尊称し、爵を執りて酳す。大礼既に成れば、細事は略すべし。必ずしも部臣に議を擬せしむるには及ばず。ただ先期して奉先殿・弘孝殿・神霄殿に至り、長髪を告げるに足る。礼畢、両宮皇太后に詣で、五拝三叩頭の礼を行い、随って乾清宮に御して賀を受けられよ。」帝はこれを是とし、遂に令として定めた。
皇太子皇子冠礼
『礼記』に曰く、「阼に冠し、以て代を著す。客位に醮し、三加弥尊、成るを加う。已に冠して之に字す、人の道を成すなり。」「天子の元子と雖も、猶士なり。」その礼は歴代これを用いる。明の皇太子の元服加冠は、周の文王・成王の冠礼の年齢を参考にし、近くは十二、遠くは十五とする。嘉靖二十四年、穆宗が東宮に在り、僅か十歳にして冠礼を行わんとした。大学士厳嵩・尚書費寀は初め皆これを難じたが、後に遂に旨に阿って可行と為し、煩儀を稍簡にして、ただ成礼を取ることを請うた。帝は冠礼は礼を具えるべきとして、二十八年に至って始めてこれを行った。
その儀式は洪武元年に定まる。前期、太史監が日を卜し、工部が袞冕諸服を置き、翰林院が祝文を撰す。中書省が制を承る。某官を賓と為し、某官を賛と命ず。既に日を卜すれば、官を遣わして天地宗廟に告ぐ。前一日、御座香案を奉天殿に陳べ、皇太子の次を殿東房に設け、賓賛の次を午門外に設く。質明、執事官が罍洗を東階に設け、皇太子の冠席を殿上東南に設け、西向とし、醴席を西階上に設け、南向とし、帷幄を東序内に張り、褥席を帷中に設け、又帷を序外に張る。御用監が服を帷内東に陳べ、領を北に上とし、袞服九章・遠遊冠・絳紗袍・折上巾・緇纚犀簪は服の南に在り、櫛は又南に在る。司尊が側尊に醴を実え、勺冪を加え、醴席の南に設く。坫を尊の東に設け、二爵を置く。進饌者が饌を実え、尊の北に設く。諸執事者各其の所に立つ。鼓三厳、文武官入る。皇帝は通天冠・絳紗袍を服し、座に升り常儀の如し。賓賛位に就き、楽作る。四拝興り、楽止む。侍儀司跪いて制を承け、東階に降り、賓の前に詣で、敕有りと称す。賓賛及び在位官皆跪く。制を宣して曰く、「皇太子冠す、卿等に命じて礼を行わしむ。」皆俯伏し、興り、四拝す。文武侍従班倶に殿内位に就き、賓賛執事官は東階下位に詣づ。東宮官及び太常博士は殿前東房に詣で、皇太子を導き入れて冠席に就かしめ、二内侍が夾侍し、東宮官後より従い、楽作る。即ち席に西南向し、楽止む。賓賛次第に罍洗に詣づ、楽作る。笏を搢げ、盥帨し、笏を出し、楽止む。西階より升り、執事者が折上巾を奉じて進む、賓一等降りて之を受く。右に項を執り、左に前を執り、太子の席前に進み、北面して祝畢り、跪きて冠し、楽作る。賓興り、席南北面して立つ。賛冠者が席前に進み、北面して跪き、冠を正し、興り、賓の後に立つ。内侍跪きて服を進め、皇太子興り、服し訖り、楽止む。賓揖して皇太子を復た坐せしむ。賓賛降り、罍洗に詣で訖り、賛進み前きて跪き、折上巾を脱ぎ、箱に置き、興り、以て内侍に授く。執事者が遠遊冠を奉じて進む、賓二等降りて之を受け、楽作る。進み冠すること前の儀の如し。賛進み前き、北面して跪き、簪結紘し、内侍跪きて服を進め、楽止む。賓揖して皇太子を復た坐せしむ。又罍洗に詣づ、賛冠を脱ぎ、執事者が袞冕を奉じて進む、賓三等降りて之を受け、楽作る。進み冠し結紘し、内侍跪きて服を進むること、前の儀の如し、楽止む。太常博士が皇太子を導き東階より降り、楽作る。西階より升り、即ち醴席に就き、南向して坐し、楽止む。賓罍洗に詣で盥帨し訖り、賛冠者が爵を取り、爵を盥し、爵を帨し、司尊の所に詣で醴を酌み、賓に授く。賓爵を受け、跪きて皇太子に進む。祝畢り、皇太子圭を搢げ、跪きて爵を受け、楽作る。飲み訖り、爵を奠め、圭を執る。進饌者が饌を奉じて前に進み、皇太子圭を搢げ、食し訖り、圭を執り、興り、楽止む。爵と饌を徹す。博士が皇太子を導き西階より降り、殿東房に至り、朝服に易え、丹墀の拝位に詣で、北向す。東宮官属各復た拝位に就く。賓賛皇太子の位の稍東に詣で、西向す。賓稍進み字すの辞を曰く、「敕を奉じて某と字す。」皇太子再拝し、跪きて宣敕を聴く。復た再拝し、興る。御前に進み跪きて奏して曰く、「臣不敏、敢えて祗承せざらんや。」奏畢り、復た位に戻る。侍立官並びに殿に降りて復た位に戻り、四拝礼畢り、皇帝興る。内給事が皇太子を導き内殿に入り、皇后に謁見すること、正旦の儀の如し。明日廟に謁すること、時享の礼の如し。又明日、百官朝服を以て奉天殿に詣で賀を称し、退きて公服に易え、東宮に詣で賀を称し、宴を錫う。
成化十四年、皇太子の冠礼を続けて定める。前日、文華殿の東序に幕次を設け、節案・香案・冠席・醴席・盥洗・司尊所などを設け、すべて儀式の通りにする。内侍が帷幄を張り、袍服・皮弁服・袞服・圭帯・舄・翼善冠・皮弁・九旒冕を陳列する。夜明け、皇帝は奉天殿に御して制を伝え、官を遣わして節を持たせる。皇太子は文華殿門外で迎え、捧げて入り、案に置き、退く。礼部官が皇太子を導いて香案の前に詣でさせ、楽が奏される。四拝し、楽が止む。初加冠礼を行う。内侍が翼善冠を奉じ、賓が祝して曰く、「吉月令辰、乃ち元服を加う。懋敬是れ承く、永く景福を介す」。楽が奏される。賓が跪いて冠を進め、興り、楽が止む。礼部官が啓して服を易えさせ、皇太子は帷幄に入り、袍服に易えて出、啓して再び坐す。再加冠礼を行う。内侍が皮弁を奉じ、賓が祝して曰く、「冠礼申挙す、以て令徳を成す。敬慎威儀、惟れ民の式」。冠し終わり、帷幄に入り、皮弁服・舄に易えて出、啓して再び坐す。三加冠礼を行う。内侍が冕旒を奉じ、賓が祝して曰く、「章服鹹く加う、飭敬虔し有り。永く皇図を固くす、千万年に於て」。冠し終わり、帷幄に入り、袞服に易えて出、啓して再び坐す。醮礼を行い、皇太子は醴席に詣で、楽が奏される。即座し、楽が止む。光禄寺官が醴案を挙げ、楽が奏される。賛が醴を酌み賓に授け、賓が爵を執り席前に詣で、楽が止む。賓が祝して曰く、「旨酒孔馨し、加薦再び芳し。天の福を受く、万世其れ昌んぜん」。賓が跪いて爵を進め、皇太子は圭を搢き、爵を受け、案に置く。教坊司が楽を奏し、《喜千春之曲》を奏する。次に啓して酒を進め、皇太子は爵を挙げて飲み終わり、爵を案に奠め、楽が止む。光禄寺官が饌を進め、楽が奏される。案に至り、楽が止む。饌し終わり、圭を出し、案を徹し、賓賛が復位する。鳴賛が賛して敕戒を受ける。皇太子が階を降り、楽が奏される。拝位に至り、楽が止む。宣敕戒官が皇太子の前のやや東に詣で、西向きに立ち、「制有り」と言う。皇太子が跪き、宣敕戒して曰く、「孝にて君親に事え、兄弟に友す。賢を親しみ民を愛し、仁義に由りて居る。怠ること無く驕ること無く、万世を茂隆せよ」。楽が奏される。四拝して興り、楽が止む。持節官が節を捧げて出、楽が奏される。皇太子は節を送って殿門外に至り、東序に還る。内侍が導いて宮に還り、楽が止む。賓賛等の官が節を持って覆命し、その余は旧儀の通り。この日、皇太子は皇太后・皇帝・皇后の前に詣でて謝し、皆五拝三叩頭の礼を行い、楽を用いる。明日、皇帝及び皇太子は群臣の賀を受け、儀式の通り。
皇子の冠礼。初加には、網巾を進め、祝詞に曰く、「茲に吉日、以て冠し成人と為す。克く孝友を敦くし、福禄来り駢す」。再加には、翼善冠を進め、祝詞に曰く、「冠礼斯に挙ぐ、賓由りて成徳す。敬慎威儀、維れ民の則」。三加には、袞冕を進め、祝詞に曰く、「冠三加に至り、命服用章す。神を敬し上に事え、永く籓邦を固くす」。醴を酌み祝して曰く、「旨酒嘉薦、載せて芬え載せて芳し。此の景福を受け、百世其れ昌んぜん」。敕戒の詞に曰く、「君親に孝に、兄弟に友す。賢を親しみ民を愛し、礼義に率由す。溢ること無く驕ること無く、永く富貴を保て」。その陳設執事及び伝制謁謝は、並びに皇太子の儀式の通り。初め、皇子の冠の明日、百官が賀を称え終わり、王府に詣でて礼を行う。成化二十三年、皇子の冠の次日、各々奉天門東廡の序に坐し、百官が常服で四拝する。
万暦二十九年、礼部尚書馮琦が言う、「旧制では皇太子の冠に、冠席・醴席を文華殿内に設ける。今、文華殿は皇上が臨御し官を遣わす地であるから、則ち皇太子の冠醴席は、殿の東序に移すべきである。又、親王の冠は、旧に席を皇極門の東廡に設ける。今、皇太子が席を殿東序に移すならば、則ち親王は席を殿西序に移すべきである」。これに従う。
永楽九年十一月、皇太子の嫡長子を皇太孫と命じ、華蓋殿で冠せしめ、その儀は皇太子と同じ。
品官の冠礼
古より男子は二十にして冠し、大夫は五十にして後に爵す、故に大夫の冠礼無し。唐の制、三加、一品の子は袞冕を以てし、九品の子に逮ぶまで爵弁を以てし、皆士礼を倣いこれを増益す。
明の洪武元年に制度を定め、初めに緇布冠を加え、次に進賢冠を加え、三たび爵弁を加えることとした。その儀式は、期日の前に日を選び、主たる者が家廟に告げ、賓を筮う。二日前に賓及び贊冠者を戒める。明日、次を大門外の右に設け、南に向く。当日、夙に興き、洗を阼階の東南に設け、東西は東霤に当て、六品以下は東榮に当て、南北は堂の深さを以てする。罍水は洗の東にあり、勺と冪を加える。篚は洗の西南にある。巾一を篚に肆実し、冪を加える。席を東房の西牖下に設け、服を席の東に陳べ、領を北に上とする。莞筵四、藻席四を加えて南に在る。側尊甒醴は服の北にあり、勺冪を加え、坫を尊の北に設ける。四品以下は、篚を設けて坫無く、饌を坫の北に陳べる。先を東房に設け、北に近し。罍は洗の西にあり、篚は洗の東北にあり、巾を以て肆実する。質明に、賓贊は門外に至り、掌次者これを次に導く。賓贊は公服を着し、諸行事者は各その服を着し、位に就く。冠各一笥、人これを執り、西階の西に侍し、東面し北上する。主席を阼階上に設け、西面す。賓席を西階に設け、東面す。冠者席を主者の東北に設け、西面す。主者は公服を着して阼階下に立ち、東序に当たり西面す。諸親は公服を着して罍洗の東南に立ち、西面し北上する。尊者は別室に在る。儐者は公服を着して門内の道東に立ち、北面す。冠者は双童髻、空頂幘、双玉導、彩褶、錦紳、烏皮履を着し、六品以下は導に玉を用いず、房中に立ち、南面す。主者、贊冠者は公服を着して房内の戸東に立ち、西面す。賓及び贊冠者は次より出で、門西に立ち、東面し北上する。儐者は進みて命を受け、出でて門東に立ち、西面し、曰く「敢へて事を請ふ」と。賓曰く「某子嘉禮有り、某をして執事せしむ」と。儐者は入りて告げ、主者は賓を大門外の東に迎へ、西面し、再拝し、賓答拝す。主者は贊冠者を揖し、贊冠者は報揖す。又た賓を揖し、賓は報揖す。主者は入り、賓贊次に入り、内門に及び階に至る。主者は升るを請ひ、賓三たび辭し、乃ち升る。主者は阼階より、席の東に立ち、西に向く。賓は西階より、席の西に立ち、東に向く。賓贊冠者は庭に及び、洗にて盥ぎ、西階より升り、東房に入り、主贊冠者の南に立ち、西面す。主贊冠者は冠者を導きて房外の西に立ち、南面す。賓贊冠者は纚櫛簪を取り、跪きて筵の南端に奠め、退きて席の北に立ち、少しく東に、西面す。賓は冠者を揖し、冠者は進みて席に升り、西に向きて坐す。賓贊冠者は筵前に進み、東西に跪き、双童髻を脱ぎ、櫛し畢り、纚を設け、興き、位に復りて立つ。賓は降りて罍に至り、洗ひて盥ぎ訖り、西階に詣る。主者は席後の西面に立ち、賓は西階上に立ち、東面す。緇布冠を執る者升り、賓は一等降りて之を受け、右に項を執り、左に前を執り、冠者の筵前に進み、東向きに立つ。祝は士禮の祝詞を用ひ、祝し畢り、跪きて冠す。興き、位に復る。賓贊冠者は筵前に進み、東面して跪き、纓を結び、興き、位に復る。冠者は興き、賓これを揖して房に適はしむ、賓主皆坐す。冠者は青衣素裳を衣て戸西に出で、南面して立ち、賓主俱に興く。賓は冠者を揖し、冠者は進みて席に升り、西に向きて坐す。賓贊冠者は跪き、緇布冠を脱ぎ、櫛し畢り、纚を設く。賓は進賢冠を進め、立ちて祝し、初加の禮の如くす。祝し畢り、跪きて冠し、興き、位に復る。賓贊冠者は跪き、進賢冠を脱ぎ、櫛し畢り、纚を設く。賓は爵弁を進め、立ちて祝し、再加の禮の如くす。賓贊冠者は、簪を設け纓を結ぶこと前に如し。冠者は房に適ひ、爵弁の服を著して出づ。主贊冠者は纚櫛及び筵を徹し、房に入る。又た筵を室戸の西に設け、南に向く。冠者は房戸の西に出で、南面して立つ。主贊は房にて觶を洗ひ、醴を酌みて出で、南面して立つ。賓は冠者を揖して筵西に就かしめ、南面して立つ。賓は醴を受け、冠者の筵前に進み、北面して立つ。祝し畢り、冠者は觶を受くるを拝し、賓は復た西階上にて答拝す。饌を執る者饌を筵に進む、冠者は左に觶を執り、右に脯を取り、籩豆の間に祭る。贊者は胏一を取り以て冠者に授け、觶を薦の西に奠めて以て祭る。冠者は坐して觶を取り、醴を祭り、觶を奠め、再拝し、賓答拝す。冠者は觶を執りて興き、賓主俱に坐す。冠者は筵に升り、跪きて觶を薦の東に奠む。興き、進み、北面して跪きて脯を取り、西階より降る。入りて母に見え、進みて脯を席前に奠む。退き、再拝して出づ。母在らざれば、則ち人をして脯を西階下に受けしむ。
初め、冠者が母に見え入る時、賓主俱に興く。賓は降り、西序に当たり東面して立ち、主者は降り、東序に当たり西面して立つ。冠者は出で、西階の東に立ち、南面す。賓は少しく進みて之に字し、辭は士禮と同じ。冠者は再拝し、跪きて曰く「某不敏なり、夙夜祗承す」と。賓出づ、主者は内門外に送り、西に向き、禮従者の礼を請ふ。賓は次に就き、主者は入る。
初め、賓出づる時、冠者は東面して諸親に見え、諸親之を拝し、冠者は答拝す。冠者は西に向きて賓贊を拝し、賓贊も亦た答拝す。諸尊に別室に見えるも、亦た之の如し。賓主既に服を釋き、醴席に入り、一獻し訖り、賓と衆賓は次より出で、門東に立ち、西面す。主者は出でて賓を揖し、賓は報揖す。主者は先に入り、賓及び衆賓之に従ふ。階に至り、賓は西階上に立ち、主者は東階上に立ち、衆賓は西階下に立つ。主者は幣篚を賓贊に授け、位に復り、還りて阼階上に至り、北面して送るを拝す。賓贊は西階より降り、主者は賓を大門外に送り、西面し、再拝して入る。孤子は則ち諸父諸兄賓を戒む。冠の日、主者は紒して賓を迎へ、阼階下に冠し、其の儀も亦た之の如し。明日廟に見え、冠者は朝服を着して南門の中庭の道西に入り、北面して再拝して出づ。
庶人の冠禮
古の冠禮の存する者は惟だ士禮のみ、後世皆推して之を用ふ。明の洪武元年に詔して冠禮を定め、下は庶人に及び、纖悉備具せり。然れども品官より降りて、能く之を行ふ者有ること鮮く、之を禮官に載するは、故事を備ふるのみ。
凡そ男子、年十五より二十に至るまで、皆冠すべし。冠せんとすれば、日を筮い、賓を筮い、賓を戒すこと、俱に品官の儀の如し。是の日、夙に興き、幄を張りて房と爲すこと廳事の東に、皆盛服す。盥を阼階の下東南に設け、服を房中の西牖の下に陳ぶ。席二は南に在り、酒は服の北次に在り。襆頭・巾・帽、各盤を以て盛り、三人之を捧げ、堂下の西階の西に立ち、南に向かい東を上とす。主人は阼階の下に立ち、諸親は盥の東に立ち、儐者は門外に立ちて賓を俟つ。冠者は雙紒・袍・勒帛・素履を以て房に待つ。賓至れば、主人出でて迎え、揖して入る。坐定まりて、冠者は房より出づ。執事者、行事を請う。賓の贊者、櫛・總・篦・幧頭を取り、席の南端に置く。賓、冠者に揖し、即ち席に西向いて坐す。贊者之が爲に櫛し、紒を合はせ總を施し、幧頭を加ふ。賓降り、主も亦降り、阼階の下に立つ。賓盥ぎ、主人揖譲し、西階より升り、復位す。執事者巾を進む。賓一等降りて之を受け、冠者の席前に詣り、東に向かふ。祝詞は品官に同じ。祝訖りて、跪きて巾を著す。興き、復位す。冠者興く。賓之を揖して房に入れ、服を易へ、深衣・大帶を以て出で、冠席に就く。賓初めの如く盥ぐ。執事者帽を進む。賓二等降りて之を受け、進みて祝し、跪き、冠訖りて、興き、復位す。冠者を揖して房に入れ、服を易へ、襴衫・要帶を以て出で、冠席に就く。賓初めの如く盥ぐ。執事者襆頭を進む。賓三等降りて之を受け、進みて祝し、跪き、冠訖りて、興き、復位す。冠者を揖して房に入れ、公服に易へて出づ。執事者冠席を徹し、醴席を西階に設け、南に向かふ。贊者醴を酌みて房を出で、冠者の南に立つ。賓、冠者を揖して即席せしめ、西向いて立つ。賓醴を受け、席前に詣りて北面して祝す。冠者拜して受け、賓拜に答ふ。執事者饌を進む。冠者即席して坐し、飲食訖りて、再拝す。賓拜に答ふ。冠者席を離れ、西階の東に立ち、南に向かふ。賓之に字を付け、品官の詞の如し。冠者拝し、賓拝に答ふ。冠者父母に拝し、父母之が爲に起つ。諸父の尊者に拝し、遂に出でて郷先生及び父の執友に見ゆ。先生・執友皆拝に答ふ。賓退く。主人賓に礼を請ひ、固く請ふ。乃ち入り、酒饌を設く。賓退く。主人賓・贊に酬し、幣を以て侑ふ。礼畢りて、主人冠者を以て祠堂に見えしめ、再拝して出づ。