明史

列傳第一百九十 列女二

列傳第一百九十 列女二

原文列傳第一百九十 列女二

列女二

原文列女二

歐陽氏は九江の人、彭澤の王佳傅の妻なり。姑に事へ至孝なり。夫亡ぶ、氏年方に十八、遺腹の子を撫で、紡績を以て生と為す。父母之を嫁がすを迫る、乃ち針を以て其の額を刺し、誓死守節の字あざなと為し、墨を以て之を涅し、膚裏に深入す、里人黒頭節婦と称す。

原文歐陽氏,九江人,彭澤王佳傅妻也。事姑至孝。夫亡,氏年方十八,撫遺腹子,紡績為生。父母迫之嫁,乃針刺其額,為誓死守節字,墨涅之,深入膚裏,里人稱為黑頭節婦。

又徐氏は烏程の人。年十六、潘順に嫁す。期せずして夫病篤く、顧みて徐に曰く「母老い、汝年少、奈何」と。徐泣下し、即ち刀を引いて左の小指を断ち、以て死を誓ふ。夫死し、布衣長齋す。年七十八にして卒す。遺命して断指を取って棺中に入る。家人其の指を出だすに、染むる所の爪の紅色尚存す。

原文又徐氏,烏程人。年十六,嫁潘順。未期而夫病篤,顧徐曰:「母老,汝年少,奈何?」徐泣下,即引刀斷左小指,以死誓。夫死,布衣長齋。年七十八卒。遺命取斷指入棺中。家人出其指,所染爪紅色尚存。

馮氏は宣城の劉慶の妻。年十九、夫亡ぶ、誓って節を守る。其の娣姒之を諷して曰く「守は未だ言ひ易からず、鉄釘を咬み断つ者に非ざれば能はざるなり」と。馮即ち袂を投げ起ち、壁上の釘を抜きて之を嚙む、剨然として歯痕有り。復た臂の肉を抉り、釘を以て壁上に著けて曰く「脱し異志有らば、此れ即ち狗彘の肉も若かず」と。已にして遺腹に子を生み、曰く大賢。長じて李氏を娶る、大賢又夭す、姑婦相守りて老に至る。卒し、壁の釘肉を取って視るに、尚韌くして腐らず、歯痕新しきが如し。

原文馮氏,宣城劉慶妻。年十九,夫亡,誓守節。其娣姒諷之曰:「守未易言,非咬斷鐵釘者不能。」馮即投袂起,拔壁上釘嚙之,剨然有齒痕。復抉臂肉,釘著壁上曰:「脫有異志,此即狗彘肉不若。」已而遺腹生子,曰大賢。長娶李氏,大賢又夭,姑婦相守至老。卒,取視壁釘肉,尚韌不腐,齒痕如新。

方氏は金華の軍士袁堅の妻。堅酒を嗜み家を敗り、卒して城北の濠上に殯す。方貧にして依る所無く、乃ち殯処に即ち棺を置き、其の中に寢處し、饑うれば則ち出でて濠に於て飲む。久しく復た出でず、則ち死せり。郡守劉郤土を封じて之を祭る。

原文方氏,金華軍士袁堅妻。堅嗜酒敗家,卒殯城北濠上。方貧無所依,乃即殯處置棺,寢處其中,饑則出飲於濠。久之不復出,則死矣。郡守劉郤為封土祭之。

又葉氏は蘭谿の人。神武中衛の舍人許伸に適す。伸家素より財に饒なり、不檢を以て、蕩尽せんとし、妻を携へて親しむ所に投じ、通州に卒す。氏屍を守り、晝夜跪きて哭す。或は之に食を遺し、或は金を饋り、或は以て改嫁を勧む、俱に卻して応ぜず。水漿口に入れざること十四日、竟に屍の傍に死す、年二十餘、州人棺を買ひて合葬す。

原文又葉氏,蘭谿人。適神武中衛舍人許伸。伸家素饒於財,以不檢,蕩且盡,攜妻投所親,卒於通州。氏守屍,晝夜跪哭。或遺之食,或饋金,或勸以改嫁,俱卻不應。水漿不入口者十四日,竟死屍傍,年二十餘,州人為買棺合葬。

潘氏は海寧の人。年十六、許釗に帰り、子淮を生む。甫だ期年、釗卒す、既に殮し、潘自経す。死すること已に両日、老嫗有り之を過ぎて曰く「是れ活く可し」と。之に薬を投じ、更に蘇る。釗の族兄孤に利あらんと欲し、潘を嗾して改適せしむ、潘容を毀りて自ら誓ふ。族兄なる者、夜勢家の仆数十人を率ひて債を以て誣ひ、門を椎きて入る。潘子を負ひ、風雨を冒し、垣を踰えて逸る。前に大河を距つ、追ふ者迫る、潘號慟して河に投ず。適に木浮かび至る有り、之に憑りて渡り、母家に達し、遂に止まりて帰らず。淮年十九、始めて帰る。淮諸生を補し、婦を娶りて五子を生む。潘年五十、宗人聚りて祝す、族兄なる者も亦至る。潘曰く「氏以て今日有る所以は、伯氏の玉成に頼る」と。目して淮に酒を酌ませて伯に飲ませ、爵を卒へ、北向ひて拝して曰く「未亡人、三十年来瀕死すること数たびなり、而るに顧みて強く生くるは、独り淮が故のみ。今幸ひに成立し、且つ多く子有り、復た何の憾か有らん」と。語畢りて室に入る。頃にして宴徹く、諸宗人淮と同に入りて謝す、則ち室中に縊死せり。

原文潘氏,海寧人。年十六,歸許釗,生子淮。甫期年,釗卒,既殮,潘自經。死已兩日矣,有老嫗過之曰:「是可活也。」投之藥,更蘇。釗族兄欲不利於孤,嗾潘改適,潘毀容自矢。族兄者,夜率勢家仆數十人誣以債,椎門入。潘負子,冒風雨,逾垣逸。前距大河,追者迫,潘號慟投於河。適有木浮至,憑以渡,達母家,遂止不歸。淮年十九,始歸。淮補諸生,娶婦生五子。潘年五十,宗人聚而祝,族兄者亦至。潘曰:「氏所以得有今日,賴伯氏玉成。」目淮酌酒飲伯,卒爵,北向拜曰:「未亡人,三十年來瀕死者數矣,而顧強生,獨以淮故耳。今幸成立,且多子,復何憾。」語畢入室。頃之宴徹,諸宗人同淮入謝,則縊死室中矣。

楊氏は桐城の吳仲淇の妻。仲淇卒す、家貧しく、舅更に之を嫁がさんと欲す。楊曰く「即ち饑死すとも、必ず舅姑と俱にすべし」と。舅奪ふ能はず。数年、家益貧しく、舅其の父母に謀り、将に以て債を償はんとす。楊天を仰ぎて呼びて曰く「吾が口を以て舅姑を累はすは、不孝なり。貧を助くる所無きは、不仁なり。節を失へば則ち不義なり。吾死有るのみ」と。因りて発を咽みて死す。張烈婦は蕪湖の諸生繆釜の妻。年十八、釜に帰る。四年を越え、釜病み、張に属して善く自ら托せよとす。張泣いて曰く「夫吾に二心有りと為すか。子有れば則ち志を守り主に奉じ、妻の道なり。子無ければ則ち身を潔くして夫に殉じ、婦の節なり」と。乃ち沐浴して衣を更へ、戸を闔ぢて自縊す。日を閲て、而して釜乃ち卒す。又蔡烈婦は松陽の葉三の妻。三薪を負ふを業と為し、蔡小心に敬事す。三久しく病み、織纴を以て薬餌を供す。病篤く、婦の手を執りて訣して曰く「我が生けるに及んで嫁げ、三年の苦を受くる無かれ」と。婦梳洗して衣を更へ、袖に刀して前に曰く「我先づ嫁げり」と。頸を刎ねて死す。三驚嘆し、尋ねて死す。又鄭氏は安陸の趙鈓の妻。性剛烈、閨房中言動非禮に渉らず。某寡婦更に人に適し、茶餅を以て饋る。鄭怒り、命じて之を傾けしむ。夫戯れて曰く「若罵る勿れ、幸ひに夫死せざるのみ」と。鄭正色して曰く「君憂ふる勿れ、我豈に此れを為さんや」と。後鈓疾み将に死せんとし、回りて鄭を視るに、目を瞪きて瞑らず。鄭曰く「君我を疑ふこと得毋れや」と。即ち自ら床楣に縊す。鈓少しく蘇り、回りて盼み、涙を出だして絶ゆ。

原文楊氏,桐城吳仲淇妻。仲淇卒,家貧,舅欲更嫁之。楊曰:「即饑死,必與舅姑俱。」舅不能奪。數年,家益貧,舅謀於其父母,將以償債。楊仰天呼曰:「以吾口累舅姑,不孝。無所助於貧,不仁。失節則不義。吾有死而已。」因咽發而死。張烈婦,蕪湖諸生繆釜妻。年十八,歸釜。越四年,釜病,屬張善自托。張泣曰:「夫以吾有二心乎?有子則守志奉主,妻道也。無子則潔身殉夫,婦節也。」乃沐浴更衣,闔戶自縊。閱日,而釜乃卒。又蔡烈婦,松陽葉三妻。三負薪為業,蔡小心敬事。三久病,織纴供藥餌。病篤,執婦手訣曰:「及我生而嫁,無受三年苦。」婦梳洗更衣,袖刀前曰:「我先嫁矣。」刎頸死。三驚嘆,尋死。又鄭氏,安陸趙鈓妻。性剛烈,閨房中言動不涉非禮。某寡婦更適人,饋以茶餅。鄭怒,命傾之。夫戲曰:「若勿罵,幸夫不死耳。」鄭正色曰:「君勿憂,我豈為此者。」後鈓疾將死,回視鄭,瞪目不瞑。鄭曰:「君得毋疑我乎?」即自縊於床楣。鈓少蘇,回盼,出淚而絕。

王烈婦は上元の人。夫酒を嗜み業を廢す、破屋一間に僦居し、竹篷を以て内外を隔つ。婦日戸を塞ぎ、門扉に坐して麻を績ぎ自給す。夫博徒の李と遊ぶ。李婦の姿を悅び、之を乱さんと謀る。夫酒に被り、狂言を以て婦を餂ふ、婦母家に奔りて之を避く。夫之を逼りて帰らしめ、夜酒脯を携へて李と俱に至り、婦を引いて坐せしむ、婦駭き走り且つ罵る。夫威を以て之を挟む、婦堅く拒み、大いに搒笞せらる。婦免れ難きを度り、夜幼女を携へて河干に坐し、慟哭して河に投じて死す。是の夜、大風雨、屍漂没せず。曙に及び、女尚草間に熟睡す。

原文王烈婦,上元人。夫嗜酒廢業,僦居破屋一間,以竹篷隔內外。婦日塞戶,坐門扉績麻自給。夫與博徒李遊。李悅婦姿,謀亂之。夫被酒,以狂言餂婦,婦奔母家避之。夫逼之歸,夜持酒脯與李俱至,引婦坐,婦駭走且罵。夫以威挾之,婦堅拒,大被搒笞。婦度不免,夜攜幼女坐河干,慟哭投河死。是夜,大風雨,屍不漂沒。及曙,女尚熟睡草間。

又許烈婦は松江の人許初の女。夫飲博して生を治めず。諸博徒聚りて謀りて曰く「若の婦少艾なり、曷ぞ我輩と歡を共にせざる、日々錢を得て酒を治む可し」と。夫即ち意を以て婦に諭す、婦之を叱し、屢箠撻を加ふれども従はず。一日、諸悪少酒肴を以て進む。婦走りて鄰の嫗家に避け、泣きて懷中の女を顧みて曰く「而が父不才なり、吾安んぞ顔を存し自らん、汝の民となるを俟たんや」と。少間、戸を闔づる聲を聞く。嫗之を覘ふるに、則ち刀を抜きて頸を刎ね地に仆る。父醫を挈へ来りて視るに、熱き雞皮を取って之を封ず、復抓き去る。明旦氣絶す、年二十五。

原文又許烈婦,松江人許初女。夫飲博不治生。諸博徒聚謀曰:「若婦少艾,曷不共我輩歡,日可得錢治酒。」夫即以意喻婦,婦叱之,屢加箠撻不從。一日,諸惡少以酒肴進。婦走避鄰嫗家,泣顧懷中女曰:「而父不才,吾安能顏自存,俟汝之成民也。」少間,聞闔戶聲。嫗覘之,則拔刀刎頸仆地矣。父挈醫來視,取熱雞皮封之,復抓去。明旦氣絕,年二十五。

吳氏は永豐の人、名は吉姑。年十八、寧集略に適す。未だ一年ならず、夫卒す、六日食はず。親しむ所の方百方解譬し、始めて粥を食し、朝暮一溢米。服除け、母其の少きを憐み、令して改適せしめんと欲す。往きて之を視るに、同寢食すること三年、竟に敢へて一語を出ださず。帰りて諸婦に謂ひて曰く「此の女鐵石の心なり、動かす可からず」と。

原文吳氏,永豐人,名吉姑。年十八,適寧集略。未一年,夫卒,六日不食。所親百方解譬,始食粥,朝暮一溢米。服除,母憐其少,欲令改適。往視之,同寢食三年,竟不敢出一語。歸謂諸婦曰:「此女鐵石心,不可動也。」

慈谿の沈氏六節婦。章氏は祚の妻。周氏は希魯の妻。馮氏は信魁の妻。柴氏は惟瑞の妻。孟氏は弘量の妻。孫氏は琳の妻。居る所の名は沈思橋、海に近し。族の衆二千人、多く驍ぎょう黠にして善く鬥ふ。嘉靖中、倭賊入り犯す、屢其の魁を殲し、虜掠を奪ひ還す。賊深く之を仇とす。一日、賊大いに至る、沈氏の豪衆に誓ひて曰く「婦女を出す無かれ、貨財を輦する無かれ、共に死を以て守り、違ふ者は誅す」と。章亦族中の婦女を集めて誓ひて曰く「男子は死して鬥ひ、婦人は死して義す、賊の辱しむる為す無かれ」と。衆竦息して命を聽く。賊圍み合はす、群婦一樓に聚りて以て待つ。既にして賊入る、章先づ出でて河に投ず、周と馮之に從ふ。紫方に夫の為に刃を礪く、即ち刃を以て賊を斫り、旋ねて自ら刃す。孟と孫賊に得らる、賊の刃を奪ひて自ら刺して死す。時に宗婦の死する者三十餘人、而して此の六人尤も烈し。

原文慈谿沈氏六節婦。章氏,祚妻。周氏,希魯妻。馮氏,信魁妻。柴氏,惟瑞妻。孟氏,弘量妻。孫氏,琳妻。所居名沈思橋,近海。族眾二千人,多驍黠善鬥。嘉靖中,倭賊入犯,屢殲其魁,奪還虜掠。賊深仇之。一日,賊大至,沈氏豪誓於眾曰:「無出婦女,無輦貨財,共以死守,違者誅。」章亦集族中婦女誓曰:「男子死鬥,婦人死義,無為賊辱。」眾竦息聽命。賊圍合,群婦聚一樓以待。既而賊入,章先出投於河,周與馮從之。紫方為夫礪刃,即以刃斫賊,旋自刃。孟與孫為賊所得,奪賊刃自刺死。時宗婦死者三十餘人,而此六人尤烈。

黄氏は、沙県の王珣の妻である。嘉靖年間、倭寇が乱を起こし、その郷里を流れ劫掠した。郷里の隣近所は皆、舟を操ることを業としていた。賊が至ると、多くの婦人が舟に乗り、艙の中に隠れたが、黄氏は一人外に坐っていた。婦人たちが呼んで言うには、「賊に見られることを心配しないのか」と。黄氏は言った、「篷の窓の下に安坐していては、賊が来た時に逃れられぬ恐れがある。私は外に居て、すぐに水に飛び込もう」と。賊が来ると、黄氏は水中に躍り込んで死んだ。時に同県の羅挙の妻張氏は、夫に従って乱を避け、巌穴の間にいた。賊が来ると、張氏は妾及び妾の子と共に捕らえられた。賊は張氏が美しいのを見て、犯そうとしたが、従わなかった。途中に至り、張氏は髪を解いて自縊したが、賊はそれを断ち切った。張氏はまた行纏を解いたが、賊はまたそれに気づき、徒跣のまま追い立てて営に至った。賊の首魁が留め置こうとすると、張氏は厲声で言った、「速やかに一死を賜われ」と。賊は言った、「死を畏れぬなら、汝の妾を殺すぞ」と。張氏は頸を伸ばして言った、「妾に代わってください。子供を養育するために残して」と。賊は言った、「子供を殺すぞ」と。張氏は頸を伸ばして言った、「子供に代わってください。夫の後嗣を存続させるために」と。賊は引き出して殺すように命じた。張氏は先に行き、少しも懼れる色がなかった。賊がなお躊躇していると、張氏は罵りを絶やさず、遂に害に遇った。屍を河に投げ込むと、数日後、屍は浮かび上がり、生きているようであった。

原文黃氏,沙縣王珣妻。嘉靖中,倭亂,流劫其鄉。鄉之比鄰,皆操舟為業。賊至,眾婦登舟,匿艙中,黃兀坐其外。眾婦呼之曰:「不虞賊見乎?」黃曰:「篷窗安坐,恐賊至不得脫,我居外,便投水耳。」賊至,黃躍入水中死。時同縣羅舉妻張氏,從夫避亂巖穴間。賊至,張與妾及妾子俱為所獲。賊見張美,欲犯之,不從。至中途,張解發自縊,賊斷之。張又解行纏,賊又覺之,徒跣驅至營。賊魁欲留之,張厲聲曰:「速賜一死。」賊曰:「不畏死,吾殺汝妾。」張引頸曰:「請代妾,留撫孩嬰。」賊曰:「吾殺孩嬰。」張引頸曰:「請代孩嬰,存夫嗣。」賊令牽出殺之。張先行,了無懼色。賊方猶豫,張罵不絕口,遂遇害。投屍於河,數日屍浮如生。

張氏は、政和の遊銓の妻である。倭寇が将に至らんとする時、婦人は数回その女に語って言った、「婦道はただ節を尊ぶのみ。変事に値して窮すれば、溺れることと刃とがあるのみ。汝は謹んでこれを覚えておけ」と。銓がこれを聞き、不吉だと思った。婦人は言った、「婦と女がこのようにできるならば、これより大いなる吉事があろうか」と。未だ幾ばくもせず、賊が政和を陥落させると、張氏は逃れられぬと覚悟し、連呼して女に言った、「以前の教えを省みるか」と。女が頷くと、即ち井戸に赴いた。張氏は笑みを含んでそれに従い、共に死んだ。

原文張氏,政和遊銓妻。倭寇將至,婦數語其女曰:「婦道惟節是尚,值變之窮,有溺與刃耳,汝謹識之。」銓聞,以為不祥。婦曰:「使婦與女能如此,祥孰大焉。」未幾,賊陷政和,張度不脫,連呼女曰:「省前誨乎?」女頷之,即赴井。張含笑隨之,並死。

また葉氏は、松溪の江華の妻、陳氏は、葉の弟の恵勝の妻で、里人と共に倭寇を避けて長潭にいた。歳除に値し、里の老女が幼い男の髪を整えるための刀を探したが見つからず、葉氏が懐中から取り出した。衆人が理由を問うと、言った、「急に備えるためです」と。倭が長潭を囲み、二婦を捕らえ、共に一つの縄に繋いだ時、葉氏は陳氏に言った、「我ら二人は縛られ、たとえ生きて帰れても、また悪名を被る。死ぬ方がましだ」と。陳氏は唯々と承諾した。葉氏が懐から刀を探ると、既に失われていた。各々幼い女を抱いて潭に跳び込み死んだ。時に林寿の妻范氏も、衆婦と共に山の塢に隠れていた。倭が衆婦を捜し出し、共に水南に至ると、范氏だけが抗った。或る者が姑息に従うようにと言うと、家から贖いに来るだろうと。答えて言った、「身は贖えても、辱は贖えようか。私は寧ろ死のう」と。賊がこの言葉を聞き、その幼い女を殺して脅したが、動じなかった。言った、「汝にも及ぶぞ」と。厲声で言った、「固より我が願いである」と。賊は彼女を殺した。

原文又葉氏,松溪江華妻,陳氏,葉弟惠勝妻,偕里人避倭長潭。值歲除,裏嫗覓刀為幼男發弗得,葉出諸懷中。眾問故,曰:「以備急耳。」及倭圍長潭,執二婦,共系一繩。葉謂陳曰:「我二人被縶,縱生還,亦被惡名,死為愈。」陳唯唯。葉探刀於懷,則已失,各抱幼女跳潭中死。同時林壽妻范氏,亦與眾婦匿山塢。倭搜得眾婦,偕至水南,範獨與抗。或謂姑順之,家且來贖。答曰:「身可贖,辱可贖哉!我則寧死。」賊聞言,殺其幼女恐之,不為勛。曰:「並及汝矣。」厲聲曰:「固我願也!」賊殺之。

劉氏の二女は、興化の人である。嘉靖四十一年、里中の婦人と共に倭に掠められ、路傍の神祠に繋がれた。倭が酒に酣になると、繋がれている者を遍く見て、先ずその姉を取った。姉は厲声で言った、「我は名家の女である。賊に汚されようか」と。倭は笑って慰めて言った、「もし我に従うなら、父母を尋ねて汝を帰そう」と。女は言った、「父母は知る由もない。この時に尚帰ることを論じようか」と。倭が尚背中を撫でて懇ろな様子をすると、女は怒り、大いに罵った。時に黄昏で、倭が火を放つと、女は即ち火に赴いて死んだ。已にしてまたその妹を侵そうとすると、妹もまた大いに罵った。倭が刃を露わにして脅したが、動じず、言った、「殺したければ、即ち殺せ」と。倭が強いて犯そうとすると、女は欺いて言った、「私は固より従いたいが、姉の骨が燼となるのを待ってからでなければならぬ。そうでなければ忍びない」と。倭は喜んで薪を負って火を増し、火が熾ると、女はまた火に赴いて死んだ。時に同死した者は四十七人、二女が最も烈しかった。

原文劉氏二女,興化人。嘉靖四十一年與里中婦同為倭所掠,系路傍神祠中。倭飲酣,遍視系中,先取其姊。姊厲聲曰:「我名家女也,肯汙賊乎?」倭笑慰之曰:「若從我,當詢父母歸汝。」女曰:「父母未可知,此時尚論歸耶?」倭尚撫背作款曲狀。女怒,大罵。時黃昏,倭方縱火,女即赴火死。已復侵其妹,妹又大罵。倭露刃脅之,不為動,曰:「欲殺,即殺。」倭欲強犯之,女紿曰:「吾固願從,俟姊骨燼乃可,否則不忍也。」倭喜負薪益火,火熾,女又赴火死。時同死者四十七人,二女為最。

孫烈女は、五河の人である。性は貞静で、軽々しく嬉笑しなかった。母の朱が卒すると、継母の李が前夫の子の鄭州兒を連れて来た。州兒は母を恃んで女と私通しようとし、嘗て手で挑んだが、憤ってその頬を打った。一日、女が顔を整えていると、州兒が後から抱きしめた。女は髪を掴んで刃を探したが、州兒がその腕を噛んで逃れた。女は姉に訴えに走り、地に触れて慟哭して言った、「母は不幸で、父はまた他所に出ている。賊子が敢えて私を辱めようとする。必ずやこれを刃にかけて後死のう」と。姉は曲げて慰撫した。乃ち腕の痕を李に見せ、戒めてこれを止めさせた。州兒は改めず、李を欺いて言った、「兒が薪を採り、腕の力が勝たず、束を路に置き忘れた」と。李が取りに行くと、帰ると戸は厳しく閉ざされていた。母方の伯母の舒氏もまた駆けつけて来て言った、「初めは小牛の悲鳴のようであり、続いてまた雷の響きのように震えた。必ず異変がある」と。力を合わせて開けると、州兒は閾の下で死んでおり、項はほとんど断たれ、女もまた壁に倚って死んでいた。蓋し州兒が母を騙して出させ、女をからかったのである。女は陽に承諾して戸を閉めさせ、既にその後を踏んでこれを殺したのである。また蔡烈女は、上元の人である。幼くして孤となり、祖母と住んでいた。一日、祖母が出ると、僧となった追放された僕が来て食を乞い、挑んだが、従わなかった。刃で脅すと、女は徒手でこれと搏ち、十数ヶ所傷を受け、罵りを絶やさず、竈の下で宛転して死んだ。賊は逃げ去り、官が検分を行おうとすると、突然来て自首した。官が怪しんで理由を問うと。賊は言った、「女が私をここに拘引したのです」と。遂に罪に当てられた。

原文孫烈女,五河人。性貞靜,不茍嬉笑。母朱卒,繼母李攜前夫子鄭州兒來。州兒恃母欲私女,嘗以手挑之,忿批其頰。一日,女方治面,州兒從後摟之。女揪發覓刃,州兒嚙其臂得脫。女奔訴於姊,觸地慟哭曰:「母不幸,父又他出,賊子敢辱我,必刃之而後死。」姊曲撫慰。乃以臂痕示李,使戒戢之。州兒不悛,紿李曰:「兒采薪,臂力不勝,置遺束於路。」李往取之,歸則戶扃甚嚴。從母舒氏亦趨至,曰:「初聞如小犢悲鳴,繼又響震如雷,必有異。」並力啟之,州兒死閾下,項幾斷,女亦倚壁死。蓋州兒誑母出,調女。女陽諾而使之閉門,既躡其後殺之也。又蔡烈女,上元人。少孤,與祖母居。一日,祖母出,有逐仆為僧者來乞食,挑之,不從。挾以刃,女徒手搏之,受傷十餘處,罵不絕,宛轉死竈下。賊遁去,官行驗,忽來首伏。官怪問故。賊曰:「女拘我至此。」遂抵罪。

陳諫の妻李氏は、番禺の人である。諫は、嘉靖十一年の進士である。太平の推官となり、二月で卒した。その弟が棺を扶けて帰ろうとした。李氏は言った、「私は若い寡婦である。どうして叔父と万里を同じくして帰ることができようか」と。遂に食を絶って死んだ。

原文陳諫妻李氏,番禺人。諫,嘉靖十一年進士。為太平推官,兩月卒,其弟扶櫬歸。李曰:「吾少嫠也,豈可與叔萬里同歸哉!」遂不食死。

胡氏は、会稽の人である。同里の沈袠に許嫁した。将に嫁がんとする時、袠が父の煉の難に遭い、二兄の袞・褒が塞上で杖死し、袠と兄の襄は共に宣府の獄に逮系された。総督の楊順が厳嵩の意に逢い、必ず二子を死に置かんとし、数百回搒掠し、夜分に二子の病状を記させた。時に順が給事中の呉時来に弾劾され、檻車に就いて去ったので、襄等は乃ち釈放を得た。ここより病んで嘔血し、父の喪を扶けて帰り、服闋に及んで始めて婚し、胡氏の年は既に二十七であった。六月を過ぎ、袠が卒すると、胡氏は哀哭して声を絶やさず、全ての奩具を出して喪事を治めた。他の諷する者がいると、髪を断ち面を剺いて絶った。終日一室の中にあり、即ち同産でも時ならずしては会わなかった。晩年に疾を染め、家人が医を迎えようとすると、その父に告げて言った、「寡婦の手をどうして他人に見せられようか」と。薬を服さずに卒し、年五十一であった。襄の子を嗣がせた。

原文胡氏,會稽人。字同里沈袠。將嫁,而袠遘父煉難,二兄袞、褒杖死塞上,袠與兄襄並逮系宣府獄。總督楊順逢嚴嵩意,必欲置二子死,搒掠數百,令夜分具二子病狀。會順為給事中吳時來所劾,就檻車去,襄等乃得釋。自是病嘔血,扶父喪歸,比服闋始婚,胡年已二十七。逾六月,袠卒,胡哀哭不絕聲,盡出奩具治喪事。有他諷者,斷髮剺面絕之。終日一室中,即同產非時不見。晚染疾,家人將迎醫,告其父曰:「寡婦之手豈可令他人視。」不藥而卒,年五十一。以襄子嗣。

戴氏は、莆田の人で、名は清である。蔡本澄に嫁ぎ、年甫十四であった。二年住み、本澄が世籍により遼東に戍り、妾を買って婦に代わって行かせた。戴の父と約して言った、「遼左は天の果て、五年帰らねば、我が女は改嫁すべきである」と。期に至り、父が清に約の如く語った。泣いて従わず、独居すること十五年であった。本澄が帰り、一子を生んだが、未だ晬に及ばず、父子相継いで亡くなった。清は哀毀してほとんど絶えた。父が密かに呉氏に聘を受け、清がこれを聞いて言った、「人は私を蔡本澄の婦と呼ぶのみ。どうしてまた呉と言おうか」と。即ち父の家に行き、婚を絶たせた。呉が官に訟うと、令は節を守らせ、表して「寡婦清の門」と称した。時に莆田にはまた欧茂仁の妻胡氏がおり、節を守って厳しく苦しく、内外これを重んじた。郡に長く断じられない獄があり、人が言った、「太守は胡寡婦に問うべし」と。守は乃ち婦を訪れてこれを問うと、一言で決した。

原文戴氏,莆田人,名清。歸蔡本澄,年甫十四。居二年,本澄以世籍戍遼東,買妾代婦行。戴父與約曰:「遼左天末,五年不歸,吾女當改嫁矣。」至期,父語清如約。泣不從,獨居十有五年。本澄歸,生一子,未晬,父子相繼亡。清哀毀幾絕。父潛受吳氏聘,清聞之曰:「人呼女蔡本澄婦耳,何又云吳耶?」即往父家,使絕婚。吳訟之官,令守節,表曰寡婦清之門。時莆又有歐茂仁妻胡氏,守節嚴苦,內外重之。郡有獄久不斷,人曰:「太守可問胡寡婦。」守乃過婦問之,一言而決。

胡氏は、鄞の許元忱の妻である。元忱は徐祝師の養子となり、巫祝の事を習った。胡氏はこれを卑しみ、夫に改業を勧め、且つ許宗に帰ることを勧めた。未だ果たさず、元忱が疫病で死んだ。氏はこれを許氏の廬に殯し、苫を敷いて柩の傍に臥し、夜は一刀を抱いて臥した。里の某が氏を偶に求めると、氏は面を毀ち鬢髪を截ち、左手の三指を断ち、流血淋漓とし、某は驚いて逃げた。族の婦人で尊行の者が抱きかかえて慟哭し、因って後を継ぐ者を立て、これを子とした。氏は喪に服すること三年、洗濯せず櫛もせず。葬を終えると、乃ち子に婦を娶らせた。夫に弟がおり、少なくして外に流移していたが、またこれを返し、許氏はこれにより復興した。

原文胡氏,鄞許元忱妻。元忱為徐祝師養子,習巫祝事。胡鄙之,勸夫改業,且勸歸許宗。未果,而元忱疫死。氏殯之許氏廬,苫臥柩傍,夜擁一刀臥。裏某求氏為偶,氏毀面截鬢髮,斷左手三指,流血淋漓,某驚遁。族婦尊行抱持之,大慟,因立應後者,令子之。氏服喪三年,不浣不櫛。畢葬,乃為子娶婦。夫有弟少流移於外,復為返之,許氏賴以復起。

李氏は、郃陽の安尚起の妻である。尚起は河南に商いに行き、病没した。李氏は訃報を聞くと、財産を全て売り払って夫の借金を完済し、さらに棺を用意して夫の棺の帰還を待ち、跪いて一族や同党に告げて言うには、「二つの棺を地中に入れる煩わしさをお願いします」と。戸を閉めて自ら縊死しようとしたところ、隣の婦人が彼女を生かそうと、戸を押し開けて言うには、「あなたにはまだ返済すべきものがあるのに、どうして急いで死ぬのですか」と。李氏は戸を開けて応えて言うには、「確かにそうですが、私の資産はすでに尽きました。どうしましょうか。もう一日だけ待ってください」と。そこで履物一足を縫い、それを持って行って渡し、言うには、「これで十分償えます」と。家に帰ると、遂に縊死した。

原文李氏,郃陽安尚起妻。尚起商河南,病亡。氏聞訃,盡變產完夫債,且置棺以待夫櫬歸,跪告族黨曰:「煩舉二棺入地。」閉戶將自縊,鄰婦欲生之,排闥曰:「爾尚有所逋,何遽死?」氏啟門應曰:「然吾資已盡,奈何?請復待一日。」乃紉履一雙往畀之,曰:「得此足償矣。」歸家,遂縊死。

呉節婦は、無為の周凝貞の妻である。凝貞が亡くなると、婦人は二十四歳で、容貌を損なって死を誓い、再嫁せず、女工の仕事をして寡婦の姑を養った。姑は年老いて病に臥せり、歯が駄目になって食べられなかった。婦人は自分の子の乳を断って姑に乳を与え、冬の月には臥して姑の背中を抱き温め、床の上で身をよじらせて三年を過ごした。姑が亡くなると、哀哭して骨と皮ばかりになり、七十五歳で亡くなった。また楊氏は、清苑の劉寿昌の妻である。十九歳の時、夫が亡くなり、死を誓って殉じようとした。姑が病み寄る辺がないことを思い、死ななかった。実家が迎えに来たが、姑が年老いて側を離れがたいので、ついに帰寧しなかった。三十年を経て、姑が亡くなり、葬儀を終えると、夫の墓で哀号して言うには、「妾は今ようやく地下でお伴することができます」と。そこで飲食を絶った。家人が遺言を尋ねると、言うには、「姑の喪服を着ている身なので、布の素服で納棺してほしい」と。そこで目を閉じた。

原文吳節婦,無為周凝貞妻。凝貞卒,婦年二十四,毀容誓死,不更適,傭女工以奉孀姑。姑老臥病,齒毀弗能食。婦絕其兒乳以乳姑,冬月臥擁姑背以暖之,宛轉床席者三年。姑卒,哀毀骨立,年七十五終。又楊氏,清苑劉壽昌妻。年十九,夫卒,誓死殉。念姑病無依,乃不死。母家來迎,以姑老不忍去側,竟不歸寧。閱三十年,姑卒,葬畢,哀號夫墓曰:「妾今得相從地下矣。」遂絕粒。家人問遺言。曰:「姑服在身,殮以布素。」遂瞑。

徐亜長は、東莞の徐添男の娘である。添男は徐姓の僕であり、亜長が四歳の時に死んだ。母は亜長をその主人に返し、去って別に嫁いだ。成長するにつれ、貞淑で静かで笑い話も少なく、多くの婢たちの中にいても、凛として犯しがたい様子があった。家童の進旺が彼女と密通しようとしたが、できなかった。亜長は主人の命で田で草や豆を取っていたところ、進旺が跡をつけて迫り、力ずくで拒んで免れたが、そこで泣いて言うには、「郎君が読書しているのを聞きましたが、寡婦が手を引かれた時、斧でその手を断ったという話があります。まして私はまだ娘です、どうして生きていられましょうか」と。そこで江に身を投げて死んだ。

原文徐亞長,東莞徐添男女。添男為徐姓仆,生亞長四歲而死。母以亞長還其主,去而別適。比長,貞靜寡言笑,居群婢中,凜然有難犯之色。家童進旺欲私之,不可。亞長奉主命草豆田中,進旺跡而迫之,力拒獲免,因哭曰:「聞郎君讀書,有寡婦手為人所引,斧斷其手,況我尚女也,何以生為!」遂投江死。

蒋烈婦は、丹陽の姜士進の妻である。幼い頃から聡明で悟りが早く、読書を好んだ。弟の文止がちょうど塾に通っていた。夜帰ると、いつも餅や菓子を与え、その日に授かった書物を誦させると、全て記憶でき、長くして遂に文章が書けるようになった。士進に嫁いで数年、士進が肺病で死んだ。婦人は金を粉末にして酒と共に飲み、また塩鹵も飲んだ。その父が幾度か察知して駆けつけ救い、死を免れた。十二日間食べず、父がその歯を開けて薬を飲ませると、また死ななかった。礼部尚書の姜宝は、士進の叔父であり、婦人が読書を好むことを知り、多くの古い図書や史書をその寝室に置き、劉向の『列女伝』を続けさせた。婦人は承諾し、家人はますます謹んで備えた。ある日、婦人は繐帳の前に穴を掘って大きな甕を埋め水を貯めるよう命じ、笑って家人に言うには、「ここに白蓮を植えよう。この花は泥から出て染まることがない。亡き人に私の心を知らせたいのです」と。そこで日々編纂に励んで怠らなかった。書物が完成しようとした時、監視する者が少し油断すると、頭を甕に浸して死んだ。文章は脱稿するとすぐに破棄し、現存する『列女伝』及び『哭夫文』四篇、『夢夫賦』一篇は、全て文止が盗み出して得たものである。御史が朝廷に上奏し、その門に「文章貞節」の札を掲げた。初め、その兄が妹が文章を書けるのを見て、李易安や朱淑真に比べたが、彼女はいつも眉をひそめて言うには、「易安は再嫁し、淑真はその夫に満足せず、文章ができても大節を損なっています」と。その幼い頃の志操は既にこのようなものであった。

原文蔣烈婦,丹陽姜士進妻。幼穎悟,喜讀書。弟文止方就外傅。夜歸,輒以餅餌啖之,令誦日所授書,悉能記憶,久之遂能文。歸士進數年,士進病瘵死。婦屑金和酒飲之,並飲鹽鹵。其父數偵知,奔救免。不食者十二日,父啟其齒飲之藥,復不死。禮部尚書寶,士進從父也,知婦嗜讀書,多置古圖史於其寢所,令續劉向《列女傳》。婦許諾,家人備之益謹。一日,婦命於繐帳前掘坎埋大缸貯水,笑謂家人:「吾將種白蓮於此,此花出泥淖無所染,令亡者知予心耳。」於是日纂輯不懈。書將成,防者稍不戒,則濡首缸中死矣。為文脫稿即毀,所存《列女傳》及《哭夫文》四篇、《夢夫賦》一篇,皆文止竊而得之者。御史聞於朝,榜其門曰文章貞節。初,其兄見女能文,以李易安、朱淑真比之,輒嚬蹙曰:「易安更嫁,而淑真不慊其夫,雖能文,大節虧矣。」其幼時誌操已如此。

楊玉英は、建寧の人である。書史に広く目を通し、詩を詠むことを得意とした。十八歳の時、官時中に許嫁された。時中に不当な罪がかかり、父母は他の家に改めて聘礼を受けた。玉英はこれを聞くと、その婢に言い付けて言うには、「私の箱に佩囊や布靴などがある。いつの日か官官人に渡してほしい」と。婢は悟らず、尋ねた。そこで寝室に忍び込み、自ら縊死し、目は閉じなかった。時中が訃報を聞き、礼を尽くして祭りに行き、手で覆うと、遂に目を閉じた。婢が遺された物を出し、父母に渡して開かせると、詩が得られた。それには、「崑山の一片の玉、既に卞和に売り与えらる。和の足苦く刖られ、玉は堅くして磨くべからず。若し再び他人に付せば、其れ平生を如何せん」と。また張蟬雲は、蒲城の人で、俞檜に許嫁された。万暦年間、檜は誣告されて獄に繋がれた。女は賄賂で脱することができると聞き、母に相談し、嫁入り道具を売って助けようとした。母は許さず、言うには、「汝はまだ嫁いでいないのに、どうしてそんなことをするのか」と。女は食事中だったが、すぐに碗を地面に投げつけ、憤って語らなかった。夜になると自ら縊死した。

原文楊玉英,建寧人。涉獵書史,善吟詠。年十八,許字官時中。時中有非意之獄,父母改受他聘。玉英聞之,囑其婢曰:「吾篋有佩囊、布鞵諸物,異日以遺官官人。」婢弗悟,諸之。於是竊入寢室,自經死,目不瞑。時中聞訃,具禮往祭,以手掩之,遂瞑。婢出所遺物,付父母啟之,得詩云:「昆山一片玉,既售與卞和。和足苦被刖,玉堅不可磨。若再付他人,其如平生何!」又張蟬雲,蒲城人,許字俞檜。萬曆中,檜被誣繫獄。女聞可賄脫,謀諸母,欲貨妝奩助之。母不可,曰:「汝未嫁,何為若此。」女方食,即以碗擲地,恚不語。入暮自縊死。

陳襄の妻倪氏。襄は鄞の諸生で、早世した。婦人は三十歳で、子がなく、家は貧しく、女紅に力を尽くして姑を養った。その容姿に憧れる者がいて、媒人を遣わして姑に申し出た。婦人は沸騰した湯を煎じて自らその顔を浸し、左目が飛び出し、さらに煙煤で傷口を塗り、遂に恐ろしい形相になった。媒人が訪れると、驚いて走り去り、再び聘のことを告げようとはしなかった。二十年を経て、姑は七十余歳で亡くなり、婦人は哀慟して飲食せずに死んだ。

原文陳襄妻倪氏。襄為鄞諸生,早卒。婦年三十,無子,家貧,力女紅養姑。有慕其姿者,遣媒白姑。婦煎沸湯自漬其面,左目爆出,又以煙煤塗傷處,遂成獰惡狀。媒過之,驚走,不敢復以聘告。歷二十年,姑壽七十餘卒,婦哀慟不食死。

彭氏は、安丘の人である。幼い頃に王枚臯に許嫁された。嫁ぐ前に、枚臯が亡くなり、再嫁しないことを誓った。濰県の丁道平が密かにその父に頼んで娶ろうとした。彭氏はこれを察知し、六日間食べなかった。道平は後悔して止め、女の節烈を心から敬い、後に彼女が危篤で起き上がれないと聞くと、棺を贈った。彭氏は父に言うには、「葦で私を包んで埋めてください。急いで丁氏の棺を返してください。地下で王枚臯に会いたいのです」と。遂に死んだ。また劉氏は、潁州の劉梅の娘で、李之本に許嫁された。之本が亡くなると、女は血の涙を流して食べず、父に言うには、「娘は李郎のために三年喪に服し、弟が少し成長するのを待って、その後殉じます。舅に伝えてください、まだ郎のために棺を用意しないでと」と。そこで全ての化粧をやめ、弟に読書を教え、自ら句読を正した。一年後、劉梅が密かに田家に許した。女はこれを聞くと、夜中に箱を開け、李家からの幣を取り出し、灯りを挑んで衣を縫い、それを着て、縊死した。知府の謝詔がその喪に臨むと、近隣の弔問客が市のようであった。田家も奠賻の品を用意し、酒を挙げてちょうど地に注ごうとすると、柩の前に置かれた灌ぎの瓦盆がぱっくりと割れ、高さ一丈いちじょう余り跳ね上がり、檐の周りを蝶が落ちるように回った。見物人は顔色を失った。

原文彭氏,安丘人。幼字王枚臯。未嫁,枚臯卒,誓不再適。濰縣丁道平密囑其父欲娶之。彭察知,六日不食。道平悔而止,心敬女節烈,後聞其疾革不起,贈以棺。彭語父曰:「可束葦埋我,亟還丁氏棺,地下欲見王枚臯也。」遂死。又劉氏,潁州劉梅女,許聘李之本。之本歿,女泣血不食,語父曰:「兒為李郎服三年,需弟稍長,然後殉。寄語翁,且勿為郎置槨。」遂盡去鉛華,教弟讀書,親正句讀。越一年,梅潛許田家。女聞,中夜開篋,取李幣,挑燈制衣,衣之,縊死。知府謝詔臨其喪,鄰里吊者如市。田家亦具奠賻,舉酒方酹,柩前承灌瓦盆劃然而碎,起高丈餘,繞檐如蝶墜。觀者震色。

劉氏の二人の孝女は、汝陽の人である。父の玉は七人の娘を生み、家は貧しく田を耕した。かつて畝の上で嘆いて言うには、「男児を生まずに女児を生むとは、私に鋤を握らせて休ませない」と。その第四女と第六女がこれを聞いて哀れに思い、嫁がないことを誓い、短い衣を着て父に代わって耕作した。父母が相次いで亡くなると、葬る力がなく、二人の女は家屋を丘とし、親の側を離れなかった。隆慶四年、督学副使の楊俊民と知府の史桂芳がその家を訪れて面会を請うたが、二人の女は年齢ともに六十を超えていた。

原文劉氏二孝女,汝陽人。父玉生七女,家貧力田。嘗至隴上,嘆曰:「生女不生男,使我扶犁不輟。」其第四、第六女聞之惻然,誓不嫁,著短衣代父耕作。及父母相繼卒,無力營葬,二女即屋為丘,不離親側。隆慶四年,督學副使楊俊民、知府史桂芳詣其舍請見,二女年皆逾六十矣。

黄氏は、江寧の陳伯の妻である。十八歳で、陳伯に嫁いだ。父が死に、母が節操を変えようとしたが、黄氏は苦言を諫めたが聞き入れられなかった。ある日、母が訪ねて来たが、女は門を閉めて会おうとせず、母は恥じて去った。後に陳伯が病篤くなると、黄氏は独り生きないことを誓った。ある日、姑が陳伯を支えて起き上がらせると、黄氏はじっと見つめて言うには、「ああ、病がここまでとは、私は望みがありません」と。竈の下に走り、食器を割って喉を刺したが死にきれず、包丁で自ら喉を切って死んだ。二十一歳であった。

原文黃氏,江寧陳伯妻。年十八,歸伯。父死,母欲改節,氏苦諫不從。一日,母來省,女閉門不與相見,母慚去。後伯疾篤,黃誓不獨生。一日,姑扶伯起坐,黃熟視曰:「嗟乎!病至此,吾無望矣。」走竈下,碎食器刺喉不殊,以廚刀自刎死,年二十一。

邵氏は、丹陽の大俠邵方の家の婢女である。邵方の子の儀がおり、婢女にその世話をさせた。かつての宰相徐階と高拱がともに郷里にいたとき、邵方は策を以て徐階に仕えようとしたが、用いられず、すぐに高拱を訪ねて謁見し、彼が再び宰相となるよう画策し、その名声は朝廷内外に轟いた。万暦初め、高拱が罷免されると、張居正が巡撫張佳胤に命じて邵方を捕らえ殺させ、同時に儀も逮捕した。儀はわずか三歳で、捕吏は日が暮れたのでまだ出発せず、邵方の住む屋敷を閉ざして守っていた。邵方の娘婿である武進の沈応奎は、義に厚い烈士で、気概と膂力があり、当時は諸生であったが、儀が死ねば邵氏の血筋が絶えると思い、救いに行こうとした。ところが府の推官が応奎と親しく、強く酒宴に誘い、夜半になってようやく終わった。武進から邵方の家までは五十里あり、応奎は城を越えて出て、夜半に邵方の家に着き、塀を越えて入った。婢女はちょうど灯りの下に座り、儀を抱いて泣きながら言った。「どうか沈郎が来て、この子を託してくれますように。」応奎が慌てて前に進むと、婢女は立ち上がって儀を彼に渡し、頭を地に付けて言った。「邵氏の祭祀はあなたにあります。この子が生きれば、婢は死んでも悔いはありません。」応奎は儀を匿って去り、朝に推官を訪ねた。翌朝、捕吏が儀を見失い、婢女を捕らえて毒打して尋問したが、終始何も言わなかった。ある者が太守に言った。「必ずや応奎が匿っているに違いない。」応奎と親しい推官が同席しており、大笑いして言った。「冤罪だ!応奎は昨夜私と酒を飲み、今朝もまた私を訪ねてきた。」ちょうど邵方のために弁解する者が現れ、事態は収まった。婢女はその子を養育して老いた。

原文邵氏,丹陽大俠邵方家婢也。方子儀,令婢視之。故相徐階、高拱並家居,方以策幹階,階不用,即走謁拱,為營復相,名傾中外。萬曆初,拱罷,張居正屬巡撫張佳胤捕殺方,並逮儀。儀甫三歲,捕者以日暮未發,閉方所居宅,守之。方女夫武進沈應奎,義烈士,負氣有力,時為諸生,念儀死,邵氏絕,將往救之。而府推官與應奎善,固邀飲,夜分乃罷。武進距方居五十里,應奎逾城出,夜半抵方家,逾墻入,婢方坐燈下,抱儀泣曰:「安得沈郎來,屬以此子。」應奎倉卒前,婢立以儀授之,頓首曰:「邵氏之祀在君矣。此子生,婢死無憾。」應奎匿儀去,晨謁推官。旦日,捕者失儀,系婢毒掠,終無言。或言於守曰:「必應奎匿之。」奎所善推官在坐,大笑曰:「冤哉!應奎夜飲於余,晨又謁余也。」會有為方解者,事乃寢,婢撫其子以老。

楊貞婦は、潼関衛の人で、郭恒に嫁ぐ約束をしていた。万暦初め、郭恒が湖南に遊学し、長く帰らなかった。父が他の縁談を受け入れようとしたが、娘は承知せず、髪を断って節を守った。家に岩壁があり、壁に穴を穿ってそこに住み、袋を垂らして飲食を通し、このようにして二十六年を過ごした。郭恒が帰ってきて、ようやく婚礼を挙げた。また倪氏という者がおり、帰安の人で、陳敏に嫁ぐ約束をしていた。陳敏は従軍し、すでに死んだと伝えられた。五十余年を経てようやく帰ってきた。倪は志を守って嫁がず、この時に至って婚礼を挙げ、六十一歳であった。

原文楊貞婦,潼關衛人,字郭恒。萬曆初,客遊湖南,久不歸。父議納他聘,女不可,斷髮自守。家有巖壁,穴墻居之,垂橐以通飲食,如是者二十六年。恒歸,乃成禮。又有倪氏,歸安人,許聘陳敏。敏從征,傳為已死。逾五十載始歸。倪守志不嫁,至是成婚,年六十一矣。

楊氏は、寧国の饒鼎の妻である。饒鼎が単衣のまま湖で溺死したので、楊はその魂を招いて葬り、二人の子を厳しく教え導いて一人前にし、冬でも袷の衣を着なかった。万暦初め、八十歳の時、ついに単衣のまま家の傍らの池に入り、端座して死んだ。

原文楊氏,寧國饒鼎妻。鼎以單衣溺死湖中,楊招魂葬之,課二子成立,冬不衣袷。萬曆初,年八十,竟單衣入宅旁池中,端坐死。

丁氏は、五河の王序礼の妻である。序礼の弟の序爵が他郷にいて、賊に殺された。その妻の郭氏は妊娠中で、すぐには殉死しなかった。そして子を産んで一月後、首を吊って死んだ。その時、丁氏はちょうど女児を産んだばかりで、泣きながら序礼に言った。「叔父様が不運にも他郷で亡くなり、叔母様もまた殉死され、孤児を養わずに置き去りにされました。その責務はあなたと私にあります。私は初めて女児を産みましたが、後にはまだ機会があります。しかし孤児が亡くなれば、叔父様の後継ぎは絶え、かつ叔母様に背くことになります。」そこで女児を捨てて甥に乳を与えた。間もなく序礼もまた死に、ついに子も娘もいなくなった。丁氏は年若かったが、甥を養育して成人させ、まったく怨み悔いることはなかった。

原文丁氏,五河王序禮妻。序禮弟序爵客外,為賊所殺,其妻郭氏懷孕未即殉。及生子越月,投繯死。時丁氏適生女,泣謂序禮曰:「叔不幸客死,嬸復殉,棄孤不養,責在君與妾也。妾初舉女,後尚有期,孤亡則斬叔之嗣,且負嬸矣。」遂棄女乳侄。未幾,序禮亦死,竟無子女。氏年方少,撫侄長,絕無怨悔。

尤氏は、昆山の貢生尤鏞の娘である。諸生の趙一鳳に嫁いだが、夫は早死にした。殉死しようとしたが、二人の子がまだ幼いのを顧みて、無理に食事をとった。二人の子もまた夭折すると、慟哭して言った。「これで夫に従うことができる。」夫がまだ葬られていないのを悲しみ、すぐに墓穴を営んだ。悪少年がその美しさに心を奪われ、彼女の目を指さして言った。「あの目は美しく流れるように輝いている、どうして長く保てようか。」婦人はこれを聞き、夜に石灰を取って手で目を揉み、血が出てたちまち枯れた。棺を用意して常に傍らに置いた。夫の葬儀が終わると、すぐに首を吊った。ある者が解き放すと、石に頭を打ち付けて額を裂き、走って棺の中に臥して死んだ。

原文尤氏,昆山貢生鏞女。嫁諸生趙一鳳,早死,將殉之,顧二子方繈褓,為強食。二子復殤,慟曰:「可以從夫矣。」痛夫未葬,即營窀穸。惡少年艷其色,訾其目曰:「彼盼美而流,烏能久也。」婦聞之,夜取石灰手挼目,血出立枯。置棺自隨。夫葬畢,即自縊,或解之,乃觸石裂額,趨臥棺中死。

李氏は、王寵麟の後妻である。寵麟は知府として仕えていたが死去し、李氏は二十余歳で、泣き叫び食事もとらず、四十日を経て病状が危篤となった。一族の者がその財産を狙い、必ずや悪口を言って先妻の子を陥れようとすることを知り、あらかじめ家人に命じて自分の棺を用意させ、封をせず殯も行わないようにした。人々が果たして蝟集し、孤児が母を殺したと騒ぎ立てた。李氏が棺の中から言った。「お前たちの計略が必ずこうなることは、すでに知っていた。」人々は大いに恥じて去り、その後李氏は目を閉じた。

原文李氏,王寵麟繼妻。寵麟仕知府卒,氏年二十餘,哭泣不食,經四十日疾革。知族人利其資,必以惡語傾前妻子,預戒家人置己棺中,勿封殮。眾果猬集,噪孤殺母。氏從棺中言:「已知汝輩計必出此也。」眾大慚而去,然後瞑。

孫氏は、甌寧の人である。幼い頃から経史に通じ、呉廷桂に嫁ぐ約束をしていた。廷桂が死ぬと、孫は喪に服そうとしたが、家族が止められず、父が輿を用意した。彼女は言った。「喪に赴くのに輿に乗ってよいのか?」夜に入り、徒歩で行き、納采の時に贈られた一対の金雀を携えて舅姑に会った。拝礼を終えると、柩の側に祭り、その後は喪中の席を離れず、必ず死ぬことを期した。呉家はもともと貧しく、用意した棺は、用が足りる程度のものだった。好事の者が美しい槚の木を贈って助けようとしたが、孫はそれを見て言った。「木が美しいからといって私の夫を超えるのは、礼に適いません。」と断った。粗末な棺が来ると、ようやく承諾した。期日が来ると首を吊って死に、衣帯の中に書いて言った。「男子は屍に近づかず、女子は衣を開くな。」

原文孫氏,甌寧人。幼解經史,字吳廷桂。廷桂死,孫欲左喪,家人止不得,父為命輿。曰:「奔喪而輿,可乎?」入夜,徒步往,挾納采雙金雀以見舅姑。拜畢,奠柩側,遂不離次,期必死。吳家故貧,所治棺,取具而已。好事者助以美槚,孫視之曰:「木以美逾吾夫,非禮矣。」卻之。以槥櫝來,乃許。屆期縊死,書衣帶中云:「男毋附屍,女毋啟衣。」

方孝女は、莆田の人である。父の瀾は、儀制郎中として官にあり、京師で死去した。娘は十四歳で、他に兄弟がおらず、叔父と共に棺を運んで帰った。揚子江を渡る時、中流で船が転覆し、棺が浮かんだ。娘は別の船にいたが、慌てふためいて救いを呼んだ。風濤が激しく怒り狂い、誰も前に出ようとしなかった。娘は天を仰いで大泣きし、ついに水に飛び込んで死んだ。三日後、屍体が浮かび上がり、父の棺の傍らに寄り、ともに南岸に漂着した。また解孝女という者がおり、寧陵の人である。十四歳の時、母と共に洗濯をしていた。母が誤って水に落ちた。娘は周りを見回しても人がいないので、号泣して水に飛び込んだ。しばらくして兄の紹武が到着し、潜って二人を引き上げたが、母も娘も死んでいた。娘の手は母をしっかりと握りしめていた。兄が母を救うと、しばらくして母は蘇生した。娘の手はまだ離れず、兄が泣きながら撫でて言った。「母はもう生き返った、妹も安心できるだろう。」すると手が離れた。

原文方孝女,莆田人。父瀾,官儀制郎中,卒京師。女年十四,無他兄弟,與叔父扶櫬歸。渡揚子江,中流舟覆,櫬浮。女時居別舟,皇遽呼救,風濤洶怒,人莫敢前。女仰天大哭,遂赴水死。經三日,屍浮,傍父櫬,同泊南岸。又有解孝女,寧陵人。年十四,同母浣衣。母誤溺水,女四顧無人,號泣投水。俄兄紹武至,泅而得之,母女皆死。女手挽母甚堅,兄救母,久之復蘇。女手仍不解,兄哭撫之曰:「母已生,妹可慰矣。」乃解。

李氏は、東郷の何璇の妻である。何璇が他郷で死去した。李氏は並外れた美貌を持ち、父が再嫁を迫った。そこで簪を耳の中に入れ、自ら手で押し込んで没するまでにし、また抜き出した。血が注ぐように飛び散った。姑が気づき、家人を呼んで救わせたが、すでに死んでいた。

原文李氏,東鄉何璇妻。璇客死。李有殊色,父迫之嫁。遂以簪入耳中,手自拳之至沒,復拔出,血濺如註。姑覺,呼家人救,則已死矣。

項貞女は、秀水の人である。国子生の項道亨の娘で、呉江の周応祁に嫁ぐ約束をしていた。女工に精通し、琴瑟を解し、『列女伝』に通じ、祖母と母に仕えて極めて孝行であった。十九歳の時、周が労咳の病であると聞き、すぐに斎戒し、香燈を焚いて仏を礼拝し、ひそかに何かを祈った。侍女たちがこっそり聞くと、わずかに身を以て代わるという言葉が聞こえた。ある日、乳母に言った。「嫁いでいないのに夫が亡くなったら、どうすればよいか。」乳母が言った。「まだ婦人となっていないのだから、縁組みを変えても害はない。」娘は厳しい顔で言った。「昔の賢人は一剣を人に約束しても、なお負けることを忍ばなかった。ましてや身においてはどうか。」そして訃報が届いた。父母はその事を秘密にしたが、しかし呉江の人が来たと伝わり、娘はすでに理解していた。祖母が母に見に行くように言うと、娘は母を座らせ、顔色はとても穏やかだったので、母は安心して去った。夜、侍女たちが熟睡するのを待ち、一人で起きて素糸で髪を結い、内外の衣をすべて縞のものに替え、下裳を縫い合わせた。侍女たちに労をかけるべき衣類などを点検し、名前を記して、それらを床上に並べた。机の上に大きく書いて言った。「父母上様に申し上げます。娘は一日もお仕えすることができませんでした。今、周郎のために死にます。」そして自ら首を吊った。両家の父母はその志に従い、ついに合葬した。

原文項貞女,秀水人。國子生道亨女,字吳江周應祁。精女工,解琴瑟,通《列女傳》,事祖母及母極孝。年十九,聞周病瘵,即持齋、燃香燈禮佛,默有所祝,侍女輩竊聽,微聞以身代語。一日,謂乳媼曰:「未嫁而夫亡,當奈何?」曰:「未成婦,改字無害。」女正容曰:「昔賢以一劍許人,猶不忍負,況身乎?」及訃聞,父母秘其事,然傳吳江人來,女已喻。祖母屬其母入視,女留母坐,色甚溫,母釋然去。夜伺諸婢熟睡,獨起以素絲約發,衣內外悉易以縞,而紉其下裳。檢衣物當勞諸婢者,名標之,列諸床上。大書於幾曰:「上告父母,兒不得奉一日,今為周郎死矣。」遂自縊。兩家父母從其志,竟合葬焉。

李氏は、寿昌の人である。十三歳の時、翁応兆と婚約した。応兆が急死すると、娘は嫁入り支度の衣装や飾りをすべて取り出して焼き、身を以て火の中に飛び込もうとしたが、父母に救い止められた。そこで翁の家に赴き、哀願して舅姑に後継ぎを立てることを乞い、また小さな楼を一つ乞い、夫の位牌を設け、その傍らに坐臥し、供え物を前に向かい合い、姑以外には顔を合わせなかった。舅が亡くなり、家は落ちぶれ、飢えを忍び紡績して姑を養った。間もなく姑もまた亡くなった。近所で大火が起こり、夜半から明け方まで燃え続け、百余りの家に延焼した。隣の婦人が楼に上がり、避難するよう勧めた。婦人は言った。「これこそ私が命を授かる時です。」夫の木主を抱いて焼かれるのを待った。しばらくすると四方はすべて灰燼に帰したが、小さな楼だけが残った。

原文李氏,壽昌人。年十三,受翁應兆聘。應兆暴卒,女盡取備嫁衣飾焚之,以身赴火,為父母救止。乃赴翁家,哀告舅姑乞立嗣,復乞一小樓,設夫位,坐臥於旁,奠食相對,非姑不接面。舅亡,家落,忍饑紡績以養姑。未幾,姑亦亡,鄰火大起,夜半達旦,延百餘家。鄰婦趨上樓,勸之避,婦曰:「此正我授命時也。」抱夫木主待焚。須臾四面皆燼,小樓獨存。

玉亭県君は、伊府の宗室典柄の娘である。二十四歳の時、楊仞に嫁いだ。二ヶ月も経たぬうちに仞が死去し、慟哭して食事を取らなかった。ある者が舅姑が年老いており、かつ遺腹の子があることを以て諭したので、死を忍んで喪事を執り行った。やがて男児が生まれたが、家は次第に零落した。万暦二十一年、河南は大飢饉となり、宗室の禄も長らく支給されず、紡績を三日しても一食も得られず、母子は抱き合って慟哭した。夜半に神が夢に現れて告げた、「汝の節行は天に上聞されており、助けを得るであろう」。朝になって起きると、母子が述べた夢の内容は一致しており、互いに怪しんだ。その子が言うには、「屋後の土を取って土坯を作り、粟と交換しよう」。その日に土を掘ると、銭数百文を得た。それ以来、掘るごとに銭を得た。ある日、家の傍らの地が陥没し、石炭一窖を得たので、これを取って炊事に用いた。二ヶ月余り経つと、官からの俸給も届き、人々は苦節が天に感応したのだと考えた。

原文玉亭縣君,伊府宗室典柄女。年二十四,適楊仞。不兩月仞卒,號慟不食。或勸以舅姑年老,且有遺孕,乃忍死襄事。及生男,家日落。萬曆二十一年,河南大饑,宗祿久缺,紡績三日,不得一飧,母子相持慟哭。夜分夢神語曰:「汝節行上聞於天,當有以相助。」晨興,母子述所夢皆符,頗怪之。其子曰:「取屋后土作坯,易粟。」其日掘土,得錢數百。自是,每掘輒得錢。一日,舍傍地陷,得石炭一窖,取以供爨。延兩月餘,官俸亦至,人以為苦節所感。

馬節婦は、十六歳で平湖の諸生劉濂に嫁いだ。十七歳で寡婦となった。舅の家は甚だ貧しく、彼女が再嫁することを利として、必ずその志を奪おうとした。飲食を与えず、あらゆる手段で挫こうとしたが、志はますます固かった。かつて門を閉じて首を吊ろうとしたが、ある者が救い出すと、縄が切れて地面に落ちて死んでいた。急いで解くと、次第に蘇生した。舅はまた密かに沈氏からの聘礼を受け取り、姑は彼女を誘って共に出かけさせ、女奴に抱きかかえさせて沈氏の舟に乗せた。婦は河に飛び込むことができず、天に救いを求めて大声で叫んだ。しばらくして風雨が起こり昼間も暗くなり、激しい雷が舟を撃ち、転覆しそうになること数度。沈氏は恐れ、舟を回して彼女を返した。事が県に知られると、県令は婦に別居を命じた。当時父と兄は皆亡くなっており、帰る所がなく、一つの学舎を借りて住み、官が養って老いるまで過ごした。

原文馬節婦,年十六,歸平湖諸生劉濂。十七而寡。翁家甚貧,利其再適,必欲奪其志。不與飲食,百計挫之,誌益厲。嘗閉門自經,或救之,則系絕而墜於地死矣。急解之,漸蘇。翁又陰納沈氏聘,其姑誘與俱出,令女奴抱持納沈舟。婦投河不得,疾呼天救我。須臾風雨晝晦,疾雷擊舟,欲覆者數四。沈懼,乃旋舟還之。事聞於縣,縣令婦別居。時父兄盡歿,無可歸,假寓一學舍,官贍之以老。

王氏は、東莞の葉其瑞の妻である。其瑞は貧しく、舟を操って近隣の境を行き来し、一月に一度帰宅した。婦は紡績して食糧を得た。万暦二十四年、嶺南は大飢饉となり、民は多く妻子を売った。其瑞は婦を博羅の民家に売ろうとし、契約が成立すると、その人を載せて共に来た。門に入って王氏が甚だ痩せ衰えているのを見て、尋ねると、数日も粥を食べていないという。其瑞は泣いて事情を告げ、かつ金を見せると、婦は笑って承諾した。舟が宝潭を出発すると、潭に躍り込んで死んだ。両岸の見物人は壁のようであり、皆、水流が速く、屍はどこにも留まらないだろうと言った。其瑞が到着し、上流から数声泣くと、屍が忽然と湧き出し、飛び込んだ場所から、既に数十歩も逆流していた。

原文王氏,東莞葉其瑞妻。其瑞貧,操舟往來鄰境,一月一歸。婦紡績易食。萬曆二十四年,嶺南大饑,民多鬻妻子。其瑞將鬻婦博羅民家,券成,載其人俱來。入門見氏羸甚,問之,不饘粥數日矣。其瑞泣語之故,且示之金,婦笑而許之。及舟發寶潭,躍入潭中死。兩岸觀者如堵,皆謂水迅,屍流無所底。其瑞至,從上流哭數聲,屍忽湧出,去所投處,已逆流數十步矣。

劉氏は、博平の呉進学の妻である。楊氏は、進性の妻である。進学が疫病で死に、埋葬が済むと、劉は夜に墓所に匍匐して縊死した。間もなく、進性も疫病で死に、楊は一慟してほとんど絶命しそうになった。姑が再嫁させようと議すると、楊は言った、「私がどうして姒(劉氏)に及ばないことがありましょうか」。遂に縊死した。

原文劉氏,博平吳進學妻。楊氏,進性妻。進學疫死,既葬,劉夜匍匐縊於墓所。未幾,進性亦疫死,楊一慟幾絕。姑議嫁之,楊曰:「我何以不如姒。」遂縊死。

譚氏は、南海の方存業の妻である。子を生んで三ヶ月で夫が亡くなり、悲号して殉死しようとした。母と姑が共に止め、かつ改嫁をほのめかした。氏は涙を流して言った、「私は久しく生きることを楽しまず、ただ姑と子を思うのみです」。嗚咽して涙が止まらず、二人は再び言うことができなかった。子が七歳になった時、塾師に就かせようとし、先に姑に拝礼させ、微かに託す意を示し、密かに喜んで言った、「私は今、志を遂げることができる」。ある日、媒氏が来て、また改嫁を勧めると、氏はますます憤り、夜中に縊死した。また張氏は、臨清の林与岐の妻である。夫が亡くなり、自ら縊死しようとした。舅姑が慰めて言った、「お前が死んだら、遺された孤児をどうするのか」。氏は衣服や物を乳母に与えてその子を育てさせ、三ヶ月後、子が乳母に安らかに育てられていると知ると、遂に飲食を絶って死んだ。

原文譚氏,南海方存業妻。生子三月,夫亡,悲號欲殉。母乃姑交止之,且諷改適。氏垂涕曰:「吾久不樂生,特念姑與兒耳。」哽咽流涕不止,二人不敢復言。及子七歲,遣就塾師,先令拜姑,微示付托意,竊自喜曰:「吾今可以遂誌矣。」一日,媒氏至,復勸改適,氏愈憤,中夜縊死。又張氏,臨清林與岐妻。夫亡,欲自縊,舅姑慰之曰:「爾死,如遺孤何?」氏以衣物倩乳嫗育其子,三月,知子安乳嫗,遂不食死。

李烈婦は、餘姚の呉江の妻である。二十歳の時、夫と舅が共に死去し、家は酷く貧しく、婦は紡績して姑を養い、自分は常に凍え飢えていた。黄某という者が、彼女を娶ろうと謀り、夫の一族の者に賄賂を贈って姑を誘惑させたが、すぐには従わなかった。その者は密かに黄某及び実家と約束し、母が急病になったと偽って、駕籠を担いで迎えに来た。婦は慌てて駕籠に乗ったが、門に着くと、実家ではなかった。姑も間もなく到着し、机や敷物を設け、急いで婚礼を挙げさせようとした。婦は偽って言った、「私が嫁ぎたくなかったのは、姑が老いて寄る辺がないからです。姑が既に許されたなら、また何を言いましょう。しかし妾は夫が亡くなってから一度も帯を解かず、今一度沐浴を願います」。また尋ねた、「聘財はどれほどですか」。姑が金額を答えると、言った、「急いでそれを懐に入れて行きなさい。姑がここにいるのに、私が人に従うのは、甚だ恥ずかしいことです」。皆は喜び、姑を行かせ、湯を用意させた。湯が来たが、長く出て来ないので、戸を開けて見ると、縊死していた。その後、崇禎十五年、餘姚にまた黄烈婦という者がいた。金一龍の妻である。夫が早くに亡くなり、黄は指を切って自ら誓い、従子を嗣子と立て、姑と寄り添って暮らした。熊氏の子が彼女を娶ろうとし、母方の親族がその財産を利として、実家に帰らせると騙し、間道を通って熊氏に送り届けた。黄は勢いが挽回できないと知り、有り合わせの物を全て取り集めて聘金を返済したいと願ったが、聞き入れられず、夜更けまで押し問答となり、刀を引いて自刎したが死ななかった。その姑がこれを聞き、急いで見に来ると、黄は言った、「私がすぐに死ななかったのは、姑に一目会いたかったからです。今また何を求めましょう」。遂に喉をえぐって絶命した。郡邑がこれを聞き、熊氏の子を獄中で死なせた。

原文李烈婦,餘姚吳江妻。年二十,夫與舅俱卒,家酷貧,婦紡績養姑,己恒凍餒。有黃某者,謀娶之,賄夫族某使鉺其姑,未即從。某乃陰與黃及父家約,詭稱其母暴病,肩輿來迎。婦倉卒升輿,既及門,非父家也。姑亦尋至,布幾席,速使成禮。婦佯曰:「所以不欲嫁者,為姑老無依耳。姑既許,復何言。然妾自夫歿未嘗解帶,今願一洗沐。」又問:「聘財幾何?」姑以數對。曰:「亟懷之去。姑在,我即從人,殊赧顏也。」眾喜,促姑行,為具湯。湯至,久不出,辟戶視之,則縊死矣。其後,崇禎十五年,餘姚又有黃烈婦者,金一龍妻。夫早歿,黃截指自誓,立從子為嗣,與姑相依。熊氏子欲娶之,母黨利其財,紿令還家,間道送於熊。黃知勢不可挽,願搜括所有以償聘金,不聽,相持至夜深,引刀自刎未殞。其姑聞之,急趨視,黃曰:「婦所以未即死者,欲姑一面耳,今復何求。」遂剜喉以絕。郡邑聞之,斃熊氏子獄中。

須烈婦は、呉県の人である。夫の李が死ぬと、町の者たちがその色を好み、争って娶ろうとした。婦は泣いて言った、「私は一人の夫を送り終えたばかりで、すぐにまた一人の夫を迎えるのですか。かつて私の夫の死を利として私を妻にしようとするのは、私の夫を殺すのと同じではありませんか」。町の者たちは徒党を組んで謀議ぼうぎし、彼女を掠奪しようとした。婦は驚いて母の家に駆け込んだが、母は恐れて留めようとしなかった。姑の家に戻ると、姑は母と同じく恐れた。姉の家に身を寄せると、姉はますます留めようとせず、婦は泣いて帰った。隣人が諭して言った、「もし死んだとしても、誰が汝の節を表彰するだろうか、どうしてここまで自ら苦しむのか」。婦は結局免れられないと覚悟し、自縊して死んだ。

原文須烈婦,吳縣人。夫李死,市兒悅其色,爭欲娶之。婦泣曰:「吾方送一夫,旋迎一夫。且利吾夫之死而妻我,不猶殺我夫耶!」市兒乃糾黨聚謀,將掠之。婦驚奔母,母懼不敢留。返於姑,姑懼知母。投姊,姊益不敢留,婦泣而歸。鄰人勸之曰:「若即死,誰旌若節者,何自苦若此?」婦度終不免,自經死。

陳節婦は、安陸の人である。李姓に嫁ぎ、早くに寡婦となり、独りぼっちで、実家に帰り志を守り、小楼に坐臥し、三十年間足を楼から下ろさなかった。臨終に際し、その婢に言った、「私が死んだら、慎んで男子に私を担がせてはならない」。家人はその言葉を軽んじ、男子に楼に登らせて担がせると、気絶してからしばらく経って、起き上がって坐り言った、「最初に私は何と言ったか、それなのに汝らをここまで来させた」。家人は驚き恐れて下り、目はようやく閉じた。

原文陳節婦,安陸人。適李姓,早寡,孑然一身,歸父家守志,坐臥小樓,足不下樓者三十年。臨終,謂其婢曰:「吾死,慎勿以男子舁我。」家人忽其言,令男子登樓舉之,氣絕逾時矣,起坐曰:「始我何言,而令若輩至此。」家人驚怖而下,目乃瞑。

馬氏は、山陰の劉晋嘯の妻である。万暦年間、晋嘯が客死し、馬は二十歳余りで、家に立錐の余地もなかった。伯氏に楼があったので、母と共にそこに寄寓し、十本の指で生計を立て、数十年間梯子を下りなかった。常に瓦盆に新たな土を貯め、足をそれに付けた。隣の婦人が理由を尋ねると、言った、「私は土気を服するためです」。六十五歳で死去した。

原文馬氏,山陰劉晉嘯妻。萬曆中,晉嘯客死,馬年二十許,家無立錐。伯氏有樓,遂與母寄居其上,以十指給養,不下梯者數十年。常用瓦盆貯新土,以足附之。鄰婦問故,曰:「吾以服土氣耳。」年六十五卒。

謝烈婦は、名を玉華といい、番禺の曹世興の妻である。世興は馮氏の塾師となり、婚礼を挙げたばかりで、すぐに書箱を背負って赴いた。間もなく病気で帰り、起き上がれず、婦は改嫁しないと誓った。曹族の長老はこれを称賛し、祭田を分けて養うことを議した。ある者が、婦は年が盛んであり、喪事が済むまで待ち、実家に帰寧させるべきだと言うと、婦は偽って承諾した。その期日になると、駕籠を用意して行こうとし、諸姉嫁に別れを告げ、多く訣別の言葉を述べ、ゆっくりと部屋に入り戸を閉め、刀で自ら首を断った。家人が急いで板に穴を開けて入ると、血が衣に満ちて流れ、まだ絶命しておらず、諸人が入って来るのを見ると、急いで左手を断ち口から喉を探り出し、右手で刀を引いて一割りし、ようやく目を閉じた。

原文謝烈婦,名玉華,番禺曹世興妻。世興為馮氏塾師,甫成婚,即負笈往。亡何病歸,不能起,婦誓不改適。曹族之老嘉之,議分祭田以贍。或謂婦年方盛,當俟襄事畢,令歸寧,婦佯諾。及期,駕輿欲行,別諸姒,多作訣語,徐入室閉戶,以刀自斷其頸。家人亟穴板入,血流滿衣,尚未絕,見諸人入,亟以左手從斷處探喉出之,右手引刀一割,乃瞑。

張氏は、桐城の李棟の妻である。棟が死んで子がなく、張は床で自縊した。母が救うと、奮い立って起き上がり、斧を取って左腕を三度斬った。家人が斧を奪い、押さえつけて蓐の上に坐らせると、張は気絶して悶え言葉を発しなかった。家人が少し退くと、張は急に身を覆って戸外に出て水に飛び込んだ。水は丁度氷っており、頭で穴を突いて入り、遂に死んだ。この邑にまた烈婦王氏がいた。高文学の妻である。文学が死ぬと、父の道美が弔問に来て、王に言った、「過度に哀しむな。事には三等あり、汝が自ら為すことだ」。王は泣きやんで尋ねると、父は言った、「その一は夫に従って地下に赴く烈、次は氷霜の如く翁姑に仕える節、三は恒人の事である」。王はすぐに戸に鍵をかけ、飲食を絶って食べず、七日を経て死んだ。また戚家の婦という者がいた。宝応の人である。婚礼を挙げたばかりで、夫が急死した。婦はこれを哀しんで哭き、門外の汪(池)に投身して死んだ。後世の人々はその死んだ所を戚家汪と名付けた。

原文張氏,桐城李棟妻。棟死無子,張自經於床。母救之,奮身起,引斧斫左臂者三。家人奪斧,抑而坐之蓐間,張瞆悶不語。家人稍退,張遽揜身出戶投於水。水方冰,以首觸穴入,遂死。」邑又有烈婦王氏,高文學妻。文學死,父道美來吊,謂王曰:「無過哀。事有三等,在汝自為之。」王輟泣問之,父曰:「其一從夫地下為烈,次則冰霜以事翁姑為節,三則恒人事也。」王即鍵戶,絕粒不食,越七日而死。又有戚家婦者,寶應人。甫合巹,而夫暴歿。婦哭之哀,投門外汪中死。後人名其死所為戚家汪云。

金氏は、通渭の劉大俊の妻である。十九歳の時、夫が風痹の病にかかり、金氏は温泉に連れて行き入浴させた。暴風雨が起こり、山水が急に漲り、夫は動けず、金氏に急いで逃げるよう命じた。金氏は泣き叫びながらしっかりと抱きしめて離れず、共に溺死した。屍は数十里流れて浮かび上がったが、手はなお夫を引き寄せて離さなかったという。また、応山の諸生王芳の妻楊氏がいる。芳が酔って塘に落ちた時、楊氏は水に入って救おうとした。夫は水の深みに入り、楊氏は深みを追って共に死んだ。

原文金氏,通渭劉大俊妻。年十九,夫病風痹,金扶浴溫泉。暴風雨,山水陡發,夫不能動,令金急走。金號泣堅持不肯舍,並溺死。屍流數十里而出,手猶挽夫不釋云。又應山諸生王芳妻楊氏。芳醉墜塘中,氏赴水救之。夫入水益深,氏追深處偕死。

王氏は、山陰の沈伯燮の妻である。婚約して数年後、伯燮が癩病にかかり、手が攣り髪が抜け、父母は他に縁談を考えた。女が問うた、「沈郎の病はいつからですか。」父が言う、「初めに許した時は確かに良い子であったが、今は病にかかった。」女が言う、「既に許してから病にかかったのは天命です、天命に背くのは不祥です。」遂に嫁いだ。伯燮は病みかつ衰弱していたが、王は仕えて少しも怠らなかった。八年住んで伯燮が亡くなり、その従子を後継ぎとした。さらに簪珥を出して舅を助け妾を買わせ、さらに子を得た。一年余りして、舅姑が相次いで亡くなり、王は独りで二人の幼い孤児を養い、手仕事で食わせ、共に成人させた。

原文王氏,山陰沈伯燮妻。議婚數年,伯燮病厲,手攣發禿,父母有他意。女問:「沈郎病始何日?」父曰:「初許時固佳兒,今乃病。」女曰:「既許而病,命也,違命不祥。」竟歸之。伯燮病且憊,王奉事無少怠。居八年卒,嗣其從子。更出簪珥佐舅買妾,更得子。逾年,舅姑相繼亡,王獨撫二幼孤,鬻手食之,並成立。

李孝婦は、臨武の人で、名は中姑、江西の桂廷鳳に嫁いだ。姑の鄧が痰疾を患い、危篤に陥ろうとした時、婦は泣き悲しみ憂い悼んだ。乳肉が治療できると聞いた話を心に留めた。ある日、薬を煮ている時、竈神に香を焚いて祈り、自ら一つの乳房を切り落とし、気絶して地に倒れた。廷鳳が薬を呼んでも来ないので、出て見ると、血が地面に満ちているのを見て、大いに驚き救いを呼び、町中が驚き動き、邑の長官や補佐官が皆その家を訪れ、急いで治療するよう命じた。しばらくして僧が門を訪れ言う、「部屋の中の蘄艾をそれに当てれば、直ちに治る。」その言葉通りにすると、果たして蘇生し、僧を探し求めるともう見えなかった。そこで乳を取って薬と合わせて姑に捧げると、姑は遂に全快した。また洪氏は、懷寧の章崇雅の妻である。崇雅が早世し、洪は志を守って十年を過ごした。姑の許が病で起き上がれず、洪は乳房の肉をえぐり取って羹を作り飲ませると、全快し、残りの肉は池に投げ入れ、人に知られないようにした。数日後、群鴨が水中からそれを咥えて出てきて、鳴き騒ぎ回り飛び、小童がそれを獲って姑に告げた。姑が起きてそれを見ると、乳房の血がなお淋漓としていた。その夫の兄の崇古も早く亡くなり、姒の朱氏は死を誓って他に心を移さず、妯娌は五十年を共に守ったという。

原文李孝婦,臨武人,名中姑,適江西桂廷鳳。姑鄧患痰疾,將不起,婦涕泣憂悼。聞有言乳肉可療者,心識之。一日,煮藥,巘香禱竈神,自割一乳,昏仆於地,氣已絕。廷鳳呼藥不至,出視,見血流滿地,大驚呼救,傾駭城市,邑長佐皆詣其廬,命亟治。俄有僧踵門曰:「以室中蘄艾傅之,即愈。」如其言,果蘇,比求僧不復見矣。乃取乳和藥奉姑,姑竟獲全。又洪氏,懷寧章崇雅妻。崇雅早卒,洪守志十年。姑許,疾不能起,洪剜乳肉為羹而飲之,獲愈,余肉投池中,不令人知。數日後,群鴨自水中銜出,鳴噪回翔,小童獲以告姑。姑起視之,乳血猶淋漓也。其夫兄崇古亦早亡,姒朱氏誓死靡他,妯娌相守五十年云。

倪氏は、興化の陸鰲の妻である。性質は純孝で、舅は早世し、姑の老いを憐れみ、朝夕寝所に侍し、夫と別居すること十五年であった。姑が鼻に疽を患い危篤に陥った時、自らすすって治療したが治らず、夜に香を焚いて天に告げ、左腕の肉を切り取って進上すると、姑がそれを食べて全快した。遠近孝婦と称された。

原文倪氏,興化陸鰲妻。性純孝,舅早世,憫姑老,朝夕侍寢處,與夫睽異者十五年。姑鼻患疽垂斃,躬為吮治,不愈,乃夜焚香告天,割左臂肉以進,姑啖之愈。遠近稱孝婦。

劉氏は、張能信の妻で、太僕卿憲寵の娘、工部尚書九德の嫁である。性質は至孝で、姑が十年病み、湯薬を侍して側を離れなかった。病が重くなった時、刀を挙げて腕を切ろうとしたが、侍女が驚いて押さえた。舅が聞き、医者に病は腥膩に近づくべからずと言わせ、力づくで止めた。一日過ぎて、遂に肉を切り取って粥を煮て進上したが、姑は既に食べられず、大いに悔しみ恨んで言う、「医者が私を欺き、姑に私の心を認めさせなかった。」さらに肉を一寸ほど切り取り、慟哭して棺の前で奠し、棺を閉じようとする時、奠したものを取って棺の中に置き言う、「婦は再び我が姑に仕えることを得ず、この肉を以て姑の側に伴い、なお身をもって姑に仕えるが如し。」郷人はその孝を称えざる者なし。

原文劉氏,張能信妻,太僕卿憲寵女,工部尚書九德婦也。性至孝,姑病十年,侍湯藥不離側。及病劇,舉刀刲臂,侍婢驚持之。舅聞,囑醫言病不宜近腥膩,力止之。逾日,竟刲肉煮糜以進,則乃姑已不能食,乃大悔恨曰:「醫紿我,使姑未鑒我心。」復刲肉寸許,慟哭奠簀前,將闔棺,取所奠置棺中曰:「婦不獲復事我姑,以此肉伴姑側,猶身事姑也。」鄉人莫不稱其孝。