卷一百八十六下
姚紹之
姚紹之は、湖州武康の人である。初めて官に就いて典儀となり、累進して監察御史に拝された。中宗の朝、武三思が庶人の勢力を恃み、駙馬都尉王同皎がこれを誅殺せんと謀った。事が洩れ、紹之に命じて按問させ、同皎を誅殺させた。紹之が初めて同皎を按問したとき、張仲之・祖延慶が謀り、衣袖の中に調弩を発して三思を射んとし、その便を窺ったが、果たさず。宋之遜はその外妹を延慶に娶せて言うには、「今日何事を行わんとするにか、妻を以てするや」と。之遜は固く抑えて延慶に与え、かつその心を和らげた。之遜の子曇が密かにこれを発し、乃ち右臺大夫李承嘉に勅して紹之とともに新開門内で按問させた。
周利貞
王旭
五年、遷って左司郎中となり、常に侍御史を帯ぶ。旭は吏として厳苛、左右支梧する者無く、毎に命を銜んで推劾すれば、一見して款を輸さざる者無し。時に宋王憲の府掾紀希虬の兄は剣南県令に任じ、贓私有りと告げられ、旭は使わされて蜀に至りこれを鞫く。その妻美しく、旭は威逼し、因りて奏して県令を決殺し、贓数千万を納む。六年に至り、希虬は奴を遣わし詐って祗承人と為し、顧を受けて臺に在り、旭に事うること累月。旭これを賞し、召し入れて宅中にし、腹心を委ぬ。その奴密かに旭の饋遺を受け囑托する事を記し、乃ち数千貫を成し、帰りて希虬に謁す。希虬は泣きを銜んで憲に見え、家冤を以て叙す。憲これを憫み、その状を執って以て奏す。詔して臺司に付してこれを劾せしむ。贓私累巨万、貶されて龍平尉となり、憤恚して死す。甚だ時人の慶快する所と為る。
吉溫(王鈞・厳安之・盧鉉を附す)
吉溫は、天官侍郎頊の弟琚の孽子なり。譎詭にして能く人に諂事し、中貴の門に遊び、親戚の如く愛せらる。性禁害にして、推劾に果す。天宝初め、新豊丞と為る。時に太子文学薛嶷は恩幸を承け、温を引いて入対せしむ。玄宗これに目して嶷に謂う、「是れ一不良漢、朕要らざるなり」と。時に蕭炅は河南尹と為り、河南府事有り、京臺温を差して推詰せしむ。事炅に連なり、堅く執して捨てず。炅が右相李林甫と善きに頼り、抑えて免る。温の選に及び、炅は已に京兆尹と為り、一たび万年尉を唱うれば、即ちその官に就く。人これを危ぶむ。時に驃騎高力士は常に宮禁に止宿し、或いは時に外第に出づれば、炅必ず謁す。温は先に馳せて力士と言謔すること甚だ洽く、手を握り行第を呼ぶ。炅これを覷って嘆伏す。他日に及び、温は府庭において炅に謁す。遽かに心腹を布きて曰く、「他日敢えて国家の法を隳さず。今日已後、心を洗い事えて公にす」と。炅また与に歓を尽くす。
会に林甫と左相李適之・駙馬張垍と叶わず。適之は兵部尚書を兼ね、垍の兄均は兵部侍郎と為る。林甫は人を遣わし、兵部銓曹主簿事令史六十余人の偽濫の事を訐い出し、その官長を覆さんと図る。詔して出だし京兆府と憲司に付して対問せしむ。数日、竟にその由を究めず。炅は温を使わしてこれを劾せしむ。温は院中に囚を分けて両処にし、温は後廳にて佯りて両重囚を取りてこれを訊く。或いは杖し或いは圧し、痛苦の声、聞くに忍びず。即ち云く、「若し性命を存せば、紙を乞いて尽く答えよ」と。
令史輩は素より温に諳く、各自誣って罪に伏す。温の引問に及び、違うを敢える者無し。晷刻の間に事輯まり、囚を験するに栲訊決罰の処無し。常に云く、「知己に遇わば、南山の白額獣も縛るに足らず」と。会に李林甫将に刑獄を起こし、己に附かざる者を除かんとす。乃ちこれを門に引き、羅希奭とともに詔獄を鍛錬す。
五載、中官に因りてその外甥武敬の一女を納めて盛王琦の妃と為し、擢て京兆府士曹と為す。時に林甫専ら謀りて東儲に不利ならんとす。左驍衛兵曹柳勣は杜良娣の妹婿、温をしてこれを推せしむ。温は著作郎王曾・前右司禦率府倉曹王修己・左武衛司戈盧寧・左威衛騎曹徐徴を追って同しく臺に就きて鞫く。数日にして獄成る。勣らは杖死し、屍を大理寺に積む。
六載(天宝六載)、林甫はまた戸部侍郎・兼御史中丞楊慎矜がその意に背いたことを以て、御史中丞王鉷は慎矜と親しいがこれを嫉み、共に事を構え、『図讖を蓄え、己が隋の煬帝の子孫であることを以て、興復を謀る』と云う。林甫はまた奏して温に付してこれを鞫かせた。慎矜は獄に下されこれを繋がれた。温をして東京にてその兄の少府少監慎餘・弟の洛陽令慎名を収捕せしめ、汝州にてその門客の史敬忠を捕えしめた。敬忠は頗る学あり、嘗て朝貴と遊ぶ。蹉跎として進まず。温の父琚と情契甚だ密にして、温が孩孺の時、敬忠は嘗てこれを抱き撫でた。温は河南丞姚開に命じて就きこれを擒え、その頸を鎖し、布の袂を以て面を蒙いて温に見せしめた。温はこれを前に駆り、一言も交わさず。京に及ばんと欲し、典をしてこれを誘わしめて云わしむ、『楊慎矜今款招已に成る。須らく子の一弁を要す。若し人の意を解すれば、必ず活かす。これに忤えば、必ず死す』と。敬忠は首を回して曰く、『七郎、一紙を乞う』と。温は佯って与えず、詞の懇なるを見て、乃ち桑の下に令して答えしむ。三紙の弁、皆温の旨に符す。喜んで曰く、『丈人、相怪しむ莫かれ』と。遂に徐かに下りて拝す。温湯に至りて、始めて慎矜を鞫き、敬忠の詞を以て証とす。再びその家を捜索するも、図讖を得ず。林甫は事の泄るるを恐れ、これを危ぶみ、乃ち御史盧鉉をして入りて捜索せしむ。鉉は乃ち讖書を袖にして入り、隠僻の中にて詬りて出でて曰く、『逆賊、秘記を牢蔵す。今之を得たり』と。慎矜の小妻韓珠団の婢を指す。挙家の惶懼するを見、且つ行って捶撃す。誰か敢えてこれに忤わんや。獄は乃ち成り、慎矜兄弟は死を賜う。温は是より威振い、衣冠は敢えて偶言せず。
温は早くより厳毒を以て聞こえ、頻りに詔獄を知り、枉濫を行なうを忍び、推事未だ訊問せざるに、已に奏状を作り、贓の数を計る。引問せらるるに及びて、便ち懾懼し、即ち意のままに書し、敢えてその生を惜しむ者なし。因って栲撃を加えずして、獄成る。林甫は深く温を能とし、戸部郎中に擢で、常に御史を帯ぶ。林甫は爪牙と倚るも、温はまた安禄山が主恩を受け、驃騎高力士が中に用事するを見て、皆その間に附会し、兄弟と結ぶ。常に禄山に謂いて曰く、『李右相は人事を観察すと雖も、三兄に親しむも、必ず兄を以て宰相とせず。温は駆使せらるると雖も、必ず超擢せられず。若し三兄、温を奏して相と為さば、即ち兄の大任に堪うるを奏し、林甫を擠出せば、是れ兩人必ず相と為らん』と。禄山これを悦ぶ。
時に禄山は恩を承けて敵無く、驟に温の能を言い、玄宗もまた曩歳の語を忘る。十載、禄山は河東節度を加え、因って温を奏して河東節度副使と為し、並びに節度営田及び管内采訪監察留後事を知らしむ。その載、また兼雁門太守を加え、仍りに安辺郡鑄錢事を知り、紫金魚袋を賜う。及び所生の憂に丁り、禄山はまた奏して起復して本官と為す。尋いでまた奏して魏郡太守・兼侍御史と為す。
楊国忠が相に入り、素より温と交通す。追い入れて御史中丞と為し、仍りに京畿・関内采訪処置使を充てる。温は范陽にて辞し、禄山は累路の館駅に令して白䌷帳を作り以てこれを候わしめ、また男の慶緒に令して界を出でて送らしめ、馬を攏えて駅を出でること数十歩。西京に至るに及び、朝廷の動静、輒ち禄山に報じ、信宿にして達す。
十三載正月、禄山は朝に入り、左僕射に拝し、閑廄使を充てる。因って奏して温に武部侍郎・兼御史中丞を加え、閑廄・苑内・営田・五坊等副使を充てしむ。時に楊国忠と禄山の嫌隙已に成り、温は転じて禄山に厚く、国忠はまたこれを忌む。その冬、河東太守韋陟は華清宮に於いて奏に入り、陟は自ら失職を謂い、温に托して禄山に歓を結び、広く河東の土物を載せて温に饋り、また権貴に及ぶ。国忠は評事呉豸之を諷して郷人をしてこれを告げしめ、召して中書門下に付し、法官に対しこれを鞫かしむ。陟はその状に伏し、桂嶺尉に貶せられ、温は澧陽長史に貶せらる。温の判官員錫は新興尉に貶せらる。
明年、温はまた贓七千匹及び人口馬を奪い奸穢の事発するに坐し、端州高要尉に貶せらる。温は嶺外に至り、遷延して進まず、張博濟に依り、始安郡に止まる。八月、大理司直蔣沇を遣わしてこれを鞫かしむ。温は獄中に死し、博濟及び始安太守羅希奭は州門にて死す。
初め、温の貶斥せらるるに、玄宗は華清宮に在り、朝臣に謂いて曰く、『吉温は酷吏の子侄なり。朕は人に誑惑せられ、これを用いて此に至る。屡々朕を勧めて刑獄を起こし以て威福を作らしむ。朕はその言を受けず。今去れり。卿等皆安枕すべし』と。初め、開元九年、王鈞有りて洛陽尉と為る。十八年、厳安之有りて河南丞と為る。皆性毒虐にして、笞罰するに人の死せざるを畏れ、皆杖を訖えて起つを放たず、須らくその腫憤するを待ち、徐かに乃ち重ねてこれを杖つ。懊血地に流れ、苦楚死せんと欲す。鈞と安之始めて眉目喜暢す。故に人吏懾懼す。温は則ち身を権貴に售り、衣冠を噬螫す。来たりて頗る異なる耳。温は九月に始興に死す。十一月、禄山起兵して乱を作す。人、謂う、温の為に仇を報ずる耳と。禄山は洛陽城に入り、即ち偽位す。玄宗の蜀に幸したる後、禄山は温の一子を求め得たり。才六七歳、河南府参軍を授け、財帛を与う。
初め、温の楊慎矜を按ずるに、侍御史盧鉉同じくその事に与る。鉉は初め御史と為り、韋堅の判官を作る。及び堅が李林甫に嫉まれるに及び、鉉は堅の款曲を以て林甫に発し、身を售らんことを冀う。及び慎矜を按ずるに、鉉は先ず張瑄と同臺にて、情旨素より厚く、権臣に媚を取るを貴び、瑄が楊慎矜と共に図讖を解くを誣う。これを持して、驢駒の板橛を以てその獄を成す。また王鉷の閑廄判官と為り、鉷が邢縡の事に縁り朝堂に推されるに、鉉は証して云う、『大夫、白帖を将いて廄馬五百匹を索め以て逆を助けんとす。我これ与えず』と。鉷は死すること晷刻に在り、鉉は忍んでこれを誣う。衆咸く怒恨す。及び廬江長史に貶せらるるに及び、郡に在りて忽ち瑄が祟りを為すを見る。乃ち云う、『端公何を得て来たりて命を乞う。自由ならず』と。鉉は須臾にして卒す。
羅希奭
羅希奭は、本は杭州の人なり。近く家を洛陽にす。鴻臚少卿張博濟の堂外甥なり。吏として法を持するに深刻なり。天宝初め、右相李林甫引きて吉温と獄を持たしめ、また希奭と姻婭たり。御史臺主簿より再び遷りて殿中侍御史と為る。韋堅・皇甫惟明・李適之・柳勣・裴敦復・李邕・鄔元昌・楊慎矜・趙奉璋の獄に下る事より、皆温と鍛錬す。故に時に『羅鉗吉網』と称し、その深刻を悪む。八載、刑部員外を除き、郎中に転ず。十一載、李林甫卒す。出でて中部・始安二太守と為り、仍りに当管経略使を充てる。
十四載、張博濟・吉溫、韋陟・韋誡奢・李従一・員錫等の流貶せらるるに、皆始安に於いて、希奭或いは令して仮摂せしむ。右相楊国忠奏して司直蔣沇を遣わし往きてこれを按せしめ、復た張光奇に令して替わりて始安太守と為らしむ。仍りに勅を降して曰く。
前始安郡太守、充當管經略使羅希奭は、幸いにこの資序を以て、牧守の位に叨り居る。地は要荒に列し、人は多く竄殛す。特に委任を加え、奸訛を絶たんことを冀う。翻って乃ち逋逃を嘯結し、不逞の徒を群聚す。流貶に応ずる者は、公然と安置す。或いは郡縣を差攝し、黎氓を割剝し、或いは館宇を輟借し、人吏を侵擾す。典憲を軽侮するのみならず、実にまた紀綱を隳壞す。擢げて愆を数うれば、豈に其の罪を多しとせんや。海東郡海康尉・員外置に貶すべし。張博濟は往時回邪に托し、跡は惟だ憑恃にあり。嘗て自ら抵犯し、又た親姻に坐す。前後貶官し、歳月頗る久し。逗留して赴かず、情状容れ難し。及んで按挙を命ずるも、仍更に潜匿す。亡命して刑を逭る、これに斯くの如きは甚だし。並びに切害に當たり、合せて常刑を峻むべし。宜しく所在に於て各々重杖六十を決すべし。夫れ政を為すの士をして、克く章程を守らしめ、罪を負うの人の、期して悛革せんことを。凡そ厥の位に在る者は、宜しく各々悉心すべし。
時に員錫・李從一・韋誡奢・吉承恩は並びに杖を決せられ、司直宇文審を遣わして往きて之を監せしむ。
毛若虛
毛若虛は、絳州太平の人なり。眉毛眼を覆う。其の性残忍なり。初め蜀川県尉と為り、使司推勾を以て見任せらる。天宝末、武功丞と為る。年既に六十余なり。粛宗両京を収むるに及び、監察御史を除く。国用の足らざるを審らかにし、財貨を徴剝するの策を上る。公に潤有る者は、日に進奉有り、漸く任用せられ旨に称うを見る。毎に一人を推すに、未だ鞫せざるに、即ち先ず其の家資を収め、以て贓数を定む。望みに満たざれば、即ち郷里の近親に攤徴す。其の威権を峻くし、人皆死を懼れ、輸納晷刻を差せず。
敬羽(裴升・畢曜を附す)
敬羽は、宝鼎の人なり。父は昭道、開元初め監察御史と為る。羽は貌寢にして性便僻、人の意旨を候うに善し。天宝九載、康成県尉と為る。安思順朔方節度使と為り、幕下に引き在らしむ。粛宗の霊武に於て大位に即くに及び、羽尋いで監察御史に擢てらる。苛刻徴剝を以て進を求む。両京を収めたる後、転じて委任を見る。大枷を作り、鹴尾榆有り、著けば即ち悶絶す。又た囚を地に臥せしめ、門関を以て其の腹を輾り、号して「肉餺飥」と為す。地を掘りて坑と為し、棘刺を以て実とし、敗席を以て上に覆い、囚を領して坑に臨みて之を訊く。必ず其中に墜ち、万刺之を攢す。又た錢貨を捕逐す、毛若虛に減ぜず。
上元中、御史中丞に擢てらる。太子少傅・宗正卿・鄭国公李遵、宗子通事舍人李若冰其の贓私を告ぐるに因り、詔して羽に按せしむ。羽遵を延べ、各々小床に危坐せしむ。羽小瘦、遵豊碩、頃間問うに即ち倒れ、足を垂るるを請う。羽曰く、「尚書下獄するは是れ囚なり。羽礼を以て坐を延ぶ、何ぞ慢たるを得んや」と。遵絶倒すること数四。請うて問う、羽徐に之に応え、紙筆を授け、贓数千貫を書かしむ。之を奏す。粛宗勛旧を以て之を捨て、但だ宗正卿を停む。
及んで嗣薛王珍潜かに不軌を謀るに、詔して羽に鞫せしむ。羽支党を召し廷に羅し、索て鹴尾榆を以て之を枷し、栲訊の具を布きて以て之を繞らし、信宿して獄を成す。珍坐して死し、右衛將軍竇如玢・試都水使者崔昌等九人並びに斬らる。太子洗馬趙非熊・陳王府長史陳閎・楚州司馬張昴・左武衛兵曹参軍焦自榮・前鳳翔府郿県主簿李{{!|⿱|已山}}・広文館進士張夐等六人決殺せらる。駙馬都尉薛履謙自尽を賜い、左散騎常侍張鎬辰州司戸に貶せらる。
胡人康謙賈に善く、資產億万計す。楊国忠相と為り、安南都護を授く。至德中、試鴻臚卿と為り、専ら山南東路を知る。驛人之を嫉み、其の陰に史朝義に通ずるを告ぐ。謙髭鬚長さ三尺帯を過ぐ。之を按ずること両宿、鬢髮皆禿げ、膝踝も亦た栲碎せらる。之を視る者鬼物と為し、人類に非ずと以為う。生を捨てんことを乞い、後送の状を以て之を奏殺し、其の資產を没す。
羽と毛若虛臺中に在ること五六年の間、臺中の囚繫絶えず。又た裴升・畢曜有り、同じく御史と為り、皆酷毒なり。人の刑に陷る、当時に毛・敬・裴・畢の称有り。
賛して曰く、王德将に衰えんとし、政は奸臣に在り。鷹犬搏撃し、之を縦つ者は人なり。其の毒螫に遭う、悲辛と為すべし。法を作りて害を為し、延濫して仁ならず。