卷一百四十四
尚可孤
可孤は性謹願沈毅にして、既に勲績ありながら、衆会の中、未だ功を言わず。賊が平定した後、白花亭に営し、衆を禦するに公平にして、号令厳整、時に人これを称えた。李晟は甚だこれを親重した。李懐光が河中に叛すると、詔して可孤に師を帥いて諸軍と進討せしめ、沙苑に次ぐ。疾に遇い、軍中に卒す。司徒を贈られ、賻として布帛米粟を加等し、喪葬に須いる所は、並びに官に給せしむ。
李観
李観は洛陽の人、その先は趙郡より徙り、秋官員外郎敬仁の姪孫なり。少より武芸を習い、沈厚寡言にして、将帥の識度あり。乾元中、策を以て朔方節度使郭子儀に干る。子儀これを善しとし、坊州刺史呉伷を佐けしめ、防遏使を充任せしむ。尋いで憂いにより免じ、盩厔の別業に居す。広徳初、吐蕃が入寇し、鑾駕が陝に幸すや、盩厔において謁見し、郷里の子弟千余人を率いて黒水の西を守り、戎人敢えて近づかず。時に嶺南節度使楊慎微が鎮に将かんとし、観の権謀を以て、偏将に充て、軍政を総べしむるを奏す。徐浩・李勉が相継いで広州を領するに及び、特に信任を加え、麾下の兵甲悉くこれを委ぬ。馮崇道・朱泚を平らぐる時功あり、累次大将に遷る。李勉が滑州に移鎮し、累次奏して試殿中監を授け、開府儀同三司を加う。追って闕に赴き、右龍武将軍を授かる。
建中末、涇師が叛し、観は時に上直し、衛兵千余人を領して奉天に扈従す。詔して諸軍戍卒の都巡警訓練を為し、三数日の間に、二千余衆を加えて召し、これを通衢に列し、鼙鼓を整え肅し、城内これにより気を増す。徳宗これに倚頼し、封二百戸を賜う。二子の宏・寓に、八品の京官を授く。駕が奉天を出づるに及び、令狐建・李升・韋清らと咸に羈靮を執り、艱険に周旋し、皆功労著し。駕が京師に還るや、詔して後軍禁衛を総べしむ。
戴休顔
陽恵元
陽恵元は平州の人。材力を以て軍に従い、平盧節度使劉正臣に隷属す。後に田神功・李忠臣らと相継いで海を泛して青・斉の間に至り、忠勇にして権略多く、名将と称せらる。また兵を以て神策に隷し、神策京西兵馬使を充任し、奉天に鎮す。
初め、大暦中、両河平定し、事多く姑息なり。李正己は淄・青・斉・海・登・萊・沂・密・徳・棣・曹・濮・徐・兗・鄆の十五州の地を有し、兵十万を養い、李宝臣は恆・易・深・趙・滄・冀・定の七州の地を有し、兵五万あり、田承嗣は魏・博・相・衛・洺・貝・澶の七州の地を有し、兵五万あり、梁崇義は襄・鄧・均・房・復・郢の六州の地を有し、その衆二万。皆始めは叛乱によりて侯を得、各々土宇を擅にし、泛く朝旨を稟くるも、威刑爵賞、生殺自ら専らにし、盤根結固、相い表裏を為す。朝廷は常に大信を示し、拘限せず、緩むれば則ち嫌釁自ら作り、急ぐれば則ち合謀す。或いは詔旨将に一城を増し、一池を浚わんとするを聞けば、必ず皆怨怒して辞あり、則ちこれがために役を罷む。而して自ら境内に於いて兵を治め壘を繕い以て自ら固む。凡そ三朝を歴、殆ど二十年、国家敢えて拳石撮土の役を興さず。
代宗は寛柔にして怒ることなく、一切これに従った。凡そ河朔諸道の健歩が奏計する者は、必ず賜賚を得た。徳宗が即位すると、厳察にして神断、劉文喜を誅して以来、朝法の犯すべからざるを知り、四盗ともに自ら安んぜず。奏計する者は空しく還り、賞賜する所なく、帰る者多く怨んだ。或いは飛語を伝説し、帝が東封せんと欲すと云い、汴州は城隘狭なりと奏して、城郭を増築す。李正己これを聞き、兵万人を移して曹州に屯し、田悦もまた兵を河上に加う。河南大いに擾り、羽書警急なり。乃ち詔して京西の戎兵一万二千人を移して関東に備えしむ。帝は望春楼に御し、親しく師を誓いてこれを遣わし、曰く、「嗚呼、東鄙の警は、事已むを得ず。唯だ爾が将校群士、各々忠節を以て王家に勤めよ。南は蜀門に赴き、西は涇壘を定め、甲冑解かず、瘡痍未だ平らかならず。今爾を用いて周・鄭の郊に分鎮せしむ。明命を敬って聴け。夫れ王者の師は、征有りて戦無し。諸の理道に稽え、用て邦国を正す。宜しく乃ち戈甲を励まし、城池を保固し、徳を以て人を和し、義を以て事を制すべし。将に其の侵軼を備うるも、越境攻取を用いず、戢えて後に動く、正しと謂うべし。今外夷来庭し、方に春生植し、品物資始まる。農桑是の時なり。爾が将士をして、中野に暴露せしむるは、我が心痛悼し、鬱として焚灼の如し。嗟爾有衆、其れ悉く予が懐をせよ。」士卒多く泣下す。賜宴に及び、諸将列坐す。酒至れば、神策の将士皆飲まず。帝使いをして問わしむ。恵元時に都将たり、対えて曰く、「臣初め奉天を発す。本軍の帥張巨済、臣等と約して曰く、『斯の役は、将に大勛を策し、大名を建てん。凱旋の日、当に共に歓を為すべし。苟も戎捷せずんば、酒を飲むこと無からん』と。故に臣等、約に違いて飲むことを敢えず。」既に発ち、有司道路に供餼す。他の軍は孑遺無く、唯だ恵元一軍は瓶罍発せず。上称嘆すること久しく、璽書を降して慰労す。
李元諒
李元諒は、本は駱元光、姓は安氏、其の先は安息の人なり。少くして宦官駱奉先に養われ、駱氏を冒姓す。元諒長大にして美須、勇敢にして計多し。少くして軍に従い、宿衛に備え、労を積みて太子詹事を試みる。鎮国軍節度使李懐讓、署して鎮国軍副使を奏し、州事を領せしむ。元諒嘗て潼関に在りて軍を領し、十数年を積む。軍士皆畏服す。
徳宗奉天に居す。賊泚偽将何望之を遣わし軽騎を以て華州を襲わしむ。刺史董晋州を棄てて走る。望之遂に城を据え、兵を聚めて以て東道を絶たんとす。元諒潼関より将いて所部を率い、仍て義兵に其の未だ設備せざるに因り、径ち望之を攻めしむ。遂に華州を抜き、望之走りて帰る。元諒乃ち城隍器械を修め召募す。数日ならずして、兵万余を得、軍益々振う。功を以て御史中丞を加う。賊泚数たび兵を遣わし来寇す。輒ちこれを撃ち却す。是の時、尚可孤藍田を守り、元諒と掎角す。賊東して渭南を逾ゆること能わず。元諒功多く居る。幾くも無く、華州刺史・兼御史大夫・潼関防禦・鎮国軍節度使に遷り、尋いで検校工部尚書を加う。
李懐光河中に反し、河津を絶つ。詔して元諒に副元帥馬燧・渾瑊とともにこれを討たしむ。時に賊将徐庭光鋭兵を以て長春宮を守る。元諒使いを遣わしてこれを招く。庭光素より元諒を軽易し、且つ慢罵す。又優胡を以て城上に戯れ、元諒の先祖を辱しむ。元諒深く以て恥とす。馬燧河東の兵至るに及び、庭光馬燧に降る。詔して庭光を以て試殿中監・兼御史大夫とす。河中平らぐ。燧庭光を待つこと益々厚し。元諒因りて軍門に庭光に遇い、左右に命じて劫し斬らしむ。乃ち燧に詣り匍匐して罪を請う。燧盛んに怒り、将に元諒を殺さんとす。久しくして其の功高きを以て、乃ち止む。徳宗元諒の専殺を以て、章疏有らんことを慮り、先ず宰相に諭して諫官に論ぜしめず。
四年春、隴右節度支度営田観察・臨洮軍使を加え、良原に移鎮す。良原古城多く摧圮す。隴東の要地、虜入寇し、常に此に馬を牧し兵を休む。元諒烽堠を遠くし、城を培い堞を補い、身軍士を率い、同じく労逸す。林を芟ぎ草を薙ぎ、荊榛を斬り、乾くを俟ち、尽くこれを焚く。方数千里、皆美田と為る。軍士を勧めて樹芸せしめ、歳に粟菽数十万斛を収む。生殖の業、陶冶必ず備わる。仍て城を距てて台を築き、上に車弩を彀し、城守の備え益々固し。幾くも無く、又新城を進めて築き、便地を据う。虜毎に寇掠すれども、輒ちこれを撃ち却す。涇・隴是れ由りて乂安し、虜深くこれを憚る。疾を以て、貞元九年十一月、良原に卒す。年六十二。帝甚だ悼惜し、朝を三日廃し、司空を贈り、布帛米粟を賻すること差有り。
韓遊瑰
四年七月、将軍の張献甫を除して遊瑰に代えようとしたが、献甫の至るを待たず、また衆に知らせず、軽騎で夜に出て帰朝した。将卒はもとより驕っており、献甫が厳急と聞き、その帥無きに乗じ、兵をほしいままにして大いに掠奪し、かつ監軍の楊明義の第を囲み、範希朝を帥として奏することを請うた。都虞候の楊朝晟は初め郊外に逃難していたが、翌日希朝を請うたと聞き、再び城に入り、軍衆に言うには、「請うところは甚だ適っている。我は来て賀するなり」と。叛卒は次第に安んじた。朝晟は諸将と密謀し、朝に甲兵を率いて出て、叛卒を召して告げた。「前に請うた者は得られず、張尚書が来て、昨日すでに邠州に入った。汝ら謀叛した者は、皆死すべきである。我は尽く殺さず、誰が賊の首か、各々言え。罪をこれに帰し、余は悉く問わない」と。衆の中より二百余人を唱え、立ちどころに斬ったので、軍城はようやく定まった。上は軍情が希朝を欲することを聞き、寧州刺史を授け、献甫の邠寧の副とした。遊瑰は京に至り、右龍武統軍を授かった。十四年に卒した。
李広弘
賈隠林
賈隠林は、滑州の牙将である。建中初め、本軍の兵馬使となり、兵を率いて宿衛することを命じられた。硃泚の乱に際し、諸軍未だ集まらず、隠林は衆を率いて扈従した。性質は朴訥であり、奉天において、賊が急に城を攻めると、隠林は侯仲荘と逐って急ぎ救応し、艱難危険を備え尽くした。やがて懐光の軍が至り、逆賊が囲みを解くと、従臣は慶賀を称えた。隠林が抃舞を終え、奏して言うには、「賊の泚は奔り逃げ、臣下は大いに慶ぶ。これは皆、宗社の無疆の慶である。然るに陛下の性霊は太だ急にして、容忍することができず、もし旧性改まらざれば、賊は奔亡すれども、臣は憂い未だ艾たざるを恐れる」と。上はこれを忤とせず、甚だこれを称えた。累官して検校右散騎常侍に至り、武威郡王に封ぜられた。山南に幸せんとして卒し、左僕射を贈られ、その家に実封三百戸を賜い、賻として絹百匹・米百碩を賜り、喪葬は官が給した。
杜希全
杜希全は、京兆醴泉の人である。少より軍に従い、嘗て郭尚父の子儀の裨将となり、功を積んで朔方軍節度使に至った。軍令は厳粛で、士卒は皆悦服した。初め、徳宗が奉天に居たとき、希全は真っ先に将として所部を率い、塩州刺史の戴休顔・夏州刺史の時常春と合兵して難に赴いた。軍はすでに漠谷に次いだが、賊の泚に邀撃され、高きに乗じて礧を縦にし、また大弩をもってこれを射たので、傷つく者多かった。徳宗は兵を出してこれを援けさせたが、進むことができず、希全は退いて邠州に次いだ。難に赴いた功により、検校戸部尚書・行在都知兵馬使を加えられた。梁州に幸するに従った。帝が京師に還ると、太子少師・検校右僕射に遷り、兼ねて霊州大都督・御史大夫・受降定遠城天徳軍、霊塩豊夏等州節度支度営田観察押蕃落等使・余姚郡王となった。
希全が霊州に赴かんとするとき、『体要』八章を献上し、多く規諫した。徳宗は深くこれを納れ、『君臣箴』を著してこれを賜った。その辞は次のようである。
およそ徳は人を恵み、君は天を奉じ、諫言に従えば聖となり、共に治めるには賢を要す。帝王は極を立て、大命は易からず、万機を総べて務めを成し、六合の異なる状態を斉しくする。一心のみでは独り照らすことができず、一目のみでは周囲を見渡せない。哲人を広く求め、位に序して用いる。ああ、君主が臣を任用するには必ず一徳を求め、臣が君に仕えるには皆正直を思う。いかなる啓発と潤いが適切であるか、古今を通じて未だ得られず。かつ直言は耳に逆らい、讒言と諂いは側に伺う。故に下情は通ぜず、上聴は既に惑わされ、忠賢をして兇悪に敗れしむ。あたかも軽舟のごとく、船子が櫂を操り、また和羹のごとく、宰夫が調理する。誰が国を治めるのに師を得ずして成し得ようか、覆車の轍を、我は戒めん。高きは下より昇り、和は甘受より生ず。ただ君に良からざるも、また臣の咎なり。辛毗の故事を聞けば、魏帝の裾を牽き、また禽息あり、忠を尽くして首を砕く。献替を思うに勉め、可否を平らかにせよ。傷なきと謂うなかれ、微より自ら顕わる。害なきと謂うなかれ、小を積みて大となる。事には隠れて必ず現れるものあり、令は既に出でてどうして悔いようか。宮中に鐘鼓あれば、声は外に聞こえ、浩然として水に渉るが如く、朕には未だ終わりなし。扆を負いて虚心となり、忠を尽くして誨を受けんことを期す。昔の稷・契は実に舜・禹を匡し、近くは魏徴、我が文祖を佑け、君臣協徳して区宇を混一す。ここに朕寡昧にして、丕緒を継ぐを得たり。臣よ隣よ、汝は翼となり輔となれ。
高秋始めて肅し、我が武惟れ揚がる。この禁衛を輟み、大邦に殿す。闕を恋うこと方に甚だしく、嘉言すなわち昌んず。これ規諫、金玉のその相。辞高く理要を得、徳に入り方を知る。かの千慮を総べ、八章に備わる。宣父言有り、我を啓く者は商なり。殷には盤銘有り、周には欹器有り、或いは辞を以て戒め、或いは事を以て警む。図を披き義を演じ、爾が志より発す。金鏡とともに高く懸け、座右とともに同じく置かん。人皆初め有りて、その終わりを慎むこと鮮なし。汝その夙夜、朕が躬を保つことを期せよ。爾が身は外に在りて、爾が誠通ぜずと曰うなかれ。一言の応、千里同じ。かの遐邇を導き、余が四聡に達せしめよ。華夷徳を仰ぎ、時に乃ちの功なり。既に往き既に来たり、賢を懐いて忡忡。予に唱え汝に和し、深衷を示さん。
険を設けて国を守るは、『易』の象に文を垂れ、備え有れば患い無しは、先王の令典なり。況や旧制を修復し、疆裏を安固にし、甲を偃げ人を息ましむるは、必ずここに在り。
塩州の地は沖要に当たり、遠く朔陲に介し、東は銀夏に達し、西は霊武を援け、延慶に密邇し、王畿を保扞す。先には城池守を失い、制備拠る所無く、千里の庭障、烽燧接せず、三隅の要害、役戍その勤め。もし師徒を興集し、壁壘を繕修し、攻守の具を設け、耕戦の方に務めざれば、則ち封内虞多く、諸華屡く警め、中より外に及び、皆寧居すること靡からん。永図を深く惟うに、豈に終食を忘れんや。顧みるに薄徳を以てし、至化未だ孚かず、既に前古の治を復し、四夷の守を致す能わず。事に臨みて重ねて擾わすと、先に備えて即ち安んずるに若かず。是を用いて久遠の謀を弘め、五原の壘を修め、辺城守る有らしめ、中夏克く寧からしめん。暫くの労有ること無くして、安んぞ永く逸せん。
朕が情は己れの欲するに非ず、志は人を靖んずるに在り。爾ら将相の臣、忠良の士に咨る。誠を輸して命に奉じ、力を陳べて憂いを忘れ、功勛を勉めて茂くし、疆場を永く安んぜよ。必ず兵事を集むるは、実に衆心に惟る。各おの相率いて励まし、以て朕が志に副えよ。
凡そ六千人を役し、二旬にして畢る。時に板築せんとし、仍て詔して涇原・剣南・山南諸軍に吐蕃を深く討たしめて以てこれを牽制せしむ。これにより板築の時、虜塞を犯すに及ばず。城畢り、中外賀す。これにより霊武・銀夏・河西稍く安んじ、虜深く入るを敢えず。
希全は久しく河西に鎮し、晩節は辺境に倚りて恣横多く、帝嘗てこれを寛容した。豊州刺史李景略の威名はその右に出で、希全深くこれを忌み、代わらんことを疑畏し、乃ち誣奏して景略を陥れた。徳宗已むを得ずこれを貶した。平素より風眩の病有り、暴戾益甚だし。判官監察御史李起は頗るこれに忤い、希全また誣奏してこれを殺した。将吏皆重足脅息す。貞元十年正月卒す。朝を廃すること三日、司空を贈られる。
尉遅勝
尉遅勝は、本より于闐王珪の長子、少にして位を嗣ぐ。天宝中に来朝し、名馬・美玉を献じ、玄宗これを嘉し、宗室の女を妻とし、右威衛将軍・毗沙府都督を授け、国に還る。安西節度使高仙芝とともに薩毗播仙を撃破し、功により銀青光禄大夫・鴻臚卿を加えられ、光禄卿に改め、皆同正。
至徳初め、安禄山の反を聞き、勝は乃ち弟曜に国事を行わしめ、自ら兵五千を率いて難に赴く。国人勝を留め、少女を質として後に発つ。粛宗これを厚く待ち、特進を授け、殿中監を兼ねる。広徳中、驃騎大将軍・毗沙府都督・于闐王に拝し、国に還るを命ず。勝固より宿衛に留まることを請い、開府儀同三司を加えられ、武都王に封ぜられ、実封百戸。勝は本国の王を曜に授けることを請い、詔してこれに従う。勝は乃ち京師修行裏に林亭を盛んに飾り、以て賓客を待ち、好事者多くこれを訪う。
建中末、奉天に従幸し、兼御史中丞となる。駕が興元に在りし時、勝は右領軍将軍となり、俄かに右威衛大将軍に遷り、睦王傅を歴任す。
貞元初め、曜使いを遣わし上疏して称す、「国を有つ以来、代々嫡子が嗣ぐ。兄勝既に国を譲りしを以て、勝の子鋭に伝うることを請う」と。上乃ち鋭を検校光禄卿・兼毗沙府長史として還す。固く辞し、且つ言うに曰く、「曜久しく国事を行い、人皆悅服す。鋭は京華に生まれ、国俗に習わず、遣わし往くべからず」と。これにより韶王諮議を授く。兄弟国を譲る、人多くこれを称す。府除かれ、勝を以て原王傅とす。卒す。時に年六十四。貞元十年、涼州都督を贈られる。子鋭嗣ぐ。
邢君牙
邢君牙は瀛州楽寿の人である。若くして幽薊・平盧に従軍し、戦功により果毅折衝郎将を歴任し、平盧兵馬使を充てられた。安禄山が反乱を起こすと、平盧節度使侯希逸に従って海を渡り、青州・徐州の地に至った。田神功が劉展を討伐した際には、また神功に従って戦い功績を挙げ、将軍・試光禄卿を歴任した。神功が兗鄆節度使となると、君牙に防秋兵を率いさせて好畤に入鎮させた。吐蕃の侵犯に際し、代宗が陝州に避難すると、君牙は禁軍に属して扈従した。後にまた戦功により鴻臚卿を加えられ、累ねて河間郡公に封ぜられた。
楊朝晟
楊朝晟は字を叔明といい、夏州朔方の人である。初め、朔方において部軍の前鋒となり、常に功績があり、甘泉果毅を授けられた。建中初年、李懐光に従って涇州の劉文喜を討ち、斬獲や生け捕りが多く、驃騎大将軍を授けられ、やがて右先鋒兵馬使に遷った。後に李納が徐州を寇すと、唐朝臣に従って征討し、常に軍の鋒を冠し、功により開府儀同三司・検校太子賓客を授けられた。
上(皇帝)が奉天におられた時、李懐光が山東より国難に赴き、朝晟を右廂兵馬使とし、千余人を率いて咸陽を下り、朱泚を挫かせた。御史中丞を加えられ、実封一百五十戸を与えられた。懐光が河中で反逆すると、朝晟は脅迫されて軍中にあった。上が梁州・洋州に避難し、韓遊瓌が邠寧に退くと、懐光はかつて邠寧に在ったことから、属城のように迫制し、賊党の張昕を邠州に置いて後務を総べさせた。昕は難事が起こることを恐れ、大いに軍資を索め、兵卒や車馬を徴発し、明朝に密かに出発して懐光に帰ることを約した。時に朝晟の父懐賓は遊瓌の将であり、夜後に数十騎を以て昕及び同謀者を斬った。遊瓌は即日に懐賓を使者として表を奉り奏聞させ、上は召して労い問い、兼御史中丞を授け、正式に遊瓌を邠寧節度使に任じた。間諜が河中に至り、朝晟はその事を聞き、泣いて懐光に告げて言うには、「父は国に功を立て、子は誅戮に合うべきであり、兵を主とすべからず」。懐光は遂に彼を拘束した。諸軍が河中を囲むと、韓遊瓌は長春宮に営し、懐賓は身をもって戦伐に当たった。懐光が平定されると、上はその忠を思い、副元帥渾瑊に命じて特に朝晟を赦し、遊瓌の都虞候に用いた。時に父子同軍となり、皆な開府・賓客・御史中丞となり、異姓の王として、軍中において栄えた。
初め、軍が方渠に次ぐと、水がなく、師旅は囂然とした。たちまち青蛇が高い所より下り、その跡を視ると、水がそれに従って流れた。朝晟は命じて防を築いてこれを囲み、遂に渟泉となった。軍人は仰いで飲みて足り、その事を図して上聞すると、詔して祠を置かせた。喪が明けると、検校工部尚書を加えられた。この夏、防秋のため軍を寧州に移し、疾に罹り、十余日で卒去した。
張敬則
史臣が曰く、有唐中否し、逆寇勃興し、天王は蒙塵を以て窘しめられ、諸侯は忠を以て難に赴く。可孤は沙漠に生まれ、挺然として命を効うるの風を懐き、功は貔貅に冠し、屹爾として矜らざるの色有り。李観は文儒の胄にして、兵戎を習うを楽み、聖主を戴きて定難の勛を著し、渾瑊を会盟の変に救う。休顔は使を斬り城を嬰い、懐光股栗す。恵元は窮蹙自ら致し、天子軫悼す。元諒は兵を章敬に退け、力戦して功を譲り、雅に器度有り。及び小忿を忍びず、庭光を専殺し、軍門に罪を請う、壮なるかな烈士。その下の諸将、郁として労能有り。勝は異域に生まれ、位を推し国を譲り、堅く宿衛を留め、華風を顧慕す。中土に居る者は、豈に廉譲を思わざらんや。斯れ乃ち高祖の基、太宗の業、厥の孫に謀を貽し、徒に虚語に非ざるなり。
賛して曰く、建中国を失い、嘯聚して氛慝す。景命載延し、群雄力を畢す。歌鐘甲第、珪組繁錫す。凡そ百の人臣、忠は令徳と為す。