明史

本紀第十四 憲宗二

成化十二年

十二年春正月辛亥、南京に地震あり声す。戊午、大祀を南郊にて天地に挙行す。

二月乙亥朔、日食あり。甲午、群臣に修省を勅す。

三月壬子、内府の供用物を減ず。壬戌、李震、靖州の苗を大破す。

夏五月丁卯、副都御史原傑、荊・襄の流民を撫治す。庚申、囚を録す。

秋七月庚戌、黒眚現る。乙丑、禁中にて天地に躬祷し、用度不節・工役労民・忠言不聞・仁政不施の四事を以て自ら責む。戊辰、使を遣わして天下の囚を録す。

冬十月辛巳、京師地震す。

十一月、巡撫四川都御史張瓚、湾溪の苗を討ち、これを破る。

十二月己丑、鄖陽府を置き、行都司衛所を設け、流民を処す。

是年、土魯番・撒馬児罕・琉球・烏斯蔵、貢を入る。

成化十三年

十三年春正月庚戌、大祀を南郊にて天地に挙行す。己巳、西廠を置き、太監汪直に官校を提督して事を刺せしむ。

夏四月、汪直、郎中武清・楽章、太医院院判蔣宗武、行人張廷綱、浙江布政使劉福を執り、西廠の獄に下す。

五月甲戌、左通政方賢を捕らえ西廠の獄に下す。丙子、大学士商輅・尚書項忠、西廠の廃止を請う。これを聴く。

六月甲辰、項忠を罷めて民とす。庚戌、西廠を復設す。丁巳、商輅致仕す。

秋八月壬戌、錦衣えいの官校、工部尚書張文質を捕らえて獄に繋ぐ。帝これを知りて釈放す。

冬十月戊申、苦峪谷に哈密衞を復立し、土田・牛・種子を与う。

十一月、張瓚、松潘・疊溪の苗を破る。

是の年、浙江・山東・河南・江西・福建の被災税糧を免ず。山東・南畿の州県の饑饉を振恤す。安南・琉球・烏斯蔵・暹羅・日本、貢を入る。満都魯・癿加思蘭、各使いを遣わして馬を貢す。

成化十四年

十四年春正月甲戌、南郊にて天地を大祀す。

三月戊辰、浙江の被災秋糧を免ず。己卯、曾彦らに進士及第・出身を賜うこと差等あり。辛巳、烏撒衞の銀場を罷む。丙戌、遼東の馬市を復開す。丁亥、浙江の饑饉を以て花木の採集を罷む。

夏四月丁酉、南畿・山東の被災秋糧を免ず。

六月癸卯、太監汪直、遼東の辺を行く。

秋七月丁丑、使いを遣わして畿南・山東の饑饉を振恤す。

八月癸巳、直隸・山東の災傷を以て、六部に恤民の事宜を条奏せしむ。南京刑部侍郎金紳、江西の水災を巡視す。庚戌、湖広の被災秋糧を免ず。甲寅、蘇州・松江巡撫副都御史牟俸を錦衣衞の獄に下し、謫戍す。

十二月甲午、畿内の被災秋糧を免ず。

是の年、占城・烏斯蔵・撒馬児罕、貢を入る。

成化十五年

十五年春正月丁卯、南郊にて天地を大祀す。辛巳、山東の饑を振恤し、秋糧を免ず。

二月、湖廣の被災秋糧を免ず。甲寅、開國勳臣の墓を修するを詔し、後なき者は守塚一人を置く。

夏四月丙午、南畿の被災稅糧を免ず。壬子、駙馬都尉馬誠を錦衣衞の獄に下す。

五月壬戌、汪直、侍郎馬文升を劾し、文升を獄に下し、戍に謫す。癸酉、馬文升・牟俸の事に因り、給事中李俊・御史王濬ら五十六人を闕下にて杖す。己卯、湖廣・河南の被災稅糧を免ず。

秋七月癸酉、汪直、大同・宣府の邊を行く。

冬十月丁亥、撫寧侯朱永を靖虜將軍と為し、總兵官を充て、汪直監軍とし、伏當加を禦ぐ。

十二月辛未、功を論じて朱永を保國公に封じ、汪直に歲祿を加え、陞賞する者二千六百餘人。是の月、四川・江西の被災稅糧を免ず。

是の年、琉球・安南・烏斯藏、貢に入る。

成化十六年

十六年春正月甲午、南郊にて天地を大祀す。丁酉、保國公朱永を平虜將軍と為し、總兵官を充て、王越軍務を提督し、汪直監軍とし、亦思馬因を延綏にて禦ぐ。

二月癸酉、湖廣の被災稅糧を免ず。戊寅、王越、亦思馬因を威寧海子に襲ひ、之を破る。

三月戊子、歲歉に因り光祿寺の供用物を減ず。

夏六月癸丑、勢家の民田を侵占するを禁ず。

秋八月辛酉、孤老を存卹するの令を申す。

冬十二月庚申、亦思馬因が大同を侵犯す。丙寅、朱永・汪直・王越、京軍を率いてこれを防ぐ。是の月、両広軍務総督都御史朱英・総兵官平郷伯陳政、広西の瑶を討ち、これを破る。

是の年、両畿・湖広・河南・山東・雲南の被災地の税糧を免ず。琉球・暹羅・蘇門答剌・土魯番・撒馬児罕、貢を入る。

成化十七年

十七年春正月丙戌、南郊にて天地を大祀す。

二月壬戌、天下の庫蔵出納の数を覈実す。是の月、浙江・山西の被災税糧を免ず。

三月辛卯、王華らに進士及第・出身を賜うこと差等有り。

夏四月庚申、久旱風霾を以て群臣に勅して修省せしむ。戊辰、法司に刑獄を慎むことを諭す。太監懐恩、法司と囚を録す、是より毎五歳内臣を遣わして審録すること常と為す。癸酉、亦思馬因、宣府を侵犯す。

五月己亥、汪直に軍務を監督せしめ、王越を平胡将軍と為し、総兵官を充てて、これを防がしむ。

秋七月甲戌、南畿の被災秋糧を免ず。甲午、所在の鎮守総兵・巡撫に命じ、汪直・王越の節制を聴かしむ。

冬十月壬戌、河南の饑を賑う。

十一月戊子、太倉の銀三分の一を取って内庫に入る。

是の年、安南・占城・満剌加・烏斯蔵、貢を入る。安南の黎灝、老撾宣慰司を侵す、勅を賜いてこれを諭す。

成化十八年

十八年春正月壬午、南郊にて天地を大祀す。庚寅、劉吉、起復す。

三月己巳朔、南畿の饑を賑う。壬申、西廠を罷む。

夏四月癸丑、罕慎がハミルの城を回復す。甲子、山西の被災地の夏税を免ず。

五月、山東・南畿の被災地の税糧を免ず。

六月壬寅、亦思馬因が延綏を犯す。汪直・王越、兵を調へて之を防ぎ敗る。

秋八月癸丑、使者を遣はし畿内・山東の饑饉を賑ふ。辛酉、河南の被災税糧を免ず。

閏月壬申、倉副使応時用、饒州の御器焼造を司る内臣の罷免を請ふ。獄に下し、贖して職に還す。

冬十一月、畿内・陝西・遼東の被災秋糧を免ず。

十二月庚午、御製の『文華大訓』成る。

是の年、琉球・ハミル・シャム・トルファン・ウ・ツァンより貢す。

成化十九年

十九年春正月丙午、南郊にて天地を大祀す。

三月丙辰、湖広の被災税糧を免ず。

夏四月丁丑、河南の被災税糧を免ず。

六月乙亥、汪直罪有り、南京御馬監に調ず。丁丑、陳政、広西のヤオを破る。

秋七月辛丑、迤北の小王子、大同を犯す。癸卯、総兵官許寧之を防ぐも、敗績す。己未、朱永を鎮朔大将軍と為し、総兵官を充て、京軍を帥ひて之を防がしむ。

八月甲子、宣府を犯す。巡撫都御史秦紘・総兵官周玉之を防ぎ退く。乙丑、戸部侍郎李衍・刑部侍郎何喬新、辺関を巡視す。壬申、汪直を奉御に謫し、其の党王越・戴縉等を差等有りて貶黜す。是の月、朱永、寇を大同・宣府にて敗る。

冬十月壬申、朱永を召還す。

この年、撒馬兒罕より獅子を貢ぐ。

成化二十年

二十年春正月庚寅、京師地震す。壬辰、羣臣に勅して修省せしむ。詔して貢獻を減じ、備邊を飭し、營造を罷め、冤獄を理し、銀課・工役・馬價を寬め、大同の陣亡士卒を卹う。丁酉、南郊にて天地を大祀す。

三月庚寅、李旻らに進士及第・出身を賜うこと差あり。己酉、太監張善をして軍務を監督せしめ、定西侯蔣琬を總兵官に充て、總督尚書余子俊とともに大同・宣府に備えしむ。

夏四月戊午、囚を録す。

五月甲午、再び囚を録し、死罪以下を減ず。

六月、南畿・陝西の被災稅糧を免ず。

秋九月乙酉朔、日食あり。この月、寇また河套に入り居す。この秋、陝西・山西大旱饑し、人相食む。歲辦物料を停め、稅糧を免じ、帑を發して粟を轉じ、納米事例を開きてこれを振る。

冬十月丁巳、刑部員外郎林俊・都督ととく府經歷張黻を杖ち、ともに官を謫す。癸酉、雲南元江諸府の銀坑を罷む。

十二月、山西・河南の被災夏稅を免ず。

この年、安南・日本・琉球・哈密・土魯番貢を入る。

成化二十一年

二十一年春正月甲申朔、星變あり。丙戌、詔して羣臣に時政を極言せしむ。庚寅、天下を赦す。乙未、南郊にて天地を大祀す。乙巳、侍郎李賢・何喬新・賈俊を遣わし、陝西・山西・河南の饑を振る。

二月己未、傳奉文武官五百六十餘人を放免す。丁丑、陝西の被災稅糧を免ず。

夏四月戊午、泰山がたびたび震動したため、使者を遣わして祭告させた。壬戌、四十万石を転漕し、陝西の飢饉を救済した。この月、南畿・山東の被災地の税糧を免除した。

五月壬戌、京師で地震があった。丙子、京師の飢民を救済した。

六月辛巳、武臣に粟を納めさせて職を襲封させることを命じた。癸未、盛暑と厳寒の際には廷臣の上奏は五事を超えてはならないとの詔を下した。

秋八月己卯朔、日食があった。

九月甲子、劉珝が致仕した。

冬十月、山東・山西・河南・陝西・四川の被災地の税糧を免除した。

十一月丙寅、京師で地震があった。

十二月甲申、詹事彭華を吏部左侍郎兼翰林学士とし、内閣に入れて機務に参与させた。甲午、南畿の飢饉を救済した。この冬、小王子が蘭州・荘浪・鎮番・涼州を侵犯した。

この年、哈密・烏斯藏が入貢した。

成化二十二年

二十二年春正月己未、南郊で天地を大祀した。乙丑、河南の被災地の秋糧を免除した。

二月庚辰、畿南及び湖広の被災地の秋糧を免除した。

夏四月乙未、畿内の勲戚の荘田を整理した。

六月、南畿・陝西の被災地の税糧を免除した。乙亥、群臣に職業を修め挙行するよう勅した。甲午、法司に刑を慎むよう諭した。

秋七月、小王子が甘州を侵犯し、指揮姚英らが戦死した。

九月、河南・広東の被災地の税糧を免除した。丁卯、兵部左侍郎尹直を戸部侍郎兼翰林学士とし、内閣に入れて機務に参与させた。

冬十一月癸丑、占城が安南に侵され、王子古来が来奔した。

十二月、江西・広西の被災地の税糧を免除した。

この年、哈密・琉球が入貢した。

成化二十三年

二十三年春正月、陝西・湖広の被災地の税糧を免除した。庚戌、南郊で天地を大祀した。

二月乙酉、副都御史辺鏞・辺政司参議田景賢をして大同諸辺を巡視させた。

三月丁未、彭華が致仕した。丁巳、費宏らに進士及第・出身を差等を以て賜った。癸亥、山東の被災地の税糧を免除した。

夏四月乙亥、浙江の被災地の秋糧を免除した。

五月乙卯、旱魃があり、使者を分遣して天下の山川に祈祷させた。丙辰、群臣に修省を命じた。この月、朵顔三衛が那孩を避けて遼東に入り、近辺に駐牧することを許し、米布を与えた。

六月、陝西・南畿の被災地の秋糧を免除した。

秋七月戊申、皇子祐杬を興王に、祐棆を岐王に、祐檳を益王に、祐楎を衡王に、祐橒を雍王に封じた。

八月庚辰、帝は不であった。甲申、皇太子が文華殿で摂事した。己丑、崩御した。年四十一。九月乙卯、尊諡を上り、廟号を憲宗とし、茂陵に葬った。

賛に曰く、憲宗は早く儲位に正し、中に多故を経たが、践祚の後、景帝の尊号を上り、于謙の冤を恤み、黎淳を抑えて商輅を召し、恢恢として人君の度有り。時に休明に際し、朝に耆彦多く、帝は能く任人に篤く、天戒に謹み、賦を蠲め刑を省き、閭里日に充足し、仁・宣の治ここに復見す。顧みるに汪直を用いるに由り、西廠横恣にして、威柄を窃み、悪を稔らし兵を弄ぶ。明断なること帝の如きも蔽惑せられ、久しうして後に覚ゆ。婦寺の禍固より畏るべし。