明史

志第十 暦四

志第十 暦四

原文志第十 曆四

志第十 暦四

原文志第十 歷四

大統暦法二 立成

原文大統曆法二立成

立成とは、日月五星の盈縮遅疾の数を、あらかじめ排列して定め、推歩して用いるのに便ならしめるものである。『元志』・『暦経』に七政の盈縮遅疾を歩むに、皆二つの術がある。その一つの術は三差を以て算を立てるもので、即ち布立成の法である。そのまた一つの術に云う、その下の盈縮分を以て、入限分を乗じ一万で約し、以てその下の盈縮積に加えるものは、立成法を用いるのである。しかし立成を載せておらず、算に入る由もない。今『大統暦通軌』に依り、これを具録する。その目は四つ:曰く太陽盈縮、曰く晨昏分、曰く太陰遅疾、曰く五星盈縮。その余は『法原』及び『推歩』の巻中に詳しい。『元史』に按ずるに、至正十七年に『授時暦』が成る。十九年に王惇卒す。時に暦は既に頒布されたが、しかし立成の数はなお皆定稿があった。郭守敬が比類編次し、分秒を整斉し、裁って二巻とした。しかるに今の欽天監本には、嘉議大夫太史令臣王惇が勅を奉じて撰すと載せている。その意は、王が先に稿があり、郭がこれを卒成したのであろうか。

原文立成者,以日月五星盈縮遲疾之數,預爲排定,以便推步取用也。《元志》、《曆經》步七政盈縮遲疾,皆有二術。其一術以三差立算者,即 布立成法也。其又術雲,以其下盈縮分,乘入限分萬約之,以加其下盈縮積者,用立成法也。而遣立成未載,無從入算。今依《大統歷通軌》具錄之。其目四:曰太陽盈縮,曰晨昏分,曰太陰遲疾,曰五星盈縮。餘詳《法原》及《推步》卷中。按《元史》,至正十七年《授時曆》成。十九年王恂卒,時歷雖頒,然立成之數尚皆有定藁。郭守敬比類編次,整齊分秒,裁爲二卷。而今欽天監本,載嘉議大夫太史令臣王恂奉敕撰。意者王先有藁,而郭卒成之歟?

太陽盈初縮末限立成 冬至前後二象限同用

原文太陽盈初縮末限立成冬至前後二象限同用

(表格略)

原文表格略

晨分に二百五十分を加えて、日出分と為す。日周一万分の内、晨分を減じて昏分と為す。昏分より二百五十分を減じて、日入分と為し、また五千分を減じて、半昼分と為す。故に立成には只晨昏分を列するのみで、則ち出入及び半昼分は皆具わり、必ずしも尽く列するには及ばないのである。

原文晨分加二百五十分,爲日出分。日週一萬分,內減晨分爲昏分。昏分減二百五十分,爲日入分,又減五千分,爲半晝分。故立成只列晨昏分,則出入及半晝分皆具,不必盡列也。

(以下表格略)

原文以下表格略