明史

本紀第十六 武宗

武宗承天達道英肅睿哲昭德顯功弘文思孝毅皇帝、諱は厚照、孝宗の長子なり。母は孝康敬皇后。弘治五年、皇太子に立てられる。性聰穎にして、騎射を好む。

弘治十八年

十八年五月、孝宗崩ず。壬寅、皇帝の位に即く。明年を以て正德元年と為し、天下に大赦し、弘治十六年以前の逋賦を除く。戊申、小王子宣府を犯す。総兵官張俊敗績す。庚戌、太監苗逵軍務を監督し、保国公朱暉を征虜将軍と為し、総兵官を充て、右都御史史琳軍務を提督して、之を禦ぐ。

秋八月甲寅、皇太后を尊びて太皇太后と為し、皇后を皇太后と為す。丙子、朱暉等を召し還す。

九月甲午、南京地震す。丁酉、陝西の饑を振恤す。

冬十月丙辰、小王子甘肅を犯す。庚午、敬皇帝を泰陵に葬る。

十一月甲申、文華殿に御し日講す。

是年、占城・安南貢を入る。

正德元年

正德元年春正月乙酉、太廟を享く。己丑、南郊に於て天地を大祀す。

二月壬子、経筵に御す。乙丑、耤田を耕す。

三月甲申、先師孔子に釈奠す。

夏五月丙申、蘇・杭の織造歳幣を減ず。

六月辛酉、官吏・民衆の奢侈を禁ず。陝西の被災地の税糧を免除す。この日、大風雨あり郊壇の獣瓦を壊す。庚午、群臣に修省を諭す。

秋八月乙卯、再び内官を南京に遣わし織造せしむ。戊午、皇后夏氏を立てる。

冬十月丁巳、戸部尚書韓文、廷臣を率いて乱政の内臣馬永成等八人の誅殺を請う。大学士劉健・李東陽・謝遷これに主導す。戊午、韓文等再び請う、聴かず。劉瑾を以て司礼監を掌らしめ、丘聚・谷大用に東・西廠を提督せしめ、張永に十二団営兼神機営を督せしめ、魏彬に三千営を督せしめ、各要地を拠らしむ。劉健・李東陽・謝遷、去らんことを乞う。健・遷はこの日致仕す。己未、東陽また去らんことを乞う、許さず。壬戌、吏部尚書焦芳、文淵閣大学士を兼ね、吏部侍郎王鏊、翰林学士を兼ね、内閣に入り機務に預かる。戊辰、日講を停む。

十一月甲辰、韓文を罷む。

十二月丁巳、錦衣衛官に命じて給事中を点閲せしむ。癸酉、曲阜孔氏の田賦を除く。

是の年、哈密・烏斯藏、貢に入る。

正徳二年

二年春正月乙亥朔、日食あり。乙酉、南郊にて天地を大祀す。

閏月庚戌、給事中艾洪・呂翀・劉𦶜及び南京給事中戴銑・御史薄彦徽等二十一人を闕下にて杖つ。

二月戊戌、御史王良臣を午門にて杖つ。御史王時中を都察院にて校を荷わしむ。

三月辛未、大学士劉健・謝遷、尚書韓文・楊守隨・張敷華・林瀚等五十三人を党比と為し、群臣に戒めを宣す。是の月、各鎮守太監に刑名政事に預かることを敕す。

夏五月戊午、僧道四万人を度す。己巳、寧王宸濠の護衛を復す。

六月甲戌、孝宗の神主を太廟に祔す。戊寅、辺垣の修築を罷め、その費用を京師に輸送す。

秋八月丙戌、豹房を作る。

冬十月甲申、各辺の巡撫都御史及び管糧郎中を逮えて獄に下す。丙戌、南京戸部尚書楊廷和を文淵閣大学士と為し、機務に預からしむ。

十二月壬辰、浙江・福建・四川の銀鉱を開く。

この年、琉球が入貢す。

正徳三年

三年春正月丁未、南郊にて天地を大祀す。辛亥、外吏を大計し、中旨をもって翰林学士呉儼・御史楊南金を罷む。

二月己巳、京官の告假期限違反及び病満一年の者を皆致仕せしむ。

三月乙卯、呂柟らに進士及第・出身を差等を以て賜う。

夏四月乙亥、軍民銀を納ずれば、都指揮僉事以下の官を授け得。

六月壬辰、御道に匿名文書を得、群臣を奉天門外に跪かせてこれを詰問す。三百余人を錦衣衛獄に下し、尋いでこれを釈す。

秋七月壬子、天下に命じて楽工を選び京師に送らしむ。

八月辛巳、内廠を立て、劉瑾これを領す。庚寅、韓文を錦衣衛獄に下し、罰として大同に米千石を輸せしむ。是の月、山東に盗賊起こる。

九月癸卯、致仕尚書雍泰・馬文升・許進・劉大夏の籍を削る。辛酉、劉大夏を逮えて獄に下し、肅州に戍す。癸亥、南京の饑饉を賑う。

冬十月辛未、南京工部侍郎畢亨、湖廣・河南の饑饉を賑う。

十一月乙未、鳳陽諸府の饑饉を賑う。

この年、安南・哈密・撒馬児罕・烏斯蔵入貢す。

正徳四年

四年の春正月丙午、南郊にて天地を大祀す。

二月丙戌、劉健・謝遷の官籍を削る。

三月甲辰、浙江の饑饉を賑恤す。己酉、吏部侍郎張綵、不時の京官考察を請う。之に従う。

夏四月乙亥、王鏊致仕す。

六月戊子、吏部尚書劉宇、文淵閣大学士を兼ね、機務に預かる。

秋八月辛酉、使を遣わし各辺の屯田を覈実す。是の月、義州に軍変あり。

閏九月、小王子延綏を犯し、総兵官呉江を隴州城に囲む。

冬十一月甲子、花馬池を犯し、総制尚書才寬戦死す。

十二月庚戌、劉健・謝遷等六百七十五人の誥敕を奪う。

是の年、両広・江西・湖広・陝西・四川並びに盗賊起こる。琉球・安南・哈密・土魯番・撒馬児罕貢を入る。

正徳五年

五年の春正月丁卯、南郊にて天地を大祀す。庚辰、故尚書秦紘の家を籍没す。

二月癸巳、兵部尚書曹元、吏部尚書兼文淵閣大学士となり、機務に預かる。

三月辛未、雨を祈り、獄囚を釈放し、正徳三年の逋賦を免ず。乙酉、江西の賊熾なり、右都御史王哲南・贛を巡視し、刑部尚書洪鍾川・陝・河南・鄖陽の軍務を総制し、兼ねて湖広を振恤す。

夏四月庚寅、安化王寘鐇反し、巡撫都御史安惟学・総兵官姜漢を殺す。丙午、右都御史楊一清を起用し寧夏・延綏・甘・涼の軍務を総制せしめ、涇陽伯神英総兵官を充て、寘鐇を討たしむ。辛亥、詔して天下を赦す。太監張永寧夏軍務を総督す。是の日、游撃将軍仇鉞寘鐇を襲撃し捕らう。寧夏平ず。

五月癸未、焦芳が致仕する。

六月庚子、帝自ら大慶法王と号し、所司に印を鋳造させて進上させる。丙午、劉宇罷免される。

秋七月壬申、洪鍾が沔陽の賊を討ち、これを平定する。

八月甲午、劉瑾が謀反の罪で獄に下される。正徳二年以後に変更した政令はすべて旧に復することを詔する。戊戌、劉瑾の党与を処罰し、吏部尚書張綵を獄に下す。己亥、曹元罷免される。丁未、寧王の護えいを廃止する。戊申、劉瑾誅殺される。己酉、流罪に処せられた諸臣を釈放する。

九月丙辰、寘鐇平定の功を論じ、仇鉞を咸寧伯に封ずる。戊午、吏部尚書劉忠・梁儲ともに文淵閣大学士を兼ね、機務に預かる。己未、寘鐇・劉瑾平定の功により、太監張永の兄の富・弟の容をともに伯に封ずる。癸酉、義子の指揮同知朱德、太監谷大用の兄の大寬、馬永成の兄の山、魏彬の弟の英をすべて伯に封ずる。

冬十月己亥、張綵の屍を市で戮す。

十二月己丑、賊が江津を陥とし、僉事吳景これに死す。

この年、日本・占城・哈密・撒馬児罕・土魯番・烏斯藏が入貢する。

正徳六年

六年春正月甲子、南郊において天地を大祀する。癸酉、賊が営山を陥とし、僉事王源を殺す。

二月丙申、寘鐇誅殺される。己酉、左都御史陳金を起用し、江西軍務を総制させて賊を討たしむ。

三月戊辰、楊慎らに進士及第・出身を差等を以て賜う。庚午、惠安伯張偉を総兵官とし、右都御史馬中錫に軍務を提督させ、直隸・河南・山東の賊を討たしむ。丙子、賊に侵された州県の税糧を一年免除する。この月、小王子が河套に入り、沿辺の諸堡を犯す。

夏四月癸未、劉忠が墓参りのため帰郷を乞う。この月、淮安に盗賊起こる。

六月、山西に盗賊起こる。

秋七月壬申、賊が文安を犯し、京師戒厳す。癸酉、宣府・延綏の兵を調発して入援させる。

八月己卯、兵部侍郎陸完が辺軍を率いて賊を討つ。四川巡撫都御史林俊が賊首藍廷瑞・鄢本恕を擒斬す。甲申、賊劉六が固安を犯す。丙戌、張偉・馬中錫を召還す。

九月丙寅、再び宣府及び遼東の兵を調発し陸完の軍を増強す。

冬十月癸未、賊が長山を陥とし、典史李暹戦死す。甲申、賊が済寧州にて糧艘を焼く。丁酉、甘州副総兵白琮が柴溝にて小王子を破る。

十一月庚戌、太監谷大用・張忠、伏羌伯毛鋭が京軍を帥い陸完と会し賊を討つ。丙辰、戸部侍郎叢蘭・王瓊が両畿・河南・山東を賑恤す。戊午、京師地震す。辛酉、修省を敕す。乙亥、暴骨を瘞む。

十二月癸巳、礼部尚書費宏が文淵閣大学士を兼ね、機務に預かる。甲午、清河口より柳舖に至り、黄河三日間清む。辛丑、賊が蒼溪を掠め、兵備副使馮傑敗死す。

是の年、畿輔より江・淮・楚・しょくに至るまで盗賊が官吏を殺し、山東は特に甚だしく、九十余城を破るに至り、道路梗絶す。琉球・哈密入貢す。

正徳七年

七年春正月甲寅、賊が覇州を犯し、京師戒厳す。丁巳、大城を陥とし、知県張汝舟・主簿李銓戦死す。己未、南郊にて天地を大祀す。

二月丁丑、副都御史彭澤・咸寧伯仇鉞が軍務を提督し、太監陸誾が監軍となり、河南の賊を討つ。己卯、賊が萊州を犯し、指揮僉事蔡顯ら力戦死す。

三月辛未、副総兵時源が河南にて敗績し、都督ととく僉事馮禎力戦死す。

夏五月丙午、陸完が萊州にて賊を破り、山東の賊平ず。甲寅、左都御史陳金が撫州の賊を討平す。丙寅、賊が武昌江中にて副都御史馬炳然を殺す。

閏月壬辰、仇鉞が光山にて賊を破り、河南の賊平ず。

秋七月癸巳、江西の賊が華林にて副使周憲を殺す。丁酉、四川の饑饉を賑恤す。

八月癸亥、陸完が狼山にて劉七等の賊を追殲す。

九月乙酉、陳金が華林の賊を討平す。戊子、洪鍾を召還す。都御史彭澤が四川軍務を総制す。丙申、義子一百二十七人に国姓を賜う。

冬十月、河南・江西・浙江の災害と賊害を受けた者の税糧を免除した。

十一月壬申、時源を平賊将軍とし、彭沢とともに四川の賊を討たせた。丁亥、大同・宣府・遼東の兵を京営に留め置いた。李東陽が諫めたが、聞き入れなかった。

十二月丁卯、李東陽が致仕した。この月、両畿・山東・山西・陝西の災害と賊害を受けた者の税糧を免除した。

この年、安南・日本・哈密が入貢した。

正徳八年

八年春正月癸酉、右副都御史の俞諫が陳金に代わって江西の賊を討った。壬午、南郊で天地を大祀した。乙酉、辺将の江彬・許泰に京営を分領させ、国姓を賜った。まもなく両官庁軍を設け、彬・泰に分領させた。癸巳、戸部侍郎の叢蘭・僉都御史の陳玉が辺境を巡視した。

二月丙午、賊平定の功により、太監谷大用の弟大亮・陸誾の甥の永をいずれも伯に封じた。

三月戊子、鎮国府を置いて宣府の官軍を収容した。甲午、旱魃により群臣に修省を命じた。

夏四月乙丑、彭沢が剣州で賊を破った。

五月辛巳、仇鉞を総兵官とし、京営の兵を率いて大同で敵を防がせた。

六月戊戌、黄河が黄陵岡で決壊した。乙卯、俞諫が貴渓で賊を破った。

秋八月、南畿の水害による税糧を免除した。土魯番が襲撃して哈密を占拠した。

冬十月丁未、俞諫が東郷で連続して賊を破り、江西の賊が平定された。

十二月、南京刑部侍郎の鄧璋が江西の飢饉を救済した。

この年、哈密が入貢した。

正徳九年

九年春正月丁丑、南郊にて天地を大祀す。庚辰、乾清宮災あり。

二月庚子、帝初めて微行す。丙午、礼部尚書靳貴、文淵閣大学士を兼ね、機務に預かる。癸丑、彭澤・時源、四川の賊を討ち平らぐ。

三月辛巳、唐皐らに進士及第・出身を賜うこと差等あり。

夏四月丁酉、寧王の護衛を復し、屯田を与う。

五月乙丑、費宏致仕す。己丑、彭澤、甘肅軍務を総督し、哈密を經理す。

六月乙卯、雲南の銀鉱を開く。

秋七月乙丑、小王子、宣府・大同を犯す。太監張永、軍務を提督し、都督白玉、総兵官に充て、京営の兵を帥いてこれを禦ぐ。

八月辛卯朔、日食あり。辛丑、小王子、白羊口を犯す。乙巳、京師地震す。己未、小王子、寧武関に入り、忻州・定襄・寧化を掠む。

九月壬戌、宣府・蔚州を犯す。庚午、帝、虎を狎びて傷つけられ、朝を視せず。編修王思、諫めて饒平驛丞に謫せらる。

冬十月己酉、使いを遣わし川・湖にて木を採る。

十一月辛酉、帰善王當沍を廃して庶人と為し、自殺す。

十二月甲寅、乾清宮を建つ。天下の賦を加うること百万。

是年、安南・哈密・烏斯藏、貢を入る。

正徳十年

十年春正月癸亥、薄暮に太廟を享く。戊辰、薄暮に南郊にて天地を祀る。

三月壬申、楊廷和、憂いにより去る。

夏閏四月辛酉、吏部尚書楊一清、武英殿大学士を兼ね、機務に預かる。戊寅、彭澤を召還す。

秋八月丙寅、小王子、固原を犯す。

冬十二月癸丑朔、日食あり。己卯、南畿の旱災による秋糧を免ず。

是の年、琉球・安南・哈密・撒馬兒罕、貢を入る。

正徳十一年

十一年春正月乙未、南郊にて大いに天地を祀る。

夏四月、河南の饑を振恤す。

五月庚寅、土魯番、哈密を以て来帰す。甲辰、自宮の男子三千四百余人を録して海戸に充つ。是の月、陝西の饑を振恤す。

秋七月乙未、小王子、薊州白羊口を犯す。太監張忠、軍務を監督し、左都督劉暉、総兵官に充て、東西官廳の軍を帥いて之を禦ぐ。丙午、工部侍郎趙璜・俞琳、畿内の武備を飭る。

八月丁巳、左都御史彭澤・成国公朱輔、京營の兵を帥いて辺を防ぐ。庚申、宛平県の寇に被る者に人ごとに米二石を賜う。甲子、楊一清致仕す。丁丑、礼部尚書蔣冕、文淵閣大学士を兼ね、機務に預かる。

九月、土魯番、復た哈密を拠り、肅州を侵し、遊撃芮寧を殺す。

冬十月己酉朔、太廟を享く。使者を遣わして礼を行わしむ。

十一月甲申、湖廣の被災した税糧を免ず。

この年、琉球・天方が朝貢した。

正徳十二年

十二年春正月己丑、南郊において天地を大祀し、ついで南海子に狩猟し、夜中に還り、奉天殿に御して朝賀を受けた。

三月癸巳、舒芬らに進士及第・出身を差等を以て賜う。戊戌、両淮・浙江・四川・河東の塩課を以て陝西の織造に充てる。

夏四月壬子、靳貴が致仕する。丙辰、副総兵鄭廉が瓜州において土魯番を破る。

五月丙子、礼部尚書毛紀が東閣大学士を兼ね、機務に預かる。

六月乙巳朔、日食あり。

秋八月甲辰、微服して昌平に至る。乙巳、梁儲・蔣冕・毛紀が沙河において追い及び、回蹕を請うが、聴かず。己酉、居庸関に至る。巡関御史張欽が関を閉ざし命を拒む。乃ち還る。丙辰、昌平より至る。戊午、夜に朝を視る。癸亥、副都御史吳廷挙が湖広の饑饉を賑済する。丙寅、夜に微服して徳勝門を出で、居庸関に至る。辛未、関を出で、宣府に幸す。谷大用に関を守らせ、京朝官を出さしめず。

九月辛卯、河が城武で決壊する。壬辰、陽和に至り、自ら総督軍務威武大将軍総兵官と称す。庚子、帑銀百万両を宣府に輸送する。

冬十月癸卯、順聖川に駐蹕す。甲辰、小王子が陽和を犯し、応州を掠める。丁未、親しく諸軍を督いてこれを防ぎ、五日間戦う。辛亥、寇引き去る。大同に駐蹕す。

十一月丁亥、楊廷和を召して復た内閣に入らしむ。戊子、還りて宣府に至る。

十二月癸亥、群臣行在に赴き還宮を請うが、関を出で得ずして還る。

閏月丁亥、宣府において迎春す。

この年、琉球・烏斯蔵が朝貢した。

正徳十三年

十三年春正月辛丑の朔、帝は宣府に在り。丙午、宣府より至り、群臣に綵帳・羊酒を具えて郊迎せしめ、帳殿に御して賀を受く。丁未、南郊の致斎を罷む。庚戌、南郊にて天地を大祀し、遂に南海子にて狩猟す。辛亥、宮に還る。辛酉、再び宣府に如く。是の月、両畿・山東の水災を振恤す。京師の流民に米を給し、人三斗。死者を瘞す。

二月己卯、太皇太后崩ず。壬午、宣府より至る。

三月戊辰、昌平に如く。

夏四月己巳の朔、六陵を謁し、遂に密雲に幸す。

五月己亥の朔、日食あり。喜峯口に駐蹕す。戊申、喜峯口より至る。

六月庚辰、太皇太后の梓宮、京師を発す。帝は戎服して従う。甲申、孝貞純皇后を葬る。乙酉、昌平より至る。

秋七月己亥、応州の功を録し、廕・陞・賞を敍する者五万余人。丙午、再び宣府に如く。

八月乙酉、大同に如く。

九月庚子、偏頭関に次す。癸丑、勅して曰く、「総督軍務威武大将軍総兵官朱寿、親しく六師を統べ、辺境を肅清す。特に関を加えて鎮国公と為し、歳に禄米五千石を支ふ。吏部は勅の如く奉行せよ」。甲寅、朱彬を平虜伯に封じ、朱泰を安辺伯に封ず。

冬十月戊辰、河を渡る。己卯、榆林に次す。

十一月庚子、西官庁及び四衛営の兵を調発して宣府・大同に赴かしむ。壬子、綏徳に次し、総兵官戴欽の第に幸す。

十二月戊寅、河を渡り、石州に幸す。戊子、太原に次す。

是年、琉球・天方・瓦剌、貢を入る。

正徳十四年

十四年春正月丙申の朔、帝は太原に在り。甲辰、郊祀を改めて卜す。壬子、宣府に還る。

二月壬申、宣府より至る。丁丑、南郊にて天地を大祀し、遂に南海子にて狩猟す。是の日、京師地震す。己丑、帝自ら太師を加え、礼部に諭して曰く、「総督軍務威武大将軍総兵官太師鎮国公朱寿、将に両畿・山東を巡り、神を祀り福を祈らんとす。其れ儀を具えて以て聞かしめよ」と。

三月癸丑、巡幸を諫むるを以て、兵部郎中黄鞏ら六人を錦衣衛の獄に下し、修撰舒芬ら百七人を午門に五日跪かしむ。金吾衛都指揮僉事張英、自ら刃を以て諫め、衛士刃を奪い、死せずを得。鞠治し、杖殺す。乙卯、寺正周叙・行人司副余廷瓚・主事林大輅ら三十三人を錦衣衛の獄に下す。戊午、舒芬ら百七人を闕下にて杖つ。是の日、風霾あり、昼晦し。

夏四月甲子、南畿被災の税糧を免ず。戊寅、黄鞏ら三十九人を闕下にて杖つ。先後死者十一人。

五月己亥、山東・山西・陝西・河南・湖広の流民に帰業する者あれば、官にて廩食・廬舎・牛種を与え、五年を復すと詔す。

六月丙子、寧王宸濠反す。巡撫江西右副都御史孫燧・南昌兵備副使許逵、之に死す。戊寅、南康を陥とす。己卯、九江を陥とす。

秋七月甲辰、帝自ら将として宸濠を討たんとし、安辺伯朱泰を威武副将軍と為し、師を帥いて先鋒と為す。丙午、宸濠安慶を犯す。都指揮楊鋭・知府張文錦、之を禦ぎて却く。辛亥、提督南贛汀漳軍務副都御史王守仁、兵を帥いて南昌を復す。丁巳、守仁、宸濠を樵舎にて破り、之を擒う。

八月癸未、車駕京師を発つ。丁亥、涿州に次す。王守仁の捷奏至るも、秘して発せず。

冬十一月乙巳、清江浦にて漁す。壬子、冬至、太監張陽の第にて賀を受く。

十二月辛酉、揚州に次す。乙酉、江を渡る。丙戌、南京に至る。

是の歳、淮・揚饑饉し、人相食む。撒馬児罕、貢を入る。

正徳十五年

十五年春正月庚寅朔、帝南京に在り。癸巳、郊を改めて卜す。

夏四月己未、淮・揚諸府の饑饉を振恤す。

六月丁巳、牛首山に次す。諸軍夜に驚く。

秋七月、小王子、大同・宣府を犯す。

八月癸未、江西の税糧を免ず。

閏月癸巳、江西の俘虜を受く。丁酉、南京を発つ。癸卯、鎮江に次ぎ、大学士楊一清の邸に幸し、故大学士靳貴の喪に臨む。

九月己巳、積水池に漁す。舟覆き、救われて免れる。遂に不となる。

冬十月庚戌、通州に次ぐ。

十一月庚申、宸濠に交通した者の罪を治め、吏部尚書陸完を執えて行在に赴かしむ。

十二月己丑、宸濠誅せらる。甲午、京師に還り、郊廟社稷に捷を告ぐ。丁酉、南郊にて天地を大祀す。初献に疾作し、礼を成すこと克わず。

是の年、琉球・占城・佛郎機・土魯番、貢に入る。

正徳十六年

十六年春正月癸亥、郊を改めて卜す。

二月己亥、雲南巡撫副都御史何孟春、弥勒州の苗を討ち平らぐ。

三月癸丑朔、日食あり。庚申、西官廳を改めて威武団營と為す。乙丑、大漸す。司禮監に諭して曰く、「朕の疾は為すべからざるに至れり。朕の意を以て皇太后に達せよ。天下の事重し。閣臣と審らかに処分せよ。前の事は皆朕の誤りなり。汝曹の預かる所に非ず」と。丙寅、豹房にて崩ず。年三十一。遺詔して興獻王の長子を召して位を嗣がしむ。威武団營を罷め、各辺の軍を遣わして還し、京城内外の皇店を革め、豹房の番僧及び教坊司の楽人を放つ。戊辰、遺詔を天下に頒ち、繫囚を釈し、四方の献じたる婦女を還し、不急の工役を停め、宣府行宮の金宝を収めて内庫に還す。庚午、江彬等を執えて獄に下す。世宗立ちて入る。五月己未、尊諡を上り、廟號を武宗と曰い、康陵に葬る。

贊に曰く、明は正統以来、国勢漸く弱し。毅皇(武宗)手ずから逆瑾を除き、躬みて辺寇を禦ぎ、奮然として武功を以て自ら雄たんと欲す。然れども耽楽嬉遊し、羣小に暱近し、官號を自ら署するに至りては、冠履の分蕩然たり。猶ほ幸いに用人之柄を躬自ら操持し、而して鈞を秉する諸臣補苴匡救す。是を以て朝綱紊乱すれども、危亡に底せず。仮に孝宗の遺沢を承け、節を制し度を謹み、中主の操り有らしめば、則ち国泰にして名完く、豈に後人の訾議を重んずるに至らんや。