冬十月丁卯、伝奉官を汰し、右通政任傑・侍郎蒯鋼等千余人を罷め、罪を論じて戍斥す。法王・仏子・国師・真人の封号を革む。乙亥。皇太后周氏を尊びて太皇太后と為し、皇后王氏を皇太后と為す。丙子、妃張氏を立てて皇后と為す。丁亥、萬安罷む。壬辰、母淑妃を追諡して孝穆皇太后と為す。癸巳、吏部左侍郎兼翰林学士徐溥、閣に入り機務に預かる。
十一月癸丑、尹直罷む。乙卯、詹事劉健を礼部侍郎兼翰林学士と為し、閣に入り機務に預からしむ。戊午、梁芳・李孜省を獄に下す。
十二月壬午、純皇帝を茂陵に葬る。是の月、江西・湖広の被災税糧を免ず。
是の年、安南・暹羅・哈密・土魯番・烏斯蔵・琉球、貢を入る。占城王子古来を封じて王と為し、安南の黎灝に諭して占城の侵地を還さしむ。
二月戊戌、社稷を祭る。丁未、耤田を耕す。哈密衞左都督罕慎を封じて忠順王と為す。丙辰、廷臣の公事に請託するを禁ず。
三月乙丑、文武大臣及び中外四品以上の官の姓名を疏し、文華殿の壁に掲ぐ。癸酉、先師孔子に釈奠す。乙亥、小王子蘭州を寇し、都指揮廖斌之を撃ち破る。丙子、経筵に御す。丁丑、儒臣に命じて日講せしむ。
夏四月甲寅、天暑を以て囚を録す。嗣後歳を以て常と為す。
六月癸巳朔、日食有り。
秋七月戊辰、浙江の銀課を減じ、管理銀場官を淘汰す。
八月乙巳、小王子山丹・永昌を犯す。辛亥、獨石・馬営を犯す。
冬十月乙卯、湖廣・四川の饑饉を賑恤す。
十一月甲申、妖僧継曉誅せらる。乙酉、河南の被災秋糧を免ず。
是の年、土魯番忠順王罕慎を殺し、復た哈密を拠る。琉球・占城・撒馬児罕・烏斯蔵貢を入る。
二月癸巳、四川の饑饉を賑恤す。
三月己未、陝西の被災秋糧三分の二を免ず。戊寅、会川衛の銀礦を閉ず。
夏五月庚申、河開封に決し、沁河に入る。五万人を役して之を治む。
秋七月癸亥、京師の霪雨・南京の大風雷を以て修省し、直言を求む。戊寅、畿内の水災を賑恤し、税糧を免じ、貧民に麦種を給す。
十一月戊午、順天饑饉す。粟を発して平糶す。
十二月甲申朔、日食有り。辛卯、于謙に諡を賜い、祠を立てて「旌功」と曰う。
是の年、土魯番貢を入る。撒馬児罕獅子・鸚鵡を貢ぐも、之を却く。
二月壬辰、河南の被災秋糧を免ず。甲午、戸部、南畿・湖廣の税糧を免ぜんことを請う。上曰く、「凶歳は義、上を損じて下を益すべし。必ず盈ちんことを欲せば、民を病むこと如何。」悉く之に従う。
三月丙辰、天下の預備倉に積粟せしめ、里数の多寡を以て差と為し、額に及ばざる者は之を罪す。庚午、錢福等に進士及第・出身を賜うこと差有り。甲戌、侍郎張海・通政使元守直、辺を閲す。
秋九月庚戌、内府の供御物料加派を禁ず。
閏月癸巳、宗室・勳戚の田土を奏請し及び人の投献を受くることを禁ず。
冬十一月甲辰、工役を停め、内官の瓷器焼造を罷む。
十二月辛亥、彗星見るを以て、羣臣に修省を敕し、軍民の利病を陳べしむ。己未、京師地震す。壬戌、供御品物を減じ、明年の上元燈火を罷む。
是年、琉球・安南・哈密・撒馬兒罕・天方・土魯番、貢に入る。
弘治四年
四年春正月癸未、修省を以て上元節假を罷む。己丑、南郊にて天地を大祀し、慶成宴を停む。
二月己巳、法司に敕して曰く、「曩に天道の異を示すに因り、天下諸司に敕して重囚を審録せしめ、数十百人を発遣せり。朕以爲らく、其れ之を終に寬くするよりは、孰れか之を始めに謹まんや。嗣いで後は、両京三法司及び天下の問刑官、務めて心を仁恕に存し、法を公平に持ち、其の情罪の當にすべき所を詳審し、庶幾くは古聖人欽恤の訓に背かざらん。」
六月辛亥、京師地震す。
秋八月庚戌、蘇・松・浙江水す、本年の織造を停む。乙卯、南京地震す。己未、皇弟祐榰を封じて壽王と為し、祐梈は汝王、祐涇は涇王、祐樞は榮王、祐楷は申王とす。
冬十月丙辰、皇長子生まるを以て、天下に詔す。戊午、河溢れ、河南の被災者を振恤す。乙丑、禮部尚書丘濬、文淵閣大學士を兼ね機務に預かる。
十一月庚辰、南畿の災害を救済する。
十二月甲子、土魯番がハミルの地及び金印を以て帰順する。
この年、シャムが朝貢する。
弘治五年
五年春正月壬午、南郊にて天地を大祀する。
二月丙寅、陝巴に忠順王の封を襲封せしむ。庚午、陝西の織造絨毼を半減する。
三月戊寅、皇子厚照を立てて皇太子と為し、大赦を行う。太祖廟に配享する功臣の封絶した者の後を録す。辛卯、広西副総兵馬俊・参議馬鉉・千戸王珊等、古田の叛僮を討つも、伏兵に遇い死す。
夏六月丁未、南畿の去年被災の税糧を免ず。
秋七月甲午、南京・浙江・山東の饑饉を救済する。
八月癸卯、劉吉致仕す。乙丑、蘇州・松江・浙江の額外織造を停め、督造官を召還す。
冬十月壬戌、湖広総兵官鎮遠侯顧溥・貴州巡撫都御史鄧廷瓚・太監江悳、会師して貴州の黒苗を討つ。
十一月丙申、温州・処州の銀坑を閉鎖す。
十二月丁巳、荊王見潚罪有り、庶人に廃せらる。
この年、琉球・ウ・ツァン・土魯番が朝貢する。火剌札国が方物を貢ぐも受けず、廩食を与えて帰還せしむ。
弘治六年
六年春正月己卯、南郊にて天地を大祀す。
二月甲寅、常遇春・李文忠・鄧愈・湯和の後裔を録し、指揮使を世襲せしむ。丁巳、布政使劉大夏を右副都御史に擢て、張秋の決河を治めしむ。
三月癸未、毛澄らに進士及第・出身を賜うこと差等あり。
夏四月己亥、土魯番の速檀阿黑麻、陝巴を襲い執り、哈密を据う。己酉、侍郎張海・都督同知緱謙に哈密を経略せしむ。辛酉、久しく旱す。勅して修省せしめ、直言を求む。
五月丙寅、小王子、寧夏を犯し、指揮趙璽を殺す。
閏月乙未、南京の被災したる秋糧を免ず。
六月庚午、蝗を捕う。壬申、都御史閔珪、古田の叛僮を撃破す。
秋八月甲戌、順天の被災したる夏税を免ず。
九月丁酉、陝西の被災したる夏税を免ず。
冬十月丙寅、災傷により明年の上元燈火を罷む。庚辰、甘肅の織造絨毼を停む。
十一月庚申、京師の流民を振恤す。
十二月己卯、天下の鎮巡官に勅して修省せしむ。
是の年、安南・烏斯蔵・土魯番・暹羅、貢を入る。
弘治七年
七年春正月丁酉、南郊にて天地を大祀す。
二月甲子、去年の冬に孝陵に風雷の変があったため、使者を遣わして祭告し、修省を行い、直言を求め、内外に命じて刑獄を慎み、軽い囚人を決断させた。
三月癸巳、貴州の黒苗が平定された。戊申、両畿で蝗を捕らえる。
夏五月甲辰、太監李興・平江伯陳銳が劉大夏とともに張秋の決河を治める。
秋七月乙巳、京師で地震があった。丙午、工部侍郎徐貫・巡撫副都御史何鑑が南畿の水利を経理する。
九月丁亥、水害のため蘇州・松江など諸府の上納する物料を停止し、関鈔・戸塩を留めて救済に備える。
冬十一月壬子、京師で地震があった。
十二月甲戌、張秋の河川工事が完成した。己卯、甘粛・涼州で兵乱に遭った軍民を救済し、牛と種を与える。
この年、北京・河南・湖広・陝西・山西の被災地の税糧を免除した。琉球が入貢した。土魯番が哈密を占拠したため、その貢使を退けた。
弘治八年
八年春正月乙未、南郊で天地を大祀し、太皇太后の不豫のため慶成宴を免除した。壬子、甘粛総兵官劉寧が涼州で小王子を破った。
二月乙卯朔、日食があった。戊午、丘濬が卒した。乙丑、礼部侍郎李東陽・少詹事謝遷が内閣に入り機務に参与する。己卯、黄陵岡の河口工事が完成した。
三月壬辰、湖広の被災税糧を免除した。己亥、寧夏で地震があった。
夏四月甲寅、蘇州・松江など各府の治水工事が完成した。壬戌、吏部・都察院に諭し、人材の進退・考察は必ず実跡を得るべきで、偏聴して人を枉げてはならないとした。
五月己丑、南畿の被災秋糧を免除した。
秋七月丁亥、宋の儒者楊時を将楽伯に封じ、孔子廟庭に従祀した。戊子、広西副総兵欧磐が平楽の叛瑶を撃破した。
八月癸亥、四方に災異が数多く現れたため、群臣に修省を命ず。
冬十一月己酉、直隸の被災した秋糧を免ず。
十二月辛酉、甘肅巡撫僉都御史許進と総兵官劉寧が哈密に入り、土魯番は遁走し、ついに軍を返す。
この年、爪哇・占城・烏斯藏が入貢す。乜克力諸部が肅州塞に至り入貢を求むるも、これを退ける。
弘治九年
九年春正月壬辰、南郊にて天地を大祀す。
二月庚午、河南の被災した税糧を免ず。辛未、右通政張璞と大理少卿馬中錫に辺境を巡視せしむ。
三月丙申、朱希周らに進士及第・出身を差等を以て賜う。
夏四月戊子、岷王膺鉟の上奏により、武岡知州劉遜を逮捕す。給事中・御史の龐泮・劉紳らが諫め、錦衣衞の獄に下すも、まもなく釈放す。
六月庚子、江西の被災した税糧を免ず。
秋八月壬寅、湖廣の被災した秋糧を免ず。
九月己酉、勢家の民利を侵奪することを禁ず。
この年、日本・疏球・烏斯藏が入貢す。
弘治十年
十年春正月庚戌、南郊にて天地を大祀す。
三月辛亥、旱魃と霾の災いにより修省し、直言を求めた。甲子、大学士劉健・李東陽・謝遷を文華殿に召して庶政を議じ、後にこれを常例とした。
夏五月戊辰、小王子が潮河川を侵犯した。己巳、大同を侵犯した。
六月己卯、侍郎劉大夏・李介が宣府・大同の軍餉を管理した。
秋七月癸丑、都督楊玉が京営軍を率い、永平を守備した。
冬十一月庚子、土魯番が陝巴を帰還させ、貢を通ずることを請うた。
この年、南畿・山西・陝西の被災地の税糧を免除し、山東・四川の水害を救済した。安南・暹羅・烏斯藏が入貢した。
弘治十一年
十一年春正月丁未、南郊で天地を大祀した。
二月己巳、小王子が使いを遣わして貢を求めた。
夏五月戊申、甘肅参将楊翥が黒山で小王子を破った。
秋七月己酉、総制三辺都御史王越が賀蘭山の後方で小王子を襲撃し、これを破った。癸亥、徐溥が致仕した。
八月癸未、祥符の民で黄河の被害を受けた者を救済した。
冬十月丙寅、工事で団営の軍士を役使することを禁じた。甲戌、清寧宮が火災に遭った。丁亥、群臣に修省を命じ、直言を求め、来年の上元の燈火を廃止した。
十一月壬子、陝西の羊絨織造を免除した。
閏月壬戌朔、日食があった。乙酉、福建の綵布織造を廃止した。
十二月庚子、内外に奢侈で制を踰えることを禁ず。壬子、清寧宮の災を以て詔して天下を赦す。
是の年、山西・陝西・両畿・広西・広東の被災税糧を免ず。土魯番・烏斯藏、貢に入る。
二月壬辰、山東の被災夏税を免ず。戊申、左道の衆を惑わすの禁を厳にす。
三月丁丑、倫文敍らに進士及第・出身を賜うこと差有り。
夏四月癸巳、宣府・大同・延綏に辺備を命ず。是の月、湖広・江西の被災税糧を免ず。
五月戊寅、南畿の被災秋糧を免ず。
六月甲辰、闕里の先師廟災有り、使いを遣わして慰祭す。
秋八月、河南・南畿の被災夏税を免ず。
九月壬午、普安の賊婦米魯乱を作す。甲申、清寧宮を重建して成る。
是の年、占城・烏斯藏・土魯番・爪哇・撒馬児罕、貢に入る。
二月戊子、山西の被災税糧を免ず。庚寅、問刑条例を定む。乙未、旌挙連坐の法を厳にす。
夏四月、火篩が大同を寇し、遊撃将軍王杲が威遠衛にて敗績す。乙巳、平江伯陳鋭を靖虜将軍と為し、総兵官を充て、太監金輔を監軍とし、戸部左侍郎許進に軍務を提督せしめ、これを防がしむ。
五月甲寅朔、日に食有り。丙辰、大学士劉健・李東陽・謝遷を平台に召し、京営の将領を議す。癸亥、火篩大いに挙りて入寇し大同左衛を侵し、遊撃将軍張俊これを防ぎて却く。
六月甲申、江西の被災した秋糧を免じ、山・陝の物料採辦を停む。庚子、陳鋭・金輔を召し還し、保国公朱暉・太監扶安を遣わして代え、兵を益して寇を防がしむ。
秋七月己巳、京師地震す。
八月辛卯、江西の水災を賑う。
冬十月戊申、両京地震す。是の月、小王子諸部、大同を寇す。
十二月辛丑、火篩、大同を寇し、南に掠ること百余里。
是の年、小王子部、河套に入り居り、延綏神木堡を犯す。琉球・土魯番・烏斯藏、貢を入る。
弘治十四年
十四年春正月庚戌朔、陝西に地大いに震う。己未、南郊にて天地を大祀す。
二月己亥、陝西の織造中官を罷む。
夏四月庚辰、工部侍郎李鐩に延綏辺餉を総督せしむ。戊子、保国公朱暉・提督軍務都御史史琳・監軍太監苗逵、分道して師を進め延綏に至る。戊戌、陝西・山西の物料を免ず。是の月、火篩諸部、固原を寇す。
五月庚戌、大同の兵に被りたる軍民を賑い、税糧を免ず。辛酉、陝西の被災した税糧を免ず。戊辰、闕里の先師廟を修す。各布政使司に命じて地里図を上らしむ。
秋七月丁未、泰寧衛の賊、遼東を犯し、長勝等の諸屯堡を掠う。癸亥、南京戸部尚書王軾に左副都御史を兼ねしめ軍務を提督せしめ、貴州の賊婦米魯を討たしむ。丁卯、朱暉・史琳、小王子を河套に襲う。庚午、給事中・御史を分遣して屯田を清理せしむ。
閏月乙酉、都指揮王泰、小王子を塩池にて防ぎ、戦死す。戊戌、両畿・江西・山東・河南の水災を賑う。
九月丙子朔、日食あり。丁亥、使を遣わし延綏・寧夏・甘・涼に兵を募る。甲辰、史琳を召し還し、秦紘を起用して戸部尚書兼副都御史とし、之に代わらしむ。
冬十一月癸巳、侍郎何鑑・大理寺丞吳一貫を分遣し、両畿・山東・河南の饑民を振卹す。
十二月戊辰、遼東大いに饑え、之を振る。是の月、寇河套より出づ。
是の年、湖廣・江西・山西・山東・陝西・河南・畿内の被災地の税糧を免ず。安南・琉球貢を入る。
弘治十五年
十五年春正月丙子、朱暉師を帥いて還る。丙戌、南郊に於いて天地を大祀す。
二月癸丑、河南の被災地の税糧を免ず。
三月癸未、饒州の督造瓷器の中官を罷む。庚寅、康海らに進士及第・出身を賜うこと差あり。
夏四月壬寅、京師の貧民を振る。
五月庚子、湖廣の被災地の秋糧を免ず。
秋七月己卯、劉基の後裔を録し指揮使を世襲せしむ。己丑、王軾米魯を破斬し、貴州の賊平ず。辛卯、各辺衞に養済院・漏沢園を設くべしと命ず。
八月庚戌、南京・鳳陽の霪雨大風、江溢して災と為るを以て、使を遣わし祭告し、両京の群臣に修省を勅す。
九月庚午朔、日食あり。戊子、内府の畜ふ所の鳥獣を放減す。
冬十月癸卯、明年の上元燈火を罷む。
十一月壬申、瓊州の黎賊が乱を起こす。甲午、広東の採珠を罷む。
十二月己酉、『大明会典』成る。辛亥、疾を以て朝を視せず。是の月、南畿の被災秋糧を免ず。
是の年、琉球・安南、貢を入る。
弘治十六年
十六年春正月癸酉、官を遣わして太廟を享けしむ。
二月辛丑、朝を視す。戊申、南郊にて天地を大祀す。
三月癸巳、山西の被災税糧を免ず。
夏四月辛亥、宣府・大同に勅して辺備を厳にす。
五月戊子、雲南の災変を以て群臣に勅して修省せしむ。刑部侍郎樊瑩、雲南・貴州を巡視し、官吏を察し、民の疾苦を問う。
秋七月、広東の官軍、黎賊を討ち、之を敗る。
九月丁丑、両畿・浙江・山東・河南・湖広の被災軍民を振恤す。
冬十一月甲戌、器物の營造及び明年上元の烟火を罷む。是の月、南畿の被災秋糧を免ず。
十二月丙午、淮安・揚州・浙江の物料を免ず。
是の年、安南・暹羅・哈密・土魯番・撒馬児罕、貢を入る。
弘治十七年
十七年春正月辛未、南京工部侍郎高銓が応天の飢饉を救済す。甲戌、南郊にて天地を大祀す。壬午、誣告の禁を厳にす。
二月甲寅、供用物料を減ず。己未、讖緯妖書の禁を厳にす。庚申、浙江の被災税糧を免ず。
三月壬戌、太皇太后崩ず。癸未、太廟各室の一帝一后の制を定む。
夏四月己酉、孝肅皇太后を葬る。
閏月辛酉、闕里先師廟成る、大学士李東陽を遣わして祭告す。庚午、山東の被災税糧を免ず。乙亥、四方の災荒を以て群臣に修省を勅す。庚辰、諸司に命じて害民弊政を詳議せしむ。
五月壬辰、南京・蘇州・杭州の織造中官を罷む。
六月乙亥、始めて両京五品以下の官を六年に一度考察することを命ず。辛巳、劉健・李東陽を暖閣に召し、辺務を議す。癸未、火篩が大同に入り、指揮鄭瑀力戦して死す。
秋七月癸巳、工部侍郎李鐩・大理少卿呉一貫・通政司参議叢蘭が分道して辺塞を経略す。甲午、左副都御史閻仲宇・通政司参議熊偉が分かれて辺餉を理む。
八月戊辰、天下の巡撫・巡按・三司官に命じ、軍民の利病を奏し、士民の建言で採るべきものは、所司以て聞かしむ。甲申、南畿の被災夏税を免ず。丁亥、馬文升・戴珊を暖閣に召し、明年の考察について諭し、務めて実蹟を訪れ、以て至当を求めしむ。
九月庚寅、法司に諭し、任情偏執して獄囚の淹滞を致すことなからしむ。甲寅、太常少卿孫交が宣府・大同の辺務を経略す。丁巳、暖閣に御し、劉健・李東陽・謝遷に諭して曰く、「諸辺の首功、巡按御史の察勘は、動もすれば歳月を淹滞し、以て勧めを示すに非ず。今より奏報は、遠近を以て限を立てよ。違う者は詰治すべし」と。講官に諭し、進講直言して諱むことなからしむ。
冬十一月戊子、雲南の銀場を罷む。
十二月庚午、閉糴の禁を申す。甲申、湖広の被災秋糧を免ず。
是年、琉球・撒馬児罕・哈密・烏斯蔵、貢を入る。
弘治十八年
十八年春正月己丑、小王子諸部、霊州を囲み、花馬池に入り、遂に韋州・環県を掠む。戸部侍郎顧佐、陝西の軍餉を理む。乙未、南郊にて天地を大祀す。甲辰、小王子、寧夏清水営を陥とす。
二月戊辰、帝は奉天門に臨み、戸部・兵部・工部の三部に諭して曰く、「今、生齒次第に繁くなりしに、戸口・軍伍は日に就きて耗損す。これ皆、官司の撫卹に方なく、因循苟且より致せるなり。その悉く弊政を議して以て聞かせよ」。
三月癸卯、顧鼎臣らに進士及第・進士出身を賜うこと差等あり。
夏四月戊寅、刑部侍郎何鑑、荊・襄の流民を撫輯す。甲申、帝、豫せず。五月庚寅、大漸し、大学士劉健・李東陽・謝遷を召して顧命を受く。辛卯、乾清宮に崩ず。年三十六。六月庚申、尊謚を上り、廟号を孝宗とす。泰陵に葬る。
贊
贊して曰く、明、天下を有ち、世を伝うること十六、太祖・成祖の外、称すべきは仁宗・宣宗・孝宗のみ。仁・宣の際は、国勢初めて張り、綱紀修め立ち、淳樷未だ漓れず。成化以来に至りては、太平無事と号せられしも、晏安なれば則ち怠玩に耽り易く、富盛なれば則ち驕奢を漸く啓く。孝宗独り能く恭儉に制あり、政を勤めて民を愛し、兢兢として保泰持盈の道に於いて、用て朝序を清寧ならしめ、民物を康阜ならしむ。易に曰く、「平らかならざるは陂かざる無く、往きて復らざるは無し。艱貞にして咎無し」と。この道を知る者は、それ惟れ孝宗か。