明史

卷一百十 表第十一 宰辅年表二

紀年宰輔の任命と罷免
嘉靖元年壬午廷和
 
 
 
二年癸未廷和
 
 
 
三年甲申廷和は二月に致仕。
 冕は五月に致仕。
 紀は六月に吏部尚書謹身殿大学士に昇進。七月に致仕。
 
 石珤、五月、吏部尚書兼文淵閣大学士として入閣。
 賈詠、八月、礼部尚書兼文淵閣大学士に昇進し入閣。
四年乙酉宏、六月、少師兼太子太師を加授。
 珤、六月、太子太保武英殿大学士を加授。
 詠、六月、太子太保武英殿大学士を加授。
 一清、十一月、召還。
五年丙戌一清、五月、吏部尚書武英殿大学士に復帰し、少師を加授、引き続き太子太傅を兼務して入閣。七月、太子太師謹身殿大学士を兼務加授。
 宏、七月、華蓋殿大学士に昇進。
 珤は七月に少保を加えられた。
 詠は七月に少保を加えられた。
六年丁亥宏は二月に致仕した。
 一清は八月に左柱国・華蓋殿大学士に昇進した。
 珤は八月に致仕した。
 詠は八月に致仕した。
 遷は二月に召され、少傅兼太子太傅・礼部尚書・武英殿大学士となった。十月に復帰した。
 翟鑾は三月に、吏部左侍郎兼学士として入閣した。
 張璁は十月に、礼部尚書兼文淵閣大学士として入閣した。
七年戊子一清
 三月に致仕(退官)した。
 璁は正月に少保兼太子太保を加えられた。六月に少傅兼太子太傅を加えられ、吏部尚書謹身殿大学士に昇進した。
 鑾は六月に礼部尚書兼文淵閣大学士に昇進した。
八年己丑一清は九月に致仕した。
 璁は八月に罷免された。九月に召還された。
 
 桂萼は二月に、少保兼太子太傅吏部尚書武英殿大学士として入閣した。八月に散官及び学士を革去され、尚書として致仕した。九月に少保兼太子太傅吏部尚書武英殿大学士を復し、引き続き致仕した。十一月に召還され復任した。
九年庚寅
 萼は四月に京に至り、命により従来通り事務を執る。
 
十年辛卯孚敬(璁は二月に改名、七月に致仕。十一月に召されて復任。)
 萼は正月に病を理由に帰郷を乞う。八月に卒す。
 
 李時は九月、太子太傅・礼部尚書兼文淵閣大学士として入る。
十一年壬辰孚敬は三月に京に至り、太子太師華蓋殿大学士に昇進した。八月に致仕した。
 
 
 方献夫は五月、元任の太子太保吏部尚書兼学士として、応召して京に至り、武英殿大学士に昇進して入閣した。七月に吏部事を掌った。
十二年癸巳献夫
 
 鑾は十一月に丁憂した。
 孚敬は正月に召されて復任した。四月に召しに応じて京に至った。
十三年甲午孚敬は正月に少師兼太子太保吏部尚書武英殿大学士に昇進した。
 献夫は正月に少保に昇進した。四月に致仕した。
 時は正月に少保に昇進した。
十四年乙未孚敬は四月に致仕した。
 
 費宏は七月に召還された。八月に入朝し、十月に死去した。
十五年丙申時は七月に太子太傅を加官された。九月に少傅兼謹身殿大学士に昇進した。十一月に太子太師を兼ねた。閏十二月に華蓋殿大学士に昇進した。
 夏言は閏十二月に、少傅太子太師礼部尚書兼武英殿大学士として入朝した。
十六年丁酉
 
十七年戊戌時十二月卒。
 
 顧鼎臣八月,太子太保禮部尚書兼文淵閣大學士入。
十八年己亥言正月晉特進光祿大夫上柱國少師。五月以少保兼尚書致仕,未行,復少傅兼太子太傅禮部尚書武英殿大學士,復入。
 鼎臣正月晉少保兼太子太保武英殿大學士。
十九年庚子十一月に少師兼太子太師吏部尚書華蓋殿大学士を加えると述べる。
 鼎臣十月に卒す。
 鑾正月、辺境の事を巡行し終え、京に還る。詔により原職の太子少保礼部尚書兼武英殿大学士とする。十一月に少保兼太子太傅尚書大学士を加え、従前の如し。
二十年辛丑言八月に落職し致仕する。九月に迎和門に詣でて辞し、詔によりなお私宅に還り調理し、後の命を俟つ。十月に少傅兼太子太師礼部尚書武英殿大学士を復し、なお閣に赴き事を弁ず。
 
二十一年壬寅言三月に少師吏部尚書華蓋殿大学士を復し、勲階兼官悉く旧の如し。七月に革職し閑住す。
 鑾八月に少傅兼謹身殿大学士を加える。
 厳嵩、八月、少保・太子太保・礼部尚書兼武英殿大学士、引き続き礼部の事務を掌る。
二十二年癸卯
 
二十三年甲辰鑾、八月に官籍を削除される。
 嵩、八月に太子太傅を加えられる。九月に吏部尚書・謹身殿大学士を兼ねて昇進。十二月に少傅を加えられる。
 許讚、吏部尚書。九月に文淵閣大学士を兼ねて入閣。
 張璧、礼部尚書。九月に東閣大学士を兼ねて入閣。
二十四年乙巳嵩は七月に太子太師を加えられた。八月に少師を加えられた。
 讚は七月に少傅を加えられた。十一月に職を革められて閑住となった。
 璧は七月に太子太保を加えられた。八月に卒した。
 言は九月に再び召された。十二月に少師兼太子太師吏部尚書華蓋殿大学士の原職に復し、起用された。
二十五年丙午
 
二十六年丁未
 嵩は十一月に華蓋殿大学士に進んだ。
二十七年戊申正月に保傅の官職を剥奪し、尚書として致仕した。十月に棄市された。
 
二十八年己酉
 張治が二月に礼部尚書兼文淵閣大学士に昇進して入閣した。
 李本が二月に、少詹事兼学士として入閣した。
二十九年庚戌嵩が八月に上柱国を加えられた。
 治が八月に太子太保を加えられた。十月に死去した。
 八月、吏部右侍郎兼東閣大学士に昇進。
三十年辛亥
 十一月、礼部尚書に昇進。
三十一年壬子
 
 徐階、少保兼太子太保礼部尚書。三月、東閣大学士を兼務し入閣、引き続き部の事務を掌る。
三十二年癸丑
 階は七月に柱国に昇進した。
 
三十三年甲寅
 階は八月に太子太傅・武英殿大学士に昇進した。
 本は八月に太子太保・文淵閣大学士に昇進した。
三十四年乙卯
 
 
三十五年丙辰
 
 本二月命暫管吏部事。三月晉少保兼武英殿大學士。
三十六年丁巳
 階八月加少傅。
 本七月晉柱國。八月加太子太傅。
三十七年戊午
 
 
三十八年己未
 階五月晉吏部尚書。
 
三十九年庚申
 階八月晉太子太師。
 本八月晉少傅。
四十年辛酉
 
 本五月丁憂。
 袁煒十一月加太子太保戸部尚書兼武英殿大学士入。
四十一年壬戌嵩五月罷。
 階三月晉少師。
 煒三月晉少保。
四十二年癸亥
 
四十三年甲子階は八月に建極殿大学士に昇進。
 煒は八月に少傅兼太子太傅建極殿大学士に昇進。
四十四年乙丑
 煒は三月に病気で帰郷。
 厳訥は四月、吏部尚書兼武英殿大学士として入閣し、引き続き吏部の事務を暫定的に管掌。十一月に病気で帰郷。
 李春芳は四月に礼部尚書兼武英殿大学士に昇進して入閣。
四十五年丙寅十二月、穆宗が即位した。
 春芳は三月に吏部尚書に昇進した。
 郭朴は三月に吏部尚書兼武英殿大学士に昇進し入閣した。
 高拱は三月に礼部尚書兼文淵閣大学士に昇進し入閣した。
隆慶元年丁卯
 春芳は二月に少保に昇進した。四月に少傅兼太子太傅に昇進した。
 朴は二月に少保に昇進した。四月に少傅兼太子太傅に昇進した。九月に致仕した。
 拱は二月に少保兼太子太保に昇進した。四月に少傅兼太子太傅に昇進した。五月に罷免された。
 陳以勤は二月に礼部尚書に昇進し、文淵閣大学士を兼ねて入閣した。四月に太子太保を加えられた。
 張居正は二月に吏部左侍郎に昇進し、東閣大学士を兼ねて入閣した。四月に礼部尚書・武英殿大学士に昇進した。
二年戊辰徐階は七月に致仕した。
 李春芳は正月に少師兼太子太師・建極殿大学士を加えられた。
 陳以勤は正月に少傅兼太子太傅を加えられた。
 張居正は正月に少保兼太子太保を加えられた。
三年己巳李春芳
 陳以勤
 居正
 趙貞吉は八月、礼部尚書兼文淵閣大学士として入閣。
 拱は十二月に召還され、吏部事を兼掌。
四年庚午春芳は六月に少師に昇進。十二月に中極殿大学士を加授。
 拱は十二月に少師建極殿大学士に昇進。
 以勤は七月に致仕し、太子太師を加授。
 居正は十二月に太子太傅吏部尚書柱国に昇進、さらに少傅建極殿大学士に昇進。
 貞吉は十一月に致仕。
 殷士儋は十一月、太子太保礼部尚書兼文淵閣大学士として入閣。一か月後、少保武英殿大学士に昇進。
五年辛未春芳は五月に致仕。
 
 居正
 士儋は十一月に致仕。
六年壬申六月、神宗即位。拱は正月に柱国・中極殿大学士を加えられる。六月に罷免。
 居正は正月に少師兼太子太師を加えられる。八月に左柱国・中極殿大学士を加えられる。
 高儀は四月、礼部尚書兼文淵閣大学士として入閣。六月に卒去。
 呂調陽は六月、礼部尚書兼文淵閣大学士として入閣。八月に太子少保・武英殿大学士に昇進。
萬暦元年癸酉居正
 調陽十一月晉太子太保
二年甲戌居正
 調陽七月晉少保
三年乙亥居正
 調陽
 張四維八月晉禮部尚書兼東閣大學士入
四年丙子居正は十月に特に左柱国太傅に昇進し、俸禄は伯爵と同じ。
 調陽は十月に太子太傅吏部尚書に昇進。
 四維
五年丁丑居正は九月に丁憂で奪情される。
 調陽は八月に少傅に昇進。
 四維は八月に太子太保文淵閣大学士に昇進。
六年戌寅居正は三月に帰葬し、六月に朝廷に戻る。
 張居正は二月に建極殿大学士に昇進。七月に病気のため帰郷。
 張四維は二月に少保・武英殿大学士に昇進。
 馬自強は三月、太子太保・礼部尚書兼文淵閣大学士として入閣。十月に死去。
 申時行は三月、吏部左侍郎兼東閣大学士として入閣。
七年己卯張居正
 張四維
 申時行は十二月に礼部尚書兼文淵閣大学士を加官。
八年庚辰張居正
 四維は六月に少傅兼太子太傅に昇進した。
 時行
九年辛巳居正は十一月に太傅左柱国に昇進した。
 四維は柱国を加えられた。
 時行
十年壬午居正は六月に太師に昇進し、まもなく死去した。
 四維は六月に太子太師に昇進した。九月に少師に昇進した。
 時行は六月に太子太保に昇進した。九月に少保に昇進した。
 潘晟、礼部尚書・武英殿大学士に任命される。六月に命じられるが、就任前に罷免。
 余有丁、六月に礼部尚書兼文淵閣大学士として入閣。九月に太子太保に昇進。
十一年癸未四維、四月に丁憂(服喪)。
 時行、九月に少傅兼太子太傅・吏部尚書・建極殿大学士に昇進。
 有丁、九月に少保・戸部尚書・武英殿大学士に昇進。
 許国、四月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣。九月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。
十二年甲申時行、九月に少師・太子太師・中極殿大学士に昇進。
 有丁、九月に少傅・太子太傅・建極殿大学士に昇進。十一月に死去。
 国、九月、晋少保太子太保武英殿大学士。
 王錫爵、十二月、礼部尚書兼文淵閣大学士に起用。
 王家屏、十二月、吏部侍郎兼東閣大学士となる。
十三年乙酉時行
 
 錫爵、六月入。
 家屏
十四年丙戌時行
 国、八月に柱国・少傅兼太子太傅に昇進。
 錫爵
 家屏、九月に丁憂(父母の喪)。
十五年丁亥時行
 国、二月に吏部尚書・建極殿大学士に昇進。
 錫爵、二月に太子太保・武英殿大学士に昇進。
十六年戊子時行、四月に左柱国を加授。
 
 錫爵は六月に太子太保に昇進した。
 家屏は十二月に喪明けで召喚された。
十七年己丑時行
 國は八月に太子太師・吏部尚書に昇進した。
 錫爵
 家屏は四月に朝廷に戻り、礼部尚書に昇進した。
十八年庚寅時行
 
 錫爵
 家屏
十九年辛卯時行は三月に太傅を加えられた。九月に致仕した。
 國は九月に致仕した。
 錫爵は六月に帰省した。
 家屏
 趙志皐は九月、礼部尚書兼東閣大学士として入閣した。
 張位は九月、吏部侍郎兼東閣大学士となった。
二十年壬辰家屏は三月に致仕した。
 志皐
 位は四月に入った。
二十一年癸巳錫爵は正月に朝廷に戻った。
 志皐は四月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
 位は四月に礼部尚書文淵閣大学士に昇進した。
二十二年甲午錫爵は二月に少傅兼太子太保吏部尚書建極殿大学士に昇進した。五月に致仕した。
 志皐は二月に少保兼太子太保戸部尚書に昇進した。
 位は二月に太子太保に昇進した。
 陳于陛は五月、礼部尚書兼東閣大学士として入閣した。
 沈一貫は五月、礼部尚書兼東閣大学士となる。十一月に入閣。
二十三年乙未志皐
 
 于陛は十月に太子少保に昇進した。
 一貫は十月に太子少保に昇進した。
二十四年丙申志皐は三月に少傅兼太子太傅建極殿大学士に昇進した。
 
 于陛は八月に太子太保に昇進。十二月に死去。
 一貫
二十五年丁酉志皐
 位は五月に少保・太子太保・吏部尚書・武英殿大学士に昇進。
 一貫は五月に太子太保・戸部尚書・武英殿大学士に昇進。
二十六年戊戌志皐は十月に病気療養。
 位は六月に閑職に就く。
 一貫
二十七年己亥志皐が病気療養。四月に太子太師・中極殿大学士を兼任。
 一貫
二十八年庚子志皐が病気療養。
 一貫、五月に少保・吏部尚書に昇進。
二十九年辛丑志皐が病気療養。九月に死去。
 一貫、十一月に太子太傅・建極殿大学士を兼任。
 沈鯉、九月、礼部尚書として召され、東閣大学士を兼ねる。
 朱賡、九月、礼部尚書として召され、東閣大学士を兼ねる。
三十年壬寅一貫、七月、少傅兼太子太傅に昇進。
 鯉、七月に入る。
 賡、四月に入る。七月、太子太保に昇進。
三十一年癸卯一貫、四月、左柱国少傅中極殿大学士に昇進。
 
 
三十二年甲辰一貫
 鯉十月晉少保文淵閣大學士
 賡十月晉太子太保文淵閣大學士
三十三年乙巳一貫十月晉少師兼太子太師
 鯉十月晉少傅兼太子太傅
 賡十月晉少保兼太子太保
三十四年丙午一貫七月致仕
 鯉は七月に致仕した。
 
三十五年丁未賡は三月に戸部尚書・武英殿大学士に昇進した。
 錫爵は六月に少保を加えられ召されたが、辞して至らなかった。
 于慎行は礼部尚書。五月に太子太保・東閣大学士を加えられた。十一月に入り、まもなく死去した。
 李廷機は五月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進して入った。
 葉向高は五月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進した。十一月に入った。
三十六年戊申賡は十一月に死去した。
 廷機は十月に病気療養のため休養。以後は門を閉ざして籍に注記し、閣に赴かなかった。
 向高
三十七年己酉廷機は病気療養。
 向高
三十八年庚戌廷機は病気療養。
 向高は十二月に太子太保文淵閣大学士に昇進。
三十九年辛亥廷機は病気療養。
 向高
四十年壬子廷機が病気療養。九月に太子太保に昇進し、致仕。
 向高
四十一年癸丑向高十一月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進。十二月に少傅兼太子太傅吏部尚書建極殿大学士に昇進。
 方従哲九月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣。
 呉道南九月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣。
四十二年甲寅向高八月に少師兼太子太師に昇進し、致仕。
 従哲
 道南は赴任せず。
四十三年乙卯従哲
 道南は五月に入る。
四十四年丙辰従哲は十二月に太子太保文淵閣大学士に昇進。
 道南
四十五年丁巳従哲
 道南は七月に丁憂した。
四十六年戊午従哲
四十七年己未従哲
四十八年庚申八月、光宗が即位。九月に崩御、熹宗が即位。八月以後、泰昌元年となる。従哲は八月に少保戸部尚書武英殿大学士に昇進。十月に少師兼太子太師吏部尚書中極殿大学士に昇進。十二月に致仕。
 史継偕は八月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進。
 沈?は八月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進。
 何宗彦は八月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進。
 劉一燝は八月に礼部尚書・東閣大学士に昇進して入閣した。十月に太子太保・戸部尚書・文淵閣大学士に昇進した。
 韓爌は八月に礼部尚書・東閣大学士に昇進して入閣した。十月に太子太保・戸部尚書・文淵閣大学士に昇進した。
 朱国祚は八月に礼部尚書に昇進し、東閣大学士を兼ねるよう召された。
 孫如游は礼部尚書である。十月に東閣大学士を兼ねて入閣した。
 向高は八月に召された。
天啓元年辛酉向高は六月に中極殿大学士に昇進した。十月に入閣した。
 一燝は六月に少保兼太子太保・吏部尚書・武英殿大学士に昇進し、さらに少傅兼太子太傅・建極殿大学士に昇進した。九月に中極殿大学士に昇進した。十月に少師兼太子太師に昇進した。
 爌は六月に少保・吏部尚書・武英殿大学士に昇進し、さらに少傅兼太子太傅・建極殿大学士に昇進した。九月に中極殿大学士に昇進した。十月に少師兼太子太師に昇進した。
 継偕は十月に入閣した。太子太保・文淵閣大学士に昇進した。
 7月に就任。9月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。10月に少保・武英殿大学士に昇進。
 宗彦が6月に就任。9月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。10月に少保・武英殿大学士に昇進。
 国祚が6月に就任。9月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。10月に少保・武英殿大学士に昇進。
 如游が閏2月に太子太保・文淵閣大学士に昇進し、致仕。
2年壬戌向高
 一燝が3月に致仕。
 
 継偕
 7月に致仕。
 宗彦
 国祚
 孫承宗は二月に兵部尚書・東閣大学士に昇進して入閣し、兵部を兼掌。八月に太子太保に昇進し、山海関に出鎮。
三年癸亥向高は正月に中極殿大学士に昇進。七月に左柱国に昇進。十一月に上柱国に昇進。十二月に少傅に昇進。
 爌は正月に少師・太子太師・中極殿大学士に昇進。七月に特進を加えられる。十一月に左柱国に昇進。
 継偕は正月に太子太師・文淵閣大学士に昇進。七月に少傅兼太子太傅に昇進。まもなく少保を加えられ、致仕。
 宗彦は正月に少保兼太子太保・戸部尚書に昇進。七月に少傅兼太子太傅に昇進。十一月に太子太師に昇進。
 国祚は正月に少保兼太子太保・戸部尚書に昇進。四月に致仕。
 顧秉謙は礼部尚書。正月に東閣大学士を兼ねて入閣。七月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。十一月に少保・太子太保に昇進。
 朱国禎は正月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進。六月に入閣。七月に太子太保文淵閣大学士に昇進。十月に少保兼太子太保に昇進。
 朱延禧は正月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。七月に太子太保文淵閣大学士に昇進。十一月に少保兼太子太保に昇進。
 魏広微は正月、礼部尚書兼東閣大学士。十月に入閣。十一月に太子太保文淵閣大学士に昇進。
 承宗が出鎮。正月に少保兼太子太保文淵閣大学士に昇進。七月に少傅兼太子太傅に昇進。十一月に太子太師に昇進。
四年甲子向高は七月に致仕。
 爌は十一月に致仕。
 宗彦は正月に卒。
 秉謙
 国禎は十二月に致仕。
 延禧
 広微
 承宗が出鎮する。
五年乙丑秉謙、正月に少傅兼太子太師吏部尚書建極殿大学士に晋す。九月に左柱国少師中極殿大学士に晋す。
 延禧、正月に少傅兼太子太師吏部尚書建極殿大学士に晋す。六月に罷免。
 広微、正月に少保兼太子太傅吏部尚書建極殿大学士に晋す。八月に致仕し、少傅兼太子太師に晋す。
 周如磐、礼部尚書。八月に東閣大学士を兼ねて入閣し、まもなく太子太保文淵閣大学士に晋す。十一月に致仕。
 黄立極、八月に礼部尚書兼東閣大学士に晋して入閣。九月に太子太保文淵閣大学士に晋す。
 丁紹軾、八月に礼部尚書兼東閣大学士に晋して入閣。九月に太子太保文淵閣大学士を加える。
 馮銓は八月に礼部侍郎兼東閣大学士に昇進し入閣。九月に礼部尚書文淵閣大学士に昇進。
 承宗は出鎮。正月に少師兼太子太師に昇進。九月に左柱国中極殿大学士に昇進。十月に致仕。
六年丙寅秉謙は四月に太保に昇進。閏六月に上柱国太師に昇進。九月に致仕。
 立極は四月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進。十一月に少傅兼太子太傅吏部尚書建極殿大学士に昇進。
 紹軾は四月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進。まもなく死去。
 銓は四月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進。閏六月に免職。
 施鳳来は七月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。十月に太子太保文淵閣大学士に昇進。十一月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進。
 張瑞図は七月に礼部尚書東閣大学士に昇進し入閣。十月に太子太保文淵閣大学士に昇進。十一月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進。
 李国𣚴は七月に礼部尚書東閣大学士に昇進し入閣。十月に太子太保文淵閣大学士に昇進。十一月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進。
七年丁卯八月、荘烈帝が即位した。立極は三月に少傅兼太子太傅吏部尚書建極殿大学士に昇進した。八月に左柱国を加えられ、少師兼太子太師中極殿大学士に昇進した。十月に太保に昇進したが、辞退した。十一月に致仕した。
 鳳来は三月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進した。八月に少師兼太子太師中極殿大学士に昇進した。十月に左柱国吏部尚書に昇進した。
 瑞図は三月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進した。八月に少師兼太子太師中極殿大学士を加えられた。十月に左柱国吏部尚書に昇進した。
 国𣚴は三月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進した。八月に少師兼太子太師中極殿大学士に昇進した。十月に左柱国吏部尚書に昇進した。
 来宗道は太子太保礼部尚書であった。十二月に東閣大学士を兼ねて入閣した。
 楊景辰は十二月に礼部尚書に昇進し、東閣大学士を兼ねて入閣した。
 周道登は十二月に礼部尚書に昇進し、東閣大学士を兼ねて入閣した。
 銭龍錫は十二月に礼部尚書に昇進し、東閣大学士を兼ねて入閣した。
 李標は十二月に礼部尚書に昇進し、東閣大学士を兼ねて入閣した。
 劉鴻訓は十二月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣した。
崇禎元年戊辰鳳来は三月に致仕し、太傅に昇進した。
 瑞図は三月に致仕し、太保に昇進した。
 国𣚴は四月に太保に昇進した。五月に致仕した。
 宗道は四月に少保兼太子太保戸部尚書文淵閣大学士に昇進した。六月に致仕し、少傅兼太子太傅に昇進した。
 景辰は四月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。六月に致仕し、少保に昇進した。
 道登は六月に任命された。七月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
 標は二月に任命された。七月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
 龍錫は六月に任命された。七月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
 鴻訓は二月に任命。七月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。十月に罷免、後に流刑に処される。
 爌は四月に召還。十二月に任命。
二年己巳爌は三月に太傅に昇進。
 道登は正月に致仕。
 
 龍錫は十二月に罷免。
 成基命は十一月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。
 周延儒は十二月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。
 何如寵は礼部尚書。十二月に東閣大学士を兼ねて入閣。
 錢象坤は12月に礼部尚書に昇進し、東閣大学士を兼ねて入閣した。
 承宗は11月に召還され、少師兼太子太師兵部尚書中極殿大学士として山海関に出鎮した。4年11月に致仕した。
3年庚午爌は1月に致仕した。
 標は2月に少保兼太子太保戸部尚書武英殿大学士に昇進した。3月に致仕した。
 基命は2月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。9月に致仕した。
 延儒は2月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。11月に少保武英殿大学士に昇進した。
 如寵は2月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。11月に少保武英殿大学士に昇進した。
 象坤は2月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。11月に少保武英殿大学士に昇進した。
 温体仁は礼部尚書である。6月に東閣大学士を兼ねて入閣した。11月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
 呉宗達は礼部尚書。六月に東閣大学士を兼ねて入閣。十一月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。
四年辛未延儒
 如寵は八月に致仕。
 象坤は六月に致仕。
 体仁
 宗達
五年壬申延儒は二月に少傅兼太子太傅・吏部尚書・建極殿大学士に昇進。
 体仁は二月に少保兼太子太保・戸部尚書・武英殿大学士に昇進。
 宗達は二月に少保兼太子太保・戸部尚書・武英殿大学士に昇進した。
 鄭以偉は五月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣し、十月に太子少保に昇進した。
 徐光啟は五月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣し、十月に太子少保を加えられた。
六年癸酉延儒は六月に罷免された。
 体仁は十一月に少傅兼太子太傅・吏部尚書・建極殿大学士に昇進した。
 宗達は十二月に少傅兼太子太傅・吏部尚書・建極殿大学士に昇進した。
 以偉は六月に死去した。
 光啟は七月に太子太保・文淵閣大学士に昇進し、十月に死去した。
 銭士升は九月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣した。
 王応熊は十一月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣した。
 何吾騶は十一月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣した。
 何如寵は七月に召喚されたが、辞退して赴任しなかった。
七年甲戌体仁は二月に少師兼太子太師中極殿大学士に昇進した。
 宗達は二月に少師兼太子太師中極殿大学士に昇進した。
 応熊は二月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
 吾騶は二月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
 士升は二月に太子太保文淵閣大学士に昇進した。
八年乙亥体仁
 宗達は五月に致仕。
 応熊は九月に罷免。
 吾騶は十一月に罷免。
 士升
 文震孟は七月に礼部侍郎兼東閣大学士に昇進し入閣。十一月に閑住。
 張至発は七月に礼部侍郎兼東閣大学士に昇進し入閣。
九年丙子体仁は十月に少師兼太子太師中極殿大学士に昇進。
 士升は四月に免官。
 至発は六月に礼部尚書に昇進。十月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。
 林釬は礼部侍郎。正月に東閣大学士を兼務して入閣。六月に死去。
 黄士俊は礼部尚書。六月に東閣大学士を兼務して入閣。十月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。
 孔貞運は六月に礼部尚書・東閣大学士に昇進して入閣。十月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。
 賀逢聖は礼部尚書。六月に東閣大学士を兼務して入閣。十月に太子太保・文淵閣大学士に昇進。
十年丁丑体仁は正月に左柱国に昇進、三月に太保に昇進、いずれも辞退。六月に致仕。
 至発は三月に少傅兼太子太傅・戸部尚書に昇進。
 士俊は三月に少傅兼太子太傅・戸部尚書に昇進。
 逢聖は三月に少傅兼太子太傅・戸部尚書に昇進。
 貞運は三月に少傅兼太子太傅・戸部尚書に昇進。
 劉宇亮は八月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。
 傅冠は八月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。
 薛国観は八月に礼部侍郎兼東閣大学士に昇進し入閣。
十一年戊寅至発は四月に罷免。
 士俊は正月に罷免。
 逢聖は三月に罷免。
 貞運は六月に罷免。
 宇亮は六月に文淵閣大学士に昇進。十一月に出督師。
 六月に晋文淵閣大学士となる。八月に罷免。
 国観は六月に礼部尚書となる。
 程国祥は六月に礼部尚書に改められ、東閣大学士として入閣。
 楊嗣昌は六月に礼部尚書に改められ、東閣大学士として入閣、引き続き兵部を掌る。
 方逢年は六月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣。十二月に閑住となる。
 蔡国用は六月に礼部尚書兼東閣大学士として入閣。
 范復粹は六月に礼部侍郎兼東閣大学士として入閣。
十二年己卯宇亮は二月に罷免。
 国観は六月に太子太保戸部尚書文淵閣大学士となる。十一月に少保吏部尚書武英殿大学士となる。
 国祥は四月に致仕した。
 嗣昌は九月に督師となった。
 国用は六月に太子太保・戸部尚書・文淵閣大学士に昇進した。
 復粹は五月に礼部尚書に昇進した。六月に太子太保・戸部尚書・文淵閣大学士に昇進した。
 姚明恭は五月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し、入閣した。
 張四知は五月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し、入閣した。
 魏炤乘は五月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し、入閣した。
十三年庚辰国観は六月に致仕した。
 国用は六月に卒した。
 復粹
 明恭は五月に罷免。
 四知
 炤乘
 謝陞は四月に太子少保に昇進し、礼部尚書兼東閣大学士に改任。八月に少保兼太子太保吏部尚書武英殿大学士に昇進。
 陳演は礼部侍郎。四月に東閣大学士を兼ねて入閣。
 嗣昌は督師。九月に太子少保に昇進。
十四年辛巳復粹は五月に罷免。
 四知
 炤乗
 昇進
 
 延儒は二月に召還され、九月に入朝し、十一月に少師兼太子太師中極殿大学士に昇進した。
 逢聖は二月に召還され、九月に入朝した。
 至発は二月に召還されたが、辞退して赴任しなかった。
 嗣昌は三月に軍中で死去した。
十五年壬午延儒
 逢聖は六月に罷免された。
 四知は五月に太子太保に昇進。六月に罷免。
 炤乗は三月に罷免。
 陞は四月に罷免。
 
 蔣德璟は六月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。
 黃景昉は六月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。
 吳甡は六月に礼部尚書兼東閣大学士に昇進し入閣。
 応熊は十一月に召還。翌年九月に到着。未任で罷免。
十六年癸未延儒は五月に太師兼太子太師吏部尚書中極殿大学士に昇進。まもなく罷免。
 演は五月に太子少保・戸部尚書・武英殿大学士に昇進した。
 德璟は五月に太子少保・戸部尚書・文淵閣大学士に昇進した。
 景昉は五月に太子少保・戸部尚書・文淵閣大学士に昇進した。九月に致仕した。
 甡は三月に督師を命じられたが未出発。五月に太子少保・戸部尚書兼兵部尚書・文淵閣大学士に昇進した。まもなく罷免された。
 魏藻德は五月に少詹事兼東閣大学士に抜擢され入閣した。
 李建泰は吏部右侍郎。十一月に東閣大学士を兼ね入閣した。
 方岳貢は右副都御史。十一月に東閣大学士を兼ね入閣した。
十七年甲申三月、荘烈帝が崩御した。明が滅亡した。演は二月に免官されたが未出発、賊に殺害された。
 德璟は三月に免官された。
 藻德は二月に兵部尚書・文淵閣大学士に昇進し、賊に殺された。
 建泰は正月に督師として出陣した。
 岳貢は二月に戸部尚書・文淵閣大学士に昇進し、賊に殺された。
 范景文は工部尚書。二月に東閣大学士を兼ねて入閣し、三月に殉節した。
 丘瑜は礼部侍郎。二月に東閣大学士を兼ねて入閣し、賊に殺された。