明史

列傳第一百三十四 滿朝薦 江秉謙 侯震暘 王允成

列傳第一百三十四 滿朝薦 江秉謙 侯震暘 王允成

原文列傳第一百三十四 滿朝薦 江秉謙 侯震暘 王允成

○滿朝薦・江秉謙・侯震旸(倪思輝・朱欽相・王心一)・王允成(李希孔・毛士龍)

原文○滿朝薦江秉謙侯震旸(倪思輝朱欽相王心一)王允成(李希孔毛士龍)

滿朝薦は、字あざなを震東といい、麻陽の人である。萬暦三十二年進士となり、咸寧知縣に任じられ、廉潔で有能な名声があった。稅監梁永が配下に諸生の財布を掠めさせたので、朝薦はこれを捕らえて処罰した。梁永は怒り、彼が勝手に稅役を刑罰したと弾劾し、詔により一官を削られた。大学士沈鯉らが救済を論じたが、聞き入れられなかった。やがて巡撫顧其志が梁永の貪婪残忍な様子を極論したため、朝薦の官職は復帰し、一年間の俸給を剥奪された。まもなく、梁永が人を遣わして巡按御史余懋衡を毒殺しようとした。事が発覚し、朝薦はその者を捕らえた。梁永は恐れ、配下を率いて甲冑を着て縣庭に乱入した。吏卒はあらかじめ備えていたため、掠奪することなく去った。城中は幾夜も騒ぎ、梁永が謀反を起こすと言われた。ある者は梁永が自ら潔白を明らかにすべきと言い、梁永はついに教令を下し、謀反していないと弁明したが、なお数百の甲冑を蓄えていた。朝薦は余懋衡を助けて厳しく取り締まり、悪党の多くは逃亡した。朝薦は渭南まで追跡し、かなりの者を撃退・傷害した。梁永は恐れ、使者を遣わして矢文を発し、都に入って朝薦が上供の物品を奪い、数人を殺して屍を河中に投げ込んだと訴えた。帝は激怒し、直ちに使者を遣わして逮捕・処罰させた。時は三十五年七月であった。都に至ると、詔獄に下され拷問を受け、ついに長く拘禁された。朝廷内外で救済が論じられ、大学士朱賡以下、百十通の上疏があった。最後に、四十一年秋、萬寿節が近づき、大学士葉向高の請願により、王邦才・卞孔時とともに釈放されて帰郷した。

原文滿朝薦,字震東,麻陽人。萬歷三十二年進士。授咸寧知縣,有廉能聲。稅監梁永縱其下劫諸生橐,朝薦捕治之。永怒,劾其擅刑稅役,詔鐫一官。大學士沈鯉等論救,不聽。會巡撫顧其誌極論永貪殘狀,乃復朝薦官,奪俸一歲。無何,永遣人蠱巡按御史余懋衡。事覺,朝薦捕獲其人。永懼,率眾擐甲入縣庭。吏卒早為備,無所掠而去。城中數夜驚,言永反,或謂永宜自明,永遂下教,自白不反狀,然蓄甲者數百。而朝薦助懋衡操之急,諸惡黨多亡去。朝薦追之渭南,頗有所格傷。永懼,使使系書發中,入都訟朝薦劫上供物,殺數人,投屍河中。帝震怒,立遣使逮治,時三十五年七月也。既至,下詔獄搒掠,遂長繋。中外論救,自大學士朱賡以下,百十疏。最後,四十一年秋,萬壽節將屆,用大學士葉向高請,乃與王邦才、卞孔時並釋歸。

光宗が即位すると、南京刑部郎中に起用され、さらに尚寶卿に昇進した。天啓二年、遼東の地がことごとく失われ、海内に多くの変事があったが、廷臣は徒らに党派を立てて浮説を弄んでいた。朝薦はこれを深く憂慮し、時事について十の憂うべきこと、七の怪しむべきことを述べた上疏を陳べ、言葉は極めて切迫していた。まもなく太僕少卿に進み、さらに上疏して言った。

原文光宗立,起南京刑部郎中,再遷尚寶卿。天啟二年,遼東地盡失,海內多故,而廷臣方植黨逞浮議。朝薦深慮之,疏陳時事十可憂、七可怪,語極危切。尋進太僕少卿,復上疏曰:

近ごろ、風霾が空を暗くし、星月が昼に見え、太白星が経天し、四月に雹、六月に氷、山東で地震、畿内で長雨による水害があり、天地の変異は極まった。四川では奢崇明が叛き、貴州では安邦彦が叛き、山東では徐鴻儒が乱を起こし、民衆の変事は極まった。しかし朝廷の政令は日増しに倒錯している。

原文比者,風霾曀晦,星月晝見,太白經天,四月雹,六月冰,山東地震,畿內霪潦,天地之變極矣。四川則奢崇明叛,貴州則安邦彥叛,山東則徐鴻儒亂,民人之變極矣。而朝廷政令乃顛倒日甚。

一つには隠退の願いである。周嘉謨・劉一燝は顧命の元老であり、讒言によって去った。孫慎行は礼を守る宗伯であり、封典のことで去った。王紀は法を執行して山の如き司寇であり、平反によって去った。皆、冷淡に顧みられなかった。ただ、三十回も弾劾された沈纮にだけは執着し、去った後でさえ特別な待遇を加えている。祖宗の朝にこのような倒錯があったか。一つには建言である。倪思輝・朱欽相らが官籍を削られたことは、すでに口を封じる嘆きを重くした。周朝瑞・惠世揚らが辞職したことは、また一網打尽の計略に陥った。祖宗の朝にこのような倒錯があったか。一つには辺境の策略である。西部には百万の資金を要求され、辺臣はなお飽き足りぬことを憂えている。兵士がわずかな軍餉を乞うても、度支はなお過分に贅沢だと言う。祖宗の朝にこのような倒錯があったか。一つには城の放棄である。多年にわたり確実と議された犯人でも、庇護が厚いために緩やかに求め、十日ばかりで憐れみ疑うべき輩は、かえって妬みが深いために厳しく監督する。祖宗の朝にこのような倒錯があったか。一つには奸細の摘発である。正しい罪には当然の律があり、平反にはもとより濫りな条項はない。遼陽の禍は、袁応泰が大いに降人を受け入れたことに始まる。降人が住民の婦女子をことごとく占有したため、遼民は憤慨し、敵を招いて城を攻めさせた。事は突然に起こり、誰かが敵に献上したという話は聞かない。広寧の変は、王化貞が西部を誤って信じたことに始まる。軍餉の金を取って插漢(チャハル)に与えながら兵卒には与えず、それゆえ人心が離散した。敵兵が河を渡っても、また西部の策応は聞こえず、ついに手足を措くところなく、頭を抱えて逃げ惑った。これも事は突然に起こり、誰かが敵に献上したという話は聞かない。奸細を深く追求するのは、化貞の罪を逃れさせるためでしかない。王紀は人を殺して人に媚びることを欲せず、かえって官籍を削られた。祖宗の朝にこのような倒錯があったか。そもそも閣臣の職務は、清議を主持することにある。今、章疏に才能を妬み政治を壊す者がいるが、斥けるどころか、軽ければ両可とし、重ければついにその言を行っている。奸を誅し国に報いる者がいるが、採用しないどころか、軽ければ譲られ、重ければ次々に罷免・罰を加えられる。特に恨むべきは、沈纮が盧受に賄賂して進み、盧受が失脚すると、また跋扈する宦官と通じて威を立てたことである。王振・劉瑾の破滅的な禍は、皆沈纮が先駆けとなったのに、流罪にも加えられない。その他の外戚は、監察すべきでないはずがない。どうして宦官の讒言によって、その三人の僕を死に至らしめるほどか。三宮にはそれぞれ定まった尊厳がある。どうして国を傾けるほどの寵愛によって、母儀を僭越し逼迫するほどか。これらは皆、倒錯の甚だしいものである。顧みるに、陛下によって成ったものは十の一二、当事の大臣によって成ったものは十の八九である。臣は誠に神州の陸沈を見るに忍びず、陛下が終に臣の上疏を御覧になり、閣部大臣とともに弦を改め轍を易え、ことごとく祖宗の旧章に軌を同じくされることを祈る。臣はたとえ龍逢・比幹の地の下に従うとも、生きている年のようである。

原文一乞骸耳,周嘉謨、劉一燝,顧命之元老,以中讒去;孫慎行,守禮之宗伯,以封典去;王紀,執法如山之司寇,以平反去;皆漠不顧惜。獨惓惓於三十疏劾之沈纮,即去而猶加異數焉。祖宗朝有是顛倒乎?一建言耳,倪思輝、朱欽相等之削籍,已重箝口之嗟;周朝瑞、惠世揚等之拂衣,又中一網之計。祖宗朝有是顛倒乎?一邊策耳,西部索百萬之貲,邊臣猶慮其未飽;健兒乞錙銖之餉,度支尚謂其過奢。祖宗朝有是顛倒乎?一棄城耳,多年議確之犯或以庇厚而緩求,旬日矜疑之輩反以妒深而苛督。祖宗朝有是顛倒乎?一緝奸耳,正罪自有常律,平反原無濫條。遼陽之禍,起於袁應泰之大納降人,降人盡占居民婦女,故遼民發憤,招敵攻城。事發倉卒,未聞有何人獻送之說也。廣寧之變,起於王化貞之誤信西部,取餉金以啖插而不給卒伍,以故人心離散。敵兵過河,又不聞西部策應,遂至手足無措,抱頭鼠竄。亦事發倉卒,未聞有何人獻送之說也。深求奸細,不過為化貞卸罪地耳。王紀不欲殺人媚人,反致削籍。祖宗朝有是顛倒乎?若夫閣臣之職,在主持清議。今章疏有妒才壞政者,非惟不斥也,輕則兩可,重則竟行其言矣。有殛奸報國者,非惟不納也,輕則見讓,重則遞加黜罰矣。尤有恨者,沈纮賄盧受得進,及受敗,又交通跋扈之奄以樹威。振、瑾僨裂之禍,皆纮作俑,而放流不加。他若戚畹,豈不當檢,何至以閹寺之讒,斃其三仆?三宮分有常尊,何至以傾國之昵,僭逼母儀。此皆顛倒之甚者也。顧成於陛下者什之一二,成於當事大臣者十之八九。臣誠不忍見神州陸沈,祈陛下終覽臣疏,與閣部大臣更弦易轍,悉軌祖宗舊章,臣即從逢、幹於地下,猶生之年。

上奏すると、魏忠賢が帝を怒らせ、降旨して厳しく責め、職を剥奪して民とされた。大学士葉向高が極力救済を申し立てたが、帝は聞き入れなかった。やがて、忠賢の党が『東林同誌録』を撰し、朝薦もその中に含まれ、ついに再び用いられることはなかった。崇禎二年に推薦されて元の官に起用されたが、赴任前に死去した。

原文既奏,魏忠賢激帝怒,降旨切責,褫職為民。大學士向高申救甚力,帝不納。已,忠賢黨撰《東林同誌錄》,朝薦與焉,竟不復用。崇禎二年薦起故官,未上卒。

江秉謙は、字を兆豫といい、歙県の人である。萬暦三十八年進士となり、鄞県知縣に任じられた。廉潔で有能であるとして徴用され、御史に任命される予定であった。長く任命がなく、親の葬儀で帰郷した。光宗が即位すると、命令がようやく下り、御史臺に入り、侃々として事を論じた。

原文江秉謙,字兆豫,歙人。萬歷三十八年進士。除鄞縣知縣。用廉能征,擬授御史。久不得命,以葬親歸。光宗立,命始下,入臺,侃侃言事。

天啓元年、まず君臣が己を虚しくして公に奉ずる道を陳べ、規諫して極めて切実であった。戸部尚書李汝華が屯田を興すことを建議し、専ら御史を派遣し、三年間の成績を課し、開墾したものが年例の餉銀に足りれば、直ちに京卿に抜擢するよう請うた。秉謙はその誤りを力強く駁し、汝華が職務を怠っているとして、速やかに罷免すべきと言った。汝華が上疏して弁明すると、秉謙は再びこれを弾劾した。

原文天啟元年,首陳君臣虛己奉公之道,規切甚至。戶部尚書李汝華建議興屯,請專遣御史,三年課績,所墾足抵年例餉銀,即擢京卿。秉謙力駁其謬,因言汝華屍素,宜亟罷。汝華疏辨,秉謙再劾之。

瀋陽が既に失われると、朝士の多くは熊廷弼を思ったが、給事中郭鞏だけは廷弼が軍を喪い国を誤ったと論じ、閣臣劉一燝をも罪にすべきと請うた。秉謙は憤り、廷弼が危険な辺境を守った功績を力強く称え、かつ言った。「今、廷弼の審査覆奏は既に明らかである。議する者はなお一人の私情をもって天下の公論を没し、朝廷の封疆を壊すことを厭わず、胸中の境界を忘れない。」上疏は廷議に下された。ちょうど遼陽が再び失われ、廷弼はまもなく経略に起用された。郭鞏は妄議の罪で官を奪われ、ついに秉謙と仇敵となった。廷弼が山海に鎮すると、使者を派遣して朝鮮に諭し、兵を発して牽制させることを議した。副使梁之垣が行くことを請うと、廷弼は喜び、二十万金を軍資金として付与するよう請うた。兵部尚書張鶴鳴が与えなかったので、秉謙は抗疏して争った。鶴鳴は怒り、秉謙が朋党をなすと力強く誹謗した。秉謙が上疏して弁明すると、帝は罪に問わなかった。

原文沈陽既失,朝士多思熊廷弼,而給事中郭鞏獨論廷弼喪師誤國,請並罪閣臣劉一燝。秉謙憤,力頌廷弼保守危疆功,且曰:「今廷弼勘覆已明,議者猶以一人私情沒天下公論,寧壞朝廷封疆,不忘胸中畛域。」章下廷議。會遼陽復失,廷弼旋起經略。鞏坐妄議奪官,遂與秉謙為仇。廷弼既鎮山海,議遣使宣諭朝鮮發兵牽制。副使梁之垣請行,廷弼喜,請付二十萬金為軍貲。兵部尚書張鶴鳴不予,秉謙抗疏爭。鶴鳴怒,力詆秉謙朋黨。秉謙疏辨,帝不罪。

鶴鳴が既に廷弼を抑え、専ら巡撫王化貞を庇護し、朝士の多くはこれに附会した。帝は経略と巡撫が不和であることを以て、廷臣に議を詔した。秉謙は言う、「陛下は再び廷弼を起用し、重い任を委ね、『疆場の事は中から制せず』と曰われた。然るに数箇月以来、廷弼は手足を措くことを得ず、呼号は日々聞こえ、弁駁は踵を接して至る。言い訳をする者は曰う、『経略と巡撫が不和で、化貞は戦を主とし、廷弼は守を主とするのみ』と。夫れ廷弼は専ら守を言うのではなく、守を定めて然る後に戦うべしと謂うのである。化貞は戦を鋭意し、仮に戦勝すれば、守を無事とすることはできようか?万一勝たずば、又いずくんぞ以て守らん?この中の利害は、人皆これを知る。然るに一方には言わずして従わず、一方には策なくして棄てず。豈に真に戦守の説に明らかならざらんや、ただ化貞と廷弼の起用に着眼するのみである。陛下は既に廷弼に三方を節制することを命じたのであれば、三方の進戦退守は一々その指揮を聴くべきである。然るに化貞が進まんと欲すれば、則ち廷弼をしてこれに従って進ませ、退かんと欲すれば、則ち廷弼をしてこれに随って退かしむ。化貞が倏ちに進み倏ちに退けば、則ち廷弼をして進むも以て戦う所以を知らず、退くも以て守る所以を知らしめない。これは化貞に廷弼を節制する権があり、而して廷弼は未だ嘗て三方を節制する権を持たなかったのである。故に今日の事は、経略と巡撫が不和なのではなく、経略と巡撫を好悪する者が不和なのである。戦守の議論が合わないのではなく、経略と巡撫の左右にいる者の議論が合わないのである。廷弼に専ら責を負わせ、実に戦守を図らしむることを請う。」末に首輔葉向高が両可に含糊で、勢い必ず両可に掣肘され、安んぞ成功を責められんやと諷した。語は極めて切至であった。

原文鶴鳴既抑廷弼,專庇巡撫王化貞,朝士多附會之。帝以經、撫不和,詔廷臣議。秉謙言:「陛下再起廷弼,委以重寄,曰『疆場事不從中制』。乃數月以來,廷弼不得措手足,呼號日聞,辨駁踵至。執為詞者曰『經、撫不和,化貞主戰,廷弼主守耳,夫廷弼非專言守,謂守定而後可戰也。化貞銳意戰,即戰勝,可無事守乎?萬一不勝,又將何以守?此中利害,夫人知之。乃一則無言不從,一則無策不棄。豈真不明於戰守之說,但從化貞、廷弼起見耳。陛下既命廷弼節制三方,則三方之進戰退守當一一聽其指揮。乃化貞欲進,則使廷弼從之進,欲退,則使廷弼隨之退。化貞倏進倏退,則使廷弼進不知所以戰,退不知所以守。是化貞有節制廷弼之權,而廷弼未嘗有節制三方之權也。故今日之事,非經、撫不和,乃好惡經、撫者不和;非戰守之議論不合,乃左右經、撫者之議論不合。請專責廷弼,實圖戰守。」末譏首輔葉向高兩可含糊,勢必兩可掣肘,安能責成功。語極切至。

後に朝議が廷弼を撤去しようとした時、化貞は既に広寧を棄てて遁走していた。秉謙は益々憤り、職方郎耿如杞が鶴鳴に附和し、力を尽くして化貞を助け廷弼を排斥し、封疆を喪失させたことを以て、連疏してこれを攻撃した。併せて世宗が丁汝夔を誅戮した故事を援け、鶴鳴を法に置くことを急ぎ乞うた。帝は鶴鳴が方に辺境を行っているとして、軽々しく誹謗すべきでないとし、秉謙の俸給を半年奪い、如杞は問わなかった。秉謙は再び上疏して言う、「鶴鳴が一旦中樞に入ると、初めは鹵莽で遠識が無いのみであったが、既に至っては兇狠で殺機を動かすに至った。西部の間諜が皆虚であることを明知しながら、戦守が参差して合い難いのに、顧みて自ら欺き以て朝廷を欺く。何処に機会があろうか?而して曰う、機会乗ずべしと。何日に渡河せん?而して曰う、渡河必ず勝つと。既に経略を駆り出関せしめんと欲しながら、経略に節制を付与することを肯んぜず、既に廷弼を広寧に置かんと欲しながら、未だ嘗て化貞を何れの地に移すかを定めなかった。封疆を破壊した罪を、置いて問わずと為すべきか?且つ化貞は先に地を棄て先に逃げたのに、猶曰う、功罪半ばなりと。即ちこの一言、縦令鶴鳴を寸斬すとも、その君を欺き国を誤った罪を贖うに足らず、乃ち猶敢えて哆口して他人の罪案を定めんとするか!」この時、大学士沈纮は密かに中官劉朝・乳媼客氏と結び、兵を募って禁中に入れ、内操を興した。給事中惠世揚・周朝瑞等十二人が再疏して力攻し、秉謙もこれに与り、併せて劉朝及び客氏を誹謗した。内外共に怨み、遂に鶴鳴を弾劾する疏を仮り、秉謙を外に出した。間もなく、郭鞏が召還され、魏忠賢と交通し、力を尽くして秉謙を沮んだ。この冬、皇子が生まれ、言官で謫された者は悉く召還されたが、独り秉謙は与からなかった。家に居ること四年、忠賢が益々政を乱すを聞き、憂憤して卒した。

原文後朝議方撤廷弼,而化貞已棄廣寧遁。秉謙益憤,以職方郎耿如杞附和鶴鳴,力助化貞排廷弼,致封疆喪失,連疏攻之。並援世宗戮丁汝夔故事,乞亟置鶴鳴於法。帝以鶴鳴方行邊,不當輕詆,奪秉謙俸半歲,如杞不問。秉謙復上疏言:「鶴鳴一入中樞,初不過鹵莽而無遠識,既乃至兇狠而動殺機。明知西部間諜俱虛,戰守參差難合,乃顧自欺以欺朝廷。何處有機會?而曰機會可乘。何日渡河?而曰渡河必勝。既欲驅經略以出關,而不肯付經略以節制,既欲置廷弼於廣寧,而未嘗移化貞於何地。破壞封疆之罪,可置弗問哉?且化貞先棄地先逃,猶曰功罪相半。即此一言,縱寸斬鶴鳴,不足贖其欺君誤國罪,乃猶敢哆口定他入罪案耶!」當是時,大學士沈纮潛結中官劉朝、乳媼客氏,募兵入禁中,興內操。給事中惠世揚、周朝瑞等十二人再疏力攻,秉謙與焉,並詆朝及客氏。內外胥怨,遂假劾鶴鳴疏,出秉謙於外。無何,郭鞏召還,交通魏忠賢,力沮秉謙。是冬,皇子生,言官被謫者悉召還,獨秉謙不與。家居四年,聞忠賢益亂政,憂憤卒。

数箇月後、忠賢の党の御史卓邁が追って秉謙が廷弼を保護したことを弾劾し、遂に官籍を削除した。崇禎初年、官を復した。

原文居數月,忠賢黨御史卓邁追劾秉謙保護廷弼,遂削籍。崇禎初,復官。

侯震旸、字は得一、嘉定の人。祖父堯封は監察御史。大学士張居正に忤い、外転した。累官して福建右参政に至り、廉直の声があった。震旸は万暦三十八年の進士に挙げられ、行人に授けられた。

原文侯震旸,字得一,嘉定人。祖堯封,監察御史。忤大學士張居正,外轉。累官至福建右參政,有廉直聲。震旸舉萬歷三十八年進士,授行人。

天啓初年、吏科給事中に擢げられた。この時、保姆奉聖夫人客氏が方に寵を擅にし、魏忠賢及び大学士沈纮と相表裏し、勢焰甚だ張っていた。既に宮中から遣り出されたが、熹宗は思い慕って流涕し、日が暮れるまで食を御せず、遂に宣諭して再び入らせた。震旸は疏を上して言う、「宮闈は禁地、奸珰群小がその側で睥睨し、内外鉤連し、叢を借りて竈を煬き、言うに忍びざる者がある。王聖が寵せられて江京・李閏の奸を煽り、趙嬈が寵せられて曹節・皇甫の変を構えた。幺麽たる裏婦、何ぞ数たび至尊に昵するに堪えんや?」省みられなかった。

原文天啟初,擢吏科給事中。是時,保姆奉聖夫人客氏方擅寵,與魏忠賢及大學士沈纮相表裏,勢焰張甚。既遣出宮,熹宗思念流涕,至日旰不禦食,遂宣諭復入。震旸疏言:「宮闈禁地,奸珰群小睥睨其側,內外鉤連,借叢煬竈,有不忍言者。王聖寵而煽江京、李閏之奸,趙嬈寵而構曹節、皇甫之變。幺麽裏婦,何堪數昵至尊哉?」不省。

時に遼事が棘しく、経略熊廷弼・巡撫王化貞が相牴牾し、兵部尚書張鶴鳴は化貞を支持し、議者は遂に廷弼を移し、化貞と地を画して事を任せんと欲した。震旸は逆にその必ず敗れるを知り、疏を上して言う、「事勢ここに至る、陛下は経臣に問いを遣るべし。果たして意を加えて訓練するならば、則ち進止遅速は中から制せず、仮に撫臣を撤しても、一たびこれを付すに、不可なること無し。もし然らずば、則ちその条晰陳奏を督し、以て吏議を聴き、残局を摭拾し、化貞に専任する。これ一つの説である。然らずば、廷弼を密雲に移し、本兵を出して経略と為す。鶴鳴は素より慷慨自命し、その事の敗れるに同罪するよりは、挺身して国に報いるに如かず。これまた一つの説である。然らずば、遂に経略を化貞に授け、沈深謀有る者を択び代わって巡撫と任じ、以て後勁を資する。これまた一つの説である。然らずば、直ちに廷弼を登州・萊州に移し、その三方布置の策を終わらせ、化貞と相犄角せしむ。これまた一つの説である。もし復た遷延猶豫すれば、必ずや国事を僨らす。」疏が上ると、方に旨を下して集議せしめようとしたが、大清兵は既に広寧を破った。化貞・廷弼は相率いて関門に入り、猶数たび温旨を奉じ、罪を戴いて功を立てることを責められた。

原文會遼事棘,經略熊廷弼、巡撫王化貞相牴牾,兵部尚書張鶴鳴右化貞,議者遂欲移廷弼,與化貞畫地任事。震旸逆知其必敗,疏言:「事勢至此,陛下宜遣問經臣。果能加意訓練,則進止遲速不從中制,雖撤撫臣,一以付之,無不可者。如不然,則督其條晰陳奏,以聽吏議,摭拾殘局,專任化貞。此一說也。不則移廷弼密雲,而出本兵為經略。鶴鳴素慷慨自命,與其事敗同罪,不若挺身報國。此又一說也。不則遂以經略授化貞,擇沈深有謀者代任巡撫,以資後勁。此又一說也。不則直移廷弼於登、萊,終其三方布置之策,與化貞相犄角。此又一說也。若復遷延猶豫,必僨國事。」疏上,方有旨集議,而大清兵已破廣寧矣。化貞、廷弼相率入關門,猶數奉溫旨,責以戴罪立功。

震旸は大いに憤懣し、再び疏を上して言う、「臣の言が不幸にして験された、今日の計を為すには、法を論じて情を論ぜず。河西が未だ壊れる以前、挙朝の惜しむところは、什に七は化貞に在り、今は化貞を惜しむことはできない。河西が既に壊れた以後、挙朝の寬するところは什に九は廷弼に在り、今も亦た廷弼を寬ずることはできない。撫臣を策する者は、謂う、還って広寧に赴き、西部を聯属すべしと責め令すべしと。然れども廥庫は既に竭き、その能く赤手にして包胥に效せんや?経臣を策する者は、謂う、仍た関を守ることを責むべしと。然れども所謂守るとは、将た廷弼の前議の如く三十万の兵数十万の餉を以て、後効を図らんとするか?或いは止むるに残卒を率いて関外に出で、姑く殺さざるを示すのみか?凡てこれ一つとして可なるもの無し。今に及んで逃臣の律を定めざれば、残疆は其れ何に頼らんや?」その後、失事の罪を治めるには、蓋し略ね震旸の疏の如くであった。

原文震旸大憤懣,再疏言:「臣言不幸驗矣,為今日計,論法不論情。河西未壞以前,舉朝所惜者,什七在化貞,今不能為化貞惜也。河西既壞以後,舉朝所寬者什九在廷弼,今亦不能為廷弼寬也。策撫臣者,謂宜責令還赴廣寧,聯屬西部。然而廥庫已竭,其能赤手效包胥乎?策經臣者,謂宜仍責守關。然所謂守者,將如廷弼前議三十萬兵數十萬餉,以圖後效乎?抑止令率殘卒出關外,姑示不殺乎?凡此無一可者。及今不定逃臣之律,殘疆其奚賴焉?」其後治失事罪,蓋略如震旸疏雲。

已にして、遂に大学士沈纮が奉聖夫人及び諸中官と結納して朋党を為し、故監王安を構殺した状を具に発することを弾劾した。忠賢は即日旨を伝えて震旸を謫した。震旸は陛辞し、復た田賦・河渠の二議を上した。逐臣は建議すべからざるを以て、再び二級を鐫られて帰った。

原文已,遂劾大學士沈纮結納奉聖夫人及諸中官為朋黨,具發其構殺故監王安狀。忠賢即日傳旨謫震旸。震旸陛辭,復上田賦、河渠二議。以逐臣不當建議,再鐫二級以歸。

震旸が垣に在ること八月、章奏凡そ数十上した。崇禎初年、故官に召還しようとしたが、震旸は既に前に卒していた。その子主事峒曾の請いに因り、特に太常少卿を贈られた。

原文震旸在垣八月,章奏凡數十上。崇禎初,召復故官,震旸已前卒。因其子主事峒曾請,特贈太常少卿。

震旸が客氏を論じた時、給事中祁門の倪思輝・臨川の朱欽相が疏を継いで上した。帝は大いに恚り、併せて三官を貶した。大学士劉一燝・尚書周嘉謨等が交章して論救したが、皆納れられなかった。御史呉県の王心一の言は尤も切至で、帝は怒り、官を貶すること之の如くした。心一の同官龍溪の馬鳴起が復た抗疏して諫め、且つ客氏の六不可留を言った。帝は重譴を加えんと議したが、一燝等の言を用い、俸給を一年奪った。

原文方震旸之論客氏也,給事中祁門倪思輝、臨川朱欽相疏繼之。帝大恚,並貶三官。大學士劉一燝、尚書周嘉謨等交章論救,皆不納。御史吳縣王心一言之尤切,帝怒,貶官如之。心一同官龍溪馬鳴起復抗疏諫,且言客氏六不可留。帝議加重譴,用一燝等言,奪俸一年。

先に、元年正月、客氏は未だ宮中を出ず、詔して田地二十頃を与え、護墳の香火の資とす。また詔して魏進忠の侍衛の功を待ち、陵工の竣成を告げ、並びに叙録を行わんとす。心一抗疏して言う、「陛下二人を眷念し、田地を加給し、優録を明示す、恐らくは東征の将士聞きて解體せん。況や梓宮未だ殯せず、先ず保姆の香火を念い、陵工未だ成らず、強いて奄侍の勤労に入るは、理に於いて順ならず、情に於いて宜しきを失う」と。報いず。是に至り、思輝・欽相と並びて貶せられ、廷臣召還を請う者十餘疏。皇子生まる、詔して思輝・欽相・心一・鳴起並びに故官に復す。

原文先是,元年正月,客氏未出宮,詔給土田二十頃,為護墳香火貲。又詔魏進忠侍衛有功,待陵工告竣,並行敘錄。心一抗疏言:「陛下眷念二人,加給土田,明示優錄,恐東征將士聞而解體。況梓宮未殯,先念保姆之香火,陵工未成,強入奄侍之勤勞,於理為不順,於情為失宜。」不報。至是,與思輝、欽相並貶,廷臣請召還者十餘疏。皇子生,詔思輝、欽相、心一、鳴起並復故官。

欽相尋いで太僕少卿に擢でらる。楊漣既に魏忠賢を劾し、欽相も亦た抗疏して極論す。五年右僉都御史として福建を巡撫し、賊楊六・蔡三・鐘六等を討ち功有り。旋って忠賢に忤い、除名せらる。思輝は崇禎の時終に南京督儲尚書、心一は終に刑部侍郎、鳴起は終に南京右都御史。

原文欽相尋擢太僕少卿。楊漣既劾魏忠賢,欽相亦抗疏極論。五年以右僉都御史巡撫福建,討賊楊六、蔡三、鐘六等有功。旋以忤忠賢,除名。思輝,崇禎時終南京督儲尚書,心一終刑部侍郎,鳴起終南京右都御史。

王允成、字は述文、澤州の人。萬歷中郷挙に挙げられ、獲鹿知県を除す。治行異等を以て、征せられ南京御史を授かる。時に甲科の勢重く、乙科多く之を卑下す。允成体貌魁梧、才気飆発、甲科を凌ぎて其の上に出んと欲し、首めて遼左失事の諸臣を論じ、刑辟を正すを請う。

原文王允成,字述文,澤州人。萬歷中舉於鄉,除獲鹿知縣。以治行異等,征授南京御史。時甲科勢重,乙科多卑下之。允成體貌魁梧,才氣飆發,欲淩甲科出其上,首疏論遼左失事諸臣,請正刑辟。

熹宗即位す、廷臣方に「梃撃」・「移宮」の事を争論し、而して帝両諭を降して選侍を罪し、因りて移宮後相安の状を言う。大学士方従哲上諭を封還す。允成保治十事を陳ぶ、中に言う、「張差宮を闖く、説く者瘋癲と謂う。青宮豈に発瘋の地ならんや、龐保・劉成豈に並び瘋の人ならんや、言念い及ぶ此れ、寒心すべし。今鄭氏四十年の恩威猶お在り、卵翼心腹寔に徒繁し、陛下防ぐ所以を思うべし。比者、聖諭多く中より出づ、当たれば則ち煬竈の端を開き、当たらずして臣下争執せば、必ず反汗の勢を成さん、孰れか事大小無く、尽く内閣に帰せしむるに若かん。至りて元輔方従哲、屡劾せられて去らず。陛下選侍移宮の後、一の敕諭を発す、常人の心跡を表明するが如きに過ぎざるに、従哲輒ち封還す。夫れ封後の命、都督の命、貶謫周朝瑞の命、何ぞ皆封還せざるや、司馬昭の心、路人之を知る」と。姚宗文遼左を閲視し、熊廷弼と相失い、帰りて同列を鼓して之を攻む。允成其の奸を悪み、再疏して論列す。

原文熹宗即位,廷臣方爭論「梃擊」、「移宮」事,而帝降兩諭罪選侍,因言移宮後相安狀。大學士方從哲封還上諭。允成陳保治十事,中言:「張差闖宮,說者謂瘋癲。青宮豈發瘋之地?龐保、劉成豈並瘋之人?言念及此,可為寒心。今鄭氏四十年之恩威猶在,卵翼心腹寔繁有徒,陛下當思所以防之。比者,聖諭多從中出,當,則開煬竈之端;不當,而臣下爭執,必成反汗之勢,孰若事無大小,盡歸內閣。至元輔方從哲,屢劾不去。陛下於選侍移宮後,發一敕諭,不過如常人表明心跡耳,從哲輒封還。夫封後之命,都督之命,貶謫周朝瑞之命,何皆不封還?司馬昭之心,路人知之矣。」姚宗文閱視遼左,與熊廷弼相失,歸而鼓同列攻之。允成惡其奸,再疏論列。

天啓元年、疏して先朝の直臣を恤むを請い、楊天民等三十六人を列して上る、帝之を納る。俄に任輔弼・択経略・慎中樞・専大帥・更戎政・厳賞罰数事を陳ぶ、末に言う、「方今最も慮るべきは、陛下禁中に孤立せるなり。先朝権を怙り寵に恃む諸奄、今日の左右近習と、互いに忌嫉し、機に乗じて毒を肆うし、彼此相戕うるを恐る。夫れ禁庭を防護するは、責内閣及び司礼に在り。務めて潜消默化せしめ、聖躬と皇弟を並びに高枕無憂を得しむ、斯れ根本の至計なり」と。時に其の言を韙とす。

原文天啟元年,疏請恤先朝直臣,列楊天民等三十六人以上,帝納之。俄陳任輔弼、擇經略、慎中樞、專大帥、更戎政、嚴賞罰數事,末言:「方今最可慮者,陛下孤立禁中。先朝怙權恃寵諸奄,與今日左右近習,互相忌嫉,恐乘機肆毒,彼此相戕。夫防護禁庭,責在內閣及司禮。務令潛消默化,俾聖躬與皇弟,並得高枕無憂,斯為根本至計。」時韙其言。

已にして、刑部尚書黄克纘が選侍を保護せんと倡言し、賈継春を貽誤し、又曲く盗宝の内侍を庇い、至りて御史焦源溥の綱常一疏を弁じ、刺謬甚だしきを劾す。已にして、内降及び留中の害を極論し、末復た閣部大臣を規切す。旨に忤い、俸を停む。給事中毛士龍府丞邵輔忠を劾し、允成も亦た同官李希孔と偕に輔忠を斥く。已にして、綱紀の廢弛を極言し、姑息を戒め、因循を破るを請い、時事を指斥すること甚だ悉し。

原文已,劾刑部尚書黃克纘倡言保護選侍,貽誤賈繼春,又曲庇盜寶內侍,至辨御史焦源溥綱常一疏,刺謬特甚。已,極論內降及留中之害,末復規切閣部大臣。忤旨,停俸。給事中毛士龍劾府丞邵輔忠,允成亦偕同官李希孔斥輔忠。已,極言綱紀廢弛,請戒姑息、破因循,指斥時事甚悉。

当是の時、中貴劉朝・魏進忠と乳媼客氏相倚りて奸を為す。允成抗疏して歴数し其の罪、略言す、「内廷顧命の珰、犬其の餘を食い、帷蓋の澤を蒙らず、外廷顧命の老、中旨趣き出で、立って田裏の收を見る。小馬を以て馳騁の資と為し、誰か遊田の漸に盤を啓く、大臣を以て忿を釋するの地と為し、誰か耇長の心に咈くを啓く。劉朝輩初め亦た外事に預からず、沈纮・邵輔忠之を導き、遂に恣肆して忌憚無し。浸假にして王心一・倪思輝・朱欽相斥けられ、浸假にして司空陪推を用い、浸假にして中旨考官を用う。是れ大臣を易置するの權二豎に在り。近く權を弄すること愈甚しく、大臣を逐うること落葉を振るうが如し、王紀・滿朝薦並びに職を削りて編氓と為す。是れ大臣を驅除するの權二豎に在り。科臣遷改、自ら定敘有り、給假推升、往例皆然なり。乃ち周朝瑞の正直を悪み、忽ち推用を許さざるの旨有り。是れ百官を轉遷するの權二豎に在り。秦藩小宗を以て大宗を継ぎ、諸子郡王を封ずるを得ず、祖制昭然たり。乃ち部科之を争うも獲ず、相継ぎて去る。是れ諸藩を進退するの權二豎に在り。權を招き賄を納れ、福を作り威を作す、二豎外に權を弄し、客氏中に謀を主る。王振・劉瑾の禍将に今日に復見せん」と。疏入り、進忠輩切齒す。允成復た特疏して秦府濫恩の謬を論ず、帝終に省みず。

原文當是時,中貴劉朝、魏進忠與乳媼客氏相倚為奸。允成抗疏歷數其罪,略言:「內廷顧命之珰,犬食其餘,不蒙帷蓋之澤;外廷顧命之老,中旨趣出,立見田裏之收。以小馬為馳騁之貲,誰啟盤於遊田之漸;以大臣為釋忿之地,誰啟咈其耇長之心。劉朝輩初亦不預外事,自沈纮、邵輔忠導之,遂恣肆無忌。浸假而王心一、倪思輝、朱欽相斥矣,浸假而司空用陪推矣,浸假而中旨用考官矣。是易置大臣之權在二豎也。近者弄權愈甚,逐大臣如振落,王紀、滿朝薦並削職為編氓。是驅除大臣之權在二豎也。科臣遷改,自有定敘,給假推升,往例皆然。乃惡周朝瑞之正直,忽有不許推用之旨。是轉遷百官之權在二豎也。秦藩以小宗繼大宗,諸子不得封郡王,祖制昭然。乃部科爭之不獲,相繼而去。是進退諸藩之權在二豎也。招權納賄,作福作威;二豎弄權於外,客氏主謀於中。王振、劉瑾之禍將復見今日。」疏入,進忠輩切齒。允成復特疏論秦府濫恩之謬,帝終不省。

三年六月、允成又た進忠を劾す、進忠益恨む。明年、趙南星吏部と為り、允成の賢を知り、之を北に調う。未幾、南星逐われ、御史張訥南星の允成を調うる非法を劾し、遂に除名せらる。後給事中陳維新復た允成の貪險を劾し、詔して撫按に提問せしめ、贓私を以て坐す。莊烈帝位を嗣ぎ、允成嘗て皇弟の保護を請いしを以て、其の名を識り、召して故官に復す。未幾卒す。

原文三年六月,允成又劾進忠,進忠益恨。明年,趙南星為吏部,知允成賢,調之於北。未幾,南星被逐,御史張訥劾南星調允成非法,遂除名。後給事中陳維新復劾允成貪險,詔撫按提問,坐以贓私。莊烈帝嗣位,以允成嘗請保護皇弟,識其名,召復故官。未幾卒。

天啓初めに当たり、東林方に盛んにして、其の主張聯絡する者、率ね言路に在り。允成南に居り、北と相応和し、時貴多く其の鋒を畏る。然れども諤諤敢言、屡近幸を犯し、其の風采重んずるに足る雲。

原文當天啟初,東林方盛,其主張聯絡者,率在言路。允成居南,與北相應和,時貴多畏其鋒。然諤諤敢言,屢犯近幸,其風采足重雲。

李希孔、字は子鑄、三水の人。萬歷三十八年進士。中書舎人を授かり、擢でられ南京御史と為る。給事中姚宗文遼東の軍を閲し、経略熊廷弼を排し、希孔連疏して之を劾す。已にして、又た宗文の考選を阻抑し、「令旨」の二字を以て抗言して繳還し、先帝の非常の德を遏するを糾す。泰昌元年冬、時政七事を陳ぶ。天啓元に改まり、允成と與に邵輔忠を劾す。已にして、言官倪思輝・朱欽相・王心一を宥むを請う。三年『折邪議』を上り、以て両朝実録を定め、疏して言う。

原文李希孔,字子鑄,三水人。萬歷三十八年進士。授中書舍人,擢南京御史。給事中姚宗文閱遼東軍,排經略熊廷弼,希孔連疏劾之。已,又糾宗文阻抑考選,以「令旨」二字抗言繳還,遏先帝非常之德。泰昌元年冬,陳時政七事。天啟改元,與允成劾邵輔忠。已,請宥言官倪思輝、朱欽相、王心一。三年上《折邪議》,以定兩朝實錄,疏言:

昔、鄭氏が国本を危うくしようと謀った時、これを左袒する者は、三王並封の事より著しいものはなかった。今、筆を執る者はこれを非とせず、かえってその功を推して、陳平・狄仁傑と並べている。この説は理解しがたい。当時、並封にはまだ詔旨がなく、輔臣の王錫爵が先に密疏を以て請うたのである。詔旨が礼部に下った時、王如堅・朱維京・塗一臻・王學曾・嶽元聲・顧允成・於孔兼らが苦口力爭し、また共に朝房で錫爵を責めた。ここにおいて錫爵は初めて大義が背けられず、天下が自分を認めないことを知り、すぐに上疏して過ちを認め、封事は停止された。もし如堅らが死力を尽くして爭わず、責めなければ、並封の事は遂に定まり、子は母の貴きに因るという説が、徐々に定策国老の勲を邀えることになったであろう。それなのに飾って言うには、「すぐに命じてすぐに咎を引き、事は遂に止んだ」と。ああ、これは錫爵のために隠すことができようか。かつて錫爵が人に語ったと聞く、「王給事中は後悔していないか」と。この故事は国本に関わるため、諸臣は稿項黄馘(憔悴)し、錫爵の世が終わるまで再び起用されなかった。前代の劉氏を安んじ、唐を復興した者が、誰か王陵を厄して、天日を見させなかったであろうか。張柬之・桓彥範ら五人を剪除して、志を抱いたまま没することを命じたであろうか。臣が邪議を折る所以、その一である。

原文昔鄭氏謀危國本,而左袒之者,莫彰著於三王並封之事。今秉筆者不謂非也,且推其功,至與陳平、狄仁傑並。此其說不可解也。當時並封未有旨,輔臣王錫爵蓋先有密疏請也。迨旨下禮部,而王如堅、朱維京、塗一臻、王學曾、嶽元聲、顧允成、於孔兼等苦口力爭,又共責讓錫爵於朝房。於是錫爵始知大義之不可違,而天下之不我予,隨上疏檢舉,而封事停也。假令如堅等不死爭,不責讓,將並封之事遂以定,而子以母貴之說,且徐邀定策國老之勛。而乃飾之曰:「旋命旋引咎,事遂以止。」嗟乎,此可為錫爵諱乎哉!且聞錫爵語人曰:「王給事中遺悔否?」以故事關國本,諸臣稿項黃馘,終錫爵世不復起。不知前代之安劉、復唐者,誰厄王陵,使之不見天日乎?曾剪除張柬之、桓彥範等五人,而令賫誌以沒乎?臣所以折邪議者,一也。

次に、張差の宮中闖入の事より著しいものはない。それでも筆を執る者はなお罪なしとし、かつその事を軽んじて、王大臣・貫高の事を引き合いに出している。この説もまた理解しがたい。王大臣は徒手で乾清宮の門まで闖入したが、馮保が旧輔の高拱を怨み、刃をその袖に置き、供述させたのであって、実事ではない。張差の棍棒は、誰が授け、誰が使わせたのか。貫高は身に完膚なくとも、言葉は張敖に及ばず、故に漢の高祖は敖を釈放して問わなかった。張差の事と、謀を造り主使し口供が歴歴たる者とを比べることができようか。昔、寛大に処して倫を全うしたが、今、直筆して実を存し、後を戒めるのは、両者互いに妨げず、どうしてこれを隠そうとするのか。かつ、これを隠して君父のために隠すのはよいが、乱賊の輩のために隠すのは、いったい何のためか。臣が邪議を折る所以、その二である。

原文其次,莫彰於張差闖宮之事。而秉筆者猶謂無罪也,且輕其事,而列王大臣、貫高事為辭。此其說又不可解也。王大臣之徒手而闖至乾清宮門也,馮保怨舊輔高拱,置刃其袖,挾使供之,非實事也。張差之梃,誰授之而誰使之乎?貫高身無完膚,而詞不及張敖,故漢高得釋敖不問。可與張差之事,造謀主使口招歷歷者比乎?昔寬處之以全倫,今直筆之以存實,以戒後,自兩不相妨,而奈之何欲諱之?且諱之以為君父隱,可也;為亂賊輩隱,則何為?臣所以折邪議者,二也。

封后の遺詔に至っては、古より帝が崩じて后を立てた例はない。これは貴妃の私的な者が母后の尊厳を仮借して、罪状を消そうと謀ったに過ぎない。故に遺詔と称して、必ず実行させようとしたのである。どうしてなお先帝の志と称し、神祖を重ねて誣い、ひそかに阿附して封を伝える者のために一面を開くのか。臣が邪議を折る所以、その三である。

原文至封後遺詔,自古未有帝崩立後者。此不過貴妃私人謀假母後之尊,以弭罪狀。故稱遺詔,以要必行。奈何猶稱先誌,重誣神祖,而陰為阿附傳封者開一面也?臣所以折邪議者,三也。

先帝の令徳と考終(善終)は、自ら薬によって崩じたと謂うべきではなく、不美の名を被るべきではない。しかし当時、内で病を見た者は、積労積虚の後に、攻克の剤を投ずることがどうして許されようか。群議が洶洶として、疑慮と変事の深まりを蓄えている時に、突然先帝の升遐(崩御)に遭い、またちょうど下薬の事があったので、どうして痛まず恨まず、疾首頓足して深く望まないことがあろうか。そこで奸を討つ者は憤激してその言葉を甚だしくし、奸を庇う者は題を借りてその罰を逃れようとする。君父は何たる人ぞ、臣子が僥倖を以て試みることができようか。臣が邪議を折る所以、その四である。

原文先帝之令德考終,自不宜謂因藥致崩,被不美之名。而當時在內視病者,烏可於積勞積虛之後,投攻克之劑。群議洶洶,方蓄疑慮變之深,而遽值先帝升遐,又適有下藥之事,安得不痛之恨之,疾首頓足而深望之?乃討奸者憤激而甚其詞,庇奸者借題以逸其罰。君父何人,臣子可以僥幸而嘗試乎?臣所以折邪議者,四也。

先帝が神廟(萬曆帝)に継いで群臣を棄てた時、両月の内に、鼎湖の再號(皇帝の崩御が続くこと)があった。陛下は孑然一身、怙恃(父母の頼り)なく、宮禁は深く、狐鼠(悪人)実に多く、漸を杜ぎ微を防ぐには、自ら倍加して厳慎せざるを得なかった。仮にそうでなくとも、新天子が儼然と正殿を避け、一先朝の宮嬪に譲ることを以て、万世の下、如何なる国体と言わん。これが楊漣ら諸臣が軽重を權衡し、急いで移宮を請うた所以である。宮は既に移り、漣らの心事は畢わった。元より功と為すに居らず、どうして反って罪と為して禁錮し、擯逐するに至るのか、これは誠に何たる心か。仮に選侍が久しく先帝に侍り、公主を生育したとしても、諸臣は必ずしも陛下に力を請いて、恩禮を加えなかったわけではない。今、陛下は既に安んじ、選侍もまた未だ安からざるわけではない。何の冤抑があって、汲々皇々として病なき沈吟をするのか。臣が邪議を折る所以、その五である。

原文先帝之繼神廟棄群臣也,兩月之內,鼎湖再號。陛下孑然一身,怙恃無托,宮禁深,狐鼠實繁,其於杜漸防微,自不得不倍加嚴慎。即不然,而以新天子儼然避正殿,讓一先朝宮嬪,萬世而下謂如何國體。此楊漣等諸臣所以權衡輕重,亟以移宮請也。宮已移矣,漣等之心事畢矣,本未嘗居以為功,何至反以為罪而禁錮之、擯逐之,是誠何心?即選侍久侍先帝,生育公主,諸臣未必不力請於陛下,加之恩禮。今陛下既安,選侍又未嘗不安,有何冤抑,而汲汲皇皇為無病之沈吟?臣所以折邪議者,五也。

なおまた未だ尽きざるものがある。神祖と先帝が父子骨肉の際を処せられたことは、仁義孝慈、本より置喙の余地なし。当年、母愛子抱(寵妃が皇子を抱く)、外議喧嘩したとしても、城社媒孽の奸があっても、ついに祖訓立長の序を易えず、却って神祖の明聖と先帝の大孝を愈々見るに足る。何ぞ隠すに足り、何ぞ必ず隠し、また何ぞ隠すべけんや。もし鄭氏の過ちに言及すれば、直ちに神祖の明を傷つけると言うならば、我が朝の仁廟(洪熙帝)が監国として危疑にあったことは、何ぞ嘗て成祖の累となったか。当時の史臣は直ちにこれを汗青(史書)に勒し、未だ聞くところによれば嫌疑の避けがあったとはない。何ぞ独り今日に至ってこの一説を立て、巧みに奸人の脱卸と為し、昔日はこれを罪に置くことができず、今日はこれを書に著すことを許さないのか、何ぞ訓と為すべけんや。今、史局開かれ、公道明らかなるに、奸輩の陰謀、辨言乱義を坐視し、将に三綱を紊れさせ、九法を滅ぼし、天下に私交あるのみを知って、君父あるを知らしめんとす。乞う、特敕を以て纂修諸臣に、事に據り直書し、疑わず隠さしめよ。然らば継述の大孝は武・周を過ぎ、世道人心の頼るところとならん。

原文抑猶有未盡者。神祖與先帝所以處父子骨肉之際,仁義孝慈,本無可以置喙。即當年母愛子抱,外議喧嘩,然雖有城社媒孽之奸,卒不以易祖訓立長之序,則愈足見神祖之明聖,與先帝之大孝。何足諱、何必諱,又何可諱?若謂言及鄭氏之過,便傷神祖之明,則我朝仁廟監國危疑,何嘗為成祖之累。而當時史臣直勒之汗青,並未聞有嫌疑之避也。何獨至今而立此一說,巧為奸人脫卸,使昔日不能置之罪,今日不容著之書,何可訓也!今史局開,公道明,而坐視奸輩陰謀,辨言亂義,將令三綱紊,九法滅,天下止知有私交,而不知有君父。乞特敕纂修諸臣,據事直書,無疑無隱,則繼述大孝過於武、周,而世道人心攸賴之矣。

詔して史館に付して參酌させたが、その後ついに改めることができなかった。已んで、また客氏を外に出すことを請い、崔文升を誅することを請うた。忌む者甚だ多く、東林黨と指弾された。未幾、官に卒し、故に璫禍(宦官の禍)に与からなかった。

原文詔付史館參酌,然其後卒不能改也。已,又請出客氏於外,請誅崔文升。忌者甚眾,指為東林黨。未幾,卒官,故不與珰禍。

毛士龍、字は伯高、宜興の人。萬歷四十一年の進士。杭州推官に授かる。熹宗即位し、刑科給事中に擢げ、まず姚宗文の閱視が乖張であることを劾す。楊漣が国を去るに当たり、抗疏して留めることを請う。天啓改元の正月、「三案」を論じる疏を上し、孫慎行・陸夢龍・陸大受・何士晉・馬德灃・王之寀・楊漣らが社稷に功あり、魏浚らが正を醜くし直を害する罪あることを力説す。帝はこれを是とした。

原文毛士龍,字伯高,宜興人。萬歷四十一年進士。授杭州推官。熹宗即位,擢刑科給事中,首劾姚宗文閱視乖張。楊漣去國,抗疏請留。天啟改元正月疏論「三案」,力言孫慎行、陸夢龍、陸大受、何士晉、馬德灃、王之寀、楊漣等有功社稷,而魏浚輩醜正害直之罪。帝是之。

李選侍が移宮した時、その内豎の劉朝・田詔・劉進忠ら五人、盗貲の罪で刑部獄に下された。尚書の黃克纘がこれを庇い、数えてその冤罪を称した。帝は従わず、死罪を論じた。この年五月、王安が罷め、魏進忠が用いられる。詔らは重賂を進め、その下の李文盛らに上疏して冤罪を鳴らさせ、進忠は即ち旨を伝えて死を貸した。大学士の劉一燝らが再び執奏した。旨が刑科に下り、士龍が抄參すること三度、旨はほとんど中寢した。克纘は乃ちその冤状を陳べ、熱審に付することを請うた。進忠は従わず、旨を伝えて直ちに釈放させた。士龍は憤り、克纘が旨に阿り法を骫(曲)げ、大臣たるべからずと劾し、かつ朝らの罪を数えて甚だ悉くした。これにより進忠及び諸奄は士龍を骨髄にまで恨んだ。進忠は広く告密を開き、天津の廃将陳天爵が李承芳と交通したと誣い、その一家五十余人を逮えて詔獄に下した。士龍は即ち錦衣の駱思恭及び誣告者の罪を劾した。進忠は張后が己を抑えたことを恨み、死囚の孫二の出と誣い、流言を布散した。士龍は妖言奸黨及び主使逆徒を究治することを請うた。進忠はますます恨んだ。

原文李選侍之移宮也,其內豎劉朝、田詔、劉進忠等五人,以盜貲下刑部獄。尚書黃克纘庇之,數稱其冤。帝不從,論死。是年五月,王安罷,魏進忠用事。詔等進重賂,令其下李文盛等上疏鳴冤,進忠即傳旨貸死。大學士劉一燝等執奏者再。旨下刑科,士龍抄參者三,旨幾中寢。克纘乃陳其冤狀,而請付之熱審。進忠不從,傳旨立釋。士龍憤,劾克纘阿旨骫法,不可為大臣,且數朝等罪甚悉。由是進忠及諸奄銜士龍次骨。進忠廣開告密,誣天津廢將陳天爵交通李承芳,逮其一家五十餘人,下詔獄。士龍即劾錦衣駱思恭及誣告者罪。進忠憾張後抑己,誣為死囚孫二所出,布散流言。士龍請究治妖言奸黨並主使逆徒,進忠益憾。

九月に至り、士龍は順天府丞邵輔忠の奸貪を弾劾し、希孔・允成もまたこれを弾劾したので、輔忠は大いに恐れた。劉朝らはこれに超擢を誘い、士龍を攻撃させた。輔忠は遂に士龍が杭州に在官した時に庫を盗み妓を納れたことを告発し、魏進忠がその中でその上疏を下した。尚書周嘉謨らは、両人の告発は風聞に過ぎないと述べて寛大な処置を請うたが、進忠は従わず、士龍を削籍し、輔忠を落職閑住させた。進忠は後に名を忠賢と改め、国柄を顕に盗み、士龍を恨むこと未だ已まず。四年の冬、その私人張訥にこれを弾劾させ、再び削籍を命じた。明年三月、汪文言の獄詞にこれを入れ、李三才より賄三千を納れ、南京吏部の起用を謀ったとし、撫按に下して提訊追贓させ、平陽衛に遣戍した。已にして輔忠は起用され、驟遷して兵部侍郎となった。六年十二月、御史劉徽はまた輔忠の前奏を摭い、士龍が訪犯より万金を納れたことを弾劾し、法司に下して逮治させた。士龍は忠賢が必ず己を殺さんとするを知り、夜中に墻を逾えて遁れ、その妾は知らず、有司がこれを殺したと謂い、髪を被いて道で号泣したので、有司もこれを如何ともしがたかった。士龍は乃ち潜かに家に至り、妻子を載せて太湖を浮かびて免れた。

原文至九月,士龍劾順天府丞邵輔忠奸貪,希孔、允成亦劾之,輔忠大懼。朝等因誘以超擢,令攻士龍。輔忠遂訐士龍官杭州時盜庫納妓,進忠從中下其疏。尚書周嘉謨等言兩人所訐,風聞,請寬貸。進忠不從,削士龍籍,輔忠落職閑住。進忠後易名忠賢,顯盜國柄,恨士龍未已。四年冬,令其私人張訥劾之,再命削籍。明年三月入之汪文言獄詞,謂納李三才賄三千,謀起南京吏部,下撫按提訊追贓,遣戍平陽衛。已而輔忠起用,驟遷兵部侍郎。六年十二月,御史劉徽復摭輔忠前奏,劾士龍納訪犯萬金,下法司逮治。士龍知忠賢必殺己,夜中逾墻遁,其妾不知也,謂有司殺之,被發號泣於道,有司無如之何。士龍乃潛至家,載妻子浮太湖以免。

荘烈帝が嗣位すると、忠賢は誅せられた。朝士は士龍のために冤を称え、詔してその罪を尽く赦した。士龍は始めて闕に詣でて恩を謝し、且つ陷れられた故を陳べた。帝はこれを憐れみ、復官致仕を命じたが、竟に召用されなかった。崇禎十四年に至り、裏人の周延儒が再び相となって、始めて漕儲副使に起用され、蘇・松諸郡の糧を督した。明年の冬、入って太僕少卿となった。又明年の春、左僉都御史に擢げられた。時に左都御史李邦華・副都御史惠世揚は皆未だ至らず、士龍独り院事を掌った。帝は嘗て輔臣に語して曰く、「往例、御史巡方は、類く微服して民間を訪う。近くは高牙大纛、気は巡撫を淩ぎ、且つ公署の前後皆賄を通す竇あり、毎に奉使すれば、富は国に敵す可し、宜しく重く懲すべし」と。士龍はこれを聞き、福建巡按李嗣京を劾して逮えた。十月、病を謝して帰った。国変後に卒した。

原文莊烈帝嗣位,忠賢伏誅。朝士為士龍稱冤,詔盡赦其罪。士龍始詣闕謝恩,且陳被陷之故。帝憐之,命復官致仕,竟不召用。至崇禎十四年,裏人周延儒再相,始起漕儲副使,督蘇、松諸郡糧。明年冬,入為太僕少卿。又明年春,擢左僉都御史。時左都御史李邦華、副都御史惠世揚皆未至,士龍獨掌院事。帝嘗語輔臣:「往例御史巡方,類微服訪民間。近高牙大纛,氣淩巡撫,且公署前後皆通竇納賄,每奉使,富可敵國,宜重懲。」士龍聞,劾逮福建巡按李嗣京。十月謝病歸。國變後卒。

賛に曰く、満朝薦は健令なり、死力を出して以て兇鋒に抗い、深牢に幽されて悔いず。言路に躋るに及んで、益々時事に発憤し、庶幾くは強立して反らざる者か。江秉謙・侯震旸の経撫を論ずる、李希孔の「三案」を論ずるは、皆事理に切中す。王允成は直ちに劉朝・魏進忠を攻め、而して楊・左・周・黄諸人と難を同じくせず。毛士龍は顧みて譎を以て免る。蓋し忠賢の殺人は皆附閹邪党に成り、彼の善類に甘心し、之に刃を授けて仮手し且つ功を加うる者は、罪直ちに忠賢に浮ぶ已。

原文贊曰:滿朝薦,健令也,出死力以抗兇鋒,幽深牢而弗悔。及躋言路,益發憤時事,庶幾強立不反者歟。江秉謙、侯震旸之論經撫,李希孔之論「三案」,皆切中事理。王允成直攻劉朝、魏進忠,而不與楊、左、周、黃諸人同難。毛士龍顧以譎免。蓋忠賢殺人皆成於附閹邪黨,彼其甘心善類,授之刃而假手焉且加功者,罪直浮於忠賢已。