明史

卷一百十一 表第十二 七卿年表一

七卿は、前史に表が無いが、なぜ表を作るのか?明の太祖が十三年に丞相を廃止し、政務を六部に帰属させ、部の権力が重くなったからである。洪熙・宣徳以後、内閣の体制が尊ばれ、権力も次第に重くなり、内閣と六部が対峙し、廷推や考察では各々が意見を述べて私利を図り、党派が分かれた。科道や庶僚がその隙に乗じて参奏が紛糾し、神宗の時代にはその喧噪を厭って放置し、弾劾が多い者は自ら去った。熹宗の時代には正論が消滅した。荘烈帝はこれを矯正しようとしたが、ついに救えなかった。二百七十年の間に、七卿で正直で独立した者、偏邪で才能を嫉む者、貪庸で宰輔に媚びる者がそれぞれ何人かおり、これを列挙すれば世の変遷が観察できる。よって七卿表を作る。洪武十三年から始める。成祖が遷都し、南京には侍郎のみを設置し、仁宗になって尚書・都御史が置かれたが未だ完備せず、孝宗の時代に官制が整い、権位の重い者は参賛機務と呼ばれ、憲宗以後は兵部に専属された。しかし累世の承平により、その任に就く者は清望を養うのみで、政本に関わらず、故に詳細は記録しない。

紀年七卿除罷      
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左・右都御史
太祖       
洪武13年庚申偰斯が正月に任命され、二月に礼部に改任。      
洪彝が正月に任命され、まもなく免職。       
劉崧が四月に礼部侍郎として署理し、五月に致仕。       
阮畯が六月に任命。徐鐸が正月に任命され、党逆に連座して免職。      
范敏が五月に本部郎中として署理。鄭九成は正月に任命され、以後の記録はない。      
偰斯は二月に任命され、六月に致仕した。       
李冕は七月に侍郎試を務め、十月に江西布政司試参政となった。趙本は去年十一月に任命され、以後の記録はない。呂宗藝は去年十一月に任命され、以後の記録はない。薛祥は二月に任命された。安然は正月に任命され、五月に致仕した。   
李善長は五月に署を務めた。       
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十四年辛酉敏 正月に免官。     
徐輝 二月に尚書を試任。十二月に除名。李叔正 正月に任官。      
高信は十二月に郎中を試みる。李澂は九月に任じられる。      
唐鐸は十一月に任じられる。胡楨は七月に郎中を試みる。祥は十月に杖で死ぬ。     
十五年壬戌畯は三月に致仕する。      
李信は三月に任じられる。郭允道は五月に任じられる。      
曾泰は八月に任じられる。信は二月に免官。      
劉仲質は二月に任命。十一月に大学士に改任。       
任昂は十一月に任命。鐸は十一月に諫議大夫に改任。      
趙仁は十一月に任命。開濟は七月に試任。趙俊は三月に任命。     
十六年癸亥信は正月に死去。      
陳敬は正月に試任。十二月に致仕。王時が月に任命される。済が二月に実授される。十二月に罪により誅殺される。  
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左、右都御史
十七年甲子余熂が正月に任命される。栗恕が正月に試用される。六月に福建参政として出向する。     
郭桓が五月に試用される。      
趙瑁が十月に試用される。俞綸が三月に試用される。劉逵が正月に試用される。     
王惠迪が十一月に任命される。麥至德が正月に試任される。詹徽が正月に左に任命される。     
湯友恭が月に右に任命される。       
十八年乙丑熂が四月に罪により誅殺される。      
趙瑁が三月に任命される。間もなく罪により誅殺される。桓が正月に侍郎に降格される。三月に罪により誅殺される。      
徐鐸が正月に任命される。       
茹太素が九月に任命される。十二月に御史に降格される。瑁は三月に吏部に改任。温祥卿は正月に任命。六月に主事に降格。恵迪は三月に罪により誅殺。    
唐鐸は十月に任命。至徳は正月に侍郎に降格。三月に罪により誅殺。      
徐本は正月に任命。      
友恭       
十九年丙寅    今月免職
友恭       
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二十年丁卯  李原名六月試。  
友恭       
二十一年戊辰  原名唐鐸六月任。鐸六月改兵部。 
友恭は月に免官された。       
凌漢は正月に右に任命された。八月に刑部侍郎に降格された。       
二十二年己巳 楊靖は二月に任命された。原名鐸は四月に詹事を兼任した。五月に致仕した。   
沈溍は二月に任命された。趙勉は二月に任命された。秦逵は二月に任命された。    
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二十三年庚午詹徽は六月に左都御史を兼任。靖は五月に刑部に改任。     
趙勉が五月に任命される。原名沈溍が五月に工部に改任。六月に復任。     
秦逵が五月に任命される。六月に再び工部に改任。       
茹瑺が十一月に試任。趙勉が五月に戸部に改任。      
安童が正月に任命される。       
楊靖が五月に任命される。秦逵が五月に兵部に改任。六月に復任。      
沈溍が五月に任命される。六月に再び兵部に改任。徽は四月に通政司を兼掌。六月に吏部を兼任。      
二十四年辛未徽は十二月に任じられ、引き続き左都御史を兼任。 溍は十月に免じられる。   
瑺は十一月に実授される。徽は十二月に吏部尚書に遷り、引き続き院務を兼任。    
袁泰は十二月に右に任じられる。       
二十五年壬申徽は十二月に太子少保を加えられる。勉は閏十二月に獄に下され誅される。 瑺は十二月に太子少保を加えられる。逵は九月に自殺する。徽は月に院務を解かれる。
泰は八月に卒する。       
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二十六年癸酉徽二月に罪により誅殺される。      
梁煥、二月に給事中として署任。       
翟善、四月に主事として署任。郁新、六月に任官。 靖は正月に太子賓客を兼ね、まもなく事に坐して免じられる。厳震直は六月に任じられ、十二月に御史に降格される。  
二十七年甲戌善は五月に左侍郎に昇進し、引き続き署理する。任亨泰は五月に任じられる。 王儁は十月に侍郎として署理する。曹銘は九月に右に任じられる。
二十八年乙亥善は閏九月に知県に降格。亨泰は八月に安南へ派遣。 儁は二月に就任。銘は九月に罪により死去。
呉斌は正月に左に就任。       
王平は二月に右に就任。       
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二十九年丙子杜澤が正月に任命される。亨泰が二月に還任し、御史に降格される。    
門克新が正月に任命。八月に死去。夏恕が七月に大理丞として署理。孫顯が六月に侍郎として署理。来恭が月に任命。八月に侍郎に降格。   
鄧文鏗が十一月に刑部主事として署理。       
三十年丁丑澤が十月に免職。鄭沂が八月に任命。恕 月に任じる。顕 二月に任じる。 
厳震直 八月に任じる。楊靖 四月に左に任じる。七月に賜死。      
厳震直 四月に右に任じる。八月に工部尚書に改める。       
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三十一年戊寅閏五月、恵帝即位。茹瑺九月に任じる。十二月に河南布政を署す。      
張紞十二月に任じる。      
王鈍十二月に任じる。沂八月に免ず。      
陳迪八月に任じる。瑺は九月に吏部尚書に遷る。      
齊泰は五月に任じられ、国政に参預する。      
暴昭は五月に任じられる。震直      
鄭賜は十二月に任じられる。暴昭は四月に任じられる。五月に刑部尚書に遷る。      
建文元年己卯     
泰は十一月に罷免。     
茹瑺は十一月に復任。昭は七月に平燕布政司事を出掌。      
侯泰は七月に任官。      
震直は月に河北を巡視。景清は二月に左に任官。      
練子寧は二月に右に任官。       
二年庚辰     
     
鉄鉉十二月任督軍。      
      
震直      
子寧       
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三年辛巳     
迪、二月に太子少保を加える。斉泰、正月に復職、閏三月にまた謫される。     
       
      
      
震直      
子寧       
四年壬午秋七月、燕王が皇帝の位に即く。紞、七月に自ら縊死する。      
蹇義、九月に任ず。新、六月に帰附し、なお任ず。      
鈍、六月に帰附す。七月に致仕す。       
夏原吉、九月に任ず。       
郭資は十一月に任命され、引き続き北平布政事を掌理した。迪は六月に殉難した。      
宋禮は七月に刑部員外として署任し、八月に右侍郎に昇進し、まもなく左侍郎に転任し、引き続き署任した。       
李至剛は十二月に任命された。泰は六月に殉難した。      
鉉は八月に死難した。       
瑺は六月に迎降し、九月に忠誠伯に封ぜられ、引き続き任に就いた。       
劉儁は九月に任命された。泰は六月に殉難した。      
昭は六月に殉難した。       
鄭賜が七月に任命された。       
雒僉が十二月に任命され、引き続き保定府を管轄した。賜が六月に帰順した。七月に刑部に改任された。      
震直が六月に帰順した。七月に致仕した戸部尚書の王鈍とともに中原を巡視した。九月に死去した。       
黄福が九月に任命された。清が六月に殉難した。      
子寧が六月に殉難した。       
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永楽元年癸未     
原吉は四月に蘇州・松江の治水を行う。       
資は二月に行部に改める。至剛      
鄭沂は七月に復任した。九月に致仕した。      
      
僉は二月に行部に改任された。陳瑛は正月に任じられた。     
二年甲申義は四月に詹事を兼ねた。     
原吉至剛、四月に左春坊大学士を兼任。     
金忠、四月に任命され、詹事を兼任。     
宋礼、十二月に任命。      
吳中、九月に右に任命。       
三年乙酉新八月に卒す。     
原吉 月に回部。至剛八月に獄に下る。      
鄭賜九月に任ず。      
賜九月に礼部に改む。      
呂震九月に任ず。福四月に行部に改む。      
      
       
四年丙戌原吉儁七月参贊交南軍務。   
閏七月に四川で木材を採る。    
       
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左・右都御史
五年丁亥原吉    
趙羾六月任。    
吳中正月任。      
中正月に工部尚書に改任。       
六年戊子原吉六月に卒し、賜る。    
       
劉観六月に任じる。十二月に刑部に改任。       
呂震十二月に任じる。      
儁五月に班師。八月に再び出征。十二月に戦歿。震は十二月に礼部に改任された。      
劉観は十二月に任命された。      
      
七年己丑義は太子を補佐して居留守を務めた。原吉は二月に扈駕して北京を巡行し、行在の礼部・兵部および都察院を兼署した。羾は扈駕し、行在の刑部を兼署した。    
忠輔太子が留守を守る。      
方賓が兵部侍郎として扈駕し、行在吏部を兼ねて署理し、三月に任じられる。     
中扈駕。      
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左、右都御史
八年庚寅原吉扈駕。二月輔導皇長孫,仍兼行在吏、戶、兵三部。羾扈駕。    
      
賓扈駕。三月、参赞費瓛の軍務を観察し、永昌の叛寇を征討する。     
中、扈駕する。      
九年辛卯原吉羾、九月に下獄する。    
      
礼は三月に会通河の浚渫を監督した。     
瑛は二月に罪を得て誅殺された。      
十年壬辰原吉   
礼十二月、再び出て木材を採る。     
       
白彦芳、三月に陝西参議を以て署す。       
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左・右都御史
十一年癸巳原吉が扈駕し、北京を巡る。震が扈駕する。   
賓が扈駕する。     
       
十二年甲午原吉が扈駕し、瓦刺を征討する。震が扈駕する。   
賓が扈駕する。八月に北京に戻る。観が月に吏に謫される。礼が月に部に戻る。     
       
十三年乙未原吉が扈駕。震が扈駕。忠は四月に卒。   
賓が扈駕。       
陳洽は四月に任じ、交阯を参賛。観は六月に左都御史に改め、二月に復任。     
中が扈駕。劉観が六月に任命された。      
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左都御史、右都御史
十四年丙申原吉が行幸に扈従。震が行幸に扈従。    
金純が三月に任官。賓が行幸に扈従。呉中が八月に任官し、行幸に扈従、ともに十一月に京に戻る。    
中が行幸に扈従。八月に刑部に改任。      
十五年丁酉原吉が行幸に扈従し、北京を巡幸する。震が行幸に扈従する。    
賓が行幸に扈従する。      
趙羾が十一月に任じられ、辺塞に屯戍する。    
十六年戊戌原吉が行幸に扈従した。震が行幸に扈従した。    
賓が行幸に扈従した。      
    
十七年己亥原吉が行幸に扈従した。震が行幸に扈従した。    
賓が行幸に扈従した。      
礼が九月に勅命で京に戻った。    
十八年庚子原吉が扈駕した。     
郭資が十二月に任じられた。震が扈駕した。      
賓が扈駕した。      
     
李慶が十二月に任じられた。      
王彰は十二月に右都御史に任命された。       
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左都御史、右都御史
十九年辛丑       
この年、北京に六部が設置された。義は四月に応天を巡撫し、七月に朝廷に戻る。原吉は十一月に獄に下る。     
      
純は四月に四川を巡撫し、後に朝廷に戻り、刑部を署す。賓は十一月に自縊する。      
羾は屯戍を督す。中は十一月に獄に下る。     
      
彰は四月に河南巡撫を巡視する。       
二十年壬寅義は九月に獄に下される。震は九月に獄に下される。    
純は刑部を兼ねて署理する。羾は屯戍を監督する。二月に糧秣を監督する。 礼は七月に卒する。    
慶は兵部を兼ねて署理する。二月に輸送を監督する。      
彰が二月に督餉を担当。       
二十一年癸卯義が二月に復任。震が三月に復任。    
 慶が兵部を兼ねて署理。   
       
二十二年甲辰八月、仁宗が即位。義は八月に少保を加えられる。九月に少傅に昇進。十一月に少師に昇進。資は十月に太子賓客を兼任。十一月に太子太師を加えられ、致仕。     
原吉は八月に獄から出て復任。十月に太子太傅を加えられる。十一月に少保に昇進。震は十月に太子少師を加えられる。十一月に太子太保に昇進。      
純は八月に工部に改任。羾は八月に南京刑部尚書に転任。      
李慶は八月に任官。十月に太子少保を加えられる。吳中は八月に獄から出る。十月に詹事を兼任し、まもなく工部に改任。      
金純が十月に任命。慶が八月に兵部に改任。      
金純が八月に任命。十月に刑部に改任。       
黄福が九月に交阯から召還。十月に詹事を兼任。       
呉中が十月に任命。十一月に太子少保を加授。観が八月に太子賓客を兼任。十一月に太子少保に昇進。      
彰が九月に河南を鎮撫。       
向珤が十月に右兼詹事に任命。       
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左・右都御史
洪熙元年乙巳六月、宣宗即位。原吉震に太子太保を加える。慶十月に南京に改める。   
張本が四月に任命される。純が正月に太子賓客を兼任する。     
       
李友直が正月に任命され、専ら営繕を管轄する。三月に行部に改める。      
       
珤が九月に南京に改める。       
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左・右都御史
宣徳元年丙午原吉震、四月に卒す。    
胡濙、四月に任ず。八月に高煦討伐に従軍し、楽安の留守を任され、まもなく部署に戻る。      
陳洽十一月、交阯で戦死。福十二月に交阯鎮守に出向。     
       
友直      
       
二年丁未原吉     
郭敦が八月に任命され、まもなく陝西を巡撫した。この四月に山西の軍民を撫安した。福が十一月に帰還した。   
中が三月に少保を加えられた。       
友直      
彰が四月に卒した。       
三年戊申義は八月に扈従。十月に部事を解かれ、俸給は従前通り。原吉は八月に扈従。十月に部事を解かれ、俸給は従前通り。     
敦は五月に召還される。濙は八月に扈従。純は五月に下獄。八月に致仕。   
中は六月に下獄、まもなく釈放され、少保を奪われる。八月に扈従。       
友直は五月に四川で採木。八月に行部し、工部に改める。観は六月に河道を巡視した。十月に獄に下された。      
顧佐は七月に右に任じられた。       
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四年己酉      
郭璡が四月に任命される。原吉      
       
郭資が四月に召還される。六月に元の官職である太子太師として部事を掌る。濙が五月に詹事を兼ねる。本が十二月に太子賓客を加えられる。 福が四月に漕運を督するため出る。   
       
友直補佐      
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五年庚戌      
原吉は正月に死去。      
       
       
黄福は八月に就任。       
李昶は閏十二月に就任。本は六月に戸部を兼任。 福は八月に戸部に改任。   
中は二月に吏部を兼任。       
友直      
六年辛亥      
敦四月卒。      
       
       
昶十月卒。濙正月兼戶部。今月(正月)に死去。     
許廓が正月に任命される。      
友直      
七年壬子      
      
福が八月に南京に改称される。濙が戸部を兼任。廓が六月に死去。    
友直      
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八年癸丑      
璡閏八月に都察院を兼任。資十二月に卒す。濙が戸部を兼任。    
友直佐閏八月に病により致仕。      
熊槩が九月に右に任じられる。       
九年甲寅      
璡が九月に工部を兼務。 濙が戸部を兼務。王驥が三月に任じられる。   
友直槩が九月に刑部を兼務。十月に卒す。      
佐が十月に病癒え、復任。       
十年乙卯正月、英宗が即位した。義は正月に死去した。      
 濙が戸部を兼ねて管掌した。魏源が七月に任じられた。   
施礼が七月に任じられた。九月に南京に改任された。中が七月に少保を加えられた。      
友直が正月に易州の柴炭を監督した。      
正統元年丙辰劉中敷 月任。驥十二月下獄,尋釋。 
友直三月督京倉。佐六月致仕。      
陳智六月任右。       
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左、右都御史
二年丁巳中敷驥は五月に甘肅辺務を処理するため出発。源は五月に大同辺務を整備。 
友直      
三年戊午中敷は七月に投獄され、まもなく釈放。濙は七月に投獄され、すぐに釈放。驥は四月に部に戻り、大理卿を兼ねる。源は四月に部に戻る。七月に獄に下る。十二月にまた獄に下る。 
友直は九月に卒す。智は十二月に獄に下る。      
四年己未中敷源:閏二月に獄を釈放。智:閏二月に獄を釈放。
五年庚申中敷驥:四月に麓川へ出征。   
柴車:二月に陝西から召還され任官、すぐに帰省。    
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六年辛酉中敷は十月に投獄され枷をはめられたが、まもなく職務に復帰した。閏十一月に再び投獄された。     
王佐が十二月に任命された。車は三月に朝廷に戻った。六月に死去した。     
驥が二月に軍務総督となった。中は十月に少師に昇進した。智は六月に弾劾され免職となった。    
王文が六月に右に任命された。       
七年壬戌      
魏驥 月に侍郎として署理驥三月に朝廷に戻る。五月に靖遠伯に封じられ、部事を解かれる    
徐晞五月に任じられる中四月に致仕。六月に卒す     
王卺七月に任じられる      
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八年癸亥璡正月致仕。      
王直が正月に任命される。源が三月に致仕する。   
王質が三月に任命される。十一月に戸部侍郎に降格される。       
金濂が八月に任命される。     
九年甲子
十年己丑晞は十月に致仕した。   
鄺埜は九月に任命された。     
黎澄は安南王子。六月に任命され、内府事を専ら供した。文は十月に陝西へ出撫した。      
陳鎰は十月に陝西から召還され、右に任命された。       
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十一年丙寅直、八月に獄に下り、まもなく釈放。佐、三月に獄に下り、まもなく釈放。濂は三月に投獄され、まもなく釈放された。 
澄は七月に死去した。鎰は三月に投獄され、まもなく釈放された。      
十二年丁卯
十三年戊辰濂十一月出征福建。卺二月致仕。 
石璞五月任,七月出征浙賊葉宗留。      
十四年己巳八月、景帝が監国し、九月に即位。直は八月に太子太保を加えられる。佐は八月に土木で歿す。     
金濂は十一月に任じられ、太子太保を加えられる。濙は八月に太子太傅を加えられる。埜は八月に土木で歿す。     
于謙は八月に任じられる。十月に少保を加えられる。濂は十一月に戸部に改める。      
俞士悦は十一月に任じられる。璞は十二月に回部に戻る。鎰は八月に畿内を巡撫するため出発。十月に左に改められる。十一月に院に戻る。     
俞士悦は八月に任命される。十一月に刑部尚書に昇進。       
楊善は十二月に右に任命される。       
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景泰元年庚午士悅璞(十一月に大同を巡視に出る)
善(八月に左に改める)       
王文が閏正月に陝西から院に戻る。       
二年辛未      
何文淵が七月に任じられる。士悦璞が六月に部に戻る。鎰が四月に陝西巡撫として出向する。 
       
       
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三年壬申正月に少傅を加えられた。四月に太子太師を兼ねた。      
文淵は四月に太子太保を加えられた。濂は二月に投獄されたが、まもなく釈放され、太子太保を剥奪され、工部に転任した。三月に復職した。四月に太子太保を加えられた。濙は正月に少傅を加えられた。四月に太子太師を兼ねた。謙は四月に太子太傅を兼ねた。    
儀銘は五月に任命された。士悦は四月に太子太保を加えられた。璞は四月に太子太保を加えられた。善は正月に太子太保を加えられた。    
文は正月に太子太保を加えられた。十月に内閣に入った。       
鎰は三月に院に戻る。四月に太子太保を加える。       
王翺は二月に陝西巡撫から院に戻る。四月に太子太保を加える。七月に両広を督すべく出る。       
四年癸酉      
文淵は六月に獄に下る。すぐに釈放され、致仕する。       
王翺は六月に任じられる。    
銘は二月に詹事を兼ねる。士悦璞が七月に沙湾の決壊した黄河を治めるため出発。    
鎰が九月に退官。       
翺が三月に召還。六月に吏部尚書に昇進。       
羅通が七月に右に就任。       
蕭維禎が七月に左に就任。十一月に服喪。       
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五年甲戌      
濂は二月に死去。      
張鳳は四月に任命。     
銘は七月に卒去。士悦璞は四月に奔喪し、復任。    
維禎は七月に起復。       
李実は五月に右に任ず。       
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六年乙亥      
濙 七月に詹事府を兼掌    
石璞が正月に任命される。士悦石璞が正月に兵部に改任される。     
江淵が正月に内閣から復職する。      
維禎       
       
七年丙子      
    
璞が正月に湖広を撫安する。士悅維禎    
       
天順元年丁丑正月、英宗が復位する。直が正月に少傅兼太子太師の官職を奪われ、致仕する。      
翺は正月に太子太保の官位を剥奪され、留任した。鳳は二月に南京に改任された。      
沈固は三月に任命された。濙は正月に少傅兼太子太師の官位を剥奪され、致仕した。      
楊善は三月に興済伯として部の事務を管轄した。謙は正月に棄市された。      
璞は六月に部に戻り、すぐに致仕した。       
驥は二月に靖遠伯として部の事務を管轄した。六月に解任された。       
陳汝言は六月に任命された。士悦は正月に流刑に処された。      
軒輗は二月に任命。七月に致仕。       
劉廣衡は八月に任命。淵は正月に謫戍。      
趙榮は正月に任命。維禎は二月に南京に改任。      
実は二月に為民。       
耿九疇は三月に右に任命。六月に下獄。江西布政に改任。       
馬昂は五月に任命、山西を出撫。十一月に院に回る。       
寇深は七月に任命。       
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二年戊寅善 五月に卒す汝言は正月に投獄された。   
馬昂は二月に任命された。広衡は十月に休暇を願い出て、十二月に死去した。      
陸瑜は十月に、布政使から昇進した。昂は二月に兵部尚書に転任した。     
       
三年己卯 
四年庚辰固、二月に致仕。     
年富、二月に任官。蕭晅、二月に布政から陞任。十一月に南京に改任。      
石瑁、十一月に任官。   
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五年辛巳昂(八月に太子少保を加える)榮(八月に大理卿を兼ねる)深(七月に曹欽の反乱で殺害される)
李賓(七月に右都御史に任命される)       
六年壬午瑁十二月卒。榮七月致仕。
七年癸未姚夔が正月に任命される。瑜が十二月に投獄され、まもなく釈放される。周瑄が二月に刑部侍郎として署任する。 
白圭が三月に任命される。賓が十一月に投獄され、まもなく釈放される。      
周瑄が十一月に刑部侍郎として署任する。       
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八年甲申正月、憲宗即位。富四月卒。     
馬昂八月任。昂は八月に戸部に改任。     
王竑は八月に任命。    
李秉は八月に左に任命。       
成化元年乙酉翺は三月に太子太保を加授。竑は九月に退官した。   
王復は十月に任命された。圭は十二月に荊州・襄陽の督師となった。賓は八月に南京兵部尚書に昇進した。    
       
二年丙戌復八月、延綏の辺境防備を整備する。圭五月に召還される。十二月に丁憂し、起復する。秉八月、大同の辺境防備を整備する。
三年丁亥翺七月に病気で免職される。十一月に死去する。      
李秉十二月に任じられる。復四月、工部に改める。    
白圭が四月に任命される。圭が正月に太子少保を加官される。四月に兵部に改任される。     
王復が四月に任命される。林聰が四月に右に任命される。      
秉が三月に召還される。五月に遼東を督師する。十一月に召還される。十二月に吏部尚書に昇進する。       
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四年戊子正月に太子少保を加える。九月に致仕する。     
楊鼎が十月に任じられる。     
程信が四月に、四川回部。    
五年己丑秉は正月に免官。      
崔恭は正月に任命。五月に憂慮で去職。       
姚夔は六月に任命。夔は六月に吏部に改任。     
鄒幹は八月に任命。      
    
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六年庚寅   
信(九月に南京へ改任)    
李賓が九月に任命される。       
七年辛卯夔が九月に太子少保を加えられる。聡が八月に大同を出撫する。
八年壬辰
項忠五月回院,陞左。       
九年癸巳夔は二月に死去。      
尹旻は三月に任命。圭は八月に憂慮で去職。十二月に復職。瑜は八月に致仕。   
王槩は八月に任命。     
賓は月に太子太保を加官。       
董方が十一月に右に任じられる。       
十年甲午圭が十二月に卒す。   
項忠が十二月に任じられる。槩が八月に卒す。      
項忠が十月に任じられる。十二月に兵部に改まる。       
董方が十二月に任じられる。忠は十一月に刑部尚書に遷る。     
       
方は二月に大同を出撫し、十二月に刑部尚書に遷る。       
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十一年乙未賓 二月に太子少保を加える。
王越 二月に左都御史に任じられ、兼ねて提督団営を務める。       
十二年丙申
       
十三年丁酉忠は六月に除名された。   
余子俊は七月に召され、十月に任じられた。方は七月に致仕した。      
林聰は七月に任じられた。賓は七月に致仕した。     
越は十二月に兵部尚書を加えられた。       
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十四年戊戌旻、二月に太子少保を加える鼎、二月に太子少保を加える幹、二月に太子少保を加える。子俊、十月に太子少保を加える。聰、十月に太子少保を加える。越、十月に太子太保を加える。
十五年己亥旻、正月に太子太保を加える。鼎、十二月に致仕。     
陳鉞、十二月に召される。幹、十二月に致仕。      
張文質が十二月に任命された。子俊復が十二月に致仕した。    
劉昭が十二月に任命された。越が月に出征して延綏へ向かった。      
十六年庚子鉞が正月に任命された。文質子俊三月後に帰院し、威寧伯に封ぜられ、引き続き団営を督す。
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17年辛丑鉞(2月に兵部に改任)     
翁世資(2月に就任)文質(1月に憂慮により去任)      
周洪謨(2月に就任)子俊(1月に憂慮により去任)      
陳鉞(2月に就任)同年五月、寧夏に出鎮する。    
戴縉、三月に右に任ず。       
十八年壬寅世資洪謨鉞、三月に民となる。   
張鵬、三月に任ず。聰、閏八月に卒す。      
張鎣が九月に任命される。     
十九年癸卯旻が柱国を加えられる。世資が二月に太子少保を加えられ、致仕する。     
余子俊が三月に召される。七月に任命される。洪謨縉は三月に南京工部尚書に改任。  
李裕は四月に右に任じられる。       
二十年甲辰旻は十一月に太子太傅に昇進。子俊は二月に大同を督し、太子太保を加えられる。     
殷謙は十月に任じられ、引き続き倉場を兼務。十一月に太子少保を加えられる。洪謨は十一月に太子少保を加えられる。鵬は十一月に太子少保を加えられる。鎣は十一月に太子少保を加えられる。昭:十一月に太子少保を加える。裕:六月に南京に改める。  
朱英:六月に右に任じる。十一月に太子少保を加える。       
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二十一年乙巳洪謨鵬閏四月に致仕。   
馬文升十一月に任ず。英七月に卒す。    
屠滽七月に右に任ず。       
二十二年丙午旻は四月に太子太傅を奪われ、太子少保を授かり、五月に弾劾されて免職。      
耿裕は八月に任命。十月に南京礼部に改任。       
李裕は十月に任命。謙は六月に致仕。      
劉昭は八月に任命。十二月に太子少保を奪われ、免職。洪謨文升は九月に南京に改任。鎣は十月に憂慮で去職。    
杜銘は十月に任命。昭、八月に戸部を改める。      
李裕、八月に任じられる。十月に吏部を改める。       
謝一夔、十月に任じられる。滽、九月に南京を改める。      
劉敷、九月に召される。       
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二十三年丁未九月、孝宗が即位。裕は十一月に致仕。      
王恕が十一月に任官。十二月に太子太保を加授。李敏が正月に任官。洪謨余子俊    
正月に召還。七月に任官、引き続き太子太保を加授。銘は十月に致仕。一夔は五月に死去。     
賈俊は六月に就任。敷は二月に就任。十一月に罷免。      
馬文升は十一月に左に就任。       
弘治元年戊申洪謨は十月に致仕。    
耿裕は十月に就任。子俊何喬新が正月に任命された。文升   
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二年己酉子俊二月卒。   
馬文升二月任,兼督團營。喬新文升二月遷兵部尚書。    
屠滽二月任。       
三年庚戌文升喬新
四年辛亥敏は正月に致仕した。     
葉淇は二月に任じられた。裕は四月に獄に下され、すぐに釈放された。文升喬新は八月に致仕した。    
彭韶は九月に任じられた。滽は二月に病で去った。     
白昂は二月に任じられた。       
五年壬子文升、五月に太子少保を加える。俊、五月に太子少保を加える。
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六年癸丑恕閏五月致仕。      
耿裕六月任。裕六月改吏部。     
倪岳六月任。文升韶は七月に致仕した。     
白昂は八月に任じられた。昂は八月に刑部尚書に遷った。     
屠滽は七月に召され、右に任じられた。       
七年甲寅裕は九月に太子太保を加えられた。淇は九月に太子少保を加えられた。文升   
九月、太子太保に昇進。昂、九月に太子少保を加えられる。俊、二月に致仕。     
劉璋、二月に任官。滽、九月に左に昇進し、太子少保を加えられる。      
八年乙卯文升
九年丙辰裕正月卒。      
屠滽二月任。淇四月致仕。      
周経四月任。岳四月改南京吏部。      
徐瓊が四月に任命される。文升璋が七月に致仕する。    
徐貫が八月に任命される。滽が二月に吏部尚書に昇進する。      
閔珪が四月に任命される。       
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十年丁巳滽四月に太子太保を加える。文升九月に柱国を加える。
十一年戊午滽二月に太子太傅に昇進。経二月に太子少保を加授。瓊二月に太子少保を加授。文升二月に少保兼太子太傅に昇進。昂二月に太子太保を加授。貫二月に太子少保を加授。珪二月に太子少保を加授。
鍾は十二月に右に任じられる。       
十二年己未文升貫は十月に太子太保に昇進する。
       
十三年庚申滽は五月に柱国を加えられ、致仕した。      
倪岳は六月に任じられた。経は五月に太子太保に昇進し、致仕した。      
鍾は五月に任じられた。瓊は五月に太子太保に昇進し、致仕した。      
傅瀚は五月に任じられた。文升は六月に少傅に昇進した。昂は五月に太子太傅を加えられ、致仕した。     
閔珪は五月に任じられ、七月に太子太保に昇進した。閏五月に太子太傅を加えられ、致仕した。      
曾鑑が五月に任じられた。珪が五月に刑部尚書に遷った。      
鍾が五月に戸部尚書に遷った。       
戴珊が六月に左に任じられた。       
史琳が六月に右に任じられ、紫荊関を経略した。       
 吏部尚書戸部尚書礼部尚書兵部尚書刑部尚書工部尚書左・右都御史
十四年辛酉岳は十月に卒す。      
馬文升は十月に任ず。文升は十月に吏部に改まる。    
劉大夏は十月に召される。    
       
十五年壬戌文升瀚二月卒。    
張昇二月任。大夏   
       
十六年癸亥文升六月晉少師兼太子太師。大夏
       
十七年甲子文升鍾五月致仕。     
秦紘五月命。十月致仕,未任。       
韓文十一月任。大夏珪に柱国を加える。  
       
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十八年乙丑五月、武宗が即位。文升大夏珊、十二月に卒。
       
屠勛が九月に右に任命される。       
正徳元年丙寅文升が四月に致仕する。      
焦芳が四月に任命される。十月に入閣する。       
許進が十月に任命される。文が十一月に閒住する。      
顧佐が十二月に任命される。大夏が五月に致仕し、太子太保を加えられる。     
許進が五月に任命される。十月に吏部に改める。       
閻仲宇が十一月に任命された。張敷華が正月に任命された。十二月に致仕した。    
琳が正月に死去した。       
       
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二年丁卯八月に進み、太子少保を加える。閏正月に昇進し、致仕する。    
李傑が閏正月に任じられる。十月に致仕する。       
劉機が十月に任じられる。仲宇が四月に太子太保を加えられ、致仕する。      
劉宇は四月に任命された。八月に太子少保を加えられ、九月に太子太傅に昇進した。珪は閏正月に致仕した。      
屠勛は閏正月に任命された。鑑は閏正月に死去した。      
李鐩は閏正月に任命された。劉宇は閏正月に左に任命された。四月に兵部尚書に転任した。      
屠滽は四月に起用され院事を掌った。       
勛は閏正月に刑部尚書に昇進した。       
三年戊辰進は八月に致仕した。      
劉宇が八月に任命された。佐が八月に致仕した。      
劉璣が九月に任命された。機が二月に丁憂した。      
周経が三月に任命された。十月に致仕した。       
白鉞が十月に任命された。宇が八月に吏部に改任された。      
曹元が八月に任命された。九月に太子少保を加えられた。勛が二月に太子少保を加えられ、致仕した。      
王鑑之が二月に任命された。鐩は十一月に致仕した。      
洪鍾は十二月に任じられた。      
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四年己巳宇加少傅。六月入閣。      
張綵六月任。十一月加太子少保。鑑之正月致仕。   
洪鍾正月任。十一月加太子少保,改左都御史。       
劉璟十二月任。鍾正月改刑部。      
才寛が正月に任命。四月に陝西を督するため出発。       
畢亨が十二月に任命。滽が閏九月に致仕。      
陳金が十月に任命。十一月に江西を督するため出発。       
洪鍾が十一月に任命。       
五年庚午綵が八月に獄死。      
劉機が八月に任命。九月に太子少保を加授。十二月に致仕。璣が八月に免職。      
楊一清が八月に任命、太子少保を加授。鉞は九月に太子少保を加えられ、内閣に改められ、誥敕を管轄した。十月に死去。      
費宏が九月に任じられた。元が二月に入閣した。      
胡汝礪が二月に昇進した。三月に死去。       
王敞が三月に任じられた。九月に太子少保を加えられた。璟は九月に太子少保を加えられた。十二月に致仕した。亨は九月に南京に改められた。     
李鐩が九月に任じられた。鍾は三月に師を督して湖広の賊を討った。      
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六年辛未楊一清が正月に任命。十二月に少保兼太子太保に昇進。一清が正月に吏部に改任。     
孫交が月に任命。宏が十二月に内閣に入る。      
傅珪が十二月に任命される。敞が五月に致仕する。      
何鑑が五月に任命される。十二月に太子少保を加えられる。何鑑が正月に任命される。五月に兵部に改める。鍾が賊を討つ。    
王鼎が五月に任命される。       
七年壬申一清鑑は九月に晋太子太保となる。張子麟は十二月に任じられる。鐩は十二月に太子少傅を加えられる。鍾は九月に京に還る。十二月に致仕する。
鼎は六月に罷免される。       
陸完は十月に任じられ、太子太保を加えられる。       
李士實は七月に右に任じられ、院を掌る。       
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八年癸酉一清交六月致仕。     
王瓊六月任。珪が六月に致仕。      
劉春が六月に任命。鑑が十一月に致仕。      
陸完が十一月に任命。子麟完が十一月に兵部尚書に遷任。    
士実が十一月に致仕。       
石玠が十二月に任命。       
九年甲戌一清は十一月に少傅兼太子太傅に昇進した。完は七月に太子太保を加えられた。子麟
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十年乙亥一清閏四月入閣      
陸完閏四月任瓊閏四月兵部に改任      
石玠五月任春八月憂去      
毛紀が八月に任命された。完が閏四月に吏部に改任された。      
王瓊が閏四月に任命された。子麟玠が五月に戸部尚書に昇進した。    
彭澤が五月に左に任命され、太子太保を加えられた。       
王璟が五月に右に任命された。       
十一年丙子完が七月に太子太保に昇進した。玠は七月に太子少保に昇進した。紀は九月に誥敕の管理を改めた。    
李遜學は九月に任命された。子麟は七月に太子少保を加えられた。玠は七月に太子少傅に昇進した。   
璟は月に太子少保を加えられた。       
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十二年丁丑完 月に柱国を加える。遜学 五月に東閣誥敕に改める。    
毛澄 六月に任じる。瓊は二月に少保兼太子太保を加えられた。十一月に少傅兼太子少傅に昇進した。子麟鐩は月に太子太保に昇進した。澤は二月に哈密を経略した。五月に帰還し、致仕した。   
璟は六月に左に遷った。       
張綸は六月に右に任じられた。       
十三年戊寅完は月に少保を加えられた。瓊は月に柱国を加える。子麟
       
十四年己卯玠は四月に致仕する。     
楊潭は五月に倉場から回部管事となる。瓊は月に晋少師兼太子太師となった。子麟鐩は月に柱国を加えられた。  
       
十五年庚辰完は十一月に獄に下され、充軍となった。      
王瓊は十二月に任じられた。瓊は十二月に吏部に改めた。子麟は月に柱国を加え、太子太保に昇進した。璟は月に太子太保を加えた。 
       
陳金は六月に任命された。       
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十六年辛巳四月、世宗が即位。瓊は四月に投獄され、流刑に処せられる。      
石珤は五月に任命。七月に東閣誥敕に改める。       
喬宇は八月に任命。十一月に少保に昇進。潭は四月に罷免。      
孫交は五月に再任。太子太保を加える。王憲が正月に任命。四月に罷免。     
彭澤が五月に任命。子麟が十月に帰省。鐩が四月に致仕。     
林俊が五月に任命。璟が四月に致仕。      
金が四月に致仕。       
綸が八月に致仕。       
金献民が六月に任命。