明史

本紀第十七 世宗一

世宗欽天履道英毅聖神宣文廣武洪仁大孝粛皇帝、諱は厚熜、憲宗の孫なり。父は興献王祐杬、国は安陸にあり、正徳十四年に薨ず。帝年十有三、世子として国事を理む。

正徳十六年

十六年三月辛酉、未だ服を除かざるに、特命して封を襲がしむ。丙寅、武宗崩ず、嗣無し。慈寿皇太后と大学士楊廷和と策を定め、太監谷大用・韋彬・張錦、大学士梁儲、定国公徐光祚、駙馬都尉崔元、礼部尚書毛澄を遣わし、遺詔をもって王を興邸に迎えしむ。

夏四月癸未、安陸を発つ。癸卯、京師に至り、郊外に止まる。礼官儀を具え、皇太子即位の礼の如くせんことを請う。王、長史袁宗皐を顧みて曰く、「遺詔は我をもって皇帝位を嗣がしむ、皇子に非ざるなり」と。大学士楊廷和等、礼臣の具うる所の儀の如くせんことを請い、東安門より入り文華殿に居り、日を択びて登極せんとす。允さず。会に皇太后、群臣を趣して箋を上り進むを勧む。乃ち郊外にて箋を受く。是の日、日中、大明門より入り、官を遣わして宗廟社稷に告げ、大行皇帝の几筵を謁し、皇太后に朝し、出でて奉天殿に御し、即ち皇帝位に即く。明年を以て嘉靖元年と為し、天下に大赦す。正徳中、事を言いて罪せられ廃せられたる諸臣を卹録し、天下に明年の田租の半ばを賜い、正徳十五年以前の逋賦は悉くこれを免ず。丙午、使を遣わして母妃蒋氏を奉迎す。費宏を召して復た閣に入らしむ。戊申、礼臣に命じて興献王の封号を集議せしむ。

五月乙卯、大理の銀鉱を罷む。丙辰、梁儲致仕す。壬戌、吏部侍郎袁宗皐を礼部尚書兼文淵閣大学士と為し、機務に預からしむ。壬申、銭寧誅せらる。

六月戊子、江彬誅せらる。乙未、内苑の禽獣を放ち、天下に進献することを得ざらしむ。丁酉、錦衣衛の冒濫せる軍校三万余人を革む。戊戌、江西の災を振恤す。壬寅、伝陞の官を革む。癸卯、遼東の饑を振恤す。

秋七月壬子、進士張璁言う、統を継ぐも嗣を継がず、生みし者を尊崇し、興献王の廟を京師に立つることを請う。初め、礼臣、孝宗を考とすべしと議し、興献王を皇叔父と改称せんとし、宋の程頤の濮王の礼を議するを援いて進む。允さず。是に至り、璁の奏を下し、廷臣に命じて集議せしむ。楊廷和等、疏を抗して力争うも、皆聴かず。癸丑、今より親喪は奪情すべからざるを命じ、令と為す。丁巳、小王子、荘浪を犯す。指揮劉爵これを禦ぎて却く。丙子、錦衣衛所及び監局寺廠司庫・旗校・軍士・匠役の投充して新設せし者を革む、凡そ十四万八千余人。丁丑、寧津に盗起こり、徳平知県龔諒これに死す。

九月乙卯、袁宗皐卒す。庚午、毅皇帝を康陵に葬る。

冬十月己卯朔、父興献王を追尊して興献帝と為し、祖母憲宗貴妃邵氏を皇太后と為し、母妃を興献后と為す。壬午、興献后、安陸より至る。

十一月庚戌、江西の災を振恤す。丁巳、宸濠を平げし功を録し、王守仁を新建伯に封ず。甲戌、乾清宮成る。広西の香の貢を罷む。各鎮巡守備官に諭し、凡そ額外の征は悉くこれを罷む。

嘉靖元年

嘉靖元年春正月癸丑、太廟を享く。己未、南郊にて天地を大祀す。清寧宮の後殿災あり。孝宗を皇考と称し、慈寿皇太后を聖母と称し、興献帝后を本生父母と為すことを命ず。己巳、甘州兵乱し、巡撫都御史許銘を殺す。

二月己卯、耤田を耕す。

三月辛亥、弗提えいが生きた豹を献上したが、これを退けた。甲寅、先師孔子に釈奠を行った。丁巳、慈壽皇太后に尊号を上って昭聖慈壽皇太后とし、武宗皇后を莊肅皇后とした。戊午、皇太后に尊号を上って壽安皇太后とし、興獻后を興國太后とした。

夏四月壬辰、各辺の巡按御史に命じて三年に一度、軍馬と器械を検閲させた。

秋七月己酉、南畿・浙江・江西・湖廣・四川が旱魃に見舞われたため、詔を下して巡撫・巡按官に荒政を講究させた。

九月辛未、皇后陳氏を立てた。

冬十月辛卯、南畿・湖廣・江西・廣西の災害を救済し、税糧を差等により免除した。壬辰、災害と損傷により群臣に勅して修省させた。

十一月庚申、壽安皇太后が崩御した。

十二月戊寅、陝西で寇に遭った者及び山東の鉱賊に流劫された者を救済した。

この年、琉球が入貢した。

嘉靖二年

二年春正月乙卯、南郊で天地を大祀した。丁卯、小王子が沙河堡を犯し、総兵官杭雄が戦ってこれを退けた。

二月癸未、遼東の飢饉を救済した。壬辰、総督軍務右都御史俞諫と総兵官魯綱が河南・山東の賊を討って平定した。

三月乙巳、俺答が大同を寇した。甲寅、武宗の神主を太廟に祔した。戊午、姚淶らに進士及第・出身を差等により賜った。

夏四月壬申、災異により群臣に勅して修省させた。癸未、宋の朱熹の裔孫である墅を五経博士とした。癸巳、両京の三品以上及び巡撫・巡按官に命じて守令に堪えうる者を推挙させた。

五月庚午、小王子が密雲石塘嶺を犯し、指揮使殷隆を殺害した。

六月癸丑、災害と損傷により嘉靖元年の天下の税糧の半分を免除した。

秋八月辛酉、小王子が丁字堡を侵犯し、都指揮の王綱が戦死した。

冬十一月丁卯、南畿の被災地の税糧を免除した。己丑、河南の飢饉を救済した。

この年、撒馬児罕・土魯番・天方が朝貢した。

嘉靖三年

三年春正月丙寅朔、両畿・河南・山東・陝西で同時に地震があった。丁丑、南郊で天地を大祀した。丙戌、南京刑部主事の桂萼が孝宗を皇伯考と改称するよう請い、廷臣に議させた。この月、朶顔が侵入した。

二月丙午、楊廷和が致仕した。庚戌、南京で地震があった。

三月壬申、淮・揚の飢饉を救済した。辛巳、河南の飢饉を救済した。

夏四月己酉、昭聖皇太后に昭聖康惠慈壽皇太后の尊号を上った。庚戌、興國太后に本生聖母章聖皇太后の尊号を上った。癸丑、興献帝を本生皇考恭穆献皇帝と追尊し、大赦を行った。辛酉、編修の鄒守益が興献帝を考と称し廟を立てることを罷めるよう請い、錦衣衛の獄に下された。

五月乙丑、蔣冕が致仕した。修撰の呂柟が大礼が正されていないと上言し、錦衣衛の獄に下された。丁丑、使者を遣わして安陸に献皇帝の神主を迎えた。己卯、吏部尚書の石珤が文淵閣大学士を兼ね、機務に預かった。

六月、御史の段續・陳相が席書・桂萼の罪を正すよう請い、吏部員外郎の薛蕙が『為人後解』を上り、鴻臚少卿の胡侍が張璁らの議礼の過失を言上し、いずれも獄に下された。

秋七月乙亥、章聖皇太后の尊号を改定し、本生の称を除いた。戊寅、廷臣が闕に伏して固く争い、員外郎の馬理ら百三十四人を錦衣衛の獄に下した。癸未、馬理らを廷で杖刑に処し、死者十六人あった。甲申、献皇帝の神主を観徳殿に奉安した。己丑、毛紀が致仕した。辛卯、修撰の楊慎、検討の王元正、給事中の劉濟・安磐・張漢卿・張原、御史の王時柯を廷で杖刑に処した。張原は死に、楊慎らは戍・謫などに処せられた。この月、南畿・河南の被災地の税糧を免除した。

八月癸巳、大同で兵変が起こり、巡撫都御史の張文錦を殺害した。乙卯、吏部侍郎の賈詠が礼部尚書兼文淵閣大学士となり、機務に預かった。

九月丙寅、孝宗を皇伯考、昭聖皇太后を皇伯母、献皇帝を皇考、章聖皇太后を聖母と称することを定めた。丙子、詔を天下に下した。丙戌、土魯番が侵入し、粛州を包囲した。兵部尚書の金献民が軍務を総制し、都督ととく僉事を署する杭雄が総兵官に充てられ、太監の張忠が軍務を提督して、これを防いだ。

冬十一月己卯、戸部侍郎の胡瓚が宣・大の軍務を提督し、都督の魯綱が総兵官に充てられ、大同の叛卒を討った。

十二月壬子、甘・涼の敵が退き、金献民を召還した。戊午、致仕した大学士の楊一清を起用して兵部尚書とし、陝西三辺の軍務を総制させた。

この年、琉球が入貢し、魯迷国が獅子・犀牛を貢いだ。

嘉靖四年

四年春正月丙寅、西海の卜児孩が甘粛を犯し、総兵官姜奭がこれを撃破した。辛未、南郊で天地を大祀した。

二月乙卯、獄囚の淹滞を禁じた。

三月壬午、仁寿宮が災に遭った。

夏五月甲戌、廬州知府龍誥に官秩を賜い、天下に詔して誥の備荒振済法に倣わしめた。庚辰、世廟を造営して献皇帝を祀った。

八月戊子、仁寿宮を造営した。

冬十月丁亥、玉徳殿と景福・安喜の二宮を造営した。

十二月辛丑、大礼集議が成り、天下に頒示した。

閏月乙卯朔、日食があった。乙亥、遼東の災を賑恤した。

この年、天方が入貢した。

嘉靖五年

五年春正月乙未、南郊で天地を大祀した。

二月甲寅、道士邵元節を真人に任じた。庚辰、山西の被災税糧を免じた。壬午、京師の飢を賑恤した。

三月辛丑、龔用卿らに進士及第・出身を差等を以て賜った。丁未、有司の久任法を定めた。

夏五月庚子、楊一清が再び内閣に入る。

秋七月庚寅、四川の被災地の税糧を免除する。

八月丙寅、湖廣の飢饉を救済する。

九月己亥、章聖皇太后が世廟に祭祀を行う。

冬十月辛亥朔、太廟の礼と同様に親しく祭祀を行う。壬子、南畿・浙江の災害を救済し、税糧・物料を免除する。庚午、御製の敬一箴を学宮に頒布する。

この年、暹羅が朝貢する。

嘉靖六年

六年春正月癸未、群臣に民間の利害を陳述するよう命ずる。己丑、南郊で天地を大祀する。

二月辛亥、小王子が宣府を侵犯し、参将王経が戦死する。癸亥、費宏・石珤が致仕する。庚午、謝遷を召して再び内閣に入らせる。

三月庚辰、賊が再び宣府を侵犯し、参将関山が戦死する。甲午、礼部侍郎翟鑾を吏部侍郎兼翰林学士とし、内閣に入り機務に参与させる。

夏四月己巳、広西の被災地の税糧を免除する。

五月丁丑朔、日食あり。丁亥、前南京兵部尚書王守仁に左都御史を兼ねさせ、両広・江西・湖広の軍務を総制し、田州の叛蛮を討伐させる。

秋八月庚戌、李福達の獄を議するに当たり、刑部尚書顔頤寿・左都御史聶賢・大理寺卿湯沐らを錦衣衛の獄に下し、侍郎桂萼・張璁、少詹事方献夫に三法司を署理させ、合わせてこれを治めさせる。総制尚書王憲が石臼墩で小王子を撃破する。癸亥、賈詠が致仕する。庚午、湖廣の水害を救済する。

九月己卯、江西・河南・山西の被災地の秋糧を免除する。壬午、欽明大獄録を天下に頒布する。

冬十月戊申、兵部侍郎張璁を礼部尚書兼文淵閣大学士とし、機務に参与させる。

この年、魯迷が入貢した。

嘉靖七年

七年春正月癸未、天下の巡撫官を考覈した。丙戌、南郊で天地を大祀した。

三月戊寅、謝遷が致仕した。癸巳、右都御史伍文定を兵部尚書とし軍務を提督させ、侍郎梁材に糧儲を督理させ、雲南の叛蠻を討たせた。

夏四月甲寅、甘露が降り、郊廟に告げた。

六月辛丑、明倫大典が完成し、天下に頒示した。癸卯、議礼に参与した諸臣の罪を定め、楊廷和らの官籍を追削した。丁卯、雲南の蠻が平定した。

秋七月己卯、孝惠皇太后を太皇太后と追尊し、恭穆献皇帝を恭睿淵仁寛穆純聖献皇帝と追尊した。辛巳、章聖皇太后を章聖慈仁皇太后と尊んだ。戊子、詔を天下に下した。

八月壬子、河南の被災地の税糧を免じた。

九月甲戌、王守仁が広西の蠻を討ち、ことごとく平定した。壬午、嘉興・湖州の災害を救済した。

冬十月丁未、皇后が崩じた。

十一月丙寅、順妃張氏を立てて皇后とした。

十二月丙子、小王子が大同を犯し、指揮趙源が戦死した。

この年、琉球が入貢した。

嘉靖八年

八年春正月己亥、山西の災害を救済した。庚戌、南郊で天地を大祀した。

二月癸酉、吏部尚書桂萼が武英殿大学士を兼ね、機務に預かる。丁丑、襄陽の饑饉を救済する。甲申、旱魃あり、みずから南郊で祈る。乙酉、社稷に祈る。

三月丙申、悼霊皇后を葬る。戊戌、河南の饑饉を救済する。甲寅、羅洪先らに進士及第・進士出身をそれぞれ賜う。

秋七月甲午、獄事の議が当たらずとして、郎中魏応召らを獄に下し、右都御史熊浹は官籍を削られる。

八月丙子、張璁・桂萼が罷免される。壬午、初めてみずから山川を祭り、これを令として定める。

九月癸巳、張璁を召して再び内閣に入らせる。癸丑、楊一清が罷免される。この月、両畿・河南の被災地の税糧を免じ、江西・湖広の饑饉を救済する。

冬十月癸亥朔、日食あり。己巳、外戚の世襲封爵を除き、これを令として定める。

十一月庚子、桂萼を召して再び内閣に入らせる。甲辰、浙江の災害を救済する。戊申、雪を祈る。己酉、雪が降る。丁巳、みずから郊壇に詣でて告謝する。百官が表を奉って賀す。

この年、天方・撒馬児罕・土魯番が入貢する。

嘉靖九年

九年春正月丁酉、南郊で天地を大祀する。丙午、北郊に先蚕壇を作る。丁巳、山西の饑饉を救済する。

二月戊辰、藉田を耕す。乙亥、京師の饑饉を救済する。丁丑、官民の服舎器用が制を踰えることを禁ずる。

三月丁巳、皇后が北郊で親蚕する。

夏四月丙戌、延綏の饑饉を救済する。

五月己亥、四郊を改めて建てる。

六月癸亥、曲阜に孔・顔・孟三氏の学を立てる。

秋八月壬午、江西の被災した税糧を免ず。

九月壬辰、雲南の鎮守中官を罷む。乙未、南畿の被災した秋糧を免ず。

冬十一月辛丑、孔廟の祀典を更正し、孔子の諡号を至聖先師孔子と定む。己酉、昊天上帝を南郊に祀り、礼成り、大赦す。

是の年、琉球、貢に入る。

嘉靖十年

十年春正月辛卯、大祀殿にて穀を祈り、太祖・太宗を配す。甲午、廟祀を更定し、徳祖を祧廟に奉ず。乙巳、桂萼致仕す。

二月甲戌、廬・鳳・淮・揚の被災した秋糧を免ず。壬申、張璁に名を孚敬と賜う。

三月戊申、四川の分守中官を罷む。

夏四月丁巳、皇后、西苑にて親蠶す。甲子、太廟にて禘す。

五月壬子、方澤にて皇地祇を祀る。

閏六月己丑、浙江・湖広・福建・両広及び独石・万全・永寧の鎮守中官を罷む。

秋七月癸丑、侍郎葉相、陝西の饑を振るう。戊午、張孚敬罷む。辛巳、鄭王厚烷、白雀を献じ、之を宗廟に薦ぐ。

八月辛丑、安陸州を改めて承天府と曰う。

九月乙丑、西苑の宮殿成る。成祖の位を設けて祭を致し、群臣を宴す。丙寅、礼部尚書李時、文淵閣大学士を兼ね、機務に預かる。壬申、西苑に幸し、無逸殿に御し、李時・翟鑾に進講を命じ、儒臣を豳風亭に宴す。

冬十一月甲寅、南郊にて天を祀る。戊辰、陝西の被災した秋糧を免ず。丁丑、張孚敬を召して復た内閣に入らしむ。

十二月戊子、御史の喻希禮・石金が修醮に因りて議礼の諸臣の罪を宥すことを請う、錦衣衞の獄に下す。

嘉靖十一年

十一年春正月辛未、圜丘に於いて穀を祈り、始めて武定侯郭勛に命じて事を摂せしむ。

二月戊戌、湖広の被災税糧を免ず。

三月戊辰、林大欽らに進士及第・出身を賜うこと差有り。

夏四月辛卯、常遇春・李文忠・鄧愈・湯和の後を継ぎて侯と封ず。

五月丙子、前吏部尚書方献夫が武英殿大学士を兼ね、機務に預かる。

六月壬午、畿内の被災秋糧を免ず。甲申、劉基の後を継ぎて誠意伯と封ず。

秋七月戊辰、南畿の被災夏税を免ず。

八月戊子、星変を以て羣臣に修省を敕す。辛丑、張孚敬罷む。

九月丁巳、陝西の饑を振恤す。

冬十月甲申、編修楊名が災異を以て言を陳ぶ、獄に下し戍に謫す。是の月、山東の被災税糧を免じ、山西の饑を振恤す。

十一月甲寅、四川巡撫都御史宋滄が白兔を献ず、羣臣表して賀す。庚申、南郊に於いて天を祀る。

十二月己亥、畿内の被災税糧を免ず。

是の年、琉球・哈密・土魯番・天方・撒馬兒罕貢に入る。

嘉靖十二年

十二年春正月丙午、河南巡撫都御史の呉山が白鹿を献上し、群臣が表を奉って賀した。以後、諸々の瑞祥・異変の表賀は常例となった。丙辰、張孚敬を召して再び内閣に入らしむ。是月、浙江・河南の被災税糧を免ず。

二月乙酉、雲南の饑饉を賑恤す。

三月丙辰、先師孔子に釈奠す。

秋八月乙未、皇子の生誕を以て詔を下し天下を赦す。

九月庚戌、広東の巣賊乱れ、提督侍郎の陶諧これを討ち平らぐ。

冬十月乙亥、大同の兵乱れ、総兵官の李瑾を殺し、代王は宣府に奔る。丙子、建昌侯の張延齢を獄に下す。

十一月己亥、遼東の災害を賑恤す。癸丑、翟鑾は憂いにより去る。

十二月己卯、吉囊が寧夏を犯し、総兵官の王効・副総兵の梁震これを撃破す。

是年、土魯番・天方が入貢す。

嘉靖十三年

十三年春正月癸卯、皇后張氏を廃す。壬子、徳妃方氏を立てて皇后と為す。

二月己丑、総督宣大侍郎の張瓚が大同の乱卒を撫定す。辛卯、代王、国に返る。

三月壬申、大同の兵禍に遭った者を賑恤す。乙酉、吉囊が響水堡を犯し、参将の任傑これを撃破す。

夏四月己酉、方献夫致仕す。

六月甲子、南京の太廟に災あり。

秋八月壬子、寇花馬池を犯す、梁震これを防ぎ退ける。

冬十一月庚午、南郊にて天を祀る。

是の年、琉球貢を入る。

嘉靖十四年

十四年春正月壬申、督理倉場の中官を罷む。丙戌、莊肅皇后崩ず。

二月己亥、九廟を作る。丁未、冠服の制に非ざるを禁ず。

三月戊子、孝靜皇后を康陵に葬る。己丑、遼東軍乱れ、都御史呂経を執る。

夏四月甲午、張孚敬致仕し、費宏を召して復た閣に入る。丙申、韓応龍らに進士及第・出身を賜うこと差あり。丙午、広寧兵乱す。

六月、吉囊大同を犯す、総兵官魯綱これを防ぎ退ける。

秋七月甲申、広寧の乱卒平ぐ。

八月乙巳、九卿に巡撫官を会推せしむるを詔し、令と為す。

冬十月戊申、費宏卒す。

十一月乙亥、南郊にて天を祀る。

是の年、烏斯蔵貢を入る。

嘉靖十五年

十五年春二月癸巳、湖廣の災害を救恤す。

三月丙子、章聖皇太后を奉じて天壽山に如き、陵を謁す。昌平の今年の稅糧を三分の二免じ、高年に粟帛を賜う。癸未、恭讓章皇后・景皇帝の陵を謁す。是の日、宮に還る。

夏四月癸巳、山陵を建つるを詔す。癸卯、七陵に詣で祭告す。癸丑、宮に還る。是の月、吉囊、甘・涼を犯す。總兵官姜奭之を撃ち破る。

秋九月庚午、天壽山に如く。丁丑、宮に還る。是の秋、吉囊、延綏を犯す。官軍四戦し皆之を敗る。

冬十月己亥、世廟を改めて獻皇帝廟と定む。戊申、天壽山に如く。壬子、宮に還る。

十一月戊午、皇長子生まるを以て、詔して天下を赦す。辛巳、南郊にて天を祀る。

十二月辛卯、九廟成る。

閏月癸亥、廟制を定むるを以て、両宮皇太后の徽號を加え上り、詔して天下を赦す。乙丑、禮部尚書夏言、武英殿大學士を兼ね、機務に預かる。丙寅、九廟を享る。

是の年、山西・山東の被災稅糧を免ず。琉球・烏斯藏、貢に入る。

嘉靖十六年

十六年春二月壬子、安南の黎寧、使を遣わして莫登庸の難を告ぐ。癸酉、天壽山に如く。

三月甲申、宮に還る。丙午、大峪山に幸し壽陵を視る。

夏四月癸丑、宮に還る。

六月癸酉、吉囊、宣府を寇す。指揮趙鏜戦死す。

秋八月、再び宣府を寇し、参将張国輔を殺す。

冬十一月、故昌国公張鶴齢を下獄し、瘐死す。

是の年、土魯番・天方・撒馬児罕、貢を入る。

嘉靖十七年

十七年春二月戊辰、天寿山に如く。壬申、宮に還る。

三月壬辰、茅瓚らに進士及第・出身を賜うこと差有り。辛丑、咸寧侯仇鸞を征夷副将軍と為し、総兵官を充て、兵部尚書毛伯温に軍務を参賛せしめ、安南の莫登庸を討つ。

夏四月庚戌、天寿山に如く。甲寅、宮に還る。戊午、安南の師を罷む。甲子、郊壇に雨を禱る。戊辰、雨。

六月、寇宣府を犯し、都指揮周冕戦死す。丙辰、明堂大饗の礼を定む。戸部侍郎唐冑を下獄す。

秋七月辛卯、河南・雲南の銀礦を開く。癸巳、慈寧宮成る。

八月甲辰、吉囊河西を犯し、総督都御史劉天和これを禦ぎて卻く。丙辰、礼部尚書掌詹事府事顧鼎臣、文淵閣大学士を兼ね、機務に預かる。

九月戊寅、畿内被災の税糧を免ず。辛巳、太宗の廟号を成祖とし、献皇帝の廟号を睿宗と上る。遂に睿宗の神主を奉じて太廟に祔し、武宗の上に躋ぐ。辛卯、玄極宝殿に大享して上帝を祀り、睿宗を奉じて配す。乙未、天寿山に如く。丁酉、宮に還る。

冬十一月辛未朔、南郊に詣で、皇天上帝の号を上る。還りて太廟に詣で、太祖高皇帝・高皇后の尊号を上る。辛卯、南郊にて天を祀る。詔して天下を赦す。乙未、江西被災の税糧を免ず。

十二月癸卯、章聖皇太后崩ず。壬子、大峪山に如きて山陵を相視す。甲寅、宮に還る。乙卯、李時卒す。戊午、寧夏の災を振る。

是の年、琉球・土魯番、貢を入る。

嘉靖十八年

十八年春二月庚子朔、皇子載壑を立てて皇太子とし、載垕を裕王に封じ、載圳を景王に封ず。辛丑、詔して天下を赦す。黄綰を起用して礼部尚書とし、安南に宣諭す。壬寅、翟鑾を起用して兵部尚書兼右都御史とし、行辺使を充てる。丁未、玄極宝殿にて穀を祈る。先賢曾子の裔孫質粹を翰林院世襲五経博士とす。壬子、遼東の饑を振恤す。癸丑、安南の莫方瀛降を請う。乙卯、承天に幸し、太子国を監す。辛酉、真定に次し、北嶽に望祭す。丁卯、衛輝に次し、行宮火災す。

三月己巳、河を渡り、大河の神を祭る。辛未、鈞州に次し、中嶽に望祭す。甲戌、畿内の被災税糧を免ず。庚辰、承天に至る。辛巳、顕陵を謁す。甲申、龍飛殿にて上帝を饗し、睿宗を配す。国社・国稷に秩し、群祀を遍くす。戊子、龍飛殿に御して賀を受け、詔して天下を赦す。承天に復を給すること三年、湖広の明年田賦を五分の二を免じ、畿内・河南を三分の一を免ず。

夏四月壬子、承天より至る。壬戌、湖広の被災税糧を免ず。甲子、大峪山に幸す。丙寅、宮に還る。

秋閏七月庚申、献皇后を顕陵に葬る。辛酉、復た仇鸞・毛伯温に命じて安南を征せしむ。

九月辛酉、天寿山に如く。侍郎王杲、河南の饑を振恤す。

冬十月丙寅、宮に還る。

十一月丙申、南郊にて天を祀る。

是年、日本・哈密貢を入る。

嘉靖十九年

十九年春正月丙午、翟鑾を召して復た内閣に入らしむ。辛亥、吉囊、大同を寇し、指揮周岐を殺す。

三月戊戌、詔して仁寿宮を修す。

夏六月辛巳、瓦剌部長、塞に欵す。

秋七月癸卯、吉囊、万全右衛に入る。総兵官白爵、宣平にて逆戦し、之を敗る。壬子、又た之を桑乾河にて敗る。戊午、江西の災を振恤す。

八月丁丑、太僕卿楊最、丹薬服用を諫め、杖に予せられて死す。

九月、吉囊、固原を犯す。周尚文、之を黒水苑にて敗る。延綏総兵官任傑、鉄柱泉にて追撃し、又た之を敗る。己酉、仇鸞を召して還らしむ。

冬十月庚申、鉱場を罷む。甲子、顧鼎臣卒す。

十一月丙辰、慈慶宮成る。

是の年、琉球・日本貢を入る。

嘉靖二十年

二十年春正月、南畿の被災税糧を免ず。

二月乙丑、顯陵成る。承天に復を給し三年とす。丙寅、御史楊爵時政を言ふ。錦衣衞の獄に下す。

三月乙巳、沈坤等に進士及第・出身を賜ひ差有り。是の春、吉囊蘭州を寇す。参将鄭東戦死す。

夏四月己未、莫登庸欵を納る。安南國を改めて安南都統使司と為し、登庸を以て都統使とす。辛酉、九廟災有り、成祖・仁宗の主を燬つ。丙子、詔して寬恤の政を行はしむ。

五月戊子、木を湖廣・四川に採る。甲寅、遼東の饑を振る。

六月、畿内・山西の饑を振る。

秋七月丁酉、俺答・阿不孩使を遣はし塞に欵き貢を求む。詔して之を卻く。是の月、河南・陝西・山東の被災税糧を免ず。

八月辛酉、昭聖皇太后崩ず。庚辰、夏言罷む。是の月、俺答・阿不孩・吉囊分道して入寇す。總兵官趙卿京營の兵を帥ひ、都御史翟鵬軍務を理め、之を禦ぐ。

九月乙未、翊國公郭勛罪有り、獄に下り死す。辛亥、俺答山西を犯し、石州に入る。

冬十月癸丑、山西の被寇する者を振ひ、徭役を復すること二年とす。丁卯、夏言を召して復た内閣に入らしむ。

十一月辛卯、敬皇后を泰陵に葬る。丙申、四川の被災税糧を免ず。

この年、琉球が入貢した。

嘉靖二十一年

二十一年夏四月庚申、大高玄殿が完成した。

閏五月戊辰、俺答・阿不孩が使者を遣わして大同塞に款いたが、巡撫都御史龍大有が誘い出してこれを殺した。

六月辛卯、俺答が朔州を寇す。壬寅、雁門関に入る。丁未、太原を犯す。

秋七月己酉朔、日食あり。夏言罷免さる。己未、俺答が潞安を寇し、沁・汾・襄垣・長子を掠め、参将張世忠戦死す。

八月辛巳、直隸・山東・河南に兵を募る。壬午、山西の兵乱に遭った州県を賑恤し、田租を免ず。癸巳、礼部尚書厳嵩が武英殿大学士を兼ね、機務に預かる。

九月癸亥、員外郎劉魁が雷殿の営造を諫め、杖罰を受け獄に下される。

冬十月丁酉、宮人の謀逆が発覚し誅殺され、端妃曹氏・寧嬪王氏を市で磔に処す。

この年、畿内・陝西・河南・福建の被災地の税糧を免ず。安南が入貢した。